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アンニュイな魅力のエレーヌ・グリモー [クラシック演奏家]

エレーヌ・グリモーというピアニストは、昔からCDをずっと聴いていて馴染みのあるピアニストではあった。

今年2月に久しぶりの新作を発表し、「ウォーター」というタイトルでDGから発売される。それに伴い、じつに5年振りの日本でのリサイタルも開いてくれるようで、楽しみ。

彼女の容貌や、その全体像から香りでるような、なんともいえないアンニュイなフンイキ......
(以下掲載する写真は、FBでの彼女の公式ページからお借りしております。)

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彼女の生い立ち、そして彼女の人となり、人生観・価値観みたいなものが、いわゆる普通の可愛い女性とは少し違うというか、一線を画した、少し表現が悪いけれど、「ちょっと変わった女性」的な摩訶不思議なところに妙に惹かれるものがある。

そういう意味も含めて、彼女の生い立ち、人となりを本で読んでみたいと、ずっと捜していた。

去年、フィルハーモニー・ド・パリでのCDショップで購入したグリモーの本。

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もちろんフランス語で書かれているので読めないので、記念として買った意味合いが多かった。

でも彼女のことをもっと知りたい.....そんなことから日本での書籍がないか調べた。

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野生のしらべ
エレーヌ・グリモー
北代美代子 訳

http://goo.gl/hEtfDa


内容はグリモーが自分の人生を振り返るもので2003年に書き上げた自叙伝、それを北代美代子さんが和訳されてランダムハウス社から和書として発売されている。彼女の生い立ち、人生観が書かれていて、とても自分にはタイムリーな本に思えた。

これを読了して、彼女の人生を知ったとき、なぜあのような独特のフンイキがあるのかが、理解できたように思えた。偶然ではないのだ。やはり、それ相応の試練の人生を歩んできているからこそ醸し出されるオーラなのだ、ということがわかった。

だが、和訳本にありがちなのだが、1冊丸々読んでみたところ、正直大変読みづらく、わかりにくい。日本語の文章がスムーズでなくて頭に入ってこないのだ。何回も読み返さないと全体が掴めなかった。

彼女のことをもっと、もっと知ってほしい、という一念から、この本の所々の抜粋をして、自分のコメントを少々入れて、パブリックドメインにするにはギリギリいいかな、というレベルの自己判断の元、日記にしてみることにした。

目的は、全体の流れがわかりやすいように、彼女の人生がキャプチャーできるようにまとめること。
そして、この本に興味を持ってもらって一人でも多くの方に読んでもらいたいように誘うこと。

(読んでみて問題あるようでしたらコメント示唆ください。)

彼女のCDも昔から、いろいろ持っていたが、今回のこの日記を書く上でさらに買い増して、このような布陣で臨む。

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グリモーは、フランスのエクス=アン=プロヴァンスの生まれ。

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小さいころから、言うことを聞かない、「ひとりの友達もつくらず」「人と違って」いた。左右対称性に異常にこだわる、という病気でもあって、自傷行為まで見せるようになって、心配した母親がその有り余るエネルギーをピアノに向かわせたところから、彼女とピアノとの出会いが始まる。

左右対称性の異常は、体の一部に傷がついた場合は、必ずその反対側にも傷をつけたいという欲望を感じるようになるし、自分の領土も同じように左右対称に整理されている必要があった。

勉強机の上では本の両側に同じ数の鉛筆がなければならず、本はノートの周りに同じ距離をとって並べなければならなかった。片方の靴ひもが反対側ときっちり同じになるまで結んでは、ほどきを繰り返したり.....

この対称性への強迫観念は自傷行為にまで到り、両親を悲しませ、音楽学校、ピアノに向かわせようとする。

もうこの頃からふつうではない、彼女独自の「人と違った」世界が広がっていた。

「人と違う」ことを生きることは、たとえばグリモーにとって小学校に通うこと自体、耐えがたい苦痛であって、それを救ったのが彼女が音楽的才能に恵まれていたということ。

ピアノを通じて、自己実現の手段、自分のありうる場所を見つけるようになれた、ということだった。

1982年13歳でパリ国立高等音楽院に入学して、その才能を開花させるものの、必ずしも順調ではなかったようだ。

入学試験はショパンのピアノソナタ第2番&第3番の第1楽章。この頃からグリモーは、ショパンに対して自然と通じ合うものを感じていたようだ。大いなるエレガンスと究極の洗練を持つ、そしてなによりも自分の感性に溶け込んでくる、と言っている。

そうして、もう一人尊敬している音楽家、ピアニストとして彼女が挙げているのがコルトー。その創意と音楽性、そしてある意味での完璧さの欠如。~ダンディの襟元でほどけたネクタイのように~とつねに称賛していた。コルトー版での指使いとペダルがきわめて錯誤的とも......

15歳になったときに録音、つまりCDを出すチャンスに恵まれる。彼女自身が望み選んだ作曲家がラフマニノフ。

グリモーは、もともとラフマニノフの音楽が、そしてそのピアノ協奏曲のなかではとりわけ一番身近に感じた「第二番」が好きだったようだ。たとえば、初めのフレーズですべてが語られてしまう「第三番」とは正反対に、「第二番」には冗長さという欠点がまったくない、と言い切っている。

自分は「第二番」より圧倒的に「第三番」派なので(笑)、そういう嗜好、考え方もあるんだな、と考えさせられた。自分は、第三番のあの初めのフレーズが全体を貫く共通主題になっていて、全体の統一感・様式美を決めている......そういう部分が特に好きなので、グリモーの考え方とは全く逆なのである。


ラフマニノフの音楽は当時の音楽語法に逆行していて、さまざまな分野で「革命」そのものが時代の流れであったとき、同時代のラヴェルやバルトークが組み込まれることになる動きが誕生していた、まさに、そういうご時世に、ラフマニノフは変わることなくロシア・ロマン主義に執着し、チャイコフスキーがその名を高らしめた音楽形式に忠実だった。

彼女は、このピアノ協奏曲「第二番」について、もう巷では有名なラフマニノフが交響曲第1番で大失敗してノイローゼになって、この曲で復活するまでの経緯を事細かく説明して、その感動をこの本で我々に伝えようとしていた。彼女のこの曲に対する情熱と言うのがひしひしと伝わってくる。

彼女の最初のCDはアムステルダムで録音された。

16歳以降になってから、ブラームスに傾倒。周囲からはイメージに似合わないと随分反対されたみたいだが、彼女のブラームス愛は相当のもので、どうしてもレパートリーとして加えたいと願うようになる。


ブラームスのどのような作品を聴いても、彼女にとって「知っている」という感覚を持つらしく、なにか自分のために書かれているように感じる....自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚.....そういう信じられないような親近感を持つらしい。

この本に書いてあるグリモーの「ブラームス讃」は、もう本当にとりとめもないくらい、何ページも費やして、そして限りなく熱く語れているのだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番もすばらしい作品としてCDとして完成させている。こうしてみると彼女は、15歳にしてはじめてCD録音をしてからおよそ20作品ほどの録音を世に送ってきているのだが、自分の想いのたけの作品を着実に録音という形で世に送ってきているのだということが実感できる。(このあたりの作品の解析は、次回の日記で試みます。)

このように自分の存在感、自己表現として音楽、ピアノの道を歩むものの、「自分の音を見つけ出す」ために悩み、フランスの伝統的な音楽界が自分に課してくるステレオタイプのイメージに随分苦しめられたようで、このままここにいても、という閉塞感から、パリ音楽院を離脱して、アメリカ移住を決心する。

でもその前に、1980年代の終わりごろに、マネージャーとの出会いも含め、国外でリサイタルを開けるようになったころの話を書かないといけない。ドイツ、スイス、日本、ロンドンなどなど。グリモーは空港が持つあの独特の雰囲気が大好きのようだった。

これは私もそう。毎年、海外音楽鑑賞旅行に出かけるときの、出発するときの羽田や成田のあの雰囲気、とてつもなくワクワクして、これから始まるちょっとした冒険に心踊るような子供のような感覚....とりとめもなく大好きである。

グリモーは、この時期に人生を決定する大事な出会いをする。

マルタ・アルゲリッチ。

マルタは、その通り道ですべてを押しつぶして進む力であり、絶対的に君臨する生の躍動である。
内面のできごとを全的に感じ取る。風のような女性だ。

彼女とのパートナーでもあったギドン・クレーメルとも大きなパートナーになってもらい、彼女がパリを離れるときにマンションを貸してくれたりしている。

マルタは、まわりに集まる若い音楽家の群れを、考えられないような寛大さで養っていたという。(笑)

そういう中間の過渡期を経て、グリモーはアメリカでのコンサート・ツアーの話を持ちかけられる。
このときは彼女は英語はまだ話せなかったようだ。

このアメリカツアーのときに、もう自分は帰らない、という決心をする。

パリで扉に鍵をかけ、ジーンズを二本ばかりと洗面用具入れ、旅費の代わりに数冊の本をスーツケースに投げ込み、そうしたあと、すぐにフロリダ州の州都タラハシーの住民になっていた。

森林におおわれた平らな田園地帯にある恐ろしく退屈な町。

そこでグリモーが引っ越してきたことに町の人は気づき、自然の外でホームパーティを開いてくれた。

そのとき、「気をつけたほうがいい。あそこには男が住んでいる。ベトナムの帰還兵だ。頭がちょっとおかしい。危険なやつだと思われている。」と言われる。

そして数日後に深夜に眠れなくて譜読みとかするとますます目が冴える、そして深夜の闇の中に散歩に出かける。

その瞬間、グリモーは、初めてそれを見た。

犬の姿をしている。でも瞬間的に犬ではないとわかる。
闇の中でその動物は鋭い眼光で、グリモーを見た。彼女の全身に震えが走った。

その後方に男が立っていた。町の人に教えてもらっていた危険な男、ベトナムの帰還兵だった。

2人は立ち話をして、その男はおもむろに自己紹介をする。グリモーがクラシックの音楽家であることを告白すると、自分もクラシック音楽が大好きで、レコードをたくさん持っている。好きな時に聴きにこればいい。

グリモーは、この誘いをちょっと荒っぽいと思ったらしいが(笑)、その動物は?と聞き返す。

これは狼だ。これがグリモーの狼とのはじめての対面。

狼は、柔らかな足取りで、彼女に近づいてきて、左手の臭いを嗅ぐ。
すると狼は、自分のほうからグリモーの手のひらに頭を、そのあと、肩をこすりつけた。
その瞬間は彼女は全身に電流が走る、電光のような火花を感じる。

そうすると狼は、仰向けになって横たわると、グリモーにお腹を見せた。

男は、「こんなのははじめて見た。自分に対してもこんな姿を見せることは滅多にない。」

最初の初対面で、グリモーは狼との運命の結びつきを感じ取る。

狼の社会~群れ~は人間社会と奇妙に似ている。それは体育会系の民主主義で、他の個体からリーダーと認められたものは、力、速さ、狩りの腕前だけで支配するのでなく、大きな部分を心理的影響力に依存している、と言われている。

この男との出会いから、グリモーはこの狼と恋に落ちてしまった。
この狼と会いたいがために、何回も訪れて、何時間もいっしょに過ごした。
狼からの愛情の交換は強烈で豊かだった。

不意に襲い掛かってくることもある。

狼のほうから愛情表現をされ通じるものを、狼は彼女の中に見出したのだ、と思う。双方にとって運命の出会いですね。

狼といっしょに過ごすことで、お互いどんどん相通じるものを感じ合う。
それからというもののグリモーは、狼に会いたいがためにしょっちゅうその男の家を訪ねる。

愛情という点について、狼はグリモーの人生の中でもっとも重要な存在になる。

これをきっかけにグリモーは動物行動学の勉強を始める。
さまざまな講演に出席する。アメリカ国内を歩き回り、専門家が狼の生態と行動を研究している保護区を訪ねたりした。

音楽、ピアノの割く時間は当然減らすことになる。レパートリーの幅を広げず、同じ曲の追及。注意を室内楽に集中した。

グリモーは、狼の行動学、研究そして自然復帰とだけを目的とする財団と公園を創設したかった。
狼の群れを住まわせる土地を買うために、コンサート出演料のすべてを貯金した。

そこでまず目的を達するために、いったんこの男と狼と分かれ、ひとりニューヨークに出る。ひとりゼロからの出発。五番街にバッグを下ろす。

目的の資本金に手をつけないがために、厳しい食生活、貧困の生活の一途。
電話帳を片手に政府機関を訪ね、コンサート用のステージ衣装のほかは、たった一枚しかなかった着替えを洗濯をするためのコインランドリーを探したりした。

3年。ようやく落ち着いてきたのが1997年。

自ら望んだ不安定な生活を両親に知らせることもなく、極秘に暮らした。
まさにバヴァロッティとヨーヨーマくらいしかクラシックの音楽家は知られていないクラシック不毛の土地。

ピアノの練習の条件がこれほど厳しいことはなかった。
まず、自分のピアノがなかった。

練習したいときは、五十七番街のスタンウェイ社にいくか、お金を払って2,3時間ピアノを借りた。

ようやく2001年にはじめてコンサート・ピアノ、スタインウェイDの所有者となった。

でもグリモーには狼たちがいて、音楽があった。

来る日も来る日も狼の囲い用の土地を探すために懸命になった。そんなある日、不動産屋から連絡があって、ついにグリモーにとっての天国の土地を見つけてくれた。

地元当局との果てしない交渉の結果、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。

30名ほどの従業員を雇用。(現在はわかりませんが。)最初の狼数匹を収容した。
センター設立後は、1999年に750名の子供が、2002年には8500人が訪れるようになった。

グリモーの最大の楽しみにしていることのひとつは、夜、囲いの狼たちのそばで音楽の研究をすること。

そして、コンサートの出演料はすべて、この施設の運営費、狼の養育費に充てられ、それが尽きてくると、またコンサート遠征に出かける、という毎日。

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なんと野性的なんだろう!彼女の野性的で摩訶不思議なオーラがいっぱいなのは、このような人生を歩んできているからなのだ。

表面的な生き方をするだけでは絶対得られない、修羅場の人生を歩んできたからこそ得られる”本物”の凄み。

この彼女の人生を書き綴った(彼女自身の独白本)、この「野生のしらべ」という本は、もっともっと詳しく内省的に彼女の心情描写を綿密に描いています。


自分は、それを何回も読んで全体のシナリオが見えるレベルで掻い摘んでいるに過ぎなくて(パブリックにできるギリギリのレベルという自己判断ですが.....)、5月の彼女のリサイタルの前に、ぜひ読んでもらいたい本と思ってこの日記にしました。この本を読み終わったとき、ほんとうに感動してしまい、ぜひこの感動を伝えたいとただそれだけを思っただけ。

またこういう人生の変遷の歴史を知りつつ、一連の彼女のCDを聴き込むと、よりエレーヌ・グリモーというピアニストの真髄がわかるような気がしました。

自分もグリモーのことは、プロフィール欄に書かれている表向きのことくらいしか見識がなかったので、この本を読んで、彼女の数奇な人生に本当に感動した次第なのです。

海外への音楽鑑賞旅行も、なにもヨーロッパだけに限ったことではなくて、アメリカもぜひ訪問したい夢があります。(ヨーロッパには、数えきれないくらい、何回も行っているのだが、アメリカには、なぜか縁がなく、生涯にかけて1回も訪れたことがないのです。)

そのときコンサートホールやオペラハウスだけでなく、番外編として、このグリモーの「ニューヨーク・ウルフ・センター」をぜひ訪問してみたい!

次回の日記では、彼女のディスコグラフィーを聴きこんでの試聴記を予定しています。ここで説明してきた彼女の作曲家の嗜好をそのまま録音として作品化してきた、その変遷の歴史、彼女の音楽観を理解しつつ聴き込む訳です。

つくづく思うのは、クラシック録音の王道のDGレーベルのピアノの録音がじつに美しいと感じることです!!!

【参考文献】グリモー、『野生のしらべ』、北代美和子訳、平成16年、ランダムハウス、2004年


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ま~さん

グリモーの稿、じっくりと読みたいと思います。話は変わりますが、児玉麻里さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をこのところ聴きこんでいますが、まあ素晴らしい演奏であり高品位な録音ですね。いつも聴き終わって感じるのは、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさです。壮大な交響曲の世界もいいですが、もっと身近に置いておきたい世界、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにはそんな魅力が満ちています。このディスクを紹介していただいたノンノンさんに改めて感謝!

by ま~さん (2016-02-07 08:53) 

ノンノン

ま~さん、

まさにおっしゃる通りですね。自分も大編成ものも好きなのですが、室内楽も音楽的、そしてオーディオ的の両方において好きです。室内楽というと隙間の美学というか、演奏者の息遣いやフレージングの生々しい表現が、目の前で展開される感覚が、とてつもなく好きだったりします。生演奏だけでなく、オーディオ的にも。またお恥ずかしい限りですが、オーディオの再生環境からすると深夜の時間帯や騒音を考えると、大音量のオケよりも室内楽のほうが、より接しやすいメリットもありますね。

児玉麻里さんのSACD、気に入っていただいて光栄です。今年の11月には、児玉麻里・児玉桃姉妹によるPENTATONEからの新譜もあるようで、期待しています。もちろん日記で取り上げますよ!(笑)
by ノンノン (2016-02-07 18:58) 

Judy

野生の調べは確かに読みにくくて、私も何度か読み返しました。訳が悪いというよりHeleneの思考がとても深くてしかも超スピードで動くので、平均的な人にとっては一度読みでは理解し難いのでしょう。私はカリフォルニアに住んでいる上、彼女の弾いたBeethovenのTempestによって救われたことがご縁で、もう狼センターには3回、Helene自身との晩餐会というのにも2回行く機会に恵まれました。実物はさらに優雅で美しく、どんな人の話もあの目でじーっと相手を見ながら熱心に聞くので誰もが惹かれてしまいます。もしものんのんさんが狼センター並びにHeleneとのFound Raising Dinnerに興味がお有りなら、3回目が2017年の4月から6月にはあると思いますのでお知らせすることが出来ます。

Heleneがきっかけでしたが、のんのんさんのBlogは「親切」に満ち満ちていてとても読み甲斐があります。人のためにこれだけの時間を割いて写真も満載してBlogを書いてくださってありがとう。
by Judy (2016-10-28 15:33) 

ノンノン

Judyさん、コメントありがとうございました。そして、とても暖かいメッセージありがとうございました。いたく感動いたしました。(笑)この自叙伝の複雑さというのが、グリモーさんの思考回路にある、というコメントは鋭いと思いました。確かにその通りですね。なんか俗的なものとは距離感があって、すごいピュアで、生き物の本能と通じ合うような、そんな才能の持ち主ですよね、彼女は。Judyさんが人生経験において、グリモーさんと深い関わりを持っていらっしゃたことに驚き、うらやましいのと、グリモーさんに関する私の拙文を読んでいただき、光栄だと思いました。ありがとうございます。

じつは、来年の海外旅行は、どこに行くのか決まっているので、グリモーさんのウルフセンターの創立祝賀ディナー(?)、ぜひぜひ参加してみたいのですが、なかなか日程が取れそうにありません。

その反面、その翌年の2018年に、生まれてはじめてアメリカに渡航する予定で、そのときの他人と違う旅行という位置づけで、最大のイヴェントとして捉えているのが、グリモーさんのウルフセンターへの訪問なのです。

旅行前になりましたら、自分のネットワークでウルフセンターへの住所、行き方など調査しようと思っていたのですが、もしよろしければ、ご教示願えると大変光栄なのですが、いかがでしょうか?
自分でも思ってもいない展開でした。(笑)

このコメント欄で公開など不都合がありましたら考慮します。

まだまだ先だなぁと思いながらも、早く行きたい、という気持ちも交差して、複雑だったんですが、Judyさんのコメントで、一気の気持ちがそちらに加速してしまいました。(笑)

私の拙ブログも読んでいただき、ありがとうございます。もともと海外旅行の現地情報を、お世話になっている旅行会社スタッフと共有したいと思い、始めたブログでしたが、どんどんテーマの枝葉が広がっていきました。今後とも、よろしくお付き合いいただけると光栄です。ありがとうございました。
by ノンノン (2016-10-29 01:49) 

Judy

http://nywolf.org/
忘れない内にこのページを載せておきます。ここに行けばWolf Conservation Centerのことはほとんどわかりますし、Heleneがピアノと同等のPassionを持ってこのNYWCCを維持しているのがわかります。晩餐会もその寄付を募るためのものでした。私は犬は飼っていても、野生の動物とそれほど通じるものを持ち合わせていないので、HeleneやBartokのように特殊な感覚を持っている人は凄いな〜と感心するのみです。去年の4月に一度目のFund raising dinnerのお知らせを受けて一晩考えて決めたのですが、行って良かったです。
14人のゲストのうち私だけが帰る宿が別方向ということでなんとHeleneとボーイフレンドのMatが送ってくれるという幸運にも恵まれました。その日のお昼はBrhams Piano Concerto #1を弾いて、夜からの晩餐は知らないゲストたちと3時間もおしゃべりして、Heleneは相当疲れていたはずです。でも、私を完全にゲスト扱いで自分は車の後ろの席に座って私にどうしても助手席に座るようにいって譲らなかったのです。お陰様で宿につくまでの20分位3人で話が弾んで、「またね〜。」という感じでお別れしました。遅かったので宿の玄関の電気がついていなかったらHeleneは心配して車から降りて私が無事に中に入れるまで見ていてくれたのですよ。今年の6月の二度目の晩餐会で会った折にMatもHeleneもこちらのことを実によく記憶していてくれたので驚きました。だって、ゴマンといるファンの中のひとりですよ。それほど誠心誠意の人たちなので、あんなに世界中を回ってコンサートして、体は大丈夫かな、長生きしてほしいな、と祈るのみです。コンサートの後のリラックスの秘訣はなんとかなり緊張を強いられるTVドラマを観ることなんだそうです。そのことでは一年目に隣の席に座ったMatと意気投合して、お互いに好きなドラマ名を交換し合ったのでした:The Americans, Hannibal Lechter, The Fall, Happy Valley,
スパイ物、残酷な殺人、人間の奥底に隠された秘密が暴かれた時、、、などというトピックばかりです。日本でも見る機会があったら是非見てみて下さい。Heleneの音楽鑑賞にまた深みを与えてくれることでしょう。

長い間生きてきて、誰かのファンとしてこういうことに参加したのは初めてだったので、偉大なアーティストと生で触れ合う価値の凄さがわかりました。

のんのんさんもきめが細かく愛情深い人であることはBlogから疑う余地もありません。どうか忙しいときには休むことも考えて長生きしてくださいね。
by Judy (2016-10-30 12:27) 

ノンノン

Judyさん、ありがとうございました!

なんと素敵なグリモーさんとの想い出なんでしょう!
詳細な描写まで教えていただき、なんかその場が頭の中に浮かんできそうです。

教えていただいたHPの中に、Donationがありましたので、自分の出来る範囲で、ぜひ寄付させていただこうと思います。自分の個人情報も送れるようなので、なにかグリモーさんと繋がるような感じで嬉しいですね。

NYWCCは、偶然なのかFBのほうで、登録していたりしました。(笑)じつはそこだったというのを知って驚きです。
FBのほうからの寄付できるようになっているんですね。

ぜひ2018年の旅では、NYWCC訪問を実現して、自分のブログにその報告をしたいと思っておりますので、そのときはぜひご覧になってください。

どうもありがとうございました。
by ノンノン (2016-11-01 22:41) 

Haru maro goro

ノンノン様、初めまして。

グリモーがデビューした時は、演奏より長髪の美少女だった印象ばかりが強くて、でもどこか気になるピアニストでした。それからかなりの年月が経ち、テレビ放送で髪型が変わって大人になったグリモーの演奏会を聴きました。少女期のイメージが変わってびっくりしたのを覚えています。それから、彼女の演奏を聴いています。
先日、彼女の弾くバルトークのコンチェルトのCDを聴いて、グリモーの検索をしてこちらのブログに辿り着いたのです。
ノンノン様の素晴らしい文章のおかげでグリモーの歩んできた道を知りることができて嬉しく思いました。彼女の演奏に惹きこまれた理由の一部はこの事に関係していたかもしれません。ご紹介くださりどうもありがとうございました。
私はコンサートからかなり足が遠のいています。東京文化会館のバックヤードの記事、とても興味深く拝読しました。20年位前に行ったのが最後です。


by Haru maro goro (2016-11-24 19:23) 

ノンノン

Haru maro goroさん

コメントありがとうございました。
グリモーさんは、ピアノ作品はさることながら、その容貌もなんか吸い込まれるような純粋なものを感じるので、とても魅力的で人を惹きつけるなにかをもったピアニストだと思います。

ボクもこの野生の調べを読んで、ずいぶんと、そのピュアな瞳に隠されている本能みたいなものの原因がわかり感動しました。

生演奏からずいぶん離れているとのことですが、ぜひ足を運んでみてください。生演奏独特のよさは、その感動、演奏家の息遣いが直に感じられることだと思っています。

ボクもオーディオで聴く良さもわかりつつ、生演奏のよさも認めるという両刀派だったりします。(笑)
by ノンノン (2016-11-27 08:39) 

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