So-net無料ブログ作成
検索選択

小澤征爾 & 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 [国内クラシックコンサート・レビュー]

まさに突然の悲報、大いなる虚脱感に陥ったクラウディオ・アバド氏の訃報。世界中が嘆き、悲しんだ。

去年の秋ごろから急な体調不良で降板が続いていて、心配していたが、1番最悪の現実になってしまった。人間の死って突然訪れるもの......ゴローさんのときもそうだったけれど、アバドも去年秋から突然体調不良が続き、あっという間に逝ってしまった。

死因はあきらかにされていないが、自分はてっきり2000年に患った胃がんの転移かとも思っていたが、はっきりした公表はまだのようだ。私はFBから知ったのであるが(それも現地からのニュース発信したての18時頃)、もうFBのタイムラインはアバド追悼の投稿で溢れ返った。


自分のアバドに対する想いは深く、それを「クラウディオ・アバド考」として日記にしたためた。
いま考えれば、ひとつの作品として残しておいて本当に良かった。また去年夏のルツェルン音楽祭でアバドをはじめ、ルツェルン祝祭管弦楽団の生演奏を現地で観れたのは、本当に垂涎の体験だったと思う。

おそらくこれからアバド追悼のための行事イベントが次々と企画され、世界中がその大きな哀しみを共有していくのだと思う。

そんなアバドの突然の訃報の前日に、水戸で小澤征爾さんが水戸室を振る公演を鑑賞してきた。
タイミング的に重ならなくて本当に良かったと思う。もし訃報と重なっていれば、公演を心底楽しめたかどうか......

アバドと小澤さん、両方に通じるのは、やはりクラシック界を引導してきた巨匠の域に達している人物ということ。
また2人ともガンズ。アバドの死に直面して、小澤さんにもそんな心配をいやが上でもせざるを得ない。

高齢、健康の問題もあって小澤さんがいつまで振れるのか、ということもあって、ぜひいまのうちに松本のサイトウキネンと水戸の水戸室定期で小澤さんを生で観たい、と想い始めて3年。ようやくこの日すべての念願が叶った。松本は去年夏、そして水戸はこの日。万感の想い。SKF松本のときはピットだったので、よく見えなかったのだけど、この日ははっきりとその指揮姿を拝見することができた。

ベートーベンの交響曲第4番。

40分くらいの曲だけれど、やはりBD,DVDで全盛期の頃を観ているだけに、振り、動作が弱々しく小さく感じられたけど、でもその頃と比較するのは酷というもの。1年前のキャンセル続きだった頃に比べれば断然元気そうで回復傾向にあるように思えた。

小澤さんが、まだ本調子ではないなぁと思ったのは、楽章間の休憩時だ。
普段、クラシックのコンサートを鑑賞していると、楽章間の間隔というのは、大体感覚でその長さが決まっている。現に前半のナタリー・シュトッツマンのときもそうであったように。

楽章間のときに小澤さんは、椅子に座って休憩するのだけれど、それが結構長くて、楽団員が間を持て余しているようにも感じた。(笑)やはり1楽章みっちりと振ると、すぐに続けてというのは難しく、かなり休憩をしっかり取らないと、という感じなのだろう、と思う。(でも第3楽章から第4楽章に行くときは休憩を取らず、一気に続けた。)

また、指揮台のところには、指揮をしていて疲れたときに座れるように、そこにも椅子がアレンジされていた。でも小澤さん、指揮中は、その椅子を使うことは1回もなかった。

このように休憩のときに復活するまで時間がかかって、やはりまだ万全の体調とは思えなかったけれど、ひとたび楽章が始まると決してスローダウンということもなく、見事に振り切っていた。

やはり驚いたのは、前半のナタリー・シュトゥッツマン指揮によるメンデルスゾーンの作品のときと、後半の小澤さんのベートーベンのときとは、オケの演奏レベルが全然違うと感じたことだった。

辛口で申し訳ないのだけれど、前半は、弦に定評のある水戸室の旋律が、綺麗には聴こえなくて、音響の素晴しいこのホールでいままで聴いてきた印象とずいぶんと違っていて、正直戸惑った。

決して不出来という意味ではなくて、ナタリー・シュトッツマンの指揮は、まさか彼女が指揮というのも正直驚きであったが、十分オケをコントロールできていたと思うし、特に指揮棒を持たない左手の動きがいかにも女性らしい繊細で流暢な美しさがあって、体全体を使ってじつに情感たっぷりの指揮振りだったように思う。もちろんメンデルスゾーンの交響曲「イタリア」をはじめ、曲の完成度としては素晴しいものだった、ことに異論はない。

でもなにかが違うのだ。いつもこの水戸芸術館で聴く水戸室の音色となにかが違う。
いつも聴いていてうっとりするような音色。特に弦の重厚な音色が素晴しい。基音の低域成分が量感たっぷりと聴こえてきて、潤い感があってその低域成分が下支えとなって、その上に中高域の音色が乗っかるような感じで、じつに安定感があって分厚い音色で美しいのだ、このホールで聴く水戸室の弦というのは!

それをイメージしていたので、この日の最初のメンデルスゾーンの曲の音色を聴いたとき、どうもいつものイメージと違ってどこか音痩せする感覚に聴こえて、低域不足のように感じた。潤い感がなくて、音が揃っていなくて音色が美しくないのだ。

立場上(?)、サイトウキネンや水戸室のことは、絶対悪く書けない自分にとっては、これは聴かなかったことにしよう、書かないことにしよう、と想い(笑)、そのまま休憩を挟んで小澤さんの演奏が始まったときに、前半とはまるで別人のように素晴しいサウンドに変貌したのには、驚きとともに、そうだよ!これだよ!これ!という感じで、無理してウソを書く必要もなく、本当にホッとしたものだった。

すべてが完璧に揃っている感じ、最初の一瞬の音の震え、音の力、音の勢い、というなんとも言葉じゃ表現できない音の全てが完璧に合っている、そんな凄さがあった。そう、これがいつも聴いている水戸室のサウンド。

このときに、やっぱり小澤さんの指揮のときの楽団員のみんなの団結力は凄いものがあるのだなぁ、と思ったものだった。そんな想いを抱いた素晴らしい演奏だった。

最後は、観客席全員スタンディングオーベーションでいつまでも鳴り止まない拍手に、自分は思わずグッとくるような感じで胸が熱くなった。

水戸で生の小澤さんを観る、という夢が叶えて、素晴らしい体験だった。

小澤さんは、最近、日経新聞に「私の履歴書」というコラムで自分の音楽家人生を振り返る連載を始めている。私の勝手な予想であるが、小澤さん自身もこの歳になって自分の人生の統括というのをすでにやらなければ、と意識しているのではないのだろうか?

個人的な希望から言わせてもらうと、またいつか再び、「世界のオザワ」としてベルリンフィルハーモニーやムジークフェラインなどで世界のオケをフルの2時間いっぱい振る檜舞台を見たい、という願望があることは確か。

クラウディオ・アバド氏の訃報を聴いて、我々に大きな影響を与えてきた巨匠が次々と亡くなっていく、このとき、いま思うに、無理せずにいまのように40分でも1時間でもいい、出来る限り現役で振る姿をいつまでも観ていたい、そちらのほうを優先していただき、細く長く生きていって欲しいと、この日の公演を振り返って、いま強く想うのである。

7cnkPlSPW0CPkpQ1390389069[1].jpg

kgy3_r9KnlKJ2ZL1390389095[1].jpg

水戸室内管弦楽団 第89回定期演奏会

2014/1/19(日)14:00~15:50
水戸芸術館コンサートホールATM

【第1部】指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
 メンデルスゾーン:序曲<フィンガルの洞窟> 作品26
 メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90 <イタリア>
 
【第2部】指揮:小澤征爾
 ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0