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大賀典雄さん [雑感]

先日の仲道郁代さんのことを日記で書いたときに久し振りに軽井沢大賀ホールのことに触れたので、大賀典雄さんのことも書いておこうと思った。

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自分のこれまでの日記でもたびたび触れてきたが、きちんとひとつの日記として触れていなかった。

大賀さんについては、もうこれは世間で数多の書籍が売られているので、今更、そのような内容のことを書くつもりはない。あくまで自分の目線からみた印象を記憶に基づいて、簡単に日記にしておきたいと思ったのである。

大賀さんはSME(ソニー・ミュージック・エンターテインメント)の前身レコード会社CBSソニーの社長、そして株式会社ソニーの社長・会長を歴任された。

芸大出身のバリトン歌手という異色の経歴のレコード・マンとしてCBSソニー創業の頃から スポット・ライトのあたるスターだったと思う。ワルターやバーンスタイン、フランチェスカッティ、オーマンディなどを擁し、世界の先頭を切ってLPを推進したCBSレコードは、その最初の頃は日本コロムビアがディストリビュートしていた。

CBSコロムビアという国内盤で ジャケットの上に360度ステレオのロゴが入っていたのを人から聞いたことがある。それが 通信機・録音機メーカーから総合電機メーカーへと日の出の勢いで発展していたソニーがレコード会社を立ち上げ,CBSソニーとなった。その新興レコード会社CBSソニーの陣頭に立って活躍していたのが大賀典雄さんだったのだ。自らが独唱を歌ったフォーレのレクイエムのレコードもあった。


私が1987年に入社したときにはソニーの社長であった。(会長は盛田昭夫さん)入社式のときに訓示のお言葉をいただいたのをいまでも記憶している。

大賀さんは東京芸術大学を経て欧州のベルリン音楽芸術大学で声楽を学ばれている。バリトン、話し声も凄い低音が素晴らしい。(笑)そういう経歴で、井深さん、盛田さんとの親交で家電メーカーの経営者になるという異色の経歴の持ち主だったのである。

自分は一般社員に過ぎなかったので、直接コンタクトを取ったことはなかったが、こういう訓示をもらうときなどのお姿、話を聴いていたりすると、人間として一回りも二回りも大きいというか、格の違い、大きさというものを感じざるを得なかった。

もう私のブログでは何回も書いてきたが、カラヤンとも蜜月の関係で、お互い飛行機の操縦の趣味、自動車の趣味、またカラヤンは機械ものに強く、ザルツブルクの自宅の地下の編集室にソニーの機材一式を購入して大賀さんに見せて自慢したなどのエピソード,CDの記録時間決定の際のカラヤンのアドバイスなど非常にお互い公私ともに友好な関係であった。

とりわけ、CDが世に出るときに、カラヤンがプロモーター役を買って出てくれて、そのサポートは大きな役動力になったに違いない。

あとカラヤンと大賀さんが、カラヤンのザルツブルグの自宅で会談しているとき、心臓発作でそのままカラヤンが倒れるように亡くなった。いわばカラヤンのご臨終を看取った人が大賀さんでもあった。

ある特集番組でザルツブルクのカラヤンの墓参りをした大賀さんが、「1番残念だったのは、カラヤン先生はハイビジョンというものを知らずして世を去ったということ、もし先生がご存命であれば、ハイビジョンでベートーヴェンの交響曲全集をもう一度作ろうと言ったに違いない。」と仰っていたことがすごく印象的であった。

そういうこともあって、いまのソニーとベルリンフィルのビジネスパートナーとしての強い結びつきもこの頃に構築された賜物、恩恵と言って過言ではない。(例の私の同期の友人の話だと、出井さんが社長の時に社長室に入った時に、カラヤンの大きなパネルが飾ってあったそうな....)

私が在籍していたのはコンシューマ分野であったので、そこから観た大賀さんは、もちろん全体的な責任者であることは間違いないのだが、特にオーディオの最高責任者的な立場だったような感じがする。当時のソニーのコンシューマはオーディオ畑とビデオ畑で結構壁があるような感じがして、あまり疎通がない、というかまったく違う文化の組織だったような気がした。私はビデオ畑の人間であった。

やはりCDとMDというフォーマットを世に定着させた業績は大きく、オーディオの技術責任者、経営責任者は最後の判断では必ず大賀さんの最終指示を仰ぐような感じに思えた。

私の時代に、社長になる出井さんに「私はCDフォーマット、MDフォーマットという業績を残した。君が社長の任期にどんな業績が残せるか、常にそれを考えたまえ。」と言われたそうだ。それで出井さんはネットワークに着目したとか。

なんかこの逸話はいまでも強烈に印象に残っている。(笑)

あと大賀さんの大きな業績としては、ソフト会社を買収してソニー傘下にしたこと。当時のレコード会社CBSを買収してSMEに、映画会社コロムビアを買収してSPEに。当時のソニーはハード開発メーカーであったが、ソフト会社を傘下に収めることになってハード、ソフトの両面でビジネスを考えられるようになったこと、これは企業にとっては大きなメリットであったと思う。これは、まさに大賀さんの大きな業績。まさに技術者出身の経営者では思いつかなかった見事な経営視野だったと思います。

クラシックに造詣が深い大賀さんは、カラヤン、ベルリン・フィルへの熱い想いからベルリンフィルハーモニーの正面にソニーセンターを作ってしまったのも大賀さんのワンマン裁断だと聞きます。(いまはもう売却したという話も聞きますが、このソニーセンターはいまでもベルリンの代表的なランドマークとしての位置づけで観光名所になっている。)

あと自分の退職金16億をすべて寄付して軽井沢に大賀ホールを設立したのも大きな業績。その大賀ホールで時折指揮をしていたことも。いつかこの大賀ホールで大賀さんの指揮姿を拝聴したかったのですが、いまでは叶わぬ夢となってしまった。

このホールを建てることで、邦人演奏家のことも広く考えていて、特に若手演奏家の育成に心血を注がれていたのは,このホールがいまだに安価なチケット代で良心的なコンサートを中心に年間のプログラムが組まれている証拠でもある。

何と言っても極めつけは、2000年にベルリンフィルハーモニーでベルリン・フィル相手に第九を振ったということだろう。ソニーセンターの落成式で、こういう粋な計らいがあったのだ。

家電機器を開発すると言う立場にいながら、クラシックに造詣が深い大賀さんはまさに自分の尊敬する人で人生の鏡でもあった。なんか普通の会社経営者と違ってすべてにおいて「異色」なんですよね。(笑)

よくソフト会社の買収などの多角経営で、本来のエレキ開発の路線の弱体化につながったといろいろ揶揄する人がいるが、それはもう後出しじゃんけんみたいなもので、要は外部から机上の論議で批判することなら、だれでもできる、というかいとも簡単なことなのである。

実際自分がある企業に入って、そこでビジネス戦略を作って、ものづくりをして、営業利益、純利益を上げていく、そういう実際その立場の身になってリアルにやってみる、実績を上げてみる、いわゆる汗を流す、ということがいかに大変なことなのか!

単に批判しているだけの、汗をかかない人は自分にはお気軽に思えてしまう。

自分は、大賀さんのそのオーディオ・マインドにも共感を覚えた。大賀さんは、初期のテープレコーダーを自作されたほどだから音楽家としては、とびぬけてハードウェアへの関心が高かった。それは、終生変わらなかったようだが、いわゆるオーディオ・マニア的なフェティッシュ、ディレッタント的な要素はお持ちでないように思われた。

自分が求める「音楽再生」のためには、かくかくの欠点を改善しなければならない・・・という目標を常に冷静に見つめて、追求されてきたようだった。
 
もれ聞くところによれば 大賀さんはQUADのESL-63を愛用なさってたという。もちろん不満も 色々あったようで QUADの利点をそのままに欠点を改善したようなスピーカーが 開発できないものか? 自社のエンジニアに疑問を投げかけることもあったらしい。平面型ユニットを採用したAPM-6や異色のコンデンサー型SS-R10などが、そうした課題に答えて開発された機種と噂された。

我々社員には、常に「お客様の心の琴線に触れる商品を開発すること。」ということを仰っていた。

自分は直接会ったことはないけれど、おそらく会えば、ひとりの偉大な人間に向きあっているという圧倒的な印象、何よりも 人物、人間としての「大きさ」を感じるに違いない、といまでも確信している。


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