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オーディオのちょいと気になる投稿。 [オーディオ]

FBのオーディオサイトで、ちょっと気になる投稿があったので日記にしてみる。 (写真ちょいとお借りしますね。)

1999年のSONYのSACDフォーマット発表時のフラグシップ旗艦機であるSCD-1/TA-E1/TA-N1/SS-1EDのフルセット。

合計400万。

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憧れた!

オーディオって男のロマンだと思った。

当時はとても買えなかったけれど、あれから10年後に中古市場に出始めて買える値段になった。

結局265万かかって揃えた。(^^;;

いまじゃ考えられん。当時は金持ってたんだな。

ソニーがプリ・パワーというセパレートタイプのアンプを開発したのは、おそらくこれが最初で最後。

パワーのTA-N1は故長岡鉄男先生の愛機として有名だった。

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中は、こんな感じ。これぞオーディオという巨大ケミコン。まさに物量投資型設計。

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プレーヤートランスポートのSCD-1は、ベストセラーのスタンダード名機となった。
固定光学ピックアップ方式の珍しい方式でお金かかっていた。

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スタビライザー装着の贅沢さ。スライド式の開閉スピードが重々しくて高級感ある。
でもピックアップがすぐに不調で読み取り不良になることで有名で自分も何回取り替えたことか!(笑)

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なんというのかなぁ、フォルムが美しいというか、このフルセットには、何とも言えない高級感が漂っていて、これぞハイエンドオーディオというものだと思った。

最近のハイレゾ機器に見られるような安っぽさを見ると、この時代に育った自分としては萌えないんだよねぇー。オーディオ機器ってやっぱりデザイン、フォルムってすごく大事。

そして、なんといっても、フルシステムの中でもっとも入手しずらかったのが、このスピーカーのSS-1ED。

定価210万!

日本に15台しかないと言われている。中古市場でも滅多に出なかった。ショーで見るぐらいしか縁がないと言われたSPだった。


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中の構造は、こんなになっていたのか!ウレタンが生々しい。

これを自分はあるオーディオの友人から、喫茶店でそのまま置きっぱなしになっていて普段も鳴らされていないようで、死蔵でインテリアと化しているようだから、売ってくれないかどうか商談してみる、と言われ、回答は翌日。

もう天にも昇るような気持ちで、ドキドキして待っていた。あんなに胸ときめいたことってなかったんじゃないかな?

そして商談成立の電話がかかってきたときは、もう昇天の気持ち。日本に15台しかないSPで、それを入手できる。

確か140万で買った。

他のSCD-1/TA-E1/TA-N1はすでに中古入手済みで、残るはこのSS-1ED待ちという状態だった。

代替えで、B&W Nautilus 803で、このソニーのシステムを鳴らしていたのだ。なんとかこの稀なSS-1EDを入手できないものか?毎日国内、海外のネットを睨めっこしていた毎日だった。

SS-1EDが配達される日、もうドキドキ。(笑)部屋に運ばれて、毛布を取られて、その姿を見たときは、あんな最高で、ときめく気持ちは、今後もそうないだろう。

SACD神話を裏付けるてっぺんに、スーパーツィーター付きで、100KHz再生可能。

ふつうSPって、30KHzまでが普通。高くて50KHzがせいぜいなもんだ。100KHzうたっているSPは、このSS-1ED以降いまでも聴いたことがない。

でも先だって、ダイナミックレンジの日記を書いたとき、DSDの信号処理って、ノイズシェーピングで、帯域内ノイズを高域に押しやっているので、50KHz以降はノイズの姥捨て山状態だということを書いたばかりだから複雑な心境。

自分も当時は、このSACD神話の広大帯域再生に騙されていた。(笑)

日本に15台しかない、このSS-1ED、そしてこのソニーの初代フラグシップ旗艦機フルセットの音をじっくり長期間に渡って聴いたことのあるオーディオマニアはそうそういないだろう。(笑)

みんなデモのブースなんかでちょい聴きくらいしかないはず。

自分は類まれな貴重な経験の持ち主かもしれない。

なんか記憶によると、インターコネクトやSPのケーブルは、PADの高級ケーブルを使っていたはずだった。SS-1EDはスパイク装着の3点支持。


ずばりサウンドは、というと、中域がガッチリした典型的なピラミッドバランス型のような感じだった。音の芯がとてもぶっ太くて、中域から低域の土台感がしっかりした感じのサウンド。量感の出るサウンドだった。

クラシックというより、ジャズやポップスのほうがいい感じもした。でも毎日クラシックをそれで聴いていた。

STW付きで、100KHz再生を唄っているほど、高域の伸びやかさはあまり感じなかったかな?
まぁ当時の自分のスキルの足りなさもあって、十分調教できていなかった、鳴らしきれなかったというのもあるだろう。

信じられないことに、同じ部屋にいまのB&W Signature 800のシステムも入れていたのだが(笑)、B&Wの音のほうが繊細さというか、解像度が高いような気がした。同じ部屋で同じソースで聴き比べしてるんだから間違いない。逆にB&Wでは量感が足りないと思った。

でもB&Wのほうは、あれから10年鳴らし続けてエージングして、だいぶ自分の好みのサウンドになってきた。Signature 800は本当に気難しいモニターSPです。

でも最近の新しいSPは、あまりに買ったときから簡単に鳴っちゃって逆に面白くないよね。(笑)

SS-1EDとSignature 800とでは、まさに正反対のサウンド。

その後、同じ部屋に2セットは、やはりサウンド調教的に無理と感じて、ソニーのフルセットのほうは売却した。

SS-1EDは珍しいSPなので、売るときはゴローさんが一声かけてね、と言われたので、そうしたら、ちょうど二子玉川別室で、DAITONEのDS-8000を鳴らし始めたときだったので、縁がなかったということになった。

その後、オークションは面倒だし、売れるまで時間がかかるので、御茶ノ水のオーディオユニオンで売却したら、それをゴローさんが発見。(笑)

なんだー!オークションで高く売るつもりだろうから、やめとこうと判断したのに、中古ショップで安く売っちゃうんだったらーあーなんだぁー!ってな感じで、残念がられていた。


結局何年保持していたかな? 4~5年くらいだろうか? でもいまでもそのサウンドはしっかり脳裏に焼き付いている。もう一回、調教してみたい気もする。

このフルシステムの音を長期間に渡って聴いたことのあるオーディオマニアは、日本でもほとんどいないと思う。



さて、もうひとつの投稿。

B&Wから801シリーズが姿を消えてから何年経つだろうか?

あまりに鳴らすのが難しすぎて、一般のオーディオマニアの手には負えないSPだから、とか、いろいろその理由の噂は飛び交った。

Matrix時代の801をはじめ、スタジオのモニターSPとしては、いわゆるプロユースの領域では、このクラシックな801をモニターの基準にしているスタジオは多い。

モニターSPというのは、ふつうの一般家庭で使われるリスニングSPとは、やはり区別される。鑑賞の場合なら、”ジャズっぽく聴こえる””クラシックっぽく聴こえる”などの色の付いたサウンドの鳴らし方をする設計も多い。

でもスタジオで使う用途は、エンジニアが正しく作業できないといけないので、正しく再生されるSPでないといけない。

つまり、周波数特性がフラットであることが大前提。

あと定位の分かりやすさ。これもコンソールで振り分ける作業をするうえで大切な要素ですね。

そんなNautilus 801を5本使ってサラウンドを組んでいる写真が投稿された。(笑)

すっげー!(笑)

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801が前に3本ある姿は、あまりに武骨でスゴイ。センターが802くらいが、美しいバランスが取れていると思うが。。。

どういうジャンルの音楽をミキシングするスタジオなんでしょうね。


世の中って面白い!








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池田昭子さんのオーボエ作品集 [ディスク・レビュー]

N響の華であって日本を代表するオーボエ奏者の池田昭子さんの7枚目のソロアルバム。

以前にも自分の日記で何回も特集したが、木管奏者、とりわけオーボエ奏者が自分のソロ作品集を出せるって、まさに華形スターの証拠なのだと思う。

自分は取り分けオーボエのソロ作品集には目がなくて、世界のオーケストラの首席オーボエ奏者が出すオーボエ・ソロのアルバムは、かなりコレクターしてきている。

特に、バッハ、モーツァルトのオーボエ作品集を録音するのは、ひとつの登竜門というか、晴れ舞台、一流の証のような気がする。普段は超一流オケの首席オーボエ奏者という立場で演奏し、その一方でソリストとして、このバッハ、モーツァルトを出すというのは選ばれし者だけが得られる特権のように見えてしまうのだ。

自分にとって、このバッハ、モーツァルトのオーボエ作品集で最初に虜になったのは、ベルリン・フィルの首席オーボエ奏者のアルブレヒト・マイヤー氏の作品。そしてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席オーボエ奏者アレクセイ・オグリンチュク氏の作品。本当に擦れきれるほど聴いた愛聴盤。

特に、バッハのオーボエ作品というジャンルは、オーボエ奏者にとって、ひとつの定番なのかな、と常々感じていた。ホリガー、ウトキン、ボイド、マイヤーなど 名だたる名手が同じような選曲のアルバムを作っている。


池田昭子さんは、N響の定期公演をはじめ、今まで、いろいろな実演に接してきたことはもちろんのこと、NHKでN響が登場する様々なTV番組でも拝見することも多く、とても親近感がある。 

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ご存知美人で、清楚な感じで、まさに華がある奏者。
もう隠れ大ファンと言っていい。(別に隠れる必要はありませんが。(笑))

美人奏者といっても、いわゆるギラギラしたこちらにグイグイ主張してくるような熱いタイプではなく、どちらかというと控えめで、涼しい感じの1歩引いた和風美人の佇まいが、なんとも魅力的だ。

自分とはひと回りも違うんですね。

ちょうど自分が前職時代で、人生の壁にぶつかり、暗黒の時代を過ごしていた1997年に、颯爽とクラシック業界に登場した。いま振り返ってみると、なんか自分の人生の明暗と入れ替わりというか、新しい時代の幕開けみたいな感じの存在のように思える。


東京藝術大学卒業。(1997年)
卒業時に、皇居内桃華楽堂にて御前演奏を行う。
1996年にオーボエコンクール第1位。(日本管打楽器コンクールなど)
1997~2002年 東京交響楽団在籍。
2000~2003年 ドイツ、ミュンヘンのリヒャルト・シュトラウス音楽院に留学。
2004年に、NHK交響楽団に入団。


まさに留学で、ミュンヘン在住でいらっしゃった2000~2003年は、その頃自分はというと、大病を患って、あえなく3年間会社を休職。いったん北海道の実家の親元に戻って、療養生活をしていた人生で最悪の暗黒の3年間だったのだ。(笑)

クラシックどころではなかった。

だから池田さんの活躍を認識するようになったのは、やはりN響に入団してからの活躍がメインになる。

N響ではオーボエが本職だが、じつはイングリッシュホルンの奏者としても、有名なのだ。

自分の記憶では、確かNHKの番組で、ダッタン人の踊りのあの異国情緒溢れるなんとも切ないメロディを、イングリッシュホルンで朗々と歌い上げていたのは、確か池田さんだったと思う。はっきり脳裏に刻まれている。


「のだめカンタービレ」のテレビドラマ版では、あのオーボエ黒木くんの吹き替えをやっていたのも、じつは池田さんだったそうだ。

N響首席オーボエ奏者の茂木大輔さん主催の「のだめコンサート」の東京初進出。
調布で開催されたが、自分ももちろん馳せ参じた。
オールN響メンバーという豪華なオケ編成で、池田昭子さんもソリストとして登場。

もちろん黒木くんの吹き替えでやったモーツァルトのオーボエ協奏曲をソリストとして演奏されていた。

なんかつい最近のような気がするよ。(笑)

終演後のサイン会。
手前から、高橋多佳子さん、茂木大輔さん、そして池田昭子さん。

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前置きが長くなった。

そんな池田さんの3年振りの7作目のソロ最新作。
まさにオーボエ・ソロ作品集が大好物の自分を十分に満足させてくれる大傑作と相成った。 


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池田昭子: Partita For Oboe Solo-j.s.bach, C.p.e.bach, Telemann


https://goo.gl/SkmEXJ


J.SバッハとC.P.Eバッハの親子やテレマンの無伴奏作品を収めた「パルティータ~無伴奏オーボエ作品集~」。オリジナルはフルート向け作品だそうだが、オーボエとしてフューチャリングされた作風もとても魅力的。

どれもバロック時代の作品だが、ご本人のインタビューでは、「自分はもともとモダン楽器の奏者。バロック時代の古楽奏法を学んでいる訳ではないので、それを下手にマネしても中途半端。自分なりに信じてモダン・オーボエとしてインスピレーションで演奏しています。」とのこと。


古楽様式に関しては尊重しつつも、やや苦手意識もある自分ではあるが、このアルバムを一聴して、思ったのは、純粋に美しい音楽として楽しめて、彼女の芯のしっかりとした音色で見事にその旋律を描き切っているということ。

そこに古楽もモダンも関係ないような・・・そんな卓越した次元の高さを感じる。


確かにバッハやテレマンの曲の旋律は、古典派でもないし、後期ロマン派でもなくて、やはりそれはバロック音楽そのもののメロディの音楽なんだけれど、聴いていて、それをあまり意識しないこと。オーボエの暖かい色彩に富んだ音色で、彼女のオーボエは芯が太くて安定している、そんな音色で奏でられる曲は聴いていて最高に気持ちの良い音楽だった。


音楽的にかなり楽しめる1枚だと思いました。

そして録音評であるが、これがちょっと驚きだった。自分は、かなり例によって(笑)、ここに反応してしまった。


レーベルがマイスター・ミュージック。


不勉強ながら存じ上げなかったので、調べてみたら大変なことを知った。

ヨーロッパにおいて、クラシック音楽の正式な録音を許可された、日本人初のディプロム・トーンマイスターによるレーベルなのだそうだ。

このマイスター・ミュージック、1993年に設立。このレーベルを立ち上げた平井義也氏は「トーンマイスター(Tonmeister)」というドイツの国家資格を日本人で初めて取得した人なのだ。

トーンマイスターに関しては、もう何回も日記で取り上げてきたので、今更深くは言及しないが、まさにドイツで始まった教育制度で、単に録音技術だけではなく、音楽学、作曲法、音響工学、電子工学などを総合的に教育される音の職人のこと。


日本で現在レコーディングエンジニアをやっている人で、このトーンマイスターの資格を持っている人は、じつは皆無なのだそうだが、平井さんは、その資格をきちんと取得した日本でも希有な職人なのだ。1970年代にデトモルト音楽大学に留学して理想論からピアノ、チューバなどの実技までをこなすと同時に、ドイツ各地でカール・ベームやカール・リヒターらの録音現場に立ち会う生活を送った。そしてこの資格を見事に取得したのだ。


マイスター平井さんの存在は、確かに昔、マイミク友人さんにコメントで指摘されて、その存在は記憶にあった。でもこうやって自分で学んでみて、”いまこのとき”に初めてその存在をしっかり理解でき認識できた。(笑)


世の中ってそういうもんだよな。


そのマイスター平井さんの録音のこだわりは、「シンプル」であること。

ちょうどコンサート・ホールの一番いい席で体験するような自然な音場を再現するために、まず、2本のマイクを1か所に立てるワンポイント録音を採用する。

収録する作曲家にふさわしい「響き」に演奏家の「個性」、そして楽器ごとの「バランス」などを勘案し、全てを満たした「一点」を広いホールの空間から探し出すという至難の業。

そこで生かされるのが、トーンマイスターとしての平井の鋭い耳と、経験と、なにより感性なのだそうだ。

更に、マイクにもこだわる。トランジスタ・マイクが録音現場の主流となっている中、ナチュラルで、奥行きのある音を求めて、マイスター平井は真空管マイクを使用。スウェーデン人、デットリック・デ・ゲアールが作る、世界で数組しかないというそのマイクは、高さ27cm、重さ2.2kgという世界一の大きさを誇る。

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これが平井さんの録音の秘密を生む必須アイテムなのだ。

今回の池田さんのアルバムは、大田区民センターの音楽ホールで収録されているのだが、池田さんは、このマイクの前で吹いていたに違いない。(笑)

マスタリングの部分も拘りがあって、編集が済んだハードディスクから直接CDの原盤を作る、ダイレクト・カッティング方式で臨場感のあるサウンドを作るのがポリシー。でもこれは確かにそうなんだけれど、実際は大量マスタリングなどでは、大量生産に向いていないしコストも高くつく。

今回のクレジットを見ると、制振合金「M2052」によるマスターディスクを使用してのカッティングとある。

日本で唯一のトーンマイスターの資格を持つマイスター平井さん、そして拘りのある真空管マイク、そしてダイレクトカッティング。

マイスターミュージックというレーベルは、こんなに高音質に拘りに拘りぬいたレーベルだったのだ。

池田昭子さんは、過去7枚のソロアルバムは、すべてこのマイスターミュージックからリリースしている。

オーディオファイルの自分にとって、この部分は相当反応してしまった。

じゃあ自分が聴いたそのサウンドの印象はどうなのか?


それは確かにいままでのオーボエ・ソロ作品集では聴いたことのない、ある意味変わったサウンドであった。自分はいままで体験したことがないと言える。

まず、オーボエの録音レベル、音圧が異常に高い。
再生した途端、自分は思わず、プリのVOLを普段聴いているポジションから10dB下げたくらいだ。

かなり近接的な録音で、オーボエの音が前へ前へ出るという感じのエネルギー感溢れるサウンド。オーボエの録り方でこのように聴こえる作品は珍しいな、聴いたことないな、と思った。


オーボエ・ソロ作品に多いのは、背景の空間をある程度広めに認識させて、オーボエをややオフマイク気味に録って遠近感を出させるようなサウンドが多いのだけれど、池田さんの作品は、空間はさほど主張せずに、どちらかというとオンマイク気味で、その音圧、録音レベルが高いという感じ。コンサートホールの最前列やかなり前方の至近距離で聴いている感じで、オーボエの音がかなり強調されているような印象を受ける。


それで、驚くのは、その解像度の高さ。池田さんの息継ぎの音がはっきり聴こえるのが驚きなのだ。かなり生々しく聴こえる。これは例の真空管マイクの解像度が高いことを意味している。

ピアノのペダルノイズが聴こえたりとか、演奏者のブレスが聴こえたりとか、いわゆる演奏ノイズが聴こえるのは、自分のオーディオシステムの解像度の高さを試されているみたいなのだが、この部分には、ひたすら驚いた。

演奏に集中できなくなるほど目立つのも困りものだが、こういう暗騒音、演奏ノイズというのは、演奏にある程度の臨場感を与える上でもとても効果的で、自分は肯定派だ。

非常に解像度の高い一種特徴のある優秀録音だと思った。マイスター平井の作風ですね。他の小編成の室内楽でも聴いてみたいです。

素晴らしい録音だと思う。ただのCDです。もうこういう次元だと、SACDだから、とか、ハイレゾだから、とかのスペックって関係ないとつくづく思う。やはり”録音がいい”、というのは収録、編集のステージのところで決まっちゃうもので、ここの段階が高い水準のものは、ユーザへ届けるスペックなんて、どれを使おうが関係なくて、みんないい録音に感じるというのは真実の定説なんだな、ということをますます意を強くした。

せっかくの池田さんのディスクレビューなのに、結局また自分のテレトリーで話をして申し訳なかったですが、どうしてもここに反応せざるを得ず、オーディオマニアのオーディオマインドをくすぐるじつに秀逸な録音に仕上がっているディスクだと思う。


これはぜひお薦めです!






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残響7秒! 東京カテドラル聖マリア大聖堂 [教会]

東京にもこのようなところがあったんですね。知らなかった。SNSの投稿で知りました。さっそく自分も体験してきました。東京の目白駅からバスに乗るので決して地の利はいいとは言えない。

「東京カテドラル聖マリア大聖堂」は世界に名を馳せる丹下健三作品の代表とも言える建築のひとつ。国内でどうして見ておかないといけない名建築のひとつとか。

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まさに圧倒される大空間。

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壁面は、コンクリート打ちっぱなしの反射オンリーのすごい世界。
三角錐の特殊の形をしている。

構造は東京大学坪井研究室により、音響設計は石井研究室にておこなわれた。
その特殊な内部形状から、特に残響時間の計算結果には特に苦労されたそうな。

当初設計では残響時間がなんと20秒。(笑)

これでは音楽はもとより、司教の言葉も参列者に明瞭に伝わらない。

そこでいろいろ工夫をおこなった。

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このように三角錐の天井には、明らかに吸音材と思えるクッション性のものが敷き詰められており、天窓の役割を果たすそうだ。自分は夜間に行ったのでわからないが、昼間だとこの天窓から陽が挿し込むのだろう。

SPも壁面に所々に埋め込まれており、司教のスピーチはPAを使うので、そのために使用される。


これで、現在の残響時間が7秒!

世界の音響のいいコンサートホールとよばれるホール空間で、残響時間は2秒がスタンダード。

残響時間が7秒というのは、自分が数多経験してきた空間では想像できない値だった。相当響きが混濁している空間に違いない。だってこのぐらい長ければ、残響が消えないうちに次の発音がどんどん重なる訳で、混濁必至だと思った。

こういうところで、音楽会などの演奏会を開いたら、演奏者は残響&響きと自分が出す音量バランスとの兼ね合いを相当意識しないと、かなり難しい音響空間なんだろう、ということが容易に推測できた。

ちょっと経験するのが怖い感じがした。

自分が経験したのは、「オルガン メディテーション」というミサの一種で、司教の言葉、福音書をみんなで朗読しながら、一緒に歌い、そしてオルガン演奏で瞑想に浸るというもの。

ミサは、圧倒的に8割から9割方女性信者で、大聖堂が満員になるほどの大盛況だった。

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なんか、こういう空間を経験すると、3年前に訪れたライプツィヒのトーマス教会やニコライ教会の礼拝(カンタータ礼拝)を、思い出した。

もうそっくりだ。(笑)

現地の地に根付いた礼拝という儀式は、日本では経験できないことで、まさにキリスト教に基づいたヨーロッパ市民の日常生活。礼拝ってなんと音楽に富んでいるんだろう。。。そんなことを体験した3年前だったが、まさにそれを思い出した。


オルガンは、大聖堂の背面にある。
2004年に設置された新しいオルガン「マショーニ・オルガン」。

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ヨーロッパの教会は、オルガンは、教会の背面の天井近くに存在するのが普通だ。
ここの大聖堂もいかにもヨーロッパ風な造りだと感じた。



さて、自分が感じたその音響空間の印象はどうだったか?

あくまでオルガンの音色だけの印象だが、そんなに思ったほどの混濁空間ではなかった。
というか、どちらかというと、極めてノーマルに近い音響で、確かにライブではあるが、残響7秒というのはどうなの?というレヴェルだと感じた。

せいぜい残響3~4秒くらいの空間ではないだろうか?

ちょっと拍子抜けした印象だった。
音質は確かに石造りのピンと張り詰めた硬質な響きだということは感じた。

でも、この程度の音響空間なら、教会や大聖堂なら、極めて普通の部類だと思った。

あたりをグルグル見回していろいろ考察してみると、やはり天井が決して高くないと思ったこと。ある意味低い部類に思える。大聖堂としては、容積もそんなに広いほうではないと思う。

天井にす~っと突き抜けていくような音のヌケ感というのを感じないのは、そこが原因なのかな?とも感じた。2Lのソフトで、映っていた大聖堂の空間のほうがスゴイ広い空間だし、天井もとめどもなく高く、突き抜ける高さがある。(残響時間の長さは容積に起因します。)

オルガンの演奏も聴いたのだが、どうも分厚い低音の量感みたいなものも感じず、やや欲求不満だった。これはたぶん演奏の演目によるものだと思う。「瞑想」がテーマなので、そのような乱暴な曲は選ばないだろう。

大聖堂内には開始時間より2時間近く早く入ったのであるが、そこで調音やリハーサルをやっていたときに聴いたときは、凄かったのだ!

まさにオルガンのあの分厚い音の洪水に、自分が包まれるような感じがして、「おー!これは来るなー!」と相当期待していたのだ。

でも本番の音楽は大人しかった。(笑)

ということで、ちょっと梯子を外された感じの印象だったが、でもこれはオルガンの「瞑想」テーマに合った演目だけで判断してはいけない。ふつうの演奏会では、きっともっと、とても魅力的な音響空間、それこそ噂の名評判に合った体験ができるのだと思う。

第一音響空間を経験するだけが目的の不信者(笑)ではなく、きちんとミサを経験すること自体が、ここに来ているみなさんの本来の目的なのだから。


この東京カテドラル聖マリア大聖堂で、12/4の素敵なクリスマス・コンサートが開催される予定です。本来なら、こちらを目指したかったのですが、それまで待てませんでした。

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アヴェマリアやクリスマス・キャロルなどのクリスマスムード一色の素敵なコンサートです。
まさにこの内装空間の神々しい雰囲気にピッタリだと想像します。この空間では、きっと素晴らしいコンサートになるはず!


ぜひ体験してみてください!







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永田音響設計の豊田泰久さん [音響設計]

永田音響設計の豊田泰久さんについては、もういまや「時代の寵児」的な扱いでメディアで取り上げられていて、もうその生い立ちから、音響設計という仕事に関してまで幅広く触れられている。もう今更、一般庶民の自分が言及することなんて、恐れ多いというか、もうほとんど言うことはない。 

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でもコンサートホールのことが好きで好きで、愛してきた自分。


取り分け、「コンサートホールの音響」の考え方について極めて関心が高く、本当に我流、独学でいろいろ研究してきた。

国内のホールでは満足できず、ぜひ海外のコンサートホールやオペラハウスを経験したい、ということで、長年実践にも移してきた。

そして先だって、「コンサートホールの音響のしくみと評価」という全7編に渡る自分の総決算の日記を書いた。

ある意味、この日記の連載で、自分の溜飲は十分に下げたかな、という気はした。
専門家の方からすると、この内容が正しいかどうかは本当にお恥ずかしい限りなのだが、とにかく自分が長年やってきたことのひとつの区切りをつけた意味合いが大きかったのでは、と感じている。

そういう経緯があるので、自分の日記で、どのような形でもいいから、豊田さんのことを、自分独自の興味ある視点、観点から、日記のテーマとして取り上げてみるのが、ひとつの礼儀、マナーなのかな、という気がしていた。


もうすでにいろいろな記事が出回っているので、ありふれた内容の紹介は避けたい。
豊田さんのインタビューで、自分のアンテナにビビッと引っかかったところ、名言を抜粋して、自分のコメントを添えて、ちょっと自分のカラーを出してみる。。。そんな程度の感じ。

豊田さんのいままでのインタビューを読んでいると、やはり一般市民向けということもあるし、あと自分の仕事についてのノウハウに関することはあまり口外しない、ということもあるのか、自分にとっては表面的で、正直かなり物足りなく感じることも多い。(笑)




豊田泰久という人物の存在を知ったのは、いまから4~5年前くらい。

ネットやSNSにインタビューが掲載されていて、それを読んで、へぇー自分がよく経験しているホールの音響設計は、みんな豊田さんがやっていたんだな?という驚きだった。いまみたいな寵児的扱いでなくややマイナーで、この分野に自分は拘りがあるので、ちょっと気になる人ではあった。(笑)

永田音響設計の従業員は20名しかいないそうだ。少数精鋭なんですね。驚きでした。



豊田さんがメジャーとなるきっかけになった出世作は、1986年のサントリーホール。

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当時は、コンピュータなどなかった時代なので、コンピュータシュミレーションによる反射音のパターン解析など、じつに膨大な計算量を手作業で行なわなければならなかったとか。

自分は、まず、ずばりコンサートホールの「音響設計」ってどういう仕事なの?という大きな疑問があった。

いまでこそ豊田さん人気で、脚光を浴びてカッコいい響きもある「音響設計」という仕事。

建築音響という学問は、自分もコンサートホールやその音響の仕組みを知りたくて、ずいぶん専門書を買い込んだのだけれど、でもそこはまさに数学、物理学の数式の世界。そんな華やかな世界とは程遠いじつに地味で大変な世界なのだ。

コンピュータシュミレーションの出現は、この世界に大きな革命をもたらした、と言っていいと思う。


自分の友人に、建築音響関係の仕事に携わっていた方がいて、昔、その方から簡単だけれど話を聞いたことがある。昔に聞いた話なので、記憶が曖昧で申し訳ないが、こんな感じだったと思う。

コンサートホールを設計&建設するということは、まずスポンサーというか興行主がいて、この方たちがどのようなコンサートホールにしたいのか、しいてはどのような内装空間にしたいのか、指針を立てる。

もっとも大事で大きなポイントとしては、とどのつまり、どういう音楽ビジネスをやるホールにしたいのか?というビジネス面からの考察がまず最初に来る。

つまりこれを大枠として、まず決める。とにかくこの方々の意見がまずは1番影響力が大きい、と聞いた。

なにせスポンサーなのだから。


そこに施工主&設計事務所が絡んでいって、その内装空間のデザイン設計をさらに細かく詰めていくのだという。

こういうホールの建築というのは、まさに行政も絡んできて、本当に大変なBIG Project。普段の自分の日常の世界では想像もつかない。

もちろん自分は建築は門外漢なのだが、音楽ホール設計ならではの専門の設計ポイントが絶対あるはず。

どういうホール形式にして、ステージをどこに配置して、観客席をどう配置して、その観客席からのステージの見え方(SightLine~視覚線)をどうするのか?ステージ床下の構造・・・などなど、まさに音楽ホールならではの専門的スキルポイントが数多あるはず。

音響設計というのは、その後に来るものなのだ。

まず、ホールの音楽ビジネス形態、そしてホールの内装空間デザインの大枠コンセプトが決まらないといけない。

豊田さんのインタビューで、「音響設計の仕事は、突き詰めると、部屋の形と材料を決めること」と断言している。建物そのものを設計する建築家と相談しながら、どういう形状の反響板や反響壁をどこに置くかなどを考える。

最近は、反響板の形や材質もさまざま。

ハンブルグのエルプフィルハーモニーのあらゆる壁面には、ホワイトスキンと呼ばれるこんな貝殻状の凹凸がある。反射音をホール内に均一密度分布で拡散させるのが目的。これも音響設計の大事な役割。

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ホールの音響って、どこで決まるファクターなのか?

ホールの形状、壁、天井、床の材質、容積、反響板の設置、こういったところで、ホールの音響って決まるはず。

そうすると、プロセスとしては1番最後に来るものとはいえ、内装空間のデザインを考えていくのと同時に、こういった条件を設計事務所の方々と議論しながら、進めていく。


音楽のコンサートホールにとって、音響は命。この音響面という立場から、施工主&設計事務所と協議を進めながら、内装空間を仕上げていく仕事が音響設計なのだろう。


もちろん容積が大きな要因になる残響時間とか、壁、天井、床からの反射音のシュミレーション、反響板の設置位置とか、そのホール内の音の流れを十分にシュミレーション、解析するのがそのときの大事な仕事。

なにせコンサートホールなんて建ててしまって、実際の音響は全然ダメでした、取り壊してやり直します、なんてのができない世界。

できるまでが勝負。慎重に慎重を重ねる。

そういった意味でコンピュータシュミレーションの登場ってこのビジネスに革新的な進歩をもたらしたのはよく理解できる。

でもそういったシュミレーションでもどうしても解決できない細かいポイントがあって、それを実際に確認するには、やはり1/10くらいの縮尺の模型を造って反射音、音の流れのシュミレーションをチェックするのだそうだ。

音響設計家の中には、模型を造らない人もいるらしいが、豊田さんはかならず模型は造る派。

古い写真で恐縮だが、下記の写真は、カラヤンのベルリンフィルハーモニーを作成するときに造った模型。当時はコンピュータシュミレーションなんかなかった時代だから、模型での実験は大事なプロセスだった。

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「オーケストラ奏者や聴衆の人形も10分の1。その中の音の波長も10分の1になるのだけれど、音の速度は変わらないから周波数が10倍になる。だからまず話し声や音楽を普通に録音して、模型の中で10倍のスピードで再生する。キュルキュル キュルキュルっていう音。それをまた録音して今度は10分の1の速度で再生するとホールの中の響きがそれについてくる。これが基本的な理屈です。

模型実験で計測できるのは物理的な特性なので、ホールが出来上がったときに良い響きになるかまでわかるわけではありません。模型の目的はいわゆる変なエコー、例えばステージの上でパンって手をたたいて、エコーが遅れてパパンと返ってきたり、人間が片耳で聴いているときにはエコーとして聞こえないけれど、両耳で聴くとエコーが聞えるといったことを検知するのに適しています。」

・・・だそうだ。(笑)



もちろん建築中の出来上がってきてからの音響調整も大事な仕事。至る場所で残響時間を測定して、ここの部分にもうちょっと吸音材を貼るとか、そういうカット&トライの作業も後工程で多い、と聞いた。


我々、聴衆の立場からすると、コンサートホールの座席によってずいぶん音響が違って聴こえるのはどうしても遭遇してしまうことだが、設計する立場からすると、もちろんすべての座席に均等な音響で、ということを念頭に設計している。

でも実際現物ができると、どうしてもスィートスポット、デッドスポットというのはできてしまうものなんだろう。

難しい永遠の課題ですね。




豊田さんが関わるホール形状は圧倒的にワインヤード・スタイルだ。

別にシューボックスを否定する訳ではなく、やはりそこには収容人数のキャパの問題があり、現代のニーズに合わない。

最近のクライアント側の要望は、圧倒的にワインヤードが多いそうだ。

シューボックスの音響的な利点を出すためには横幅の制限があるので、大きくするには客席を縦に広げるかバルコニーを深くするかになる。でもバルコニーの下は音響的に難しいし、妥協しなければならないことがたくさん出てくる。そうするとどの客席からもステージが近いというワインヤード・スタイルの利点が出てくる。

でも単にそういう技術的な観点だけではなく、もっと違う意味合いで、ワインヤードの最大のメリットは、「intimacy」という独特のキーワードを使って説明されていらっしゃる。

日本語で言うと親密感とか親近感。

シューボックスだと ほとんどの席がステージを向いているので他のお客さんは基本的に背中や後頭部が見えるだけで顔は見えない。それに対してワインヤードでは他のお客さんもエキサイトしている顔が見える。

そういう意味で、親密感。

確かにワインヤードって昔からステージとの一体感が売りな訳で、そういう意味で他のお客の顔が見える、というのは、その波及効果ですよね。


ワインヤード型のホールの音響設計は難しい。もともとが音を反射する仕組みになっていないので、その仕掛けを造るにはある意味ノウハウがいる。ワインヤードのホールは、どう設計すればいい音響ができるのか、もう大体経験上わかってきたそうだ。





とにかく最近のワールドワイドな活躍は素晴らしい。世界の話題の新しいコンサートホールの音響設計には、必ずその名前を連ねているのではないだろうか。

いままで携わってきた作品として、サントリーホール、札幌コンサートホールKitara、京都コンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリ、ピエール・ブーレーズ・ザール、そして話題のできたてほやほやのエルプルフィルハーモニー・ハンブルグなど、数えきれない。

自分は、1人の人間がこんなにすべてに関わって駆け回るってありなのかな?とも正直思ってしまう。でもそこは実力、評判の連鎖がものをいう世界なんですね、きっと。


最近のニュースでも、たとえばロンドンの新ホール。ロンドンといえば、まともなコンサートホールがないことで有名だが、ついにワールドワイドなコンサートホールを建設することを公式発表した。

ベルリンフィルを退任するラトルがロンドン交響楽団(LSO)に就任するとき、ロンドンに新ホールを建設することが条件だったとか。(確かにいまのLSOの本拠地のバービカンセンターじゃ、ラトルのプライドが許さないだろう。)音響設計は永田音響設計。ここも豊田泰久さんが絡む。

設計事務所は、ニューヨークとロンドンに拠点を置くDiller Scofidio + Renfroというデザイン・チーム。London Centre for Music projectと題してプレス発表されている。2.5億UKポンドのファンディングを募って臨む。



また下の完成予想図が2021年に完成するBR(バイエルン放送交響楽団)の新ホール。ミュンヘンに建てられる。モダンな外装と内装空間デザインである。このホールの音響設計も豊田さんらしい。


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BRの本拠地ホールとして新しいホールをミュンヘンに建設するというのは、ヤンソンスの長年の祈願であった。

ヘラクレスザールは音響は素晴らしいが、楽屋や事務局のスペースが今日のインフラ基準に照らしてあまりに狭いし、ガスタイクのフィルハーモニーはあまりに音響が悪い、ということで、ずっとミュンヘンに新しいホールが欲しい、ということでヤンソンスが祈願していたのだ。これを理由にベルリンフィルの次期首席指揮者レースも辞退している。


ヤンソンスは、かねてより、日本のコンサートホールの音響の良さ、ホールとしての水準の高さを絶賛していて「サントリーホールと愛知芸術劇場コンサートホール、 札幌コンサートホール Kitara、ミューザ川崎シンフォニーホール。この4つが私にとって理想のホールで、ミュンヘンにも同水準のホールがほしいと長く願ってきた」と、日本の音響設計への信頼を明らかにしていたくらいだ。



なんか笑い話で、こんな話も新聞の記事に載っていた。ある元日の朝、ゲルギエフから電話がかかってきて、「いまサンクトベテルブルクでヤンソンスと食事をしているんだが、札幌と川崎、どちらの音がいいか、議論になった。君はどう思う?」

「マエストロのお子さんは何人ですか?」「どのホールも自分の子供。優劣などつけられない。」





最後に、これはあるインタビューでの発言で、豊田さんの名言だと自分は思っているのだが、紹介しておこう。



ホールの音響とオーケストラ伝統の音との関係。

例えばウィーンフィルはどこで演奏してもウィーンフィルの音が出るし、モダンなデザインのホールではウィーンフィルの特徴は出ないというわけにはいかない。だからホールの音響というものは普遍的でジェネラルなもの。

ボストン交響楽団のサウンドはどういうものですかと言ったら、皆イメージするものがある。でもそれはボストン・シンフォニーホールが出来たときに最初からあったわけではなく、そこで長い間やっているうちに我々の中にできあがったものであって、新しいホールをつくるときにはそういうイメージはないのではないだろうか。


だから例えばエルプフィルハーモニーがオープンして、NDR(北ドイツ放送)エルプフィルハーモニー管弦楽団がそこでレジデンス・オーケストラとして、これからその伝統を作っていく。


新しいホールの響き&オーケストラの伝統のサウンドは、ホールを作った時にはなにもなくて、そこのレジデンス・オーケストラが長年かけて、そのイメージを作っていくもの。




この分野で、こんなスーパースターの日本人が存在して1人で世界を駆け回っているなんて、本当に驚く限りで、我々日本人の誇りだと思うが、そんなこと実現できっこなくて恐れ多いことだが、お話しする機会があれば、かねてより自分が疑問に思っている数多なことなど、いろいろ突っ込んだお話をしてみたい気もしたりするのだ。(笑)









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2Lのマルチフォーマット音源 [オーディオ]

高音質指向型のマイナーレーベルと言えばPENTATONE,BIS,Channel Classics, CHANDOS,RCO Live,SIMAX,そしてmyrios classicsというところが、自分の愛聴している定番のレーベルであった。

北欧のレーベル 2Lの存在は、もちろんよく知っていたが、不思議と所有しているディスクは少なく縁がなかった。

今回、3Dサラウンド、イマーシブオーディオとか立体サラウンドと呼ばれるDolby Atmos/Auro-3Dなどのデモソフトとして急に脚光を浴びた感じだった。

デモソフトとして重宝がられる理由は、同一音源を、SACD,LPCM 2.0,DTS HD Master 5.0,Dolby Atmos 9.0,Auro-3D 9.0 とマルチなフォーマットでエンコードしていて、会場でフォーマットの違いによる聴き比べができるからだ。

SACDと、後半の4フォーマットは、Blu-ray Audioに格納しての2枚組としてパッケージされている。BD Audioのほうは、静止画のメニュー画面のオーディオ設定のところで、フォーマットを切り替える。

こういうマルチなフォーマットを全部対応してくるというのは、かなり音質に拘る高音質指向型のレーベルだといえる。

2Lは業界初で、BD-Audioを導入したレーベルだそうで、そういった大容量の物理媒体を手に入れたからこそ、こういう芸当が実現できたのだと思う。

自分が聴いてみて、驚いたのは、録音が素晴らしいのだ。

かなりいい。

後述するが、録音場所に拘りを持っていて、その空間の捉え方が絶妙で、なんか独自のカラーというか、トーンポリシーを持っている感じがする。

かなり強烈で独特なサウンド。

2Lについては、AV雑誌のAV REVIEW Vol.264に詳しく特集が組まれている。大変参考になった。

ぜひご覧になってみてください。

ここでもちょっと紹介してみる。

2Lはノルウエーのオスロで2001年に誕生したレーベル。北欧ならではの音楽を制作したいというモーテン・リンドベルグ氏によって設立された。

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モーテン・リンドベルグ氏



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2016年11月にドイツ・ケルンメッセで開催されたトーンマイスターグング2016での公開ディカッションにも参加した。(1番右)




2Lの録音の特徴は、3次元の2L-Cubeと呼ばれる独自のメインマイクアレイを使用していること。

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写真を見ていただければ分かるように、上下の2段構成になっていて、下段のほうが、L,C,R,SL,SRの5本の水平サラウンドの配列になっている。

そして上段のほうが、その真上に存在するハイト・チャンネルの4本のマイク。

補助のピックアップはほとんど使わないそうだ。

編集のときも、イコライザーやダイナミックレンジの処理をほとんどおこなわないことをモットーにしている。これはあくまで自分の推測だが、そういう処理が必要ないのは、その録音をおこなっている場所、ロケーションによるところが大きいのだと思う。

彼らが録音をおこなう場所は、大抵が北欧の天井の高い教会や大聖堂の大空間。だから天然エコーなのだ。もうその時点で、そういう空間&アンビエンスを,十分なレンジを確保さえして収録すれば、余計な人工的なイコライザー、ダイナミックレンジの処理はやらないのだと想像する。

2Lのサウンドは、いかにもそういった大空間の感覚が味わえ、残響感たっぷりの天然エコーにまみれたサウンドという感じなのだ。

特に高さ方向の空間をかなり強烈に感じる。上の方向に突き抜ける感覚というか。

聴いていると、まさにその教会、大聖堂の空間に自分がワープした感覚に陥る。

昔、長岡鉄男先生の長岡ソフトと呼ばれたオーディオファイルなら誰でも知っている「カンター・デ・ドミノ」。あれのサラウンド・ヴァージョンだと思ってくれればいい。(笑)

それプラス透明感が増した感じ。

2Lのサウンドの特徴を一言で言えば、そんな感じなのだ。

そして、もうひとつの2Lの収録の特徴と言えば、収録現場の空間の残響成分をリアに振り分けるという一般的なサラウンドの手法というよりは、マイクを中心に置いて、演奏者&楽器をぐるりと円形に配置すること。

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こうすることで、すべてのチャンネルを同等に利用したサラウンド手法が彼らのやり方。確かに彼らの録音を聴いてみると、フロントL,C,RとリアのSL,SRの成分が、直接音、残響音の関係というより、5本から同等に直接音が出て合成されているサラウンドなのだ。リアから確かにダイレクトの音が聴こえる。

もちろんハイトチャンネルに関しては、高さ方向のアンビエンス、残響音専門となる。


こうすることで、演奏家自身が体験する響きに近づき、聴いている側が、演奏家同士のやり取りなどが体感できるなどの効果があるのだそうだ。

先述のトーンマイスターグング2016での公開ディカッションでも創立者モーテン・リンドベルグ氏は、この演奏者&楽器とマイクの配置関係について自分たちの独特のカラーを打ち出す特徴だと述べていた。


ただいつもこういった配置関係で録音しているか、というとそうでもなくて、マイクに対して普通の位置関係での場合もある。ケースバイケースなのだろう。

下の写真は、いたって普通。昔は普通配置だったのかな?

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そんな独特の2Lサウンド。

2枚ほど、購入してみて聴いてみた。2枚とも、バランスエンジニアは、創立者のモーテン・リンドベルグ氏が直々にやっている。 


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「マニフィカト~アルネセン、カーニス、ヤイロ」
トロンハイム・ソロイスツ、ニーダロス大聖堂少女合唱団、他
(SACD+ブルーレイ・オーディオ)


https://goo.gl/kT8Zpj


ニーダロス大聖堂少女合唱団と、1992年の創設から合唱団を指揮する芸術監督アニタ・ブレーヴィクの委嘱による作品。合唱、オルガンと弦楽オーケストラに、曲によってソプラノとピアノが加わる。

ノルウェー、トロンハイム、ニーダロス大聖堂で収録された。
まさにこんな大空間!


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2Lサウンドで3Dサラウンドの代表作とも言える作品。
透き通った合唱の声やソプラノが、天井方向に突き抜けるように抜けていく感覚は圧巻。
恍惚に浸れる。そしてなによりも音楽が美しいウットリするような調べなのだ。

透明感があるサウンド。天使の音楽、そんな感じですね。
じつに秀逸な作品だと思う。ぜひお薦めの1枚です。 


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「わたしの愛も~現代合唱作品集」 
ニーナ・T・カールセン&アンサンブル96
(SACD+ブルーレイ音声ディスク)

https://goo.gl/5Brxiv


オスロの室内合唱団「アンサンブル 96」のアルバム。
オスロのウラニエンボルグ教会で収録された。

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これは、じつはまだ届いていない。(笑)
でも先日のシアターAVショップでのAuro-3Dデモのときに先行で聴かせてもらった。
合唱が全体を成すアルバム。これもじつに美しい声のハーモニーが織りなす音のさまに圧倒される。やはり同じ2Lサウンドのカラーで、天然エコーで突き抜ける高さを感じる秀逸なサウンド。
早くじっくり聴いてみたい。


2Lサウンドに接してみた印象は、じつに録音がよくて、透明感のあるサウンドで驚いた。高音質指向型で拘りのあるオーディオファイル向けのレーベルだという印象を抱いた。


逆に考えてみると、いち早く3Dサラウンドの導入を決めたのも、単に新技術に敏感に反応するという先進的な立ち位置もさることながら、彼らの環境が、教会、大聖堂が豊富に存在して、そこを録音の本拠地にしているというところが、”高さ”を必須条件としている立体サラウンドにも合致したのだと確信してきた。

誉めてばかりもなんなので、敢えて辛口のコメントを一言、言わせてもらうと、ある意味ワンパターンかな、という感じもしない訳でもない。いわゆるどのアルバムを買って聴いても全部同じに聴こえるという・・・。

北欧の教会、大聖堂の大空間の天然エコー、突き抜ける高さ、透明感のあるサウンド、合唱、女声ソプラノ。。。


これが2Lサウンドのキーワード。

自分は、普通にコンサートホールでオーケストラを聴きたい、室内楽を聴きたい、というアベレージな欲望もあるので、そういった意味で、2Lはたまに聴くなら最高。録音もいいし、という感じの位置づけかな。


でも、それがトーンポリシーなんだからいいのだ、と思う。自分のレーベルのサウンドのカラー。どのレーベルでもその録音の特徴が各々違っていて独自の特徴、独特のカラーがある。

だから、これが2Lのトーンポリシーと堂々としたこれだけのカラーを打ち出せているのだから、立派なものだと思えるのだ。






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SACDとBlu-ray Audio [オーディオ]

3Dサラウンドは、音声のコーデックがPCMのハイレゾなので、それをさらに9.0ch分とかなると、記録媒体のお皿の容量は、大きいものを使わないと、その巨大のデータを格納できない。

いままで、デジタルオーディオの記録媒体といえば、CDとSACD、そして最近になってBlu-ray  Audio(以下BD-Audio)、そして映像用のBlu-ray(以下BD)とある。


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SACDというのは、じつは物理媒体としては、DVDのディスクを使っているのだ。

昔、DVDフォーマット戦争のときに、ソニー・フィリップス陣営と東芝陣営が争ったときに、ソニー・フィリップス陣営が主張していたお皿を、そのままSACDの物理媒体として採用しているのだ。(SACDはソニー・フィリップスのフォーマットです。)

だから記録容量は、4.7GBしかない。

そのソニー・フィリップス陣営のDVDのお皿の中に、格納する音声信号の処理の仕方がDSD(DirectStreamDigital)を施して納めているのがSACDだ。

DSDとPCMのコーデック(信号処理)の違いはこれ。

上がPCMで下がDSD。

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PCMは、音声の原信号を、あるサンプリングタイム(サンプルする時間軸の幅)で振幅を、デジタイズしていくやりかた。

このサンプリングの間隔が狭くなるほど、ハイレゾな訳で、CDで、44.1KHz、ハイレゾになると48KHz,96KHz,192KHzとなっていく。

狭くなれば狭くなるほど、原波形に近い形にデジタイズできる。

一方で振幅方向の細かさは、ビット深度と言われ、CDは16bit(2の16乗の細かさ)、ハイレゾになれば、24bit,32bitとなっていく。ビット深度も大きくなればなるほど、振幅方向に細かくデジタイズ(高さの表現の細やかさ)できる。

結局PCMは、この縦(振幅)と横(時間軸)の細かさで、ハイレゾの度合いが決まる。

ハイレゾとは、縦(振幅軸)や横(時間軸)でサンプルする間隔が細かくなるので、それだけ原波形に近くなり、それイコール、デジタル化された後のデータ量は膨大になっていくことを意味する。



一方で、DSDは、音声の原信号を、ビット深度は1bitで固定、その1bit波形のパルス幅を可変させてその幅の長さで原信号を表現していく。

ある意味パルス変調みたいな感じ。サンプリング周波数(つまりこの場合は幅の長さの細かさに相当する)は、2.822MHzとかなり高い。

だから、こういう波形処理なので、DSDってある意味、原波形のアナログ波形に近い形で表現できるわけで(この波形をD/Aすればそのままアナログ)、それがSACDはアナログに近い音で、柔らかい質感と呼ばれる所以である。その原因は、その音声処理のコーデックの仕方にあった。空間が広く録れる感じもこちら。クラシックはこちら。(ジャズもSACDが多いです。)

逆にPCMは振幅単位でデジタイズして、サンプリング周波数もKHzオーダーなので、いわゆるガクガクの波形であって、いわゆるメリハリがあってアタック感がある明瞭な音の質感と言われている。ロックやポップスはこちらかな。

DSDのハイレゾは、このパルスの幅の間隔の表現が細かくなっていくことで、もちろん細かくなればなるほど、原波形に近い形で表現できることを意味する。(それイコール、データ量がどんどん多くなる。)

SACDで、2.822MHz、そしてハイレゾとして、5.6MHzと11.2MHzがある。

でもこういうパルス変調の場合、サンプリング周波数が高くなるほど、こういう変調方式で、しかもPCMと違って、もともとのサンプリング周波数が高い訳だから、それをさらに何倍かに逓倍処理したら、それこそノイジーになる傾向になるのは当たり前で、必ずしもハイサンプリングになればいいとは限らないと聞きます。サンプリング周波数をどんどん上げていくほど、音質が上がるように感じる聴感カーブは、停滞気味になるらしい。リニアじゃないのだ。これはサンプリング周波数が低いPCMハイレゾでも言えると思います。


PCMのハイレゾの2chやサラウンド5.0ch(5.1ch)、そして3Dサラウンド9.0ch(9.1ch)を格納するのがBD-Audioや映像BD。BDは、片層25GB、両層で50GBで大容量。

だからハイレゾのような大容量のデータを格納できるのはBD。ましてや3Dサラウンドのような9.0chのような多チャンネルのハイレゾの大容量データを格納できるのは、もうBDしかない。

映像ソフトの場合、5.0(5.1)サラウンドの場合、DTS HD Masterというロスレスの圧縮をかける場合が多い。これは決まったお皿の容量に、映像ソフトと音声ソフトを格納しないといけないので、音声は圧縮するためである。

3Dサラウンドの場合は、いまのところ圧縮しないで、そのままPCMハイレゾの多チャンネルで格納されている場合が多い。(たとえば、Dolby Atmosは、PCM 48/24,Auro-3DはPCM 96/24)

あくまで私観としてだが、BD-Audioはフォーマットしては、マーケット的に正直成功しているとはまったく言えないのではないか、と思っている。

再生するのに、メニュー設定でモニター画面が必要だし、静止画を見ながら音楽を聴く、というスタイルが、オーディオとも言えないし、ヴィジュアルとも言い難い、なんとも中途半端な立ち位置に感じるからだ。

でも最近、3Dサラウンドのデモソフトとして、BD Audioが見直されている。
北欧のレーベル 2Lのソフトがその最先端にある。

彼らは、マルチフォーマット音源という実験的なアプローチで、同一音源をSACD,LPCM2.0,DTS HD Master 5.0,Dolby Atmos 9.0,Auro-3D 9.0でエンコードして、SACDと後者の4フォーマットはBD Audioに収めて、2セットで提供するというスタイルを提供している。

まさにこういうケースの場合、大容量のBDという物理媒体が活躍するのは必然の経緯だと思う。

2Lは、BD Audioを最初に導入したレーベルだそうで、こういう実験的で、先進的なアプローチも納得いくところだ。

自分は、3Dサラウンドは、BD Audioとしてよりは、映像ソフトBDの音声フォーマットして採用されるケースが、ビジネスの本流だと思う。


SACDは、CDに対して差別化するマニア向けの高音質ディスクとしての路線を歩んだ。
結局、普及というよりは、高音質指向型のマイナーレーベル中心に、ニッチな市場となった。

でもBD Audioが映像機器であるBDプレーヤでの再生になってしまうのに対して、SACDは純粋にオーディオ機器としての再生という位置づけ。

やはりオーディオファイルにとってハイエンドオーディオは、映像機器と隔離するべき、という古の拘りがあって、SACDはその象徴的な位置づけでハイエンドオーディオの道を歩んできたと感じる。

(でも最近はOPPOのようなユニバーサルな機器が出てきて、そうでもなくなっている現状。でも自分は古い時代の人間なので、ユニバーサルプレーヤという発想はどうも好きになれない。)

自分はSACDの最大の魅力は、広帯域化による2.0ch再生というよりは、ダイナミックレンジの広い5.0サラウンド再生に最大の魅力を感じる。

SACDは、映像とは別次元の、音楽サラウンドの象徴的存在である。

現在も、これをモットーに最大の”SACDサラウンド”愛好家である。

DSDのハイレゾ(5.6MHz,11.2MHz)は、それを格納するお皿の物理媒体がないので、どちらかというとネット配信の世界で、その活路を見出しているように見える。ストリーミング再生、そしてファイルダウンロード再生である。


3Dサラウンドの登場で、それらの大容量を格納できる唯一の物理媒体であるBDに着目をせざるを得ず、思わず基本に戻ってみたい、と思って、日記にしてみた。

さらにその先には、UHD BDがあるんでしょう。







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BARBARA Expo. in Philharmonie de Paris [シャンソン]

コンサートやステージの開催時、それら公演の宣伝を一切行わないにもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれた。

自分は、シャンソンを聴く趣味がなかったので、バルバラという歌手のリアルタイムの活躍を知らない。(1930~1997没 67歳)

ゴローさんの日記で初めてその存在を知った。


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でも自分の中にずっと強烈に記憶に刻み込まれていたのは、そのフォトに見られるなんか強烈な個性というかカリスマだった。

目元のアイラインといい、全体の容貌がまさに妖気が漂っているというか、何とも言えない狂気、神がかっている存在感、雰囲気がある。



これにやられた。

自分は演奏家や歌手を気に入るとき、もちろんその力量やセンスなどの中身を気に入ることが前提だが、結構ルックスというか全体のシルエットが醸し出すオーラから入って気に入ることが多い。




いわゆる「持ってる」感があるアーティストが好き。

バラバラという歌手は、まさにそんなゾクゾクっとするオーラがある。

そうこうしているうちに、オーディオ仲間の日記でもバルバラを愛聴している投稿なんかを目にするたびに、これは1回でも彼女のアルバム、声を聴かないとなぁとずっと思いながら時が過ぎていた。

そんな中で、パリの新ホールであるフィルハーモニー・ド・パリで、「バルバラ・エキスポ(展示会)」なるものが、2017/10/13~2018/1/28の期間で開催されているのを知った。

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嫌が上でも毎日その様子が目に入ってくると、やはりバルバラという歌手に触れてみる、彼女の歌を聴いてみるのが、”いま”なんだな、と閃いた。

このイヴェントは、まさにバルバラへのオマージュという意味合いが強く、彼女に関する写真パネルや関連の展示、またおそらく彼女の曲をいま現代のアーティストで歌い演奏するミニ・コンサートも開催されている。いかにパリ市民の中で深く愛され、神話&伝説化されてきた歌手だったかという証明なのだと思う。


そんな様子をちょっと。

パリのメトロにイヴェントの告知のポスターが。パリの街中のあちこちにこんなポスターがあるに違いない。


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このイヴェントにはチケットが必要。ゲットして喜ぶパリジャンヌ。

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このようにミニ・コンサートが開かれる。

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バルバラには、赤いバラがよく似合う。CDコンサート。

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そんなバルバラ。彼女のことをゴローさんは絶賛していた。



多感な10代に戦争を体験している。

ユダヤ系のバルバラの場合は ナチス占領下のパリを逃れ、ブリュッセルなどを転々とする。その中で家族が崩壊してゆき、父親は出奔して行方がわからなくなる。 そうした少女時代のトラウマは、「私の幼いころ Mon Enfance」というバラードに歌われている。

そしてバルバラがメジャーにデビューする頃、突然行方不明だった父親から連絡がある。再会のためにナントに急行したバルバラを待っていたのは、息を引き取ったばかりの父親の亡骸だった。

そんな辛酸をバルバラは「ナントに雨が降る」という私小説的な歌として吐き出さずにはいられなかったのだろう。

そんなバルバラの歌には「生々しい痛み」がある。
血が噴き出している心の傷口を露悪的なまでに大衆にさらす・・・
それだからこそ得られるカリスマ的な共感を彼女は得ていた。

また凄惨な内容であっても、彼女が紡ぎ出す言葉には、単なる戯言・恨み節を超えた「詩情」というべき香りを感じさせた。


バルバラの歌は、それは衝撃的な体験で それまで聴いたことのない「歌」だった。

早口の語りが自然にメロディーとなり、自然と語り終わるようにメロディが終わる・・・そんな歌。

言いかえれば 思いっきり言葉に寄りかかった音楽なのだ。

それでいて音楽的なフレーズ感があり、時折ふっと飛翔するように登場する断片的なメロディがバルバラの声と相まってなんとも魅力的だ。

世界のワンマンショーの中に「A Peine つかのま」という歌があった。
その歌が とりわけ印象に残ったのは、単に美しいだけじゃなくて異様なセクシーさを感じたからだ。

なぜか その歌だけNHKは歌詞の字幕を出さなかった。

簡単に言えば、主人公の女が 朝に男を送り出した後で昨夜の情事で残る愛撫の感触を 思い出してゆく・・・そんな内容だ。 バルバラは そうした歌でもユニークな魅力を発散する歌手なのだ。

「ナント」に見られるような「死・・・タナトス」と
「ア・ペイヌ つかのま」のような「エロス」
その両方を同時に、人生の鮮やかな断面として感じさせてくれる・・・
そんなかけがえのない歌手がバルバラだった。




彼女のアルバムをとにかく1枚購入して聴いてみないといけない。

生涯14曲の代表曲、そして14枚のアルバム。
どれがいいのか、すぐには見当がつかない。

まずはベスト盤のこれを購入してみた。 

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Best of
Barbara

https://goo.gl/npHCQZ

このベスト盤を選んで大成功だった。彼女の代表作がほとんど網羅されていて、聴いていて珠玉の名曲ばかり。バルバラの歌を聴いてみたいなら、まずこの1枚をお勧めする。

シャンソンの世界、魅力的なことこの上ない。けだるいムーディな雰囲気に、アンニュイなフランス語の発音が自然と溶け込む。まさにシャンソンは、フランスの歌曲だ。

バラバラの声は、美声というより、もっと妖気漂う存在感のある、まさにシャンソンを歌うためにあるような、聴いている者に対して畳みかけてくるような説得力のある声。

映像なしの音楽を聴いているだけでも、彼女のカリスマな姿が目に浮かんでくる。

早口の語りが自然にメロディーとなり、自然と語り終わるようにメロディが終わる。
言いかえれば 思いっきり言葉に寄りかかった音楽。

彼女の歌を表現するのに、まさに的確な表現だと思う。

まさにその狂気ともいえる妖艶な彼女のカリスマなルックス、まさにその歌を通しての彼女の表現(死とエロス)のカラーにも相通ずる、伝わってくる熱いものがある。

自分もすっかりバルバラの魅力に憑りつかれたようだ。



バルバラという歌手へのオマージュである「BARBARA Expo」、来年の1月まで開催されています。






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Auro-3Dのデモンストレーションを聴いてきました。 [オーディオ]

いまのサラウンド以上に家庭内での実現の敷居は高いと思うが、まずは夢がある。3次元立体音響や3Dサラウンドと呼ばれるフォーマット。

期待はしていたが、自分の中で、現実問題どの程度のものなの?という、どこか懐疑的だったことは認める。

Dolby Atmos/DTS-Xについで、待望のAuro-3Dが上陸。
3Dサラウンドについては、Auro-3Dの製品が市場に出たら、デモを聴きに行こうと決めていた。

きっかけは、ポリヒムニア。

彼らがPENTATONEのSACDを収録をするときに、マイキング含めた収録方法にAuro-3Dを使い始めたことで、その存在を知った。

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彼らの映像素材を扱うスタジオ。

「5.0.4」の9.0chの構成。彼らは、クラシックのサラウンドなので、ウーハーLFEの0.1chは使用しないのだ。天井SPには、B&W N805を使い、逆さまにして天井から吊るしている。

このスタジオでオーサリングされたAuro-3D音声の映像ソフトもすでに市場に出始めているのだ。 


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ダニエレ・ガッティ指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団
マーラー2番「復活」

https://goo.gl/rUW6Uy

世界的な名ホールであるアムステルダム・コンセルトヘボウのホール空間を、3次元立体音響であるAuro-3Dで切り取ってくる。

ホームグラウンドにて、ここの音響を十二分に知り尽くしている彼らだからできる試みともいえる。

3Dサラウンドについては、いろいろAV雑誌で特集されているから、ここでは詳しくは書かないが、自分のために簡単に整理しておく。

まずSPの配置。

こちらがDolby Atmos/DTS-X (地上サラウンドが7chだが)。「7.1.4」という型。

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天井SPは、屋根に埋め込み型で、特にここの位置という特定のルールはなさそうだ。
この屋根埋め込み型をトップSPと呼ぶ。


こちらが、Auro-3D。「5.1.4」という型。

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天井SPは、地上SPの真上に位置する。ハイトSPと呼ぶ。フロントL,Rの真上にハイトL,R、そしてリアL,Rの真上にハイト・リアL,R。

さらに飛行機の頭上の移動感や天井の高い教会の響きなどを表現するために、ど真ん中の屋根埋め込み型のトップも規定している。


Auro-3Dの規格として、つぎの3つのレイヤーに分けている。

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自分の耳から水平方向に取り巻いているサラウンドをLAYER1、そして耳の高さから抑角が30度にあたる高さ成分を認識するハイト成分としてLAYER2、そして頭上のトップ成分をLAYER3。

それが上のSP配置にそのまま反映されている。


Dolby AtmosとAuro-3Dは何が違うのか?

映画のDolby Atmos、そして音楽のAuro-3Dという住み分けがある。

作成手法の大きな違いは、Dolby Atmosはオブジェクトベース。Auro-3Dはチャンネルベース。

Dolby Atmosは、サラウンドに対して、高さ成分を”オブジェクト音”として追加していく。
個々の音の要素(オブジェクト)をレンダリング(描画)して3次元空間に立体的に配置していく感じ。


レンダリングというのは、そもそもCGの世界の言葉だから、極めて映像的な手法で、処理も難しくて負荷も重い。でもSPの配置を決めつけることなく、異なるSP配置でも実現、適合できるというメリットがある。

一方Auro-3Dは、製作者側であらかじめ定められた3次元のSP配置(チャンネル)に合せて音を振り分けて作り込まれる。だからSP配置は決まっているのだ。いままでのオーディオの制作、オーサリングの延長線上にある考え。いままでに高さ成分のチャンネルが増えた、というだけ。処理の負担も軽い。


ステレオ2chというのは、厳密にL,RのSPの位置決めをクリティカルに調整しないと、音像の位置のポイントや音場が広大になるポイントが現れてこない。そこを探るのが難しい。

でもサラウンドというのは、ある意味、そこまで厳密に調整しなくても、音像のピント・豊かな音場というのが簡単に実現できてしまう。サラウンドのほうがより簡単にこれらを手に入れることが出来る。もちろん難しい厳密な調整をすれば、お化けなサウンドが出来上がる。

自分は最初この意見にかなり抵抗があった。サラウンドとはいえ、最低限の決まりごと、セッティングを施さないとダメなはず。でも時間が経つにつれて、この考え方にも一理あると思うようになった。

3Dサラウンドについても同様のことがいえる。Auro-3Dの開発者の意向では、ハイトのSPは、地上のSPの真上に置いてほしいこと。そしてリスポジから30度の抑角にしてほしい。そうすると水平方向の音場空間と垂直方向の音場空間とシームレスに繋がるとか。


Auro-3Dのセッティングの要は、フロントの構成(地上&ハイト)をしっかりルールどおり準拠して欲しいとのこと。フロント重視のシステムなのだ。


ハイトSPの役割は、完全に直接音に対する反射音と限定している。ハイトSPから直接音が出てくるようなサラウンドの構成はあり得ないとのことだった。

音声のコーデックは、Dolby AtmosもAuro-3DもPCMのハイレゾ。2Lのソフトだと、Dolby Atmosは、48/24で、Auro-3Dは、96/24。


はじめて、この立体サラウンドの音を、自分の耳で聴いたのは、TIAS 2017でのDENONのブース。国内初のAuro-3D対応AVアンプということで、彼らのAVR-X6400Hの初お目見えのデモだった。

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全チャンネルともDALIのSPを使用。ハイトSPの設置には、写真のようなスタンド・ポール型を使っていた。


主に2Lのソフトや映画ソフトを使ってのデモだったが、自分が予想していたよりは、まともな音場空間であった。確かに高さ成分を感じ取れる。ただ、歌い文句や予想していたより、イマーシブ感(包み込まれる感じ)は、いまいちかな?という印象。

やはりIASの国際フォーラムの部屋はオーディオ再生に向いていないし、第一部屋が広過ぎと感じた。フロントとリアの音場空間がつながっていないのが原因かな、とも思った。

エム5邸や、全国のツワモノ達のすごいサラウンド・システムをたくさん聴いてきた自分の耳の経験からすると、これくらいならもうみんな実現しているよ、という感じで、それよりも若干高さの改善があるかな、というレベルの感じだった。

これでは手放しでは称賛できないし、もうちょっと実ベースのいい環境で聴いてみたい、という欲望があった。

そこで、自宅の近くのホームシアター専門のAVショップの視聴ルームで、Auro-3DとDolby Atmosの聴き比べができる、というニュースを掴んで、行ってみようと思ったのだ。


視聴ルーム。

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約18畳の広さ。専用リスニングルームとしては平均的な適切サイズ。ここでの視聴であれば、もっと真っ当な3Dサラウンドの評価ができると確信。

SPは全チャンネルとも、フランスのCabasse(キャバス)を使う。自分は知らなかったが、同軸ユニット搭載で世界中から高評価を得ているとか。オンキョウが代理店。

ハイト用のSPは、こんなに小さい。設置はスタンド・ポール型。

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ハイト・リア。

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こんなに小さくても、恐ろしく素晴らしい広い音場空間を実現するのだ。たぶん値段も一般コンシューマ向けと思われ、普及ベースの商品。現実離れしたハイエンドな世界よりも、3Dサラウンドの場合、こういう身軽で安い普及前提の商品のアプローチのほうがいいかも。より現実的だ。

結論からすると、こんな簡易型システムでも全然十分すぎる音場空間で、見事な素晴らしい立体空間だった。


もちろんDolby Atmos用には、すでに天井に埋め込み型のトップSPが設置されていた。

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まず、一番自分が感動したのは、非売品のAuro-3Dのデモソフト。

ステレオ2.0→DTS HD Master 5.0→Auro-3D 9.0というように同一音源で、順次切り替わっていくソフト。確か森林の中の鳥のさえずりのようなネイチャーサラウンドだったと記憶する。


いわゆるサウンドの立体空間の移り変わりの効果を感じ取ってもらうデモソフト。

昔ゴローさんが、NHKでサラウンド特番を作ったとき、同じように、モノラル1.0→ステレオ2.0→サラウンド5.0と切り替わるデモソフトを作っていた。(ヨーロッパの街中で舟をこぎながらの音)

あれの3Dサラウンド版と思ってくれればいい。

これが効果てきめん!!

この非売品ソフトほっすいぃぃ~!

まずステレオで前方に平均的な音場空間が構築されると、そこから5.0サラウンドに切り替わると、一気に水平方向にサウンドステージが拡がる感じで、自分の周りが包み込まれる感じになる。そこから3Dサラウンドの9.0になると、高さ成分が加わるのがはっきり認識できるのだ。自分の耳の上から、ちょうどハイトSPのさらに上部辺りに音場空間が追加される感じ。

全体として、かなりリッチな音場空間になる。

これはふつうのソフトを聴いているよりも、ずっとその増設効果がはっきりと認識できると思います。

このデモソフトで、かなり正当な評価ができる、部屋の広さも適切、ということを認識した。

つぎに、2Lのマルチフォーマット音源のソフト。同一音源をDolby AtmosとAuro-3Dで収録してある。もちろんLPCM2.0やDTS HD Master 5.0でも。

これらはBlu-ray Audioに収録されているが、それとは別にSACDサラウンドのディスクもある2枚組なのだ。

2Lについては、別途日記にしようと思っているので、ここでは深く触れない。

かなり実験的で先進的なサウンドアプローチをするレーベルで、録音はかなりいいと思う。
3Dサラウンドのソフトとして、ここにきて、注目されているレーベルですね。 


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「わたしの愛も~現代合唱作品集」 
ニーナ・T・カールセン&アンサンブル96

https://goo.gl/5Brxiv


天井がとてつもなく高いオスロのウラニエンボルグ教会で録られた室内合唱団の録音。

最初DTS HD Master 5.0で聴くが、これでも十分すぎるくらい音場空間で、この教会の大空間がよく録れていて、そこにワープしたような感覚になる。これをAuro-3D 9.0に切り替えると、明らかに高さが加わった感じがよくわかり、特に合唱の声の突き抜け感がかなり増える感じになる。

おぉぉ~明らかに高くなったね、という感じ。

Auroのモードには、Auro-2Dという設定モードもあり、ハイトSPを鳴らさないという設定もできる。Auro-3Dを聴いていて、そこからAuro-2Dに切り替えると、高さ方向の成分がスパッと切れてなくなり、水平方向のみ残るという感じで、その差分にガクッと来る。


さらに言えば、ある意味、Auro-3Dから、ステレオLPCM2.0に切り替えると、これは、もう本当に悲しくなるのだ。(笑)

ここで面白い実験をしてみた。

Dolby Atmosの適切な再生には、天井SPには埋め込み型のトップSPを使う。Auro-3Dの適切な再生には、天井SPには地上SPの真上に設置してあるハイトSPを使う。

Dolby AtmosをハイトSPの条件で聴くとどうなのか?

2LのソフトをDolby Atmosモードにして聴いてみる。

確かに高さは感じるが、合唱の声がAuro-3Dのときのように突き抜けるような感じではなく、自分側の前のほうに被ってくるような違和感がある。やはりハイトSPの設定の場合は、Auro-3Dで聴くほうがずっと適切だと感じた。

Dolby Atmosはオブジェクトベースなので、SP設定を選ばないで自由に空間にレンダリングするのが特徴なので、この現象はちょっと不思議だったのだが。。。

じゃあ、Dolby Atmosの本領発揮の条件で聴きましょう、ということで、SP設定を埋め込み型のトップSPにしてDolby Atmosの映画を視聴してみた。


やっぱり音楽のサラウンドと映画のサラウンドは、根本的に聴こえ方が違うし、聴き方も違うと思う。あの映画独特のド迫力のサラウンド効果は、もう本当に映画館、シアター。

音楽が静的な3次元空間の表現だとしたら、映画は動的な3次元空間の表現。移動感のリアルさがハンパない。

本当に頭の上の天井から音が振ってくる、という感じだった。(笑)

自分は映画は大好きだけれど、ふだん時間があまりなく映画をあまり観ない人なので、映画サウンドのクオリティの評価は、偉そうにしないほうがいいと思う。(笑)


ここで、考えさせられたのが、Auro-3Dは専門の音楽だけじゃなく映画にも触手を伸ばしているけど、将来、映画のDolby Atmos、音楽のAuro-3Dということになると、家庭の天井SPは埋め込み型のトップにしたほうがいいのか、ハイトにしたほうがいいのか、まさか両方設置するのはどうなのか?など両フォーマットの併用は、かなり家庭に負担を強いるし、ここがひとつの問題だよなぁと新たな課題を感じた。


Dolby AtmosやAuro-3Dが、天井SPの配置スタイルとして、トップでもハイトでもどちらでも兼用できるのかもしれないが、それが各々において最適なクオリティかどうかは疑問が残るところだ。


もうひとつの驚きなデモのひとつに、毎年正月元旦にウィーン楽友協会で行われるウィーンフィルのニューイヤーコンサート。

じつは、2014年から、今年の2017年までの3年間、ずっとこのコンサートをAuro-3Dで収録していたのだそうだ。 




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ニューイヤー・コンサート2017 
グスターボ・ドゥダメル&ウィーン・フィル

https://goo.gl/TZMDZB


最近のニューイヤーコンサートはソニーがパッケージしているようだが、パッケージは正式にはAuro-3Dとは表記されていない。でもAuro-3D対応機器で再生すると、オーディオ設定のメニュー画面のところに、LPCM2.0やDTS HD Master 5.0のほかに、きちんとAuro-3D 9.0と表記されるのだ。

それを選択して再生すれば、Auro-3Dで再生される。つまり隠しコマンドなのだ。いままでパッケージに表記されていなかったのは、世の中にAuro-3D対応機器がなかったからだと思う。すでに世の中に発売されたのだから、来年からは正式にパッケージ表記されるようになるだろう。

残念なことは、このソフトを再生するときに、Auro-3DとDTS HD Mater 5.0の切り替えをしなくて、その差分を確認できなかったこと。訪問した時に、このソフトがかかっていて、じゃあ、本番デモ行きましょう、という感じ(笑)だったので、よく吟味できなかった。

TIASのほうで、ある程度視聴できたが、やはり音の沈み込みが秀逸かな、と感じはした。

クラシックのコンサートの映像ソフトは、自分が一番視聴している得意分野なので、このテレトリーできちんと評価したかった。

でもウィーン楽友協会という世界最高の音響空間も、すでに3次元立体音響で切り取っていた、という事実は非常に興奮した。


以上が体験したデモの全貌。

ハイエンドな世界ではなく、安価でコンシューマ向けの現実的な装置で、ここまでの立体音場空間が形成できるなら、自分は十二分に可能性のあるフォーマットだと確信した。

いますぐ自分の自宅に天井SP、3Dサラウンドの環境を敷くことは全く持って不可能だけれど、夢を見させてもらった。一般家庭にこれを施工するのは、やはりハードルは高いと思うが、技術の行く末として夢があることは絶対必要なこと。

サラウンドの次なる行先は高さ方向の3Dというのも必然だと思う。

まぁ、まずは映画館などのプロユースへの導入というのが当然の敷かれているレールかな?

もちろんSP設定が普通の5.1サラウンド環境でも、Auro-3D対応AVアンプがあればアップミックス機能を使うと、高さ成分が疑似ミックスされて、効果は作れるとのこと。

でも、でもだ。自分のかねてからの疑問だった、3Dサラウンドで収録した素材は、それをダウンコンバートした下位互換の5.1サラウンドでもその高さ成分が付加されていて、5.1サラウンドの収録機材、マイキングで収録した従来素材よりもメリットがあるのではないか、という疑問は、この日も解決できなかったのであった。(笑)













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オーボエのリード [クラシック学問]

木管奏者はオーケストラの華形スターだ。オーケストラの中央に陣取り、オーケストラのサウンドに嫋やかで色彩豊かなカラフルな音色を添える。撮影カメラが彼らを抜くときもとても格好いい。


開演前の調音のときもオーボエのラの音で始まる。

その中でも、特にオーボエは華があると思う。
木管楽器の中でも、とても人肌の感覚に近いというか、とても温もりのある音色だと思う。

自分は、また首席オーボエ奏者が出すソロ・作品集が昔からとてもお気に入りで、バッハやモーツァルトなど、とても心癒されて、世界中のいろいろなオーボエ奏者のソロ作品をコレクターしている。

そんなお気に入りのオーボエなのだが、昔から、ちょっと疑問なことがあった。

オーボエ奏者の方々のSNSの投稿を見ると、いわゆる”オーボエのリード”と呼ばれるものを、一生懸命、ご自分の自宅の作業台でナイフを使ってシコシコ作成している写真を投稿されているのだ。

「つぎのコンサートまでに、しっかり何ピースのリードを作成しなきゃ」ってな感じで。


このリードと呼ばれるものが、オーボエの楽器のどこに装着されるもので、吹くときにどのような働きがあって、なんでこのようなものを作る必要があるのか?謎だったのだ。

幾度か、ネットでググってみたのだが、きちんと説明している文献は皆無で、ずっと自分の中で謎だった。


そんな中で、新日本フィルの首席オーボエ奏者の古部賢一さんが、このたび日本銭湯文化協会「銭湯大使」を任命されて(笑)、そのインタビューでリードのことに触れてくれていて、自分のいままでの謎が一気に雲がなくなるようにクリアになった。

本当にありがたいです。

ぜひ紹介してみたくて日記にしてみた。

そのインタビューの中から、そのリードの部分を抜粋させてもらいます。



オーボエは世界一演奏が難しい楽器とも言われているんですが、さらにリード(オーボエの先端につけて音を発生させる吹き口)も、自分で削って作るので、手先が器用でないといけない。そんな神経質な楽器なので、やる人が少ないけど、オーケストラの花形。

これは天邪鬼(あまのじゃく)の自分に向いている楽器だな、と(笑)。

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リードの調整は1/100ミリ単位

オーボエの先端に付けて息を吹き込むリードは、隙間が1ミリもないくらいで、すごく狭い。息の量はそれほどいらないけど、相当な吹く力が必要です。だから吹いていると代謝がよくなって、汗がどんどん出てくる。二日酔いの時なんて、最初のうちは嫌な感じの汗がダラダラと(笑)。

リードの材質は葦(あし)です。オーボエがヨーロッパの楽器なので、南フランスや北イタリアで栽培された葦を使います。荒削り用から仕上げ用まで何種類ものナイフを使い、削って作る。吹き口部分はすごく薄くて1/100ミリ単位で削って仕上げます。さらに演奏する場所の湿度によって、膨らみ具合をリードに巻いた細い針金で調整する。


リードは湿気に敏感です。エアコンが効いたホールで吹いていても、リードの膨らみ具合で「今会場の外はどしゃぶりだな」とわかる。面白いことに、東京と大阪で湿度はだいぶ違います。大阪のほうが湿度が高くて、いつも吹き心地が重い。リードは音を出す要ですが、すごく繊細なので、扱いに気を遣いますね。 


 


なるほどそういうことだったんですね。

リードって、オーボエの先端につけて音を発生させる吹き口のことだったんですね。

オーボエ奏者は、みんなこのリードをコンサートに向けて、自宅の作業台で何種類もののナイフを使って、シコシコ削って作っているのです。オーボエ奏者だから、これをやらないと仕事にならない、日課なのです。

古部賢一さんは、ご実家が、風呂屋さんで4代目にあたり(残念ながらいまは廃業されている)、それがご縁で、今回、銭湯大使に選ばれた、ということ。

自分も銭湯は大好き!今住んでいる街は、1996年から住んでいて、もう21年住んでいるのだが、毎月1回は、必ず馴染みの銭湯に通っている。

もう欠かせない日課なのだ。(笑)銭湯のあの雰囲気が大好き。湯上りにサウナ休憩室で、ジュースを飲みながらくつろぐのがこの世の最高の極楽。


古部さんの風呂屋の実家から、新日本フィルハーモニーの首席オーボエ奏者になるまでの生い立ち、もちろん、このリードのことも含め、ぜひ、ぜひ、興味深いので読んでみてください。



風呂屋の4代目から日本を代表するオーボエ奏者へ 古部 賢一さん インタビュー

http://www.1010.or.jp/mag-suki-furube/



古部さんは、ゴローさんとの関係も深く、1997年サイトウ・キネンでマタイ受難曲をやったとき、(ゴローさんが初めて、サイトウキネンを受け持った年)それがご縁で、それ以来、よく話掛けてくれて可愛がってくれたそうです。

後のゴローBDのサイトウキネンの幻想、巨人でも首席オーボエ奏者としても乗っているのを発見した。カメラで抜かれるときに、「おーっ、若いなぁ。で、すごいイケメンのハンサム」で驚くのだ。

あっいまでももちろんハンサムです。(笑)





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世界の朝食を食べさせてくれるお店 タイの朝ごはん [グルメ]

タイ料理、大好き。いまから20年以上前に、大学の同期で、同時期に上京して就職した友人に、はじめてタイ料理というものを紹介してもらい、それ以来やみつき。あのスパイシーな味付けが自分の味覚にあう。

昔、渋谷にとても美味しいタイ料理屋さんがあって、そこのトムヤンクンは絶品だった。かなりの頻度で通っていたのだが、入れ替わりの激しい街。あえなく閉店で消えて行った。

トムヤンクンは、それこそ、あのスープの味付けは店によって全然違うので、自分の好みに合うお店に辿り着くのは難しい。

デザートのタピオカも大好きで、自宅でインスタントのをよく作っていた。(笑)タイカレー、その他諸々、とにかくあの独特の辛い味がやみつき。汗ダクダクで食べるのが美味しかった。

いまはもうほとんど行っていないし、食べてもいない。ずいぶんご無沙汰。

今度の世界の朝食は、そんなタイの朝ごはんということで期待大だった。

これがタイの朝ごはん。

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お粥だった。(笑)

砕いたタイ米を形がなくなるまで、トロトロに煮込んで、別に作った鶏のスープと合せて食べるタイのお粥。

豚肉のつくねやレバー、卵、揚げビーフンなど、色々トッピングしてある。

本来ならそこにコショウやナンプラーや酢で味を調えるらしいが、忘れてしまった。(^^;;

なので、食べた第一印象は、ほとんど無味、無臭という感じだった。(笑)

いわゆるお粥なので、特に特別な感じはしなかったが、薄っすら鶏のスープの風味があったので、それなりに美味しかった。トッピングがそれなりにボリュームがあったので、それとともにレンゲでお粥をどんどん掻っ込んでいくと、不思議とそれなりに食べたー!という達成感があって、美味しいと感じた。

調味料で味を調えることを忘れなかったら、もっと違う世界があったかもなぁという感じ。


写真右上に映っている肌色の食べ物は、パートンコー。中国生まれのモチモチの揚げパン。中国ではヨウティヤオ(油条)という名前でコッペパンの2倍ぐらい大きいらしいのだが、タイのパートンコーはご覧のように子供の手のひらサイズ。

モチモチした不思議な食感で、確かに一風変わったアクセントになっていた。


自分が抱いていたタイ料理のイメージ。。。全然違っていたこのタイの朝ごはん。(笑)


10月~11月の2か月間やってます。






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PENTATONEの新譜:アラベラ・美歩・シュタインバッハー ブリテンとヒンデミットのコンチェルト [ディスク・レビュー]

結婚でいま最高に幸せ気分のアラベラさんの待望の新譜は、ブリテンとヒンデミット。 


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ブリテン:ヴァイオリン協奏曲、ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲 
アラベラ・美歩・シュタインバッハー、V・ユロフスキ&ベルリン放送交響楽団

https://goo.gl/S3ocae



なかなか普段のコンサートでは、あまりお目にかからない作曲家ではないか、と思う。
取り上げる演奏家も極端に少ない。

今回の新譜で、この2人の作曲家を取り上げると知ったとき、アラベラさん、渋いな~という第一印象だった。

彼女は、じつは外見に似合わず、かなりのキャリアの持ち主で、ORFEO,PENTATONEと録音してきた彼女のディスコグラフィーを見ると、もう大半の有名どころのコンチェルト、ソナタは、ほとんど収録済みなのだ。

もはや中堅、いやベテランと言っていいほど。

だから、再録でもしない限りは、もう収録するレパートリーは、もうほとんどないと言っていいのではないだろうか?

新作を期待するたびに、今度はなにを録音するのだろう?といつも思うばかり。



なかなか耳にすることも少ない作曲家なので、簡単に紹介をかねてみる。

ブリテンは、イギリスの作曲家。指揮やピアノもやる。出世作としては、オペラ「ピーターグライムズ」や、「戦争レイクエム」がある。

イギリス人の音楽観をこれほど世界中に広めた人もいない。作風は、前衛的な音楽。いわゆる現代音楽ですね。新ウィーン楽派のベルクへの弟子入りを計画するなど、無調音楽に興味を示して、自身の作品に取り入れたり。

敢えてカテゴライズ的な表現をすると、新古典主義という潮流に近い作曲家になるのだそうな。



一方ヒンデミットは、自身がヴィオラ奏者だったということもあって、ヴィオラの無伴奏作品を多く残し、いま尚、彼のヴィオラ独奏作品はヴィオラ奏者にとって避けて通れない作品になっていると思う。

自分が敬愛するヴィオリスト、タベア・ツィンマーマンが、彼のヴィオラ作品のじつに素晴らしい録音を残している。


また、いまの上野旧東京音楽学校の旧奏楽堂で、1958年に来日したヒンデミットを迎えて、当時東京藝術大学の学生だった元ベルリンフィルのヴィオラ奏者であった土屋邦雄さんが、ヒンデミットの無伴奏ヴィオラ・ソナタを演奏したという縁がある。

そしてそのことが土屋さんがドイツに留学することになるきっかけになったのだ。

自分にとってヒンデミットという作曲家は、そんなヴィオラのイメージが強くて、ヴィオラ奏者にとっては絶対権威的な存在である、という認識だった。


でもじつは、非常に多才な人で、ヴィオラだけでなく、その他にもヴァイオリン、クラリネット、ピアノなど様々な楽器を弾きこなす演奏家でもあった。

生涯にじつに600曲以上を作曲。交響曲やオペラばかりではなく、オーケストラを構成するほぼすべての楽器のためのソナタを作曲した。


彼の作風は、自分のイメージではとにかくものすごく前衛的。


最近の演奏会で、ヒンデミットを取り上げるのをなかなかお目にかからないような気がする。 

そんな印象がある。

新即物主義とか、新古典主義と呼ばれている彼の作風には特徴があって、対位法(独立した強い複数の旋律を対等な立場で同時に演奏する手法)の技術の高さに評判がある。

バッハの対位法を好んだと言われている。

いままで彼のヴィオラの無伴奏ヴィオラ・ソナタを聴いた限りの印象では、不協和音的な現代音楽という印象なのだけれど、新ウィーン楽派の無調音楽には否定的な立場で、世に存在する音楽には、必ず調的な支配関係が存在し、完全な無調は存在し得ない、と、かねてより主張しているのだ。


こうしてみると、ブリテン、そしてヒンデミットという2人の作曲家に共通する作風は、”前衛的であること”。

だからアラベラさん、通好みの渋い選曲だなぁ、と感じたのである。

彼女は、以前にもベルクのコンチェルトを録音していて、また生演奏でもこの曲を盛んに演奏していて、自分もN響と京都市交響楽団での演奏、と2回実演に接している。

だから結構、彼女本人も得意で好きな分野なのかもしれない。



今回のタッグは、ユロフスキ&ベルリン放送交響楽団。
ベルリン放送響とは、もうお馴染みでよくお互いを知り尽くしたパートナー同士。

ユロフスキは、2~3年前からPENTATONEの録音で、若手として存在は知っていた。でもいまや、すっかり成長して若手の有望筆頭株という感じで取り上げられている。

今秋にLPO(ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)を引き連れて、日本に凱旋だそうだ。
若い世代とはいえ、LPOの首席指揮者に就任して10年目である。



録音(セッション)は、ベルリン放送局本館(ハウス・デス・ルンドフンクス、RBB(ベルリン))。

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さっそく聴いてみた印象。

2曲とも、とても渋い調性、曲の構成だが、自分的には結構ツボに嵌るというか、とてもいい印象だった。かなり格好いい。

確かにコンサート向けとか、万人に受けるというタイプの曲ではないかもしれないが、オーディオファイル向けというか、オーディオ的な聴き方をすると、とても美味しいところだらけ、で何回も聴き返して嵌るタイプの曲だと思う。



録音がとてもいいのだ。
彼女の近年のディスクコグラフィーの中では、1番録音がいい、と思う。

クレジットを見ると、バランスエンジニアに、ジャンマリさんこと、ジャン・マリー・ヘーセン氏、録音エンジニア・編集にエルド・グロード氏。

ポリヒムニアは、近年の録音は、若手の育成もかねて、若手のエンジニアが担当することも多いのだが、今回は、まさに我々世代のお馴染みのポリヒムニアを支えてきた黄金タッグの復活だった。

どうりで、やたらと録音がいい、と感じる訳だ。これは嬉しかった。やっぱりエンジニアの差は作品の出来栄えに大きく反映されると感じた。

聴いていて、思わず反応してしまうのだ。

ダイナミックレンジがかなり広い。
いつものPENTATONEサウンドのような温度感高めで、前へ前へと出てくるエネルギー感溢れる聴こえ方ではなく、音像がやや奥に引っ込んだ感じで、音の鳴りがとても深いのだ。

オーケストラが、鳴りきるときに、深く沈みこむ感じとか、かなり秀逸。

やっぱり自分の好みは、レンジ感が広いって大きな要素だと思う。これが深いと、おっいい録音じゃん!と一聴して決めてしまう傾向にある。

好みなんですね。



そしていつもの残響感豊かな柔らかい質感もちょっとテイストが違っていて、どちらかというとクールダウンで硬質な感じ。

ややオフマイク気味に聴こえて、空間がよく録れていた。空間の取れ方と楽器の鳴りの躍動感や解像度の高さのバランスが取れていた。以前にも日記に書いたけれど、この二つのパラメータ(空間の広さと解像度&躍動感)の両方のバランスを取るって、録る・編集する側の立場からすると、難しいというか腕の見せ所。(どちらかに偏るというか、片方が犠牲になってしまう。)


いつもより品があって(失礼)、クオリティが高いと感じた。

まっ敢えて難を言えば、1回聴いただけでは、その良さはわかりにくいと思う。
自分も最初聴いたときは、なんか冴えない録音だなぁ(笑)と思ってしまったくらいだから。

やはり録音レベルが低いと、深夜の小音量で聴いているとその良さが分かりにくい。何回も聴き込んで、休日に大音量で聴くと、なんだ、じつはすごいいい録音じゃないか、と思ってしまうので。大音量で聴くって大切なことですね。

(あくまで注釈ですが、いままでの印象は、サラウンド5.0で聴いた印象です。)


アラベラさんの弦の音色は、彼女の楽器Boothの特徴もあって、乾いた感じの音色なのだが、いつもより艶っぽく録れていた。彼女の独奏のときより、オケがそこに入ってきて鳴るときのほうが思わず反応してしまうと思う。


そして演奏の印象。

まずブリテン。

曲の醍醐味であるリズムの切れやダイナミクスの大きさが如何なく発揮されていて、聴いていてかなり反応する。

調性、や曲調は暗めで、かなり難しい曲。

ヒンデミットの曲にも言えるのだけれど、不協和音を伴った現代音楽で、どこに向かっているのかよく分からず、とりとめがない印象を持つのは間違いないんだけど、そこには独特のブリテンの世界が如何なく発揮されている曲だと思う。

特に第2楽章が秀逸。

ベルリン放送響の音色は、やはりドイツのオーケストラの音がする。重厚で重量感あって懐が深い音色ですね。



ヒンデミットもブリテンに勝に劣らず、より魅力的な曲のように感じた。


ヒンデミットのヴァイオリン協奏曲は指揮者メンゲルベルクへの委嘱作品で初演は1940年、メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ヴァイオリン独奏はコンサートマスターのフェルディナント・ヘルマンである。

ブリテン同様に、調性や曲調は暗めで、かなり難しい曲なのだが、アラベラさんの弦ソロとオケの重厚感あるサウンドとの緊迫感ある掛け合いが、とてもスリリングな展開を生み出している。

暗めだけど抒情的でもあって、躍動感ある旋律と相まって、なんか独特の格好よさがある。

特に彼女の次から次へと繰り出される、速いパッセージの超絶技巧の連続は圧巻だと思う。

暗くて不安定感な印象要素の多い曲の中でも、一種のドラマティックな筋書が用意されていて、かなり格好良いのだ。

ブリテンもヒンデミットも、共通しているのは、演奏の弱音表現から強奏の幅がとても広いこと。ダイナミクスが広い演奏。そこには感動が待ち受けている。


一言で言えば、通好みで渋いアルバムだよなぁ、と言ったところです。

最後に、この録音セッションの様子をPENTATONEがYouTubeにアップしているようなので、それも上げておきます。アラベラさんや、ユウロフスキのインタビューもあります。

アラベラさんのお父さんは、ヒンデミットが好きで、よく聴いていた、そんな想い出の作曲家ということで、お父さんの写真をセッション現場に持ち込んで話をしているのが、とても印象的です。









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サントリー音楽賞受賞記念コンサート 広上淳一&京都市交響楽団 [国内クラシックコンサート・レビュー]

今日の午後突然ひらめいた。このコンサートがあることは、1年以上前から知っていたが、訳あって今年は行けないものだと諦めていた。それでも前日、当日券があることも知っていたのだが、それでも踏ん切りがつかなかった。

本当にギリギリの午後になって、突然お告げがあったように行こうと思った。

行って本当によかった。

もうひとつの動機付けに、新装オープンになったサントリーホールの様子を確かめてみたい、という理由もあった。

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まずサントリーホールの新装オープンの様子の感想を書いてみる。

事前に知っていたところでは、ステージ床の全面張替え、座席の敷物シートの全面張替え、パイプオルガンのパイプを全部1本づつクリーニングしてのメンテナンス、そして女性トイレの増設、こんなところであった。

でも実際行ってみないとわからないことが多かった。実際見てみて、そうなっていたか!という感想が多かった。

大きな工事としては、ホールに向かって右側のほうに行くと通路があるが、その奥にさらに新しく通路が出来ていた。突貫工事で作った通路らしく、入って右側は外の通路に剥き出しになっている。(笑)

入って左側を進んで、その入り口のほうを映したアングル。
(係員の立っている向こう側が外に剥き出し。)

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この通路のところに、エレベーターが新設されていた。
障害者の方には優しい心遣いだろう。

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一番驚いて、ものすごい効果があると思ったのは、トイレの増設。
特に女性トイレ。

自分の淡い記憶だと、1階はホールに向かって左側にしかトイレがなくて、女性トイレはもちろん男性トイレもいつも長蛇の列だった。

自分はよく並んでいたのでしっかり覚えている。

それが、右側にもトイレが増設された。(奥の新しい通路のところ)男女ペアで、それが2箇所。

さらに2階のトイレも右側に男女ペアであったのを、そのエリアを女性専用に拡張して、男性トイレは、少し離れたところに。

従来よりも2倍以上、トイレが増設。特に女性トイレが大幅に増設になった。

休憩ブレイクのときに、試しにいろいろ覗いてみたが、なんと女性トイレはまったく列がなかった!ガラガラに空いていた。

男性トイレのほうが少し列ができているくらい。

そして休憩時間、男性トイレも使ってみたのだが、ここも従来より遥かに広くエリアが増設されていた。

恐るべき効果てきめん!

世界のどこのコンサートホールでも問題になるトイレの長蛇の列問題。
見事にクリアしている。画期的ですね。

その他の気づいたこと。

ホール横の通路に緩やかにスロープ(傾斜)ができたこと。


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今日の座席は最前列。


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ステージの床も見れた。もちろんピッカピッカだった。

そして座席の敷物シーツ。

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これを総入れ替えすることって、ホール音響にとって、かなりチャレンジングなことだと思っていた。シーツは吸音材で、座席の占める割合ってホールの容積のかなりの部分を占めると思うので。

でもそんなにデッドになったとか、という印象なし。お客さんが座るとその部分は隠れるからだろう。

今回の改修作業には、音響に関するメンテナンスはいっさいないようなので、もちろん音響がそんなに変わったという印象もいっさいなし。


ただサントリーの最前列は、かなりサウンド、音的にキツイ。(笑)

京都コンサートホールの最前列のほうが、ステージとの距離がかなりスペースが空いているので、ある程度バランスが取れて聴こえるのだが、サントリーは、もうステージにピッタシくっついているので、聴いていて、かなり厳しい感があった。

オケのサウンドに奥行きが出ない感がありますね。


でも、後半の大感動の演奏に、すっかりそんなことも慣れてまったく気にならなくなった。


大体そんなところです。トイレの増設は一番大きなメリットのように感じました。



今日は、サントリー音楽賞受賞記念コンサート。

毎年、その前年度においてわが国の洋楽文化の発展にもっとも功績のあった個人又は団体をサントリーから顕彰する賞で、広上淳一さんと京都市交響楽団は、2014年に受賞している。

サントリーホールで、そのお披露目演奏会なのである。


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京響をまさにここまで育て上げたのは、広上さんの渾身の10年間で、それが評価されての受賞なのだ。

自分も去年の夏、秋、そして今年の春と、地元京都で、この楽団の演奏会を堪能して、京都の美しい街並みと共に深く記憶に刻み込んだ。

そんな経緯があるので、サントリーホールでのお披露目コンサートには、ぜひ行きたいと思っていた。

最初の曲は、武満徹さんのフロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム。

TVや映像素材でしか拝見したことのなかったこの曲。
5人の打楽器奏者で、まさに武満ワールドと言える尖鋭な音と隙間のある空間の絶妙なバランスと旋律が織りなす摩訶不思議な世界。


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ステージ最前列に並べられたいろいろな打楽器の種類が、この曲独特の仕様で興味深い。

その音色も、あのカウベルを思い起こさせるものや、電子音のような音色であったり。
上の写真も、この曲仕様のステージ上の仕掛けで、あの5色の長いリボンを打楽器奏者が揺らすことで、美しい鈴の輪唱が鳴る。

なかなか実演に接することのない曲だと思うので、大変貴重な経験だった。




とにかく今日の公演は後半のラフマニノフ 交響曲第2番に尽きる。

もうこの曲は、ラフマニノフの作品の中でもダントツの人気曲で、もう始まる前から盛り上がること必須だと思っていた。

その甘美でロマンティックな旋律に彩られた、恋人とビロードのような甘い愛をささやき合うような・・・ そんな美しい曲である。一度聴けば、誰もすぐに虜になること間違いない。

自分も大好きな曲である。

この曲は広上&京響の18番の看板の曲なのだそうである。



これが超弩級の名演だった。


ここ数年の中で、もっとも心揺さぶられた演奏だったと言ってもいい。

分厚い安定した弦、音色の安定した描き方にコントロール、ともに広上さんの手中の中で、ものの見事に操られていた。

特に京響は弦セクションのレベルが非常に高いと去年から感じていることで、その安定した分厚い鳴りっぷりは感心することしきりであった。

そしてアインザッツ(音の出だし)が完璧に揃っていた。単純に音の出だしが合っている、といってもタイミングや音程や、リズムが合っているというレベルではなくて、最初の一瞬の音の震え、音の力、音の勢い、というなんとも言葉じゃ表現できない音の全てが完璧に合っている、そんな凄さがあった。

こんな安定感のあるサウンドで迫られると、後半どんどんクレッシェンドしていき、すごい高揚感に煽られ、こちらがドキドキして堪らなかった。

そして適切なフレージングの長さとブレス。このリズム、長さ加減が、微妙に聴衆の呼吸のリズムに影響するものだが、その次から次へと繰り出される甘い旋律に呼吸をしているのを忘れるかのような気持ちよさと陶酔感があった。

とにかく完璧な演奏だった。

今日のこれだけの名演の演奏レベル見せつけられると、どの都内の在京楽団も勝てんだろう。(^^;;

なぜなのか、自分のことでもないのに、ずいぶんと誇らしげな気分になって、余韻に浸りながら帰路についた。

今日は、突然のひらめきで来たのだが、本当に来てよかった。やはり音楽の神様は我を見捨ててはいなかった。

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第46回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 広上淳一と京都市交響楽団
2017/9/18(月)18:00~ サントリーホール

武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム
~5人の打楽器奏者とオーケストラのための~

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調op.27


アンコール~

チャイコフスキー:組曲 第4番作品61「モーツァルティーナ」より第3曲「祈り」




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BISレーベル [オーディオ]

今月のPROSOUND 10月号に、スウェーデンのクラシック音楽レーベルのBISの特集があった。

名古屋芸術大学の長江和哉氏がスウェーデンのBISレーベル本社を訪問した、その訪問記が掲載されていたのだ。

大変興味深く拝読させていただいた。

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PENTATONEのポリヒムニアや、DGのエミール・ベルリナー・スタジオは、よく素性を知っていたのだが、有力なSACDサプライヤーのひとつであるBISレーベルは、なかなか秘密のベールに包まれていて、スタジオやトーンマイスター含めて知る機会がなかった。

もちろんBISのSACDは、いままで数多にディスクを買ってきたので、家に大量のライブラリーがあって、彼らの録音のテイストはよく知っていた。

ワンポイント録音の先駆けのレーベルで、マイクから程よい距離感があるオフマイク録音で、聴いていて、ちょっと温度感低めのクールなサウンド。全般に録音レベルが低いのだけれど、その代償としてダイナミックレンジが広い録音、というのが彼らのサウンドの特徴だと思う。


記事の内容を詳しく書いてしまうと、営業妨害になってしまうので、詳しく知りたい人は、本を買ってください。(笑)


BISレーベルのヘッドクォーター。

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BISは、1973年にロベルト・フォン・バール氏によって設立された。

ロベルト・フォン・バール氏。(調理中(笑)) 

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中世の音楽から現代音楽までを範囲とし、いままで約2200タイトルを制作していて、いまも、1か月に5タイトル=1年間で60タイトルの新譜を制作している、というのだから、なかなか回転率が良くてビジネスも順調に回っているのだと思う。

北欧の音楽、指揮者、演奏家を中心に取り上げ、そのエリアを世界の様々な音楽の分野に広げている。

いまや数少ないSACDのステレオ&マルチチャンネルのハイブリッドで提供してくれるレーベルで、自分はとても重宝している。

これは自分は知らなかったのであるが、2006年にはBISが設立した音楽配信サイト eClassicalでは、2015年より96/24 FLACのステレオ/サラウンドで配信しているのだそうだ。

Channel ClassicsがやっているDSD配信サイトのNative DSD Musicには、BISは音源を供給するのを頑なに拒否しているので(笑)、配信ビジネスには、あまり興味がないのかと思っていた。


現在、BISレーベルは、7人の精鋭で運営されているそうだ。

とても興味深かったのは、いままでBISの録音制作を手掛けてきたトーンマイスター5人が独立して、「Take 5 Music Production」 という別会社を設立していること。

主なミッションは、BISの録音制作を担う、ということらしいので、フィリップス・クラシックスの録音チームが、ポリヒムニアになったことや、ドイツ・グラモフォンの録音チームが、エミール・ベルリナー・スタジオとなったことと同様のケースのように確かに思えるのだが、ただ唯一違う点は、現在もBISには、社内トーンマイスターが在籍して、音に関わる分野の責任を持っていることなのだという。

これまで通り、BIS作品の制作を担いながら、同時に他のレーベルの制作も担当できる、さらには、ダウンロードのプラットフォームも構築していくという視野もある。


BISには、3つのスタジオが整備されていて、ひとつは、DSDサラウンド環境で、スピーカーはB&W 802 Diamond 5本が配置され、DAW Magix Sequoia、YAMAHAのデジタルミキサー、EMMのDSD DACなどでSACDサラウンドをマスタリングしている。

収録は、PCM 96/24でおこない、マスタリングするときにDSD 2.8Mにアップサンプリングする。

自分がよくチェックしていたBISのSACDのクレジットには、Nautilus 802と書いてあったので、モニタースピーカーは、やっぱり音色に色のつかないNautilusなんだな、と勝手に思っていたのだが、これはちょっと予想外だった。


DSDサラウンドスタジオ

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スタジオにしては、少し天井が低いかな、と思ってしまう。

もう2つのスタジオは、PCMステレオ環境で、スピーカーは、QUAD ESL-63とB&W 801 Matrix S3といったクラシック音楽録音のリファレンススピーカーが配置されている。やっぱりこのポイントは、どこのスタジオも同じですね。(笑)

彼らのスタジオは、サラウンドもステレオもクラシック録音の王道だと思う。


彼らは、ポリニムニアと同じで、編集、マスタリングするスタジオはあるけれども、ミュージシャンが演奏するスタジオは所有していないので、録音現場は北欧を中心に世界中のコンサートホールや教会になる。

そうすると基本は出張録音。そうするとその場で簡単にミキシング、チェックする出張モバイルキットが必要になるのだ。

でも、録音の際に毎回機材を運ばなくてもよいように、これらの機材は、本社のほか、アメリカ、オーストラリア、日本に保管しているのだそうだ。

収録機材は、DAW Magix Sequoia/SamplitudeとRMEのMADI機器のヘビーユーザー。

BISのSACDのクレジットで、他のレーベルにはないことで、よく感心していたのは、収録機材、マイクなどの情報を必ずクレジットしていることであった。彼らが技術集団であることの主張なのだろう、と思っていた。

その他、BISの音楽プロデューサーのロバート・サフ氏、Take 5のトーンマイスターへのメールインタビューと、とても興味深い。

Take 5のトーンマイスターであるHans Kipfer氏は、もう数えきれないくらいクレジットで、その名前を見かけたなぁ。まさに中心人物のトーンマイスターでしたね。こんな方だったとは!

日本の演奏家で、BISと契約してSACDを出しているのは、鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)と、ピアニストの小川典子さん。

特にBCJのバッハの教会カンタータ全集は、22年かけて、日本の神戸松陰女子学院大学チャペルでずっと録音してきたBISとの共同作業の賜物。

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このカンタータ全集が完成した暁に、鈴木さんのインタビューを読んだとき、当時この何十年もかかるカンタータ全集の録音をしたいといろいろなレーベルに話を持ち掛けたときに、どこも相手にされなくて、BISだけが興味を持ってくれた、と語っていた。

近代のレーベルにある場当たり的なリリース計画、マーケット戦略ではなく、何十年という先を見据えた戦略、眼力を持っていた創立者ロベルト・フォン・バール氏ならではの成果なのだと思う。

レコード業界の中でも完遂の数少ないバッハのカンタータ全集。それをSACDという高音質フォーマットで世に出してくれた作品はこのBCJの作品しかなく、その功績は大きいと思う。


自分にとって、永らく秘密のベールに包まれていたBISレーベルの全貌が見えたような気がする。

PROSOUNDのほうには、さらに詳しく掲載されていますので、ぜひ買って読んでみてください。







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アラベラさん結婚! [クラシック演奏家]

うぉぉぉー!突然のニュース、動揺を隠せん。(^^;;

2,3日前からFBのほうで、concertiというドイツのコンサート雑誌のサイトが、アラベラさんを集中的に取り上げて連日アップするもんだから、何事かな?くらいにしか思っていなかったが、まさか、このおめでたいニュースを発表するための振りだったんだね。

このようなサイトから彼女の結婚を知るとは思いもしませんでした。(笑)

ファン心理としてはショックだった。でも日本人の血が半分入っているハーフとはいえ、基本は外人さん。結局自分からの一方的な片想いに過ぎず、お互いの恋が成就するなんてことも100%あるわけもなし。すぐに気持ちを切り替えて、心からおめでとう!と祝福ムード。

Why flowers? Easy:Just married!

と書かれていたのを読んだときは、心臓がドキッとした。(笑)

これが、結婚発表の知らせと同時に掲載されたポートレート

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後ろに見える美しい風景が、ザルツブルクのシュロス・レオポルドスクロンというホテル。

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お相手は、不明。言及なし。一般人なのかな?
なかなかのナイスガイでスポーツ選手のような体格のよいハンサム紳士だ。
お似合いだと思うよ。


ハネムーンは、ギリシャのクレタ島。見事なエメラルドブルーの世界。

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ずっと彼女を追っかけてきたわけだが、女性の御歳に言及するのは、大変失礼に当たるかもだが、もう今年で36歳になるので、そろそろいいパートナーに出会わないと、と心配はしていた。

そんな心配も無用だったわけだ。秘密裡に進んでいたんですね。

演奏家としては、まさに、いまが円熟の境地。
レパートリーも幅広く、中堅から、もうベテランの域に差し掛かる。

そんな絶頂時に結婚で女性としての幸せを手に入れた。

まさに順調な人生を歩んでいる。

結婚、そして子供、というラインも読めて、それも女性の幸せの選択肢のひとつ。

彼女は、その選択肢を選ばないかもしれないが、もし選んだならば、産休、育児で長期休暇を取ることも予想されるが、それはそれで彼女の人生なのだから、ファンとしては、気長に待っていてあげよう。


とにかく、心からおめでとう!





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20年前の自分はこんな資料を作成して、こんな資料を読んでいた。。。 [雑感]

今日アマオケのコンサートの帰りに、前職時代の同期の友人と久しぶりにメシ&飲み会をした。
その友人とは、今年の1月にじつに17年振りに再会したのだが、どんなに間隔が空いても、会えばすぐその時に戻れるお互いがいるので、やっぱり不思議だ。

同窓会ってこんなもんだろう。

そんな今日、その友人が自分にプレゼントがあるという。

それは、自分が、1994~1997年ころに前職の会社の仕事で作成した資料と、当時仕事で読んでいた資料。

いずれもその友人に、今後の世の中は、こうなる、ということでプレゼントしたものだった。


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その資料を友人は大事に保管していて、その一連の資料を、20年後のいま、自分に返却してくれたのだ。

その資料を観て、驚いた。

1990年代中頃というのは、ちょうどインターネットが世の中に出始めた頃で、同じころにデジタル放送も始まり(最初は衛星放送)、「デジタル放送とインターネットの融合」というのが、ひとつの業界のテーマだった。

ブロック図のほうは、そのことを書いたもので、はっきり覚えている。

自宅でディスクトップのMacを購入して(当時Windows95が出始めた頃とは言え、まだMacブームだった。)、それで一生懸命作っていたのを覚えている。

よくこんな図、書けたもんだなー、と今思う。

いまじゃとても無理だ。(笑)

若いって恐ろしい。あの頃は仕事中毒人間だったからな。



そして、さらに驚いたのは、当時仕事関連で、読んでいた資料。

スーパーオーディオCDの概要と展望。

これは覚えているので、いいとして、驚いたのは、

ドイツのトーンマイスターとクラシック音楽録音
バイエルン放送協会
バイエルン放送協会の音楽番組制作
ドイツのクラシック音楽録音の状況
ドイツ以外のクラシック音楽録音の状況
サラウンド制作の現状と新技術の動向


などなど。大笑い。(笑)

ページの片隅のコピー元の雑誌を見ると、いずれも1994~1997年の放送技術だ。

自分は、このことについて、まったく当時のことを覚えていないのだ。

これを見て、友人と2人で大笑いした。

自分が、いま趣味で、興味を持って勉強していることと、全く変わっていないのだ。

当時の自分がこんなことに興味を持っていたとは知らず、人生って、結局同じことを繰り返しているんだな、ということをつくづく実感した。輪廻転生っていうけれど、まさにこのことなんだな、という感じ。

人生、運命って本当に不思議。

これをよくこの20年間、大事に保管していた友人に感謝。

この当時から現在に至るまで、天国、地獄と波瀾万丈な人生を送ってきて、仕事中毒で変わった人間だった前職時代、そしていまやプライベート趣味にウェートを置く第2の人生、でも結局興味を持って打ち込んでいることは、どちらも同じテーマだったというこのギャグとしか言いようがないパラドックス。

本当に今日は大笑いした1日だった。

このコピー、いま考えるととても貴重な昔の資料。

じっくり読み返してみることにしよう。





 


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世界のふれあい街歩き [雑感]

原則TVを見ない主義の人なのだが、でもオーディオを聴きながら、TV番組の画面だけは観ている、という変則的な楽しみ方をしている。

最近のTV番組は、必ず字幕がつくし、TV音声なしでも、十分にその番組のことがわかる。

画面の映像だけを観ていると、大体世の中の動きがわかるし、丸っ切り世の中から隔離されている訳でもない。

ザッピングしていると、最近のTV番組は、やはり低俗だな、と感じることが多い。

その中で、自分がお気に入りなのが、旅番組。

特にヨーロッパの街並みを、綺麗な女優さんなどが旅している番組なんか大好きである。(笑)

あの美しいヨーロッパの街並みの情緒ある風情を感じるたびに、自分が行ったような気になるし、心の健康にとても良い。


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サラウンド音声には いくつかの効果(エフェクト)があるのだが、その一つが「主観移動」のバーチャル・リアリティ。

カメラが視聴者の目線になって移動し、それに対して 方向性・移動感がシンクロしたサラウンド音声が付随すること。 映画の人工的に付加された移動感溢れるサウンドや、音楽のコンサート中継には登場しないダイナミックな効果だ。



NHKに「世界ふれあい街歩き」という番組がある。

ステディ・カムといった安定装置をつけた1台のカメラ目線で旅する番組。

まるで、自分が街中を歩いている目線で、番組が語っているような感覚に陥る。

6年前に観たときは、この「主観移動」というサラウンドを駆使して、なんちゃってサラウンド、というより結構なかなか本気のような感じがした。

番組が街の散策なので、もともと音数が少ない。

この音数の少ない中をサラウンド感を出すのは、やっぱり映画や音楽のようなダイナミックのような訳にはいかないが、それなりに雰囲気が出ていた。

驚いたのは、林隆三さん(当時)のナレーションがリアから聴こえることだった。
そして現地の人の声はセンターから、など工夫が見られた。

街の散策でやっぱり一番サラウンド感が出るのは、車やバイクの移動感が最高だった。あと現地の通行人のざわめきなどリアから聴こえたり、前から聴こえたり、結構音数が少ない割にその現場感というか立体感があるように工夫して造られていた。


こういう街散策番組で、このような音声の工夫が観られるのは楽しく、当時は毎週観ていたような気がする。 


我々が赤ん坊の頃から、左右ふたつの耳で聴いている日常の現実音はサラウンド。2chじゃない。様々な方向、距離から音が聞こえてくる。ところが、その気になって注意して耳をすまさなければサラウンドしてるという感覚がない。ものすごく自然。それが理想なのだと思う。

亡くなられたサラウンドの権威、富田勲さんも言っていたことだけれど、それが納得いくような旅番組だった。



ところが突然普通の2chステレオ番組になってしまい、以来見なくなってしまったのだが、久し振りにもう一回観てみようか、と思った。

いまはサラウンドでやってくれているのだろうか?

別にステレオでもいい。いまの荒んだ心を癒してくれる番組であることは違いないことなのだから。

BSプレミアム 毎週火曜 20:00~

でやっています。

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絶対音感と相対音感 [オーケストラ学問]

オーケストラの開演前のラの音で調律する音高(ピッチ)の標準であるA=440Hz(俗にいうA440) について、かねてよりいろいろ思うところがあって、自分なりに深く知ってみたいと思っていた。


いわゆるオケの最初の儀式ともいえるコンマスが立って、合図とともに首席オーボエ奏者がラの音を吹く。そうすると管楽器奏者がいっせいにそれに合わせて調音する。その後に、同じようにコンマスがラの音を弾くと、それに合わせて、今度はいっせいに弦楽器奏者がそれに合わせて調音する。


クラシックのコンサートの前に、必ず目にする光景である。

コンサートにピアノが入る場合は、オーボエ奏者のところはコンマスがピアノでラの音を叩く、という場合もある。


なぜラの音なのか?


そのラの音であるピッチ(音高)の周波数の基準とされているのが440Hzで、いわゆるA=440Hzと言われる国際基準なのだが、果たしてその意味とは?


ネットでググると、結構わかりやすくいろいろ書いてあるので、自分の理解に促進につながった。

読んで理解するだけでなく、自分で書いてみるともっと理解が深まる。


ということで、自分の理解のため、日記を書いてみたいと思う。情報源はネットです。


周波数440Hzという音の高さは、一般的な調律の際の音高(ピッチ)の標準として使われているのだそうだ。この標準がISOの規格として取り上げられたのが1955年で、それ以来、この値がピアノやヴァイオリンなどの楽器の調律として使われてきている。


Aというのは五線譜のラの音のこと。

ラシドレミファソはABCDEFGで表す。(ドイツ語読み)


ピッチは調律における作業で最初に調律される音(基音)。


88鍵あるピアノの一番低い音は27.5Hz、一番高い音は約4186Hzだそうで、ちょうど真ん中にある49鍵目Aの音を何Hzにするか決めなければならない。


正確な表現をすると、中央ハのすぐ上のイである一点イを基準音として、そこを周波数440Hzとすることで調律をする。


中央ハというのは、ピアノを例でいうと、下図のように、全部で88鍵あるうちのど真ん中のドの音(水色)、そしてその上のイというのが、その同じ音階にあるラの音(黄色)になるらしい。このラの音が、ちょうど88鍵あるピアノの中でちょうど、ど真ん中の49番目の音に相当するのだ。



ピアノのラの音.jpg


このど真ん中のラの音を調律の基準音として使う。

このラ(黄色)の音の高さを440Hzに合せる。


これでオケの最初に儀式で、みんながラの音で調音する意味が分かった。(笑)


ところが、である。



音楽はその有史以来、様々な音律によって音階が作られてきたのだが、実はその基準となる音の高さ(基準周波数)も時代、地域、ジャンルによって様々なものが使われてきたのだ。


それを表したものが下の表。


ピッチの歴史.jpg




現在でこそ1939年ロンドン国際会議と1955年ISOによって制定された国際基準値A=440Hzがあるが、必ずしもそれが守られているわけではないらしい。


アメリカは早くから440Hzを制定したが、ヨーロッパでは今もそれより高い444Hz、448Hzなどが主流。また日本ではその間を取って442Hzがよく使われているらしい。


表を見てもらえばわかるように、たとえば古典楽器であるチェンバロは、今もバロック時代の基準値415Hzで調律されている。


イタリア政府によって制定されているヴェルディ・ピッチというのもある。


そしてカラヤンが手兵ベルリンフィルをチューニングするときは、カラヤンチューニングと呼ばれる446Hzが使われたそうだ。(笑)


調律するときは、この基準音の音高(ピッチ)に基準周波数というのがあってそれに基づいて調律している、ということが理解できた。ただ現実の音楽の世界では、国際規格である基準周波数A=440Hzは、あまり守られていなくて、日本ではピアノ調律には442Hz、444Hzがよく使われ、ヨーロッパでは今も444Hzや448Hzが主流だそうだ。


ピアノの調律では、調律カーブの影響もある。調律カーブは主に低音域、高音域について行われるが、曲線の付け方に決まりがあるわけではないので、自分の楽器が他人と違う音高(ピッチ)になっている可能性もある。


ちなみに余談ではあるが、ラジオなどの時報では、440Hzの予告音の後に880Hzの音で正時を知らせるのだそうだ。


なんとなく理解できたところで、絶対音感という言葉。


人にとって、絶対音感というのはあったほうがいいのか?

その音の絶対的な高さ(周波数)を認知する聴覚能力。


演奏家(音楽家)の方は、よく一般人からすると絶対音感に優れている人種と思われているようで、演奏家(音楽家)の方の投稿を偶然目にして面白かったのは、タクシーに乗って雑談をしていたりすると、「へぇ~じゃあ絶対音感が優れているんですね?」とかよく言われるらしい。(笑)


でも実際はそうじゃないんだよ、という話。


音楽家として価値があるのは、絶対音感を持っているいるからではなく、相対音感をもっているからなのだそうだ。


以下、その音楽家の方(塚田聡さん(ホルン奏者))の見解、大変参考になり、感動しましたので、ぜひその内容を、この拙ブログで紹介させてください。


ドとミの間隔(長三度)、ミとソの間隔(短三度)etc。そして、ドミソ(主和音)、シレソ(属和音)、ソシレファ(属七和音)、さらに複雑になってゆく様々な和声(音の彩り)を操りながら曲をつくったり、演奏したりできる。


ここで問われているのは、音と音の相対的な間隔。つまり「相対音感」になります。

「絶対音感」が、作曲するにあたって、演奏するにあたって、ましてや調律するにあたって、かえって邪魔にさえなるものであるということをご存知でしょうか?


そもそもAが440Hzと国際的に定めらたのは1939年のこと。このAの高さ(ピッチ)を絶対的な音感としてもっている人を絶対音感があるというわけですが、それ以降も、例えばウィーンフィルはもっと高いピッチを採用しているし、アメリカのオーケストラは低いなど、世界で必ずしも統一されているわけではありません。


世界に絶対的な高さがあるというわけではない。精巧な絶対音感を頼りにしている人は、約4Hzも違いがあるアメリカからヨーロッパに渡れないことになってしまいます。(笑)


ましてや、それ以前、ピッチは各時代、各地で様々でした。18世紀のバロック時代、パリに行けばA=392Hzだったり(現在より約一音低い)、ドイツのある地域ではA=415Hzであったり(現在より半音低い)、古典派時代になると、430Hzの地域もあれば、隣街に行けばまた異なるピッチが採用されていました。


そんなことが当然の世の中にあり各地で演奏や作曲を繰り広げていたバッハ(先祖・子息含む)やモーツァルトにとって絶対音感が是か非かなどという考えがあろうはずもありません。


佐村河内守さんが耳が聞こえないのになぜ作曲ができたのか!


もったいぶって〈絶対音感〉なんて言っている番組もありました。あれはかなりのインパクトを日本国民に与えました。

作曲するにあたって大切なのは相対音感であって絶対音感ではありません。


よく分かっていない放送局によって、日本中に「絶対音感神話」のようなものが満遍なく広がってしまったのではないでしょうか。


しかしながら、絶対音感があってA=440Hz(もしくは日本の標準ピッチと言われている442Hz)を拠り所とし、そのピッチでしか演奏ができない演奏者(歌手)がいるのも事実としてはあります。絶対音感があることを誇る演奏者がいるのも事実です。(往往にして、そういう人たちは合奏仲間をはねつけるようなピッチの取り方をしてくるものです。)

 

今は、クラシック音楽演奏界も多様化してきて、300年前のバロック音楽は当時の楽器を使って、当時のピッチでやろうという柔軟な考えをもつ演奏家たちがいます。そういう演奏家は、昨日はモーツァルトを430Hzで古典派タイプの楽器で演奏し、今日はヘンデルを415Hzでバロックタイプの楽器に持ち替えて演奏し、明日は、現代楽器で442Hzで演奏するという、柔軟な態度で演奏会に臨みます。


そこには絶対音感に固く縛られた窮屈さはなく、ピッチにおいても表現においても、柔軟に時代と場所を行き来しようという自由さを見ることができます。



プロの中には結果的にかなり精度の高い絶対音感を備えている演奏家はあたりまえのようにたくさんいますが、プロの演奏現場、作曲現場で、「絶対音感」のあるなし、もしくは精度の高さで、演奏家の格が落ちたり上がったりするというようなことは全くありません!


ここ大事!!


ところが「相対音感」を持っていなかったら、誰も演奏(歌)することはできません。

相対音感(和声感を含む)の精度の高さによって音楽家を階級分けすることはできるかもしれません。それほど音楽家にとって大切なもの、命と言ってもいいものが和声感を含む「相対音感」なのです。


重ねて言いますが、「絶対音感」は場合によっては邪魔になってしまうもの。音楽家にとって必ずしも大切・必要なものではないのです。




う~む、この塚田さんの投稿を読んで、唸らされてしまった。

音楽家にとって大切なのは、「相対音感」。


演奏のど真ん中の現場にいるからこそわかる真実と言おうか・・・。

確かに、ちまたに、「あなたは絶対音感はありますか?」というような簡単テストをするみたいなYou Tubeをよく見かけたりするのだけれど、それも一種の巷に存在する「絶対音感神話」のひとつなのだろうか。


基準値、調律カーブ、音律など、様々な要因によって変化する音階の音高は、本来「相対的」なものなので、その分野に「絶対」が馴染むものか、我々はよく理解して喋らないといけない。


結局、A=440Hzを知ることが、最初の目的だったのですが、結局その落としどころ、というか、深い結論として落ち着いたところは、絶対音感と相対音感というものがあって、音楽家にとって、必要なのは「相対音感」のほうである、ということだったのでした。


でも相対音感なるものも、やはり専門の教育を受けた上での開花する才能のような感じがします。

なにも教育がなくて、備わる天性の才能ではないような気がします。


こういう見解を拝読すると、演奏家(音楽家)の方をひたすら尊敬するのみですが、彼らの才能でもうひとつ驚くことが「採譜(聴音)」という才能。


これは音楽大学で正規の授業、教育として受けるものらしいですが、流れている音楽を聴いて、それを譜面に起こすこと。


これも、さすがにひとつの才能だなぁ、と思ったことでした。





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第1ヴァイオリンはどこから聴こえるべきなのか? [オーディオ]

いまから6年前の2011年11月のラトル&ベルリンフィルの来日公演、サントリーホールでマーラー9番を演奏したときのこと。当時のラトルが使っていた対向配置に、ひとつの疑問があった。


普通の対向配置って、1st Vn→Vc(チェロ)→Va(ヴィオラ)→2nd Vnで、ステージ左奥にコントラバスだ。


ところがラトル・ベルリンフィルのヴァイオリンの対向配置って、左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンでステージ右奥にコントラバス群となっていて、とてもユニークな印象を受けた。


当時調べてみたら、ラトルのこの対向配置というのは、ベルリオーズの「管弦楽法」に載っている方法ということがネットに記載されていた。


それぞれの配置の特徴を書くと(あるヴィオラ奏者目線)、


●Vn1 Vn2 Va Vc
  音の高さの順なのでVn2とVaなど隣り同士の連携がとりやすい。
●Vn1 Vn2 Vc Va
  Vaの音が客席によく聞こえるとか。Va目立つけどVn2との連携が難しい。
●Vn1 Vc Va Vn2
  いわゆる対向配置。ステレオ効果があるけどVn1とVn2の音量差が気になる。
●Vn1 Va Vc Vn2
  ベルリオーズの「管弦楽法」に載ってるらしい。正直やりづらかった。


こんな感じだった。


奏者が「正直やりづらかった」(笑)と言っているくらいだから、よっぽど珍しい配置なんだろう。

6年前の友人とのやりとりだけど、鮮明に記憶に残っていて、昨日ふっとこのことを思い出し、このラトルの対向配置のことをもっと深く調べて、その効果を知りたい。そしてついでに、オーケストラの配置について整理してみたいと思った。情報源はネットです。


●アメリカ型配置


アメリカ型配置.jpg


二次大戦後、アメリカのストコフスキーという指揮者がはじめた配置で、現在主流となっている、
左から順に第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロという配置。

音響の悪いホールで演奏せざるを得なかったために響きが良くなる方法を研究した結果だと言われている。


ステージ左から高音域→低音域の順番で並んでいる配置。

音域が近い楽器同士を隣り合わせにした方が、弦楽器全体で聴いた時の響きは良くなる。
このことは特に、編成の大きい曲や、大きなホールで演奏する時に重要になる。


なので、こう配置することでコンサートホールでの響きが豊潤になるという利点とともに、1950年代頃から一般的に行われるようになったレコードのステレオ録音にも適しているとみなされ、20世紀後半には世界中のオーケストラに広まっていった。


また奏者は隣の奏者の音をじかに聴きながら演奏している訳だが、自分の両隣の音は、自分の楽器の音域に近い音のため、連携を取りやすいというメリットがある。


この配置はチェロが外側に来ることにより、より重低音サウンドが期待でき、音の輪郭がはっきりするが、ヴィオラが内側に入ることにより、中音域が聴こえにくくなるというデメリットがある。



●ドイツ型配置


ドイツ型配置.jpg




アメリカ型配置に対して、ヴィオラとチェロを入れ替えた配置で第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→チェロ→ヴィオラという配置。アメリカ型の改良バージョン。


ヴィオラは、ヴァイオリンとチェロのちょうど間くらいの音域で、その主役割は主旋律を歌う楽器に対しての内声的な役割。またヴィオラは楽器特有の事情により響きが出にくい構造で(音域的には楽器をもっと大きくしないと充分な響きが出ないのに、それだと奏者が持てなくなるため、本来あるべきサイズより小さいらしい)そのヴィオラの音が良く聴こえるための配置。


この配置は高音域・中音域・低音域の各声部がなめらかに溶け込み、バランスの良い音響効果を得ることができる。だが、演奏によっては、音の輪郭がいまいちはっきりしないというデメリットもある。




●古典配置(対向配置)


古典配置.jpg




客席から見て、左側から第1ヴァイオリン→チェロ→ヴィオラ→第2ヴァイオリンという順に配置される。この配置は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがお互い向かい合って配置されることから、対向配置とも言われる。


対向配置の1番の目的は、ベートーヴェン以前の古典派作品では第2ヴァイオリンが内声部や伴奏に徹するよりも、第1ヴァイオリンと対等の立場の掛け合いで主旋律を演奏するケースも多いことから、そのやり取りをステレオ効果のごとく聴覚・視覚の両面で明快に表現しようという意味合いにある。


このように「作曲当時と同じ」であることを強く意識する場合には対向配置(古典配置)を取る。


この配置のメリットは、ずばり高音域・中音域・低音域の各声部がくっきり聴こえるという点である。各パートの音がよく分離してクリアに聴こえる。


逆にデメリットは、弦楽器全体の響きとしては弱くなる。理由は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、第2ヴァイオリンとヴィオラが離れてしまうため。


アメリカ型&ドイツ型のように隣接した楽器がお互い音域が近い者同士だと、それが連携すると全体として響きが大きく豊潤になるメリットはあるのだけれど、輪郭がクッキリしないというデメリットがある。


逆に対向配置で、隣接した楽器がお互い音域が離れている者同士なので、各声部が分離してクリアに聴こえるのだが、弦全体としての響きが弱くなるというデメリットがある。
 

この対向配置の、もうひとつの問題点は、技術的に相当のテクニックを奏者に要求すること。


普段第1ヴァイオリンの横で弾いている第2ヴァイオリンが離れた位置に配置されるため、非常に高度なアンサンブルの技術が必要になる。


第2ヴァイオリンというのは基本的に第1ヴァイオリンのメロディーを補強する役割を受け持つので、第1ヴァイオリンと離れてしまうと非常に演奏しづらい。だから、この配置は高度な演奏テックニックをもったプロのオーケストラでもないかぎり、いかなる理由があろうともやるべきではないらしい。


アマオケがこの配置でやっても、この配置の特性を生かせないのはもちろん、アンサンブルの崩壊をまねく可能性も強い。そこまでして、奏者に強いる負担が大きい配置なのだ。



●ラトルの対向配置



ラトルの対向配置.jpg


これが問題のラトルがよく使っている対向配置である。
ふつうの対向配置と違うのは、ヴィオラとチェロが入れ替わっていること。

これについては、基本の効果は、たぶん普通の対向配置と同じだと思うのだが、ヴィオラとチェロを入れ替えるところの効果は、調べたのだがわからなかった。このようなマイナーな配置は載っていなかった。(笑)


以前調べたときは、ベルリオーズが書いた「管弦楽法(オーケストレーション)」の中に記載されている配置という記事があったのだが、それさえも、現在ではなかった。もう6年前のことだからなぁ。


残念!6年越しのミステリー解決にはならなかった。


でも当時のラトルが、このような配置を使っていたことは確かなのだが、現在では、ふつうの対向配置のようだし(昨年のベートーヴェン交響曲全曲演奏会でもそうだった。)。


現在オーケストラの配置ということで、挙げられるのは、アメリカ式、ドイツ式、そして古典配置(対向配置)のこの3つだけと言ってよさそうだ。


それを指揮者が決めるのか、オケが決めるのか、他の誰かが決めるのかは指揮者によって、オケによって、演奏会によって事情が違うのでケースバイケースなのだと思う。



ラトルの対向配置②.jpg




この配置問題をクリアした上で、敢えて考えたいのは、オーケストラ・サウンドをオーディオで再生する場合。


2chで録音が造られているもの、2chステレオで達成できるもの、解決できる課題は2chシステムの方で追及していきたいし、一方で、2chステレオの再生に対する疑問や問題点を解決する新たな手法としてサラウンドの録音・再生に取り組んでいるのである。


確かにサラウンドは、システムのユーザへの負担、部屋のエアボリュームの問題もあって、いまいちユーザへの敷居が高く、普及がニッチ市場であることは間違いないのだが、でも最近は3Dサラウンドという3次元立体音響のフォーマットも出てきて、コンサートホールでのオーケストラサウンドの空間の切り取り方に革命的な変化をもたらす可能性も出てきていることは否めない。


そのひとつにこんなことがある。


それは、オーケストラのストリングス(弦楽器セクション)の鳴り方。

自分がオーディオに目覚めた頃最初に聴いたオーケストラ再生の印象は、第1ヴァイオリンが左から チェロ・コントラバスが右から聴こえて、センター奥から 木管楽器やティンパニーが聴き手に向かって響き渡ってくるように感じられた。


ステレオって凄え!これが立体音響かと感動した。


しかし その後、時代が経過、経験が豊富になるにつれて、そうしたいわゆる「ステレオ効果」に対する疑問が生まれてきた。先述のオーケストラ配置や、実際にオーケストラを見るとわかるが、第1ヴァイオリンは、ステージの左端から センターに陣取る指揮者のすぐ横までの拡がりがある。


音のエネルギー感にしても ストリングス(弦楽セクション)のエネルギーの核は、指揮者がいるいないにかかわらずセンターにあって、そうしたストリングスの凝縮感みたいなものがある。


それをきちんと録音されたものを聴いてみたいと考えるようになった。


ベートーヴェンからブラームス・チャイコフスキーに至る交響曲を美味しく味わうためには ストリングスをちゃんと鳴らすということが一番の肝だと今でも考えている。だから一聴して解像度が高く音色が魅力的なスピーカーであってもオーケストラのストリングス・セクションがきっちり描けないスピーカーを自分は受け入れられない。


センターにぐっと凝縮感があって そこからエネルギーが炸裂・拡散していくようなストリングスを録音・再生すること、そんな課題を持ってオーディオに取り組んでいるといくつかわかったことがあった。


先ずいろいろなオーケストラの録音を聴いていると、センターまで厚みのあるように弦楽セクションを捉えることは、別に難しいことではないのだが、そうすると 今度は奥行きも出しにくくなってしまい、全体に拡がりの無いモノーラルっぽい、いわゆる分離の悪いオーケストラ録音となる。


センター付近で密集する弦楽器のパワーを出そうとすると、奥にいる木管楽器が埋もれてしまうというバランスの悪さはいかんともしがたいものがある。


されど補助マイクで 木管楽器をレベルアップすれば 音場がどんどん平面的になってしまう。

結局 弦楽器セクションのサウンドは、センターを薄くして 左右に開き木管楽器を 補助マイクのレベルをあまり上げずして浮かび上がらせる方が聴いていて気持ちが良いのだ。


いろいろなオーケストラ録音を再生するとメジャー・レーベルの優秀なオーケストラ録音というのは およそ そういう風に出来ているということに気がついた。



そこには、2chステレオによるオーケストラ録音・再生の約束事というか限界があるのだ。
自分が、サラウンドの録音・再生に求めているのは、それを超えたものだ。


「第1ヴァイオリンが、ステージの左端からセンターまで席を埋め、第2バイオリンやヴィオラが 音楽を内から高揚させるように内声をきっちり表現していて、かつチェロ・バスの低音弦にも ちゃんと拡がりと音としてのボディー感がある。まず、そんなストリングス・セクションを眼前に再現したい。それでいて 奥の木管楽器から金管・打楽器に至るまでの遠近感・立体感が曇りなく見渡せる。」


自分が、オーケストラの生演奏、そしてオーディオ再生を聴くときに、いつも理想とする空間の描き方、はこんなイメージ。


3Dサラウンドが、実際のオーケストラ録音に実用化され始めたら、どんな革命、聴こえ方の革新が生まれるであろうか?

ホール空間の切り取り方は、まさに実際、自分がホールにいるかのような感覚を家庭内で再現することが出来るであろうし、オーケストラの聴こえ方そのものに、生演奏のリアリティが増すに違いない。


2次元平面で解決しようと思っていたことが、奥行き、そして高さというディメンジョンも増えて表現力に迫真がでる。


また、それこそ先に書いた様々なオーケストラ配置による様々な聴こえ方の違いも、その通りに家庭内でも再現できるに違いない。


いままで書いてきたようなことは、2chステレオ時代だから、苦労してきたことであって、録音にしろ、再生にしろ、チャンネル数が増えるということは、そういうことを一気にブレークスルーして解決してくれるものという確信みたいなものが自分の中にはあるのだ。






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バイロイト音楽祭2017 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の印象 [オペラ]

近年のバイロイトの演出というと、奇をてらったものが多く、保守的な演出が好みの自分からすると、奇怪な読み替え版に思えることが多い。そして大抵、メディアの評判も悪い。

そんな中で、今年のバイロイト音楽祭の新制作である「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。

今回のバイロイト独特の演出は、なんと!実在の人物との置き換え。ヘルマン・レヴィ=ベックメッサー、コジマ=エヴァ、リスト=ポーグナー、ワーグナー=ザックス、という感じで。実在の人物と劇中の人物をたくみに重ね合わせ、ドイツ史劇の中にワーグナーの人生と思想を織り込んだ演出なのである。

それこそ第1幕の舞台は、ヴァンフリート荘(ワーグナーの邸宅)なのだ。
去年が自分が訪れたヴァンフリートの居間空間が再現れていて、ひたすら感慨。

マイスタージンガー.jpg


ポーグナーは本当にリストに似ていた。(笑)そして、若きワーグナー、年老いたワーグナーなどたくさんいる。



そして最後の歌合戦は、あの戦争史上抜きでは語れないニュルンベルク裁判(第二次世界大戦においてドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)が舞台。

マイスタージンガー2.jpg



なぜ、この舞台を選んだのか、そして、その是非は、専門家の方に譲りたいが、その発想のユニークさには、度肝を抜かれたことは確かである。

最後の場面で、オケが出てきて演奏するのは、まぁ洒落ですね。(笑)



全幕観た印象は、自分の結論としてはとても素晴らしいと感じた。


その第1の理由は、演出が、聴衆がストーリーに没入するのを邪魔していないこと。

得てもすると演出が斬新で奇抜な読み替え版だとすると、その演出に神経が集中してしまい、そのオペラの本来のストーリー展開に、自分がすんなり入って行けないことが多いのだ。

一番いい経験だったのが、去年体験したバイロイト音楽祭の「神々の黄昏」。
悪評高き現代読み替え演出に、それを理解することで精一杯で、さっぱりオペラのストーリーを追えなくて、チンプンカンプンだった。

今回のマイスタージンガーの演出は、その発想こそ斬新だけれど、決して奇抜の類ではなくて、自分にはある意味保守的とさえ思えた。

舞台設定が奇抜なだけで、そこに展開されているストーリーそのものは、自分がいままで慣れ親しんだ保守的なもので、全く違和感なくすっ~と入り込んで、あっという間の5時間だったのだ。

その舞台設定は、ある意味付帯的なものにしか過ぎなくて、決してそのストーリーの本質のイメージを壊すものではなかった。

逆に現代の美的感覚に合せた舞台芸術の美しさがあって、全体の進め方はきちんと従来の保守的なものが守られている。

そんな印象だった。

演出が、聴衆のストーリー没入の邪魔をしないこと!
これってオペラではつくづく大事。

バイロイトの新制作として、そしていわゆるマイスタージンガー・フリークで、それなりに視聴経験もかなり多い自分にとって、決して期待を裏切るものではなく、返って”バイロイトらしい”というか、微笑ましい作品に映った。


久し振りにこの5時間の長大作を見て、本当にこの楽劇は、美しいメロディーがいっぱい散りばめられた旋律の宝箱のような作品なんだよなぁ、ということを、つくづく実感した次第である。ワーグナーがじつに優れたメロディーメーカーであったかということがわかる作品だと思う。



それでは、それぞれの歌手について、感想を一言づつ。


●ミヒャエル・フォレ(ハンス・ザックス)

男やもめの職人気質という雰囲気が出て、期待を裏切らなかった。このオペラでは、このザックスが自分が一番お気に入りなのだ。ワルターよりもザックス派。声の渋み(バス)と演技力が素晴らしく、自分の本懐を遂げられた感じで素晴らしかった。


●クラウス・フロリアン・フォークト(ワルター・フォン・シュトルチング)

この人についてはもう今さら言う必要もないでしょう!(笑)もう素晴らしすぎる!あの声は、まさに天からの授かりものですね。

これまでのワーグナー・テノールにはない明るく柔らかい声。ワーグナー歌い、しかもテノールとくれば強靭な声と巨大な音量といったイメージがあるが、フォークトはむしろ軽くて明るい声質。この人は従来のヘンデル・テノールのイメージを変えましたね。

この人に驚くのは、やはり発声に余裕があること。精いっぱい歌う歌手が多い中で、この人の歌い方は余裕があるのです!


●ギュンター・グロイスペック(ファイト・ポーグナー)

本当にリストに似ていた。(笑)このオペラでは、とても重要な役割どころだが、舞台上でもかなり存在感があって、素晴らしい。声質もバスとしてはいいと思うが、もう少し声量が欲しい感じがした。


●ヨハネス・マルティン・クレンツレ(ジクストゥス・ベックメッサー)

このオペラでは、とても大事な嫌われ役。しかしここまで徹底的に嫌われるのも可哀想すぎる、と思えるのだ、このオペラを観るたびに。(笑)そんな大事な独特なキャラクターを見事に演じていた。


●アンネ・シュヴァーネヴィルムス(エヴァ)

う~ん、唯一の残念賞かな? まず声量が圧倒的に足りなく、声の張り出す感じも不十分で、声がホール内に響き渡らない。歌手としての命である”声”が役者不足のように感じた。容姿はとても上品な感じでエヴァの資格十分だと思うのだが。

やはり現地の聴衆は残酷。カーテンコールでは唯一のブーイングも。(>_<)




録画・録音で聴くバイロイト祝祭劇場のサウンド。

あの独特のクローズドなピット形式であるが故の音がどこか遠い感じ、閉塞感がある感じがした。去年現地で体験した時、観客席で直接聴いている分には、まったくそんな違和感はなかったのだけれど、録音という形で聴くと、そこがやや気になる。

あの有名な第1幕の前奏曲のときにそう感じたのだが、でも見続けていくにつれて、まったく感じなくなった。

サウンド(5.1サラウンド)のクオリティは、かなり高い!

開幕前のあの生々しいホール内の暗騒音!これにはシビレました。

BF MEDIEN GmbHとNHKの共同制作です。




バイロイト音楽祭は国の助成を受けており(今年も約250万ユーロ拠出!)、ドイツ国内で行われる最も重要な文化イベントの1つなのです。初日はご覧のようにメルケル首相も駆けつけました。

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去年はこのバイロイト音楽祭を訪問出来て、夢のような出来事であったが、この世を去る前に、もう1回くらいは行ってみたい気持ちで一杯であります。








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Why not ワーグナー? イスラエル室内管弦楽団の60日 [オペラ]

政治(戦争)と音楽はいつも紙一重の関係。
ナチスとカラヤン、フルトヴェングラーの関係がそうであったように。


「ワーグナーと反ユダヤ人思想。」


この問題は巷ではいままで幾度も取り上げられてきた有名な問題で、6年前の2011年にBS-WOWOWで放映されていた


「Why not ワーグナー?:イスラエル室内管弦楽団の60日」


という番組を思い出した。


今年のバイロイト音楽祭の新制作「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で第3幕の歌合戦のところで、ニュルンベルク裁判(第二次世界大戦においてドイツ の戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)を登場させる演出を見て、ワーグナーとナチス、ヒットラーとの関係を思い出さざるを得ず、この番組をふっと思い出したのだ。




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ワーグナーは、19世紀後半に音楽界だけでなくヨーロッパ文化に広く影響を及ぼした文化人として知られる一方で、反ユダヤ人思想を持つと言われる彼の音楽は、ヒトラーのユダヤ人絶滅思想にも利用されてきた。


そのため、イスラエルにおいてはワーグナーの音楽そのものが長らくタブー視され、今日においてもその見方が強い。


しかしこの年の夏、その悲しい歴史に風穴が開こうとしていた。
7月、イスラエル室内管弦楽団がワーグナー音楽の聖地、ドイツ・バイロイトでワーグナーを演奏するというプロジェクトが進行していたのだ。


番組では、賛否両論が巻き起こるイスラエル国内の現状や、楽団の招待に携ったワーグナーの曾孫・カタリーナ・ワーグナーさんへの取材も含め、この歴史的演奏会に向けた楽団員や関係者たちの60日を追う、という内容であった。



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バイロイトでのイスラエル室内管楽団



イスラエルにおけるワーグナーへの宿怨が並大抵のものではないことは、この番組に紹介されるいくつかのエピソードでわかる。バイロイトでのコンサートで、演奏されるワーグナーはたった1曲だけ。しかも『ジークフリート牧歌』というワーグナーらしさには乏しい、文字通りどこか牧歌的な曲だ。この1曲しか演奏できなかった理由の一つにも驚かされる。
 
イスラエル国内ではたった一度も練習することなく、ドイツに入って初めて音を合わせるからだ。


観客は冒頭のイスラエル国歌を起立して聴き、『ジークフリート牧歌』にはスタンディングオーベーション。 この事実は両国の新聞で衝撃をもって伝えられ、当然のことながら賛否両論を巻き起こす。


国家観の違い、歴史上起こった事実の程度の違いと言えばそれまでだが、日本人の感覚では計り知れない高く強固な壁が両国にあると思う。


ドキュメンタリーは、まずワーグナーの反ユダヤ人思想の解説から始まる。
ワーグナーの曾孫:カタリーナ・ワーグナーさんが解説する。


ワーグナーはいつも狂気の中で生きていた。常に自己崇拝しており、世間から天才として認められることを期待していた。だから自分以外に高く評価されている人は言うまでもなくライバルであり、敵であった。

 
若きワーグナーの前に立ちはだかる男たちがいた。メンデルスゾーンやマイヤーベイアーを代表とするユダヤ人作曲家。彼らに対する妬みは、ワーグナーを人種差別主義者に変えていった。


後にワーグナーの著作「音楽におけるユダヤ性」でユダヤ人絶滅論を唱える。


後年、このワーグナーの思想に自らを重ねたのがヒトラー。
ワーグナーの劇場を訪れたり、ワーグナー一家と蜜月の関係に。


ヒトラーを魅了したのは、大衆心理を動かすワーグナーのその音楽の力。
ワーグナーの音楽を使って大衆全体を洗脳できる。


それによってワーグナーが危険人物になってしまったという。


ナチスは党大会など、ことあるごとにワーグナー音楽を演奏。ユダヤ人強制収容所でガス室に送り込まれるときもワーグナー音楽を流したという。


今回のプロジェクトを発案したのは、このオケの音楽監督であるロベルト・パテルノストロさん。


ワーグナー音楽は確かにナチスのシンボルだったが、彼の音楽が素晴らしいのは疑いのない事実。 だからみんなでバイロイトに行こうと話したんだ。オケのメンバーの家族の大半はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の被害者。そのためにバイロイト行きは個人の判断に任された。


そのオケのメンバーの葛藤と苦悩の日々を、番組はVn奏者のハヤ・リヴンさんとファゴット奏者のルーベン・モーガスさんの2人に焦点を当てて紹介。


ハヤさんは反対派。ポーランド出身の両親は、ホロコーストからの生還者。
私にとってワーグナーを聴くときに彼の人間性を考えないなんてできない。
でもバイロイト行きの参加を迷うハヤさんの背中を押すプラス材料があった。
それはイスラエル国家を演奏することができること。
まさにバイロイトへの凱旋を意味する。


一方ルーベンさんは賛成派。僕たちの時代にあのようなことがあればワーグナーを絶対に許せなかった。

でも彼が死んでから100年以上も経っている。もはや何の意味もない。
僕は音楽を聴くときに人間性なんて考えないよ。
彼は音楽においては反ユダヤ主義的なことは表現していない。


楽団員は家族に相談するが、楽団員の半数は家族や親族がホロコーストを経験した犠牲者でもあり、多くの戸惑いや葛藤を抱えることに。結局1人を除いて37名がバイロイト行きを決めた。


イスラエルでは今回の公演に好意的な見方も出てきている。
バイロイトのほうも受け入れ歓迎ムード。


ワーグナーの曾孫・カタリーナさんのインタビューでは、

「イスラエル国内で激しい反響があったことは当然です。激しい怒りも我々は理解しないといけません。 それでもこの公演は両国の架け橋になるかもしれません。」


そしていよいよバイロイト現地入り。
到着してすぐに3時間後にすぐに練習。楽団が練習を急ぐ訳は理由がある。
 
イスラエル国内では批判を浴びるためにワーグナーの曲の練習はじつはこの日が初めて。


音が揃わない。


今回楽団が演奏するワーグナー音楽は「ジークフリート牧歌」。


音楽監督&指揮者のロベルト・パテルノストロさんは、ワーグナーの曲を思い浮かべるととても力強い曲が想像されるが、ジークフリートは穏やかで美しい曲。だからそんな平和な曲を演奏するのは良いアイデアだと思ったのです。


運命の公演の日。


イスラエルで大規模なデモの予告があってバイロイトでは超厳戒態勢。公演前に楽団員全員に、ホロコーストの犠牲者を追悼する”ヤドバシェム”のシンボルのバッチが配られ、みんなそれを衣装に付ける。男性メンバーのネクタイはイスラエル国旗を表すブルー。


いよいよ演奏。客席全員と楽団員も全員起立でイスラエル国家演奏。
つづいてワーグナーのジークフリート牧歌を演奏。


演奏終了後、観客は全員起立でスタンディングオーベーション。
この公演は両国で賛否両論。大きな話題になった。
(NHKのニュースでも放映されたようです。)


ドイツの新聞:
・記念すべき橋渡しの日になった。
・一つの歴史的緊張が解けた。


イスラエルの新聞:
・反対者の涙。
・何と恥知らずなことか、民族絶滅の憂き目にあった私たちにとってその傷跡は
 より深いものなのだ。


最後に指揮者のロベルト・パテルノストロさんは、我々の目的はワーグナーのイメージを良くすることではありません。大事なのは、音楽を演奏することただそれだけです。



以上が番組の内容である。



激しい葛藤の中で皆が生きていることを、何を強調するでもない淡々とした描き方の番組の中で感じることができる。同時に、音楽やその他の芸術が歴史の中で長く守り継ぐために、欧州の人びとが払ってるリスクや強い思いを改めて感じる。


このワーグナーと反ユダヤ人思想の問題は、2001年にエルサレムで開かれた「イスラエル・フェスティバル」の中で、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したダニエル・バレンボイムが、アンコールにワーグナーのオペラ 「トリスタンとイゾルデ」の一部を強行に演奏して、彼はアンコールの前に、


「私は誰の感情も害したくはない。もし聴きたくない人がいるのならばこの会場を去って欲しい」とヘブライ語で語り演奏を始め、アンコールはスタンディング・オベイションを受けたものの、一部の観衆は「ファシスト!」などと叫んで席を立ち、騒然となり後日大変な騒動となったという有名な事件がある。


人種差別、戦争の壁の歴史というものは、人の心に根差して、引き継がれてきたもので、なかなか思いを変えるのは難しいことだと思うが、イスラエルフィルの方々の英断と奏者の方々に敬意を表したい。


本来音楽というものは、独立した芸術であるべきだが、時代と共に歩んできたことも事実。


また芸術家も時代の制限を受けてしまうことはいたし方のないこと。


インタビューに垣間見るワーグナーの人間性や、こういう過去の経緯を鑑みると、いろいろ考えさせられることが多いが、ただ、人の心に訴えるすばらしい音楽であることは確かなことで、現在のバイロイトの演出方法も含めて、時代に寄り添った形で、敵味方なくワーグナーの音楽が受容されることを望みたい、と思うところでもある。


我々日本人がクラシック音楽を聴くときにこういう問題に突き当たる経験は、自分の経験、意識の中ではないので、そういう意味では我々は幸せなのかもしれない。


今年の新制作の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の演出を拝見して、そのようなことをいろいろ考えさせられたところである。




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マーラーフェスト (MAHLER FEEST) 2020 [クラシック演奏会]

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ブラームス、マーラー、ブルックナー、そしてリヒャルト・シュトラウスを含む、後期ロマン派のレパートリーの演奏によって喝采を受けてきた。

マーラーの伝統は、マーラー自身がここで指揮(客演)をしたおびただしい演奏会に基盤を置いていて、アムステルダム・コンセルトヘボウは、歴史上、まさにマーラー演奏のメッカといえるホールなのである。


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「名門オーケストラを聴く!」(音楽之友社編,音楽之友社,1999)その他の資料によると(抜粋させてもらいます。)、最初に客演に招かれたのは1903年10月22日と23日、曲は自作の交響曲第3番だったとのこと。

1903年といえばコンセルトヘボウ管弦楽団の創設から15年、メンゲルベルクの時代になってから8年目という時期にあたり、マーラー自身は交響曲第5番を完成し第6番の作曲を開始した頃ということになる。


当時マーラーはウィーン宮廷歌劇場の楽長で、ウィーンを拠点に活動していたのだが、その作品はウィーンで必ずしも高く評価されていたわけではなかったらしい。

ところがアムステルダムでのその演奏会は大成功をおさめたため、すっかりアムス贔屓となったマーラーはその後もコンセルトヘボウ管弦楽団に何度も登場、翌1904年には2番と4番の交響曲をとりあげ、1906年には交響曲第5番、『亡き子をしのぶ歌』や『嘆きの歌』、1909年にはその前年にプラハで初演されたばかりの交響曲第7番を指揮している。

1907年にはメトロポリタン歌劇場の指揮者としてニューヨークに居を移していたマーラーであったが、ジェット機などなかった当時、船によるヨーロッパへの行き来はさぞ大変だったと思われる。

しかしマーラーはアムスをしばしば訪れ、自身で指揮をするだけでなくメンゲルベルクが指揮する自分の曲の演奏会も聴いて、そのことが作品の改訂や補筆につながったという。


要は、自分の本職のエリアであったウィーンやニューヨークでは、自分の作品の評判はさっぱりだったのが、アムステルダムでの客演で人気が出て、自分の指揮&創作活動にも弾みが出た、ということだ。(笑)



ポイントはこのメンゲルベルク。 

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オランダの指揮者で、ベートーヴェン直系の曾孫弟子にあたり、ベートーヴェン解釈には一目を置かれたそうだ。マーラーの作品の理解者であったメンゲルベルクが、1902年にマーラー本人と会って親交を深め、翌年彼をコンセルトヘボウ管弦楽団に招いた、というわけ。

マーラーはアムス滞在中は、コンセルトヘボウのすぐ近くにあったメンゲルベルクの家に居候していたということなので、相当親しい関係にあったと思われる。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、そしてアムステルダム・コンセルトヘボウというホールが、マーラー演奏のメッカとして伝統を持っていたのは、こんな背景がある。




このホールで、過去に大規模なマーラー音楽祭が2回行われているのだ。

正式名称は、Gustav Mahler Festival Amsterdam 。通称、マーラーフェスト(MAHLER FEEST)。

最初に開催されたのが、1920年。まさにマーラーの交響曲全曲&歌曲を、メンゲルベルクの指揮&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でやり通した。

2回目に開催されたのが、1995年。この年は、コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団と、その予備軍というべきグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団が登場。これらが一同に、アムステルダムのコンセルヘボウに会するという夢のようなフェスティバルであった。

指揮者は、ハイティンク、シャイー、アバド、ムーティ、ラトルという凄い豪華陣。

この時期、ちょうど自分はヨーロッパに赴任していた時期で、同時期にアムスに赴任していた親友が、このマーラーフェストに通い尽くし、いままでマーラーというのはどうも疎遠だったのが、このフェストに通ったことでマーラーに開眼したそうだ。



そして、なんと!!!来る2020年。3回目のマーラーフェストが開催されるそうだ!


長い前振りだったが、この日記の真の目的はこれを言いたかったことにある。(笑)



マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 2020

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1102-mahler-festival-amsterdam-2020


これは心底驚いた。同時に張り裂ける胸の鼓動を抑えることが出来なかった。


コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団とニューヨークフィル。指揮はRCOはダニエル・ガッティ、NYPは、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。(オランダの指揮者、ヴァイオリニスト)が決まっているが、ウィーンフィル、ベルリンフィルはまだ未定のようだ。


今回新たにニューヨークフィルが参加するが、まさにマーラーが指揮をしていた楽団で、マーラー所縁のフェストには欠かせないキャストであろう。


日程はご覧の通り。(演目の日程はまだ未定。)

06-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 20.15 pm. Symphony No. 1, New York Philharmonic Orchestra (NYPO/NPO)

07-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday.
08-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
09-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
10-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
11-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. 
12-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
13-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 
14-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday. 
15-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
16-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
17-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
18-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. Gustav Mahler (1860-1911) died 109 years ago.

19-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
20-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 23.15 pm.


マーラーフェストは、毎回この5月上旬に開催され、その理由は、5/18がマーラーの命日で、その日は、必ずマーラー9番が演奏されるのだ。マーラーが死を考えながら作曲した曲である由縁なのだろう。



ここで、過去2回のマーラーフェストを振り返ってみよう。

まず最初の1920年の開催。

マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1920

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1103-mahler-feest-festival-1920


はじめて開催されるマーラーフェスト。マーラーの親友のメンゲルベルクが、RCOを率いて1人で全曲を振り切った。

MAHLER FEEST 1920 (4).jpg



この年は大変なフェスティヴァルになったようだ。

マーラーの妻であるアルマ夫人、そしてシェーンベルクやベルクといった後の新ウィーン楽派と言われるマーラーのお弟子さんたちも駆けつけた。当時は彼らはアメリカに在住していたのだろう。

上のページ記事では、タイタニックのような豪華客船にのって、このフェストのために大勢で駆け付けたようだ。

そのときの写真。

客船から下船してみんなで集合写真。

MAHLER FEEST 1920 (1).jpg



アルマ夫人と新ウィーン楽派のアルノルト・シェーンベルク。

MAHLER FEEST 1920 (3).jpg



さらにもうひとショット。

MAHLER FEEST (5).jpg



日程は、ご覧の通り。

1920/5/6~1920/5/21

1920年5月5日 リハーサル
1920年5月6日 嘆きの歌、さすらう若者の歌、交響曲第1番
1920年5月8日 交響曲第2番
1920年5月10日 交響曲第3番
1920年5月12日 交響曲第4番、交響曲第5番
1920年5月14日 交響曲第6番、亡き子をしのぶ歌
1920年5月15日 交響曲第7番
1920年5月17日 大地の歌
1920年5月18日 交響曲第9番 ( Gustav Mahler (1860-1911) died 9 years ago.)
1920年5月21日 交響曲第8番 


アルマ夫人やシェーンベルクが船でアムス入りしたのは、5/13のことだったようだ。
最初のマーラーフェストは、マーラーの死の9年後に開催されている。
やはり8番、千人の交響曲は、大変な人数の舞台なので、1番最後なのかもです。

この記事の記載によると、このマーラーフェストの組織運営体は、Amsterdam art show choirの人とロイヤルコンセルトヘボウの管理者、そしてロイヤルコンセルトヘボウのコンサートプログラムを組んでいる人の3人で運営されていて、パトロン、いわゆるファウンドはオランダのヘンリー王室から出ていたようだ。



つぎに開催されたのが、1995年。


マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1995

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1104-mahler-feest-festival-1995-amsterdam


日程は、この通り。


第1番 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月3日 (さすらう若人の歌併録)
第2番 ハイティンク・コンセルトヘボウ管 マルジョーノ、ネス 5月5日
第3番 ハイティンク・ウィーンフィル ネス 5月7日
第4番 ムーティ・ウィーンフィル ボニー 5月8日(リュッケルト歌曲集併録)
第5番 アバド・ベルリンフィル 5月9日(オッターとの子供の魔法の角笛から併録)
第6番 ハイティンク・ベルリンフィル 5月10日 (リポヴシェクとの亡き子をしのぶ歌併録)
第7番 ラトル・ウィーンフィル 5月11日
第8番 シャイー・コンセルトヘボウ管 ボニー、アンドレアス・シュミット他 5月16日
第9番 アバド・ベルリンフィル 5月12日
第10番からアダージョ ハイティンク・グスタフマーラー・ユーゲント管 5月14日
大地の歌 ハイティンク・マーラーユーゲント管 ハンプソン、ヘップナー 5月14日
嘆きの歌 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月2日 (子供の不思議な角笛から併録)


この年は、なぜか、マーラーの命日5/18は、フェストに組み込まれないで、祝祭日(Anniversary)として特別に祝ったようだ。

友人の話では、9番の日は、オランダのベアトリクス女王が来る特別な演奏会だったそうだ。
(やっぱり9番です。)最初に女王入場で拍手と起立でお出迎え。2階席中央に座っていたそうだ。


また1995年当時では画期的とも思われるパブリック・ビューイングがあって、ホールの外に大きなスクリーンをたてて、中に入れない人のために演奏風景を外に映し出していた、と友人は言っていたので、映像収録素材があったりするのでは、と想像したりしていた。

ネットでググってみたら、この年のマーラーフェスト1995がYouTubeに上がっていた。(笑)
ハイティンクの指揮だ。

このときの演奏の模様をじつは収録していて非売品CDとして世の中に存在しているのだ。

自主制作CD.JPG



録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようなのだが、一般には全く流通していない大変貴重な非売品である。(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤。)

実際聴いてみたが、確かに、最新の新しい録音と比較するとナローレンジだし、優秀録音とは言えないけれど、素晴らしいホールの響きも適度に含んだライブ感覚を大切にした質のいい録音だと思った。

自分は、オークションで出品されていたのを偶然見つけて、即座に落札。10万円という信じられない高値であったが、これだけの歴史的演奏会の録音、自分はまったく高くない、と思った。




そして、来る2020年。ついに3回目のマーラーフェスト。

1回目から2回目が開催されるまで35年という月日が経過した。
そして2回目から3回目に至るまでは25年。

今回を逃したら、もう巡り会うことはできないかもしれない。まさに一期一会。

2020年の海外音楽鑑賞旅行は、このマーラーフェストに決定である!

アムステルダム・コンセルトヘボウは、もう過去に何回も行っているけど、そういう問題じゃない。

コンテンツの問題!
                                                       
                                                       
海外音楽鑑賞旅行で行くホールや演目を決めるときは、自分であれば、ここはどうしても譲れない、抑えておかないといけない決め処というものがあるのだ。まさに今回は自分のアンテナにビビッと来る感じで、まさに自分のためにあるイヴェントとさえ思ってしまうのだ。

1920年は大昔だから、映像・音声技術はない時代と言っていいので仕方がないかもしれないが、1995年はインターネットが登場し始めた時代で、自分もしっかり意識のあった時代。この時代、非売品だけどCDとして存在しているし、ひょっとしたら映像素材もまだパブリックになっていないだけで、オランダ放送局の倉庫に眠っているのかもしれない。

2020年は、もう最新のAV技術最先端の時代だ。ぜひ今回のフェストを音源、そして映像素材を、後世にハイクオリティな品質で残してほしいと思う。非売品という形でなく、堂々とビジネスに載せてほしいと思う。

1995年では存在していなかったが、いまやアムステルダム・コンセルトヘボウのホールには、このホールの音響特性を知り尽くしたポリヒムニア(Polyhymnia International BV)という最強技術集団がいるではないか!

彼らは当時はフィリップス(Philips)だったのだ。(笑)

この一期一会のイヴェントを、ぜひ彼らの最新技術で、余すところなく収録して後世に残して欲しい、と心から願うばかりである。
                                                       
                                                       
                                                      
                                                      
                                                        

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文章のリズム感 [雑感]

今から6年前の2011年に発売された「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という本を読んだ。購入したのは、発売したと同時に購入したのだが、なかなか毎日忙しくて読めなくて、ついつい積読で存在を忘れていた。

昨日、何気なく存在に気付いて、この夏休みに読んでみようと思った。

DSC01481.JPG

発売当時、ゴローさんからぜひ買って読んでね、と言われて買ったのに、6年も忘れていてゴメンナサイ。

本の内容は、小澤征爾さんと村上春樹さんが対談・インタビュー形式で会話をして、それをテープ起こしで本にしたもの。

いやぁものすごい面白くてあっという間に読了。この内容を6年後に話題にするなんて、本当に申し訳ないと思った。




じつは日記にしようと思ったのは、村上さんのこの一言による記述が自分の心を捉えて離さなかったからだ。



「文章を書くのに大切なことは、リズムがあること。」



「文章と音楽の関係」と題されたインターリュード(間奏曲)として、この内容について書かれていた村上さんの持論は、まさに普段自分が日記を書く上で心掛けていたことを、そのまま代弁してくれたかのような快感があり、「そう!そう!まさにそれ!」という感じで大変感動してしまった。

現に、自分も3年前に「心をつかむ歌声にある「1/fのゆらぎ」特性。」というタイトルで日記を書いて、人を酔わせる歌声には、不思議と1/fのゆらぎ特性があり、人が書く文章もそうだ、ということを書いた。読んでいて感情が抑揚してくる文章のリズムってとても大切。


難解な用語を駆使して単に理屈っぽいだけの文章では、人の頭の中にはすんなり入ってこないし、人を感動させることはできない。

自分の原点は、文章はわかりやすく、そしてリズム感を兼ねそなえるべきもの、という考え方があった。

このように考えるのは、自分だけなのかな、とも思っていたのだが、大作家である村上春樹さんが、同様の考え方を持っていたのには大感動で涙が止まらなかった。



その村上さんの記述を抜粋してみる。





音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。

それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。

前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・

機械のマニュアルブックって読むのがわりと苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。

新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。

でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にはあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でも、リズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん僕がそう思う、ということですが。


文章を書くのは、まさに音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。

できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人には、わからない。

読み手にとってと同じように、書き手にとっても、リズムは大事な要素なんです。小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。

文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると、自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしています。それがリズムになっていきます。




村上春樹さんの小説は、じつは自分は”ハルキスト”と呼ばれるほど熱中している読者ではないのだが、1Q84が記録的な大ヒットとなって以来、新書が出るたびに必ず読むようにしている。だからファン歴としては浅い。

村上さんの文芸は、やはりなんと言っても読みやすい、わかりやすい、そして独特の村上ワールドともいえるとてもミステリアスなストーリー展開、そしてクラシック音楽の描写をさりげなく入れる洒脱さ、そして毎度のことながらエロい描写も必ずあるところもいい。(笑)

やはりそこに本人がいうリズムがあることは間違いない。次から次へと前へ読み進みたくなる好奇心というか。

それ以来ファンになって、1Q84以前の作品もほとんど買い揃えて積読状態で、定年になって時間にゆとりが出来たら、じっくり過去の作品も読もうと思っている。



今回の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の本については、いわゆる小澤さんの人生をインタビュー形式で深く掘り下げて紹介していこうという趣旨。


全編通して驚いたのは、村上春樹さんの音楽に対する造詣の深さ。本筋はジャズだそうだが、クラシックに関しても相当なもの。小澤さんからこれだけの深い会話を引き出すのは、インタビューの準備があったとはいえ、かなりなものだと感じた。

もちろんオーディオマニアでもある。(アナログレコードファンかな?)

ご自身の小説にさりげなくクラシック音楽の作曲家や作品をしのばせるテクニックも、これだけの造詣の深さから来ているものだろう。

小澤さんの人生インタビューは、これは、これは、興味深い。ぜひ一読をお勧めしたいです。

いままでパブリックになっている小澤さんのインタビューや履歴なことよりも、もっともっと掘り下げた、本人の細かい描写の回想、思い出話、そして技術論などで相当新鮮で貴重。自分は初めて知った内容のものばかり。相当専門的で細かいです。

小澤さんの話していることで、印象的だったのは、

カラヤン先生は、曲(交響曲)を長いフレーズで見ること。それが指揮者の1番大切な使命。

何小節単位でスコアを読解していくんではなくて、もっと全体の長いラインで読んでいくこと。細かいアンサンブルに拘ってちゃいけない。カラヤン先生独特の指揮法=長いフレーズを作るのが指揮者の役目。

僕らはね、四小節フレーズとか、八小節フレーズとか、そういうのを読むのは慣れています。ところが彼の場合は、十六小節とか、もっと凄いときは三十二小節とか、そこまでフレーズを読めと言われます。そんなことスコアに書いてないんだ。でもそれを読むのが指揮者の役目なんだと。


こんな感じでとても深い内容で、小澤さんの人生をほぼ網羅する形で紹介されている会談形式の本。

発売からもう6年経っていて、本当に申し訳ない限りで、もうすでにみなさんご存知かもしれませんが、まだの方はぜひ読んでみてください。

クラシックファン、小澤ファンであれば、感動すること、勉強になること間違いなし!だと思います。 


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小澤征爾さんと、音楽について話をする。

小澤征爾(著)、村上春樹(著)

https://goo.gl/P6Xf2C








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PENTATONEの新譜:グスターボ・ヒメノ&ルクセンブルク・フィルの「ダフニスとクロエ」 [ディスク・レビュー]

ラヴェルの「ダフニスとクロエ」は、「ボレロ」「スペイン狂詩曲」と並んでラヴェルの管弦楽曲の主要なレパートリーとされ、演奏機会も多い。

自分は、この曲がことのほか大好きで、ラヴェル独特の浮遊感や色彩感がもっとも顕著に堪能できる、じつに美しい秀逸な作品だと思っている。

曲の構造的にも、ライトモティーフ(主題)からなる交響曲のような構成を持っていて、それらの主題の展開(5つの主題とその動機の展開)が全曲を通して、全体の統一性を整えている、そんな感じの構成の曲なのだ。

もともとはロンゴスの「ダフニスとクロエ」というバレエ作品(1912年パリ・シャトレ座初演)に対して、ラヴェルに作曲を依頼された作品。

この演目は、実演にも何回も接していて、そして何枚かのディスク音源も保有しているのだが、特に音源のほうは、なかなか自分がこれ!といった感じで、満足させてくれる録音に出会えていなかった。特に、この「ダフニスとクロエ」で”5.0サラウンド”の音源は持っていなくて、ぜひ欲しい、とずっと恋焦がれていた。


そう思っていたところに、PENTATONEからの新譜で、まさにこれ!という録音がでた。 


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「ダフニスとクロエ」全曲、海原の小舟、亡き王女のためのパヴァーヌ 
グスターボ・ヒメノ&ルクセンブルク・フィル

https://goo.gl/S3vqFi



今世界が最も注目する若手指揮者の一人、スペイン、バレンシア生まれのグスターボ・ヒメノ率いるルクセンブルク・フィルによる演奏。

グスターボ・ヒメノは、もともとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席打楽器奏者だったのだが、音楽家として指揮を学び、マリス・ヤンソンスの副指揮者を務め、2014年1月にヤンソンスの代役としてコンセルトヘボウにデビュー。

2015年に、そのRCOを率いて日本にもやってきた。サントリーホールでの公演だったと思うが、自分はその公演に行っていてヒメノの指揮を拝見させてもらっている。

なかなか指揮振りのスタイルも美しく、見事に統率していた印象が強く、キャリアが浅いとはとても思えない流暢な指揮だったように思う。舞台袖に下がるときに、なぜか小走りで急ぐのが、ご愛敬だったのだが。(笑)


最初のじつに聴こえるか、聴こえないかわからないくらいの微小な音、まさにオーディオ装置のS/Nの良さ、この微小音をどこまできちんと再生できるか、という再生能力を試されているような出だしから始まる。

やや録音レベルが小さめなのだが、その分ダイナミックレンジが広くて、なかなかの優秀録音。録音レベルが小さいので、平日の夜分に聴くと、どうもピンと来なかったのだが、きちんと大音量で聴くと、ダイナミックレンジが広いことがわかり、じつに素晴らしい録音だということがわかってきた。

ppのピアニッシモの音までじつにクリアに捉えられていて、ラヴェルらしい色彩感あふれる和声感あるハーモニーなど、部屋中に広がるグラデーション豊かな空間表現はなかなかだと思う。音質の傾向としては、PENTATONEらしい全体的に柔らかい質感は踏襲されている。

空間表現が秀逸=色彩感豊か、そして柔らかい質感、という方程式が成り立つ感じなので、ラヴェルのような浮遊感のあるフランス音楽を表現するには適切な調理の仕方なのだと思える。


サラウンドの効果もまずは水平方向にステージ感がうっすらと広がる感じで、ステレオ2chで聴くよりも定位感がぐっと増す感じでレンジ感も広い。

Auro-3Dなどの高さ方向もあるだろうか。空間感もしっかり感じる。

聴いた瞬間、誰でもわかる超絶にびっくりした録音ではなかった。現に最初はピンとこなかった。
でも聴き込めば聴き込むほど、じつに奥深くよくできた録音だと思えるようになった。


クレジットを見ると、いつものメンバーではなかった。

プロデューサー、エンジニア、編集は、カール・ブルッグッマン。やはり若手エンジニアの育成という面もあるのだろう。

これを見た瞬間、最初聴いたときに、PENTATONEサウンドを聴きなれている耳からすると、ちょっとテイストが違う感じにも感じないこともなかったが、それはあきらかに、クレジットを見た後だから。(笑)

そのトーンポリシーは、着実に若手に引き継がれている、と確信した。

ルクセンブルク・フィルハーモニーでのセッション録音。


ルクセンブルグ・フィルの演奏は、安定して厚みのある弦のハーモニーの美しさ、ビロードのように甘い嫋やかな木管の音色、そして全体のアンサンブルの完成度、と一流のオーケストラ・サウンドの基準を十分満たしている見事な演奏力だと思った。

なによりも、自分が心を寄せる「ダフニスとクロエ」を理想に近い形で表現してくれている。

その他に、海原の小舟、亡き王女のためのパヴァーヌなどの名曲も納められている。

長らくずっと欲しいと思っていたラヴェル「ダフニスとクロエ」の5.0サラウンド音源。心願成就。



じつは、ここ1か月間、ほとんど毎日このディスクばかり、ずっとヘビーローテーションで聴いているお気に入りなのだ。









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世界の朝食を食べさせてくれるお店 メキシコの朝ごはん [グルメ]

この連載も7か国目。今回はアミーゴ!太陽の国メキシコの朝ごはん。

トランプさんのメキシコの壁の問題で、すっかり麻薬、犯罪、悪の密輸入国のようなイメージいっぱいだが、300年に渡ってスペインに支配されたものの、19世紀はじめには、いまのメキシコ合衆国として独立を果たした立派な国としての体制がある。


自分にとって、メキシコ料理って初めてではない。

宇多田ヒカルが日本中でブレークしたとき、なんかの番組でゲストとして出演したときのこと。メキシコ料理が大好物ということで、なんか具材をトルティーヤで巻いて、その上にサルサ・ソースをかけて、例のタメ口で(笑)、「ウマー!」とか言いながら食べていたのを見て、これは美味しそう~、どんな味なんだろう?と興味をそそられ、親友とその代官山のお店に、そのメキシコ料理を食べに行ったことを覚えている。

そのときの印象は、確かに日本人の舌の味覚にはない味で、美味しいといえるか微妙だったような記憶がある。

だからトルティーヤとかサルサ・ソースって懐かしい響きの言葉。

日本人の食事に白いご飯と味噌汁と漬物が欠かせなかったように、メキシコの食事にはトウモロコシから作るトルティーヤ、インゲン豆のフリホーレス、そして唐辛子から作るサルサが欠かせないのだ。

三食ともそれらをベースにした料理が食べられている。また卵の消費量が世界一のメキシコ。

朝ごはんには卵をよく食べるのだそうだ。


これがメキシコの朝ごはん。

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トルティーヤにサルサと目玉焼をのせたウェボス・ランチェロス。

これがメキシコの朝ごはんの定番。

一番下に敷いているパン生地みたいなものがトルティーヤ。トウモロコシで出来ている。
その上に朝ごはんに絶対欠かせない目玉焼きが2つに、その上にサルサがかけられている。

これだけ。シンプル・イズ・ベスト!(笑)

その左上のほうに、黒い練り物のようなものがあるが、これが黒いインゲン豆を煮込んだフリホレス・デ・オヤというもの。メキシコのおふくろの味らしい。

トルティーヤ&目玉焼きの上にかけられているサルサは左右で2種類からなっているのがわかるだろう。

サルサとはスペイン語でソースという意味だそうで、味はサルサによって決まると言われるほどメキシコ料理にはなくてはならない存在。

今回のこの2種類のサルサは、左のほうの刻んだ野菜がゴロゴロのほうが、フレッシュな野菜がたっぷり入ったサルサ・メヒカーナ。

右の赤い液体状のほうが、煮込んだ野菜で作るサルサ・ランチェロ。

さて、お味のほうは・・・

まっやっぱり微妙(笑)というか、日本人の味覚にはない味ですね。

サルサはベースは野菜で作られているのだけれど、その味付けは唐辛子。だからまず、トルティーヤ&目玉焼きをガブっといくと、まず「辛い!」という感じでピリリという感じ。

サルサの基本は野菜で出来ているので、そのわずかな甘み、酸っぱみもあるけれど、基本は無味。味付けはこの唐辛子の辛さが強烈なアクセントと言っていい。

それで、トルティーヤ&目玉焼きがいわゆる口の中での触感の役割だとしたら、ほとんど無味なので、やっぱり味を決めているのはサルサ。

そのサルサがこのような味なので、このメキシコの朝ごはん、結局どういう味なのか大体想像がつきますでしょう?(笑)

メキシコ人はこういう食事を3食食べているんだな。

美味しいかどうかはその人の好みによると思います。やっぱり好きな人は嵌るのだと思う。


宇多田ヒカルが、「このトルティーヤにこのサルサをかけて食べるのが最高に美味しいのよ~♪」と言ってかぶりついていたシーンが、何十年ぶりなのに、今回、頭の中に鮮明に思い出されました、です。(笑)









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小澤征爾さんの新発売のBlu-rayは、なぜEuroArtsなのか? [ディスク・レビュー]

小澤征爾さんの待望の映像作品がリリースされた。


まさに、これから開幕しようとしている松本のセイジ・オザワ松本フェスティバルに合わせてのタイミングだと思われる。


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ベートーヴェン:交響曲第7番、第2番、合唱幻想曲 
小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ、マルタ・アルゲリッチ、他(2015、2016)
(日本語解説付)




もともとは、齋藤秀雄氏を偲ぶ音楽祭で冠も「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」であったのだが、2年前の2015年から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に冠が変わった。その新しく冠が変わった2015年、2016年の小澤さんが指揮をしたオーケストラ・コンサートであるベートーヴェン交響曲2番&7番のライブ収録を2曲を収め、さらに2015年9月1日の小澤さんの80歳の誕生日におこなわれた「マエストロ・オザワ 80歳バースデー・コンサート」の模様も収録されているのだ。


このバースデー・コンサートでは、ベートーヴェンの『合唱幻想曲』が収録されている。友情出演したマルタ・アルゲリッチ、そしてナタリー・シュトゥッツマンやマティアス・ゲルネといったソリスト陣により演奏され、会場は大いに盛り上がった。


近影の小澤さんの活躍を観るには絶好の素晴らしいソフトだと思う。


ナイス企画!と言いたいところ。

自分は2015年の小澤さんのベト2は、直接キッセイ文化ホールでじかに観ていると思う。



ただ、どうしてもひとつひっかかることころがある。


それは映像ソフトの製作がEuroArtsというところだ。


なぜ、NHKじゃないのだ?


自分は、まずここにピンとひっかかってしまった。


小澤さんの映像ソフトというジャンルは、ゴローさんの聖域ともいえるところ。


過去に、ベルリンフィルとの「悲愴」、そして祝75歳を記念してのサイトウキネンとの歴史的コンサートを集めたアニバーサリーセット、とNHKエンタープライズ(NHKの子会社的存在で、NHKの映像ソフトをパッケージ化する会社)から出ている。


まさにゴローさん渾身の作だ。


EuroArtsは、まさにヨーロッパ最大のクラシック映像ソフト制作会社といってもよく、草創期より、オペラ、オーケストラコンサートのBD/DVDを製作、発売してきている。Blu-rayのフォーマットが世に出たときは、日本語字幕なしのオペラがやたら多くて、オーケストラコンサートは皆無だった。


そんな中で、NHKの小澤さん&ベルリンフィルの悲愴が出た。


BDでオーケストラコンサート!というのは当時では、かなりエポックメイキングな出来事だった。


ゴローさんからの内輪話では、ベルリンフィルは、業界初のBlu-rayを使うから快諾した、という。(笑)つねに技術の最先端をいくのは自分らだというベルリンフィルの伝統のプライドみたいなものが彼らにはあるのだ。アナログLPからCDへの切り替えも、ベルリンフィル(カラヤン)。


そして今度は・・・。(笑)


そこからEuroArtsでもBlu-rayで数多くのオーケストラコンサートを出すようになり、まさにヨーロッパのオーケストラ・コンサート、オペラのパッケージ製作会社としては第1人者といっていい現在のポジションに至る。


ゴローさんは常日頃、このEuroArtsの存在に尊敬の念を払いつつも、彼らの作品の映像の捉え方、カメラーワークがどうも自分のポリシーと違うようで、苦言をボソッと呈していた。


NHK(ゴローさん)のオーケストラを撮るカメラワークの基本は、全体を遠景から撮ること。

不自然なアップなどを多用しないこと。
あくまでコンサートホールで観ているかのように自然のまま、であること。


ここに拘っていた。


ところがEuroArtsの映像の捉え方は、ソフトを観ている者が感動するように、その音楽のフレーズ、リズムなどの節目節目で、格好良く感じるように、その瞬間にパンで、ある奏者を抜いたり、という画像の切り替えが頻繁で、音楽に合わせて、かなり意識的で人工的なカメラワークなのだ。


これがゴローさんにはどうもあざとく感じるらしく、気に入らなかったようだ。
自分のオケの撮り方とは違うみたいな。


これは確かに、自分もあまたのEuroArtsのソフトを所有しているので、間違いないと思うところで、ゴローさんの言っていることは正しい。


でもこれって人の鑑賞基準によるところが大きくて、自分の親友なんかは、NHKのカメラワークは、なんかサラリーマンみたいで平凡でつまらない、という。(笑)EuroArtsのほうがカッコいいカメラワークという。人それぞれの感覚ですから、どちらが正しいとは言えないですね。


あと、これは自分が大きく感じるところだが、EuroArtsが採用しているサラウンド音声のコーディックが、DTS-HD Master Audio 5.1というコーデック。


サラウンド音声という点では、今まで数多のEuroArtsのソフトを観てきたけれど、正直彼らのこのコーデックのサウンドで感心したことは1回もなかった。悪いサウンドではないけれど、いいサウンドとも言えない。


音が薄くて、ペラペラした感じのサラウンドなのだ。(とくにオーケストラ・サウンドにとって重要な低域がややスカスカ) とりあえずサラウンドにしてます的な。。。


ゴローさんはBDのお皿の容量をフルに使って、非圧縮のPCM 96/24に拘っていた。
こちらのほうが音がぶ厚くて、芯のあるいいサラウンドだった。


一度地方オーディオオフ会で、EuroArtsソフトとゴローソフトを比較して視聴したところ、同じような感想をもらい、自分の意を確かなものにした経験があった。


EuroArtsといえば、もういまやヨーロッパを制圧するソフト制作会社であるのだが、自分には、そのカメラワークとサラウンド音声のクオリティから、どうも???というイメージを持っていたのだった。(でも世の中のヨーロッパのコンサート、オペラはほとんどEuroArtsなので、コンテンツ見たさには、さすがにかなわず、かなり大量に持っているのです。(笑))


そこで、今回小澤さんの新ソフト、えっ!なんでEuroArtsなの?


いままでの経緯から小澤さんといえば、NHKから出すのが本筋でしょ?


自分がそう思うのは当然。ここにかなりの違和感があった。


EuroArtsが製作したということは、会場に持ち込んだカメラ、音声収録機器も、全部彼らが外国から持ってきたのだろうか?いや、そこは、やはりNHKとか長野朝日放送とかの機材で賄い、編集だけをEuroArtsがやったのか?


そもそもEuroArtsに小澤さんのソフトを作らせる、という決定は誰がしたの?


もう頭がグルグル回る。(笑)


じつは、その決定は小澤さん本人がしたことなのかも?とか。


小澤さんは、EuroArtsとも多くの仕事をしている。


自分が記憶にあるだけでも、カラヤン生誕100周年記念を祝して、ベルリンフィルで、ソリストにアンネ・ゾフィー・ムターを従えてウィーン楽友協会でやったとき、これもEuroArtsの作品だった。(自分の愛聴盤。擦り切れるくらい観ました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、この難曲を。ゴローさん曰く、ムター、うますぎなんだよ!(笑))


以前、ゴローさんのNHK内での上司だった方に伺った話。


小澤さんという人は仕事をいっしょにしていくには非常に難しい人らしく、その最たる要因はFinal Approval(最終承認)という作業だった、という。普通の場合、収録した後は編集権はメディア側が持つものなのだが、小澤さんは違った。この最終承認というのは、小澤さんの作品を収録をした場合、それを市場にリリースする前に必ず小澤さん本人に見せて承認を得ないといけない、という取り決めがあったのだそうで、作品が完成したそういうときは、大抵小澤さんは世界中のどこかにいる訳で、そこまで追っかけて行って、本人に見せて承認をもらっていたという。


それをじつに忠実に守ってやっていたのがゴローさんだったのだという。


う~む、この話を思い出したら、きっと今回の新作品についても、このFinal Approvalはやっていたに違いない。 誰が(まさかEuroArtsの人?)、小澤さんのところに行って、それを見せたのか?とか。


世に出た、ということは小澤さんが承認した、ということ。


きっと違和感などないのだろう。自分が心配しているようなことは徒労に終わるに違いないと確信している。


またEuroArtsに販売権を持たせれば、彼らの販売ネットワーク網に乗せることになり、そのほうが、その膨大な顧客層を期待できるという大人の計算もあるのかも?確かにNHKのソフトとしてより、EuroArtsのソフトとして売るほうが、売れるのかも?


SNSのTLに流れるニュースなどで、この新作品のパッケージの表示を見て、左上にある小さなEuroArtsというロゴを発見した途端、いままで書いてきたことが走馬灯のように頭の中をよぎって違和感を感じた自分。


やはりちょっと変わった人間だろうか?(笑)


毎度のことなのだが(笑)



話を明るい方向に持っていって、最近の小澤さんの近況の話でも。


先日8/1、トッパンホールで小澤国際室内楽アカデミー奥志賀2017で、アカデミー生らと見事な弦楽四重奏を披露。


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チャイフスキーの弦楽セレナーデハ長調 op.48 より第1楽章。アカデミー生と小澤さんがひとつになって奏でる圧巻の合奏はまさに感動の一言だったそう。小澤さん、元気そうでなにより。


そして、いよいよ8月13日から開幕するセイジ・オザワ松本フェスティバル。


最近は、オペラは小澤征爾音楽塾に任せる感じで、自分はオーケストラコンサートに専念する感じ。これは年齢、体力的にも適切な判断だと思いますね。


オーケストラコンサートでは、ファビオ・ルイージでマーラー9番。ナタリー・シュトゥッツマン&小澤征爾で、小澤さんはベートーヴェン レオノーレ序曲 第3番を指揮。


そして1番の目玉は、


なんと!内田光子さん登場で、小澤さんとで、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番を披露!これは聴きに行きたいなぁ。でもプラチナで無理。(^^;;


内田光子さんは、その他にリサイタルもやってくれるようです。


自分が、この音楽祭でぜひ行ってみたいのが、松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)での公演。このホールは最近メチャメチャ音響がよいことがわかってお気に入りになってしまったので、ぜひこのホールで開催される松本の音楽祭のコンサートに行ってみたい。


ゴローさんへの義理という面もあって、毎年通っていた松本の音楽祭。


やっぱりこの夏休みの季節になると、不思議と、あの汗ダクダクかきながら松本市内を歩いて、珈琲美学アベでモーニング、信州大前のメイヤウで、4色カレーを食べて、信州蕎麦の「こばやし」でそばをいただき、その向かいにある居酒屋「ゴロー」の写真を収めてのワンパターンを無性にやりたくなります。


今度行ったときは、居酒屋ゴローで一杯やりたいと思います。(笑)


セイジ・オザワ松本フェスティバル、今年も大盛会を祈って!



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 (C) Michiharu Okubo

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DSD11.2MHzライブストリーミング [オーディオ]

時間の問題とは思ってはいたが、突然のプレスリリースで驚いた。IIJがやっているDSDライブストリーミングで、世界初のDSD11.2MHzでストリーミングサービスを開始するという。

N響のミューザ川崎でのコンサートで初披露。

えっえっえっ?視聴環境なんかの事前の情報リリースはいっさいなかったので、まず関心事はそこ。

どうやって聴くの?

プレスリリースなんかの記事を観ても、視聴環境については、どこにも書いていないというか、積極的にページを紹介していないみたいだった。

なんか訳ありというか、不親切だなぁ(笑)という感じで少々ストレスを感じた。

時間はかかるけれど、まずはお問い合わせフォームにて、問い合わせてみる。

自分の関心ごとは、このDSD11.2MHzストリーミングをどうやって聴くのか?

その視聴環境を知りたかった。 

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①USB-DACは、11.2MHz専用のDACが必要になるのか?それに応じて、KORGのDACであれ
  ば、再生エンジンであるAudioGateも次のバージョンの5がリリースされるのか?

②PCのCPUの動作スペック的に、5.6MHzのときに比べて、さらに上のものが必要なのか?
 つまりPCをまた買い替えしないといけないのか?

③家へのネット回線スピードはどれくらい必要になるのか?

④アプリであるPrimeSeatを新しいバージョンに入れ替えないといけないのか?

この4項目だった。


まず、

①USB-DACについて

これは、DSD11.2MHz対応のUSB-DACが必要になる。
いま、このIIJのサービスが推奨しているUSB-DACメーカーの中で、KORGをはじめ、11.2MHz対応のものは、まだ世の中に出ていない。(笑)つまり11.2MHzライブストリーミングを受信できるUSB-DACは、まだこの世に存在していないのだ。(笑)

どうりで、視聴環境について積極的に紹介していないわけだ。(笑)

自分が持っているのは、KORGのDS-DAC-10RというDACなのだが、5.6MHzまでで、11.2MHzは再生できない。

これに応じて、たぶんAudioGateもバージョン5がリリースされるはず。
このGUIの中に、11.2MHzの関するボタンが必要になるから。


②PCのCPUのパフォーマンスについて。

推奨スペックの変更はなし。

CPUはCore 2 Duo 2.66GHz以上を推奨する。

PrimeSeatでDSD5.6MHzの音源が問題なく再生できているPC環境であれば、DSD11.2MHzの音源も再生できる。

これは心底ホッとした。自分にとって最高に朗報だ。音楽再生専用としてMacBook Proを新規購入したばかり。これでまた買い替えだと金銭的にも、あと、PCの今後の展望においても無理だ。

PCってオーディオ機器などの家電と違って、ライフサイクルがすごく短くて、USB I/Fとか規格がどんどん変更になって、対ノイズ対策という点では、どんどん悪くなる一方だそう。

というのはPCを開発している人たちって最初からオーディオを再生することを考えて設計していないから。今後PCオーディオのような音楽再生に適したNotePCなんていうのは、もうあり得ないんじゃないかなぁ、という話。

新型のMacBook ProもいまいちUSB I/F含め、ノイジーだという話。


ただ、これは、11.2MHzをそのまま11.2MHzの再生環境、5.6MHzをそのまま5.6MHzの再生環境で再生する場合で、このような場合は、CPUの負担ってそんなにかからないのだけれど、これをダウンコンバートやアップコンバートするともろにCPUの負担が大きくなるそうだ。

だからCPUに負担がかかって音声途切れになったりすることもある。

このダウンコンバートやアップコンバートに関しては、サポート対象外だそうだ、11.2MHzに関しては。


③ネット回線スピード


DSD11.2MHz音源の再生には、常時24Mbps以上の通信速度が必要。常に安定して再生するための推奨速度は50Mbps以上。有線LANでの接続を推奨。

これは厳しい。DSD5.6MHzのときは、推奨速度は、常時12Mbps。

回線はDSD5.6MHzと比較すると倍の回線帯域が必要になる。


うちのマンションの回線速度は、28Mbps。


マンションというのは、入り口までは光回線で100Mbps来ているけれども、その屋内に入ってしまうと、既存の電話線の上位規格であるVDSLなので、ガクンと落ちてしまって、さらに多数の部屋に分岐されてしまうので、スピードが落ちるのは仕方ないのだ。

28Mbps出ていれば、御の字だと思う。

そうすると、11.2MHz再生するには、ギリギリで、常時安定であれば50Mbps必要とあれば、ちょっと無理。

やっぱり11.2MHzという大容量のネックはここなんだな、と思った。

ストリーミング再生では一番大切なポイントですね。


④再生アプリのPrimeSeat


再インストールの必要はなしで、いまので使えるらしい。従来の音源に関しては、5.6MHzまでだからGUIは変わらないし、今後の音源に関して、11.2MHzの選択肢のボタンが増えるだけなので、アプリそのものには関係ないようだ。


ただ、11.2MHzのストリーミング再生のためには、PrimeSeatのバッファサイズを最大にすることを推奨されている。

ストリーミング再生には、受信機側でのこのバッファという概念が必須で、リアルタイムでストリームを構築していくのでサーバー~家庭間でネット環境に応じて、時間軸管理で途切れた場合に、再生音がブツ切れにならないように、あらかじめ受信機側のメモリーでデータをプールしておく必要があるのだ。

ネットで途切れても、それをメモリーのデータである程度の時間、補うみたいな感じ。

やっぱり11.2MHzの大容量のストリーミングでは、このメモリーの容量、つまりデータをプールしておくのを最大限にしておく必要がある。



こんな感じだろうか。


結論は、11.2MHzになることで、視聴環境的に変わることは、

・USB-DACを11.2MHz対応のDACを新規に購入すること。
・ネット回線を太くすること。


ということになりそうだ。


ということで、いまの自分のマンションの環境では無理。1軒家に引っ越してダイレクトで100Mbpsが使える環境でないとダメだ。

敷居は高そうだ。


でも、自分はこのDSDライブストリーミングに将来的には5.1サラウンドも対応して欲しいと思ったりしているのだけれど、そうなると5ch分のストリームを通す回線となると、これまた太い回線が必要になるんだな、ということに気づいた。(笑)

結構大変なことなんだな。

11.2MHzの5.1サラウンドなんて、もう大変だし、5.6MHzのサラウンドでも容量的に大変そうだ。

あと、5chのサラウンド再生をやるなら、5ch分の位相ってどうやって合わせるの?というのもあるよね。サーバーからのストリームを家庭で再生するときに、5本のSPから出る音は全部が位相が揃ってないといけない。これって結構大変なことなんじゃないかな、とも思ったりする。


対応USB-DACもまだないのに、プレスリリースで発表してしまったのは、やっぱりDACが揃うまで待てない、ということだと思います。

ストリームの音源ができてしまったので、”世界初の11.2MHzストリーミング”ということを、まず発表してしまいたかった、というのが真相じゃないかな、ということを邪推したりします。

わかる~その気持ち。(笑)

別に攻めたりしません。その気持ちよ~くわかるから。(笑)

あと、11.2MHzのUSB-DACってどれくらいの値段で売られるかですね?


ストリーミングというのは、ふつうの音源のサービス、Spotifyとか、TIDALとか、Amazon Musicとか。。。

でもそれって、定額聴き放題だったりして、自分はどうもそこに抵抗があって、やってみようと思わないのだけれど、ライブストリーミングは、まさに演奏会のライブをストリーミングで流すので、ふつうのCDとかでは絶対手に入らない音源だし、ストリーミングというビジネス形式では、こちらのほうがユニークだし、将来性あるように思えます。

いま世界中のどこのコンサートホールやオペラハウスでも、自分のところの公演を映像&音声のストリーミングでネットに流してサービスするというビジネスは定着してきていますよね。 


                                                                                                                                                      

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そしてDSD11.2MHzというスペックについて。


自分はこのスペックが出始めたときから、なんかオーディオ業界に昔から根強く蔓延る「スペック至上主義」の象徴のような感じで生理的に受け付けなくて嫌いだった。(笑)

オーディオ商品を出すときに、スペックが高いと、それだけで、なんかグレードが高い製品のような感じでマーケット商戦に強いんだと思う。逆に他の製品が高いスペックを唄っているのに、自社だけそれより劣るスペックを唄うこと自体、それだけで商戦に負けてしまうみたいな。

そういうユーザ心理をうまく突いたところにあるものなのだ。スペックって、昔から。

オーディオ、音楽って、スペックでは一義的には決まらないです。

それだけで判断してしまう人は、聴いている音楽のことをよくわかっていない、オーディオ的快楽だけ求めている、生の音を知らない、自分からするとまだまだ底が浅いと思う。

そういう自分は、まだ11.2MHzの音をじかに聴いたことがないので(笑)、偉そうなことは言えないし、改心するかもしれないけれど。

やはり生の音とあまりに乖離しているのはダメですね。いくらオーディオ的に快感であっても。

先日の仲道郁代さんのサントリーホールライブのBD。あれはたったのPCM 48/24ですよ。それなのにあれだけ生演奏の臨場感をうまく表現できていて、仲道さんのピアノを表現するのに、あれで必要十分だと思った。あれ以上のスペックは必要ないと思った。

あと、同じIIJのベルリンフィルアワーのライブストリーミング。あれもPCM 48/24。これも恐ろしく鮮度が高くて、生演奏のありようを完璧に表現できていた。あれ以上のスペックって必要?ってな感じで。

その音楽を表現するのに最適なスペックって様々に存在すると考えたほうが絶対適切だと思う。

逆にスペック高すぎの音って、人工的なHi-Fi(死語(笑))サウンドで、あまりに現実離れして自分には違和感を感じると思う。


出来る限りのハイサンプリング、ハイビットで録れば、それだけもともとの原波形に近い形で録れて再生できることになるということだから、音声信号はもとより、現場の気配感など、いままで聴こえなかった音がどんどん聴こえることになるのだろう。

でも捉えられる情報が多過ぎて、普段聴こえない音が聴こえすぎるとどうなるのか?

鮮度感が高すぎると、長時間聴いていると心臓が痛くなったりする。また一度ゴロー調布邸で、マルチチャンネルDATの音を聴かせてもらったことがあるのだが、さすがテープの音、中域にがっちりと厚みがあっていい音なのだが、暗騒音があまりに生々し過ぎて聴いていて気持ち悪くなった。

あと通常のCD製作では低域カット処理をするもんだが、そういう処理をせず、そのまま超低域までを再生しているCDもある。(なにを隠そうEmil Berliner Studiosのライナー・マイヤールさんの作品 (笑)。)そういうCDの類は音楽を楽しむというより実験的な意味合いも多かったりする。


人間が長時間リラックスして音楽を聴く上で、聴こえなくていい音、音域というのは必ずあると思う。


また確かにDSDはPCMと比べてサンプリング周波数が高いので情報量が多いかもしれないが、DSDであればなんでもいいという訳でもなく、DSDの波形処理(1bit)の仕方にあう音楽、PCMの波形処理(Multi-bit)の仕方にあう音楽というのが絶対に存在するはず。


まずは音楽ありき、のはずだと思う。

音楽を表現するのに、生音を知らない、スペックだけで判断する人は、浅はかすぎる。

(まぁこれはある意味その人の勝手でしょ?というところもあって、スペック高で税に入れる人は、その人にとって 幸せなのでしょう。)

あと、数人の専門家の方の意見を読んだことがあって、ちょっと詳しくは忘れたのだけれど、サンプリングレートが高ければいい、というもんでもなく、その弊害、後遺症が出るので、青天井に上げていけばいい、というもんでもない、と書いてあった。

その弊害、後遺症の理論をちょっと忘れてしまった。

自分の周りにも、11.2MHzに対しては否定的な意見の人が多く、我が意を得たり、という感じでもあった。もちろん肯定的な人もいます。

こればかりは、自分の耳で、聴いてみないとダメですね。

5.6MHzで聴いていても、時間帯にもよるが(夜はビジー)、2時間聴いていれば、必ず1回は途切れてしまう現象が起きてしまう。

それだけストリーミングって技術的に難しい。

そんな中で、11.2MHzにすることで、そのネット回線など負担も大幅に増になるけれど、そこまでしても、いい音なのか!!?


やっぱり旭化成のようなところが、このようなバブルのようなAD/DAのICを開発してしまうから、青天井にどんどん上に上がってしまうんだと思う。(じつは、DSD22.4MHzとか、DSD44.8MHzというのも現に存在するのだ。)

オーディオ、音楽の再生のクオリティってそんなもんじゃないんだよね。

でも確実にオーディオ業界には、スペック神仰の考えは昔から根強く存在することは紛れもない事実なのだ!










ハーゲン・クァルテット@神奈川県立音楽堂 [国内クラシックコンサート・レビュー]

なかなか実演に接することができなかったクァルテットだった。オーディオではもうお馴染みで、徹底的に聴き込んできたのに、自分で彼らの生演奏を聴く機会を捉えれなかったのが信じられないくらい。

1981年結成なので、36年の大ベテラン。

日本にももう数えきれないくらい来日していると思う。キャリア・実力ともに、まさに史上最強の弦楽四重奏団なのだと思う。



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ハーゲン・クァルテット

2013年から、日本音楽財団より貸与されたストラディヴァリウス「パガニーニ・クァルテット」を使用している。

4人はザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学の教授である。

2013年にザルツブルク音楽祭に行ったときに、ぜひ彼らを、あの美しいホールであるモーツァルテウムで聴きたい、という夢をずっと抱いていたのだが、残念ながら日程のタイミングが合わなかった。

所属レーベルは、20年間に渡りDGに所属して、なんと約45枚のCDをリリース。その後結成30周年を祝して、ドイツの高音質指向型マイナーレーベルであるmyrios classicsに移籍した。

myrios classicsは、自分的にはとてもお気に入りのレーベルで、SACDサラウンドで収録することを前提としていて、とてもクオリティの高い録音を聴かせてくれる。

看板アーティストは、このハーゲン・クァルテットと、ヴィオリストのタベア・ツィンマーマン。

彼らのアルバムはDGもたくさん所有しているけれど、やはりmyrios classicsに移籍してからは、普段聴くのはもっぱらこちらオンリー。やはりSACDサラウンドというのが聴いていて心地よい。

さっそく予習で久しぶりに聴いてみた。

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ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス。



なんと優しい音なんだろう。(笑)

線が細くて、いわゆる美音系。絹糸のようなきめ細やかさと繊細さを兼ね備えたようなソフトタッチな音触り。耳だけで聴く彼らのイメージはとてもスマートで洗練されているような細身なサウンドの持ち主のような感じだった。

ガツンとくる体育会系とは真逆にあるような都会的に洗練されたイメージ。





そんな彼らの生演奏を神奈川県立音楽堂で聴いた。


神奈川県立音楽堂は、あの東京文化会館で有名な前川國男氏の設計で、日本で最初に高い評価を得たホールということで、「東洋一の響き」とまで言われたホールである。

イギリスのロイヤルフェスティバルホールを参考に造られたらしい。

自分は何回もこのホールに通っているものと思っていたが、どうも神奈川県民ホールと勘違いしていたようだった。(笑)


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全面木材で作られた木造ホールである。


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客席はこのようにかなりの急勾配になっている。

一見シューボックスに見えるのだが、厳密にはステージから客席がやや扇形に広がっていて、サウンドの傾向もシューボックスとは違う。反射音はステージの天井から客席の天井に設置された反射板で客席に届けられる。



このホールの音響を自分の耳でじかに聴いた印象。


包まれているように響きが豊かという感じでもなく、ホール内を音が十分に回っているというイメージでもなく、とは言っても極めて中庸というかそんなに文句もないニュートラルな感じに思えた。

最新鋭のホール音響と比較するのは酷とはいえ、時代相応の素晴らしい響きだと思った。

シューボックスのように響きが豊かで、音像が左右に広がる感じで定位が甘くなるのとは真逆で、どちらかというと弦の音色が歯切れがよく空間に明確な定位で浮かび上がる感じで、ソリッドな印象だった。(特にチェロの音のゾリゾリ感!)

たぶん、反射音が直接音に続いて奥行き方向に整列して聴こえるためだと思う。

あと、直接音に対して響きがかなり遅れて聴こえてくる感じで、空間感とそこに広がる響きを感じるイメージだった。



椅子は結構全体的にクッション性のもので覆われていて、結構吸音効果の強い椅子のように感じた。これも全体の音響に影響あるはず。

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そんなホールで彼らをはじめて聴く。


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かなり出遅れたので、この座席は仕方がない。やはり前で聴きたい。

ショスターコヴィチにベートーヴェン、そしてシューベルトという布陣。

特に後半のシューベルト「死の乙女」は、自分のお気に入りの曲で、曲調的にもかなり動的な音楽なので、普段の”おとなしいサウンド”というイメージを払拭してくれるものと期待していた。

前半の2曲は、やはりオーディオで聴いていた通りのイメージ変わらずという感じで、とにかく優しいソフトな感触の演奏。

直に聴いてみて、やはり違うな、と感じたところは、とてもアンサンブルの完成度が高くて、まるで精密機械のように正確無比で緻密な演奏だと思えたことだった。

4人がそれぞれ卓越した演奏技術を持っているのに加えて、その合奏の組み立て、お互いのあうんの連携が妙に完璧なのだ。

フレージングやアーティキュレーションといった奏者側の解釈もふんだんに盛り込まれているはずで、それが妙に生々しくてリアルに感じとれる。

4人のあうんの呼吸とか、息遣いなんかが聴こえてきそうな・・・至近距離の室内楽の醍醐味と言ったところだろう。

でも、自分の好み的にもうひとつと思えたのは、やはり全般的に優しすぎる。(笑)

丁寧で緻密な音造りに裏付けられた演奏のそこには聴衆をぐ~っと抑揚させるような劇的なドラマがいまひとつ足りないと感じた。

そういうドラマがあるからこそ必要な技術、アンサンブルの妙もあるはず。

でもそれは選曲に左右されることで、予想通り、後半のシューベルトの「死の乙女」でその不満は見事に解消された。




情熱的な激しさを持った悲劇的情調で表現されているこの曲。


自分を最高潮のヴォルテージに導いてくれたし、ある意味、荒々しい激しいもう一面の彼らの演奏姿を見ることもできて、最強の弦楽四重奏団だという確信を持てた。


さすが血を分けた兄弟だけはある。(笑)


この曲によって彼らの集中力、そのほとばしる演奏、激しくて緊張感がある、メンバーとのお互いの丁々発止とも思えるやりとりから発する大きなエネルギー感みたいなものが、聴衆である自分にどんどん迫ってきた。

これには、自分はたまらずシビレた。
やっぱり自分は、情熱的で抑揚のある表現の演奏が好きなんだなぁ。

部屋でしんみりと静かに聴くBGMのような音楽も魅力的だけれど、生演奏のライブでは、やはり自分の血を煮えたぎらせてくれるそんな高揚する要素ってとても大切。


そういう意味で、今回の公演での彼らの前半と後半にかけての選曲の巧妙さは、十分に計算され尽くしているものだったんだなと深く感銘した。



ハーゲン・クァルテット、自分の印象は、高い技術に裏付けられた緻密なアンサンブルのクァルテットだった。

ぜひザルツブルク・モーツァルテウムで彼らの勇姿を再び見てみたいものだ。









ハーゲン・クァルテット演奏会
2017年7月2日(日)14:00~ 神奈川県立音楽堂

ショスターコヴィチ:弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調 作品73

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135

(休憩)

シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D810 「死と乙女」

(アンコール)

ハイドン  弦楽四重奏曲 第78番「日の出」より第3楽章








鎌倉日帰り旅 [雑感]

ある日テレビをなにげなく見ていたときのこと。いま鎌倉がとても素敵だ、という番組。

ご存知鎌倉って、日本の初の武家政治がひらかれた街で、ずっと古来伝統のある歴史の街。いまそれにちょっとお洒落なスポットも加わって最高に輝いているんだとか。今風でいえば、インスタ映えするスポット(Instagram)。その番組は、主にそんな鎌倉の食にスポットをあてた番組で、その中で取り扱われていた雑誌を買ってみた。

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もうこうなったら行くしかないだろう!




自分の鎌倉への想い出は、NHKの大河ドラマの「草燃える」。

1979年の自分が中3のときに放映された番組で、子供のころからずっと見ていた大河ドラマの中でも1番熱中した想い出の番組。

いままで鎌倉時代の題材と言えば、平家や源義経を題材にする番組が圧倒的で、その中で、この「草燃える」だけは、源頼朝などの東国武士団の旗揚げにスポットをあてたもので、頼朝&北条側から見た鎌倉時代の描写は子供心にとても新鮮に映った。

長い大河ドラマの歴史の中でも、こちら側からスポットをあてた作品は、この「草燃える」しか存在しない。

とくに義経は、判官びいきなどの日本国民が大好きなお涙頂戴的なストーリーで美化されることが多いのだが、ここでは頼朝側から見た、軍事的な才能はあるものの、若気の至りで、愚かな思慮の浅い若者という感じで描かれていて、新鮮味があった。

自分は、この番組で、石坂浩二さんが演じる源頼朝の大ファンになってしまい、相当のめり込んだ。頼朝のことを相当調べたのはもちろん、石坂さん自体のファンにもなってしまった。

頼朝は、1年のちょうど中頃には落馬して亡くなり、それ以降は、北条政子(岩下志麻さん)が主役に繰り上がる。(大河ドラマの中でも、こういうパターンは稀なんだそうだ。)石坂さんの頼朝亡き後の番組は、それはそれは本当に寂しい感じで、番組の陽が一気に消えてしまったようだった。(笑)

だから自分にとって、大河ドラマでは、織田信長と源頼朝を扱った番組が好きで、源頼朝と言えば石坂浩二さんが最高なのだ。

(そういえば、いつしか大河ドラマも見なくなってしまった。あの大人気の真田丸も結局見なかったし。)

ここら辺を自分に語らせると止まらなくなるので、ここいらでやめておきましょう。


上京して30年目。そんな想い出もあるのに、鎌倉に行ったことは1回もなかった。
この番組をみて、よっしゃ!これはぜひ鎌倉に行ってみよう!

近場だし、お金もかからない日帰り旅。これはぜったいいいアイデアと思って即実行である。


JR鎌倉駅。

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目指すは、鶴岡八幡宮。

途中に鎌倉たっての商店街である小町通りを通っていく。

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平日なんだけれど、とても人がいっぱい。やっぱり鎌倉人気なんだなぁ。

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商店街は、とても可愛らしい感じのお店が多く、でもちょっと古風な感じな装いが鎌倉らしくていいな、と思いました。観光客向けのお店が多く、鎌倉ブランドのものを扱うお店が多かった。食べ物屋さんも古風で可愛らしかった。



そして鶴岡八幡宮に到着。
約800年の歴史を誇る、鎌倉を代表する神社。
その正門にあたるところの三ノ島居。

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入ってすぐ太鼓橋。

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この左右に源平池があるのだ。

右が源氏池

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左が平家池

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源氏池のほうには、旗上弁財天社

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その裏には、北条政子の政子石があるのだ。

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そしてまっすぐ進んでいくと舞殿。

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ここはあの静御前ゆかりの場所。朱色が鮮やかな建物で、年間を通して神事や行事の舞台になる。4月には、「静の舞」が奉納される。

あの静御前が頼朝の前で、義経のことを想う舞を見せたのもこの場所で(若宮廻廊)、この舞殿はその跡地に建てられたものである。



そしてそこを通り抜けて、さらにまっすぐ行くと、いよいよ鶴岡八幡宮の大御所、本宮(上宮)に到達。


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この大階段を上る途中の源実朝が、公暁に暗殺されるのもこの大階段のところだ。

公暁は、この大階段の両端の草陰の中に潜んでいたと言われるけど、自分が上っていく最中に階段の両端を見たけれど、とても断崖絶壁という感じで、人が潜んでいられるという感じではなかったような。。。???歴史の謎である。(笑)

そして本宮の御殿。
中に入って、手を合わせてこれからの幸せを願いました。(二拝二拍手一拝)

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中に入って、拝観の御殿のとなりからみるとこんな感じ。

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これで鶴岡八幡宮は終了。鎌倉駅に戻る。
鶴岡八幡宮は思っていたより小さいな、という印象だった。


つぎに体験したかったのは、江ノ電こと江ノ島電鉄。
鎌倉駅の裏側にその乗り場の駅がある。

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江ノ電といえば、いままさに超人気の路線。

なんでも15年連続黒字で、年間1800万人の利用を誇る大人気路線なのだ。人気の秘密は、ファンの方によると、なんかかわいいとか(笑)、のんびりしているところがいいとか。

今の時期(6月)は、まさに紫陽花の季節。まさに紫陽花が満開で、江ノ電が走っているその両側を紫陽花が咲いている・・・そんな写真を撮るのがマニアの慣例のよう。SNSなんかにもたくさんそんな写真が投稿されている。

休日とかGWとかの連休に行くと、もうすごい混雑ぶりで、2~3時間待ちなんてザラ。(特に紫陽花のいまの季節は大人気で激混みなんでしょ、たぶん。)

鉄道マニアの方々にも大人気で、自分が行ったときも、車両が駅に入ってくるとたくさんのマニアの方々が写真を撮っていました。(^^)

そこを見越して、自分は平日に行ったのだが、それでもすごい混雑ぶりだった。江ノ電の路線は、鎌倉-藤沢間を走っている。

自分は、鎌倉大仏を観に行きたかったのと江ノ島にも行ったので、鎌倉~長谷、長谷~江ノ島、江ノ島~鎌倉の合計3回利用した。

これが江ノ電かぁという感じで感無量でした。

自分も鉄マニアの方々に混ざって、江ノ電の写真撮りました。

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こちらが、夏のクールビズ仕様の車両。(笑)

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江ノ電に乗っていったのが、長谷駅で下車して、高徳院にある鎌倉大仏。

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素晴らしい。思っていたより小さいな、と思ったが、でもやはり目の前にすると感動。
この鎌倉大仏と並ぶもうひとつの奈良大仏も近い将来、必ず行きたいと心に誓う。


駅に戻る途中、やたらとしらす丼のお店が多いことに気づく。
ここ鎌倉は、湘南しらす、といって、ひとつの名物なんですね。


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抹茶セットで、ちょいと休憩。

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当初予定に入っていなかったのであるが、ここまで来たら江ノ島まで行ってみようと思った。

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あの向こう側に見えるのが江ノ島。上京30年目にしてはじめて来ました。

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湘南の海を見るなんてはじめてだ。というか海を見ること自体本当にひさしぶり。ちょっと曇り空が残念だったが、でも爽快な気分だ。

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江ノ島に到着したら、そこはぎっしり建物が詰まっている感じの窮屈地帯。(笑)やっぱり小さな島の中なんだな。ここでもしらす丼のお店がいっぱい。観光客でいっぱいだけれど、なかなか普段経験できないような面白い島の街景観だった。

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以上鎌倉日帰り旅おしまい。

想えば「草燃える」からの鎌倉への想いでしたが、心願成就です。思っていた通り、日本古来からの和風で古風な歴史の街だけれど、ちょっとお洒落感覚もあって可愛らしい雰囲気のある街だった。とにかく平日でも観光客でいっぱい。これが休日、連休となると大変でしょうね。

もうひとつ発見したのは、駅の前に立っている街案内地図ボード。
それを俯瞰すると、鎌倉っていう街は本当にお寺が無数にあるんですよね。
それこそガイドブックに載っている他に、無数と言っていいほどの数のお寺さん。
これを見ると、やっぱり鎌倉というところは歴史の街なんだな、と思いました。



今度来るときは、有名どころでないマイナースポットも探ってみたいですね。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その7 ~そして録音哲学 [コンサートホール&オペラハウス]

この一連の日記連載の落とし処は、結局コンサートホールごとに違う音響、ホールトーンを家庭内で再現したいというところにある。

自分が理想とする録音哲学は、コンサートホールごとに違う音響、アンビエンスをありのまま、その空間を捉えられること。そこには、ホールを一見した時点で、どのポイントに、いかようにマイクをセットすれば、その空間を切り取ってこられるか、ということを判断できること。

そしてミキシング、編集を施した後の録音(ワンポイントでミキシング編集なしのライブストリーミングでも構いません。)は、まさにそのディスクの中に、そのホールの空間、響きの情報が全部詰まっていることが条件になる。

そのディスクを再生さえすれば、部屋の中に、そのコンサートホールの空間が現れる。



ベルリンフィルハーモニーで録音したディスクを再生すれば、部屋の中にベルリンフィルハーモニーのホール空間が現れる。

ウィーン楽友協会で録音したディスクを再生すれば、部屋の中にウィーン楽友協会のホール空間が現れる。

そしてアムステルダム・コンセルトヘボウで録音したディスクを再生すれば、部屋の中にアムステルダム・コンセルトヘボウのホール空間が現れる・・・というように。



家庭内でのオーディオ再生は、ディスクに入っている情報を満遍なく出し尽くすことに専念する。
(これが簡単に言うけど、じつはかなりというか永遠のテーマで、思いっきり大変なことでもある。)

そして余計な小細工をしないこと。

だから部屋に居ながらにして世界のコンサートホールのホール空間を堪能できることが、最終的なラウンディング。

家庭内のオーディオ再生哲学は、まさに数多いるオーディオマニアによる無数のマニアックな考え方があって、それはそれで尊重されるべき。たかが趣味、されど趣味という感じで。個人が楽しむ分には、どんなにお金をかけようが、どういう再生哲学であろうが、個人の思うままに楽しまれればいい。

正解などない世界だと思っている。

自分がいままで積んできた経験を活かせるように考えるなら、ディスクに入っている情報、ホール空間の録音されたアンビエンスはそのまま出力して、それを部屋のルームチューニング、もしくは機器によるEQ調整などで、その音色(周波数)自体を変えないようにすることを心掛けることだろうか。

録音製作サイドのなんらかの意思、哲学を汲み取るべし、という考えがどこかベースにある。

たとえばルームチューニングであれば、あくまで吸音などの響き具合の調整、SP背面への回折音の処理をするぐらいにとどめるぐらいにしておく、というのがポリシー。

というか、あまりゴチャゴチャやるのは自分には向いていないと思う。基本最低限のことを抑えておいて、その限られた制限の中で最大限の努力をする感じ。

自分は、じつは、あのスカイラインのような拡散パネルがあまり好きではない。(笑)あれを部屋にベタベタ貼るのは室内デザインとして好みじゃないのだ。(部分部分はありです。)万遍なく拡散という発想は、コンサートホールやオーディオショップなどの大きな部屋には必要かもしれないが、せいぜい広くて18畳から24畳くらいのオーディオルームに、そんなに必須だろうか?基本は部屋をライブに造って吸音系だけにしたい。

かなり乱暴な意見でしょうか?(笑)
自分は部屋のインテリアはすごく重要視するので。

やはりその前提には、ディスクにはホール空間のアンビエンスがたっぷり詰まっていて、それを加工することなく、余すことなく再生できれば、部屋にそのホール空間が現れるはず。またそうあるために、現場で、しっかりと空間を捉えるように、というお約束を果たされるべきで、部屋はニュートラルと思うからである。


なんか思いっきり偉そうに風呂敷を広げているけど、じゃあ自分に何ができるの?と言ったら、それはそれで、だから自己満足の世界だと最初から言ってるでしょ?(笑)

もちろんこれらのコンサートホールの音響のしくみをそのままオーディオルームに落とし込むことを考えるのもオーディオマニアだったら当然の課題なのだけれど、これは、ちょっと自分の将来の課題にさせてください。

やっぱり自分が部屋を造る段階にならないと真剣に考えないと思うし。(笑)

そういう夢を持ち続けて毎日暮らしいく訳だし。


あと、ちらっと考えてみたのは、建築音響と室内音響では、若干考え方が違うのではないか、と思ってみたこと。

オーディオルームの室内音響では、やはり直方体、シューボックスが基本だし、それを前提として、定在波、フラッターエコーを解消できるように、どのように縦×横×高さの寸法比を決めていくか、とか床の作り方(振動対策)、壁の作り方(共振防止)とか、あと天井の作り方、そして防音や遮音、なんかそういう基礎体力のところで考えていかないといけないのでは、といまの自分の知識レベルで分かる範囲。

内装は、漆喰塗りで、瀬川冬樹先生のリスニングルーム理論に基づく、というところか!決まっているのは。。。(笑)

そのときにならないと考えられない。

コンサートホールに通い詰めてわかることは、内装空間を見て、どのような音の流れかを推測できることと、あと自分の耳でその音響の空間的印象を捉えられるということだけである。

基礎体力のところまでは、残念ながらわからない。

だからオーディオルームを造るときは、その基礎体力の部分から考えないといけないので、やっぱりそのときにならないと考えないというか、わからないんじゃないかなぁ、たぶん、と思うのです。(笑)

そんなことを指摘があったときに考えました。



長々とご静聴ありがとうございました。 





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Emil Berliner Studiosによるウィーン楽友協会によるエレーヌ・グリモーのコンチェルトのセッション録音。(ブラームス・コンチェルト2番)


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アムステルダム・コンセルトヘボウではセッション録音のとき、空席だとあまりにライブ過ぎる環境のため、少しでも吸音するために、このような吸音用のカーテンをぶら下げることがあるのだそうだ。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その6 [コンサートホール&オペラハウス]

コンサートホールの音響に影響がある要素の中で、じつは一番影響あるのは座席だそうだ。ある意味、一番ホール内で占める面積が大きいし(総面積の30~40%らしい)、ここに座り心地を重要視してクッション性の生地をふんだんに使うと、もろに吸音効果の悪影響が出る。

なので、人が座ったところで人体に隠れるところに吸音のクッション性のものを使って、空席時と着席時で音響の差が出ないように工夫しているのだ。

また、そのため座席のクッションの総張替えなどの作業は、ホール全体の音響特性に大きく影響を与える可能性があり、頻繁にはおこなわず長く使うことが肝要。

バイロイトの椅子は、まさに修行僧のようなケツの痛い座席でした。(笑)

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最後にコンサートホールを語る上で、もうひとつ大切な要素を書いてみる。


それはサイトライン(Sight-Line)、つまり視覚線。

観客席からステージを観たときの眺め、その見え方である。

この要素ってホール設計者の立場からすると、とても、とても大切な要素なのではないか、と思う。我々聴衆の立場からすると、ホールのどこの席に座っても、ステージは全景できちんと見えることが、さもあたりまえのように思っているけれど、それを設計する立場になると、そのあたりまえのことを配慮、実現することって大変なことのように思える。

つい先ごろ、日本の地方のホールで、竣工オープンしたホールで、いきなり座席によって、ステージが1/3から半分くらい見えない「見切り席」が存在して問題になったことがあった。

これは日本じゃ大問題かもしれないのだが、じつはヨーロッパの古いホールでは、ごく日常茶飯事であったりすることなのだ。(笑)

ベルリンフィルハーモニーはステージを正面から見据えると、両端の出っ張ったウィングが妙に格好良かったりするのだが、このウィングのところに座ると、意外とステージが見えにくい。

下の写真はヤノフスキのワーグナー公演のときの自分の座席。左ウィングのところに座ったのだが、ステージの手前が全く見えなかった。そこに合唱団がいたりするので、声もよく聴こえなかった。(笑)


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大昔の人の感性がよくわからないのだけれど(笑)、座席の前に大きな柱が立っていて、全然ステージが見えない座席など、結構あるのだ。

この写真は、ザルツブルクのモーツァルテウムのある座席。(笑)

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そして去年体験したバイロイト音楽祭のバイロイト祝祭劇場の一番最上階の格安席。
なんと自分の座席だった。(笑)

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可哀想なのは、自分の左のご婦人。柱でまったくステージが見えない。結局みなさんの好意で、空いている席に移動できたのだが。。。


こういう座席って、いい座席ブロックでありながら、極端に値段が安かったりして、結構デッドエリアだったりする場合が多いのだ。ヨーロッパの古いホールでは、必ずこういう座席ってある。

スイス・ジュネーブのヴィクトリアホールも自分の座席は、ステージが手摺に隠れて全く見えないデッドエリアだったのだが、チケットを余分に2枚保持していたので、もう1枚のほうで事なきを得たのだ。

もうこういういわく付きの座席は、売らないようにしてほしい、そのようにホール側で販売禁止にする、という配慮があってもいいと思うのだが、どうだろうか。


この問題が厄介なのは、ホールの座席表を見ながらチケットを購入するとき、前に柱が立っているとか、いわゆるデッドエリアである、ということが、その座席表からだとわからないのだ。ホールに実際行ってみて、はじめてわかることなのだ。自分はそんな経験を2回もしてしまった。(笑)だから厄介ないのだ。ホールの座席表にそういうデッドエリアであることの記載が欲しいものだ。




ホワイエ空間のセンスも自分にとっては大切な要素。ホールの内装についで、とても重要視している。ここもセンスある空間にしてほしい。ホールとは必ずペアの存在なのだ。自分が体験したホール日記に必ずホワイエ空間の写真を入れるのもそんな理由から来ている。

このホールのことを全部知ってほしい、という想いがあって、そのときは単純にホールだけでなく、ホワイエも入れないと、と思うのである。日記を読んでいる読者が、自分もそのホールに行っている感覚になるには、ブレークの時のホワイエも必要と思うからである。

いかにお客さんに居心地のいい空間を提供できるか。このポイントは大きい。



あと設計者サイドからすると、女性トイレのあり方だろうか?(笑)いつもブレークのときの女性トイレの長蛇の列は、他人事ながら可哀想と思ってしまう。これを見事にクリアしているホールって、どこも見たことがないと思う。

素人考えでは、単純に女性トイレの数を大幅に増やすとか、考えられそうだけど、どのホールでも長蛇の列でない女性トイレは見たことがない。

せいぜいブルックナーとかの男性ファンの多い公演の時には女性トイレが空いている、というときくらいか。(笑)逆に、バレエの公演の時は、大変です。反対に女性ファンが圧倒的。やはり美男美女のスタイルのいいバレエダンサーや、バレエ演目自体視覚要素が大きいウエイトを占めるからだろう。

せいぜい20分位のブレークで、すべて片付くのか、いつも可哀想に思ってしまう。ひとつの問題提起ですね。




音楽のコンサートホールって、なにも音響だけがすべてじゃないことも勿論である。音楽を聴く場所なのであるから、音響が悪ければ、そのすべての前提条件が崩れてしまうけれど、それ以外にも内装空間の美しさ、居心地のよさ、などその空間デザイン、空間のありようもとても大切な要素だと思う。

いくら音響が素晴らしくても、内装デザインに品格がないと、萎えてしまうというか、コンサートホールとしてなにか一つ足りないような気がしてしまう。

コンサートホールにとって、音響と内装空間のデザインは、お互い欠かすことのできない必須のペアなものなのだと思う。


自分は、サントリーホールの内装空間が、非常に高級感があって、そのブランドイメージをうまく醸し出している、とても優秀な空間デザインだと思う。サントリーホールの内装空間の高級感やカラーリングのセンス(配色のセンス)は、自分の空間&色彩感覚にかなりビビッと来る感じで、これだけ高級感やブランド感を感じるホールは、国内のホール中では他に類をみないと思う。自分の美的感覚に合うというか、好みなのである。日本のホールでは最高だと思っている。

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以上をもって、コンサートホールの音響の仕組みを俯瞰してまとめてみた。

あくまで全体的に俯瞰する形でのまとめ方であったが、いかがであろうか?

みなさんのお役に立てれれば少しでも幸いである。

ここ数年経験してきたことを、まとめてみたかった。自分の経験で学んだことは自分の財産だと思い、連載という形で紹介したかった。まとめると自分の気持ちもすっきりする。

あと思っていたのは、音響学(建築音響学&室内音響学)の世界って、数式の世界で、コンサートホールのことを詳しく知りたいと思って本を買っても、その中は一面、数学&数式の世界でなかなか入っていけない世界でもある。

多くのファンの方が挫折するのは、そこなんだと思う。

なんか世の中に、数式をいっさい使わず、コンサートホールのことを語れれば、最高にいいな、自分の狙っている層ってそこなんだな、とか思っていたりしていたのだ。

それを、特に観客目線(耳線)で語っている文献は世の中には皆無に等しい。それを実現するには、やはり数の経験が必要。いろいろ山あり谷ありで経験してきて、ちょうどいまの時期が一番熟していて潮時かな、とも思った。


やっぱり神秘的、ミステリアスな部分が多く、建築好きの自分は、特にこのコンサートホール&オペラハウスには、底知れない魅力を感じる。

たとえば、人生初体験のホールを体験するとき、開場前のホワイエで待っているときのあのドキドキ感。そしていざ開場したときに、中に入った瞬間に目の前にそのホール空間が現れたときのあの興奮といったら、なににも変え難い興奮するときである。


新たな出会いを求めながら、これからも世界中のコンサートホールを探訪することだろうと思う。

おまけに、最後の締めの日記をもうひとつ投稿する予定である。ある意味、これが自分の1番言いたいこと!  





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