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マーラーフェスト (MAHLER FEEST) 2020 [クラシック演奏会]

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ブラームス、マーラー、ブルックナー、そしてリヒャルト・シュトラウスを含む、後期ロマン派のレパートリーの演奏によって喝采を受けてきた。

マーラーの伝統は、マーラー自身がここで指揮(客演)をしたおびただしい演奏会に基盤を置いていて、アムステルダム・コンセルトヘボウは、歴史上、まさにマーラー演奏のメッカといえるホールなのである。


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「名門オーケストラを聴く!」(音楽之友社編,音楽之友社,1999)その他の資料によると(抜粋させてもらいます。)、最初に客演に招かれたのは1903年10月22日と23日、曲は自作の交響曲第3番だったとのこと。

1903年といえばコンセルトヘボウ管弦楽団の創設から15年、メンゲルベルクの時代になってから8年目という時期にあたり、マーラー自身は交響曲第5番を完成し第6番の作曲を開始した頃ということになる。


当時マーラーはウィーン宮廷歌劇場の楽長で、ウィーンを拠点に活動していたのだが、その作品はウィーンで必ずしも高く評価されていたわけではなかったらしい。

ところがアムステルダムでのその演奏会は大成功をおさめたため、すっかりアムス贔屓となったマーラーはその後もコンセルトヘボウ管弦楽団に何度も登場、翌1904年には2番と4番の交響曲をとりあげ、1906年には交響曲第5番、『亡き子をしのぶ歌』や『嘆きの歌』、1909年にはその前年にプラハで初演されたばかりの交響曲第7番を指揮している。

1907年にはメトロポリタン歌劇場の指揮者としてニューヨークに居を移していたマーラーであったが、ジェット機などなかった当時、船によるヨーロッパへの行き来はさぞ大変だったと思われる。

しかしマーラーはアムスをしばしば訪れ、自身で指揮をするだけでなくメンゲルベルクが指揮する自分の曲の演奏会も聴いて、そのことが作品の改訂や補筆につながったという。


要は、自分の本職のエリアであったウィーンやニューヨークでは、自分の作品の評判はさっぱりだったのが、アムステルダムでの客演で人気が出て、自分の指揮&創作活動にも弾みが出た、ということだ。(笑)



ポイントはこのメンゲルベルク。 

Mengelberg3[1].jpg


オランダの指揮者で、ベートーヴェン直系の曾孫弟子にあたり、ベートーヴェン解釈には一目を置かれたそうだ。マーラーの作品の理解者であったメンゲルベルクが、1902年にマーラー本人と会って親交を深め、翌年彼をコンセルトヘボウ管弦楽団に招いた、というわけ。

マーラーはアムス滞在中は、コンセルトヘボウのすぐ近くにあったメンゲルベルクの家に居候していたということなので、相当親しい関係にあったと思われる。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、そしてアムステルダム・コンセルトヘボウというホールが、マーラー演奏のメッカとして伝統を持っていたのは、こんな背景がある。




このホールで、過去に大規模なマーラー音楽祭が2回行われているのだ。

正式名称は、Gustav Mahler Festival Amsterdam 。通称、マーラーフェスト(MAHLER FEEST)。

最初に開催されたのが、1920年。まさにマーラーの交響曲全曲&歌曲を、メンゲルベルクの指揮&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でやり通した。

2回目に開催されたのが、1995年。この年は、コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団と、その予備軍というべきグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団が登場。これらが一同に、アムステルダムのコンセルヘボウに会するという夢のようなフェスティバルであった。

指揮者は、ハイティンク、シャイー、アバド、ムーティ、ラトルという凄い豪華陣。

この時期、ちょうど自分はヨーロッパに赴任していた時期で、同時期にアムスに赴任していた親友が、このマーラーフェストに通い尽くし、いままでマーラーというのはどうも疎遠だったのが、このフェストに通ったことでマーラーに開眼したそうだ。



そして、なんと!!!来る2020年。3回目のマーラーフェストが開催されるそうだ!


長い前振りだったが、この日記の真の目的はこれを言いたかったことにある。(笑)



マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 2020

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1102-mahler-festival-amsterdam-2020


これは心底驚いた。同時に張り裂ける胸の鼓動を抑えることが出来なかった。


コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団とニューヨークフィル。指揮はRCOはダニエル・ガッティ、NYPは、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。(オランダの指揮者、ヴァイオリニスト)が決まっているが、ウィーンフィル、ベルリンフィルはまだ未定のようだ。


今回新たにニューヨークフィルが参加するが、まさにマーラーが指揮をしていた楽団で、マーラー所縁のフェストには欠かせないキャストであろう。


日程はご覧の通り。(演目の日程はまだ未定。)

06-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 20.15 pm. Symphony No. 1, New York Philharmonic Orchestra (NYPO/NPO)

07-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday.
08-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
09-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
10-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
11-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. 
12-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
13-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 
14-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday. 
15-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
16-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
17-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
18-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. Gustav Mahler (1860-1911) died 109 years ago.

19-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
20-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 23.15 pm.


マーラーフェストは、毎回この5月上旬に開催され、その理由は、5/18がマーラーの命日で、その日は、必ずマーラー9番が演奏されるのだ。マーラーが死を考えながら作曲した曲である由縁なのだろう。



ここで、過去2回のマーラーフェストを振り返ってみよう。

まず最初の1920年の開催。

マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1920

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1103-mahler-feest-festival-1920


はじめて開催されるマーラーフェスト。マーラーの親友のメンゲルベルクが、RCOを率いて1人で全曲を振り切った。

MAHLER FEEST 1920 (4).jpg



この年は大変なフェスティヴァルになったようだ。

マーラーの妻であるアルマ夫人、そしてシェーンベルクやベルクといった後の新ウィーン楽派と言われるマーラーのお弟子さんたちも駆けつけた。当時は彼らはアメリカに在住していたのだろう。

上のページ記事では、タイタニックのような豪華客船にのって、このフェストのために大勢で駆け付けたようだ。

そのときの写真。

客船から下船してみんなで集合写真。

MAHLER FEEST 1920 (1).jpg



アルマ夫人と新ウィーン楽派のアルノルト・シェーンベルク。

MAHLER FEEST 1920 (3).jpg



さらにもうひとショット。

MAHLER FEEST (5).jpg



日程は、ご覧の通り。

1920/5/6~1920/5/21

1920年5月5日 リハーサル
1920年5月6日 嘆きの歌、さすらう若者の歌、交響曲第1番
1920年5月8日 交響曲第2番
1920年5月10日 交響曲第3番
1920年5月12日 交響曲第4番、交響曲第5番
1920年5月14日 交響曲第6番、亡き子をしのぶ歌
1920年5月15日 交響曲第7番
1920年5月17日 大地の歌
1920年5月18日 交響曲第9番 ( Gustav Mahler (1860-1911) died 9 years ago.)
1920年5月21日 交響曲第8番 


アルマ夫人やシェーンベルクが船でアムス入りしたのは、5/13のことだったようだ。
最初のマーラーフェストは、マーラーの死の9年後に開催されている。
やはり8番、千人の交響曲は、大変な人数の舞台なので、1番最後なのかもです。

この記事の記載によると、このマーラーフェストの組織運営体は、Amsterdam art show choirの人とロイヤルコンセルトヘボウの管理者、そしてロイヤルコンセルトヘボウのコンサートプログラムを組んでいる人の3人で運営されていて、パトロン、いわゆるファウンドはオランダのヘンリー王室から出ていたようだ。



つぎに開催されたのが、1995年。


マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1995

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1104-mahler-feest-festival-1995-amsterdam


日程は、この通り。


第1番 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月3日 (さすらう若人の歌併録)
第2番 ハイティンク・コンセルトヘボウ管 マルジョーノ、ネス 5月5日
第3番 ハイティンク・ウィーンフィル ネス 5月7日
第4番 ムーティ・ウィーンフィル ボニー 5月8日(リュッケルト歌曲集併録)
第5番 アバド・ベルリンフィル 5月9日(オッターとの子供の魔法の角笛から併録)
第6番 ハイティンク・ベルリンフィル 5月10日 (リポヴシェクとの亡き子をしのぶ歌併録)
第7番 ラトル・ウィーンフィル 5月11日
第8番 シャイー・コンセルトヘボウ管 ボニー、アンドレアス・シュミット他 5月16日
第9番 アバド・ベルリンフィル 5月12日
第10番からアダージョ ハイティンク・グスタフマーラー・ユーゲント管 5月14日
大地の歌 ハイティンク・マーラーユーゲント管 ハンプソン、ヘップナー 5月14日
嘆きの歌 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月2日 (子供の不思議な角笛から併録)


この年は、なぜか、マーラーの命日5/18は、フェストに組み込まれないで、祝祭日(Anniversary)として特別に祝ったようだ。

友人の話では、9番の日は、オランダのベアトリクス女王が来る特別な演奏会だったそうだ。
(やっぱり9番です。)最初に女王入場で拍手と起立でお出迎え。2階席中央に座っていたそうだ。


また1995年当時では画期的とも思われるパブリック・ビューイングがあって、ホールの外に大きなスクリーンをたてて、中に入れない人のために演奏風景を外に映し出していた、と友人は言っていたので、映像収録素材があったりするのでは、と想像したりしていた。

ネットでググってみたら、この年のマーラーフェスト1995がYouTubeに上がっていた。(笑)
ハイティンクの指揮だ。

このときの演奏の模様をじつは収録していて非売品CDとして世の中に存在しているのだ。

自主制作CD.JPG



録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようなのだが、一般には全く流通していない大変貴重な非売品である。(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤。)

実際聴いてみたが、確かに、最新の新しい録音と比較するとナローレンジだし、優秀録音とは言えないけれど、素晴らしいホールの響きも適度に含んだライブ感覚を大切にした質のいい録音だと思った。

自分は、オークションで出品されていたのを偶然見つけて、即座に落札。10万円という信じられない高値であったが、これだけの歴史的演奏会の録音、自分はまったく高くない、と思った。




そして、来る2020年。ついに3回目のマーラーフェスト。

1回目から2回目が開催されるまで35年という月日が経過した。
そして2回目から3回目に至るまでは25年。

今回を逃したら、もう巡り会うことはできないかもしれない。まさに一期一会。

2020年の海外音楽鑑賞旅行は、このマーラーフェストに決定である!

アムステルダム・コンセルトヘボウは、もう過去に何回も行っているけど、そういう問題じゃない。

コンテンツの問題!
                                                       
                                                       
海外音楽鑑賞旅行で行くホールや演目を決めるときは、自分であれば、ここはどうしても譲れない、抑えておかないといけない決め処というものがあるのだ。まさに今回は自分のアンテナにビビッと来る感じで、まさに自分のためにあるイヴェントとさえ思ってしまうのだ。

1920年は大昔だから、映像・音声技術はない時代と言っていいので仕方がないかもしれないが、1995年はインターネットが登場し始めた時代で、自分もしっかり意識のあった時代。この時代、非売品だけどCDとして存在しているし、ひょっとしたら映像素材もまだパブリックになっていないだけで、オランダ放送局の倉庫に眠っているのかもしれない。

2020年は、もう最新のAV技術最先端の時代だ。ぜひ今回のフェストを音源、そして映像素材を、後世にハイクオリティな品質で残してほしいと思う。非売品という形でなく、堂々とビジネスに載せてほしいと思う。

1995年では存在していなかったが、いまやアムステルダム・コンセルトヘボウのホールには、このホールの音響特性を知り尽くしたポリヒムニア(Polyhymnia International BV)という最強技術集団がいるではないか!

彼らは当時はフィリップス(Philips)だったのだ。(笑)

この一期一会のイヴェントを、ぜひ彼らの最新技術で、余すところなく収録して後世に残して欲しい、と心から願うばかりである。
                                                       
                                                       
                                                      
                                                      
                                                        

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ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 [クラシック演奏会]

ヴァイオリン協奏曲は、オーケストラをバックに歌うソプラノ歌手のようにたとえられることが多く、その共通点は華があること。

ブラームス、シベリウス、チャイコフスキー、メンデルスゾーンからヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトに至るまで、どの曲をとっても、自分にとってすごく魅力的。

その中でも、じつは一見渋いというか、通好みともいえるヴァイオリン協奏曲の王者とも言える、一筋縄ではいかない大曲なのが、 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。

アラベラ様が、今年2回目の来日で、来週からのシルバーウィークの9/20(所沢ミューズ アークホール),9/21(渋谷オーチャード)でこの曲を披露する。

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この曲が、難曲という自分の中のイメージは、じつはヴァイオリン奏者の諏訪内晶子さんのご著書で、この曲だけは、他の協奏曲と違って、何回弾いても自分で納得のいく演奏ができない、楽譜としては弾けていても、音楽として弾けていない、と告白されていて(書かれたその当時という意味です。)、その一連の想いを読んで、それがずっと自分の頭の中に染みついていて、そういう先入観を持ってしまったのである。 


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たしかに、他の協奏曲は、ヴァイオリンとオーケストラの比重が圧倒的にヴァイオリン主体で書かれているのに対して、ベートーヴェンはそれが対等の比重で書かれていて、それが自分がはじめてこの曲を聴いたときに、他の協奏曲と比較して、華がないというか、ずいぶん地味だなぁ(笑)、という印象を持った理由なのかもしれない。


諏訪内さんの記述のように、全楽章を通じて独奏ヴァイオリンと協奏のオーケストラとの交互の「語らい」の中で進行する、あくまで対等の重き、ということはそういうことなのだろうな、と当時思ったものだった。

技術的には、チャイコフスキーやパガニーニのほうが遥かに複雑で難しい。でもベートーヴェンの場合、いくら努力してみても自分で納得のいく表現ができない、とまで仰っているので、もう聴者に過ぎない自分にはそういう固定観念ができてしまっていたのである。

そんな難曲をアラベラ様の演奏で聴く、という本番に備えて、予習の映像素材として以下のものを観てみた。 


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チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 
小澤征爾&ベルリン・フィル、ムター(2008)

http://goo.gl/eOv0W6

これは2008年のカラヤン生誕100周年記念イヤーにカラヤンの愛弟子であった小澤さんとムターとのコンビで、ベルリンフィルを伴って、ウィーン楽友協会で演奏したものをEuroArtsが録ったもので、この曲の新しい演奏としては自分が相当気に入っているものである。

久し振りにムターを観たが、やはりスゴイ。

ゴローさんは、このBDを観て「ムターうますぎなんだよなぁ。」とため息を自分に漏らしていたことを思い出す。(笑)

とにかく弦を抑える指の力が強くて、ビブラートも相当効いている感がある。変な表現だが、音的にカクカクしているというか、非常にメリハリがあるというかピンと張り詰めた感じの鮮度の高い音色が弾けだされる、という感じで、聴いているだけでなく、観ているだけでも本当に”うますぎ”、なのである。

この対等の語らいの中でも、特に第3楽章の中あたりに、独奏ヴァイオリンとファゴットがお互い語らう箇所があり、ここはこの曲の中でも1番恍惚というか美しい旋律と自分が思う部分。

この演奏でもこの部分は鳥肌ものである。

もっと身近な演奏ではこちら。

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いまから5年前の2010年1月20日のN響のサントリー定期。(1666回 N響定期)
広上淳一さん指揮で、独奏は堀米ゆず子さん。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストとして来日が予定されていたヴィヴィアン・ハグナーが 体調不良で 突然来日をキャンセルした。

その結果 そのときにベルギー行きの飛行機に乗るはずだった堀米ゆず子さんがピンチヒッターとして ステージに立つことになった。

ベートーヴェンの協奏曲そのものは演奏経験が豊富な堀米さんでも予期せずに3日間で全曲をさらいなおし、ステージに立つというのは相当緊張したようだ。本番でも第1楽章の演奏中に大きなため息を何回もつく感じで、相当緊張していたのがよくわかる。

厳しい見方かもしれないが こういう時にこそ演奏家の真価が問われるのかもしれない。

このような緊張の中で、ピンチヒッターに立ち、オーケストラともども熱いものの見事な演奏を展開し、自分を含め、この公演をこの年のN響のNo.1コンサートに推薦した仲間は多かった。

この曲には、そのようないろいろな想いのたけがあるのだ。

その曲にアラベラ様が挑む。

タッグはN響&ブロムシュテット。

彼女にとってもこの曲は過去に何回も演奏してきている(もちろんN響とも!)知り尽くしたレパートリーのようであるが、でも自分にとってははじめての経験なので、とても新鮮な気持ちで対峙できるのが楽しみでもある。


マーラーフェスト1995 [クラシック演奏会]

アムステルダム・コンセルトヘボウは、自分にとってヨーロッパのコンサートホールの中では1番想い入れの深いホールで、以前にも何回もお話しした通り、欧州赴任時代の同時期にアムステルダムに同期の友人が赴任していたこともあって、よくコンサートに連れて行ってもらい、ヨーロッパのホールの中では1番足繁く通ったホールでもある。当時のRCOの首席指揮者はリッカルド・シャイーであった。

2012年に再訪していて、そして今年、もう一度訪れる。

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本当に不思議な縁で、赴任時代から15年経過した2009年頃にゴローさんと出会って、当時、英国グラモフォン誌のアンケートでRCOがベルリンフィル、ウィーンフィルを抑え、堂々1位に選出され、NHK BS20周年記念番組でハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、マレイ・ペライヤ独奏での生演奏を生中継するという企画があった。当日の生中継では、東京でのスタジオではNHKアナウンサーの高橋美鈴さん(清楚な感じが好きで大ファンでした!いまNHK北海道に戻っていらっしゃいます。)、音楽評論家の故・黒田恭一さん(自分の1番敬愛する評論家でした。”わかりやすい”というのが自分の好みに合いました。1度黒田さんのことを日記で書いてみたいと思っています。)、そして元オーボエ奏者の宮本文昭さん(いまは指揮者としても大活躍。その指揮振りは小澤さんばりのアクションです。)の3人で繰広がれるウィットに富んだ会話はとても面白くてスゴク興奮した記憶がある。そして現地からの生演奏の生中継。シューマンのピアノ協奏曲、ブルックナー9番。生中継ならではの傷もあったが素晴らしい中継であった。

ゴローさんは、この収録で、映像はNHKだが、音声はこのオケをこのホールで音声収録するなら,そのノウハウを知り尽くしているオランダのポリヒムニア(Polyhymnia International.BV)という録音、ポストプロダクションを担当する会社といっしょに仕事をすることになる。以前からPENTATONEに注目していたので、ポリヒムニア・スタッフと直接面識が出来て、その後深い関係になっていくのは必然のなりゆきだったのだろう。

この番組は一生の宝だと思い(特にスタジオでの3人のトーク付きが貴重。)、ずっと自分のBDレコーダーのHDDから消していなくて保存してある。もちろんBD-Rにも焼いて永久保存版にしてある。

この番組は、後にNHKエンタープライズからBlu-rayパッケージ化された。驚いたのはその音質の素晴らしさ。TVのAAC圧縮音声でのサラウンドで聴いていた自分にとって、ゴローさんのこだわりである非圧縮のPCMの5.0chサラウンドで編集し直した音声は、TV音声サラウンドとはまったく別次元の音であった。ヨーロッパのEuroArtsなどが使う圧縮の5.1chサラウンドではなく、敢えて非圧縮のPCMサラウンドに拘っていた。

またゴローさんはEuroArtsのオケを録るカメラワークが好きではないようで(特に曲のフレーズに合わせてパンと言ってショットを抜くように画面を頻繁に切り替える、そのやり方がわざとらしいと嫌っていた。)、自分独自のオケを録る撮影アングル、ポリシーを持っていた。こうしてみるとゴローさんは、音声よりも、やはり映像の人だったのかな、ともつくづく思う。

赴任時代から15年以上経過したこの時期に、こういう出会いでもう一度アムステルダム・コンセルトヘボウを思い出すとは不思議な縁である。

それからさらに6年経過した今年はスイス・ジュネーブのヴィクトリアホールについで、このアムステルダム・コンセルトヘボウと、まさにPENTATONEに拘る旅。10/9のコンセルトヘボウでのイヴァン・フィッシャー指揮でのRCO公演、無事チケットも取れました!座席も、このホールで体験してみたかった自分の好み通り。順風満保な滑り出しである。

前置きがすごく長くなってしまったが、このアムステルダム・コンセルトヘボウで、自分の赴任時期にとてもエポックメイキングなイベントがおこなわれた。


マーラーフェスト1995。


今日の日記は、このイベントについて書いてみたいと思った。マーラーの全曲演奏会は、いまでこそ当たり前というか、2,3年前にマーラーイヤーであったこともあって、どちらかというと食傷気味ともいえる感じ。(笑)自分も最近では、インバル/都響のマーラーツィクルスを完遂した。

マーラーはこのRCOのオーケストラが好きだったようで、定期的に客演指揮している。そのため、このコンセルトヘボウではことさらにマーラーの曲の演奏が多い。まさにマーラー演奏の歴史的メッカともいえるホールだと思う。

1995年の5月、アムステルダムで大規模なマーラー祭が開催され、交響曲とカンタータ<嘆きの歌>やほとんどの歌曲が演奏された。

コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団と、その予備軍というべきグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団が登場。これらが一同に、アムステルダムのコンセルヘボウに会するという夢のようなフェスティバルであった。指揮者は、ハイティンク、シャイー、アバド、ムーティ、ラトルという凄い豪華陣。

第1番 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月3日 (さすらう若人の歌併録)
第2番 ハイティンク・コンセルトヘボウ管 マルジョーノ、ネス 5月5日
第3番 ハイティンク・ウィーンフィル ネス 5月7日
第4番 ムーティ・ウィーンフィル ボニー 5月8日(リュッケルト歌曲集併録)
第5番 アバド・ベルリンフィル 5月9日(オッターとの子供の魔法の角笛から併録)
第6番 ハイティンク・ベルリンフィル 5月10日 (リポヴシェクとの亡き子をしのぶ歌併録)
第7番 ラトル・ウィーンフィル 5月11日
第8番 シャイー・コンセルトヘボウ管 ボニー、アンドレアス・シュミット他 5月16日
第9番 アバド・ベルリンフィル 5月12日
第10番からアダージョ ハイティンク・グスタフマーラー・ユーゲント管 5月14日
大地の歌 ハイティンク・マーラーユーゲント管 ハンプソン、ヘップナー 5月14日
嘆きの歌 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月2日 (子供の不思議な角笛から併録)


まさに自分の赴任時期に、このようなすごいイベントが行われたこと自体、夢のようだった。1人の指揮者でひとつの楽団で、マーラーツィクルスをやるというのは現代のスタイルであろう。

でも、これだけのメンバーが、マーラー演奏のメッカであるコンセルトヘボウで一同に会する、ということ自体、いまでは考えられないことだと思う。

夢のある時代であった。

アムステルダムの同期の友人はこのコンサートに通った。
後に自分にこのように伝えてくれた。

1,2,5,7,9番を聴きに行った。とても素晴らしくていまでもその衝撃は忘れられない。いままでマーラーという作曲家をきちんと対座して聴いたことがなかった。でもこの演奏会に足を運んで、はじめてマーラーの魅力がわかったよう気がしたよ。マーラーを聴くようになったのは、このイベントのおかげだよ。

さらには、

特に数年前にベルリンフィルのコントラバス首席だったライナーツェッペリツ氏が亡くなったが、このマーラーフェスト5番のときの休憩時間に奥さんとずっと抱き合って何か特別だった気がしたらしいのだが、この日の演奏が最後のベルリンフィルの日だったのではと思えた。第一楽章の彼のコントラバスがうなっていたのを近くで聴いていた。 カラヤン時代を支えた天才だったね。

9番の日は、オランダのベアトリクス女王が来る特別な演奏会であった。最初に女王入場で拍手と起立でお出迎え。2階席中央に座った。自分の席は一階席中央、良い場所。(当日並んで買えた。)コンサートマスターはブラッハーとスタブラバ。
第4楽章が天国的恍惚感があったのも記憶にある。最後はしばらく誰も拍手できない状況でアバドもそのまま動かなかったのを覚えている。

アバドの9番のラストは、まさにずっとこのようなスタイルで、自分もルツェルン音楽祭のBDを観て、いつまで経っても動かないその静寂さはスゴイ鬼気迫るものがある、と感じていた。

そんな歴史的マーラー全曲演奏会であったのだが、そのときの演奏の模様をじつは収録していて非売品CDとして世の中に存在していたのだ!

驚き!

オークションで出品されていたのを偶然見つけて、即座に落札。10万円という信じられない高値であったが、これだけの歴史的演奏会の録音、自分はまったく高くない、と思った。

マーラーフェスト1995の非売品CD

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録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようなのだが、一般には全く流通していない大変貴重な非売品である。(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤です。)

実際聴いてみたが、確かに、最新の新しい録音と比較するとナローレンジだし、優秀録音とは言えないけれど、素晴らしいホールの響きも適度に含んだライブ感覚を大切にした質のいい録音だと思った。

さっそく友人に貸してあげた。ものすごく喜んでいた。
9番の最後の静けさも記憶通りで当時が蘇る感じで感無量だ、(泣)と感激していた。

相当彼にとって、想い入れが深かったようで、そろそろ返してくれ、と言っても、なかなか返してくれなかった。(笑)

このようにきちんと音源はあるのだから、今後もしマーラーに関するセレブレイト・イヤーがある場合、非売品ではなくて正規発売されないのかな~と期待していたりする。

さらにこのコンサートの映像も残っているのではないか?と期待している。いまでは当たり前であるが、1995年当時では画期的とも思われるパブリック・ビューイングがあって、ホールの外に大きなスクリーンをたてて、中に入れない人のために演奏風景を外に映し出していた、と友人は言っていたので、映像収録素材があったりするのでは、と想像したりするのだ。

いずれにせよ、これだけのメンバーが集まった大規模なマーラー演奏会というのは過去に例がないと思うし、その時代、その時期にその場所に居合わせた自分の奇跡には驚くばかり。

このマーラー演奏のメッカであるコンセルトヘボウで、このような大規模な歴史的なマーラー・ツィクルスが、また開催されることを強く期待したいです。いまのクラシック業界にそんなパワーがはたしてあるだろうか......

そのときは会社、長期休暇を取って、全曲参加したい、と思います。(笑)
 


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