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クラシック音楽の録音哲学「私たちはスコアを録音するのか、ホールを録音するのか?」 [録音技術]

かなり強烈で挑発的なタイトルに、思わず反応してしまった。(笑)
志のある人なら反応しないほうがおかしいだろう。

でもこれはあまりに深く難しすぎて、哲学的とさえ感じるテーマ。
ある意味、プレゼンター泣かせかな。


去年の11月にドイツ・ケルンメッセで開催されたドイツ・トーンマイスター協会主催の「トーンマイスターグッグ(会議)」の講演会のテーマ。

PROSOUNDの4月号と6月号の2回に分けて連載されていて、名古屋芸術大学 長江和哉氏が現地取材レポートしている。

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90分のラウンドテーブルというあまり堅苦しくない討議形式でおこなわれた。

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左からチェアを務めたウルリケ・アンダーソン氏(昔バイエルン放送でトーンマイスターをやっていて、いまAnderson Audio)、ダニエル・シュアーズ氏(Sono Luminus)、そして日本から深田晃氏(clream window)、モートン・リンドバーグ氏(2Lレーベル)という4人。



深田さんは、ゴローさんのパートナーだった人だ。(笑)

CBSソニー、NHKと渡り歩いて、いま自分の会社を立ち上げている。

日本におけるサラウンドの大家で、サラウンドのFukada-Treeのマイクアレンジを自分で考案・発明した人だ。

サラウンドの普及を自分の使命に思っていたゴローさんにとって、おそらくNHK内での技術面の指南役だった人なのでは、と想像する。

あのNHKのハイティンク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のBDソフトも、ゴローさんはプロデュース面から、深田さんは技術面からライナーノーツを寄稿している。

自分は深田さんにお会いしたことがある。はじめてサイトウキネン松本に行ったときに、ゴローさんに松本をグルグル案内してもらい、夜に自分のスタッフたち(全員で6人)を集めて、アジア料理系(?)のお店の夕食会に誘ってくれた。

その中に、深田さんはいた。(笑)

ボクのことをソニーにいた、と紹介してくれたときに、「あっ私もソニーでした!」と声をかけてくれた。

当時は当然まったくわかんなかったのだが、ゴローさんが亡くなって数年後に、じつはそんなスゴイ人だった、ということがわかって(顔写真でピンときた。)、恐れおののき、既述の関係が紐が解けるようにわかった。

散会のときに、「今後ともよろしくお願いします。」とわざわざ挨拶していただき、すごく恐縮したが、今思えばなんとも不思議な縁だ。



ディスカッションの内容を詳しく書くと、著作権というか、ネタバレ、本の営業妨害になってしまうので、詳しく知りたい方は、雑誌買って読んでください。(笑)


やっぱり志ある人にとっては、このテーマはかなり強烈だよな。

当然このテーマに対して、各4人がどのような考えを述べるのか、というのが最大の関心で、1回読んだだけでは、正直これ!と核心をついた、自分を感動させてくれた回答というか、要は白?黒?とはっきりさせて述べてくれた人はいなかったように思う。

やっぱりテーマがあまりに深くて難しいというか、これをジャスピンで核心ついて説明するのは難しいと思うよ。深田さんが述べていたことが唯一自分としては、共鳴できたし理解もできた。

やはりざっくばらんな討議会という形式なので、このテーマに対する回答というには、発散傾向というか、いまひとつまとめにくい、と感じたのか、レポートしていた長江氏も後日メール形式で、あらためて、「私たちはスコアを録音するのか、ホールを録音するのか?」というテーマを各4人に投げかけてその回答をメールでもらうという念の押しようだ。

この最後のメールの部分で、各4人の考え方がようやくクリアにわかって興味深い結末となった。


討論の中で、自分がドキっとさせられたのは、

演奏家はスコアを見て作品の音楽を解釈して演奏する。

それと同じで、音楽録音についても、レコーディング・プロデューサー&エンジニアも、同様にスコアを見て、そのスコアから「作品の音響的な解釈」をする必要がある。

スコアに忠実であるべき。

という下り。

やっぱりスコアを読めないとダメだ。(笑)

譜読み、スコアリーディングってやつですね。
ある意味当たり前のことだよな。

以前日記で書いたと思うが、

トーンマイスターというのはドイツの音楽大学ではじまった制度で、トーンマイスターコースを修了した音楽プロデューサー・ディレクター、バランスエンジニアの総称のこと、きちんとした資格制度の世界なのだ。

さらにその教育は、録音・音響技術のみではなく、音楽の演奏や音楽理論を始め、管弦楽法、総譜演奏、演奏解釈批評など、演 奏家と同等以上のスキルを身につけるというプロセスがあり、音楽家のパートナーとなるスペシャリストを養成することを目的としているのだ。

単なる技術屋さんではダメな世界なのだ。

そんな厳しい現実の世界を思い起こさせてくれた。

この討論会での各人の説明も、こういう楽曲を録音するためには、まずスコアを解釈して、音響面でどのように録ればいいのか、を推測し、マイクセッティングをどのように施せば、さらにそれプラス演奏家のポジション位置の判断、それによってイメージするサウンドでちゃんと録れるのか、その際にホールの音響をどう考慮して。。。のプロセスが入る。そしてミキシングも含め、後処理についてもそう。

そんな自分の録音した作品の事例を、上記のポイントに沿いながら紹介する、という説明が多かったと思う。

だから読んでいて、はっきりとテーマに対して、白?黒?という結論が得られない感じでモヤモヤした感じだった。でも最後のメール形式できちんと形になり各4人の考えがわかりスッキリした。


深田さんの言っていることで、いいな、と思ったところは、

良いレコーディングは、リスナーに音楽の芸術的満足感を与えるはず。

また録音された場所の空間的な印象は、その作品の原点(作曲家の想像の中の響きを含んだ音のあるべき姿)を見渡すことになる。

つまり「音楽録音は、事実の記録ではなく、表現者とリスナーの間で深い意味を作り出すこと。」

演奏されている空間を捉えるだけでは、良い音楽録音の前提条件にはなりえない。

録音と実際の演奏の違いは、視覚的にミュージシャンを見るかどうか。録音には視覚効果がないので、真に音楽だけを聴く必要があり、これが録音の難しさであり、また芸術性でもある。

ステレオ、サラウンド、3D(イマーシブ)と表現能力も高度化していくけれど、サラウンド、3Dは一般ユーザにとってシステムを揃えていくには垣根が高いこともあるし、ある意味ステレオでもこのような表現は可能だ、と言い切っているところかな。


ベルリンフィルのDCH(Digital Concert Hall)でのパナソニックとの協業。

パナはベルリンフィル側から、エンジニアではなく、楽器のできる人を派遣してほしい、と言われたそうな。(笑)

やっぱり。単なる技術屋ではなく、音楽への深い造詣が必要なのは、もうこの世界では、疑う余地もないことなんだということをガッチリ認識させられた。


とにかく読んでみてください。かなり専門的だし、志のある人なら断然面白いと思います。

ちなみにもう1冊のほうは、同じ「トーンマイスターグッグ(会議)」の講演会の取材で、エミール・ベルリナー・スタジオのシュテファン・フロック氏の講演を取材しています。


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シュテファン・フロック氏は、あのエレーヌ・グリモーをデビュー以来ずっと彼女の音を造り続けてきたトーンマイスター。

彼の講演テーマは、「クラシック音楽の録音芸術」について。

DGが出しているカンター・デ・ドミノは、彼の録音だったんだね。

その録音をはじめ、彼の自慢の作品群を取り上げています。






現地至上主義 [雑感]

昨今、いろいろ言われることの多いコストパフォーマンスの高い外来オケのコンサートについて、想うところがあった。

コンサートの楽しみ方なんて、個人の価値観や、考え方、お財布事情もあるので、どれが正しいとは言えない。個人の信念の思うように楽しまれればよいか、と思う。

でもちょっと?と思うのは、チケット代金の高い外来オケを日本で聴くくらいなら、現地のホールで聴いたほうが、結局はるかにいい、と日本の高騰チケット商戦を揶揄する意見。

確かにごもっともな意見で、自分も正しいと思う。「お持ち帰りできない音」ということで、現地のフランチャイズのホールで奏でる彼らのサウンドは、東京では聴けない、と日記にしたこともあった。


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スイス・ロマンド管弦楽団のフランチャイズ・ホールのスイス・ジュネーブのヴィクトリアホール。1960年代のステレオ録音草創期のDECCAマジックと呼ばれた優秀録音の数々はこのホールで生まれた。まさに、他の国のホールでは再現できない「お持ち帰りできない音」であった。




現地指向型、現地至上主義。でもすべてがそれだけじゃないでしょ?という気持ちもある。

1番大きいと昨今感じるのは、コンサートの感想を共有する人が、国内だとたくさんいるということ。もちろん新聞、音楽評論家などのメディアでの論評もそうである。

人それぞれ感性が違うので、他人と感想が違っても仕方がないが、自分と同じポイントで感動した方のツィートや日記を読むとすごくうれしくなる。コンサートの感動が倍増する。

メディア論評についてもしかり。プロなので、あぁぁ~いいこと言ってくれる~っ!という感じで感動することも多い。

コンサート通いや生演奏に浸っていくと、自分が行った公演の、他人の方々のレビューを読むのが、結構楽しみだったりするのだ。同じ公演を、他の人はどう感じたのか?とか。

こういう共有現象は、国内でコンサートが開かれるから、実現するのであって、海外では無理だと思う。

海外現地での公演は、確かにその場では感動するかもしれないけれど、その模様をネットワーク経由SNSで日記や、ツィートとして日本に速報したとしても羨ましがられるかもしれないが、共有現象はなかなか難しいと思う。悪ければ、こちらの熱い想いにも関わらず、受け手側は、意外や、ふ~ん、そうで終わってしまっていたりすることもある。

自分もその感覚があって、海外に行くと、毎回、自分からの一方的な押し付けのようによく感じてしまう。(申し訳ないと思っているのだが、やめられない。(笑))

「生演奏の感動を共有する」というのは、とても大切な要素で、毎回再生しても、いつも同じ演奏レベルに聴こえるオーディオの世界ではありえないこと。自分はオーディオ擁護派だけれど、この点は、やはり、そのとき、その場にいた、その感動、一発勝負!という生ものである「生演奏」に軍配があがる。

外来オケ、アーティストを日本に呼んでいるのは、招聘元、招聘プロモーターさんたちの存在だ。

よく巷では、「呼び屋さん」という呼称で呼ばれることが多いが、自分は、なんか下品というか、失礼な感覚で聞こえるので、あまり好きな呼び方ではない。

ここ数年で、クラシックのオケやアーティストを日本に招待してくれる招聘元の存在が、きちんと自分でも認識できるようになった。大手から怪しげなところまで(笑)。

招待ゲストのギャラ支払い、ホテル宿泊料、およびチケット興行での収入、および広告費の支出、コンサートホールの使用料、その他、コンサート実現までにかかる諸々のプロセス、そしてそんな収支の中から自分たちの利益も出す必要があって、これはこれで、結構大変な仕組みなんだなぁ、と思う今日この頃。

特に、現地に直接自分が会いに行かないと縁のないアーティストも実際いる訳で、そのようなアーティストを日本に呼んでくれたりすると、これは招聘元様様と拝むしかないのである。

去年で言えば、グルベローヴァ招聘(今年も来ます!)と、ユリア・フィッシャーだったかな、そう感じたのは。

今年はディアナ・ダムラウでしょう。(笑)

招聘元のアンテナ感度やアーティスト選択のセンス、というのが滲み出ますね。
大変な仕事だと思います。

そんな思いをして、日本に招聘する訳で、その公演を日本の観客、日本人として鑑賞して、その感動を日本人同士で”共有する”。

それは、海外のホールで、日本人自分だけの感覚より、ずっと連帯感あって心温まるんではないかな、と。最高に感動できる公演に巡り会ったときに、その感動をみんなでシェアして全員一体となって盛り上がり、その余韻に浸れるのは、日本にいるからじゃないのだろうか?

自分の中にも現地至上主義はないと言ったらウソになるけれど、あからさまにそれだけ、じゃあまりに冷血で、淋しすぎる。


外来オケやアーティストが日本で公演をやってくれることのメリットというのも、たくさんあって、そういう点ももっと見直されるべきものなのではないか、と思っていたりしたのだ。






オーケストラの縦の線と横の線 [オーケストラ学問]

聴く側の音楽ファンというより、どちらかというとオケの団員、もしくは指揮者がよく使う言葉で、やはりオケの中にいて演奏&指揮している立場でないと、わかりにくいことだと思うし、そういう立場、環境にいるからこそ、彼らが使うその言葉には、真実味というか重みがあるのだと思う。



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2015年のアラベラ・美歩・シュタインバッハー&NDRの日本ツアーのときに、NDR在籍の日本人女性奏者の方がインタビューで、「うちの楽団は、なかなか縦の線が合わないオケなんですよ。(笑)」という発言が妙に印象に残っていて、ぼんやりとイメージは湧いたものの真の理解ができていなかった。

ふっと、ネットでググってみて、いろいろ解明し、頭がすっきりした。

どうしても解説をそのまま抜粋するところもあるが、ぜひ日記で、みんなに紹介してみたいと思いました。勉強になると思います。 


いろいろ解釈の仕方はあるのだが、ずばり、


縦の線とは ある瞬間の”異なる”楽器同士の音の出るタイミングを合わせること。
スコアを縦に見る。

横の線とはある”一つ(同じ)”の楽器を合わせること。
スコアを横に見ていく。


また、このような表現もある。

縦の線は和声、横の線は”各パート”が受け持つ声部(旋律)。


自分が、調べた分には、この2種類の表現であった。



ご存知のようにオーケストラって、1番最前列から、配置型にもよるが、代表的なものとして、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後方にコントラバスなどの低弦群。そして真ん中にはフルート、オーボエ、ファゴットなどの木管群、そしてその背後にはトランペット、ホルン、チューバなどの金管群、そして最後尾には、ティンパニーなどの打楽器という配置になっている。


楽譜には、各楽器のスコアが書かれていて、これは、ある楽器の奏者で、指揮者もやる演奏家のインタビューを読んだとき、なるほどなぁ、と感心したのだけれど、1楽器奏者だった場合、自分のパートのスコアと、その周辺を理解したうえで、出だしのタイミングとかを理解する程度だったのだが、いざ指揮をする立場になると、全楽器のスコアを理解して、すべての構成・タイミングを頭に入れないといけない、そうやって全体のイメージ、構築をしていかないといけない、ということを仰っていた。


オーケストラで、「縦の線」を合わせる、というのは、異なる楽器同士で、普通は、音の出だしを合わせることについて言うのだが、当然のことながら、出だしだけを合わせればよいというわけではなく、ひとつひとつの拍動、リズム、旋律展開なども合わせていかなければならない。


これが要するに、「横」を合わせることに、つながっていく。

「縦」を合わせるのは一瞬だけれど、それをスコアで言えば、さらに左から右に、時間の流れで言えば過去から未来に向かって平行移動させていけば、おのずと「横」も合うということになる。


要は、「横」を合わせるのは、同じ“仕事(楽器)”をしている楽器群で息を合わせ、一体感を共有するということなのだろう。

合わせる際の規範となるのは、指揮者だったり、コンサートマスターだったり、そのパートのトップだったりする。



「縦の線」はタイミング,「横の線」は音程(旋律)について、もうちょっと補記。


総譜(オーケストラも全ての楽器の楽譜が書かれた楽譜)を見たときに、同じタイミングで別々の楽器が音を出すとき,楽譜上では音符が縦一直線上に並ぶのだそうだ。これを揃えるということは,音の出るタイミングを一緒にするということで,オーケストラとしての長い時間をかけた呼吸合わせが必要になる。

また,楽譜の横の線の上には,同じ高さの音が並んでいる。人によっては「ラ」の音を440ヘルツのピッチ(音程:音高)で弾くし,別の文化圏の人だったら445ヘルツで弾くこともある。オーケストラによって規準音は決まっているので,それに合わせた音程作りをしていくことが楽団には必要。


これがそろっているオーケストラは,指揮者のどんな指示にも対応できる,プロのオーケストラと言える。


もうひとつの表現に、


楽譜を眺めていると、和声のおかげで縦軸があり、メロディーは横軸になる。

というのがある。



和声というのは、クラシックを学ぶ上でとても、大切な学問で、「和声学」は、演奏家の方であれば、音楽大学では必修の科目で、必ず習う学問。

昔ピアノを習っていたこともあるので、和声&和音という概念は感覚的&雰囲気的にわかる。

でも、それをきちんと体系的に理解しようというのは、やっぱり学問の世界で、自分も、しこたま和声学の本は買ったので、じっくり読書して勉強してみたいと思います。(はたして理解できるかな~(笑))


まぁ、和声(和音)というのは、簡単に言うと、ひとつの音に対して、二つ以上の複数の音階の違う音を同時に鳴らす、響かせることで、聴いていて美しい所謂ハーモニーのように聴こえる効果、いわゆる”和声感”という感覚で、この組み合わせる音階の種類、組み合わせ方に、結構音楽の学問的なものがあるんだと思っています。


自分たちはオーディオマニアなので、もうちょっとわかりやすくオーディオの領域で話をすると、自分たちはオーディオオフ会でもコンサートでオケを聴くときでもサウンドの分析は、必ず、低域、中域、高域の3分割でおこなう。聴感上の気持ちよさって、各々の帯域がどのような振幅レベルで、全体のバランスを構築しているか、で結構決まってくる。ピラミッドバランスとかドンシャリとかハイ上がりとか。


自分がコンサートホールでオケを聴く時って、低弦などの低音がズシッとしっかり土台にないオケサウンドはダメなんですね。

オケを聴いているとき、必ず各帯域のバランスがどうかで、聴いているところがある、自分の場合。

ヴァイオリンが奏でる帯域、ヴィオラが奏でる帯域、チェロが奏でる帯域、コントラバスが奏でる帯域、弦楽器だけでも高域から低域にかけて様々に異なる周波数帯域を持つ楽器の合奏なのがオーケストラである。

それにさらに木管、金管、打楽器などのすべての楽器が合奏されるオケのサウンドにとって、自分が、いつも気にしながら聴いているのは、全体を聴いているときの帯域バランスだったりする。

もちろんテンポ、強弱などの演奏解釈も大変重要なんだけど、オーマニの自分にとって、このバランス感覚って、聴いていて快感、興奮・エクスタシーを感じられるかどうか、というのが自分のオケの聴き方のキーファクターだったりするのかなぁ、と最近意識して思ったりしている。


それぞれの周波数帯域の音がどのように重なって、各々がどういう強弱のアクセント(振幅)で、重なり合っているか、というのも、これは、ある意味、”和声”だと思うんですよ。


そういう意味で、自分は低音は和声の根本になる帯域、だと思っています。
和声感を感じるサウンドって、まさにそういう音のことをいうのだと思います。


音楽の世界では、いろいろな音階の音を重ね合わせることで(気持ちよいハーモニーに聴こえるには、その重ね合わせる音程、音階の数にルールがある)、和声を達成するし、オーディオの世界では、それは周波数という概念で考えるだけで、重なり合った気持ちのいい音、つまり”和声感”のある音って、ある意味共通なんだと思いますね。


話は、長くなりました。


そこで、縦の軸というのは、いろいろな異なる楽器による和声なんですね。それに対して、横軸というのは、同じ楽器による旋律を表す、ということが理解できるようになると思います。



以下は、ある音楽家のブログで、縦の線と横の線について書かれていた日記の一部を抜粋させていただきますね。(「大野眞嗣 ロシアピアニズムをつぶやく」というブログより引用。)


結構、音楽家ならではの観点で、すごい勉強になりました。






もともと、J.S.バッハ以前の音楽では、ポリフォニーであっても横軸で音楽が形成され、そこには縦軸である和声はまだ確立されてなく、J.S.バッハの出現によって縦軸である和声が確立されたと聞きました。


作曲家や作品にもよりますが、特にドイツ作品においては縦軸をしっかり認識し意識して演奏しないとならないことを感じます。もちろん、横軸も存在するわけで、例えば、モーツァルトの作品などは確固たる縦軸とともに横軸である線(ライン)にで形成されている音楽であり、ベートーヴェンにおいては主に縦軸である和声によるブロック、固まりで音楽が構築されています。



これがロマン派以降になると、メロディーの美しさが際立ってきますので、横軸の存在が目立ちますし、その横軸を意識することによってロマンティツクな要素が増すように思います。例えばシューベルト、シューマンやブラームスなどは、場所によっては縦軸の存在をはっきりさせつつも、やはり横軸であるメロディーの存在というものも大切であり、縦軸と横軸の混在と申しましょうか、その場所によって意識を変えることが必要に思います。


これが同じ時代のピアノの大作曲家であるショパンの場合ですと、縦軸は存在しますが、横軸であるメロディーをいかに魅力的に歌い上げるか?いかにロマンティックに表現するか?ということが大切な要素であるのは皆さんもお感じになられると思います。



このように縦軸である和声、もしくは縦の線とも言えると思いますが、それを強く意識して演奏するべきか?

横軸であるメロディーを優先させ、縦の線を強調しないことでロマンティツクな表情を強調させるかにより、演奏というものは同じ作品であっても、全く違った顔を持つことになります。



これがチャイコフスキーやラフマニノフという、どちらかというとロマンティツクなイメージ、横軸であるメロディーラインの美しい作曲家の作品において、文字通り横軸を意識し、強調しロマンティクに演奏するということが一般的でありますが、私個人としましては、チャイコフスキーの頭の中にはオーケストラが鳴っていたと思いますし、ラフマニノフにも同じことを感じるのです。



そもそもオーケストラというのは複数の大人数で演奏するわけで、皆が一斉に縦に合わないと音楽が成立しません。ですから、横軸である魅力的なメロディーを歌いあげるのですが、そこには同時に確固とした縦軸の意識が必然であり、ある意味で縦軸と横軸が混在するべきだと思うのです。それが証拠に、ラフマニノフ自身の演奏の録音が残っていますが、その演奏は、自身の作品であっても、ロマンティクなメロディーである横軸に流されることのない、確固たる縦軸の存在を感じることができる、ある意味で古典的な要素を感じるのです。








なんか、以上のことを読んで、理解すると、必然と、普段巷で使われている、オーケストラでの「縦の線」、「横の線」というのがよくわかるような気がしたし、これをオケで聴くときに、プロの評論家ならともかく、アマチュアの一聴衆である自分がどこまで、「縦の線が乱れている」とか、なんてあまり浅薄で迂闊な言動はしないほうが、いいのかな、とも思いました。(笑)



音楽家、演奏家の方が、日頃、心掛けていることに、「和声感、拍感、様式感」というのがあることを以前知ったのですが、感覚的にはわかる雰囲気なのだけれど、これは自分たちオーディオマニアにはない世界で、ぜひ理解してみたいな、と思っていることだったりします。次回のテーマですね。



世界の朝食を食べさせてくれるお店 スイスの朝ごはん [グルメ]

アルプスの美しい自然が魅力のスイス。一方で工業や金融業が発達した世界一収入が高い国なのだそうだ。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの言葉(それにさらに英語がある。)が国内で使われていて、それぞれの地域では隣接する国の影響を受けている。


自分の中では、スイスというと永世中立国で自然の美しい国というイメージ。自分も過去の音楽旅行で、スイスはジュネーヴとルツェルンに行ったことはあるけれど、あくまで音楽旅行の一環という位置づけ。アルプスの山々や澄んだ空気、そしてその麓の草原地帯などの美しい自然は行ったことがない。こういう風景のほうが、いかにもスイス、という感じがする。

近頃、旅行誌などで徐々に注目され始めているのが、スイスのエンガディン地方。
その地を知る人はまだ少ないはずで、ここは「アルプスの少女ハイジ」の舞台で知られるグラウビュンデン州(スイス東部)の一地方で、まさに「ありのままのスイス」を満喫できる地方なんだそうだ。

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この写真を見ると、うわぁ~まさにこれぞスイス!という絶景。(WORLD BREAKFAST ALLDAYのFB公式ページからお借りしています。)

自分の人生に余裕ができたころ(いつのことのなのだろうか?(笑))、音楽旅行はいっさい抜きにして、こういう自然の絶景を求めて世界を廻ってみたいものだ。


そんなスイスの朝ごはんを体験してきた。

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日本のアニメ「アルプスの少女ハイジ」は制作にあたって現地ロケが行われ、スイスの風景や生活習慣が、かなり忠実に描かれている。

アニメの中でハイジやペーターのおばあさんのお土産に持ち帰った白パンはゼンメルというパンで、今回の朝ごはんにはスイスのヒーシュタント社のものを店内で焼き上げている。

それが写真のパン。食感が程よい柔らかさで、味はついていないけれど、とても美味しい。上品なパンという感じがする。


チーズはスイスでポピュラーなグリュエールとエメンタールの2種類。これはまっふつうにチーズですね。普段の食生活でチーズはそんなに頻繁に食べないけれど、今回いただいたものは、ふつうに美味しいスタンダードな味のチーズだと思いました。


写真の黄色の円形の焼き物は、ジャガイモの細切りをパンケーキのように焼いたレシュティというもので、もともとドイツ語圏のスイスの農村で朝ごはんに食べていた料理だったのだが、今ではスイスの国民的な料理なのだそうだ。

これは、ちょっと変わった食感で、味はちょっと塩味?がついていて甘い感じで、いかにもお芋さんを食べている感じのモチモチした食感。刺激的とは言えないけれど、ふつうに美味しいと思いました。

今回最高に美味しいと思ったのは、写真の小鉢に入ったデザートのようなもので、ミューズリーという食べ物。一晩ふやかしたオーツ麦とドライフルーツやナッツなどを混ぜて食べる火を使わないシリアル食品。

これは最高に美味!

ミルクとオレンジジュースで一晩ふやかしたオーツ麦は少し粘りがあってネトネトした感じでじつに不思議な食感。ミルクの味がしっかりしてフルーツやナッツと組み合わせるとものすごく香ばしくてこれがじつに美味しいんだな。

ヨーロッパの食事ってこういうデザート関連のものが、ひと工夫の手間がかかっていて、じつに美味しいと思うものが多い。ミューズリーは今から100年ほど前に牧童が食べていた伝統的な食事をヒントにサナトリウムの患者向けに考案したものなのだそうだ。

これはスイスの朝ごはんの場合は、プレートの上の小鉢というスタイルで提供されるが、じつは、このミューズリー単品でもメニューになっていて、これは、絶対おススメ。

ついつい追加オーダーしてしまいました。(笑)

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単品だと、さらに量も多く、美味しさ倍増です。

私は、今回このミューズリーが最高に気に入りました。


今回はオーダーしなかったけれど、さらに既述したエンガディン地方の郷土菓子「エンディナー・ヌストルテ」や、ケーキ類もあるみたいで、いつもの朝食メニューより豪華な顔ぶれでした。

さすがスイス!爽やかで清廉な雰囲気のする朝食であった。

5~6月の2か月間やっています。






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