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コンサートホールの音響のしくみと評価 その5 [コンサートホール&オペラハウス]

シューボックスは、まさにコンサートホールの歴史の元祖というか、基本中の基本の形状。 直方体である。

シューボックスで1番有名なホールは、ウィーン楽友協会(ムジークフェライン)であろう。

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ウィーン楽友協会においては、建築音響学(建物内で音の伝搬について取り扱う学問)の中では、長らく世界最高の音響と称されていて、それはレオ・L・ベネラクという音響学者が著した書籍にそのからくり理論が書いてある。

その音響理論は、極めて単純明快。

いわゆる直方体の形状で、ステージ上の発音体が360度無指向に発する音を、まずはステージ左右側方の壁、そしてステージ背面の壁、そして天井、床などですぐに反射して、客席に音を返すようにできている。(初期反射音、1次反射)

さらに直方体なので、両側の壁、天井、床などがそれぞれ平行面で存在するので、反射を何回も繰り返し、響きが非常に豊かに聴こえる。(残響音、2次,3次などの高次反射)


コンサートホールの音響では、ずばり、この直接音と初期反射音、そして残響音の3つのタイプの音で成り立っている、と言えるのだ。

これは別にシューボックスに限らず、すべてのホール形状において、この3タイプの音が生成され、その合成音を観客は聴いていることになる。

さらにこのホールは木部むき出しの椅子もその反射に一役買っていて、まさに響きに囲まれている感覚に陥るのは、そういう構造そのものに理由がある。シューボックスの音響は音が濃い、というのはそういうところが1番の大きな要因。

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コンサートホールの音響というのは、以下の大きく2つのポイントをイメージできれば、そのホールの空間的印象を大体特徴付けすることができると言われている。


●みかけの音源の幅
●音に包まれた感じ


人間の耳って、反射音(初期反射音&残響音)のその耳への入射角に応じて、感じる音の広がりかたが逐次変わっていくそうで、最大の広がりを感じるときが、耳の真横90度で入ってくるときなのだそうだ。だからホールの形状にもろに影響することになる。

シューボックスの場合だと、側方からの反射音(特に残響音のほうかな。)を得やすい形状なので、音の広がりを感じやすく、みかけの音源の幅は、左右に広がる感じになるし、音に包まれた感じは、最高の状態に感じやすいのかもしれない。

                                                                                                                                                           

またコンサートホールの音響設計技術の近年の発達には、この両耳に入ってくる反射音の入射角だけの問題でなく、両耳に入ってくる時間差も、その空間の広がりを与える大きなファクターとなっていることの発見、研究が大きく寄与している。


ウィーン楽友協会は、その頂点に立つホールなのだろう。

さらには。。。
                                                       
壁には金色の芸術的な彫刻の数々。裸婦の女性彫刻像、そして華麗な天井画の数々。
これらの凹凸は、音の反射音の拡散に一役買っている。

反射音の拡散のメリットというのは、壁に凹凸がないと、反射音の行き先が音楽に応じて、その方向が偏ったりして、ホールのある偏った部分にしか反射音が行き渡らないことを防ぐためである。

つまり反射音の行き先を拡散させることで、ホール内に均一の密度分布で反射音を行き渡らせることに目的がある。

むかし自分の理解は、凹凸で拡散させることで、高域の煌びやかな音色が得られる、という理解をしていたこともあったが、もちろんそれもあるかもしれないが、やはり反射音をホール内に均一な密度分布にするために行き先を拡散させる、という考え方のほうが正解なのだと思う。

この考え方は、現代のホール設計でも受け継がれている。

さすがに彫刻は彫らないけれど、意識的に壁面に凹凸を造ったり、斜線でのスリットの溝を作ったりして、反射音を拡散させている。目的は同じである。

ただ現代のホールの場合、その凹凸は内装空間の美的センス、感覚を損なうものでもあるので、結構内装デザインとのトレードオフみたいなところがあって、内装空間の美しさを損なわない程度につけることが肝要か、と思われる。

結構露骨だなぁと思ったのは、ライプツィヒのケヴァントハウスのワインヤードのホール。

世界最古のホールとして有名なホールだが(もちろん現在の姿はリニューアル。)、壁面にはかなり露骨な凹凸が設けられていた。でも音響は最高に素晴らしかった。


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日本のホールで、この反射音の拡散という点で印象的だったのが、京都コンサートホール。
なんとホールの天井に張り巡らされているこの強烈な拡散の仕掛け。

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斜めに切断された2000個の立方体がこのように天井の中心全面を覆っているのだ!



ウィーン楽友協会には、他のホールでは珍しく上部に採光窓が設置されている。この採光窓の存在が、音のヌケ感に寄与しているという理論も、このベネラク氏の独自理論でもある。

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またウィーン楽友協会では、床下に大きな空洞を設けていて天井も全体が釣り天井で空間があって、コントラバスのように低音がよく響くように作ってあるのだそうだ。この吊り天井には砂が大量に敷き詰められていて、響きを調整してるらしい。

このホールのもうひとつの大きな特徴は、ドカドカなる木の床。ステージも木の床だ。この床のステージの柔らかさでオケがいっせいに鳴るときに、その床振動でドッと音がホール内を振動伝達して音化けする、ホール鳴りする原因なのだろう。

「ホールは楽器です」という名文句はここから来ているのだと思う。床は固すぎてもダメで難しいですね。


このようにシューボックスってその構造&音響理論が極めて単純明快。

そのもうひとつ有名なシューボックスのホールを紹介しておこう。


アムステルダム・コンセルトヘボウ

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ベルリンフィルハーモニーの幾何学的なデザインの美しさ、ウィーンムジークフェラインの黄金で煌びやかな空間、とはまた違ったコンセルトヘボウ独特の美しさがある。ベージュとレッドを貴重としたツートンカラーの内装空間で非常に美しいホールである。落ち着いた大人の空間という感じですね。


ステージの高さが異常に高くて、最前列の人は首が痛くなるぐらい。(笑)

ホールの音の印象は、木造らしい非常にマイルドな暖色系の優しい音がする。弦楽器の音色や木管の音色を聴いているとその優しい柔らかい音がはっきり認識できる。そして響きがとても豊かで滞空時間が長い。空間も広く感じてスケール感のある雄大なサウンドに聴こえる。ライブ録音に向いている音響だと思う。

ご存知、Polyhymnia International BVのホームグラウンドである。




そしてワインヤードのホール。

ワインヤードはステージを観客席が取り巻いているので、ステージ上の音が反射するための壁が遠すぎて、反射音の恩恵を得ることが難しいのである。また観客で取り囲まれているということは、音を人が吸ってしまう(正確には服が吸う。)というデメリットもある。

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音響的に非常にデメリットが多く、直接音主体の音響と言わざるを得ず、その音響設計はかなり工夫が必要で難しいと思う。

1番最初のワインヤードであったベルリンフィルハーモニーも、創設当時は、その音響が思わしくなく、カラヤンはレコーディングには、このホールを使わず、ベルリン郊外のダーレムにあるベルリン・イエスキリスト教会を使い続けたほどだ。

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その後、ステージの高さを変えたり、天井に反響板を設けたりすることで、ようやくカラヤンがその音響に満足できるようになったのは、その10年後だとも言われている。



これは自分が思うことなのだが、ベルリンフィルハーモニーに代表される最初の頃のワインヤードは、まさにステージが観客席のど真ん中近くにある感じなのだが、これが時代が経つにつれて、ステージがホールの端に位置するようになって、いわゆるシューボックスを拡張型にしたようなワインヤードのホールが主流になっていったように思う。

これは自分の推測でしかないけれど、ステージがホールのど真ん中にあると、まさしく反射が得られにくくて、音響的デメリットが大きいので、もっとホールの端に寄せて、シューボックスと同じようにステージからの発音に対して、初期反射音が得やすいようにしたのではないか、と推測する。


つまりシューボックスのいいところを取り入れたワインヤードというような感じ。

東京赤坂のサントリーホールは、まさにベルリンフィルハーモニーを参考にして、カラヤンの指導の下造られたホールである。サントリーホールの場合、ステージの位置がホールの端になって、完璧なワインヤードというよりは、ややシューボックスを拡張型にしたワインヤードみたいになっているところに特徴がある。

現代の新しいワインヤードのホールはみんなステージがホールの端にあるように思える。




ワインヤードでの反射音を得る仕組みというのは、ひとつの工夫がある。

シューボックスと違って、反射する壁がないので、下図(札幌コンサートホールKitara)のように、客席をいくつかのブロック分けにして、各々に段差をつける。 そのときにできる客席のテラス壁を初期反射音に使用するのである。


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大半のワインヤードは、このようにして反射音を造っている。


日本のコンサートのホールの中でも、抜群のアコースティック(音響)を誇るミューザ川崎を例にとって、ワインヤード方式の最新のホールの場合を説明してみよう。

ミューザ川崎は、その内装空間のデザインがかなり斬新で、一見みると左右非対称に見える奇抜なデザインである。でもこのような斬新なデザインにも、やはりワインヤードの音響設計の基本となる施しが確認されるのだ。



ミューザ川崎の場合、音響設計のポイントは、つぎの3つにある。(白いのが反響板)
(あくまで自分の推測です。聞いた訳じゃありません。写真を眺めながら推測しました。)

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①ステージ,1階席平土間を取り囲む反響板。
②上階席の観客席を左右交差しながら挿し込む形の反響板。
③そして 天井の真ん中の反響板をさらに同心円状に取り囲む反響板。

特に②のデザインの考え方とその効果が洒落てますよね。

①は、まずステージおよび1階席平土間をぐるっと取り囲むことで、ステージからの音を確実にこの囲いの中に追いやる役目を果たしている。

②は、一見左右非対象に見える斬新なデザインの核心をつくポイントと見ていて、このように配置することで、その反響パネルの下部に位置する座席に反射音を返しているのである。

標準的な従来のワインヤードの座席をブロック化したときにつける段差のテラス部分に相当するところが、この②の役目なのだと思う。放っておくとそのままホール空間中に漂ってしまう音の流れを、この②の反射板できちんと客席に返す、という原則が成り立っているのだ。

そして③の天井の反響板。ここのホールはかなりゴッツイ造りになっていて、その役割は大きい。これはホール上方に上がってきた音を、下方に返す役割なのだが、真ん中の反響板を中心に、さらにそれを同心円状に反響板が取り巻いているのだ。

こうすることで、ステージの音をホール全体に均一密度で拡散させているという大きな役割を果たしている。

さらに、この白い反響板には、斜めに等間隔でスリットが入っていて、これは、反射音を拡散させるため。目的は、他ホール同様に、反射音の方向を、偏ることなく、ホール全体に万遍なく均一密度に分布させるために、反射音の行先を拡散させるのである。



ミューザのホール内装の上からの全景の写真をみると、この白い反響板が、いわゆるスパイラル状になっているようにみえて、それが原因なのか、ステージからの音が、トルネードのように上に巻き上がるような音の流れがあるんじゃないか、とも推測したことがある。現に4階で聴いたことも何回もあるのだが、恐ろしいまでにステージの音が明瞭に聴こえてきて、うわぁ、こんな高くても音がきちんと上がってくるんだな、と感心したものだった。

あと、ミューザにはじめて足を踏み入れたときに1番最初に目について驚いたのは、そのステージの低さであった。他のホールでステージを見慣れている眼からすると、そのステージの低さはとても驚きで新鮮な感じだった。

真意はわからないけれど、おそらくステージが従来通り高いと、1階席平土間の観客席の頭の上を音が飛んで行ってしまうので、それ対策用に低くしてあるのか?と思ってみたりしている。


ミューザのような天井の仕掛けは、パリの新ホールであるフィルハーモニー・ド・パリでも見かけることができた。

これがその写真。

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天井の真ん中の反響板を中心に、ブーメラン形状の反響板が、同心円状にぐるりと取り巻いているのである。役割は、ミューザのときと同じで、ステージの音をホール全体に均一密度で拡散させるため。

ベルリンフィルハーモニーやサントリーホールなどは草創期時代の古いワインヤードのホールは、反響板は、ステージ上に浮雲という形でぶら下がっているだけ。 ホール全体に、万遍なくというのは、なかなか厳しく、いまの最新鋭ホールと比較すると、どうしても音響ムラというのができてしまう。

最新のホールは、1階席平土間に音響ムラがないのは、これが原因と考えている。


フィルハーモニー・ド・パリは、とてもユニークな内装空間のホールで、いかにもフランス人好みのコンサートホール。

ここもワインヤードのホールである。

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左右非対称のアシンメトリーな空間なのだが、不思議と音響バランスは偏っていない。

ホール形状タイプからするとRAV(reflector in acoustic volume)というジャンルにカテゴライズされ、多数のぶらさがっている反響板をうまく利用して、その音響を整えている方式である。

明瞭性と残響感を両立して達成するために、明瞭性に相当する初期反射音は、たくさんぶさがっているブーメラン型の反響板からの反射で生成し、残響感のほうは、そのブーメラン反響板とさらにその背後、裏側にある空間との間で生成する残響音で造るのだそうだ。

いすれにせよ、ブーメラン反響板がキーポイントということである。

実体験したが、素晴らしい音響であった。ステージの音のエネルギー感がしっかりどこの座席にも届く、という大前提が成り立っているように思えた。



ブラームスの故郷であるドイツのハンブルグにオープンしたばかりの話題の新ホール「エルプルフィルハーモニー・ハンブルグ」もそんな最新鋭のワインヤードのホールだ。

元北ドイツ放送響(NDR)、いまのNDRエルプフィルハーモニーの本拠地である。

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実体験はまだなので、実際どのような音響なのかは語れないが、写真を見る限り、大体いままで説明した考え方に準拠しているように思える。

流線型ではあるけれど、客席がブロック単位に区分けされていて(というか1ラインに連なっている感じだが)、その段差にテラス部分が存在して、それを初期反射音を得るために利用していることは確実であろう。

そして、そのテラス壁の壁面や、ホールの至るところの壁面には、「ホワイトスキン」と呼ばれる貝殻形状をした凹凸が設けられている。これによって反射音の行き先を拡散させて、ホール内に同一密度分布で反射音を行き渡らせようというような仕組みなのだと思う。




ドイツ・ベルリンに一風変わったホールが誕生した。

これはご逝去したフランスの作曲家、指揮者であるピエール・ブーレーズを冠にしたピエール・ブーレーズ・ホールである。

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今年の3月にオープン。ベルリン国立歌劇場の近くらしい。ホールの形状はシューボックスなのだが、客席がワインヤードという特殊なスタイル。

正確には、ステージの回りに客席を楕円形状にレイアウトし、それを四角いホールの中心に配置する、という620席のホール。 新規にホールを建てるのではなく、すでに存在する建物中にホールを新設する、というアイデアである。

バレンボイムが中心となるバレンボイム・サイード・アカデミーの本拠地。 対立するアラブ諸国とイスラエルの両方から才能ある若い音楽学生を集めて運営されてるオケだそうだ。

とてもユニークなホールであるが、写真見た目、直接音主体のホールのように感じるのだが、建物の器は直方体のシューボックスなので、音の反射などは、そのルールに準ずるのであろう。

でもこれもある意味立派なワインヤードである。(笑)ぜひ体験してみたいホールだ。





ワインヤードのホールでは、このようにホールの形状から反射音(響き)を得ることが難しいので、音響設計にノウハウがいる。

でも、その音響特性の最大の魅力は、やはりホールの大容積に応じたダイナミックレンジの広さだと思う。残響時間の長いスケール感の大きい音響で大編成の大曲に向いている。大音量でも飽和しない。

オケの発音能力も試される。パワフル型で、力量のあるオケでないと、このホール形状を征服することは難しいのだろう。ホールは、そこのレジデンス・オーケストラが育てるもの。

また最近の需要から、収容人数のキャパが大きくないといけない、視認性の問題、みんながステージと近くないといけなく、オケとの一体感もこのワインヤードならではのこと。もう時代の流れは、そういう方向なのだと思う。


また現代の最新の音響設計では、ワインヤードとはいえ、十分な響きが得られるように工夫が重ねられ、昔、言われているほどデメリットはないのだと思う。そのため我々素人目では、その仕組み・原理を理解するのは難しいのかも?

最近のホールの内装空間を見ると、自分の理解を超えていて、つくづくそう思うのだ。自分も歳なんだなぁという感じで。(笑)



東京文化会館の扇形のホールは、これまた特徴的な音響設計理論による。
日本が誇る偉大なる建築家、前川國男さんの設計である。

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ホールの形状は六角形。ホールのタイプ別としては、いわゆる扇型のコンサートホール。

この扇形状は他のホールにはないほど両壁面が開いたもので、壁面間での反射音の行き来が少なくなることを意味していて、このこともこのホールの音の響きを特徴づけている。

人間の耳というのは、両サイドの真横から音(響き)が入ってくると、1番音の広がりを感じる特性があるので、シューボックスなどは、まさにそのような特性を生かす側方からの反射音で響きを造る方式なのだが、この扇形はそういう壁が開いているので、側方からの反射音が期待できないのだ。

ここのホールの直接音と初期反射音などの響きは、前方から直接音が来ると同時に、タイミングが遅れて、反射音が、これまた前方からやってくる、というのが、大きな音の流れの特徴なのだ。その役割を担っているのが、ステージ背面から天井のほうに大きく連なっているある大きな反響板。


だから正直響きが豊かなホールというよりは、ある意味デッドな部類なのかもしれない。

ホールのステージ上の音源に対して、座席で聴いていると、その”音源(音像)のみかけの幅”がどれくらいか、というのはひとつのそのホールの音響の特徴を現すパラメータでもある。

シューボックスのように音源に対して、側方からの反射音がつくられるホールであれば、音源(音像)のみかけの幅は左右に広がるし、逆に側方からの反射音が期待できないホールでは、音源の幅はかぎりなく音源(音像)そのものの幅が狭いものになる。


なので、前方から直接音、反射音がやってくるというのは、響きで音像が広がらず、コンパクトにしかし奥行き方向に響きができるので音像が立体的に感じられる、というこのホール独特な音響といえるのだと思う。

ここのホール愛好家間では、最上階席の5階が1番音がいいという噂がある。(自分はまだ未体験)



以上が大きく3つのタイプのホール形状のコンサートホールの音響理論を概念的に書いてみた。

コンサートホールで大切なことは、なにも音響だけではないのだ。他にも、もっともっと大切な要素がある。

次回は、それらについて書いてみたい。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その4 [コンサートホール&オペラハウス]

コンサートホールの音響のしくみは、要は、ステージ上での発音体が発する音が、いわゆる”球面波”という形で、360度無指向に広がっていく音を、ホールの形状、容積、壁の材質、反射板などの仕掛けなどによって、いかに客席にその音の流れを持っていくか、ということころに、設計のポイントがあるのではないか、と思う。

大昔の時代のホールに、そういう理解、意志があったかどうかは不明だが、でも現代の最新鋭のホール設計は、そういう考えを基に設計されていると思う。

自分がよく神秘・ミステリーだと思っていることに、ヨーロッパの素晴らしいホールの内装空間は、当時建築音響理論がどこまで理解されていたか、というのは不明なのだけれど、不思議と理に適っているというか、大昔の人が考えた内装空間は、まさに素晴らしい音響を生み出す要因、ノウハウが、知らず知らずに、あちこちに散りばめられていることなのだ。

たとえばウィーン楽友協会の内装空間に代表されるような凹凸の激しい煌びやかな彫刻。

これは結局、その音響効果としては、反射音の方向を拡散させる意味合いがあるのだが、大昔の当時に、そんなことを考えて、この彫刻を彫ったのであろうか?

やっぱりキリスト教に代表されるような神聖な場所という宗教的な意味合いが強かった、というのが真の理由ではないだろうか?ヨーロッパの大昔のホールは、コンサートホールもオペラハウスもこの内装の彫刻は一種の芸術要素が強いのだと思う。

クラシック文化の浅いアメリカにコンサートホールを新設しようという動きがあったとき、その前調査としてヨーロッパの音響のいい有名なホールを片っ端から、その残響時間を測定していったら、不思議とほとんどのホールが、2.0秒前後の残響時間だったというミステリー。


結局、現代の新しいホールを建設していくにあたっても、この大昔の遺産であるヨーロッパのホールの偶然のミステリーを後付の形で理論付けして、今尚、それを基準にして設計されているのだ。


なんと神秘的で、ミステリーなことだろう!



自分は、ヨーロッパのコンサートホールには、そういう神秘的でミステリアスなところが潜んでいて、単に技術、理論では語れないそういう歴史の創造物であることに、たまらなく魅力を感じるのだ。


コンサートホールの形状のタイプには、ワインヤード(現代の呼称はヴィンヤード)、シューボックス、扇形と様々な形状がある。



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ベルリンフィルハーモニー(ワインヤード)


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ウィーン楽友協会(シューボックス)


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アムステルダム・コンセルトヘボウ(シューボックス)


コンサートホールの歴史を紐解いていくと、その原点にあるのはシューボックスのホールだと思う。

シューボックスは、まさに直方体の形状で、家庭内のオーディオルームも直方体。ある意味音響理論(建築音響&室内音響)を考える上では、基本中の基本の形状なのだ。

これから説明するが、シューボックスの音響理論はとても単純明快で、わかりやすくて、いい音響を簡単に得やすい仕組みでもある。

でも縦長なので、後方の座席になるとステージが見えにくいという視認性の問題もある。そういう問題を解決するためにも後方に行くにつれて傾斜をつけるところも多いが、アムステルダム・コンセルトヘボウになると全くの平坦なので、後方の座席のステージの見えにくさは問題でもある。


またシューボックスは収容人数のキャパが小さく、大観客数を収容できない。


こういう背景が、現代のホール需要に合わなくなってきた。


それに対抗してできたのが、ワインヤードのホールで、カラヤンが造ったベルリンフィルハーモニーがその最初になる。観客席がステージを取り巻くように配置されていて、まるでぶどう畑のようなので、ワインヤードという名称がつけられた。

ワインヤードのホールは、その音響の仕組みは、かなり工夫が必要で、音響的デメリットも多いのだが、なによりもステージと観客の距離感が近いこと、それによってコンサートともに観客との一体感が得られやすい構造であること、そして大人数を収容できること。こういった点から、現在の世界の最新鋭のホールは、ほとんどワインヤードのスタイルのホールではないかと思う。

日本では、意外や存在するホールの数からすると、首都圏をみても圧倒的にシューボックスか扇形が多くて、そもそも昔はクラシックの演奏会もずっと多目的ホールで兼用だったので、クラシック専用というホールというのが少なかった。だから意外やワインヤードは少ないと思う。

日本でクラシック専用ホールで、ワインヤードなのは、サントリーホール、ミューザ川崎、大阪シンフォニーホール、そして札幌コンサートホールKitara、愛知芸術劇場コンサートホールくらいだ、すぐ思いつくのは。


まずそのシューボックスから説明していきたい。 





コンサートホールの音響のしくみと評価 その3 [コンサートホール&オペラハウス]

⑥帯域バランス

このパラメータは自分がコンサートホールでオーケストラを聴くときに、結構重要なポイントとしているところ。もちろんホールの音響特性が、高域に寄っていたり、逆に低域に寄っていたりすると、オケが発している帯域バランスがどう正しいのかわからないので、もちろんその器、ホールの特性はフラットであってほしいのはあたりまえである。

自分はオーケストラサウンドは、やはり低弦楽器などの低音ががっちりと土台を築いているサウンドが好みである。

弦の厚みなどは、この低音が豊かであると、その上の乗る様々な帯域のサウンドが折り重なって、じつに気持ちのいい和声感のあるサウンドになる。


低音の不足しているオーケストラサウンドは、なんか音痩せしてる感じで、気持ちよさ、安定感を感じないのだ。

古来より豊かな低音や低い周波数での揺らぎは生理的快感をもたらすと言われ、安定しているなにか神聖な立派なものを聴いている、という豊かなイメージを象徴する帯域なのである。

低域は和声の根本を成す帯域だと思っている。

器であるホールで、そのように低域寄りにするのは邪道の権化で、真のオケの技量がわからなくなってしまう。その点でもホールの帯域バランスはニュートラルであるべき。


ときどき、ホールによってオケサウンドがハイ上がり(高域寄り)に聴こえたりすることも多く、そういう場合は、「ここのホールの音響は耳にキツイ」とか、すぐホールのせいにせず、まずオケの調子を疑うべし。

自分の座席からすると低弦楽器群が聴こえにくいポジションであったりして、それが原因であったりもする。やはりオーケストラは音響バランス的に真正面から聴くべきなのだ。



⑦再生空間のダイナミックレンジ、スケール感


大編成のオーケストラを聴くときに感動する要因は、いわゆるそのスケール感の大きさによるものだと思う。

再生空間の広さ、ダイナミックレンジの広さ、この要素は、生演奏ならではのメリットで、オーディオルームで実現することが厳しい壁でもある。

特に低域のリアルな再現性は舌を巻く。

いつも生演奏を聴くたびに思うのは、この分厚い低域の音をオーディオで再現するのはとても無理だなぁ、と思うこと。

低域の波形というのは、波長がとても長いので、再生する空間(部屋)の容積が広くないと十分に再生しきれないからである。コンサートホールの広さだから実現可能なパラメータといってもいい。


スケール感の大きさは、どのように達成されるパラメータなのか?

それは、第一に発音体のオケの大音量の発音能力。そして第二に、ホールの容積によるものだと思っている。大編成で発音能力の高いオケに、容積の狭いホールで演奏してもらうと、いわゆるサチルという、つまり音がクリップ、飽和してしまう現象が起こってしまう。発音能力の高い大音量のオケは、やはり容積の広いホールで演奏するべきなのだ。

発音体の規模にあった適切なホールの容積というのは、かならず存在する。

建築音響的には、容積が広いと、残響時間が長くなる、という音響特性がある。

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残響時間が長くなると、当然音量を発したときに、全体的に音量的な容量が増えて聴感上のスケール感が増すような印象を受ける。

代表的な例では、天井の高いホールであろう。
もっと身近な例で言えば、教会。

教会はまさに天井がとめどもなく高くて、音を発すると残響時間がとても長い。

そういう意味で、たとえば天井の高いホールでオケを鳴らしたときは、そのスケール感がとめどもなく大きく感じられ、これもコンサートホールの大切なパラメータなのだと思う。


天井が高いホールというのは、いわゆる音のヌケ感がいいと感じることが多く、ホール容積が広いために残響時間が長くて、広大な空間に、音が圧倒的な情報量を伴って広がっていくような、そんなスケール感の大きさを感じる。


逆に、ホール設計のときに、天井が低いのは致命的なハンディなのだそうだ。



自分は、よく自分だけの解釈なのだが、シューボックスの音響は、反射する仕組みが容易で、とても響きが濃い、音の密度空間が濃い音響空間であるのに対して、ワインヤードは反射する仕組みの実現は、難しいかもしれないが、その反面、その空間容積の広さ、および直接音主体の音の流れから、大編成などでその空間を漂うスケール感、その空間の広がりを感じるようなサウンド(空間感)が、その音響の真骨頂なのだという理解の仕方をしているのだ。

そういう音響空間の特徴があるので、比較的容積の狭いシューボックスは、中規模から小規模に至るアンサンブルのオーケストラの演奏に適しているし、逆に容積の広いワインヤードは、大編成のオーケストラで大曲を演奏するのに適している、と言えると思う。


このホールの容積とオケの規模の問題は、単にサウンド・クオリティ的な要素だけでなく、そこで奏でられる音楽の歴史とともに歩んできたものと言える。



ここで少し自分が調べてみたことを書いてみる。



音楽最古の時代は、バッハなどのバロック音楽の演奏の場、これはまさに教会。

そして18世紀の古典派ロマン派の時代は一般大衆が音楽を楽しむ時代になってコンサートホールという発想が出てくる。この頃の古典派ロマン派の音楽は、和声や和音が重要視され、特にロマン派の音楽は、情緒的で感情表現で聴く者の心に訴えるものが多かった。

なので、それに合せてコンサートホールも細部の表現よりも響きの美しさを重視するホールが造られたのだ。この時代の代表的なホールがウィーン楽友協会などに代表されるシューボックスのホール。コンサートホール草創期の時代。

そしてその後は、後期ロマン派。19世紀後半から20世紀。ドイツ、オーストリアなどのドイツ圏。ワーグナーやリスト、シューマンそしてマーラーやブルックナー。

彼らの音楽のオーケストラの巨大化や対位法を採用するなどのポリフォニックな音楽手法が演奏会場のあり方にも一石を投じた。

古典派やロマン派の音楽では細部よりも全体の流れや響きを重視した演奏会場が好まれたのだが、後期ロマン派ではオーケストラの大型化で大音量や対位法の細部を聴ける演奏会場の必要性が出てきた。 このときに造られたアムステルダム・コンセルトヘボウはシューボックスなのだが、より大きな容積があり後期ロマン派の音楽に適合していると言えたし、ワインヤードのベルリンフィルハーモニーは、容積が大きいので音の飽和が少なく,シューボックスよりは響きが抑えてあるので演奏の細部がわかりやすく後期ロマン派に適したホールと言えるのだ。

つまりシューボックスとワインヤードで、そのホールで演奏するのに適したクラシック音楽の種類も違ってきて、もとはと言えば時代の流れに沿って、この奏でる音楽の種類が変わってきて、シューボックスやワインヤードというコンサートホールの形状を造ってきたのだということを言いたかった。


でも既述のように、容積が大き過ぎると、ロングパスエコーの問題もあり、逆に広すぎてもダメ。反射音とのバランスも考え、音密度を高くしつつも、それでいてスケール感がでる容積という条件を折衷するのもコンサートホールの大切なファクターなのだと思う。


以上の7項目が、自分がコンサートホールの音響をジャッジする主なポイント。いままでの経験による自分の総決算で、大体ホールの音響を決めるポイントは、ここら辺にあるのではないかな、と感じるところ。

でもこれからもどんどん経験していくので、新たに発見することも多し。

その都度日記にしていきます。

つぎにコンサートホールの音響の仕組みについて、自分の理解の範囲で書いてみます。






コンサートホールの音響のしくみと評価 その2 [コンサートホール&オペラハウス]

④直接音と響き(間接音)の対バランス比


コンサートホールの座席でステージの音を聴く場合、必ずステージからの直接音と、壁、天井、床などからの反射音(間接音:響き)との合成音を聴いていることになる。

この直接音と響きの関係はホールの形状によって、いろいろシチュエーションが違ってくる。

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直接音と響きの対バランス比というと、大きく、その量の対比と、時間遅れの対比の両方が考えられるか、と思う。


まず量の対比。

これは座席選びに大きく起因してくる。

ステージに近く前方の座席であると(我々仲間のオーディオ業界では、これを”かぶりつき”という(笑))、ステージからの直接音は強烈に浴びるかもしれないが、天井、壁からは遠いので、反射音(響き)は聴こえにくい。

かぶりつきの欠点は、ステージ全体の音をバランスよく俯瞰できないことで、自分の座席に近いところの楽器は、強烈に聴こえるかもしれないが、少し遠いステージ位置になると、その楽器は遠く感じて、全体の音響バランスが悪く聴こえることだ。

天井、両側壁、床からの響きを感じるようになるには、やはり中盤から後方の座席がいい。
そのホール固有のホールトーンを感じるには、そのほうがいい。

直接音と響きの程よいバランス比を考えると、前方席より、中ほどの座席がいいだろう。

でもこれにはトレードオフがある。中盤から後方になるにつれて、響きが豊富になるにつれて、ステージからの直接音が不明瞭になること。音像が遠い感じで、甘くなり、音の迫力、臨場感、鮮度感がなくなる。

後ろになればなるほど、響き過多になる反面、直接音が不明瞭で全体のサウンドに迫力がなくなるのだ。ホールトーンをたくさん味わえる半面、そんなデメリットがある。

いわゆる”響きに音像が埋没する”、という表現が妙を得ている。

かつてサントリーホールの2階席右ブロックの上階の後方座席で、ポリーニのピアノリサイタルを聴いたときのこと。

まさに、ここの響きが豊富すぎて、音像が埋没するという感じで、ポリーニが強打の連打を繰り返すと、打鍵の単音の響きがどんどん連なり、まさに響きの混濁状態になって、とても聴いていられない経験をしたことがあった。

もうこれは個人の好みで、座席をカット&トライで試してみて、その直接音と響きの対バランスの好みを探るしかない。

自分も最初の頃は、理想論を突き詰め、直接音と響きを6:4くらいが好みかな、とも思ったが、最近はどうも自分の好みが確立されてきた。


やっぱり直接音が大音量で、明瞭であること。腹にズシンと響いてくるサウンドが好きだということがわかってきた。中段から後方の座席では、全体の音響バランスはいいかもしれないけれど、直接音があまりに不明瞭で、なんといっても迫力がないというか、サウンド自体がこじんまりしていて、聴いていて真に感動できなくて、欲求不満になることがわかってきたのだ。

やや前方寄りの座席で、それでいて響きも感じられる座席というのが自分の好みなのかな、と感じる。

もちろんケースバイケースもある。

自分が贔屓にして応援している女性ヴァイオリニストなどのソリストを間近で観てみたいという視覚優先の場合は、やっぱりかぶりつきの最前列で聴きたい願望がある。

演奏家を観るという視覚の問題も、コンサートにとっては大切な要素だからである。

あとオペラ歌手などの声もののコンサートの場合も、前方かぶりつきがいいと自分は思っている。声ってとても指向性が強いので、やはり正面から聴いたほうがいいと思うし、前方のほうが声の発生エネルギーも大きいし、腹に響いていい。

歌手の表情をしっかり拝めるのもいい。

そうすると、自分の好みは、中段から前方にかけての座席なのかな、と感じる昨今である。

ステージ両サイドの上階席が音響的にいいホールが結構多い。直接音と響きのバランスが非常にいいからである。大音量で、明瞭な直接音。それに対して壁、天井に近いので、反射音などの響きも感じやすいという理由からだと推測する。

でも自分の中には、オーケストラのサウンドの聴感バランス的には、端からではなく、やはりオケの真正面から聴くべし、という鉄則みたいなものを持っていて、ここが音響がいいという噂でも、やはり真正面から聴きたい、という信念がある。


ワインヤードのステージ裏のいわゆるP席と呼ばれる座席シートは、自分からはあまり積極的に取らない座席だ。一度ベルリンフィルハーモニーで座ったときに、聴いたオケのサウンドは、ステージ上の楽器の配置で近い順に聴こえるので、いわゆる真正面から聴いているのとは反対に逆から聴いているように聴こえるのだ。最後尾列の打楽器や金管の音が間近に聴こえて、後から弦楽器が聴こえてくるような感じでかなり違和感があった。

それ以来、あまり自分好みではないな、と感じた。

この座席は、やはり指揮者の表情を真正面から見たい、自分がオケ奏者になった気分で、ホールを見渡したいという動機が優先される人向きなのでは、と感じるところがある。




つぎに時間遅れの対比。

これは、個人の好みに影響される部分もあるが、それ以前に、この項目に関しては、ひとつのルールが音響の世界に存在する。座席選び以上に、そのホールの音響特性に依存するところが大きい。

これは直接音に対して、響きというのは、人が気持ちよく感じる遅れ時間というのが、データ上(というか実測上)決まっていて、いいホールほどその値になっているという神話があるのだ。(神話というより実測経験値)

響きのいいホール、つまり人が音響がいいと感じるホールは、直接音に対して、その初期反射音(直接音に対して、最初に反射する1次の反射音)が20~50msec以内の遅れになっている場合が多いということ。そして残響時間が、2.0~2.2秒。

これ以上、反射音が遅れると、逆に、わずらわしいエコー(ロングパスエコー)になって、ホール音響の欠点になってしまう。

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これはホールの容積に起因するところが大きい。ホールの容積が広いと、ステージ上の直接音に対して、反射する壁が遠すぎて、反射音が大幅に遅れてしまいエコーになってしまう。

やっぱり音響上の理由から、発音体の規模に対して、その適切なホール容積というのがある。
オーケストラのための大ホール、そして室内楽のための小ホールというように。

ホールの容積の問題は、響きのエネルギーバランスにも影響を与えると思う。

たとえば同じシューボックスでもウィーン楽友協会とアムステルダム・コンセルトヘボウ。

どちらもシューボックスの音響の優れたホールで世界屈指だが、その違いは幅の狭さ&縦長の違いにある。

ムジークフェラインのほうが縦長である。

これは反射音の響きの到達する時間(響きの長さ)と濃さ(密度)にも影響してくるのではないか、と思う。

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アムステルダム・コンセルトヘボウのように、容積が横に広いと、壁で反射された音が観客席に到達するまでに、到達時間は遅いし、ある程度エネルギーが減衰するはずである。

なので、響きの密度は薄くて、残響時間が長い。それは落ち着いた整然とされた秩序ある響きのように感じる。


ムジークフェラインの場合、縦長でその容積が横に狭いので、逆に、観客席への到達時間は速くて、その反射音が十分に減衰する前に客席に到達するのでエネルギーが高い。容積が狭いので、密度が濃いが、平行面での反射回数も多く、その分、壁で吸音される回数も多いということになるので、減衰も早く残響時間が短い。音がかなり濃くてホール自体が共鳴しているかのようなぶ厚い響き(でも響きの長さは短い)になる原因になっているのだと思う。




容積が小さいと反射音のエネルギーは大きくて、伝播時間(到達時間)も短くて、密度も濃いのだが、何回も反射を繰り返すので、壁での吸音が多くなり、反射音のエネルギーの減衰が早い。(ウィーン楽友協会の音響の場合)


逆に容積が大きいと反射音のエネルギーは小さくて、伝播時間(到達時間)が長くなり、密度も薄くなるけれど、反射の回数は少ないので(吸音少なし)、エネルギーの減衰が遅い。(アムステルダム・コンセルトヘボウの音響の場合)


もっと感覚的な表現で言うと、上図のスペクトラムを見てもらえば、ウィーン楽友協会は響きが濃くてドッと一気にやってくる感じで、アムステルダム・コンセルトヘボウの響きは穏やかな響き具合で、滞空時間が長い感じというのがイメージでわかるだろう。(でもコンセルトヘボウも実際に聴いたときは響きはとても豊かでした。)





普段オケを聴いているときに、直接音に対して、最初から響きが混入している状態というより、直接音に対して、やや響きが遅れてくる感じで、直接音を強化する感じの程よい遅れ具合、分離し過ぎない程度の遅れ具合が、気持ちのいい、音響のいいホールと言えるのだと思う。
                                                                                                                                                           
                                                                                                                                                          
直接音に対して時間的に遅れてくる響き(反射音)の聴感上の役割というのは、わかりやすい表現をすると、聴いていて、そのホール空間の広さ(空間感)、立体感を感じるような感覚を助長する役割なのだと思う。直接音に対して響きが分離して遅れて聴こえるほど、その効果は大きい。逆に最初から直接音に被っている状態だとその効果は軽減されるのだと思う。
                                                                                                                                                          
                                                                                                                                                          
この直接音に対する響き(間接音)の遅れ具合というのは、ずばりホールの容積に起因してくるものと思われる。直接音に対してどれくらい響きが遅れてくるか、というのは、まさにその反射音の伝搬距離に関連するところで、ホールの容積が広ければ響きは遅れて聴こえるし、逆に広過ぎればロングパスエコーになる。ホールの容積が狭いと反射音の伝搬距離が短いので、直接音に対して響きが被る感じになるのだと思う。




⑤音色と響きの質感(硬質&軟質)


これもホールの音響を感じ取る上では、とても大切なファクターである。
もう聴いた感じの印象そのもので、ライブ&デッドに次いで、わかりやすい印象要素だと思う。


音色や響きの質を決めているのは、ホールの壁の材質なのではないか、と思っている。簡単に言えば、石作りのホールと木造ホールでは、その音色と響きの質では、ずいぶんその印象が違う。

ずばり石作りのホールは、とても硬質な音質、響きで、木造のホールはとても暖かい柔らかい音質、響きの音がする。

石のホールは、ピアノの音でも、ピンと張り詰めたような音で、響きもワンワン響く感じでかなり残響感が豊富。

第1に石の空間は、壁での吸音がなくて反射オンリーなので、エネルギーロスもなく、響きの滞空時間がとても長いのだと思う。この音印象は、石造りの教会での音を聴けば容易に想像できるであろう。

それに対して木のホールは、同じピアノの音色でもエッジが取れた感じの柔らかい音がする。でも響きは同じようにとても豊か。

ヨーロッパでは、木造のホールに音響上の失敗はないと言われていて、その原因が木材が低音域をほとんど反射し、高音域を程よく吸収するため、残響時間に高音、低音でばらつきが少なく平坦になりやすいことにあったりする、と言われている。

つまりリスポジの座席での高域と低域での位相遅れがないということだから、これがピタッと揃っているのは、聴いていて心地よい音響が得られるのであろう。音響のクオリティが高いといえる。

昔からの名ホールと呼ばれる壁質は、漆喰塗りを使っているところが多い。先述のウイーン楽友協会やアムステルダム・コンセルトヘボウなんかそうである。

漆喰はどこかの周波数にピークを持つことがなく、どの周波数帯にも平坦な特性を持ち、可聴帯域外ではブロードで減衰するので、耳で聴いている分には音の細やかさというか粒子の細やかさな感じがして秀逸なのだそうである。

(自分もオーディオルーム作るときは漆喰塗りにしたい!(笑))

最近、自分が石作りのホールでその音響に大感動したのは、松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)であった。

音色の芯が濃くて太く(特にフルートの音色)、がっちり安定して聴こえて、音像もキリッと鮮明。響きが豊富なので、ピアノは混濁寸前。(笑) でも響きが豊富なホールにありがちな「響きに音像が埋没する」という現象はなかった。

音像と響きはきちんと分離して聴こえていた。


とにかくピンと張り詰めた感じの硬質な響きに囲まれている感じで、ヨーロッパの石造りの教会で響きに囲まれている感じの印象だった。


ふつうの一般人が直感的に、「これは音響がいい!」と感じるのは、石造りのホールのほうが感じやすいかもしれない。それだけ聴感上分かりやすいし、鮮明でビビッドな音響で、いい音響だと第1感的に感じやすいのではないか、と思う。  







コンサートホールの音響のしくみと評価 その1 [コンサートホール&オペラハウス]

ここ数年の経験をまとめてみようと思った。そのときそのときの経験は、日記に書いてあるのだが、それをひとつにまとめて俯瞰してみるのも大切なことではないか、と。自分なりの総決算!

もちろん独学、我流で、自分のいままでの経験値にもとづいて考えた内容で、それに専門書で学んだ知識を少し補足して形式を整えたものである。

専門家の方からすると、これが正しいかどうか不明だし、間違い、思い込みも多々あることをご容赦願いたい。

一般市民には敷居の高い建築音響の世界を、数式をいっさい使わずして、わかりやすくイメージを伝えることが自分の狙っているところでもある。

自己満足の世界かもしれないが、いままとめておきたかった!
今日から7日かけて連載する。
                                                         
                                                       
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ホールの音響のしくみは、要は、ステージ上での発音体が発する音が360度無指向に広がっていく音を、ホールの形状、容積、壁の材質、反射板などの仕掛けなどによって、いかに客席にその音の流れを持っていくか、ということころに、設計のポイントがあるのではないか、と思う。

ホールの音響のしくみについては、詳しくは、後日の日記にて。



なにをもって、ここのホールの音響がいいのか、を判断する基準。

①ステージ上の発音のエネルギー感が、しっかりと客席に届くこと。
②ホール内の暗騒音 (S/N比)
③ライブ(響き多め)またはデッド(ドライ)(響き少なめ)。
④直接音と響き(間接音)の対バランス比(量と時間遅れ)
⑤音色と響きの質感(硬質&軟質)
⑥帯域バランス
⑦再生空間のダイナミックレンジ、スケール感


まず思いつくのは、これらの項目だ。


①ステージ上の発音のエネルギー感が、しっかりと客席に届くこと。


一聴衆の立場からするともっとも大事なのは、このポイントだと思う。音響がよくないホールは、大体がステージ周辺で音がこじんまりと鳴っている感じで、それが客席まで飛んでこない。そんな印象を受けるときがこれは最悪だな、と感じるときだ。

最近の最新鋭のホールは、ステージ上の音を客席全体に回す仕組みができているので、このような症状はあまりないのだが、古い時代の設計のホールは、よくこういう症状に遭遇する。

この項目は、まず基本中の基本なので、これが成り立たないとホールの音響理論は語れない。

コンサートホールは、ホール設計者の立場からすると、もちろんホール内を均一の音響で、どこに座っても同じ音響になるように設計することは最初の志でもある。

建築の前段階である模型を作って、音響シュミレーションを何回も繰り返して慎重に慎重を重ねる。

でも出来てから、実際はどうしても、実体験を重ねると、座席によって、スィートスポット&デッドスポットなどの音響のムラというのができてしまうのは仕方ないのかもしれない。

自分が難しいと感じるのは、1階席の平土間の中段から後方にかけての座席。
古いホールだと、大体ステージ上の音が飛んでこない、という経験をすることが多い。

音は空気の疎密波なので音の空気中での伝わり方はすべての波の伝わりと同じ性質のものと考える。発音体から出た音は、一様な空気中であれば、発音体を中心として球面となって広がっていくのが基本。この球面に垂直な方向が、音の伝わる方向とよばれるもの。

そういう意味で、球面上に垂直な方向が音の進行方向なのだから、ステージから上はもちろん横にも伝わるはずなのだが、ホールって大抵ステージを端において縦長だ。


そうするとどうしても音のエネルギーの減衰で、平土間縦方向の後方は苦しいものがあるのだ。

それを補うのが間接音(反射音)であるのだが、シューボックスならまだしも、ワインヤード(今の時代ではヴィンヤードという呼称が正しいようだが、自分はワインヤードという呼び方がシックリきていい。)だと、古いホールだと反射板などの仕組みはステージ上方にはあるけれど、ホール全体に音を同一密度分布で拡散させる仕組みにはなっていないので、厳しいのだと推測する。

よく巷で言われている平土間だとステージ上の音が、頭の上を飛び越えていってしまう感覚とか。。。


自分は、このホールの音響がいいかどうか、のファースト・プライオリティは、この項目を第1優先にあげている。

これが成り立たないと、全く楽しめないし、この後の理論に進めないからである。



②ホール内の暗騒音(S/N比)

これはホール外からの遮音性能にもよるが、古いホールだと外部の騒音がそのまま内部に聴こえたりすることもある。

米カーネギーホールは、外のすぐ近くに地下鉄が数本張り巡らされていて、その電車の走る音が中まで聴こえてくるとか。

最近のホールでは、この遮音性能も重要な建築設計条件なので、ひどいことは滅多にないが、自分がホールに入ったときにまず気にするのは、このポイントでもある。


ホール内に入ったときの暗騒音をまず聴いてみる。

いいホールだと、入った瞬間、S/Nがいいというか、空気が澄んでいる感じがするのだ。デッドである無音とはまた違う意味で、ほどよいクリーンな暗騒音を感じ取れる。

古いホールだと、外部の騒音が内部に聴こえてきたり、空気が淀んでいる感じがする。

あと観客の話し声などや、開演前のステージ上での調音などの音でも、大体ライブなのかデッドなのか、そのホールの素性が、この暗騒音を聴いている時点でわかってしまう。だからこの瞬間のプロセスは、自分にとってはとても大切な本番前の儀式でもある。

あと、このホール内の空気が淀んでいなく、澄んでいるS/Nがいいというファクターは、演奏時の楽器の音が鳴りきったときに、ホール内の空気にすぅ~と消え去っていく余韻の美しさにも影響してくる。

音響のいいホールというのは、この消え去っていく余韻の美しさがじつに素晴らしいのだ。

この項目を書いていると思い出すのが、コンサートホールの響きのパラメータである残響時間。この残響時間が長いと響きが豊富でライブということになる。響きの豊富な音響のいいホールは、大体目安で、2.0秒あたりの残響時間が相場のようである。


残響時間の測定は、ホールの外部からの遮音も考慮されて深夜の真夜中に行われるのだそうだ。

基本は、ホワイトノイズのような試験シグナルをホール内にザーッと一斉に流して、それを切った時に消音するまでの時間を測定するのである。それをホールのいろいろな場所で行うのだ。

残響時間というホールの音響空間の評価方法は、音響空間における短い時間発射された音波が時間経過の中でどのように室内に伝わり、絶息していくかをテーマにしたものなのだが、自分的には、単に持続する時間の長さだけではなく、その消えゆくさま、余韻の美しさもいいホールの基準としたいのだ。

自分の音楽鑑賞において、ここはかなり大切な要素でもある。



③ライブ(響き多め)またはデッド(ドライ)(響き少なめ)。


これはホールの音響の印象では誰もが最初に思いつく項目なのではないか、と思う。
もちろんデッドよりライブなほうが、音響がいい、というイメージはやはりある。
自分ももちろんライブな音響のほうが好きである。

でもデッドであることが必須の場合もあるのだ。
それは演奏家が使うスタジオなど。

これは演奏家が、自分の奏でる音色を正確にモニターすることが1番の目的でもあるので、余計な響きで邪魔されることがご法度だからでもある。だから大抵スタジオはデッドである。

自分の奏でる音色の正確なモニターという目的から、響きのあるホールでの演奏のシチュエーションに移れば、演奏家は、自分の奏でる音の他に、どのようにその響きと付き合うか、というもうひとつの課題に向き合うことになる。

あるホールをホームグランドにしているオケはどのように演奏すれば、そのホールの響きと上手につきあえるか、よく熟知しているが、これがアウエイのホールに遠征になると短いリハーサルの中で、その響きとの上手な付き合い方をマスターしないといけない。

コンサートホールって、そのホール自体で、独特の固有のホールトーン(ホールの音&響き)を持っているからである。




 


ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2017 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ベルギー、ブリュッセルを心から愛する自分からすると、このブリュッセル・フィル初来日という話題は、とてもユニークで興味をそそられた。


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まず、ブリュッセル・フィルってはたしてなにもの?(笑)


クラシック愛好国である日本でも、ほとんど知名度がないオーケストラで、自分もはて?どんなオケなのだろう?という思いがあった。でもいろいろ調べてみると、じつは今年で創立80周年を誇る伝統あるオーケストラで、近年のツアーではウィーン・ムジークフェライン、ベルリン・フィルハーモニー、ロンドンやパリの檜舞台で爆発的成功を収めて再演の依頼が絶え間なく、ヨーロッパで評価が急上昇しているのだそうだ。


なんと自分の自主制作レーベルも持っている。


そしてなによりもあのベルギー、ブリュッセルで開催されるエリザーベト王妃国際コンクールで伴奏をつとめているのが、このブリュッセル・フィルだということ。これはかなりしっかりと芯のあるオーケストラだなと見直すきっかけにもなった。


そしてなにより自分を感動させたのは、満を持して臨む初の日本ツアーで、オーケストラも自己のファンドから数千万円の国際航空運賃の負担を自ら申し出て臨む、という気合十分な対応だったということだ。


日本では、愛知・東京・札幌・金沢・姫路・東広島・観音寺・福岡の8都市を回るのだという。


知名度の低さということもあって、広告費などもあまり十分にないような感じで、今回のツアーもほとんど知られていない感じ。自分も東京公演の直前に知った。ツアーマネジメント体制もひ弱なのかもしれない。


ベルギーのオケということもあって応援がてらぜひ当日券で行ってみようと思った。


久しぶりの東京芸術劇場。

前方のかぶりつき席にした。


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知名度の割には、ほとんど満員御礼であった。うれしい限り。

楽団員は女性団員がかなり多い感じがした。
クラシックの厳粛な風情というより、より砕けた感じでリラックスした雰囲気が漂っている。


まず驚いたのは、その弦楽器をはじめとするオーケストラの発音のエネルギーがすばらしく大きいこと!まさに大音量と言っていいほどで、これには心底圧倒された。がっちりと根太い低音で土台を築かれた和声感のある厚みのある弦のサウンド。非常にうれしくなった。


自分好みのオーケストラサウンドだからだ。


全曲を通してテンポが速かったような気がするが、とにかく大音量で、とても切れ味のある力感、迫力に圧倒された。全体のバランスもいい。


素晴らしいオーケストラじゃないか!


自分の解釈では、確かにアンサンブルの所々に荒さは散見されるけれど、間違いなく一流のオーケストラの力量は秘めていると確信できる。


素晴らしいと感じた。


これだけの力感と大音量であれば、絶対オーディオマニア受けするオケではないか、と思ったほどだ。(笑)

敢えて言えば、金管の音色がややプアだったかな、と気になったくらい。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と、交響曲第3番「英雄」という、まさにドイツ・ロマン派の重厚な音楽の横綱相撲と言っていい。このブリュッセル・フィルのとても力強い分厚いサウンドにぴったりとイメージが合致していた。


皇帝の独奏ソリストであったモナ=飛鳥・オットさん。
実際の素顔は、意外や普通っぽい親しみやすい美人。やや線が細い感じで繊細なタッチという印象ではあったが、奇をてらわない堂々たるスタンダードな演奏解釈で素晴らしかった。


素直に感動できた。


最後に指揮者のステファヌ・ドゥネーヴ。2015年より音楽監督に就任したばかり。元気いっぱいのパワフルな指揮振りで熱い情熱を感じる指揮者だ。とにかく好感をもてるのが、ステージ上での所作がお茶目でユーモアたっぷりで、全くクラシックぽくないところだ。(笑)こういうタイプの指揮者は初めて観る。


すべてにおいて、合格点であったブリュッセル・フィル。
自分の愛するベルギーにこんな素晴らしいオーケストラが存在していたなんて!


なんとうれしいことだろう!


今回の日本縦断ツアーでしっかりその印象を日本国民に刻み込んで欲しい!とくに金沢・姫路・東広島・観音寺は、ふだんクラシックのオーケストラがコンサートに来ることなんて、滅多にないことだと思うので、十分楽しんで、そしてその勇姿を聴衆にがっちりと刻み込んで欲しいと思う。




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サイン会でのモナ=飛鳥・オットさん




ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2017

2017年06月11日 (日)14:00 開演  東京芸術劇場

コネソン:フラメンシュリフト (炎の言葉)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」

(ソリスト・アンコール)
リスト ベネツィアとナポリより、カンツォーネ

(休憩)

ベートーヴェン:交響曲第3番 「英雄」

(オーケストラ・アンコール)
シューベルト ノザムンデより第3番




山田和樹 [クラシック指揮者]

小澤征爾さんの後を継ぐような「世界の~」という冠が付く日本人の指揮者が、今後現れるかどうか。。。たぶん、あと20~30年は無理なんじゃないか、とも言われているし、自分もそう思う。そんな中で山田和樹氏は、将来の明るい展望が待っているそんな小澤さんの後を継ぐ1番手の将来の期待のホープであることは、誰も異存はないだろう。


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自分もとても期待している。

山田氏の音楽は、自分の場合は、PENTATONEでのスイス・ロマンドのSACDをほぼ毎日のように聴いている。

過去からずっと発売されてきた山田和樹&スイス・ロマンドのアルバムは、ほとんど全部収集して、徹底的に聴き込んできている。

どちらかというとPENTATONEの場合の山田氏へのアプローチは、大曲というよりは、小作品集といったコンセプチュアルな企画ものが多く、これがまた聴いていて、疲れないし、ついつい毎日聴いてしまう原因なのかもしれない。

最近発売されたスペインの作曲家ファリャの作品集は、これは本当に素晴らしい出来栄えで、もう毎日聴いている。

そんな万事が順風漫歩な彼なのだが、自分としては、じつはちょっと厳しい見方をしている。

それは、あまりにスマートになんでもできてしまうこと、若いのに頭も抜群に切れる見識者、そして日本のクラシック業界が彼を将来の日本を背負って立つスター指揮者に育てるべく、とても大事に扱って、いろんなビジネスチャンス&経験を与えていること。

確かにこれにとやかくいうつもりは全くないのだが、あまりに過保護というか、なんでも完璧にスマートにできてしまうことに、なんというのか、存在としての渋み、重量感がないというか、自分にとってクルものがない。

まだ若いから、なのだけれど、彼がまさに指揮者としては、60歳~80歳、つまりおそらくは大指揮者として世界中から認識されるような年頃に”巨匠”と呼ばれるような滲み出る渋み、重さのオーラが出るには、やはり若い頃の血の滲み出るような苦労、失敗の失敗を重ねてこないと、そういうものは滲み出てこないものなのだと思う。

小澤さんは、ある意味苦労の塊のような波瀾万丈な人生だった。カラヤン&バーンスタインの弟子になれた幸運もあるけれど、N響事件、日本と決別して海外でやっていく決心、小澤さんは元来、正直そんなに器用な人じゃないと自分は思う。

でも情熱と実力、そして苦労に苦労を重ね、そしてやっぱり運も必要。そういう波瀾万丈の人生を歩んできたから、晩年にその重み、年輪が発酵するような形で巨匠のオーラが出るのだと思う。


自分は、いまの山田氏を見ていると、あまりにスマートすぎて、大切に扱われ過ぎで、メディアも大絶賛、そういう苦労を重ねる上での年輪のようなものを構築するプロセスがないような気がするのだ。

ときには、メディアのバッシングも浴びなくてはならない。育てるにはそうあるべき。

自分な見方なのだけれど、人間、もうちょっと不器用なくらいなほうが、将来歳をとった時、いい味を出すんじゃないかな、と思うのだ。

まっこれは、幼少時から挫折、失敗の連続だった自分の人生なので(笑)、そういう育ち方をしてきた自分からすると、山田氏はあまりにスマートすぎて、このまま順調に歳を重ねても面白味を感じない指揮者になるのではないか、と思ってしまうのだ。

これは劣等人生だった自分のやっかみだと思ってください。(笑)

小澤さんに共鳴できるのは、けっして器用な人ではないし、苦労の年輪が見えるから。

山田氏をはじめて観たのは、小澤さんのピンチヒッターでのサイトウキネン松本。このときはピットだったので、よくわからなかったのであるが、2回目に観たときは、サントリーホールでのスイス・ロマンド&樫本大進ソリストでの公演。

大変素晴らしかったのだが、自分には騒がれている割には、軽い感じがして、指揮者としての存在感が希薄だった。

山田氏に厳しいことを書いてきてしまったが、あくまで劣等人生の自分から見てのやっかみ。才能は抜群!将来の日本を背負って立つ指揮者であることは間違いないので、頑張ってほしいことは間違いない。

苦労してほしい!メディアもただ持ち上げるだけでなく、育てるために厳しく論評することも必要。

そして巨匠と呼ばれる年代には、滲み出る様なオーラを出しまくってほしい!


応援しているからこその愛のムチです!




コ・プロデュースという発想 [録音関連]

今年の東京・春・音楽祭でヤノフスキ&N響による4年間に渡るワーグナー「ニーベルングの指環」の演奏会形式が無事終了した。最後の「神々の黄昏」。いろいろアクシデントはあったが、終わってみれば素晴らしいの一言。マエストロ ヤノフスキとN響の勇士達には、本当に感謝の念を尽くしても足りないくらいである。


もう何回も紹介しているが、自分のワーグナー人生にとって、ヤノフスキという巨匠との出会いは、ある意味運命のようなもので、ここから信じられないような素晴らしいワーグナーの魅力との出会い・ドラマが始まった。その運命のきっかけになったのが、ヤノフスキ&ベルリン放送響がベルリンフィルハーモニーで行ったワーグナーオペラ10大作品の演奏会形式のコンサート。PENTATONEがその10公演をライブ録音で収録して作品化している。


自分は、非常に幸運なことに、このヤノフスキ&ベルリン放送響の演奏会形式のコンサートを、現地ベルリンで実演に2回も接することができた。(ニュルンベルクのマイスタージンガーとタンホイザー)すべては、この出会いから始まったと言っていいと思う。そして去年は、その念願のワーグナーの聖地バイロイトで、バイロイト音楽祭にも行くことができた。


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ワーグナー主要オペラ10作品ライヴ録音全集 
ヤノフスキ&ベルリン放送交響楽団(32SACD+DVD)




前々から気になっていたことなのだが、PENTATONEの録音のクレジットを確認すると、非常に頻繁に見かけるのが、ドイツの公共放送ドイチュラントラジオ・クルトゥーア(Deutschlandradio Kultur 以下DLR)という組織体がクレジットされていることだ。


今回の日記はテーマはこのDLR、そしてコ・プロデュースという概念について。


PENTATONEはレーベル、つまりレコード会社で、ポリヒムニアは録音、ポストプロダクションをつかさどる会社。ポリヒムニアが録音、ポスプロしたものをPENTATONEがSACDとして世に出すわけだが、そのクレジットの中にこのDLRという組織も必ずクレジットされている作品が非常に多いのだ。


またPENTATONEだけではなくて、myrios classicsというこれまた高音質指向型のマイナーレーベルであるクレジットにも、このDLRという組織体を目にすることが多い。


どうも気になって仕方がないので、いろいろググったりして調べてみたら、非常に面白い事実がわかった。


名古屋芸術大学 長江和哉氏が詳しいレポートをおこなっている。

長江氏は、2012年にいわゆる欧州のトーンマイスター制度について習得すべく、その本場ベルリンにて留学をなされていた。トーンマイスターという制度そのものが、当時日本ではあまり馴染みがなく、その実態を学ぶべく、といったところであろうか。それ以来、トーンマイスター関連情報に関して、欧州現地と日本との窓口のような役割を果たされている。このヤノフスキ&ベルリン放送響のワーグナー・チクルスでのポリヒムニアの現地収録にも立ち会われてレポートしている。


その中に、このDLRという組織体、つまりコ・プロデュースという概念について、とても興味深いレポートをされていて、自分は大変参考になったので、紹介してみたい。原典は、サラウンド寺小屋塾というサイトでその記事を知りました。(詳しくは、そちらを覗いてみてください。)


この公共放送のDLRという組織は、ドイツ内のクラシック音楽のさまざまな録音をコ・プロデュース(共同制作)しているのだそうだ。


文字どおりコ・プロデュースというのは共同で原盤を制作するという意味なのだが、このDLRのコ・プロデュースは、作品のラジオ・オンエアを行う目的で、録音技術、録音スタッフ、場合によっては録音場所等を援助しながら制作し、作品のリリース自体は外部レーベルから行うという手法なのだそうである。


つまり自分たちが放送媒体機関、つまりメディアであるが故に、そこでのオンエアをさせるために再生する原盤を作成させる援助をするということ。そして原盤自体は外部レーベルからさせる、ということらしい。DLRのコ・プロデュースの多くは、ベルリン・フィルハーモニー、コンツェルトハウス・ベルリンと、ベルリン・イエスキリスト教会で行われている。


放送メディアでオンエアさせるために原盤作成を援助するという(こういう制度って日本にあるだろうか?)、この独特のDLRのシステム。これはドイツ独特の制度なのだろうか、非常に面白い制度だと思った。同時に自分の長年の謎が解けたような気分だ。


DLRは、2006年からこれまでに、200枚以上の作品をコ・プロデュースしている。


このDLRによるコ・プロデュースの最近での大きな成果が、じつはPENTATONEから出ているこのヤノフスキ&ベルリン放送響のワーグナーSACD全集なのだ。


このコ・プロデュースの背景には、DLRがRSBベルリン放送交響楽団、ベルリン放送合唱団、RIAS室内合唱団を運営するRundfunk Orchester und Chore GmbH (roc berlin)の一番の出資元であることがあげられる。roc berlinは、DLR(40%)、ドイツ政府(35%)、ベルリン市(20%)、ブランデンブルク放送(RBB)(5%)により出資されていて、だから、これらの団体は、ドイツの準公共放送オーケストラであるといえるのだ。


ある意味、NHKというメディア傘下にあるN響と同じ感覚のような感じがする。


収録チームは、DLR側ラジオオンエア用録音スタッフとして、トーンマイスター、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加し、PENTATONEよりプロデューサー、ポリヒムニアより、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加するとても大きなチームであったが、すばらしいチームワークで、このワーグナーの大全集を作り上げたのだ。


PENTATONEは自社設立10周年の2011年に向けて、今までどのレコード会社も行っていなかった10作品のワーグナーの主要オペラの録音を、同一の指揮者、オーケストラ、コーラスで行うことを決めた。


自分が現地ベルリンで2回の実演(マイスタージンガー&タンホイザー)に接したとき、もちろんそんな舞台裏など当時は全く知らなかった訳で、でもそのときは、なんか歌手がいつも同じだよなぁ(笑)ということは気づいてはいた。たとえば、マイスタージンガーのヴァルター役でありながら、タンホイザーでは主役のタンホイザーだったのが、ロバート・ディーン・スミスだったりした。


そういう背景がこういうバックグランドにあったんだなぁ、と思うとなにも知らない怖いもの知らずというか(笑)、自分はじつに貴重な体験をしていたのだ、ということを感じ、驚く次第である。チケット代がすごい高かったのが印象的だった。ベルリンフィル定期よりはるかに高かった。


それにしても、この放送メディア機関によるコ・プロデュースという発想、ドイツならではなのか、とても興味深く、自分の経験にも関連していて、いままでの自分が抱いていた疑問を払拭してくれる上でも大変参考になった。


レーベルが、放送ネットワークと共同出資で原盤を作成し、それをネットワーク媒体でオンエアすることで、そのプロモーションの一助になる。こういう試み、日本でもトライしてもいいのではないか、と直感ではあるが感じた次第である。








いまのレーベルは、録音エンジニアやスタジオは、外注業者が主である。 [録音関連]

いまのメジャーレーベルでは、スタジオや録音エンジニアなど職人に関するところは、要は儲けに直接関係ないということで、すべてコスト削減、スリム化のもとリストラされて外注のようだ。


もちろんいろいろと自分の目に触れることの多い記事や、自分なりに業界を俯瞰してのイメージに過ぎない。すべてのパターンを調べるのは、不可能であるし、一概にそうと決めつけるのは問題があるかもしれない。間違いな思い込みも多々あると思うのでご容赦願いたい。


今回のお題に関しては、自分もおおよそそんな印象を受ける。 確かに金食い虫であるだけで、儲けにはあまり関わらないだろう。


だったら、外注に頼んだほうが安上がりだ。


また外注のほうがより技術的にも専門的なスキルを持った業者が多いことも確かだろう。
レーベル社内で、そういった職人を育てていくだけでも大変なことだ。


そういえば、ポリヒムニアやEmil Berliner Studiosもよく考えれば外注企業だよな。


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(C) Polyhymnia International BV Facebook Page



もちろんすべてのメジャーレーベルがそうだ、という訳でなく、そういうケースが多いということ。
スタジオは昔から併設されているのを、そのまま使って、録音エンジニアなどの収録スタッフを外注で雇うとか、いろいろ形態はあるだろう。


でも、それってレーベルごとに受け継がれてきている伝統サウンドというものが、もう崩れてきて存在しない、ということを意味しているのではないだろうか?


DGであれば、骨格感のある硬派な男らしいサウンド。
1960年代ステレオ草創期を一斉に風靡したDECCAマジック。。。などなど。


そのレーベルごとに、そのサウンド、という特徴があって、それを堪能するのがオーディオマニアの楽しみでもあった。マニアはいつのまにか、レーベル単位で、その録音されているサウンドを想像することができた。でもいまは外注なのだから、それこそコスト重視で、アーティストごとにいろいろ違う外注に切り替えていたりしたら、それこそレーベルごとにサウンドの統一感なんて難しいことになる。


音楽が売れなくなってきているレーベルも、その体力維持だけで精一杯で、そんな職人システムを維持していくだけのパワーがないのはよくわかる。売上、儲けに関係ないんだから。。。


でも、それって本当に寂しいことだと思える。


いま現在、専用スタジオを持っていて、録音エンジニアが、その志を持って、しっかりと働いていける、そしてユーザにその作品を贈れる環境なのは、やはりマイナーレーベルなんだろうか。


彼らは、まさに「ユーザに高音質な作品を届けたい」というポリシーのもとで、会社を設立しているので、目的がはっきりしている。


だから自分の拘りぬいた専用スタジオを持つことはもちろん、優秀なトーンマイスターを極少人数でもいいから拘って雇う。というより、そのレーベルを立ち上げた本人がやっている場合が多い。


そういう点で、彼らはブレていないんだろう。


そういう彼らの作品は、確かにレーベルごとに、きちんと自分の考えに基づいたサウンド造りができている。音楽を制作している側の録音哲学(トーンポリシー)&主張がきちんとサウンドになって現れているのだ。


そういう発想を、膨大な音源を持ち、たくさん契約しているアーティストを抱えるメジャーレーベルの巨大組織に、そのまま当て嵌めるのは無理があるのかもしれない。


レーベル自身が自分の録音哲学を持っていて、それを自分の録音作品に反映する。


レーベルのカラー&ブランドをつくる。


それを実現するには、もっと小回りの利く小さな組織じゃないとダメなのだろうかな。


いずれにせよ、ネット配信が主流になってきて、音楽ビジネスのあり方も変わってこざるを得ない昨今、演奏家、そして録音エンジニアなどの音楽製作側の立ち位置、ありようもいまが過渡期なのかもしれない。


ポリヒムニアだって、PENTATONEやRCO Liveだけでなく、実際喰っていかないといけないんだから、たぶん出稼ぎ録音出張で、いろいろなレーベルの仕事を引き受けているんじゃないかな?


で、それはライナーノーツのクレジットに小さくポソッと名前がクレジットされているだけ。


もっと彼らにスポットを当ててあげたい!


世界中のコンサートホールやオペラハウスを飛び回っている大変な肉体労働者なんだから。(笑)





クラシック音楽の録音哲学「私たちはスコアを録音するのか、ホールを録音するのか?」 [録音関連]

かなり強烈で挑発的なタイトルに、思わず反応してしまった。(笑)
志のある人なら反応しないほうがおかしいだろう。

でもこれはあまりに深く難しすぎて、哲学的とさえ感じるテーマ。
ある意味、プレゼンター泣かせかな。


去年の11月にドイツ・ケルンメッセで開催されたドイツ・トーンマイスター協会主催の「トーンマイスターグッグ(会議)」の講演会のテーマ。

PROSOUNDの4月号と6月号の2回に分けて連載されていて、名古屋芸術大学 長江和哉氏が現地取材レポートしている。

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90分のラウンドテーブルというあまり堅苦しくない討議形式でおこなわれた。

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左からチェアを務めたウルリケ・アンダーソン氏(昔バイエルン放送でトーンマイスターをやっていて、いまAnderson Audio)、ダニエル・シュアーズ氏(Sono Luminus)、そして日本から深田晃氏(clream window)、モートン・リンドバーグ氏(2Lレーベル)という4人。



深田さんは、ゴローさんのパートナーだった人だ。(笑)

CBSソニー、NHKと渡り歩いて、いま自分の会社を立ち上げている。

日本におけるサラウンドの大家で、サラウンドのFukada-Treeのマイクアレンジを自分で考案・発明した人だ。

サラウンドの普及を自分の使命に思っていたゴローさんにとって、おそらくNHK内での技術面の指南役だった人なのでは、と想像する。

あのNHKのハイティンク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のBDソフトも、ゴローさんはプロデュース面から、深田さんは技術面からライナーノーツを寄稿している。

自分は深田さんにお会いしたことがある。はじめてサイトウキネン松本に行ったときに、ゴローさんに松本をグルグル案内してもらい、夜に自分のスタッフたち(全員で6人)を集めて、アジア料理系(?)のお店の夕食会に誘ってくれた。

その中に、深田さんはいた。(笑)

ボクのことをソニーにいた、と紹介してくれたときに、「あっ私もソニーでした!」と声をかけてくれた。

当時は当然まったくわかんなかったのだが、ゴローさんが亡くなって数年後に、じつはそんなスゴイ人だった、ということがわかって(顔写真でピンときた。)、恐れおののき、既述の関係が紐が解けるようにわかった。

散会のときに、「今後ともよろしくお願いします。」とわざわざ挨拶していただき、すごく恐縮したが、今思えばなんとも不思議な縁だ。



ディスカッションの内容を詳しく書くと、著作権というか、ネタバレ、本の営業妨害になってしまうので、詳しく知りたい方は、雑誌買って読んでください。(笑)


やっぱり志ある人にとっては、このテーマはかなり強烈だよな。

当然このテーマに対して、各4人がどのような考えを述べるのか、というのが最大の関心で、1回読んだだけでは、正直これ!と核心をついた、自分を感動させてくれた回答というか、要は白?黒?とはっきりさせて述べてくれた人はいなかったように思う。

やっぱりテーマがあまりに深くて難しいというか、これをジャスピンで核心ついて説明するのは難しいと思うよ。深田さんが述べていたことが唯一自分としては、共鳴できたし理解もできた。

やはりざっくばらんな討議会という形式なので、このテーマに対する回答というには、発散傾向というか、いまひとつまとめにくい、と感じたのか、レポートしていた長江氏も後日メール形式で、あらためて、「私たちはスコアを録音するのか、ホールを録音するのか?」というテーマを各4人に投げかけてその回答をメールでもらうという念の押しようだ。

この最後のメールの部分で、各4人の考え方がようやくクリアにわかって興味深い結末となった。


討論の中で、自分がドキっとさせられたのは、

演奏家はスコアを見て作品の音楽を解釈して演奏する。

それと同じで、音楽録音についても、レコーディング・プロデューサー&エンジニアも、同様にスコアを見て、そのスコアから「作品の音響的な解釈」をする必要がある。

スコアに忠実であるべき。

という下り。

やっぱりスコアを読めないとダメだ。(笑)

譜読み、スコアリーディングってやつですね。
ある意味当たり前のことだよな。

以前日記で書いたと思うが、

トーンマイスターというのはドイツの音楽大学ではじまった制度で、トーンマイスターコースを修了した音楽プロデューサー・ディレクター、バランスエンジニアの総称のこと、きちんとした資格制度の世界なのだ。

さらにその教育は、録音・音響技術のみではなく、音楽の演奏や音楽理論を始め、管弦楽法、総譜演奏、演奏解釈批評など、演 奏家と同等以上のスキルを身につけるというプロセスがあり、音楽家のパートナーとなるスペシャリストを養成することを目的としているのだ。

単なる技術屋さんではダメな世界なのだ。

そんな厳しい現実の世界を思い起こさせてくれた。

この討論会での各人の説明も、こういう楽曲を録音するためには、まずスコアを解釈して、音響面でどのように録ればいいのか、を推測し、マイクセッティングをどのように施せば、さらにそれプラス演奏家のポジション位置の判断、それによってイメージするサウンドでちゃんと録れるのか、その際にホールの音響をどう考慮して。。。のプロセスが入る。そしてミキシングも含め、後処理についてもそう。

そんな自分の録音した作品の事例を、上記のポイントに沿いながら紹介する、という説明が多かったと思う。

だから読んでいて、はっきりとテーマに対して、白?黒?という結論が得られない感じでモヤモヤした感じだった。でも最後のメール形式できちんと形になり各4人の考えがわかりスッキリした。


深田さんの言っていることで、いいな、と思ったところは、

良いレコーディングは、リスナーに音楽の芸術的満足感を与えるはず。

また録音された場所の空間的な印象は、その作品の原点(作曲家の想像の中の響きを含んだ音のあるべき姿)を見渡すことになる。

つまり「音楽録音は、事実の記録ではなく、表現者とリスナーの間で深い意味を作り出すこと。」

演奏されている空間を捉えるだけでは、良い音楽録音の前提条件にはなりえない。

録音と実際の演奏の違いは、視覚的にミュージシャンを見るかどうか。録音には視覚効果がないので、真に音楽だけを聴く必要があり、これが録音の難しさであり、また芸術性でもある。

ステレオ、サラウンド、3D(イマーシブ)と表現能力も高度化していくけれど、サラウンド、3Dは一般ユーザにとってシステムを揃えていくには垣根が高いこともあるし、ある意味ステレオでもこのような表現は可能だ、と言い切っているところかな。


ベルリンフィルのDCH(Digital Concert Hall)でのパナソニックとの協業。

パナはベルリンフィル側から、エンジニアではなく、楽器のできる人を派遣してほしい、と言われたそうな。(笑)

やっぱり。単なる技術屋ではなく、音楽への深い造詣が必要なのは、もうこの世界では、疑う余地もないことなんだということをガッチリ認識させられた。


とにかく読んでみてください。かなり専門的だし、志のある人なら断然面白いと思います。

ちなみにもう1冊のほうは、同じ「トーンマイスターグッグ(会議)」の講演会の取材で、エミール・ベルリナー・スタジオのシュテファン・フロック氏の講演を取材しています。


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シュテファン・フロック氏は、あのエレーヌ・グリモーをデビュー以来ずっと彼女の音を造り続けてきたトーンマイスター。

彼の講演テーマは、「クラシック音楽の録音芸術」について。

DGが出しているカンター・デ・ドミノは、彼の録音だったんだね。

その録音をはじめ、彼の自慢の作品群を取り上げています。






現地至上主義 [雑感]

昨今、いろいろ言われることの多いコストパフォーマンスの高い外来オケのコンサートについて、想うところがあった。

コンサートの楽しみ方なんて、個人の価値観や、考え方、お財布事情もあるので、どれが正しいとは言えない。個人の信念の思うように楽しまれればよいか、と思う。

でもちょっと?と思うのは、チケット代金の高い外来オケを日本で聴くくらいなら、現地のホールで聴いたほうが、結局はるかにいい、と日本の高騰チケット商戦を揶揄する意見。

確かにごもっともな意見で、自分も正しいと思う。「お持ち帰りできない音」ということで、現地のフランチャイズのホールで奏でる彼らのサウンドは、東京では聴けない、と日記にしたこともあった。


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スイス・ロマンド管弦楽団のフランチャイズ・ホールのスイス・ジュネーブのヴィクトリアホール。1960年代のステレオ録音草創期のDECCAマジックと呼ばれた優秀録音の数々はこのホールで生まれた。まさに、他の国のホールでは再現できない「お持ち帰りできない音」であった。




現地指向型、現地至上主義。でもすべてがそれだけじゃないでしょ?という気持ちもある。

1番大きいと昨今感じるのは、コンサートの感想を共有する人が、国内だとたくさんいるということ。もちろん新聞、音楽評論家などのメディアでの論評もそうである。

人それぞれ感性が違うので、他人と感想が違っても仕方がないが、自分と同じポイントで感動した方のツィートや日記を読むとすごくうれしくなる。コンサートの感動が倍増する。

メディア論評についてもしかり。プロなので、あぁぁ~いいこと言ってくれる~っ!という感じで感動することも多い。

コンサート通いや生演奏に浸っていくと、自分が行った公演の、他人の方々のレビューを読むのが、結構楽しみだったりするのだ。同じ公演を、他の人はどう感じたのか?とか。

こういう共有現象は、国内でコンサートが開かれるから、実現するのであって、海外では無理だと思う。

海外現地での公演は、確かにその場では感動するかもしれないけれど、その模様をネットワーク経由SNSで日記や、ツィートとして日本に速報したとしても羨ましがられるかもしれないが、共有現象はなかなか難しいと思う。悪ければ、こちらの熱い想いにも関わらず、受け手側は、意外や、ふ~ん、そうで終わってしまっていたりすることもある。

自分もその感覚があって、海外に行くと、毎回、自分からの一方的な押し付けのようによく感じてしまう。(申し訳ないと思っているのだが、やめられない。(笑))

「生演奏の感動を共有する」というのは、とても大切な要素で、毎回再生しても、いつも同じ演奏レベルに聴こえるオーディオの世界ではありえないこと。自分はオーディオ擁護派だけれど、この点は、やはり、そのとき、その場にいた、その感動、一発勝負!という生ものである「生演奏」に軍配があがる。

外来オケ、アーティストを日本に呼んでいるのは、招聘元、招聘プロモーターさんたちの存在だ。

よく巷では、「呼び屋さん」という呼称で呼ばれることが多いが、自分は、なんか下品というか、失礼な感覚で聞こえるので、あまり好きな呼び方ではない。

ここ数年で、クラシックのオケやアーティストを日本に招待してくれる招聘元の存在が、きちんと自分でも認識できるようになった。大手から怪しげなところまで(笑)。

招待ゲストのギャラ支払い、ホテル宿泊料、およびチケット興行での収入、および広告費の支出、コンサートホールの使用料、その他、コンサート実現までにかかる諸々のプロセス、そしてそんな収支の中から自分たちの利益も出す必要があって、これはこれで、結構大変な仕組みなんだなぁ、と思う今日この頃。

特に、現地に直接自分が会いに行かないと縁のないアーティストも実際いる訳で、そのようなアーティストを日本に呼んでくれたりすると、これは招聘元様様と拝むしかないのである。

去年で言えば、グルベローヴァ招聘(今年も来ます!)と、ユリア・フィッシャーだったかな、そう感じたのは。

今年はディアナ・ダムラウでしょう。(笑)

招聘元のアンテナ感度やアーティスト選択のセンス、というのが滲み出ますね。
大変な仕事だと思います。

そんな思いをして、日本に招聘する訳で、その公演を日本の観客、日本人として鑑賞して、その感動を日本人同士で”共有する”。

それは、海外のホールで、日本人自分だけの感覚より、ずっと連帯感あって心温まるんではないかな、と。最高に感動できる公演に巡り会ったときに、その感動をみんなでシェアして全員一体となって盛り上がり、その余韻に浸れるのは、日本にいるからじゃないのだろうか?

自分の中にも現地至上主義はないと言ったらウソになるけれど、あからさまにそれだけ、じゃあまりに冷血で、淋しすぎる。


外来オケやアーティストが日本で公演をやってくれることのメリットというのも、たくさんあって、そういう点ももっと見直されるべきものなのではないか、と思っていたりしたのだ。






オーケストラの縦の線と横の線 [オーケストラ学問]

聴く側の音楽ファンというより、どちらかというとオケの団員、もしくは指揮者がよく使う言葉で、やはりオケの中にいて演奏&指揮している立場でないと、わかりにくいことだと思うし、そういう立場、環境にいるからこそ、彼らが使うその言葉には、真実味というか重みがあるのだと思う。



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2015年のアラベラ・美歩・シュタインバッハー&NDRの日本ツアーのときに、NDR在籍の日本人女性奏者の方がインタビューで、「うちの楽団は、なかなか縦の線が合わないオケなんですよ。(笑)」という発言が妙に印象に残っていて、ぼんやりとイメージは湧いたものの真の理解ができていなかった。

ふっと、ネットでググってみて、いろいろ解明し、頭がすっきりした。

どうしても解説をそのまま抜粋するところもあるが、ぜひ日記で、みんなに紹介してみたいと思いました。勉強になると思います。 


いろいろ解釈の仕方はあるのだが、ずばり、


縦の線とは ある瞬間の”異なる”楽器同士の音の出るタイミングを合わせること。
スコアを縦に見る。

横の線とはある”一つ(同じ)”の楽器を合わせること。
スコアを横に見ていく。


また、このような表現もある。

縦の線は和声、横の線は”各パート”が受け持つ声部(旋律)。


自分が、調べた分には、この2種類の表現であった。



ご存知のようにオーケストラって、1番最前列から、配置型にもよるが、代表的なものとして、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後方にコントラバスなどの低弦群。そして真ん中にはフルート、オーボエ、ファゴットなどの木管群、そしてその背後にはトランペット、ホルン、チューバなどの金管群、そして最後尾には、ティンパニーなどの打楽器という配置になっている。


楽譜には、各楽器のスコアが書かれていて、これは、ある楽器の奏者で、指揮者もやる演奏家のインタビューを読んだとき、なるほどなぁ、と感心したのだけれど、1楽器奏者だった場合、自分のパートのスコアと、その周辺を理解したうえで、出だしのタイミングとかを理解する程度だったのだが、いざ指揮をする立場になると、全楽器のスコアを理解して、すべての構成・タイミングを頭に入れないといけない、そうやって全体のイメージ、構築をしていかないといけない、ということを仰っていた。


オーケストラで、「縦の線」を合わせる、というのは、異なる楽器同士で、普通は、音の出だしを合わせることについて言うのだが、当然のことながら、出だしだけを合わせればよいというわけではなく、ひとつひとつの拍動、リズム、旋律展開なども合わせていかなければならない。


これが要するに、「横」を合わせることに、つながっていく。

「縦」を合わせるのは一瞬だけれど、それをスコアで言えば、さらに左から右に、時間の流れで言えば過去から未来に向かって平行移動させていけば、おのずと「横」も合うということになる。


要は、「横」を合わせるのは、同じ“仕事(楽器)”をしている楽器群で息を合わせ、一体感を共有するということなのだろう。

合わせる際の規範となるのは、指揮者だったり、コンサートマスターだったり、そのパートのトップだったりする。



「縦の線」はタイミング,「横の線」は音程(旋律)について、もうちょっと補記。


総譜(オーケストラも全ての楽器の楽譜が書かれた楽譜)を見たときに、同じタイミングで別々の楽器が音を出すとき,楽譜上では音符が縦一直線上に並ぶのだそうだ。これを揃えるということは,音の出るタイミングを一緒にするということで,オーケストラとしての長い時間をかけた呼吸合わせが必要になる。

また,楽譜の横の線の上には,同じ高さの音が並んでいる。人によっては「ラ」の音を440ヘルツのピッチ(音程:音高)で弾くし,別の文化圏の人だったら445ヘルツで弾くこともある。オーケストラによって規準音は決まっているので,それに合わせた音程作りをしていくことが楽団には必要。


これがそろっているオーケストラは,指揮者のどんな指示にも対応できる,プロのオーケストラと言える。


もうひとつの表現に、


楽譜を眺めていると、和声のおかげで縦軸があり、メロディーは横軸になる。

というのがある。



和声というのは、クラシックを学ぶ上でとても、大切な学問で、「和声学」は、演奏家の方であれば、音楽大学では必修の科目で、必ず習う学問。

昔ピアノを習っていたこともあるので、和声&和音という概念は感覚的&雰囲気的にわかる。

でも、それをきちんと体系的に理解しようというのは、やっぱり学問の世界で、自分も、しこたま和声学の本は買ったので、じっくり読書して勉強してみたいと思います。(はたして理解できるかな~(笑))


まぁ、和声(和音)というのは、簡単に言うと、ひとつの音に対して、二つ以上の複数の音階の違う音を同時に鳴らす、響かせることで、聴いていて美しい所謂ハーモニーのように聴こえる効果、いわゆる”和声感”という感覚で、この組み合わせる音階の種類、組み合わせ方に、結構音楽の学問的なものがあるんだと思っています。


自分たちはオーディオマニアなので、もうちょっとわかりやすくオーディオの領域で話をすると、自分たちはオーディオオフ会でもコンサートでオケを聴くときでもサウンドの分析は、必ず、低域、中域、高域の3分割でおこなう。聴感上の気持ちよさって、各々の帯域がどのような振幅レベルで、全体のバランスを構築しているか、で結構決まってくる。ピラミッドバランスとかドンシャリとかハイ上がりとか。


自分がコンサートホールでオケを聴く時って、低弦などの低音がズシッとしっかり土台にないオケサウンドはダメなんですね。

オケを聴いているとき、必ず各帯域のバランスがどうかで、聴いているところがある、自分の場合。

ヴァイオリンが奏でる帯域、ヴィオラが奏でる帯域、チェロが奏でる帯域、コントラバスが奏でる帯域、弦楽器だけでも高域から低域にかけて様々に異なる周波数帯域を持つ楽器の合奏なのがオーケストラである。

それにさらに木管、金管、打楽器などのすべての楽器が合奏されるオケのサウンドにとって、自分が、いつも気にしながら聴いているのは、全体を聴いているときの帯域バランスだったりする。

もちろんテンポ、強弱などの演奏解釈も大変重要なんだけど、オーマニの自分にとって、このバランス感覚って、聴いていて快感、興奮・エクスタシーを感じられるかどうか、というのが自分のオケの聴き方のキーファクターだったりするのかなぁ、と最近意識して思ったりしている。


それぞれの周波数帯域の音がどのように重なって、各々がどういう強弱のアクセント(振幅)で、重なり合っているか、というのも、これは、ある意味、”和声”だと思うんですよ。


そういう意味で、自分は低音は和声の根本になる帯域、だと思っています。
和声感を感じるサウンドって、まさにそういう音のことをいうのだと思います。


音楽の世界では、いろいろな音階の音を重ね合わせることで(気持ちよいハーモニーに聴こえるには、その重ね合わせる音程、音階の数にルールがある)、和声を達成するし、オーディオの世界では、それは周波数という概念で考えるだけで、重なり合った気持ちのいい音、つまり”和声感”のある音って、ある意味共通なんだと思いますね。


話は、長くなりました。


そこで、縦の軸というのは、いろいろな異なる楽器による和声なんですね。それに対して、横軸というのは、同じ楽器による旋律を表す、ということが理解できるようになると思います。



以下は、ある音楽家のブログで、縦の線と横の線について書かれていた日記の一部を抜粋させていただきますね。(「大野眞嗣 ロシアピアニズムをつぶやく」というブログより引用。)


結構、音楽家ならではの観点で、すごい勉強になりました。






もともと、J.S.バッハ以前の音楽では、ポリフォニーであっても横軸で音楽が形成され、そこには縦軸である和声はまだ確立されてなく、J.S.バッハの出現によって縦軸である和声が確立されたと聞きました。


作曲家や作品にもよりますが、特にドイツ作品においては縦軸をしっかり認識し意識して演奏しないとならないことを感じます。もちろん、横軸も存在するわけで、例えば、モーツァルトの作品などは確固たる縦軸とともに横軸である線(ライン)にで形成されている音楽であり、ベートーヴェンにおいては主に縦軸である和声によるブロック、固まりで音楽が構築されています。



これがロマン派以降になると、メロディーの美しさが際立ってきますので、横軸の存在が目立ちますし、その横軸を意識することによってロマンティツクな要素が増すように思います。例えばシューベルト、シューマンやブラームスなどは、場所によっては縦軸の存在をはっきりさせつつも、やはり横軸であるメロディーの存在というものも大切であり、縦軸と横軸の混在と申しましょうか、その場所によって意識を変えることが必要に思います。


これが同じ時代のピアノの大作曲家であるショパンの場合ですと、縦軸は存在しますが、横軸であるメロディーをいかに魅力的に歌い上げるか?いかにロマンティックに表現するか?ということが大切な要素であるのは皆さんもお感じになられると思います。



このように縦軸である和声、もしくは縦の線とも言えると思いますが、それを強く意識して演奏するべきか?

横軸であるメロディーを優先させ、縦の線を強調しないことでロマンティツクな表情を強調させるかにより、演奏というものは同じ作品であっても、全く違った顔を持つことになります。



これがチャイコフスキーやラフマニノフという、どちらかというとロマンティツクなイメージ、横軸であるメロディーラインの美しい作曲家の作品において、文字通り横軸を意識し、強調しロマンティクに演奏するということが一般的でありますが、私個人としましては、チャイコフスキーの頭の中にはオーケストラが鳴っていたと思いますし、ラフマニノフにも同じことを感じるのです。



そもそもオーケストラというのは複数の大人数で演奏するわけで、皆が一斉に縦に合わないと音楽が成立しません。ですから、横軸である魅力的なメロディーを歌いあげるのですが、そこには同時に確固とした縦軸の意識が必然であり、ある意味で縦軸と横軸が混在するべきだと思うのです。それが証拠に、ラフマニノフ自身の演奏の録音が残っていますが、その演奏は、自身の作品であっても、ロマンティクなメロディーである横軸に流されることのない、確固たる縦軸の存在を感じることができる、ある意味で古典的な要素を感じるのです。








なんか、以上のことを読んで、理解すると、必然と、普段巷で使われている、オーケストラでの「縦の線」、「横の線」というのがよくわかるような気がしたし、これをオケで聴くときに、プロの評論家ならともかく、アマチュアの一聴衆である自分がどこまで、「縦の線が乱れている」とか、なんてあまり浅薄で迂闊な言動はしないほうが、いいのかな、とも思いました。(笑)



音楽家、演奏家の方が、日頃、心掛けていることに、「和声感、拍感、様式感」というのがあることを以前知ったのですが、感覚的にはわかる雰囲気なのだけれど、これは自分たちオーディオマニアにはない世界で、ぜひ理解してみたいな、と思っていることだったりします。次回のテーマですね。



世界の朝食を食べさせてくれるお店 スイスの朝ごはん [グルメ]

アルプスの美しい自然が魅力のスイス。一方で工業や金融業が発達した世界一収入が高い国なのだそうだ。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの言葉(それにさらに英語がある。)が国内で使われていて、それぞれの地域では隣接する国の影響を受けている。


自分の中では、スイスというと永世中立国で自然の美しい国というイメージ。自分も過去の音楽旅行で、スイスはジュネーヴとルツェルンに行ったことはあるけれど、あくまで音楽旅行の一環という位置づけ。アルプスの山々や澄んだ空気、そしてその麓の草原地帯などの美しい自然は行ったことがない。こういう風景のほうが、いかにもスイス、という感じがする。

近頃、旅行誌などで徐々に注目され始めているのが、スイスのエンガディン地方。
その地を知る人はまだ少ないはずで、ここは「アルプスの少女ハイジ」の舞台で知られるグラウビュンデン州(スイス東部)の一地方で、まさに「ありのままのスイス」を満喫できる地方なんだそうだ。

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この写真を見ると、うわぁ~まさにこれぞスイス!という絶景。(WORLD BREAKFAST ALLDAYのFB公式ページからお借りしています。)

自分の人生に余裕ができたころ(いつのことのなのだろうか?(笑))、音楽旅行はいっさい抜きにして、こういう自然の絶景を求めて世界を廻ってみたいものだ。


そんなスイスの朝ごはんを体験してきた。

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日本のアニメ「アルプスの少女ハイジ」は制作にあたって現地ロケが行われ、スイスの風景や生活習慣が、かなり忠実に描かれている。

アニメの中でハイジやペーターのおばあさんのお土産に持ち帰った白パンはゼンメルというパンで、今回の朝ごはんにはスイスのヒーシュタント社のものを店内で焼き上げている。

それが写真のパン。食感が程よい柔らかさで、味はついていないけれど、とても美味しい。上品なパンという感じがする。


チーズはスイスでポピュラーなグリュエールとエメンタールの2種類。これはまっふつうにチーズですね。普段の食生活でチーズはそんなに頻繁に食べないけれど、今回いただいたものは、ふつうに美味しいスタンダードな味のチーズだと思いました。


写真の黄色の円形の焼き物は、ジャガイモの細切りをパンケーキのように焼いたレシュティというもので、もともとドイツ語圏のスイスの農村で朝ごはんに食べていた料理だったのだが、今ではスイスの国民的な料理なのだそうだ。

これは、ちょっと変わった食感で、味はちょっと塩味?がついていて甘い感じで、いかにもお芋さんを食べている感じのモチモチした食感。刺激的とは言えないけれど、ふつうに美味しいと思いました。

今回最高に美味しいと思ったのは、写真の小鉢に入ったデザートのようなもので、ミューズリーという食べ物。一晩ふやかしたオーツ麦とドライフルーツやナッツなどを混ぜて食べる火を使わないシリアル食品。

これは最高に美味!

ミルクとオレンジジュースで一晩ふやかしたオーツ麦は少し粘りがあってネトネトした感じでじつに不思議な食感。ミルクの味がしっかりしてフルーツやナッツと組み合わせるとものすごく香ばしくてこれがじつに美味しいんだな。

ヨーロッパの食事ってこういうデザート関連のものが、ひと工夫の手間がかかっていて、じつに美味しいと思うものが多い。ミューズリーは今から100年ほど前に牧童が食べていた伝統的な食事をヒントにサナトリウムの患者向けに考案したものなのだそうだ。

これはスイスの朝ごはんの場合は、プレートの上の小鉢というスタイルで提供されるが、じつは、このミューズリー単品でもメニューになっていて、これは、絶対おススメ。

ついつい追加オーダーしてしまいました。(笑)

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単品だと、さらに量も多く、美味しさ倍増です。

私は、今回このミューズリーが最高に気に入りました。


今回はオーダーしなかったけれど、さらに既述したエンガディン地方の郷土菓子「エンディナー・ヌストルテ」や、ケーキ類もあるみたいで、いつもの朝食メニューより豪華な顔ぶれでした。

さすがスイス!爽やかで清廉な雰囲気のする朝食であった。

5~6月の2か月間やっています。





オペラハウスの音響学 [コンサートホール&オペラハウス]

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オペラハウスの音響は、コンサートホールと比べると複雑である。実際オペラハウスでは、オーケストラと歌手がそれぞれ異なった位置に存在するため、その設計はさらに複雑なのである。

レオ・L・ベラネク著の「コンサートホールとオペラハウス(音楽と空間の響きと建築)」。

ベラネク氏のこの書籍、建築音響学問(建物の中での音の伝わり方や音環境を扱うもの)の礎となったパイオニアの時代のバイブルと言っていい書籍で、永田音響設計の永田穂さん監修。 

コンサートホールの音響の考え方って、まずステージにオケなどの発音源がいて、それが音を出すと、ステージから360度無指向に広がっていく。それをホールの形状や反射板などでいかに客席にその音の流れを持っていくか、というところがベースの考え方なのではないか、と思う。

コンサートホールは、その形状スタイルから、音の流れというのはイメージがしやすい。

問題はオペラハウスのほうである。オケはピットの中に閉じ込められた空間にいるし、もうこの時点で、観客席の方に音が流れる訳がないし、そもそもオペラというのは、演出、舞台芸術、衣装、そして歌手たちの声質、声量、そして演技などいろいろな評価パラメータがあってそれの総合芸術で評価、成り立っているもの。

だから音響だけで突出して良いということはありえず、ピットに入っているその時点で、最初からある程度の犠牲は覚悟しないといけないものだ、と思っていた。

いつしか、オペラハウスの音響の評価方法に苦手意識が出来てしまい、海外旅行に行ったとき、いつも日記を書くときに、オペラハウスはものすごい苦心していたのである。
 

この本の著者であるベネラクさんと日高氏は、まず手始めに欧州、米州、日本の23のオペラハウスを対象に、音響の物理量の測定と、主観評価調査(いわゆるアンケート)をおこなっている。このアンケートは、67名の著名なオペラ指揮者に送付され、22名から回答を得た。

その際、5段階の評価で、1(不可)、2(許容可)、3(良)、4(非常に良)、5(最高の中のひとつ)をつけてもらう訳だ。

指揮者には、なにをもってあるオペラハウスの音響が、ほかのオペラハウスに比べてよいとするか?」という質問をおこなったところ、

(1)歌手に対するホールのサポートの有無
(2)歌手が舞台上のどこにいても、その声が等しく伝わること
(3)オーケストラと歌手の良好なバランス
(4)オーケストラと歌声の明瞭性と豊かさ

に要約されるようだ。

気になる順位は、5段階評価で、大きい順(素晴らしいホール)に並べると、

1位 ブエノスアイレス コロン劇場
2位 ドレスデン・ゼンパー劇場
2位 ミラノ・スカラ座
2位 東京 新国立劇場
5位 ナポリ サンカルロ劇場
6位 ミュンヘン、バイエルン歌劇場
7位 パリ・オペラ座ガルニエ
8位 プラハ国立歌劇場
9位 ウィーン国立歌劇場
10位 ニューヨーク・メトロポリタン劇場
11位 ザルツブルク祝祭劇場

もちろんこの本の監修時期の順位なので、相当古い情報ではあるのだが、ドレスデン・ゼンパー劇場の評価が非常に高い、そして我が新国立劇場も評価がすこぶる高い!2位は同じポイントで3ホールが並んでいるのだ。特にピット(指揮者の位置)の響きについては、ナポリサンカルロ劇場とプラハ国立歌劇場、そしてニューヨーク メトロポリタン歌劇場の3ホールが客席部より良い、という評価になっている。

さらに筆者たちは、32の世界中のオペラハウスに対して1997~1998年のシーズン中のオペラ公演について統計分析している。

その結果、イタリアオペラとモーツァルトのオペラが公演数の約3/4を占めていることが判明した。ドイツオペラの公演数は全体の13%である。ワーグナーのオペラファンからすると、意外な結果だと思うが、統計を取った年代ではそうだったのであろう。

この数字は、ドイツ・バイロイト祝祭劇場のようなオペラハウスのニーズは少ないことを示している。

ワーグナーのオペラの場合、少なくとも彼の晩年の作品については、「見えない」オーケストラによる「神秘的」な音の創造が、作曲者の劇的な構想における重要な要素となっていた。この要件によってワーグナーは、沈み込んだ天蓋に覆われたピットを考案したのである。

そのピットとは、その一部が舞台の下に埋められており、残りの部分は天蓋によって、ほぼ全面が覆われているのだ!

そして天蓋にはスリットが入っており、そこからオーケストラの音が絞って放出されるのである。オーディオマニア的な観点からすると、ちょっとあり得ないと思われるかもしれないが(苦笑)、その音楽は、一種独特な不気味な響きとなる。

声とオーケストラのバランスを保持することよりも、むしろ劇的効果を強調することにあった、と言える、と思う。

一方、イタリアオペラとモーツァルトのオペラに関しては、歌手とオーケストラのいずれについても親密感と明瞭性が不可欠。

これを成立させる要求条件から、開いたオーケストラピットと短めの残響時間を持つコンパクトな馬蹄形劇場がオペラの歴史の大部分で主流になったようだ。

●オーケストラピット

ワーグナーのオペラを除けば、オーケストラピットに求められる音響的条件は、音楽がホールへ明瞭かつ一様に放射され、バランスとブレンドが良好であり、音色の歪が生じないことである。

歌手がオーケストラとうまく調和して歌うためには、透明でバランスの取れたオーケストラの音が歌手に聴こえないといけない。これが実現すれば、歌手は自分の声量を適切に調節することができる。

一方、ピット内のオーケストラ奏者は他のパートの音が聴こえる必要があり、また良好なアンサンブルを保つため、演奏者には歌手の声が聴こえる必要がある。さらに視覚的条件として、歌手と演奏者から指揮者が容易に見えることが当然のことなのである。

オーケストラ奏者と歌手にとってお互いの音が聴こえることは、お互いに見えることよりも重要なのである。

それゆえに、過剰に沈み込んだピットや覆いのついたピットよりも、上部の開いたピットのほうが好ましい。

ここまで理解してくると、オペラハウスがなぜあのようなステージとピットというお互いの形状関係にあるのかわかってくるだろう。

観客席に音を伝える、という前提条件の前に、まず歌手とオーケストラのコンビネーションの問題があり、聴覚、視覚的にお互いがコントロールしやすい関係にあるのが、あのようなスタイルだということなのだ、と思う。オペラというのは歌(芝居)と伴奏との協奏であり、歌手が歌うのとオーケストラの伴奏がぴったりとコンビネーションが合うために至った条件がこのようなスタイルの形状ということなのだろう、と自分は理解した。

歌手の声はピットに、そしてオーケストラの音を舞台に返す、ということ。

オーケストラピットは次の3つに分類できる。

①開放型ピット(ウィーン国立歌劇場など)

完全な開放型のピットの第1の問題点は、指揮者と演奏者用の譜面台が光を反射して、上階リング席の聴衆の視覚に支障をきたすことである。また第2の問題点は、80~110名の大型オーケストラを収容するために、ピット開口部の幅は、舞台の端から客席の手摺り壁まで7~9mとしないといけないことである。したがって舞台と客席の間に大きな隔たりが出来てしまう。なお、ピットの深さは、2.5m~3.5mである。

一部の指揮者は、浅いピットを好むが、これは聴衆から指揮者が容易に見えるからである。

一部の歌手は、舞台の直下30cmあたりにコントラバスの胴(の上端)があるときに、オーケストラが最もよく聴こえ、歌声の邪魔にならないと言っている。

②沈み込んだ閉鎖型ピット(バイロイト祝祭劇場)

ワーグナーがバイロイト祝祭劇場のために設計した閉鎖型ピットは、開放型ピットのアンチテーゼと言える。その一部は舞台の下に埋められており、残りの部分は天蓋によってほぼ全面が覆われている。バイロイトのピットでは、非常に大規模なオーケストラが演奏し、客席は比較的長い残響時間(1.55秒)を持つ空間である。

でも自分が思うに、このようなスタイルでは、歌手とオーケストラのコンビネーションは、お互いどのように取るのだろう?と思ってしまう。ワーグナー以外の音楽に対して、バイロイトのピットが優れている、とはとても思えない。

③沈み込んだ開放型ピット

沈み込んだ深いピットでは、通常その床面積は、ピット開口の面積の2倍以上と言われている。でも舞台下に大部分を埋めたピットで、自然な響きを作り出すことは難しいと思う。


●ボックス席

昔、オペラハウスは、人々、特に女性が宝石や衣装を披露するために設計された場所であって、男性はボックス席の奥の席に座るか、バーに身を隠していた、と言われる。ミラノ・スカラ座では、ボックス席の開口は、馬蹄形の側壁部の面積の約43%だけであるため(要は馬蹄形の側壁全面積に対して、ボックス席の穴が開いている開口部分が43%ということ。)客席空間の中央部へ十分な反射音が返り、ボックス席前方とメインフロアとの聴衆に鮮明な響きを与えている。

視覚的な目的で、一部のオペラハウスのボックス席では、舞台と反対方向に位置する側壁に鏡が取り付けられているらしい。馬蹄形の側面、特にプロセニアム(舞台ステージの外枠の額縁状の枠のこと。)周辺のボックス席では、奥の席に座る聴衆はホームテレビを見るようにオペラを楽しんだのであろう。

●バルコニー

オペラハウスでは、コンサートホールに比べて残響時間の重要性は低い。つまり、聴衆の関心は声の明瞭性に重点が置かれるため、バルコニーの被りはそれほど大きな問題ではないと言われている。

●エコー

オペラハウスでは、舞台上の歌手に弱い「エコー」が返ることが望ましい、と考えられているらしい。そのエコーのレベルがとても大事で大きすぎると聴感上とても煩わしくなる。

オペラハウスでは、ソロの歌手は自分の声で「ホールを満たしている」ように聴こえることを特に望んでおり、弦楽器の場合より適度な音の返りを必要とする。

特に舞台前方で歌う場合には、舞台両側の反射面からサポートを得ることはできない。このとき、唯一の反射音は客席部後壁によるものであり、この「エコー」が強すぎなければ有用なのである。

オペラハウスでは客席部後壁あるいはその周辺からの反射音の強さをある程度、調節できるようにするという考え方が多いようだ。

メインフロアの後壁からの反射音が強すぎる場合には、吸音材を貼与するか後壁を傾けたりして「音」の返りを調整するなどの方法が取られていることが多い。たとえばそのオペラに登場する歌手の声に応じて、こうやってエコー調整をする、という考え方はとても興味深い。

歌手にとって、煩わしいエコーとならない範囲で、望ましいフィードバックが得られるためには、どの程度の大きさの音を舞台に返すべきだろう?

東京の新国立劇場のオペラハウス設計過程で、後壁を傾けてバルコニー下面を吸音材処理する方法が取られている。このとき男女1名づつの歌手が舞台上の様々な位置で歌い、客席空間からのフィードバックが彼らにとって望ましい状態を持って吸音材の量を決定した、ということである。その具体的な数値も測定されている。

新国立劇場の大きな特徴に、プロセニアム(舞台ステージの外枠の額縁状の枠のこと。)周辺の部分に、音響反射面が設置されていて、ステージからの音を客席に向けて流しているという工夫がされている。

新国立劇場だけに限らず、オペラハウス全般に言えることであるが、バルコニー前壁と天井面はすべての客席部へ均一に反射音を返すような形状となるように工夫設計されているのである。

やっぱり、コンサートホール、オペラハウスに関わるハコものの音響の基本は、ステージ上の音を如何に客席部に返すか、というところだと強く認識できた。

オペラは総合芸術なので、ステージの視認性、そして歌手とオーケストラとのコンビネーションを考慮して、ステージとピットという関係が生み出され、その相互関係も理解できた。

本には、オペラハウスの物理的な音響データである両耳品質指数(BQI)、初期時間遅れ(ITDG)、テクスチャーなどの紹介もされている。これはまたの機会にご紹介したい、と思う。

いいオペラハウスというのは、両耳品質指数(BQI)が高い値になること、初期時間遅れ(ITDG)が短いこと、そして舞台の音源からの良好な反射音パターン(テクスチャー)が得られること、この3つが柱のようだ。

どうだろうか?

自分はこのオペラハウスの音響学のこの内容を読んだとき、コンサートホールの音響のときのような爽快感というのは正直感じられなかったが、オペラハウスが持つ特有の事情というのが良く理解できたような気がする。

オペラハウスの音響の仕組みがわかった時点で、今後自分にとってもっと重要なのは、オペラハウスの場合、どこの席で聴くのが1番よいのか、ということに関心が移る。

そのオペラハウスによって違うのだろうし......

人の声というのはピアノと同じでとても指向性が強いと理解しているので、座席によって歌手の声の聴こえ方の明瞭度がずいぶん違うと思う。

そしてピットというスタイルでありながら、オーケストラの音が明瞭に聴こえるのはどこなのか?

歌手の声とオケとのバランス良くブレンド感が優れて聴こえるところはどこなのか?

平土間か、バルコニーか、上階席か、自分にとってこちらの問題のほうが大きい気がする。


オペラというのは、舞台での全体の動きが俯瞰できるほうがいいので、正面の上階席がいいということもある。一方で既述だが、歌手の声、人間の声というのは非常に指向性があるので、声ものを聴くには、平土間前方のかぶりつきがいい。さらにはオケは通常の開放型ピットであれば、ピットの中で周りを壁で囲まれているので、音の流れが、観客席真横に行かない。音の流れ的には、どちらかというとまず上空にあがって、そこから横方向に放射、流れていく感じだろうか?


そうすると、これらを全部満たす条件の座席というのは、なかなか難しく、意外や、ステージ真横の上階席のボックス席なんか比較的その条件を多く満たしているのではないか、と思うのだ。


国内外含めて、もっとオペラハウス通いをして、その辺を情報収集して見極めていきたい、と思う。

ドレスデン・ゼンパー歌劇場
(オペラハウスとしてのアンケート評価は2位と高いです!)


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ベルリンフィルのダイレクトカットLPを聴く [オーディオ]

巷で話題のベルリンフィルのダイレクトカットLPを聴いた。なにせ9万円もする大変バブリーなLPで、自分はアナログはやらないし(正確にはやっていても腰掛程度で、アナログマニアではな い。)とても自分では買えない。そこにオーディオ仲間が購入した、ということで、お聴かせいただく幸運に恵まれた。

もう数量限定の限定販売なので、すでに完売。現在は入手することは不可能。

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通常のアナログレコードというのは演奏を収録するときにまず、アナログマスターテープに収録し、それをもとに編集、ミックスダウンというプロセスを経て、アナログレコードに溝としてカッティングしていく。

でもダイレクトカッティングというのは、そういうアナログマスター、編集、ミキシングというプロセスを介さず、演奏の収録からいきなりダイレクトにリアルタイムで、アナログレコードにカッティングしていくことをいう。

ダイレクトカッティングでは、とにかく演奏およびカッティングが一発勝負であるため、失敗は許されないという極度に緊張をともなうのだ。

こういう一発勝負も、ベルリンフィルだからできた、とも言われていて、やり直し含め、2テイクで録ったようだ。聴いてみると最終楽章では観客の拍手が入っているので、まったく空席ホールでのセッション録音ではなく、いわゆる本物のライブ録音ということになる。2テイクということは、別に日にもう一回集客して録ったということか?


2014年9月にベルリンのフィルハーモニーで行われたブラームス交響曲全曲演奏会である。

ひと組のステレオ・マイク(ゼンバイザーMKH800Twin)でのワンポイント録音で、その拾った音(波動)を、直接カッティング・マシーンにつなぎ、ラッカー盤に刻み込むというプロセス。

今日では、ダイレクトカットで録音が行われることはほとんどないそうだ。ベルリンフィルも、最後にこの方式で収録を行ったのは、70年前。

今回そのマスタリングを担当したのが、Emil Berliner Studios(エミール・ベルリナー・スタジオ)で、トーンマイスターがライナー・マイヤール氏。まさにDGの黄金時代の録音をいっきに担ってきた超一流の技術集団だ。

収録で使用されたのは、LPレコード制作の金字塔と呼ばれるノイマンのカッティングレースVMS-80。

重さ400キロのカッティング・マシーンを500メートル先のフィルハーモニーに運び込み、音声スタジオ「第4スタジオ」で収録が行われた。まさに、失敗が許されない1発勝負のベルリンフィルのメンバーのただならぬ緊張感、そして録音チームの強い意気込みが刻み込まれた一大企画であった。 


どんな音がするのか?

試聴に使ったシステムは、SP、そして送出系も上流から下流までハイエンドなシステムなので、ソフトの録音クオリティに忠実なサウンドが出てくるはずだ。

ブラームス交響曲第1番の第1楽章だけで、片面使うこの贅沢なカッティング。

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簡潔にまず結論から言おう!

ダイレクトカットLPの印象は、コンサートで、前方座席のかぶりつき正面で聴いているような、まさに”生演奏を聴いている感覚とまったく同じ”聴こえ方をする、というものだった。

とにかくステージ前方のストリングス(弦楽器群)の音がやたらと大音量で迫力あって、自分に迫ってくるように聴こえてきて、オケの中段から後方にある木管群、金管群、打楽器群が、それなりに遠近感を持って聴こえてくる。つまり近くではなく遠いのだ。

いわゆるホールの前方席で聴いているときに、ステージ上で、前方から奥行きのほうにオケのそれぞれの楽器が並んでいる、その遠近感に従って聴こえてくる感じなのだ。特に木管の聴こえ方がすごく自然で、ステージ中段からすぅ~と前方客席に流れてくるようなあの聴こえ方は、まさに生演奏での客席の聴こえ方とまったく同じ。後方の金管などは、やはりそれなりに遠くて生演奏っぽい。

このとき、聴きながら自分の頭の中をグルグル考えていたのは、やはりワンポイント録音で、編集いっさいなし、というところに起因しているのではないか、と思ったことだ。

普通の録音であるメインマイク&数々のピックアップでの編集、ミキシングでの音だと、ステージ中段から後段にいる木管、金管、打楽器群も遠くに聴こえないように、編集時にピックアップで録った音をミックスしてそれなりに明瞭、鮮明に聴こえるように編集するはずだ。

だからオーディオで聴く普通のオーケストラ録音は、ステージ前方、中段、後方との距離感に関係なく、中段、後方の楽器群も明瞭に聴こえるように、全体のバランスがよく聴こえるように、空間バランスをつくる。だから聴いていて気持ちがいいのだ。

でも、今回のダイレクトカットLPの聴こえ方は、まさにそれとはあきらかに違って、ワンポイント録音で、おそらくそのメインマイクが設置されているであろう指揮者の後方あたりの上空から録っている方向感を感じるのだ。

ある意味、普段のオーディオでのオーケストラ録音の聴こえ方と、かなり違う感じで、どちらかというと生演奏で聴いているような聴こえ方をするのでこれは独特だなぁという感じで、生演奏派でもある自分にとっては、これはこれで、とても自然なオーケストラの音の聴こえ方をする、と思い感心したのである。


編集ナシということはどういうことなのか?

ふつうのオーケストラ録音で、ホールで収録した時の編集前の録りっぱなしの音を聴いたことのある人は、録音エンジニアでもない限り、一般市民ではほとんどいないであろう。もちろん自分も聴いたことがないのだけれど、いろいろ日記やコメントで見かけるのに、録音エンジニアが編集で化粧をする前の音って、すごい埃っぽい感じで聴けたもんじゃない。化粧をして強調するからはじめて人様に聴かせられるような感じになる、的なのをよく見かける。

でも今回は、まさに編集ナシの録りっぱなしの音をカッティングしている訳だから、まさに化粧をしていない音を聴いているのである。自分は埃っぽいとはまったく思わなかったし、まさに生演奏で聴いているようなリアル感、現実感があった。


音はとても鮮度感が抜群で、解像度も高くていい音だと思った。

そしてなにより客席での咳き込みとか暗騒音の生々しさもかなりリアルなことも、その解像度の高さに所以するところだと感じた。

自分が以前に日記で取り上げたIIJ等がやっているDSDライブストリーミングでもそうで、彼らもワンポイント録音で、編集、ミキシングなどいっさいなしで、演奏をそのまま録って、エンコードしてリアルタイムにインターネットに流しているのである。彼らの目的は、ふつうの音源ではなく、あくまで、演奏をしているところをじかにライブで流そうというところにコンセプトがあるので、そういうソリューションに行く着くのだと思う。

今回のダイレクトカットLPもじつは、LPという物理メディアとインターネットストリーミングの違いはあるにせよ、目的、コンセプトは全く同じのことなのだと自分は考えた。生演奏のリアル感、現実感を具現化するのであれば、ワンポイントで編集ナシというのがポイントなのかも。


別にどちらが主流になるとか、優劣があるとかというのは愚論であって、今後もそれぞれのメリットをいかしつつ、それぞれの分野で両立してくのだろう。

今回、ベルリンフィルのダイレクトカットLPを聴いた印象は、まさに”ライブレコーディング”ってやつで、生演奏をそのまま録るので、実際の生演奏で聴いているような聴こえ方をして生演奏派からすると不自然さがいっさいなく、ふつうの収録の仕方の音源とは、ちょっと違ったジャンルのLPだな、というのが正直な感想であった。


また次回もこういう企画ものがあるといいと思うけれど、ブラームスの4曲くらいだから緊張も持続できるのであって、ベートーヴェンの9曲とか無理かもしれませんね。(笑)



今回のLP(日本版)に同封されていた写真。


Emil Berliner StudiosのLPカットマシーン。

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ベルリンンフィルハーモニーでの演奏風景。

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トーンマイスター ライナー・マイヤール氏のサイン入り品質保証書(500プレス中428枚目とある。)

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銀座久兵衛のお座敷 [グルメ]

3月下旬に北海道の友人を東京でおもてなし。

今回は、つぶやきだけで日記にはしない予定だったのだが、高級江戸前鮨 銀座久兵衛を再訪し、その相変わらず高級な佇まい、でありながら決してお高くない居心地のよさに、いたく感銘し、新たな発見もあったので、やはりここだけは日記に残しておこうと思い、筆を執ることにした。

自分自身、久兵衛を訪問するのは、これで3回目。

久兵衛といえば、江戸前鮨では名店中の名店で、1936年銀座に創業し、陶芸家であり食通としても名高い北大路魯山人など文化人、政財界の食通が足繁く通った老舗。

東京だけでもお寿司屋さんは、星の数ほどあるかもしれないが、自分の中では、日本一のお鮨の名店さんと確信している。

銀座本店、銀座新館、ホテルオークラ東京店、京王プラザホテル店、ホテルニューオータニ店 本館、ホテルニューオータニ タワー店、帝国ホテル大阪店と、全国に7店舗展開と、老舗の名店にしては、勢いのいい話だ。

自分は、やっぱり行くなら銀座本店に拘りたい。

ネタの仕込み、下ごしらえふくめ、あまたの時間を要し、まさに芸術品といっていい究極の寿司が久兵衛なのだと思う。

銀座本店のお店の門構えは、とても地味で、思わず気づかずに通り過ぎてしまうくらい。


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最初に訪問したときは、はじめてだったので、この本店のカウンターにて、2貫づついただく、というまさに久兵衛スタイル。

王道を楽しんだ。

問題だったのは、2回目の訪問。このときも幸運にも本店のカウンターをとれて、そこでこともあろうか、久兵衛さんに大皿に一緒盛りという大道芸をやらせるという大胆なことを試みたのであった。(笑)

その目的は、お寿司って一緒盛りのほうが写真を撮ったときに美しい、と思っていて、当時いろいろなお店の一緒盛りの写真を集めていた。

さすがに天下の久兵衛さんに、恐れ多いということで、いま考えると、よくやったなぁ、度胸ある、という感じはある。

あのカウンターで、強面の職人さんたちが立って握っているときのあのピリリとした、すごい気合というか、なんとも言えない怖い空気感は、すごいものがある。今回もお座敷に行く途中、カウンターをちらっと見たら、職人さんにギョロと睨まれてすごい空気が漂っていた。そんな中で、よくそんな無茶な注文したなぁとつくづく。


お寿司というのは2貫づつ、握りたてを食べるのが本筋で、一緒盛りにしてしまうと鮮度がなくなる、と仰る。(海苔なんかベトベトになっちゃう。)

帰り際に、ご主人さんから「2回目はないよ。」と言われる始末。(笑)

そして今回が3回目である。

前回のこともあって、今回は素直にカウンターで、2貫づついただく王道スタイルで行こうと思っていた。ところが、カウンターが予約で満杯で、空いていなく、お座敷なら空いているという。

やっぱり久兵衛は超人気で、休日の土曜は、1ヶ月前から予約を入れないと希望の座席は取れないと仲居さんが言っていた。(日曜日はお休み。)カウンターが人気なのは、職人さんと粋な会話をしながら、久兵衛の鮨を堪能する、というのがひとつのステータスなんだとか。

お座敷・・・。ということは、2貫づつ、出てくる、というのはなさそうだ。

おっそうすると、ひょっとしたら大皿に一緒盛り???(笑)

仲居さんに聞いたら、いや、そういう感じでもないです。。。

う~む、ますます興味がわいてきた。新たなチャレンジ。だったら、この久兵衛でお座敷、というスタイルも経験してみよう、ということになった訳だ。


久兵衛の開店前。じつは早く来たお客さんで、予約をしていたなら、店内に入って、名前を言えば、待合室で待っていられるのだそうだ。そんな待合室の存在も知らず、ずっとお店の前で、1時間くらい友人と立って待っていた。

仲居さんや板さんのご主人たちは、みんな心配していたそうだ。(笑)

ここが、初体験の久兵衛の待合室。

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数々のインテリアの置物のセンスの良さ。とても高級感があって、雰囲気ある、さすがだ。


そして待つこと数分、いよいよ開店。
3階がお座敷になっている。

ここが久兵衛のお座敷。初体験!

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奇をてらうことなく、普通の装いの和室。

今回は、ご昼食ということだが、”おまかせ”を注文した。

いつものピンク色の和服に身を包んだ仲居さんの上品な言葉使い、しなやかな所作など、躾の賜物なんだな、と感心。

同じ座敷に通された人たちも一見するとそんなふつうの一般人っぽく見えるのだが、漏れ聴こえるお話声に耳を立ててみると、「海外のあそこは~だった」とか、まさにブルジョアな老後生活をしているご老人方々のようにお見受けした。久兵衛のようなところに来られるご老人方は、やはり違うのか。


友人といろいろ積もる話をしていたら、さっそく”おまかせ”にぎりが運ばれてきた。


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う~む、一緒盛りではなく、かと言って、2貫づつでもない、お座敷専用ということは、こういうことだったか!結局2回に分けて、盛り付けられる。


美しい!

これは一緒盛りより、ある意味芸術的に美しいのではないだろうか?

これぐらいの数のほうが、和でいうところの空間というか、”間”の美学という感じで、品のある、節操のある盛り付け、という感じがする。(一緒盛りだと、ギチギチ詰まってる感じだよね。)

食べてみると、本当に驚くほどシャリ小さめ。口の中に入れたらあっという間という感じで、鮨自体かなり小ぶり。美味しいことはもちろんだけれど、空腹を満たすという類のものではありませんね。

体育会系のガッツリお寿司とは極致にあるような芸術品と言っていい。

続いて、残りの分もやってきた。
美しいねぇ。美味しゅうございました。

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デザートは、久兵衛自家製の桜餅。自家製ですと!(^^)

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これにて、0.8×福沢。

板さんと会話しながら鮨つまむ、ということに拘らなければ、別にカウンターでなくてもよくて、こういうお座敷でもいいな、と思ったのでした。

なによりもお皿に盛られるお鮨の造型が美しい、芸術品!

3回目になるこの日も本当に満足、満足。

次回、久兵衛に来るときは、どんなシチュエーションで、どんな盛りのスタイルで臨んでいるのだろうか?(笑)

いまから楽しみだ。


PENTATONEの新譜:山田和樹&児玉麻里 スイスロマンドのファリャ作品集 [ディスク・レビュー]

スペインの巨匠ファリャの作品を取り上げるというセンスがいい。スペイン民族音楽のとてもエキゾティックな旋律の数々が素敵すぎる。

クラシック商業主義、いつもベートーヴェンやマーラーじゃつまらない。いい仕事していると思う。マイナーレーベルだからできるチャレンジなのだろう。

ひと通り聴いてみて、普段全く聴かない、そしてあまりに新鮮で卓越した音楽センスに引き込まれ、あっという間にファリャの虜になってしまった。 

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『三角帽子』『スペインの庭の夜』『火祭りの踊り』、他 
山田和樹&スイス・ロマンド管弦楽団、児玉麻里


https://goo.gl/csNW2H


「ファリャを聴かずしてスペイン音楽を語るなかれ」だそうで、マヌエル・デ・ファリャは、スペイン近代音楽を完成させたといわれ、後続の迷えるスペイン人作曲家たちにも大きな指針を与えた重要な作曲家だそうであるから、まさにこの1枚を聴けば、スペイン音楽の本流に到達、そして堪能できるのであろう。

この1枚には、なんとそんなファリャの最高傑作といわれている作品群が、全部集まっているのだからおいしいことこの上ない。いままでのPENTATONEの山田和樹に対するプロデュースの仕方も、このように、あるテーマを設けて、それに纏わる最高作品群を集めるコンセプチャル・アルバムという毛色が多かったので、今回の作品もとても納得できる。

ファリャの最高傑作の呼び声高いバレエ音楽「三角帽子」、そしてピアノと管弦楽のための「スペインの庭と夜」、そしてバレエ音楽「恋の魔術師」の中から単独で演奏されることで有名な「火祭りの踊り」など。

とにかく聴いてみてほしい。あまりに斬新な旋律で格好いい。
スペインの民族主義と印象主義の両方がバランスよく混在している、なんとも形容しがたいエキゾティックな調べの数々なのだ。

これらの作品群を山田和樹とスイスロマンドで演奏し、スイス・ジュネーヴ・ヴィクトリアホールで収録しているのだから、堪らない。

ピアノと管弦楽のための「スペインの庭と夜」では、ピアノに児玉麻里さんも参加している。
まさに夢のような豪華共演。


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(C) Polyhymnia International BV Facebook Page

録音スタッフは、プロデューサー&バランスエンジニアとしてお馴染みエルド・グルード氏。そして録音エンジニア&編集にカーレル・ブルッグマン氏というクレジットがある。ポリヒムニアも若いエンジニア育成の期に差し掛かっているのだろうか?

たぶんAuro-3Dを使っての収録。ダイナミックレンジが広くて、オケが鳴りきるときの沈み込みも深くて、空間感が秀逸。

オーケストラ録音では、音像も大切だが、より広い音場を余すことなく録りきるところに成功のカギがある。ヴィクトリアホールは、ウナギの寝床のような感じで、決して広いホールではないのだが、空間の再現性が素晴らしいのも収録技術&編集の巧みのなせる業なんだろう。

弦の音色も厚くて、濡れたような艶やかな旋律を描いてくれる。

私見であるが、現在のスイスロマンドの弱点は、金管の不安定さかな、という意見を持っていて、現地ヴィクトリアホールで直接聴いたときもそんな印象を持ったし、彼らのPENTATONEの新譜も歴代聴いてきているけれど、その印象を拭えなかった。

でも今回に関しては、そんな綻びも見当たらなく、素晴らしい出来栄えになっている。

素晴らしい。


とにかく今回は、このスペイン民族音楽のゾクゾクするような斬新な旋律にやられた!


 


BISの新譜:魅惑的な歌曲集 [ディスク・レビュー]

昨晩のエリーザベト・クールマンのリサイタルで、リストの歌曲を歌ってくれて、最近発売になったBISの新譜でリスト歌曲集を毎日のようにヘビーローテーションで聴いていることを書いた。それで、遅まきながらこの新譜のことを紹介しようと思った。

またリスト歌曲集以外にも魅惑的な歌曲集がもう1枚、BIS新譜として出ているので、これもまとめて紹介しようと思う。

まずカミラ・ティリングのオペラ・アリア集。 

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オペラ・アリア集~モーツァルト、グルック 
カミラ・ティリング、フィリップ・フォン・シュタインエッカー&ムジカ・セクロルム


https://goo.gl/OU0qnf



カミラ・ティリングは北欧スウェーデンの実力派ソプラノ歌手で、BISレーベルからすでに3枚のアルバムをリリースしている。

サイモン・ラトルがザルツブルク音楽祭でマタイ受難曲をベルリン・フィルと演奏した時、ソプラノ・ソロに招かれて一躍有名になった。

2年前にアンネ=ゾフィー・フォン・オッターといっしょに来日してくれて、デュオで歌曲リサイタルを開いてくれた。もちろん馳せ参じた。素晴らしいコンサートであった。

オーディオで聴くティリングは、ソプラノでも極めて透明で軽い声、いわゆるエンジェル・ヴォイスである。

でもコンサートの実演で聴いた彼女の声質は、どちらかというと声量豊かなダイナミックな感じで、オーディオで聴いていたようなエンジェル・ヴォイスとは少し雰囲気が違う感じがした。オッターとのジョイントで聴くと、どうしてもティリングのほうが、声の表現に少し抑揚や表情がない感じで、1本調子のように感じてしまう。オッターのほうが深みがあるというか、表情が豊かで気品もある、という感想を当時書いていた。

それはキャリアからしてオッターのほうが一日の長があるはずだし、そういう相対的に見るのではなく、絶対的評価に見れば、やはり素晴らしい若手の有望株であることは間違いなく、彼女のアルバムを聴くたびにその将来性の大きさを感じ取れる歌手である。

自分は彼女のファンである。

過去の3枚のアルバムは、どれも秀逸だが、特に歌曲王シューベルトの歌曲集が素晴らしく感銘した。

そんな彼女の今回の新譜は、モーツァルト、グルックのオペラ・アリア集。

オーケストラはドイツの逸材シュタインエッカー率いる南チロルのピリオド・オーケストラ、ムジカ・セクロルム。このオケの情報は、まったく知らなかったのであるが、古楽器を利用する団体でもあるようだ。


モーツァルトらしい明るい調性のオペラ・アリアを中心に編成されていて、誰が聴いても親しみやすい旋律の宝庫、アルバム自体がとても明るいトーンでとても魅力的に仕上がっている。

オペラ・アリア集というコンセプト自体、とても親しみやすいし聴いていて気持ちがいい。
ティリングの声は相変わらず、透明感があって、軽い声質に聴こえる。ややキーが高いようにも思える。

聴いた感じ印象が、清廉で純白な清いイメージを抱く感じの瑞々しさがある。

録音は、まさにBISらしいのひとこと。マイクから程よい距離感がある感じに聴こえて、オケの音など古楽器独特の響きの漂いもあり、全体に軽くて薄味のサウンドに仕上がっている。でもソプラノの声質をメインに主張するには、塩梅のよい主従の関係なのだ、と思う。

お薦めです。



そしてつぎに、昨今自分が嵌りに嵌っているリスト歌曲集。 

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リスト歌曲集 
ティモシー・ファロン、アミエル・ブシャケヴィッチ


https://goo.gl/qrKtz1


このディスクには嵌ってしまった!毎日ヘビーローテーションで聴いていて、頭の中に1日中そのメロディーがループしているのだ。

リストの歌曲ってなんと美しいのだろう!

そして、なによりもテノールのティモシー・ファロンのビロードのように甘くて語り掛けてくるように説得力のある声質!

発声に余裕があって、懐が深いという感じ。

これには完璧に参ってしまった。もうメロメロである。

人の涙腺を緩ませるような惚れ惚れとするような美しい旋律の歌曲の集まりで、そこに、この甘くて切ないファロンの声質と相まって、歌曲大好きの自分にとって最高のプレゼントとなった。

いままで歌曲と言えば、歌曲王のシューベルトをはじめ、シューマン、シュトラウスなどを好んで聴いてきたが、リストの歌曲は、あまり熱心な聴き手ではなかった、というかその存在をよく把握していなかった、というのが正直なところ。情報もあまり持ってない。

Eratoからディアナ・ダムラウがリスト歌曲集を出しているはずだが、持っていたような気がするのだが、死蔵状態になっているかも。

リストの歌曲がこんなに美しいと知って、いろいろ集めてみたい気がしてきた。

ティモシー・ファロンについては、鈴木雅明、リリング、オルソップなど、世界の名だたる指揮者と共演し活躍の幅を拡げていて、マレク・ヤノフスキもその実力を認めている、という情報くらいしかないのだが、これだけエレガントで明るい声の持ち主であれば、将来本当に楽しみなテノールであろう。

自分はどちらかというと、低音より高音歌手のほうが好きで、さらに男性テノールより女性ソプラノのほうが好きなのであるが、テノールで、これだけ自分の興味を引いたのは、あのフォークト以来かもしれない。

録音も意外やBISらしくない。遠くなく、しっかりと実在感のあるサウンドでいて、空間感も両立している素晴らしいサウンドに仕上がっている。

このリスト歌曲を昨日エリーザべト・クールマンのリサイタルで、女声としての表現を聴いて、これまた新しい魅力だなぁ、と感じたのである。





 


東京・春・音楽祭「神々の黄昏」 演奏会形式 [国内クラシックコンサート・レビュー]

4年間、本当にありがとう。マエストロ ヤノフスキ、そしてN響の勇士たち!

心から感謝してやまない。

毎年思うことだが、この舞台になるとN響が、全く別人に見える。普段のN響定期で感じる印象と違って、まさに世界一流のトップオーケストラの風格を感じ、実際彼らが出しているサウンドも、弦の揃った分厚い音、嫋やかな木管の音色、安定した金管の咆哮など王者の風格、そして長大なワーグナーの旋律のうねりを表現してくれ、きっとこの舞台だからこそ生まれる奇跡にいつも驚かされ続けてきた。

東京春祭が4年かけて上演してきた「ニーベルングの指環」最終章「神々の黄昏」、無事終わった。
終演後のマエストロ ヤノフスキのカーテンコールを観ていたら、ずっと4年間観てきた想いが走馬燈のように思い巡り、涙が溢れ出てきた。

このワーグナーシリーズ、もちろん来年も続くが、自分にとってこのヤノフスキ リングがひとつの大きな括りになった、と思う。

この日の上野恩腸公園の桜。

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”花冷え”という言葉が似合う風情で、満開はもうあと1週間後かな、という感じだったが、じゅうぶんに美しく、花見でたくさんの人で賑わっていた。

いよいよ東京・春・音楽祭のN響ワーグナーシリーズ、リング最終章「神々の黄昏」 。
じつに5時間の大舞台だ。

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この日のために、もちろんヤノフスキ&PENTATONE盤でしっかりと毎日予習していたのであるが、ジークフリートのライトモティーフが、ずっと頭の中をループしていた。(笑)頭の中をあのメロディがずっと1日中鳴りっぱなしなのだ。ワーグナーのライトモティーフは、じつに巧妙で、その旋律も心の中に深く浸透するというか、ワーグナーのオペラは本当に強烈だと感じたものだ。


今回の座席も前方かぶりつき。歌手ものは、声の指向性、歌手の歌っている表情を堪能するにもぜったい前方がいい。

なんと、開演前に、マエストロが譜面台の高さの調整に現れた。

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今回は大変なアクシデントがあった。

開演直前に主役の2人、ジークフリートのロバート・ディーン・スミスと、ブリュンヒルデのクリスティアーネ・リボールが突然の体調不良で降板。すでに来日していて、リハーサルも参加して順調そうに見えたのだが、突然の体調不良で音声障害になってしまい、降板となってしまった。

東京春祭スタッフ陣営の大変な狼狽ぶりは想像できる。急遽、ピンチヒッターを立てる。4/1本番の公演に対して、3/29に急きょ来日という慌ただしさ。練習も十分にできないまま、本番に突入したと思われる。

それにしても東京春祭スタッフ陣営の、このピンチヒッターを急遽探し出さないといけない、スケジュールが空いていて、しかもジークフリート、ブリュンヒルデを歌ったことのあるワーグナー歌手ということで、きっと徹夜で世界中をコンタクトし続けて探し回ったに違いない、その緊迫した数日間は十分に想像できる。

公演中止という最悪の事態はどうしても避けないといけない。

体調不良で降板した2人のプロとしての体調管理の甘さもあろうが、これに関しては、彼らを責めるのではなく、じつは自分の責任だと思っている。(意味不明な表現で申し訳ない。)

ピンチヒッターは、ジークフリートにアーノルド・ベズイエン、ブリュンヒルデにレベッカ・ティーム。ベスイエンは、本職ではないにしてもジークフリートを歌ったことはあるし、ティームにおいては、ブリュンヒルデをかなりの回数歌ってきており、得意な役柄のようであった。

そんなハンディの中、公演はスタートした。


公演の全体の印象。

やっぱり歌手陣が例年に比べ小ぶりというか、どうしても見劣りがした。主役の2人がピンチヒッターというのがどうしても厳しい。

でもブリュンヒルデのティームのほうは、かなり健闘していたのではないか、と思う。最初こそエンジンがかかりが遅いように感じたが、徐々にその本領を発揮し、見事にブリュンヒルデという大役を果たし、今回の公演が十分に成立した、感動できるレベルになったのは、ひとえに彼女の奮闘のおかげではないか、と自分は感じている。

声質的には、基本はディリケートな細い印象を受けたが、ワーグナー歌いには必須の軍艦のような圧倒的な声量はしっかり持っている、というアンバランスな声の持ち主だと感じた。

この神々の黄昏では、第3幕に「ブリュンヒルデの自己犠牲」という長いアリアがあって、そこをブリュンヒルデ1人で歌い続けないといけない、ある意味ここが最高潮の山場というところがあって、そこをティームは見事に歌い切った。

感動的でもあった。自分はこの最後の最後で彼女への信頼が確信なものになり、かなり感銘した。

去年の夏のバイロイト音楽祭でも、この「ブリュンヒルデの自己犠牲」のアリアはまさに圧倒的な絶唱で、その後のカーテンコールではブリュンヒルデが圧倒的なブラヴォーを独り占めしていた。終演に近い一番の最高の見せ場なので、ある意味ブリュンヒルデが一番スターになりやすい構成なのだ。

今回のカーテンコールでもティームは、圧倒的なブラヴォーを浴びていた。まさにピンチヒッターの大役を果たしていた。


可哀想だったのが、ジークフリートのベズイエンだったと思う。声質は甘く(ロバート・ディーン・スミスの声に比較的似ていると自分は感じる。)、とても丁寧な歌いまわしでいいと思うのだが、声量というか、発声のエネルギー感がどうも不足しているような感じで、聴衆に響いてこない。もっと感情的に聴衆に訴えかけてくるような大きい波が欲しかった。
終始棒読み的な歌い方で、エモーションを感じなかった。

でも、彼を責めるのは酷だと思う。ジークフリートを歌ったことはあるにしても、やはり経験不足、練習不足。こんな急なシチュエーションを引き受けてくれて、ある意味そつなくこなしたのであるから、ご苦労様とねぎらいたいくらいだ。

そういう意味で、カーテンコールではブラヴォーがなかったのは聴衆は正直とはいえ、自分には本当に可哀想に感じた。

他の歌手で素晴らしいと感じたのを数人挙げてみると、


ハーゲンを演じたアイン・アンガー。恐るべし超低音のバスの迫力を持った声質で、独特の雰囲気があった。この演目の中でも独特なキャラクターで自分にはかなり印象的であった。

そしてアルベリヒを演じたトマス・コニエチュニー。彼も非常に魅力的なバス歌手に感じた。声質がとてもスマートな低音の持ち主で、声帯が広いのか、発声に余裕がある感じで、さらに安定感が抜群なので、かなり素晴らしいバス歌手のように思えた。

エリザベート・クールマンは、ワルキューレのとき、とても圧倒的な歌唱で素晴らしかったのであるが、今回も出番は少なかったが、素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。特に彼女の場合は、歌っているときの表情がとても感情豊かで、まさに演技をしているかのよう。じつに素晴らしいと感じた。


今回残念ながら降板したロバート・ディーン・スミスは、最後はやはり聴いて、観ておきたかった。自分にとって、ヤノフスキ&ベルリン放送響で現地ベルリンフィルハーモニーにて、ワーグナーの演奏会形式を2回実演に接した幸運に恵まれて、そのとき2公演とも主役がロバート・ディーン・スミスだった。自分にとって忘れようにも忘れられないワーグナーのヘルデン・テノールなのだ。


マエストロ ヤノフスキは、もう本当に素晴らしい。最近の若い世代の指揮者にありがちなパフォーマンスありきの派手な指揮振りとはまったく極致にあるような指揮。無駄な贅肉をいっさい排したような筋肉質で、禁欲的でもある、ものごとの真髄を追及したような洗礼された指揮だと思う。

5時間にわたって、この大曲で、N響から素晴らしいサウンドを引き出し、そのお互いのコンビネーションは本当に見事としかいいようがなかった。

ゲストコンサートマスターのライナーキュッヒルも相変わらず素晴らしい。自分の座席からキュッヒルの演奏姿はよく見えるのだが、彼の奏でる音が周りからすごい独立して聴こえてくる感じで、オケをグイグイ引っ張っているのがよくわかるのだ。

まさにこれぞ、ザ・コンサートマスターという感じ。

もう彼のこんな牽引具合を観たのは、6回以上にはなるだろうか?今回のリングと、サントリーでのウィーンフィル来日公演で。

本当にコンサートマスターとはこうあるべき、という見本のような奏者のように感じる。
4/1よりN響のゲストコンサートマスターに就任。日本での活躍が楽しみでもある。

2014年からスタートした東京・春・音楽祭による「ニーンベルグの指環」の演奏会形式。日本の独自企画で、ここまで素晴らしい公演を堪能できるなんて、本当に日本人として誉に感じる、いま想うのはただそれだけ。


東京春祭のワーグナーシリーズは、来年以降ももちろん続くが、いまの自分にはなんか喪失感が大きい。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

 東京・春・音楽祭 N響ワーグナーシリーズ 「ニーンベルグの指環」 神々の黄昏
2017/4/1 15:00~20:00 東京文化会館大ホール

指揮:マレク・ヤノフスキ
ジークフリード:アーノルド・ベズイエン(ロバート・ディーン・スミスの代役)
グンター:マルクス・アイヒェ
ハーゲン:アイン・アンガー
アルベルヒ:トマス・コニエュニー
ブリュンヒルデ:レベッカ・ティーム(クリスティアーネ・リボールの代役)
グートルーネ:レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ:エリーザベト・クールマン
第1のノルン:金子美香
第2のノルン:秋本悠希
第3のノルン:藤谷佳奈枝
ヴォークリンデ:小川里美
ヴェルグンデ:秋本悠希
フロースヒルデ:金子美香

管弦楽:NHK交響楽団
     (ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマスラング、宮松重紀
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
映像:田尾下 哲
字幕:広瀬大介






 


京都大好き [国内音楽鑑賞旅行]

2日目。今回の京都ツアーの真の目的は、15:30からのコンサート。これには絶対遅れる訳にはいかない。よって初日含め、それまでの間に計画していたスポットは制覇しておかないといけない。

初日終わって、スケジュールはいっぱいいっぱいに押していた。
正直結構プレッシャーはあった。

2日目最初のスポットは、宇治の平等院を目指した。
京都からかなり離れている郊外で、京都より奈良線で、結構の時間がかかる。
宇治に着いてから、駅から平等院に行くまでが、これまた結構時間がかかる。
(徒歩で10分くらい。)

宇治はお茶の街。街の景観を楽しみながら、平等院を目指した。

平等院

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圧巻だった。これは美しい。
京都に残る数少ない平安建築の色彩。平等院の中でもこの写真の鳳凰堂は、とても有名。
あの10円玉に刻まれている建築物こそ、この鳳凰堂なのだ。鳳凰堂には、阿弥陀如来像が設置されていて、信仰の場だけが持ちうる厳粛な空気が漂っていた。圧巻の一言。


この後、当初の予定にはなかったのであるが、奈良線で宇治に行くまでの途中に、稲荷という駅があって、ここには伏見稲荷大社があることを知っていて、ここも有名スポットだったので、ぜひ、ということで途中下車した。

駅前が、すぐに伏見稲荷大社の門。

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伏見稲荷大社

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商売繁盛の神を祀る稲荷社の総本宮。境内は、朱色の社殿や鳥居が立ち並び、特に千本鳥居は有名。立ち寄ったきっかけも、この千本鳥居を体験したかったからだった。

自分の今年の祈願も商売繁盛。願ってもみない絶好のチャンス。
ちなみに、この伏見稲荷大社は、外国人観光客の人気観光スポット 3年連続第1位であるほど超人気なんだそうだ。

お目当ての千本鳥居。

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中にいると、目が回る~。(笑)

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奉納すると、このように柱1本1本に名前を刻んでもらえて、このように立ててもらえる。日々増えているそうだが。。。



スケジュールが押していたので、急いで、京都駅に着いてから、市バスで金閣寺方面へ。
目指すは、有名な石庭がある龍安寺へ。

地図を見ると、金閣寺の傍にあるように見えるのだが、実際行ってみると、なんと徒歩20分もかかるところにあった。時間が押していて、焦っているところに、この徒歩20分は相当堪えた。徒歩20分って相当歩きますよ。(笑)歩いても歩いても、辿り着かない。不安で途中で街に人に聞いたりして確認。足がかなり棒になった。

なんと龍安寺の前にはバス停があって、バスで行けばもっと適切なアクセスになったようだ。

ようやく龍安寺。

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そして有名な石庭。

室町中期に細川勝元が創建した龍安寺。砂紋の描かれた白砂に15個の石が置かれただけの石庭。いろいろなことを連想させる底の深い芸術品。あのエリザベス女王も絶賛していた!

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石庭が目標なので、達成したら、即座に退散。(笑)目指すは、逆に戻って金閣寺。このまた戻るときの徒歩20分がキツかったな。たぶん今回の京都ツアーの中で一番ツライと思った瞬間だった。

京都に来たら、やはり金閣寺、銀閣寺はどうしても寄っておきたい。ご挨拶みたいなもの。
この日は快晴で、休日ということもあって、大変な混雑。過去3回訪問の中で一番混んでいた。

もう相変わらず外国人観光客だらけ。あまりの混雑ぶりに外人さん、切れていました。(笑)このやり場のない、どうしようもない状況にストレスいっぱいだったんでしょう。


やはり京都観光の大本命、金閣寺。圧倒的な美しさですね。

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最後ラストは、銀閣寺。市バスで向かう。
バス停を降りたら、まず、これもおなじみ京都銀閣寺ますたにラーメンの総本山である、京都の中華そば「ますたに」北白川本店へ。

まさに京都ラーメンの聖地巡礼ですね。

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もう店内に入るだけで、すごいクセのある臭みの匂いが漂っている。
そう!この匂い。日本橋本店にはない、この臭み。この匂いこそ、ますたにラーメンの真髄。

さっそく本場のますたにラーメンをいただく。メン固め、ネギ多めで、ごはんもつけて、男らしい!

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そして銀閣寺へ。

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何度も申し上げているが、自分的好みからすると、落ち着いた感じの和の様式美というセンスからすると、金閣寺より銀閣寺のほうが風情があるような気がするのだが、いかがであろうか?


これにて、予定していたスポットはめでたく、全部廻ることが出来た。時間ぎりぎりセーフ。
銀閣寺は交通のアクセスがあまりよくないので、このようにタクシーがスタンバイしてくれている。

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京都来た時は、いつも銀閣寺を最後に持っていき、最後はタクシーで、京都コンサートホールへ向かう、という感じなのだ。


これはさか戻って、初日の夜のことだが、京都タワーにある大浴場も体験。(笑)
初日も本当に歩き回って足が棒になった。湯船で筋肉十分ほぐすことができた。なかなか中規模に豪勢でいいお風呂であった。

写真撮影は、ここまで。裸族が写ってしまい、盗撮行為と間違われるので。(男の裸体でも)
でも、京都タワーでお風呂入る人っていないよね。(^^;

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春の桜の京都劇場、これにてお終まい。お馴染みの京都駅構内にある「京都茶寮」というお店で抹茶セット。去年から3回京都を訪問して、大体のところは網羅できた、と思います。なんか、とりあえずの征服感あり。これで、しっかり自分の街になったような気分です。やはり日本のイメージを国内外に表現できる最高の街だと思いますね。

これですっかり京都大好き、京都フリークになりました。
またチャンスがあれば、訪問したいです。


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桜の春の京都のはずが・・・ [国内音楽鑑賞旅行]

夏と秋の紅葉、そして春の桜の京都を体験する、と目論んだのだけれど、そうはうまくいかないんだな。今年は寒いようで、開花宣言が1週間遅れになるそうで、今週末が4月上旬に満開になるそうだ。

去年2回も京都を訪れたけれど、もうひとつ行きそびれたスポットが、何か所かあり、今回行くことで、全部制覇したいという目論見。

もちろん、本来の目的は、広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏会にあった。

今年は、武家政権終焉の大政奉還150周年ということで、元離宮二条城がスポットのようだったので、まず最初にそこを狙った。


今年は大政奉還150周年。

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この季節の二条城は、二条城桜まつりということだったらしのだが、残念ながら桜は咲いていなかった。

元離宮二条城

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門をくぐると、かの有名な二の丸御殿

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さっそく御殿の中へ。やはり京都観光は、圧倒的に外国人観光客に占められますね。80~90%くらいがそうではないでしょうか?さらに中国、韓国のアジア勢が多いこと。話し声で一発でわかる。

二の丸御殿の中は、こんなに薄暗い。床がミシミシと鳴きます。
基本的に城内は、撮影禁止だったようなのだが、まったく気づかず、バシャバシャ撮っていました。(笑)

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そして、ここが大広間。あの15代将軍徳川慶喜が、大政奉還を告げた広間である。

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歴史の教科書で何回観てきたことであろう。
感動したが、思っていたより狭い印象だった。(教科書の絵だと本当に大広間という感じ。)



次に訪れたところが、京都御所。(京都御苑)

二条城と地理的に近いので、ぜひ寄ろうと思った。

首都が東京に遷都する前は、古来からずっと、天皇陛下は、この京都御所に住まわれていたのだ。

これがもう驚くぐらいスゴイ広い敷地なのだ。圧倒されるのと同時に、その中を徒歩で移動するのが相当つらかった。それくらい広い。外は普通の街の喧騒なのだが、敷地内に入るとその趣きというか空気が全然違う。さすがにセキュリティが厳しく、カバン中身チェックをやっていたし、宮内庁の職員スタッフが所々に立っていた。

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まず御殿に入る前がこんな感じで果てしない。(笑)

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これが紫宸殿。

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京都御所において最も格式の高い正殿。即位礼などの重要な儀式がここでおこなわれた。
明治、大正、昭和の三代の天皇の即位礼は、この建物内で行われたそうだ。

その周りは朱肉色のこのような塀で囲まれており、この紫宸殿がものすごく権威のある建物に見える。

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実際天皇が住まわれていた住居として使われていた御殿。

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驚いたのは、この天皇のお住まいの御殿の前に造られていた庭園(御内庭)。あまりの美しさに言葉も出なかった。こんな美しい和の雅を感じる様式美の庭園は観たことがない!

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とにかくとても厳粛な気持ちになった。

つぎに、場所は京都の端のほうにある嵐山まで行くことにした。
地下鉄を乗り継いで、こ~んなレトロな電車(笑)、嵐電線だ。

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私が乗った車両には、偶然にも天井に桜の飾りが!

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なんとも長閑な雰囲気で揺られながら、嵐山駅に到着。

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これはなんだろう???とても日本風で面白い。

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なんとホームの上には足湯があるのだ。和だねぇ。(^^)

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まず目指したところは、渡月橋。

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もうこれはとても有名なところですね。駅を出たら左折して歩いていたらすぐに到着する。

これで、つぎの嵐山の観光名所である竹林の道、竹林の小径を訪れることにした。
今度は駅を出て右折する反対方向にあり、10分位歩くだろうか?

最初、プロの写真で観ると、もうとても幻想的で、感動もんなのだ。
これにつられて、自分はぜひ行ってみたいと思ってしまった。

これがプロの図。

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で、いざ自分が直接行ってみると、確かに感動。写真と違って観光客が多いけれど。でも自分が写真を撮ると、これが全然ダメなんだな。(笑)プロのような幻想的な雰囲気が出せない。もちろん人っ子一人いない現場を作るのだけれど、プロはやっぱりスゴイと思った。

私の撮った図。

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もうこの頃になると足がかなり棒状態。相当疲れていた。京都御所がキツかった。



ついでに、この竹林の小径の隣にある天龍寺の有名な庭園を観ておこうと思った。
天龍寺というのは足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立されたお寺だそうである。

そこに有名な庭園があって、嵐山の雄大な眺めと曹源池が一体になったこのアングル。超有名だそうだ。美しい!

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ここまで来ると、足はもう棒状態で限界。空腹の極致だったので、休憩がてら、京都名物であるとうふと湯葉を使った精進料理をいただくことに。


「嵯峨とうふ福」というお店

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湯豆腐と湯葉のいろいろなメニューがあるのだが、私は嵯峨御膳という主に湯葉をメインにした精進料理を選んだ。

嵯峨御膳

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美しい京料理の代表的な感じですね。

一番左下にあるご飯に醤油の餡がたっぷりかかっていて、それに黄身絡み(?)の豆腐と湯葉が絡んだものが、信じられないくらい美味しかった。




初日はこんな感じ。トータル2日間の滞在であったが、本当によく歩いて移動した。
ひとつの場所でじっくりと時間をかけて、ではなく、なるべく有名なところを短時間でたくさん観て回るという貧乏性な性格なもんで、お恥ずかしい限りです。

もし伴侶がいっしょに居たなら、「あなたといると疲れるわ」と言われそうな旅程であった。(笑)


広上淳一さんが京都市交響楽団を振る。 [国内音楽鑑賞旅行]

京都市交響楽団(京響)の創立60周年を締めくくる第610回定期演奏会が京都コンサートホールで行われた。

25/26日の両日行われ、自分は25日に参加。

マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」という大曲で、合唱を含む総勢411人が壮大な音楽絵巻を繰り広げた。

自分はかねてより、「広上さんが京響を振る」という絵柄をどうしても見ておくことが、自分の音楽人生にとって避けられない運命のように感じて、機会を狙っていたのであるが、創立60周年を締めくくる定期公演のラスト、そして千人の交響曲という滅多に演奏される機会が少ない大曲、という願ってもなかった大舞台で、それを実現することができた。

広上淳一さんは、まさに2017年度で京響常任指揮者としては最長の在任期間である10年目を迎える。 


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広上さんが常任指揮者に就任してからの京都市交響楽団は驚異的な能力の向上を遂げたとして、京都市交響楽団とともに「第46回(2014年度)サントリー音楽賞」を受賞している。

まさに、いまの京響サウンド&演奏スタイルを築き上げてきたのは、広上さんであり、団員からも絶大の信頼を得ているのだ。



自分が拘る理由がもうひとつある。

SNSで交友のある演奏家の方々が、広上さん門下生というか、教えを請うた者が多く、なにかこれも不思議なひとつの縁なのか、と自分で思うところがあった。

広上さんは、1958年生まれ。意外や自分とそんなに歳も離れていない。東京音楽大学出身。
日本デビューは、1985年のN響公演。その後、日本フィルの正指揮者にも就任。

海外オケとの客演では、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団など他多数客演。

2007年には、サイトウ・キネン・フェスティバル松本にも客演している。
群馬交響楽団、札幌交響楽団の友情客演指揮者にも就任。

そんな輝かしい来歴の中でも、やはり京響の占める割合が多く、充実と蜜月の日々を過ごしてきていて、まさに広上さんの分身ともいえるオーケストラなのだろう、と思う。

去年の夏と秋に、京響の演奏は、この京都コンサートホールで堪能できたが、いずれも客演指揮で、やはり「広上さんが振る京響」という図をどうしても観ておかないといけないという想いが強かった。


念願は成就した。願ってもいなかった大舞台のコンサートという形で。


今回の座席は、なんと最前列のスーパーかぶりつき。(笑)

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どうしても、京響&京都コンサートホールの公演でチケットを購入すると、いずれも前方かぶりつきの座席になるのが不思議だ。マラ8の千人の交響曲なので、ステージ後方座席は、合唱団で占有される。


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京響にとって、千人の交響曲を演奏するのは、じつに22年ぶり。

ステージに独唱の声楽家たち(指揮者の前)と約120人編成のオーケストラ、その後方には京都市少年合唱団と、一般公募を含む混声合唱団(後方座席)が陣取った。


この大曲に相応しい壮大なスケール感、合唱のハーモニーの美しさなど圧倒的な公演だった。
特に合唱のハーモニーの美しさは絶品で、音の厚みと和声感のある気持ちよさと言おうか。

いつも思うことなのだが、合唱を聴くとき、どうして人の声ってこんなにドキッとするほど、神聖な感じの美しさで重なり合ってホール内を響き渡るのだろう。楽器の響きにはけっして負けていない、というか根本的に違った魅力の人の声だけが持つ美しさがある。

一般公募も含む、ということだが、かなり高水準の域のように感じた。

広上さんの指揮は、過去2~3回拝聴したことがあるが、こんな間近で観るのは初めて。
汗が飛んできそうな感じだ。(笑)

過去のイメージと変わらず、相変わらずの広上節ともいえる指揮振りだった。
指揮台をピョンピョンと跳ね飛んで、まさに体いっぱい使って表現するエネルギッシュなその指揮法。

指揮者という稼業は、年齢が若い時は、それなりに体全体を使うダイナミックな指揮振りであっても、それが経年とともに、体が言うことを聞かず、年相応の動きの小さな指揮振りに変化せざるを得なくなっていくもの。

あのカラヤンがそうだった。

でも広上さんは御年の割には、まったくそのような心配が要らない、逆を言うと観ている自分たちが心配してしまうほど、躍動的でエネルギッシュそのもの。マラ8という大曲ということもあるが、まさに全身を使って、オーケストラから見事な躍動的なサウンドを引き出していた。

音のうねりやグルーヴ感を捻りだすところなんて見事であった。




今回は独唱の声楽家陣に不運が重なった。


当初予定されていた内外声楽家など、公演間近に続々とキャンセルが相次いだ。
急遽ピンチヒッターが任命された。

以前、堀米ゆず子さんのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のことを日記で触れたが、ヴァイオリン協奏曲でおよそこれだけの難曲を、直前のキャンセルでピンチヒッターで弾かなければいけなかった堀米さんの当時のプレッシャーと、それを見事に演奏しきったことには本当に敬服するばかり。

ゴローさんの日記で、この件と併せて、ピンチヒッターについて、もう2例取り上げられていたことがあったので、紹介しておこう。


35年ぐらい前に、ヴァイオリニストで芸大教授の海野義雄さんが、いわゆるグァダニーニ事件で検挙され ブラームスのヴァイオリン協奏曲をほとんど本番前日にキャンセル。

当時コンサートマスターに就任したばかりの徳永二男さんが、ピンチヒッターに立ち、オーケストラともども火を吹く様に激烈な演奏を展開し、男を上げたことがあった。



さらに、もう15年以上前のことになるが、ゴローさんがN響の番組を担当していたときに同じような状況で ピアノのソリストがキャンセル、 清水和音さんが ブラームスのピアノ協奏曲第2番のピンチヒッターを努めたことがあった。

本番前日のオーケストラとの練習にあらわれた清水さんは、充血した目に牛乳瓶のふたのような眼鏡をかけて 憔悴した受験生のようにすら見えた。 徹夜で練習したのに違いない。そんな姿を 彼が見せたのは初めてで、ゴローさんはとても驚いたそうだ。

なぜなら清水和音さんといえば いつも自信たっぷりで、歯にモノを着せぬ物言いで、その頃、しばしば物議をかもしていたからだそうだ。(真偽は不明ですが?)

結果は 見事だった。これぞ超一流のプロ!という立派な演奏で、ゴローさんの清水和音さんに対する見方が 大きく変わるきっかけとなったそうだ。




この3つのケースを書いてきた曲目が 

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲
ブラームスのピアノ協奏曲第2番

とそれぞれのジャンルでも指折りの名曲・大曲揃いで、そのことが やはり演奏家のチャレンジ根性を引き出すのだろう。

厳しい見方かもしれないが こういう時にこそ演奏家の真価が問われるのかもしれない。



この日の独唱の声楽家たちは、見事にその重責を果たしていたと思う。マラ8という声楽が占める割合の多い曲で、ものの見事に代役の役割を完遂し、これを聴いていた自分は、まさにこのピンチヒッターという日記を思い出して、彼らを讃えるとともに、このことをぜひ日記に書こうと思った次第なのである。





京都市交響楽団 第610回定期演奏会
2017/3/25(土)15:30~ 京都コンサートホール

マーラー交響曲第3番変ホ長調「千人の交響曲」

指揮:広上淳一

髙橋絵理(ソプラノ)
田崎 尚美(ソプラノ)
石橋 栄実(ソプラノ)
清水 華澄(メゾソプラノ)
富岡 明子(メゾソプラノ)

福井 敬(テノール)
小森 輝彦(バリトン)
ジョン・ハオ(バス)

京響コーラス、京都市少年合唱団 ほか

管弦楽:京都市交響楽団


世界の朝食を食べさせてくれるお店 イスラエルの朝ごはん [グルメ]

2か月単位で、特集される朝ごはんのメニューが変わる。

3,4月はイスラエルの朝ごはん。

さっそく行ってきた。レギュラーメニューのイギリス、アメリカ、スコットランド(4月まで)の朝食は制覇したので、あとは、この2か月のインターヴァルで特集されるスペシャルメニューを制覇していくのみ。

いつまで特集できるかわからないが、できる限りチャレンジしてみる。

お店の門構えには、特集されている国の国旗が飾られる。これがイスラエルの国旗。

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客層は、相変わらず若い女性が多い。今日は外国人の方も2人いらっしゃった。

これがイスラエルの朝ごはん。

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東欧やアラブ諸国といった各地の食文化と、ユダヤ教であるユダヤ人本来の食文化とが融合してできたといわれる現在のイスラエルの朝ごはん。

写真に見える主食のパンが、東欧に住んでいた人が持ち帰った全粒粉でできたパン。

それにアラブ諸国の料理をベースにした目玉焼きがのったシャクシュカ。
ひよこ豆のペーストのフムス。
白いチーズにオリーブオイルとスパイスをかけたラパネ。(これはパンにつけて食べるものらしい。)


これがイスラエルの朝ごはんの全布陣。


ワンドリンクは必ず頼まないといけないので、イスラエルのザクロジュースを添えて。

我々日本人の味覚からすると、なかなか微妙な、なんとも言えない初めての味だった。
もちろん美味しいとは思うのだが、彼らとは基本的な食生活、味覚の感覚が違うような・・・。

我々がふだん美味しい、香ばしいと感じるのは、必ず油成分や塩分成分が含まれていると思うのだが、そういうものといっさい無縁のような気がする。


目玉焼きがのったシャクシュカ。

赤いのは、トマト味で味付けられている感じの不思議な食感。
化学調味料なんかいっさい使っていないトマトだけで味付けられている。


ひよこ豆のペーストのフムス。

これまた経験したことのないような不思議な食感。豆をすりつぶしてペースト状にした食べ物で、これも味付けはほとんどない。なんか芋をすりつぶして練り状にしたものを食べている感じ。フシギな食感・・・。


白いチーズにオリーブオイルとスパイスをかけたラパネ。

自分にとって、これが唯一のヒット作で、直感で美味しいと感じたもの。
白いチーズとのことなのだが、なんかヨーグルトみたいな味覚、食感で、それにかかっているオリーブオイルがとてもいい感じ。

デザートの一種なのかな?と思ったが、後でメニューを見ると、パンにつけて食べるんですね。
忘れてました。(笑)


そして、

全粒粉でできたパン。

これもかなり微妙な食感。日本のパンのように豊かではない。(笑)
かなり質素な造りで、パサパサな感じで、正直美味しいとは思わなかった。


とにかく、我々の味覚とあまりに違う、経験したことがないような味で、香ばしい、美味しいというよりは、化学調味料いっさいなしの健康食に近いような味だった。

普段の自分の舌が、いかに化学調味料こってりに染まっていて、それを美味しいと思っているかだね。

イスラエルという国は、どうしても戦争が絶えない危険な国という認識で、自ら旅行で訪れるということも、これからも一生ないと思うので、ある意味貴重な体験であった。

逆を言うと、そんな危険な国の朝食を日本で実現するというのは、随分思い切った、というか勇気のいるチャレンジだな、とも思い感心した次第である。(もちろん安全ルートでしょうが、どうしても先入観が・・・。)

とてもユニークなアプローチでよいと思いました。

このお店は、オーダーから最後の支払いまで、iPadのような携帯端末で全部処理しているのが、なんとなく進んでる印象でよかったです。(笑)






 


ゴローさんの置き土産・・・仲道郁代さんがデビュー30周年記念Blu-ray発売! [クラシック演奏家]

ゴローさんがディレクションして、世に出すチャンスのないままに、眠っていた映像。これを仲道郁代さんが今年でデビュー30周年として、なんらかの形で世に出せないかと、所属レーベルのソニーのプロデューサー古澤氏と検討しつつ、ついにめでたくお披露目となった。 

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「ショパン・ライヴ・アット・サントリーホール」
Chopin LIVE at Suntory Hall /Ikuyo Nakamichi
~サントリーホールに満ち溢れる最愛の作曲家ショパンへの美しいオマージュ~

http://www.sonymusic.co.jp/artist/IkuyoNakamichi/info/478594


https://goo.gl/8UjeN5 (Amazon)


仲道さんのライブの映像としては、じつに10年ぶりとなる。2010年のサントリーホールでのコンサート。ショパンの世界を、スタインウェイとプレイエルと、両方で描いている。

仲道さんは、今年デビュー30周年なのだが、サントリーホールも開館30周年で、そのサントリーでのライブをパッケージ化というのも、なにかしらの縁のように思える。

ゴローさんの遺作。もちろん5.0サラウンドだ。

仲道さん曰く、

「カメラワークの細やかさが素晴らしくて、悟朗さんに対する尊敬と感謝で胸がいっぱいになりました。この映像を世の中に出すことが出来るようになって嬉しいです。」

「悟朗さんのセンスと愛にあふれる映像です。こんな風に記録を残してくださったことに感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。ちなみに、悟朗さんは、NHKのショパンの足跡を辿る旅の番組をつくってくださった方でもあります。もっと長生きしてほしかったです。」



これは絶対買いだ。



ゴローさんが逝って、早4年経つ。


目まぐるしい音楽業界では、その存在を忘れかけられそうな感じなことも否めないが、嬉しいではないか!このように、ちゃんとゴローさんのことを忘れずに、メモリアルとして世に語り掛けてくれること自体が。

ゴローさんって確かにオーディオが趣味であるけれど、やっぱり「映像の人」というイメージがある。クラシックコンサートを撮影するカメラワークには一種の拘りがあった。

EuroArtsなどの欧州のBDソフトのカメラワークなど、演奏の旋律に合せて一瞬で、”ある特定のショット”にパンするのが、すごいあざとくて嫌なんだよね、と言っていた。

自分の美学というのを持っていた。

逆に自分のクラシック友人は、EuroArtsのBDソフトは、刺激的な演出。。。それに対して、NHKのBDソフトは優等生的な演出で退屈と言っていた。

やはり人が受ける印象はそれぞれなんだなぁ、と感じた。

ぜひ仲道さんの10年振りのコンサートライブを、ゴローさんのカメラワークで堪能したいところだ。

今回のソニーミュージックのBDソフトの紹介説明文で、とてもうれしい記述があったので、ここで紹介しておきます。これを読んで、自分はすごく嬉しく感じました。


映像監督は元NHKの名プロデューサーであった小林悟朗氏(2012年逝去)。NHK時代にさまざまな音楽番組の制作を手掛け、中でも小澤征爾から全幅の信頼を寄せられていました。ブルーレイディスクによるクラシック音楽ソフトとしてベストセラーとなった、2008年カラヤン生誕100年記念演奏会での小澤/ベルリン・フィルの「悲愴」も小林氏によるもので、演奏家の魂の躍動を映像化することが出来た稀有のプロデューサーでした。小林氏渾身の映像は、サントリーホールに満ち溢れる仲道の演奏の魅力を余すところなく描き出しています。

仲道郁代さんは、とてもピュアなお方で、聡明で、しかも自宅にGOTOシステムを持つオーディオファン!女性、しかも演奏家、一番オーディオをやらなさそうな人が、じつはコアなオーディオファイルなので、我々もビックリしたところだ。ゴローさんが、惚れこむのもわかるような気がする。

昔、ゴローさんがエム5さんに、「GOTOシステムで鳴らしてるピアニストが居る、しかもそれが女性なんだ。。。」と。そして黙って、ある一枚のBDをエム5邸サラウンドシステムに載せ150インチスクリーンで再生。そこにはスタジオで一心不乱に曲を奏でる仲道郁代さんの姿が。。。

視聴後、「どうだい?日本人でもここまで弾けるピアニストが居るんだよ!」って胸張って、仰ったそうだ。

言葉も無い位にグッときて、いまもエム5さんにとって、忘れられぬ、素晴らしい思い出の一つになっているそうだ。


体験!松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール) [コンサートホール&オペラハウス]

たぶん室内楽ホールとして最高の音響だと思えた。

最近知ったことなのだけれど、人の耳の聴こえ方って、指紋、声紋と同じで、耳の構造、音の捉え方、聴こえ方って、個人、1人1人で全然違う特性・個性なのだそうだ。コンサートホールの音響にしても然りで、その評価基準で、個人差はあると思うので、決めつけたりはしない。

またコンサートホールの優劣や順番つけというのは、音楽界での社会的マナーとして原則やってはいけないものだと最近思っているので、そこも詳らかにはしない。

あくまで自分の鑑賞基準だけれど、この松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)は、室内楽ホールとしては、自分が過去聴いてきた室内楽ホールの中では最高水準のように思えたのだ。

首都圏の室内楽ホールで、自分がお気に入りなのは、上野学園石橋メモリアルホール、東京文化会館小ホール、そして白寿ホールが3本の指に入るホール。

石橋メモリアルホールは、とにかく聴いた第一印象がすごいライブな空間で、なんともいえない残響感が堪らないホールだった。

調べてみると、満席時で、1.5秒~2.0秒の残響時間で、中音域から低音域がやや持ち上がった特性で、豊かさと輝きのある独特の響きの空間が特徴。竣工当時、東京ではもっともライブな空間で、音楽ファンに与えたこのホールの響きのインパクトは、かなり大きかったのだそうだ。

自分がこのホールを最初に聴いた印象は、まさにそんな感じの音響空間だった。

ホールの構造が、側方反射音を意識した設計になっていて、人間の耳というのは左右90度の真横から反射音が入ってきたときが1番音の広がりを感じる構造になっているのだそうだから、この側方反射音が得られるように設計されているという理屈は、その結果として、このライブな空間が得られているという結果、納得いくところであった。

コンクリートなどの石造りのホールで、硬質なサウンドが骨子なので、ひんやりとしたクリスタルなサウンドも堪らなかった。




東京文化会館小ホールは、扇型の形状で、シューボックスが保証する側方反射音はなく、客席への反射音は、舞台正面の折れ壁状の反射板と、ステージ奥から客席後部に傾斜している天井の2ポイントから発生する。つまりステージから縦方向に、直接音と反射音が到来する音像型の音響。

残響時間も1.4秒と少なめ。でも自分は、ここでのピアノリサイタルなどのピアノのクリスタルな音、節度のある響きの中で聴きとれる楽器の細やかなサウンド。最近のホールにない落ちついたシックな空間が、とてもお気に入り。

ここも前川國雄さん設計のコンクリート打ちっぱなしの石造りのホール。硬質なクリスタルなサウンドだ。



白寿ホールは、奇抜な内装空間で、壁と天井を流線型のフォルムで構成されていて、その現代的で斬新なデザインは圧巻。

ここの印象は、とにかく、ステージからの音のエネルギー感がたまらなく大きいというか、要はステージの音が飛んでくるのだ。後方座席に座っていたのだが、まるで、前方座席に座っているのと変わらないくらい、音のエネルギー感が大きい。シューボックス型で、この流線型のフォルムというのが、音が濃い、座席による優劣がない、というところに起因するのかな?とも思える。このファクターは、コンサートを鑑賞する立場からすると堪らない魅力である。




なぜ、松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)を訪問しようと思ったのか?

それは、オーディオライフをやってきて、このホールで数々の名録音が生まれていて、それを聴いてきて育ってきているので、ぜひ訪問したいホールだったのだ。


松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)での優秀録音と言えば、この2枚が挙げられる。 

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工藤重典さんと吉野直子さんのフルートとハープのデュオ

https://goo.gl/T2QTNl


これはじつに美しい録音。聴いていて心の底から癒される1枚である。本当に美しい!ダマーズ、フォーレ、クルムフォルツ、ロッシーニなどの珠玉の名曲を、工藤さんのフルートと吉野さんのハープで奏でていく。

せっかく美しい音響空間のホールなのに、やや近接のオンマイク気味の録音なのだが、録音レベル、音圧も大きく、とてもエネルギー感溢れる録音になっている。おススメの1枚です。 

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バッハ ブランデンブルグ協奏曲(全曲)
サイトウ・キネン・チャンバーズプレイヤーズ

https://goo.gl/KzZ6GM


古楽器で奏でるブランデンブルグ協奏曲の素晴らしさ。これも近接オンマイク気味だが、この古楽器の落ち着いた感じの音色が心地よい。とてもいい録音だと思います。この盤は、自分のこの曲のバイブルになっています。



松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)は、じつは松本市内にある訳ではないのだ。松本に着いたら、さらにローカル線の大糸線で、2駅行ったところの島内駅で下車する。

下車したら、すぐその近くに佇んでいる。

美しい自然の公園の中に、佇んでいる感じで、本当に美景観、絵になるショットだ。


松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)

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エントランス

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メインホール(室内楽ホール)と小ホールの施設がある。
こちらは小ホール入り口

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ホワイエ

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いよいよメインホールに潜入。

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最後尾から前側方を撮ったアングル。

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ステージから最後尾を撮ったアングル。
座席には傾斜がついていて、かなり急勾配。

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ステージから、後側方を撮ったアングル。

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天井

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ステージ(今日は室内楽コンサート)

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パイプオルガン(ベッケラート社(ドイツ)製オルガン設置)

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自分の今回の座席。(前方3列目のかぶりつき。(笑))

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693席の室内楽ホール。
シューボックス型のホールである。
天井が教会のように、三角形の形である。天井の高さはかなり高い。

全体にコンクリートの石造りのホールである。

とにかくすごいライブな空間。残響時間は、2.2秒。(満席時で、2.0秒)石造りのホール独特の硬質でクリスタルなサウンドで、あまりに響きが豊富なので、真っ先に思い浮かんだのは、ヨーロッパの教会の中で演奏を聴いている感じで、自分の周りが響きで囲まれているかのような錯覚に陥る、あのイメージだった。

やっぱりシューボックスなので、ステージからの音が四方面で反射を繰り返し、音が濃くて、響きに囲まれている感じになるのだろう。音の広がりを感じさせる要因の側方反射音も、この構造なら、簡単に実現できる。

前方かぶりつきにも関わらず、ホールの響きがこれだけ豊富に聴こえたら本物。

あと天井が高いので、ホールの容積も室内楽ホールにしては大きいほうの部類に入り、広い空間で音が伝搬するときに感じるような”スケール感”みたいなものが快感だった。

音色の芯が濃くて太く(特にフルートの音色)、がっちり安定して聴こえて、音像もキリッと鮮明。響きが豊富なので、ピアノは混濁寸前。(笑)

でも響きが豊富なホールにありがちな「響きに音像が埋没する」という現象はなかったと思う。音像と響きはきちんと分離して聴こえていた。

もう言うことなし、という感じで、これだけのサウンド・パフィーマンスであれば、どんな方が聴いても、音がいい!とわかるんじゃないかなぁ。(^^)

とにかく脅威の音響だった。そしてなによりも自分好み。

この音響を聴いたとき、1番先にイメージに湧いたのが、石橋メモリアルホールの音響イメージに近いな、と思ったこと。すごいライブな空間といい、なんか自分の耳に聴こえてくるイメージが、石橋メモリアルホールの雰囲気とすごい近いと感じたのだ。

いやぁ、何回も通いたいなぁと思ったが、松本は遠すぎ。(笑)

さて、今回は、ここで室内楽コンサートを堪能した。

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佐藤俊介&小菅優&L.コッポラ トリオ
20世紀の作品群 ヴァイオリン、ピアノ、クラリネット三重奏


ミヨー、ラヴェル、ベルク、ハチャトリアン、ストラヴィンスキーの三重奏を、素晴らしい音響下のもと、思う存分楽しんだ。途中、佐藤俊介さんのMCでのレクチャー入りで、見識深い背景なども拝聴しながらのコンサートだった。

自分は、音響がいいと、本当にうっとりする感じで、演奏も文句なく満点を与えてしまうような傾向にあるのだが(笑)、でもそういう環境抜きにしても、お世辞ではなく、質の高い演奏だったと思う。

前方かぶりつきで聴く室内楽は、フレージングや演奏者の息遣い、お互いのあ・うんの連携感がリアルにわかる妙があって、これがたまらなく生々しかった。



小菅優ちゃんは久しぶり。

ずっと応援してきている演奏家で、しばらくご無沙汰だったのだが、まったく外見、演奏も変わらないイメージで安堵した。昔、小澤さん&水戸室とのメンデルスゾーンのピアノ協奏曲のBlu-rayを、もう擦り切れるほどよく繰り返して観ていたものだった。

これからも機会があれば、演奏会に足を運びたい。

早朝5時に家を出て、帰京したのが23時という強硬日帰り日程だったが、終わってみれば素晴らしい室内楽ホールとの出会い、そして室内楽コンサートを楽しめたこと、まったく疲労はなかった。


ぜひチャンスがあれば、またこのホール、体験してみたいものだ。


世界の朝食を食べさせてくれるお店  中国の朝ごはん [グルメ]

2か月単位で期間限定メニューで世界の朝食を紹介していく仕組み。もちろん先述のレギュラー・メニューでサーブされる3食の世界の朝食も健在だ。

1,2月の期間限定のスペシャル編は、中国の朝ごはん。

これが中国の朝ごはん。

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見ての通り、中華粥がメインでど~んっと!中華まんの姿も見える。あっでも肉まん、あんまんではありません。(笑)

そしてパンみたいな棒状のものがあるのだが、最初固いと思っていたら、スゴイ柔らかくて脂状に香ばしくてメチャウマー!

そして、付け合わせがついている。これがワンプレートになって、中国の朝ごはん。

それぞれ詳しく説明していこう。


中国の朝ごはんは、温かい消化によいものを食べるというのが特徴。特に上海ではお粥が好んで食べられるんだそう。中でも人気なのがピータンと脂身の少ない豚肉のお粥。

このお粥には別皿で、シャンツァイ(パクチー)、ザーサイ、豆腐乳のお粥用のトッピング付きなのだ。お粥を食べるとき、これらをお粥にかけて豪快に食べる。

ものすごく美味しいけど、同時に健康的な感じ。お粥は無味ではなくて軽い塩味がついていたような???でも基本はトッピングをたくさんかけて掻っ込むという感じ。スゴク美味しいです。

肉まん、あんまんみたいな中華まんですが、これはそうじゃなくて(笑)、中には椎茸や青葉などの餡が入っていて「菜包(ツァイパオ)」といった点心類。

どちらかというと、やや無味無臭に近い感じだけど、ほんのり薄味がついている感じかな?

そして見かけ上、冷たい固いパンに見えた棒状のもの。これは、小麦粉を棒状に揚げた「油条(ユーティアオ)」というもの。これはすごく温かくて揚げたてという感じで、小麦粉なので、食感もモチモチで、これまたメチャウマーです。

自分の好みでは、これが最高にうまかったかな~(^^)

これが中国の朝ごはんの定番だそうだ。

そして上海で人気の小菜(簡単な料理)である高菜と菊と枝豆を和えた、付け合わせがある。

これらがワンプレートになっている。


美味しいけど、意外と中国の朝ごはんは小食なんですね。(笑)

でも大変美味しゅうございました、です。

次回の3,4月の期間限定メニューは、イスラエルの朝ごはんになります。


世界の朝食を食べさせてくれるお店 レギュラーメニューの朝ごはん [グルメ]

じつは、3回目になる北海道の友人を「東京へおもてなし」をする計画を立てている最中で、そのときにネットをググっていたら、偶然見つけたお店であった。

WORLD BREAKFAST ALLDAY
http://www.world-breakfast-allday.com/

「朝ごはんを通して世界を知る」をコンセプトに、世界中の朝食を食べさせてくれるお店なのだ。

伝統的な朝ごはんは世界的に消えつつあるが、そんな朝食を、ここ日本で堪能できて、世界中を旅した気分になれる!

これは、すごい素敵なコンセプトだと思った。
いままで全く知らなかった。

過去のメニューのアーカイブを覗いてみる。

http://www.world-breakfast-allday.com/archives

この世界の朝食の写真の一連を見て、これは素敵!だと思った。
こんな料理は、ちょっとそこらでは絶対体験できない。

自分は、この写真でいっぺんにやられた。(笑)

これはぜひ体験してみたい!

自分の取材心に火をつけ、一連の世界中の朝食を全部制覇して日記にしようと即座に決心したのである。

メニューを覗いてみる。

http://www.world-breakfast-allday.com/menu


大きな柱として、レギュラー編とスペシャル編の2部構成に分けられる。

レギュラー編というのは、いつ行っても食べられるレギュラーでサーブされる朝食。

イギリスの朝ごはん
アメリカの朝ごはん
スコットランドの朝ごはん(ポーリッジ)


そしてスペシャル編というのが、2か月単位で、メニュー変更していく期間限定の特別メニューだ。

1,2月は中国の朝ごはん。
3,4月はイスラエルの朝ごはん

という予定なのだ。

写真は、FBからお借りしているイスラエルの朝ごはん

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7:30 am~20:00 pm までやっていて、年中無休のようだ。(もちろん夜だから夕ごはんを出すのではなく、1日中朝ごはんを提供するというものです。)

残念ながらサイトにアクセスマップがないのだ。

住所は、東京都渋谷区神宮前 3-1-23-1F

となっている。

電話でお店の方に最寄り駅を聞いて、現場に着いてから再度電話上でナビゲートしてもらったら、辿り着くことができた。

なんか知る人ぞ知る隠れ家の名店みたいだ。(笑)

ここで私が写真付きでナビゲートしておこう。

メトロはいろいろなところからアクセスできるのだが、私は銀座線の外苑前駅で下車して3番出口を地上に上がっていく方法を選んだ。(お店の方によると、このアクセスが1番簡単なんだそうだ。)

そういうとこういう風景に出くわす。

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目の前の信号&横断歩道を渡り、BMWのビル(そしてマクドナルドの赤い看板)の前をひたすらまっすぐ歩く。

そうすると最初に交差点&信号にぶつかるので、そこを右折する。
右折して、まっすぐ歩道を歩く。(車道は左側になる)

そして、3分位歩くと、車道を挟んで向かい側に、香港屋台のG-1というお店が見つかる。
そのすぐ左隣が、目的地のWORLD BREAKFAST ALLDAYなのだ。

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WORLD BREAKFAST ALLDAY

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なんかとてもマニアックな雰囲気があってグー。1,2月の期間限定は、中国の朝ごはんなので、入り口のところに中国の国旗が飾っている。


店内(キッチンの方向へ)

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店内(入り口の方向へ)

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テーブル

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とても狭いお店で、長方形のテーブルがど~んと縦長に置いてあって、みんなで相席。

ここで、レギュラー編の3品を紹介していこう。
(あっ念のため、一遍に食べたのではありません。(^^;; 取材のため、数回にわたって通いました。)

客層は、圧倒的に若い女性ばっかり。ときより海外の方が1人で立ち寄るみたいな感じが数人。
やっぱり女性と外国人の方が圧倒的ですね。

休日の朝の時間帯に行くと、超満員。この長テーブルに若い女の子でぎゅうぎゅうでいっぱいになる。オジサンにはツラいものがあったかも・・・(笑)

自分は平日にも行ったので、時間を外すと空いていた。外国人の方がぽつりぽつりという感じ。

お店のスタッフの方は、みんな若い女性。日本人が大半だが、片言の日本語の女性の方もいらっしゃいました。(でも日本語上手!)

店内には音楽系のラジオがかかっていて、海外(英語)のラジオが音楽とともに流れているのだが、これがおそるべく音がいいのだ。(笑)店内のSPを捜したのだけれど、音の出どころがわからない感じで、店内を広がって聴こえるんだな。

驚いた。

壁はベージュで土塗りの感じ。壁をコンコンと叩いてみると、中が空洞になっているということもなく、びっちり埋められている感じで、壁反射&空洞による2次共振という弊害もなさそうで、音がいいのもそのためか、とも思ったり。

スンマセン、また職業病が・・・。


レギュラー編の3食は、大体1500円くらいのお値段。
ここで食事をするなら、必ずワンドリンクは頼まないといけないルール。

まず

アメリカの朝ごはん

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パンケーキですね。(ホイップバターがのっている。)それにカリカリに焼いたベーコン、エッグ、マッシュルームという典型的なアメリカン・ブレックファースト。

まっ普段食べている、海外ホテルのコンチネンタル・ブレックファーストのちょっと廉価版という感じでしょうか?

そして、

イギリスの朝ごはん

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産業革命の頃から食べられているイギリスの定番朝ごはん「フルブレックファースト」というもの。フライドブレッド(乾燥したトーストパン)、ベイグドビーンズ、卵、マッシュルームとトマトのソテー、ハッシュブラウン、そしてソーセージ。

これは、自分はウマいと思った。アメリカの朝ごはんより、ずっとこちらのほうが美味しい。ソーセージと卵、ベイグドビーンズが絶妙の掛け合いで超ウマい!

よくイギリスはメシがマズい、とみんなから言われるけれど、なになに、決して捨てたもんじゃないよ!という感じである。

イギリス・ロンドンに住んでいた自分として溜飲を下げた感じである。


そしてスコットランドの朝ごはん、通称ポーリッジ。

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これは1番ウマかったねぇ。こういう独特のお店のコンセプトなら、ぜひこういうちょっと食べたことのないような一風変わったよう朝ごはんを食べることをお勧めします。一応レギュラー編の中には入っているけれど、正確には11月~4月の限定メニュー。

お早めにどうぞ!自分は、これを1番お勧めします!

とにかくいままでに食べたことのない味で、すごい不思議な食感、香ばしくて美味しかった。

スコットランドなどのヨーロッパ北部で食べられる温かいオーツ麦のお粥なのです。1粒を2つか3つにカットしたピンヘッドオーツ麦をコトコト煮て、冷たいミルクとゴールデンシロップをかけて食べるのが正しい食べ方。そこにフルーツシチューにすりおろしリンゴとナッツを添えてシナモンをかける。

メチャウマー(^^)って感じです。


こうやって世界各国の伝統の朝食をサーブできるって、じつは相当大変なことだと思います。

食材を各国から提供してもらうパイプラインを確保しないといけないし、現にスタッフたちが世界各国に行って、その各国の伝統の朝食の作り方を伝授してもらわないといけないこと。それだけのコネクションが世界中にないといけないことですよね。

それを世界各国でやるとは!大変なことだと思います。

しかし、このお店、昔から有名だったんだろうか?
自分は先日存在を知ったばかりなのだが、とてもユニークなお店で気に入りました。

ぜひ取材を定期的に続けて、世界の朝食を全部制覇して日記にしてみたいです。

次回は、中国の朝ごはんになります。


PENTATONEの新譜:コジュヒンというピアニスト [ディスク・レビュー]

この新譜は間違いなくAuro-3Dで収録している。ポリヒムニアがそう宣言して投稿していた。

Auro-3Dはベルギー発の3次元立体音響のフォーマット。

基本用途は映画での使用で、従来のX-Y軸の水平方向のサラウンドだけではなく、Z軸の高さ方向のディメンジョンを加えた3次元空間での音表現を目的としていて、高さ方向として天井SPを配置した9.1chなどの3Dサラウンド環境で聴くことを前提としている。

でも、この開発者は、もともとは教会で聴く音楽を、自分の周りを美しい音の響きで包まれたような(彼らの用語でイマーシブ・サウンドという呼び方をしている)、この感覚をぜひ再現したい、というところからスタートしていて、そのルーツにはやはり音楽があった。

その点、Dolby AtmosやDTS-Xなどと比較すると、より音楽的アプローチの色合いが強いフォーマットなのだと思う。

そこにポリヒムニアが着目して、Auro-3Dを、いわゆる収録時でおこなう隠し調味料的な使い方をするようになった。

別に9.1chの天井SP環境で聴かないといけない訳ではなく、従来の5.0chのサラウンド&SACDという物理媒体フォーマットで聴くことが前提で、でも聴いてみると、しっかりと高さ方向の3次元空間が感じ取れる、いわゆる下位互換が成り立つ、そんな隠し調味料的な使い方で我々に、このフォーマットを紹介してくれた。

だからブックレットを見ても、Auro-3Dというロゴもないし、記述も一切ない。

つまりPENTATONEの新譜は、どれがAuro-3Dで録っていて、どれがそれじゃないのか、など普通では知り得ないのだ。

でも大体聴いたら一発でわかります。(笑)

でも、今回のこの新譜は、最初からポリヒムニアが、Auro-3Dで録っていると宣言していたので、だから着目していたのだ。

録音ロケーションは、ポリヒムニアにとってもう専属契約スタジオと言っていい、オランダ、ヒルフェルムス、MCOスタジオ5。

そのときのAuro-3Dでのセッションの様子。(以下に掲載する写真は、FBからお借りしています。)


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そんな楽しみな1枚だったのが、このディスクだ。 


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ブラームス主題と変奏、バラード集、幻想曲集 

デニス・コジュヒン


https://goo.gl/0Epwr6 (HMV)

https://goo.gl/a5i7oh (Amazon)

https://goo.gl/7mTfV3 (Tower Records)



デニス・コジュヒンというロシアの俊英ピアニスト。 


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世界三大ピアノコンクールの一つに数えられるエリザベート王妃国際コンクール。

その2010年の覇者である。

2011年、2013年、2014年と立て続けに日本公演を行ってくれていて、音楽仲間による、その公演評は、ほとんど絶賛の嵐という凄い評判であった。

自分は実演に接することはできていないのだが、そこまで凄いピアニストであるならば、ぜひ聴いてみたい、観てみたいと思うのが心情というもの。

そんな情報を持っていたので、そんな彼が去年の2016年にPENTATONEの専属契約アーティストになったことは驚きだった。

PENTATONEからの第1作目は、チャイコフスキーとグリーグのピアノ協奏曲。これは、まだ聴いていないので、今回の新譜を聴いて、あまりに素晴らしかったので、ぜひこの1作目も聴いてみたいと思い、慌てて注文しているところである。

2作目にあたる今回の新譜は、ブラームスのピアノ独奏作品をとりあげた。
クララ・シューマンに献呈された「主題と変奏」で、弦楽六重奏曲第1番の第2楽章をピアノ独奏にブラームス自身が編曲した作品。そして「バラード集」と「幻想曲集」。

ブラームスのピアノ独奏作品に特有な内省的でありながら叙情的でもあるその調べを、まるで濃淡のくっきりした水墨画を観ているかのように、描き上げる表現力はかなり聴きごたえがあって、さすが評判が高いだけあると自分も認識できた。

とくにピアニッシモの弱音表現が素晴らしく秀逸で、ソフトなピアノタッチが柔らかく安定していて、そして奏でられる音色の柔らかい質感。

これって、かなり難しい。

ピアノって、速射砲のように連打するトリルのような表現が、いかにもピアノが上手いと思われがちだが、じつは弾く側の立場からすると、超弱い打鍵で、優しく、長く安定して弾くことのほうが遥かに難しい技術なのだ。

このコジュヒンというピアニスト、もちろんブラームスの独奏作品ということもあるかもしれないが、この弱音表現が、じつに深みがあって、情感豊かで、こちらに訴えかけてくるような雄弁さがある。

たしかに凄いピアニストの片鱗を垣間見た感じ。

ぜひ実演に接してみたいピアニストだ。

なんでも今年の秋にまた来日してくれるという噂もあるし、ベルリンに今年の3月にオープンする新室内楽ホールである「ピエール・ブーレーズ・ザール」(去年亡くなったフランスの作曲家&指揮者のピエール・ブーレーズを冠にしたホールで、ダニエル・バレンボイムが中心となるバレンボイム・サイード・アカデミーの本拠地。)でも、ベルリン・フィルのエマニュエル・パユとデュオのリサイタルをやるそうで、これは行ってみたい。(ホールもすごく興味があるのだ!)


そして、お待ちかねのサウンドの評価。

まずすぐに印象に残ったのは、ピアノの音色の質感が、すごく洗練されていること。従来のPENTATONEのピアノの柔らかすぎな音色ではなく、かなり洗練されている。そう!先日の児玉麻里・児玉桃姉妹のチャイコフスキー・ファンタジーの音色と全く同じ毛色の質感に感じる。

PENTATONE(ポリヒムニア)はピアノの録り方がうまくなったよなぁ。(笑)

基本はやや硬質気味で、ほんのり響きがうっすら乗って潤いあるみたいな感じ。キンキンしたキツイ感じはないし、どんより籠っている感じもない。

バランスが取れた洗練された潤いのある音色の響き。

そしてなによりやっぱり立体感だよなぁ。もう何回も口がすっぱくなるほど言っているけれど、そのホール&スタジオでの空間、エアボリュームの気配感を感じるような音の佇まい。

ピアノが鳴っている音と、この空間とのバランスが見事に調和していて、じつに立体的に聴こえて、これぞ優秀録音という感じで、いかにもオーディオマニアが喜びそうな録音に仕上がっている。

高さを含めた3次元の空間で音が鳴っているように感じるのは、やはりAuro-3Dで録っている効果なのだろう。

一度、こういう「音のさま」で聴いてしまうと、もう後戻りはできないと思う。

もう実現しているのかもしれないが、これだけ効果がてきめんで聴こえるなら、今後もずっと全作品ともAuro-3Dで録ってほしい。

今回のトーンマイスターは、バランスエンジニア&ミックス&編集とも、エルド・グロート氏の仕事。さすがの一言!いい仕事をする。

ディスクレビューの日記を書くのは、結構エネルギーがいるので、このところ立て続けに書いていることもあって、今回の新譜は日記を書かないつもりだった。

でも、これだけ素晴らしい録音で、素晴らしいピアニストを聴くと、やはり日記に書いて紹介しないと罪作りだと思えた。(笑)

PENATONEは、本当に素晴らしい希有のピアニストを、自分たちの布陣に加えることができたと心から嬉しく思う。


児玉桃さんのECM録音 第2弾 永遠のパートナー [ディスク・レビュー]

ECMというレーベルは、マンフレート・アイヒャーによって設立されたレーベルで、ミュンヘンに拠点を持つ。まさにアイヒャーのワンマンと言ったら語弊があるが、彼の持っているビジョンが、レーベルのすべてのカラーを決めているような一種独特のセンスを持ったレーベルだ。

厳冬を思わせるシルエットで統一感のあるジャケット、寒色系でリバーブを少しかける鋭利なサウンド、メジャー路線には決して屈しない拘りぬいた所属アーティストのプロデュース、すべてがアイヒャーの持つポリシーのもとで、運営されている。

このようにあらゆる面で、レーベル全体が統一感をもって企画されているため、万人受けではなく、最初から固定ファン層を獲得することに狙いを定めているように思える。

かなり個性のあるレーベルだと思う。

元々ジャズをメインに録音してきたレーベルなのだが、1984年にECM New Seriesと称して、現代音楽、バロック音楽などの録音も始めるようになった。このジャンルが、彼らのECMレコードのクラシック録音ということになる。

こんな強烈に個性のあるレーベルに、日本人としてECMと初めて契約して、CDを出したアーティストがいる。

ピアニストの児玉桃さんだ。

2012年に第1弾が出て、武満さんやラヴェル、メシアンの曲などを収録している。

自分はこのCDの存在を後年に知ったのであるが、ECMから日本人がCDを出せるなんて、ということで、大層驚いたし、素晴らしい優秀録音で、自分の日記にも書いた。

そして、ついに第2弾が出たのだ。 


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『点と線~ドビュッシー:12の練習曲、細川俊夫:エチュードI-VI』 児玉 桃

https://goo.gl/pOBNMq (HMV)

https://goo.gl/QtiZOS (TOWER RECORDS)


作品は、ドビュッシー晩年の名作「エチュード(練習曲)」に、日本の現代音楽作曲家の細川俊夫さんが作曲した「エチュード(練習曲)」を交互に挟みながら構成されているコンセプトアルバムである。

なぜドビュッシーのエチュードと、細川さんのエチュードを交互に挟んだ構成なのか?

これはライナーノーツに児玉桃さんが詳しくそこに至るまでのプロセス、心情の過程を寄稿している。

いままで長い間、リサイタルで、ドビュッシーの曲を弾いたり、細川さんの曲を弾いたりしてきたことで、この2人が、前任者と後継者の関係にあるという立ち位置で、自分の中には、浮かび上がってくるのだそうだ。

そして桃さんが、アイヒャーに、この2人の作品(エチュード)を交互に配列して弾くことを提案。

でもこの試みには、もうひとつ大きな個人的見解があって、フランスと日本の音楽家、アーティストには、お互いの国の文化を交互に尊敬しあう興味深い嗜好があること。ドビュッシーは、日本の文化を深く愛していた。彼の作品の交響詩”海”の初稿の表紙には、葛飾北斎の画が使われていたり、フランスの画家のモネは、日本の木版画をコレクションしてたり、非ヨーロッパ的なものに憧憬の念を抱いてきた。

片や、日本人の作曲家の武満徹さんは、ドビュッシーに代表されるようなフランス音楽に大きな影響を受けてきた。

このようにフランスと日本人の芸術家たちは、お互いの文化を尊重し合ってきた。細川さんの曲を初演含め、委託されて弾くことの多い桃さんにとって、細川さんの曲は、とくにドビュッシーの曲に相通ずるものが多いのだそうだ。

自由な作曲技法、配色の重ね合わせ&表現などなど。特に黙想を思わせる”間”や、音楽表現の中に現れる、詩的表現、叙情的表現などがとてもかなり深い部分で、この両作曲家には共通しているものを感じるとのこと。

そんな想いから、両作曲家の曲を交互に並べるというコンセプチュアルなアルバムをアイヒャーに提案し、実現となったようだ。

以上は、児玉桃さんの寄稿の部分を私の拙い英語読解力で書いているので、かなり曖昧なこと、お許しください。(笑)



実際アルバムを全般に聴いてみての私の印象を述べてみる。

ドビュッシーと細川さんの曲を交互に並べ再生されるのだが、ドビュッシーは薄暗い闇の中の微かに漏れこんでくる採光、そして続く細川さんの曲は、陰影感たっぷりの漆黒の世界というまさに”明・暗”の世界が交互に並んでいるように自分には聴こえた。

でも、そこには、両者とも、現代音楽特有の前衛的な表現が共通していて、隙間の美学、鋭利な音表現の世界は、確かに相通ずるものがある、と自分にも理解できる。


いやぁ、かなり芸術的で抽象的・文学的でさえある精神性の高いアルバムに仕上がっているなぁ、と思いました。


かなり硬派な路線のアルバムです。

こういう硬派路線では、サウンドのクオリティーが高くないと洒落にならない。


そこで・・・サウンドの評価。

2chステレオ録音。

前作のECM録音第1弾は、先入観なしに聴くと、それはそれは素晴らしい録音なのであるが、どちらかというとオンマイク気味の録音で、ECM独特のリバーブを施しているのがはっきりと分かる感じのテイストであった。

ギラギラした感じの結構鮮烈なサウンド。

自分の好みからすると、もうちょっと空間感というか、マイクとの距離感が欲しい感じがして、スタジオもしくはコンサートホールのエアボリュームの存在が分かるようなアンビエンス&気配感があったほうがいいな、と感じた。

ある空間の中で、発音体があって、その空間と、実音&響きの3セットが遠近感含めバランスよく”立体的”に聴こえる。どこからか俯瞰して聴いているような感じの聴こえ方が好きなのだ。

つまり、ダイナミックレンジの広い録音が好きなんですね。

これはあくまで、自分の耳の好みの問題ですから、絶対値評価ではありません。人それぞれですから。

でも今回の第2弾は、まさに自分のそのような気になっていた点を全部払拭してくれたかのような出来栄えだった。

本音だよ。自分は録音評にはお世辞は言いません。

1番気になっていたマイクとの距離感もややオフマイク気味でいい感じ。そしてなにより大切な適度な空間感がある。1発目の出音を聴いたときのホッとしたこと。(笑)

やはりECM録音。

全般の印象からすると、やっぱり全体的にうっすらリバーブかけているような感じはする。でも、そのリバーブをかけているのか、かけていないのか、わからない程度のナチュラルなピアノの音色の質感は好印象。

非常にしっとりと滑らかな質感で、実際の生演奏のピアノの音に近い。クリスタルな透明感も文句ないし、高音域にいくほど煌びやかに聴こえるのも、やはりややリバーブをかけているためにそう聴こえるのか?

とにかく前作と比較すると、文句なしに断然に洗練されている。

素晴らしい!と思う。

やはり技術の日進月歩は本当に素晴らしい。

2chのピアノ録音作品としては、文句ない作品だと思う。自分好み。
DGのピアノ録音と遜色ないどころか、煌びやかさでは優っていると思います。

自分はサラウンド専門なので、オーディオオフ会で、お披露目する2chソフトってなかなか候補が少ないのだが、いいソフトに出会えたという印象である。


とにかく作品がかなり硬派な路線なので、それをきっちりサポートしているサウンドのクオリティの高さは本当に大切なこと。

今回の作品を聴いて感じたことは、やはり演奏家、アーティストにとって、自分のカラーを、きちんと表現、具現化してくれる永遠のパートナーに出会えるかどうか?ということが、その演奏家にとって、自分の演奏家人生の運命を決める大事なことではないか?ということであった。

児玉桃さんは、どちらかというと現代音楽がカラーの演奏家。
そういう意味で、細川俊夫さんとのパートナーはとても、大きな出会いでもある。

今回のECM録音のトーンマイスターは、前作の第1弾と同じステファン・シェールマン氏が担当している。やはり長年にわたって成功してきている演奏家は、自分の音を具現化してくれるトーンマイスターの、これまた永遠のパートナーがいるものなのだ。

自分がすぐ思いつくだけでも、

内田光子さん。

フィリップス時代から現在に至るまで、現ポリヒムニアのエベレット・ポーター氏が彼女の音をずっと録り続けている。


そしてエレーヌ・グリモー。

DGに移籍してから、というものの、ほぼ全作品といっていいほど、シュテファン・フロック氏が彼女の音を担当している。

長らく成功しているアーティストは、このように二人三脚で、自分のカラー、自分の音を知り尽くしてくれている、音職人のパートナーがいる、いや育ててきているものなのだ。

児玉桃さんに至っても、このECMのステファン・シェールマン氏がそのような永遠のパートナーになっていくことを心から願ってやまない。


 


埼玉初上陸!のだめコンサート@ウエスタ川越。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ついに今週の土曜日に、のだめコンサートがやってくる。今回は埼玉県にある川越市に去年平成27年の春にできたばかりの複合施設「ウエスタ川越」の大ホールでおこなわれる。

ピッカピカの新ホールだ。

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本来は多目的ホールの意味合いが強かったのだろうけれど、写真を見てもらえばわかるように、完璧な音楽ホールで、シューボックスに近い形。(やや扇型で外に広がっている。)天井や両側面には、調音のための反射板パネルが装備されている。

後方になるにつれて外に広がる形なので、後方になるにつれて、反射音がきちんと客席に戻ってくるように反射板パネルがさらに強烈な仕掛けになっている。ちょっと座席に傾斜があるかな?という感じはある。キャパは1700席程度の少なめでウィーン楽友協会とほぼ同じで、シューボックスに適した容積。

こ~れは音響良さそうだ!(笑)

まず、この面だけでも、自分には楽しみ!


のだめコンサートの魅力は、やはり心が暖かくなるというか、とても楽しいコンサートというところにあるのかもしれない。

ふつうのクラシックコンサートにあるような高貴な趣味という佇まいの雰囲気もいいのかもしれないが、のだめコンサートは、もっと庶民的で、とても人のぬくもりを感じる暖かい雰囲気のコンサート。

この点が自分には、とても気に入っている。

その証拠に驚くのは、その若い客層だ。

ふつうのクラシックコンサートって、自分の経験上、かなり高齢層のファンで占められている。サントリーホールやミューザ川崎で、自分の席に座ると、キョロキョロ見回してみるのだが、やはり年齢層が高いよな~、クラシックを支えているファン層って、やはり高齢層なんだな~と毎回思うものだ。

もちろん例外もあって、人気テノールのヨナス・カウフマンのリサイタルなんか、女性ばっかり、というのも確かにある。(笑)

最近クラシックを仕事面から考えることも多く、車の中でコンサートホールを実現というけれど、自分が長年経験してきているクラシックコンサートの客層って、間違いなく高齢層によって支えられているもので、そうするとシニア層による運転を狙うのか?

どういう運転層を狙うのか?とかマーケット面を真剣に考えたりするのだ。(笑)

それに対し、のだめコンサートは、信じられないくらい客層が若い。50歳台の自分が、ちょっと居心地悪いというか、恥ずかしくなるような感じがするくらい。若い男女カップル、若い女性同士、とにかく、周りの空気がパッと明るくなるような若い客層で占められている。

これって、とても大切なこと。
若いファン層に、クラシックに接してもらうとてもいいチャンス。

そして、こののだめコンサート、毎回開催すれば、必ず満員御礼の集客力。
その果たしている役割って大きいと思うのだ。

とにかくアットホームで心暖まる雰囲気で、客層がとても若い、ここに、いつもとは違う新しい形態のクラシックコンサートがあって、自分はそこにとても魅力を感じる。

企画、そして司会進行MC、そして指揮者が、現在NHK交響楽団の首席オーボエ奏者の茂木大輔さん。(以下写真はFBからお借りしています。) 

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大変マルチタレントな方で、有識者でもあり、いろいろな面で才能豊かな方でもある。ずっと応援してきている。茂木さんと、「のだめカンタービレ」の原作者の二ノ宮知子さんとの交流から、このコンサートは始まった。まさに茂木さんが引っ張っていっている企画なのだ。


そして、今回出演される高橋多佳子さん。 
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もう20回以上、そして毎回レギュラー出演で、高橋さん抜きののだめコンサートは考えられない。茂木さんと高橋さんのコンビで支えてきた企画と言えると思います。

超美人で優しい感じの方で、でもどこか3枚目キャラのあるところが魅力だったりします。(笑)ショパンコンクールで第5位という輝かしい経歴を持っていて、そのショパンの故郷 ポーランドにも12年暮しており、ショパンとともに人生を歩まれてきた。

現在も第1線のピアニストとして活躍されていて、桐朋学園講師、そしてコンサート活動、教育関連と幅広く活躍されています。



そして、もう1人、出演される岡田奏さん。 
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これは自分の考えなのだが、ある意味今回ののだめコンサートの主役は、この岡田奏さんなのではないかな?とも思っていたりする。北海道函館の出身で、パリ音楽院~パリ・コンセトヴァトワールをご卒業されたばかりの期待のホープ。

同じく北海道札幌出身の高橋さんと幼馴染だそうで、小さい子供の頃から岡田さんをよく知っている間柄なのそうだ。

自分がはじめて、のだめコンサートに行った聖地の愛知県の春日井市民文化会館のときのコンサートも、この高橋さんと岡田さんのコンビ出演だった。そのとき岡田さんはラヴェルのピアノ協奏曲を演奏されていたのではなかったかな?


驚いたのは、その直後だった!

なんとベルギーのブリュッセルで開催される国際音楽コンクールであるエリザベート王妃国際音楽コンクールで、ファイナリストまで選抜されるという快挙。

自分も心底驚いてしまった。

なんでも、このエリザベート・コンクールというのは、予選からファイナリストに選抜された後は、携帯などいっさい外部と繋がるものは没収されて、外部といっさい遮断された空間で監禁状態で、ファイナリスト集団とともに暮らし、最後のコンクール試験をおこなう、という特殊なコンクールなのだそうだ。


自分の曖昧な記憶だけれど、仲道郁代さんもエリザベート・コンクールのファイナリストだったと思ったし、堀米ゆず子さんは、このエリザベート・コンクールの優勝者だったと思いました。

岡田奏さんも、見事にその仲間入り。輝かしい経歴を刻むことができたのは、自分のようにうれしい。のだめコンサートの出演者から、そういう快挙が生まれた、ということ自体がなんとも嬉しいことではないか!

そういう素晴らしいことがあった後の、のだめコンサート出演なので、ある意味、岡田奏さんにスポットライトがあたる位置なのは、ごく自然のことではないのかな?と自分は思うのです。

コンクール期間中の監禁状態にあったとき、どんな感じの様子なのかなど、MCで聴いてみたいような気がする。(笑) ボクら一般市民ははじめて聞くことと思いますので。。。

今回ののだめコンサートでは、高橋さんがベートーヴェンのソナタ《悲愴》より第2楽章、岡田奏さんとのモーツァルトの2台のピアノのためのソナタ第1楽章、そしてガーシュウィンの《ラプソディー・イン・ブルー》を弾く。

そして岡田奏さんが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番という堂々たる大曲。

本当に楽しみだ。

のだめコンサートでのオケは、通常開催される地元のオケを使われることが多いそうだが、今回の川越公演は、主催者側の強い要望もあってほとんどオールN響選抜メンバー。(^^)

こういうときにN響のメンバーが一斉に集まってくれるのも、やはり茂木さんのN響内での信望の厚さを示しているのではないだろうか?

また、自分にとってのだめコンサートは、岡田さんのような新しい若い演奏家との出会いの場でもあったりするかもするかもしれない。新しい若い演奏家は、どんどんチャンスを与えて、クラシック界を活性化すべき、ということを過去に言及したこともあったのだが、どうしても演奏会に頻繁に足を運ぶ、という有言実行は正直できていなかった。

そういう点で、のだめコンサートは、そういう期待のホープの若手演奏家の演奏を聴ける自分にとってのいい場所なのかもしれない。

うぅぅぅ~、なんか書いていて、だんだん自分も高揚してきて、楽しみで楽しみで堪らなくなってきた。

そうして、ここからが本番当日。



堂々3時間のコンサート。期待を裏切らぬ楽しい&そしてクオリティの高いコンサートだった。

ウエスタ川越という複合施設が、去年できたばかりの新しい複合施設ということで、さらにその中の新ホールということで、自分は、まずそこがとても興味があった。

首都圏から電車で、大体1時間くらい。

ウエスタ川越

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大ホールへの入り口。

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こんなフロアが現れる。

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やっぱりのだめコンサートは客層が若い!

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原作者 二ノ宮知子さんから花束が。

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そして期待の新ホールに参入。

正面の図

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前正面から後ろをみた図

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側面

後方から前方側面を撮影

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前方から後方側面を撮影

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天井

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ネットの写真で見ると、完璧なシューボックスに見えたのだけれど、実際入ってみるとシューボックスではなかった。やはり音楽ホールがメインなのであるけれど、多目的にも利用できるみたいな幅の広い用途のホールのように思えた。

後方に行くにつれて、外側に広がっていって、上階席もある扇形のホール。

側面には、客席に反射音を返す反射板がしっかりと施されていて、天井もかなりしっかりした反射板の造りになっている。ステージ上は、客席に向かって放射状に開口する感じで、初期反射音を客席に返す仕組みも伝統的な造り。

音楽ホールとしては、さすが最新だけあって、かなりしっかりとした造りだと思った。

音響の印象は、座席が前方9列中央だったので、直接音中心のサウンドであったが、響き具合としては、ややライブ気味だけど基本は中庸、響き過ぎず、ドライでもない、という佇まいの良さで、帯域バランスは、偏っていなくて、いいバランスだったと思った。

最初ホールに入ったときの暗騒音は、客席の話し声のざわめきを聴いた限りでは、空気が澄んでいて、S/Nは良さそうで、ライブ気味な印象だった。

オケの弦楽器の音が、厚みがあって、かなりずっしりと重心が低くて、いい音響だな、と確信。

ピアノの音も、もっとライブで響きに混濁するくらいかな?と予想していたのだけれど、まったくそんな感じでなく、打鍵の音もクリアで、1音1音分離して聴こえる。

新ホールとして合格点、素晴らしい音響だと思いました。




さっ、本番ののだめコンサート。

ロッシーニのウイリアム・テルから始まる。
今回のウエスタ川越のだめスペシャルオーケストラは、大半がN響メンバーから選抜された特別なオケとなった。急遽、特別参加で、いま話題の美人チェリストの新倉瞳さんが急遽オケメンバーに参加されていたようです。

この最初のウィリアム・テルを聴いた限り、いい感じ。弦&木管&金管と、ともに安定していて、聴いていて危なげのない安心できるサウンドだった。うまいオケ!

これで、これからの3時間安心して聴けそうだ、とホッとした。
オケって、オーディオと同じで最初で、力量、素性がある程度わかるもんなんですよね。

そして高橋多佳子さん。

最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタの悲愴、第2楽章。

高橋さんの演奏で、この曲を、のだめコンサートで聴くのは2回目だと思ったが、じつは、この曲、オヤジが他界した時、ずっと気分が地獄に落ち込んでいた時に、魂のレクイエムとして繰り返し聴いていた曲で、この曲を聴くだけで条件反射的に「どっーー!」と涙が溢れ出てきてどうにも止まらなくなる曲なのだ。

もう今回もそうだった。のだめと千秋の出会いのときのメモリアルな曲なので、このコンサートでは大切な1曲。

高橋さんの印象は、いままで通り、とても女性的な繊細なピアニストであることを再確認。

特に印象的なのは、肘から指先に至るまでの腕の部分の動きがすごい柔らかでしなやかなこと。特に手首のスナップの使い方見ていても、とても柔らかいよなぁ、と感じる。シルエットとしても女性的に見えてしまうのも、そんなところが要因なのかも?

でも、ラプソディー・イン・ブルーのときは、基本柔らかいんだけれど、あのカッコよいリズミカルに弾ける姿は、かなり格好良くシビレました。これはじつに素晴らしかった。

あっ、岡田奏さんとのモーツァルトの2台連弾のときの、原作の弾き始めで間違えるコントも素晴らしかったです。(笑)



そして岡田奏さん。

ある意味、今回の主役とも言える。

いやぁ、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番は、これはじつに素晴らしかった。ブラボーです♪

奏さんの印象は、やっぱりパワフルで男性的な力強さが基本だと思います。ところがpp弱奏のときの弱音表現のときが、これまた打って変わって、腕、手首の動きがものすごく柔らかくて、こういう弱音表現もじつに素晴らしい。

強打腱なパワフルな表現と弱音表現の両方、力強さとしなやかさの両方、緩急の使い分けがこれだけきちんと表現分けれるのは、ちょっと驚きというか、素晴らしい才能だと思いました。ラフマニノフの2番をずっと観て、聴いていて、それが1番強く印象に残りました。

アンコールのラヴェルのピアノ協奏曲 第2楽章のあまりの美しさに涙。

いやぁ将来本当に楽しみな大器だと思います。


番外編として、今回は、おならたいそう、という笑える演出もあって、のだめコンサートらしくてよかった。

全編を通して、茂木さんのMC、手慣れた司会進行、笑いあり、博識なところもあり、安心して聴いていられた。もう自分も大分のだめコンサートに慣れてきたかな?(笑)

投影のほうも洗練された描画づくり、シナリオストーリーで素晴らしかった。ただ、思ったのは、なんかいつもよりスクリーンのある場所が、かなり高い位置にあったこと。

なにか理由があるのか、わかりませんが、いつもだと演奏を聴きながら(つまり演奏者を観ながら)、スクリーンの投影がそのまま目に入ってくるので、自然だったのですが、今回は、あまりに高い位置にあるので、意識して頭、目線を上げないと投影内容を見れず、本番は、ついつい演奏者を見てしまうので、投影のほうがついついスルーで見ていなかったり、ということがたびたびあったのが、難しいな、と感じたところでした。

ステージの背面のところには、音響反射板が設置されていて、そこに背面のスクリーンを被せては、確かに音響的には、オケの音を客席に返す初期反射音で不利に働くということも考えられるので、高い位置に上げた、というのも予想されます。

あるいは、自分の座席が1階席前方だったからかもしれませんね。広いホールなので、上階席や後方席の人には、あのくらいの高さじゃないとダメという判断だったのでしょうか?

でも自分は、やっぱりのだめコンサートの素晴らしさは、この投影の効果が大きい、と思っているので、やはりいつものスクリーン高さのほうが、演奏家を見ながら自然と投影が目に入ってくる、という点でよいのでは?と思います。

なには、ともあれ、堂々の3時間のコンサート。楽しくて、素晴らしいコンサートでした!

全国各地から招聘されて、どんどん活動の幅が広がるのだめコンサート。7月には、2回目の調布での東京公演も決まった。(自分は行けるかどうかビミョー(^^;;)

長野から初招聘の話も来ているそう。。。

この調子で、どんどん、全国制覇していってほしいと願うばかりです。


終演後のサイン会。(手前から茂木大輔さん、岡田奏さん、高橋多佳子さん)

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茂木大輔の生で聴く「のだめカンタービレの音楽会」
2017/1/21(土)14:00~16:45 ウエスタ川越 大ホール

前半

ロッシーニ 歌劇「ウイリアム・テル」序曲よりマーチ(スイス軍の行進)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調「悲愴」op.13より第2楽章
ピアノ:高橋多佳子

モーツァルト 2台のピアノのためのソナタK448 ニ長調より第1楽章
ピアノ:高橋多佳子&岡田奏

野田恵(リアルのだめ)作詞:作曲
おならたいそう
うら:田村麻里子

ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 op.92より第1楽章

ガーシュイン 「ラプソディー・イン・ブルー」(倉田典明編曲)
ピアノ:高橋多佳子

休憩

後半


ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
ピアノ:岡田奏