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サントリーパブリシティサービス [クラシック雑感]

これまでクラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めた呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎる。そのもぎり方も結構素っ気ない(笑)というか、そして制服というよりうわっぱりのようなものを着ていた感じだった。

1986年にサントリーホールが開館して、その様子は一変した。

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サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。この会社は1983年に誕生している。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となった。
そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。

何気になくこの会社の求人サイトを見て、驚いてしまったというか、いろいろ新しく知ることが多かった。


サントリーパブリシティサービス株式会社。


もともとはサントリーのビール工場のご案内から始まった「おもてなし精神」の接客サービスを育成・派遣する会社なのであるが、いまやコンサートホールはもちろんのこと、美術館などの文化施設や商業施設、企業受付などに広がって、全国約80か所を任されるまでの大きな企業体なのだ。

自分は、てっきりサントリーホールのレセプショニストは、このサントリーパブリシティサービスから派遣されていて、他のホールでは、各々自前のサービス企業体を抱えているものだと思っていた。

でもサントリーパブリシティサービスの求人を見てみると、現在は、新国立劇場、東京オペラシティ、今年新しくオープンする札幌のオペラハウスである札幌文化芸術劇場hitaruなんかの求人をやっている。 NHKホールもそうだと思う。(以前求人していた。)

当然いま満員で求人していないホールも、じつはこのサントリーパブリシティサービスからの派遣なのかもしれない。

まさにコンサートホールのレセプショニストというお仕事の元祖であるこの会社が、いろいろなホールを請け負っていたという事実は納得のいくところだ。

コンサートホールを運営するようになったら、ここに頼めばいいのだな。(笑)

自分の長い経験からすると、レセプショニストって、やはり接客の徹底した訓練を受けるのだろうけど、特に日本人女性の場合、話し方が、腹式呼吸とでもいうのか、音圧引いた感じで奥ゆかしくて、とても優しい丁寧な印象を受ける。みんなそう。

あれは接客の話し方の鍛錬なんだろうなー。

外国のホールの係員の方々は、みんな音圧バシバシ出しまくりのはっきり喋ります。(笑)


ちなみに、チケットのもぎりも、ここサントリーパブリシティサービスでは、チケットテイクと言います。(笑)


サントリーパブリシティサービスの受け持っている施設・お仕事として、

・コンサートホール
・商業施設
・文化施設
・サントリーの工場
・コールセンター
・企業PR施設
・会議室・ワークスペース
・企業受付
・美術館
・本社

にも至る。

本社は豊洲にある。人事・経理などのスタッフ部門、各事業の本部部門を設置し、そのお仕事。

商業施設のお仕事は、おもに、インフォメーションサービス。

文化施設でのお仕事は、施設にご来館されたお客様へ、施設のご案内や利用方法などを説明する業務。

コールセンターは、「サントリーお客様センター」など、サントリーグループのコールセンターにおけるオペレーターですね。コールセンターは、毎度自分が思うにストレスのかかる仕事です。ご苦労様です。

企業PR施設は、クライアント企業のPR施設で魅力を伝えるお手伝いをする。

                                                                                                                                                  


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会議室・ワークスペースは、クライアント企業になりかわり、「サンシャインシティ」「グランフロント ナレッジキャピタル」などの施設で、会議室やワークスペースの予約受付など、コーディネートを行うのが主なお仕事。


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企業受付のお仕事は、施設に来訪されたお客様の対応。訪問部署へのお取次ぎ、応接室へのご案内などが主な業務となる。

企業受付は企業様のイメージを決める「顔」。そのためクライアント企業様のブランドや風土を理解することを大切にしています。


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サントリーの工場でのお仕事は、「<天然水のビール工場>東京・武蔵野ブルワリー」「山崎蒸溜所」などの工場に来館されるお客様に、「つくり手の思い、開発にこめた情熱、製品の美味しさ」をお伝えする仕事。工場見学ツアーの予約受付からご案内、そしてファクトリーショップでの接客など、サントリーの各工場で日々お客様をお迎えする。


コンサートホールのレセプショニストだけと思ったら、大間違い。凄いんだな。驚きました。


コンサートホール レセプショニスト Kさん(20代)アルバイト 入社3年目のご感想です。(記事元:下記SPS URL) 

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レセプショニストの仕事は、ご来場いただいたお客様への座席案内や施設紹介、公演中の注意事項等の説明です。仕事の際は、“お客様の目線に立つ”ということを大切にしています。

お客様は、音楽を聴いてリラックスするために会場へ足を運ばれる方が多いと感じます。そのため、私たちはその空気感を壊さないような接客を常に心掛けています。お客様の要望を汲み取って対応するのは簡単ではありませんが、社内研修や仕事の現場で学んだ立ち居振る舞いや言葉遣い等を活かし、会場で過ごす時間が特別なひと時になるよう、日々取り組んでいます。

仕事をはじめた当時は音大の大学院生で、接客経験もなかったため、お客様へのご案内がうまくできませんでした……特に、人気のコンサートの時は、一度に大勢のお客様が来場します。大勢のお客様から次々に質問されると焦ってしまって、お客様が理解しやすいように丁寧に説明ができていなかったと思います。ですが、コンサートの前に当日自分が担当するポジションを頭の中で事前にシミュレーションしたり、先輩からのアドバイスを意識して実行するうちに、仕事も落ち着いてできるようになりました。

それからは、フロアメンバーの動きも少しずつ見れるようになり、広い視野で仕事をすることができるようになったんです。

レセプショニストという仕事は、全体を見渡して、自分が今何をするべきなのか考えて行動しなければいけないので、だからこそ、先輩やフロアメンバーとのコミュニケーションを取る事がとても大切になってくるのです。それを意識して行動してきた結果、お客様から『ありがとう』といって頂ける機会も増えました。

在学中に仕事を進める上で大切な、「コミュニケーションを取る事」や「全体を見渡して自分が何をすべきか考えて行動する事」を学べた事は、私の財産です。他の場面でも十分活かされるので、就活を控えている学生さんには、お勧めのアルバイトですよ!



サントリーパブリシティサービス (SPS)

https://sps-recruit.jp/jobfind-pc/




ちなみに、海外のホールで、このようなレセプショニストはどうなのだろうか?

ちょっとすぐには記憶がクリアではないけれど、確か男性はネクタイ、女性も制服だったような気がする。

下の写真は、2016年にBBC Promsを鑑賞にいったときに、ロイヤル・アルバート・ホールで撮影したレセプショニストの女性の方々。

白いジャケットの女性がやたらと格好良かった!
華麗なるクィーンズ・イングリッシュを話し、ルックスともに最高であった。

さすがブリティッシュ!

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鎌倉のアジサイ [雑感]

鎌倉に紫陽花(アジサイ)という文化があることを知らなかった。まさにアジサイの名所「鎌倉」。

毎年6月の梅雨時期になると、鎌倉は、このアジサイで満開になり、1年でみどころ満載、もっとも華やかな季節となる。

この鎌倉のアジサイを見ようと、たくさんの観光客が訪れ、たださえ人気の鎌倉が1番混雑する季節なのかもしれない。

なにせ上京して30年、首都圏に居て、すぐ目と鼻の先にあって日帰りできるところにあるのに、鎌倉を1回も訪れたことがなかった。それが去年ふっとしたことがきっかけで、鎌倉を訪れてからは、すっかり鎌倉の魅力に執りつかれ、いまは鎌倉マイブーム。

日本の初の武家政治がひらかれた街で、ずっと古来伝統のある歴史の街。そして「鎌倉文士」と呼ばれた多くの文化人が活躍した街でもある。東京とは時間の流れ方が違う独特の雰囲気を持ったところだ。

自分の鎌倉への想い出は、以前日記にも書いたように、1979年の中3のときに放映されたNHK大河ドラマ「草燃える」。

いままで鎌倉時代の題材と言えば、平家や源義経を題材にする番組が圧倒的で、その中で、この「草燃える」だけは、源頼朝などの東国武士団の旗揚げにスポットをあてたもので、頼朝&北条側から見た鎌倉時代の描写は子供心にとても新鮮に映った。

長い大河ドラマの歴史の中でも、こちら側からスポットをあてた作品は、この「草燃える」しか存在しない。

子供だった自分は、このとき石坂浩二さん演じる源頼朝の大ファンになってしまい、源頼朝は、自分の歴史上の人物の中で大ヒーローになった。相当入れ込んだ。

去年、その源頼朝の墓参りができたときは感無量だった。

そんな熱い想い入れが鎌倉にあったのに、上京以来30年も鎌倉を訪れなかったのは不思議だ。

だから鎌倉にアジサイというカルチャーがあることをまったく知らなかったのだ。

去年ようやく鎌倉を訪れたとき、鎌倉が地元のsuzuさんに、アジサイの存在を教えてもらい、そうだったのかー!(笑)。

そしてリベンジするべく1年待った。

今年は、この鎌倉のアジサイを鑑賞するためだけに、ワークライフバランス休暇をそのタイミングで、6月中旬に設定した。ところが、例年よりもアジサイの開花が1週間ほど早まりそうな気配で、5月下旬~6月上旬になりそうだ、ということだった。

慌てて、休暇の日程を予定変更。(笑)

結局5月下旬の最終週に、計5回鎌倉を訪れた。

やっぱりちょっとアジサイの開花状況は早かったかなー?という感じ。
花の青々した感じが、もうちょっと足りなかったかなと感じた。

アジサイの開花状況は、6月上旬の”いま”まさに満開宣言で青々した最高の時期。
でもアジサイの名所と言われるところは、もう大変な混雑ぶりのようだ。

そういうことから考えると、自分が行ったときは、ちょっと早かったけれど、その反面混雑がまだあまりなかったので逆によかったかもしれない。

鎌倉の3大アジサイ寺といえば、明月院・長谷寺・成就院。
とくに明月院が、自分的には、まさにアジサイ寺という感じで、その花模様に圧倒された。
アジサイで彩られたその風景は、まさに”明月院ブルー”と呼ばれていて、最高だと思う。

まず最初に、この北鎌倉にある本命の明月院を訪れた。

門をくぐるともうこんな世界。

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やっぱりちょっと早くて、青々した感じが足りないかなー。


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明月院で、そのもっとも有名な場所が、この正門にあがるところの石段のところ。
まさに圧巻!
                                                   

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アジサイには、いろいろな花の種類がある。
こちらもとても魅力的だ。

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こんなんもあります。(笑)

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つぎに成就院に向かう。

昔は、成就院の「あじさい参道」はたくさんのアジサイがあって華やかなところで、まさに観光名所だったのだが、いまの成就院のアジサイは30株しかない。

昨年よりアジサイに代わり、萩を少しずつ植えている。

成就院のあじさい参道は、平成27年から29年まで改修工事が行われ、その際、多くのアジサイが、東日本大震災被害に遭った宮城県南三陸町に寄贈、移植されたのだ。

だから成就院のアジサイは、いまは申し訳なさ程度なのだ。

成就院のアジサイ。

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そして最後の砦の長谷寺で行く前に、同じ長谷にある高徳院の鎌倉大仏さんを見学。

ひさしぶりの鎌倉大仏さん。こっちから・・・(^^;; ちょっと猫背・・・。(笑)

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そして長谷寺のアジサイ。
長谷寺もアジサイ寺として有名なところだ。

長谷寺のアジサイは、入り口のすぐそばにある鉢に植えたものと、そしてあじさい道である眺望散策路にある。

まず鉢に植えたもの。これだけでも十分に美しい。

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そして眺望散策路。

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なんか山道を歩いていく感じで、その両側にアジサイが咲いている感じなのだ。
十分に青々しかった。

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散策路はこんな感じ。まだ早い時期だったせいか、あまり混雑していませんでしたよ。(笑)
たぶんいまは凄い混雑だと思います。

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長谷寺を訪れたのは、去年の紅葉のとき。夜景でライトアップされた紅葉を観るために訪れた。
でもそのときは夜だったので、長谷寺の庭園内をよく見れていなかった。

昼間じっくりみると、じつはとても名所や素敵な庭園がいっぱいあるのだ。


有名な良縁地蔵。

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これはなんだろう?とても面白い。

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素敵な庭園。

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そして長谷駅の前にある食堂で、かねてよりずっと食べてみたかった鎌倉野菜をつかった天丼をいただく。いやぁ、なかなか結構なお味でございました。

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じつは「鎌倉とアジサイ」を語る上で、じつはこのアジサイ寺の他に、もうひとつ抑えておかないといけないことがあった。

それは、

「江ノ電とアジサイ」

のツーショットを撮ること。

このツーショットを撮ることは、もう鉄マニアの方々の世界では、ずいぶん昔から定番としてある趣味の世界のようなのだ。

いまはネットがすごい普及しているので、SNSの鎌倉ファンサイトなどで、今の季節柄、このツーショットが盛んに投稿されている。

なんか、その写真を観ていると、ホントにユルイな~(笑)という感じで、微笑ましいのだ。
自分のカメラマン魂を刺激するというか、ぜひ自分のカメラでそのシーンを収めたいという衝動にかられた。

江ノ電とアジサイのツーショットが撮影できるスポットってどこなのだろう?

と思うのだが、ネットが発達している今の時代、ちょちょっとググれば、もういっぱい出ている。

まず1番有名な定番スポットとして、御霊神社。

もうすでにたくさんのカメラマンたちがいた。

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そのカメラマンさんたちと世間話をした。
いろいろ面白い話を聞いた。

江ノ電とアジサイのツーショットの世界には、いろいろこだわりみたいなものがあって、びっくりというか感心してしまった。

とにかくこういうスポットには、この季節柄、たくさんの愛好家カメラマンがいて、みんな撮影している。

中には、そのカメラ熱で、電車止めちゃう人もいるそうだ。(笑)

無茶はやめましょう!

なんでも、線路の敷地内に入り込んで、その線路の横のところに、小さくしゃがんで待ち構えているとか・・・(アホ。。。笑笑) 思わず電車が止まってしまったとか。

もうそんな武勇伝はたくさんあるのだ。

撮影ポイントは大体踏切のところが多いのだが、江ノ電が通るとき、その踏切から思わず身を乗り出して、警笛を鳴らされることなんか日常茶飯事。現に自分も何回も聞いた。

また、あるとき、そのツーショットが撮れる有名スポットで、あまりにその愛好家カメラマンが熱中するあまり危険な行為に及ぶことが多いので、そこの地主さんが怒って、ついにそこのアジサイを全部刈り取っちゃったとか。(笑)

そんなイザコザも多いそうだ。

みんないいショットを撮影したい、というその一心なんだろうね。

鎌倉ファンサイトに投稿される写真は、みんなとても上手。
その撮影ポイントにはいろいろマニアの中では、こだわりも多いようだ。

自分が世間話で聴いた話では、江ノ電にはいろいろなタイプの車両があるのだが、やっぱりアジサイとのツーショットを撮るなら、江ノ電カラーのグリーン色の車両、さらには1番いいのは、355型と呼ばれる旧車両が1番ベストなんだそうだ。

江ノ電は、1本の線路を、時間調整して、上りと下りで共有する。

そんな中で、旧車両の355型をみんな待っているのだ。そしてカメラマンの方々は、みんな時刻ダイアグラムをちゃんと知っているんだな。(笑)

1本の線路を共有するので、旧車両355型が来るのは、つぎのつぎとか。

正しい撮影の仕方は、自分が撮影している方向に対して、江ノ電がやってくる方向を撮影するのが正しい。

でも自分が思うには、自分の背後からやってくる反対側から来る江ノ電を撮影しても、撮れた写真を観てもわからんのじゃないか?と思うのだが、どうもこれは違うらしい。

それは車掌の向きで分かる。

自分に向かってやってくる車両を撮影する場合は、車掌がちゃんと自分方向を向いて座っている写真が撮れるのだ。

でも自分の背後からやってくる写真では、最後尾の車両だから車掌は後ろ向きなんだな。これでわかっちゃう。

1本の線路を上りと下りで共有するので、時間がかかって結構大変なのだ。

笑っちゃったのは、自分の隣にいたカメラマンが長い間待ってようやく、旧車両355型で自分に向かってくる写真を撮れたと思ったら、

「けっ!失敗したよ。」
「えっどうしてですか?」
「車掌がマスクしていた。(笑)」

車掌がマスクしていた時点で、もう写真としての価値はダメなのだ。(笑)


御霊神社で自分の撮影。

これが旧車両 355型。
見事撮れた。ちゃんと自分に向かってやってくるときの撮影。

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反対側のこちらも。

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そして、こちらは長谷駅からちょっと歩いたところの有名な田中理髪店のあるところの踏切のスポット。

田中理髪店

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自分の感覚では、ここでのアジサイとのツーショットが1番うまく撮れる絶好スポットだと思う。

まずこちら。
旧車両355型。でも残念でした。自分の背後からやってきた最後尾の車両を映したものでした。
車掌が後ろ向きです。(笑)

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いちいち旧車両355型を待っている時間が自分には耐えられなかったので、もう1枚。
今度は自分に向かってやってくる新型車両。

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いっしょにいたカメラマンのアドバイスで、理髪店の干しているふとんと、手前にアジサイが一緒に映る江ノ電のショットもいいよ、ということでチャレンジ。

みんなプロだなぁ。細かい。(笑)

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つぎに源義経所縁のお寺で有名な満福寺を訪れた。

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ここは、源義経と武蔵坊弁慶の腰越状で有名なお寺なのだ。

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平家打倒を果たした源義経は、後白河法皇の信任を得て、兄頼朝の許可なく官位を受けてしまう。これに激怒した頼朝は、その後、義経と不仲になっていく。そして腰越で、鎌倉入りを拒否された義経は、頼朝のブレーン大江広元にとりなしを依頼する手紙、いわゆる腰越状をここで書くのだ。上の写真は、義経が弁慶に腰越状を書かせているところ。

「草燃える」では、大江広元は、故・岸田森さんが演じていた。岸田さんは、まさに渋い名脇役の俳優さんで、自分は大ファンだった。大江広元は、まさに頼朝が最も信頼していたブレーンで、石坂さんの頼朝と岸田さんの大江広元は最高に絵になったコンビだった。子供心にカッコイイと憧れていた。

そんな鎌倉時代が大好きな自分にとって、最高のお寺だ。

ここでも江ノ電とアジサイとツーショットが撮れるのだ。

本来であれば、こういう写真を撮りたかった。

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ところが実際はこんなんだった。(笑)

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ネットの写真は古い時代のものだったんだな。もうそこにはアジサイどころか、そんな花のようなものはなかった。でも源義経所縁の満福寺を経験できただけでもよし、としよう。


つぎに極楽寺。

停車している江ノ電とアジサイのツーショット。(笑)

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極楽寺のアジサイも見事なものでした。

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そして「湘南海岸公園駅前」の「善乃園」沿いに咲く紫陽花と江ノ電のコラボレーション。

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「善乃園」は知る人ぞ知る和カフェだが、アジサイ撮影スポットとしてはかなりの穴場ポイント。

そういうネットの情報であったが、実際はご覧のようにアジサイはほとんど申し訳なさ程度。
ネットの写真は古かったのだろう。残念。



以上が、私が撮影した「江ノ電とアジサイ」のツーショットの写真です。
なんせ鎌倉に計5回通って撮影した成果。SNSにみんなが投稿しているように上手には撮れないけど、まっ自分のカメラマン魂を十分溜飲を下げれたと思います。


江ノ電は、やっぱりこの住宅街の中を通っていくスレスレ感が堪りませんね。(笑)


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北鎌倉 幻董庵 [グルメ]

北鎌倉は、円覚寺やアジサイ寺で知られる明月院など、鎌倉を代表する著名な寺院が目白押しで、鎌倉を代表する観光地なのだろう。街並みの景観も古民家が集まっている感じで、古都らしい長閑で雰囲気がある。

その土地で、食事を3時間かけていただく・・・という普段の自分の喧騒な世界とは程遠い、そんな世界を堪能してきた。

なにせ、普段の食事なんて、ものの10分くらいで食べてしまう早食いの主。糖の吸収的にもよろしくない。そんな自分にとって別世界の体験であった。

事の発端は、SNSの投稿写真でこのお店の料理の一品を偶然見たことに始まった。
自分の美的感覚に思いっきり反応してしまった。(笑)

「これは美しい!!!」

まさに芸術品のようだった。

しかも鎌倉のレストラン。

これはぜひ取材した~い!自分の日記やブログで取り上げた~い!

かねてより、自分の鎌倉マイブームの最後の盛り上がりとして、鎌倉が1年のうちにもっとも輝く季節である”紫陽花(アジサイ)”の季節にもう1回鎌倉を訪れたいという希望があった。

だから、このレストランも紫陽花の季節にぜひ訪れたいと思っていて、ずっと心の中で温めてきたのだ。



昭和の名女優 田中絹代さんの別邸であり、そこを改装して創作日本懐石料理のレストランとしてして開店した。

田中絹代さんの本宅は、鎌倉山にあったそうだが、こちらの別邸は、近くの大船に松竹の撮影所があった頃に、そこに通う際に使っていたそうだ。スタッフや俳優さんの宿としても機能していたそうで、往年の名女優たちも集ったそう。

古民家の中に埋もれて建っている佇まいで、本当に隠れ家の中の隠れ家的レストラン。

あの映画監督 小津安二郎さんの世界に出てきそうな世界だ。(笑)

北鎌倉の駅から、徒歩10分くらい。調べないで行ったら、絶対たどり着けない。
裏の小路を歩いていく感じで、これは、本当に隠れ家だよなぁと思った。

でも確かに裏の小路だが、サイトの地図どおり行けば、意外にわかりやすく、迷うことはないと思う。


緑に囲まれた感じで、美しい門構え。

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ここが、その隠れ家レストラン「幻董庵」

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お店の中を入ると、まず圧倒されるのが、多数のカップ&ソーサーなどの骨董品、工芸品の数々のコレクションの展示。

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お店の方に聞くと、ここの女将さんが大の骨董品好きで、このコレクションも女将さんのものなのだそうだ。お店の名前も「幻董庵」としているのも、この骨「董」品から取っているのだそうだ。

お店の内装は、もちろん木造空間でとても素敵だ。
これは雰囲気あるなぁーと感心してしまった。


完全予約制。
夜の部は、個室のみで、2人の予約しかとらないそうだから(お店に確認してください。)、勝負はランチタイムだろう。

1階と2階がある。

自分は、2階に通された。

2階は、いわゆる大所帯用の感じで、20名くらい。

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その和室の空間が、とても素敵だ。

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ランチのメニューは、3800円と5000円、そして8000円コースがある。
ネットのレビューなんかを見ると、普段のランチは、3800円と5000円のみだそうで、8000円のコースは稀にしかないそうだ。自分のときは幸運にも、8000円コースがあったので、迷うことなく、それを予約時に頼んだ。

なるべく写真映えするような品々を期待していたからだ。

幻董庵さんのメニューは、いわゆるお品書きは存在しない。つまり固定のメニューというものがない。その季節柄に応じた創作料理をそのときに楽しむ、というコンセプト。

だから投稿写真を見て、うわあ、これが食べたい!と思っても同じメニューを体験できることは難しいのだ。


さて、いよいよここから本番。
自分が経験した8000円コースのランチである。


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食前酒の梅酒。

甘くてとても美味しい。
料理フルコースを味わったときに思ったことだが、やはり器がとても美しくて高級な趣がある。
やはり女将さんの拘りなのであろうと感じた。

右上にあるのは、ふつうの烏龍茶を頼んだのだが、この器でやってきたときは、これは雰囲気あるなぁと感じました。


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先付け

南瓜、鰻のハモ、ウド、ヤングコーン、角海老、龍眼

さっそくすでに見た目にも写真映えする1品で満足。楽しいフルコースがやってくる予感。
とても不思議な味で、いままで体験したことのないような味覚だった。
とても美味しい。あまりに美しすぎて食べるのが、勿体ない感じがした。


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お造り

マグロ、イサキ、カンパチ、水タコ、メジナの小造り

鮮度がよく、素晴らしく美味しかった。ふつうのお刺身なので、特に奇をてらった感じではなく、馴染みやすく満足できた。


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お椀

頭鯛しんじょう。里芋やとうがんが入っている。

とても深い味のお出汁。いろいろなもので、何重にも下ごしらえされて味をとって造られた御汁のような感じであった。単一の材料ではないですね。

中の鯛の身がすごく美味しかった。


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焼き物

穴子の煮凝り、茄子と牛タンの和汁、味噌田楽、かますのゆうあん焼き

今回のコースの中では、自分的には1番最高だと思った1品。
ある意味、これがクライマックスだった。

茄子と牛タンの一品のじつに美味しいこと。牛タンはとてもお肉とは思えない柔らかさだった。
こんな美味しいものはない感じだった。

一番右上にある穴子の煮凝りは、珍品でちょっといままで体験したことのないような味、食感でした。言葉で表現するのが難しい。


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煮物

甘鯛と湯治蒸し

とろみのついた餡がとても和っぽい感じで、しかもダシが効いていて美味しい。甘鯛の身がこれまた美味しい。上品な1品ですね。


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揚げ物

オマール海老と干しエビのから揚げ

これも美味しかったですね。海老のあの独特の濃厚な味がしっかりしていて、本当に美味しいと思った1品。自分は人生でどうしても伊勢海老が食べたいと思っていて(まだ食べたことがない。)、そんな海老愛を満足させられた1品だった。


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ごはん

焼ウニと豆ごはん。
赤出汁のお味噌汁とお漬物。

焼ウニが美味しい!やはり日本人にはごはんとお味噌汁が食事には不可欠。このコースの最後のほうに出される配慮が心憎い。(笑)お味噌汁は自分は生まれ育った環境は白だしだが、赤だしは、かなり自分の好み。美味しかった!


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デザート。

抹茶と懐石デザートの工夫された品々。

美しすぎる!
まさにラストを飾るに相応しい最高の1品となった。
この美しい盛り付けが、ここのお店の訪れたいと思ったその”美”のセンスをすべて兼ねそなえていると言っていい出来栄え。


いやぁ、全9品、見事なお手前でございました。

フルコースで、2時間半でした。

期待を裏切らない、素晴らしく”美しい”創作料理、そしてなによりも本当に美味でございました。


料理を運んできてくれるお店の方も、とても物腰が柔らかく、丁寧な言葉使いで、1品1品解説してくれて感動しました。

まさに北鎌倉の古民家の中に潜む知る人ぞ知る隠れ家レストランという感じで、木造の美しい内装空間、芸術品のような美しい創作料理の数々。

ぜひ自分の日記で取材したいと思ったその勘は間違いではなかったようです。

鎌倉のアジサイの季節にとったひと足早い休暇で、濃密な時間を過ごしました。




幻董庵

https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140401/14010528/






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ああチケットよ! [雑感]

mixiに入会して、初めての海外音楽鑑賞旅行と称してベルリンフィルハーモニーにて、ラトル&ベルリンフィルを聴く!という大目標を立てた。自分の「ホールツアー」というライフワークの幕開けだった。

なんせ、旅行準備日記として1年も前から連載して盛り上げた。

ところが、ご存知のように、チケット発売本番日にあえなく討ち死に。(笑)
まったくもっての瞬殺ソールドアウトだった。

ラトルのマーラーチクルス、恐るべし!

まさにプラチナ!

マラ6だからな。

1年も準備してきて盛り上げてきたのに、もう怒りの鉄拳を振り落とす場所もなし。
みなさんから、たくさんの慰めのお言葉の数々。

それ以来、海外ツアーは、チケットが取れてから発表することにしました。(笑)

そんな失意のどん底にいるとき、

「はっきり行ってヨーロッパの場合、必要なのは、お金でなく根性だ。」

と言って激励の日記を書いてくれたのが、ゴローさんだった。

いまふたたび、ゴローさんのその日記を振り返ってみたい。

ゴローさんという人が、いかに無茶ちゅうか、猪突猛進というか、まぁ、とにかく行ってみるべえ精神の人だったか、ということがわかる。

SOLD OUTのチケットだから取り甲斐がある!行く価値がある!

いまの旅人には、まずマネできんだろうな。

当時の自分が、この日記にどれだけ勇気づけられたか!
なんとかなるんではないか?という気持ちになった。


とにかく読んでみてくれ。 

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マイミクのノンノンさんが、ベルリン・フィルの定期演奏会のチケットが取れなくて苦しんでいるらしい。まあ定期演奏会となると、やはり定期会員というものがいるわけだから、なかなか思うようにとれない時もある。

しかし、わざわざ日本から聴きに行くとなると自分などは、完売SOLD OUTが当たり前で、それこそ、わざわざ行く価値があるのだと思うぐらい自分は、そういう公演を狙って行ってきた。


はっきり言ってヨーロッパの場合は、必要なのは、お金でなく根性だ。


10数年前は、毎年紅白歌合戦を終えて、3賀日を家で過ごした後、ニューヨークに勉強もかねてミュージカルを観に行っていた。

自分が観たいものは、その年にオープンになったばかりの新しい演目で、しかも話題になっているものばかりを、1週間かけて10演目ぐらい立て続けに観て帰るという旅なので、その半数以上がSOLD OUTなのだ。

そこで当日のキャンセル待ちに、なんと朝の4時30分から並ぶ。
ニューヨークの真冬1月である。とんでもなく寒い!

しかし朝8時過ぎまでは、劇場の玄関が開かないので、毛布を持って路上に並ぶわけ。

これは、痺れるよぉ・・・。4時30分だと、さすがに前から5人目ぐらいになるわけで、8時過ぎると一応ガードマンが正面のシャッターを開けてBOX OFFICEの前に並べるようになる。

暖房はまだ無いが、一応建物の中で小1時間立ってさらに待つ。
だいたい2人か3人で行っていたのだが、必ず自分の順番を待って一人ずつ買う・・・これがコツだった。一番先の人が、他人の分まで買おうとして3席とか言うと、ボックス・オフィスの人は並びや近くの席を取ってくれようとするので、かえって席が悪くなってしまう。

キャンセル席なので、良い席は1席ずつポツポツと出ることが多いのだ。
そうやってチケットをゲットして、ホテルに戻って暖かい朝食を取って、昼まで寝る・・・そんなニューヨーク・ツアーだった。

まあニューヨークやロサンゼルスといったアメリカの場合は、チケットロンのような合法ダフ屋があって、お金にさえ糸目をつけなければ、おおよそのチケットは手に入る。

入らないのは、例えば過日ブルーレイで出たバーバラ・ストライザンドのヴィレッジ・ヴァンガードLIVEみたいなもの。ONE NIGHT ONLYで、座席が200席も無いというような条件では、仮に100万まで出すよ!といってもチケットが取れないだろう。

自分も今となっては内容は忘れたが、カーネギー・ホールでオールスターのGALAコンサートがあって、20万円出しても良い・・・と粘ったが結局チケットを入手できなかった経験がある。

ヨーロッパの場合は、チケットロンのような合法公式なダフ屋がないので、本当に根性と気合しかないような気がする。

最初にそれで、苦しんだのが、バスチーユのオペラ座のこけら落とし公演 新演出の「魔笛」。もちろん初日ではないが、全然チケットの入手方法がわからず、ええいとりあえず行ってみるべえ・・と日本を出発。バスチーユに行って当日券のすでに長い列に絶望的な思いで並んでいると、暗くなる頃に、次々と一般ピープルがチケットを売りに来る。

なんのことはない、市民が個人のダフ屋なのであった。

1998年にやはりバスチーユで、ホセ・クーラが初役でドン・ホセを歌い、ベアトリス・ユリア・モンゾンがカルメンを歌ったときは当日売りに朝8時から並んで、開演5分前に、7列目のど真ん中をゲットした。

そのときは1人だったので、トイレに行くタイミングとか辛かった記憶がある。

しかし昼過ぎくらいになると、前後に並んでいる人たちと親しみが生まれてくるし、順番をきっちり見ている守衛さんがいることがわかったりして、ちょっと気分がリラックスしてくる。しかし、立ちっぱなしでパンや飲み物を持って、飢えや渇きを凌ぐわけで結構大変だ。

ヨーロッパで、どうしても入れなかったのは、一昨年3月にウィーンのコンツェルトハウスの小さいほうのホール、モーツァルトザールであった内田光子さんとハーゲンSQのコンサート。

これは現地に行ってから気がついたので、早くから手をまわせばとれたと思うが、当日いくら粘ってもホールのキャパが小さいのでキャンセルが出なかった。


そこにいくとベルリンは、駄目だったという記憶がない。

コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団が フィルハーモニーに来演し、ソロがアンネ・ゾフィー・ムターで カラヤンとの共演以来久しぶりにベルリンでベートーベンのバイオリン協奏曲を弾くということで話題になったコンサートがあったが、その時も全くソールド・アウトだったが、夕方から当日売りに並んで周りの気配に気を配っていたら、ドアの外に 余りチケットを売りにきたらしき人を発見、ちょっと席の位置のわりには 高い気もしたがあんまり贅沢を言っても 入れない感じだったので 現金で購入しコンサートを聴いた。


休憩時間になると隣の席の60代半ばの紳士が

「失礼ですが あなたはいくらで そのチケットを買いましたか?」と

英語で尋ねてきた。

私が正直に買値を言うと そうか結構高い値段を付けたんですね・・・とちょっぴり残念そうで複雑な表情をした。

理由を聞くと 彼の妻が風邪を引いて来れなくなったので入り口付近で 若いドイツ人に そのチケットを良心的な値段で譲ったらしい。

その男は おそらく別の人からさらに良い席のチケットを入手したので最初に買ったチケットを私に売ったのではないか・・・という話だった。

コンサートの後半が終わり、会釈して帰ろうとするとその紳士は、

「高いチケット代を払わせてすみません。 食事をご馳走させてくれませんか?」と言うのだった。
「妻は寝込んでいるので 帰っても自分で夕食を作らねばならずどこかで 食事をして帰ろうと思っていました。  一人で夕食というのは寂しいものです。どうかご一緒してください」

そんなわけで 夕食をご馳走になってしまい 結局高いチケット代の元がとれてしまうといった微笑ましいコンサートもあった。

まあ 根性と気合でチケットを入手できても長時間並んだ疲れや 席に着けた安心感で 猛烈な睡魔に襲われることもあり、なかなか大変である。   


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結局この年は、日本に居ながらして、キャンセル待ちに成功し、ラトル&ベルリンフィルのマラ6のチケットは、2日とも無事に入手することができた。

そのときゴローさんからのコメントは、やっぱり定期会員の中でも「6番が嫌いな人がいるんだよね。」というものだった。(笑)

確かにベルリンフィルハーモニーの前には、この個人の合法ダフ屋がいるのだ。(チケットの値段は高くなく普通なので、合法と書いた。)自分が、このホールに行ったときは、必ずといっていいほど遭遇した。

これだったら、ベルリンフィルハーモニーでの公演は、まったく丸腰で行っても絶対入れるな!と確信したぐらいなのだ。

現に、自分はヤノフスキ&ベルリン放送響の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」演奏会形式のときは、この個人ダフ屋にお世話になった。なんせ、このワーグナーチクルス、大変話題でビッグなイヴェントだったので、チケットの値段が恐ろしく高かった。当時のベルリンフィルの定期公演のチケットの2倍から3倍の凄いプラチナチケットだったのだ!

なので、座席は悪いが、それなりの値段のチケットを買っていた。

ところが、この個人ダフ屋のチケットは座席がステージ近くで、しかも値段がかなり原価に近い。
思わず、チケット持っているにも関わらず買い直したのだ。


来る6/20、ついにラトルのベルリンフィル離任コンサートの最終の定期公演。

運命のマラ6!

もちろんチケットは完売!SOLD OUT!

当初の予定では、家で真夜中に、IIJ PrimeSeatのDSD11.2MHzライブストリーミングの生中継を聴いて、ラトルに最後のお別れするつもりだが、ひょっとしたら丸腰でベルリンに行っちゃうかもよ。

ぜったい奴らはいる!と思うんだよね。(笑)



注釈:チケットはやはりきちんとしたルートで買いましょう!この事実は、あくまで当時の現実を描いたまでで、非公式での購入を促進しているものではありません。ブログに載せる上で、ちょっと後ろめたい気持ちにはなりました。(笑)





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樫本大進 [クラシック演奏家]

いまやベルリンフィルの大黒柱として大活躍の樫本大進氏であるが、自分の自慢のひとつに樫本氏を1999年のデビュー当時から知っていて、その頃からずっと想いを寄せていて、近く大成してスターになってほしい、と思っていたことで、現在まさにその通りの道を歩んでいる、ということであろうか。 

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でも、まさかベルリンフィルの安永徹さんの後任ということで、第1コンサートマスターに就任するとはまったくの想定外で、この話をニュースで聴いたときは、もう信じられない、自分が応援していたヴァイオリニストが、まさか安永さんの後任になろうとは!という感じで、驚愕の一言だった。

安永さんの引退宣言は、とても残念だった。
定年までベルリンフィルに居たら、忙しくて、あまりに時間が取れなくて、自分のやりたいこと(室内楽)を十分やれないまま歳を取ってしまう。という理由からだった。

「ベルリンフィルのコンサートマスターに日本人」ということがどれだけすごいことなのか!

それを身をもって実証してくれて、カラヤン~アバド~ラトルの3代の長期に渡って、我々日本人の心の支えでいてくれた安永さんの功績はじつに大きい。

その安永さんの退団とともに、すぐに樫本大進氏が入団したのは、なんか救世主とでもいおうか、あきらかに新しい時代の幕開けを感じざるを得なかった。

安永さんは、どちらかというと、髪型や風貌そのものが、昔の典型的な日本人男性というのに対して、樫本氏はイメージ的に、いかにも今風らしくて、あ~これは時代にマッチしていて新しい時代の日本人コンサートマスターのイメージにぴったりという感じだった。

真相は、当時のコンマスであったガイ・ブラインシュタイン氏に、安永さんが退団するので、その後釜としてどうだ?と誘われたということだったらしい。

試用期間が自分にとって、いかに長く感じたことか!
早く合格してほしい!と吉報を待っていたあの頃が懐かしい。

ベルリンフィルに入団するまで、樫本氏はオーケストラでの演奏の経験がなかった。
このことを心配する声もあったことも事実。

彼の当時の発言で、「確かにオーケストラでの経験はないけれど、オケは室内楽の延長線上にあるもの、と思っているから大丈夫。」。

この発言に、当時の自分は正直カチンときたことも確か。大オーケストラでしかもコンマス。そんな簡単なことじゃない、と思った。

でも最近、小澤さんがカラヤンから学んだことに、「オーケストラというのは、弦楽四重奏が基本。そこから膨らませていく。」ということを教わった、という発言を聞いて、なまじ間違いではなかったんだな、と思い直した。

自分が最初に樫本氏を見初めたのは1999年。彼のデビューアルバムである「Diashin Debut」であった。 



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樫本大進 Prokofiev: Violin Sonata, 2,
Beethoven: Sonata, 5, 武満徹: 悲歌

http://bit.ly/2rBtpFA


まさにこのデビューアルバムを聴いて、「樫本大進、ここにあり!」という感じでこの新鋭を知った。このソニーからのデビューアルバムはまさに衝撃だった。

現在は、CDフォーマットしかないようだが、当時は、SACDフォーマットが発表になったばかりで、出た当時のソニーのシングルレイヤーSACDで、背表紙が黒で厚めの高級ジャケットだった。

東京オペラシティでのライブ録音なのだが、空間、響きの豊かな適度なライブ感を含んだ優秀録音であった。

特にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、通称スプリングソナタ。
これは長い間、そしていまでも、この曲の自分のリファレンスというか、基準の演奏であった。

スプリングソナタはあまりに有名な曲で、数多のヴァイオリニストが録音を残しているのだが、この曲、じつはかなりその「演奏の解釈のクセ」がはっきりと出やすい曲で、聴くアーティストのアルバムに応じて、じつにいろんな解釈をきけてしまう、鑑賞側の立場からするとじつに難しい選曲なのだ。

超有名なヴァイオリニストのこの曲を聴いたりするんだけれど、その解釈の仕方にかなりクセのある演奏だったりして、自分の好みじゃないな、ということで、バッサリ切ってきたことが、いままで何回あったことか!

フレーズのまとめ方などの「フレージング」や、一音一音の表情である「アーティキュレーション」など、この曲ってじつに多彩な解釈が存在する。

樫本氏の解釈は、じつにスタンダードで変なアクセント、クセなどいっさいない、とてもスムーズな演奏解釈で、彼の曲を聴いた後は、しばらくは他のアーティストのスプリングソナタはクセがありすぎて聴けなかったぐらいだった。

デビュー当時の樫本大進といえば、自分にとっては、このスプリングソナタだった。

もちろんこのスプリングソナタの実演も聴いた。
横浜みなとみらいで、当時の相棒のイタマール・ゴランとリサイタルをやったのを聴きに行った。

アンコールで、7~8曲くらいやってくれた(笑)のを覚えている。

樫本氏の実演は、その後、山田和樹氏&スイス・ロマンドでサントリーホールで、チャイコフスキーのコンチェルトを聴いた。

このときの樫本氏は凄かった!

山田氏の指揮、スイス・ロマンドとのかけあいも秀逸であったが、自分には、まさに彼の独壇場にも思えたほど素晴しかった。弦の音色自体の安定感とビブラート感、そして強力な音量、そして目にも止まらぬほどの超高速パッセージの連続。終盤に向かってどんどん信じられないくらいのテンポの速さでクレッシェンドしていき、盛り上がっていく。そのエンディングに向けての疾走感は、自分にとって、まさに”超シビレル”という感じであった。

こんな感動したチャイコも近年になかった。

樫本氏のスゴサを感じた近年で1番の演奏でしたね。

あとは、ラトル&ベルリンフィルのサントリーホールでの来日公演を聴いた。マーラーの最高傑作の第9番でした。

このときのコンマスは、樫本大進。

まさにベルリンフィルのコンサートマスターに就任して、最初の日本への凱旋コンサートともいうべき記念すべき公演だった。

じつに涙が止まらない大変に感動した公演でした。
最後の一般参賀のときのラトルとの掛け合いは微笑ましかった。


樫本氏がまだベルリンフィルに入団する前のソロだった頃、ゴローさんの連載のステレオサウンドの「音のたまもの」に登場したこともあった。何号だったか覚えていなくて、本棚から探すのが大変なので、あきらめたが、ゴローさんとのやりとりで、覚えているのは、「なんでソロアルバムのリリース間隔がこんなに空くの?」という質問に、それは「レコード会社(ソニー)に聞いてください。(笑)」というやりとりだったろうか?(笑)

その後、ちょうどベルリンフィルの試用期間中だったころ、ゴローさんと「樫本大進の素晴らしさ」で熱論を交わしたことを覚えている。(電車の中でですが。。。)そのとき、自分はデビュー当時から注目していて、こういうところがすごいなんて口から唾飛ばして熱論していたなぁ。

ゴローさんは、その後もちょくちょく樫本氏が音楽監督の赤穂姫路の音楽祭に足を延ばしていましたよ。

最近NHKの特集番組のドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀:バイオリン 樫本大進」をじつに興味深く拝見した。まさに彼の生い立ちから、ベルリンフィルでの立ち回りなど、”いま”の彼の活躍が拝見できて、貴重なドキュメンタリーだったと思いました。

番外ですが、奥さんがじつに美人でびっくりしました。(笑)
美男、美女の最高のカップルですね。


自分にとって、樫本氏への想いは、このソロで活躍していた頃から、まさかのベルリンフィルへ入団するまでのところがピーク。

その後は、すっかり安心しきってしまって、自分の子供が大学を卒業して社会へ出たのと同じで、がんばってやっているだろうという安堵な気持ちでいっぱいで、その後は正直フォローしているとはいえなかったかもしれない。

ひさしぶりにネットのCDショップを覗いてみたら、あれから結構CDもリリースしているんですね。
(自分がしっかりフォローしていたのは、デビューから3作目くらいまで。)

でも彼なら、そんないちいち細かいフォローしなくても、安心していられる卓越した技術と、そしてベルリンフィルの第1コンサートマスターという重責ながらも安定したポジションもある。

ますますの今後のご活躍をお祈りしたいです。








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サントリーホールの音響設計 [音響設計]

ようやく最終章。この黒本、想像以上に中身の濃い、充実した本であった。かなり読み応えがある。ホール設立の経緯、音響設計、そして関与するアーティストたちのインタビューなど、このホールのすべてがわかるようになっている。記念すべきバイブルですね。最後は音響設計について、永田穂先生の寄稿です。

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世界最高の響きを求めて~サントリーホールの音響設計 永田穂建築音響設計事務所社長 永田穂

サントリーホールは首都圏で初めての大型コンサートホールです。基本計画の段階から新しい時代のコンサートホールを目指して、その形状、大きさから内装の詳細にいたるまで、音響条件の面から検討を行ってきました。

設計の段階では、1/50モデル、施工段階では1/10モデルを製作し、よりよい音響条件の追求と設計の確認をおこなってきました。


音響設計の考え方

音響設計を実施するにあたって、私どもは次のような姿勢を基本といたしました。

1.現在活躍している内外のコンサートホールの現状とその評価をベースに、新しい時代のコン
 サートホールにふさわしい響きをもとめる。

2.コンサートホールの音響に関する最新の研究成果を設計に導入する。

3.ホールの楽器としての側面を十分認識し、響きに対しての感性をもとにバランスのとれた設計
 をおこなう。

4.演奏者・ホール関係者の意見を尊重し、ステージ音響条件を考慮する。

5.音響性能と建築意匠との調和を図り、コンサートホールとしてふさわしい室内環境の実現に努
  める。

6.完工時には物理測定のほかにテスト演奏を行い、最終的な響きの調整と仕上げを行う。


①ワインヤードからの出発

サントリーホールは新しい時代のコンサートホールとして、また指揮者カラヤン氏のサゼッションもあって、その基本形状としてベルリンのワインヤードをベースとすることに決定しました。

ワインヤード型のホールでは、反射面の形・位置・傾きなどが音響効果の鍵をにぎる決め手となります。その設計には図面上の検討とともに、建築設計の進行状況に呼応して縮尺模型を製作し、光学実験・音響実験を繰り返しながら望ましい音場条件を追及してきました。


②目標とする響き


私たちが大ホールに求めたのは、大編成オーケストラの演奏に最もふさわしい響きをもったホールとすることでした。その響きの中身をもう少し突っ込んで説明しますと、まず、オーケストラおよびオルガンの演奏に対しては、低音に支えられた豊かな響きが基本になくてはなりません。また、ウィーン楽友協会大ホールで感じる管楽器や弦楽器のあの輝きのある生き生きとした響き、しかも、音の海に浸っているような効果も必要です。

さらに、各楽器の演奏音がクリヤーに、しかも繊細に響いてくることが望ましいことはいうまでもありません。このような響きをもった音場は、残響時間が適切であるばかりではなく、壁や天井から到来する反射音のレベル、遅れ時間、到来方向、さらにその混ざり合い方などがある条件にならなければならないことを最近の室内音響研究は明らかにしています。

そのためには、ホールの形・大きさから、壁や天井の構造、椅子の構造にいたるまで、音響面から検討が必要になります。

私たちは、次のようにして響きの量と質の設計をおこなっていました。

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③響きの量と質の設計

まず、豊かな響きを実現するための基本条件として、1席当たり約10.5m3という室容積を基本計画の段階において確保しました。また、響きの質を決めるのは、反射音の構造です。ワインヤード型のホールでは、壁や天井の形のほかに、客席ブロックの形や位置を工夫することによって、反射音の状態を細かく調整することができます。

この反射面の設計を、初期の段階では、縮尺1/50のモデルによる光学実験を中心に、設計が進んだ段階では1/10の模型を製作し、光学実験のほかに音響信号を使って反射音の状態を確認しながら反射面の調整をおこなってきました。

響きの量については、残響時間という尺度が用いられております。
サントリーホールでは大型のオーケストラ用ホールとして、中音域で、2.0~2.3秒の残響時間を目標としました。

一方、響きの質については、音に包まれた感じを表す尺度としてR.R.(room response)と、明瞭さの尺度としてC(clearness)といわれる2つの物理量を手掛かりとして反射面の検討を行いました。

上図は、壁・天井の反射面の形状の一部です。図にしますように、できるだけ多方向からの初期反射音が客席に到達するように考えてあります。また1/10模型では、周波数を10倍にした音楽を再生し、場所による響きの質の相違の確認とともに、ロングパスエコーの聴こえ方などの障害条件の検討もおこないました。


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上の写真は、縮尺1/10のモデルの実験で、最終的な音響条件では、モデル内に窒素ガスを充填し、空気中の音の伝搬特性までをシュミレートさせて、音響特性の検討をおこないました。

一方内装に対しては、壁・天井の構造やボードに対して特に気を使いました。

重低音をしっかり受け止めるだけのがっちりした構造とするため、ボードの2重張り、3重張り、下地軽鉄の補強、軽量下地の間柱に対してのモルタル注入など、一般建築の常識を超えた構造と施工法を工夫してあります。



④静けさの設計


コンサートホールでは”静けさ”が基本的な音響条件となります。ホールに侵入する騒音としては、外部からの交通騒音、隣室からの音楽や話声、それに空調騒音の3つがあります。サントリーホールは、その大部分が地下に埋まっているために、外部騒音に対しては恵まれた条件にあります。外部で問題となったのは、屋上庭園の歩行音と前面広場の騒音です。

前者は騒音というよりは固定伝播音で、対策としては、屋上スラブを2重として、緩衝材で浮かしてあります。

建物内の騒音としては地下駐車場の自動車騒音です。対策としては、駐車場天井に遮音構造を追加しました。

室~室間の遮音として大きな問題は、大小ホール間の遮音です。大小ホールはホワイエを共用しているため、それぞれの演奏音はもちろんどちらかのホールが終了したときのホワイエでの客のざわめきや話声が、もうひとつのホールで障害になることが考えられます。

この問題に対しては、大小ホールとも、入口扉を2重の防音扉とするほかに、ホワイエ天井を吸音処理することで対処しました。

空調騒音はホールに侵入する大きな騒音です。その低減につきましては、低風速のダクトシステムを採用するとともに、基本計画の段階から十分な個数の吸音ダクトを設置してあります。



以上が、永田穂先生寄稿によるサントリーホールの音響設計の文献。

前に書いたけれど、ホール音響の設計で、結構キーになるのが、「1席当たり〇〇m3」というスペックの規定の仕方。

これはいままで自分が知らなかったことなので、とても新鮮に感じた。

あと、現実的に絶対必要なのは、遮音、静けさの設計ですね。
これも普段の興味本位で覗ているだけのボクらにはあまり関係なさそうなところなんだけれど、現実問題ではとても大事なファクター。

オーディオルームでも遮音・防音は重要ではありますが・・・

ヨーロッパの歴史のある古いホールを体験していると、日本の近代設計の最新ホールと比較して、1番違うと感じるところが、この”静けさ”遮音性能なのだ。古いホールは、外の外気のざわざわ感がそのままホール内に入ってきているような感じがする。

日本に帰って、日本のホールに入ると、その静けさに驚き、さすがは近代の最新ホールだけある!と驚くのだ。アメリカのカーネギーホールなんか、近くにNYの地下鉄が走っていて、電車が通るたびに、そこのゴォォーという音が演奏中に聴こえるらしい。(笑)

遮音対策は、不可避の大切なホール設計のひとつですね。


今回、黒本を入手することができて、理解して、改めて考えたこと。。。


サントリーホール以前には、音響面であまり優れているとは言えない多目的ホールがほとんど圧倒的だった日本のコンサートホール史の中で、クラシック専用音楽ホールを設計する、ということ自体が、すごいチャレンジングなことだったのかもしれない。当然音響設計的なノウハウもなかった訳で、そういう意味でサントリーホールの登場は実験的で画期的だった。

その後、30年以上も経過して、音響設計的なノウハウもたくさん蓄積されて、その後のワインヤード形式ホールでは、いわゆる”進化型”のホールが登場した。

ミューザ川崎、札幌コンサートホール Kitara、愛知県芸術劇場が代表的。
(今後の主流はワインヤードだと思うけど、実際日本に存在するホールは、大方がシューボックスか扇型多目的だと思うんですよね。)

この3つの進化型ワインヤードホールはもちろん全部体験したが(札幌だけ大編成を聴いていない。)、やっぱり1番違うな、と思うのは、ホールの容積。

容積が広いと何が違うかと言うと、ステージからの直接音に対して、反射音の到来時間が絶妙な感じの遅れ具合で分離しているような感じに聴こえ、聴いていてなんとも言えない”立体感”を感じたり、すごい広い空間で聴いているなーという”空間感”が優れている感覚になるのだ。

これイコール、わぁあ~いい音響!という感覚になる。

みなさんが一番使っている簡単な表現で言えば、「響きがいい!」という感じだろうか。

容積が広いと、反射音の伝搬距離が長くなるということを意味しているので、直接音に対して、遅れて響き(反射音)が到達して聴こえる、ということでもある。

もちろん容積広すぎると、あまりに遅れすぎて、ロングパスエコーになってしまうが、もちろん設計段階からそんな設計をする訳もなし。(笑)

その遅れ時間が先の日記で述べたような永田先生の文献にあるようなタイミングになるように、何回もシュミレーションして容積やプロポーションを決めるのだろう。

今回新たに知った室容積の定義「1席当たり〇〇m3」というスペックも、十分な質の高い反射音の行き来をするためには客席の上部に十分な空間が必要。つまり天井が高い、ということですね。


これも進化型のホールの方は、サントリーホールに比べて上回っている。

サントリーホールが登場した時、最初、演奏家の方々が戸惑ったのは、その天井の高さだという。いままでの多目的ホールでそんなに天井の高いホールは経験したことがなかったから。

なんか演奏していて、いつもと違うなんとも言えない違和感があったとか。

瀬川先生のリスニングルーム理論にも天井は高くすべしという記述がある。でも天井が高いことに対して、リスポジにいる人は、その人の感覚によってだけれど、天井が高いことによる恐怖感を感じることがある、という記述もあった。

でも音響的には、絶対天井は高いほうがいいですね。


あと、進化型ホールとサントリーホールとの違いで自分が感じるのは、天井の造りと側壁などでの反射音の拡散の仕掛けかな?

進化型のホールは、天井がかなりがっちり音響の仕掛けがされているように思う。ミューザ川崎やパリのフィルハーモニーなんかはど真ん中にどでかい反射板ががっちりあって、その周辺を同心円状にさらに反射板が取り巻いているんですよね。ミューザのなんかは、さらにその周辺の反射板の角度が可変できるようにもなっているように見えてしまう。

これだけ天井ががっちりしているとホール全体に音が回るよなーと感じるのだ。

サントリーホールの天井は、基本はベルリンフィルハーモニーのデザインをそのまま持ってきたと思うのだが、そういう音響の仕掛けを自分のような素人にはあまり感じない。ステージ上に浮雲があるくらい。

側壁での反射音の拡散の仕掛けは、最新のホールは結構派手な凹凸やスリットを付けたりしているが、サントリーホールの方は、側壁やステージ後方の角錐上の形状デザインがそれに相当するのだと思う。

これは自分に好みがあって、こういう拡散の仕掛けのデザインは、得もすれば内装空間の美しさを損なうものだという考えがあって結構微妙なラインなのだ。(笑)

サントリーホールぐらいのデザインのほうが内装空間の美しさを損なっていなくて、うまくお洒落にその空間に溶け合っているように思える。

いずれにせよ、30年という月日は、ホールの音響設計に莫大な進化をもたらして、それが現実のモノとなって登場した。

でも、多目的ホールしかなかった日本のコンサートホール史で、”音響命”のクラシック専用音楽ホールとして登場したサントリーホールの意義は、その後の莫大な革命をもたらしたことは間違いない。

音響面だけでなく、先述したホール案内の「レセプショニスト」の登場、ワインやシャンパンなどのお酒などの提供など、その慣習も革命的だった。

そういう意味で、

「すべてはサントリーホールから始まった」

というのは自分もよく理解できたし、その後のすべてのホールがサントリーホールの影響を受けていることも理解できた。


黒本を手に入れて、この事実を再認識できて、そして連載日記を書けて、本当によかったと思う。

そして最後にもうひとつ印象的だったのは、この音響の世界、

「感性のレベルと物理的に説明できるレベルとの間には、まだまだ大きなギャップがある。」

これって重い発言だなーと思いますね。

実際自分の耳で体験したことを、こうやって理論づけで説明できるようになるには、どうしても理論は後付けの世界だったんですね。

感性のレベルがまず第1に尊重されるべし。

そして、そのメカニズムを解明していき、今後の建築のために、それを体系化していく。

自分もこうやってホールでの実体験を、自分の言葉として書けるようになったのは、たくさんの体験を得て、ようやく最近のこと、だと実感するばかりです。







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"響き”に関する若干の前置き [音響設計]

日本国内のみならず世界中のコンサートホールの音響設計を手掛ける永田音響設計。
その創立者は日本の建築音響学のパイオニアの永田穂先生。永田先生の建築音響学の本は、たくさん持っている。建築音響の世界って数式の嵐でさっぱりわからん。(笑)

最近、IECのリスニングルーム理論に基づいたオーディオ評論家の瀬川冬樹先生のリスニングルーム理論を自分の将来のオーディオルームのために、ということで勉強しているのだが、瀬川先生は、永田先生とも交友があって、いろいろアドバイスをしてもらっていたようだ。

瀬川先生のリスニングルーム理論に基づいて設計された部屋は、残響時間、実測1.5秒!(永田先生が直々に測定しています。)

容積が全然違うコンサートホールの残響時間でさえ、2.0秒の世界なのに、わずか20数畳のオーディオルームで、1.5秒ってすごくね?(笑)

「部屋はライブにつくる!」

を第1に目標とやっていくことをますます確信した。

永田先生は、ホール音響をそのままオーディオルームの室内音響に当てはめることはできない、などの投稿もされていて自分は興味深く拝読している。


残念ながら永田先生は、もう故人だが、その意志を引き継ぐ弟子たちが永田音響設計をいまも引っ張っていっている。

いまや世界の寵児として大活躍している豊田泰久さん、小野朗さんとか。。。

サントリーホールの音響設計は、まさに東京初のクラシック専用音楽ホール、日本としても大阪シンフォニーホールに次いで2番目、ということで、”音響命”のクラシック専用のコンサートホールの音響設計というとても緊張を強いられるタスクを引き受け、まさに社運をかけたプロジェクトだったに違いない。

永田穂先生をリーダーとして、豊田泰久さん、小野朗さん、など尖鋭たちの集まったメンバーで取り組んだ。

この黒本には、永田先生が代表として寄稿されていて、序章の「”響き”に関する若干の前置き」と、そして本編の「世界最高の響きを求めて~サントリーホールの音響設計」について、抜粋だが、言及してみたい。

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●”響き”に関する若干の前置き  永田穂建築音響設計事務所社長 永田穂

複雑なホールの音場に対して科学のメスが加えられたのは、約100年前のことです。(この本の時代のことだから、いまでは130年前。)さらに近代の科学はコンサートホールの音場が醸し出す様々な音響効果の仕組み、良い響きの謎を次々と明らかにしてきました。

そして望ましい音場条件を実際の建築で実現する音響設計の手法も逐次体系されてきました。
ホールの音響効果の設計は、いまや80%が科学、20%が芸術とまで言われています。

①室内の響きとは

最初に室内で拍手した時のことを考えてみましょう。拍手の音は、天井、壁と次々と反射を繰り返しながらやがては消えていきます。

いま室内の1点でこの音の到来状況を観測しますと一番時間的に早く到達する直接音に引き続いて天井や壁からの反射音が次々と到達することがわかります。実は直接音の後に残る多くの反射音群によって、われわれは室内の響きを感じることができるのです。

今度は広い草原で拍手したときのことを考えています。野外では直接到達する音だけで、反射音はありません。つまり野外では響きはありません。

われわれが一口に室内の響きとか音響効果とか言っている現象、それはこの直接音に引き続いて到来する反射音群によって醸し出されるのです。

言い換えますと反射音群は直接音に対して調味料的な役割を果たしているということができます。各反射音の大きさ、時間遅れ、またその到来方向などによって、様々な味の響きが生み出されるのです。豊かな響きも物足りない響きも、すべてこの反射音群の大小、構造によって説明できるのです。

近代の室内音響研究は、この反射音群の構造と音響効果との関係をつぎつぎと明らかにしております。また建築音響技術はこれをどのようにして実際の建築に実現できるかを工夫してきました。


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②残響と残響時間

みなさんが広い講堂や体育館で声を出したとき、発声を止めた後でも音を残っているのを聴くことが出来ます。

これを残響といいます。

残響という現象とその効果については、昔の人たちも気づいており、それをコントロールするいろいろな手法の記録も残っています。しかしこの残響という現象を科学的に証明できるようになったのは比較的最近のことなのです。

残響時間とは室内の音のエネルギーが100万分の1になる、デシベルで言いますと60dB減衰するまでの時間を言います。残響理論によれば、ホールの残響時間は室容積に比例し、室の全吸音力に反比例します。

すなわちホールの容積、内装材料とその使用面積さえ与えられれば、残響時間は簡単に算出できるのです。つまり建築の設計段階で、すでに残響時間の予測が可能なのです。

しかし、これだけでは良い音響効果のホールは設計できません。

残響時間の設計が現在でも室内音響設計の中で重要な役割を果たしているのは、室の使用目的、大きさによって最適と言われる残響時間が数多くの調査から明らかにされている点です。

たとえばコンサートホールとして望ましい残響時間は約1.6秒~2.2秒であることがわかります。

したがって、望ましい残響時間の設計は、建築の図面の段階で実施できるのです。



コンサートホールにとって、その残響時間は重要な意味を持っています。
しかし、普通、残響時間と言えば、習慣上、500Hzの値を言い、その周波数特性についてはあまり話題になっていません。

しかし低音・中音・高音の残響時間のバランスの違いは響きの相違に微妙に影響します。

面白いことに、ヨーロッパではフラットな残響特性が、アメリカでは低音域が持ち上がった特性が、好まれるようです。

サントリーホールの残響特性は基本的にヨーロッパのコンサートホールのフラットな特性ですが、オルガンを考慮して低音域の特性をやや持ち上げています。

残響時間の周波数特性は、残響時間の長短とは別に、響きの質の特色を表しているのです。

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③障害となるエコー~ロングパスエコーとフラッタエコー

ハープや弦のピチカート、ピアノやティンパニー等の打楽器弾いたとき、あるいはトランペットの鋭い立ち上がりに対して、客席の後方から反射音が独立して聴こえる場合があります。これをロングパスエコーといいます。日本流でいうと「やまびこ」です。

また、ホールの客席、両側の反射壁が平行している所で拍手するとプルンといった特殊な音色の響きが聴こえることがあります。

これをフラッタエコーといいます。日光東照宮の鳴竜は天井と床との間で生じるフラッタエコーなのです。

ロングパスエコーもフラッタエコーも、音響効果としては障害になります。音響設計では、良い響きを作り出す工夫をすると同時に、ロングパスエコー、フラッタエコーなど障害となるエコーを発生しないような対策をしないといけません。


④音響効果の仕組み


残響時間がホールの響きの量を表す基本的な尺度であることはお分かりいただけたと思います。

しかし、同じ残響時間のホールでも、残響感も響きの質も全く違うホールがあることは昔から問題になってきました。

また残響時間は、その定義からあきらかなように、室全体としての音のエネルギーの減衰状態を表す尺度であり、室内の場所による響きの相違については何も語っていません。

いま都内でクラシックのコンサートに使用されているホールを数えますと、大小合わせて10以上になりますでしょうか?皆さんよくいらっしゃるホールについては響きの特色、席による響きの相違などなんとなく掴まれているのではないでしょうか?

また欧米の著名なホールの響きを体験された方もいらっしゃると思います。

みなさんが実際の演奏を通して感じる音響効果、つまり気になる音響効果、すばらしいと感じる音響効果の着目点、あるいはその内容はどうなっているのでしょうか?

私なりに整理してみました。

1.プログラムに応じた適切な音量感
2.適切な残響感
3.各楽器の量感のバランス、特に低音楽器の安定した響き、弦楽器と管楽器のバランス
4.残響音の音色とバランス
5.聴感的な距離感、音源を近くに感じるか、遠く感じるかどうか?
6.各楽器の音が時間的にも空間的にもクリヤーであるかどうか?
7.弦楽器、管楽器の響きの質。
8.空間で響きが混ざり合っている感じ。音に包まれている感じの程度。
9.自然な方向感、耳触りのエコーがないこと。

などです。いかがでしょう?

一体このような音響効果は何によって創り出されるのでしょうか?
戦後の室内音響の研究は専らこのコンサートホールの望ましい音響効果の追及にあったと言っても過言ではありません。

でも感性のレベルと物理的に説明できるレベルとの間には、まだまだ大きなギャップがあるのです。

しかし残響特性でしか説明できなかった時代と比べると大きな進歩がありました。
一口で言いますと、反射音の到来状況と音響効果の関係があきらかになったのです。


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上図は、サントリーホールで観測した反射音の状況です。
これを「エコーダイアグラム」、あるいは「エコータイムパターン」といいます。
エコータイムパターンを詳細に観察しますと、直接音に引き続いて到来する初期の反射音群、各反射音が重なり合って1つ1つがもはや区別できなくなった残響音、の3グループに区別できます。

研究の成果を要約いたしますと、

1.30ミリ秒までに到来する初期の反射音は、直接音の音量を増加させる効果がある。

2.約80ミリ秒までの初期反射音群のエネルギーとそれ以降の残響音のエネルギーの比が、「明
 瞭度」に関係する。その割合は曲目にもよるが、ほぼ1:1が望ましい。

3.横方向からの初期反射音が空間的な印象 ”Spaciousness”を創り出す。

の3項に集約できます。

初期の側方反射音の強さが音響効果の決め手になることが明らかになりました。

これまで奇跡と言われてきたウィーン楽友協会大ホールの響きの謎もこれによって説明できるようになったのです。


⑤ホールの室容積

コンサートホールの音響効果はその容積と形状で決まると言っても差し支えありません。
室容積の基本的な条件として、「1席当たり10m3」という言葉をすでにご存じの方もいらっしゃると思います。

確かに世界的に活躍しているコンサートホールのデータを見ますと、8~12m3くらいになります。
わが国の多目的ホールの平均は約6~7m3です。

その理由は簡単です。コンサートホールでは質の高い反射音を得るためには、どうしても客席上部に大きな空間が必要なのです。

サントリーホールでは、1席当たり10.5m3という空間を確保してあります。

一般のホールでは1席当たりの平均床面積は0.7m2程度ですから、10m3という空間を確保するためには、平均して約14mの室高が必要となります。わが国の建築にとって室高を確保するということは、大きなコスト高を招くことを覚悟しなければいけません。

わが国でコンサートホールが生まれなかったのも、ひとつにはこの室容積の確保が難しかったからではないでしょうか?



⑥ホールの内装について~木の壁、石の壁

ヨーロッパでは昔からホールの内装に厚い木の板が用いられてきました。木の板は音響的に優れた性質を持っています。つまりその吸音、反射特性に特色があるのです。

木の板は低音域の音に対しては、その板振動によって吸音効果があり、中・高音域の音に対しては反射面として作用します。しかし反射面といっても大理石やタイルのようなシャープな反射面ではないという点です。

このように木は建築的にも音響的にもすぐれた性質を持っているのですが、ただひとつの性質~可燃性であるという点からホールに使用することは消防法で禁止されています。仕方なく、わが国ではセメントボードの上に薄くそいだ木の箔を貼って使用しています。

コンサートホールの内装として気をつかわなければいけないのは、ボード類を使用したときの板振動による低音域の吸収と、石やタイルを使用したときの高音域の反射です。

サントリーホールでの天井でのボード面では、2重、3重にボードを重ね、しかも下地のピッチを細かく、斜めに入れるまでにして板振動を極力抑える工夫をしています。



⑦客席

客席椅子に適度の吸音性をもたせることによって空席時と満席時の響きの状態の違いを少なくすることができます。ホールの椅子がすべて布張りなのは、この効果を狙っているからです。その結果、客席面はホールの中で最も大きな吸音面になります。

したがって、椅子の構造、仕上げのわずかな相違が残響時間に大きく影響してきます。またさらに面倒なことは、吸音面である椅子が床一面に拡がっているために、残響理論をベースとした吸音特性の資料がそのまま使用できないという問題があります。

厳密に言いますと、同じ椅子でも1階席とバルコニー席とでは吸音特性が異なるのです。

また最近のコンサートホールの椅子では、背の周辺部を反射性にしている例が見受けられます。
サントリーホールの椅子もこのタイプですが、わずかとはいえ椅子の面から反射を期待しているのです。

このように音響設計では客席椅子の構造ひとつにしても音響面から検討し、最善の効果を狙っています。


⑧ステージ周りの音響

これまでお話しした音響効果はすべて、客席面における聴衆を対象としています。
最近、演奏家を対象としたステージ空間の音響条件にも関心が寄せられています。

その結果、演奏しやすさからの反射音の条件の検討、あるいはオーケストラメンバーを対象とした舞台条件に関してのアンケート調査が行われるようになりました。

一方ステージ床の構造やオーケストラ雛壇のあり方などについても、いろいろな意見、主張があります。しかし、楽器の指向性、オーケストラの配置ひとつとっても複雑ですし、また音響レベルで取り上げるまでには至っていません。

ステージ周りの音響は将来のひとつの大きな課題と考えています。



⑨スケールモデル実験とコンピューターシュミレーション

昔からホールの縮尺模型を作り、この模型の音場を利用して音響特性の検討をおこなう手法がおこなわれています。これをスケールモデル実験、略してモデル実験といいます。

モデル実験は、もともと縮尺比に相当した倍率の周波数の信号音をモデル内で再生し、これを収録し、周波数を変換してホールの響きを聴くことを目指して開始されました。しかし、超音波域での音響機器の性能に限界があり、この壁は現在でも解決されていません。(これは30年前の文献なので、いまは解決されているかも?)

したがってモデル実験の目的は、室内音響特性に関するいくつかの音場パラメータの計測が中心となっています。また音響信号だけでなく、レーザー光線による反射面の検討もおこなれています。

このモデル実験は、音響設計の有力な手法なのですが、基本的な室の形状の検討などは、建築設計のスケジュールのなかにモデル実験が組み込まれてないかぎり、その成果を利用することはできません。

サントリーホールの場合には、設計の初期の段階で、1/50のスケールモデルを、内装設計段階で1/10のスケールモデルを製作し、室の基本形状の検討から側壁、天井の形状、エコー防止の吸音面の検討など、音響特性とともに意匠上の検討にもモデルを利用しました。

スケールモデル実験とは別に最近ではコンピュータによる音場のシュミレーションがおこなわれ、形や反射面の検討などに利用されています。

いまのところ、設計の初期の段階における形状の検討には、コンピューターシュミレーションが、内装の詳細、波動性までを考慮したパラメータによる音場の検討にはスケールモデルが有効のように考えています。



あーちかれた!(笑)

でもさすがは永田先生の文章、30年前の記載とはいえ、専門家の見地からの的確な内容で、使っているtechnical termも的を得て適切。

感動しました。

でも、自分が独学で書いた日記とそんなに違っているところがなく、案外合っていたというか、的を得ていてホッとしました。

ちょっと自慢していいですか?(笑)よくやった自分!(笑)

ただ、今回新しく得た知識は、室容積の基本的な条件としての「1席当たり〇〇m3」というスペックの規定方法ですかね?

大変勉強になりました。

これはあくまでホール音響の基本になる考え方。

これに基づいて、次回の最終章にサントリーホールの音響設計についてチャレンジします。







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サントリーホールの設計思想 [コンサートホール&オペラハウス]

黒本には、設計思想と音響設計が書かれている。設計事務所は、安井建築設計事務所。そして音響設計は、永田音響設計。

自分には、こちらがとても興味深い。ホール設立までのドラマは、よくわかっていたつもりだが、実際の施工主・音響設計家の書いた文章には重みがある。

特に、永田穂先生の書かれた音響設計の序章の部分に相当する「”響き”に関する若干の前置き」は、ホール音響の基本の考え方が書かれている。

素人の自分が、自らの経験と数学の世界の専門書を読みこなして、作成した日記より、よっぽど要領よく書かれていて(笑)、さすが専門家のよくわかっている観点から書かれたものは説得力があると思った。

あるものごとを書こうとした場合、100%のことを書くなら、頭の理解は150%~200%くらいわかっていないといけない。

上から俯瞰したものの見方って大切。

悲しいかな、自分はリアルタイムに理解処理しながら書いているから、文章に説得力も出ないのだ。

本日記は、実際のホールの音響設計よりも、こちらの序章のほうが今後のためにも重要と思い重点を置く。

もちろん一部抜粋のみ掲載で、日記を3部に分け、設計思想と音響設計で分ける。

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●設計思想

安井建築設計事務所の社長 佐野正一さんが記載。

①リーガー・オルガン

当初パイプオルガンを設置する予定はなかったという。でもカラヤンから、「オルガンのないホールは、家具のない家のようなものだ。」というアドバイスで考えを改めさせられた。

さらにベルリンフィルハーモニーではパイプオルガンの配置に失敗して、後付けで配置したので、ステージの真後ろではなく、ちょっと横のほうに設置されているのだ。

その教訓から、ステージの真後ろに堂々と配置する。

選んだのは、リーガー社のパイプオルガン。
リーガー社は、1845年創業の輝かしい経歴を持つ名門で、欧州を中心に秀でた実績がある。
オーストリアからスイス、南ドイツを横断し、ストラスブールに地域に多いジルバーマン・オルガンの流れを継承して、柔らかく重厚な音色のオルガンを作る。

このリーガーオルガンをサントリーホール向けに選んだのは、ウィーン在住のオルガンの専門家として名高いオットー・ビーバ博士と、ボストンの大学で長くパイプオルガンの研究と演奏を続けている林佑子教授のアドバイスによるところが大きい。

74ストップ、4段鍵盤、パイプの数は5898にのぼる。

大型のパイプオルガンの中でもずぬけた巨大さ。

バロックオルガンの輝かしい響きからカヴァィエ・コル流のロマンティックな響きまで幅広い音色の演奏が可能だ。

リーガー社の工場で仮組み立てをして、その壮大で精緻な美しい音色を確認し、そこから日本に輸送。

輸送、ホール現場での据え付け、そして整音という複雑な仕事が続き、こけら落としの1か月前にすべてが完璧に終わらないといけない。

これは結構大きな山場だったらしく、所定通り達成できたときは、どんなに嬉しかったことか、と述べられている。

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②サントリーの構想~クラシック専用ホール


サントリーホールのパイプオルガンをどう計画するか。それは赤坂・六本木地区再開発事業に文化施設を担当する目的でサントリーとテレビ朝日の両者が参加を決め、昭和57年、テレビ朝日はTVスタジオを、サントリーはクラシック音楽専用コンサートホールを建設することを決めたときからの課題だった。

サントリーのコンサートホールをどう計画するべきか。

赤坂・六本木再開発事業の計画は、長い経過があり、今日アークヒルズと呼ばれる大規模でかつ複合機能をもつユニークな新都心が生まれるにいたるまでには計画上基本的な変転が幾度があった。

サントリーのコンサートホールは、アークヒルズの文化施設という欠くべからざる機能を担うことになった。

ホールの運営と規模についてさまざまな検討がおこなわれた。ホールの対象はオペラ、クラシック、ポピュラーいずれか、専用ホールか多目的ホールか、大型ホールか、複数の小ホール併用か、など各種の問題が具体的に検討された。

昭和57年夏、佐治社長は検討のすえ、サントリーの基本構想をつぎのように打ち出した。

1.座席数2000のクラシック音楽専用。

世界的水準の響きの良いホールをメインとし、これに座席400程度の大きさの固定席のないフラット床の小ホールを組み合わせ、独立または大ホールに関連使用する計画とする。

2.飲食サービスはさらに検討のうえ決める。

3.ホール建設と運営はサントリーが直接当たる。

これは重要な決断だったと思う。わが国には公共用のホールは多数あるが、そのほとんどは、演劇にも集会にも使える多目的ホールで、音の響きを大切にする音楽演奏には不満が多いものだった。

クラシック音楽専用ホールの建設が何故すすまなかったのか、その理由は響きの良いホールをつくることの技術的困難さとホール運営の困難さにあり、大型ホールとなればその困難さは一層大きくなる。

世界有数の音楽市場といわれる東京にクラシック音楽専用ホールが皆無だという意外な事実の理由はそこにある。

それを敢えて実行しようという決断の背景には、ポピュラー音楽にともすれば押され気味のわが国のクラシック音楽を支え、またこのホールを拠り所として優れた日本の作曲家や演奏家が育つことを期待する佐治氏の深い想い入れを感じさせる。


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③サントリーホールの基本計画

敷地は溜池から六本木に向かう幹線道路に沿って位置する。

これは私観だけど、サントリーホールの最寄り駅って銀座線の溜池山王か、南北線の六本木一丁目。自分の家だと行きは銀座線なのだ。溜池山王からホールって結構歩く。心臓破りの坂をずっと登っていき、いつもホールに着く頃ははぁはぁぜいぜい(笑)。終演後の帰りの六本木一丁目は案外すぐで楽なのに。。。

ホールが出来たときは、まだこのような最寄り駅がなかったらしく交通の便としては、かなり悪かったらしい。

ロンドンのコヴェントガーデンがイギリス音楽の中心地であるように、少し状況は違うが、都市的な環境のなかで音楽の世界に没入できる場所が、赤坂・六本木という都心に出現した意味は大きい。

(株)入江三宅設計事務所の三宅晋氏、(株)永田穂建築音響設計事務所の永田穂氏の協力を願い、建築設計と音響設計をしていただいた。

結論!

大ホールは、座席数2006、音響効果をよくするために1座席当たりの室容積は約10.5m2。残響時間は中音域で2.1秒、座席形式はわが国初のワインヤード形式。

音響設計のために1/10の精密な模型を作って、レーザー光線による反射測定と音質シュミレーション調査を繰り返し、測定結果に従って、壁の配置や角度を修正した。

「世界一響きの美しいホール」を目指した。

建築作業が終わった後も実際のオーケストラを使って音を測定し、良い音を生むための調整を実行した。

工事施工を担当した鹿島建設(株)の周到な施工技術、関連した諸工事の統括には深く敬意を表したい。


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④なぜワインヤードを選んだのか?

サントリーホールは当初はシューボックスの予定だったらしい。

でもカラヤンが、「ワインヤードがいい。」「音楽は演奏者と聴衆が一体になってつくるものだ。ステージを中心に聴衆がこれを囲むこの形式がその目的を満足させる。シャルーンは私のこの考えを完全に理解してこの設計をつくったのだ。」

「サントリーホールからきっと良いぶどうができるよ。」

これで佐治社長が「ほなそうしましょ。」で決まったとか。。。

昭和58年の1月に、この記事を書いている安井建設の佐野社長が、当時の西ベルリンにカラヤンを訪問してその真意を確かめに訪問したそうだ。そして上のことを確認したうえで、数日後東京で、サントリーホールの座席形式はワインヤード形式を選ぶことに決定した。

このときのカラヤンとの会談で、大型パイプオルガンを設置することも決定的になった。

大ホールについて。ホール容積を確保するために天井は高くなり、高さの制限からホール全体としてエントランスレベルから低い位置に設定された。

うわぁ、まさにオーディオルームと同じですね。(笑)

まさにこうやってサントリーホールは誕生したのだ。

以前サントリーホールのバックステージツアーに参加したことがあって、そのことを日記にしたと思うが、普段聴衆として見える部分と楽屋などのバックステージ部分など、あういう感じになっている。

指揮者の控室やソリストの控室がステージのすぐ近くに配置されているのもカラヤンのアドバイスとか。

指揮者ちゅうもんは、控室でよっしゃ!と気合を入れて、そこからステージに出るまで、長く歩かされたら、緊張の糸が切れるだろう?(笑)・・・ということで、すぐ近くに配置されているらしい。

このサントリーホールのステージ裏のバックステージは恐ろしくデッドな空間でした。
入った瞬間すぐに感知するというか、まったく響きがない空間でした。(^^;;

これにて設計思想完了。

いよいよこれから2部に分けて、本命の音響設計のほうを特集します。





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サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラム 通称”黒本” [クラシック雑感]

マニアの中では、貴重な存在である通称”黒本”と呼ばれるサントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラム。1986年10月開幕なので、翌年の1987年3月までのプログラム、約半年分であるが網羅されている。

それだけではなくて、小澤さんやアバドなどたくさんのアーティスト・インタビューが掲載されていて、また「建てものと、その周辺」と題して、サントリーホールの音響設計について、永田音響設計の永田穂先生による投稿がある。

かなり読みごたえがあった。

黒本

600ページもおよぶ黒色でなんともいえない高級感が漂う。

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この部分は金色に塗装されている。

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ブログのほうにコメントをいただき、確かに言い忘れたので、ちょっと補筆しておく。

サントリーホール開館の前の、ちょうど4年前に大阪の方にシンフォニーホールが開館した。
このシンフォニーホールこそが、日本ではじめてのクラシック専用音楽ホールという位置づけだった。

サントリーホールは、東京初のクラシック専用音楽ホールで日本としては2番目。

サントリーホールは、サントリーホールディングスが、そしてシンフォニーホールは、朝日放送がオーナーで、当時のサントリーには佐治敬三さん、朝日放送には原清さんと、いずれも文化事業に熱心な経営者がいたからこそ、ホールの実現に寄与したとも言える。

サントリーも朝日放送もどちらも関西が地元の企業なんですね。

シンフォニーホールのほうも、サントリーホールと同じで、なにかといろいろ言われることも多いが、ホール設計は時代とともに、格段に進化していくもの。近代の最新のホールと比較して、どうだこうだ、ということ自体が、人間としての器が小さいと感じるし、この両ホールが、いわゆる日本のコンサートホール史の中で、クラシック専用音楽ホールとしての礎を築いてきたその功績はなににも替え難いしじつに大きい。

特にサントリーホールでの、ホールでのチケットをもぎって座席を案内する優しい「レセプショニスト」の存在。

ご案内の仕方を一流ホテルと同じくらいのレベルに高めよう。

いままではコンサートのチケットもぎり方なども、本当に味気なくて、働く人たちは「制服」というよりは、「うわっぱり」みたいなものを着ていた。

サントリーではもともと工場案内のサービスをするスタッフの所属・育成する部署があって、そこでクラシックのホール案内として質の高いサービスができる人も育てようということになったそうだ。

この流れが今や、全国のホールへと広がった。

休憩中にワインやシャンパンなどのお酒類を楽しめるのも、それまでは当たり前じゃなかった。

いまでは、日本のホールでは当たり前であるこういう光景も、ここに礎があった。

サントリーホール完成までのドラマは、結構本になっているものがあって、自分はじつに遠い昔に、2冊くらい読んだことがあって、佐治敬三さん、カラヤン、眞鍋圭子んとかの経緯のドラマはよく知っていた。

その遠い昔の記憶に基づいていままで書いていたのだが、この黒本には、作曲家や指揮者、演奏家などのインタビューが豊富に掲載されていて、自分がいままで知らなかったことがいっぱいで目から鱗であった。

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サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?とは、自分は直感で感じたのだが、その当時の指揮者であるサヴァリッシュ氏はこの黒本のインタビューで、この第九を選んだことをこう答えている。

これは私の強い主張によるものではありません。サントリーの佐治社長が何が何でも「第九」でやりたいということでした。彼自身コーラスの中で歌ったことがあるそうですね。またホール側も「第九」ということでした。この曲は極めて荘厳で力強く、シラーの詩も含めて、民衆に大きくアピールするので、これほどにオープニングのお祝いに相応しい曲はないでしょう。


・・・う~む。当時の佐治社長やホール側からの推薦曲。やはり自分の直感に間違いないようだ。

アーティストのインタビューについては、どれも大変興味深いのだが、やはり小澤さんのインタビューが、自分には面白かった。

世界のオーケストラを指揮しているからこそわかる達観した真実といおうか・・・その一部を抜粋して紹介してみよう。

●世界各地のオーケストラを指揮していて、オーケストラの風土性というのを感じますか?

これは本当にありますね。オーケストラの機能、つまりオケの持っている読譜力とかアンサンブルの実力ですが、この点から言えば、日本のはアメリカやイギリスのオケに近くて速いですね。

ベルリンフィルは現代のものはまったく不得意だと僕はかねがね思っていたのですが、このベルリンフィルは、メシアンといえども、自分たちの言葉にしてしまうんですね。つまり音符を読んで音を出すだけでは、彼らは精神的に満足しない。ただし、彼らはいろいろなおかしな音がするので本当に苦労していましたが、結果はとても面白いものになりました。

ロンドンのBBCは、一番早く音符を読んだですね。やはりそういうことに慣れていますから。だけどその音楽は、ベルリンフィルほど深いものではなかったと思います。

それからボストンも譜読みには慣れていますね。ボストンにしてみれば、メシアンといっても特別な現代曲ではなく、もう日常なものといった感じです。

日本のは技術的に完璧で、しかも素直に音楽に入っていました。ベルリンフィルのように自分たちのものにして出そうという深刻な面はありませんが、曲にのめり込んでいるのです。

たとえて言うと、ベルリンフィルは苦しんだあげくに自分の言葉にしているが、ロンドンは器用で頭の回転が速い。ボストンは機能性はすごく高いが本当の深みには欠ける。コーラスも同じことで、日本とボストンは大変に努力してあの難しい曲を暗譜していましたね。



メシアンに関して長々としゃべっちゃったけれど、3週間くらい前にスカラ座で指揮をしてね。彼らの気質や考え方がまるで違うのには驚きました。まず第1にイタリアの音楽に対する絶大な自信といったものがある。極端に言えばイタリア以外の音楽はそれほど大事じゃないかもしれない(笑)。

第2に彼らのつくる音楽は横の線、つまりリズムの線やハーモニーの線が大事だと習ってきたんですが、彼らは横が大事なところになってくると生き生きして、縦が肝要なところでは苦しみながらやっている。縦に弱いんですね。

5年ほど前にパリで「フィデリオ」をやったときも、フランスのオケは横の線指向でした。

そこへゆくと、アメリカやイギリスのオケは縦と横のバランスがとれてますよ。

ドイツはやっぱり縦を大事にしますね。しかしウィーンとかベルリンとかミュンヘンのいいオケは、縦の線を大切にしながら、横のほうも納得のゆくまでやるという良さがありますね。


●海外で指揮をしているとき、日本的だな、と自分自身思ったり思われたりすることありますか?


あるようですよ。たとえばR.シュトラウスの曲で「英雄の生涯」。

僕なんかがやると、それぞれの声部がはっきり聴こえるようにやっちゃうわけですよ。1本の太い線の音楽、いわゆる太書きしたようなものはいやなのね。ところがシュトラウスの場合は、いろいろな声部がうんと重なっているので、ある程度のところまでいくと、声部をはっきりさせるというのは不可能になってしまう。そういうところで苦しみながらやっているわけ。

あるドイツの指揮者なんか、初めから太書きするつもりでいますから、苦しみがないんですよ。
シュトラウスもあれだけ書くには苦しんだと思うんです。それを指揮するほうも、やっぱり苦しんでやって、それでどこかの声部が聴こえなかったら仕方がないという方式でやりたいと思うんですね。そうすると日本人だからきめ細かくやったと言われるんです。

ベルリンでマーラの第1番を初めてやったときは、細かく合図を出し過ぎて、何もあんなに指示を出さなくてもいいのじゃないかと言われたこともあります。それだけに、指揮者というものは太書きの音楽を作ったほうがいいという批判は受けますね。

そして僕も細書きから次第に太書きに変わってきたと思いますね。



あくまで抜粋ですが、さすが深いなーと思いましたね。

後半は、「建ものと、その周辺」ということで、ホール建設のことと、永田先生による”響き”に関する若干の前置きについて、そしてサントリーホールの音響設計について書いてみます。

日記としては別途分けます。

ここは、まさに自分の興味の多い”本命”の所ですので、大変興奮しました。





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小澤さんの勇姿を顧みる 後編 [クラシック指揮者]

小澤さんの勇姿を観たい。急にふっと思いついたこと。それもまさに全盛のときで、自分にとって思い入れのある公演。

つぎにどうしても観たかったのが、

1999年 ザルツブルク音楽祭・カラヤン没後10年記念コンサート。

ホールはザルツブルク祝祭大劇場。

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この名誉ある公演をカラヤンの愛弟子だった小澤征爾さんが大役を引き受けてウィーン・フィルを相手に振る。 バッハのG線上のアリア、ワーグナーのトリスタンとイゾルテ、ブルックナーの交響曲第9番。

この大舞台で日本人の小澤さんが、まさにカラヤン追悼コンサートを振るというステータスに同じ日本人として、とても誇りを持ったし、なにか熱いものを感じた。

この公演は衛星生中継をNHKが録画して時差再生してTV放映した記念番組。

途中に小澤さんのカラヤンに対する思い出などのインタビューが挿入されている。
これが、またものすごく貴重。小澤さんとカラヤンの師弟関係の想い出がぎっしり詰まっている。
このインタビューが聴きたくて、この公演の録画を重宝しているくらいなのだ。

まず最初はバッハのG線上のアリア。この曲は、もう小澤さんにとっては鎮魂歌。亡くなられた方を偲んで、冒頭に必ずこの曲を演奏する。

松本のサイトウキネンでも東日本大震災を追悼、水戸室の潮田益子さんが亡くなられたときも水戸芸術館で聴いた。

もう自分は何回実演で聴いたかわかんない。


G線上のアリアが終わったら、思わず拍手してしまった観客を、ここで拍手しちゃいかん!と小澤さんジェスチャー。

すぐに楽団員、観客全員起立してカラヤン追悼で黙祷。
この間TV画面ではカラヤンの写真がいろいろ映し出されていた。

つぎにソプラノのジェシー・ノーマンを迎えてのワーグナーのトリスタンとイゾルテから前奏曲とイゾルテの愛の死「優しくかすかな彼のほほえみ」。

ジェシー・ノーマンもカラヤンとは非常に関係の深かったソプラノ歌手。

しかしトリスタン和音の効果というか、この曲本当になんともいえない官能美で切ない美しい旋律なんだろう。人の心をグッとえぐっていくような、うねりみたいなものを感じる。ワーグナー音楽の美しさの極致ですね。

ノーマンも声量豊かで、素晴らしい艶のある歌声で堪能した。

ブルックナー9番。悪くはないが、ウィーンフィルの音色だと思った。艶感はあるが、重厚感という点で、やや腰高サウンド。ブル9には、自分的にはやや物足りないかな?まっこれがウィーンフィルのサウンドと言ってしまえばそれまで。



次に小澤さんのインタビュー(カラヤンについての思い出)。
カラヤンの頭像のある祝祭大劇場内のロビーで。

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(2013年に自分が行ったときに撮影した写真です。写真の中央奥のほうに頭像があります。その手前に小澤さん立ってインタビューを受けていたのかな?) 

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小澤さんが初めてカラヤンを観たのは、確かN響を振っているときで、ドボルザークの「新世界」。
当時川崎に住んでいて、自宅にテレビがなかったので、近所のお蕎麦屋さんで、事前に相談して、そのお店のテレビ放映に合せて来店して、そこで、そのテレビを見て初めてカラヤン先生の姿を観た。

(自分の予想では、N響を振っているときではなく、クルーゾー監督によるスタジオでベルリンフィルを相手に新世界を振っているプロモビデオがあるのだが~白黒でカラヤン&ベルリンフィルの初の映像作品です~それではないか?と思っている。)

カラヤンが自分の弟子の指揮者を決めるコンクールで小澤さんが優勝して、カラヤンの弟子になることができた。

カラヤン先生はとにかく最初のイメージは怖くて怖くてとっつきにくい人だという印象があった。
10年くらいそんなイメージを持ち続けた。

あるときポッと怖くないと思い始めた時期が訪れた。それまでマエストロ・フォン・カラヤンと呼んでいたんだが、ヘルベルトと呼べ、と言われた。こればかりは言ってみたが恥ずかしくてしっくりこなくて、どうも調子が悪かった。

齋藤秀雄先生のことを、秀雄、秀雄と呼んでいるようなもので。(笑)

カラヤン先生は自分のことを死ぬまで自分の愛弟子だと思ってくれた。これは一生の宝。

カラヤン先生から指揮のことを学ぶのだが、カラヤン先生の指揮は普通の指揮とは違うので、すごい心配だったが、じつは基本に忠実だった。オーケストラにとって何が悪かったのか?何が必要なのか?そういった基本的で、しかも実践的なことを、実際のオケを使いながら教えてくれた。


それまで齋藤秀雄先生に基本的なことを学んでいたので、カラヤン先生から学んだのは、長いラインをどう掴むか、ということだった。シベリウスの3番やマーラーの大地の歌を使って、何フレーズも先の、いかに長いラインを先に掴みながら指揮をするか、ということを実践的に教えてくれた。

小澤さんは齋藤秀雄先生の弟子だから、シンフォニーだけで、オペラは教わらなかった。ところがカラヤン先生から、それでは駄目だ。シンフォニーとオペラは音楽家(指揮者)にとって両輪なんだ。

シンフォニーだけでオペラをやらなかったら、お前はモーツァルトの半分も知らない、ワーグナー、プッチーニ―、ヴェルディを分からないで死ぬんだぞ。それでいいのか?

それでカラヤン先生に言われて生まれてはじめてのオペラの指揮は祝祭大劇場でウィーン・フィルで、モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテを振った。

これが小澤さんのオペラの初指揮だった。


カラヤン先生は、自己規律がしっかりした人だった。普通の人はお腹がすいたらたくさん食べたりとかするが、カラヤン先生は毎日決められた量だけを食べる人だった。指揮の勉強も、自分だったら公演間近になったら詰め込みで猛勉強するが、 カラヤン先生は毎日決まった時間を毎日続ける。そして公演当日は睡眠を十分に取る、という人だった。

カラヤン先生は、なんかとっつきにくい人、怖い人、傲慢な人とかかなり誤解されていると思う。
本当はものすごいシャイな人だった。

公演終了後、観客にカーテンコールをしないで、燕尾服着替えないで、そのまま奥さんと車に乗って家に帰ってしまう、というような人だった。カラヤン先生と話をしたいときは、その車の中にいっしょに乗って話すしかなかった。

でもその日の自分の公演の話は絶対にしたがらなかった。それはある意味知られざるタブーなことでもあった。公演以外のこれから何を食べるとか、そういう差しさわりのない話が良かった。

自分が指揮した公演をカラヤン先生が観に来てくれたことが何回もあるが、そのときに後日、征爾、あのときのこの場面はお前の指揮が悪かった、この場面はオケが悪かった、ここはこうするべきとか、本当にもの凄い細かなところまで覚えていて、凄い 記憶力だと思った。そのときの実際指揮している自分が驚くぐらいだから。

カラヤン先生はそのときはすでに高齢だったはずで、それなのにあの記憶力は本当に驚いた。



この1999年のカラヤン没後10周年記念コンサートとしては、そのときの音楽監督であったクラウディオ・アバドもベルリンフィルを振って、カラヤンの追悼ミサがおこなわれたザルツブルク大聖堂でコンサートをやっているのだ。

その映像素材ももちろんある。モーツァルトのレクイエムなどが演奏された。あのスウェーデン放送合唱団も参加という贅沢な布陣。


つぎに観た記念すべき公演は、

・1986年ベルリン・フィル サントリーホール柿落とし公演(小澤征爾指揮)

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東京初のクラシック音楽専用ホールとして1986年にオープン。これまた初の試みであった民間企業(サントリー)によるホール造りは当時大きな話題になった。

ベルリンフィルフィルハーモニーを参考にして作られ、その設計の際はカラヤンのアドバイスがかなりあったと言われている。(ワインヤード方式を採用したのもそのひとつ。)


サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?

サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラムは、通称”黒本”と呼ばれ、マニアの中では貴重な存在。

先日中古市場で見事ゲットした。

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これについては、また別途日記にします。

そして、カラヤン&ベルリンフィルによる最初のこのホールでの来日公演。

当然話題になるのは当たり前。ホール建設のアドバイザーでもあったカラヤンを招聘するのはひとつの目標、けじめでもあった。

しかし来日直前にカラヤンは急な風邪でキャンセル。自ら小澤さんを指名。

急遽、愛弟子の小澤さんが振ることになった。

そのときの公演の模様である。

小澤さんはコンサート後の「ベルリンフィルお別れパーティ」で、演奏会の途中(英雄の生涯)で第1ハープの弦が切れたことを聞かされビックリした様子だったが、ハープは即座に弦を張り替えて無事ソロ演奏を終えていたので「よかった」と相好を崩したそうです。

このベルリンフィルによる柿落とし公演の演目は、シューベルトの未完成と、R.シュトラウスの英雄の生涯。

開演前に、いまの皇太子さま(若い!)が来場。天覧コンサートとなったようだ。

TV画面に映っている聴衆は、ほとんどが正装のように感じた。

幕間に、眞鍋圭子さんによる団員やステージマネージャーへのインタビューがあった。眞鍋さんについては今更説明の必要はないだろう。サントリーホール設立に至るまでじつに大きな役割を果たし、カラヤンの日本とのパイプ役・マネージャー的存在でもあり、その後長年ホールのエクゼクティブ・プロデューサーとして活躍していらっしゃった。

さすが!ドイツ語じつに堪能でいらっしゃいました!

もうひとつNHKのアナウンサーは清水圭子さん(記憶にある。いまはどうなされているのかな?)だったのだが、日本人として初のコンサートマスターになった安永徹さんにインタビュー。ベルリンフィルのコンマスの重責と、後半の英雄の生涯のヴァイオリン・ソロ(当然安永さんが弾く)はじつは女性の役割ということを説明していた。(シュトラウスは多くのヴァイオリン・ソロを書いているが、大半は女性だとか。)

公演は素晴らしかった。特に英雄の生涯は、自分のマイカテゴリーといえるほどの大好きな曲で、この雄大でスケール感の大きい大曲を久しぶりに聴いて感動した。

小澤さんも汗びっしょり。やはりこれだけの大曲を指揮すると、終演直後では興奮が冷めやらず、笑顔になるまでかなりの時間があった。

いままで観てきた小澤さんは、いずれも汗びっしょりかく。やはり健康体の時代だったんだな。

大病を患って、体が思うように動かない現在では、なかなか汗をかくまでの熱血指揮ふりは見れないような気がする。

汗びっしょりの小澤さんを観て、なんとも言えない久し振り感があった。

以上が小澤さんの若き頃の勇姿を楽しんだ映像素材。思いっきり溜飲を下げた。



他にとてもよかったのが、1996/10/17のアバド&ベルリンフィルのサントリーホール来日公演。

マーラー交響曲第2番「復活」

まさにキラーコンテンツ!
この曲は、いままでもう数えきれないくらい聴いてきているが、その中でもこの公演は3本の指に入る名演だと思う。

いま観ても感動する。

特に合唱の世界では世界最高の合唱団との呼び声高いスウェーデン放送合唱団が帯同し、話題になり、この公演で日本での知名度を一気に上げた。

この日の公演では、他にエリック・エリクソン室内合唱団との合同スタイルであった。

アバドは、自分の在任期間中、このスウェーデン放送合唱団を厚迎していた。



友人のお薦めは、

ジルベスター:1995,1996,1997(この年は最高らしい),1998
ヴァルトビューネ:1996(アバドのイタリア・オペラ)
ベルリンフィル定期公演:1996(マーラー2番)、1996(レバイン)

今度またの機会にゆっくり観ましょう。


またドキュメンタリー関連、お宝映像などが面白い。


・佐渡さんとベルリン・フィルとの「情熱のタクト」
・アバドのハーモニーを求めて
・安永徹と中村梅雀対談
・ソニー大賀典雄「ドイツ音楽の夢」
・黒田恭一「20世紀の名演奏」
・カラヤンの音楽三都物語~ザルツブルグ・ウィーン・ベルリン

個人的には、大賀さんのドキュメンタリーが一番感慨深かったと同時に凄いスーパーマンだな、と改めて驚嘆してしまった。

あと佐渡さんとベルリン・フィルとのファースト・コンタクトの場面。指揮者があるオーケストラに客演するとき、上手くいくかどうかは初対面の日の最初の30分で決まる!まさにこのファースト・コンタクトで決まってしまうのだ。

ベルリンフィルのメンバーから、樫本大進を通じて、どういう音が欲しいのか明確に示唆してほしい。我々はその望み通りの音を届ける、とダメだしされてしまう。改めてベルリンフィルの怖さを感じてしまった。(笑)

なんか観ているほうで緊張してしまって、昔自分が塾の講師のアルバイトをしていた頃を思い出してしまった。

黒田恭一さんの番組はさすがにあの明朗でわかりやすい解説がとても懐かしかった。日本いや世界中でアンチカラヤンブームが巻き起こったときにも中立の立場でカラヤンを評価してくれていた唯一の評論家であった。

大賀さんのドキュメンタリーと、カラヤンの生涯ドキュメンタリーでは、モーツァルテウム音楽院大ホールの魅力に執りつかれてしまった。ぜひ行ってみたいホールだと確信した。 その内装空間の美しさもさることながら、観客がまったくいない状態での音響ではあるのだが、あまりにも素晴らしいピアノの音に、アナログの古いメディアの音で、昔の番組という次元を通り越して、その素晴らしさを感じ取れた。

これを観たことがきっかけで、2013年のザルツブルク音楽祭に行くことを決めた。
そして、このモーツァルテウムを体験できた。

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そんなからくりがあった。



まだまだ観ていない素材は、たくさんある。
これだけのライブラリー、全部制覇するのは大変、いったいいつになることやら・・・

大変長文の日記で、とりとめもなく書いてきたが、改めてこのライブラリーを作った友人に感謝しつつ、筆を置くことにしよう。







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小澤さんの勇姿を顧みる 前編 [クラシック指揮者]

いま病気療養中で長期お休みをいただている小澤さん。もちろん予定されていた公演もすべて降板キャンセル。残念なことだが、早く良くなってまた復帰してほしいもの。そんなことがふっと頭をよぎり、小澤さんの若かりし頃の勇姿を映像で観てみたい、と急に思いついた。

これは例によって、急に思い立つことなので、いつもの通り、自分でも予想できません。(^^;;


2,3日前から無性に小澤さんの若き頃の勇姿を観たい衝動に駆られ、ガムシャラに観まくって日記も書いた。(とくにカラヤン先生とのこと)

そういった自分の突然の思いつき、胸騒ぎがハッピーなことでよかった!
25日、各新聞発表の記事。 

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「小澤征爾さんは3月2日に大動脈弁狭窄症と診断されて入院。4月上旬に手術を受け、10日に退院。現在は自宅療養中で、夏の8月、9月長野松本市での音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で活動を再開する予定ですすめている!」

よかった!自分が心配していたのは、大動脈弁狭窄症という心臓の病気。ちょっと素人では事のシリアスさを十分把握できないため、余計に不安を募らせた原因だった。


とにかく自分の考えたこと、ふっと突然思いついたこと、行動などが、なぜか周りの事象とシンクロしちゃうんだよねー。(^^;;

2年前あたりから意識するようになったんだが、こればかりは、自分で意図できることではないし、どうしようもできないことなのだ。

だから、今回も不安に思った。なぜ?急に小澤さんのことを考えたんだろう・・・?と。
もしや?なんて心配したわけだ。

自分は、やっぱりハッピーなことを予知する専門でいきたいです。(笑)


小澤さんの若い頃の勇姿を顧みる。

それも最近のサイトウキネンのコンサートとかではなく、ちょっと自分特有の変わったコレクションにて実行してみたいと考えた。

前職時代の友人が、1984年~2006年に渡るNHKのクラシック番組を、家庭用記録メディアにコレクションしていたものを、永久保存版としてそれらの映像素材をデジタイズしてBD-Rに一斉にダビングして整理しようという「VHSダビングプロジェクト」をやってくれたのだ。

いまから7年前の2011年のこと。

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ご存知のように家庭用記録メディアはアナログテープからディスクへと記録フォーマットがどんどん変遷していくので、その時代に応じた記録フォーマットで録画して保管してあった訳だ。

友人のご好意により、そのライブラリー全てをダビングして譲ってくれるというのだ。

大変貴重なライブラリー。

市販ソフトでは手に入らない貴重な素材ばかり。

簡単にダビングというけど、今でこそHDDなどから32倍速、64倍速などの高速ダビングで短時間でダビングすることが当たり前になっているこの時代に、アナログテープからダビングするということは、120分の番組を録画するのに、そのまま120分かかるということなのだ!!!

アナログテープのライブラリーは、ED-β,Hi8,VHSとあって、合計80本くらいあった。その他にもLD,VHDなどの市販ソフトからのダビングもあった。

いまでこそ、DVDなどのアナログ出力はマクロビジョンがついていて著作権対策でダビングできないようになっているのだが、当時のLD,VHDにそのような発想はなく、アナログ出力からダビングし放題な訳だ。いまはもう映像機器としてアナログ出力は出していないんじゃないかな?

写真のように全部で24枚のBD-R (記憶容量25GB)。1枚のBDに4番組くらいは入っているから、96番組のライブラリーになる。



しかも1枚1枚に、このようにカラープリンターでラベリングされている。
これもディスクの中身をいちいち再生して確認してはラベリングという凄い重労働だと思う。見てください!この細かい詳細なラベリング。

恐れ入りました。

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友人にはひたすら感謝するしかない。


この録画ライブラリーも大半はベルリンフィル、ウィーンフィルの番組。ベルリンフィルの3大コンサートであるヨーロッパ/ヴァルトビューネ/ジルベスターのコンサートも毎年すべて録画されている。あと90年代のベルリンフィルの定期公演やウィーンフィルのニューイヤーコンサートも網羅。ザルツブルグ、ルツェルンの音楽祭関連やドキュメンタリーももちろん。

こういったコンサートで実際の市販ソフトになっているのは数が限られていて、しかも廃盤になっていたりするから、この毎年のライブラリーは本当に貴重な財産だと言える。

もっと貴重だと思ったのは、ドキュメンタリー関係が充実していること。
ふつうのNHKの番組でドキュメンタリーとして造られた特別番組だったりするから、よっぽどのことがない限り、絶対市販ソフトにはならない。

たとえば1989/7/16 カラヤンが死去したときのNHKニュースセンター9時(キャスターは木村太郎さん)の生映像をはじめ、テレビ朝日のニュースステーション(キャスター久米宏さん、若い!)とか、カラヤン死去ニュースを片っ端からはしごで録画。(笑)

若かりし頃の小澤征爾さん、安永徹さんのコメントも映っている超お宝映像だ。
これを持っているのは自分しかいないと自負していました。(笑)

やはり巨星カラヤンが死去したときのクラシック音楽界への衝撃は大きく、NHKが盛んにカラヤン特集を急遽制作したのだ。



1989/7 栄光の指揮者カラヤン&カラヤン懐かしの日本公演。
1989/7 帝王カラヤン氏逝く。

1989年7月16日に自宅で急性心不全で亡くなったカラヤンは(ソニー大賀さんとの商談中に起こった)、翌17日午後9時半には、11人の手によって、アニフの教会に埋葬された。

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ザルツブルク郊外にあるアニフの教会、自分も2013年にザルツブルク音楽祭に行ったとき、アニフに寄ってカラヤンのお墓詣りをしてきた。

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本人の希望により、これだけの偉人にしては、じつに質素なお墓であった。
もう一度行ってみたいな。


カラヤンの訃報に対して、やはり日本人指揮者として、代表でインタビューを受けるのは、当然小澤さん。

その若かりし頃の小澤さん(当時はボストン響の音楽監督)のインタビューをずっと観ていた。

カラヤン先生は、とにかく音楽家、指揮者として本当に素晴らしい人だったんだけれど、晩年は帝王とか、楽団員とのイザコザとか、本来の先生の素晴らしいところとは別のところで話題に上がっていたのは、なんとも残念だった。

とにかく最初はとてもとても怖い人だと思って、全く近づけなかったのだけれど、一度中に入ってしまうとメチャメチャ暖かい人だった。

カラヤン先生から学んだことは、オーケストラの基本は弦楽四重奏。そこから弦メンバーの数増やして、木管、金管などの管楽器、そして打楽器など、どんどん増えていってイメージを膨らませることが指揮者にとって重要、それが指揮をするためのひとつの手法なんだ。

これは後の小澤さんが始める小澤奥志賀国際アカデミーへとつながるんですね。

カラヤン先生はよく日本人の指揮者で自分がいいと気になる人がいたら、かならず僕(小澤さん)のところに連絡をよこすんだよね。

「征爾、〇〇知っているか?」当時の高関健さん、小泉和裕さん、山下一史さんとか。当然知っているんだけど、先生は、誰それは、こういうところがいい、とか事細かく小澤さんに話してきたのだそうだ。


カラヤン先生は、いわゆる独特の指揮法で、みんなすぐに真似をしたがるんだけれど、それは全くダメ。指揮はやはり自分のスタイルを確立すること。僕はカラヤン先生、斎藤秀雄先生の両方から指揮を学べたので、本当にラッキーだったとしかいいようがない。

こんなことを小澤さん、インタビューで話していました。


上の急遽制作されたドキュメンタリーでは、カラヤンの訃報がちょうどザルツブルク音楽祭の開幕直前だったこと、そしてこの音楽祭はまさしくカラヤンとともに、育ってきた音楽祭と言ってもよかったので、そのザルツブルクで急遽取材。音楽祭がまさに開かれているその最中で、正装した紳士淑女たちに、インタビューしていた。



ひとつの大きな時代が終わった。
すぐには彼に相当する後任は出てこないんじゃないか?

晩年は、人間性を疑われるような傲慢な面も報道されていたので、特別な感慨はない。

彼がいなくなって、音楽祭の品位の高さが失われるんではないか?

後任は誰だと思う?

オザワと答えたのが、日本人を含め、2人いた。(^^)
あとはアバド、ムーティ。

クライバーもいいけど、彼は気まぐれだからダメね。

マゼールが適任だと思います。

音楽祭の観客は、意外にも冷静に受け止めているような感じがした。


自分が小澤さんの勇姿を観たいと漠然と思ったのは、

1989年ベルリン・フィル ジルヴェスターコンサート(小澤征爾指揮)。

あの小澤さんのオルフの「カルミナ・ブラーナ」。このジルヴェスターの公演も最高なのだが、前年の1988年、小澤さんが日本から晋友会という、まあいってみればアマチュアの混声の合同合唱団を率きつれてベルリン・フィルハーモニーホールへ乗り込み、ベルリン・フィルの定期演奏会でカルミナ・ブラーナを披露しちゃったという逸話付きの演奏会なのだ。


合唱のような大所帯を海外遠征に引き連れていくというのは、その経費含め、じつに大変なこと。

この晋友会というのが半端な合唱団ではなく、もう、ベルリナーを唖然とさせるくらいのすばらしい合唱団だったのだ。 わざわざ小澤さんが晋友会全員を連れていったというのが頷けるという。。。

合唱を現地メンバーで賄えば、それで済む問題だったのかもしれないが、そこを敢えて日本人合唱団で押したことに、現地ベルリンでの晴れ舞台での、日本人としての心意気を観た感じがした。

これぞ日本のレヴェルを世界にアピールした晴れ舞台という感じで誇らしかった。

このときのソプラノが、エディタ・グルベローヴァだというから、尚更自分にとって感慨深い。

この1988年の定期公演のCD、当時収録されていて、いまも発売されています。 



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カルミナ・ブラーナ 小澤征爾&ベルリン・フィル、
晋友会合唱団、グルベローヴァ、他

http://urx2.nu/JG1S

もちろん翌年の1989年のジルヴェスターでもこの晋友会を引き連れて乗り込んでいて、このオルフのカルミナ・ブラーナを披露している。このときは、ソプラノはキャサリーン・バトルが務めている。

今回観るのは、このジルヴェスターの映像素材。


この公演以来、小澤さんはベルリンフィルのジルヴェスターとは遠ざかっていて、2010年にチャンスが1度あったのだが、ご存知食道がんでキャンセル。

いやぁ、このカルミナ・ブラーナ。まさに合唱のための曲ですね。
最初から最後まで合唱ずっと大活躍!

1番最初の「全世界の支配者なる運命の女神」は、誰もが知っているあまりに有名なフレーズ。
ゾクゾクっとする。

この当時、つまり1980年代後半って、まさに自分の青春時代。日本が絶好調のバブリーな時代だった頃。晋友会の合唱団は、ずっとカメラアップされて映るんだが、女性陣はみんな当時の聖子ちゃんカット(笑)、男性陣も当時の髪型ファッション、明らかに今とは違う違和感、あの当時の世相を表していたよ。

懐かしく見てました。

21番目のフレーズの「天秤棒に心をかけて」のソプラノ・ソロ。

これもあまりに有名な美しいソロ。キャサリーン・バトルの美声に酔いました。
彼女は決して声帯が広くて声量豊かとは言えない歌手かもですが、やはりディーヴァとしてのオーラが際立っていた。

やっぱり華形スターだ。

最後のカーテンコールでも晋友会への拍手はひと際大きかったです。

まさに小澤さん全盛のときの指揮振りですね。
このときはタクト棒を持つスタイルでした。

この公演を観ることで、今回の自分の本懐を遂げられたと言ってもいい。

でもまだまだこれからなんですよ。



つづく


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札幌のクラシック音楽と舞台芸術に関する専門誌を創刊したい! [クラシック雑感]

幼少時代から大学時代まで過ごした北海道。いまも夏休みと年末年始は北海道に帰省する・・・ 自分にとって、いわゆる実家のある土地。その北海道・札幌で、

「札幌のクラシック音楽と舞台芸術に関する専門誌を創刊したい!」

というムーヴメントが立ち上がった。

FBで、その投稿を知ったときは、なんともいえない衝撃と感動を受けてしまった。
自分のアンテナにビビッとくるあの感覚。

ある意味盲点でもあった。
いいところに目をつけたなーというのが自分の素直な印象。
本当に素晴らしい!としか言えない。

もちろん応援していきたい!

わが故郷で、クラシックを啓蒙するためのメディアが立ち上がるなんて、なんか夢がありすぎる。
そこには、自分の故郷という点、そして自分の人生の生きがいの支えでもあるクラシック音楽が融合した、そんな自分の心の琴線を、思いっ切り刺激するようなそんな響きがあった。

興奮で、乱文となりそうになる前に(笑)まず大事な要点をピックアップしてみる。

●プロジェクトを立ち上げたのは、2018年が札幌の文化芸術にとってメモリアルイヤーになること。

今年は、札幌で毎年開催されている、世界の若手音楽家を育てる国際教育音楽祭・PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の創設者であるレナード・バーンスタインの生誕100周年にあたること。


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PMF

さらに、10月には北海道初のオペラ専門劇場である札幌文化芸術劇場hitaru(札幌市民交流プラザ内)のオープンも重なる。


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完成イメージ図

この大きなビッグイヴェントが2つ重なることで、ぜひ地元札幌を盛り上げていきたい!

これが第1の目標。

●札幌にはこの地域のクラシック音楽を紹介する専門誌が存在していない。
 こうした既存コンテンツの魅力をわかりやすく発信していく。

札幌といえば、自分がすぐ思いつくのは、札幌コンサートホールKitara。ここではまさに地元札響(札幌交響楽団)のフランチャイズはもちろんのこと、首都圏レヴェルの招聘によるコンサートもかなりの数に及ぶ。

もちろんKitaraだけではなく、札幌には素晴らしいホールや劇場、また地元企業の文化事業が多数存在しているにも関わらず、十分に認知されているとは言えない状況なのだ。

たしかに実家に帰ってテレビを眺めていたりすると、さかんにTV CMでKitaraの公演の宣伝をやっているのを目にする。北海道民にとって、TV CMの効果って大きい、これでどういう演奏家が来てどういう演目をやるのかがわかる。

でもそれってKitaraだけの話なのだ。それ以外のホールはお目にかからない。
それも単に公演の告知、宣伝だけだ。それに対して、コンサート、奏者に関する深い見識なんかが網羅されれば全然存在感が違ってくる。

さらに今度新たにオペラハウスhitaruがスタートすれば、相乗効果も大きい。

そんな活動、もちろん宣伝含め、あらゆる方面と連携して、こうした既存コンテンツの魅力をわかりやすく発信していく。。。これが第二の目標。


ずばり、

「さっぽろ劇場ジャーナル」




すでに準備号を創刊中で、6月発売を目標に進めている。内容は札幌で開催されるコンサートやオペラの見どころ聴きどころの紹介、そして上半期に終了した主要イヴェントの批評を掲載していく。

製作したジャーナルは、コンサート会場での配布ほか、ホール、楽器店、音楽教室などの配置を含め、計画中。

もちろん印刷媒体だけではない。Webサイトの開設も視野にあって、独自のサイトを持てば、紙面での限界を心配することなく、より深く詳細な記事を楽しめるような仕組みも作れるわけだ。

そしていずれは、地元札幌だけではなく、全国に発信できるジャーナルとなることを目標としている。

うれしい、というか、なんかワクワク、ドキドキしてきた。(笑)

今回のこのプロジェクトを立ち上げたのは、

藤女子大(北大の近くにあります)およびミュージック・ペンクラブ・ジャパンに所属している多田圭介さんと、札幌大谷大学学長の高橋肇さん。


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左:多田圭介さん、右:高橋肇さん



多田さんの投稿と紹介で、このプロジェクトの存在を知った。

多田さんとは、5年前からFBのほうでクラシック音楽仲間として友人でつながっている。
いまは藤女子大だが、つい最近まで北大のほうで勤務されていて、自分の後輩にあたる。

大学での研究、教鞭は、哲学・論理学の研究。もう一方で、音楽評論家、音楽ライターとしても活躍していて二束のわらじでの大活躍なのだ。

まさに修士・博士課程に至るまで、いろいろな大学で勉強されている。その中でも音楽大学にも在籍、勉強され、音楽学をはじめ、クラシック音楽の研究をしていた。


多田さんがスゴイと自分は思ってしまうのは、北海道・札幌に住んでおられながら、首都圏のこれは逃せない!というキーになるコンサートは、必ず上京して、東京のコンサートホールをハシゴして聴かれていることなのだ。


それも頻繁に!

札幌⇔東京の航空券代を知っている自分としては、これってじつに凄いことなんですよ。
多田さんが来京する回数、度合いからすると、ひたすらすごい熱意としか思えない。(笑)

もちろん音楽ライターとしてのご職業でもあるので、交通費としての社費なのかもしれないが、そんなことを詮索する必要もなく(笑)、とにかくいつもすごいなーと思っていた。

もちろん交通費だけではない。ホテル宿泊代とか雑費含めるとかなりの額になる。
自分も似たような境遇なので、そこら辺の事情がよ~くわかるのだ。

もちろんコンサート評は、専門誌のミュージック・ペンクラブ・ジャパンに寄稿されるのだが、FBの友人に対しても、そのコンサート評を投稿してくれる。


ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
クラシックコンサートレビュー 2018年4月号

http://www.musicpenclub.com/review-c-201804.html



さすが音楽大学で専門に音楽学を学ばれているだけあって、スコアリーディングに基づいた、かなり専門的な解析手法で、ちょっと一般素人評とは一線を画す格調の高さと専門性を感じる。


多田さんに関しては、その専門性の高い論評と、交通費(笑)で、とにかくクラシックが本当に大好きで真の熱意を感じる好青年という印象なのだ。

そんな多田さんが、今回のプロジェクトの発起人で、「さっぽろ劇場ジャーナル」を立ち上げるという相談をいただいたときは、北海道というシンパシーと、5年をかけて蓄積された信頼で、もちろん応援していくことが必然の道筋というもんだ。

またこれだけ首都圏のコンサートもしっかり自分の眼、耳で確認しているわけだから、その記事を取り上げる”時”や”タイミング”への嗅覚や、そのコンサートそのものに対する価値観、見識の深さも適格者だろう。

もちろん首都圏のクラシック業界・メディアとのパイプも豊富で、今回の責任者としては、もっとも最適任者だと自分は確信しています。


自分にとって、札幌のクラシックコンサートといえば、やはり札幌コンサートホールKitara。

ここはとても素敵なコンサートホール。大ホールではオルガンコンサート、小ホールではピアノリサイタルを経験したことがある。

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大ホール

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小ホール

大ホールの中に入ると、その内装空間は、なんかどことなく東京赤坂のサントリーホールに似ているのだ。

Kitaraのほうが、曲線美というか丸みのあるデザインなのだが、でも全体に視覚に入ってくる配色カラーリングのセンスとか、全体から受ける印象が、すごくサントリーホールに似ている。

北海道の木材がふんだんに使われているそうで、木のホール独特のやわらかい響きがする。
ここのホールの音響の良さは折り紙つきで、絶賛するクラシックファンの方はかなり多い。

ある意味、サントリー時代から、その設計手法も進化した証拠なのだろう。


音響設計は、永田音響設計のご存知、豊田泰久さん。

どうりでサントリーに似ていると思った。(笑)

Kitaraの方が天井が10m高く1席当たりの空間が1.5倍デカいそうだ。前から後ろまでクリアな音。
実測周波数特性は他のホールと違って、「ど・フラット」な驚異的な音響特性だそうです。(笑)

自分は、残念ながらKitaraで大編成のオケを聴いたことがない。
このホールで札響を聴くことが、自分の究極の夢。

いつも夏休み、年末年始に北海道に帰省するのだが、なぜかこの期間は札響、お休みなんですよね。いや札響が休みというより、Kitaraが休館お休みで公演入れてないみたいな。いつもKitaraの公演カレンダーを見て判断しているので・・・。

この夢が成就するのは、いつのことになるだろうか?



さて、ここでこの記事を読んでいただいているみなさんに、ちょっとしたお願いがあります。
いつも拙稿を読んでいただいて、本当にいつも感謝しているのですが、その皆様方に今回のこのプロジェクトを支援していただけるとこれ以上にない幸せを感じます。



今回のこの「さっぽろ劇場ジャーナル」創刊に向けて、ファウンド(資金)を集めている最中です。
もちろん各方面からのスポンサー探しも必須でやっていますが、一般市民、ファンの方々からも有志の心ある方に期待しています。

今風のファンウドの仕方で、クラウド・ファンディングという手法になります。


目標額は第一目標60万で、現在は見事その額をクリアできたようですが、もちろん資金は多いに越したことはありません。

そこで、さらに第二の目標を80万に設定して邁進中です。(笑)

皆様の都合に合わせて、その心遣いだけでも十分。5000円コース/10000円コースなど。0円からの支援というのもあります。もちろん支援していただいた方には、できあがったジャーナルの配布などキックバックもあります。


詳しくは、こちらからになります。

https://readyfor.jp/projects/Sap-theater-J



岐阜県のオルガン建造家 辻宏さんが、スペインのサマランカ大聖堂のパイプオルガン「天使の歌声」を修復する費用3000万円を都合するために、ファンディングしたのを思い出しました。このわくわく感。(笑)

やっぱり夢の実現には、先立つものが必要ですね。
現実の世界に引き戻される瞬間です。(笑)

でもその目指しているところが実に理にかなっていること、そして多田さんへの個人的な信頼も含めて、応援していきたいと思った次第です。


私からも、どうかよろしくお願い申し上げます。






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マリア・ジョアン・ピリスに”さようなら” [クラシック演奏家]

現役で最も高く評価されているピアニストの1人のマリア・ジョアン・ピリスが引退する。日本のファンの方々へのお別れコンサートとして2018年4月に日本を訪れてくれているのだ。

ピリスは、自分にとって縁があるピアニストだと思う。ここ5年の間にサントリーホールと横浜みなとみらいで、ラストの今日を入れて3回もリサイタルの実演に接することができた。 

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ピリスの魅力って、スター演奏家とは思えない、飾らないとても素朴な人柄。彼女のステージ衣装なんてそれを最も端的に表していると思う。

ある意味とても地味。ドレスのような原色キラキラ系とは程遠いモノトーンなダーク系のシンプルな衣装。彼女自身が紡ぎ出すイメージは、とてもシンプルで、ある意味俗世からかけ離れたような素朴なもの。

でもその全体のシルエットは、やはりピリスだけが醸し出すオーラで誰も真似できない彼女独特の強烈な個性を表しいると思う。

音楽への考え方、ピアノへの取り組みの姿勢はある種、求道的とさえ思えるところがある。
それは彼女の残してきた数多の作品において、色濃く投影されている。

自分は彼女の作品の中では、モーツァルトとシューベルトのソナタをとても愛聴していた。
彼女の作品の中でもベストだと思っているし、そんな彼女のイメージがそのまま感じ取れるような気がするからである。

だから、お別れコンサートのときは、そのモーツァルトとシューベルトの演奏の日を選んだ。

ピリスは、DECCA,Eratoなどいろいろ渡り歩いたが、1989年にDGに移籍し、専属アーティストとして契約してからは、膨大な録音をDGに残してきた。自分的にはDGのアーティストというイメージが圧倒的に大きい。そのDG時代のコンチェルト、そしてソナタなど作品は、BOXセットになっている。

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今回のお別れコンサートは、4/8の岐阜でのサマランカホールを皮切りにスタートしたのであるが、その数日前に、そのサマランカホールでとても興味深いイヴェントが開催された。

マリア・ジョアン・ピリスと日本の若きピアニスト6人による4日間にわたる滞在型ワークショップ「パルティトゥーラ in 岐阜」。

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(C)Toshihiko Urahisa


単なるピアノ・レッスンではなく、ピアノを弾くとはどういうことか?心と身体をどう音にするか?からはじまり、音楽とは何か?ピアニストとして生きるとは?を、世界を代表するピアニストとともに暮らし、食べ、話しながら考え、学ぶというプロジェクト。

まさにピリスと寝食を共にし、これらのテーマをピリスからダイレクトに学び取っていくというプロジェクト。

サマランカホール音楽監督の浦久俊彦さんが、就任1年目にしてどうしても実現させたかったプロジェクトでもある。

今回の日本ツアーを最後に引退を表明したピリスのライフワークであるこのプロジェクトを日本ではじめて実現するために、岐阜県では一年間にわたる準備を重ねてきたのだそうだ。

そこにピリスの引退の理由があるように思えた。
こういう活動を、彼女はその後の人生でやっていきたいのだ。それをライフワークにしていきたい。


教育家としての彼女は、いままでも世界各地でマスタークラスを主宰していて、フランス語と英語によって指導を行ってきた。

ポルトガルの地方における芸術センターの振興についても取り組んでいる。

そして大の親日家でもある。

だから、演奏家としての活動は引退するけれど、教育活動は今まで通り今後も継続というスタンス。



去年の秋頃に、突然流れてきたピリスの引退の噂。
まだ70歳代なのに早すぎる。どうして?なぜに?という気持ちは当然あった。

真偽のほどはどうなのかな?と思うところもあるのだが、こんな噂もあった。

もともと田舎で隠遁者のような生活をしていて、ビジネスに飽き飽きした、というようなことがあるらしい。ビジネスの世界との相性については、よろしくないとか。

加えて彼女は大勢の取り巻きに囲まれて暮らしていて、海外にもいっぱい人が付いてくる、とか、子どもたちを連れて集団で移動する、とか、若手ピアニストと一緒の舞台で演奏したりとかもしている。

それはもうビジネスする側とすればとても大変なこと。若手にとってはいいチャンス、かもしれないが、多くの聴衆はピリスを聴きたいのであって、ビジネスとして成立しづらい。

ピリスが若手と出てきても、現実問題、チケットは売れない。多分、誰が手がけても売れない。それもまたピリスがビジネス界とそりが合わなくなった一つの要因なのかもしれない。

アルゲリッチも取り巻きに囲まれて暮らしているので、その点似ているのだが、アルゲリッチの場合はそもそもパリとかブリュッセルとか、こちらから会いに行きやすい大都会に拠点を構えているし、取り巻きや子供たちを「引き連れて」あちこちに行くことはない。


そこが大きく違う。


眉唾物か本当かは、断定できないが、ピリスの中に”真”としてあるのは、”若手を育てたい”、”残りの人生で若手に自分の持っているものを伝えていきたい”というところにあるのだと思えて仕方がない。

また、ピリスは、”音楽はコンサートホールですべてを表現できるものではない”という晩年のグレン・グールドのような(笑)ことも言っている。

こういう重ね重ねの背景を紐づけていくと、自ずと自分だけを売っていくビジネスとそりが合わなくなって、自分の将来の進む道は”若手への教育”というところに落ち着く、という落し処なのかな、と思ったりするのだ。


サマランカホールでのようなワークショップは、それこそ彼女にとって、ひとつの理想形なのかもしれない。


これは噂に基づいての推測でしかないし、引退の真の理由は、今後も彼女の口から正直に語られることはないかもしれない。


でもそんなことどうでもいいじゃないか!

現に自分は、いままでたくさんのピリスのアルバムを聴いて感化されてきたことは確かだし、実演もラストの今日も入れて3回も経験出来て、自分に縁のあるピアニストとして堂々と自分の中のメモリアルに刻み込まれている。

そんな偉大なピアニストだ。

その最後のお別れに、ここサントリーホールにやってきた。

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久し振りのサントリーホール。話は飛んでしまうが、このホールについて書いておきたいことがあった。2年前の2016年の開館30周年記念事業のときに改めて、そのクラシック音楽界への貢献としてクラシックファンに認識されたこと。

サントリホールのなにが革新的だったのか?

日本のコンサートホールの歴史は、サントリーホール誕生以前と以後で大きく分かれると言っていい。

「すべてはサントリーホールから始まった。」

まさに後に続くホールは、そのほとんどがサントリーホールの影響を受けたと言っても過言ではない。

その当時、サントリーホールの何が新しかったのか?


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まずは「レセプショニスト」と呼ばれる接客係の存在。

これまでのホールでは、クラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めて呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎるだけだった。

ところが、サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。

柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となったことが思い出される。そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。


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さらには、コンサートの前や休憩時間にお酒を楽しむ習慣も、サントリーホール以前にはなかったことだ。これによってホールは単にコンサートを楽しむためだけの場所ではなく、社交の場所にもなった。必然的におしゃれをして来場する人が増えたことも、これまでにない新鮮な出来事だった。


いまでは日本のどこのコンサートホールでもごく当たり前のこの光景も、そういう経緯があっての歴史なのだ。

「ホールが人を呼ぶ」という事実こそがまったく新しい時代の到来を感じさせた。

サントリーホールが高級感含め一種独特の雰囲気があるのは、そういったサントリー企業のブランドイメージ戦略の賜物と、そういう歴史の重みがあるからなのだと思うな。

そんなホールで、ピリスのお別れコンサートを観れるのは極上の喜びと言える。



この日も満員御礼。

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東京公演としては、先に4/12に、オール・ヴェートーヴェン・プログラムがあって、それも悩んだのだが、結局自分としては、ピリスといえば、やはりモーツァルトという先入観があって、今日のモーツァルト・シューベルトのプログラムを選んだ。

結果は大正解だった。

過去に経験した2回の公演と比較しても、感動の度合いが大きく、とても素晴らしい公演となった。

最初の2曲は、モーツァルト・ソナタ12番、13番であったが、モーツァルトらしい長調の明るい旋律に沿うような、弾むようなタッチで明快そのもの、見事に弾きあげた。

やはりモーツァルトの調性のせいか、”さようなら、ピリス”的な感傷モードに浸る暇はまったくなく、目の前で繰り広げられるパフォーマンスにただ唖然とさせられた。これは涙とは無関係な、さようならコンサートになりそう、と思った。

そのときはそのように感動したのだが、後半のシューベルト 4つの即興曲は、さらにその上を行った。特に後半の第3曲、第4曲の流れるような旋律の描き方、そして感情の起伏を豊かに表現する、そのじつに柔らかな指捌き。なんと表情豊かな弾き方、表現なんだろう!

まさに巨匠故なる熟練のわざで、我々観衆を一気に高みに連れて行ってくれた。

最後のアンコールのシューベルト 3つのピアノ曲 第2曲では、その美しさに、ついに涙がふっとこぼれそうになった。

前半の感傷モード無縁の世界から、後半に一気にそのモードに突入。

これは、ある意味、ピリスの選曲時のひとつの戦略なのかもしれない。

前半あれだけ感動したのに、後半を聴くとその前半が平坦だったかのように思えるほど、後半にはドラマが待っていた。

ピリスのリサイタルを3回経験できて、もちろん最高に感動できた。まさに有終の美。

カーテンコールで何回もステージに戻されるピリス。
丁寧に後方P席にもお辞儀を忘れず、手を前に組んで感謝の意を表す。

観客は徐々に立ち始め、ついに最後には、ホール全体の観客がスタンディングオーベーション、そして大歓声のブラヴォー。

思わず、自分は胸がグッと熱くなる瞬間であった。

最後のピリスを観れて、本当に記念に残る素晴らしい公演となった。

彼女には、これから第2のキャリアが待っている。
でも、いままで経験し蓄積してきた財産を若者に思う存分分け与えていくこと。

けっして難しいことではあるまい。

がんばれ!ピリス!




マリア・ジョアン・ピリス リサイタル ”お別れ”コンサート
2018/4/17(火)19:00~ サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番ヘ長調 K.322
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番変ロ長調 K.333

(休憩)

シューベルト:4つの即興曲 Op.142.D935

(アンコール)
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第2曲変ホ長調







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 マレーシアの朝ごはん [グルメ]

マレー半島とボルネオ島の一部から成る熱帯の国マレーシア。典型的な多民族国家で、マレー系、中華系、インド系、および先住民族が一緒に生活している。超高層のペトロナスツインタワーが建つクアラルンプールの街では、イスラム教のモスク以外に、仏教やヒンドゥー教の寺院、キリスト教の教会も見かける。

首都は、クアラルンプール、人口 3,163万人、言語:マレーシア語、国花:ハイビスカス。

マレーシアとかインドネシアに代表される東南アジアの国々は、自分の場合は、やはり自分の会社の工場がある土地というイメージがある。

国内に工場を持つことイコール、人件費の高さもあって、いまは研究&開発は日本国内でやって、生産の工場は、みんな安い人件費で賄える海外進出というのが通例パターン。弊社もご多分に漏れず。

一時期は日系企業は、中国進出に熱心だったが、ご存知のようにチャイナリスクの問題もあって、中国は避けて東南アジアという展開が多い、という理解もしている。

弊社もマレーシアやインドネシアに弊社の工場がある。

だから仕事の出張で行く以外、縁がない国だとも言える。
自分の趣味で行くことってあるかなぁ。



イスラム系の人の食事は、基本的に右手を使って食べる。カトラリーを使うときは、右手にスプーン、左手にフォークを持って食べる。

食事の決まりとして、ムスリムの人は豚肉を食べてはいけないという決まりがある。

豚肉以外でもハラルの肉を使ったマレー料理しか食べない。ハラルとは、イスラム法で食べることが許されている食べ物のことで、認証された食品にはハラルマークが付与されている。

またインド系の人と中国の系の人の一部は、牛を食べてはいけないとされている。

同じのマレーシアの人同士でも宗教の決まりで同じものを食べられないなんてこともあるのだ。


そんなマレーシアの朝ごはん。

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多民族国家で、同じ国民でも宗教の決まりがあって同じものを食べるのが難しいマレーシアだが、朝ごはんにはバナナの葉にのった「ナシレマ」が定番。ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りの良いごはんの周りに、スパイスと一緒に鶏肉をやわらかく煮込んだ「レンダン」、唐辛子と玉ねぎをベースにした辛味のある「サンバル」、小さなイワシを揚げた「イカンビリス」に茹で卵とピーナツ、それにスライスしたきゅうりがのった定番のマレー系の料理。

レストランから屋台まで街の様々な場所で売られていて、テイクアウト用にバナナの葉で三角に包んだ「ナシレマ」も売られている。

「ナシレマ」のナシ(Nasi)はごはん、レマ(Lemak)は脂肪という意味である。

写真の緑の葉っぱがバナナの葉。

さすがに右手で食べることはできないが(笑)、ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りの良いごはんは、とても香ばしい味がする。ちょっと日本では味わえない独特のごはん。

そのごはんの右下にあるスパイスと一緒に鶏肉をやわらかく煮込んだ「レンダン」は、風味はカレー味で味付けされていた。ごはんと食べるおかずでは一番食べ応えのある一品だった。鶏肉は世界共通でやはり美味しい。

その左にある唐辛子と玉ねぎをベースにした「サンバル」。これはとても辛い!一番味覚にアクセントがある一品でもある。

これに、小さなイワシを揚げた「イカンビリス」に茹で卵とピーナツ、それにスライスしたきゅうりという日本でもお馴染みの食材が並んでいる。

サイドメニューとして、プレートの上に映っている2品。
右が、カリーパフというスパイシーなジャガイモ入りのサクサクした揚げ餃子のような料理。
食感の豊富なジャガイモベースの具が入っていて、カレーの味でかなり濃厚に味付けされている揚げ餃子いう感じだろうか。

その左が、アチャールというマレーシアの漬物。
これはかなり辛い!なんかちょっと韓国系の食べ物を連想させるような、そんなお漬物である。
日本風で言えば、白いご飯がお供に食べたくなる・・・感じ。


マレーシアの朝ごはんは、なんかいかにも熱帯地域の独特のあのイメージが湧いてくるようなスパイスの効いた湿り気のある食べ物のような感想を抱いた。決して日本人の味覚のストライクゾーンから外れる訳ではなく、理解可能な範疇に入ると思う。

まさにアジアの朝を感じるねぇ。(^^)

そんなマレーシアの朝ごはん。4~5月までやっています。




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東京・春・音楽祭 「ローエングリン」演奏会形式上演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ローエングリンという演目は、ワーグナーの長いオペラの中でも、どちらかというと快速テンポでサクサク進む感じ。

ワーグナー作品にある独特のうねりのようなものとは、やや距離感があって、毒気のないサッパリした音楽のような印象をいつも持つ。

東京・春・音楽祭の最大目玉公演であるN響によるワーグナーシリーズも今年で9年目。

2010年 パルジファル
2011年 ローエングリン 東日本大震災により中止
2012年 タンホイザー[ドレスデン版]
2013年 ニュルンベルクのマイスタージンガー
2014年 ニーベルングの指環 序夜 ラインの黄金
2015年 ニーベルングの指環 第1日 ワルキューレ
2016年   ニーベルングの指環 第2日 ジークフリート
2017年   ニーベルングの指環 第3日 神々の黄昏
2018年   ローエングリン

これに来年は、さまよえるオランダ人、その翌年の最終の美を飾るのが、トリスタンとイゾルデ。
自分は、第3回のタンホイザーからずっと聴いてきているので、結局、初回のパルジファルを除いて皆勤賞となりそうだ。

よく通ってきた。とても感慨深い。

毎回、とても感動させてもらい、このコンサートを聴いた後は、いつもとてつもなく雄大な音楽を聴かせてもらった、という満足感という余韻に浸らせてもらっている。

今回のローエングリンは、第2回でやる予定だったのが、東日本大震災でやむなく中止。今年は、じつに7年振りとなる悲願達成になるのだ。

2年後にこのシリーズが完結したら、その翌年からどうするのかな?
もうお終いなんだよね。東京春祭での最大の楽しみだったから、これが終わってしまったら、ワーグナーロスになってしまいそうだ。

バイロイト方式にならっての開演のファンファーレ。

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バイロイトでは、幕間ブレークになると、お客さんを劇場からいっさい締め出して鍵をかけちゃうので(笑)、外で食事、お酒など楽しんでいるお客さんに対して、そろそろ始まりますよ~ということを知らせる合図として、このファンファーレをやるのだ。だから各幕間ごとにやっている。

でも、こちらは、そんなホールに鍵をかけたりしないので(笑)、開演前のみだ。

ローエングリンは、タイトルロールにクラウス・フローリアン・フォークトを迎えてのまさに万全を期しての布陣。

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大いに期待した。

結論からすると、アクシデントがあった去年に比べると、キズはあったものの、段違いにレヴェルが高い公演だったと思う。

去年は、リング完結ということで、4年間の総決算という意味合いで、称賛したかったのに、突然の主役級歌手のキャンセルで公演の出来栄えも、なんともすっきりしない欲求不満が溜まった公演だった。いまだから告白すると。

それに対して、今年は対価を払って、十分すぎるほどの見返りをいただいた、という満足感が感じられて、自分は大満足だった。

第1幕は手探り状態で、ややエンジンのかかりが遅いかな、という感じはしなかったでもなかったが、徐々にペースを持ち直した。

今年もゲスト・コンサートマスターはライナー・キュッヒル氏。

いつも1階席の前方席を取るのだが、今年は、2階席。やはり自分の好みである分厚い響きとはいかなく、全体を俯瞰出来てバランスは取れているけど、サウンド的にこじんまりしていてやや不満を感じたことも事実。

でも聴こえ方に慣れてくると、第2幕、第3幕にかけて、まさにフル回転。とても満足いく出来栄えだった。

その1番の理由は、やはり歌手陣の充実ぶりが大きいと思う。

フォークトを筆頭に、レヴェルが高く、やはり演奏会形式のコンサートは歌手の出来が大きなウェイトを占めるんだな、と改めて認識した。

今回驚きだったのは、合唱の東京オペラシンガーズ。去年までのリングでは、自分の記憶違いかもしれないが、合唱ってあったけな?という感じで、今回じつに久し振りに合唱を聴いた気分だった。

東京オペラシンガーズは、1992年、小澤征爾指揮、蜷川幸雄演出で話題を呼んだ《さまよえるオランダ人》の公演に際して、世界的水準のコーラスをという小澤さんの要望により、東京を中心に活躍する中堅、若手の声楽家によって組織された合唱団。

サイトウキネンは1993~2009年まで連続出演、そしてこの東京・春・音楽祭での常連、国内外で活躍しているまさに水準の高いプロフェッショナルな合唱団なのだ。

1998年の長野冬季オリンピックの開会式のとき、ゴローさんがプロデュースした世界6ヵ国を結ぶ《第九》合唱でも、中心となる日本側の合唱コーラスを担当した。

東京春祭ではまさにレギュラー出演の常連さんなので、自分もずっと彼らを聴いてきているのだが、リングではあまり記憶に残っていないので、そうすると2013年のマイスタージンガー以来、じつに5年振りということになる。

久し振りに聴く彼らの合唱は美しく、その幾重にも重なる人の声による和音のハーモニーの美しさ、壮大さは、生で聴くと本当に感動する。この圧倒的なスケール感、こればかりはオーディオでは絶対かなわないなーと思いながら聴いていた。

なにせオーケストラの音より数段音量やボリューム、そして音の厚みが豊かなのだ。ずっとオケの演奏を聴いていて、そこに一斉に合唱が入ると、その人の声の部分が、オケよりもずっと分厚く発音量も大きいのに感動してしまう。

合唱、とくにこの人の声の厚みだけは絶対オーディオよりも生演奏に限ります、実感!

N響もじつに素晴らしい演奏であった。ドイツのオケを聴いているような硬質で男らしいサウンド。バランスも取れていた。

じつに8年間におよびこのワーグナー作品を演奏してきた彼ら。毎年十分すぎるくらいに期待に応えてきてくれ、彼らから感動をいただいてきた。今年もその期待を裏切らなかった。

今年のローングリンでは、3階席の中央と左右の3方向にバンダを配して、その重厚な金管の音色、ステージオケとのバランスも素晴らしかった。

ローエングリンと言ったら、みなさん第3幕が圧倒的に大人気なんだけれど、自分もちろんそうだけど、じつは第2幕が大好きなのだ。

恍惚の幸せであった。合唱のあまりの美しさ。そして茂木大輔さん(首席オーボエ)、甲斐雅之さん(首席フルート)始め、N響木管陣の美しいソロがふんだんに聴けて、最高であった。自分が第2幕が好きなのは、合唱もそうだけれど、このふっと浮かび上がる木管ソロの旋律の美しさに参ってしまうのだ。

本当に涙しました。

冒頭に「キズがあった」との発言は、第3幕の前奏曲。もうローエングリンでは最高の見せ場なのだが、ここが自分にとってはイマイチ感動が少なかった。まさに格好よさの極致である部分なのだが、サウンドがこじんまりしていて、伸びや瞬発力、そしてこの部分に一番大切な躍動感がなく、自分が乗って行けなかった。誰しもが1番乗るところで、そこに対する期待も大きいので、それを満たしてくれる感じではなかった。モタモタ感というのかな?う~ん・・・。

響きがまったく感じなかったので、自分はそのとき、東京文化会館って基本デッドだからなー。そして前方席でなくこの2階席の座席のせいもあるかなーとも考えた。

指揮のウルフ・シルマー氏。ライプツィヒ歌劇場の総監督。まさにオペラを知り尽くしているベテラン指揮者。

自分ははじめて拝聴する。全体の構築の仕方、その洗練された指揮振りには感心させられた。

ただ唯一不満だったのは、指揮者としてのオーラというのかな、存在感が希薄に感じて、自分に訴えかけてくるものが少なかった。そのとき分析したのは、やはりこれだけの強力な歌手陣、そしてオーケストラ、そして圧倒的存在感の合唱団という、まさにスター軍団の集まりの中で、どうしても目や集中がそちらのほうに行ってしまい、その中に埋没してしまう、という感じ。

4時間半の中で、自分が指揮者に目をやることは少なかった。

でもそれは自分がシルマー氏をよく知らない、というところから来ているだけのことなのかもしれない。


では、それぞれの歌手の印象。 


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クラウス・フローリアン・フォークト

まさに「フォークトさま」。「ミスターローエングリン」。
その柔らくて軽い声質は、従来のヘルデン・テノールのイメージを変えた。
はじめて聴いたのは、2012年の新国立劇場でのローエングリン。まさに驚愕の一言だった。
大変な歌手が出てきた、という想いだった。

自分がフォークトの生声を聴くのは、マイスタージンガー以来、じつに5年振り。

なんてピュアで定位感のある声なんだろう!

圧倒的な声量。驚きとしか言いようがなかった。

自分が彼の声を聴くとき、いつも感じるのは、その発声の仕方にすごく余裕があること。
他の歌手は精いっぱい歌うのに対して、彼はとてもスムースで余裕がある。それでいて、その声はホールの隅々までよく通るのだ。

まさに驚異的としかいいようがない。

もともと歌手としてのキャリアスタートではなく、ホルン奏者だったというから、そこからの歌手転向でこれだけの才能を開花するのだから、人生なんてなにがあるかわからない。

まさに、この日は彼の独壇場だった。フォークトのためにある公演だったかもしれない。
歌手陣の中で、唯一人、譜面&譜面台なしの完全暗譜。まさに18番のオハコ中のオハコという活躍であった。 


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レジーネ・ハングラー

ローエングリンの相手役、エルザ。ウィーン国立歌劇場でめきめきと頭角を現しているレジーナ・ハングラーが演じる。善戦奮闘したが、自分にとっては、やや残念賞だったかな?
カーテンコールの聴衆も正直であった。

声質や声量は、悪くないどころか素晴らしいものを持っていると思う。
ただ、安定感というかいいバランスを持続できないというか、聴いていてどうしても不安定な部分を感じてしまった。第2幕はよかったと思うが、第1幕や第3幕はう~ん?だったかな。

歌手にとって大切なのは、声がホールの空間にきちんと定位すること。

でも自分は彼女はキャリアを積んでいけば、絶対大成すると確信する。 


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ペトラ・ラング

今回の公演の中では、フォークトに続き、自分的にはかなりクルものがあった歌手。
その個性的で演技も添えた深い表現力に舌を巻いた。
まさに迫真というか”気”が感じられた。
歌手の中で、かなり目立っていた存在で強烈なキャラを感じた。


聴衆も同じ印象だったようだ。カーテンコールでのブラボォーは凄いものがあった。

自分は、じつはペトラ・ラングはバイロイト音楽祭に行ったときにトリスタンとイゾルテで、イゾルテ役で聴いている。そのときは、悪くはないが特別な感情も抱かなかった。可もなく不可もなく、という感じ。

それは自分の中で、イゾルテと言えば、ニーナ・ステンメという圧倒的存在の歌手がいて、彼女をリファレンスにしているので、それと比較するとどうしても物足りないなにかを感じてしまうのだ。

でもこの日のラングは違った。強烈な個性で、主役のエルザを完全に喰っていた。
じつはこの公演の注目の強烈なダークホースかもしれない。 


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アイン・アンガー


まさに東京春祭ワーグナーシリーズでの常連。今回の公演は、男性陣歌手の素晴らしさがとても際立っていた、と思う。この人の出来栄えは、じつに素晴らしいと感じた。安定した発声能力、豊かな低音、そしてその声量の豊かさといい、申し分なかった。自分はフォークトに次いで素晴らしいと感じた。

現在まぎれもなく第一線で活躍しているエストニア出身のこのアイン・ アンガーは、ドイツ語、イタリア語、ロシア語の主要な役を含め、世界中から出演を請われている。

実際これだけのパフォーマンスを聴かされれば、それも納得でこれからも躍進すること間違いなしだろう。 


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エギリス・シリンス

フォークト、アンガーについで、素晴らしかった歌手。今年は本当に男性陣歌手が素晴らしかった!安定した声量、豊かな低音域に、その発声能力にとても感動した。テルラムントという、この演目では、要所を締める大切な役柄を見事に演じ切っていた。 


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甲斐栄次郎

日本人歌手も負けていない。甲斐さんがとても素晴らしかった!甲斐さんも、このN響ワーグナーシリーズでは常連で、いままで幾多の公演で実演に接してきた。この日の甲斐さんはじつに見事で安定した発声で、その低音の魅力を十分に発揮していた。

日本人の歌手の、世界に通用する、そのレヴェルの高さを実感するのだ。
自分は、日本人がこのように活躍しているのを観ると、本当に同じ日本人として誉れに感じる。
この日のノンノン賞をあげたい気分だ。(笑)


じつは、この公演で、もう1人どうしても楽しみにしていた日本人歌手がいた。

大槻孝志さん。

ブラバントの貴族役として出演された。
自分はSNSでつながっているので、どうしても1度は実演に接したいと思っていたのでした。感慨無量でした! 大袈裟でもなく、このことを達成できたことだけでも、この日に来た甲斐があったというもの。しっかりと目や耳に焼き付けました。

素晴らしかった!


終演。

前日に急に花粉症を患い、体調不良で臨んで、果たして長丁場に耐えられるか不安であったが、そんなことどこ吹く風。じつに素晴らしい公演で、いっぺんに目が覚めた!(笑)

1年の中で1番、N響さんがカッコいいと思う瞬間です、毎年のことながら。
4時間半、本当にご苦労様でした!

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(C)東京・春・音楽祭 FB




東京・春・音楽祭 N響ワーグナー「ローエングリン」演奏会形式上演
2018/4/5 17:00~ 東京文化会館大ホール

指揮:ウルフ・シルマー
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ:レジーネ・ハングラー
テルラムント:エギルス・シリンス
オルトルート:ペトラ・ラング
ハインリヒ王:アイン・アンガー
王の伝令:甲斐栄次郎
ブラバントの貴族:大槻孝志、髙梨英次郎、青山 貴、狩野賢一
小姓:今野沙知恵、中須美喜、杉山由紀、中山茉莉

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
映像:田村吾郎(RamAir.LLC)
字幕:広瀬大介








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麻布十番 福島屋 [グルメ]

FBのグルメな友人の投稿の写真に思わず反応してしまいました。(笑)
これは行ってみないとなぁと思い、行ってみた。
こういう場合、得てしてTVの画面を見て、美味しそうで、うぉぉぉおおお~となって、実際行って食べてみると、ふぅ~ん(笑)となってしまうのが、世の常でままあることだが、今回は間違いはなかった。

麻布十番にある。
メトロの目黒線の4番出口を出て、まっすぐ歩くと3分も歩かないで到着。

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麻布十番商店街にある福島屋は、創業は大正10年。
福島県出身の創業者が、静岡県のかまぼこ屋で修業した後、東麻布で創業したのが始まり。福島県出身だから福島屋。

現在のお店は1階でおでんのテイクアウトと練り製品の製造販売、2階では座っておでんをいただく事ができるようになっている。


「かまぼこ」というと、板についた紅白のものと思うかもしれない。
狭い意味だとそうかもだが、広い意味では練り製品全般を指す言葉なのだ。

「東京蒲鉾組合」という同業者組合。

かつては、港区内に何軒かの加盟店があった。
でも、現在では、この福島屋さん1軒になってしまった。

その後、「おでん」を扱うようになって以来「おでん屋さん」と呼ばれているが、港区で唯一の「自家製練り製品の店」でもある。

揚げ蒲鉾=さつま揚げ

を今日もせっせと作っております。

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でも自分が中に入ってみると、そのインパクトは、やはり圧倒的に「おでん」。
揚げ蒲鉾などの練り製品は、そんなに主張してこない。

1階と2階からなる。

1階には、このように、おでんのテイクアウトができる。
グツグツ煮えてます。美味しそう~。

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そしてその隣に、揚げ蒲鉾(さつま揚げ)の練り製品を販売するところがある。

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自家製の練り物は10種以上。季節が感じられる旬の味も盛り込むこともある。

塩以外の調味料は無添加。練り時間と水加減の調整で、程よい弾力とふわっとした食感が生まれる。練り物は、ひとつから予約可能!


おでんを食べられるお食事処は、2階にある。

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カウンター。

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そしてテーブル席。

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カウンターの席に座ると、中におでんの具がスタンバイしているのがわかる。

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これだと、すぐにできますね。実際オーダーすると、まったく待たされることなく、すぐにサーブされてくるのだ。

メニューは、定番のおでんに加えて、味噌おでん、シュウマイ、角煮などにご飯、惣菜、漬物がついてくる定食。単品でもオーダーできるし、定食という形でもオーダーできる。何品も食べられてお得。単品で好きな具材を好きなだけ食べられるのは、本当に素晴らしい。

シュウマイや角煮にもおでんがついて来るのが嬉しい!(笑)

ご飯は、お代わり自由で、香ばしいゆかりがふりかけられている。

まずはスタンダードで、福島屋のおでん定食。

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お味噌汁がないんだよね。ここは。(でもふつうおでんにお味噌汁はつきませんかね?)

とてもスタンダードなお味。とても美味しい。
じっくり煮込まれただけあって、口に含むと、どれもほろりと崩れる柔らかさ。

おでんを食べるなんて、冬の寒いときに、コンビニのおでんがあまりに美味しそうなので、思わず買ってしまうとき以来か。だし汁にとてもタネの味がしみ込んでいる、まさにあの味で最高!



そうして、本命のこちらをオーダー。
自分が投稿写真に思わず反応してしまったのは、こちら。


味噌おでん定食。


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いったいどれだけ煮込んだらこのコクと色が出るんだろう?(笑)

中まで真っ黒。
これには思わず反応してしまいます。

これは本当にウマい!
甘くてじつに濃厚な八丁味噌の味。中まで真っ黒に染みこんでいる。

白いご飯がどんどんススムくん、です。
これを食べたくて、いままで3回は通った。

ちょっと嵌りそうです。
これからもどんどん通いそう。

コンビニおでんの人気に押されて、専門店の影が薄くなっている昨今だが、専門店ならではのおでんはまさに納得の味。

ぜひお薦めのお店です。

日本人に生まれてきて、本当によかった!

大変美味しいものを紹介していただき、どうもありがとうございました。



福島屋

https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13013990/




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PENTATONEの新譜:児玉麻里・児玉桃、デボラ&サラ・ネムタクの両姉妹によるマルチヌーの二重奏曲集。 [ディスク・レビュー]

前作の「チャイコフスキー・ファンタジー」が大好評だった児玉麻里・桃姉妹によるPENTATONEでのアルバム製作第2弾。

自分の予想だけれど、たぶんねぇ、この企画、仕掛け人がいると思うのですよ。それも日本人の・・・(笑)

今回の作品のポリヒムニアの録音スタッフも、PENTATONEの黄金時代を築いたといってもいい、エルド・グロード氏が録音エンジニアで、ジャン・マリー=ヘーセン氏がバランス・エンジニアという黄金のタッグ!

まさに自分の青春時代の5.0サラウンドは、この黄金タッグで作られたサウンドで育ってきた、と言っていい。

ポリヒムニアもいつまでもこの2人に頼るのではなく、若い世代を育てていかないといけない。
最近の作品は、若手のエンジニアの名前のクレジットもよく見かける。

もちろん、サラウンドにとって一番重要なバランス・エンジニアは、ジャン・マリさんか、エルド・グロード氏のどちらか一方が担うわけだが。

だから、この2人が、かつての黄金時代のように現場で仲良く揃う、というのは、いまではちょっと信じられないんですよ、自分にとっては。

このこと自体すごいことだし、最大限のおもてなし、とも感じる。

この児玉麻里・桃姉妹の企画に日本人が関与していると薄々感じるのは、そんな最高のおもてなしの配慮を感じるから。

自分のようなレーベル&アーティスト双方の大ファンにとっては、本当にうれしいプレゼント。
感謝しないといけませんね。

PENTATONEのプロデューサーもジョブ・マルセ氏。もう不動の名プロデューサーですね。

そんなプロデューサー案なのか、今回の作品のコンセプトは、とてもマニアックで興味深い。
つねに新しいことにチャレンジしていくマイナーレーベルらしい、すごく斬新なコンセプト。 




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二重協奏曲集 
児玉麻里&児玉 桃、デボラ・ネムタヌ&サラ・ネムタヌ
ローレンス・フォスター&マルセイユ・フィル

https://goo.gl/pNypaV



取り上げる作曲家も、オーケストラも自分は、いままで聴いたことがなかった。

作曲家はチェコの作曲家であるボフスラフ・マルチヌー。 

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20世紀の作曲家で、彼の創作期間としては、チェコ・パリ時代の第1期、そしてアメリカ時代の第2期、最後にヨーロッパ(ニース、ローマ)に戻っての第3期と区分けされるようだ。まさに国際的に活躍した作曲家だったのだが、アメリカに滞在した1940年代が、まさに彼の創作活動の頂点だった。

マルチヌーは、400作を残したじつに多作な作曲家で、そのジャンルも、交響曲/バレエ音楽/管弦楽曲/協奏曲/室内楽曲/ピアノ曲/歌曲/合唱曲/そしてオペラ(歌劇)にまで及び、もうほとんどの曲を作曲しているのではないか、というくらいで驚愕の一言、大変な才能の持ち主であった。

作風も、その創作期間の時代とともに変遷していったようで、第1期の実験的書法、第2期の創作活動の頂点にあたる様々な曲へのアプローチ、そして最後のヨーロッパに戻っての第3期の新古典的、あるいは新印象主義的ともいわれる作風で形式にとらわれない自由な作風。


児玉姉妹の奏する『2台のピアノのための協奏曲』は1943年の絶頂期だった頃の作品。そして、ヴァイオリン、ヴィオラのほうの曲も1950年代ということで、いわゆる脂の乗り切った絶頂のときの作品を堪能できる、という感じなのだ。

自分が、今回のアルバムを聴いて、初マルチヌーを経験したのだが、自分が捉えた彼の作風の印象は、ロマン派などの古典主義のわかりやすい旋律よりも、もう少し難解な筆致で、でも現代音楽のような前衛的で、まるっきり実験的なアプローチでもなく・・・

その中間色にあたるような、程よい革新的な装いを持つ。

でも、その骨子にはややチェコの民族音楽的な旋律も垣間見えて、東欧色豊かで、色彩感のようなグラデーションっぽい音感も味わえて、自分はカッコいいと感じる。

古典主義をもう少し進化させた新古典主義というのが、やはり一番合う表現かな?

自分的にはクル感じの作曲家だ。


そして、オーケストラがマルセイユ・フィルハーモニー管弦楽団。

これも自分には初めて。マルセイユは、ご存知パリについで2番目にフランスでは大きい都市で、コートダジュールとも言われ、港町、いわゆるバカンス都市ですね。

そんなマルセイユがオケを持っているとはもちろん知らなかった。
彼らの情報をネットで調べてみるんだが、ほとんど皆無。ディスコグラフィーも1,2枚ある程度で、本当に未知数のオーケストラ。


なんで、マルセイユ、そしてマルセイユ・フィルなのか?はプロデューサー、企画のみが知る、というところだが、作曲家のマルチヌーは、チェコ出身とはいえ、その壮年期の大半をパリで暮らし、「エコール・ド・パリ」のメンバーとしても活躍していたので、フランスの音楽家にとっても自国の音楽としての自負があるのだろう。


マルチヌーの作品はチェコのスプラフォン・レーベルが熱心に紹介を続けているそうだが、フランス・マルセイユで録って、マルセイユ・フィルのオケで演奏することは、マルチヌーに対するフランス・オマージュの意味合いもあるのだと思う。

今回、このマルセイユ・フィルとの競演ソリストとして、ヴァイオリンとピアノが選ばれた。

「2つのヴァイオリンのための協奏曲」のほうは、フランスのデボラ&サラ・ネムタヌ姉妹。
そして、「2台のピアノのための協奏曲」のほうが、児玉麻里・桃姉妹。

2組の美人姉妹によるヴァイオリンとピアノの競演で、ネムタヌ姉妹はもちろんのこと、児玉姉妹もフランスを拠点にして活躍するアーティスト。

しかも、姉妹用ということで、きちんとヴァイオリンとピアノで、2台デュオで演奏するコンチェルトを、マルチヌーはきちんと作曲していたんだね。協奏曲については、様々な楽器のための30曲近くものの協奏曲を作ったらしいので、本当に興味旺盛で、多才な作曲家だったといえる。

そうすると・・・マルチヌーの曲を、フランスのオケで、フランスで録って、ソリストもフランスに所縁のある2組の姉妹。

なんか、フランスの香りいっぱいで、あまりによく仕込まれているアイデアだと感心しました。(笑)


録音場所は、マルセイユ、フリシュ・ラ・ベル・ド・メ。

わからず。(笑)

ライナーノーツ・ブックレットに、写真が載っていた。

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う~ん。微妙。なんか見た感じ、そんなに専用スタジオのようにも見えないし、微妙な感じだが、録音を聴いた限りでは、空間もしっかり録れているし、すばらしかったので、そんなに問題ないのだろう。

でもキッツキッツで録っていたんですね。(笑)

さっそく聴いてみる。

マルチヌーの曲の印象は、既述の通り。カッコいい曲で、自分は気に入った。
自分は、ピアノのほうが、はるかに印象に残るというか、自分の好みに合う。

それは、やはり録音のよさ。

このアルバムを最初聴いたときは、正直なところ、かなり違和感があった。
いままでのPENTATONEサウンドとは、かなり異質な感じ。録音レベルが小さく、オフマイク気味。

PENTATONEサウンドはどちらかというとエネルギー感が大きいほうなのだが、この録音は、音が遠いなーという感じで、例によって最初、なんだ、冴えない録音だなと思い、どうしよう~と焦ってしまった。(笑)

でも音量を思いっきりグイっと上げると、隠されていた録音の良さがわかってきた。

ダイナミックレンジ超深し!!!


これってジャン・マリさんの影響が大きいのかな?
ジャン・マリさんの最近手がけた作品は、みんなこんな感じなのだ。逆にエルド・グロード氏単独の作品は、こういう作風とまたちょっと違うんだな。

音声波形を録る上で大切なパラメーターが、ダイナミックレンジと周波数レンジ。
通称、D-レンジとF-レンジ。

高域⇔低域などの高い音から低い音の幅を表すのが、横軸の周波数レンジ(F-レンジ)。

逆に音量の上から下までの幅を表すのが、縦軸のダイナミックレンジ(D-レンジ)。

人間の耳の構造って、1人1人でみな違う特性で、聴こえ方、好みのサウンドは違うと思うのだが、自分は音が高い⇔音が低いの幅が広い、つまりワイドレンジであることよりも、音量の上辺、底辺の深さが広いほうが、自分の耳に思わず反応してしまうのだ。

自分の耳は、周波数レンジよりもダイナミックレンジの広さのほうに思わず反応してしまう。

いい録音だなーと思うのは、この縦軸の深さが深いことのほうにドキッとしてしまうのだ。

そういう意味でも、ヴァイオリンの曲よりも、ピアノの曲のほうが、その深さを思いっきり感じ取れて、こっちのほうが録音ぜんぜんいい!という印象だった。鳴りきるときの音の沈み込みが秀逸といおうか。

だから、児玉姉妹のピアノの曲のほうが、すぐに好きになった。

でも、それは曲の特徴にもよるようだ。ヴァイオリンよりもピアノの曲のほうが、より凶暴で激しい旋律、そういう落差を感じやすい曲なのだ。とてもアバンギャルドな雰囲気でカッコいい。すぐにピアノ曲だけ何回もリピートして聴く感じになった。

ここの旋律は、麻里・桃姉妹のどちらが弾いているのかは、さすがにわからない。(笑)

でもその華麗でありながら、畳み掛けるような乱打の打鍵は、自分をかなり興奮させる。

東欧感溢れる異国情緒な旋律で、このような高速乱打の世界。

シビレル、じつにいい曲!


ピアノのほうを思いっきり聴き込んで余裕が出てくると、ヴァイオリンのほうも聴いてみると、これまたいい。(笑)・・・というか良さがわかってきた。

こちらはずいぶん穏やかな作風。

でも複雑な重音やパッセージが多用された難曲で、弾くには相当のテクニックが必要、難しそうな曲という感じを受ける。

もちろんネムタヌ姉妹の演奏は、はじめて聴くが、この難曲をものの見事に自分のものとして演奏していて、聴き込んでいくにつれて、その良さがよく感じ取れてきた。


児玉麻里・桃姉妹によるPENTATONEの新譜第2弾は、とてもユニークなコンセプトでまとめられていて、商業主義第一優先のメジャーレーベルでは到底考えも及ばない柔軟な発想のアルバムだった。


記念撮影。

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児玉麻里・桃。そしてジャン・マリさんとエルド・グロード氏。指揮者のローレンス・フォスター。そして今回のコンセプト企画に大きな影響を及ぼしたと思われるプロデューサーのジョブ・マルセ氏。

こういうビッグフェイスがいっせいに揃って記念撮影すること自体、やはり自分は、日本人の仕掛け人がきっといる!と確信するのです。(笑)






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ミューザ川崎音響設計 小野朗氏による音楽サロン「心地よい音響」 [音響設計]

ミューザ川崎の市民交流室でおこなわれる「音楽サロン」という特別企画。今回のテーマがミューザ川崎の音響設計をおこなった小野朗氏がプレゼンターで、テーマも「心地よい音響」。

かなりそそられた。(笑)

楽しみにしていた。

日本のコンサートホールでは、抜群のアコースティックという評判を誇るミューザ川崎の音響設計は、小野朗さんが担当していた、ということにまず興味を持った。


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photo by Kresimir Strazanac

自分は、縁があって、このミューザ川崎の空間デザインを設計した一級建築デザイナーの小林さん(女性です!)と知り合うことができた。いまから3年前なんだな。自由が丘にある設計事務所に伺ったことがある。

壁には、自分が手掛けてきたコンサートホールの数々の写真が、額縁に入れて飾られていた。
その中でもミューザ川崎は、一番誇らしげに見えた。(笑)

音楽ホールの設計という立場上、コンサート通いは、2000回以上、海外は500回以上、オペラは400回くらいというコアなクラシックファン。毎年ヨーロッパをはじめ世界中のコンサートホール&オペラハウスを訪問し、自分の仕事のための糧としている。クラシック音楽には、大変造詣が深く、ご自分でもピアノを弾かれる。(最近クラリネットも始められた。)

まさに自分の価値観の模範となるようなものを持っていらっしゃった。

大変なクラシック好きでもあるので、ついには自分の設計事務所にてサロンスペースを造られて、定期的に室内楽のコンサートを開催している。

自分は、この室内楽コンサートに招待されて事務所を訪問させていただいたこともある。

川本嘉子さん×三舩優子さんのリサイタルだった。

そのとき撮影した小林さんや、川本さんとのツーショットの写真はいまでは大切な宝物である。(笑)

以来、いろいろ教えていただいたことも多かった。

ミューザのあの斬新で奇抜な空間デザイン。

「じつはあの空間デザイン設計をするのに、 ベルリンフィルハーモニーに何回も通って、観客席を実際に何回も測定してきたのですよ。」

だそうだ。

自分は、「なんか2階席など水平じゃなくて床が傾いているんですよね。左右非対称だし、なんかホールの常識センスがことごとく覆されました。(笑)」

本人は笑っていたが、いま考えれば、本人に面と向かって、ずいぶん失礼なことをズケズケと言ったもんだ(笑)と思うのだが。あの当時は恐れを知らなかったな。

「このホールは10年前このマーラー8番「千人の交響曲」で始まりました。

このプロジェクト、設計の前の調査の段階が5年、基本設計&完成が8年、 長いプロジェクトでそれに全部関わってきたのは私とパートナーのHだけです。

設計施工をまとめていた都市機構、川崎市は役所ですから2年、あるいは4年で異動があり何度も担当が変わりましたし、市長も変わりました。建物全体の設計をしていた事務所も担当が3回かわり、永田音響も3回変わりました。フランチャイズも設計段階は読響だったのが東響に・・・でも今思い返してみれば一番重要なときにいい担当者に恵まれた結果とも言えます。

そのすべてがそろわないと設計者だけではいいものができないというよい例になったと思います。

私が関わったホールでもコンテンツが伴わないために全く知られていない(使われていない)ホールもあります。そういう意味ではミューザはとても恵まれていると思っています。何しろ最初の段階では川崎なんかにクラシックのホールをつくっても呼び屋さんはどこも使ってくれない、だからあきらめてポピュラー系のホールにした方がいいと言うのが大方の意見でした。」

小林さんに教えていただいたことで印象的だったことは、

「みなさんは、コンサートホールというと、音響ばかり注目しますけど、音響だけが重要なのではなくて、じつはその”空間のありよう”もすごい大切なファクターなんです。」

ということだったかな。


ミューザ建立までに、そのような苦労が重ねられてきた歴史であることを知ったとき、ではそのミューザの音響設計は、誰がやったのだろうか?

このホールを、”音響設計”という立場で小林さんといっしょに造り上げたのは誰なのだろう? ということをずっと思っていた。

偶然、今回の音楽サロンで、小野朗氏の存在を知って、そうだったのかー、という感じで万来の感がある。 


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小野朗氏。

小野さんは、永田音響設計の取締役プロジェクトチーフ。

これまでにミューザ川崎、よこすか芸術劇場、神奈川芸術劇場、紀尾井ホール、福井県立音楽堂などの代表作がある。1998年に「サントリーホールの音響設計」で日本音響学会技術開発賞を受賞されている。



以前日記にしたと思うが、音響設計という仕事は、基本計画の段階から音響面のアドバイスをし、コンピューターシミュレーションを使って反射音の分布などを検証しながら設計していくのが主な業務。

なにせ建築物なので、作ってから、やっぱり音響ダメでした、作り直します、とはいかない世界。出来上がるまでに慎重に慎重を重ねる。

この音響設計の世界では、コンピュータシュミレーションの登場は画期的だった。
それまでの膨大な手計算が必要だった工数を、一気に削減してスピード化できた。
もちろんシュミレーションだけでは、わからないことは縮尺の模型を作って実験する。


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サントリーホールの模型実験


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ミューザ川崎のコンピュータシュミレーションによる初期反射音の分布図


音響学というものがあり、音響設計者は、その理論に基づいて設計する技術者のこと。
その「快感」というものを数値化することを考えたものが室内音響学になる。

耳で聴いた気持ち良さを数字にするとどうなるのか。その完璧な“ものさし”ができるとホールの音響設計に大きな指針ができることになる。

そんな世界。。。

小林さんとともに、この小野さんが、ミューザを造り上げたんだね。

小野さんといえば、こんな武勇伝もある。

ミューザが大のお気に入りな世界的指揮者といえば、ヤンソンスとラトルなのは、超有名な話。

2005年11月、完成間もないミューザ川崎シンフォニーホールで、ベルリン・フィルのコンサートが開かれた。終演後、芸術監督のサイモン・ラトルが「音響担当者に会いたい」とリクエストした。

恐る恐る楽屋に顔を出した永田音響設計の小野朗さんを迎えたのは満面の笑顔だった。「このホールの音響は実に素晴らしい。聴衆の反応も良く、楽しく指揮できた」

ひとしきり話しをした後、真剣な表情で彼が言葉を継いだ。「ベルリンのホールの音響をもっと良くしたいのでぜひとも協力してくれないか?」

舞台を取り囲む客席が段々畑のように積み上がる「ワインヤード形式」が採用されたミューザ川崎。永田音響設計では、同じ形式でサントリーホールも手がけている。 しかし、そもそもこの形式で最も有名なのは当のベルリンフィルハーモニーホールだ。

小野さんの目標でもあった。

「あこがれのホールの責任者から、逆に褒められ、最高の気分を味わえました」

う~ん、じつにいい話!!!感動~。(^^)


そんな小野さんによる音楽サロン「心地よい音響」というタイトル。確固たる実績を積み重ねてきた人だけに、その言葉も重みがある。

どんな内容なんだろう?ということで、この日をとても楽しみにしていた。

場所は、ミューザ川崎にある市民交流室。

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サロンの内容は、タイトルの「心地よい音響」というそのもののというよりは、ホール音響についての説明、そしてそこへの伏線という感じで、いま考えてみると、その筋書シナリオがよく考えられているなぁ、という想いがした。

前半は、コントラバスの魅力について。後半はホール音響。

なんでコントラバスなのか?最初不思議に思ったのだが、そこへの伏線があるんだな。

コントラバスは、チェロよりさらにひとまわり大きい低弦中の低弦楽器。
それを2台も使う贅沢さであった。それにピアノが加わる。


サロンは、小野さんのプレゼンターに、その間にコントラバス2台とピアノによるトリオの演奏を随所に挟む、という構成であった。

コントラバスの奏者は、久松ちずさん(東響)、渡邉淳子さん(東響)、そしてピアノが、福士恭子さん。

実際の進行は、堅苦しくならずに、笑いが絶えないとても朗らかな雰囲気で進められた。



コントラバスを取り上げたその目的は、「ステージ床による振動、鳴り」について言及するための伏線だった。

まずコントラバスは、とてもおおらかな性格の楽器というところから始まり、楽器の構造の説明、コントラバス奏者の感想など。

チェロもそうだが、コントラバスも、その楽器の底辺にエンドピンを取り付けて、それをステージに刺して演奏する。こうすることで、楽器の振動が、ステージに伝わり、そこで振動、鳴りが生じて、それがホール空間に伝わって大きな鳴りとなる訳だ。

なんかホールによっては、ステージに傷がつくことを嫌がり、エンドピン刺すのを禁止するホールもあるらしいが、小野さんによるとそれは問題外。

ステージは消耗品。

ホールのメンテナンス改修でステージ張替えをすれば済む話。代替えでゴムを使うこともあるらしいがそれじゃダメ。やはり直接エンドピンでステージにザクっと刺してこそ、振動も伝わる。

よくチェロ協奏曲などのコンチェルトでは、ステージ上でバックのオーケストラに対して、ソリストのチェロ奏者は、前で台座のようなものを敷いて、その上で演奏する。

それが、まさにこの原理に準ずるところなのだ。
ステージ床下は空洞でないといけない。

空洞でないと振動しないのだ。

この台座の中は、もちろん空洞になっていて、その上で演奏することで、ステージ上よりもさらにそのチェロの音色が、エンドピンを通じて振動が返ってきて、ホール空間に放たれるということなんだろうと思った。

今回も市民交流室の中って、床下にコンクリートが張られていて、その上の床張りなので、振動しない。それじゃ困るので、わざわざ、今回のために、この台座を持ち込んだ。

結構音マニアが喜びそうな要素を散りばめた感があって、たとえば楽器の底辺に取り付けるエンドピンの種類を変えると(たとえばオーディオの世界では常識の真鍮やチタンなどの構成のものに変える。)、コントラバスの音色はどのように変わるのか、などの実験が行われた。

自分も、かねてより、ホール音響にとって、この床鳴り、ステージの鳴りが大きな影響を及ぼすことに注目していて、ステージ上のオーケストラが演奏することで、そのステージ床の振動でどっと鳴って化けることで、それが秀逸な音響となる原因なのだろうと理解していた。

そういうことで、なぜ小野さんがコントラバスの話題を前半に持ってきたのかは、このステージの床振動がホール音響にとっては、とても大切な要素なんだよ、というテーマの大切な伏線になっていたのでは?といまから考えると思うのだ。

小野さんの後半の話では、ホール音響の研究は、ホールのプロポーション(寸法:高さ×横×奥行き)がじつはとても大切なファクターで、この寸法次第で、いろいろなところから反射音が返ってくるその密度が違ってくる。

つまり聴衆が、いい音響と感じるかどうかは、このプロポーションが大きな要素、いままでは長年かけて、そういうところに注目されて研究がなされてきた。

でも意外や、ステージの鳴りについての研究というのはされていなくて、これからの新しいテーマ、と仰っていた。

ステージの床下構造、床の素材など奥が深そうですね。床は柔らかすぎもダメだけど、固すぎて振動しなかったら全然ダメ。こうやって床振動で音響がドッと化けることが重要なファクターなのだ。

プロポーションが大事、床振動、床の構造が大事って、まさにオーディオルームそのものですね。(笑)

そうすると、そういう振動による鳴りが、とても重要という事は、空洞でないといけない、中を詰めちゃいけない、というのが原則。実際問題、ホールって(たとえばウィーン楽友協会)床に限らず、四方八方を空洞な構造で囲まれている。

以前、自分はオーディオなどで、壁、天井、床など、その中の構造が、あまりに空洞が多いと、それらに対しての反射音が共振してしまい、音が濁る原因になるので、よくないという理解を持っていた。空洞でなくて、中は詰めたほうがいい、というような。。。

安いマンションやアパートの部屋でのオーディオの音がよくないのは、その壁の中が空洞になっていて、反射音が共振してしまうのが、その原因と理解していたのだ。

これと反するんだな。コンサートホールの場合。コンサートホールは確かに石で造られたホール、教会を除いては、空洞を利用した振動、そしてそれが空気、ホール空間へ伝搬されるファクターをとても重要視しているように思われる。

ちょっと自分の新たな課題にします。

コントラバスについて、大変面白いことをもうひとつ仰っていました。

昔、小野さんは、指揮者の佐渡裕さんに呼ばれて、いわゆる佐渡サウンドについてアドバイスをもらったそうだ。

オーケストラのサウンドの中でキーを握るのは、じつはコントラバスとティンパニー。コントラバスに要求されるのはスピード。他の楽器に対して、コントラバスが一瞬のタイミングの速さで出ることで、全体のオーケストラ・サウンドの奥行きが出たりする。まさに、これが佐渡サウンドの真骨頂なのだそうだ。(そのように指揮者としてキューを出す。)

だからこのコントラバスの音が通りやすいホールを設計してほしい。

それイコール、エンドピンを通じてのステージの床振動について、もっと研究がなされるべき、ということにつながるんでしょう。

今回コントラバスをテーマに持ってきたのは、こういう大切なファクターへの大事な伏線になっていた、と自分は理解しました。

深い、というかよく考えられていると後になって感心。


後半は、ホール音響の歴史についてのお話。

一番最初は、ローマ時代の野外劇場。ステージ前方の座席では音は聴こえるけれど、段々で上がっていく上の席では音が聴こえない。当時の時代の人は、その対策として、最上段の席のところに屋根を付けた。この屋根からの反射音で、上の方の座席の人にも音が聴こえるようになった。

まさにいまのコンサートホールの反響板の役割のルーツがここにあったんですね。

そこからこの野外劇場の進化版がどんどん作られて、U字型の野外劇場が作られるようになる。
このU字型スタイルが、当時のオペラハウスの馬蹄型のルーツになった。

そこから教会、シューボックス、ワインヤードへのホールの進化は、すでに自分の日記でも取り上げた通り。

面白かったのは、段々のぶどう畑を想定して造られたワインヤードのホール。
やはり正式名称は、”ヴィニヤード”型のホールというのが正しい呼称のようだ。

それをワインヤードと言い出したのは、サントリーホールの時代から。サントリーだから「ワイン」ヤードと言った。(笑)

そうだったのかー。(笑)

でもたとえ、正式名称は、ヴィニヤードでも、自分はやはり慣れ親しんだワインヤードを使い続けるかな?

こんな感じのサロンだった。

こうやって書くと、とても難しそうだが、実際はいたってフレンドリーな朗らかな雰囲気でおこなわれた。

面白かったです。



2011年3月11日。あの東日本大震災のとき。
ミューザ川崎は被災した。

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”まさに被災地”

この事故、この報道写真は当時のクラシック音楽界に大変な衝撃を与えた。
やむなく2年間の休館を余儀なくされた。

修理費用として、国が1/3を補助する事態になった。

当時、この写真を見たとき、自分もかなりショックだった。
自分の身近なところで起こったことなので、尚更。

これ、まだホール内に誰もいないときだったから救われましたよね。もしコンサート中に起きていたら、このように天井が陥没し落下しているので、大変な大惨事になっていたはず。これだけは不幸中の幸いだったと言える。

そして懸命な修復作業が行われた。

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2年後に見事リニューアル・オープン。

あの音響アコースティックがきちんと復活されているのか?というのが当時の心配だったが、そんな心配も無用のことだったようだ。

自分はミューザ川崎のレジデンス・オーケストラである東京交響楽団(東響)の名曲全集の定期会員を3年間続けた。

2CAブロックの座席を2年。2CBブロックの座席を1年である。2CBブロックは、小野さん推薦の座席ブロックだそうだ。

ミューザは家に近いので、1年間万遍なくクラシックのコンサートに通いたいという理由から、この名曲全集の定期会員になった。

東響は、まさにここ3年の間、在京楽団の中で、1番回数を聴いたオケになった。(笑)

2019年からミューザもメンテンナンス改修のためにしばらくの間、休館となるようだ。

ミューザに3年間、通い続けたことで、ここの音響アコースティックも自分の肌感覚としてある程度認識できるようになった。

音が明晰でクリア。
そして直接音と間接音(響き)の到来時間の遅れのバランスが、絶妙の立体感覚、空間の広さを感じるような音響。

これはひとえに、見た感じパッと一面に開かれたような見晴らしのいい、高さを含めた容積の広さに起因しているのではないか。

そして独特の螺旋状のスパイラル構造。
これによってトルネードや滝壺のような独特の音の流れを発生させる原因なのかも?

というのが自分のここのホールの音響の印象である。

もちろんホール音響なんて、人それぞれで聴こえ方、感じ方違うでしょうけど。。。

でも言えることは、まさに、古の常識センスに捉われない斬新な発想の空間デザインが生まれたからこそ、起きた奇跡の音響なのだろう。

今後もますますコンテンツに恵まれて、ホールビジネスとして輝かしく発展されることを心からお祈りするばかりです。





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アラベラ・美歩・シュタインバッハー&読響のマチネ・コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

1年間の中で楽しみにしていたコンサート。
そのときはあっという間で、興奮は一瞬だが、終われば心地よい疲労感。
年間に書く日記の中で、1番ミーハーな記事になりますこと申し訳ありません。(笑)

アラベラさんのメンデルスゾーンのコンチェルトは、3年前の2015年にヘンゲルブロック&NDRの日本縦断ツアー(大阪、名古屋、東京)をずっと追っかけたことがあって、今回の2公演含めると、通算5回聴いたことになる。

また、そのときの東京サントリーホールでの公演は、NHKが収録していて、オンエアされたものを録画してあって、もう数えきれないほど、本当に擦り切れるくらい何回も観たので、もうこのメンデルスゾーンの曲の最初から最後まで、曲中のどの部分で、どういう弓使いや体の動かし方をするかなどの動作が完璧に頭の中に入っている。

このライブ映像は、彼女の1番輝いているときの演奏で、最高傑作だと思っている。

ある意味、病理的かもだが、熱心なファンというのはそういうものだ。

そういうバックグランドの中で、今回の演奏を観た場合、結論から言うと、やはりヴァイオリニストという演奏家は、ある曲を演奏すると、もう自分の型というのが決まっていて、既述のどこでどういうアクションなのか、その魅せ処って決まっているものなんだなぁと改めて感心しさせられた。

今回の演奏は、もちろん素晴らしかったのだが、自分の中では、3年前に観た演奏スタイルの範疇を超えるものではなく、決め処での決まったアクションなど、演奏の流れの作り方、作法など、それはいわゆるアラベラさん流儀というものがあって、それをしっかりと再認識させられた感じだった。

彼女は、レパートリーもじつに豊富で、すべてのそれぞれの曲において、そういう自分の奏法、型や作法というのをしっかり持っているんだと思う。

今回、自分がよく知っているメンデルスゾーンだったので、そのことに気づいたのだが、よく考えてみると、それってある意味当たり前のことなのかもね。

でも今回は、前回と比較して、幾分柔らかめというか、優しい表現に自分は感じました。

東京芸術劇場につくと、こんな素敵なポスターが出迎えてくれた。 

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愛、憧れ、そしてドイツ・ロマン派名曲選。
なんて素敵なんだろう!

すごい春らしい。
いっぺんに自分の心が華やいだ。

そしてこれから遭遇するであろうコンサートに、さらなるワクワクの期待が。。。

2日間のマチネ公演に、こんな素敵なポスターを作ってくれるなんて読響ってなんて気が利くというか、センスがいいなーと感じた。

今回の座席は、もちろんヴィジュアル優先なので、かぶりつき。
ヴァイオリニストがソリストの場合は、自分はステージに向かって右側の前方を取るようにしている。

顔が対峙するし、音の流れもそんな感じがする。

初日

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2日目

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アラベラさんは、ベージュのドレス。これまた、いかにも春らしくていっぺんに空気が華やいだ。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、とても華があって、春らしい、可愛らしい、明るい感じの演奏であった。

ある意味とても女性的で優しさに満ち満ちた演奏解釈。

でも、それは解釈というより、彼女が持っている本来のキャラクターですね。

小柄でキャシャな体格なので、線は細いが、そのイメージに沿うような女性的な演奏スタイル。
演奏の型は、とてもビジュアルを意識した美しいフォーム。

特に弱音表現の美しさが彼女の持ち味だと思います。

曲調、つなぎ目に合せての弓使いや体重移動など、この曲に合わせて、あらかじめ自分が考案したのであろうと思われる美しいフォーム。

それが演奏にさらに華を添えていて、とても優雅なメンデルスゾーンに感じてしまった。

そして旋律の筋書ドラマの起伏に対して、とても広いレンジで対応できていて、その強弱、緩急のつけ方など見事であった。

完璧!

コアなファンである自分をも完璧に満足させてくれる最高の出来だと思った。

1年間楽しみにしていただけのこと、見事に報われたと思いました。



読響を聴くのは、じつに久しぶりで、自分もいつ以来なのか記憶にないくらい。
昔、ベルリンコンツェルトハウス管弦楽団のコンサートミストレスの日下紗矢子さんが読響のコンマスも兼任するというニュースを聴いたとき、これは、ぜひ1度聴きにいかないといけないな、とずっと思っていた。

とくに最近は、乗りに乗っているオケで、とてもよい評判を漏れ聞いていたので、ぜひ久し振りに聴いてみたいとは思っていたのだ。

読響を聴いた第1感の印象は、とてもバランスがいいということ。オケを聴いていると、得手、不得手のセクション含め、バランスよく聴こえてくるというのは、とても難しいこと。弦5部、木管、金管、打楽器含め、とてもよくまとまっていて、演奏のメリハリが効いていて気持ちがよかった。

各楽器のアインザッツの一致感や、音の瞬発力みたいなものが、自分に向かってど~んとやってくる感じで、それでいて美しいハーモニーが織なっている様式美みたいな感覚も兼ね備えていてとてもいい。

聴いていて、耳触りが良くて、バランス感覚が秀逸だと感じた。

その中でも特に弦の音色は、素晴らしいかな。自分の前方座席でも、その倍音豊かな響きは恍惚なものがあった。

とてもいいオケですよね。

よい評判は本物だと思いました。

前半のウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲や、後半のシューマンの交響曲第3番のライン。ある意味スマートすぎるところもあるのかもしれないが、自分には、とても小気味のよい明晰な演奏に感じた。


指揮者の謙=デヴィッド・マズア。まさに期待の新鋭だが、長身でなかなかのスタイリッシュ。
指揮もとても明快でわかりやすく、動きが大きく機敏性に富んだ指揮だと感じる。
とてもわかりやすいので、演奏しやすいタイプの指揮者なのではと感じたりする。


読響を聴いていて、ちょっと面白いな、と思ったのは、最初のA(ラ)の音でやる調音のとき。

ふつうは最初のオーボエ奏者のラの音に合わせて管楽器奏者が合わせて、その後に弦楽器奏者が合わせるというのが9割方だと思うのだが、読響は逆なんだよね。

弦楽器が最初で、管楽器が後。
これって、調音のやり方っていろいろあるのかな?
面白いと思いました。

とにかく、超久しぶりに聴く読響とアラベラさんのコンビネーションがものの見事にあって、じつに素晴らしいひとときでございました。

これで、自分の2017-2018年シーズンはお終いでございます。(笑)
またつぎの目標に向かって、地道に平常生活に戻るだけです。


アラベラさんのFB公式ページから。

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そして、サイン会でのひとこま。

ふつうは、何連射も撮影した中から、これは!という1枚を選ぶものだけれど、今回は、どれも捨てがたいショットばかり。

え~い、全部載せます。ミーハーでスミマセン。(笑)
                                                      
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第205回 読響土曜・日曜マチネシリーズ
2018/3/10&3/11 14:00~ 東京芸術劇場

指揮:謙=デヴィッド・マズア
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー

コンサートマスター:小森谷巧

前半

ウェーバー歌劇「オイリアンテ」序曲
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

~アンコール
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番「ラルゴ」


後半

シューマン 交響曲第3番 変ホ長調作品97 <ライン>


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なぜ、古いオルガンの音は美しいのか? [クラシック学問]

岐阜のサマランカホールを訪問したことをきっかけに、サマランカ大聖堂の「天使の歌声」、別称「鳴らずのオルガン」を見事修復した岐阜県白川町のオルガン建造家、辻宏氏の存在を知り、大変な感銘を受けた。その辻さんのことをもう少し知りたいという欲望がどうしても湧いてくる。 


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辻宏氏

「美しい音」を求め、その生涯を信仰とパイプオルガンの制作に注ぎ、81台もの作品を遺した辻宏氏。特にサラマンカ大聖堂など、スペイン、イタリアの歴史的なオルガンを5台修復したことは、今も語り草になっている。

サラマンカホールは、OKBふれあい会館の中に存在するのだが、ホールのゲートの前のロビーのところにTVが設置されていて、その画面にエンドレス再生で、辻氏とサマランカ大聖堂の天使のオルガン修復のドラマが、ドキュメンタリーのような形で放映されているのだ。

それをずっと見ているとじつに興味深かった。

そのドキュメンタリーでは、

オルガンは辻さんが長年にわたり、自らの手による修復を希望。1985年に皇太子時代の天皇、皇后両陛下が大聖堂を訪問されたのを機に、資金面も含めて修復が実現、90年に音色をよみがえらせた。

94年に両陛下がサラマンカを再訪した際、辻さんの演奏で復活したオルガンの響きに耳を傾けられた。

その際、天皇陛下、美智子皇后さまが、晩餐会で国賓として迎えられ、まさに国家間を通してのおもてなし。その場のスピーチでスペイン国王から、「オルガンを修復していただき、日本に大変感謝しています。スペイン、日本との間の厚き友情の証といえましょう。」という感謝のお言葉をいただいる、などの場面が映し出されているのだ。


かなり感動した。


そのドキュメンタリーでは、美智子さまと辻さんとの関係も、じつは、そのときに知り合った仲ではなく、かねてよりオルガンを通じて、ご交友があったことに触れていた。こういう美談も急に起こる訳でもなく、かねてよりの積み重ねによるものということだ。

あのドキュメンタリーソフト、ぜひ欲しい気がする。(笑)

もっと辻さんのことを知りたい。


そこで書籍などがないか調べてみたら、数ある中から、これがいいのではないか、という本を見つけた。 



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オルガンは歌う 歴史的建造法を求めて。
辻宏

https://goo.gl/GoR2nP

まさに辻さんのオルガン建造家としての人生や、世界のオルガン修復のこと、そしてオルガンの音色の「美」に関する自分の考え方など、まさに自著なので、余すことなく書かれていて、興味深かった。

特にオルガン修復のことは、備忘録というか、事実に基づいて、どのように修復していったのか、オルガンの仕組みを理解していないと読解に難しい所もあり、かなりの技術レポートとも言えそうだ。

読みごたえはあった。

ここでは、この本をもとに、辻さんの人生、偉業、そしてオルガンの音色に関する考え方について、紹介できればという気持ちで書いている。 

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辻さんは、愛知県の勝川町(現在の春日井市)に生まれた。お父さんはお医者さん。東京藝術大学に進み、オルガン科を専攻。

大学を卒業後に、本格的にオルガンの製造を学ぼうと決心を固め、2年後にアメリカに渡って、シュリッカー社で見習いとして、オルガン建造の基本を身につけ、さらにオランダのフレントロップ社に勤務するようになり、楽器建造の実際を経験して、将来へ向けての基本を学んだのである。

1964年に帰国するや、神奈川県座間市に「辻オルガン建造所」を作って、以来2005年に到る40年ものの間、81台のオルガンを生み出すことになった。

1971年に、辻さんにとって大きな転機となる。

北ドイツの歴史的オルガンとの出会いである。辻さんが企画したイタリア、ドイツのオルガンを見て回るツアーで起こったこと。イタリアの歴史的オルガンを見て回った後のドイツで、歴史的な北ドイツのオルガンに精通しているハラルド・フォーゲルさんと出会った。


これが辻さんにとっての運命の出会い。

そのフォーゲルさんは、オランダ北部から北ドイツ一帯、そして最後は、ハンブルクへと誘導し、数多くの楽器を説明しながら実演した。

辻さんは、すぐさま事の重大性に気づいた。このときこそ、歴史的楽器(歴史的オルガン)の重要性を確信した転機である。

おそらくこのとき悟った基本的問題点を、2年後に、「歴史的北ドイツ・オルガン建造技術上の特徴について」という小論文にまとめている。



「歴史的オルガンが美しいのは、結局その作り方にあるのであって、単に時間が経って、音がよくなってきたのではない。」


という記述のあるこの論文で、具体的にネオ・バロック・オルガンと歴史的北ドイツ・オルガンを比較しながら論じている。

そこには、まさにそれ以降の辻さんの新しい制作活動の基本が示されていたのだ。

まさにそれ以降の辻さんの造っていくオルガンには、そういった歴史的楽器の想いが随所に反映されていくことになる。フォーゲルさんから学んだ北ドイツ型の楽器を模範として、新しいオルガンの制作に勤しんだ。

フォーゲルさんの歴史的オルガンに関する知識と情熱を受けた辻さんは、即座に日本に招待する。セミナーやリサイタルの毎日。

そんな運命的な出会いがあり、歴史的楽器の重要性を悟った辻さんが、いっそのこと歴史的楽器をそのままそっくり複製してみようか、ということも思い立ったこともあった。

東京祐天寺の聖パウロ教会からのオルガン制作を引き受けたとき、まさにそのことを考えた。フォーゲルさんの勧めもあって、北ドイツのオスターホルツ・シュルムベックにある聖ヴィルハルディ教会1732年製の楽器はどうか、ということになった。最速22のストップを持つ二手鍵盤とペダルからなる仕様。

最終段階では、フォーゲルさん自身も来日して制作のお手伝い。
1976年6月に完成したこのオルガンを辻さんの最高傑作と考える人も少なくない。

この1976年という年は、辻さんにとって新しい出発の年となった。

制作工房を、神奈川県座間から、岐阜県白川町に移し、名称も「辻オルガン」と改めた。

理由は都市化しつつある座間が、楽器制作の場には向かないと考えことにある。
岐阜県の山奥にある新しい場所は、昔学校の古い校舎であったところ。
そこを工房に改築した。

山奥で木材には不自由しない。

以後の30年間は、この緑に囲まれた静かな環境の中で、仕事を続けることになった。

その一方で、歴史的楽器を学ぶために、ヨーロッパに訪れることも忘れなかった。

そして次に辻さんの目を向けさせたのが、イタリアのオルガンであった。

イタリア中部トスカナ地方の古い町ピストイアに数多くのオルガンが演奏もできない状態で放置されていたのに、辻さんが気がついたのは、1970年代後半のことらしい。

そこで許可を取って、そのうち18世紀に建造された2台の実地調査。

そのうちの1台で小さいながらも「最も純粋な美しさ」を持ったドメニコ・ジュンティーリ作の楽器の複製を作成。それを館山の「かにた婦人の村」に納入したのが、1982年のことである。

そして次に、そのイタリアの街ピストイアの歴史的オルガンの修復が始まり、サン・フィリッポ教会のオルガンが昔日の美しい音を取り戻したのが1984年。

このピストイアのある数々の歴史的オルガンを修復、複製&納入していくことで、辻さんは外国人としてはじめてのピストイア名誉市民章を受けた。

そしてこのピストイアのオルガンを使って講習会を開いてイタリア音楽を啓蒙していければ、ということで、この岐阜県白川町で、「イタリア・オルガン音楽アカデミー」が開催されるようになった。以来今に至るまで、ずっと続いているのである。

1988年の第4回の時に、当時皇太子妃だった美智子さまも紀宮殿下とともに、この白川町を訪問されて大いに話題になった。

美智子さまと辻さんとの出会いはこのとき。

これが後の大きな財産となるんだな。

オルガン・アカデミー以外にも両町間で、いろいろな分野で交流が進み、1994年にイタリア・ピストイア町と、岐阜県白川町は姉妹都市関係になる。

一方辻さんのほうは、1974年にスペイン旅行をした際に出会ったサマランカ大聖堂の堂内に放置されていた楽器のことが忘れられないでいた。


ようやく、・・・そしてついにここに来た。(笑)


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サマランカ大聖堂


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サマランカ大聖堂のオルガン「天使の歌声」



その楽器は、最初ダミアン・ルイスという名の建造家が、1558年に造ったということから、「ルネサンス・オルガン」と呼ばれていたものの、17世紀の間に改造されて、実質上バロック様式の楽器になっていたが、ドイツやイタリアのオルガンとは全く異なる独特の暗くて深い音色を持ち、忘れられないものだったという。

しかし大聖堂当局には、修理の資金もないという。

一大決心した辻さんは、自らも国境を越えて文化財を保存する重要性を説いて回り、その結果、1981年から1984年まで在スペイン日本大使を務め、日本とスペインに豊富な人脈を持つ林屋永吉氏の共感を得て、また当時の美智子妃殿下のご賛同もいただき、よき理解者を多く与えられて、日本企業、岐阜県民有志の広い協力を得て、1年で3500万円の資金が集まった。

そして4人の辻オルガンのスタッフを引き連れて、サマランカに乗り込んだのだ。

作業は、1989年8月から8か月。

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その結果、オルガンは、かつての素晴らしい音色と姿を取り戻すことが出来た。

1990年3月25日。修復が終わった「天使の歌声」の奉献式。

スペイン国営放送により、全国放送の実況生中継。

スペイン国民が固唾を飲んで見守っている。
大聖堂前の広場にもたくさんの国民がかけつけていた。
その中に辻さんと奥さんもいる。

まさに400年前の音が再び大聖堂内に鳴り響いた。

オルガンの音色が鳴り響くと同時に、スペイン国民に多くの感動を与えた。
まさに日本の職人魂が400年前のヨーロッパの職人技と共鳴した瞬間であった。

辻さんも、その瞬間だけは、言葉では言い表せない深いものを感じていたようだった。


この偉業がきっかけとなり、大聖堂と同時期に創設されたスペイン最古のサラマンカ大学は1999年、構内に“サラマンカ大学日西文化センター”を設立、センター内の多目的ホールを、”美智子皇后陛下大講堂”と名付けその日西関係を思われるお心に感謝を捧げた。

またオルガン復活に尽力した、元在スペイン日本大使、林屋永吉氏は大阪外国語学校(現大阪外大)でスペイン語を学び、外務省に入省、1941年から1943年までサラマンカ大学に留学生として在籍していた。その縁もあってサラマンカ大学は文化センター内の図書館を林屋永吉日本研究図書館と命名しているのだそうだ。


後年に、いまの皇太子さまも、辻宏氏が修復したサラマンカ大聖堂のパイプオルガンを見て、その演奏を聴いた。(2013年6月13日)

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辻さんは、その楽器を元の形に戻すだけでは満足しなかった。修復作業の結果、この楽器について隅から隅まで知った以上、それを生かして複製を作ろうと考えたのである。

1994年9月に完成したのが、岐阜県県民ふれあい会館(OKBふれあい会館)、通称サマランカホールのオルガンである。45のストップを持ち、三段手鍵盤にペダルから成る、辻さんの制作による楽器のうち最大規模のものである。


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サマランカホール


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サマランカ大聖堂の「天使の歌声」を模したオルガン






辻さんのオルガンの音色の考え方について、とても興味深いことが書かれている。

古いオルガンの音を聴いてみると、ほんとうに美しい音がする。新しいオルガンの多くは、古いオルガンほど美しい音はしない。

現代、美しい音のオルガンは、非常に少ないが、昔の、18世紀以前のオルガンでは、それが正しく修復された場合、そしていまだ修復されていなくても、少しでも元の音が出ている場合には、ほんとうに美しい音をもったオルガンはたくさんある。

19世紀以後の音楽の世界では、感覚を研ぎ澄まして美しい音を創るということから、少し遠ざかり過ぎているのではないか?

まず音色の質よりも音量が重視されるようになった。

それは音楽の場が、響きの良い礼拝堂を離れ、コンサートホールに移っていったことに関係があるのではないか?

古典派の時代からそれは始まった。古典派以降、だんだん大きなホールで演奏会をするようになる。そのほうが興行主は、大きな収入を得ることができ、たくさんの収入があるからだ。興行主は、競って大きなホールを建設し、多くの聴衆を集めて収入を得て、一握りの演奏家に高い報酬を払うということになった。

音楽の世界がこのように変わっていったとき、音量が大きいことが求められたのである。


辻さんが、なぜ古いオルガンを修復するのか、理由の鍵はそこにある。

一番の理由は、修復によって古い美しい音色をよみがえらせることであり、またその失われた制作技術をよみがえらせる可能性があるということである。

修復作業とは、元に戻すことであって、決して改良することではない。

残念ながら、二十世紀ヨーロッパの各地で行われた修復は、修復と同時に改良の手を加えた場合が、あまりに多かった。

それは、たとえばオルガンのピッチを現代風に変えたり、調律法を平均律に変えたり、鍵盤の音域を広げたりするようなことである。

関係者の音楽的な要望によるものであろうが、このような行為は、歴史的遺産の破壊ともいうべきもので、今後、あってはならないものである。

なぜヨーロッパの歴史的オルガンが修復の名のもとに、改造され、元来の美しさを失ってしまったのであろうか?

それは現代人の自信の結果だと思われる。

自然科学や工業技術の進歩と発見の中で、あまりに安易な自信に溢れ、昔の職人の技を自分たちよりも低いものと思い込んでいるのが最大の原因ではないか?

進歩と発展という進化論のようなものが頭にこびりついていて、昔のオルガンは古いもの、遅れていて、進歩していないものという意識が知らず知らずのうちに修復の際に、自分たちが生きている時代の進歩したオルガンへと変更の手を加えてしまうのだと思う。






自分は、ここの一連の記述が、この本で一番大事なところ、オルガン建造家、辻宏としての絶対譲れない考え方、ポリシーなのだと直感的に感じる。



この本を読んで理解できたこと。

辻さんのオルガン建造家としての人生は、北ドイツ、イタリア、スペインなどの歴史的楽器(歴史的オルガン)の音色が美しい真相が、その造り方にあることを発見し、それらを勉強、そしてチャンスをものにして、修復、複製していくことで、その構造を徹底的に知り尽くすこと。

そうすることで、自らのオルガン建造につなげていった。その繰り返しの人生だった、ということではないか、と思った。

ここに書いたことは、この本の一部でしかなく、その内容は、オルガンの構造、修復の過程など専門的な分野にまで至っていて、とてもとても深い内容です。ぜひ、ご一読されること、そしてオルガン建造家としての辻宏氏の人生に触れていただきたいと思った訳です。




そんな辻さんの波乱に満ちた人生

1958年(昭和33年) - 東京芸術大学器楽科(オルガン専攻)卒業
           卒業と同時に横浜の成美学園(現 横浜英和女学院)の音楽教師となる。
1960年(昭和35年)4月 -成美学園英語教師であった 松尾紀子と結婚。
アメリカ合衆国Schlicker Organ Companyで3年間オルガン建造を学ぶ。ここでは電気・ニューマティック方式のオルガン製作に関わる。オランダFlentrop Organ Companyにおいてトラッカー方式のオルガンの建造を学び大きく影響を受ける。

1964年(昭和39年) - 神奈川県座間市に、辻オルガン建造所を設立し代表となる。
1973年(昭和48年) - 日本オルガン研究会 を松原茂、佐藤ミサ子らと設立。
1974年(昭和49年) - スペイン・サラマンカ大聖堂で、16世紀のオルガン「天使の歌声」(別名:鳴らずのオルガン)を初めて目にする。
1976年(昭和51年) - 岐阜県加茂郡白川町に転居。呼称を 辻オルガン とする。
1984年(昭和59年) - イタリア・ピストイア音楽院講堂の古いパイプオルガンを修復する。
1988年(昭和63年) - サラマンカ大聖堂から「天使の歌声」の修復を依頼されるが、大聖堂側は資金が無いため修復費用を出せないという事だった。そこで辻は修復費用の3000万円を集める為に、元スペイン大使の林屋永吉に協力を依頼し「オルガン修復協力の会」を結成。会で募金を募り約1年で3500万円を集めた。

1989年(平成元年)8月 - 「天使の歌声」の修復を開始。
1990年(平成2年)3月25日 - 修復が終わった「天使の歌声」の奉献式を行う。
1994年(平成6年) - 岐阜サラマンカオルガンソサエティー 設立。
1999年(平成11年) - サラマンカ大学は辻の功績を称えて「日本スペイン文化センター」を設立した。
2005年(平成17年)12月22日 - 筋萎縮性側索硬化症のため岐阜県加茂郡白川町の病院で死去。72才没。







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銀座線レトロ 特別仕様車に遭遇しました。 [雑感]

2~3年前にも偶然遭遇したことがあるのだ。でもそのときは、銀座線にそういうレトロ仕様の車両があることを知らず、「あれ~これなんだろう?珍しい。」というくらいの気持ちで写真を撮らなかった。

後日、銀座線のレトロ、1000系の特別仕様車であることを知って、とても悔しい気持ちになった。

その後、銀座線に行って、「特別仕様車に乗りたいのだけれど、いつ走っているか運行時間知りたいのですが?」と駅員さんに聞いたのだが、「いやぁ、運行時間を教えてしまうと、鉄道マニア(鉄ちゃん)含めて、殺到しちゃうので、いっさい秘密なんです。」ということだった。

乗れるかどうかは、まさに運に任せるしかないのである。

だったら、銀座線ホームでずっと待っていて、レトロ仕様車が来るまで、待っていればいいじゃんか、と思ったが、最初の1~2本で、もうこれでは日が暮れるというか、やってられん、という感じで、すぐに諦めた。

もう運に任せるしかないのだ。

自分が銀座線を利用するのは、日本橋の京都銀閣寺ますたにラーメンを食べに行くときと、外苑前の世界の朝食のお店に行くときくらい。月1回くらいの利用だろうか。。。

これでは、いったいつ遭遇できるか・・・ほとんど諦めで、そのことも忘れかけていた。



ここで、銀座線レトロ 1000系特別仕様車のことについて、まずは説明してみよう。

去年の2017年は銀座線が開業してからちょうど90周年にあたる。
それに合わせて、当時運行された特別な列車に乗りつつ、銀座線の歴史を振り返ってもらいましょうというイベントを催した。

“地下鉄開通90周年記念イベント「TOKYO METRO 90 Days FES!」スペシャル企画『銀座線タイムスリップ』”という、長~いイベント名。(笑)

このイベントの様子の記事が、こちらの電子ニュースで掲載された。
詳しくは、こちらに記載されているので、ご覧ください。

https://getnavi.jp/vehicles/211909/


ここでも、その記事の中から一部を抜粋して、この日記でも紹介してみる。

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運転士と車掌はレプリカ制服を着て乗務。臨時列車では当時の乗客の服装を再現した添乗員も同乗してイベントを盛り上げた


90周年を記念した「銀座線タイムスリップ」の臨時イベント列車。
使われたのは1000系特別仕様車だった。現在、銀座線には1000系6両編成40本が走っている。
そのうち2本のみが、特別な造りとなっている。

つまり確率1/20、5%ということなんだな。

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1000系特別仕様車

1000系特別仕様車は地下鉄90周年に合わせてレトロなイメージを強め造られた車両。通常車両と異なり、前照灯を2灯から1灯に、内装は木製色を強調、銀座線を最初に走った1000形をイメージした造りが各所に取り入れられた。

また天井灯はLED照明ながら、光の色が変更できるようになっている。さらにほかの1000系には無い予備灯(非常灯)があえて付けられた。今回のイベント列車では、この予備灯が生かされたのである。

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車内の内装は木製色の化粧板をメインに。座席も通常車両の煉瓦柄に対して緑色のシートモケット、手すりは真鍮色とされている。


今回のイベント列車への一般の応募者数は4090人。その中の45組90名が晴れて乗車できた。倍率はなんと45倍強! 人気の高さがうかがえた。

きっと熱心な鉄道ファンが多いのだろう、と思って乗車してみると、女性の参加者がかなり多かった。やはり銀座線好きな人には男女、また鉄道ファンに関わらず、ということなのかも知れない。

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イベント列車として使われる1000系特別仕様車が検修庫内に停まる。ふだんは使われない階段と先頭部の非常用トビラから入るという“旅の始まり”も参加者の心をくすぐった。


駅に入る手前の、ポイントを通過する時に、車内の照明が消えて一瞬、真っ暗に。点いているのは車内の非常灯のみ。古い銀座線では“当たり前”だった光景が、四半世紀ぶり、2017年12月17日に運行された臨時イベント列車で再現された。

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前述したように1000系特別仕様車は車内に予備灯が付けられている。イベント列車では、この予備灯を生かしての、古い銀座線車両のイメージが再現された。

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浅草駅~渋谷駅間は照明がLEDモードから、やや赤みがかったレトロモードに切り替えられた。



さて今回のイベント列車内の催しとして注目されたのが「予備灯の点灯」。1984(昭和59)年に走り始めた01系電車が登場するまでは、車内の照明が消え予備灯(非常灯)が一定の箇所で点灯した。銀座線の車両がすべて01系となる1990年代までは銀座線に乗ったならば、いつでもこの一瞬、室内灯が消え、予備灯が付くという現象を体験できたわけだ。なぜ、01系以前の車両は予備灯がついたのだろうか。

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浅草駅から渋谷駅にかけて予備灯が計14回点灯された。点灯した場所は、ほぼ古い車両と同じ場所で起こるように“設定”された。


東京メトロの路線の中で銀座線と丸ノ内線のみサードレール方式(第三軌条集電方式)を採用している。サードレール方式とは、レールに平行した3本目のレールに電気を流し、そこからコレクターシューによって、集電して電車を動かす方式のこと。

このサードレールは、ポイントなどで、途切れる区間が一部にあり、集電ができないところでは、バッテリーの電源を生かして予備灯(非常灯)が点灯する仕組みになっていた。現在の01系以降は、集電できない区間も、室内灯が切れないシステムに変更されている。

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銀座線1000系の台車に付くコレクターシュー(矢印部分)。この装置でサードレールから集電して電車が走る。

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レールに平行して設けられるサードレール(矢印のレール)。ここに電気が流されていて、コレクターシューをすって集電する。


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イベントでは、レトロ制服に身をつつんだ乗務員との記念撮影タイムも用意され、特製の額縁を持ちつつ記念撮影に興じる人も多く見られた。

いーなー、いーなー。すごい競争率だけど、ぜひ自分も参加してみたかった。



さて、ここからが自分の体験談。

日本橋の京都銀閣寺ますたにラーメンを、久しぶりに食べに行きたいなーなんて思って銀座線を渋谷から乗った時のこと。改札を通った時に、目の前にある銀座線の車内を何気なく見ると、このレトロの木目調ではないか!

うわぁ!これは大変!と思い、急いで車内に飛び込んだ。

感動!2年ぶりに遭遇できた銀座線レトロの特別仕様車。

感無量だった。

もう、もちろん夢中で写真を撮りまくった。

まさか、こんな偶然に遭遇するとは思ってもいなかったので、そのときコンデジは持っていなかったので、仕方なくスマホのカメラで。

自分が遭遇した銀座線レトロ 1000系特別仕様車。
写真撮りながら、もうドキドキの頂点だった。
乗車している方々は、いたって冷静で普通なんだが、このことがいかにスゴイことなのか、わかってんのかな?(笑)

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こちらが、ふだん乗っている銀座線の車両。(笑)ときめき度が雲泥の違いだ。(笑)

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ちゃんと室内予備灯もありました。(笑)
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ただ、特別イベントのときは、車内消灯、そして予備灯点灯というシーンを再現したけれど、今回はイベントではないので、そういう心配り、配慮はなし。


車内を夢中で撮影した写真を、ちょっと紹介してみる。

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この写真が、銀座線が開通したばかりに走った「東京地下鉄道1000形」と、今回の「銀座線 1000系 特別仕様車」の比較。今回の特別仕様車は、この最初の東京地下鉄道1000形を模して造られたのだ。


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車両間の扉。各車両を隔てるガラス戸にはパンダや雷門など、銀座線に縁が深いイラストシールが貼られていた。

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このつり革も、昔の東京地下鉄道1000形では、思いっきり外側に曲がっていて、それをつかむと正常の位置になる仕掛けだったよう。いまみたいに最初から下にぶら下がっているわけではなかった。


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下車して、銀座線 1000系 特別仕様車を外から撮る。

いまは、みんな投身自殺対策のセキュリティガードがホームに付いているので、車両全体の外観の写真を撮るのが難しくなった。

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いやぁ、興奮でラッキーな日でした。
5%の確率に遭遇するとは!

江ノ電をきっかけに、だんだん鉄ちゃんの気持ちがよくわかるようになりました。
自分もなんかドキドキして楽しい。(笑)

いま乗ってみたいのは、松本行きのスーパーあずさの新車両。
2018年春には、全「スーパーあずさ」が、E353系になる。

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むかしは、小澤さんのサイトウキネンを観るために、毎年のように夏の音楽祭のシーズンになると、松本に出かけていた。そのとき、必ずスーパーあずさに乗るんだが、これが見違えるようにモダンな最新車両になった。

鉄道の世界は楽しい!(^^)







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体験! サマランカホール [コンサートホール&オペラハウス]

「このホールは、ヨーロッパのホールの響きがする!」


仲道郁代さん、田中彩子さん、そして近藤嘉宏さん、宮谷理香さん、菊地裕介さん、松本和将さんの4人のピアニストによるピアノ共演コンサート。。。など、このホールで演奏した演奏家、歌手の方々が、みな異句同音にそう発言する。

この発言を聴いて、コンサートホール愛好家の自分にとって、かなりそそられるというか、自分のアンテナにビビッと来る感じで、居ても立ってもいられなく、これはぜひ訪問してみようとすぐに思い立った。

素晴らしいホールがあれば、海外、国内問わず馳せ参じる、である。

内装写真を見ても、とても品格があって、これ見よがしの音響操作の人工的な仕掛けはまったくない自然な佇まいが、さらに自分の好感度を上げた。見た目にも雰囲気的に確かにヨーロッパのホールのテイスト。とてもとても自然な空間。


サマランカホールというのは、岐阜県にある。
1994年に開場した。もう24年の歴史がある。


その名は、スペインのサラマンカ(Salamanca)市に由来している。

サラマンカ市は、ポルトガルとの国境に近くにあるカスティーリャ・イ・レオン州サラマンカ県の県都で、現存するスペイン最古の大学ともいわれるサラマンカ大学のある街。

旧市街全体が世界遺産に登録されている歴史的な都市なのである。

市中心部にあるサラマンカ大聖堂には、「鳴らずのオルガン」と呼ばれていたルネサンス期の古いパイプオルガンがあった。

まさに世界最古のオルガン。

天使のオルガン、天使の歌声とも言われている。

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そのオルガンの修復を岐阜県白川町のオルガン製作者 辻宏氏が申し出て、その事業に岐阜県も協力をしたのだ。

修復への道のりは決して平坦なものではなかった。

辻氏が修復したいと思っていても、本国スペインでは、大事な国宝のオルガンの修復を外国人に任せられないと断られた。

交渉の末、許可が下りるものの、費用は自己負担。
大きな壁となって立ちはだかった。


その大きな後ろ盾に、現在の天皇陛下・皇后美智子さまが関心を寄せ、特に美智子さまの存在は大きく、力添えになっていただき、大きな流れになって変わった。

美智子さまは、「多くの人の力で修復が実現したほうがいい。」と提案。

チャリティーコンサートが開催されることになった。
美智子さまは出席できなくなった代わりに、10枚分のチケットを購入。

コンサートは大成功。

財界の協力もあり、集まった資金は3000万円以上。

これをもとに修復がはじまった。


辻氏の目的は、オルガンの音色を改良しないこと。昔の音色をそのまま復活させること。

最初、この巨大なオルガンのどこが故障なのか、さっぱりわからなく、ついには、この世界最古のオルガンを分解する、という方法を提案した。これだけ古いものを分解したら、元に戻るかどうかもわからない。危険なカケでもあった。

そして、決して部品を新しいものを使うのではなく、その昔の部品をそのまま使うこと。

オルガン修復に8ヶ月かかった。


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修復中のオルガン




1990年3月25日。 

いよいよオルガン復活の瞬間の日。

スペイン国営放送が、全国一挙放送。

スペイン国民、そしてその群衆の中に辻氏も入って、固唾を飲んで見守っている。

「鳴かずのオルガン」から見事なオルガンの音色を奏でた。

サラマンカ市民に大きな感動を与えた。

そのときの辻さんの様子を、隣にいた奥様紀子さんがこう語っている。
「顔色が変わり、黙り込んでしまった。言葉では言い表せない、深く語るものを感じたようだった。」

まさに許可に10年の月日を要し、皇后さま支援のもと、世界で日本人が大きな偉業を成し遂げた瞬間であった。

天使のオルガンは、地元の人から、日本人のオルガンと呼ばれるまでになった。

2013年6月13日にスペイン訪問中の皇太子さまも、このサラマンカ大聖堂を訪問して、このパイプオルガンの演奏を楽しまれたようだ。

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そしてその6年後、辻氏がサラマンカホールのために、このサマランカの大聖堂オルガンの特徴をとり入れたパイプオルガンを建造したのだ。

このホールがサラマンカの名をいただいていることは、まさにスペインと日本の友好の証でもあるのだ。


新横浜から名古屋まで、新幹線。さらに岐阜まではJR東海道本線。岐阜駅からバスに乗る。
OKBふれあい会館の中にサマランカホールはある。

フロントからとても雰囲気がある。

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今日は、日本が誇る世界的なメゾ・ソプラノである藤村実穂子さんのリサイタル。

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ホワイエは、とても素敵だ。赤い絨毯に、端のらせん階段が、とても視覚的にも素敵な印象を植え付ける。

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そしてなんといっても、最高に、印象的なのは、ホワイエ2階の3つの客席扉にレリーフが設置されていること。

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これは世界最古の大学、サラマンカ大学(中央)と、サラマンカ大聖堂(左右)のレリーフを模したもの。石材に現地のビジャマジョール石を用い、スペインの職人によって三年かけられて作られたそうだ。


真ん中の中央のサラマンカ大学レリーフのレプリカは、唐草模様の中に隠れている多くの動物たちや、翼をもった女性、どくろなどが彫られている。さながら我々の世界のよう。レリーフの中には一匹のカエルが彫られており、このカエルを見つけられたら幸運に巡り合える、といわれている。

帰京してから気がつきました。(笑)

そして左右のサラマンカ大聖堂レリーフのレプリカは、さまざまな楽器を持った人が点在し、音楽のある幸福な世界が表現されている。


各々のレリーフに、ホールへの扉があるのだ。なんとも素敵で雰囲気ある。

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そしてホール内に潜入。目の前一面にホール空間が現れる。
いつもこの瞬間が、ホール愛好家の自分は逝ってしまう感覚になるときだ。

入った瞬間、なんともいえない全体がブラウンの色彩で身をまとった素晴らしい風景が目の前に現れた。

思わず「これは美しい!」と息を呑んで叫んでしまった。


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自分がいままで日本のホールでは体験したことのない、極めて美しい、品格の極致を纏ったホール内装空間だった。

実際の公式HPの写真を見ていても十分に美しいのだが、でも実際のそのリアル空間に自分の身を置いたときのほうが、その美しさは数段上だと思う。

やっぱり撮像素子を通した画像と、じかに自分の目に入ってくる画像では、全然迫真の度合い、迫ってくるような感覚が違う。写真じゃあの美しさはわからないと思う。

美しいといっても、いわゆる成金趣味的なキラキラする装飾ではなく、全体が木目調のブラウン系で統一されていて、とてもシックで品格のある上品な装いなのだ。これはまさに大人の美しさですね。

オーク(楢)をふんだんに使っているそうで、全体に柔らかな空気感を感じる、そんな内装空間なのだ。木目調ベースというのは、人間の五感、とくに視覚にとても優しい感覚をもたらすそうであるから、この品格の高さは、そのようなところから来ているのだろう。

そして近代のホール音響設計で必須な反射音の拡散を狙った凹凸などの人工的な音響の仕掛けがまったく見当たらないこと。極めてごく自然な建物としてのシンプルな内装デザイン。これがその美しさに拍車をかけているのではないだろうか。


初めから、コンサートの間、そして終演でホールを去るまで、座席に座っていながら、この美しい空間に、心ときめいて、ずっとドキドキして、キョロキョロしながら常に心ここにあらずだった。


なんと素敵なホールなんだろう!

日本のホールの中では1番美しいホールだと思う。


これが、辻氏がサラマンカ大聖堂のオルガンを模して建造したパイプオルガン。まさにその姿は、サラマンカ大聖堂のオルガンと全く同じだ。願わくば、このオルガンの音色もぜひ聴きたかった!

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708席というどちらかというと小編成、室内楽向きのホール規模で、残響2.1秒(空席時)という十分すぎる豊潤な響き。天井は高い。

実際自分の耳で聴いた音響の印象は、これまたじつに素晴らしく感銘。まさに驚愕の一言だった。

ホールの音響って、もう一番最初の出音ですべてがわかってしまう。そこから何時間聴いていても印象が変わることはほぼない。最初がすべての判断のときなのだ。

藤村実穂子さんのリサイタルなので、発音体は、藤村さんの声とピアノのみ。

最初のピアノの音で、どちらかというと柔らかな質感の音色で、木独特の響きだな、と感じた。
でもpppなどの超弱音な表現でも、その音の余韻の漂いかたなどじつに美しい。
響きの滞空時間がとても長いのだ。

ホールの遮音性能、いわゆるホールの静けさという点でも素晴らしいので、それが伏線となって、このような繊細な音色の余韻の漂い方、響きの滞空時間の長さを感じ取れたりするのだろう。

そして一番驚いたのは、藤村さんが発声したとき。

これがじつに美しく驚嘆であった。声色の音色そのものがその音像がとても明晰でクリア。そこにとても豊かな響きが追従する感じで、いわゆる音がとてもとても”濃い”のだ。

この瞬間、うわぁ!これは素晴らしい響きのホールだと確信した!

同時にホッとして、もう嬉しくなってずっとドキドキしながら、聴きながら恍惚の幸せをかみしめていた。

残響感はとてもあるのだが、けっして長い響きというより、むしろ響きの長さとしては、中庸の部類ではないか。響きの長さというより、その響きの量自体が多いのだと思う。

豊かだけれどもほどよい響きが、しっかりと直接音を強化している、という表現が一番ぴったりくる感じ。それが音がとても濃く感じる原因なのかも、と思う。

実音(直接音)に対して、響きがほどよい時間遅れで分離している感じなので、そのため立体感を感じるのもその特徴のひとつ。

ホールの容積としては小ぶりの部類だと思うのだが、直接音の到来に対して、間接音の到来の遅れ差分が、そういう分離感覚を感じさせるくらいの適切な容積だということなんだろう。

とにかく音の芯がしっかりしていて、音が濃い!
この表現に尽きる!

音響の超素晴らしいホールとしては、松本市音楽文化ホールもそうであったが、ここはいわゆる完全な石のホールの響き。硬質で溢れんばかりの豊かな響きという感じだったが、このサマランカホールは、もっと木質の暖色系の音色で、響きも豊富で美しく、音が濃い。上質な響きという表現が適切だと思う。


いやあ、じつに素晴らしい響きのホール。
まさにヨーロッパのホールの響き、そのものだと思います。



今回のコンサートは、日本が誇る世界的なメゾ・ソプラノ 藤村実穂子さんのリサイタル。

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「藤村実穂子 リーダーアーベントⅤ」と呼ばれる日本リサイタルツアーの中の1公演。

全国7ホールを回る中で、ここサラマンカホールでも行われた。


この座席から拝聴させていただきました。

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シューベルト、ワーグナー、ブラームス、そしてマーラーといったドイツ音楽作曲者によるドイツ歌曲をうたう、というコンサートだ。

自分は、藤村さんとは不思議と縁があって、はじめてルツェルン音楽祭にいったとき、KKLでアバド&ルツェルン祝祭管弦楽団のコンサートを体験した時、そのとき独唱として藤村さんを体験した。そして事あるごとに、縁があって藤村さんの歌に接することができてきたと感じている。

でもこうやって藤村さん独自のリサイタルという感じで、体験するのは初めてではないだろうか。

この日。もう自分のような者がコメントをすること自体、恐れ多いような完璧な表現力。
まさに魂がこもっている、気が入っている、その渾身のど迫力に度肝を抜かれた。

なんというのかな、聴衆者に息をさせることすら許さない極度の緊張感をこちらに強いてくるというのか、まさに凛とした、辺りを払う威厳とともにピンとした空気が張り詰める、そういった藤村さんのまさに真剣勝負そのものが、聴衆に強烈に伝わってくるのだ。

こういういわゆる”気”をこちらにこれだけ感じさせる歌手って、はたしてどれくらいいるだろうか?世界の藤村として名を馳せるだけのことはある、世界が認める力は、やはりとても奥が深く、藤村さんを、まさしく求道者のような存在に仕立て上げているだけのことはあると感じました。

凄すぎた。。。

最後のアンコールのマーラー交響曲第2番「復活」での原初の光を歌ったときには、感受性豊かな自分は、不覚にも涙がでて、頬を濡らした。



「ヨーロッパのホールの響きがする!」

このサマランカホールをそう表現したのは、田中彩子さんの発言が自分にとって最初のきっかけだった。

田中彩子さんは、ウィーン在住でヨーロッパで活躍、まさに絶世の美女、そして超高音域のコロラトゥーラ歌手として類まれな声質を持った、まさに天は二物を与えた歌手、日本期待のホープですね。

まさにヨーロッパにいるからこそ、その発言もリアルで真実味な響きに聴こえる。

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自分は、まだ彼女のコンサートを経験したことはないのだけれど、みなさんのコンサート評を読むと、なんか「不思議ちゃんトーク」(笑)らしく、その美貌とトークのギャップがあまりにかけ離れているらしい。(笑)

なんか業界が、その美貌ゆえにお高くとまって見えないように・・・という意図もあってそういうイメージ操作している、という噂もあるけれど、あまり弄らないほうがいいと思うな。以前情熱大陸で拝見した時は、とても飾らないサッパリした人柄の印象でした。あの素の姿でいいんじゃない?



田中彩子さんの最近発売になった2'ndアルバム。 

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『ウィーンの調べ~華麗なるコロラトゥーラ2』 
田中彩子、加藤昌則

https://goo.gl/aa5MdZ


こちらのアルバムが、まさにこのサマランカホールで録音されたアルバムなのだ。

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そのサマランカホールでの収録のときの演奏陣やスタッフ陣集めての記念撮影。
(C)田中彩子FB公式ページ


その後、このアルバム発売とかねて、日本でリサイタルツアーをやって、このサマランカホールでもその美声を披露した。

このアルバムを聴いただけで、このホールが、じつに濡れたような艶やかな質感で、とても豊かな響きを持ったホールであることがよくわかる。



さっそくこの田中彩子さんの新譜を聴いた。

「ウィーンの調べ」というタイトルで、心あらわれるアヴェ・マリアから、華やぎに満ちたウインナ・ワルツまで、まさにこれぞウィーンといったような数々の名曲が収められている。

聴いていて、じつにうっとりする美しい歌声に美しい旋律の調べの数々。

素晴らしい!!!

田中さんの歌は、かなり音高の高いキーで歌っているように思え、その高さで、華麗に音階を移り渡っていくその歌いまわしに圧倒される。まず印象深かったのが、やはり生まれながらして兼ねそなえている天性の声質、と思ったこと。

素晴らしいですね。

期待を裏切らなかったです。

声質の印象は、声量や声の線は細い部類だと思うが、透明感がある。
天使の声、エンジェルボイス、それにガラス細工のように繊細で、触れると壊れそうな優雅な装い。

そんな印象・・・。

自分のオペラ鑑賞歴はたいしことないけれど、でも旬な歌手、まさにベテランの域に達した歌手の歌をそれなりの数かなり聴いて来たつもりである。

それと比較すると、まだまだと思うところもある。

声質の才能は申し分ないけど、歌の技術面では自分が思うには、歌手としての完成域にはまだまだの印象。聴いていると技術的にまだまだ伸びしろ、たくさんありすぎるくらい。まだまだ。

歌いまわしや、音楽的なフレーズ感のセンス、歌への表情、感情の表現、深みなどまだまだ伸びしろある!いまはまだ、持って生まれた恵まれた声質の才能だけで歌っているところもあると言えるのではないだろうか。

藤村実穂子さんのリサイタルの張り詰める空気、迫真の表現を経験したからこそ、そういう想いをさらに強く感じてしまった。


彼女は師事している人に、オペラをやらずにリサイタル歌手として生きていけ、とのアドバイスを遵守している。

確かに声量や声の線の細さから、それも納得だけど、でも自分は一生涯歌手として生きていくなら、これからもオペラは経験したほうがいいと思う。

歌への表情、感情の表現、深みなど違ってくるはず。歌手の場合、やはり経験ってどうしても自分の歌への血となり肉となり、成熟度に必要ですね。

天からの授かりものである声を壊さないように、自分の声に合わない役は歌わないというオペラ界の鉄則を守りながらも、いろいろな役柄を歌っていくことで、その表現の幅はいまよりぐっと広がるはず。


だってまだ若いよ。歌手人生始まったばかり。これからだよ。これからいろんな歌、役を経験して、経験を積んでいけば、40~60歳になれば、自分的に達観することができて、まさに歌の世界を極められるはず。

これだけの美貌、そして類稀な声質、まさに天は二物を与えた感あって、間違いなく日本の至宝って言っていい。

日本のメディアも彼女を日本を背負っていく看板スターとして育てていくことはすでに既定路線であること間違いなしだ。

本当に期待しています。頑張ってください。

ただこれだけは確実に言えることは、彼女が歌手の世界で王道を極める年代に到達した時は、自分はもうこの世にはいないということだ。

これは間違いない(笑)


まさに田中彩子さんの発言がきっかけで、気になり始めた岐阜のサマランカホール。

まさに自分の期待を裏切らない、どころか、さらにその遥か上をいく、実に素晴らしいホールであった。

その素晴らしい響き、そして稀に見る美しい内装空間、まさに日本一の音楽堂だといえよう。









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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番のサラウンド録音 [ディスク・レビュー]

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番という曲は、ピアノ協奏曲の中でも、もっとも技巧的に難しく弾くのが困難な曲と言われている。それは、この曲に限らず、作曲者ラフマニノフの手の大きさが人並み外れて大きいことに起因する。彼がふつうに届く鍵盤の間隔も、普通のピアニストにとっては、かなり肉体的限界への挑戦となるのだ。


その作品群の中でも、このピアノ協奏曲第3番は、その肉体的限界に加えて、とりわけその音数の多さ(譜面上の音符の数)、そして大変な技巧を極めた曲なのだ。


昔からこの曲を弾けるピアニスト、録音として残してきているピアニストは極めて少なく、オーディオファンとしては、悲しい想いをしてきた。ラフマニノフのピアノ協奏曲としては、2番のほうが出世作として有名なのかもしれないが、自分は断然3番のほうが好きである。


自分のこの曲に対する昔から抱えている悩みとして、自分のイメージする理想の演奏の録音に巡り会えることが極めて少ないことなのだ。ただでさえ録音が少ないのに、その中で、さらに自分が思い描く理想の演奏である録音は、皆無だった。


自分の経験からすると、クラシックファンにとって、その曲を覚えた演奏家の演奏が、いつまでも自分の頭の中のリファレンスとして残るもので、それを超える演奏に出会えるのは、なかなか難しい。


自分が、この曲でリファレンスとしているのは、この音源。


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チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番&ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 
マルタ・アルゲリッチ




演奏としては、アルゲリッチらしい強打腱で乱暴で突っ走る感のある演奏で、緩急はあまりなく一本調子のところもある。第1楽章のカデンツアもない。これより名演奏なものも実際多いだろう。でもこの演奏が、自分のこの曲についてのリファレンスなのだ。ラフ3の興奮処、魅せ場は、これを基準にしている。


こればかりは個人の感性によるところが大きい。


この盤は、1980年の古い録音。新しい録音で、優秀な演奏の録音をずっと探し続けてきているのだが、これは!というのになかなか巡り会えないのだ。


また自分がクラシックの音源を聴く場合は、必ず演奏とそして録音の良さという2点から選ぶのが筋でもある。オーディオファンであるので、録音の良さは必須条件で、やはり録音のよくない音源は、自分の愛聴盤として挙げられないのである。


でも、このラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番だけは別。


演奏第1主義。


この曲に関しては、まずその演奏解釈が第1優先なのだ。

この曲は、このような演奏であれば、まさに感動する、自分のツボに嵌る、という理想の演奏体系・造形が自分の中にすでに構築されている。そう言い切れるだけ、実演含め、この曲の演奏に触れてきた。


これは自分がとても不思議に感じていることなのだけれど、この曲は、CD/SACDなどのオーディオ音源よりも、実演含めた映像素材のほうが、とても感動するのだ。これがどうしてなのか?自分でも説明できない。


自分がいままでこの曲で大感動したのは、ほとんど映像素材といっていい。


まずここから入った。


「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番」・・・この曲をひとことでイメージづけするのなら、


「ダイナミズムと甘美な旋律が融合した音の絵巻物語」


まずダイナミックでないといけない。40分強あるこの曲は、いわゆる旋律の流れとしてきちんとした筋書があって、その要所要所に魅せるための決め処のテクニックの披露、随所にはめ込まれている甘美な旋律の流れなどがある。第1楽章のカデンツアや、第2楽章の華麗なトリルの部分などなど、そのそれぞれの名所は、全体のフレームを華麗に魅せるために要所要所に散りばめられている布石となっているのだ。


そしてこの曲で私が最も興奮するところ、終盤のエンディングにかけてのグルーブ感、テンポを上げて 一気に盛り上がり、その頂点で派手な軍楽調の終止に全曲を閉じる部分。 この賑やかな軍楽的な終結は「ラフマニノフ終止」と呼ばれているもので、この部分で私はいつも体全体に稲妻のようなゾクっとくるのを感じるのが快感なのだ。この部分の感動を味わいたくて、最初からずっと聴いているみたいな.....


このラフマニノフ終止に至る劇的な感動は、まさにその間に仕込まれた数々の決め処の見せ場があるからこそ、生きてくると思うのだ。このエンディングで、40分強という長大でロマンティックな旋律で綴られた音の絵巻物語を、このフィニッシュで一瞬にして完結させてしまう圧巻のその瞬間! このラストの瞬間を聴いたと同時に、いままでの布石が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、その余韻の素晴らしさ、そして楽曲を弾ききった達成感、その長い壮大なドラマが完結したような興奮が一気に最高潮ヴォルテージに達する。


まさに音の絵巻物語なのだ。


そういう感動のメカニズムを達成するには、演奏する側に必要な要素は、まず躍動感&パワー、そしてダイナミズム。ダイナミズムがあるからこそ、弱音表現などの緩急の差も生きてくる。


この曲の華麗でダイナミックな演奏は、やはり映像素材などの映像付きで鑑賞すると感動の度合いが違うと感じるのは、そこなのかもしれない。それがCDではなかなか自分の琴線に触れる作品に出会えないのに、映像ソフトではこのように感動作品に出会えるという理由なのかと思ってしまう。この曲は視覚効果というか、速射砲のような運指、体全体を激しく揺らすダイナミックな演奏風景を観ながら聴くという眼・耳の両方からの相乗効果で、脳に与える刺激が何倍にも膨れ上がる、ということ。


また、2番は、どちらかというとオーケストラが先に走って、それにピアノが追随していくスタイルなのだが、3番は、全く逆。ピアノがつねに先を走ってオーケストラを誘導する。そういう意味でも、ピアニストにとって、つねに見せる要素の強い曲と言えるのだと思っている。


これが、この曲が実演、映像ソフトなど映像から入る作品に向いていると思う理由なのである。

そういうことを考えると、やはりこの曲は、男性ピアニストに有利な曲であることは仕方がないことなのだろう。


自分がこの曲で感動していた演奏としては、2004年のゲルギエフ&ウィーンフィルのサントリーホールでの来日公演。イエフィム・ブロンフマンをソリストに迎えてのこの曲の演奏は、観ていて鳥肌が立った。まさに近代稀にみる名演奏という評判に相応しい名演であった。


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そして、ロシアのピアニスト、デニス・マツーエフ。


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まさに叩いて叩いて叩きまくる。その圧倒的な力技の奏法に、演奏中にピアノの位置がずれてしまう(笑)、というくらい凄いダイナミズムの代表のようなピアニストなのだが、この人のこの曲の演奏もじつに素晴らしいものがあった。ベルリン・フィルのDCH(Digital Concert Hall)で出会った(2010年か2011年の定期公演の演奏)。ゲルギエフ/ベルリン・フィルとの競演で、ベルリンフィルハーモニーでこの曲を披露していたが、まさに圧巻だった。


このマツーエフは元々乱暴な弾き方をするピアニストで、凄い荒々しい演奏なのだが、これがこの曲と妙にマッチしていて、じつに鳥肌もので素晴らしいと思った。この曲には、やはりパワー&ダイナミズムが必要不可欠なのだな、と改めて考えさせられた。


この曲を聴衆に対して感動させるには、こうだ!というようなお手本のような演奏だと思う。
いまでもアーカイブで観れると思うので、ぜひご覧になってほしい。自分がラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番で理想とする演奏がそこにある。


マツーエフのこの曲は実演にも接したことがある。ゲルギエフ&マリインスキーの公演でサントリーホールで聴いた。期待を裏切らない素晴らしい演奏だった。


こうしてみると、ラフマニノフはロシアの作曲家。ロシア人指揮者のゲルギエフがこのような優秀なラフマニノフ弾きを育て、次々と世に送り出すのが上手なのは、もう彼らロシア人からするとロシア音楽を背負っていく宿命みたいなものなのだろう。


確かに男性ピアニスト有利な曲ではあるが、女性ピアニストでも素晴らしいラフマニノフ弾きがいる。


我らが小山実稚恵さんだ。


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小山実稚恵さんは学生時代より特に3番がお気に入りで、この曲を聴かないと寝れないというくらい好きであり、その後ピアニストとしての夢をかなえた。


日本でこの曲を初演したのはまさに小山さんなのだ。(ちなみに指揮は小泉和裕さん。)
そして小山さんは日本一のラフマニノフ弾きとしての評価を不動のものとしている。
 
ご本人がもっとも好きだという曲だけあって、この曲には特別の思い入れがあるようで、国内で頻繁にこの曲の演奏会を開いてくれる。この曲が大好きな私にとって生演奏を聴こうと思ったら、必然と小山さんの演奏会に出かけることになる。

小山さんのこの曲の公演は、もう軽く10回~20回くらいは行っていると思う。


つい最近新しいところでは、小山さんのデビュー30周年記念コンサートでサントリーホールで、この曲を演奏してくれた。自分は、そのとき聴いて大感動した。


小山さんのラフ3は、女性ピアニストならではの解釈で、とても柔らかい女性的な表現でありながら、肝心の緩急の部分、要所要所の魅せる部分、全体のロマンティックな流れなど申し分なかった。まさに日本でのこの曲の第1人者である。


序章は、長くなってしまったが、ここからが本番である。(笑)


この曲に対するこだわりがあまりに強すぎるため、長いこと自分のこれは!と思える音源に出会えなかったのだが、BISの新譜で、なんとこの曲のSACD5.0サラウンド録音がでた。



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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、第3番 
エフゲニー・スドビン、サカリ・オラモ&BBC交響楽団



1980年生まれのロシア・サンクトペテルブルク生まれのピアニスト、エフゲニー・ズドビン。
BISレーベルが、デビュー以来、ずっと育ててきている若手の男性ピアニストだ。


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この人のBISの新譜は、いままで必ず自分の日記で紹介してきた。
ラフマニノフ、メトネル、スクリャービン、チャイコフスキーなどを得意レパートリーとして録音を残してきている。最近ではベートーヴェンのコンチェルトやスカルラッティ・ソナタを日記で取り上げた。


とにかくこの人の演奏、録音は外れがないのだ。
いままで期待を裏切られたことがない。

素晴らしい演奏に、素晴らしい録音。


このズドビンが、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番。
そしてBIS録音。SACDの5.0サラウンド録音。

全てが揃った。

相当心ときめいた。


ラフ3のサラウンド録音は、いままでないことはなかったが、自分の好みではなかった。

ついに自分の本懐が遂げられる時がやってきた!


新譜の封を切って、トレイに乗せて、ドキドキしながら聴く。

・・・以下沈黙。(苦笑)


やっぱりそう世の中簡単にうまくいくことってないんだなぁ。
期待していたズドビンのラフ3は、自分の理想としていた演奏とは程遠いものであった。


要所要所での決め処、魅せ処が、まったく自分の理想とかけ離れていて、全体のスケッチ、絵巻物語のようなストーリーが描けていないような感じがした。(描けていないと言ったら言い過ぎかもだが、自分の理想とあきらかに違う。)


確かに全体としては無難にまとまって演奏しているのかもしれないが、自分はこの要所要所での決め処の甘さが許せなかった。ここが甘いと全体の骨組み、そして最後のシャットダウンに至るときの壮大な余韻の感動が弱くなってしまう。終焉に向けて一気にエネルギーをぶつけていく瞬発力を養うためには、それまでの間の壮大なドラマの描き方がとても大切なプロセスになると思うのだ。録音はBISなのでいいのだが、自分にはやはり演奏解釈という点で、そこが残念賞であった。


いままで裏切られたことのなかったズドビンでさえを持っても、満足できない自分。

この曲に対するこだわりは、もうほとんど病気なのかもしれない。


返って、2番のほうがとてもいい演奏であった。自分は2番は合格点。

アルバムとしてのトータルバランスとしては優秀でいい録音作品の部類なのだと思う。

3番に対する自分のこだわりが邪魔をしているだけ・・・


ラフマニノフの曲風は、よくロマンティック、メランコリック、映画音楽のようだ、.....とか言われるが、確かに、うっとりするような華麗・甘美なメロディの調べは、いにしえのクラシック作曲家達の曲風とは一線を画している彼独特の旋律のように感じる。

また、ラフマニノフは 映画音楽のようだといわれるけど、映画音楽のほうが彼の作品を参考にしたわけで、ギリギリのところでポップスに行かない、そういうひとつのクラシックとしての敷居の高さを守っている、そういうすごい才能があると思う。

 


そんなラフマニノフの作品は、いまから40年ほど前までは、「鐘の前奏曲」とピアノ協奏曲第2番が良く知られていて、さらに交響曲第2番やパガニーニ狂詩曲がコンサート・プログラムに徐々に取り上げられるようになって来たかな・・・ といった状況だった。


だからラフマニノフといえば、大ピアニストで作曲もした人というのが大方の音楽ファンの認識だったと思う。しかし ここ40年で状況は大きく変わった。


・3曲の交響曲 管弦楽曲
・ピアノ協奏曲
・室内楽曲
・ピアノ独奏曲
・声楽曲・オペラ


作曲家ラフマニノフの全貌が レコード音楽を中心に明らかになったと言える。
そうしてみると 単にピアニストの余技どころではなく、グリーグ、シベリウスあたりと堂々と肩を並べるべき大作曲家であるというように認識も変わって来た。そして 何よりもラフマニノフの音楽に特有の先が見えないようなメランコリックな雰囲気が 今の時代にフィットしている感じがする。 


ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番。


自分にとって、この曲に対する音源探しの旅はこれからも続くのだろう。

今回の件で、いったいいつになったら本懐を遂げられるのだろう?と想うことしきりだ。





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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ポーランドの朝ごはん [グルメ]

ポーランドといえばショパン。

ショパンの心臓は、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬されている。 

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彼の意向により、1849年に姉によってポーランドに持ち帰られたものだ。

教会の石柱には「あなたの宝の場所にあなたの心がある(マタイ伝)」と記されている。
なお、遺体はフランス・パリのPere Lachaise墓地に埋葬されている。

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1795年のロシア、プロシア、オーストリアによる第3次ポーランド分割のあと、1830-31年にポーランド騒乱が起きる。

ショパンは父親の故国であるフランスに移住。ロシアのパスポートを取得することを拒否したため、その後、故国ポーランドの地を踏むことはなかった。

ホームシックに苦しみ、ポーランドの独立を夢見ていたショパン。

「騒乱はショパンの人生を引き裂くドラマだった」。

そんなショパンの音楽は、ポーランドの自由を 獲得するための長い闘争のシンボルとなった。



クラシック音楽を愛する末席の者としては、一度は行ってみたい国だが、いろいろ予定が立て込んでいて、優先度考えると行けるのは、いったいいつのことになるのかなぁという感じはする。

自分にとって遠い国だ。


そんなポーランドの朝ごはん。

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りんごの生産がヨーロッパで一番のポーランドでは、そのまま食べるのはもちろん、デザートや料理にりんごをたくさん使う。朝ごはんには、りんごが入った「ラツーシュキ」というパンケーキを食べるのだそうだ。

左手前のがそのりんごのパンケーキ「ラツーシュキ」。

甘いりんごの香りがとても豊潤で、食感はそんなにボリュームはないけれど、こんがり焼き上がって暖かくて、とても美味しい。

その右にあるのが、いまでは主食といえるほど、食べられるじゃがいものパンケーキ「プラツキ」。

アメリカ大陸から西欧を経てポーランドに伝わってきたじゃがいもは、それほど昔から食べられていたわけではないのだが、今では主食といえるほど食べられているのだそうだ。上にちょこんと乗っているのがサワークリーム。

じゃがいもなので、無味無臭といえばそうなのだが、上のサワークリームが程よいアクセントになっていて、全体として爽やかで、食べ応えのある食感。


これが主食なんですね。朝ごはんというより、3時のおやつを食べているみたいだ。(笑)


その上に、ポーランドのソーセージ「キエウバサ」。ちょっとスパイスの効いた味付けのソーセージ。ソーセージなので、馴染みもあって、とても美味しい。

その横に、トマトなどが入っているスクランブルエッグ。トマトの味がとても強烈だった。卵の味を強烈に上回っていた。

そしてラディッシュとネギの入った白チーズの「トゥファルグ」。これはあきらかにヨーロッパ・テイストな食べ物ですね。白チーズがベースなので、とてもデザート的な食感なのだが、日本人にとってはあまり馴染みのない、いかにもヨーロッパ的だなぁ、と感じる1品であった。


以上が、ポーランドの朝ごはんとして定番メニューである1品をワンプレートにしたもの。



今回は、ちょっと奮発してサイドメニューも頼んでみた。

水餃子のような「ピエロギ」。

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日本の餃子のように中にしっかりと餡が入っているわけではなく、外皮の餃子がとても皮が厚く、皮の塊を食べているような感じであった。でも上に乗っているクリームや、独特な味付けのトッピングによって、とてもフルーティーに感じて、これは一種のデザートですね。



そして、ポーランドの伝統的なスープの「ジュレック」。

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これは、とても不思議な味!!!

いままで1度も経験したことのない、とても不思議な味なのだ。どうやって表現すればいいのかな?とずっと思いながら飲んでいた。(笑)

敢えて言えば、チーズの味に近いといえばいいのかな?このスープは結構印象的でショッキングな味でした。ポーランドの朝ごはんを頼んだら、このポーランド伝統のスープ「ジュレック」も頼むことは絶対お薦めです。



ポーランドの朝ごはんは、いわゆるとてもヨーロッパ的な朝ごはんだと思いました。

素敵でした。

このお店は、その特徴柄、とても外国のお客さんが多いのだが、外国人って、本当に食事の時は、よくお喋りをして食べている。本当にお喋りが大好き。自分の耳に馴染みのない発音の言葉なので、ポーランド人だったかも?

本当に一生懸命、お喋りしているのだ。なんかお喋りというより議論しているみたいな・・・
外国人にとって、食事をしながらお話をするのって、ひとつの慣習というか、マナーみたいなものなのかも。

食事にたっぷり時間をかけて、たくさんお喋りをしながら、豊かなひとときを過ごす。
それが彼らの食事に対するごく普通な考え方、幼少な時から身についたマナーなんですよ。

間違っても、日本のような立ち喰い〇〇のような習慣はいつまで経っても理解されない文化なのでしょう。(笑)


ふっと、自分が海外へ旅行を行ってレストランに入ったりすると、やっぱり外国人の方は、食べながら、本当に一生懸命喋っている。そんな風景を見ながら、お喋りするのが、本当に大好きだよなぁ、民族性なんだろうなーと毎度のことながら感じていた。

そんなことを、ふっと思い出しました。(笑)





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イザイ音楽祭ジャパン 2018 [クラシック演奏会]

今年は、ベルギーの作曲家&ヴァイオリニストのイザイの生誕160周年にあたる。

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去年日本イザイ協会主催による初のイザイに纏わるコンサートが開催され、参加させていただき大変感銘を受けた。

今年は、その日本イザイ協会主催による第2弾のコンサートと、そしてこの生誕160周年ということもかねて、大きなイヴェントを開催する。


イザイ音楽祭ジャパン 2018


との冠で東京・福岡でイザイの曲の演奏会が開催されるのだ。

去年の2017年の9月に4日間に渡って、イザイを特集した国際音楽祭がベルギーのクノッケ・ヘイストで開催された。

いわゆるイザイ国際音楽祭(Ysaye's Knokke)。イザイに纏わる音楽祭としては初めての試みでもあった。


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(C)日本イザイ協会FB公式ページ


この音楽祭の芸術監督が、世界的ヴァイオリニストのフィリップ・グラファン。 

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彼は、イザイの孫弟子(イザイの弟子、ヨーゼフ・ギンゴルド氏、フィリップ・ヒルショーン氏に師事。)にあたり、これまでに、モーツアルトからブリティンまで、幅広いレパートリーによるCDをリリース。

40曲近いヴァイオリン協奏曲、原典版や忘れられた作品の発掘、珍しい作品のCDも数多い。
ショーソン「詩曲」の室内楽版、またその「詩曲」のイザイが書き換えたバージョン、イザイのカデンツァによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、フォーレのヴァイオリン協奏曲、BBC Proms にてライブ録音したコレッジ ・ティラーのヴァイオリン協奏曲などがある。

また既存の作曲家との活動、様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションの企画にも積極的で、その一方でソリストとして世界のオーケストラとの共演など。。。

自分が思うに、いわゆる普通の音楽家というよりは、かなりユニークで個性的、そしてアイデアマンというか、型にとらわれないマルチな才能、ビジネスマンとしての才能を持った演奏家の方だと感じた。

現在 パリ国立高等音楽院、ブリュッセル王立音楽院教授。

2017年から、イザイが過ごしたベルギーの避暑地クノッケにて「Ysaye's Knokke」国際音楽祭を創立、芸術監督を務めている。

まさに、このイザイ国際音楽祭の創立者で、イザイの存在を世界に知らしめていこうという旗頭のキーパーソンといってもいい存在なのだ。




そのイザイ国際音楽祭の日本バージョンである「イザイ音楽祭ジャパン2018」が実現するのだそうだ。まさに、このイザイ生誕160周年の今年を祝うには相応しい。素晴らしい!!!


「イザイ音楽祭ジャパン」は、ベルギーのイザイ国際音楽祭(Ysaye's Knokke)の姉妹音楽祭として2018年10月に東京と福岡で開催。

ベルギー王国大使館および在福岡ベルギー王国名誉領事館による支援と、音楽監督フィリップ・グラファンと日本人演奏家たちの協力のもとに実現する音楽祭なのだ。



イザイ音楽祭ジャパン2018 生誕160周年記念

主催:日本イザイ協会 Ysaye Society of Japan
共催:ベルギー王国大使館 Embassy of Belgium in Japan


2018年10月18日:コンサート FFGホール(福岡銀行本店ホール)/19時開演
2018年10月20日:コンサート 東京文化会館小ホール/19時開演
2018年10月21日:マスタークラス
2018年10月22日:講演&パネルディスカッション


●プログラム(福岡公演&東京公演)

① イザイ :無伴奏ソナタ op.27-5
      ヴァイオリンソロと弦楽四重奏編曲版
★日本初演

② イザイ:冬の歌 op. 15 ヴァイオリンとピアノ

③ イザイ:瞑想曲 No.5, op.16 チェロとピアノ ★日本初演

④ ショーソン:詩曲 op.25 ヴァイオリンソロ+弦楽四重奏+ピアノ ★日本初演

<< 休憩 >>

⑤イザイ: 序奏  ★日本初演 ヴィオラソロ  ヴュータン:奇想曲  ヴィオラソロ

⑥ ドビュッシー:弦楽四重奏曲 op.15


まさにイザイつくし、と言っていいプログラムで、その中でなんと4曲も日本初演の曲! 日本では、イザイと言えば、無伴奏ヴァイオリンソナタぐらいしか知名度がないと思われる中で、とても貴重な体験のコンサートではないか、と思う。

出演演奏家は現時点では、音楽監督のフィリップ・グラファン氏、今井信子さん(ヴィオラ)、加藤知子さん(ヴァイオリン)、小林美恵さん(ヴァイオリン)、岡本侑也さん(チェロ)、水本桂さん(ピアノ)などが予定されている。

岡本くんは、つい去年のエリザーベト王妃国際コンクール2017で、堂々の2位とイザイ賞を受賞したいままさに旬な演奏家です。(笑) 


またコンサート以外にも、マスタークラスと講演&パネルディスカッションがあるようで、マスタークラスは、芸術監督フィリップ・グラファン氏によっておこなわれるもの。応募資格や予備審査などがあるようなので、事前に注意されたし。


講演、パネルディスカッションのほうは、イザイの研究家ミッシェル・ストッケヘム、イザイの孫弟子・石井志都子、フィリップ・グラファンそして作曲家・酒井健治が様々な見地でイザイの音楽について意見を交わし、エピソードが語り継がれていくもののようだ。


まだ自分は知り合ったばかりで偉そうなことを言える立場ではないけれど、いままで自分が直感で感じることは、この日本イザイ協会主催のコンサートにいえることは、真にイザイのことを知ってほしい、普及させていきたい、というところに、その志があって、かなり硬派で質の高い、志の高いところに公演の趣旨があるように肌合いで感じる。

去年の日本イザイ協会主催第1弾コンサートの時に配布されたプログラムノートを拝見させてもらったときにもそれを感じた。作曲家で日本イザイ協会顧問の小森俊明さんの投稿を拝読させてもらったのだが、そこにはイザイの曲の調性の特徴や、その作曲手法など、かなり専門的な内容に驚き、イザイの曲の難しさをヒシヒシと感じざるを得なかった。

もともと日本イザイ協会の発足のきっかけがそうなのであるから、ある意味当たり前と言えば当たり前なのだが、その初志貫徹というかその通りに歩まれていることに敬服の念を抱かざるを得ない。

やっぱりクラシック業界といえども、そこは売れてなんぼの商業主義色・スター主義の濃いコンサートがどうしても前線を占めるのは仕方がないところ。

現に自分が通っているコンサートは大半がそうだ。

そういうコンサートと、やはりちょっと肌触り、毛色がかなり違うような・・・なんか直感でそう感じるのだ。まだ、ビジネスとして始めたばかり、これからどう変わっていくか、が楽しみですね。


そのイザイ音楽祭ジャパン2018の公式ホームページが正式に立ち上がった。

イザイ音楽祭ジャパン  https://ysayemusicfestivaljapan5.webnode.jp/

まだ立ち上がったばかりなので、これからどんどん情報が更新アップされて行く予定です。



イザイ音楽祭ジャパンのチケット入手ですが、こちらです。


先行発売 2月1日 

前売3,000円(コンサート2公演とも全自由席) 

郵便振替口座「01790-4-128453 日本イザイ協会」に送金ください。
両公演共、郵便振替用紙の振込受領書を受付にお持ち下さい。それを見せて頂ければご入場頂けます。


問い合わせ:090-7467-4051


一般般発売 2月15日

前売3,000円(コンサート2公演とも全自由席)

下記の窓口でお買い求めください。

 ■ チケットぴあ  電話 0570-02-9999 ・Pコード:107388 ・興行コード:1803693

 ■ 東京文化会館チケットセンター 電話 03-5685-0650


詳しくは、イザイ音楽祭ジャパンの公式ページをご覧ください。






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エディット・マティスの芸術 [ディスク・レビュー]

スイスの歌姫である我が永遠のディーヴァ、エディット・マティスの初のベスト作品集、素晴らしい!マティスのすべて、そして彼女の魅力が余すことなく詰め込まれている。限定盤なので、完売とともに廃盤になる。急いだほうがいい。予想していた以上に素晴らしかった!

マティスが活躍した1960~1982年の録音なので、古い録音なのだが、録音もじつに素晴らしいのだ。少なくとも我がステレオ2chシステムでは、かなりのハイレベルで鳴る。そのクオリティの高さに驚愕した。

自分の永年のマティスへの想いを遂げることができた、と思う。 

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エディト・マティスの芸術(7CD)

https://goo.gl/tSvfmr


2018年2月11日に80歳の誕生日を迎えるマティスだが、そのセレモニー・アルバムとして企画された。彼女が生涯にわたって録音を重ねてきたオペラ、オラトリオ、そして晩年の歌曲を、すべてと言っていいくらい全部盛り込まれている。

オペラ、オラトリオの部分は、もちろんマティスが歌っている部分の抜粋になる。

全7枚をじっくり聴き込むこと繰り返し数回、マティスのすべてを理解できた。永年の彼女に対する想いの自分の溜飲は十分に下げたかな、という気はした。


マティスは、1960~1990年代に活躍したソプラノで、ドイツ圏のソプラノとしてはトップクラスの美貌、それもどちらかといえば愛嬌のあるルックスが大きな魅力で、初来日時の人気ぶりは今なお語り草になっている。

「とにかくキュートで可愛い!」というのが当時のマティスの大きなインパクト。
若いときはもちろんのこと、歳を重ねていってもその可愛らしさは、相応で兼ね備えているから、まさに理想的な歳のとり方かも?

もちろん自分はリアルタイム世代を知らないので、後世に知ってずっと憧れていた、そんなディーヴァだった。

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マティスのずばり得意とした分野は、ドイツ歌曲や宗教音楽、モーツァルトを中心としたドイツ・オペラの世界。

今回、彼女の作品を、全部聴き込んで、マティスの声質、歌などの「マティスの世界」はこれだ! というものを捉えることができた。




オペラの世界では、ソプラノには大きく、スブレット、リリック、ドラマティックの3つのカテゴリーに分けられるのだそうだ。

スブレットは、柔らかくしなやかな声で、ある程度の高音域が充実し、中音域をよく出せること。優れた言語能力(特にドイツ語)と演技力だけでなく、繊細な体つきと外見が要求される。歌手は若い少女の外見、生き生きとした性格でなければならない。


それに対して、リリックというのは、非常に柔軟で、明るい響き、敏捷性のある声であること。高音域や早いコロラトゥーラを歌う能力があること。

要求される性格はスブレットと大差はない。リリックがスブレットと異なることは、高音が歌えるかどうか、早いコロラトゥーラのパッセージを歌えるかどうか、そしてより明るい音色を持つかということである。

リリックな声を持つ歌手は、イタリアオペラの暖かい響きと美しいレガートラインを歌うのに適していて、外見はより柔らかく女性的であることなどが代表格。


最後に、ドラマティック・コロラトゥーラ。

高音域も充実した、柔軟で、かつ気品ある叙情的な線を描ける声であること。リリックよりもパワフルで、リリックよりも幅広い音域を伴うコロラトゥーラを歌い、劇的な感情を噴出させる能力をもつ必要がある。またこの声は、コロラトゥーラでも重めの音楽を含むイタリア語によるオペラの役を歌うことが要求されることが多く、リリック・コロラトゥーラより豊かな声量が必要。

性格のタイプはリリックソプラノやスブレットに代表されるものに比べ、より高貴な人物として描かれることが多い、のだそうだ。

ドラマティックは、まさにメタリックな響きでかつ気品ある歌声が条件。歌だけではなく、舞台を支配できるような見た目の魅力も要求される。



マティスは、この中では、リリック・ソプラノと呼ばれる範疇に入る歌手と言われている。

ずばりマティスの声質、歌い方は、声に硬質な芯があって、明暗をはっきりさせた、まさに「楷書風」の歌い方なのだ。

そして、とても品格がある。声の響き方に、孤高の気品の高さが漂う感じ。

確かに、なによりも明るい響きがある。

そして思うことは、非常に古風な歌い方だということ。現代のオペラ歌手の歌い方で、このような歌い方をする人はいない。昔の時代の歌手の雰囲気がある。これが自分が抱いたマティスへの率直な印象。

そう感じてしまうのは自分が近年体験してきているオペラのスター歌手というのは、まさにホールを圧するかのような巨大な声量で、圧倒的な存在感を示すというタイプの歌手が多く、上のジャンル分けでいうと、ドラマティックの部類だからなのだと思う。

つまりイタリア・オペラのプッチーニやヴェルディといった華やかさ、ワーグナーのような力強さのような持ち味って、まさに、このドラマティック・ソプラノなのだと思う。



マティスは、明らかに違う。

もっと軽い感じで、明るい響きを持った声質、そして、とても古風で気品のある「楷書風」の歌い方。。。それがマティスなのだ。ドイツ語のかっちりした響きとぴったり合致する印象がありますね。

ただ、インタビューで彼女は、コロラトゥーラは歌えない、と言っているし、彼女の作品の中では、そのような技巧を聴くことはない。

マティスは、強力な個性は感じさせはしないものの、澄んだ美声を持つリリック・ソプラノで、技巧的にも長け、舞台での演技力も、歌の演出力も大変優れている。

オペラでのレパートリーの中心は、やはりモーツァルトで、スザンナ、マルツェリーナ、デスピーナなど。ほかにエンヒェン、アンナ、ライヒなど、リリックの役は数多く歌っている。
                                                       

                                                      
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ここで、マティスの歌手としての経歴を紹介してみる。(マティスの経歴については、ネットで調べても、きちんと書かれているのは、ほとんど皆無で、東京文化会館音楽資料室で調べてきました。それを紹介します。とても貴重な資料だと思います。)


エディット・マティスは、1938年2月11日に、スイスのルツェルンで生まれた。
ルツェルンの音楽院で学び、チューリッヒの音楽教育家エリーザベト・ボスハルトに声楽を師事した。1959年に、ケルン歌劇場と契約。ケルンでの活躍で、しだいにマティスの名は知られるようになる。

1960年にザルツブルク音楽祭に初出演。この年からドイツ各地の歌劇場に客演する。

1962年には、グラインドボーン音楽祭の「フィガロの結婚」に出演。
ハンブルク、ミュンヘン、ウィーンの国立歌劇場でも歌って成功を収めた。

1963年までケルン歌劇場のメンバーだったが、1960~1972年の間は、ハンブルク国立歌劇場にも属し、1963年からベルリン・ドイツ・オペラと客演契約を結んでいる。

1970年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に「魔笛」のパミーナを歌って初出演し、同じ年ロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場にも出演した。

指揮者、ピアニストのベルンハルト・クレーと結婚し、ロンドンを本拠地に、世界各地で歌っている。

ザルツブルクで1月に開催されるモーツァルト祭の常連でもあり、ここで初期モーツァルト・オペラの上演に参加して高い評価を得ている。オペラのほか、リサイタル歌手、歌曲の歌手としてもさかんな活動を行っている。

初来日は1963年。ベルリン・ドイツ・オペラのメンバーとしてだった。
このときはベーム指揮「フィガロの結婚」でケルビーノを歌って評判にもなっている。
テノールのペーター・シュライアーと組んでの二重唱は、各地で好評を博し、レコード録音もされた。




マティスの録音については、自分は、少し誤解していたところがあったようだ。
自分は、彼女の録音は軒並み廃盤が多くて入手が困難という認識をずっと持っていたのだが、じっくり調べてみると、いわゆるオペラ、宗教曲、オラトリオの一員として歌っているものは多く、オンラインのタイトル表示から、それに気が付かないということだけのようだった。


今回ベスト作品集を聴いてみて、思ったこと。

マティスは確かに、オペラ、宗教曲、オラトリオとしてキャリアをスタートさせたが、彼女の声、歌の表現を十分に堪能できて、自分が魅かれるほうは、晩年に演奏会活動、録音をスタートさせたリート歌曲の世界のほうではないか、と思ったことだ。

マティスは、リート歌曲の世界では、モーツァルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフを残している。これがどれもじつに秀逸。


特に今回のベスト作品集では、ヴォルフの「イタリア歌曲集」が盛り込まれていて、CDとしては初販売なのだそうだ。大変貴重な音源。




自分がマティスの存在を知って、彼女に魅かれたのは、シューマンの「女の愛と生涯」。
「詩人の恋」と並んで、シューマンの2大連作歌曲でもある。

この「女の愛と生涯」。男性と出会い・恋心・異性と結ばれる不安・結婚・出産・死別・・・と順当に進行する内容で、「詩人の恋」のようなドラマティックな展開がない。しかし一方で童話作家の故佐野洋子さん風に言えば「ふつうがえらい」的なストーリーであって、平凡な中にあるささいなときめきやドラマを描いているのだ。

そういう魅力が、自分にとって、詩人の恋には負けていない、シューマンの連作歌曲集の中でもとても気になる歌曲のひとつになっている。

特に「わたしの指の指輪よ」。この旋律の美しさには涙する。最も有名な旋律で、この美しさに心揺さぶられない人などいないだろう。

この「女の愛と生涯」で、自分がこれだ、と思える録音になかなか巡り会えなかったのだが、ゴローさんの日記で、マティス盤を知った。 

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これを入手するのは、じつに困難を極めた。全集の中の1枚という位置づけで、単盤では売られていない代物だし、しかもいまは廃盤だ。

それを必死な想いで中古市場で見つけた。

そんなお宝盤なのであるが、それが今回のベスト盤では、この「女の愛と生涯」、全曲入っているのだ!!!

もうこれだけで、絶対買いなのだ!
もうお宝盤ではないのだ!


このベスト集をみなさんにお勧めするのも、ずばり、この歌曲を聴いてほしいからだ。
マティスが歌う「女の愛と生涯」。まさに自分の追い求めていたこの歌の理想の表現の世界。

今回改めて聴いてみたが、やっぱりじつに素晴らしい。


そしてモーツァルト歌曲集。

マティスってやっぱりモーツァルトの人なんだなーとつくづく思わさせてくれる作品。
モーツァルトを歌っているときの彼女は、まさに活き活きとしていて、彼女の1番いい面を聴いている感覚になる。

ただ、今回のベスト作品集では、このモーツァルト歌曲集の入っている曲が少なくて、ちょっと不満。

ぜひ単盤で、こちらのほうも購入することをお勧めしたい。
素晴らしいの一言です。これぞ、マティスの世界!と呼べる録音だと思います。
この盤が、一番マティスらしいと思います。 


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モーツァルト歌曲集 
マティス、クレー、越智敬


https://goo.gl/22ASAB


マティスのモーツァルトと言えば、こちらもぜひお薦めしたい単盤。
こちらもベスト作品集の中には、あまり入っていないので、単盤購入としてお勧めしたい。

宗教曲もマティスの得意なレパートリーだったのだが、モーツァルトの宗教曲の傑作といっていいミサ曲のなかで最も広く知られる『戴冠ミサ』、華やかな声の動きが際立つ「アレルヤ」で有名なモテットなどの4曲。

これがじつにいい。素晴らしい録音。自分の愛聴盤です。 

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戴冠ミサ、エクスルターテ・ユビラーテ、他 
マティス、クーベリック&バイエルン放送響、クレー&シュターツカペレ・ドレスデン、他


https://goo.gl/Pktu5U




今回のベスト作品集では、バッハのカンタータや『マタイ受難曲』などの宗教曲、『フィデリオ』『ばらの騎士』、有名なカール・ベームとのモーツァルト、カルロス・クライバーとの伝説の『魔弾の射手』録音、そして我らが小澤征爾さんともベルリオーズの『ファウストの劫罰』の録音を残しているのだ。


本当にお宝限定盤なのだ。

今回このベスト作品集を聴いて、ようやく長い間、霧に包まれていたエディット・マティスの世界がわかったと言えるかもしれない。

リアルタイム世代を知らないだけに、余計に憧憬の念が強かった。



最後に録音評。

オーディオにとってソプラノなどの女声再生って、ほんとうに難しい。
マティスの声は、オーディオ再生するには非常に難しい、ということを申し上げておきたい。

彼女の声質は、とても硬質で芯があるので、強唱のときに、かなり耳にキツく感じるのだ。
ボリュームコントロールがとても大切になる。

近代のオペラ歌手のアルバムは、どんなにボリュームを上げていても、強唱のときにうるさく感じることはあまりないのだが、マティスはかなりキツイ。

普段聴いているVOL設定で聴いていると、隣接の住人からクレームをもらうこと多々だし、自分でも聴いていて、かなり耳にキツイと感じることが多い。

昔の録音なので、ダイナミックレンジがあまり広くないのか、とも思うが、うまくボリュームコントロールして聴くことが大切。

録音自体は、じつに素晴らしいです。声の響きかた、S/Nなどの音のクリア感、鮮度感など、古い時代の録音とはとても思えないくらい。

拙宅のステレオ2ch再生でもじつによく鳴ってくれます。


なんか本懐を遂げた感じです。(笑)







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体験!鎌倉芸術館 [コンサートホール&オペラハウス]

いま鎌倉マイブーム。

鎌倉芸術館は、鎌倉市大船にある芸術施設。てっきり初体験だと思っていたら、中に入ってホワイエ空間を見たら、7~8年前にマイミクさんと訪れたことのあるホールだった。

自分はこのホールを訪問したことを、ずっと長い間、神奈川県立音楽堂に行ったものと勘違いしていた。(笑)去年、その神奈川県立音楽堂にハーゲンSQのコンサートに行ったとき、どうりでなんか記憶と違う見覚えのない空間だな、と思った訳だ。(笑)

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芸術施設なので、大ホール、小ホールだけでなく、展示ギャラリーや集会室とかリハーサル室もある総合施設。

1993年開館というから、25周年の由緒ある建築物。

展示ギャラリーでは、鎌倉市が誇る国際的な彫刻家 高田博厚さんの没30年記念展示会が開かれていた。

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施設そのものが、吹き抜け構造になっていて、この図を見たときにピンときた。7~8年眠っていた記憶が一気に蘇った。竹林がその背を固定するための仕掛けがあるものの、じつに美しい和の空間。

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ということは、ここの大ホールは経験あるはずなのだが、これに関してはまったく記憶にないというか思い出せない。なので、今日が初体験な気持ちと言っていい。

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1500席の多目的ホール。

シューボックスの基本形なのだが、厳密なシューボックスではなく、ステージ後方から放射状に広がるように開口の形になっていて、音の広がりという点でスムース。

音の反射構造も、ステージ奥から天井にかけて真正面をまっすぐ貫くように白い反響板構造が走っている。側方壁もその反射音の恩恵が十分に得られるような角度になっていた。

前方奥からの直線方向と、側方からの反射音ということで、響きが豊かな空間という感じでしょうかね。

公式HPにある自走式自立三連型の音響反射板という意味が、ちょっとわからなかった。

驚いたのは、天井がすごく高いこと。
天井の高いホールは音のヌケ感もよく、近代の音響のいいホールでは必須条件ですかね。

実際自分の耳で聴いた音響の印象は、天井が高くて容積広いということもあって、小編成で、その大空間を音で埋めるのはちと大変、という感じもしないでもなかったが、なかなか素晴らしかった。弦楽器のコンサートだったが、弦の音色が嫋やかで、分厚い響き、残響感も豊富だった。

音の質感は、暖かい感じの音色ですね。



素晴らしいホール!


鎌倉芸術館は、去年大規模な改修メンテナンスで、1月~9月の9か月間、休館だった。

大掛かりな機器・機構類の修繕・更新や内装等の傷みの修復などが主だが、1番大変だったのが、東日本大震災後に、国が天井落下防止の基準を厳しくし、面積で200㎡超かつ高さ6m超の天井が「特定天井」と定義されて耐震強化を義務付けられたこと。

それで大規模な改修を迫られた。

そして去年の10月にリニューアルオープン。

見た感じ、聴いた感じですぐにその違いが分かるのは、照明が明るくなったとか、音響も素晴らしくなったとか。1番はっきりわかるのは、この座席の背もたれの色だそうだ。

座席シートの全面張替。明るい新しい色に。

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座席はホールの表面積を大きく占めるので、座席シーツ張替は音響面ですごいチャレンジングだ。




この鎌倉芸術館にホール専属の弦楽アンサンブルが存在する。
第一線で活躍するソリスト、室内楽奏者が集う「鎌倉芸術館ゾリステン」。

この日は、「新春コンサート」と題して、この弦楽アンサンブルが1年半ぶりに帰ってくる。
今日演奏するのは、1992年の第1回結成記念コンサートと同じプログラム!


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リーダーは徳永二男さん。

その蒼蒼たるメンバーは、

ヴァイオリン:礒絵里子、漆原朝子、漆原啓子、川田知子、小林美樹、徳永二男、
       藤原浜雄、三浦章宏
ヴィオラ:川崎和憲、川本嘉子
チェロ:古川展生、向山佳絵子
コントラバス:吉田秀
チェンバロ:小森谷裕子


凄すぎる!

まさに贅沢な極みを尽くした感。女性陣は、黒ではなくカラフルな色のドレスを身にまとい、美しかった。

モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲、そしてチャイコフスキー:弦楽セレナードの3曲。

まさにこれぞ名曲コンサートと言ってもいい王道のプログラム。
聴いていて、本当に楽しい。名曲と言われる所以が納得できる。

とても贅沢なひとときだと思った。

名手たちのバランスのとれた美しいアンサンブルは、素晴らしいのひとことだが、やはりヴィジュアル的に、これだけの名手が揃って演奏しているさまは、なんともゴージャスで、贅を尽くした限りだと思う。

自分の座席からは、特に徳永さんの弦の音が、際立って聴こえて、他の奏者をグイグイ引っ張っていて、まさにこれぞコンマス!という感じで頼もしく思えた。

これはどこかで観たことがある風景。そう!東京春祭のN響ワーグナーのゲストコンマスのライナー・キュッヒル氏を観ている・・・

まさにあのときと同じ感覚だ。


後半の最後のチャイコフスキーの弦楽セレナーデ、通称「弦セレ」。

小澤さんの18番の名曲だが、この曲は本当にいい曲。あの卓越したじつにセンスのいいメロディ。「弦のうねり」が独特の味わいを出していますね。この曲を聴いていると、指揮をしながら、決め処で、唸り声を出す小澤さんを思い出します。(笑)

本当に新春に聴くにふさわしい贅沢なコンサートでした。

この日は、このメンバーの中で注目していたソリストがいた。


礒絵里子さん 

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江藤俊哉氏に師事し桐朋学園大学卒業後、その才能を高く評価したI.オイストラフ氏に招かれ、文化庁芸術家在外派遣研修員としてブリュッセル王立音楽院に留学。

数多くの世界のコンクール入賞、そしてソリストとして国内、海外のオーケストラとの競演など輝かしい活躍を現在も続けられている。

鎌倉在住。

ベルギーに鎌倉。。。これはきっと縁があるに違いない。(笑)


礒絵里子さんは、昔、ステレオサウンドの「音のたまもの」でゴローさんの取材を受けた記事を読んだことがあって、「暮らしの中心にいつもオーディオがある」というタイトルの記事はとても印象的だった。


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女性でありながら、リビングで静電コンデンサー型の平面SPを使っているのは驚きであった。このタイプのSPは正直見た目のインパクトが相当強い。コンデンサー型SPなんて男性マニアでもあまり使っている人いないのに、当時かなりマニアックな方だなぁと思って読んでいくと、じつは旦那さまの買い物だそうで(笑)夫婦いっしょに楽しまれているとのことであった。(なぜかちょっと安心 )


「暮らしの中心につねにオーディオがあって、夫婦で楽しまれる。」


ある意味理想ではないか?と思って、この記事がとてもインパクト強かった。
この記事は、2012年のステサンなので、いまはひょっとしたら、機器ラインナップも変わっているかもだけど・・・。

礒絵里子さんと同年代、同期の演奏家の方々も知っている方とても多いので、一度実演に接してみたいと思っていた。

自分の記憶では、いままで礒さんのコンサートは聴いたことがないと思う。

それで、この日は注目していたのでした。
実演に接することが出来てとてもよかったです。


これからも機会があれば足を運びたいですね。




鎌倉マイブーム。ただいま街道驀進中。

鎌倉の麻婆豆腐専門店「かかん」のマーボ。一回食べたらホントに病みつきで、あれから3回以上は楽勝で通っていて、お店の人にすっかり顔を覚えられ、感謝の言葉をかけてもらいました。
本当に美味しいと思うよ。



そして、映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」。

なんと3回通いました。(笑)

映画館で同じ映画を3回も観ることなんて人生初めてのことかも。

まさにほっこりファンタジーの世界で、人の心の温かみがしみじみと伝わってくるような・・・そしてなんとも言えない仏教観、死生観が描かれていて、考えさせられるのです。

じつによくできたいい映画。

3回見ても、必ず同じ場所で泣きます。(笑)

音楽もじつに素晴らしいんだな。サウンドトラック、秀逸。そして宇多田ヒカルの主題歌も!

この映画、今年の日本アカデミー大賞間違いなし!!!





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世界の朝食を食べさせてくれるお店 台湾の朝ごはん [グルメ]

この取材をはじめてから1年経つのだが、今回が1番美味しいかもしれない!いや表現がよくない。1番日本人の味覚に合うと言ったほうがいい。

これはウマい!

台湾って親日国家なので、日本料理のお店も現地にいっぱいあって、人気だと聞くし。日本人として、やっぱり美味しいと思う味付けもそういうところから来ているのかな?とも思ったり。

すごく美味しかった。もう1回行って食べてみたい感じ。

自分は台湾には1回も行ったことがない。かねがねより、ぜひ行ってみたいと思ってはいるのだが。。。

台湾では朝食は外で食べるという文化があり、街には朝食店が数多くあるらしい。

ホテルの朝食はスルーして朝食店に駆けつける観光客も急増中とか。それだけ、台湾の朝ごはんってひとつのブランドというか定番カルチャーなんですね。

街にたくさん並んだ朝食店の中で、人それぞれ好みの朝ごはんを食べるのだが、今回は、そんな中で、1番人気の3品を1プレートに収めた台湾の朝ごはん。

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右上にあるのが、飯団(ファントワン)。餅米で握った具だくさんのおにぎり。
そして左上にあるのが、豆乳スープの鹹豆漿(シェンドウジャン)。
手前にあるのが、玉子焼きの蛋餅(ダンピン)。



まずおにぎりから。もち米なので、とても食べ応えがあって、美味しい。中には、揚げ物の薄い感じのものや青菜などが入っている。もち米のもっちり感と揚げ物の香ばしさ、そして青菜のさっぱり感がアクセントになって、かなり食べ応えを感じて、美味しい。日本人の味覚に合う。

そしてつぎに玉子焼きをいただく。
これまたウマいんだなぁ。見た感じでわかるように、すごいモチモチした食感で、卵というよりは、薄い皮状の餅を食べている感じ。上にかかっているタレがなんか日本の醤油のような味で、これまたウマい。中にもそぼろ状の肉のような具材が入っていて、香ばしさもあって食べ応えもかなりある。3品の中でも、この玉子焼きが1番美味しいと思った。

最後に豆乳スープ。
これはクリーミーで、いろいろな具材が入っていて、これまたとても美味しい。単なる豆乳だけでなくて、いろいろな具材が入っているところが、ちょっとした贅沢なスープという装いを出していると思う。


この3品の中でも、玉子焼きと豆乳スープは、台湾朝ごはんの超定番みたいですね。

今回美味しいと思ったことの1番の理由は、やはり”食べ応え”がある、と感じたこと。「食べたー!」ってな感じで、満足感、満腹感を感じたことだったのではないか、と思った。

いままでの世界の朝ごはんは、やはり日本人の味覚とは違う、別世界の各国独特の味覚感があって、なんか自分には健康食みたいな感じがして、「食べたー」という感じにはとてもならなかった。現にお店を出てから、まだ足らないので、別のお店に入って、さらにもう1食ってな感じで、満腹感を癒していたことも事実。

今回の台湾の朝ごはんは、やはり食べているときも、食べ終わったときも、すごい満腹感、「食ったー!」感覚があって、これが、味以上に、美味しいと感じたことの1番の原因かもしれない。

健康食ブームのタニタ食堂が、路線変更で、高級食を出すようになったのも、やはり健康にいいカロリーの少ない食事は大切なのはわかるけれど、やはり人間って生き物は、体にはよくない油成分、塩っけがある食事のほうが美味しいと感じるし、まず美味しい、食べ応えがあると感じることが、人間の食事への欲求なのだというニーズがわかって、そういった条件下で、カロリーを抑えていく、というところに着目し、戦略変更していったことなのだと思いました。

やはり人間って、せっかく外食するなら、贅沢で、美味しいものを食べたい、と感じる生き物ですからね。






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PENTATONEの新契約 [オーディオ]

2人のビッグ・アーティストと契約。ビッグ・ニュース!数年前までは、オーディオマニア向けの小さなマイナーレーベルという認識だったけれど、近年の躍進ぶりは驚くばかり。

1人目は、マグダレーナ・コジェナー。ご存知サイモン・ラトルの奥さん。

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バロックから現代音楽まで幅広く歌えるメッゾ・ソプラノ。ラトルと結婚してからは、ベルリンフィルの独唱ソリストとして呼ばれることが多い。

録音も、旦那様関係が多く、DG,EMIから数多くリリースされている。

PENTATONEとは長期間の契約を結んだそうだ。複数枚のアルバムがリリースされる予定。

自分はコジェナーは、ベルリンフィルのDVDやBlu-rayでよく拝見していた。
旦那さまのラトル&ベルリンフィルのマタイ受難曲のBDでの彼女の熱唱、熱演はすごく良かったと記憶している。

でもCDとしてオーディオの対象として聴いたことはないのだ。

いままでは、DG,EMIやARCHIVEの多数のレーベルからアルバムをかなりリリースしているようだ。なぜ、彼女のような大物がPENTATONEなの?という素朴な疑問も湧くのだが(笑)、このニュースリリースを聞いて、ドキッとしたことは事実。やるな~という感じ。

これをいい機会に、彼女の歌をオーディオの対象として聴いてみよう。
5.0サラウンドで聴けるのだから、とても魅力的だ。

なんといっても美人で映える存在、スターのオーラありますよね。
語学力がマルチリンガルで堪能で、オペラ界ではうるさいディクション(発音)も素晴らしいそうだ。


2人目が、いま売り出し中のアメリカの若手チェリスト、アリサ・ワイラースタイン。これまたビックリポンのニュース!


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乗りに乗っている将来有望株の若手1番手で、DECCAの看板スターでもあるのに、なんでPENTATONEなの?(笑)という驚き。

multi-album dealとあるから、これも数枚リリースの契約のようだ。

今回の新譜は、今年8月にリリース予定で、ウィーン楽派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン)と、新ウィーン楽派(ベルク、シェーンベルク)などの曲を取り上げ、ハイドンの2つのコンチェルトとシェーンベルクの曲の3曲構成の予定。

なんでもノルウエーの弦楽室内合奏団のTrondheim Soloistsのメンバーとしての契約を結んで、今回の録音は、その最初のコラボの一環のようだ。

じつは、彼女も自分はCDとしてオーディオの対象としてじっくり聴いたことがないのだ。

でも、2011年のイギリスで開かれたベルリンフィルのヨーロッパコンサートでの録画が超印象的で、それを何回も何回も擦り切れるくらい観ていた記憶がある。

このヨーロッパコンサートのとき、彼女は、まだ無名の新人で、そのときの指揮だったバレンボイムが、自分のかつての奥さんであったジャクリーヌ・デユ・プレに相通じるものを感じての大抜擢という舞台裏だったと記憶している。

眩しい赤いドレスを着て、強者のベルリンフィルに対して一歩も後を引かない堂々とした熱演に、自分はくぎ付けになった。

何回も何回も繰り返し観た。素晴らしい新人が出てきたなーとたいそう感心したのだ。

それから7年経過した訳だが、彼女のCDは買ってないけれど、その大活躍ぶりは、メディアを通じてよく知っていた。だから今回の契約成立のニュースは心底驚いたし、久し振りに彼女の存在を認識した。

これもいい機会だから、5.0サラウンドで堪能してみるか?(笑)

弦楽合奏団で、優秀録音でさらにサラウンドであれば、その弦の音色の立ち具合など、楽しめるに違いない。

高音質が売りのオーディオマニア向けのマイナーレーベルだったPENTATONEも、いまやその抱えるアーティスト陣はとてもスター性を兼ね備えた有望株ばかり。アーティスト陣が豊富だとレーベルのイメージも明るくなりますよね。

やぱりレーベルは、単に技術志向だけじゃダメだと思います。

「音が良ければ、売れなくてもいい」では、あまりに寂しいものがある。

優秀な技術スタッフだけではなく、それを支えバックアップしてビジネス基盤を作る優秀なプロデューサーがレコード会社にはやっぱり重要なんだということを認識しました。


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よこすか海軍カレー [グルメ]

カレーの街よこすか。

ここの「よこすか海軍カレー」を1度でいいから食べてみたい。それが目的で横須賀まで出かけてきた。

現在も海上自衛隊では、毎週金曜日の昼はカレーライスを食べる習慣になっている。長い海上勤務では外の景色は殆ど変わらず、交代勤務で曜日感覚も薄れることから、同じ曜日に同じメニューを食べることで感覚を呼び戻すためらしい。

海軍カレーというのは、大日本帝国海軍の糧食に由来するカレーライスのこと。

特徴はカレーに小麦粉を炒めて作ったルーを使うことで、一般的に日本のカレーライスと言う場合、この海軍カレーに類するものらしい。

帝国海軍の流れを汲む海上自衛隊のカレーライスは、副食として、サラダ、牛乳、ゆで卵などが付けられるのだ。

カレーライスだけでは不足するカルシウムと葉酸を補うため、牛乳でカルシウムを、サラダで葉酸を補充、さらにタンパク質補強に卵ってな感じ。

いまは、各艦艇・部署ごとに先任者から独自の秘伝レシピが伝えられているため(笑)、作られるカレーは艦艇・部署ごとに異なり、単一の味・レシピは存在しないそうだ。

海上自衛隊カレーには各部隊、各艦艇で独特の隠し味があって、赤ワイン、ミロ、茹で小豆、インスタントコーヒー、コカコーラ、チョコレート、ブルーベリージャム等さまざま。

自衛隊艦隊の所属を自衛官が決めるきっかけを、そこに供されるカレーライスの美味しさに求めるという内輪話もあるくらいなのだ。(笑)

それだけ海軍にとってカレーって大きな存在で、歴史がある。

自分も今回勉強してみて、え〜そうなの?そうなの?という感じで、海軍とカレーの深い関係に驚いた。海軍がカレーに入れ込むその奥の深さというのは、やはり代々の歴史がある、という自負とともに自分たちもかなり意識あるんだろうと思う。

一般家庭が食す普通のカレーライスよりももっともっと手の込んだ一流レベルのカレーライス、それが海軍カレーなのだ。


海軍カレーにも、「よこすか海軍カレー」、「大湊海自カレー」、「呉海自カレー」の3種類存在する。


大湊海自カレーは、青森県むつ市の艦隊のカレー。呉海自カレーは、広島県呉市の艦隊のカレー。そして我が首都圏といえば、横須賀市の「よこすか海軍カレー」だ。


横須賀市は「カレーの街」宣言をして、海軍割烹術参考書のレシピを導入している店舗を「よこすか海軍カレー」の名称を使用できる店舗として認定する、という許可制をとっている。


つまり「よこすか海軍カレー」を名乗るには、きちんとその伝統あるレシピに基づいて、その通りに作るお店でないと名乗れないのだ。

横須賀に行くには、京浜急行を使うので、京急とコラボして、海軍カレーで街おこしをしていて、「カレーの街よこすか」をキャンペーンしているわけ。

横須賀市は、カレーライスは横須賀から全国に広がったと捉えている節があって、そういう自負があるのだ。

ここで、カレーの街よこすか加盟店公式WEBサイト「カレーの街 よこすか」の掲載情報をもとに展開して、よこすか海軍カレーの真髄、カレーの街 よこすかの街おこしについての歴史などを追及してみたいと思う。


以下の記載は、この公式HPによるものです。


 カレーの街よこすか加盟店公式WEBサイト「カレーの街 よこすか」




●よこすか海軍カレー 5原則

その1.「海軍割烹術参考書」(明治41年)のレシピをもとに現代に復元したカレーです。
その2. 原則として、横須賀市内でしか提供できません。
その3. 必ずサラダと牛乳をセットにして提供しています。
その4. よこすか海軍カレーは「ご当地グルメ」です。B級グルメではありません。
その5. カレーの街よこすかの認定店だけが名称使用を許可されています。


これが大原則。よこすか海軍カレーのすべてがここに書かれている。これがすべてと言っていい。

この商標ブランド「よこすか海軍カレー」が生まれたのは、いまから20年前の平成10年に海上自衛隊地方総監の退官を前にしたお別れパーティーの席上で、総監が、

「呉市と舞鶴市では、両市が本家争いをするなど、肉じゃがを“まちおこし”に繋げているが、カレーライスが庶民の食卓に普及したのは海軍のカレーにルーツがあるので、海軍の街である横須賀でカレー発信の地として、“カレー”を地域の活性化に利用してみては」

という趣旨の話をしたのがきっかけだったのだ。

つまり、横須賀市を「カレーの街」として街おこしする提案からすべてが始まった。

いまのカレーライスがそのルーツが海軍のカレーにあることは、知る人ぞ知る密かなる常識だったんですね。

なにげなく存在しているのではなく、きちんとこういう計画的なことがあったからこそ、現在があるということ。

この発言をきっかけに、横須賀市役所、横須賀商工会議所、海上自衛隊の3者で調査、検討がはじめられ、旧日本海軍で提供されていたカレーを現代に再現する方針が決定した。

そして翌年、平成11年5月20日、横須賀市は「カレーの街宣言」。そして「カレーの街よこすか推進委員会」が発足した。


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当時日本海軍で調理されていた軍隊食のレシピが記されている「海軍割烹術参考書」(明治41年発行)に記載のある「カレイライス」の作り方をもとにして、現代に復元したカレーを“よこすか海軍カレー”とすることが定められた。

(平成12年には「よこすか海軍カレー」の商標登録も認められる!)


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当時は“カレールウ”などという製品はなかったので、日本海軍のカレーは、牛脂と小麦粉・カレー粉から作る「手作りカレー」。

具材には人参、タマネギ、ジャガイモ、牛肉または鶏肉を使用していたので、見た目には現代のカレーに近いものだったようだ。 また、豚肉および豚脂(ラード)は使わないので、現代の私たちからすると“あっさりとした昔懐かしい味”のカレーだったようである。


海軍割烹術参考書のレシピをもとに、現代に復元したカレーが「よこすか海軍カレー」。

だからお店として「よこすか海軍カレー」を名乗ろうとするならば、この原則的なルールを守らないといけない。

認可制のビジネスなのだ。

この基本原則を守りながらも、各店舗では特徴を生かした味の海軍カレーを提供していて、45店(平成28年9月現在)のカレーが「よこすか海軍カレー」として認定されているそうだ。

カレーの街よこすかでは、「よこすか海軍カレー」は、栄養バランスを考慮し、サラダと牛乳を必ず添えることが提供の際のルールとなっている。

よこすか海軍カレーを食べられるお店は、京急本線の横須賀中央駅から汐入駅の間に集中して存在しているようだ。


 
現在のカレーが日本海軍の軍隊食だったカレーがルーツであることがわかったが、さらにもっとそのルーツを掘り下げていくと、「横須賀がカレー発信の地」であることには、もっと深い事情があることがわかった。


ずばりカレーって、イギリス海軍で提供されていたカレー風味のシチューがルーツなんです。
それに小麦粉でとろみを付けて、ライスにかけたメニューを日本の軍隊食に取り入れたのが、その始まり・・・(そこら辺の深い事情は、先述のHPに詳しく掲載されているので、そちらを参照願いたい。)



それ以来、海軍自衛隊では、毎週金曜日にはカレーライスを食べる習慣がある。


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長い海上勤務・遠洋航海では、外洋の景色が変わらず、決まった曜日に勤務が休みとなるわけでないため、曜日感覚がなくなってしまう。これを防ぐため、金曜日に各艦船の調理員が腕によりをかけた美味しいカレーライスを提供する習慣が生まれたのだ。

現在、この習慣は船上勤務に限らず全ての部署に広がり、金曜日にはカレーが必ずメニューに組み込まれるようになったそうだ。

そこから始まっていまでは、「カレーの街よこすか」では“金曜日はカレーの日”として、金曜日にカレーを食べることを推奨している。

カレーの街よこすか認定店でも、金曜日に大盛りサービス、半額サービス、割引サービスなどを行う店舗が多数あるとか。(笑)


こういう海軍カレーの歴史は、今尚、現在に脈々と受け継がれている。

ここまでが、長かったが、よこすか海軍カレーとはなにか?カレーの街 よこすかの街おこしに関する情報である。




この「よこすか海軍カレー」の認可を受けている、その通りの艦隊で代々伝わる秘伝のレシピで作ってくれるカレーのお店に行ってきた。

ネットでちょちょっとググるとゾロゾロと出てくる。

自分が選んだのは、汐入にあるお店。横浜から京急で1本。でも結構遠い。汐入駅の改札を出たら、すぐに右折して、徒歩1分位のところのベイスクエアよこすか二番館の1階。要は駅の改札を出たらすぐに見えるファミリーマートのすぐ横にある。

よこすか芸術劇場(オペラハウスみたいなコンサートホール)もこのすぐ近くにありましたね。

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CAFE ORIGINAL BASE 〜カフェ・オリジナル・ベース

https://goo.gl/LW1HqV


もちろん伝統のレシピに準ずるんだろうけれど、ちょっとオリジナリティがあって、「海軍カレーに対する新しいアプローチ」・・・ 

できあがったのは、護衛艦の上で長年カレーを食べ続けてきた現役のキャプテンさえも絶賛する逸品!!とあるから、そのまんまの海軍カレーではないのかもしれない。


店内はすごくお洒落。
壁の飾りが、・・・らしい。。。(笑)

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でも本当に狭くて小さなお店。カウンター&テーブルで、16名くらいかな?

さて、メニューには、海軍カレーと海軍自衛隊カレーの2種類あったのだが、まずは海軍カレーにした。


これが、よこすか海軍カレー。

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カレーライス、牛乳、サラダの3点セットなのだが、このお店では、牛乳は強制的ではなく、単にドリンクを選べるという自由度。

選択肢の中には牛乳はあったと思う。このことを勉強していれば、牛乳にしておけばよかった。(笑)自分はウーロン茶を選んだ。

カレーの上に、バジルが散らしてあり、あの独特のいい香りがする。

さっそく食す。

とても甘口で美味しい。一見普段食べている普通のカレーの域は大きく超えるとは思わないけれど、でも隠し味的にちょっと果実的なフルーティーな香りがあって、とてもコクがあって濃厚な味だった。赤ワインをふんだんに使った贅沢なカレーだとか。。。非常にコクがあって甘口なのは、赤ワインのせいだったんですね。

かなり美味しいです!


単純なあの単一のカレーの味ではない。結構複雑な隠し味がたくさん混ざっている、とても深い味。高級なカレーの味ですね。

写真を見てもらえばわかると思うが、カレーの肌状がツルツル液体状じゃなくて、ブツブツ状なので、やはり手の込んだいろいろなものが入っているに違いない。お肉は豚肉ではなく牛肉だったと思った。

本当に美味しいです。

海軍カレーにつきもののサラダも食してみた。これがまたかなり美味しいのだ。
ドレッシングがとてもいままで経験のないような不思議なすごくいい香りで、これはウマい。

いやぁ、とてもすばらしい「よこすか海軍カレー」を堪能させていただきました。


このお店のカレーには、この海軍カレーの他に、海軍自衛隊カレーというメニューがある。

後日、時を改めて、このメニューに挑戦してみた。


これが海軍自衛隊カレー。

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海洋観測船しょうなんの公式レシピだそうだ。

特徴は、牛乳、野菜サラダのうちの野菜の部分を、季節とりどりの野菜をふんだんに使って、カレーの上に乗せた、野菜カレーであるところ。ご覧の通りだ。


カレーの部分は、海軍カレーと変わらない味。野菜が乗っているかどうかの違いだと感じた。

今度は、ちゃんと牛乳も頼んだ。(笑)


しかし、ここのカレーは、本当に美味しい。この後、2軒ほどハシゴした訳だが、3軒のうち、カレーが一番おいしいのが、ここのカレーだと思う。やはり味がとても複雑で濃い味といおうか、赤ワインをはじめ、何重にも隠し味があるような、そんな深い味だと思った。今度行くときは、ここのカレーだけで十分かな?


今回ようやく本命の牛乳を頼んだわけだが、やっぱり自分は、カレーを食べながら、牛乳を飲むということはどうしても生理的にできなかった。かなり抵抗がある。やっぱりカレーを食べながらは、水。牛乳は、カレーを食べ終わってから飲むという感じですね。こればかりはいたしかたがない・・・。


つぎに、同じ汐入にあるお店で、TSUNAMIカレー&グリル。

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ここもれっきとした、よこすか海軍カレーの認可店。


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ここは、基本的に、カレーだけでなく、ハンバーガー店も兼ねているお店。若い人向けのお店で、大変な混みようだった。圧倒的に若いお客さんばかりの客層。店内は激混みだ。


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さっそくここでも、よこすか海軍カレーを頼んでみた。


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もちろん、牛乳、サラダの3点セットつき。


ここのカレーも写真を見てもらえばわかるように、とても味が濃いというか、いわゆる黒カレーの正統派の味がした。ここのカレーも好きだなー。


そして、最後は、汐入からさらに一駅行ったところの横須賀中央駅。ここは都会ですね。よこすか海軍カレー認可店というのは、この横須賀中央から汐入に間に点在するお店のことなのだ。


おそらく、よこすか海軍カレー認可店の中でも総本山とも言えるのが、ここの横須賀海軍カレー本舗というお店だと思う。


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2階建てになっていて、1階が横須賀土産・物産を売る横須賀のアンテナショップになっている。


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なんと、「よこすか海軍カレー」コーナーもあった。(笑)様々なよこすか海軍カレーのルーが売っていた。


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そして、2階がレストランになっている。


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こちらが店内。


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戦艦三笠の船内をイメージした、といわれる店内。へー、こんな感じなんですね。
明治時代に軍艦の中で奏でられていた音楽のBGMが流れているというサービス付き。明治期、それぞれの軍艦には、軍楽隊が設けられていて、出航の際に士気を高めるために軍艦マーチを奏でるだけでなく、士官等の食事やティータイムの際にも流行のポルカやワルツで優雅なひとときを奏でていたとか。


このお店では当時流行っていたとされるBGMとともに士官室風の店内で「よこすか海軍カレー」を楽しめるのが特徴なのだ。


メニューを見たら驚いた!

まさに、金剛カレー、陸奥カレー、天龍カレー。。。などなど各艦隊のカレーが、豪華写真付きのメニューで並ぶ姿は、さすがに壮観なのであった。(笑)


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こちら横須賀海軍カレー本舗の王道メニューである、よこすか海軍カレースペシャルを頼んだ。


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もちろん牛乳、サラダの3点セットつき。さすがに、3杯目ともなると相当お腹キツイ。(笑)ここの海軍カレーは、色がとても甘口のような感じの明るい色で、さっぱりした感じの味だった。


もうお腹いっぱい!よこすか海軍カレーをじゅうぶんといえるくらい堪能できた。凝り性の自分は、ここまで徹底しないと気が済まないたちなので、これで清々した気分。(笑)


よこすか海軍カレーは、イギリス海軍のカレー風味のシチューがルーツで、それに小麦粉を混ぜて、とろみをつけて、ご飯にかけてみた、というメニューを日本の軍隊食で取り入れてみた、というのが日本のカレーのルーツになった。


「海軍割烹術参考書」のレシピに書いてあるカレーの作り方に準拠していれば、まさしくそれは、よこすか海軍カレーのお店と名乗れるわけだが、でもそこから枝葉的に自分たちの独自の隠し味というか、特徴を盛り込んで独自のカレーにするのも許されている訳だ。そこにお店によるオリジナリティーがある。


今回3店舗を廻ってみて、そのオリジナリティーの違いというのを十分すぎるくらい感じた。やっぱりお店によって全然違うよ!      


さて、ここまで来たら、せっかくだから、港に着いている艦隊の様子でも写真に納めればいいなーという軽い気持ちで、お店の人に聞いてみた。

そうしたら、この汐入って港にすぐ近くで、「軍港めぐり」ができるスポットがあるそうなのだ。

なんというラッキー!

お店から、本当に歩いてすぐ。


おー!よこすか〜。萌える〜。(^^)

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艦隊だけでなく、黒い潜水艦も見える。
右に見える白い建物が第3ドッグ。その横に、第2ドッグ、第1ドッグと林立している。
                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                    
                                                                                                                                                      
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別にミリタリーオタクではないけれど、間近で観ると、かなりクルというか圧倒される!


軍港めぐりできるように、このように海岸沿いに散策道が出来ているのだ。

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ご覧のようにかもめがたくさん空をす〜っという感じで飛んでいて、とても海らしい。

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このような大砲のオブジェもあって、「鎮魂」とあって意味深げ。

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自分は、首都圏に上京してから30年、このように横須賀周辺の軍港を実際目にしたのははじめての体験。

かなり興奮したともに、なんかこう恐怖感みたいなゾクゾクっとする、そういうシルエットだよね、こういう絵柄。(笑)

もともとは「よこすか海軍カレー」を食べてみたい、という理由から、この汐入を選んだのだが、このように偶然にも軍港めぐりもできて本当によかった。


願わくば、このような艦隊が大活躍することのないような平和が続くことを祈りながら、横須賀の街を後にした。







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