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マリア・ジョアン・ピリスに”さようなら” [クラシック演奏家]

現役で最も高く評価されているピアニストの1人のマリア・ジョアン・ピリスが引退する。日本のファンの方々へのお別れコンサートとして2018年4月に日本を訪れてくれているのだ。

ピリスは、自分にとって縁があるピアニストだと思う。ここ5年の間にサントリーホールと横浜みなとみらいで、ラストの今日を入れて3回もリサイタルの実演に接することができた。 

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ピリスの魅力って、スター演奏家とは思えない、飾らないとても素朴な人柄。彼女のステージ衣装なんてそれを最も端的に表していると思う。

ある意味とても地味。ドレスのような原色キラキラ系とは程遠いモノトーンなダーク系のシンプルな衣装。彼女自身が紡ぎ出すイメージは、とてもシンプルで、ある意味俗世からかけ離れたような素朴なもの。

でもその全体のシルエットは、やはりピリスだけが醸し出すオーラで誰も真似できない彼女独特の強烈な個性を表しいると思う。

音楽への考え方、ピアノへの取り組みの姿勢はある種、求道的とさえ思えるところがある。
それは彼女の残してきた数多の作品において、色濃く投影されている。

自分は彼女の作品の中では、モーツァルトとシューベルトのソナタをとても愛聴していた。
彼女の作品の中でもベストだと思っているし、そんな彼女のイメージがそのまま感じ取れるような気がするからである。

だから、お別れコンサートのときは、そのモーツァルトとシューベルトの演奏の日を選んだ。

ピリスは、DECCA,Eratoなどいろいろ渡り歩いたが、1989年にDGに移籍し、専属アーティストとして契約してからは、膨大な録音をDGに残してきた。自分的にはDGのアーティストというイメージが圧倒的に大きい。そのDG時代のコンチェルト、そしてソナタなど作品は、BOXセットになっている。

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今回のお別れコンサートは、4/8の岐阜でのサマランカホールを皮切りにスタートしたのであるが、その数日前に、そのサマランカホールでとても興味深いイヴェントが開催された。

マリア・ジョアン・ピリスと日本の若きピアニスト6人による4日間にわたる滞在型ワークショップ「パルティトゥーラ in 岐阜」。

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(C)Toshihiko Urahisa


単なるピアノ・レッスンではなく、ピアノを弾くとはどういうことか?心と身体をどう音にするか?からはじまり、音楽とは何か?ピアニストとして生きるとは?を、世界を代表するピアニストとともに暮らし、食べ、話しながら考え、学ぶというプロジェクト。

まさにピリスと寝食を共にし、これらのテーマをピリスからダイレクトに学び取っていくというプロジェクト。

サマランカホール音楽監督の浦久俊彦さんが、就任1年目にしてどうしても実現させたかったプロジェクトでもある。

今回の日本ツアーを最後に引退を表明したピリスのライフワークであるこのプロジェクトを日本ではじめて実現するために、岐阜県では一年間にわたる準備を重ねてきたのだそうだ。

そこにピリスの引退の理由があるように思えた。
こういう活動を、彼女はその後の人生でやっていきたいのだ。それをライフワークにしていきたい。


教育家としての彼女は、いままでも世界各地でマスタークラスを主宰していて、フランス語と英語によって指導を行ってきた。

ポルトガルの地方における芸術センターの振興についても取り組んでいる。

そして大の親日家でもある。

だから、演奏家としての活動は引退するけれど、教育活動は今まで通り今後も継続というスタンス。



去年の秋頃に、突然流れてきたピリスの引退の噂。
まだ70歳代なのに早すぎる。どうして?なぜに?という気持ちは当然あった。

真偽のほどはどうなのかな?と思うところもあるのだが、こんな噂もあった。

もともと田舎で隠遁者のような生活をしていて、ビジネスに飽き飽きした、というようなことがあるらしい。ビジネスの世界との相性については、よろしくないとか。

加えて彼女は大勢の取り巻きに囲まれて暮らしていて、海外にもいっぱい人が付いてくる、とか、子どもたちを連れて集団で移動する、とか、若手ピアニストと一緒の舞台で演奏したりとかもしている。

それはもうビジネスする側とすればとても大変なこと。若手にとってはいいチャンス、かもしれないが、多くの聴衆はピリスを聴きたいのであって、ビジネスとして成立しづらい。

ピリスが若手と出てきても、現実問題、チケットは売れない。多分、誰が手がけても売れない。それもまたピリスがビジネス界とそりが合わなくなった一つの要因なのかもしれない。

アルゲリッチも取り巻きに囲まれて暮らしているので、その点似ているのだが、アルゲリッチの場合はそもそもパリとかブリュッセルとか、こちらから会いに行きやすい大都会に拠点を構えているし、取り巻きや子供たちを「引き連れて」あちこちに行くことはない。


そこが大きく違う。


眉唾物か本当かは、断定できないが、ピリスの中に”真”としてあるのは、”若手を育てたい”、”残りの人生で若手に自分の持っているものを伝えていきたい”というところにあるのだと思えて仕方がない。

また、ピリスは、”音楽はコンサートホールですべてを表現できるものではない”という晩年のグレン・グールドのような(笑)ことも言っている。

こういう重ね重ねの背景を紐づけていくと、自ずと自分だけを売っていくビジネスとそりが合わなくなって、自分の将来の進む道は”若手への教育”というところに落ち着く、という落し処なのかな、と思ったりするのだ。


サマランカホールでのようなワークショップは、それこそ彼女にとって、ひとつの理想形なのかもしれない。


これは噂に基づいての推測でしかないし、引退の真の理由は、今後も彼女の口から正直に語られることはないかもしれない。


でもそんなことどうでもいいじゃないか!

現に自分は、いままでたくさんのピリスのアルバムを聴いて感化されてきたことは確かだし、実演もラストの今日も入れて3回も経験出来て、自分に縁のあるピアニストとして堂々と自分の中のメモリアルに刻み込まれている。

そんな偉大なピアニストだ。

その最後のお別れに、ここサントリーホールにやってきた。

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久し振りのサントリーホール。話は飛んでしまうが、このホールについて書いておきたいことがあった。2年前の2016年の開館30周年記念事業のときに改めて、そのクラシック音楽界への貢献としてクラシックファンに認識されたこと。

サントリホールのなにが革新的だったのか?

日本のコンサートホールの歴史は、サントリーホール誕生以前と以後で大きく分かれると言っていい。

「すべてはサントリーホールから始まった。」

まさに後に続くホールは、そのほとんどがサントリーホールの影響を受けたと言っても過言ではない。

その当時、サントリーホールの何が新しかったのか?


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まずは「レセプショニスト」と呼ばれる接客係の存在。

これまでのホールでは、クラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めて呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎるだけだった。

ところが、サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。

柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となったことが思い出される。そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。


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さらには、コンサートの前や休憩時間にお酒を楽しむ習慣も、サントリーホール以前にはなかったことだ。これによってホールは単にコンサートを楽しむためだけの場所ではなく、社交の場所にもなった。必然的におしゃれをして来場する人が増えたことも、これまでにない新鮮な出来事だった。


いまでは日本のどこのコンサートホールでもごく当たり前のこの光景も、そういう経緯があっての歴史なのだ。

「ホールが人を呼ぶ」という事実こそがまったく新しい時代の到来を感じさせた。

サントリーホールが高級感含め一種独特の雰囲気があるのは、そういったサントリー企業のブランドイメージ戦略の賜物と、そういう歴史の重みがあるからなのだと思うな。

そんなホールで、ピリスのお別れコンサートを観れるのは極上の喜びと言える。



この日も満員御礼。

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東京公演としては、先に4/12に、オール・ヴェートーヴェン・プログラムがあって、それも悩んだのだが、結局自分としては、ピリスといえば、やはりモーツァルトという先入観があって、今日のモーツァルト・シューベルトのプログラムを選んだ。

結果は大正解だった。

過去に経験した2回の公演と比較しても、感動の度合いが大きく、とても素晴らしい公演となった。

最初の2曲は、モーツァルト・ソナタ12番、13番であったが、モーツァルトらしい長調の明るい旋律に沿うような、弾むようなタッチで明快そのもの、見事に弾きあげた。

やはりモーツァルトの調性のせいか、”さようなら、ピリス”的な感傷モードに浸る暇はまったくなく、目の前で繰り広げられるパフォーマンスにただ唖然とさせられた。これは涙とは無関係な、さようならコンサートになりそう、と思った。

そのときはそのように感動したのだが、後半のシューベルト 4つの即興曲は、さらにその上を行った。特に後半の第3曲、第4曲の流れるような旋律の描き方、そして感情の起伏を豊かに表現する、そのじつに柔らかな指捌き。なんと表情豊かな弾き方、表現なんだろう!

まさに巨匠故なる熟練のわざで、我々観衆を一気に高みに連れて行ってくれた。

最後のアンコールのシューベルト 3つのピアノ曲 第2曲では、その美しさに、ついに涙がふっとこぼれそうになった。

前半の感傷モード無縁の世界から、後半に一気にそのモードに突入。

これは、ある意味、ピリスの選曲時のひとつの戦略なのかもしれない。

前半あれだけ感動したのに、後半を聴くとその前半が平坦だったかのように思えるほど、後半にはドラマが待っていた。

ピリスのリサイタルを3回経験できて、もちろん最高に感動できた。まさに有終の美。

カーテンコールで何回もステージに戻されるピリス。
丁寧に後方P席にもお辞儀を忘れず、手を前に組んで感謝の意を表す。

観客は徐々に立ち始め、ついに最後には、ホール全体の観客がスタンディングオーベーション、そして大歓声のブラヴォー。

思わず、自分は胸がグッと熱くなる瞬間であった。

最後のピリスを観れて、本当に記念に残る素晴らしい公演となった。

彼女には、これから第2のキャリアが待っている。
でも、いままで経験し蓄積してきた財産を若者に思う存分分け与えていくこと。

けっして難しいことではあるまい。

がんばれ!ピリス!




マリア・ジョアン・ピリス リサイタル ”お別れ”コンサート
2018/4/17(火)19:00~ サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番ヘ長調 K.322
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番変ロ長調 K.333

(休憩)

シューベルト:4つの即興曲 Op.142.D935

(アンコール)
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第2曲変ホ長調







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コメント 2

Shige

ノンノンさん、こんにちは。
私の場合は、関西が地元ということもあり、サントリーホールよりも4年開業が早い、大阪のザ・シンフォニーホールで、こんなホールが日本にも出来たのかと、感慨深い思いでした。

サントリーホールはサントリー、ザ・シンフォニーホールは朝日放送
がオウナーなのですが、どちらも共通しているのは、関西が地盤の企業という点です。
当時のサントリーには佐治敬三さん、朝日放送には原清さんと、文化事業に熱心な経営者がいたことも、ホールの実現に大きく寄与しています。
by Shige (2018-04-28 14:58) 

ノンノン

Shigeさん

コメントありがとうございました。
サントリーホールが完成するまでのドラマは、遠い昔に、それこそ本を2冊くらい(?)読んだ記憶がありまして、その記憶に基づいて、書いておりました。もちろん佐治敬三さんのことはよく存じ上げております。カラヤンからワインヤードがいいと言われ、「ほなそうしましょ。」で決まったとか、いろいろ。(笑)サントリーって関西が地盤の企業だったんですね。シンフォニーホールの朝日放送もよく存じ上げておりました。シンフォニーホールが日本で最初のクラシック音楽専用ホールでしたね。2~3年前に大阪に遠征した時経験できて感銘した記憶があります。文化事業に熱心な経営者という言葉、とてもいい響きですね。心打つ、自分もかくありたい、ような言葉です。
by ノンノン (2018-04-28 22:29) 

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