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アラベラ・美歩・シュタインバッハー& N響のチャイコフスキーのコンチェルト [国内クラシックコンサート・レビュー]

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今年で47回目を迎える都民芸術フェスティヴァルの「オーケストラ・シリーズ」。

東京芸術劇場に行ったところ、ポスターに当フェスティヴァルで出演するオーケストラの一覧と演目が書かれていた。

N響、都響、新日本フィル、東響、読響、日本フィルなど蒼々たる在京楽団の名が連なっていて、それぞれが各々独奏ソリストを携えて、魅力的な演目を演奏するようであった。

私が行ったのは、N響&アラベラ・美歩・シュタインバッハーのコンサート。

もちろんアラベラ様のコンサート目当てに知った公演ではあったが、冬の風物詩として有名なこの公演に参加できたことは、本当に光栄だと思う。

この公演のチケットは予想以上に大変な争奪戦で、スタートと同時に2時間位で、即日ソールドアウト。

アラベラ公演は、2年前位は余裕でいい座席を取れたものなのだが、日増しにどんどん知名度が上がってきて、チケットも簡単には取れなくなってきた。

人気が出てくるのはファンとしては嬉しいのだが、チケットが取りにくい、というのも正直困る。
この公演も予想もしなかった大変な争奪戦だったので、やっとネットにつながってとれた座席は、こんな1階席前方の右側の端っこという最悪の座席であった。

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まぁヴァイオリニストと対座して顔の表情が見えるという点ではいいかもだが、音響的にはいかがなものか?という感じである。

今日の演目は、前半はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、そして後半がムソグルスキー(ラヴェル編曲)「展覧会の絵」だった。

チャイコフスキーのコンチェルトは、もう盛り上がること間違いなしのヴァイオリニストにとって”魅せる”には最高の曲と言っていい。

アラベラ様のチャイコフスキーの演奏姿を見れる、というのがなによりの楽しみ。

この日のドレスは装い新たな新調したピンク色のドレスであった。

いままではどちらかと言うと、緑、青、赤といった全体のシルエットが締まる感じのドレスが多かったのだが、なんか新鮮な感じ。

そして演奏。

やはり圧巻だった。期待を裏切らない素晴らしいパフォーマンスだった!

この曲はチャイコフスキーらしいスラブ調の哀愁を帯びた甘美な旋律が全体に漂っていて、うっとりすると同時に、結構技巧的にも難しくて、奏者にとって魅せる要素の強い曲だと思う。

ある意味パフォーマンス性抜群の曲とも言えて、ヴァイオリン協奏曲としてはわかりやすくて一番受ける曲。

彼女がこの曲をどのように演奏するのか、その姿をぜひ観てみたいという衝動がずっとあった。

いままで観てきた彼女はどちらかというと容姿、奏法双方にて、お嬢さん的でエレガントな奏者というイメージが強かったが、今回はかなりイメージが覆るくらい違って正直驚いた。

全体を通じて、かなり男性的かつ攻撃的な演奏で、弓裁きもかなりアクション付きで派手。

彼女の演奏スタイルの特徴は、立居姿が絵になるというか、美しいところだと思う。

ヴァイオリニストにとって、演奏している最中の姿勢ってある意味、無意識なもので、演技しようとしても、そうそう簡単に演技できる領域のものではないと自分は思うのだ。

でも彼女は鏡の前で練習しているのではないか(笑)(でもふつう奏者はそのように練習している?)と思えるほど、背筋がピンとしていて正統派の立居姿で、ボーイングも美しくて絵になる。

弓裁きに特徴があって、下げ弓した後に空中に放り投げるようなスタイルも自分が考えたアクションなのだと思う。美しく見せるための工夫を普段から意識しているのだろう。

いままではその容姿のイメージから、そのような優雅な立ち振る舞いのイメージが大きかったのであるが、今回はチャイコフスキーの曲調に合わせて、かなりきびきびと引き締まった所作、鋭敏な弓裁きで相当格好良かった。

オーディオで聴く彼女の音色は、やや線が細い弱音表現に長けた奏者というイメージをずっと持っているのだが(体格からしてパワータイプでない)、やはり生演奏は違う。実音に実在感がしっかりあって響きも豊富。

かなり潤いのある音だった。申し分なかった。

演奏解釈はスタンダード、違和感はない。

オーディオでのインテンポな演奏と比較すると、ややテンポ速めで、高速パッセージなど超絶技巧を駆使して、後半になるにつれて、どんどんクレッシェンドしていくその疾走感ぶり、オケもどんどん彼女を煽っているかのような掛け合いで、最後のクライマックスは、まさにその頂点に達するフィニッシュ。

自分は全身に稲妻のような衝撃が走った感覚になった。

”シビレル”という感覚は、まさにこのことを言うのだろう。

どちらかというと控えめな性格で、終演後のパフォーマンスもおとなしい彼女なのだが、さすがにこの曲のこのエンディングの後は、思わず指揮者と両手でハグする興奮ぶりで、心の高揚がよく見てとれた。

このときの観客の歓声と興奮もスゴイものであった。

普段の彼女とは一味も二味も違う面が観れて幸せだった。
やはり演奏する曲によって大きく左右されますね。

休憩を挟んで後半が始まっても、ずっと余韻が続いていた。

後半は、ムソグルスキー(ラヴェル編曲)「展覧会の絵」。
今度は指揮者とN響を評価しないと。(笑)

指揮者は、チューリッヒ・トーンハーレ管弦楽団の音楽監督&首席指揮者であるリオネル・ブランギエ氏。

若くて有望な指揮者のようだが、指揮振りもどちらかというと随時各セクションへの細かい指示というよりは、もっと大きな全体の流れをコントロールするような指揮で、うまく全体のフレーム作りをしている印象であった。

N響は、自分の座席のせいもあるが、弦が厚くて秀逸だった。

自分のオケ判断は、オケの大半を占めるストリングス・セクションが鳴っていない、痩せている時点でNG。この点、この日は申し分なかった。前方かぶりつきの座席だと木管、金管の遠近感の聴こえ方にちょっと違和感を感じたことはい致し方がないと思うが、この曲の主題の冒頭のトランペットのファンファーレ的な「プロムナード」が安定していたのがなにより安堵。

ラヴェル編曲の効果である色彩感も表現できていたと思うし、フィナーレでの広大なスケール感も申し分なかった。

最悪の座席である右端の前方かぶりつき。

予想していたより楽しめた。

オケの配置が記憶がかなり曖昧なのだが、対向配置で、中央にチェロ、右奥にコントラバスがあったか?自分の座席からだと帯域バランス的に低弦寄りのサウンドに聴こえたことは仕方ない。でも対向ヴァイオリンがいたせいか、予想よりも、そんなに極端ではなかった。

なによりも感動だったのは、シャワーのように大音量を浴びるその感覚。

これはかなり快感。

自分はどちらかというと中後方座席でのホールの響きを感じられ、直接音と一定比率でブレンドされている感覚のサウンドが好みなので、かぶりつきがこんなに快感だとは思わなかった。

なによりも腹にずしっと響いてくるオケのサウンドが重厚感があって、これはいかにもオーマニ向き。かぶりつきの座席を見直すきっかけにもなった。

とにかくアラベラ様のチャイコフスキーのコンチェルトの演奏姿を見てみたい、という夢が叶えられて、最高の日となった。

素敵だった。

このように彼女の生演奏姿を見れるということ.....

これはひとえに、彼女を毎年呼んでくれるN響さんを始め、他の楽団さん、招聘スポンサーさんには本当に感謝しないといけませんね。

アラベラ&N響のタッグは、この後、四国巡礼ツアーに出かけます。

四国には自分のオーディオの友人も多く(現に四国のオーディオ友人達がこのコンサートに行きます!)、そこを巡礼してくれるなんてうれしいことではありませんか!


FBで第2の故郷日本でのコンサートで喜びを表明する
アラベラ嬢と指揮者ブランギエ氏。

アラベラ 美歩 シュタインバッハー 東京公演2016.2.26(2).jpg



すみません、最近カーテンコール撮影をしていないので、ブレて失敗しました。
(国内はなかなか難しいですね。)

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恒例のサイン会。

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都民芸術フェスティヴァル オーケストラシリーズ第47回
2016年2月26日 19:00~ 東京芸術劇場

指揮:リオネル・ブランギエ
ヴァイオリン独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:ヴェスコ・エシュケナージ
          
(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団・コンサートマスター)

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35

アンコール~
イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番から第3楽章。

休憩

ムスルグスキー(ラヴェル編曲)組曲「展覧会の絵」

アンコール~
ドヴォルザーク スラブ舞曲第1番


ドキュメンタリーOZAWA [クラシック指揮者]

小澤征爾さんがこの夏10年ぶりにタングルウッドに戻ってこられる予定だそうだ。

7/5に小澤さんのスイス国際アカデミーでの弦楽四重奏団を率いて.....
そして7/9にボストン交響楽団とでベートーヴェンのエグモント序曲を演奏されるそう。

その後、学生たちの指導に当たられ2~3週間バークシャーに滞在される予定とも書いてある。

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このニュースを知って、遠い昔に買ってあった「小澤征爾 on DVD BOX」がまだ新品未開封で視聴していないことにふっと気づいたのだった。

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なぜこのBOXを買ったかというと、このように3枚組なのだが、その中の1枚の「ドキュメンタリーOZAWA」。

これをどうしても見たいからだった。

小澤さん50歳のときに作られたドキュメンタリーで、CAMI VIDEO INC.(私は詳しくは知らない。)が制作したもの。それをCBSソニー/NHK、そしてドイツの公共放送であるZDFが版権を持っている、そのような権利関係のドキュメンタリーであった。(このDVD BOX自体は、ソニークラシカルから出ている。)

スタッフ・クルーも当然外国人スタッフで、番組中は小澤さんもすべて英語で話している。

舞台は、アメリカ、マサチューセッツ州のタングルウッド。

小澤さんが29年間にも渡って音楽監督を務めあげたボストン交響楽団が主催するタングルウッド音楽祭。夏の野外音楽祭で、じつはクラシックだけではなく、ジャズ、ポップス、室内楽、現代音楽などじつは総合的な音楽フェスティヴァルなのだ。

演奏会場として5100席の扇型の屋根がついているだけの野外ホールと言っていいクーセヴィツキー・ミュージック・シェッドで演奏される。(最初は小屋という感じだったが、改装されて、だいぶ素晴らしくなったようである。)(以下写真はウィキペディアの写真をお借りしています。) 

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クーセヴィツキー・ミュージック・シェッド
 
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クーセヴィツキー・ミュージック・シェッドの内部

そして1994年にはセイジ・オザワホール(小澤征爾ホール)がこの土地に造られた。 


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小澤征爾ホール
 
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小澤征爾ホールの内部


典型的なシューボックス・タイプで容積もやや小ぶりなので、音響もすこぶる良さそう。
外壁はレンガ、室内は木材をふんだんに使っているのだそうだ。
(写真を見ただけで、どんな音がするか想像できそう。)

サイトウ・キネン・フェスティバル松本が、改名して、セイジ・オザワ松本フェスティバルに変わった時に、記者会見で小澤さんが真っ先に話したことは、このタングルウッドにあるセイジ・オザワホールのことだった。

「建築物含めて、自分の名前を使われることは、なんか墓場を作られている感じで、どうもなぁ(笑)」と仰っていたが、名に恥じぬよう頑張ります、とも仰っていた。

そのときに、このタングルウッドにある小澤ホールの存在を知った。いまこうやって日記を書くために調べて、初めて、その外観、内装を知ったのである。(笑)

非常に評価の高いホールで、数々の建築賞を受賞しているのだそうである。

ネットでいろいろ調べていると、この新しいホールを建てるにあたって、一番多く寄付をした人がそのホールの名前をつける権利があたえられるという流れがあったそうで、このホールはソニーの大賀典雄社長(当時)によって、タングルウッドに一番ふさわしい名前ということで小澤征爾さんの名前が付けられた、ということらしい。(この事実を知って、改めて驚き!)


話をドキュメンタリーに戻すと、内容は、このタングルウッドでの夏の講習会、そして演奏会、また小澤さんの家族ともども毎年の夏、この場所で水入らずで過ごす場面などの小澤さんの素の姿が捉えられている。

昨今の脚色豊かなドラマティックに見せよう的なあざとい作りとは程遠くて、この当時のホントの素撮りに近い感じが返って好感が持てる。

その中で小澤さんが言っていたのは、

「オレはとにかくなにをやってもついていた。斎藤秀雄先生に西洋音楽の基礎を学べた。タングルウッドに来て、いきなりクーセヴィツキー記念賞をもらった。カラヤンの弟子になれた。バーンスタインの助手になれた。とにかくすべてにおいて、オレはついていた。」

なるべくしてなる。持っている人は、やはり持っているのだ。そういう星の元に生まれている、というか。

夏の講習会で指揮を若手に教える。

その聴講生の中に準・メルクル氏の姿もあった。

そうだ!彼もタングルウッドの小澤ゼミ生出身なのだ。

若手への指揮の指導の中で、特にピックアップされていたのが、十束尚宏氏であった。

1982年タングルウッド音楽祭で、クーセヴィツキー賞指揮大賞を受賞。その後、新日本フィルから定期公演デビュー。華麗な経歴を残され、現在に至るが、不詳自分は実演に接したことがない。(不覚)

小澤さんが十束氏を自分の家に呼んで、悩みも含め、腹を割って話し合おうという感じで、家で2人でサシで話すのだが、これがスゴイ迫力なんだ。(笑)

けっして小澤さんはキツイ口調ではないのだけれど、とにかく話す内容が深くて重みがあって、TVの前で見ている自分が説教をされている感覚に陥るくらい。(笑)TVの前にいる自分がビビってしまうくらいだから、目の前にいた十束氏はさぞや。(苦笑)

やっぱり1人で戦ってきた、築き上げてきた、それに裏付けられた話は、深く、重く、説得力があるのだ。

自分は、よく人が書く文章にも例えるのだけれど、美辞麗句、難しい言葉で書き綴られている美文よりも、よっぽどシンプルでズシッと来るような.....小澤さんの言葉はそんな感じ。

「カラヤン、バーンスタインのマネをしようとする人はたくさん知っているけど、ダメなんだよ。カラヤンは、恐ろしいまでに彼独自のユニークなスタイル。バーンスタインにしてもしかり。それは彼らにしかできない。他人がマネしてもできない。結局、自分の道、スタイルは自分が築き上げないとダメなんだよ。」

自分たち一般人は、小澤さんをメディアを通じての姿しか知らない(記者会見、インタビューとか)。

でもカメラが回らないところでは、ボクらが想像できない、音楽家、演奏家たちへの指導は厳しいものがあるんだろうな、と想像する。(真を知る者同士。)

演奏会のシーンでは、ヨーヨー・マ&ボストン響との共演。(ヨーヨー・マ、若いなぁ。)
演奏後、仲良くランチ。話が笑顔で弾む。そんな中で、「東洋人に西洋音楽ができるか?」というテーマになる。2人とも同じ境遇なので、話が深くなる。

そこで、小澤さんが「ちょっとカメラ止めてくれる?」

暗い静止画のあと、場所を変えて、小澤さん、謝罪。でも止めてもらうしかなかった....

小澤さんの自分の人生についてのインタビューは、数年おきのインターバルで行われるのだけれど(最近ではNHKの100年インタビューが印象的でした。)、結局自分の人生なので、小澤さんは同じことを何回も言っているように(笑)どうしても自分には聴こえる。

その中で、「東洋人に西洋音楽ができるか?」というテーマは、もう毎回出てくる内容で、小澤さんが自分の心にずっと持っている一生涯の問題なのだと思える。

演奏会は、その他はルドルフ・ゼルキン(彼の息子であるピーター・ゼルキンは松本のサイトウキネンで聴きました。小澤さん癌療養中の時期でしたが)のベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番、そしてジェシー・ノーマン&エディット・ワイエンスのマーラー2番の「復活」。

そして、小澤さんの人生を語る上で、避けて通れないのが、「N響ボイコット事件」。
これもインタビューで内面を語っていた。画面には、東京文化会館の誰もいないステージで1人立つ小澤さん。

「自分は日本人なのに、日本のやり方を知らなかった。西洋流。出るくぎは打たれる。」
「もう日本ではやらない。自分の道は海外でやるしかない。」とそのとき心に決める。

自分は、小澤さんフリークのように思われているかもしれないが、このボストン響時代の小澤さんは知ってはいても、正直熱心な小澤さんの聴き手とは言えなかった。

ゴローさんと出会って、はじめて小澤さんを強く意識したと言ってもよくて、だからサイトウキネンで小澤さんを観れたのはつい最近ことだった。(それも先日、米グラミー賞を取ったあの作品で!(^^))

ふっとしたニュースで、このドキュメンタリーのことを思い出して、今日1日たっぷり見て、なんともいえない気分。

近い将来、海外音楽鑑賞旅行でアメリカ進出を考えている(笑)自分にとって、ボストン・シンフォニーホールでボストン響を聴くことは小澤さんの人生をトレースするためにも避けられない運命なのだなぁ、とつくづく。

さらに他のDVDの2枚も両方とも小澤&ボストン響の演奏。

特に興味を引いたのは、プラハのスメタナ・ホールでの演奏。

プラハの街、そのもののなんともいえない美しさもさることながら、このホールの美しさ&音響の良さに惚れました。(古い録音なのにその音響の良さが分かる。)

プラハはウィーンに近いので、近い将来ウィーンに行く予定からして、急遽プラハも入れようと思いました。


PENATONEの新譜:山田和樹&スイス・ロマンド管のロシアン・ダンス~Auro-3D技術の印象 [オーディオ]

昨日、そして今日と1日たっぷりと時間をかけて、念願の大音量にして再生してみた...Auro-3Dの印象。

さらにはこの技術について、いままできちんとした資料をまともに読んだことはなかった。(笑)SPから聴こえてくる聴感イメージだけで、つぶやいていた。

今日、サラウンドの技術情報サイトなどで、いろいろ読んでみたが、まだ草創期なのか、概念的なことはわかるけれど、なぜそう聴こえるのか、自分が納得できるレベルまで、掘り下げている文献は皆無だった。

だから読了前後の印象とあまり変わらない。

3次元立体音響とか、3Dサラウンドとか呼ばれているこの技術。読んだ技術情報サイトによると、映画音響では、Dolby社のAtomsやWFS、音楽ではAuro-3D、また2020年の東京オリンピックやアメリカATSC 3.0規格では、22.2CHまでの3Dサラウンドが検討されている、とのこと。

オリンピックが絡んでくると、これは結構ビジネス的にチャンスというかまじめにやらないといけないですね。

家電メーカーにとってオリンピックっていつも大きな商戦だからです。

自分がこの技術を知ったのは、去年の中頃、このサラウンドの技術情報サイトとポリヒムニアのFB投稿記事で、彼らが自分のスタジオをそのように改変している写真を見てからだった。

そして、今回のPENTATONEの新譜で、山田和樹氏&スイス・ロマンドの新譜録音を、スイス・ジュネーヴのヴィクトリアホールでAuro-3Dで録る、と高々に宣言していた。刺激的であった。(笑)

この3Dサラウンドという技術、いままで従来の5.1chなどの水平軸(X軸、Y軸)に音が展開するのに対して、垂直方向(Z軸)にも音の表現ができる、というのがポイント。まさしく3次元の立体空間表現である。

技術情報サイトの図を拝借すると(水平方向はリアが増加の7.1chベースですが。)、

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天井にSPを4ch配置する。

自分はこのシステム図を見たとき、これは一般家庭にはまず普及しないと思った。(笑)対応プリ、パワー、もしくは対応AVアンプのコスト高、さらには天井にSPを設置するということを一般家庭に強いること自体、非現実的だと思ったからである。

やるなら映画館だと思った。(というか映画館しかできないと思った。)

自分の目線から考えると、このビジネスが最初にスムーズに走り出すのは、この3Dサラウンドでエンコードしたコンテンツを現在のサラウンドシステムで聴いたときに(下位互換:上位フォーマットをダウンコンバートして聴くこと))きちんとした効果がわかることだと思った。

ネット記事をみる限り、Auro-3Dであれば、13.5chを現在の5.1/5.0chに落とせるし、さらには2chステレオまで落とせる。そしてその逆でアップコンバートで戻せる(ロスレスなんですかね?)ともいう。

でもどの記事を読んでも、ダウンコンバートしたときに、従来のサラウンドよりも効果があります、と断言しているサイトはどこにもなかった。

自分が1番知りたいのはここ!

もし従来と同品質であるなら、自分はこのフォーマットにまったく興味がない。
非現実的なセッティングをしてまで、やるほどのことはない、というスタンス。

だから自分の耳で確かめるしかなかった。

Atmosは、ご存知Dolby社提唱のフォーマット。それに対してAuro-3Dというのは、それのヨーロッパ版で、ベルギーのAuro Technologies Inc.という会社の提唱しているフォーマット。

Auro-3Dは、音楽の立体音響というイメージで捉えられているみたいだが、そんなことはない。
彼らは映画もエンコードします。

自分にとって刺激的だったのは、ポリヒムニアのスタジオのAuro-3D対応のための改変。

彼らは合計3つのスタジオを持っていて、そのうちBDなどの映像コンテンツを編集するためには、第3スタジオという背面にTVモニターがあるスタジオでやる。

だからAuro-3Dを導入するなら、この第3スタジオになる。

天井SPをセッティング中。

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天井SPにはB&W N805。ひも状のワイヤーで吊るしてます。リアにも2本、合計4本の天井SP。驚いたのは、よく見るとツイーターの位置が逆さまで、805を逆にしていること!

真意のほどは定かではないが、頭にツィーターがあると、ワイヤーを取り付けて吊るせないだけかもしれませんね。(笑)

天井SPは、ちゃんとリスポジの方を向いています。

天井にSPをセッティングする問題点のひとつにSPケーブルの配線がありますね。地上のアンプから壁を這わして天井まで結線するのは、かなり見栄えに問題があります。


自分が思う天井SPの1番の問題点は、ポジショニング調整をどうするか、ということ。フロント2本の調整だけでも、普段自分が聴いているヘビロテディスクを再生して、音像と音場を確認しながら1番いいポイントになるように調整する。2本でも大変なのに、サラウンドの5本は超大変。そこにきて、天井SPはどうやって調整するんですか?(笑)

この写真を見ると、前のベージュのテーブルの中央前に、レーザー光線でSPまでの距離などを測定する器具が見受けられますね?

これでやっているのか、と思いました。要は聴きながら調整するのではなく、距離的に判断してOKを出すみたいな。


そうして完成形。

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そして、今回Auro-3Dで録った作品がこれ。 

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チャイコフスキー:組曲『白鳥の湖』、ショスタコーヴィチ:組曲『黄金時代』、
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ、他 

山田和樹&スイス・ロマンド管

http://goo.gl/9Vrd41


山田和樹とスイス・ロマンド管弦楽団の「バレエ、劇場、舞踏のための音楽」シリーズ。

彼らは過去に2作品世の中に出しており、注目の今回の第3弾はロシアン・ダンスと題され、チャイコフスキーの組曲『白鳥の湖』、グラズノフの演奏会用ワルツ第1番、第2番 、ショスタコーヴィチのバレエ組曲『黄金時代』、そしてストラヴィンスキーの『若い象のためのサーカス・ポルカ』が収録されている。

もちろんロケーションは、スイス・ジュネーブのヴィクトリアホール。

そのときのAuro-3D収録のためのマイキング。

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下位互換で聴いても効果があるかどうか......結論からずばり言うと、もう大変な効果大なのである。このときの私のホッとしたことと言ったら。

最初小音量で聴いていた分には、やや効果がわかりにくかった。
でも昨日、今日の大音量大会で、それは確信と変わった!

端的にまとめると、

①聴いている空間の容積が、従来よりすごく広く感じる。(捉えている空間が広いこと。)
②音のエネルギッシュ、躍動感と、空間の広さが両立している。

この2点だと思う。

聴く前から準備して考えていたことは、映画の3次元立体音響の聴こえ方は、スクリーンを真正面に観ていて、聴こえる音の左右や上下の移動感が著しく生々しく聴こえることだと思う。

たとえばヘリコプターが地上から発射して、そのまま上空に飛び立つ音は、まさに部屋の真下から真上に動いていくのがより生々しく顕著にわかるのだろう。(うさぎさんかエム5さんがそう言ってましたね。)

つまり映画コンテンツって動的表現なんですよね。

それに対して、音楽、コンサートホールやオーケストラを3次元立体表現したら、どうやって聴こえるの?というテーマをずっと考えていた。彼らは静止体、静的表現なんですよ。

音楽を3次元表現すると、なにを聴いているかというと、その音が伝播するホールの空間を聴いていることになって、その効果の現れ方は、(音の伝わり方と)空間の広さがパラメータになっているのかな、と。

今回、この山田和樹&スイス・ロマンドの新譜のどの曲を聴いても、懐が深い、空間の容積が広いというか、オケの発音が下位に定位していて最初は2階席中央からオケを見下ろして聴いているような感覚があった。オケがジャンと鳴らしきるときに、沈み込む感覚というか深い空間を感じるんですよ。

大音量で聴くと明らかにわかるそのホール空間の容積の広さの表現力。オケの音が立体的に聴こえる。

いままで2次元(X軸、Y軸)で空間を表現してきたのだから、それが高さのZ軸が追加されて3次元で表現できるようになれば、同じ容積を聴いていてもすごく広く聴こえるのは、当たり前なのかなぁ、と思いました。

そして、これは②にもつながることなのだが、先述の写真のマイキングの部分に関するところで、オケを直接録っているメインマイク(これは従来と同じ高さか、あるいはもっと近か目にしてある?)と、さらにその上空にハイトチャンネル(高さ情報)を録るためのマイクがあって、メインマイクでしっかり近かめで、オケの音を捉えて、そして空間、高さをハイトチャンネルのマイクで録っていて、いっしょに再生しているから、オケの音が躍動感があって、それでいて空間も録れているという両方が両立しているのではないかな、と思った訳です。

エム5さんからもらったコメントにもあるように、音源から離れた高所の位置にあるマイクで遅れて来る直接音を録る事、そして、それを高所位置のスピーカーで再生してホールでの遅延音を再生する、上下の位相差を感じさせる。

まさにこれ。

ハイトチャンネルのマイクで録った成分が空間を表現するんだと思います。位相差、遅延分があればそれだけ立体感が得られる感覚になりますよね。

いままで数多のクラシック録音を聴いてきて、自分が掲げていた問題点、テーマが、オンマイクで録ったような音の躍動感とオフマイクで録った空間表現力が両立できないか、ということ。片方を立てれば、片方が立たず、そのトレードオフを編集含めて苦労してきたわけで、

この3次元立体音響のマイキングって、それを解決する方法になっているんではないかな、と思えて仕方ない訳です。

オケのサウンドの輪郭をしっかりキャプチャーするメインマイクと、空間を表現するハイトチャンネルのマイク。

だから②の両方が両立できて、しかも①のように、空間の容積というか表現力が秀逸になるんではないか、と想像した訳。


この仮説が正しいか不明ですが、多数のマイクを使うことで、マイクの干渉とかの問題もあって、我々一般人には想像を逸するところです。

仮にAuro-3Dの技術がこのような目的で開発されていなかったとしても、ポリヒムニアのメンバースタッフがそのように解釈して応用して使っているのだと思いました。

ちなみに上述の写真はステージ上の設定しか映していませんが、リア成分をどうしているかは不明です。リアはリアで専用のアンビエント・マイクをホール後方に設定しているのかも不明。

でもディスクを試聴している分には、リアチャンネルからフロントとは別の音源が流れる、というそのようなチャンネルの振り分けはしていませんでした。今回の録音は、リアはフロントの補完、アンビエントな役割に過ぎないですね。


とにかく下位互換できちんと効果がはっきりとわかる!

①と②。~それも自分がいままで永遠のテーマとして掲げていた問題点を解決できるなんて!

これまでの仮定はあくまで、自分の想像、空想で考えています。素人考えですので、間違っていたらゴメンナサイ。

とにかく最初に理論の詰め込みをしなくてよかった。まっさらな状態で聴いたら、①と②の印象だった、というだけですから。

具体的に今回の新譜では、8~14トラックに①と②の凄みを特に感じましたね。(全トラックと言ってもいいですが。)特に13トラック目の木琴みたいな楽器(なんと言うんだっけ?)が鳴っているときの空間の広さの表現力は鳥肌もんです!


PENATONEは、今後ともサラウンド収録は、すべてAuro-3Dで録っていくことになるんだろうか?
アラベラ様の新譜、そして児玉麻里・児玉桃姉妹の新譜.....

これだけの下位互換力を聴かされたなら、自分はぜひそうして欲しいと望むばかりです。

あえて言わせてもらうなら、Auro-3Dで録っているというロゴというか、冊子へのクレジットが欲しいと思いました。

もし下位互換でなくて、本当に天井SP、対応アンプ含めてやれば、本物はもっとリアルでスゴイはず。

これは、うさぎさんやエム5さんに任せて....拙宅のウサギ小屋&なんちゃってサラウンドじゃ無理ぽ。(笑)


あっ今回の日記は、Auro-3Dについてがメインですので、肝心の山田和樹&スイス・ロマンドの新譜については、あまりコメントできませんでしたが、彼らは相変わらずいい仕事をしています。

それにしても、昨今のヤマカズの引く手あまたで、喧騒曲というかクレージーとも思える(笑)様なフィーバーぶりはスゴイもんです。

追伸:その後、友人からするどいコメントをいただきました。Auro-3D技術では、天井SP含めた13.1/11.1/9.1チャンネル相当分のチャンネル数を記録できる記録メディアが必要になると思います。(もしパッケージメディアでの戦略を考えるなら。)でもSACDって5.1chしか音声を格納できない訳ですから、今回のPENTATONEのAuro-3Dの新譜は、あらかじめダウンコンバートして記録メディアに格納していて、最初から下位互換で聴くことが前提だということに気づきました。

つまりPENTATONEは、Auro-3D技術をマイキング技術として利用して、現状のSACDサラウンドのまま録音のクオリティー(空間の容積拡大、音の躍動感と空間の両立)を上げることを目的としているのだと思うようになりました。

Auro-3Dを完全フルバージョンで対応しようとするなら、次世代の音楽光ディスクの開発を考えないといけない。あるいは手っ取り早いのはネット配信でやる、というのが、そういう容量という障壁もなく青天井にも対応できるのでしょうけど、回線パイプの太さもあってまだまだ厳しいですね。なによりもネット配信は、私は、あまり好きじゃないので。(笑)

やはり、3次元立体音響、3Dサラウンドの技術は、コンシューマのマーケットに馴染む、取り込まれるようになるまでは、いままで上げてきたように問題点が多く、障壁が大きすぎると思います。もっと現実的になるには時間がかかるでしょう。

でも自分は、今回のPENTATONEの試みにあるような従来との互換性システムの中で絶大な効果がある、というアプローチは、すごく現実的でいいと思います。拙宅では、もう完全に下位互換でその効果を楽しむ、ですね。

なので、今後のPENTATONEの新譜でも、このAuro-3D技術のマイキング技術を採用していってほしいと思った次第でした。


エレーヌ・グリモーのディスコグラフィー [ディスク・レビュー]

エレーヌ・グリモーは、フランス人なのだが、彼女が夢中になった作曲家は、ドイツ・ロマン派の作曲家が圧倒的に多く、ラヴェル、ドビュッシーなどの正統派フランス音楽には、さほど興味がないことを本人も明言している。

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所属のレーベルも、デビュー当時は日本のDENONだったりしたが、その後、フランスのワーナー(Erato)などを経由して、DG(ドイツ・グラモフォン)に定着して現在に至る。彼女のディスコグラフィーも圧倒的にDGレーベルの作品だ。

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この現在に至るまでのDG時代の彼女の録音を全作品担当してきているのが、エミール・ベルリナー・スタジオ。DGだから当然だともいえる。

そして、その録音をずっと支えてきた彼女のパートナーが、プロデューサーにシド・マクラクラン、そしてトーンマイスターがシュテファン・フロック、この2人。まさに彼女を録り続けてきて、彼女の音色を作ってきたスタッフ、そしてグリモーが絶大の信頼を寄せるスタッフと言っていいだろう。

トーンマイスターは、たまに1,2作品、ライナー・マイヤール氏であったり、他のメンバーだったりするのだが、ほぼ全作品といっていいほど、シュテファン・フロックが担当している。

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シュテファン・フロックは、エミール・ベルリナー・スタジオの一員として、DG作品でヒラリー・ハーンやラン・ランの録音を担当してきたトーンマイスターである。

その当時市場マーケットにない機器を、独自の自作で作り上げてしまうというほどの技術屋さんでもあった。録音プロデューサー&音声エンジニアとして働く一方で、自分の会社 Direct Out Technologiesという会社を立ち上げ、そこのスタジオの設備を整えることに多くの時間を費やしている、という情報を入手していた。

今回のグリモーのDG最新作、「ウォーター」ではなぜかエミール・ベルリナー・スタジオというクレジットが見つからなかった。でもエンジニア(ポスプロ担当)は、シュテファン・フロックであった。


密度感があって音色の骨格感がしっかりしているのは、やはりDGの伝統サウンドだと思うが、それにも増して、グリモーの一連の作品は、ピアノの音色が煌びやかで、本当に美しい。クリスタル系とでも言おうか.....DGのピアノ録音は綺麗だなぁ、とつくづく思う。

●ウォーター

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エレーヌ・グリモー/ウォーター

http://goo.gl/jYVrne

つい最近発売になったばかりのグリモーの最新アルバム。「Water(水)」に関連するテーマの曲で構成された、いわゆるコンセプト・アルバム。それぞれの楽曲の「つなぎ」として、インド系イギリス人ミュージシャン、ニティン・ソーニーが作曲・録音したアンビエントな7つの「ウォーター=トランジション」を間に挿入するというスタイル。

全体を通して聴いて感じたのは、これは完璧なアンビエント音楽(環境音楽)ですね。それも水を連想させる。

聴いていて精神が安らぐというか、超微小音量でかければ、ヒーリング施設のBGMとして流すのにも適切ではないか、と思わず感じてしまうほど。(激しい曲もあるので、選曲が必要ですが。)

間に挿入されている「ウォーター=トランジション」が、かなり効果絶大で格好いい。

とくに6トラック目!

あまりの格好よさにゾクっとしてしまう。

この「ウォーター=トランジション」、

各楽曲の間をブツぎらないで、スムーズに移行させる役目はもちろんのこと、グリモーが弾くクラシック曲をうまく引き立て、浮かび上がらせるのと同時に、自分自身も格好いい旋律なので、アルバム全体の流れに緩衝があるというかメリハリが出ていると思う。

じつにいいコンビネーションで全体のフレーム、流れを作っているな、と思う。

これは本当に美しい作品。たしかに水の流れを感じ取れる。せせらぎ、から激流に至るまで....自分はかなり気に入りました。

グリモーのフェザータッチとも言えるような弱音捌き。

ピアノは超高速のトリル全開の強打鍵よりも、鍵盤を弱く、しかも安定して弾き続けて、雰囲気を出すことのほうが遥かに難しい、と聴いたこともある。


また曲の抑揚にあわせたppからffまでの緩急のつけかた、スライドのさせ方もじつに流れるようで、結構エモーショナルな弾き方をするピアニストだと思う。


敢えて言えば、録音かなぁ。(やっぱりそこですか。(笑))

ピアノの音色は硬質のクリスタル系で、空間も感じるし、打鍵の響きも豊富で、余韻も美しい。
ただ、あまりに煌びやかで美しすぎて、作っているんじゃないかな、という不自然をちょっと感じてしまう。

ECMレーベルが好んで使う手法であるリバーブをかけているようなそんな印象も受ける。

自分がコンサートホールで普段聴いているピアノの生音は、こんなに煌びやかではないと思う。曲間に入る「ウォーター=トランジション」は電子音楽なので、それとのバランス、つなぎを考慮の上、そのような処理もあるのかな、とも聴いていて考えたりした。(グリモーのピアノは、ニューヨークのパーク街兵器倉庫(!)でのライブレコーディング、「ウォーター=トランジション」はスタジオ録音。)

でも、これは考え過ぎで勘違いかもしれないので、そうでなければゴメンナサイである。リバーブについては、嫌う方もいらっしゃいますが、自分は、極度にかけない、自然さを損なわないのであれば、なんとも思いません。逆に、これぞ生演奏では体験できないオーディオの完成度の高さ、美しさとも思えて、そのほうがいいと思うことも多い。

今回の新作「ウォーター」は、純粋なクラシックの作品というこだわりを持つなら抵抗感を持つ人もいるかもだが、自分は完全なアンビエント音楽として割り切っているので、オーディオ的に非常に美しい作品として完成度がすこぶる高いと思うし、傑作だと断言できます。


●ブラームス ピアノ協奏曲第1番、第2番

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ブラームス ピアノ協奏曲第1番、第2番 
グリモー、ネルソンス&バイエルン放送響、ウィーン・フィル(2CD)

http://goo.gl/saegQf


ブラームスのピアノ協奏曲というのは、じつは、数多のPコンチェルトの中でも、ずっと昔からやや苦手意識のある曲だった。いろいろな録音を聴いてきて、自分の嗜好に合う盤に巡り会えなかったというのも理由かもしれない。

どうも全体として重い感じがして垢抜けしない感じが苦手だった。


でもそんなイメージを払拭してくれたのが、このディスクだった。
グリモーは過去にこの曲を2回録音していて、これは2013年に出された最新盤のほう。

グリモーというピアニストは、独特の雰囲気というか、捉えどころのないホワっとしたイメージで、理詰めではない”感性”のピアニストだと思う。それは容貌だけでなく、彼女のピアノを聴いているとよくわかる。

結構その曲の中で、フレーズの捉え方が柔軟で、テンポや歌い回しなどを彼女が考えているイメージに合わせて大きく変えてくるピアニストだと思う。それがはっきりわかるのが1番。(だから聴いている側では、自分の好みに合わない解釈だと、彼女の演奏を変だと思われる方もいるのかもしれない。)

第2楽章は、まさに恍惚の美しさで、DG録音のピアノが美しいと感じるのは、まさにこの楽章。
ここでは、彼女は、まさに超スローテンポで、弾き方にタメがあって、情感たっぷりに歌い上げる。
1番のこの録音の魅力は、自分はこの第2楽章にある、と思う。

一転して第3楽章では、信じられないような高速ハイウェイで、なにかに急かされているかのように疾走感あふれた演奏をする。彼女のブラームスの対する想い入れは大きく、思うところがあっての抑揚なのだと思うが、彼女は全体を通して1本調子ということは、まずないピアニストですね。

譜面は同じでも、テンポ、抑揚などの強弱のつけかたなど、どう演奏上の解釈をするかは、指揮者、ソリストの領域だと思いますが、クラシックでは1番奥が深いところ。良し悪しの基準は決められないし、議論は深いです。

サウンド的には、2chソフトとしては稀にみる優秀録音だと思うが、1番はミュンヘンのヘルクレスザールでのライブ録音で石造りのホールにしては、オケの音が、ややウォーム系(暖色系)に感じるのがやや不満。ピアノがこれだけ鮮烈ヴヴィッドに録れているのと対照的で、編集でマージすると、ピアノがすごい鮮烈に浮き出て目立つのに対し、背景のオケがイマイチという印象が自分にはある。

でもこれは、おそらく拙宅の貧弱な2chシステムのせいだと思う。(ふだん、まったく2chを研磨してませんので。(^^;;でも研磨してなくても同音源の中で、これだけピアノが綺麗に鳴るんだからオケも同条件なんですけどね。)


●レゾナンス

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エレーヌ・グリモー

リスト:ロ短調ソナタ、ベルク:ソナタ、モーツァルト:ソナタ第8番、
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲

http://goo.gl/7OLgPi


これもピアノの音色が本当に綺麗に録れていますね。ピアノ・ソロとして持っておくなら、この1枚で十分かも?レゾナンス(共鳴)というタイトルのもと、様々なスタイルの音楽をまとめあげる、というコンセプトで、モーツァルト、ベルク、リスト、バルトークという4人の作曲家の作品を集めたもの。どれも美しい旋律で、中には有名な親しみやすい旋律の作品もあって、聴いていてじつに秀逸な1枚だと思う。なぜかグリモーのほんわかムードの雰囲気に、選曲のセンスもあっている感じがする。

とにかくピアノの音色が本当にキレイ。1音1音にタメ、質量感があって芯のある音の濃さ、という表現がイメージに近い表現だろうか。DGのピアノ録音の真骨頂ですね。


●モーツァルト協奏曲第19番、第23番&レチターティーヴォとアリアK.505

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モーツァルト ピアノ協奏曲第19&23番、他 
グリモー&バイエルン放送室内管、エルトマン

http://goo.gl/cU93RD

グリモー初のモーツァルト ピアノ協奏曲のDGへのライブ録音。モーツァルトらしい軽快で優雅な音楽にもグリモーは好感を持っていたようで、待望の録音となった。ここで聴かせる彼女の奏法もモーツァルトのイメージにピッタリ合っていると思うし、いい演奏だと思う。ミュンヘン プリンツレーゲンテン劇場でのライブ録音なのだが、彼女は、独奏だけでなく、なんと弾き振りもやる。ハードカヴァーブック仕様のデラックス盤で、ジャケットもすごくいい。

う~ん、問題は録音なんだなぁ。確かに美録音の部類に入ると思うし、けっして悪くない。でもこの日記を書いている順番で聴いているのだが、前記3枚と比較すると、あきらかに、ピアノの音色の透明感や1音1音のタメ、質量感が劣る。煩い自分には、ちょっとピアノの音色が滲んでいるように聴こえる。オケの音もそう、滲んでいる。そして音の密度感もいまいち。音が薄いのだ。

変だな、と思ってすかさずクレジットを見る。BR Klassikとの共同制作であった。確かにレーベルはDGなのだが、プロデューサーはDGで、録音スタッフは全員BR Klassikメンバー。つまりアルバムのコンセプトはDGがプランニングして、録音、音決めはBR Klassikが担当する。

自分が録音スタッフに煩いのもこういうことがあるから。レーベルごとにサウンドが違うのは、その音作りをしているスタッフが違うからなのだ。個性なんですね。それが今回如実に表れた。

でもこの盤の評価を貶めるは本意ではなく、その差は本当に気づくかどうか、しかも小音量の時はわからなかった。大音量で気づく微差だということ。全体のトータルのバランスではよいセンスのアルバムだと思います。


●ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番『皇帝』、ピアノ・ソナタ第28番 
グリモー(ピアノ)ユロフスキ&シュターツカペレ・ドレスデン

http://goo.gl/96SjnO

グリモーはドイツ音楽(ロマン派)を主なレパートリーとしてきたことから、このベートーヴェンの作品を出すことで、ベートーヴェン弾きとしても世界に認めさせ、さらにベートーヴェンのピアノ協奏曲の頂点ともいうべき第5番「皇帝」を採り上げることで、自分のキャリア・レパートリーにベートーヴェンを大きな跡を残していくという意味合いが強かった作品だと思う。

一聴すると、皇帝にしてはややライト級な仕上がりなのだが、演奏の解釈は至極スタンダードで、好感が持てる演奏であった。録音も、DGの録音そのもので、音色に厚みがあってピアノが美しい。

録音場所はドレスデンの聖ルカ教会で録ったもので(クラシック録音では名盤生産基地である有名な教会:シュターツカペレ・ドレスデンの録音本拠地としても有名である。)、この教会はもう非常に響きが豊かなことで有名で、録音を聴いたら一発でこの教会ってわかる感じ。

でもこの録音では、意外やマスキングされているというか、それほど豊潤な響きとまでは感じないから不思議だ。響き過ぎない程よいバランス感覚で仕上げられている。作品の全体の出来としても、品性が漂うクオリティの高い作品で、いい作品だと思う。自分はお気に入りです。


●シューマン ピアノ協奏曲、C.シューマン:歌曲集、ブラームス:チェロ・ソナタ第1番

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シューマン:ピアノ協奏曲、ブラームス:チェロ・ソナタ第1番、
C.シューマン:歌曲集、他 

グリモー、サロネン&ドレスデン国立管、オッター、モルク

http://goo.gl/wdgu7a


これもドレスデンの聖ルカ教会で録ったもの。こちらのほうが遥かにこの教会で録った響きの豊かさにふさわしくて、ディスクを再生した途端、部屋にその響きが広がる、そういうありようがこの教会録音にふさわしい作品だと思う。音質は彼女のディスクではめずらしくウォーム系(暖色系)で質感の柔らかいテイストですね。ピアノの音色もやや骨太な感じの美しい音色である。一言でいえば、音場感がとても豊かな録音で、柔らかい音触ですね。2005年の古い録音なので、それなりの鮮度感でもある。


シューマンのピアノ協奏曲は大好きな曲なので、自分の理想の演奏のイメージというのが頭の中に確固としてある。それに比べると、若干彼女のイメージ、テンポの解釈が入っているかな、という印象があった。でもいい作品であった。

さらにこのディスクのいいろことは、シューマンの妻クララの歌曲集が入っていて、それをアンネ=ゾフィー・フォン・オッターが歌っているところだ。この2人の競演が聴けるなんて夢のようだ。オッターの声も若い頃で、相変わらず瑞々しい。

ブラームスのチェロ・ソナタも秀逸。

このアルバムは、自分的にも結構気に入っている。


●バッハ 平均律クラヴィーア曲集

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バッハ 平均律クラヴィーア曲集より、ピアノ協奏曲第1番、編曲集 
グリモー、ドイツ・カンマーフィル

http://goo.gl/njTEoU

グリモーの初のバッハ録音。
ちょっとコンセプト・アルバムの趣向で、「バッハによるピュア作品」vs 「ピアニストによるバッハに捧げた編曲版」という図式で面白い。彼女の奏法は、至極スタンダードな解釈による作品。バッハの世界を忠実に再現できていた。

「平均律クラヴィーア曲集」は、ピアニストにとっては聖書の中の聖書のような存在で、調性に関するものはそこにすべて含まれていて、作曲法の法則もすべて織り込まれている。そのような本質が反映されているCDを作りたかった、というのがグリモーの1番の動機だったようだ。

●クレド

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グリモー&サロネン 「クレド」~ベートーヴェン:テンペスト、合唱幻想曲、
コリリアーノ:オスティナートによるファンタジア、ペルト:クレド

http://goo.gl/S1V7r5

http://goo.gl/NQgl7U


現在SACDは廃盤になっているのだが、このディスクはぜひSACDで聴いてほしいので、アマゾンの中古マーケットプレイスやHMVの中古センターのリンクを貼っておきます。

この作品は、彼女がDGへ移籍した時のデビュー作品になる。

サロネンとスウェーデン交響楽団、そして世界最高水準の合唱軍団であるスウェーデン放送合唱団とで作られた渾身の作品。2003年の録音なのであるが、とても古さを感じない、そのクリアな音と響きは驚かされる。だからぜひSACDで聴いてほしい。

この作品は、我々オーディオ仲間の中で有名なのは、7トラック目。

まさに恐怖のオフ会道場破りのソフトとして、このソフトの存在を知らない人はいないだろう。この7トラック目のまさにカオスといってもいいほどのごちゃごちゃした音の塊を、きちんと鳴らせる人はどれくらいいるだろう?史上最強に鳴らすのが難しいソフトと言ってもよい。これをオフ会で持参して他人の家で鳴らそうとする人は、なんと根性の悪い人と思われるので注意しましょう。(笑)

拙宅はサラウンドで鳴らしているので、幾分、ごちゃごちゃした音の塊も幾分分離して聴こえるかなぁと思うのだが、これを普通の2ch再生で聴いたら、本当に団子状態でつぶれてグチャグチャに聴こえるだろう。まさに道場破りのソフトで、我々オーディオ仲間では最も恐れられているソフトでもある。これはじつはマイヤール氏の作品なのです!!


グリモーのCDとして、真っ先に思い出すのは、じつはこの恐怖のオフ会道場破りの、このソフトであったりするのだ。(笑)


●ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番

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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、『音の絵』から 
エレーヌ・グリモー(p)、アシュケナージ&フィルハーモニア管弦楽団

http://goo.gl/kWW8NU

先日の日記で、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番に対する彼女の想いを知っていただけに、この曲を避けて通ることは絶対できなかった。まさに若い新人の頃の作品なのだが、いま聴いても、とりわけ個性的な解釈という訳でもなくて、極めてふつうの演奏解釈だった。ある意味、他のピアニストの作品と比較しても、そんなに区別がつかないくらい。

綺麗な演奏と言うか、差し障りのない美しい演奏と言うか......
ラフマニノフのロマンティズムは十分香り出ているような美しさは醸し出されていた。

以上、彼女の作品9作品を聴き込んだ。素晴らしい作品の数々。

これらを聴き込んで、エレーヌ・グリモーというピアニストの像は、演奏解釈自体は、そんなに奇をてらうような個性的な解釈をするようなピアニストではないと感じた。

ふつうにスタンダード路線で、聴いていて個性的だとか、違和感とかを感じるものはいっさいなかった。

ただし力任せの力演タイプではなくて、どちらかというと情感的というかエモーショナルな弾き方をするタイプで、冒頭でも書いたように、テンポや歌い回しなどを彼女が考えているイメージに合わせて大きく変えてくる、そういう柔軟性は持っているピアニストだと思う。

また彼女の歴史の変遷を見ると、やはりドイツ・ロマン派の作曲家に傾倒しているのがわかりますね。フランス人なのに、ラヴェル、ドビュッシーなどの正統派フランス音楽には、まったく興味がなさそう。

映像作品でラヴェルのコンチェルトは弾いているようですが、似合うかどうかは別として、そういう浮遊感のあるフランス音楽を弾いている彼女も観てみたい気がします。

今年の5月の来日公演は、大変楽しみである。大阪公演と東京公演のリサイタルのほうにいく予定です。

彼女はデビュー時代のDENONで5枚、そしてワーナー(Erato)時代に6枚、そして現在のDG時代というようにアルバムを出していて、ワーナー時代の6枚は、つい最近2000円くらいの廉価でBOXが出ました。これも若い世代の彼女を知る上では、貴重なアルバムだと思います。

自分の今回の日記では、主にDG時代の作品を取り上げました。

前回の日記、そして今回のディスコグラフィーと、自分で日記にすることで、彼女のことを深く知ることができた、と思います。やっぱりこうやって自分で日記にすることは、そのアーティストを知るうえでは、自分にとってとても大切なプロセスだといつも思う訳です。


アンニュイな魅力のエレーヌ・グリモー [クラシック演奏家]

エレーヌ・グリモーというピアニストは、昔からCDをずっと聴いていて馴染みのあるピアニストではあった。

今年2月に久しぶりの新作を発表し、「ウォーター」というタイトルでDGから発売される。それに伴い、じつに5年振りの日本でのリサイタルも開いてくれるようで、楽しみ。

彼女の容貌や、その全体像から香りでるような、なんともいえないアンニュイなフンイキ......
(以下掲載する写真は、FBでの彼女の公式ページからお借りしております。)

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彼女の生い立ち、そして彼女の人となり、人生観・価値観みたいなものが、いわゆる普通の可愛い女性とは少し違うというか、一線を画した、少し表現が悪いけれど、「ちょっと変わった女性」的な摩訶不思議なところに妙に惹かれるものがある。

そういう意味も含めて、彼女の生い立ち、人となりを本で読んでみたいと、ずっと捜していた。

去年、フィルハーモニー・ド・パリでのCDショップで購入したグリモーの本。

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もちろんフランス語で書かれているので読めないので、記念として買った意味合いが多かった。

でも彼女のことをもっと知りたい.....そんなことから日本での書籍がないか調べた。

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野生のしらべ
エレーヌ・グリモー
北代美代子 訳

http://goo.gl/hEtfDa


内容はグリモーが自分の人生を振り返るもので2003年に書き上げた自叙伝、それを北代美代子さんが和訳されてランダムハウス社から和書として発売されている。彼女の生い立ち、人生観が書かれていて、とても自分にはタイムリーな本に思えた。

これを読了して、彼女の人生を知ったとき、なぜあのような独特のフンイキがあるのかが、理解できたように思えた。偶然ではないのだ。やはり、それ相応の試練の人生を歩んできているからこそ醸し出されるオーラなのだ、ということがわかった。

だが、和訳本にありがちなのだが、1冊丸々読んでみたところ、正直大変読みづらく、わかりにくい。日本語の文章がスムーズでなくて頭に入ってこないのだ。何回も読み返さないと全体が掴めなかった。

彼女のことをもっと、もっと知ってほしい、という一念から、この本の所々の抜粋をして、自分のコメントを少々入れて、パブリックドメインにするにはギリギリいいかな、というレベルの自己判断の元、日記にしてみることにした。

目的は、全体の流れがわかりやすいように、彼女の人生がキャプチャーできるようにまとめること。
そして、この本に興味を持ってもらって一人でも多くの方に読んでもらいたいように誘うこと。

(読んでみて問題あるようでしたらコメント示唆ください。)

彼女のCDも昔から、いろいろ持っていたが、今回のこの日記を書く上でさらに買い増して、このような布陣で臨む。

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グリモーは、フランスのエクス=アン=プロヴァンスの生まれ。

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小さいころから、言うことを聞かない、「ひとりの友達もつくらず」「人と違って」いた。左右対称性に異常にこだわる、という病気でもあって、自傷行為まで見せるようになって、心配した母親がその有り余るエネルギーをピアノに向かわせたところから、彼女とピアノとの出会いが始まる。

左右対称性の異常は、体の一部に傷がついた場合は、必ずその反対側にも傷をつけたいという欲望を感じるようになるし、自分の領土も同じように左右対称に整理されている必要があった。

勉強机の上では本の両側に同じ数の鉛筆がなければならず、本はノートの周りに同じ距離をとって並べなければならなかった。片方の靴ひもが反対側ときっちり同じになるまで結んでは、ほどきを繰り返したり.....

この対称性への強迫観念は自傷行為にまで到り、両親を悲しませ、音楽学校、ピアノに向かわせようとする。

もうこの頃からふつうではない、彼女独自の「人と違った」世界が広がっていた。

「人と違う」ことを生きることは、たとえばグリモーにとって小学校に通うこと自体、耐えがたい苦痛であって、それを救ったのが彼女が音楽的才能に恵まれていたということ。

ピアノを通じて、自己実現の手段、自分のありうる場所を見つけるようになれた、ということだった。

1982年13歳でパリ国立高等音楽院に入学して、その才能を開花させるものの、必ずしも順調ではなかったようだ。

入学試験はショパンのピアノソナタ第2番&第3番の第1楽章。この頃からグリモーは、ショパンに対して自然と通じ合うものを感じていたようだ。大いなるエレガンスと究極の洗練を持つ、そしてなによりも自分の感性に溶け込んでくる、と言っている。

そうして、もう一人尊敬している音楽家、ピアニストとして彼女が挙げているのがコルトー。その創意と音楽性、そしてある意味での完璧さの欠如。~ダンディの襟元でほどけたネクタイのように~とつねに称賛していた。コルトー版での指使いとペダルがきわめて錯誤的とも......

15歳になったときに録音、つまりCDを出すチャンスに恵まれる。彼女自身が望み選んだ作曲家がラフマニノフ。

グリモーは、もともとラフマニノフの音楽が、そしてそのピアノ協奏曲のなかではとりわけ一番身近に感じた「第二番」が好きだったようだ。たとえば、初めのフレーズですべてが語られてしまう「第三番」とは正反対に、「第二番」には冗長さという欠点がまったくない、と言い切っている。

自分は「第二番」より圧倒的に「第三番」派なので(笑)、そういう嗜好、考え方もあるんだな、と考えさせられた。自分は、第三番のあの初めのフレーズが全体を貫く共通主題になっていて、全体の統一感・様式美を決めている......そういう部分が特に好きなので、グリモーの考え方とは全く逆なのである。


ラフマニノフの音楽は当時の音楽語法に逆行していて、さまざまな分野で「革命」そのものが時代の流れであったとき、同時代のラヴェルやバルトークが組み込まれることになる動きが誕生していた、まさに、そういうご時世に、ラフマニノフは変わることなくロシア・ロマン主義に執着し、チャイコフスキーがその名を高らしめた音楽形式に忠実だった。

彼女は、このピアノ協奏曲「第二番」について、もう巷では有名なラフマニノフが交響曲第1番で大失敗してノイローゼになって、この曲で復活するまでの経緯を事細かく説明して、その感動をこの本で我々に伝えようとしていた。彼女のこの曲に対する情熱と言うのがひしひしと伝わってくる。

彼女の最初のCDはアムステルダムで録音された。

16歳以降になってから、ブラームスに傾倒。周囲からはイメージに似合わないと随分反対されたみたいだが、彼女のブラームス愛は相当のもので、どうしてもレパートリーとして加えたいと願うようになる。


ブラームスのどのような作品を聴いても、彼女にとって「知っている」という感覚を持つらしく、なにか自分のために書かれているように感じる....自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚.....そういう信じられないような親近感を持つらしい。

この本に書いてあるグリモーの「ブラームス讃」は、もう本当にとりとめもないくらい、何ページも費やして、そして限りなく熱く語れているのだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番もすばらしい作品としてCDとして完成させている。こうしてみると彼女は、15歳にしてはじめてCD録音をしてからおよそ20作品ほどの録音を世に送ってきているのだが、自分の想いのたけの作品を着実に録音という形で世に送ってきているのだということが実感できる。(このあたりの作品の解析は、次回の日記で試みます。)

このように自分の存在感、自己表現として音楽、ピアノの道を歩むものの、「自分の音を見つけ出す」ために悩み、フランスの伝統的な音楽界が自分に課してくるステレオタイプのイメージに随分苦しめられたようで、このままここにいても、という閉塞感から、パリ音楽院を離脱して、アメリカ移住を決心する。

でもその前に、1980年代の終わりごろに、マネージャーとの出会いも含め、国外でリサイタルを開けるようになったころの話を書かないといけない。ドイツ、スイス、日本、ロンドンなどなど。グリモーは空港が持つあの独特の雰囲気が大好きのようだった。

これは私もそう。毎年、海外音楽鑑賞旅行に出かけるときの、出発するときの羽田や成田のあの雰囲気、とてつもなくワクワクして、これから始まるちょっとした冒険に心踊るような子供のような感覚....とりとめもなく大好きである。

グリモーは、この時期に人生を決定する大事な出会いをする。

マルタ・アルゲリッチ。

マルタは、その通り道ですべてを押しつぶして進む力であり、絶対的に君臨する生の躍動である。
内面のできごとを全的に感じ取る。風のような女性だ。

彼女とのパートナーでもあったギドン・クレーメルとも大きなパートナーになってもらい、彼女がパリを離れるときにマンションを貸してくれたりしている。

マルタは、まわりに集まる若い音楽家の群れを、考えられないような寛大さで養っていたという。(笑)

そういう中間の過渡期を経て、グリモーはアメリカでのコンサート・ツアーの話を持ちかけられる。
このときは彼女は英語はまだ話せなかったようだ。

このアメリカツアーのときに、もう自分は帰らない、という決心をする。

パリで扉に鍵をかけ、ジーンズを二本ばかりと洗面用具入れ、旅費の代わりに数冊の本をスーツケースに投げ込み、そうしたあと、すぐにフロリダ州の州都タラハシーの住民になっていた。

森林におおわれた平らな田園地帯にある恐ろしく退屈な町。

そこでグリモーが引っ越してきたことに町の人は気づき、自然の外でホームパーティを開いてくれた。

そのとき、「気をつけたほうがいい。あそこには男が住んでいる。ベトナムの帰還兵だ。頭がちょっとおかしい。危険なやつだと思われている。」と言われる。

そして数日後に深夜に眠れなくて譜読みとかするとますます目が冴える、そして深夜の闇の中に散歩に出かける。

その瞬間、グリモーは、初めてそれを見た。

犬の姿をしている。でも瞬間的に犬ではないとわかる。
闇の中でその動物は鋭い眼光で、グリモーを見た。彼女の全身に震えが走った。

その後方に男が立っていた。町の人に教えてもらっていた危険な男、ベトナムの帰還兵だった。

2人は立ち話をして、その男はおもむろに自己紹介をする。グリモーがクラシックの音楽家であることを告白すると、自分もクラシック音楽が大好きで、レコードをたくさん持っている。好きな時に聴きにこればいい。

グリモーは、この誘いをちょっと荒っぽいと思ったらしいが(笑)、その動物は?と聞き返す。

これは狼だ。これがグリモーの狼とのはじめての対面。

狼は、柔らかな足取りで、彼女に近づいてきて、左手の臭いを嗅ぐ。
すると狼は、自分のほうからグリモーの手のひらに頭を、そのあと、肩をこすりつけた。
その瞬間は彼女は全身に電流が走る、電光のような火花を感じる。

そうすると狼は、仰向けになって横たわると、グリモーにお腹を見せた。

男は、「こんなのははじめて見た。自分に対してもこんな姿を見せることは滅多にない。」

最初の初対面で、グリモーは狼との運命の結びつきを感じ取る。

狼の社会~群れ~は人間社会と奇妙に似ている。それは体育会系の民主主義で、他の個体からリーダーと認められたものは、力、速さ、狩りの腕前だけで支配するのでなく、大きな部分を心理的影響力に依存している、と言われている。

この男との出会いから、グリモーはこの狼と恋に落ちてしまった。
この狼と会いたいがために、何回も訪れて、何時間もいっしょに過ごした。
狼からの愛情の交換は強烈で豊かだった。

不意に襲い掛かってくることもある。

狼のほうから愛情表現をされ通じるものを、狼は彼女の中に見出したのだ、と思う。双方にとって運命の出会いですね。

狼といっしょに過ごすことで、お互いどんどん相通じるものを感じ合う。
それからというもののグリモーは、狼に会いたいがためにしょっちゅうその男の家を訪ねる。

愛情という点について、狼はグリモーの人生の中でもっとも重要な存在になる。

これをきっかけにグリモーは動物行動学の勉強を始める。
さまざまな講演に出席する。アメリカ国内を歩き回り、専門家が狼の生態と行動を研究している保護区を訪ねたりした。

音楽、ピアノの割く時間は当然減らすことになる。レパートリーの幅を広げず、同じ曲の追及。注意を室内楽に集中した。

グリモーは、狼の行動学、研究そして自然復帰とだけを目的とする財団と公園を創設したかった。
狼の群れを住まわせる土地を買うために、コンサート出演料のすべてを貯金した。

そこでまず目的を達するために、いったんこの男と狼と分かれ、ひとりニューヨークに出る。ひとりゼロからの出発。五番街にバッグを下ろす。

目的の資本金に手をつけないがために、厳しい食生活、貧困の生活の一途。
電話帳を片手に政府機関を訪ね、コンサート用のステージ衣装のほかは、たった一枚しかなかった着替えを洗濯をするためのコインランドリーを探したりした。

3年。ようやく落ち着いてきたのが1997年。

自ら望んだ不安定な生活を両親に知らせることもなく、極秘に暮らした。
まさにバヴァロッティとヨーヨーマくらいしかクラシックの音楽家は知られていないクラシック不毛の土地。

ピアノの練習の条件がこれほど厳しいことはなかった。
まず、自分のピアノがなかった。

練習したいときは、五十七番街のスタンウェイ社にいくか、お金を払って2,3時間ピアノを借りた。

ようやく2001年にはじめてコンサート・ピアノ、スタインウェイDの所有者となった。

でもグリモーには狼たちがいて、音楽があった。

来る日も来る日も狼の囲い用の土地を探すために懸命になった。そんなある日、不動産屋から連絡があって、ついにグリモーにとっての天国の土地を見つけてくれた。

地元当局との果てしない交渉の結果、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。

30名ほどの従業員を雇用。(現在はわかりませんが。)最初の狼数匹を収容した。
センター設立後は、1999年に750名の子供が、2002年には8500人が訪れるようになった。

グリモーの最大の楽しみにしていることのひとつは、夜、囲いの狼たちのそばで音楽の研究をすること。

そして、コンサートの出演料はすべて、この施設の運営費、狼の養育費に充てられ、それが尽きてくると、またコンサート遠征に出かける、という毎日。

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なんと野性的なんだろう!彼女の野性的で摩訶不思議なオーラがいっぱいなのは、このような人生を歩んできているからなのだ。

表面的な生き方をするだけでは絶対得られない、修羅場の人生を歩んできたからこそ得られる”本物”の凄み。

この彼女の人生を書き綴った(彼女自身の独白本)、この「野生のしらべ」という本は、もっともっと詳しく内省的に彼女の心情描写を綿密に描いています。


自分は、それを何回も読んで全体のシナリオが見えるレベルで掻い摘んでいるに過ぎなくて(パブリックにできるギリギリのレベルという自己判断ですが.....)、5月の彼女のリサイタルの前に、ぜひ読んでもらいたい本と思ってこの日記にしました。この本を読み終わったとき、ほんとうに感動してしまい、ぜひこの感動を伝えたいとただそれだけを思っただけ。

またこういう人生の変遷の歴史を知りつつ、一連の彼女のCDを聴き込むと、よりエレーヌ・グリモーというピアニストの真髄がわかるような気がしました。

自分もグリモーのことは、プロフィール欄に書かれている表向きのことくらいしか見識がなかったので、この本を読んで、彼女の数奇な人生に本当に感動した次第なのです。

海外への音楽鑑賞旅行も、なにもヨーロッパだけに限ったことではなくて、アメリカもぜひ訪問したい夢があります。(ヨーロッパには、数えきれないくらい、何回も行っているのだが、アメリカには、なぜか縁がなく、生涯にかけて1回も訪れたことがないのです。)

そのときコンサートホールやオペラハウスだけでなく、番外編として、このグリモーの「ニューヨーク・ウルフ・センター」をぜひ訪問してみたい!

次回の日記では、彼女のディスコグラフィーを聴きこんでの試聴記を予定しています。ここで説明してきた彼女の作曲家の嗜好をそのまま録音として作品化してきた、その変遷の歴史、彼女の音楽観を理解しつつ聴き込む訳です。

つくづく思うのは、クラシック録音の王道のDGレーベルのピアノの録音がじつに美しいと感じることです!!!

【参考文献】グリモー、『野生のしらべ』、北代美和子訳、平成16年、ランダムハウス、2004年