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小林悟朗さん [オーディオ]

人生の中で、自分の人生を変えてくれた人というのは、何人会えるだろうか?
会えない人もいるだろうし、おそらく一生のうち1人会えたら幸せだろう。
私にとってそんな運命の人だったのが、小林悟朗さんなのだ。NHKの音楽ディレクターである。
SNSのmixiの中でのHN(ハンドルネーム)はゴローさん、私のブログの中に頻繁に登場するゴローさんも小林悟朗さんのことだ。

小林悟朗さん
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そんな悟朗さんが2012年10月7日、ご逝去なされた。享年57歳。
癌だったという。個人情報なので、あまり詳しいことは書けないが、4年前から癌を患っており、闘病生活をしていたのだという。私が悟朗さんに出会ったのが2009年末の4年前なので、ちょうどその頃なのだと思う。本人は何も言わないのでいままで全く知らなかった。進行してしまった癌に強い薬による癌治療せざるを得ず、身体が弱ったところで特殊な肺炎を併発してしまい、どうにもならない状況に陥ってしまったとのこと。

死を覚悟の入院とのことでした。

奥様、お母様の話だと、彼の自宅のオーディオルームに設置してあるピアノにI will say good byの楽譜が開いてあったとのこと。

訃報を知ったのは、mixiの日記から。7日の深夜にアップされ、最初見た時は、あまりに突然のことだったので、全く受け入れられず、すぐに知り合いに確認したところ真実だという。全く頭が真っ白というか途方に暮れてしまい、この先どうやって生きていこうか?とっさに頭をよぎった。

悟朗さんに出会ったのは、mixiに入りたての2009年、拙宅でのはじめてのオーディオオフ会(お互いの家を訪問してお互いのオーディオ・システムの音を聴いて、いろいろ評価しあうオーディオマニアの中での一種の交流手法)だった。 人生ではじめて拙宅で開催するオーディオオフ会のお客様が悟朗さんだったのである。そのとき悟朗さんの素性がNHKの音楽ディレクターで、さらにはあの高級オーディオ雑誌:ステレオサウンド誌で執筆の連載をされている小林悟朗さんだと知って驚愕した。

なにせ、自分がいままで当たり前のように観てきたNHKのクラシック番組やBlu-rayのクラシックソフトは、すべていま目の前にいる小林悟朗さんが作ったものなのだから。信じられなかった。そして筋金入りのオーディオマニアでもある。すぐにステレオサウンド誌で確認して、あぁ~この人か~、と思い、普段のこの人の言っていることは凄い難しくて気難しい人というイメージがあったので凄い緊張した。前の晩は寝れなかったのを覚えている。

でも実際会ってみると凄い気さくな人だった。クラシックとオーディオという自分にとって生きていく上での大きな2つの柱を、すべて持っていらっしゃった小林悟朗さん、そんな雲の上のような人が、いま自分に語りかけてくれている、それだけで夢心地のような感じで現実感がわかなかった。それが最初の出会いである。

その日のうちに悟朗さんからメッセージが届き、携帯電話番号と携帯メールアドレスを交換した。そしてその日から2~3日も経たない日にメールが入って、「とある東京郊外でオーディオ遊びをするから一緒に来ないか?ぜひ紹介したい人がいる。」とのお誘いがあった。

エム5邸だった。ぜひマイミクになるように、と言われた。エム5邸は郊外にあるので、都心からだとかなり時間がかかる。
御茶ノ水のディスクユニオンで待ち合わせをして、途中の電車の中で自己紹介も含めて本当にいろいろな話をした。それが悟朗さんにお近づきになれたと感じた瞬間だった。

いま思うに私はmixiで日記を書くときは、悟朗さんが読んでくれているということを常に意識して、書いていたと思う。悟朗さんに自分のことをよく知って欲しい、自分がクラシックが大好きだ、ということをアピールしたい、悟朗さんに自分のことを認めてほしい、と思っていて書いていたように思う。そのために投稿前にはいろいろ調べて自分なりにかなり勉強して執筆した。これが本当にいまでは自分の糧になって財産となっている。
 
この私のラブレター大作戦が効を奏したのか、普段あまり人の日記にイイネ、コメントをしない悟朗さんは、私の日記、つぶやきには自分の琴線に触れたとき、よくコメントをくれた。それが私にはうれしかった。

私が帰任後15年ぶりに海外旅行を再開しようとして、それも音楽鑑賞旅行という自分に経験のなかったやり方でやろうとしたとき、私の旅行計画日記によく長文のコメントやメッセージをいただいて、いろいろアドバイスをしてくれた。(それこそホテルはここがいい、とか、このホールには絶対行くべきだとか、食事処はここがいいとか。)時には直接会って食事をしながら、いろいろアドバイスをもらった。

いま思うに、過去2年間の旅程は悟朗さんが録音、編集の仕事をしたことのあるベルリン・フィルハーモニーやアムステルダム・コンセルトヘボウを意識的に選んでいたところがある。パリにしてもしかりだ。

またよく携帯にメールをくれてオーディオ仲間内で食事するときは、よく誘ってくれた。食事会は、もちろん話題豊富な悟朗さん中心に盛り上がるのだが、その話を聴いていて楽しかった。

また同じ日のコンサートに行く場合、必ずいっしょに行くマイミクさん達を集めてコンサート終了後に食事会を計画してくれたのも悟朗さんだった。何回この食事会に行ったか数え切れないほどだ。

業界人である悟朗さんの話は本当に面白いのだが、
「ベルリン・フィルやウィーン・フィルなどのオケをNHK単独で収録しようとすると彼らは2000万から3000万の高ギャラを要求するんだよ!だからそんなに毎年録れないし、彼らも日本がクラシック愛好大国だということがわかっていてそういう値段を吹っかけてくるんだよね。その条件を日本も飲んじゃう。ノンノンさんが、そのお金を出してくれるんなら、いつでも録ってあげるよ。(笑)」

とか、あの歴史上に残る名盤、小澤征爾/ベルリン・フィルのBlu-rayの「悲愴」を収録するとき、

「ベルリン・フィル側にカラヤン生誕100周年のときのメモリアル公演として、小澤さんで録らせてくれ、と依頼したら記録メディアが業界初のBlu-rayだから許可された。彼らってそういうところがあるんだよ。カラヤン時代のアナログLPからCDに切り替わるときも自分達が業界初のフォーマットを使うという自負があった。だから悲愴のときも業界初のBlu-rayだったから許可されたんだよね。」

こういうパッケージメディア制作や番組制作の舞台裏秘話をたくさんしてくれた。

悟朗さんは今でこそ、NHKのクラシック番組制作に携わっていたが、昔の下積み時代を始め、紅白歌合戦やいろいろな音楽番組をそれこそたくさんプロデュースしてきた。でもようやく自分の畑であるクラシック専門になれたのはつい最近のことなんだよ、と言っていた。

悟朗さんとの想い出で忘れられないのは、やはり小澤征爾さんのサイトウ・キネン・フェスティバル松本だろう。悟朗さんの代名詞的番組だ。

私がこの松本の音楽祭に通おうと思ったのは、悟朗さんからの1本の電話だった。それは忘れもしない2010年の小澤さんが食道がんから復帰して、弦楽セレナーデの第1楽章だけ振る、という年だった。

私の携帯に悟朗さんから電話がかかってきて、
「あのさぁ、今、松本なんだけど、オーディオ仲間が急遽行けなくなった人が出て、1枚チケットが余っているんだけど、松本遠いけど明日来ない?小澤さんのチケットはなかなか手に入らないんだよ。」

私はちょっと急だし仕事で行けない、と断ってしまった。

でもそれが後からすごい後悔して、翌年からSKF松本に毎年通おうと思ったのである。そして翌年バルトーク・プログラム。 はじめて松本を訪れる私は、新宿から特急あずさで3時間揺られていた時、メールが入って、

「ノンノンさん、いつ頃松本に着きますか?着いたら連絡ください。一緒に昼飯でも取りましょう。」

それで直接松本でお会いして、サイトウキネンのメンバーがよく行くレストランや、小澤さんが通う蕎麦やさんなどに連れて行ってくれた。そして松本にはオーケストラ・コンサートとオペラとで2日間いた訳だが、2日間日中、朝の9時に珈琲喫茶アベで待ち合わせをして、そこから夜の公演までずっと松本のいろいろなところを車で案内してくれたりで、ずっと悟朗さんと一緒だったのである。松本で行われるアキュフェーズのデモに行ったりして時間をつぶした。

2日間丸々これだけ長時間悟朗さんと二人きりで一緒に居たというのも後にも先にもこのときだけである。驚いたことに話題に尽きることはなくずっと喋っていた。何を話していたのか覚えていないが、とにかくいろいろ話をした。

ちょうど私が行く公演は小澤さんが体調不良で降板した日で急遽収録をもう1日増やすということで、私の横で携帯で東京に盛んに指令を出していた。

そして最終日オーケストラ・コンサートが終わった後に、レストランで夕食を取ることになった。
そのときに悟朗さんが番組制作やBlu-ray制作の自分達の制作スタッフを集めてくれて、そこに私を招待してくれた。「この方達が、普段ノンノンさんが観ているBlu-rayや番組を作りだしているスタッフ達なんだよ。」 私は恐縮した。食事は盛り上がり、いろいろな話を聴けて楽しかった。こうやって、初めて松本を訪れた2日間朝から晩まで悟朗さんと一緒で今でも忘れられない思い出である。

そのときに言われたのは、「ノンノンさん、2日間丸々アテンドしたことは日記に書かないでね。収録という仕事で松本に来ているのに丸々一日アテンドして遊んでいると思われたらマズイからね。頼むね。」

お亡くなりになられた今となってはもう時効だろう。

2年目の今年、同じく松本に行ったが、悟朗さんから連絡がなかった。私から連絡しようとも思ったが、勤務中だと思ったし、去年ははじめてだからいろいろサービスしてくれたのだと思い、甘えるのはやめようと思い、連絡しなかった。

唯一お会いしたのは、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」終演後のロビーで会って二言、三言交わした。

ノンノン「カメラ凄かったですね。」
悟朗「この日の収録のためにカメラ10台入れているんだよ。」

この会話だけだった。結局悟朗さんにお会いしたのは、これが最後だった。

そのとき思ったのは眼の下のクマが凄い違和感だったこと、今思えば病魔に取りつかれた結果なのだろうと合点がいった。 いま本当に悔むのは連絡してお会いしておけばよかったと最大の不覚だと思った。結局先日NHKBSプレミアムシアターで放映された「小澤征爾のサイトウ・キネン・フェスティバル松本2012」が悟朗さんの最後の遺作となった。

常日頃から、今後まず出ることはないであろう不世出の日本人、小澤征爾さんの記録は、すべて自分が撮りたい、と仰っていた。小澤さんの生き様の素晴らしさを心底陶酔されているようで、それを聴かされ、私も強く小澤さんの存在を意識するようになった。悟朗さんと知り合って、小澤さんを強く意識するようになったと言っても過言ではない。そんなことを常日頃言っていた悟朗さん、小澤さんより先に逝ってしまっては洒落にならないだろう!

今年のSKF松本2012の鑑賞日記を私が連載したとき、悟朗さんからメッセージをいただいた。タイトルが日本人とカラヤンというもので、

「ノンノンさん、こんばんは。松本日記執筆お疲れ様でした。楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。ところで質問があります。
以前お会いした時に、私が2008年に制作した「日本人とカラヤン」という番組のDVDのコピーを差し上げませんでしたでしょうか? 小林悟朗」

という内容だった。今年の松本はカラヤンの長女であるイザベル・カラヤンさんが主演で話題になって、それについて私も大きく日記で言及していた ので、それに関するものだと思う。

この「日本人とカラヤン」という番組は、2008年のカラヤン生誕100周年のときにNHKで特番された8時間番組である。当時BDは持っていなくてオンタイムで観たが録画はできなかった。

悟朗さんからいただいたのは、悟朗さんが制作した武満徹のドキュメンタリー「おと」という番組だった。その旨、返信したが、それ以降連絡はなかった。
 
同じく堀米ゆず子さんのコンサートにもよく連れて行ってもらった。悟朗さんと堀米さんは非常に仲が良く、よくコンサートに招待されていたからだ。堀米さんは竹を割ったようなズバッとした性格で本当にシャキシャキの江戸っ子なんだよ、とよく言っていた。

小澤さんのサイトウ・キネン・フェスティバル松本と堀米ゆず子さんのコンサートは今後も行くと思うけど、正直悟朗さんの影がちらつき、思い出してツライと思う。

もともと悟朗さんと知り合うきっかけになったのはオーディオである。やはり我々を結び付けているのはオーディオなのである。業界人でありながら、オーディオのことになると我々のような一般人と積極的に交流を持ち、幅広い人脈を構築していったところが凄いことだと思う。

悟朗さんのオーディオルームには4回ほど訪問させていただいた。
調布にある本邸に1回、二子玉川の別邸に3回である。

過去にも日記にしたと思うが、素晴らしい美音だった。

残念なのは、悟朗さんの分身でもあるGOTOシステムの音を聴けなかったこと。これが唯一の心残りである。

調布にある小林悟朗邸のオーディオルーム。
手前にあるのがマルチサラウンド用のB&W800D(フロントL,R)とB&W802D(センター)。その後ろにある黒い大きなスピーカーが2ch専用のGOTOシステム。上流から下流の機器はすべてアキュフェーズで統一されている。
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リア(背面)
リアSPはB&W802D。
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ソフトは1万枚は超える、という凄いライブラリー004.JPG

iBachという旧年式のピアノがオーディオルームに鎮座している。このピアノは、悟朗さんが傾倒していた武満徹さんが愛用していたそのもののピアノでそれをある筋から入手して、最初は実家のほうに置いていたのだが、思い切って、この自宅のオーディオルームに入れ込んだものなのだ。

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二子玉川にある小林悟朗邸のサブ・システムが鎮座するオーディオルーム。
(マンションを借り切って、そこを番組作成の編集作業をするためのスタジオ兼オーディオルームとしていた。)SONYのSS-NA2ESをメインスピーカーに2chシステムを組んでおられた。(この部屋ではマルチサラウンドはやっていなかった。)スピーカーの聴感上の高さを稼ぐために、スピーカーを碁盤の上に乗せていた。部屋は12畳ぐらいで、部屋の響きがライブなので、背後に吸音柱などでデッドニング(響きを少なめにすること)をしていた。
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送り出しは、トランスポート、DAC、ラインアンプにEMM-Labs。
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パワーアンプにマランツのモノラル・アンプ2台を使用していた。
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感動だったのは、帰るときにプレゼントとしてブーレーズ&バレンボイムのリスト協奏曲のCDとクリスマスソング集CD、そして本「ヴァイオリニストに花束を」をプレゼントしてくれたことだった。こういう女性のような細かい心遣いが出来る人だった。

悟朗さんの素晴らしいところは、単なるオーディオマニアではなくて、クラシックそのもの、そしてディスクの情報に関する知識・見識が非常に豊富であったことだ。本当に驚くような知識の豊富さだった。毎日発信されるmixiの日記には、その内容の濃い切れ味鋭い切り口には、すごいインスパイヤーされたものだった。そしてその日記で毎日のように悟朗さんの推薦盤を紹介してくれていた。下手な評論家が推薦するディスクより、よっぽど信頼がおけた。なにせ悟朗さん推薦だから、録音が抜群に良いのである。オーディオマニアである以上、録音の悪いディスクは紹介できないのである。また悟朗さんはヴァイオリンやピアノを演奏する演奏家でもある。だから当然楽譜は読めるし演奏する側の知識も豊富なのである。そういう視点から立った日記もよく発信されていた。本当に私達からするとなんでも持っている、出来るスーパー人間なのである。
 
悟朗さんは、テレビ局の番組制作者の立場であるから、正式な音楽評論家ではないのだが、小難しい文章を書きならべたてる評論家の文章よりもずっと親しみやすく信頼できる、そんな業界と我々との間を取り持ってくれた人だったような気がする。私にとってクラシック音楽への大きな道しるべを提示してくれていた人だったのだ。

こんなスーパー人間の悟朗さんと知り合えたのは、本当に神様の恩恵と毎日感謝していた。いままで、私はクラシックやオーディオの趣味は1人でこつこつやっていた。1人で勉強していた。ところが悟朗さんと知り合うことが出来て、急に目の前が明るく、世界が広がったような感覚になれた。やはり博識な人が近くにいるだけで人生明るくなるものなのである。

また悟朗さんは私のことをよく目にかけてくれた、というか可愛がってくれていたと自分では感じている。やはり悟朗さんは、クラシックが好きでオーディオをやっている人には、とても優しかったように思う。私にはそれが嬉しくて嬉しくて、それに応えようと私も自分を啓蒙してすごい勉強した。それがいまの自分を築いている。

男が男に惚れる。

私にとってそんな言葉があてはまる運命の人だったのだ。

大病をして第2の人生を歩まざるを得なくなって人生絶望のどん底にいたときに、さっそうと私の前に現れて、クラシックとオーディオといういまの私の人生の大きな柱である、その世界に誘ってくれて、そして突然のように目の前から急にいなくなる.....なんと罪つくりな人なのだろう。

突然のご逝去を聴いて、混乱してどうしていいのか分からない状態が続く。
心の大きな支えを失った感じで、毎日大きな喪失感を抱きながら、今後どうやって生きていこうか真剣に悩む現在の心境なのである。いつまでも引きずっていては、天国の悟朗さんもよしとはしないであろうし、前向きにオーディオと音楽に取り組んでいかなきゃならないのだろう。

でも今後このような人と出会えることはまずないだろうし、これからもずっと引きずっていく人生もありなんじゃないかなぁ、と思う。だって経年とともに綺麗に忘れ去るなんて、たぶん絶対無理だと思うから。

神様もいつまでも幸せな気分を味あわせてくれないというか、厳しいな、と思う。
たった3年という付き合いだったけれど、悟朗さんに出会えたことで、どれだけ自分の人生が変わったことか、本当に運命の人でした。

小林悟朗さんは我々オーディオマニアの間では超有名な方ですが、ご存知のない方のためにプロフィールとロングインタビューの記事のリンクを貼っておきます。写真、インタビューが2001年なので若いですが、いまとは面影が全然違います。長文のロングインタビューの内容がとても鮮烈です。

リンク先(↓)(そのままクリックしてください。)

小林悟朗さんのプロフィールとロングインタビュー

享年57歳。まだ定年にもなっていない。おそらく定年後は番組制作という立場から、趣味のオーディオのほうに軸足を移され、ステレオサウンド誌の執筆も続けられ、ご自分の楽しみの世界に埋没されるつもりだったのだろうと思われる。

まさに人生の集大成を考えなきゃいけないときで仕事も最高潮のときのご逝去。

ある意味じゃカッコいい死に方なのかもしれない。

3年間という短いお付き合いだったけど、夢を見させてくれてありがとう。
悟朗さん、さようなら。


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Ponta

お疲れ様。
ようやく書いたのですね。
この画像素敵です。
by Ponta (2012-12-24 07:13) 

マイスターフォーク

小林さんの事を思いだしました。


私とは同年輩でかつて秋田で出入りしてましたオ-ディオショップで放送局に勤務で楽器が中々の腕前との事でしたが不思議と彼だけとは一度も言葉かわした記憶がないのです。


数年間毎週のように顔合わせてたのですが、縁が全くありませんでした。

多分、彼の取り巻きが好まざる人間が多く用心したことが理由かなと思います。

私は損得なしのフィールドでじっくり演奏、オ-ディオ楽しんで来ましたが、所詮接点が無かったのだと思います。



by マイスターフォーク (2012-12-24 16:39) 

hata

 悟朗さんはあなたをとても気に入っていたと思います。
そういう存在は滅多にありません。
期間に関係なく濃密な時間を悟朗さんと過ごせた事は大変運が良かったですね。
これからはご自分が望むまま「音楽を愉しむ」事を楽しんで下さい。

生前の悟朗さんのお話、聞けてとても嬉しいです。

ありがとうございます。
by hata (2012-12-24 21:47) 

椀方

色々な事があったのですね。

by 椀方 (2012-12-27 18:15) 

ノンノン

pontaさん

今年の締めは、やはりこの人。
お互い辛い年になったね。

この人なしで、どうやって生きていくか、だけどお互い模索しながら
生きていきましょう。写真はステレオサウンド誌が撮影した写真です。
by ノンノン (2012-12-27 22:51) 

ノンノン

マイスターフォークさん

なんと悟朗さんの下積み時代の秋田時代をご存知でしたか?
確かに偉大な人でしたけど、若いころから近寄りがたいオーラを発していた方なのかもしれませんね。幸いにも私は、そんなライバル心など持ちようがない余裕のある立場だったせいか、非常に私には優しく接してくれたので、よいイメージしかないですね。ご冥福をお祈りしたいです。
by ノンノン (2012-12-27 22:57) 

ノンノン

hataさん

仰る通り、私も気に入られていた感触は持っていまして、私にはとても優しく接してくれた思い出しかありません。本当に運がよかったのかもしれませんね。悟朗さんがいなくなって毎日の色濃いメッセージが読めなくなったのは本当に残念だけど、その分自分達が自由に考えられるような雰囲気になった気がします。それだけ悟朗さんの呪縛から解き放たれたような。いい方向に捉えていきたい、と思いますね。
by ノンノン (2012-12-27 23:00) 

ノンノン

椀方さん

本当にこの短いあっという間の3年間でしたけど、いろいろ思い出深いんですよね。もうこのような人には2度と会えないと思うだけに運命的な出会いを感じます。
by ノンノン (2012-12-27 23:05) 

朝妻

吾朗が外でそんな付き合いをしていたとは知りませんでした。やがて没後1年半がたちますね。そもそも吾朗をベルリンフィルに連れて行ったのは私です。私はベルリンフィルの衛星生中継のプロデューサーとして吾朗をディレクターに抜擢して連れて行きました。私と吾朗の親密な付き合いはそれ以来10年ほどです。吾朗は小澤さんの担当になってから、海外との往復が増えました。彼の病の元凶はそこにあるように思えます。私も脳内出血で6年前に倒れました。時差を1年間に10回も克服して仕事をしたのはお互いに日本の音楽文化への使命感からでしょう。吾朗には彼を慕う友がいて幸せです。吾朗を忘れないで下さい。
by 朝妻 (2014-02-26 19:43) 

エム5

読み応えのあるブログ、ありがとうございました。
同窓であり最高の友、いや戦友でもあり、また何より一番尊敬する友人でありました。
私も同じ病を抱えガンズだなぁなんて。先に行ったらあかん。
淋しさに未だ辛く悲しい。
by エム5 (2014-03-09 19:41) 

ノンノン

朝妻さま、コメントありがとうございました。

この文面を見て驚き、大変驚き、つてを伝っておぼろげながら朝妻さまの存在を認識をすることができました。本当にいろいろな経緯をお伝えくださりありがとうございました。自分の知らない悟朗さんのことを知ることができて、本当に興奮しました。悟朗さんがはじめてベルリンフィルの仕事をしたのは、1997年のNHKでの定期公演の放送だったからでしょうか?以来、夢の音楽堂でのベルリンフィル8時間特集、日本人とカラヤン、そして小澤BPOの悲愴のBDと悟朗さんは本当に我々に夢を与えてくれました。私は晩年の悟朗さんしか存じ上げませんが、悟朗さんという方はすごい公平な方で誰とでもオープンに付き合える人で、我々一般人のオーディオマニアの方の中にもどんどん入ってきて交流する方でした。

悟朗さんを決して忘れることなどなく、じつはいま極秘に動いているプロジェクトがあって、悟朗さんがmixiやステレオサウンドなど始めいろいろな音楽雑誌に投稿した記事を集めて、小林悟朗の本を出版しようと計画中です。悟朗さんを慕っていたオーディオ仲間たちが発起人になって、いろいろなつてを通じて進行中です。我々の夢は、この本を無事に出版できること、世に出すことかもしれません。その節はこのブログでお知らせしますので、ぜひ一読をお願いします。
by ノンノン (2014-03-09 22:09) 

ノンノン

エム5さん、

もう耳タコかもしれませんが(笑)、ゴローさん亡き後のみんなの心の支え、代表者でもあるので、ぜひとも長生きして、ゴローさんのように死に急がないでください。エム5さんにはそれだけの責務があります。

早くお子さんたちの独り立ちができると、自由な時間が作れますね♪
by ノンノン (2014-03-09 22:12) 

朝妻 明敏

興味を持ってお読みいただき、ありがとうございました。ついでながらもう少し吾朗のことを書きます。彼はNHKに入局して、秋田の地方局勤務の後、東京の「演芸班」に配属されました。当時私は「洋楽班」におりましたので、今度「演芸班」に「クラシック好きが来たらしいぞ」変わり者だが、というのが吾朗の第一認識でした。「演芸班」はNHKの本館8階「洋楽班」は9階でしたので、直接接触はありませんでしたが、その後、「演芸班」と「洋楽班」が統合され、私も吾朗と一緒に仕事をするチャンスがめぐってきました。年齢は私と吾朗は7-8歳離れているので先輩と後輩という立場です。どうでもよいことですが、吾朗はたしか、東大、私は芸大ということで話がよく合いました。NHKが衛星放送を開始することになり、自前のソフトだけでは足りなくなり、海外からソフトの調達が必要となると同時に、衛星向けのソフトが必要になりました。吾朗がそれに合わせたように戦力として「洋楽」の仕事をするようになりました。彼が「洋楽」の仕事をしたのは暮れの衛星生放送で、小澤さんとの接触もこの時からでしょう。私の芸大大学院の先輩の水田さんが全体を仕切りました。吾朗の働きぶりを水田さんから聞き、吾朗は将来一緒に仕事をすることになるだろうと思いました。その後私は衛星放送のクラシック番組のプロデューサーとなり、一か月40時間のクラシック番組を制作することにで、吾朗とはますます、親密になりました。才能を持て余していた時期だったこともあり、次から次へと「新しい挑戦」を吾朗はしてくれました。その後、ベルリンフィルの衛星生放送の件は前述しました。長くなりますので、最後のところに飛びます。私がNHKエンタープライズで企画の執行役員をしていたとき、吾朗が部下として私のところにきました。小澤ベルリンフィルの話は吾朗との最後の仕事となりました。真に残念至極であります。知識と見識のあった吾朗はまだまだ活躍して欲しい人材です。「神様も随分酷なことをしてくれた」と思っております。終わり
by 朝妻 明敏 (2014-03-16 11:04) 

ノンノン

朝妻さま

再度のコメントありがとうございました。
我々もまったくし知らなかった悟朗さんの入社時代のことを知ることができてお宝のような感覚です。

これを機会にぜひ朝妻さまを探そうと、私どものつてを頼りに考えています。つての話ですと、おそらく退職されているお方と想像しています。

ぜひ直接お会いして、我々ともどもお話を伺えれば、と思っております。
よろしくお願いします。
by ノンノン (2014-03-22 08:50) 

朝妻明敏

しばらくぶりです。もう悟朗が逝って4年も過ぎたのですね。この間ブルーレイオーディオなど新技術が出てきましたが、信用できるのは自分の耳だけですね。小澤さんの番組はなんとか続いているようです。では
by 朝妻明敏 (2016-12-10 20:40) 

ノンノン

朝妻さま、大変ご無沙汰しております。ご連絡いただき大変光栄に思います。お元気でいらっしゃいましたでしょうか?

私も、あれからいろいろ変遷あり、このブログにあるような趣味人生まっしぐらの生活をしております。

悟朗さんのことは、頻繁に思い出します。もし悟朗さんが生きていたら、いまのご時世(クラシック界、オーディオ界)をどのように対峙していただろうか?我々にどのように道しるべしてくれただろうか?などなど。

ときどき無性に悟朗さんとお話ししたい、と妄想することもあります。(笑)いまも悟朗さん所縁の仲間たちと毎日切磋琢磨する毎日ですが、ある程度自分の判断でやっていかないといけないところも多く、無性に悟朗さんとお話ししたくなります。

仰る通り、オーディオの業界は、ものすごい移り変わりが激しいので、彼らをいちいち信用していては、いくらお金があっても足りない訳ですし、業界のいうこと、書くことは、彼らはインセンティヴをもらって書く商売ですので、美辞麗句ばかり。自分の耳を信じることと、自分のポリシーをしっかり持つことだと思います。

自分は、旅行やグルメなどに散在するのは前向きな気持ちなのですが、オーディオなどの物欲に散在すると、とても罪悪感というか暗い気持ちになります。(笑)

ブルーレイ・オーディオもありますが、ハイレゾ&アナログ(こちらは少々な腰掛)に取り組みたく、昨今莫大な投資をしております。オーディオにはお金をかけたくないのですが、いまが切り替えのタイミングというか、”とき”とひらめいて突っ走っております。

小澤さんの番組、続いてホッとしております。やはりNHK内部に悟朗さんが育ててきた方たちが意思を引き継いでやっているものと信じたいです。

来年のコンサートの聴き初めは、小澤&水戸室を予定しています。
悟朗さんの意思を引き継いでいく上でも、松本&水戸、そして小澤さんの公演は、通い続けると思います。

まっ大変なチケット争奪戦ではあると思いますが・・・(笑)

ぜひ、よい年末&年始をお過ごしくさいませ。
by ノンノン (2016-12-11 01:43) 

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