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サントリー音楽賞受賞記念コンサート 広上淳一&京都市交響楽団 [国内クラシックコンサート・レビュー]

今日の午後突然ひらめいた。このコンサートがあることは、1年以上前から知っていたが、訳あって今年は行けないものだと諦めていた。それでも前日、当日券があることも知っていたのだが、それでも踏ん切りがつかなかった。

本当にギリギリの午後になって、突然お告げがあったように行こうと思った。

行って本当によかった。

もうひとつの動機付けに、新装オープンになったサントリーホールの様子を確かめてみたい、という理由もあった。

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まずサントリーホールの新装オープンの様子の感想を書いてみる。

事前に知っていたところでは、ステージ床の全面張替え、座席の敷物シートの全面張替え、パイプオルガンのパイプを全部1本づつクリーニングしてのメンテナンス、そして女性トイレの増設、こんなところであった。

でも実際行ってみないとわからないことが多かった。実際見てみて、そうなっていたか!という感想が多かった。

大きな工事としては、ホールに向かって右側のほうに行くと通路があるが、その奥にさらに新しく通路が出来ていた。突貫工事で作った通路らしく、入って右側は外の通路に剥き出しになっている。(笑)

入って左側を進んで、その入り口のほうを映したアングル。
(係員の立っている向こう側が外に剥き出し。)

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この通路のところに、エレベーターが新設されていた。
障害者の方には優しい心遣いだろう。

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一番驚いて、ものすごい効果があると思ったのは、トイレの増設。
特に女性トイレ。

自分の淡い記憶だと、1階はホールに向かって左側にしかトイレがなくて、女性トイレはもちろん男性トイレもいつも長蛇の列だった。

自分はよく並んでいたのでしっかり覚えている。

それが、右側にもトイレが増設された。(奥の新しい通路のところ)男女ペアで、それが2箇所。

さらに2階のトイレも右側に男女ペアであったのを、そのエリアを女性専用に拡張して、男性トイレは、少し離れたところに。

従来よりも2倍以上、トイレが増設。特に女性トイレが大幅に増設になった。

休憩ブレイクのときに、試しにいろいろ覗いてみたが、なんと女性トイレはまったく列がなかった!ガラガラに空いていた。

男性トイレのほうが少し列ができているくらい。

そして休憩時間、男性トイレも使ってみたのだが、ここも従来より遥かに広くエリアが増設されていた。

恐るべき効果てきめん!

世界のどこのコンサートホールでも問題になるトイレの長蛇の列問題。
見事にクリアしている。画期的ですね。

その他の気づいたこと。

ホール横の通路に緩やかにスロープ(傾斜)ができたこと。


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今日の座席は最前列。


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ステージの床も見れた。もちろんピッカピッカだった。

そして座席の敷物シーツ。

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これを総入れ替えすることって、ホール音響にとって、かなりチャレンジングなことだと思っていた。シーツは吸音材で、座席の占める割合ってホールの容積のかなりの部分を占めると思うので。

でもそんなにデッドになったとか、という印象なし。お客さんが座るとその部分は隠れるからだろう。

今回の改修作業には、音響に関するメンテナンスはいっさいないようなので、もちろん音響がそんなに変わったという印象もいっさいなし。


ただサントリーの最前列は、かなりサウンド、音的にキツイ。(笑)

京都コンサートホールの最前列のほうが、ステージとの距離がかなりスペースが空いているので、ある程度バランスが取れて聴こえるのだが、サントリーは、もうステージにピッタシくっついているので、聴いていて、かなり厳しい感があった。

オケのサウンドに奥行きが出ない感がありますね。


でも、後半の大感動の演奏に、すっかりそんなことも慣れてまったく気にならなくなった。


大体そんなところです。トイレの増設は一番大きなメリットのように感じました。



今日は、サントリー音楽賞受賞記念コンサート。

毎年、その前年度においてわが国の洋楽文化の発展にもっとも功績のあった個人又は団体をサントリーから顕彰する賞で、広上淳一さんと京都市交響楽団は、2014年に受賞している。

サントリーホールで、そのお披露目演奏会なのである。


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京響をまさにここまで育て上げたのは、広上さんの渾身の10年間で、それが評価されての受賞なのだ。

自分も去年の夏、秋、そして今年の春と、地元京都で、この楽団の演奏会を堪能して、京都の美しい街並みと共に深く記憶に刻み込んだ。

そんな経緯があるので、サントリーホールでのお披露目コンサートには、ぜひ行きたいと思っていた。

最初の曲は、武満徹さんのフロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム。

TVや映像素材でしか拝見したことのなかったこの曲。
5人の打楽器奏者で、まさに武満ワールドと言える尖鋭な音と隙間のある空間の絶妙なバランスと旋律が織りなす摩訶不思議な世界。


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ステージ最前列に並べられたいろいろな打楽器の種類が、この曲独特の仕様で興味深い。

その音色も、あのカウベルを思い起こさせるものや、電子音のような音色であったり。
上の写真も、この曲仕様のステージ上の仕掛けで、あの5色の長いリボンを打楽器奏者が揺らすことで、美しい鈴の輪唱が鳴る。

なかなか実演に接することのない曲だと思うので、大変貴重な経験だった。




とにかく今日の公演は後半のラフマニノフ 交響曲第2番に尽きる。

もうこの曲は、ラフマニノフの作品の中でもダントツの人気曲で、もう始まる前から盛り上がること必須だと思っていた。

その甘美でロマンティックな旋律に彩られた、恋人とビロードのような甘い愛をささやき合うような・・・ そんな美しい曲である。一度聴けば、誰もすぐに虜になること間違いない。

自分も大好きな曲である。

この曲は広上&京響の18番の看板の曲なのだそうである。



これが超弩級の名演だった。


ここ数年の中で、もっとも心揺さぶられた演奏だったと言ってもいい。

分厚い安定した弦、音色の安定した描き方にコントロール、ともに広上さんの手中の中で、ものの見事に操られていた。

特に京響は弦セクションのレベルが非常に高いと去年から感じていることで、その安定した分厚い鳴りっぷりは感心することしきりであった。

そしてアインザッツ(音の出だし)が完璧に揃っていた。単純に音の出だしが合っている、といってもタイミングや音程や、リズムが合っているというレベルではなくて、最初の一瞬の音の震え、音の力、音の勢い、というなんとも言葉じゃ表現できない音の全てが完璧に合っている、そんな凄さがあった。

こんな安定感のあるサウンドで迫られると、後半どんどんクレッシェンドしていき、すごい高揚感に煽られ、こちらがドキドキして堪らなかった。

そして適切なフレージングの長さとブレス。このリズム、長さ加減が、微妙に聴衆の呼吸のリズムに影響するものだが、その次から次へと繰り出される甘い旋律に呼吸をしているのを忘れるかのような気持ちよさと陶酔感があった。

とにかく完璧な演奏だった。

今日のこれだけの名演の演奏レベル見せつけられると、どの都内の在京楽団も勝てんだろう。(^^;;

なぜなのか、自分のことでもないのに、ずいぶんと誇らしげな気分になって、余韻に浸りながら帰路についた。

今日は、突然のひらめきで来たのだが、本当に来てよかった。やはり音楽の神様は我を見捨ててはいなかった。

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第46回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 広上淳一と京都市交響楽団
2017/9/18(月)18:00~ サントリーホール

武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム
~5人の打楽器奏者とオーケストラのための~

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調op.27


アンコール~

チャイコフスキー:組曲 第4番作品61「モーツァルティーナ」より第3曲「祈り」




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BISレーベル [オーディオ]

今月のPROSOUND 10月号に、スウェーデンのクラシック音楽レーベルのBISの特集があった。

名古屋芸術大学の長江和哉氏がスウェーデンのBISレーベル本社を訪問した、その訪問記が掲載されていたのだ。

大変興味深く拝読させていただいた。

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PENTATONEのポリヒムニアや、DGのエミール・ベルリナー・スタジオは、よく素性を知っていたのだが、有力なSACDサプライヤーのひとつであるBISレーベルは、なかなか秘密のベールに包まれていて、スタジオやトーンマイスター含めて知る機会がなかった。

もちろんBISのSACDは、いままで数多にディスクを買ってきたので、家に大量のライブラリーがあって、彼らの録音のテイストはよく知っていた。

ワンポイント録音の先駆けのレーベルで、マイクから程よい距離感があるオフマイク録音で、聴いていて、ちょっと温度感低めのクールなサウンド。全般に録音レベルが低いのだけれど、その代償としてダイナミックレンジが広い録音、というのが彼らのサウンドの特徴だと思う。


記事の内容を詳しく書いてしまうと、営業妨害になってしまうので、詳しく知りたい人は、本を買ってください。(笑)


BISレーベルのヘッドクォーター。

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BISは、1973年にロベルト・フォン・バール氏によって設立された。

ロベルト・フォン・バール氏。(調理中(笑)) 

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中世の音楽から現代音楽までを範囲とし、いままで約2200タイトルを制作していて、いまも、1か月に5タイトル=1年間で60タイトルの新譜を制作している、というのだから、なかなか回転率が良くてビジネスも順調に回っているのだと思う。

北欧の音楽、指揮者、演奏家を中心に取り上げ、そのエリアを世界の様々な音楽の分野に広げている。

いまや数少ないSACDのステレオ&マルチチャンネルのハイブリッドで提供してくれるレーベルで、自分はとても重宝している。

これは自分は知らなかったのであるが、2006年にはBISが設立した音楽配信サイト eClassicalでは、2015年より96/24 FLACのステレオ/サラウンドで配信しているのだそうだ。

Channel ClassicsがやっているDSD配信サイトのNative DSD Musicには、BISは音源を供給するのを頑なに拒否しているので(笑)、配信ビジネスには、あまり興味がないのかと思っていた。


現在、BISレーベルは、7人の精鋭で運営されているそうだ。

とても興味深かったのは、いままでBISの録音制作を手掛けてきたトーンマイスター5人が独立して、「Take 5 Music Production」 という別会社を設立していること。

主なミッションは、BISの録音制作を担う、ということらしいので、フィリップス・クラシックスの録音チームが、ポリヒムニアになったことや、ドイツ・グラモフォンの録音チームが、エミール・ベルリナー・スタジオとなったことと同様のケースのように確かに思えるのだが、ただ唯一違う点は、現在もBISには、社内トーンマイスターが在籍して、音に関わる分野の責任を持っていることなのだという。

これまで通り、BIS作品の制作を担いながら、同時に他のレーベルの制作も担当できる、さらには、ダウンロードのプラットフォームも構築していくという視野もある。


BISには、3つのスタジオが整備されていて、ひとつは、DSDサラウンド環境で、スピーカーはB&W 802 Diamond 5本が配置され、DAW Magix Sequoia、YAMAHAのデジタルミキサー、EMMのDSD DACなどでSACDサラウンドをマスタリングしている。

収録は、PCM 96/24でおこない、マスタリングするときにDSD 2.8Mにアップサンプリングする。

自分がよくチェックしていたBISのSACDのクレジットには、Nautilus 802と書いてあったので、モニタースピーカーは、やっぱり音色に色のつかないNautilusなんだな、と勝手に思っていたのだが、これはちょっと予想外だった。


DSDサラウンドスタジオ

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スタジオにしては、少し天井が低いかな、と思ってしまう。

もう2つのスタジオは、PCMステレオ環境で、スピーカーは、QUAD ESL-63とB&W 801 Matrix S3といったクラシック音楽録音のリファレンススピーカーが配置されている。やっぱりこのポイントは、どこのスタジオも同じですね。(笑)

彼らのスタジオは、サラウンドもステレオもクラシック録音の王道だと思う。


彼らは、ポリニムニアと同じで、編集、マスタリングするスタジオはあるけれども、ミュージシャンが演奏するスタジオは所有していないので、録音現場は北欧を中心に世界中のコンサートホールや教会になる。

そうすると基本は出張録音。そうするとその場で簡単にミキシング、チェックする出張モバイルキットが必要になるのだ。

でも、録音の際に毎回機材を運ばなくてもよいように、これらの機材は、本社のほか、アメリカ、オーストラリア、日本に保管しているのだそうだ。

収録機材は、DAW Magix Sequoia/SamplitudeとRMEのMADI機器のヘビーユーザー。

BISのSACDのクレジットで、他のレーベルにはないことで、よく感心していたのは、収録機材、マイクなどの情報を必ずクレジットしていることであった。彼らが技術集団であることの主張なのだろう、と思っていた。

その他、BISの音楽プロデューサーのロバート・サフ氏、Take 5のトーンマイスターへのメールインタビューと、とても興味深い。

Take 5のトーンマイスターであるHans Kipfer氏は、もう数えきれないくらいクレジットで、その名前を見かけたなぁ。まさに中心人物のトーンマイスターでしたね。こんな方だったとは!

日本の演奏家で、BISと契約してSACDを出しているのは、鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)と、ピアニストの小川典子さん。

特にBCJのバッハの教会カンタータ全集は、22年かけて、日本の神戸松陰女子学院大学チャペルでずっと録音してきたBISとの共同作業の賜物。

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このカンタータ全集が完成した暁に、鈴木さんのインタビューを読んだとき、当時この何十年もかかるカンタータ全集の録音をしたいといろいろなレーベルに話を持ち掛けたときに、どこも相手にされなくて、BISだけが興味を持ってくれた、と語っていた。

近代のレーベルにある場当たり的なリリース計画、マーケット戦略ではなく、何十年という先を見据えた戦略、眼力を持っていた創立者ロベルト・フォン・バール氏ならではの成果なのだと思う。

レコード業界の中でも完遂の数少ないバッハのカンタータ全集。それをSACDという高音質フォーマットで世に出してくれた作品はこのBCJの作品しかなく、その功績は大きいと思う。


自分にとって、永らく秘密のベールに包まれていたBISレーベルの全貌が見えたような気がする。

PROSOUNDのほうには、さらに詳しく掲載されていますので、ぜひ買って読んでみてください。







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アラベラさん結婚! [クラシック演奏家]

うぉぉぉー!突然のニュース、動揺を隠せん。(^^;;

2,3日前からFBのほうで、concertiというドイツのコンサート雑誌のサイトが、アラベラさんを集中的に取り上げて連日アップするもんだから、何事かな?くらいにしか思っていなかったが、まさか、このおめでたいニュースを発表するための振りだったんだね。

このようなサイトから彼女の結婚を知るとは思いもしませんでした。(笑)

ファン心理としてはショックだった。でも日本人の血が半分入っているハーフとはいえ、基本は外人さん。結局自分からの一方的な片想いに過ぎず、お互いの恋が成就するなんてことも100%あるわけもなし。すぐに気持ちを切り替えて、心からおめでとう!と祝福ムード。

Why flowers? Easy:Just married!

と書かれていたのを読んだときは、心臓がドキッとした。(笑)

これが、結婚発表の知らせと同時に掲載されたポートレート

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後ろに見える美しい風景が、ザルツブルクのシュロス・レオポルドスクロンというホテル。

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お相手は、不明。言及なし。一般人なのかな?
なかなかのナイスガイでスポーツ選手のような体格のよいハンサム紳士だ。
お似合いだと思うよ。


ハネムーンは、ギリシャのクレタ島。見事なエメラルドブルーの世界。

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ずっと彼女を追っかけてきたわけだが、女性の御歳に言及するのは、大変失礼に当たるかもだが、もう今年で36歳になるので、そろそろいいパートナーに出会わないと、と心配はしていた。

そんな心配も無用だったわけだ。秘密裡に進んでいたんですね。

演奏家としては、まさに、いまが円熟の境地。
レパートリーも幅広く、中堅から、もうベテランの域に差し掛かる。

そんな絶頂時に結婚で女性としての幸せを手に入れた。

まさに順調な人生を歩んでいる。

結婚、そして子供、というラインも読めて、それも女性の幸せの選択肢のひとつ。

彼女は、その選択肢を選ばないかもしれないが、もし選んだならば、産休、育児で長期休暇を取ることも予想されるが、それはそれで彼女の人生なのだから、ファンとしては、気長に待っていてあげよう。


とにかく、心からおめでとう!





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20年前の自分はこんな資料を作成して、こんな資料を読んでいた。。。 [雑感]

今日アマオケのコンサートの帰りに、前職時代の同期の友人と久しぶりにメシ&飲み会をした。
その友人とは、今年の1月にじつに17年振りに再会したのだが、どんなに間隔が空いても、会えばすぐその時に戻れるお互いがいるので、やっぱり不思議だ。

同窓会ってこんなもんだろう。

そんな今日、その友人が自分にプレゼントがあるという。

それは、自分が、1994~1997年ころに前職の会社の仕事で作成した資料と、当時仕事で読んでいた資料。

いずれもその友人に、今後の世の中は、こうなる、ということでプレゼントしたものだった。


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その資料を友人は大事に保管していて、その一連の資料を、20年後のいま、自分に返却してくれたのだ。

その資料を観て、驚いた。

1990年代中頃というのは、ちょうどインターネットが世の中に出始めた頃で、同じころにデジタル放送も始まり(最初は衛星放送)、「デジタル放送とインターネットの融合」というのが、ひとつの業界のテーマだった。

ブロック図のほうは、そのことを書いたもので、はっきり覚えている。

自宅でディスクトップのMacを購入して(当時Windows95が出始めた頃とは言え、まだMacブームだった。)、それで一生懸命作っていたのを覚えている。

よくこんな図、書けたもんだなー、と今思う。

いまじゃとても無理だ。(笑)

若いって恐ろしい。あの頃は仕事中毒人間だったからな。



そして、さらに驚いたのは、当時仕事関連で、読んでいた資料。

スーパーオーディオCDの概要と展望。

これは覚えているので、いいとして、驚いたのは、

ドイツのトーンマイスターとクラシック音楽録音
バイエルン放送協会
バイエルン放送協会の音楽番組制作
ドイツのクラシック音楽録音の状況
ドイツ以外のクラシック音楽録音の状況
サラウンド制作の現状と新技術の動向


などなど。大笑い。(笑)

ページの片隅のコピー元の雑誌を見ると、いずれも1994~1997年の放送技術だ。

自分は、このことについて、まったく当時のことを覚えていないのだ。

これを見て、友人と2人で大笑いした。

自分が、いま趣味で、興味を持って勉強していることと、全く変わっていないのだ。

当時の自分がこんなことに興味を持っていたとは知らず、人生って、結局同じことを繰り返しているんだな、ということをつくづく実感した。輪廻転生っていうけれど、まさにこのことなんだな、という感じ。

人生、運命って本当に不思議。

これをよくこの20年間、大事に保管していた友人に感謝。

この当時から現在に至るまで、天国、地獄と波瀾万丈な人生を送ってきて、仕事中毒で変わった人間だった前職時代、そしていまやプライベート趣味にウェートを置く第2の人生、でも結局興味を持って打ち込んでいることは、どちらも同じテーマだったというこのギャグとしか言いようがないパラドックス。

本当に今日は大笑いした1日だった。

このコピー、いま考えるととても貴重な昔の資料。

じっくり読み返してみることにしよう。





 


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世界のふれあい街歩き [雑感]

原則TVを見ない主義の人なのだが、でもオーディオを聴きながら、TV番組の画面だけは観ている、という変則的な楽しみ方をしている。

最近のTV番組は、必ず字幕がつくし、TV音声なしでも、十分にその番組のことがわかる。

画面の映像だけを観ていると、大体世の中の動きがわかるし、丸っ切り世の中から隔離されている訳でもない。

ザッピングしていると、最近のTV番組は、やはり低俗だな、と感じることが多い。

その中で、自分がお気に入りなのが、旅番組。

特にヨーロッパの街並みを、綺麗な女優さんなどが旅している番組なんか大好きである。(笑)

あの美しいヨーロッパの街並みの情緒ある風情を感じるたびに、自分が行ったような気になるし、心の健康にとても良い。


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サラウンド音声には いくつかの効果(エフェクト)があるのだが、その一つが「主観移動」のバーチャル・リアリティ。

カメラが視聴者の目線になって移動し、それに対して 方向性・移動感がシンクロしたサラウンド音声が付随すること。 映画の人工的に付加された移動感溢れるサウンドや、音楽のコンサート中継には登場しないダイナミックな効果だ。



NHKに「世界ふれあい街歩き」という番組がある。

ステディ・カムといった安定装置をつけた1台のカメラ目線で旅する番組。

まるで、自分が街中を歩いている目線で、番組が語っているような感覚に陥る。

6年前に観たときは、この「主観移動」というサラウンドを駆使して、なんちゃってサラウンド、というより結構なかなか本気のような感じがした。

番組が街の散策なので、もともと音数が少ない。

この音数の少ない中をサラウンド感を出すのは、やっぱり映画や音楽のようなダイナミックのような訳にはいかないが、それなりに雰囲気が出ていた。

驚いたのは、林隆三さん(当時)のナレーションがリアから聴こえることだった。
そして現地の人の声はセンターから、など工夫が見られた。

街の散策でやっぱり一番サラウンド感が出るのは、車やバイクの移動感が最高だった。あと現地の通行人のざわめきなどリアから聴こえたり、前から聴こえたり、結構音数が少ない割にその現場感というか立体感があるように工夫して造られていた。


こういう街散策番組で、このような音声の工夫が観られるのは楽しく、当時は毎週観ていたような気がする。 


我々が赤ん坊の頃から、左右ふたつの耳で聴いている日常の現実音はサラウンド。2chじゃない。様々な方向、距離から音が聞こえてくる。ところが、その気になって注意して耳をすまさなければサラウンドしてるという感覚がない。ものすごく自然。それが理想なのだと思う。

亡くなられたサラウンドの権威、富田勲さんも言っていたことだけれど、それが納得いくような旅番組だった。



ところが突然普通の2chステレオ番組になってしまい、以来見なくなってしまったのだが、久し振りにもう一回観てみようか、と思った。

いまはサラウンドでやってくれているのだろうか?

別にステレオでもいい。いまの荒んだ心を癒してくれる番組であることは違いないことなのだから。

BSプレミアム 毎週火曜 20:00~

でやっています。

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絶対音感と相対音感 [オーケストラ学問]

オーケストラの開演前のラの音で調律する音高(ピッチ)の標準であるA=440Hz(俗にいうA440) について、かねてよりいろいろ思うところがあって、自分なりに深く知ってみたいと思っていた。


いわゆるオケの最初の儀式ともいえるコンマスが立って、合図とともに首席オーボエ奏者がラの音を吹く。そうすると管楽器奏者がいっせいにそれに合わせて調音する。その後に、同じようにコンマスがラの音を弾くと、それに合わせて、今度はいっせいに弦楽器奏者がそれに合わせて調音する。


クラシックのコンサートの前に、必ず目にする光景である。

コンサートにピアノが入る場合は、オーボエ奏者のところはコンマスがピアノでラの音を叩く、という場合もある。


なぜラの音なのか?


そのラの音であるピッチ(音高)の周波数の基準とされているのが440Hzで、いわゆるA=440Hzと言われる国際基準なのだが、果たしてその意味とは?


ネットでググると、結構わかりやすくいろいろ書いてあるので、自分の理解に促進につながった。

読んで理解するだけでなく、自分で書いてみるともっと理解が深まる。


ということで、自分の理解のため、日記を書いてみたいと思う。情報源はネットです。


周波数440Hzという音の高さは、一般的な調律の際の音高(ピッチ)の標準として使われているのだそうだ。この標準がISOの規格として取り上げられたのが1955年で、それ以来、この値がピアノやヴァイオリンなどの楽器の調律として使われてきている。


Aというのは五線譜のラの音のこと。

ラシドレミファソはABCDEFGで表す。(ドイツ語読み)


ピッチは調律における作業で最初に調律される音(基音)。


88鍵あるピアノの一番低い音は27.5Hz、一番高い音は約4186Hzだそうで、ちょうど真ん中にある49鍵目Aの音を何Hzにするか決めなければならない。


正確な表現をすると、中央ハのすぐ上のイである一点イを基準音として、そこを周波数440Hzとすることで調律をする。


中央ハというのは、ピアノを例でいうと、下図のように、全部で88鍵あるうちのど真ん中のドの音(水色)、そしてその上のイというのが、その同じ音階にあるラの音(黄色)になるらしい。このラの音が、ちょうど88鍵あるピアノの中でちょうど、ど真ん中の49番目の音に相当するのだ。



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このど真ん中のラの音を調律の基準音として使う。

このラ(黄色)の音の高さを440Hzに合せる。


これでオケの最初に儀式で、みんながラの音で調音する意味が分かった。(笑)


ところが、である。



音楽はその有史以来、様々な音律によって音階が作られてきたのだが、実はその基準となる音の高さ(基準周波数)も時代、地域、ジャンルによって様々なものが使われてきたのだ。


それを表したものが下の表。


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現在でこそ1939年ロンドン国際会議と1955年ISOによって制定された国際基準値A=440Hzがあるが、必ずしもそれが守られているわけではないらしい。


アメリカは早くから440Hzを制定したが、ヨーロッパでは今もそれより高い444Hz、448Hzなどが主流。また日本ではその間を取って442Hzがよく使われているらしい。


表を見てもらえばわかるように、たとえば古典楽器であるチェンバロは、今もバロック時代の基準値415Hzで調律されている。


イタリア政府によって制定されているヴェルディ・ピッチというのもある。


そしてカラヤンが手兵ベルリンフィルをチューニングするときは、カラヤンチューニングと呼ばれる446Hzが使われたそうだ。(笑)


調律するときは、この基準音の音高(ピッチ)に基準周波数というのがあってそれに基づいて調律している、ということが理解できた。ただ現実の音楽の世界では、国際規格である基準周波数A=440Hzは、あまり守られていなくて、日本ではピアノ調律には442Hz、444Hzがよく使われ、ヨーロッパでは今も444Hzや448Hzが主流だそうだ。


ピアノの調律では、調律カーブの影響もある。調律カーブは主に低音域、高音域について行われるが、曲線の付け方に決まりがあるわけではないので、自分の楽器が他人と違う音高(ピッチ)になっている可能性もある。


ちなみに余談ではあるが、ラジオなどの時報では、440Hzの予告音の後に880Hzの音で正時を知らせるのだそうだ。


なんとなく理解できたところで、絶対音感という言葉。


人にとって、絶対音感というのはあったほうがいいのか?

その音の絶対的な高さ(周波数)を認知する聴覚能力。


演奏家(音楽家)の方は、よく一般人からすると絶対音感に優れている人種と思われているようで、演奏家(音楽家)の方の投稿を偶然目にして面白かったのは、タクシーに乗って雑談をしていたりすると、「へぇ~じゃあ絶対音感が優れているんですね?」とかよく言われるらしい。(笑)


でも実際はそうじゃないんだよ、という話。


音楽家として価値があるのは、絶対音感を持っているいるからではなく、相対音感をもっているからなのだそうだ。


以下、その音楽家の方(塚田聡さん(ホルン奏者))の見解、大変参考になり、感動しましたので、ぜひその内容を、この拙ブログで紹介させてください。


ドとミの間隔(長三度)、ミとソの間隔(短三度)etc。そして、ドミソ(主和音)、シレソ(属和音)、ソシレファ(属七和音)、さらに複雑になってゆく様々な和声(音の彩り)を操りながら曲をつくったり、演奏したりできる。


ここで問われているのは、音と音の相対的な間隔。つまり「相対音感」になります。

「絶対音感」が、作曲するにあたって、演奏するにあたって、ましてや調律するにあたって、かえって邪魔にさえなるものであるということをご存知でしょうか?


そもそもAが440Hzと国際的に定めらたのは1939年のこと。このAの高さ(ピッチ)を絶対的な音感としてもっている人を絶対音感があるというわけですが、それ以降も、例えばウィーンフィルはもっと高いピッチを採用しているし、アメリカのオーケストラは低いなど、世界で必ずしも統一されているわけではありません。


世界に絶対的な高さがあるというわけではない。精巧な絶対音感を頼りにしている人は、約4Hzも違いがあるアメリカからヨーロッパに渡れないことになってしまいます。(笑)


ましてや、それ以前、ピッチは各時代、各地で様々でした。18世紀のバロック時代、パリに行けばA=392Hzだったり(現在より約一音低い)、ドイツのある地域ではA=415Hzであったり(現在より半音低い)、古典派時代になると、430Hzの地域もあれば、隣街に行けばまた異なるピッチが採用されていました。


そんなことが当然の世の中にあり各地で演奏や作曲を繰り広げていたバッハ(先祖・子息含む)やモーツァルトにとって絶対音感が是か非かなどという考えがあろうはずもありません。


佐村河内守さんが耳が聞こえないのになぜ作曲ができたのか!


もったいぶって〈絶対音感〉なんて言っている番組もありました。あれはかなりのインパクトを日本国民に与えました。

作曲するにあたって大切なのは相対音感であって絶対音感ではありません。


よく分かっていない放送局によって、日本中に「絶対音感神話」のようなものが満遍なく広がってしまったのではないでしょうか。


しかしながら、絶対音感があってA=440Hz(もしくは日本の標準ピッチと言われている442Hz)を拠り所とし、そのピッチでしか演奏ができない演奏者(歌手)がいるのも事実としてはあります。絶対音感があることを誇る演奏者がいるのも事実です。(往往にして、そういう人たちは合奏仲間をはねつけるようなピッチの取り方をしてくるものです。)

 

今は、クラシック音楽演奏界も多様化してきて、300年前のバロック音楽は当時の楽器を使って、当時のピッチでやろうという柔軟な考えをもつ演奏家たちがいます。そういう演奏家は、昨日はモーツァルトを430Hzで古典派タイプの楽器で演奏し、今日はヘンデルを415Hzでバロックタイプの楽器に持ち替えて演奏し、明日は、現代楽器で442Hzで演奏するという、柔軟な態度で演奏会に臨みます。


そこには絶対音感に固く縛られた窮屈さはなく、ピッチにおいても表現においても、柔軟に時代と場所を行き来しようという自由さを見ることができます。



プロの中には結果的にかなり精度の高い絶対音感を備えている演奏家はあたりまえのようにたくさんいますが、プロの演奏現場、作曲現場で、「絶対音感」のあるなし、もしくは精度の高さで、演奏家の格が落ちたり上がったりするというようなことは全くありません!


ここ大事!!


ところが「相対音感」を持っていなかったら、誰も演奏(歌)することはできません。

相対音感(和声感を含む)の精度の高さによって音楽家を階級分けすることはできるかもしれません。それほど音楽家にとって大切なもの、命と言ってもいいものが和声感を含む「相対音感」なのです。


重ねて言いますが、「絶対音感」は場合によっては邪魔になってしまうもの。音楽家にとって必ずしも大切・必要なものではないのです。




う~む、この塚田さんの投稿を読んで、唸らされてしまった。

音楽家にとって大切なのは、「相対音感」。


演奏のど真ん中の現場にいるからこそわかる真実と言おうか・・・。

確かに、ちまたに、「あなたは絶対音感はありますか?」というような簡単テストをするみたいなYou Tubeをよく見かけたりするのだけれど、それも一種の巷に存在する「絶対音感神話」のひとつなのだろうか。


基準値、調律カーブ、音律など、様々な要因によって変化する音階の音高は、本来「相対的」なものなので、その分野に「絶対」が馴染むものか、我々はよく理解して喋らないといけない。


結局、A=440Hzを知ることが、最初の目的だったのですが、結局その落としどころ、というか、深い結論として落ち着いたところは、絶対音感と相対音感というものがあって、音楽家にとって、必要なのは「相対音感」のほうである、ということだったのでした。


でも相対音感なるものも、やはり専門の教育を受けた上での開花する才能のような感じがします。

なにも教育がなくて、備わる天性の才能ではないような気がします。


こういう見解を拝読すると、演奏家(音楽家)の方をひたすら尊敬するのみですが、彼らの才能でもうひとつ驚くことが「採譜(聴音)」という才能。


これは音楽大学で正規の授業、教育として受けるものらしいですが、流れている音楽を聴いて、それを譜面に起こすこと。


これも、さすがにひとつの才能だなぁ、と思ったことでした。





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第1ヴァイオリンはどこから聴こえるべきなのか? [オーディオ]

いまから6年前の2011年11月のラトル&ベルリンフィルの来日公演、サントリーホールでマーラー9番を演奏したときのこと。当時のラトルが使っていた対向配置に、ひとつの疑問があった。


普通の対向配置って、1st Vn→Vc(チェロ)→Va(ヴィオラ)→2nd Vnで、ステージ左奥にコントラバスだ。


ところがラトル・ベルリンフィルのヴァイオリンの対向配置って、左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンでステージ右奥にコントラバス群となっていて、とてもユニークな印象を受けた。


当時調べてみたら、ラトルのこの対向配置というのは、ベルリオーズの「管弦楽法」に載っている方法ということがネットに記載されていた。


それぞれの配置の特徴を書くと(あるヴィオラ奏者目線)、


●Vn1 Vn2 Va Vc
  音の高さの順なのでVn2とVaなど隣り同士の連携がとりやすい。
●Vn1 Vn2 Vc Va
  Vaの音が客席によく聞こえるとか。Va目立つけどVn2との連携が難しい。
●Vn1 Vc Va Vn2
  いわゆる対向配置。ステレオ効果があるけどVn1とVn2の音量差が気になる。
●Vn1 Va Vc Vn2
  ベルリオーズの「管弦楽法」に載ってるらしい。正直やりづらかった。


こんな感じだった。


奏者が「正直やりづらかった」(笑)と言っているくらいだから、よっぽど珍しい配置なんだろう。

6年前の友人とのやりとりだけど、鮮明に記憶に残っていて、昨日ふっとこのことを思い出し、このラトルの対向配置のことをもっと深く調べて、その効果を知りたい。そしてついでに、オーケストラの配置について整理してみたいと思った。情報源はネットです。


●アメリカ型配置


アメリカ型配置.jpg


二次大戦後、アメリカのストコフスキーという指揮者がはじめた配置で、現在主流となっている、
左から順に第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロという配置。

音響の悪いホールで演奏せざるを得なかったために響きが良くなる方法を研究した結果だと言われている。


ステージ左から高音域→低音域の順番で並んでいる配置。

音域が近い楽器同士を隣り合わせにした方が、弦楽器全体で聴いた時の響きは良くなる。
このことは特に、編成の大きい曲や、大きなホールで演奏する時に重要になる。


なので、こう配置することでコンサートホールでの響きが豊潤になるという利点とともに、1950年代頃から一般的に行われるようになったレコードのステレオ録音にも適しているとみなされ、20世紀後半には世界中のオーケストラに広まっていった。


また奏者は隣の奏者の音をじかに聴きながら演奏している訳だが、自分の両隣の音は、自分の楽器の音域に近い音のため、連携を取りやすいというメリットがある。


この配置はチェロが外側に来ることにより、より重低音サウンドが期待でき、音の輪郭がはっきりするが、ヴィオラが内側に入ることにより、中音域が聴こえにくくなるというデメリットがある。



●ドイツ型配置


ドイツ型配置.jpg




アメリカ型配置に対して、ヴィオラとチェロを入れ替えた配置で第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→チェロ→ヴィオラという配置。アメリカ型の改良バージョン。


ヴィオラは、ヴァイオリンとチェロのちょうど間くらいの音域で、その主役割は主旋律を歌う楽器に対しての内声的な役割。またヴィオラは楽器特有の事情により響きが出にくい構造で(音域的には楽器をもっと大きくしないと充分な響きが出ないのに、それだと奏者が持てなくなるため、本来あるべきサイズより小さいらしい)そのヴィオラの音が良く聴こえるための配置。


この配置は高音域・中音域・低音域の各声部がなめらかに溶け込み、バランスの良い音響効果を得ることができる。だが、演奏によっては、音の輪郭がいまいちはっきりしないというデメリットもある。




●古典配置(対向配置)


古典配置.jpg




客席から見て、左側から第1ヴァイオリン→チェロ→ヴィオラ→第2ヴァイオリンという順に配置される。この配置は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがお互い向かい合って配置されることから、対向配置とも言われる。


対向配置の1番の目的は、ベートーヴェン以前の古典派作品では第2ヴァイオリンが内声部や伴奏に徹するよりも、第1ヴァイオリンと対等の立場の掛け合いで主旋律を演奏するケースも多いことから、そのやり取りをステレオ効果のごとく聴覚・視覚の両面で明快に表現しようという意味合いにある。


このように「作曲当時と同じ」であることを強く意識する場合には対向配置(古典配置)を取る。


この配置のメリットは、ずばり高音域・中音域・低音域の各声部がくっきり聴こえるという点である。各パートの音がよく分離してクリアに聴こえる。


逆にデメリットは、弦楽器全体の響きとしては弱くなる。理由は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、第2ヴァイオリンとヴィオラが離れてしまうため。


アメリカ型&ドイツ型のように隣接した楽器がお互い音域が近い者同士だと、それが連携すると全体として響きが大きく豊潤になるメリットはあるのだけれど、輪郭がクッキリしないというデメリットがある。


逆に対向配置で、隣接した楽器がお互い音域が離れている者同士なので、各声部が分離してクリアに聴こえるのだが、弦全体としての響きが弱くなるというデメリットがある。
 

この対向配置の、もうひとつの問題点は、技術的に相当のテクニックを奏者に要求すること。


普段第1ヴァイオリンの横で弾いている第2ヴァイオリンが離れた位置に配置されるため、非常に高度なアンサンブルの技術が必要になる。


第2ヴァイオリンというのは基本的に第1ヴァイオリンのメロディーを補強する役割を受け持つので、第1ヴァイオリンと離れてしまうと非常に演奏しづらい。だから、この配置は高度な演奏テックニックをもったプロのオーケストラでもないかぎり、いかなる理由があろうともやるべきではないらしい。


アマオケがこの配置でやっても、この配置の特性を生かせないのはもちろん、アンサンブルの崩壊をまねく可能性も強い。そこまでして、奏者に強いる負担が大きい配置なのだ。



●ラトルの対向配置



ラトルの対向配置.jpg


これが問題のラトルがよく使っている対向配置である。
ふつうの対向配置と違うのは、ヴィオラとチェロが入れ替わっていること。

これについては、基本の効果は、たぶん普通の対向配置と同じだと思うのだが、ヴィオラとチェロを入れ替えるところの効果は、調べたのだがわからなかった。このようなマイナーな配置は載っていなかった。(笑)


以前調べたときは、ベルリオーズが書いた「管弦楽法(オーケストレーション)」の中に記載されている配置という記事があったのだが、それさえも、現在ではなかった。もう6年前のことだからなぁ。


残念!6年越しのミステリー解決にはならなかった。


でも当時のラトルが、このような配置を使っていたことは確かなのだが、現在では、ふつうの対向配置のようだし(昨年のベートーヴェン交響曲全曲演奏会でもそうだった。)。


現在オーケストラの配置ということで、挙げられるのは、アメリカ式、ドイツ式、そして古典配置(対向配置)のこの3つだけと言ってよさそうだ。


それを指揮者が決めるのか、オケが決めるのか、他の誰かが決めるのかは指揮者によって、オケによって、演奏会によって事情が違うのでケースバイケースなのだと思う。



ラトルの対向配置②.jpg




この配置問題をクリアした上で、敢えて考えたいのは、オーケストラ・サウンドをオーディオで再生する場合。


2chで録音が造られているもの、2chステレオで達成できるもの、解決できる課題は2chシステムの方で追及していきたいし、一方で、2chステレオの再生に対する疑問や問題点を解決する新たな手法としてサラウンドの録音・再生に取り組んでいるのである。


確かにサラウンドは、システムのユーザへの負担、部屋のエアボリュームの問題もあって、いまいちユーザへの敷居が高く、普及がニッチ市場であることは間違いないのだが、でも最近は3Dサラウンドという3次元立体音響のフォーマットも出てきて、コンサートホールでのオーケストラサウンドの空間の切り取り方に革命的な変化をもたらす可能性も出てきていることは否めない。


そのひとつにこんなことがある。


それは、オーケストラのストリングス(弦楽器セクション)の鳴り方。

自分がオーディオに目覚めた頃最初に聴いたオーケストラ再生の印象は、第1ヴァイオリンが左から チェロ・コントラバスが右から聴こえて、センター奥から 木管楽器やティンパニーが聴き手に向かって響き渡ってくるように感じられた。


ステレオって凄え!これが立体音響かと感動した。


しかし その後、時代が経過、経験が豊富になるにつれて、そうしたいわゆる「ステレオ効果」に対する疑問が生まれてきた。先述のオーケストラ配置や、実際にオーケストラを見るとわかるが、第1ヴァイオリンは、ステージの左端から センターに陣取る指揮者のすぐ横までの拡がりがある。


音のエネルギー感にしても ストリングス(弦楽セクション)のエネルギーの核は、指揮者がいるいないにかかわらずセンターにあって、そうしたストリングスの凝縮感みたいなものがある。


それをきちんと録音されたものを聴いてみたいと考えるようになった。


ベートーヴェンからブラームス・チャイコフスキーに至る交響曲を美味しく味わうためには ストリングスをちゃんと鳴らすということが一番の肝だと今でも考えている。だから一聴して解像度が高く音色が魅力的なスピーカーであってもオーケストラのストリングス・セクションがきっちり描けないスピーカーを自分は受け入れられない。


センターにぐっと凝縮感があって そこからエネルギーが炸裂・拡散していくようなストリングスを録音・再生すること、そんな課題を持ってオーディオに取り組んでいるといくつかわかったことがあった。


先ずいろいろなオーケストラの録音を聴いていると、センターまで厚みのあるように弦楽セクションを捉えることは、別に難しいことではないのだが、そうすると 今度は奥行きも出しにくくなってしまい、全体に拡がりの無いモノーラルっぽい、いわゆる分離の悪いオーケストラ録音となる。


センター付近で密集する弦楽器のパワーを出そうとすると、奥にいる木管楽器が埋もれてしまうというバランスの悪さはいかんともしがたいものがある。


されど補助マイクで 木管楽器をレベルアップすれば 音場がどんどん平面的になってしまう。

結局 弦楽器セクションのサウンドは、センターを薄くして 左右に開き木管楽器を 補助マイクのレベルをあまり上げずして浮かび上がらせる方が聴いていて気持ちが良いのだ。


いろいろなオーケストラ録音を再生するとメジャー・レーベルの優秀なオーケストラ録音というのは およそ そういう風に出来ているということに気がついた。



そこには、2chステレオによるオーケストラ録音・再生の約束事というか限界があるのだ。
自分が、サラウンドの録音・再生に求めているのは、それを超えたものだ。


「第1ヴァイオリンが、ステージの左端からセンターまで席を埋め、第2バイオリンやヴィオラが 音楽を内から高揚させるように内声をきっちり表現していて、かつチェロ・バスの低音弦にも ちゃんと拡がりと音としてのボディー感がある。まず、そんなストリングス・セクションを眼前に再現したい。それでいて 奥の木管楽器から金管・打楽器に至るまでの遠近感・立体感が曇りなく見渡せる。」


自分が、オーケストラの生演奏、そしてオーディオ再生を聴くときに、いつも理想とする空間の描き方、はこんなイメージ。


3Dサラウンドが、実際のオーケストラ録音に実用化され始めたら、どんな革命、聴こえ方の革新が生まれるであろうか?

ホール空間の切り取り方は、まさに実際、自分がホールにいるかのような感覚を家庭内で再現することが出来るであろうし、オーケストラの聴こえ方そのものに、生演奏のリアリティが増すに違いない。


2次元平面で解決しようと思っていたことが、奥行き、そして高さというディメンジョンも増えて表現力に迫真がでる。


また、それこそ先に書いた様々なオーケストラ配置による様々な聴こえ方の違いも、その通りに家庭内でも再現できるに違いない。


いままで書いてきたようなことは、2chステレオ時代だから、苦労してきたことであって、録音にしろ、再生にしろ、チャンネル数が増えるということは、そういうことを一気にブレークスルーして解決してくれるものという確信みたいなものが自分の中にはあるのだ。






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バイロイト音楽祭2017 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の印象 [オペラ]

近年のバイロイトの演出というと、奇をてらったものが多く、保守的な演出が好みの自分からすると、奇怪な読み替え版に思えることが多い。そして大抵、メディアの評判も悪い。

そんな中で、今年のバイロイト音楽祭の新制作である「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。

今回のバイロイト独特の演出は、なんと!実在の人物との置き換え。ヘルマン・レヴィ=ベックメッサー、コジマ=エヴァ、リスト=ポーグナー、ワーグナー=ザックス、という感じで。実在の人物と劇中の人物をたくみに重ね合わせ、ドイツ史劇の中にワーグナーの人生と思想を織り込んだ演出なのである。

それこそ第1幕の舞台は、ヴァンフリート荘(ワーグナーの邸宅)なのだ。
去年が自分が訪れたヴァンフリートの居間空間が再現れていて、ひたすら感慨。

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ポーグナーは本当にリストに似ていた。(笑)そして、若きワーグナー、年老いたワーグナーなどたくさんいる。



そして最後の歌合戦は、あの戦争史上抜きでは語れないニュルンベルク裁判(第二次世界大戦においてドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)が舞台。

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なぜ、この舞台を選んだのか、そして、その是非は、専門家の方に譲りたいが、その発想のユニークさには、度肝を抜かれたことは確かである。

最後の場面で、オケが出てきて演奏するのは、まぁ洒落ですね。(笑)



全幕観た印象は、自分の結論としてはとても素晴らしいと感じた。


その第1の理由は、演出が、聴衆がストーリーに没入するのを邪魔していないこと。

得てもすると演出が斬新で奇抜な読み替え版だとすると、その演出に神経が集中してしまい、そのオペラの本来のストーリー展開に、自分がすんなり入って行けないことが多いのだ。

一番いい経験だったのが、去年体験したバイロイト音楽祭の「神々の黄昏」。
悪評高き現代読み替え演出に、それを理解することで精一杯で、さっぱりオペラのストーリーを追えなくて、チンプンカンプンだった。

今回のマイスタージンガーの演出は、その発想こそ斬新だけれど、決して奇抜の類ではなくて、自分にはある意味保守的とさえ思えた。

舞台設定が奇抜なだけで、そこに展開されているストーリーそのものは、自分がいままで慣れ親しんだ保守的なもので、全く違和感なくすっ~と入り込んで、あっという間の5時間だったのだ。

その舞台設定は、ある意味付帯的なものにしか過ぎなくて、決してそのストーリーの本質のイメージを壊すものではなかった。

逆に現代の美的感覚に合せた舞台芸術の美しさがあって、全体の進め方はきちんと従来の保守的なものが守られている。

そんな印象だった。

演出が、聴衆のストーリー没入の邪魔をしないこと!
これってオペラではつくづく大事。

バイロイトの新制作として、そしていわゆるマイスタージンガー・フリークで、それなりに視聴経験もかなり多い自分にとって、決して期待を裏切るものではなく、返って”バイロイトらしい”というか、微笑ましい作品に映った。


久し振りにこの5時間の長大作を見て、本当にこの楽劇は、美しいメロディーがいっぱい散りばめられた旋律の宝箱のような作品なんだよなぁ、ということを、つくづく実感した次第である。ワーグナーがじつに優れたメロディーメーカーであったかということがわかる作品だと思う。



それでは、それぞれの歌手について、感想を一言づつ。


●ミヒャエル・フォレ(ハンス・ザックス)

男やもめの職人気質という雰囲気が出て、期待を裏切らなかった。このオペラでは、このザックスが自分が一番お気に入りなのだ。ワルターよりもザックス派。声の渋み(バス)と演技力が素晴らしく、自分の本懐を遂げられた感じで素晴らしかった。


●クラウス・フロリアン・フォークト(ワルター・フォン・シュトルチング)

この人についてはもう今さら言う必要もないでしょう!(笑)もう素晴らしすぎる!あの声は、まさに天からの授かりものですね。

これまでのワーグナー・テノールにはない明るく柔らかい声。ワーグナー歌い、しかもテノールとくれば強靭な声と巨大な音量といったイメージがあるが、フォークトはむしろ軽くて明るい声質。この人は従来のヘンデル・テノールのイメージを変えましたね。

この人に驚くのは、やはり発声に余裕があること。精いっぱい歌う歌手が多い中で、この人の歌い方は余裕があるのです!


●ギュンター・グロイスペック(ファイト・ポーグナー)

本当にリストに似ていた。(笑)このオペラでは、とても重要な役割どころだが、舞台上でもかなり存在感があって、素晴らしい。声質もバスとしてはいいと思うが、もう少し声量が欲しい感じがした。


●ヨハネス・マルティン・クレンツレ(ジクストゥス・ベックメッサー)

このオペラでは、とても大事な嫌われ役。しかしここまで徹底的に嫌われるのも可哀想すぎる、と思えるのだ、このオペラを観るたびに。(笑)そんな大事な独特なキャラクターを見事に演じていた。


●アンネ・シュヴァーネヴィルムス(エヴァ)

う~ん、唯一の残念賞かな? まず声量が圧倒的に足りなく、声の張り出す感じも不十分で、声がホール内に響き渡らない。歌手としての命である”声”が役者不足のように感じた。容姿はとても上品な感じでエヴァの資格十分だと思うのだが。

やはり現地の聴衆は残酷。カーテンコールでは唯一のブーイングも。(>_<)




録画・録音で聴くバイロイト祝祭劇場のサウンド。

あの独特のクローズドなピット形式であるが故の音がどこか遠い感じ、閉塞感がある感じがした。去年現地で体験した時、観客席で直接聴いている分には、まったくそんな違和感はなかったのだけれど、録音という形で聴くと、そこがやや気になる。

あの有名な第1幕の前奏曲のときにそう感じたのだが、でも見続けていくにつれて、まったく感じなくなった。

サウンド(5.1サラウンド)のクオリティは、かなり高い!

開幕前のあの生々しいホール内の暗騒音!これにはシビレました。

BF MEDIEN GmbHとNHKの共同制作です。




バイロイト音楽祭は国の助成を受けており(今年も約250万ユーロ拠出!)、ドイツ国内で行われる最も重要な文化イベントの1つなのです。初日はご覧のようにメルケル首相も駆けつけました。

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去年はこのバイロイト音楽祭を訪問出来て、夢のような出来事であったが、この世を去る前に、もう1回くらいは行ってみたい気持ちで一杯であります。








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Why not ワーグナー? イスラエル室内管弦楽団の60日 [オペラ]

政治(戦争)と音楽はいつも紙一重の関係。
ナチスとカラヤン、フルトヴェングラーの関係がそうであったように。


「ワーグナーと反ユダヤ人思想。」


この問題は巷ではいままで幾度も取り上げられてきた有名な問題で、6年前の2011年にBS-WOWOWで放映されていた


「Why not ワーグナー?:イスラエル室内管弦楽団の60日」


という番組を思い出した。


今年のバイロイト音楽祭の新制作「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で第3幕の歌合戦のところで、ニュルンベルク裁判(第二次世界大戦においてドイツ の戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)を登場させる演出を見て、ワーグナーとナチス、ヒットラーとの関係を思い出さざるを得ず、この番組をふっと思い出したのだ。




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ワーグナーは、19世紀後半に音楽界だけでなくヨーロッパ文化に広く影響を及ぼした文化人として知られる一方で、反ユダヤ人思想を持つと言われる彼の音楽は、ヒトラーのユダヤ人絶滅思想にも利用されてきた。


そのため、イスラエルにおいてはワーグナーの音楽そのものが長らくタブー視され、今日においてもその見方が強い。


しかしこの年の夏、その悲しい歴史に風穴が開こうとしていた。
7月、イスラエル室内管弦楽団がワーグナー音楽の聖地、ドイツ・バイロイトでワーグナーを演奏するというプロジェクトが進行していたのだ。


番組では、賛否両論が巻き起こるイスラエル国内の現状や、楽団の招待に携ったワーグナーの曾孫・カタリーナ・ワーグナーさんへの取材も含め、この歴史的演奏会に向けた楽団員や関係者たちの60日を追う、という内容であった。



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バイロイトでのイスラエル室内管楽団



イスラエルにおけるワーグナーへの宿怨が並大抵のものではないことは、この番組に紹介されるいくつかのエピソードでわかる。バイロイトでのコンサートで、演奏されるワーグナーはたった1曲だけ。しかも『ジークフリート牧歌』というワーグナーらしさには乏しい、文字通りどこか牧歌的な曲だ。この1曲しか演奏できなかった理由の一つにも驚かされる。
 
イスラエル国内ではたった一度も練習することなく、ドイツに入って初めて音を合わせるからだ。


観客は冒頭のイスラエル国歌を起立して聴き、『ジークフリート牧歌』にはスタンディングオーベーション。 この事実は両国の新聞で衝撃をもって伝えられ、当然のことながら賛否両論を巻き起こす。


国家観の違い、歴史上起こった事実の程度の違いと言えばそれまでだが、日本人の感覚では計り知れない高く強固な壁が両国にあると思う。


ドキュメンタリーは、まずワーグナーの反ユダヤ人思想の解説から始まる。
ワーグナーの曾孫:カタリーナ・ワーグナーさんが解説する。


ワーグナーはいつも狂気の中で生きていた。常に自己崇拝しており、世間から天才として認められることを期待していた。だから自分以外に高く評価されている人は言うまでもなくライバルであり、敵であった。

 
若きワーグナーの前に立ちはだかる男たちがいた。メンデルスゾーンやマイヤーベイアーを代表とするユダヤ人作曲家。彼らに対する妬みは、ワーグナーを人種差別主義者に変えていった。


後にワーグナーの著作「音楽におけるユダヤ性」でユダヤ人絶滅論を唱える。


後年、このワーグナーの思想に自らを重ねたのがヒトラー。
ワーグナーの劇場を訪れたり、ワーグナー一家と蜜月の関係に。


ヒトラーを魅了したのは、大衆心理を動かすワーグナーのその音楽の力。
ワーグナーの音楽を使って大衆全体を洗脳できる。


それによってワーグナーが危険人物になってしまったという。


ナチスは党大会など、ことあるごとにワーグナー音楽を演奏。ユダヤ人強制収容所でガス室に送り込まれるときもワーグナー音楽を流したという。


今回のプロジェクトを発案したのは、このオケの音楽監督であるロベルト・パテルノストロさん。


ワーグナー音楽は確かにナチスのシンボルだったが、彼の音楽が素晴らしいのは疑いのない事実。 だからみんなでバイロイトに行こうと話したんだ。オケのメンバーの家族の大半はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の被害者。そのためにバイロイト行きは個人の判断に任された。


そのオケのメンバーの葛藤と苦悩の日々を、番組はVn奏者のハヤ・リヴンさんとファゴット奏者のルーベン・モーガスさんの2人に焦点を当てて紹介。


ハヤさんは反対派。ポーランド出身の両親は、ホロコーストからの生還者。
私にとってワーグナーを聴くときに彼の人間性を考えないなんてできない。
でもバイロイト行きの参加を迷うハヤさんの背中を押すプラス材料があった。
それはイスラエル国家を演奏することができること。
まさにバイロイトへの凱旋を意味する。


一方ルーベンさんは賛成派。僕たちの時代にあのようなことがあればワーグナーを絶対に許せなかった。

でも彼が死んでから100年以上も経っている。もはや何の意味もない。
僕は音楽を聴くときに人間性なんて考えないよ。
彼は音楽においては反ユダヤ主義的なことは表現していない。


楽団員は家族に相談するが、楽団員の半数は家族や親族がホロコーストを経験した犠牲者でもあり、多くの戸惑いや葛藤を抱えることに。結局1人を除いて37名がバイロイト行きを決めた。


イスラエルでは今回の公演に好意的な見方も出てきている。
バイロイトのほうも受け入れ歓迎ムード。


ワーグナーの曾孫・カタリーナさんのインタビューでは、

「イスラエル国内で激しい反響があったことは当然です。激しい怒りも我々は理解しないといけません。 それでもこの公演は両国の架け橋になるかもしれません。」


そしていよいよバイロイト現地入り。
到着してすぐに3時間後にすぐに練習。楽団が練習を急ぐ訳は理由がある。
 
イスラエル国内では批判を浴びるためにワーグナーの曲の練習はじつはこの日が初めて。


音が揃わない。


今回楽団が演奏するワーグナー音楽は「ジークフリート牧歌」。


音楽監督&指揮者のロベルト・パテルノストロさんは、ワーグナーの曲を思い浮かべるととても力強い曲が想像されるが、ジークフリートは穏やかで美しい曲。だからそんな平和な曲を演奏するのは良いアイデアだと思ったのです。


運命の公演の日。


イスラエルで大規模なデモの予告があってバイロイトでは超厳戒態勢。公演前に楽団員全員に、ホロコーストの犠牲者を追悼する”ヤドバシェム”のシンボルのバッチが配られ、みんなそれを衣装に付ける。男性メンバーのネクタイはイスラエル国旗を表すブルー。


いよいよ演奏。客席全員と楽団員も全員起立でイスラエル国家演奏。
つづいてワーグナーのジークフリート牧歌を演奏。


演奏終了後、観客は全員起立でスタンディングオーベーション。
この公演は両国で賛否両論。大きな話題になった。
(NHKのニュースでも放映されたようです。)


ドイツの新聞:
・記念すべき橋渡しの日になった。
・一つの歴史的緊張が解けた。


イスラエルの新聞:
・反対者の涙。
・何と恥知らずなことか、民族絶滅の憂き目にあった私たちにとってその傷跡は
 より深いものなのだ。


最後に指揮者のロベルト・パテルノストロさんは、我々の目的はワーグナーのイメージを良くすることではありません。大事なのは、音楽を演奏することただそれだけです。



以上が番組の内容である。



激しい葛藤の中で皆が生きていることを、何を強調するでもない淡々とした描き方の番組の中で感じることができる。同時に、音楽やその他の芸術が歴史の中で長く守り継ぐために、欧州の人びとが払ってるリスクや強い思いを改めて感じる。


このワーグナーと反ユダヤ人思想の問題は、2001年にエルサレムで開かれた「イスラエル・フェスティバル」の中で、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したダニエル・バレンボイムが、アンコールにワーグナーのオペラ 「トリスタンとイゾルデ」の一部を強行に演奏して、彼はアンコールの前に、


「私は誰の感情も害したくはない。もし聴きたくない人がいるのならばこの会場を去って欲しい」とヘブライ語で語り演奏を始め、アンコールはスタンディング・オベイションを受けたものの、一部の観衆は「ファシスト!」などと叫んで席を立ち、騒然となり後日大変な騒動となったという有名な事件がある。


人種差別、戦争の壁の歴史というものは、人の心に根差して、引き継がれてきたもので、なかなか思いを変えるのは難しいことだと思うが、イスラエルフィルの方々の英断と奏者の方々に敬意を表したい。


本来音楽というものは、独立した芸術であるべきだが、時代と共に歩んできたことも事実。


また芸術家も時代の制限を受けてしまうことはいたし方のないこと。


インタビューに垣間見るワーグナーの人間性や、こういう過去の経緯を鑑みると、いろいろ考えさせられることが多いが、ただ、人の心に訴えるすばらしい音楽であることは確かなことで、現在のバイロイトの演出方法も含めて、時代に寄り添った形で、敵味方なくワーグナーの音楽が受容されることを望みたい、と思うところでもある。


我々日本人がクラシック音楽を聴くときにこういう問題に突き当たる経験は、自分の経験、意識の中ではないので、そういう意味では我々は幸せなのかもしれない。


今年の新制作の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の演出を拝見して、そのようなことをいろいろ考えさせられたところである。




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マーラーフェスト (MAHLER FEEST) 2020 [クラシック演奏会]

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ブラームス、マーラー、ブルックナー、そしてリヒャルト・シュトラウスを含む、後期ロマン派のレパートリーの演奏によって喝采を受けてきた。

マーラーの伝統は、マーラー自身がここで指揮(客演)をしたおびただしい演奏会に基盤を置いていて、アムステルダム・コンセルトヘボウは、歴史上、まさにマーラー演奏のメッカといえるホールなのである。


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「名門オーケストラを聴く!」(音楽之友社編,音楽之友社,1999)その他の資料によると(抜粋させてもらいます。)、最初に客演に招かれたのは1903年10月22日と23日、曲は自作の交響曲第3番だったとのこと。

1903年といえばコンセルトヘボウ管弦楽団の創設から15年、メンゲルベルクの時代になってから8年目という時期にあたり、マーラー自身は交響曲第5番を完成し第6番の作曲を開始した頃ということになる。


当時マーラーはウィーン宮廷歌劇場の楽長で、ウィーンを拠点に活動していたのだが、その作品はウィーンで必ずしも高く評価されていたわけではなかったらしい。

ところがアムステルダムでのその演奏会は大成功をおさめたため、すっかりアムス贔屓となったマーラーはその後もコンセルトヘボウ管弦楽団に何度も登場、翌1904年には2番と4番の交響曲をとりあげ、1906年には交響曲第5番、『亡き子をしのぶ歌』や『嘆きの歌』、1909年にはその前年にプラハで初演されたばかりの交響曲第7番を指揮している。

1907年にはメトロポリタン歌劇場の指揮者としてニューヨークに居を移していたマーラーであったが、ジェット機などなかった当時、船によるヨーロッパへの行き来はさぞ大変だったと思われる。

しかしマーラーはアムスをしばしば訪れ、自身で指揮をするだけでなくメンゲルベルクが指揮する自分の曲の演奏会も聴いて、そのことが作品の改訂や補筆につながったという。


要は、自分の本職のエリアであったウィーンやニューヨークでは、自分の作品の評判はさっぱりだったのが、アムステルダムでの客演で人気が出て、自分の指揮&創作活動にも弾みが出た、ということだ。(笑)



ポイントはこのメンゲルベルク。 

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オランダの指揮者で、ベートーヴェン直系の曾孫弟子にあたり、ベートーヴェン解釈には一目を置かれたそうだ。マーラーの作品の理解者であったメンゲルベルクが、1902年にマーラー本人と会って親交を深め、翌年彼をコンセルトヘボウ管弦楽団に招いた、というわけ。

マーラーはアムス滞在中は、コンセルトヘボウのすぐ近くにあったメンゲルベルクの家に居候していたということなので、相当親しい関係にあったと思われる。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、そしてアムステルダム・コンセルトヘボウというホールが、マーラー演奏のメッカとして伝統を持っていたのは、こんな背景がある。




このホールで、過去に大規模なマーラー音楽祭が2回行われているのだ。

正式名称は、Gustav Mahler Festival Amsterdam 。通称、マーラーフェスト(MAHLER FEEST)。

最初に開催されたのが、1920年。まさにマーラーの交響曲全曲&歌曲を、メンゲルベルクの指揮&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でやり通した。

2回目に開催されたのが、1995年。この年は、コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団と、その予備軍というべきグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団が登場。これらが一同に、アムステルダムのコンセルヘボウに会するという夢のようなフェスティバルであった。

指揮者は、ハイティンク、シャイー、アバド、ムーティ、ラトルという凄い豪華陣。

この時期、ちょうど自分はヨーロッパに赴任していた時期で、同時期にアムスに赴任していた親友が、このマーラーフェストに通い尽くし、いままでマーラーというのはどうも疎遠だったのが、このフェストに通ったことでマーラーに開眼したそうだ。



そして、なんと!!!来る2020年。3回目のマーラーフェストが開催されるそうだ!


長い前振りだったが、この日記の真の目的はこれを言いたかったことにある。(笑)



マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 2020

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1102-mahler-festival-amsterdam-2020


これは心底驚いた。同時に張り裂ける胸の鼓動を抑えることが出来なかった。


コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団とニューヨークフィル。指揮はRCOはダニエル・ガッティ、NYPは、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。(オランダの指揮者、ヴァイオリニスト)が決まっているが、ウィーンフィル、ベルリンフィルはまだ未定のようだ。


今回新たにニューヨークフィルが参加するが、まさにマーラーが指揮をしていた楽団で、マーラー所縁のフェストには欠かせないキャストであろう。


日程はご覧の通り。(演目の日程はまだ未定。)

06-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 20.15 pm. Symphony No. 1, New York Philharmonic Orchestra (NYPO/NPO)

07-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday.
08-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
09-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
10-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
11-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. 
12-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
13-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 
14-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday. 
15-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
16-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
17-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
18-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. Gustav Mahler (1860-1911) died 109 years ago.

19-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
20-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 23.15 pm.


マーラーフェストは、毎回この5月上旬に開催され、その理由は、5/18がマーラーの命日で、その日は、必ずマーラー9番が演奏されるのだ。マーラーが死を考えながら作曲した曲である由縁なのだろう。



ここで、過去2回のマーラーフェストを振り返ってみよう。

まず最初の1920年の開催。

マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1920

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1103-mahler-feest-festival-1920


はじめて開催されるマーラーフェスト。マーラーの親友のメンゲルベルクが、RCOを率いて1人で全曲を振り切った。

MAHLER FEEST 1920 (4).jpg



この年は大変なフェスティヴァルになったようだ。

マーラーの妻であるアルマ夫人、そしてシェーンベルクやベルクといった後の新ウィーン楽派と言われるマーラーのお弟子さんたちも駆けつけた。当時は彼らはアメリカに在住していたのだろう。

上のページ記事では、タイタニックのような豪華客船にのって、このフェストのために大勢で駆け付けたようだ。

そのときの写真。

客船から下船してみんなで集合写真。

MAHLER FEEST 1920 (1).jpg



アルマ夫人と新ウィーン楽派のアルノルト・シェーンベルク。

MAHLER FEEST 1920 (3).jpg



さらにもうひとショット。

MAHLER FEEST (5).jpg



日程は、ご覧の通り。

1920/5/6~1920/5/21

1920年5月5日 リハーサル
1920年5月6日 嘆きの歌、さすらう若者の歌、交響曲第1番
1920年5月8日 交響曲第2番
1920年5月10日 交響曲第3番
1920年5月12日 交響曲第4番、交響曲第5番
1920年5月14日 交響曲第6番、亡き子をしのぶ歌
1920年5月15日 交響曲第7番
1920年5月17日 大地の歌
1920年5月18日 交響曲第9番 ( Gustav Mahler (1860-1911) died 9 years ago.)
1920年5月21日 交響曲第8番 


アルマ夫人やシェーンベルクが船でアムス入りしたのは、5/13のことだったようだ。
最初のマーラーフェストは、マーラーの死の9年後に開催されている。
やはり8番、千人の交響曲は、大変な人数の舞台なので、1番最後なのかもです。

この記事の記載によると、このマーラーフェストの組織運営体は、Amsterdam art show choirの人とロイヤルコンセルトヘボウの管理者、そしてロイヤルコンセルトヘボウのコンサートプログラムを組んでいる人の3人で運営されていて、パトロン、いわゆるファウンドはオランダのヘンリー王室から出ていたようだ。



つぎに開催されたのが、1995年。


マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1995

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1104-mahler-feest-festival-1995-amsterdam


日程は、この通り。


第1番 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月3日 (さすらう若人の歌併録)
第2番 ハイティンク・コンセルトヘボウ管 マルジョーノ、ネス 5月5日
第3番 ハイティンク・ウィーンフィル ネス 5月7日
第4番 ムーティ・ウィーンフィル ボニー 5月8日(リュッケルト歌曲集併録)
第5番 アバド・ベルリンフィル 5月9日(オッターとの子供の魔法の角笛から併録)
第6番 ハイティンク・ベルリンフィル 5月10日 (リポヴシェクとの亡き子をしのぶ歌併録)
第7番 ラトル・ウィーンフィル 5月11日
第8番 シャイー・コンセルトヘボウ管 ボニー、アンドレアス・シュミット他 5月16日
第9番 アバド・ベルリンフィル 5月12日
第10番からアダージョ ハイティンク・グスタフマーラー・ユーゲント管 5月14日
大地の歌 ハイティンク・マーラーユーゲント管 ハンプソン、ヘップナー 5月14日
嘆きの歌 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月2日 (子供の不思議な角笛から併録)


この年は、なぜか、マーラーの命日5/18は、フェストに組み込まれないで、祝祭日(Anniversary)として特別に祝ったようだ。

友人の話では、9番の日は、オランダのベアトリクス女王が来る特別な演奏会だったそうだ。
(やっぱり9番です。)最初に女王入場で拍手と起立でお出迎え。2階席中央に座っていたそうだ。


また1995年当時では画期的とも思われるパブリック・ビューイングがあって、ホールの外に大きなスクリーンをたてて、中に入れない人のために演奏風景を外に映し出していた、と友人は言っていたので、映像収録素材があったりするのでは、と想像したりしていた。

ネットでググってみたら、この年のマーラーフェスト1995がYouTubeに上がっていた。(笑)
ハイティンクの指揮だ。

このときの演奏の模様をじつは収録していて非売品CDとして世の中に存在しているのだ。

自主制作CD.JPG



録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようなのだが、一般には全く流通していない大変貴重な非売品である。(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤。)

実際聴いてみたが、確かに、最新の新しい録音と比較するとナローレンジだし、優秀録音とは言えないけれど、素晴らしいホールの響きも適度に含んだライブ感覚を大切にした質のいい録音だと思った。

自分は、オークションで出品されていたのを偶然見つけて、即座に落札。10万円という信じられない高値であったが、これだけの歴史的演奏会の録音、自分はまったく高くない、と思った。




そして、来る2020年。ついに3回目のマーラーフェスト。

1回目から2回目が開催されるまで35年という月日が経過した。
そして2回目から3回目に至るまでは25年。

今回を逃したら、もう巡り会うことはできないかもしれない。まさに一期一会。

2020年の海外音楽鑑賞旅行は、このマーラーフェストに決定である!

アムステルダム・コンセルトヘボウは、もう過去に何回も行っているけど、そういう問題じゃない。

コンテンツの問題!
                                                       
                                                       
海外音楽鑑賞旅行で行くホールや演目を決めるときは、自分であれば、ここはどうしても譲れない、抑えておかないといけない決め処というものがあるのだ。まさに今回は自分のアンテナにビビッと来る感じで、まさに自分のためにあるイヴェントとさえ思ってしまうのだ。

1920年は大昔だから、映像・音声技術はない時代と言っていいので仕方がないかもしれないが、1995年はインターネットが登場し始めた時代で、自分もしっかり意識のあった時代。この時代、非売品だけどCDとして存在しているし、ひょっとしたら映像素材もまだパブリックになっていないだけで、オランダ放送局の倉庫に眠っているのかもしれない。

2020年は、もう最新のAV技術最先端の時代だ。ぜひ今回のフェストを音源、そして映像素材を、後世にハイクオリティな品質で残してほしいと思う。非売品という形でなく、堂々とビジネスに載せてほしいと思う。

1995年では存在していなかったが、いまやアムステルダム・コンセルトヘボウのホールには、このホールの音響特性を知り尽くしたポリヒムニア(Polyhymnia International BV)という最強技術集団がいるではないか!

彼らは当時はフィリップス(Philips)だったのだ。(笑)

この一期一会のイヴェントを、ぜひ彼らの最新技術で、余すところなく収録して後世に残して欲しい、と心から願うばかりである。
                                                       
                                                       
                                                      
                                                      
                                                        

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文章のリズム感 [雑感]

今から6年前の2011年に発売された「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という本を読んだ。購入したのは、発売したと同時に購入したのだが、なかなか毎日忙しくて読めなくて、ついつい積読で存在を忘れていた。

昨日、何気なく存在に気付いて、この夏休みに読んでみようと思った。

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発売当時、ゴローさんからぜひ買って読んでね、と言われて買ったのに、6年も忘れていてゴメンナサイ。

本の内容は、小澤征爾さんと村上春樹さんが対談・インタビュー形式で会話をして、それをテープ起こしで本にしたもの。

いやぁものすごい面白くてあっという間に読了。この内容を6年後に話題にするなんて、本当に申し訳ないと思った。




じつは日記にしようと思ったのは、村上さんのこの一言による記述が自分の心を捉えて離さなかったからだ。



「文章を書くのに大切なことは、リズムがあること。」



「文章と音楽の関係」と題されたインターリュード(間奏曲)として、この内容について書かれていた村上さんの持論は、まさに普段自分が日記を書く上で心掛けていたことを、そのまま代弁してくれたかのような快感があり、「そう!そう!まさにそれ!」という感じで大変感動してしまった。

現に、自分も3年前に「心をつかむ歌声にある「1/fのゆらぎ」特性。」というタイトルで日記を書いて、人を酔わせる歌声には、不思議と1/fのゆらぎ特性があり、人が書く文章もそうだ、ということを書いた。読んでいて感情が抑揚してくる文章のリズムってとても大切。


難解な用語を駆使して単に理屈っぽいだけの文章では、人の頭の中にはすんなり入ってこないし、人を感動させることはできない。

自分の原点は、文章はわかりやすく、そしてリズム感を兼ねそなえるべきもの、という考え方があった。

このように考えるのは、自分だけなのかな、とも思っていたのだが、大作家である村上春樹さんが、同様の考え方を持っていたのには大感動で涙が止まらなかった。



その村上さんの記述を抜粋してみる。





音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。

それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。

前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・

機械のマニュアルブックって読むのがわりと苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。

新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。

でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にはあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でも、リズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん僕がそう思う、ということですが。


文章を書くのは、まさに音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。

できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人には、わからない。

読み手にとってと同じように、書き手にとっても、リズムは大事な要素なんです。小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。

文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると、自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしています。それがリズムになっていきます。




村上春樹さんの小説は、じつは自分は”ハルキスト”と呼ばれるほど熱中している読者ではないのだが、1Q84が記録的な大ヒットとなって以来、新書が出るたびに必ず読むようにしている。だからファン歴としては浅い。

村上さんの文芸は、やはりなんと言っても読みやすい、わかりやすい、そして独特の村上ワールドともいえるとてもミステリアスなストーリー展開、そしてクラシック音楽の描写をさりげなく入れる洒脱さ、そして毎度のことながらエロい描写も必ずあるところもいい。(笑)

やはりそこに本人がいうリズムがあることは間違いない。次から次へと前へ読み進みたくなる好奇心というか。

それ以来ファンになって、1Q84以前の作品もほとんど買い揃えて積読状態で、定年になって時間にゆとりが出来たら、じっくり過去の作品も読もうと思っている。



今回の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の本については、いわゆる小澤さんの人生をインタビュー形式で深く掘り下げて紹介していこうという趣旨。


全編通して驚いたのは、村上春樹さんの音楽に対する造詣の深さ。本筋はジャズだそうだが、クラシックに関しても相当なもの。小澤さんからこれだけの深い会話を引き出すのは、インタビューの準備があったとはいえ、かなりなものだと感じた。

もちろんオーディオマニアでもある。(アナログレコードファンかな?)

ご自身の小説にさりげなくクラシック音楽の作曲家や作品をしのばせるテクニックも、これだけの造詣の深さから来ているものだろう。

小澤さんの人生インタビューは、これは、これは、興味深い。ぜひ一読をお勧めしたいです。

いままでパブリックになっている小澤さんのインタビューや履歴なことよりも、もっともっと掘り下げた、本人の細かい描写の回想、思い出話、そして技術論などで相当新鮮で貴重。自分は初めて知った内容のものばかり。相当専門的で細かいです。

小澤さんの話していることで、印象的だったのは、

カラヤン先生は、曲(交響曲)を長いフレーズで見ること。それが指揮者の1番大切な使命。

何小節単位でスコアを読解していくんではなくて、もっと全体の長いラインで読んでいくこと。細かいアンサンブルに拘ってちゃいけない。カラヤン先生独特の指揮法=長いフレーズを作るのが指揮者の役目。

僕らはね、四小節フレーズとか、八小節フレーズとか、そういうのを読むのは慣れています。ところが彼の場合は、十六小節とか、もっと凄いときは三十二小節とか、そこまでフレーズを読めと言われます。そんなことスコアに書いてないんだ。でもそれを読むのが指揮者の役目なんだと。


こんな感じでとても深い内容で、小澤さんの人生をほぼ網羅する形で紹介されている会談形式の本。

発売からもう6年経っていて、本当に申し訳ない限りで、もうすでにみなさんご存知かもしれませんが、まだの方はぜひ読んでみてください。

クラシックファン、小澤ファンであれば、感動すること、勉強になること間違いなし!だと思います。 


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小澤征爾さんと、音楽について話をする。

小澤征爾(著)、村上春樹(著)

https://goo.gl/P6Xf2C








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PENTATONEの新譜:グスターボ・ヒメノ&ルクセンブルク・フィルの「ダフニスとクロエ」 [ディスク・レビュー]

ラヴェルの「ダフニスとクロエ」は、「ボレロ」「スペイン狂詩曲」と並んでラヴェルの管弦楽曲の主要なレパートリーとされ、演奏機会も多い。

自分は、この曲がことのほか大好きで、ラヴェル独特の浮遊感や色彩感がもっとも顕著に堪能できる、じつに美しい秀逸な作品だと思っている。

曲の構造的にも、ライトモティーフ(主題)からなる交響曲のような構成を持っていて、それらの主題の展開(5つの主題とその動機の展開)が全曲を通して、全体の統一性を整えている、そんな感じの構成の曲なのだ。

もともとはロンゴスの「ダフニスとクロエ」というバレエ作品(1912年パリ・シャトレ座初演)に対して、ラヴェルに作曲を依頼された作品。

この演目は、実演にも何回も接していて、そして何枚かのディスク音源も保有しているのだが、特に音源のほうは、なかなか自分がこれ!といった感じで、満足させてくれる録音に出会えていなかった。特に、この「ダフニスとクロエ」で”5.0サラウンド”の音源は持っていなくて、ぜひ欲しい、とずっと恋焦がれていた。


そう思っていたところに、PENTATONEからの新譜で、まさにこれ!という録音がでた。 


756[1].jpg

「ダフニスとクロエ」全曲、海原の小舟、亡き王女のためのパヴァーヌ 
グスターボ・ヒメノ&ルクセンブルク・フィル

https://goo.gl/S3vqFi



今世界が最も注目する若手指揮者の一人、スペイン、バレンシア生まれのグスターボ・ヒメノ率いるルクセンブルク・フィルによる演奏。

グスターボ・ヒメノは、もともとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席打楽器奏者だったのだが、音楽家として指揮を学び、マリス・ヤンソンスの副指揮者を務め、2014年1月にヤンソンスの代役としてコンセルトヘボウにデビュー。

2015年に、そのRCOを率いて日本にもやってきた。サントリーホールでの公演だったと思うが、自分はその公演に行っていてヒメノの指揮を拝見させてもらっている。

なかなか指揮振りのスタイルも美しく、見事に統率していた印象が強く、キャリアが浅いとはとても思えない流暢な指揮だったように思う。舞台袖に下がるときに、なぜか小走りで急ぐのが、ご愛敬だったのだが。(笑)


最初のじつに聴こえるか、聴こえないかわからないくらいの微小な音、まさにオーディオ装置のS/Nの良さ、この微小音をどこまできちんと再生できるか、という再生能力を試されているような出だしから始まる。

やや録音レベルが小さめなのだが、その分ダイナミックレンジが広くて、なかなかの優秀録音。録音レベルが小さいので、平日の夜分に聴くと、どうもピンと来なかったのだが、きちんと大音量で聴くと、ダイナミックレンジが広いことがわかり、じつに素晴らしい録音だということがわかってきた。

ppのピアニッシモの音までじつにクリアに捉えられていて、ラヴェルらしい色彩感あふれる和声感あるハーモニーなど、部屋中に広がるグラデーション豊かな空間表現はなかなかだと思う。音質の傾向としては、PENTATONEらしい全体的に柔らかい質感は踏襲されている。

空間表現が秀逸=色彩感豊か、そして柔らかい質感、という方程式が成り立つ感じなので、ラヴェルのような浮遊感のあるフランス音楽を表現するには適切な調理の仕方なのだと思える。


サラウンドの効果もまずは水平方向にステージ感がうっすらと広がる感じで、ステレオ2chで聴くよりも定位感がぐっと増す感じでレンジ感も広い。

Auro-3Dなどの高さ方向もあるだろうか。空間感もしっかり感じる。

聴いた瞬間、誰でもわかる超絶にびっくりした録音ではなかった。現に最初はピンとこなかった。
でも聴き込めば聴き込むほど、じつに奥深くよくできた録音だと思えるようになった。


クレジットを見ると、いつものメンバーではなかった。

プロデューサー、エンジニア、編集は、カール・ブルッグッマン。やはり若手エンジニアの育成という面もあるのだろう。

これを見た瞬間、最初聴いたときに、PENTATONEサウンドを聴きなれている耳からすると、ちょっとテイストが違う感じにも感じないこともなかったが、それはあきらかに、クレジットを見た後だから。(笑)

そのトーンポリシーは、着実に若手に引き継がれている、と確信した。

ルクセンブルク・フィルハーモニーでのセッション録音。


ルクセンブルグ・フィルの演奏は、安定して厚みのある弦のハーモニーの美しさ、ビロードのように甘い嫋やかな木管の音色、そして全体のアンサンブルの完成度、と一流のオーケストラ・サウンドの基準を十分満たしている見事な演奏力だと思った。

なによりも、自分が心を寄せる「ダフニスとクロエ」を理想に近い形で表現してくれている。

その他に、海原の小舟、亡き王女のためのパヴァーヌなどの名曲も納められている。

長らくずっと欲しいと思っていたラヴェル「ダフニスとクロエ」の5.0サラウンド音源。心願成就。



じつは、ここ1か月間、ほとんど毎日このディスクばかり、ずっとヘビーローテーションで聴いているお気に入りなのだ。









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世界の朝食を食べさせてくれるお店 メキシコの朝ごはん [グルメ]

この連載も7か国目。今回はアミーゴ!太陽の国メキシコの朝ごはん。

トランプさんのメキシコの壁の問題で、すっかり麻薬、犯罪、悪の密輸入国のようなイメージいっぱいだが、300年に渡ってスペインに支配されたものの、19世紀はじめには、いまのメキシコ合衆国として独立を果たした立派な国としての体制がある。


自分にとって、メキシコ料理って初めてではない。

宇多田ヒカルが日本中でブレークしたとき、なんかの番組でゲストとして出演したときのこと。メキシコ料理が大好物ということで、なんか具材をトルティーヤで巻いて、その上にサルサ・ソースをかけて、例のタメ口で(笑)、「ウマー!」とか言いながら食べていたのを見て、これは美味しそう~、どんな味なんだろう?と興味をそそられ、親友とその代官山のお店に、そのメキシコ料理を食べに行ったことを覚えている。

そのときの印象は、確かに日本人の舌の味覚にはない味で、美味しいといえるか微妙だったような記憶がある。

だからトルティーヤとかサルサ・ソースって懐かしい響きの言葉。

日本人の食事に白いご飯と味噌汁と漬物が欠かせなかったように、メキシコの食事にはトウモロコシから作るトルティーヤ、インゲン豆のフリホーレス、そして唐辛子から作るサルサが欠かせないのだ。

三食ともそれらをベースにした料理が食べられている。また卵の消費量が世界一のメキシコ。

朝ごはんには卵をよく食べるのだそうだ。


これがメキシコの朝ごはん。

DSC01477.JPG



トルティーヤにサルサと目玉焼をのせたウェボス・ランチェロス。

これがメキシコの朝ごはんの定番。

一番下に敷いているパン生地みたいなものがトルティーヤ。トウモロコシで出来ている。
その上に朝ごはんに絶対欠かせない目玉焼きが2つに、その上にサルサがかけられている。

これだけ。シンプル・イズ・ベスト!(笑)

その左上のほうに、黒い練り物のようなものがあるが、これが黒いインゲン豆を煮込んだフリホレス・デ・オヤというもの。メキシコのおふくろの味らしい。

トルティーヤ&目玉焼きの上にかけられているサルサは左右で2種類からなっているのがわかるだろう。

サルサとはスペイン語でソースという意味だそうで、味はサルサによって決まると言われるほどメキシコ料理にはなくてはならない存在。

今回のこの2種類のサルサは、左のほうの刻んだ野菜がゴロゴロのほうが、フレッシュな野菜がたっぷり入ったサルサ・メヒカーナ。

右の赤い液体状のほうが、煮込んだ野菜で作るサルサ・ランチェロ。

さて、お味のほうは・・・

まっやっぱり微妙(笑)というか、日本人の味覚にはない味ですね。

サルサはベースは野菜で作られているのだけれど、その味付けは唐辛子。だからまず、トルティーヤ&目玉焼きをガブっといくと、まず「辛い!」という感じでピリリという感じ。

サルサの基本は野菜で出来ているので、そのわずかな甘み、酸っぱみもあるけれど、基本は無味。味付けはこの唐辛子の辛さが強烈なアクセントと言っていい。

それで、トルティーヤ&目玉焼きがいわゆる口の中での触感の役割だとしたら、ほとんど無味なので、やっぱり味を決めているのはサルサ。

そのサルサがこのような味なので、このメキシコの朝ごはん、結局どういう味なのか大体想像がつきますでしょう?(笑)

メキシコ人はこういう食事を3食食べているんだな。

美味しいかどうかはその人の好みによると思います。やっぱり好きな人は嵌るのだと思う。


宇多田ヒカルが、「このトルティーヤにこのサルサをかけて食べるのが最高に美味しいのよ~♪」と言ってかぶりついていたシーンが、何十年ぶりなのに、今回、頭の中に鮮明に思い出されました、です。(笑)









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小澤征爾さんの新発売のBlu-rayは、なぜEuroArtsなのか? [ディスク・レビュー]

小澤征爾さんの待望の映像作品がリリースされた。


まさに、これから開幕しようとしている松本のセイジ・オザワ松本フェスティバルに合わせてのタイミングだと思われる。


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ベートーヴェン:交響曲第7番、第2番、合唱幻想曲 
小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ、マルタ・アルゲリッチ、他(2015、2016)
(日本語解説付)




もともとは、齋藤秀雄氏を偲ぶ音楽祭で冠も「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」であったのだが、2年前の2015年から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に冠が変わった。その新しく冠が変わった2015年、2016年の小澤さんが指揮をしたオーケストラ・コンサートであるベートーヴェン交響曲2番&7番のライブ収録を2曲を収め、さらに2015年9月1日の小澤さんの80歳の誕生日におこなわれた「マエストロ・オザワ 80歳バースデー・コンサート」の模様も収録されているのだ。


このバースデー・コンサートでは、ベートーヴェンの『合唱幻想曲』が収録されている。友情出演したマルタ・アルゲリッチ、そしてナタリー・シュトゥッツマンやマティアス・ゲルネといったソリスト陣により演奏され、会場は大いに盛り上がった。


近影の小澤さんの活躍を観るには絶好の素晴らしいソフトだと思う。


ナイス企画!と言いたいところ。

自分は2015年の小澤さんのベト2は、直接キッセイ文化ホールでじかに観ていると思う。



ただ、どうしてもひとつひっかかることころがある。


それは映像ソフトの製作がEuroArtsというところだ。


なぜ、NHKじゃないのだ?


自分は、まずここにピンとひっかかってしまった。


小澤さんの映像ソフトというジャンルは、ゴローさんの聖域ともいえるところ。


過去に、ベルリンフィルとの「悲愴」、そして祝75歳を記念してのサイトウキネンとの歴史的コンサートを集めたアニバーサリーセット、とNHKエンタープライズ(NHKの子会社的存在で、NHKの映像ソフトをパッケージ化する会社)から出ている。


まさにゴローさん渾身の作だ。


EuroArtsは、まさにヨーロッパ最大のクラシック映像ソフト制作会社といってもよく、草創期より、オペラ、オーケストラコンサートのBD/DVDを製作、発売してきている。Blu-rayのフォーマットが世に出たときは、日本語字幕なしのオペラがやたら多くて、オーケストラコンサートは皆無だった。


そんな中で、NHKの小澤さん&ベルリンフィルの悲愴が出た。


BDでオーケストラコンサート!というのは当時では、かなりエポックメイキングな出来事だった。


ゴローさんからの内輪話では、ベルリンフィルは、業界初のBlu-rayを使うから快諾した、という。(笑)つねに技術の最先端をいくのは自分らだというベルリンフィルの伝統のプライドみたいなものが彼らにはあるのだ。アナログLPからCDへの切り替えも、ベルリンフィル(カラヤン)。


そして今度は・・・。(笑)


そこからEuroArtsでもBlu-rayで数多くのオーケストラコンサートを出すようになり、まさにヨーロッパのオーケストラ・コンサート、オペラのパッケージ製作会社としては第1人者といっていい現在のポジションに至る。


ゴローさんは常日頃、このEuroArtsの存在に尊敬の念を払いつつも、彼らの作品の映像の捉え方、カメラーワークがどうも自分のポリシーと違うようで、苦言をボソッと呈していた。


NHK(ゴローさん)のオーケストラを撮るカメラワークの基本は、全体を遠景から撮ること。

不自然なアップなどを多用しないこと。
あくまでコンサートホールで観ているかのように自然のまま、であること。


ここに拘っていた。


ところがEuroArtsの映像の捉え方は、ソフトを観ている者が感動するように、その音楽のフレーズ、リズムなどの節目節目で、格好良く感じるように、その瞬間にパンで、ある奏者を抜いたり、という画像の切り替えが頻繁で、音楽に合わせて、かなり意識的で人工的なカメラワークなのだ。


これがゴローさんにはどうもあざとく感じるらしく、気に入らなかったようだ。
自分のオケの撮り方とは違うみたいな。


これは確かに、自分もあまたのEuroArtsのソフトを所有しているので、間違いないと思うところで、ゴローさんの言っていることは正しい。


でもこれって人の鑑賞基準によるところが大きくて、自分の親友なんかは、NHKのカメラワークは、なんかサラリーマンみたいで平凡でつまらない、という。(笑)EuroArtsのほうがカッコいいカメラワークという。人それぞれの感覚ですから、どちらが正しいとは言えないですね。


あと、これは自分が大きく感じるところだが、EuroArtsが採用しているサラウンド音声のコーディックが、DTS-HD Master Audio 5.1というコーデック。


サラウンド音声という点では、今まで数多のEuroArtsのソフトを観てきたけれど、正直彼らのこのコーデックのサウンドで感心したことは1回もなかった。悪いサウンドではないけれど、いいサウンドとも言えない。


音が薄くて、ペラペラした感じのサラウンドなのだ。(とくにオーケストラ・サウンドにとって重要な低域がややスカスカ) とりあえずサラウンドにしてます的な。。。


ゴローさんはBDのお皿の容量をフルに使って、非圧縮のPCM 96/24に拘っていた。
こちらのほうが音がぶ厚くて、芯のあるいいサラウンドだった。


一度地方オーディオオフ会で、EuroArtsソフトとゴローソフトを比較して視聴したところ、同じような感想をもらい、自分の意を確かなものにした経験があった。


EuroArtsといえば、もういまやヨーロッパを制圧するソフト制作会社であるのだが、自分には、そのカメラワークとサラウンド音声のクオリティから、どうも???というイメージを持っていたのだった。(でも世の中のヨーロッパのコンサート、オペラはほとんどEuroArtsなので、コンテンツ見たさには、さすがにかなわず、かなり大量に持っているのです。(笑))


そこで、今回小澤さんの新ソフト、えっ!なんでEuroArtsなの?


いままでの経緯から小澤さんといえば、NHKから出すのが本筋でしょ?


自分がそう思うのは当然。ここにかなりの違和感があった。


EuroArtsが製作したということは、会場に持ち込んだカメラ、音声収録機器も、全部彼らが外国から持ってきたのだろうか?いや、そこは、やはりNHKとか長野朝日放送とかの機材で賄い、編集だけをEuroArtsがやったのか?


そもそもEuroArtsに小澤さんのソフトを作らせる、という決定は誰がしたの?


もう頭がグルグル回る。(笑)


じつは、その決定は小澤さん本人がしたことなのかも?とか。


小澤さんは、EuroArtsとも多くの仕事をしている。


自分が記憶にあるだけでも、カラヤン生誕100周年記念を祝して、ベルリンフィルで、ソリストにアンネ・ゾフィー・ムターを従えてウィーン楽友協会でやったとき、これもEuroArtsの作品だった。(自分の愛聴盤。擦り切れるくらい観ました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、この難曲を。ゴローさん曰く、ムター、うますぎなんだよ!(笑))


以前、ゴローさんのNHK内での上司だった方に伺った話。


小澤さんという人は仕事をいっしょにしていくには非常に難しい人らしく、その最たる要因はFinal Approval(最終承認)という作業だった、という。普通の場合、収録した後は編集権はメディア側が持つものなのだが、小澤さんは違った。この最終承認というのは、小澤さんの作品を収録をした場合、それを市場にリリースする前に必ず小澤さん本人に見せて承認を得ないといけない、という取り決めがあったのだそうで、作品が完成したそういうときは、大抵小澤さんは世界中のどこかにいる訳で、そこまで追っかけて行って、本人に見せて承認をもらっていたという。


それをじつに忠実に守ってやっていたのがゴローさんだったのだという。


う~む、この話を思い出したら、きっと今回の新作品についても、このFinal Approvalはやっていたに違いない。 誰が(まさかEuroArtsの人?)、小澤さんのところに行って、それを見せたのか?とか。


世に出た、ということは小澤さんが承認した、ということ。


きっと違和感などないのだろう。自分が心配しているようなことは徒労に終わるに違いないと確信している。


またEuroArtsに販売権を持たせれば、彼らの販売ネットワーク網に乗せることになり、そのほうが、その膨大な顧客層を期待できるという大人の計算もあるのかも?確かにNHKのソフトとしてより、EuroArtsのソフトとして売るほうが、売れるのかも?


SNSのTLに流れるニュースなどで、この新作品のパッケージの表示を見て、左上にある小さなEuroArtsというロゴを発見した途端、いままで書いてきたことが走馬灯のように頭の中をよぎって違和感を感じた自分。


やはりちょっと変わった人間だろうか?(笑)


毎度のことなのだが(笑)



話を明るい方向に持っていって、最近の小澤さんの近況の話でも。


先日8/1、トッパンホールで小澤国際室内楽アカデミー奥志賀2017で、アカデミー生らと見事な弦楽四重奏を披露。


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チャイフスキーの弦楽セレナーデハ長調 op.48 より第1楽章。アカデミー生と小澤さんがひとつになって奏でる圧巻の合奏はまさに感動の一言だったそう。小澤さん、元気そうでなにより。


そして、いよいよ8月13日から開幕するセイジ・オザワ松本フェスティバル。


最近は、オペラは小澤征爾音楽塾に任せる感じで、自分はオーケストラコンサートに専念する感じ。これは年齢、体力的にも適切な判断だと思いますね。


オーケストラコンサートでは、ファビオ・ルイージでマーラー9番。ナタリー・シュトゥッツマン&小澤征爾で、小澤さんはベートーヴェン レオノーレ序曲 第3番を指揮。


そして1番の目玉は、


なんと!内田光子さん登場で、小澤さんとで、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番を披露!これは聴きに行きたいなぁ。でもプラチナで無理。(^^;;


内田光子さんは、その他にリサイタルもやってくれるようです。


自分が、この音楽祭でぜひ行ってみたいのが、松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)での公演。このホールは最近メチャメチャ音響がよいことがわかってお気に入りになってしまったので、ぜひこのホールで開催される松本の音楽祭のコンサートに行ってみたい。


ゴローさんへの義理という面もあって、毎年通っていた松本の音楽祭。


やっぱりこの夏休みの季節になると、不思議と、あの汗ダクダクかきながら松本市内を歩いて、珈琲美学アベでモーニング、信州大前のメイヤウで、4色カレーを食べて、信州蕎麦の「こばやし」でそばをいただき、その向かいにある居酒屋「ゴロー」の写真を収めてのワンパターンを無性にやりたくなります。


今度行ったときは、居酒屋ゴローで一杯やりたいと思います。(笑)


セイジ・オザワ松本フェスティバル、今年も大盛会を祈って!



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 (C) Michiharu Okubo

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DSD11.2MHzライブストリーミング [オーディオ]

時間の問題とは思ってはいたが、突然のプレスリリースで驚いた。IIJがやっているDSDライブストリーミングで、世界初のDSD11.2MHzでストリーミングサービスを開始するという。

N響のミューザ川崎でのコンサートで初披露。

えっえっえっ?視聴環境なんかの事前の情報リリースはいっさいなかったので、まず関心事はそこ。

どうやって聴くの?

プレスリリースなんかの記事を観ても、視聴環境については、どこにも書いていないというか、積極的にページを紹介していないみたいだった。

なんか訳ありというか、不親切だなぁ(笑)という感じで少々ストレスを感じた。

時間はかかるけれど、まずはお問い合わせフォームにて、問い合わせてみる。

自分の関心ごとは、このDSD11.2MHzストリーミングをどうやって聴くのか?

その視聴環境を知りたかった。 

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①USB-DACは、11.2MHz専用のDACが必要になるのか?それに応じて、KORGのDACであれ
  ば、再生エンジンであるAudioGateも次のバージョンの5がリリースされるのか?

②PCのCPUの動作スペック的に、5.6MHzのときに比べて、さらに上のものが必要なのか?
 つまりPCをまた買い替えしないといけないのか?

③家へのネット回線スピードはどれくらい必要になるのか?

④アプリであるPrimeSeatを新しいバージョンに入れ替えないといけないのか?

この4項目だった。


まず、

①USB-DACについて

これは、DSD11.2MHz対応のUSB-DACが必要になる。
いま、このIIJのサービスが推奨しているUSB-DACメーカーの中で、KORGをはじめ、11.2MHz対応のものは、まだ世の中に出ていない。(笑)つまり11.2MHzライブストリーミングを受信できるUSB-DACは、まだこの世に存在していないのだ。(笑)

どうりで、視聴環境について積極的に紹介していないわけだ。(笑)

自分が持っているのは、KORGのDS-DAC-10RというDACなのだが、5.6MHzまでで、11.2MHzは再生できない。

これに応じて、たぶんAudioGateもバージョン5がリリースされるはず。
このGUIの中に、11.2MHzの関するボタンが必要になるから。


②PCのCPUのパフォーマンスについて。

推奨スペックの変更はなし。

CPUはCore 2 Duo 2.66GHz以上を推奨する。

PrimeSeatでDSD5.6MHzの音源が問題なく再生できているPC環境であれば、DSD11.2MHzの音源も再生できる。

これは心底ホッとした。自分にとって最高に朗報だ。音楽再生専用としてMacBook Proを新規購入したばかり。これでまた買い替えだと金銭的にも、あと、PCの今後の展望においても無理だ。

PCってオーディオ機器などの家電と違って、ライフサイクルがすごく短くて、USB I/Fとか規格がどんどん変更になって、対ノイズ対策という点では、どんどん悪くなる一方だそう。

というのはPCを開発している人たちって最初からオーディオを再生することを考えて設計していないから。今後PCオーディオのような音楽再生に適したNotePCなんていうのは、もうあり得ないんじゃないかなぁ、という話。

新型のMacBook ProもいまいちUSB I/F含め、ノイジーだという話。


ただ、これは、11.2MHzをそのまま11.2MHzの再生環境、5.6MHzをそのまま5.6MHzの再生環境で再生する場合で、このような場合は、CPUの負担ってそんなにかからないのだけれど、これをダウンコンバートやアップコンバートするともろにCPUの負担が大きくなるそうだ。

だからCPUに負担がかかって音声途切れになったりすることもある。

このダウンコンバートやアップコンバートに関しては、サポート対象外だそうだ、11.2MHzに関しては。


③ネット回線スピード


DSD11.2MHz音源の再生には、常時24Mbps以上の通信速度が必要。常に安定して再生するための推奨速度は50Mbps以上。有線LANでの接続を推奨。

これは厳しい。DSD5.6MHzのときは、推奨速度は、常時12Mbps。

回線はDSD5.6MHzと比較すると倍の回線帯域が必要になる。


うちのマンションの回線速度は、28Mbps。


マンションというのは、入り口までは光回線で100Mbps来ているけれども、その屋内に入ってしまうと、既存の電話線の上位規格であるVDSLなので、ガクンと落ちてしまって、さらに多数の部屋に分岐されてしまうので、スピードが落ちるのは仕方ないのだ。

28Mbps出ていれば、御の字だと思う。

そうすると、11.2MHz再生するには、ギリギリで、常時安定であれば50Mbps必要とあれば、ちょっと無理。

やっぱり11.2MHzという大容量のネックはここなんだな、と思った。

ストリーミング再生では一番大切なポイントですね。


④再生アプリのPrimeSeat


再インストールの必要はなしで、いまので使えるらしい。従来の音源に関しては、5.6MHzまでだからGUIは変わらないし、今後の音源に関して、11.2MHzの選択肢のボタンが増えるだけなので、アプリそのものには関係ないようだ。


ただ、11.2MHzのストリーミング再生のためには、PrimeSeatのバッファサイズを最大にすることを推奨されている。

ストリーミング再生には、受信機側でのこのバッファという概念が必須で、リアルタイムでストリームを構築していくのでサーバー~家庭間でネット環境に応じて、時間軸管理で途切れた場合に、再生音がブツ切れにならないように、あらかじめ受信機側のメモリーでデータをプールしておく必要があるのだ。

ネットで途切れても、それをメモリーのデータである程度の時間、補うみたいな感じ。

やっぱり11.2MHzの大容量のストリーミングでは、このメモリーの容量、つまりデータをプールしておくのを最大限にしておく必要がある。



こんな感じだろうか。


結論は、11.2MHzになることで、視聴環境的に変わることは、

・USB-DACを11.2MHz対応のDACを新規に購入すること。
・ネット回線を太くすること。


ということになりそうだ。


ということで、いまの自分のマンションの環境では無理。1軒家に引っ越してダイレクトで100Mbpsが使える環境でないとダメだ。

敷居は高そうだ。


でも、自分はこのDSDライブストリーミングに将来的には5.1サラウンドも対応して欲しいと思ったりしているのだけれど、そうなると5ch分のストリームを通す回線となると、これまた太い回線が必要になるんだな、ということに気づいた。(笑)

結構大変なことなんだな。

11.2MHzの5.1サラウンドなんて、もう大変だし、5.6MHzのサラウンドでも容量的に大変そうだ。

あと、5chのサラウンド再生をやるなら、5ch分の位相ってどうやって合わせるの?というのもあるよね。サーバーからのストリームを家庭で再生するときに、5本のSPから出る音は全部が位相が揃ってないといけない。これって結構大変なことなんじゃないかな、とも思ったりする。


対応USB-DACもまだないのに、プレスリリースで発表してしまったのは、やっぱりDACが揃うまで待てない、ということだと思います。

ストリームの音源ができてしまったので、”世界初の11.2MHzストリーミング”ということを、まず発表してしまいたかった、というのが真相じゃないかな、ということを邪推したりします。

わかる~その気持ち。(笑)

別に攻めたりしません。その気持ちよ~くわかるから。(笑)

あと、11.2MHzのUSB-DACってどれくらいの値段で売られるかですね?


ストリーミングというのは、ふつうの音源のサービス、Spotifyとか、TIDALとか、Amazon Musicとか。。。

でもそれって、定額聴き放題だったりして、自分はどうもそこに抵抗があって、やってみようと思わないのだけれど、ライブストリーミングは、まさに演奏会のライブをストリーミングで流すので、ふつうのCDとかでは絶対手に入らない音源だし、ストリーミングというビジネス形式では、こちらのほうがユニークだし、将来性あるように思えます。

いま世界中のどこのコンサートホールやオペラハウスでも、自分のところの公演を映像&音声のストリーミングでネットに流してサービスするというビジネスは定着してきていますよね。 


                                                                                                                                                      

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そしてDSD11.2MHzというスペックについて。


自分はこのスペックが出始めたときから、なんかオーディオ業界に昔から根強く蔓延る「スペック至上主義」の象徴のような感じで生理的に受け付けなくて嫌いだった。(笑)

オーディオ商品を出すときに、スペックが高いと、それだけで、なんかグレードが高い製品のような感じでマーケット商戦に強いんだと思う。逆に他の製品が高いスペックを唄っているのに、自社だけそれより劣るスペックを唄うこと自体、それだけで商戦に負けてしまうみたいな。

そういうユーザ心理をうまく突いたところにあるものなのだ。スペックって、昔から。

オーディオ、音楽って、スペックでは一義的には決まらないです。

それだけで判断してしまう人は、聴いている音楽のことをよくわかっていない、オーディオ的快楽だけ求めている、生の音を知らない、自分からするとまだまだ底が浅いと思う。

そういう自分は、まだ11.2MHzの音をじかに聴いたことがないので(笑)、偉そうなことは言えないし、改心するかもしれないけれど。

やはり生の音とあまりに乖離しているのはダメですね。いくらオーディオ的に快感であっても。

先日の仲道郁代さんのサントリーホールライブのBD。あれはたったのPCM 48/24ですよ。それなのにあれだけ生演奏の臨場感をうまく表現できていて、仲道さんのピアノを表現するのに、あれで必要十分だと思った。あれ以上のスペックは必要ないと思った。

あと、同じIIJのベルリンフィルアワーのライブストリーミング。あれもPCM 48/24。これも恐ろしく鮮度が高くて、生演奏のありようを完璧に表現できていた。あれ以上のスペックって必要?ってな感じで。

その音楽を表現するのに最適なスペックって様々に存在すると考えたほうが絶対適切だと思う。

逆にスペック高すぎの音って、人工的なHi-Fi(死語(笑))サウンドで、あまりに現実離れして自分には違和感を感じると思う。


出来る限りのハイサンプリング、ハイビットで録れば、それだけもともとの原波形に近い形で録れて再生できることになるということだから、音声信号はもとより、現場の気配感など、いままで聴こえなかった音がどんどん聴こえることになるのだろう。

でも捉えられる情報が多過ぎて、普段聴こえない音が聴こえすぎるとどうなるのか?

鮮度感が高すぎると、長時間聴いていると心臓が痛くなったりする。また一度ゴロー調布邸で、マルチチャンネルDATの音を聴かせてもらったことがあるのだが、さすがテープの音、中域にがっちりと厚みがあっていい音なのだが、暗騒音があまりに生々し過ぎて聴いていて気持ち悪くなった。

あと通常のCD製作では低域カット処理をするもんだが、そういう処理をせず、そのまま超低域までを再生しているCDもある。(なにを隠そうEmil Berliner Studiosのライナー・マイヤールさんの作品 (笑)。)そういうCDの類は音楽を楽しむというより実験的な意味合いも多かったりする。


人間が長時間リラックスして音楽を聴く上で、聴こえなくていい音、音域というのは必ずあると思う。


また確かにDSDはPCMと比べてサンプリング周波数が高いので情報量が多いかもしれないが、DSDであればなんでもいいという訳でもなく、DSDの波形処理(1bit)の仕方にあう音楽、PCMの波形処理(Multi-bit)の仕方にあう音楽というのが絶対に存在するはず。


まずは音楽ありき、のはずだと思う。

音楽を表現するのに、生音を知らない、スペックだけで判断する人は、浅はかすぎる。

(まぁこれはある意味その人の勝手でしょ?というところもあって、スペック高で税に入れる人は、その人にとって 幸せなのでしょう。)

あと、数人の専門家の方の意見を読んだことがあって、ちょっと詳しくは忘れたのだけれど、サンプリングレートが高ければいい、というもんでもなく、その弊害、後遺症が出るので、青天井に上げていけばいい、というもんでもない、と書いてあった。

その弊害、後遺症の理論をちょっと忘れてしまった。

自分の周りにも、11.2MHzに対しては否定的な意見の人が多く、我が意を得たり、という感じでもあった。もちろん肯定的な人もいます。

こればかりは、自分の耳で、聴いてみないとダメですね。

5.6MHzで聴いていても、時間帯にもよるが(夜はビジー)、2時間聴いていれば、必ず1回は途切れてしまう現象が起きてしまう。

それだけストリーミングって技術的に難しい。

そんな中で、11.2MHzにすることで、そのネット回線など負担も大幅に増になるけれど、そこまでしても、いい音なのか!!?


やっぱり旭化成のようなところが、このようなバブルのようなAD/DAのICを開発してしまうから、青天井にどんどん上に上がってしまうんだと思う。(じつは、DSD22.4MHzとか、DSD44.8MHzというのも現に存在するのだ。)

オーディオ、音楽の再生のクオリティってそんなもんじゃないんだよね。

でも確実にオーディオ業界には、スペック神仰の考えは昔から根強く存在することは紛れもない事実なのだ!










ハーゲン・クァルテット@神奈川県立音楽堂 [国内クラシックコンサート・レビュー]

なかなか実演に接することができなかったクァルテットだった。オーディオではもうお馴染みで、徹底的に聴き込んできたのに、自分で彼らの生演奏を聴く機会を捉えれなかったのが信じられないくらい。

1981年結成なので、36年の大ベテラン。

日本にももう数えきれないくらい来日していると思う。キャリア・実力ともに、まさに史上最強の弦楽四重奏団なのだと思う。



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ハーゲン・クァルテット

2013年から、日本音楽財団より貸与されたストラディヴァリウス「パガニーニ・クァルテット」を使用している。

4人はザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学の教授である。

2013年にザルツブルク音楽祭に行ったときに、ぜひ彼らを、あの美しいホールであるモーツァルテウムで聴きたい、という夢をずっと抱いていたのだが、残念ながら日程のタイミングが合わなかった。

所属レーベルは、20年間に渡りDGに所属して、なんと約45枚のCDをリリース。その後結成30周年を祝して、ドイツの高音質指向型マイナーレーベルであるmyrios classicsに移籍した。

myrios classicsは、自分的にはとてもお気に入りのレーベルで、SACDサラウンドで収録することを前提としていて、とてもクオリティの高い録音を聴かせてくれる。

看板アーティストは、このハーゲン・クァルテットと、ヴィオリストのタベア・ツィンマーマン。

彼らのアルバムはDGもたくさん所有しているけれど、やはりmyrios classicsに移籍してからは、普段聴くのはもっぱらこちらオンリー。やはりSACDサラウンドというのが聴いていて心地よい。

さっそく予習で久しぶりに聴いてみた。

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ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス。



なんと優しい音なんだろう。(笑)

線が細くて、いわゆる美音系。絹糸のようなきめ細やかさと繊細さを兼ね備えたようなソフトタッチな音触り。耳だけで聴く彼らのイメージはとてもスマートで洗練されているような細身なサウンドの持ち主のような感じだった。

ガツンとくる体育会系とは真逆にあるような都会的に洗練されたイメージ。





そんな彼らの生演奏を神奈川県立音楽堂で聴いた。


神奈川県立音楽堂は、あの東京文化会館で有名な前川國男氏の設計で、日本で最初に高い評価を得たホールということで、「東洋一の響き」とまで言われたホールである。

イギリスのロイヤルフェスティバルホールを参考に造られたらしい。

自分は何回もこのホールに通っているものと思っていたが、どうも神奈川県民ホールと勘違いしていたようだった。(笑)


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全面木材で作られた木造ホールである。


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客席はこのようにかなりの急勾配になっている。

一見シューボックスに見えるのだが、厳密にはステージから客席がやや扇形に広がっていて、サウンドの傾向もシューボックスとは違う。反射音はステージの天井から客席の天井に設置された反射板で客席に届けられる。



このホールの音響を自分の耳でじかに聴いた印象。


包まれているように響きが豊かという感じでもなく、ホール内を音が十分に回っているというイメージでもなく、とは言っても極めて中庸というかそんなに文句もないニュートラルな感じに思えた。

最新鋭のホール音響と比較するのは酷とはいえ、時代相応の素晴らしい響きだと思った。

シューボックスのように響きが豊かで、音像が左右に広がる感じで定位が甘くなるのとは真逆で、どちらかというと弦の音色が歯切れがよく空間に明確な定位で浮かび上がる感じで、ソリッドな印象だった。(特にチェロの音のゾリゾリ感!)

たぶん、反射音が直接音に続いて奥行き方向に整列して聴こえるためだと思う。

あと、直接音に対して響きがかなり遅れて聴こえてくる感じで、空間感とそこに広がる響きを感じるイメージだった。



椅子は結構全体的にクッション性のもので覆われていて、結構吸音効果の強い椅子のように感じた。これも全体の音響に影響あるはず。

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そんなホールで彼らをはじめて聴く。


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かなり出遅れたので、この座席は仕方がない。やはり前で聴きたい。

ショスターコヴィチにベートーヴェン、そしてシューベルトという布陣。

特に後半のシューベルト「死の乙女」は、自分のお気に入りの曲で、曲調的にもかなり動的な音楽なので、普段の”おとなしいサウンド”というイメージを払拭してくれるものと期待していた。

前半の2曲は、やはりオーディオで聴いていた通りのイメージ変わらずという感じで、とにかく優しいソフトな感触の演奏。

直に聴いてみて、やはり違うな、と感じたところは、とてもアンサンブルの完成度が高くて、まるで精密機械のように正確無比で緻密な演奏だと思えたことだった。

4人がそれぞれ卓越した演奏技術を持っているのに加えて、その合奏の組み立て、お互いのあうんの連携が妙に完璧なのだ。

フレージングやアーティキュレーションといった奏者側の解釈もふんだんに盛り込まれているはずで、それが妙に生々しくてリアルに感じとれる。

4人のあうんの呼吸とか、息遣いなんかが聴こえてきそうな・・・至近距離の室内楽の醍醐味と言ったところだろう。

でも、自分の好み的にもうひとつと思えたのは、やはり全般的に優しすぎる。(笑)

丁寧で緻密な音造りに裏付けられた演奏のそこには聴衆をぐ~っと抑揚させるような劇的なドラマがいまひとつ足りないと感じた。

そういうドラマがあるからこそ必要な技術、アンサンブルの妙もあるはず。

でもそれは選曲に左右されることで、予想通り、後半のシューベルトの「死の乙女」でその不満は見事に解消された。




情熱的な激しさを持った悲劇的情調で表現されているこの曲。


自分を最高潮のヴォルテージに導いてくれたし、ある意味、荒々しい激しいもう一面の彼らの演奏姿を見ることもできて、最強の弦楽四重奏団だという確信を持てた。


さすが血を分けた兄弟だけはある。(笑)


この曲によって彼らの集中力、そのほとばしる演奏、激しくて緊張感がある、メンバーとのお互いの丁々発止とも思えるやりとりから発する大きなエネルギー感みたいなものが、聴衆である自分にどんどん迫ってきた。

これには、自分はたまらずシビレた。
やっぱり自分は、情熱的で抑揚のある表現の演奏が好きなんだなぁ。

部屋でしんみりと静かに聴くBGMのような音楽も魅力的だけれど、生演奏のライブでは、やはり自分の血を煮えたぎらせてくれるそんな高揚する要素ってとても大切。


そういう意味で、今回の公演での彼らの前半と後半にかけての選曲の巧妙さは、十分に計算され尽くしているものだったんだなと深く感銘した。



ハーゲン・クァルテット、自分の印象は、高い技術に裏付けられた緻密なアンサンブルのクァルテットだった。

ぜひザルツブルク・モーツァルテウムで彼らの勇姿を再び見てみたいものだ。









ハーゲン・クァルテット演奏会
2017年7月2日(日)14:00~ 神奈川県立音楽堂

ショスターコヴィチ:弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調 作品73

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135

(休憩)

シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D810 「死と乙女」

(アンコール)

ハイドン  弦楽四重奏曲 第78番「日の出」より第3楽章








鎌倉日帰り旅 [雑感]

ある日テレビをなにげなく見ていたときのこと。いま鎌倉がとても素敵だ、という番組。

ご存知鎌倉って、日本の初の武家政治がひらかれた街で、ずっと古来伝統のある歴史の街。いまそれにちょっとお洒落なスポットも加わって最高に輝いているんだとか。今風でいえば、インスタ映えするスポット(Instagram)。その番組は、主にそんな鎌倉の食にスポットをあてた番組で、その中で取り扱われていた雑誌を買ってみた。

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もうこうなったら行くしかないだろう!




自分の鎌倉への想い出は、NHKの大河ドラマの「草燃える」。

1979年の自分が中3のときに放映された番組で、子供のころからずっと見ていた大河ドラマの中でも1番熱中した想い出の番組。

いままで鎌倉時代の題材と言えば、平家や源義経を題材にする番組が圧倒的で、その中で、この「草燃える」だけは、源頼朝などの東国武士団の旗揚げにスポットをあてたもので、頼朝&北条側から見た鎌倉時代の描写は子供心にとても新鮮に映った。

長い大河ドラマの歴史の中でも、こちら側からスポットをあてた作品は、この「草燃える」しか存在しない。

とくに義経は、判官びいきなどの日本国民が大好きなお涙頂戴的なストーリーで美化されることが多いのだが、ここでは頼朝側から見た、軍事的な才能はあるものの、若気の至りで、愚かな思慮の浅い若者という感じで描かれていて、新鮮味があった。

自分は、この番組で、石坂浩二さんが演じる源頼朝の大ファンになってしまい、相当のめり込んだ。頼朝のことを相当調べたのはもちろん、石坂さん自体のファンにもなってしまった。

頼朝は、1年のちょうど中頃には落馬して亡くなり、それ以降は、北条政子(岩下志麻さん)が主役に繰り上がる。(大河ドラマの中でも、こういうパターンは稀なんだそうだ。)石坂さんの頼朝亡き後の番組は、それはそれは本当に寂しい感じで、番組の陽が一気に消えてしまったようだった。(笑)

だから自分にとって、大河ドラマでは、織田信長と源頼朝を扱った番組が好きで、源頼朝と言えば石坂浩二さんが最高なのだ。

(そういえば、いつしか大河ドラマも見なくなってしまった。あの大人気の真田丸も結局見なかったし。)

ここら辺を自分に語らせると止まらなくなるので、ここいらでやめておきましょう。


上京して30年目。そんな想い出もあるのに、鎌倉に行ったことは1回もなかった。
この番組をみて、よっしゃ!これはぜひ鎌倉に行ってみよう!

近場だし、お金もかからない日帰り旅。これはぜったいいいアイデアと思って即実行である。


JR鎌倉駅。

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目指すは、鶴岡八幡宮。

途中に鎌倉たっての商店街である小町通りを通っていく。

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平日なんだけれど、とても人がいっぱい。やっぱり鎌倉人気なんだなぁ。

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商店街は、とても可愛らしい感じのお店が多く、でもちょっと古風な感じな装いが鎌倉らしくていいな、と思いました。観光客向けのお店が多く、鎌倉ブランドのものを扱うお店が多かった。食べ物屋さんも古風で可愛らしかった。



そして鶴岡八幡宮に到着。
約800年の歴史を誇る、鎌倉を代表する神社。
その正門にあたるところの三ノ島居。

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入ってすぐ太鼓橋。

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この左右に源平池があるのだ。

右が源氏池

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左が平家池

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源氏池のほうには、旗上弁財天社

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その裏には、北条政子の政子石があるのだ。

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そしてまっすぐ進んでいくと舞殿。

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ここはあの静御前ゆかりの場所。朱色が鮮やかな建物で、年間を通して神事や行事の舞台になる。4月には、「静の舞」が奉納される。

あの静御前が頼朝の前で、義経のことを想う舞を見せたのもこの場所で(若宮廻廊)、この舞殿はその跡地に建てられたものである。



そしてそこを通り抜けて、さらにまっすぐ行くと、いよいよ鶴岡八幡宮の大御所、本宮(上宮)に到達。


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この大階段を上る途中の源実朝が、公暁に暗殺されるのもこの大階段のところだ。

公暁は、この大階段の両端の草陰の中に潜んでいたと言われるけど、自分が上っていく最中に階段の両端を見たけれど、とても断崖絶壁という感じで、人が潜んでいられるという感じではなかったような。。。???歴史の謎である。(笑)

そして本宮の御殿。
中に入って、手を合わせてこれからの幸せを願いました。(二拝二拍手一拝)

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中に入って、拝観の御殿のとなりからみるとこんな感じ。

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これで鶴岡八幡宮は終了。鎌倉駅に戻る。
鶴岡八幡宮は思っていたより小さいな、という印象だった。


つぎに体験したかったのは、江ノ電こと江ノ島電鉄。
鎌倉駅の裏側にその乗り場の駅がある。

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江ノ電といえば、いままさに超人気の路線。

なんでも15年連続黒字で、年間1800万人の利用を誇る大人気路線なのだ。人気の秘密は、ファンの方によると、なんかかわいいとか(笑)、のんびりしているところがいいとか。

今の時期(6月)は、まさに紫陽花の季節。まさに紫陽花が満開で、江ノ電が走っているその両側を紫陽花が咲いている・・・そんな写真を撮るのがマニアの慣例のよう。SNSなんかにもたくさんそんな写真が投稿されている。

休日とかGWとかの連休に行くと、もうすごい混雑ぶりで、2~3時間待ちなんてザラ。(特に紫陽花のいまの季節は大人気で激混みなんでしょ、たぶん。)

鉄道マニアの方々にも大人気で、自分が行ったときも、車両が駅に入ってくるとたくさんのマニアの方々が写真を撮っていました。(^^)

そこを見越して、自分は平日に行ったのだが、それでもすごい混雑ぶりだった。江ノ電の路線は、鎌倉-藤沢間を走っている。

自分は、鎌倉大仏を観に行きたかったのと江ノ島にも行ったので、鎌倉~長谷、長谷~江ノ島、江ノ島~鎌倉の合計3回利用した。

これが江ノ電かぁという感じで感無量でした。

自分も鉄マニアの方々に混ざって、江ノ電の写真撮りました。

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こちらが、夏のクールビズ仕様の車両。(笑)

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江ノ電に乗っていったのが、長谷駅で下車して、高徳院にある鎌倉大仏。

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素晴らしい。思っていたより小さいな、と思ったが、でもやはり目の前にすると感動。
この鎌倉大仏と並ぶもうひとつの奈良大仏も近い将来、必ず行きたいと心に誓う。


駅に戻る途中、やたらとしらす丼のお店が多いことに気づく。
ここ鎌倉は、湘南しらす、といって、ひとつの名物なんですね。


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抹茶セットで、ちょいと休憩。

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当初予定に入っていなかったのであるが、ここまで来たら江ノ島まで行ってみようと思った。

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あの向こう側に見えるのが江ノ島。上京30年目にしてはじめて来ました。

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湘南の海を見るなんてはじめてだ。というか海を見ること自体本当にひさしぶり。ちょっと曇り空が残念だったが、でも爽快な気分だ。

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江ノ島に到着したら、そこはぎっしり建物が詰まっている感じの窮屈地帯。(笑)やっぱり小さな島の中なんだな。ここでもしらす丼のお店がいっぱい。観光客でいっぱいだけれど、なかなか普段経験できないような面白い島の街景観だった。

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以上鎌倉日帰り旅おしまい。

想えば「草燃える」からの鎌倉への想いでしたが、心願成就です。思っていた通り、日本古来からの和風で古風な歴史の街だけれど、ちょっとお洒落感覚もあって可愛らしい雰囲気のある街だった。とにかく平日でも観光客でいっぱい。これが休日、連休となると大変でしょうね。

もうひとつ発見したのは、駅の前に立っている街案内地図ボード。
それを俯瞰すると、鎌倉っていう街は本当にお寺が無数にあるんですよね。
それこそガイドブックに載っている他に、無数と言っていいほどの数のお寺さん。
これを見ると、やっぱり鎌倉というところは歴史の街なんだな、と思いました。



今度来るときは、有名どころでないマイナースポットも探ってみたいですね。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その7 ~そして録音哲学 [コンサートホール&オペラハウス]

この一連の日記連載の落とし処は、結局コンサートホールごとに違う音響、ホールトーンを家庭内で再現したいというところにある。

自分が理想とする録音哲学は、コンサートホールごとに違う音響、アンビエンスをありのまま、その空間を捉えられること。そこには、ホールを一見した時点で、どのポイントに、いかようにマイクをセットすれば、その空間を切り取ってこられるか、ということを判断できること。

そしてミキシング、編集を施した後の録音(ワンポイントでミキシング編集なしのライブストリーミングでも構いません。)は、まさにそのディスクの中に、そのホールの空間、響きの情報が全部詰まっていることが条件になる。

そのディスクを再生さえすれば、部屋の中に、そのコンサートホールの空間が現れる。



ベルリンフィルハーモニーで録音したディスクを再生すれば、部屋の中にベルリンフィルハーモニーのホール空間が現れる。

ウィーン楽友協会で録音したディスクを再生すれば、部屋の中にウィーン楽友協会のホール空間が現れる。

そしてアムステルダム・コンセルトヘボウで録音したディスクを再生すれば、部屋の中にアムステルダム・コンセルトヘボウのホール空間が現れる・・・というように。



家庭内でのオーディオ再生は、ディスクに入っている情報を満遍なく出し尽くすことに専念する。
(これが簡単に言うけど、じつはかなりというか永遠のテーマで、思いっきり大変なことでもある。)

そして余計な小細工をしないこと。

だから部屋に居ながらにして世界のコンサートホールのホール空間を堪能できることが、最終的なラウンディング。

家庭内のオーディオ再生哲学は、まさに数多いるオーディオマニアによる無数のマニアックな考え方があって、それはそれで尊重されるべき。たかが趣味、されど趣味という感じで。個人が楽しむ分には、どんなにお金をかけようが、どういう再生哲学であろうが、個人の思うままに楽しまれればいい。

正解などない世界だと思っている。

自分がいままで積んできた経験を活かせるように考えるなら、ディスクに入っている情報、ホール空間の録音されたアンビエンスはそのまま出力して、それを部屋のルームチューニング、もしくは機器によるEQ調整などで、その音色(周波数)自体を変えないようにすることを心掛けることだろうか。

録音製作サイドのなんらかの意思、哲学を汲み取るべし、という考えがどこかベースにある。

たとえばルームチューニングであれば、あくまで吸音などの響き具合の調整、SP背面への回折音の処理をするぐらいにとどめるぐらいにしておく、というのがポリシー。

というか、あまりゴチャゴチャやるのは自分には向いていないと思う。基本最低限のことを抑えておいて、その限られた制限の中で最大限の努力をする感じ。

自分は、じつは、あのスカイラインのような拡散パネルがあまり好きではない。(笑)あれを部屋にベタベタ貼るのは室内デザインとして好みじゃないのだ。(部分部分はありです。)万遍なく拡散という発想は、コンサートホールやオーディオショップなどの大きな部屋には必要かもしれないが、せいぜい広くて18畳から24畳くらいのオーディオルームに、そんなに必須だろうか?基本は部屋をライブに造って吸音系だけにしたい。

かなり乱暴な意見でしょうか?(笑)
自分は部屋のインテリアはすごく重要視するので。

やはりその前提には、ディスクにはホール空間のアンビエンスがたっぷり詰まっていて、それを加工することなく、余すことなく再生できれば、部屋にそのホール空間が現れるはず。またそうあるために、現場で、しっかりと空間を捉えるように、というお約束を果たされるべきで、部屋はニュートラルと思うからである。


なんか思いっきり偉そうに風呂敷を広げているけど、じゃあ自分に何ができるの?と言ったら、それはそれで、だから自己満足の世界だと最初から言ってるでしょ?(笑)

もちろんこれらのコンサートホールの音響のしくみをそのままオーディオルームに落とし込むことを考えるのもオーディオマニアだったら当然の課題なのだけれど、これは、ちょっと自分の将来の課題にさせてください。

やっぱり自分が部屋を造る段階にならないと真剣に考えないと思うし。(笑)

そういう夢を持ち続けて毎日暮らしいく訳だし。


あと、ちらっと考えてみたのは、建築音響と室内音響では、若干考え方が違うのではないか、と思ってみたこと。

オーディオルームの室内音響では、やはり直方体、シューボックスが基本だし、それを前提として、定在波、フラッターエコーを解消できるように、どのように縦×横×高さの寸法比を決めていくか、とか床の作り方(振動対策)、壁の作り方(共振防止)とか、あと天井の作り方、そして防音や遮音、なんかそういう基礎体力のところで考えていかないといけないのでは、といまの自分の知識レベルで分かる範囲。

内装は、漆喰塗りで、瀬川冬樹先生のリスニングルーム理論に基づく、というところか!決まっているのは。。。(笑)

そのときにならないと考えられない。

コンサートホールに通い詰めてわかることは、内装空間を見て、どのような音の流れかを推測できることと、あと自分の耳でその音響の空間的印象を捉えられるということだけである。

基礎体力のところまでは、残念ながらわからない。

だからオーディオルームを造るときは、その基礎体力の部分から考えないといけないので、やっぱりそのときにならないと考えないというか、わからないんじゃないかなぁ、たぶん、と思うのです。(笑)

そんなことを指摘があったときに考えました。



長々とご静聴ありがとうございました。 





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Emil Berliner Studiosによるウィーン楽友協会によるエレーヌ・グリモーのコンチェルトのセッション録音。(ブラームス・コンチェルト2番)


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アムステルダム・コンセルトヘボウではセッション録音のとき、空席だとあまりにライブ過ぎる環境のため、少しでも吸音するために、このような吸音用のカーテンをぶら下げることがあるのだそうだ。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その6 [コンサートホール&オペラハウス]

コンサートホールの音響に影響がある要素の中で、じつは一番影響あるのは座席だそうだ。ある意味、一番ホール内で占める面積が大きいし(総面積の30~40%らしい)、ここに座り心地を重要視してクッション性の生地をふんだんに使うと、もろに吸音効果の悪影響が出る。

なので、人が座ったところで人体に隠れるところに吸音のクッション性のものを使って、空席時と着席時で音響の差が出ないように工夫しているのだ。

また、そのため座席のクッションの総張替えなどの作業は、ホール全体の音響特性に大きく影響を与える可能性があり、頻繁にはおこなわず長く使うことが肝要。

バイロイトの椅子は、まさに修行僧のようなケツの痛い座席でした。(笑)

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最後にコンサートホールを語る上で、もうひとつ大切な要素を書いてみる。


それはサイトライン(Sight-Line)、つまり視覚線。

観客席からステージを観たときの眺め、その見え方である。

この要素ってホール設計者の立場からすると、とても、とても大切な要素なのではないか、と思う。我々聴衆の立場からすると、ホールのどこの席に座っても、ステージは全景できちんと見えることが、さもあたりまえのように思っているけれど、それを設計する立場になると、そのあたりまえのことを配慮、実現することって大変なことのように思える。

つい先ごろ、日本の地方のホールで、竣工オープンしたホールで、いきなり座席によって、ステージが1/3から半分くらい見えない「見切り席」が存在して問題になったことがあった。

これは日本じゃ大問題かもしれないのだが、じつはヨーロッパの古いホールでは、ごく日常茶飯事であったりすることなのだ。(笑)

ベルリンフィルハーモニーはステージを正面から見据えると、両端の出っ張ったウィングが妙に格好良かったりするのだが、このウィングのところに座ると、意外とステージが見えにくい。

下の写真はヤノフスキのワーグナー公演のときの自分の座席。左ウィングのところに座ったのだが、ステージの手前が全く見えなかった。そこに合唱団がいたりするので、声もよく聴こえなかった。(笑)


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大昔の人の感性がよくわからないのだけれど(笑)、座席の前に大きな柱が立っていて、全然ステージが見えない座席など、結構あるのだ。

この写真は、ザルツブルクのモーツァルテウムのある座席。(笑)

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そして去年体験したバイロイト音楽祭のバイロイト祝祭劇場の一番最上階の格安席。
なんと自分の座席だった。(笑)

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可哀想なのは、自分の左のご婦人。柱でまったくステージが見えない。結局みなさんの好意で、空いている席に移動できたのだが。。。


こういう座席って、いい座席ブロックでありながら、極端に値段が安かったりして、結構デッドエリアだったりする場合が多いのだ。ヨーロッパの古いホールでは、必ずこういう座席ってある。

スイス・ジュネーブのヴィクトリアホールも自分の座席は、ステージが手摺に隠れて全く見えないデッドエリアだったのだが、チケットを余分に2枚保持していたので、もう1枚のほうで事なきを得たのだ。

もうこういういわく付きの座席は、売らないようにしてほしい、そのようにホール側で販売禁止にする、という配慮があってもいいと思うのだが、どうだろうか。


この問題が厄介なのは、ホールの座席表を見ながらチケットを購入するとき、前に柱が立っているとか、いわゆるデッドエリアである、ということが、その座席表からだとわからないのだ。ホールに実際行ってみて、はじめてわかることなのだ。自分はそんな経験を2回もしてしまった。(笑)だから厄介ないのだ。ホールの座席表にそういうデッドエリアであることの記載が欲しいものだ。




ホワイエ空間のセンスも自分にとっては大切な要素。ホールの内装についで、とても重要視している。ここもセンスある空間にしてほしい。ホールとは必ずペアの存在なのだ。自分が体験したホール日記に必ずホワイエ空間の写真を入れるのもそんな理由から来ている。

このホールのことを全部知ってほしい、という想いがあって、そのときは単純にホールだけでなく、ホワイエも入れないと、と思うのである。日記を読んでいる読者が、自分もそのホールに行っている感覚になるには、ブレークの時のホワイエも必要と思うからである。

いかにお客さんに居心地のいい空間を提供できるか。このポイントは大きい。



あと設計者サイドからすると、女性トイレのあり方だろうか?(笑)いつもブレークのときの女性トイレの長蛇の列は、他人事ながら可哀想と思ってしまう。これを見事にクリアしているホールって、どこも見たことがないと思う。

素人考えでは、単純に女性トイレの数を大幅に増やすとか、考えられそうだけど、どのホールでも長蛇の列でない女性トイレは見たことがない。

せいぜいブルックナーとかの男性ファンの多い公演の時には女性トイレが空いている、というときくらいか。(笑)逆に、バレエの公演の時は、大変です。反対に女性ファンが圧倒的。やはり美男美女のスタイルのいいバレエダンサーや、バレエ演目自体視覚要素が大きいウエイトを占めるからだろう。

せいぜい20分位のブレークで、すべて片付くのか、いつも可哀想に思ってしまう。ひとつの問題提起ですね。




音楽のコンサートホールって、なにも音響だけがすべてじゃないことも勿論である。音楽を聴く場所なのであるから、音響が悪ければ、そのすべての前提条件が崩れてしまうけれど、それ以外にも内装空間の美しさ、居心地のよさ、などその空間デザイン、空間のありようもとても大切な要素だと思う。

いくら音響が素晴らしくても、内装デザインに品格がないと、萎えてしまうというか、コンサートホールとしてなにか一つ足りないような気がしてしまう。

コンサートホールにとって、音響と内装空間のデザインは、お互い欠かすことのできない必須のペアなものなのだと思う。


自分は、サントリーホールの内装空間が、非常に高級感があって、そのブランドイメージをうまく醸し出している、とても優秀な空間デザインだと思う。サントリーホールの内装空間の高級感やカラーリングのセンス(配色のセンス)は、自分の空間&色彩感覚にかなりビビッと来る感じで、これだけ高級感やブランド感を感じるホールは、国内のホール中では他に類をみないと思う。自分の美的感覚に合うというか、好みなのである。日本のホールでは最高だと思っている。

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以上をもって、コンサートホールの音響の仕組みを俯瞰してまとめてみた。

あくまで全体的に俯瞰する形でのまとめ方であったが、いかがであろうか?

みなさんのお役に立てれれば少しでも幸いである。

ここ数年経験してきたことを、まとめてみたかった。自分の経験で学んだことは自分の財産だと思い、連載という形で紹介したかった。まとめると自分の気持ちもすっきりする。

あと思っていたのは、音響学(建築音響学&室内音響学)の世界って、数式の世界で、コンサートホールのことを詳しく知りたいと思って本を買っても、その中は一面、数学&数式の世界でなかなか入っていけない世界でもある。

多くのファンの方が挫折するのは、そこなんだと思う。

なんか世の中に、数式をいっさい使わず、コンサートホールのことを語れれば、最高にいいな、自分の狙っている層ってそこなんだな、とか思っていたりしていたのだ。

それを、特に観客目線(耳線)で語っている文献は世の中には皆無に等しい。それを実現するには、やはり数の経験が必要。いろいろ山あり谷ありで経験してきて、ちょうどいまの時期が一番熟していて潮時かな、とも思った。


やっぱり神秘的、ミステリアスな部分が多く、建築好きの自分は、特にこのコンサートホール&オペラハウスには、底知れない魅力を感じる。

たとえば、人生初体験のホールを体験するとき、開場前のホワイエで待っているときのあのドキドキ感。そしていざ開場したときに、中に入った瞬間に目の前にそのホール空間が現れたときのあの興奮といったら、なににも変え難い興奮するときである。


新たな出会いを求めながら、これからも世界中のコンサートホールを探訪することだろうと思う。

おまけに、最後の締めの日記をもうひとつ投稿する予定である。ある意味、これが自分の1番言いたいこと!  





コンサートホールの音響のしくみと評価 その5 [コンサートホール&オペラハウス]

シューボックスは、まさにコンサートホールの歴史の元祖というか、基本中の基本の形状。 直方体である。

シューボックスで1番有名なホールは、ウィーン楽友協会(ムジークフェライン)であろう。

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ウィーン楽友協会においては、建築音響学(建物内で音の伝搬について取り扱う学問)の中では、長らく世界最高の音響と称されていて、それはレオ・L・ベネラクという音響学者が著した書籍にそのからくり理論が書いてある。

その音響理論は、極めて単純明快。

いわゆる直方体の形状で、ステージ上の発音体が360度無指向に発する音を、まずはステージ左右側方の壁、そしてステージ背面の壁、そして天井、床などですぐに反射して、客席に音を返すようにできている。(初期反射音、1次反射)

さらに直方体なので、両側の壁、天井、床などがそれぞれ平行面で存在するので、反射を何回も繰り返し、響きが非常に豊かに聴こえる。(残響音、2次,3次などの高次反射)


コンサートホールの音響では、ずばり、この直接音と初期反射音、そして残響音の3つのタイプの音で成り立っている、と言えるのだ。

これは別にシューボックスに限らず、すべてのホール形状において、この3タイプの音が生成され、その合成音を観客は聴いていることになる。

さらにこのホールは木部むき出しの椅子もその反射に一役買っていて、まさに響きに囲まれている感覚に陥るのは、そういう構造そのものに理由がある。シューボックスの音響は音が濃い、というのはそういうところが1番の大きな要因。

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コンサートホールの音響というのは、以下の大きく2つのポイントをイメージできれば、そのホールの空間的印象を大体特徴付けすることができると言われている。


●みかけの音源の幅
●音に包まれた感じ


人間の耳って、反射音(初期反射音&残響音)のその耳への入射角に応じて、感じる音の広がりかたが逐次変わっていくそうで、最大の広がりを感じるときが、耳の真横90度で入ってくるときなのだそうだ。だからホールの形状にもろに影響することになる。

シューボックスの場合だと、側方からの反射音(特に残響音のほうかな。)を得やすい形状なので、音の広がりを感じやすく、みかけの音源の幅は、左右に広がる感じになるし、音に包まれた感じは、最高の状態に感じやすいのかもしれない。

                                                                                                                                                           

またコンサートホールの音響設計技術の近年の発達には、この両耳に入ってくる反射音の入射角だけの問題でなく、両耳に入ってくる時間差も、その空間の広がりを与える大きなファクターとなっていることの発見、研究が大きく寄与している。


ウィーン楽友協会は、その頂点に立つホールなのだろう。

さらには。。。
                                                       
壁には金色の芸術的な彫刻の数々。裸婦の女性彫刻像、そして華麗な天井画の数々。
これらの凹凸は、音の反射音の拡散に一役買っている。

反射音の拡散のメリットというのは、壁に凹凸がないと、反射音の行き先が音楽に応じて、その方向が偏ったりして、ホールのある偏った部分にしか反射音が行き渡らないことを防ぐためである。

つまり反射音の行き先を拡散させることで、ホール内に均一の密度分布で反射音を行き渡らせることに目的がある。

むかし自分の理解は、凹凸で拡散させることで、高域の煌びやかな音色が得られる、という理解をしていたこともあったが、もちろんそれもあるかもしれないが、やはり反射音をホール内に均一な密度分布にするために行き先を拡散させる、という考え方のほうが正解なのだと思う。

この考え方は、現代のホール設計でも受け継がれている。

さすがに彫刻は彫らないけれど、意識的に壁面に凹凸を造ったり、斜線でのスリットの溝を作ったりして、反射音を拡散させている。目的は同じである。

ただ現代のホールの場合、その凹凸は内装空間の美的センス、感覚を損なうものでもあるので、結構内装デザインとのトレードオフみたいなところがあって、内装空間の美しさを損なわない程度につけることが肝要か、と思われる。

結構露骨だなぁと思ったのは、ライプツィヒのケヴァントハウスのワインヤードのホール。

世界最古のホールとして有名なホールだが(もちろん現在の姿はリニューアル。)、壁面にはかなり露骨な凹凸が設けられていた。でも音響は最高に素晴らしかった。


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日本のホールで、この反射音の拡散という点で印象的だったのが、京都コンサートホール。
なんとホールの天井に張り巡らされているこの強烈な拡散の仕掛け。

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斜めに切断された2000個の立方体がこのように天井の中心全面を覆っているのだ!



ウィーン楽友協会には、他のホールでは珍しく上部に採光窓が設置されている。この採光窓の存在が、音のヌケ感に寄与しているという理論も、このベネラク氏の独自理論でもある。

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またウィーン楽友協会では、床下に大きな空洞を設けていて天井も全体が釣り天井で空間があって、コントラバスのように低音がよく響くように作ってあるのだそうだ。この吊り天井には砂が大量に敷き詰められていて、響きを調整してるらしい。

このホールのもうひとつの大きな特徴は、ドカドカなる木の床。ステージも木の床だ。この床のステージの柔らかさでオケがいっせいに鳴るときに、その床振動でドッと音がホール内を振動伝達して音化けする、ホール鳴りする原因なのだろう。

「ホールは楽器です」という名文句はここから来ているのだと思う。床は固すぎてもダメで難しいですね。


このようにシューボックスってその構造&音響理論が極めて単純明快。

そのもうひとつ有名なシューボックスのホールを紹介しておこう。


アムステルダム・コンセルトヘボウ

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ベルリンフィルハーモニーの幾何学的なデザインの美しさ、ウィーンムジークフェラインの黄金で煌びやかな空間、とはまた違ったコンセルトヘボウ独特の美しさがある。ベージュとレッドを貴重としたツートンカラーの内装空間で非常に美しいホールである。落ち着いた大人の空間という感じですね。


ステージの高さが異常に高くて、最前列の人は首が痛くなるぐらい。(笑)

ホールの音の印象は、木造らしい非常にマイルドな暖色系の優しい音がする。弦楽器の音色や木管の音色を聴いているとその優しい柔らかい音がはっきり認識できる。そして響きがとても豊かで滞空時間が長い。空間も広く感じてスケール感のある雄大なサウンドに聴こえる。ライブ録音に向いている音響だと思う。

ご存知、Polyhymnia International BVのホームグラウンドである。




そしてワインヤードのホール。

ワインヤードはステージを観客席が取り巻いているので、ステージ上の音が反射するための壁が遠すぎて、反射音の恩恵を得ることが難しいのである。また観客で取り囲まれているということは、音を人が吸ってしまう(正確には服が吸う。)というデメリットもある。

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音響的に非常にデメリットが多く、直接音主体の音響と言わざるを得ず、その音響設計はかなり工夫が必要で難しいと思う。

1番最初のワインヤードであったベルリンフィルハーモニーも、創設当時は、その音響が思わしくなく、カラヤンはレコーディングには、このホールを使わず、ベルリン郊外のダーレムにあるベルリン・イエスキリスト教会を使い続けたほどだ。

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その後、ステージの高さを変えたり、天井に反響板を設けたりすることで、ようやくカラヤンがその音響に満足できるようになったのは、その10年後だとも言われている。



これは自分が思うことなのだが、ベルリンフィルハーモニーに代表される最初の頃のワインヤードは、まさにステージが観客席のど真ん中近くにある感じなのだが、これが時代が経つにつれて、ステージがホールの端に位置するようになって、いわゆるシューボックスを拡張型にしたようなワインヤードのホールが主流になっていったように思う。

これは自分の推測でしかないけれど、ステージがホールのど真ん中にあると、まさしく反射が得られにくくて、音響的デメリットが大きいので、もっとホールの端に寄せて、シューボックスと同じようにステージからの発音に対して、初期反射音が得やすいようにしたのではないか、と推測する。


つまりシューボックスのいいところを取り入れたワインヤードというような感じ。

東京赤坂のサントリーホールは、まさにベルリンフィルハーモニーを参考にして、カラヤンの指導の下造られたホールである。サントリーホールの場合、ステージの位置がホールの端になって、完璧なワインヤードというよりは、ややシューボックスを拡張型にしたワインヤードみたいになっているところに特徴がある。

現代の新しいワインヤードのホールはみんなステージがホールの端にあるように思える。




ワインヤードでの反射音を得る仕組みというのは、ひとつの工夫がある。

シューボックスと違って、反射する壁がないので、下図(札幌コンサートホールKitara)のように、客席をいくつかのブロック分けにして、各々に段差をつける。 そのときにできる客席のテラス壁を初期反射音に使用するのである。


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大半のワインヤードは、このようにして反射音を造っている。


日本のコンサートのホールの中でも、抜群のアコースティック(音響)を誇るミューザ川崎を例にとって、ワインヤード方式の最新のホールの場合を説明してみよう。

ミューザ川崎は、その内装空間のデザインがかなり斬新で、一見みると左右非対称に見える奇抜なデザインである。でもこのような斬新なデザインにも、やはりワインヤードの音響設計の基本となる施しが確認されるのだ。



ミューザ川崎の場合、音響設計のポイントは、つぎの3つにある。(白いのが反響板)
(あくまで自分の推測です。聞いた訳じゃありません。写真を眺めながら推測しました。)

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①ステージ,1階席平土間を取り囲む反響板。
②上階席の観客席を左右交差しながら挿し込む形の反響板。
③そして 天井の真ん中の反響板をさらに同心円状に取り囲む反響板。

特に②のデザインの考え方とその効果が洒落てますよね。

①は、まずステージおよび1階席平土間をぐるっと取り囲むことで、ステージからの音を確実にこの囲いの中に追いやる役目を果たしている。

②は、一見左右非対象に見える斬新なデザインの核心をつくポイントと見ていて、このように配置することで、その反響パネルの下部に位置する座席に反射音を返しているのである。

標準的な従来のワインヤードの座席をブロック化したときにつける段差のテラス部分に相当するところが、この②の役目なのだと思う。放っておくとそのままホール空間中に漂ってしまう音の流れを、この②の反射板できちんと客席に返す、という原則が成り立っているのだ。

そして③の天井の反響板。ここのホールはかなりゴッツイ造りになっていて、その役割は大きい。これはホール上方に上がってきた音を、下方に返す役割なのだが、真ん中の反響板を中心に、さらにそれを同心円状に反響板が取り巻いているのだ。

こうすることで、ステージの音をホール全体に均一密度で拡散させているという大きな役割を果たしている。

さらに、この白い反響板には、斜めに等間隔でスリットが入っていて、これは、反射音を拡散させるため。目的は、他ホール同様に、反射音の方向を、偏ることなく、ホール全体に万遍なく均一密度に分布させるために、反射音の行先を拡散させるのである。



ミューザのホール内装の上からの全景の写真をみると、この白い反響板が、いわゆるスパイラル状になっているようにみえて、それが原因なのか、ステージからの音が、トルネードのように上に巻き上がるような音の流れがあるんじゃないか、とも推測したことがある。現に4階で聴いたことも何回もあるのだが、恐ろしいまでにステージの音が明瞭に聴こえてきて、うわぁ、こんな高くても音がきちんと上がってくるんだな、と感心したものだった。

あと、ミューザにはじめて足を踏み入れたときに1番最初に目について驚いたのは、そのステージの低さであった。他のホールでステージを見慣れている眼からすると、そのステージの低さはとても驚きで新鮮な感じだった。

真意はわからないけれど、おそらくステージが従来通り高いと、1階席平土間の観客席の頭の上を音が飛んで行ってしまうので、それ対策用に低くしてあるのか?と思ってみたりしている。


ミューザのような天井の仕掛けは、パリの新ホールであるフィルハーモニー・ド・パリでも見かけることができた。

これがその写真。

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天井の真ん中の反響板を中心に、ブーメラン形状の反響板が、同心円状にぐるりと取り巻いているのである。役割は、ミューザのときと同じで、ステージの音をホール全体に均一密度で拡散させるため。

ベルリンフィルハーモニーやサントリーホールなどは草創期時代の古いワインヤードのホールは、反響板は、ステージ上に浮雲という形でぶら下がっているだけ。 ホール全体に、万遍なくというのは、なかなか厳しく、いまの最新鋭ホールと比較すると、どうしても音響ムラというのができてしまう。

最新のホールは、1階席平土間に音響ムラがないのは、これが原因と考えている。


フィルハーモニー・ド・パリは、とてもユニークな内装空間のホールで、いかにもフランス人好みのコンサートホール。

ここもワインヤードのホールである。

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左右非対称のアシンメトリーな空間なのだが、不思議と音響バランスは偏っていない。

ホール形状タイプからするとRAV(reflector in acoustic volume)というジャンルにカテゴライズされ、多数のぶらさがっている反響板をうまく利用して、その音響を整えている方式である。

明瞭性と残響感を両立して達成するために、明瞭性に相当する初期反射音は、たくさんぶさがっているブーメラン型の反響板からの反射で生成し、残響感のほうは、そのブーメラン反響板とさらにその背後、裏側にある空間との間で生成する残響音で造るのだそうだ。

いすれにせよ、ブーメラン反響板がキーポイントということである。

実体験したが、素晴らしい音響であった。ステージの音のエネルギー感がしっかりどこの座席にも届く、という大前提が成り立っているように思えた。



ブラームスの故郷であるドイツのハンブルグにオープンしたばかりの話題の新ホール「エルプルフィルハーモニー・ハンブルグ」もそんな最新鋭のワインヤードのホールだ。

元北ドイツ放送響(NDR)、いまのNDRエルプフィルハーモニーの本拠地である。

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実体験はまだなので、実際どのような音響なのかは語れないが、写真を見る限り、大体いままで説明した考え方に準拠しているように思える。

流線型ではあるけれど、客席がブロック単位に区分けされていて(というか1ラインに連なっている感じだが)、その段差にテラス部分が存在して、それを初期反射音を得るために利用していることは確実であろう。

そして、そのテラス壁の壁面や、ホールの至るところの壁面には、「ホワイトスキン」と呼ばれる貝殻形状をした凹凸が設けられている。これによって反射音の行き先を拡散させて、ホール内に同一密度分布で反射音を行き渡らせようというような仕組みなのだと思う。




ドイツ・ベルリンに一風変わったホールが誕生した。

これはご逝去したフランスの作曲家、指揮者であるピエール・ブーレーズを冠にしたピエール・ブーレーズ・ホールである。

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今年の3月にオープン。ベルリン国立歌劇場の近くらしい。ホールの形状はシューボックスなのだが、客席がワインヤードという特殊なスタイル。

正確には、ステージの回りに客席を楕円形状にレイアウトし、それを四角いホールの中心に配置する、という620席のホール。 新規にホールを建てるのではなく、すでに存在する建物中にホールを新設する、というアイデアである。

バレンボイムが中心となるバレンボイム・サイード・アカデミーの本拠地。 対立するアラブ諸国とイスラエルの両方から才能ある若い音楽学生を集めて運営されてるオケだそうだ。

とてもユニークなホールであるが、写真見た目、直接音主体のホールのように感じるのだが、建物の器は直方体のシューボックスなので、音の反射などは、そのルールに準ずるのであろう。

でもこれもある意味立派なワインヤードである。(笑)ぜひ体験してみたいホールだ。





ワインヤードのホールでは、このようにホールの形状から反射音(響き)を得ることが難しいので、音響設計にノウハウがいる。

でも、その音響特性の最大の魅力は、やはりホールの大容積に応じたダイナミックレンジの広さだと思う。残響時間の長いスケール感の大きい音響で大編成の大曲に向いている。大音量でも飽和しない。

オケの発音能力も試される。パワフル型で、力量のあるオケでないと、このホール形状を征服することは難しいのだろう。ホールは、そこのレジデンス・オーケストラが育てるもの。

また最近の需要から、収容人数のキャパが大きくないといけない、視認性の問題、みんながステージと近くないといけなく、オケとの一体感もこのワインヤードならではのこと。もう時代の流れは、そういう方向なのだと思う。


また現代の最新の音響設計では、ワインヤードとはいえ、十分な響きが得られるように工夫が重ねられ、昔、言われているほどデメリットはないのだと思う。そのため我々素人目では、その仕組み・原理を理解するのは難しいのかも?

最近のホールの内装空間を見ると、自分の理解を超えていて、つくづくそう思うのだ。自分も歳なんだなぁという感じで。(笑)



東京文化会館の扇形のホールは、これまた特徴的な音響設計理論による。
日本が誇る偉大なる建築家、前川國男さんの設計である。

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ホールの形状は六角形。ホールのタイプ別としては、いわゆる扇型のコンサートホール。

この扇形状は他のホールにはないほど両壁面が開いたもので、壁面間での反射音の行き来が少なくなることを意味していて、このこともこのホールの音の響きを特徴づけている。

人間の耳というのは、両サイドの真横から音(響き)が入ってくると、1番音の広がりを感じる特性があるので、シューボックスなどは、まさにそのような特性を生かす側方からの反射音で響きを造る方式なのだが、この扇形はそういう壁が開いているので、側方からの反射音が期待できないのだ。

ここのホールの直接音と初期反射音などの響きは、前方から直接音が来ると同時に、タイミングが遅れて、反射音が、これまた前方からやってくる、というのが、大きな音の流れの特徴なのだ。その役割を担っているのが、ステージ背面から天井のほうに大きく連なっているある大きな反響板。


だから正直響きが豊かなホールというよりは、ある意味デッドな部類なのかもしれない。

ホールのステージ上の音源に対して、座席で聴いていると、その”音源(音像)のみかけの幅”がどれくらいか、というのはひとつのそのホールの音響の特徴を現すパラメータでもある。

シューボックスのように音源に対して、側方からの反射音がつくられるホールであれば、音源(音像)のみかけの幅は左右に広がるし、逆に側方からの反射音が期待できないホールでは、音源の幅はかぎりなく音源(音像)そのものの幅が狭いものになる。


なので、前方から直接音、反射音がやってくるというのは、響きで音像が広がらず、コンパクトにしかし奥行き方向に響きができるので音像が立体的に感じられる、というこのホール独特な音響といえるのだと思う。

ここのホール愛好家間では、最上階席の5階が1番音がいいという噂がある。(自分はまだ未体験)



以上が大きく3つのタイプのホール形状のコンサートホールの音響理論を概念的に書いてみた。

コンサートホールで大切なことは、なにも音響だけではないのだ。他にも、もっともっと大切な要素がある。

次回は、それらについて書いてみたい。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その4 [コンサートホール&オペラハウス]

コンサートホールの音響のしくみは、要は、ステージ上での発音体が発する音が、いわゆる”球面波”という形で、360度無指向に広がっていく音を、ホールの形状、容積、壁の材質、反射板などの仕掛けなどによって、いかに客席にその音の流れを持っていくか、ということころに、設計のポイントがあるのではないか、と思う。

大昔の時代のホールに、そういう理解、意志があったかどうかは不明だが、でも現代の最新鋭のホール設計は、そういう考えを基に設計されていると思う。

自分がよく神秘・ミステリーだと思っていることに、ヨーロッパの素晴らしいホールの内装空間は、当時建築音響理論がどこまで理解されていたか、というのは不明なのだけれど、不思議と理に適っているというか、大昔の人が考えた内装空間は、まさに素晴らしい音響を生み出す要因、ノウハウが、知らず知らずに、あちこちに散りばめられていることなのだ。

たとえばウィーン楽友協会の内装空間に代表されるような凹凸の激しい煌びやかな彫刻。

これは結局、その音響効果としては、反射音の方向を拡散させる意味合いがあるのだが、大昔の当時に、そんなことを考えて、この彫刻を彫ったのであろうか?

やっぱりキリスト教に代表されるような神聖な場所という宗教的な意味合いが強かった、というのが真の理由ではないだろうか?ヨーロッパの大昔のホールは、コンサートホールもオペラハウスもこの内装の彫刻は一種の芸術要素が強いのだと思う。

クラシック文化の浅いアメリカにコンサートホールを新設しようという動きがあったとき、その前調査としてヨーロッパの音響のいい有名なホールを片っ端から、その残響時間を測定していったら、不思議とほとんどのホールが、2.0秒前後の残響時間だったというミステリー。


結局、現代の新しいホールを建設していくにあたっても、この大昔の遺産であるヨーロッパのホールの偶然のミステリーを後付の形で理論付けして、今尚、それを基準にして設計されているのだ。


なんと神秘的で、ミステリーなことだろう!



自分は、ヨーロッパのコンサートホールには、そういう神秘的でミステリアスなところが潜んでいて、単に技術、理論では語れないそういう歴史の創造物であることに、たまらなく魅力を感じるのだ。


コンサートホールの形状のタイプには、ワインヤード(現代の呼称はヴィンヤード)、シューボックス、扇形と様々な形状がある。



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ベルリンフィルハーモニー(ワインヤード)


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ウィーン楽友協会(シューボックス)


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アムステルダム・コンセルトヘボウ(シューボックス)


コンサートホールの歴史を紐解いていくと、その原点にあるのはシューボックスのホールだと思う。

シューボックスは、まさに直方体の形状で、家庭内のオーディオルームも直方体。ある意味音響理論(建築音響&室内音響)を考える上では、基本中の基本の形状なのだ。

これから説明するが、シューボックスの音響理論はとても単純明快で、わかりやすくて、いい音響を簡単に得やすい仕組みでもある。

でも縦長なので、後方の座席になるとステージが見えにくいという視認性の問題もある。そういう問題を解決するためにも後方に行くにつれて傾斜をつけるところも多いが、アムステルダム・コンセルトヘボウになると全くの平坦なので、後方の座席のステージの見えにくさは問題でもある。


またシューボックスは収容人数のキャパが小さく、大観客数を収容できない。


こういう背景が、現代のホール需要に合わなくなってきた。


それに対抗してできたのが、ワインヤードのホールで、カラヤンが造ったベルリンフィルハーモニーがその最初になる。観客席がステージを取り巻くように配置されていて、まるでぶどう畑のようなので、ワインヤードという名称がつけられた。

ワインヤードのホールは、その音響の仕組みは、かなり工夫が必要で、音響的デメリットも多いのだが、なによりもステージと観客の距離感が近いこと、それによってコンサートともに観客との一体感が得られやすい構造であること、そして大人数を収容できること。こういった点から、現在の世界の最新鋭のホールは、ほとんどワインヤードのスタイルのホールではないかと思う。

日本では、意外や存在するホールの数からすると、首都圏をみても圧倒的にシューボックスか扇形が多くて、そもそも昔はクラシックの演奏会もずっと多目的ホールで兼用だったので、クラシック専用というホールというのが少なかった。だから意外やワインヤードは少ないと思う。

日本でクラシック専用ホールで、ワインヤードなのは、サントリーホール、ミューザ川崎、大阪シンフォニーホール、そして札幌コンサートホールKitara、愛知芸術劇場コンサートホールくらいだ、すぐ思いつくのは。


まずそのシューボックスから説明していきたい。 





コンサートホールの音響のしくみと評価 その3 [コンサートホール&オペラハウス]

⑥帯域バランス

このパラメータは自分がコンサートホールでオーケストラを聴くときに、結構重要なポイントとしているところ。もちろんホールの音響特性が、高域に寄っていたり、逆に低域に寄っていたりすると、オケが発している帯域バランスがどう正しいのかわからないので、もちろんその器、ホールの特性はフラットであってほしいのはあたりまえである。

自分はオーケストラサウンドは、やはり低弦楽器などの低音ががっちりと土台を築いているサウンドが好みである。

弦の厚みなどは、この低音が豊かであると、その上の乗る様々な帯域のサウンドが折り重なって、じつに気持ちのいい和声感のあるサウンドになる。


低音の不足しているオーケストラサウンドは、なんか音痩せしてる感じで、気持ちよさ、安定感を感じないのだ。

古来より豊かな低音や低い周波数での揺らぎは生理的快感をもたらすと言われ、安定しているなにか神聖な立派なものを聴いている、という豊かなイメージを象徴する帯域なのである。

低域は和声の根本を成す帯域だと思っている。

器であるホールで、そのように低域寄りにするのは邪道の権化で、真のオケの技量がわからなくなってしまう。その点でもホールの帯域バランスはニュートラルであるべき。


ときどき、ホールによってオケサウンドがハイ上がり(高域寄り)に聴こえたりすることも多く、そういう場合は、「ここのホールの音響は耳にキツイ」とか、すぐホールのせいにせず、まずオケの調子を疑うべし。

自分の座席からすると低弦楽器群が聴こえにくいポジションであったりして、それが原因であったりもする。やはりオーケストラは音響バランス的に真正面から聴くべきなのだ。



⑦再生空間のダイナミックレンジ、スケール感


大編成のオーケストラを聴くときに感動する要因は、いわゆるそのスケール感の大きさによるものだと思う。

再生空間の広さ、ダイナミックレンジの広さ、この要素は、生演奏ならではのメリットで、オーディオルームで実現することが厳しい壁でもある。

特に低域のリアルな再現性は舌を巻く。

いつも生演奏を聴くたびに思うのは、この分厚い低域の音をオーディオで再現するのはとても無理だなぁ、と思うこと。

低域の波形というのは、波長がとても長いので、再生する空間(部屋)の容積が広くないと十分に再生しきれないからである。コンサートホールの広さだから実現可能なパラメータといってもいい。


スケール感の大きさは、どのように達成されるパラメータなのか?

それは、第一に発音体のオケの大音量の発音能力。そして第二に、ホールの容積によるものだと思っている。大編成で発音能力の高いオケに、容積の狭いホールで演奏してもらうと、いわゆるサチルという、つまり音がクリップ、飽和してしまう現象が起こってしまう。発音能力の高い大音量のオケは、やはり容積の広いホールで演奏するべきなのだ。

発音体の規模にあった適切なホールの容積というのは、かならず存在する。

建築音響的には、容積が広いと、残響時間が長くなる、という音響特性がある。

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残響時間が長くなると、当然音量を発したときに、全体的に音量的な容量が増えて聴感上のスケール感が増すような印象を受ける。

代表的な例では、天井の高いホールであろう。
もっと身近な例で言えば、教会。

教会はまさに天井がとめどもなく高くて、音を発すると残響時間がとても長い。

そういう意味で、たとえば天井の高いホールでオケを鳴らしたときは、そのスケール感がとめどもなく大きく感じられ、これもコンサートホールの大切なパラメータなのだと思う。


天井が高いホールというのは、いわゆる音のヌケ感がいいと感じることが多く、ホール容積が広いために残響時間が長くて、広大な空間に、音が圧倒的な情報量を伴って広がっていくような、そんなスケール感の大きさを感じる。


逆に、ホール設計のときに、天井が低いのは致命的なハンディなのだそうだ。



自分は、よく自分だけの解釈なのだが、シューボックスの音響は、反射する仕組みが容易で、とても響きが濃い、音の密度空間が濃い音響空間であるのに対して、ワインヤードは反射する仕組みの実現は、難しいかもしれないが、その反面、その空間容積の広さ、および直接音主体の音の流れから、大編成などでその空間を漂うスケール感、その空間の広がりを感じるようなサウンド(空間感)が、その音響の真骨頂なのだという理解の仕方をしているのだ。

そういう音響空間の特徴があるので、比較的容積の狭いシューボックスは、中規模から小規模に至るアンサンブルのオーケストラの演奏に適しているし、逆に容積の広いワインヤードは、大編成のオーケストラで大曲を演奏するのに適している、と言えると思う。


このホールの容積とオケの規模の問題は、単にサウンド・クオリティ的な要素だけでなく、そこで奏でられる音楽の歴史とともに歩んできたものと言える。



ここで少し自分が調べてみたことを書いてみる。



音楽最古の時代は、バッハなどのバロック音楽の演奏の場、これはまさに教会。

そして18世紀の古典派ロマン派の時代は一般大衆が音楽を楽しむ時代になってコンサートホールという発想が出てくる。この頃の古典派ロマン派の音楽は、和声や和音が重要視され、特にロマン派の音楽は、情緒的で感情表現で聴く者の心に訴えるものが多かった。

なので、それに合せてコンサートホールも細部の表現よりも響きの美しさを重視するホールが造られたのだ。この時代の代表的なホールがウィーン楽友協会などに代表されるシューボックスのホール。コンサートホール草創期の時代。

そしてその後は、後期ロマン派。19世紀後半から20世紀。ドイツ、オーストリアなどのドイツ圏。ワーグナーやリスト、シューマンそしてマーラーやブルックナー。

彼らの音楽のオーケストラの巨大化や対位法を採用するなどのポリフォニックな音楽手法が演奏会場のあり方にも一石を投じた。

古典派やロマン派の音楽では細部よりも全体の流れや響きを重視した演奏会場が好まれたのだが、後期ロマン派ではオーケストラの大型化で大音量や対位法の細部を聴ける演奏会場の必要性が出てきた。 このときに造られたアムステルダム・コンセルトヘボウはシューボックスなのだが、より大きな容積があり後期ロマン派の音楽に適合していると言えたし、ワインヤードのベルリンフィルハーモニーは、容積が大きいので音の飽和が少なく,シューボックスよりは響きが抑えてあるので演奏の細部がわかりやすく後期ロマン派に適したホールと言えるのだ。

つまりシューボックスとワインヤードで、そのホールで演奏するのに適したクラシック音楽の種類も違ってきて、もとはと言えば時代の流れに沿って、この奏でる音楽の種類が変わってきて、シューボックスやワインヤードというコンサートホールの形状を造ってきたのだということを言いたかった。


でも既述のように、容積が大き過ぎると、ロングパスエコーの問題もあり、逆に広すぎてもダメ。反射音とのバランスも考え、音密度を高くしつつも、それでいてスケール感がでる容積という条件を折衷するのもコンサートホールの大切なファクターなのだと思う。


以上の7項目が、自分がコンサートホールの音響をジャッジする主なポイント。いままでの経験による自分の総決算で、大体ホールの音響を決めるポイントは、ここら辺にあるのではないかな、と感じるところ。

でもこれからもどんどん経験していくので、新たに発見することも多し。

その都度日記にしていきます。

つぎにコンサートホールの音響の仕組みについて、自分の理解の範囲で書いてみます。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その2 [コンサートホール&オペラハウス]

④直接音と響き(間接音)の対バランス比


コンサートホールの座席でステージの音を聴く場合、必ずステージからの直接音と、壁、天井、床などからの反射音(間接音:響き)との合成音を聴いていることになる。

この直接音と響きの関係はホールの形状によって、いろいろシチュエーションが違ってくる。

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直接音と響きの対バランス比というと、大きく、その量の対比と、時間遅れの対比の両方が考えられるか、と思う。


まず量の対比。

これは座席選びに大きく起因してくる。

ステージに近く前方の座席であると(我々仲間のオーディオ業界では、これを”かぶりつき”という(笑))、ステージからの直接音は強烈に浴びるかもしれないが、天井、壁からは遠いので、反射音(響き)は聴こえにくい。

かぶりつきの欠点は、ステージ全体の音をバランスよく俯瞰できないことで、自分の座席に近いところの楽器は、強烈に聴こえるかもしれないが、少し遠いステージ位置になると、その楽器は遠く感じて、全体の音響バランスが悪く聴こえることだ。

天井、両側壁、床からの響きを感じるようになるには、やはり中盤から後方の座席がいい。
そのホール固有のホールトーンを感じるには、そのほうがいい。

直接音と響きの程よいバランス比を考えると、前方席より、中ほどの座席がいいだろう。

でもこれにはトレードオフがある。中盤から後方になるにつれて、響きが豊富になるにつれて、ステージからの直接音が不明瞭になること。音像が遠い感じで、甘くなり、音の迫力、臨場感、鮮度感がなくなる。

後ろになればなるほど、響き過多になる反面、直接音が不明瞭で全体のサウンドに迫力がなくなるのだ。ホールトーンをたくさん味わえる半面、そんなデメリットがある。

いわゆる”響きに音像が埋没する”、という表現が妙を得ている。

かつてサントリーホールの2階席右ブロックの上階の後方座席で、ポリーニのピアノリサイタルを聴いたときのこと。

まさに、ここの響きが豊富すぎて、音像が埋没するという感じで、ポリーニが強打の連打を繰り返すと、打鍵の単音の響きがどんどん連なり、まさに響きの混濁状態になって、とても聴いていられない経験をしたことがあった。

もうこれは個人の好みで、座席をカット&トライで試してみて、その直接音と響きの対バランスの好みを探るしかない。

自分も最初の頃は、理想論を突き詰め、直接音と響きを6:4くらいが好みかな、とも思ったが、最近はどうも自分の好みが確立されてきた。


やっぱり直接音が大音量で、明瞭であること。腹にズシンと響いてくるサウンドが好きだということがわかってきた。中段から後方の座席では、全体の音響バランスはいいかもしれないけれど、直接音があまりに不明瞭で、なんといっても迫力がないというか、サウンド自体がこじんまりしていて、聴いていて真に感動できなくて、欲求不満になることがわかってきたのだ。

やや前方寄りの座席で、それでいて響きも感じられる座席というのが自分の好みなのかな、と感じる。

もちろんケースバイケースもある。

自分が贔屓にして応援している女性ヴァイオリニストなどのソリストを間近で観てみたいという視覚優先の場合は、やっぱりかぶりつきの最前列で聴きたい願望がある。

演奏家を観るという視覚の問題も、コンサートにとっては大切な要素だからである。

あとオペラ歌手などの声もののコンサートの場合も、前方かぶりつきがいいと自分は思っている。声ってとても指向性が強いので、やはり正面から聴いたほうがいいと思うし、前方のほうが声の発生エネルギーも大きいし、腹に響いていい。

歌手の表情をしっかり拝めるのもいい。

そうすると、自分の好みは、中段から前方にかけての座席なのかな、と感じる昨今である。

ステージ両サイドの上階席が音響的にいいホールが結構多い。直接音と響きのバランスが非常にいいからである。大音量で、明瞭な直接音。それに対して壁、天井に近いので、反射音などの響きも感じやすいという理由からだと推測する。

でも自分の中には、オーケストラのサウンドの聴感バランス的には、端からではなく、やはりオケの真正面から聴くべし、という鉄則みたいなものを持っていて、ここが音響がいいという噂でも、やはり真正面から聴きたい、という信念がある。


ワインヤードのステージ裏のいわゆるP席と呼ばれる座席シートは、自分からはあまり積極的に取らない座席だ。一度ベルリンフィルハーモニーで座ったときに、聴いたオケのサウンドは、ステージ上の楽器の配置で近い順に聴こえるので、いわゆる真正面から聴いているのとは反対に逆から聴いているように聴こえるのだ。最後尾列の打楽器や金管の音が間近に聴こえて、後から弦楽器が聴こえてくるような感じでかなり違和感があった。

それ以来、あまり自分好みではないな、と感じた。

この座席は、やはり指揮者の表情を真正面から見たい、自分がオケ奏者になった気分で、ホールを見渡したいという動機が優先される人向きなのでは、と感じるところがある。




つぎに時間遅れの対比。

これは、個人の好みに影響される部分もあるが、それ以前に、この項目に関しては、ひとつのルールが音響の世界に存在する。座席選び以上に、そのホールの音響特性に依存するところが大きい。

これは直接音に対して、響きというのは、人が気持ちよく感じる遅れ時間というのが、データ上(というか実測上)決まっていて、いいホールほどその値になっているという神話があるのだ。(神話というより実測経験値)

響きのいいホール、つまり人が音響がいいと感じるホールは、直接音に対して、その初期反射音(直接音に対して、最初に反射する1次の反射音)が20~50msec以内の遅れになっている場合が多いということ。そして残響時間が、2.0~2.2秒。

これ以上、反射音が遅れると、逆に、わずらわしいエコー(ロングパスエコー)になって、ホール音響の欠点になってしまう。

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これはホールの容積に起因するところが大きい。ホールの容積が広いと、ステージ上の直接音に対して、反射する壁が遠すぎて、反射音が大幅に遅れてしまいエコーになってしまう。

やっぱり音響上の理由から、発音体の規模に対して、その適切なホール容積というのがある。
オーケストラのための大ホール、そして室内楽のための小ホールというように。

ホールの容積の問題は、響きのエネルギーバランスにも影響を与えると思う。

たとえば同じシューボックスでもウィーン楽友協会とアムステルダム・コンセルトヘボウ。

どちらもシューボックスの音響の優れたホールで世界屈指だが、その違いは幅の狭さ&縦長の違いにある。

ムジークフェラインのほうが縦長である。

これは反射音の響きの到達する時間(響きの長さ)と濃さ(密度)にも影響してくるのではないか、と思う。

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アムステルダム・コンセルトヘボウのように、容積が横に広いと、壁で反射された音が観客席に到達するまでに、到達時間は遅いし、ある程度エネルギーが減衰するはずである。

なので、響きの密度は薄くて、残響時間が長い。それは落ち着いた整然とされた秩序ある響きのように感じる。


ムジークフェラインの場合、縦長でその容積が横に狭いので、逆に、観客席への到達時間は速くて、その反射音が十分に減衰する前に客席に到達するのでエネルギーが高い。容積が狭いので、密度が濃いが、平行面での反射回数も多く、その分、壁で吸音される回数も多いということになるので、減衰も早く残響時間が短い。音がかなり濃くてホール自体が共鳴しているかのようなぶ厚い響き(でも響きの長さは短い)になる原因になっているのだと思う。




容積が小さいと反射音のエネルギーは大きくて、伝播時間(到達時間)も短くて、密度も濃いのだが、何回も反射を繰り返すので、壁での吸音が多くなり、反射音のエネルギーの減衰が早い。(ウィーン楽友協会の音響の場合)


逆に容積が大きいと反射音のエネルギーは小さくて、伝播時間(到達時間)が長くなり、密度も薄くなるけれど、反射の回数は少ないので(吸音少なし)、エネルギーの減衰が遅い。(アムステルダム・コンセルトヘボウの音響の場合)


もっと感覚的な表現で言うと、上図のスペクトラムを見てもらえば、ウィーン楽友協会は響きが濃くてドッと一気にやってくる感じで、アムステルダム・コンセルトヘボウの響きは穏やかな響き具合で、滞空時間が長い感じというのがイメージでわかるだろう。(でもコンセルトヘボウも実際に聴いたときは響きはとても豊かでした。)





普段オケを聴いているときに、直接音に対して、最初から響きが混入している状態というより、直接音に対して、やや響きが遅れてくる感じで、直接音を強化する感じの程よい遅れ具合、分離し過ぎない程度の遅れ具合が、気持ちのいい、音響のいいホールと言えるのだと思う。
                                                                                                                                                           
                                                                                                                                                          
直接音に対して時間的に遅れてくる響き(反射音)の聴感上の役割というのは、わかりやすい表現をすると、聴いていて、そのホール空間の広さ(空間感)、立体感を感じるような感覚を助長する役割なのだと思う。直接音に対して響きが分離して遅れて聴こえるほど、その効果は大きい。逆に最初から直接音に被っている状態だとその効果は軽減されるのだと思う。
                                                                                                                                                          
                                                                                                                                                          
この直接音に対する響き(間接音)の遅れ具合というのは、ずばりホールの容積に起因してくるものと思われる。直接音に対してどれくらい響きが遅れてくるか、というのは、まさにその反射音の伝搬距離に関連するところで、ホールの容積が広ければ響きは遅れて聴こえるし、逆に広過ぎればロングパスエコーになる。ホールの容積が狭いと反射音の伝搬距離が短いので、直接音に対して響きが被る感じになるのだと思う。




⑤音色と響きの質感(硬質&軟質)


これもホールの音響を感じ取る上では、とても大切なファクターである。
もう聴いた感じの印象そのもので、ライブ&デッドに次いで、わかりやすい印象要素だと思う。


音色や響きの質を決めているのは、ホールの壁の材質なのではないか、と思っている。簡単に言えば、石作りのホールと木造ホールでは、その音色と響きの質では、ずいぶんその印象が違う。

ずばり石作りのホールは、とても硬質な音質、響きで、木造のホールはとても暖かい柔らかい音質、響きの音がする。

石のホールは、ピアノの音でも、ピンと張り詰めたような音で、響きもワンワン響く感じでかなり残響感が豊富。

第1に石の空間は、壁での吸音がなくて反射オンリーなので、エネルギーロスもなく、響きの滞空時間がとても長いのだと思う。この音印象は、石造りの教会での音を聴けば容易に想像できるであろう。

それに対して木のホールは、同じピアノの音色でもエッジが取れた感じの柔らかい音がする。でも響きは同じようにとても豊か。

ヨーロッパでは、木造のホールに音響上の失敗はないと言われていて、その原因が木材が低音域をほとんど反射し、高音域を程よく吸収するため、残響時間に高音、低音でばらつきが少なく平坦になりやすいことにあったりする、と言われている。

つまりリスポジの座席での高域と低域での位相遅れがないということだから、これがピタッと揃っているのは、聴いていて心地よい音響が得られるのであろう。音響のクオリティが高いといえる。

昔からの名ホールと呼ばれる壁質は、漆喰塗りを使っているところが多い。先述のウイーン楽友協会やアムステルダム・コンセルトヘボウなんかそうである。

漆喰はどこかの周波数にピークを持つことがなく、どの周波数帯にも平坦な特性を持ち、可聴帯域外ではブロードで減衰するので、耳で聴いている分には音の細やかさというか粒子の細やかさな感じがして秀逸なのだそうである。

(自分もオーディオルーム作るときは漆喰塗りにしたい!(笑))

最近、自分が石作りのホールでその音響に大感動したのは、松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)であった。

音色の芯が濃くて太く(特にフルートの音色)、がっちり安定して聴こえて、音像もキリッと鮮明。響きが豊富なので、ピアノは混濁寸前。(笑) でも響きが豊富なホールにありがちな「響きに音像が埋没する」という現象はなかった。

音像と響きはきちんと分離して聴こえていた。


とにかくピンと張り詰めた感じの硬質な響きに囲まれている感じで、ヨーロッパの石造りの教会で響きに囲まれている感じの印象だった。


ふつうの一般人が直感的に、「これは音響がいい!」と感じるのは、石造りのホールのほうが感じやすいかもしれない。それだけ聴感上分かりやすいし、鮮明でビビッドな音響で、いい音響だと第1感的に感じやすいのではないか、と思う。  







コンサートホールの音響のしくみと評価 その1 [コンサートホール&オペラハウス]

ここ数年の経験をまとめてみようと思った。そのときそのときの経験は、日記に書いてあるのだが、それをひとつにまとめて俯瞰してみるのも大切なことではないか、と。自分なりの総決算!

もちろん独学、我流で、自分のいままでの経験値にもとづいて考えた内容で、それに専門書で学んだ知識を少し補足して形式を整えたものである。

専門家の方からすると、これが正しいかどうか不明だし、間違い、思い込みも多々あることをご容赦願いたい。

一般市民には敷居の高い建築音響の世界を、数式をいっさい使わずして、わかりやすくイメージを伝えることが自分の狙っているところでもある。

自己満足の世界かもしれないが、いままとめておきたかった!
今日から7日かけて連載する。
                                                         
                                                       
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ホールの音響のしくみは、要は、ステージ上での発音体が発する音が360度無指向に広がっていく音を、ホールの形状、容積、壁の材質、反射板などの仕掛けなどによって、いかに客席にその音の流れを持っていくか、ということころに、設計のポイントがあるのではないか、と思う。

ホールの音響のしくみについては、詳しくは、後日の日記にて。



なにをもって、ここのホールの音響がいいのか、を判断する基準。

①ステージ上の発音のエネルギー感が、しっかりと客席に届くこと。
②ホール内の暗騒音 (S/N比)
③ライブ(響き多め)またはデッド(ドライ)(響き少なめ)。
④直接音と響き(間接音)の対バランス比(量と時間遅れ)
⑤音色と響きの質感(硬質&軟質)
⑥帯域バランス
⑦再生空間のダイナミックレンジ、スケール感


まず思いつくのは、これらの項目だ。


①ステージ上の発音のエネルギー感が、しっかりと客席に届くこと。


一聴衆の立場からするともっとも大事なのは、このポイントだと思う。音響がよくないホールは、大体がステージ周辺で音がこじんまりと鳴っている感じで、それが客席まで飛んでこない。そんな印象を受けるときがこれは最悪だな、と感じるときだ。

最近の最新鋭のホールは、ステージ上の音を客席全体に回す仕組みができているので、このような症状はあまりないのだが、古い時代の設計のホールは、よくこういう症状に遭遇する。

この項目は、まず基本中の基本なので、これが成り立たないとホールの音響理論は語れない。

コンサートホールは、ホール設計者の立場からすると、もちろんホール内を均一の音響で、どこに座っても同じ音響になるように設計することは最初の志でもある。

建築の前段階である模型を作って、音響シュミレーションを何回も繰り返して慎重に慎重を重ねる。

でも出来てから、実際はどうしても、実体験を重ねると、座席によって、スィートスポット&デッドスポットなどの音響のムラというのができてしまうのは仕方ないのかもしれない。

自分が難しいと感じるのは、1階席の平土間の中段から後方にかけての座席。
古いホールだと、大体ステージ上の音が飛んでこない、という経験をすることが多い。

音は空気の疎密波なので音の空気中での伝わり方はすべての波の伝わりと同じ性質のものと考える。発音体から出た音は、一様な空気中であれば、発音体を中心として球面となって広がっていくのが基本。この球面に垂直な方向が、音の伝わる方向とよばれるもの。

そういう意味で、球面上に垂直な方向が音の進行方向なのだから、ステージから上はもちろん横にも伝わるはずなのだが、ホールって大抵ステージを端において縦長だ。


そうするとどうしても音のエネルギーの減衰で、平土間縦方向の後方は苦しいものがあるのだ。

それを補うのが間接音(反射音)であるのだが、シューボックスならまだしも、ワインヤード(今の時代ではヴィンヤードという呼称が正しいようだが、自分はワインヤードという呼び方がシックリきていい。)だと、古いホールだと反射板などの仕組みはステージ上方にはあるけれど、ホール全体に音を同一密度分布で拡散させる仕組みにはなっていないので、厳しいのだと推測する。

よく巷で言われている平土間だとステージ上の音が、頭の上を飛び越えていってしまう感覚とか。。。


自分は、このホールの音響がいいかどうか、のファースト・プライオリティは、この項目を第1優先にあげている。

これが成り立たないと、全く楽しめないし、この後の理論に進めないからである。



②ホール内の暗騒音(S/N比)

これはホール外からの遮音性能にもよるが、古いホールだと外部の騒音がそのまま内部に聴こえたりすることもある。

米カーネギーホールは、外のすぐ近くに地下鉄が数本張り巡らされていて、その電車の走る音が中まで聴こえてくるとか。

最近のホールでは、この遮音性能も重要な建築設計条件なので、ひどいことは滅多にないが、自分がホールに入ったときにまず気にするのは、このポイントでもある。


ホール内に入ったときの暗騒音をまず聴いてみる。

いいホールだと、入った瞬間、S/Nがいいというか、空気が澄んでいる感じがするのだ。デッドである無音とはまた違う意味で、ほどよいクリーンな暗騒音を感じ取れる。

古いホールだと、外部の騒音が内部に聴こえてきたり、空気が淀んでいる感じがする。

あと観客の話し声などや、開演前のステージ上での調音などの音でも、大体ライブなのかデッドなのか、そのホールの素性が、この暗騒音を聴いている時点でわかってしまう。だからこの瞬間のプロセスは、自分にとってはとても大切な本番前の儀式でもある。

あと、このホール内の空気が淀んでいなく、澄んでいるS/Nがいいというファクターは、演奏時の楽器の音が鳴りきったときに、ホール内の空気にすぅ~と消え去っていく余韻の美しさにも影響してくる。

音響のいいホールというのは、この消え去っていく余韻の美しさがじつに素晴らしいのだ。

この項目を書いていると思い出すのが、コンサートホールの響きのパラメータである残響時間。この残響時間が長いと響きが豊富でライブということになる。響きの豊富な音響のいいホールは、大体目安で、2.0秒あたりの残響時間が相場のようである。


残響時間の測定は、ホールの外部からの遮音も考慮されて深夜の真夜中に行われるのだそうだ。

基本は、ホワイトノイズのような試験シグナルをホール内にザーッと一斉に流して、それを切った時に消音するまでの時間を測定するのである。それをホールのいろいろな場所で行うのだ。

残響時間というホールの音響空間の評価方法は、音響空間における短い時間発射された音波が時間経過の中でどのように室内に伝わり、絶息していくかをテーマにしたものなのだが、自分的には、単に持続する時間の長さだけではなく、その消えゆくさま、余韻の美しさもいいホールの基準としたいのだ。

自分の音楽鑑賞において、ここはかなり大切な要素でもある。



③ライブ(響き多め)またはデッド(ドライ)(響き少なめ)。


これはホールの音響の印象では誰もが最初に思いつく項目なのではないか、と思う。
もちろんデッドよりライブなほうが、音響がいい、というイメージはやはりある。
自分ももちろんライブな音響のほうが好きである。

でもデッドであることが必須の場合もあるのだ。
それは演奏家が使うスタジオなど。

これは演奏家が、自分の奏でる音色を正確にモニターすることが1番の目的でもあるので、余計な響きで邪魔されることがご法度だからでもある。だから大抵スタジオはデッドである。

自分の奏でる音色の正確なモニターという目的から、響きのあるホールでの演奏のシチュエーションに移れば、演奏家は、自分の奏でる音の他に、どのようにその響きと付き合うか、というもうひとつの課題に向き合うことになる。

あるホールをホームグランドにしているオケはどのように演奏すれば、そのホールの響きと上手につきあえるか、よく熟知しているが、これがアウエイのホールに遠征になると短いリハーサルの中で、その響きとの上手な付き合い方をマスターしないといけない。

コンサートホールって、そのホール自体で、独特の固有のホールトーン(ホールの音&響き)を持っているからである。




 


ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2017 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ベルギー、ブリュッセルを心から愛する自分からすると、このブリュッセル・フィル初来日という話題は、とてもユニークで興味をそそられた。


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まず、ブリュッセル・フィルってはたしてなにもの?(笑)


クラシック愛好国である日本でも、ほとんど知名度がないオーケストラで、自分もはて?どんなオケなのだろう?という思いがあった。でもいろいろ調べてみると、じつは今年で創立80周年を誇る伝統あるオーケストラで、近年のツアーではウィーン・ムジークフェライン、ベルリン・フィルハーモニー、ロンドンやパリの檜舞台で爆発的成功を収めて再演の依頼が絶え間なく、ヨーロッパで評価が急上昇しているのだそうだ。


なんと自分の自主制作レーベルも持っている。


そしてなによりもあのベルギー、ブリュッセルで開催されるエリザーベト王妃国際コンクールで伴奏をつとめているのが、このブリュッセル・フィルだということ。これはかなりしっかりと芯のあるオーケストラだなと見直すきっかけにもなった。


そしてなにより自分を感動させたのは、満を持して臨む初の日本ツアーで、オーケストラも自己のファンドから数千万円の国際航空運賃の負担を自ら申し出て臨む、という気合十分な対応だったということだ。


日本では、愛知・東京・札幌・金沢・姫路・東広島・観音寺・福岡の8都市を回るのだという。


知名度の低さということもあって、広告費などもあまり十分にないような感じで、今回のツアーもほとんど知られていない感じ。自分も東京公演の直前に知った。ツアーマネジメント体制もひ弱なのかもしれない。


ベルギーのオケということもあって応援がてらぜひ当日券で行ってみようと思った。


久しぶりの東京芸術劇場。

前方のかぶりつき席にした。


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知名度の割には、ほとんど満員御礼であった。うれしい限り。

楽団員は女性団員がかなり多い感じがした。
クラシックの厳粛な風情というより、より砕けた感じでリラックスした雰囲気が漂っている。


まず驚いたのは、その弦楽器をはじめとするオーケストラの発音のエネルギーがすばらしく大きいこと!まさに大音量と言っていいほどで、これには心底圧倒された。がっちりと根太い低音で土台を築かれた和声感のある厚みのある弦のサウンド。非常にうれしくなった。


自分好みのオーケストラサウンドだからだ。


全曲を通してテンポが速かったような気がするが、とにかく大音量で、とても切れ味のある力感、迫力に圧倒された。全体のバランスもいい。


素晴らしいオーケストラじゃないか!


自分の解釈では、確かにアンサンブルの所々に荒さは散見されるけれど、間違いなく一流のオーケストラの力量は秘めていると確信できる。


素晴らしいと感じた。


これだけの力感と大音量であれば、絶対オーディオマニア受けするオケではないか、と思ったほどだ。(笑)

敢えて言えば、金管の音色がややプアだったかな、と気になったくらい。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と、交響曲第3番「英雄」という、まさにドイツ・ロマン派の重厚な音楽の横綱相撲と言っていい。このブリュッセル・フィルのとても力強い分厚いサウンドにぴったりとイメージが合致していた。


皇帝の独奏ソリストであったモナ=飛鳥・オットさん。
実際の素顔は、意外や普通っぽい親しみやすい美人。やや線が細い感じで繊細なタッチという印象ではあったが、奇をてらわない堂々たるスタンダードな演奏解釈で素晴らしかった。


素直に感動できた。


最後に指揮者のステファヌ・ドゥネーヴ。2015年より音楽監督に就任したばかり。元気いっぱいのパワフルな指揮振りで熱い情熱を感じる指揮者だ。とにかく好感をもてるのが、ステージ上での所作がお茶目でユーモアたっぷりで、全くクラシックぽくないところだ。(笑)こういうタイプの指揮者は初めて観る。


すべてにおいて、合格点であったブリュッセル・フィル。
自分の愛するベルギーにこんな素晴らしいオーケストラが存在していたなんて!


なんとうれしいことだろう!


今回の日本縦断ツアーでしっかりその印象を日本国民に刻み込んで欲しい!とくに金沢・姫路・東広島・観音寺は、ふだんクラシックのオーケストラがコンサートに来ることなんて、滅多にないことだと思うので、十分楽しんで、そしてその勇姿を聴衆にがっちりと刻み込んで欲しいと思う。




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サイン会でのモナ=飛鳥・オットさん




ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2017

2017年06月11日 (日)14:00 開演  東京芸術劇場

コネソン:フラメンシュリフト (炎の言葉)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」

(ソリスト・アンコール)
リスト ベネツィアとナポリより、カンツォーネ

(休憩)

ベートーヴェン:交響曲第3番 「英雄」

(オーケストラ・アンコール)
シューベルト ノザムンデより第3番




山田和樹 [クラシック指揮者]

小澤征爾さんの後を継ぐような「世界の~」という冠が付く日本人の指揮者が、今後現れるかどうか。。。たぶん、あと20~30年は無理なんじゃないか、とも言われているし、自分もそう思う。そんな中で山田和樹氏は、将来の明るい展望が待っているそんな小澤さんの後を継ぐ1番手の将来の期待のホープであることは、誰も異存はないだろう。


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自分もとても期待している。

山田氏の音楽は、自分の場合は、PENTATONEでのスイス・ロマンドのSACDをほぼ毎日のように聴いている。

過去からずっと発売されてきた山田和樹&スイス・ロマンドのアルバムは、ほとんど全部収集して、徹底的に聴き込んできている。

どちらかというとPENTATONEの場合の山田氏へのアプローチは、大曲というよりは、小作品集といったコンセプチュアルな企画ものが多く、これがまた聴いていて、疲れないし、ついつい毎日聴いてしまう原因なのかもしれない。

最近発売されたスペインの作曲家ファリャの作品集は、これは本当に素晴らしい出来栄えで、もう毎日聴いている。

そんな万事が順風漫歩な彼なのだが、自分としては、じつはちょっと厳しい見方をしている。

それは、あまりにスマートになんでもできてしまうこと、若いのに頭も抜群に切れる見識者、そして日本のクラシック業界が彼を将来の日本を背負って立つスター指揮者に育てるべく、とても大事に扱って、いろんなビジネスチャンス&経験を与えていること。

確かにこれにとやかくいうつもりは全くないのだが、あまりに過保護というか、なんでも完璧にスマートにできてしまうことに、なんというのか、存在としての渋み、重量感がないというか、自分にとってクルものがない。

まだ若いから、なのだけれど、彼がまさに指揮者としては、60歳~80歳、つまりおそらくは大指揮者として世界中から認識されるような年頃に”巨匠”と呼ばれるような滲み出る渋み、重さのオーラが出るには、やはり若い頃の血の滲み出るような苦労、失敗の失敗を重ねてこないと、そういうものは滲み出てこないものなのだと思う。

小澤さんは、ある意味苦労の塊のような波瀾万丈な人生だった。カラヤン&バーンスタインの弟子になれた幸運もあるけれど、N響事件、日本と決別して海外でやっていく決心、小澤さんは元来、正直そんなに器用な人じゃないと自分は思う。

でも情熱と実力、そして苦労に苦労を重ね、そしてやっぱり運も必要。そういう波瀾万丈の人生を歩んできたから、晩年にその重み、年輪が発酵するような形で巨匠のオーラが出るのだと思う。


自分は、いまの山田氏を見ていると、あまりにスマートすぎて、大切に扱われ過ぎで、メディアも大絶賛、そういう苦労を重ねる上での年輪のようなものを構築するプロセスがないような気がするのだ。

ときには、メディアのバッシングも浴びなくてはならない。育てるにはそうあるべき。

自分な見方なのだけれど、人間、もうちょっと不器用なくらいなほうが、将来歳をとった時、いい味を出すんじゃないかな、と思うのだ。

まっこれは、幼少時から挫折、失敗の連続だった自分の人生なので(笑)、そういう育ち方をしてきた自分からすると、山田氏はあまりにスマートすぎて、このまま順調に歳を重ねても面白味を感じない指揮者になるのではないか、と思ってしまうのだ。

これは劣等人生だった自分のやっかみだと思ってください。(笑)

小澤さんに共鳴できるのは、けっして器用な人ではないし、苦労の年輪が見えるから。

山田氏をはじめて観たのは、小澤さんのピンチヒッターでのサイトウキネン松本。このときはピットだったので、よくわからなかったのであるが、2回目に観たときは、サントリーホールでのスイス・ロマンド&樫本大進ソリストでの公演。

大変素晴らしかったのだが、自分には騒がれている割には、軽い感じがして、指揮者としての存在感が希薄だった。

山田氏に厳しいことを書いてきてしまったが、あくまで劣等人生の自分から見てのやっかみ。才能は抜群!将来の日本を背負って立つ指揮者であることは間違いないので、頑張ってほしいことは間違いない。

苦労してほしい!メディアもただ持ち上げるだけでなく、育てるために厳しく論評することも必要。

そして巨匠と呼ばれる年代には、滲み出る様なオーラを出しまくってほしい!


応援しているからこその愛のムチです!




コ・プロデュースという発想 [録音関連]

今年の東京・春・音楽祭でヤノフスキ&N響による4年間に渡るワーグナー「ニーベルングの指環」の演奏会形式が無事終了した。最後の「神々の黄昏」。いろいろアクシデントはあったが、終わってみれば素晴らしいの一言。マエストロ ヤノフスキとN響の勇士達には、本当に感謝の念を尽くしても足りないくらいである。


もう何回も紹介しているが、自分のワーグナー人生にとって、ヤノフスキという巨匠との出会いは、ある意味運命のようなもので、ここから信じられないような素晴らしいワーグナーの魅力との出会い・ドラマが始まった。その運命のきっかけになったのが、ヤノフスキ&ベルリン放送響がベルリンフィルハーモニーで行ったワーグナーオペラ10大作品の演奏会形式のコンサート。PENTATONEがその10公演をライブ録音で収録して作品化している。


自分は、非常に幸運なことに、このヤノフスキ&ベルリン放送響の演奏会形式のコンサートを、現地ベルリンで実演に2回も接することができた。(ニュルンベルクのマイスタージンガーとタンホイザー)すべては、この出会いから始まったと言っていいと思う。そして去年は、その念願のワーグナーの聖地バイロイトで、バイロイト音楽祭にも行くことができた。


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ワーグナー主要オペラ10作品ライヴ録音全集 
ヤノフスキ&ベルリン放送交響楽団(32SACD+DVD)




前々から気になっていたことなのだが、PENTATONEの録音のクレジットを確認すると、非常に頻繁に見かけるのが、ドイツの公共放送ドイチュラントラジオ・クルトゥーア(Deutschlandradio Kultur 以下DLR)という組織体がクレジットされていることだ。


今回の日記はテーマはこのDLR、そしてコ・プロデュースという概念について。


PENTATONEはレーベル、つまりレコード会社で、ポリヒムニアは録音、ポストプロダクションをつかさどる会社。ポリヒムニアが録音、ポスプロしたものをPENTATONEがSACDとして世に出すわけだが、そのクレジットの中にこのDLRという組織も必ずクレジットされている作品が非常に多いのだ。


またPENTATONEだけではなくて、myrios classicsというこれまた高音質指向型のマイナーレーベルであるクレジットにも、このDLRという組織体を目にすることが多い。


どうも気になって仕方がないので、いろいろググったりして調べてみたら、非常に面白い事実がわかった。


名古屋芸術大学 長江和哉氏が詳しいレポートをおこなっている。

長江氏は、2012年にいわゆる欧州のトーンマイスター制度について習得すべく、その本場ベルリンにて留学をなされていた。トーンマイスターという制度そのものが、当時日本ではあまり馴染みがなく、その実態を学ぶべく、といったところであろうか。それ以来、トーンマイスター関連情報に関して、欧州現地と日本との窓口のような役割を果たされている。このヤノフスキ&ベルリン放送響のワーグナー・チクルスでのポリヒムニアの現地収録にも立ち会われてレポートしている。


その中に、このDLRという組織体、つまりコ・プロデュースという概念について、とても興味深いレポートをされていて、自分は大変参考になったので、紹介してみたい。原典は、サラウンド寺小屋塾というサイトでその記事を知りました。(詳しくは、そちらを覗いてみてください。)


この公共放送のDLRという組織は、ドイツ内のクラシック音楽のさまざまな録音をコ・プロデュース(共同制作)しているのだそうだ。


文字どおりコ・プロデュースというのは共同で原盤を制作するという意味なのだが、このDLRのコ・プロデュースは、作品のラジオ・オンエアを行う目的で、録音技術、録音スタッフ、場合によっては録音場所等を援助しながら制作し、作品のリリース自体は外部レーベルから行うという手法なのだそうである。


つまり自分たちが放送媒体機関、つまりメディアであるが故に、そこでのオンエアをさせるために再生する原盤を作成させる援助をするということ。そして原盤自体は外部レーベルからさせる、ということらしい。DLRのコ・プロデュースの多くは、ベルリン・フィルハーモニー、コンツェルトハウス・ベルリンと、ベルリン・イエスキリスト教会で行われている。


放送メディアでオンエアさせるために原盤作成を援助するという(こういう制度って日本にあるだろうか?)、この独特のDLRのシステム。これはドイツ独特の制度なのだろうか、非常に面白い制度だと思った。同時に自分の長年の謎が解けたような気分だ。


DLRは、2006年からこれまでに、200枚以上の作品をコ・プロデュースしている。


このDLRによるコ・プロデュースの最近での大きな成果が、じつはPENTATONEから出ているこのヤノフスキ&ベルリン放送響のワーグナーSACD全集なのだ。


このコ・プロデュースの背景には、DLRがRSBベルリン放送交響楽団、ベルリン放送合唱団、RIAS室内合唱団を運営するRundfunk Orchester und Chore GmbH (roc berlin)の一番の出資元であることがあげられる。roc berlinは、DLR(40%)、ドイツ政府(35%)、ベルリン市(20%)、ブランデンブルク放送(RBB)(5%)により出資されていて、だから、これらの団体は、ドイツの準公共放送オーケストラであるといえるのだ。


ある意味、NHKというメディア傘下にあるN響と同じ感覚のような感じがする。


収録チームは、DLR側ラジオオンエア用録音スタッフとして、トーンマイスター、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加し、PENTATONEよりプロデューサー、ポリヒムニアより、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加するとても大きなチームであったが、すばらしいチームワークで、このワーグナーの大全集を作り上げたのだ。


PENTATONEは自社設立10周年の2011年に向けて、今までどのレコード会社も行っていなかった10作品のワーグナーの主要オペラの録音を、同一の指揮者、オーケストラ、コーラスで行うことを決めた。


自分が現地ベルリンで2回の実演(マイスタージンガー&タンホイザー)に接したとき、もちろんそんな舞台裏など当時は全く知らなかった訳で、でもそのときは、なんか歌手がいつも同じだよなぁ(笑)ということは気づいてはいた。たとえば、マイスタージンガーのヴァルター役でありながら、タンホイザーでは主役のタンホイザーだったのが、ロバート・ディーン・スミスだったりした。


そういう背景がこういうバックグランドにあったんだなぁ、と思うとなにも知らない怖いもの知らずというか(笑)、自分はじつに貴重な体験をしていたのだ、ということを感じ、驚く次第である。チケット代がすごい高かったのが印象的だった。ベルリンフィル定期よりはるかに高かった。


それにしても、この放送メディア機関によるコ・プロデュースという発想、ドイツならではなのか、とても興味深く、自分の経験にも関連していて、いままでの自分が抱いていた疑問を払拭してくれる上でも大変参考になった。


レーベルが、放送ネットワークと共同出資で原盤を作成し、それをネットワーク媒体でオンエアすることで、そのプロモーションの一助になる。こういう試み、日本でもトライしてもいいのではないか、と直感ではあるが感じた次第である。








いまのレーベルは、録音エンジニアやスタジオは、外注業者が主である。 [録音関連]

いまのメジャーレーベルでは、スタジオや録音エンジニアなど職人に関するところは、要は儲けに直接関係ないということで、すべてコスト削減、スリム化のもとリストラされて外注のようだ。


もちろんいろいろと自分の目に触れることの多い記事や、自分なりに業界を俯瞰してのイメージに過ぎない。すべてのパターンを調べるのは、不可能であるし、一概にそうと決めつけるのは問題があるかもしれない。間違いな思い込みも多々あると思うのでご容赦願いたい。


今回のお題に関しては、自分もおおよそそんな印象を受ける。 確かに金食い虫であるだけで、儲けにはあまり関わらないだろう。


だったら、外注に頼んだほうが安上がりだ。


また外注のほうがより技術的にも専門的なスキルを持った業者が多いことも確かだろう。
レーベル社内で、そういった職人を育てていくだけでも大変なことだ。


そういえば、ポリヒムニアやEmil Berliner Studiosもよく考えれば外注企業だよな。


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(C) Polyhymnia International BV Facebook Page



もちろんすべてのメジャーレーベルがそうだ、という訳でなく、そういうケースが多いということ。
スタジオは昔から併設されているのを、そのまま使って、録音エンジニアなどの収録スタッフを外注で雇うとか、いろいろ形態はあるだろう。


でも、それってレーベルごとに受け継がれてきている伝統サウンドというものが、もう崩れてきて存在しない、ということを意味しているのではないだろうか?


DGであれば、骨格感のある硬派な男らしいサウンド。
1960年代ステレオ草創期を一斉に風靡したDECCAマジック。。。などなど。


そのレーベルごとに、そのサウンド、という特徴があって、それを堪能するのがオーディオマニアの楽しみでもあった。マニアはいつのまにか、レーベル単位で、その録音されているサウンドを想像することができた。でもいまは外注なのだから、それこそコスト重視で、アーティストごとにいろいろ違う外注に切り替えていたりしたら、それこそレーベルごとにサウンドの統一感なんて難しいことになる。


音楽が売れなくなってきているレーベルも、その体力維持だけで精一杯で、そんな職人システムを維持していくだけのパワーがないのはよくわかる。売上、儲けに関係ないんだから。。。


でも、それって本当に寂しいことだと思える。


いま現在、専用スタジオを持っていて、録音エンジニアが、その志を持って、しっかりと働いていける、そしてユーザにその作品を贈れる環境なのは、やはりマイナーレーベルなんだろうか。


彼らは、まさに「ユーザに高音質な作品を届けたい」というポリシーのもとで、会社を設立しているので、目的がはっきりしている。


だから自分の拘りぬいた専用スタジオを持つことはもちろん、優秀なトーンマイスターを極少人数でもいいから拘って雇う。というより、そのレーベルを立ち上げた本人がやっている場合が多い。


そういう点で、彼らはブレていないんだろう。


そういう彼らの作品は、確かにレーベルごとに、きちんと自分の考えに基づいたサウンド造りができている。音楽を制作している側の録音哲学(トーンポリシー)&主張がきちんとサウンドになって現れているのだ。


そういう発想を、膨大な音源を持ち、たくさん契約しているアーティストを抱えるメジャーレーベルの巨大組織に、そのまま当て嵌めるのは無理があるのかもしれない。


レーベル自身が自分の録音哲学を持っていて、それを自分の録音作品に反映する。


レーベルのカラー&ブランドをつくる。


それを実現するには、もっと小回りの利く小さな組織じゃないとダメなのだろうかな。


いずれにせよ、ネット配信が主流になってきて、音楽ビジネスのあり方も変わってこざるを得ない昨今、演奏家、そして録音エンジニアなどの音楽製作側の立ち位置、ありようもいまが過渡期なのかもしれない。


ポリヒムニアだって、PENTATONEやRCO Liveだけでなく、実際喰っていかないといけないんだから、たぶん出稼ぎ録音出張で、いろいろなレーベルの仕事を引き受けているんじゃないかな?


で、それはライナーノーツのクレジットに小さくポソッと名前がクレジットされているだけ。


もっと彼らにスポットを当ててあげたい!


世界中のコンサートホールやオペラハウスを飛び回っている大変な肉体労働者なんだから。(笑)





クラシック音楽の録音哲学「私たちはスコアを録音するのか、ホールを録音するのか?」 [録音関連]

かなり強烈で挑発的なタイトルに、思わず反応してしまった。(笑)
志のある人なら反応しないほうがおかしいだろう。

でもこれはあまりに深く難しすぎて、哲学的とさえ感じるテーマ。
ある意味、プレゼンター泣かせかな。


去年の11月にドイツ・ケルンメッセで開催されたドイツ・トーンマイスター協会主催の「トーンマイスターグッグ(会議)」の講演会のテーマ。

PROSOUNDの4月号と6月号の2回に分けて連載されていて、名古屋芸術大学 長江和哉氏が現地取材レポートしている。

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90分のラウンドテーブルというあまり堅苦しくない討議形式でおこなわれた。

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左からチェアを務めたウルリケ・アンダーソン氏(昔バイエルン放送でトーンマイスターをやっていて、いまAnderson Audio)、ダニエル・シュアーズ氏(Sono Luminus)、そして日本から深田晃氏(clream window)、モートン・リンドバーグ氏(2Lレーベル)という4人。



深田さんは、ゴローさんのパートナーだった人だ。(笑)

CBSソニー、NHKと渡り歩いて、いま自分の会社を立ち上げている。

日本におけるサラウンドの大家で、サラウンドのFukada-Treeのマイクアレンジを自分で考案・発明した人だ。

サラウンドの普及を自分の使命に思っていたゴローさんにとって、おそらくNHK内での技術面の指南役だった人なのでは、と想像する。

あのNHKのハイティンク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のBDソフトも、ゴローさんはプロデュース面から、深田さんは技術面からライナーノーツを寄稿している。

自分は深田さんにお会いしたことがある。はじめてサイトウキネン松本に行ったときに、ゴローさんに松本をグルグル案内してもらい、夜に自分のスタッフたち(全員で6人)を集めて、アジア料理系(?)のお店の夕食会に誘ってくれた。

その中に、深田さんはいた。(笑)

ボクのことをソニーにいた、と紹介してくれたときに、「あっ私もソニーでした!」と声をかけてくれた。

当時は当然まったくわかんなかったのだが、ゴローさんが亡くなって数年後に、じつはそんなスゴイ人だった、ということがわかって(顔写真でピンときた。)、恐れおののき、既述の関係が紐が解けるようにわかった。

散会のときに、「今後ともよろしくお願いします。」とわざわざ挨拶していただき、すごく恐縮したが、今思えばなんとも不思議な縁だ。



ディスカッションの内容を詳しく書くと、著作権というか、ネタバレ、本の営業妨害になってしまうので、詳しく知りたい方は、雑誌買って読んでください。(笑)


やっぱり志ある人にとっては、このテーマはかなり強烈だよな。

当然このテーマに対して、各4人がどのような考えを述べるのか、というのが最大の関心で、1回読んだだけでは、正直これ!と核心をついた、自分を感動させてくれた回答というか、要は白?黒?とはっきりさせて述べてくれた人はいなかったように思う。

やっぱりテーマがあまりに深くて難しいというか、これをジャスピンで核心ついて説明するのは難しいと思うよ。深田さんが述べていたことが唯一自分としては、共鳴できたし理解もできた。

やはりざっくばらんな討議会という形式なので、このテーマに対する回答というには、発散傾向というか、いまひとつまとめにくい、と感じたのか、レポートしていた長江氏も後日メール形式で、あらためて、「私たちはスコアを録音するのか、ホールを録音するのか?」というテーマを各4人に投げかけてその回答をメールでもらうという念の押しようだ。

この最後のメールの部分で、各4人の考え方がようやくクリアにわかって興味深い結末となった。


討論の中で、自分がドキっとさせられたのは、

演奏家はスコアを見て作品の音楽を解釈して演奏する。

それと同じで、音楽録音についても、レコーディング・プロデューサー&エンジニアも、同様にスコアを見て、そのスコアから「作品の音響的な解釈」をする必要がある。

スコアに忠実であるべき。

という下り。

やっぱりスコアを読めないとダメだ。(笑)

譜読み、スコアリーディングってやつですね。
ある意味当たり前のことだよな。

以前日記で書いたと思うが、

トーンマイスターというのはドイツの音楽大学ではじまった制度で、トーンマイスターコースを修了した音楽プロデューサー・ディレクター、バランスエンジニアの総称のこと、きちんとした資格制度の世界なのだ。

さらにその教育は、録音・音響技術のみではなく、音楽の演奏や音楽理論を始め、管弦楽法、総譜演奏、演奏解釈批評など、演 奏家と同等以上のスキルを身につけるというプロセスがあり、音楽家のパートナーとなるスペシャリストを養成することを目的としているのだ。

単なる技術屋さんではダメな世界なのだ。

そんな厳しい現実の世界を思い起こさせてくれた。

この討論会での各人の説明も、こういう楽曲を録音するためには、まずスコアを解釈して、音響面でどのように録ればいいのか、を推測し、マイクセッティングをどのように施せば、さらにそれプラス演奏家のポジション位置の判断、それによってイメージするサウンドでちゃんと録れるのか、その際にホールの音響をどう考慮して。。。のプロセスが入る。そしてミキシングも含め、後処理についてもそう。

そんな自分の録音した作品の事例を、上記のポイントに沿いながら紹介する、という説明が多かったと思う。

だから読んでいて、はっきりとテーマに対して、白?黒?という結論が得られない感じでモヤモヤした感じだった。でも最後のメール形式できちんと形になり各4人の考えがわかりスッキリした。


深田さんの言っていることで、いいな、と思ったところは、

良いレコーディングは、リスナーに音楽の芸術的満足感を与えるはず。

また録音された場所の空間的な印象は、その作品の原点(作曲家の想像の中の響きを含んだ音のあるべき姿)を見渡すことになる。

つまり「音楽録音は、事実の記録ではなく、表現者とリスナーの間で深い意味を作り出すこと。」

演奏されている空間を捉えるだけでは、良い音楽録音の前提条件にはなりえない。

録音と実際の演奏の違いは、視覚的にミュージシャンを見るかどうか。録音には視覚効果がないので、真に音楽だけを聴く必要があり、これが録音の難しさであり、また芸術性でもある。

ステレオ、サラウンド、3D(イマーシブ)と表現能力も高度化していくけれど、サラウンド、3Dは一般ユーザにとってシステムを揃えていくには垣根が高いこともあるし、ある意味ステレオでもこのような表現は可能だ、と言い切っているところかな。


ベルリンフィルのDCH(Digital Concert Hall)でのパナソニックとの協業。

パナはベルリンフィル側から、エンジニアではなく、楽器のできる人を派遣してほしい、と言われたそうな。(笑)

やっぱり。単なる技術屋ではなく、音楽への深い造詣が必要なのは、もうこの世界では、疑う余地もないことなんだということをガッチリ認識させられた。


とにかく読んでみてください。かなり専門的だし、志のある人なら断然面白いと思います。

ちなみにもう1冊のほうは、同じ「トーンマイスターグッグ(会議)」の講演会の取材で、エミール・ベルリナー・スタジオのシュテファン・フロック氏の講演を取材しています。


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シュテファン・フロック氏は、あのエレーヌ・グリモーをデビュー以来ずっと彼女の音を造り続けてきたトーンマイスター。

彼の講演テーマは、「クラシック音楽の録音芸術」について。

DGが出しているカンター・デ・ドミノは、彼の録音だったんだね。

その録音をはじめ、彼の自慢の作品群を取り上げています。






現地至上主義 [雑感]

昨今、いろいろ言われることの多いコストパフォーマンスの高い外来オケのコンサートについて、想うところがあった。

コンサートの楽しみ方なんて、個人の価値観や、考え方、お財布事情もあるので、どれが正しいとは言えない。個人の信念の思うように楽しまれればよいか、と思う。

でもちょっと?と思うのは、チケット代金の高い外来オケを日本で聴くくらいなら、現地のホールで聴いたほうが、結局はるかにいい、と日本の高騰チケット商戦を揶揄する意見。

確かにごもっともな意見で、自分も正しいと思う。「お持ち帰りできない音」ということで、現地のフランチャイズのホールで奏でる彼らのサウンドは、東京では聴けない、と日記にしたこともあった。


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スイス・ロマンド管弦楽団のフランチャイズ・ホールのスイス・ジュネーブのヴィクトリアホール。1960年代のステレオ録音草創期のDECCAマジックと呼ばれた優秀録音の数々はこのホールで生まれた。まさに、他の国のホールでは再現できない「お持ち帰りできない音」であった。




現地指向型、現地至上主義。でもすべてがそれだけじゃないでしょ?という気持ちもある。

1番大きいと昨今感じるのは、コンサートの感想を共有する人が、国内だとたくさんいるということ。もちろん新聞、音楽評論家などのメディアでの論評もそうである。

人それぞれ感性が違うので、他人と感想が違っても仕方がないが、自分と同じポイントで感動した方のツィートや日記を読むとすごくうれしくなる。コンサートの感動が倍増する。

メディア論評についてもしかり。プロなので、あぁぁ~いいこと言ってくれる~っ!という感じで感動することも多い。

コンサート通いや生演奏に浸っていくと、自分が行った公演の、他人の方々のレビューを読むのが、結構楽しみだったりするのだ。同じ公演を、他の人はどう感じたのか?とか。

こういう共有現象は、国内でコンサートが開かれるから、実現するのであって、海外では無理だと思う。

海外現地での公演は、確かにその場では感動するかもしれないけれど、その模様をネットワーク経由SNSで日記や、ツィートとして日本に速報したとしても羨ましがられるかもしれないが、共有現象はなかなか難しいと思う。悪ければ、こちらの熱い想いにも関わらず、受け手側は、意外や、ふ~ん、そうで終わってしまっていたりすることもある。

自分もその感覚があって、海外に行くと、毎回、自分からの一方的な押し付けのようによく感じてしまう。(申し訳ないと思っているのだが、やめられない。(笑))

「生演奏の感動を共有する」というのは、とても大切な要素で、毎回再生しても、いつも同じ演奏レベルに聴こえるオーディオの世界ではありえないこと。自分はオーディオ擁護派だけれど、この点は、やはり、そのとき、その場にいた、その感動、一発勝負!という生ものである「生演奏」に軍配があがる。

外来オケ、アーティストを日本に呼んでいるのは、招聘元、招聘プロモーターさんたちの存在だ。

よく巷では、「呼び屋さん」という呼称で呼ばれることが多いが、自分は、なんか下品というか、失礼な感覚で聞こえるので、あまり好きな呼び方ではない。

ここ数年で、クラシックのオケやアーティストを日本に招待してくれる招聘元の存在が、きちんと自分でも認識できるようになった。大手から怪しげなところまで(笑)。

招待ゲストのギャラ支払い、ホテル宿泊料、およびチケット興行での収入、および広告費の支出、コンサートホールの使用料、その他、コンサート実現までにかかる諸々のプロセス、そしてそんな収支の中から自分たちの利益も出す必要があって、これはこれで、結構大変な仕組みなんだなぁ、と思う今日この頃。

特に、現地に直接自分が会いに行かないと縁のないアーティストも実際いる訳で、そのようなアーティストを日本に呼んでくれたりすると、これは招聘元様様と拝むしかないのである。

去年で言えば、グルベローヴァ招聘(今年も来ます!)と、ユリア・フィッシャーだったかな、そう感じたのは。

今年はディアナ・ダムラウでしょう。(笑)

招聘元のアンテナ感度やアーティスト選択のセンス、というのが滲み出ますね。
大変な仕事だと思います。

そんな思いをして、日本に招聘する訳で、その公演を日本の観客、日本人として鑑賞して、その感動を日本人同士で”共有する”。

それは、海外のホールで、日本人自分だけの感覚より、ずっと連帯感あって心温まるんではないかな、と。最高に感動できる公演に巡り会ったときに、その感動をみんなでシェアして全員一体となって盛り上がり、その余韻に浸れるのは、日本にいるからじゃないのだろうか?

自分の中にも現地至上主義はないと言ったらウソになるけれど、あからさまにそれだけ、じゃあまりに冷血で、淋しすぎる。


外来オケやアーティストが日本で公演をやってくれることのメリットというのも、たくさんあって、そういう点ももっと見直されるべきものなのではないか、と思っていたりしたのだ。






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