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PENTATONEの新譜:ジョナサン・ノット&スイス・ロマンド [ディスク・レビュー]

どういうわけなのか電撃録音スケジュールで、6月に録音して、8月にはリリースするという(正式発売は9月20日です)、こういうのはいままで経験がない。

録音セッションの様子のレポートもなく、いきなりリリースの知らせだったので、なんか唐突な印象を受けた。

おしりは決まっているので、忙しいノットのスケジュールが抑えられなかったのか、はたまたもっと意味深の理由があるのか?

でもその割には、手抜きということもなく、しっかりとした優秀録音でさすがでした。

ジョナサン・ノットは、もう日本のクラシック音楽ファンにはお馴染みすぎで、あまりにも有名な指揮者。2014年1月から東京交響楽団(東響)の音楽監督、首席指揮者を務めて、なんと2026年までの長期政権。

自分も2015年~2017年の3年間、東響の名曲全集の定期会員になり、ミューザ川崎に通った。

月1回の年12回、3年間で36回体験した訳だ。

なぜ定期会員になろうとしたか、というと家に近いミューザ川崎の音響をぜひ自分のモノに習得したい(2CA,2CBの座席ブロックだった)、そして必ず月1回は、クラシックの音楽演奏会に通いたい、という理由だった。

もちろん毎回ノットが指揮をする訳ではないが、でもノット&東響の演奏会は、もう数えきれないくらい体験したと言っていい。



ジョナサン・ノットの指揮者としての技量はどうなのか? 

ジョナサン ノット.jpg


とても知性溢れる指揮者で、毎回その曲をどのように解釈して我々に提示してくれるのか、を深く考え抜いてくれる指揮者だと思った。1回1回の演奏会がとても深く考えられていた。とてもアイデアマン的なところもあって、いろいろな試みもやってくれた。何の曲だったか、いまは思い出せないけれど、たくさんのメトロノームをステージに載せて、などという実験的な試みも体験したことがある。

自分が思う範囲であるが、毎回自分の考えた解釈で我々に提示してくれたけれど、奇をてらったような感じの演奏解釈はなく、比較的王道スタイルな堂々とした解釈で、工夫を加えたとしても前向きと思えるような膨らまし方をする演奏だと思った。

外れは少なかったように思う。


ノットは、よく現代音楽に代表されるような20世紀の音楽が得意と言われているけれど、この3年間では確かにそういう選曲も多くて、さすがノットのカラー満載と思ったこともあったけれど、古典派やロマン派の音楽もたくさん演奏してくれました。

そんなに偏っていなくて、バランスよい音楽センスだと思います。

この3年間、聴いてきて、東響メンバーからの信頼関係も築き上げてきていると思えた。

なによりもまだまだ若いよね?どんどんこれからも伸びしろのある期待できる指揮者だと思います。


そんな日本では超有名なジョナサン・ノットなのだが、2017年1月からは、なんとスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督・首席指揮者にも就任している。

自分としては、3年間通い、知り尽くした馴染みのある、そして日本でも知名度のある指揮者が、就任してくれてとてもうれしかった。

ノット&東響の録音SACDは、オクタビア・レコード EXTONからよく出ているのだが、ノットがスイス・ロマンドを率いてPENTATONEレーベルに初登場というのはとても興味深い。PENTATONEはスイス・ロマンドの録音をもうかなり長い間担当してきているので、そんなに従来の録音テイストと急激に変わるという事はないと思うし、もう十分その音響を知り尽くしているスイス・ジュネーブのヴィクトリアホールでの録音。

彼らの手中の範囲での作品になるだろうと思っていた。


とにかくノットがスイス・ロマンドの音楽監督になっての第1弾の記念的なSACDリリースである。 


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R.シュトラウス:泡立ちクリーム、ドビュッシー:遊戯、リゲティ:メロディーエン 
ジョナサン・ノット&スイス・ロマンド管弦楽団

https://goo.gl/U9Kjb2


自分の結論から言うと、まったく予想通り!いままでのスイス・ロマンド&PENTATONEのタッグによる録音とまったく変わらない期待を裏切らない、ある意味スイス・ロマンドのファンからすると安心できるような作品に仕上がっていた。

ここ数年のスイス・ロマンドの録音作品は、自分は山田和樹氏による指揮の作品をたくさん聴いてきた。

山田氏のときは、プロデューサーの意向があるのか、山田氏の本人の意向なのか、わからないが、どちらかというと、ひとつの大きな大曲を選ぶというより、もっと耳障りのいいメロディがポップな小作品を詰め込んだ企画パッケージ作品という感じが多かった。

聴いていて、とても気持ちが良くて、なによりも難しくなく楽しい曲が多かったので、そこが十分に楽しめた。

今回のノットの作品を聴くと、やっぱり選曲が違うのか、録音のテイストは変わらないけれど、アルバムを聴いての雰囲気はずいぶん違うように思えた。

R.シュトラウスの泡立ちクリーム。これは何回聴いても本当に楽しくていい曲。メロディが美して楽しい。自分はお気に入りの大好きな曲。ある意味、この曲って、山田氏時代の踏襲という感じで、スイス・ロマンドというのは、こういう曲を演奏するほうが、生き生きしていて、とてもうまいというか似合っているような気がする。

ヤノフスキ時代のブルックナーとかの大曲よりも、ずっとこういう作品のほうが彼らに似合っているし、実際演奏もうまい。スイス・ロマンドというオーケストラは、それこそ第1線級のビッグネームなオーケストラでもないし、どことなく田舎のコンパクトなオーケストラ的なイメージが魅力だったりするので、自分はそういう小規模作品が似合っているように思えたり、実際うまいのは納得いく感じなのだ。

もちろんアンセルメ黄金時代の膨大なDECCA録音による、その引き出し、レパートリーの広さは潜在能力として尊敬はするが、ロシア、フランス、ヨーロッパの作曲家の大曲群よりも、あの名盤スペインのファリャの三角帽子のような演奏(あの鮮烈なDECCA録音は凄かった!)のほうがスイス・ロマンドっぽいなぁ~と思うのは、まだ彼らに対する理解の深みが足りないだろうか?(笑)


ドビュッシーの遊戯やリゲティのメロディーエンは、これがいかにもノットらしい選曲。このアルバムにノット色が濃厚に感じるのは、この2曲があるためだろう。とくにリゲティ。ノットのもっとも得意とする作曲家ですね。

東響の名曲全集でも何回か聴きました。

リゲティのメロディーエンは、じつに魅力的な現代音楽で、とくに録音の良さが滲み出る感じ。
現代音楽は、やはりその空間の出方、空間の広さをいかに感じるかが勝負。すき間のある感じ、音数の少ないその音が、広大な空間にいかに広がっていくかを表現するかが、キーポイントですね。見事でした。


バランスエンジニア&編集はエルド・グロード氏。いつもの安定した録音でしたね。

つい最近まで、Channel Classicsの録音をたくさん聴いてきたので、やっぱり全然テイスト違いますね。録音のテイストは、やはり現場収録や、その後のエンジニアの作り出す音でずいぶんイメージが違うものです。

この新譜、日本では、9月20日から発売開始です。ぜひおススメです!



このジョナサン・ノットとスイス・ロマンドのタッグ、来年の春、日本に初来日する!

これは楽しみ。もちろんぜひ馳せ参じたいと思う。

このタッグが目的なのはもちろんだが、もうひとつ楽しみなのがソリストとして登場する辻 彩奈さん。

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躍進著しい若手で、最近の若手ホープの中でも、ものすごく個性的で気になっている存在なのだ。

2016年モントリオール国際音楽コンクール第1位、併せて5つの特別賞(バッハ賞、パガニーニ賞、カナダ人作品賞、ソナタ賞、セミファイナルベストリサイタル賞)を受賞。3歳よりスズキメソードにてヴァイオリンを始め、10歳時にスズキテンチルドレンに選ばれ、東京、名古屋、松本にて独奏を実施。

2009年には全日本学生音楽コンクール小学校の部にて全国第1位、東儀賞、兎束賞を受賞。その他国内外のコンクールで優勝や入賞の実績を持つ。国内外のオーケストラとの共演数多し。。。

など若いのにびっくりするようなスゴイ経歴なのだ。(笑)

でもそのようなエリートな女性ヴァイオリニストにありがちな繊細で華麗な感じというよりは、もっとパワフルで、土の臭いがしそうな強烈な個性を自分は感じてしまう。

最近の岐阜のサマランカホールでのリサイタルで、その存在を知った。最近の東京での公演行きそびれてしまった。実際直接自分の目で観てみたい。 今回のスイス・ロマンドとのソリストとしての共演で、また華々しい世界戦の経験を積みことになるのだろう。

辻 彩奈さんのコンサートは、それまでの間、東京でリサイタルやコンチェルトなどあるかもしれないが、自分は敢えて行くつもりはない。(笑)

来年のスイス・ロマンドのときまでとっておく。そこで初めて体験させていただくことにした。


まだ、若干20歳なんだよね。すでに50歳をとうに過ぎた初老のオヤジが、このような若い女性ソリストに熱をあげるのは、なんか犯罪のような感じで、正直気が引けるというか、ちょっと恥ずかしいことも事実。(笑)


岐阜県出身。まさに、「全部、青い!」のだ。 






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30歳を過ぎると、新しい音楽を聴かなくなる。 [オーディオ]

村上春樹さんが初のラジオDJに挑戦した「村上RADIO」。興味深く拝聴した。どのように文章を書いているのか、その部分は自分もふだん日記を書いていることもあって、とても参考になった。

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もともと小説家になろうと思っていたわけでなく、誰かの小説技法を学んだという訳でなかった。
ずっと音楽関係の仕事をしていたから、その音楽から文章を書く書法だった。もともと音楽の人だということが、滲み出ているようで、文章にリズム感がある秘訣はそこにあるのだと納得した感じ。


村上さんの話で、ちょっと自分にも心当たりがあったのは、ヨーロッパなどの旅行先で小説書くときは、iPodのような携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きながら生活したり、原稿を書いていたりするのだけれど(たしか、ノルウエーの森だったかな?)、それを何年も経った後に、その音楽をたまたま聴き返すと、そのときのその場、その風景が走馬燈に蘇ってくるという話。


これは自分にもドンピシャ。まさにその経験の嵐のようなところがあった。


昔、ベルギーで暮らしていた時、車のCDプレーヤーでホイットニー・ヒューストンの曲をもうエンドレスで聴いていて、24年以上も経過したいま彼女の曲を聴くと、本当に車の中から眺めていたあのときのブリュッセルの街並みが輪郭ハッキリ思い出すのだ。

それもかなり刻銘に。


つい最近では、夏、秋、春と3回に及んだ京都ツアーで京都市交響楽団の演奏を聴きに行ったとき、このときはiPodでサリナ・ジョーンズの曲をこれまたエンドレスでずっと聴いていた。そうするといまでも通勤時間に彼女の曲をよく聴くのだが、まさに信じられないくらい鮮明に、京都の街並みを歩いて寺院巡りや紅葉時期の混雑など、あの頃のあの様子が蘇ってきて、正直切なくなってきて、また無性に旅に出かけたくなったりするのだ。


いま聴いている音楽と視覚から入ってくる映像というのは、脳のどこかで、リンクして紐づいているんだろう。

逆に自分は、海外で旅行するときは、そういうiPodなんかで、音楽を聴いたりすることはしないようにしている。せっかくの海外の街並みは、通り過ぎていく市民の会話から街の喧騒の音まで、街並みの景観とリンクさせて体験しておきたいから。


あと、耳を音楽で塞いでいると、注意力が散漫になって、海外の場合、スリとかふくめ危険ですね。


ここでもうお分かりになったと思うが、自分が普段iPodで聴く音楽は、ポップスやロックやジャズなどの曲ばかり。クラシックも結構何曲か入れているが、ほとんど聴かない。というか聴いたためしがない。

やっぱりiPodで音楽を聴くのは、通勤時間と国内の旅先が圧倒的なので、そこでクラシックを聴くという選択肢はほとんどない。

だって長いんだもん。(笑)退屈してしまう。


こういうときは、3分位で終わるポップスが絶対いい。

逆に家でどっしり落ち着いてオーディオ・システムで音楽を聴くときは、ほとんどクラシック。
そしてコンサートに行くのもいまやクラシック専門。

なんかそんな使い分けをしている。もちろん意識している訳でなく、自然とそんな風。
そういうところで人間的なバランスを取っているような感じがする。

携帯音楽プレーヤーで聴くのは、やっぱりポップスが一番合ってると思う。
クラシックはそういうのに合わないと思う。(あくまで私の個人の意見です。)


自分はクラシック専門と思われている方も多いと思われるが、自分にとって、やっぱりポップスやロック、ジャズを聴く時間も必要。やっぱり幼少時代や若い時は、そういう音楽が専門で好きだったからね。

通勤時間なんて、なんというか、感情が抑揚するような、自分の精神がぐっと興奮してくるような、そんなポップスを聴くのが唯一の楽しみ。

これでアドレナリンが湧いてきて、仮想興奮状態に陥って、文章を書くときの気持ちの持っていき方とか、エネルギー源になっていたりする。


村上春樹さんが音楽から文章を書くトリガーを得ている、という発言を聞いて、まさにそこに我が意を得たり、という感じでうれしくなったりしたのだ。


一番最初の頃は、ソニーのウォークマンだったけれど、iPodに切り替えてからは、ずっとそちら専門。長いことiPodやっていると、ずっとCDリッピング&ダウンロードしてきた財産があるので、簡単に他のシステムに移れないのだ。それらの財産がパーになって、いちからリッピング&ダウンロードしなおさないといけないから。

ソニーの30万するウォークマン聴いてみたい気もするけどね。(笑)

いま使っているのはもう旧型のiPod。ハイレゾなんか全然無関係。mp3などの圧縮音源ですね。
でも音楽聴いている分ではぜんぜん気になりません。これで十分です。

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どんな曲が入っているか、というと恥ずかしいので、ちょいとだけ・・・bird,akiko,ホイットニー・ヒューストン,Keiko Lee,Mondo Grosso,Lisa,Sting,POLICE,スティービー・ワンダー,ビートルズ,カーペンターズ,宇多田ヒカル,平井堅,山下達郎などなど。圧倒的ボーカルものが多い。

通勤時間聴くのはやっぱりボーカルが一番いい。

ここで、今回の日記の核心をつくテーマなんだが、ふだん通勤時間に自分が聴いている音楽って、自分が若い時に聴いていた古い曲で、しかも連日同じ曲を何回も繰り返して聴いているような気がするのだ。

そこには、自分がいま流行っている新しい曲を開拓して聴いていたりするとか、今日はちょっと変わったこの曲などという選択肢は、ほとんどなくて、毎日同じこの快感、興奮を得たいから、毎度おなじみのこの曲を今日も再生。。。てなことを無意識に毎日やっているような気がする。


最近では日本でも音楽ストリーミングサービスがすっかり浸透し、スマートフォン一つあれば好きな曲をいつでもすぐに聴くことができるようになった。最新のヒットチャートから懐かしの定番曲まで、数千万曲もの音楽を低コストで手軽に楽しむことができるようになったのだが、その結果、かねてより言われていたことがデータとしてはっきり数値に表れるようになった。

それは「30を過ぎた頃から新しい曲を聴かなくなる」こと、さらには「同じ曲を繰り返し楽しむだけ」になりがちだということ。(笑)

ストリーミングだとそういう数値データがしっかり把握されてしまうんだな。ある意味プライバシーの侵害のような気もするが。

でも自分はストリーミングはやらないけれど、この数値解析はまさにふだん自分がiPodで経験している、まさにそのままで、まったくその通り、ドンピシャだと思った。

ある音楽配信会社の調査では60%のユーザーが同じ曲を繰り返し聴いているだけで、25%は好みのジャンル以外で新しい曲を探すことはないと答えているという。


音楽ストリーミングサービスのデータは、33歳になると人は新譜を聴かなくなるという客観的な事実も示しているという。

海外のデータではあるが、10代は人気の音楽ばかりを聴いているが、20代では年を取るにつれてトレンドを追いかける人は着実に減るそうだ。

そして33歳にもなると新譜を明らかに聴かなくなるという。


新譜を探すのを止め、同じ曲ばかりを聴くようなる。


なぜ年を取ると昔なじみの音楽ばかり聴いてしまうのか? 理由の一つは音楽が過去の記憶や感情を強く呼び起こす作用をもっているからかもしれない、のだそうだ。古い研究であるが、高齢者に青春時代の曲を聴かせると当時の思い出が強く蘇ることを実証している。


どうやら人は十代前半、特に13~14歳の頃に良く聴いていた曲を、その後もずっと聴き続けるらしい。

なぜそんなことが起きるのか? 一つは10代前半という成長過程にあり感受性の高い時期に強い感情と結びついた音楽からは、その後何年経っても同じような感情を味わえるからかもしれない、と考えられているからなのだそうだ。


音楽というのは我々が漠然と考えている以上に、人々の心に強い影響を残すものらしい。

なんか、この記事を読むと、自分がいままで無意識でやっていたことが、それは特に通勤時間帯に音楽を聴く、という過程においてだけれど、全部この最近の解析結果に当てはまるので、正直ドッキリと言うか、冷や汗たらりである。



そういうもんなんだね。

確かにいまの自分のiPodに入っている曲は、本当にお恥ずかしい限りだが、古いというか若い時代に聴いていた曲ばかりだ。


でもそう悲観ばかりもしていられない。


家でがっちりオーディオ・システムでクラシック音楽を聴くとき。

これは自分は、必ずレーベルが出す新譜を必ずチェックするようにしている。
新しい録音技術の成果を聴いてみたい、確認してみたい、という技術的な見地もある。
もちろんお気に入りのアーティストとか、自分のアンテナにビビッと引っ掛かったものになるけれど、そういう意味では、常に進歩もしている。

またクラシックのコンサートに行くときも、確かにアーティストありきのところはあるけれど、そのときにやる演目については、観客である以上は選り好み出来ないので、そういう意味でつねに新しいチャレンジはしているとは思う。

そうすると、自分の場合、クラシック、それにオーディオが絡んでくる分野では、つねに新しいものにチャレンジしているけれど、通勤時間のiPodで聴いている分野では、まさに解析結果どおり、若い時代に聴いた曲を毎日繰り返して聴いているだけで、新譜を聴こうとしない、という現象は確かに当て嵌まっていると言えると思う。



でも、だからといって、通勤時間まで、新譜を聴いて新しい分野を開拓するのって、ちょっと疲れないですか?(笑)

そういうのって家でじっくりやっている訳だから、通勤時間くらい息抜きというか、自分のマイポジションでいるのが、心地よいと思うんですよね。


ロックのライブなんて、いくら新作CD発売記念のワールドツアーと言っても、新曲ばかりのオンパレードじゃ盛り上がらなくて、やっぱりエンディングやアンコール、そして要所要所で、そのアーティストの18番のオハコの曲やってくれるから、それがファンにとって最高に盛り上がったりするわけで。。。

そんなセットリストは作成側は当然考えてるに決まってる。(近年で、ポール・マッカートニーやスティングのライブでの経験を言っています。(笑))

そういう自分が1番旬で多感な青春時代に聴いた、そのアーティストの18番の曲は永遠なのです。

気持ちいいと思うポジションは常にキープというか、そういう大事なところは常にどこかで確保しておかないと健康に悪いだけだと思います。


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画像は「Thinkstock」より引用







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ギリシャの朝ごはん [グルメ]

原宿2号店もオープンしてから、だいぶ雑誌でも取り上げられたり、口コミで広がってきたせいなのか、だいぶ混んできた。でもやっぱり店自体のスペースが、もともとすごいゆとりがある。

もう精神的な健康という点で全然違う。もう断然、原宿店のほうがいい。


混んでいてもこれくらい。

客層で外苑前1号店と違うと思うのは、外国人がいないと思うこと。まだ在住外国人の方には、この新店オープンの情報が伝わっていないんですね。それがあまり混んでいないひとつの理由かもしれません。



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台所キッチンなんて、こんなに広いゆとりのあるスペース。

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今回はギリシャの朝ごはん。

ギリシャは、行ったことがある。赴任していた時に、アテネにある販社に行った記憶がある。
そのときは、仕事で、ホテルからタクシーでそのまま販社に直行ってな感じで、街の中をゆっくり散策して楽しむなんてゆとりなんかなかった。でもタクシーの中から街の景観を眺めたときに、うわぁ、これはいかにも古代文明、ギリシャ、ドンピシャというようなイメージだなぁと思ったことを覚えている。

ぜひじっくりプライベートで、楽しみたい国だ。
ぜひ海辺にいって、エメラルドブルーの海を眺めながら・・・てな感じで妄想膨らみますよね。

ギリシャは、ヨーロッパの最南端にある地中海に囲まれた「青い空と青い海」の国。
このイメージって誰もがふつうに抱くはず。あまりにメジャーな代表的なイメージ。



ヨーロッパの中での地理的位置はここ!

ギリシャの地図.jpg


日本と同じように四季があり、日本よりも気温は比較的高いのだが、夏は乾燥していて爽やか。

ギリシャを語るには、やはり古代ギリシャ文明のことを触れないわけにはいかない。今から5000年前に花開いた古代ギリシャ文明は、ヨーロッパ最古の文明で、哲学、数学、音楽、医学、美術など様々なジャンルで、今日につながる文化の基礎を築いた。

いまの文化のすべてのルーツは、このギリシャ古代文明にあった。

地中海ダイエット抗酸化作用が高いオリーブオイルをたっぷり使ったギリシャのヘルシーな食事は、「地中海ダイエット」と呼ばれ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

夕方に昼寝をする習慣があるらしく(笑)、夜ごはんは家かタベルナというレストランで夜遅く食べるのが、彼らの食習慣なのだ。そのため、朝ごはんは比較的軽め。


これがギリシャの朝ごはん。

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ギリシャを代表するチーズのフェタチーズとフィロで作るパイ「ティロピタ」、グリークサラダ、ギリシャ産の蜂蜜をかけたギリシャヨーグルト、フルーツののったギリシャの朝ごはんプレート。


ギリシャの朝ごはんは軽めというが、その主食はパイ。写真の手前にある。

これが最高にウマい!

申し訳ないのだが、ヨーロッパ系の朝ごはんって、日本人の味覚感覚からすると、いつも微妙なテイストなんだが(笑)、このパイはメチャメチャうまい!

ギリシャの食文化で欠かせないのが、このパイ(ピタという)なのだそうだ。フィロという何層にもなっている薄い生地で作られている。

じつに上手にカラッと焼き上がっていて食感はすごく美味しい。
でも何層にもなっているので、正直思いっきり食べづらい。(笑)
食べているとボロボロとこぼれていって、周りが汚くなるのだ。(笑)

このパイに挟まっているのが、フェタというギリシャを代表するチーズ。
羊または山羊の乳を塩水と一緒に樽か缶に入れて熟成させた、強い塩味が特徴のチーズ。

これは強烈です!かなりチーズらしい強烈な香ばしさで、確かに塩味がする。
そしてなによりもネットリ状の感じで、これははっきり美味しいです。

なによりも、この「ティロピタ」が美味しいのは、このフェタチーズを中に挟んで、上と下に何層にもなっているピタ(パイ生地のこと)があって、これがカリっと焼き上がっていて、この両方をいっぺんに口の中で味わうとじつに最高なんです。

これは本当に美味しい。


そしてサイドとして、グリークサラダ。写真のちょっと左上。
オリーブオイルやオレガノをかけるギリシャらしい、サッパリした味のサラダです。

そして、これまた美味しいと思ったのは、はちみつとシナモンをかけた濃厚なギリシャヨーグルト。

これまた美味しいの一言です。ヨーグルトは、やっぱりヨーグルト。そこに甘いはちみつとシナモンだから日本人の味覚にとっては、絶対外れることがない最高の一品なのです。



今回は絶対当たりだと思うな。最高でした。

このギリシャの朝ごはん、9月30日までやっています。


今日も朝ごはん食べたら、特にそのあと用事もなく、快晴の若者の街、原宿をただひたすらぶらつく。(笑)

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安土城 [雑感]

城マニアであるほど全然詳しい訳ではないが、日本のお城は大好きなのだ。日本史大好き人間だからね。カミングアウトしてしまいましたが。

じつは1年前からどうしても自分の日記で熱く語ってみたいお城があった。ずっと狙っていた。
ただ基本、自分の日記はクラシック、オーディオで来たからね。結構勇気が必要だった。(笑)

それが鎌倉愛について熱く語れたことでふんぎりがついた。

大阪城、松本城、名古屋城、姫路城、熊本城・・・全国各地にはいわゆる名将たちによって造られた名城が多い。わが日本の伝統と誇りが形となった姿ですね。

サイトウキネンで松本に行ったときの松本城は、それはそれは美しい天守閣を持った名城だと思った。間近で観れたときは本当に感動だった。

自分にとって悔しいのは、大阪城に行ったことがないこと。
いや、曖昧な記憶では確かに1回行った記憶があるんだが、はっきりと覚えていないのだ。
どうしてももう1回行って確かなものにして自分のモノにしたい。

大阪に行くには、もうひとつ目標があって、それは、クラシック音楽専用ホールのいずみホールを体験したいこと。シンフォニーホールは、結構行っているんだが、いずみホールは、縁がないのだ。シンフォニーホールに行くとき、必ずペアでいずみホールに行こうとトライするんだが、どうしてもいいコンテンツがなくて、日程が合わない。

いずみホールは、岐阜のサマランカホールとも姉妹ホールの関係にあって、客席の椅子なんかまったく同じに見えてしまう。ホールの空間の雰囲気もとても似ている。

慎ましやかな容積で、シューボックスで音響がじつに素晴らしいのだそうだ。
写真を観た感じですぐにわかる。ここで小規模な室内楽を聴いてみたい。

関西のコンサートホールは、シンフォニーホールといずみホールを抑えれれば、自分はもう満足というか悔いはない。

今度、大阪に行くときは、ぜひ大阪城といずみホールをセットで体験しないといけない。





自分が熱く語ってみたいのは、安土城。

そう、あの織田信長が天下布武のために琵琶湖のほとりに建立した幻の名城だ。

完成からわずか3年しか存在出来ず、あまりにあっけなく迎えた終焉は、まさに信長そのもの。

安土城との出会いは、やはり子供時代に観たNHK大河ドラマで観た映像。もちろんお城として現在復元されていないので、いまは存在しないお城なので、CGなどで造られた画像なのだが、それを観たときのインパクトは、子供心にすごいショックだった。

自分は、もうその子供のころから日本史が好きで、お城にも心惹かれていたのだが、さきほど挙げてきたいわゆる日本の名城と言われるお城の外観と比較して、安土城は、あまりに個性的で、非常に奇異な印象を受けたのを覚えている。おそらく多くの人がそう思っていると想像するが、その奇異に思ってしまうところ・・・いや、これはあとのお楽しみに取っておこう。(笑)

その前に織田信長について語らないといけない。

もういまさら説明の必要はないだろう。

歴史上人物の中での自分のヒーローは、源頼朝と、この織田信長なのだ。
やっぱり自分は男らしい人が好きなんだな。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる戦国時代ものは、NHK大河ドラマでは定番中の定番。絶対視聴率がとれる。自分も大河ドラマで知って勉強してきた。子供の頃にはじめて体験したのが、「国盗り物語」。織田信長は高橋英樹さんだった。(豊臣秀吉は火野正平さん)憧れた。


それからは、つぎつぎと体験する太閤記もので、この織田信長を誰が演じるのかが、結構スター的な要素があって注目されるところだった。「徳川家康」での役所広司さんもよかった。

ウチのオヤジ、オフクロに言わせると、やっぱり太閤記と言えば、豊臣秀吉に緒形拳さん、織田信長に高橋幸治さんが最高だったとのこと。その最初の太閤記は、1964年に放映された。自分が産まれた年だ。(笑)スゴイ人気だったらしい。特に信長役の高橋幸治さんの人気がすごくて、本能寺の変の近くなると、殺さないでくれ!歎願が凄かったとか。

このコンビは、その後、「黄金の日々」で復活登場する。このときは自分もしっかり拝見しました。
リアルタイム世代でないのが悔しいので、この1964年の太閤記の市販ビデオ(総集編です)を購入して、しっかりチェックしました。

織田信長は、やはりあまりに劇的で戦国時代そのものの人生だった。
気性が激しく、発想が従来の考え方に捉われない斬新さで、戦国時代の革命児、そして最後の終焉もあまりにあっけない悲劇だった。



本能寺の変で信長の最期は、本当はどうだったのか?

これにかなり興奮したというか、相当興味をそそられた。(笑)
歴史の最大の謎、ミステリーと言われている。

いろいろな書籍やドキュメンタリー、映画を観まくってきた。かなり詳しいです。(笑)

遺体や遺骨すら見つからず、炎の中に消えていった。ある意味、悲劇の中でも美学で終わってよかったと思う。もし、ここで、相手に御首をあげられたりしていたら、まさに戦国武将として最大の汚点になってしまう。

戦国武将にとって、自分がたくさんの武将たちを戦で殺してきた、特に信長は残虐な殺傷を多くやってきた武将、そういう人たちは、こういうことをやっていて、いつかは自分が殺られるときがくるかもしれない。そういう戦国武将としての死生観みたいなものは、つねに持っていたに違いない。

光秀の謀反だと知らされたとき、思わずつぶやいた有名なセリフ。

「是非に及ばず。」

現代語で翻訳すると、「しゃあない。」ということらしい。

そこに常にいつかは自分が・・・という気持ちの想いを持つのが宿命だった、そういう時代に生きた男たちなんだな。

しかし、本能寺の変は、何回観てもすごい興奮する。

数年前に、いままで自分が知らなかった織田信長の肖像画を偶然ネットで発見した。
それはいわゆる歴史の教科書に出ている有名なあの肖像画ではないのだ。 


織田信長.jpg


上半身まで映ったものがこちら。 

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これは信長ファンの自分にとっては、かなり衝撃だった。(笑)
いままで自分が知ってきた信長の行為をやっていたのが、この男だったのか!

歴史の教科書の肖像画と違って、こちらの絵は、より人間らしい、リアル感満載の信長だ。

イエズス会士の画家ジョバンニ・ニコラオが描いた絵だそうだ。
この絵は「織田信長」で間違いないらしい。

歴史の教科書と違って、頭のてっぺんに髪の毛がある。
教科書と全然似てねぇじゃないか!(笑)


信長のことはあまりに有名すぎるので、これぐらいにして、その信長が建てた安土城について熱く語ろう。

これは今回の日記のテーマで、自分が1年前からずっと狙ってきた熱いテーマなのだ(笑)。
ずっとネットで勉強してきて、それを自分なりにまとめた形で、いつか日記にしたいと思っていた。

安土城は、築城して3年経ってすぐに消えた幻の名城だ。
本能寺の変の後に、謎の火事で焼失してしまった。

この火事の原因はいろいろな説があり、どれとは断定できないが、光秀が討たれた山崎の戦後の混乱の中で略奪に入った野盗の類が放火した、とみるのが自然、という説が有力でここではそういうことにしておこう。

それ以来、この世には存在しないお城なのだ。

名城はいわゆる復元作業というのをおこなって、現在でも存在するようにしているのだが、この安土城だけは、今なお、復元されていなく、その城跡しか残っていないというのが、現状なのだ。

なぜ安土城が復元されないのか?

自分は、そこにずっと疑問を持っていた。安土城を熱く語りたいと思っていたのは、ここを疑問に思っていたからだ。安土城をいまの時代に見たいと思っている人は、日本に自分を含めたくさんいることは間違いない。

なぜ、それが実現できないのか?


なにせ安土桃山時代に、築城してわずか3年で姿を消して以来、ずっと存在しないお城。
復元するには、その当時の姿に基づく設計図なり、歴史的資料が必要だ。

当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることはできる。

信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、あるイエスズ会員の司祭に贈られ、彼が日本を離れるときに同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られてローマ教皇庁に保管されているという記録がある。

それが安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていないのだ。

当時のその真の姿はいまや誰も知らない。

それをいろいろな歴史的資料に基づいて復元しようという動きは、当然昔からあった。

1885年から2005年に至る120年間の間、7人の学者によって、その復元案というのが示された。

天主(ふつうのお城は天守と書くが、信長の安土城だけ天主と書く)の復元案として、1994年、内藤昌による復元案が有名だろう。

NHK大河ドラマで採用されたのも、この内藤昌案だ。

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この城の外観を大河ドラマではじめて観たときは、子供心にショックだった。
その外観のあまりに奇異というか、異様なデザイン。

ふだん自分が知っている数多の名城の外観とはあまりにかけ離れているというか、違い過ぎた。
それまでの城にはない独創的な意匠デザインで絢爛豪華な城であった。

この独創的な意匠デザインに、自分は一発でやられた。

なんか日本のお城っぽくない。南蛮の国や唐の国の風情がある。
それが和様と混ざったようなまさに独創的。
やっぱり信長らしいお城だと思ってしまう。

さらにいまは存在しない、復元されていないお城というのが、いわゆる幻の名城的な妄想を煽り、自分はこの姿を見ると、無性に興奮した。(笑)

いまは存在しないから、実物を観れないか、というとそうでもないのだ。


安土城があった滋賀県安土駅下車で、この信長の安土城について、いろいろ体験できる施設があるのだ。

滋賀県立安土城考古博物館
安土城天主 信長の館
安土城郭資料館

こういう施設に、その復元案に基づいて、デザインされた安土城のミニチュアがあるのだ。


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安土城天主復元模型1/20スケール(内藤昌監修/安土城郭資料館)



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内藤昌監修でのNHK大河ドラマで採用されたCG図。



地下1階地上6階建てで、天主の高さが約46メートルの世界で初めての木造高層建築。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。その壮大で絢爛豪華な様はキリスト教宣教師が絶賛したと言われている。


まさに奇想天外なお城で、その断面図は、このように地上から上の方に向かって吹き抜け構造になっている。(驚)

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信長はこの天主で生活していたと推測されており、そのための構造と思われる。こういった高層建築物を住居とした日本人は、信長が初とも言われているのだそうだ。



さらには”伊勢安土桃山文化村”というテーマパークがあって、時代考証に基づいて原寸大の安土城や洛中洛外、楽市楽座など戦国時代の町並みを再現した空間が存在するのだ。

まさに今年の2018年に開業25周年を迎えるにあたり、総額100億円をかけた大規模リニューアルを行なうそうだ。

ここに”原寸大”の安土城の天主が存在するのだから、堪ったもんじゃない。

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まさにこの原寸大の安土城を1泊約500万円で宿泊できる施設に改装するちゅうんだから、笑ってしまう。(笑)


○○城と言えば、その本丸にそびえる天守閣がよく知られているし、観光地化しているものが多いが、日本で最初に作られた天守閣は安土城なんだそうだ。

しかし実際には、城主が天守閣に住んだのは、この安土城とか秀吉の大阪城ぐらいで、江戸時代になると別の館で住みつつ政治をしたため、天守閣は応接室程度にしか使われていなかった。このためほとんど無用の長物と化し、物置のようなものになっていたらしい。(笑)

城のシンボルとなる建物を”天主”と呼んだのは信長だけである。
信長以降、城を造った大名達は”天守”と呼んだ。彼等は宗教上のある種のおそれから、天主と呼ぶのをためらったのかもしれない。




安土城が、日本の他の名城の外観と比較して、あまりにその外観が奇異と感じるのは、ずばり5階の朱色(赤)の八角形の円堂の外観のところなのだと確信する!

城全体の外観のバランスを観たとき、この赤い八角円堂の部分が、思いっきりインパクトが強くて、我々への印象度を強くしているのだ。

自分が子供心に、思いっきり衝撃を受けたのも、この5階の赤い八角円堂の部分だった。

いままでの城にはなかった。まさに南蛮、唐の風情である。

さらに最上階の6階の金色の天主も最高だ。


安土城天主 信長の館という施設では、この安土城の天主の5,6階の部分を実寸大ということで、復元して展示しているのだ。1992年に開催されたスペイン・セビリア万博で日本館のメイン展示として出展されたもので、豪華絢爛な安土城、信長の世界観が見事に再現されていて、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など圧巻。

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6階の天主。天主の内部には、当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」も再現されている。

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5階の八角円堂。まさにこの部分が安土城を思いっきり、ユニークなデザインにしている要因だ。中はこんな風になっていた。

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安土城を単に天主だけで語ってはいけない。城全体、いまでいうところの城下町的なところも含めてチャレンジしてみたい。

これが安土城の構成図。

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一番下の右側に大手道への入り口があり、そこから入る。
石道の階段がひたすら続くという感じだ。ここを大手道という。

その両サイドに、伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸があるのだ。なぜ、名前の前に”伝”と付けるのかわからないが。(笑)羽柴秀吉と前田利家がペアで贔屓にされていたんだな。大河ドラマの「利家とまつ」で、秀吉と利家がつねにドラマの主役で連動していたのは、単にドラマ進行の脚本と思っていたが、そうではなくて、きちんと、このように2人とも信長の信を受けていた、という事実をしっかり突き付けられた感じだ。

今度は反対に一番下の左側の入り口(百々橋口)に、お寺、つまり寺院がある。
持仏堂や戦死者を弔う小堂などを持った城は各地に見られるが、堂塔伽藍を備えた寺院が建てられているのは、後にも先にも安土城だけなのだ。

この大手道から天主のほうを臨んだイラストCGがあった。こんな感じ。(笑)

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この大手道の実際の写真。(現在の安土城跡)

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城内の道というものは敵の侵入を阻むためになるべく細く曲がりくねって作られるが、この構成図を見てもわかるように、安土城は大手門からの道の幅が広く、ひたすら直線が続く。籠城用の井戸や武者走り・石落としといった設備も著しく少ない。

こうした事から、安土城は軍事拠点としての機能より、政治的な機能を優先させて作られたものと思われている。




そして登り詰めていくと、いよいよ天主。天主と本丸、二の丸、三の丸という構成になっている。



安土城の本丸御殿は、天皇を迎えるための施設だったという可能性が指摘されている。

その根拠は、その本丸の造りが、清涼殿に酷使しているから。

清涼殿というのは、耳慣れない言葉だが、いわゆる天皇の住居。京都で言えば、京都御所である。(自分も京都旅行に行ったとき、しっかり京都御所を観てきました。)

安土城跡の本丸の部分を厳密に復元図を作成したところ、建物は3つ存在したことが明らかになって、その配置は「コ」の字型という特殊なもので、清涼殿と共通する。(確かに京都御所もコの字型であった!)

江戸幕府が建てた清涼殿の図面を、東西逆にすると、この安土城の復元図とほぼ重なるのだ。

規模や部屋割りもほぼ一緒であるのだそうだ。

豊臣秀吉が建てた清涼殿も、この江戸・徳川幕府の清涼殿と同じ。

豊臣・徳川の清涼殿は、一部に武家住宅の様式を取り入れているという点で、中世の伝統的な清涼殿から違うらしいが、安土・信長の清涼殿は、豊臣・清涼殿より前で、後の時代の模範になったんだな。

歴史的書物にも、天皇が安土へ行く予定だとか、その安土の屋敷の中に、「皇居の間」を拝見したと書かれている。

つまり、信長、秀吉、家康も天下のお城を建てた訳だが、そこには必ず天皇を迎えるための施設(清涼殿)を造っていて、信長はその先駆けだったということだと言える。

これが安土城の全容。ミッション・コンプリート!


織田信長が、安土城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があって、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。

でも、従来の”戦う城”というイメージよりは、どちらかというと”魅せる城”的な意味合いが強く、信長の威厳・世界観を世に示すためのプロパガンダという感じだったのかもしれない。



さて、自分がずっと疑問に思っていた”なぜ安土城は復元されないのか?”

ここを解明するために熱く語りたかった訳だ。

自分が直感的に素人的な考えで思いついたのは、豊臣秀吉は大阪城、そして徳川家康は江戸城、2人とも天下のお城を建てている。2人に共通していることは、2人とも成功した武将という点だ。江戸城は現在の天皇の住居になっているし、大阪城は、百姓から天下人になった太閤秀吉のシンボルとして、それだけの巨大投資をしてまで大阪城を復元した。

でも織田信長は、劇的な人生だったけれど、いわば挫折人。(笑)
挫折人のために、そんな大規模な投資はできない、という理由じゃないのかな~とか思ったけれど、そんなアホな理由じゃなかった。(笑)


現在、安土城があった場所には、石垣や天主台(天主が建てられた場所)が残っているだけ。安土城跡は国指定特別史跡に指定されているため、復元には条件が必要。その条件を満たさない限りは天主を復元することはできないのだ。

「だったら条件を満たして大坂城のように復元すればいいのでは?」と思う人もいるだろう。復元であっても、当時の様子を見てみたいと考える方もいる。しかし、安土城跡は国指定の特別史跡に指定されているため、復元には大きなハードルがあるのだ。


現在、国指定の特別史跡に復元をするには、”当時の工法”で”確実な史料”に基づいていなければならない。「当時の工法」とは、いわゆる木造建築の事。

現在の建築基準法では、木造の高層建築物は建てられないことになっている。

安土城と同様、国指定の特別史跡に指定されている大坂城跡には、コンクリート造りの天守閣が建っているが、1931年の築造で文化財保護法ができる前の建築物。コンクリート造りの天守閣も、国の登録有形文化財なのだ。

さらに、先ほども説明したように安土城には確実な設計図などがない。


こうした事情から、安土城跡に天主を復元するのは難しい・・・なのだそうだ。(笑)

どうもこれが真実らしい。。。そうだったのか・・・

これを知って、ふっと思いついたのだが、いまの名古屋城を木造にしようという動き。(あの方が推進しています。(笑))そのときは、建築強度的になんと愚かな!と思ったが、あながち無茶というより、どうしても歴史的に意味があることなんだな、と思いました。


以上、自分的には燃焼できた。

完全燃焼。

自分がずっと謎に思ってきたこと、ずっと憧れてきた城のことを完璧に知ることができた。

本来であれば、この滋賀県安土の現場まで、自分でじかに行って、実際の安土城跡、そしてこれらの資料館などを訪問して、自分のカメラで写真を収めたい、そういう気持ちは当然あった。2,3年前までは予算と体力があったので、思いついたら即実行だったが、でもいまは人生最大の大スランプ。(笑)

ちょっとここは我慢してネットの記事で自分が行った気になろうと思った訳である。



今年の春、岐阜のサマランカホールを訪れたとき、ほんの一瞬だったけれど、岐阜駅前を散策した。

そうしたら、織田信長バス。(笑)

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弓を射る信長、ワインを飲む信長・・・いろんな信長バージョンをプリントされているバスが、駅前をたむろしているのだ。

さすが、岐阜は信長の街。


いま話題のNHKの朝の連続ドラマ小説「半分、青い。」も岐阜所縁のドラマ。

いま岐阜が熱いのか・・・?







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鎌倉愛のルーツ [雑感]

あと残された鎌倉ミッションに、流鏑馬と静の舞がある。

いつも身近に自分の楽しみの目標を見つけて、それを精いっぱい楽しむというのが、健康な人生を送る秘訣。

静の舞は、4月の春に行われる鎌倉まつりでおこなわれるので、今年はもう終わってしまったのだが、流鏑馬は春と秋に、鶴岡八幡宮で行われ、秋は、なんと9月16日にある。

鶴岡八幡宮例大祭の1つの行事として行われるらしく、もうこれが身近の楽しみ。(笑)

流鏑馬は、疾走する馬上から矢を放ち的を射る日本の伝統的な武芸の技術・稽古・儀式で、流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流の2つに分かれるらしい。詳しくは、体験した時の日記で語ってみたい。自分が体験するのは、小笠原流のほうです。

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もうひとつ体験してみたいのが、静の舞。来年春の4月の鎌倉まつりまで待たないといけないが、これも楽しみだ。



静は、義経が兄源頼朝と不仲になり、京を落ちるときにも一緒に行動していた。

義経一行は吉野へと逃げるが、吉野で義経と静は別れる。

義経と別れた静は、京へ帰る途中に捕らえられてしまう。

北条時政に身柄が引き渡され、1186年(文治2年) 3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきた。

源頼朝は、鎌倉に来た静に舞わせようとするが、静はそれを断り続ける。

しかし、4月8日、八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなる。

静は、義経を慕う今様(いまよう・歌)にあわせて舞う。



吉野山 峰の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな



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参列した者のほとんどが「静の舞」に心を動かされた。

頼朝は、静が義経を慕う歌をうたったことから激怒するが、妻の北条政子は「私が御前だったとしてもあのように舞ったでしょう」と言ってとりなしたのだと伝えられている。

鎌倉に来た静は、義経の子を身籠っていた。生まれてくる子が男子であったなら、その子の命を絶つことは決まっていた。

7月29日、静の産んだ子は男子。子は殺害され、その遺体は由比ヶ浜に捨てられた。


9月16日、静は傷心のまま鎌倉を離れ京に向かったとされているが、その行方は不明のまま。

由比ヶ浜に身を投げたともいわれている。

いまだに歴史の謎なのだ。

(静の舞~鎌倉と静御前、鎌倉手帳(寺社散策)より抜粋。)


こんな感じ。もう判官びいきで義経伝説が大好きな日本人にとっては、超有名でたまらん場面ですね。

2005年に放映されたNHK大河ドラマ「義経」。タッキーこと滝沢秀明くんが義経を演じて、静御前を石原さとみちゃんが演じていて、そのときのこの静の舞が、自分にはいまでも印象的に心に残っている。

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石原さとみさんは、いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気者になってしまったが、この頃は、演技もいまひとつプロになりきれず、女優、タレントとしてもいまひとつ、視聴率を稼げない女優とか言われていた時代。こんなに変わるもんなんですね。(笑)

源頼朝を中井貴一氏が演じ、北条政子を財前直見さんが演じていた。

このときの静の舞のシーンが、すばらしく格好良くて、このシーンだけ何回もVHSを巻き戻して、本当に何回も何回も繰り返して観ていたのを覚えている。

このとき静御前は、義経の子を身ごもっていて、歴史の解釈では、身ごもった状態で、舞を奉納し、その後に男の子を産んで亡きものとされた、というのが通常解釈なのだけれど、この大河ドラマ「義経」では、男の子を産んで殺されてから、その後に頼朝に舞を奉納した、という演出に変えられた。そのほうが悲劇性というか、静の舞に対する怨念が滲み出るという配慮から。。。

このときの石原さとみちゃんの静の舞はその”怨念の気”を見事に演じていてじつに素晴らしかった!



とにかく鎌倉時代が大好き。鎌倉時代の歴史を語らせると永久に止まらない(笑)。

やっぱり鎌倉時代って、その時代考証から自分は好きだったのだと思う。男性も女性もあの衣装。同じ武家時代でも江戸時代では、男性は頭を剃り上げてちょんまげ姿、でも鎌倉時代は、いわゆる剃ったりはしないし、なによりも烏帽子を頭の上に乗せている。

江戸時代の女性は、髪型はいわゆる大奥のドラマのように頭のところでまとめ上げるのだが、鎌倉時代の女性は、ずっと髪をたらす感じ。

衣装も、江戸時代よりも鎌倉時代のほうが、貴族っぽい優雅な衣装で好きだ。


いまはすっかり見なくなったけれど、子供のころからNHK大河ドラマが大好きで、必ず毎年観ていた。やはり太閤記に代表されるような織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代ものが好きだったが、それにも負けず大好きだったのが、鎌倉時代。

去年、鎌倉を偶然訪れてから、大の鎌倉マイブーム。

それは、やはり歴史で、鎌倉時代が大好きだった、というところに、その原点、ルーツがあると思うのだ。

子供の頃にあれだけ熱中した鎌倉時代。就職で上京してから、日帰りできるつい目と鼻の先にあるのに、30年間も鎌倉を訪れることがなかった。それがふっとしたことで、去年鎌倉を訪れて、その積年の想いを遂げた感じ。

実際、訪れた鎌倉の街の印象は、歴史が好きという以上に、街としての独特の雰囲気があって、東京とはちょっと時間の流れが違うゆったりとした感じのあるじつに素敵な空間であった。

やはり、自分の日記で鎌倉愛、自分が子供時代に熱中した鎌倉時代について語らないといけない。

いや語らせてほしい!

日本史が嫌いな人はスルーしてください。

自分は世界史よりも断然日本史のほうが好きだった。

共通一次世代で、理系男子は、社会科は負担の少ない地理・倫理を選ぶのが常識とされたが、自分は日本史・倫理と、日本史を選んだ。世界史は、あのカタカナ表記が覚えられなかった。(笑)いまは、音楽が縁でヨーロッパなど海外旅行が好きだが、あの頃とは雲泥の差だ。(笑)

どうしても、自分の”鎌倉愛のルーツ”であるNHK大河ドラマの「草燃える」のことを、自分の日記で語らないといけない使命感に燃えた。

急に思いついた。

長い前振りだったが、これが今回の日記の目的だった。

ちょっとネットから拾い絵を片っ端からやっていきます。
”ネットからの拾い絵”ということは、誰かの記事で採用されていた画像ということ。それを片っ端から使っていきますので、著作権的にクレームが来たら、そそくさと撤収します。(笑)




「草燃える」は、1979年に放映された大河ドラマ。自分が高校3年生のときにみたドラマだった。
とにかくハマった。長年観てきた大河ドラマとしては最高にハマったドラマだった。
日曜日夜8時から放映される大河ドラマだが、当時家庭用ビデオを持っていなかった時代。土曜の昼に再放送があり、それもちゃんと観るのが唯一の楽しみだった。

オヤジから随分バカにされたものだった。「お前、1回見たものを、なんでもう1回見るんだ?(笑)」



ドラマ冒頭は、そう!あの流鏑馬のシーンからスタートするのだ。衝撃的。
まさに鎌倉時代を象徴する流鏑馬。子供心に超カッコイイと思った。

そしてこのタイトル画面。懐かしすぎる!(笑)

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ドラマのテーマソングもいまでも口ずさめるほど、完璧に覚えている。

この草燃えるのちょっと面白いところは、セリフ面で現代語や現代語調が多用されたことだった。視聴者から大きな反響を呼んだ。当時の子供頃の自分は、まったく意識しなかったが、後年そのことを知って、その斬新なアイデアに驚いた。



草燃えるを専門的に解説すると・・・

永井路子さんの原作「北条政子」などを中心に、大河ドラマ用に脚本が新たに作られたもので、源氏3代による鎌倉幕府樹立を中心とした東国武士団の興亡を描いた一大叙事詩。

それまでの源平を題材にした作品か、どちらかといえば平家や源義経を中心とした物語なのに比べて、この作品では平家方の描写は少なく、源頼朝と、頼朝を担いで挙兵した東国武士団の動きに焦点が当てられ、歴史観も「源氏の旗揚げは、東国武士団の旗揚げでもあった」という立場で描かれている。


ここがなによりも目新しかった。この時代を、このような観点から描いた大河ドラマは、この草燃えるが唯一なのだ。従来からの平家が絡むどちらかというと貴族的な軟弱なフンイキよりも、なによりもこの東国武士団という男らしい格好よさに自分は惹かれた。

源氏3代と北条家。

この方々が主役。

ある意味、年間を通しての主役は北条政子と言ってよかった。
源頼朝は、年間の真ん中あたりで、落馬して死亡し、主役は北条政子に交代する。

その中でもズバリど真ん中の主役は、

石坂浩二さん演じる源頼朝、岩下志麻さん演じる北条政子、そして松平健さん演じる北条義時だった。

北条家の初期の執権政治で、歴史的に有名なのは、初代の北条時政、そして3代の北条泰時だと思うのだが、2代の義時にスポットをあてるのは斬新だと思った。義時は政子の弟。そして北条家による執権政治を確たるものにしたのは義時。まさにそのためには身内含め、仲間の豪族を次々と失脚、殺害してく冷酷さだった。まさに政子との連係プレー。その義時は、ドラマ初頭では、とても好青年に描かれていて、後半のその人が変わったような冷徹ぶりは正直子供心にかなりショックだった。

松平健さんがじつにそこを好演していた。当時の松平健さんは、まさに暴れん坊将軍全盛の頃。

でも自分には、この北条義時役の松平健さんのほうが最高だった。

このドラマが貴重なのは、承久の乱まで描いていること。源氏3代が滅び、北条執権政治が始まった時、やや鎌倉武家政治に陰りが見え始め、予てより鎌倉幕府の全国支配を快く思っていなかった後鳥羽上皇中心の朝廷方が、打倒鎌倉幕府の命を下し、戦になった。

まさに朝廷と戦うのであるから、自分たちは朝敵になるのか?そんな鎌倉の御家人たちの大きな不安となるのは当然。

そのとき、鎌倉幕府側は、御家人たちを集めて、岩下志麻さん演じる北条政子が一世一代の演説をする。





皆、心を一つにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。

亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。


お前たちはかつて平家のもとでどう扱われていましたか?
犬のように召し使われていたではないですか!

しかし今は京都へ行って無理に働かされることもなく、
よい暮らしができるようになりました。

すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。

今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。

今こそ頼朝公へのご恩を返す時。

名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、三代にわたる将軍家の恩に報いよ。

もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら,まずこの私を殺し、

鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい。




おおお…と胸打たれる御家人たち。

これに一発奮起した鎌倉側。

幕府はおよそ20万の大軍を京都に向け、あっという間に京都を制圧。

鎌倉側の大勝利に終わった。

北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。


このときの演説こそ、このドラマの年間を通しての主人公、北条政子の最高の見せ場なのだと自分は確信している。

まさに岩下志麻さんの強烈なキャラは、そんな尼将軍・北条政子の役にぴったりだと思った。



そして、いままで何度も言及してきて、もうご存知だと思うが、石坂浩二さん演じる源頼朝。これが自分の歴史人物の中でのヒーローだった。源頼朝をそのように思い始めたのが、この石坂さんが演じる頼朝像を見てからだった。このドラマ、とりわけ、昔の大河ドラマって、登場人物が端役に至るまで、みんなとても個性的で存在感があった。そういう猛者たちを取りまとめる、その長である頼朝が妙に格好よいと感じてしまい、憧れた。特に頼朝の死後、ドラマは、なにか明るく差していた陽が一気になくなってしまったような寂しさがあった。それだけ存在感があった。

頼朝を好きだと思うようになったのはある意味、その死後の寂しさを経験してからだった。あの頃はとてもよかった・・・的な感じ。

そこから源頼朝を徹底的に研究し、鎌倉の歴史を思いっきり勉強した。
鎌倉フェチのはじまりである。(笑)

ここで写真を眺めながら、それぞれの想い出にふけることにしよう。


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ご存知、石坂浩二さん演じる源頼朝。存在感があって、格好良かった。子供心に憧れた。石坂さんは、大河ドラマの主役を演じるのは通算3回で、これは最多回数だそうだ。さすが昭和を代表する名優ですね。プライベートでは大変な有識者で、プラモ模型が大好きという楽しい一面もあります。



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岩下志麻さん演じる北条政子。映画・極道の妻たちでもわかるように、まさに岩下さんのキャラは怖くて強烈。尼将軍・政子にぴったり。いままでの北条政子役で、自分の中では、岩下志麻さんを超える人はいないです。


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若かりし頃、お互い好意を寄せあう頼朝と政子。政子は結局、家族の勘当にあっても頼朝の元に走った。

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当時のTVガイドの雑誌。草燃える紹介されている。「源氏3代の野望と愛」とある。石坂・頼朝と岩下・政子、美男美女のカップル。


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松平健さん演じる北条義時。自分にとって松平さんの当たり役は、暴れん坊将軍ではなく、この北条義時だった。ドラマ前半では好青年で描かれていた。ドラマ後半では、まさに権力基盤を確固とするべく冷徹な義時を演じた。そのあまりの変貌ぶりに子供心にショックだった。岩下・政子と松平・義時の強い絆、連係プレーはある意味、このドラマのキーポイントになっていた。


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源氏2代将軍、源頼家を演じた郷ひろみさん。まさにバカ殿なんだが、それを郷さんは見事に演じていた。当たり役だと思った。頼家はその暴走、狂乱のバカ殿ぶりで、最後は政子、北条家によって幽閉されて殺害されてしまいます。


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源氏3代将軍、源実朝を演じた篠田三郎さん。頼家が愚かなバカ殿だったので、篠田さん演じる実朝はずいぶんスマートでまともな将軍のように思えました。実際教養と知性のある将軍だった。朝廷と幕府が均衡を保っていられたのは、この実朝が後鳥羽上皇を崇拝して、両者の間をとりなしていたから、とされている。でも公暁によって鎌倉八幡宮にて暗殺される。それが引き金になって一気に朝廷、幕府が衝突ということになるんだな。


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源義経を演じた国広富之さん。義経は、どちらかというと、日本では判官びいきの悲劇のヒーローとして描かれることが多いのだが、このドラマでは、軍事的才能はあるのだけれど、若気の至りで思慮の浅い愚か者として描かれているのが特徴的だった。


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静御前を演じた友里千賀子さん。このドラマでは、友里・静は、身ごもった状態で、頼朝の前で、舞を奉納し、その後に産んで亡き者とされた。ドラマでは、その子供は、鎌倉の由比ガ浜の砂浜の中に御家人たちの手によって埋められるというシーンでした。強烈に印象にある。(笑)


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三浦義村を演じた藤岡弘さん。三浦家は鎌倉幕府の有力な御家人で、北条家と密接な関係を築きながらも、じつは陰で次代の覇権を握りたいという策略家として描かれていた。3代将軍実朝を暗殺した公暁(2代将軍頼家の次男)を陰でそそのかして、実朝暗殺をさせたのは、この三浦義村だった、という描写だった。でも暗殺実施後、三浦義村は、公暁をあっさり裏切り見捨てた。


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大江広元を演じた岸田森さん。この写真が見つかったのは最高に嬉しかった。大江広元は、まさに頼朝のブレーンだった。石坂・頼朝と岸田・広元はつねに傍にいて、なにあるごとに、頼朝は広元に相談している図がいまでも頭の強烈に残っている。岸田森さんは、本当に渋いいい名脇役の俳優さんだった。大ファンでした。


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後鳥羽上皇を演じた尾上辰之助さん。当時大河ドラマに歌舞伎俳優さんが出演するのは常で、さすがに時代劇ものに関しては、1枚も2枚も格が上だな、と思いました。北条義時執権のときの承久の乱での朝廷方のトップ。その見事な演技はさすがでした。


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伊東祐之(十郎)を演じた滝田栄さん。架空の人物。原作にも登場しない、このドラマのためだけに作られたオリジナル・キャラクター。青年時代の松平・義時となにかと深い関係で描かれ、ドラマ最終回では、承久の乱の後、政権安定した執権松平・義時の前に、そのときはもはや視力を失った琵琶法師となって現れて、源平の戦のことを、朗々と語るというなんとも因縁めいたシーンが最終回の最後のシーンだった。





以上、しかし、このドラマが放映されて、今年で39年経つんだよね。よくこんなにスラスラと頭から泉のように溢れ出てくるな、と思います。やはり頭の柔らかい子供の脳って、しっかり刻み込んでいるんだね。

草燃えるは、全51話なのだが、これのマスターテープが、NHKには残っていない、全話失ってしまった、というショッキングなニュースがあった。放送用ビデオテープのままNHKに残されていたのは総集編のみであり、通常放送回は1本も残されていなかったのだ。

これは当時の放送用VTRは機器・テープとも高価だったうえ著作権法等で番組の資料保存が制約されていたことも重なり、本作を収録した全話のマスターテープは他者の番組制作に使い回されたためだったからだそうだ。

その後、日本国民の一般視聴者からが家庭用VTRに録画した映像が提供されて、全51話ともNHKアーカイブズで観れるようになったらしい。でもやっぱりそこは家庭ユースのクオリティ。画像の乱れやノイズも多く、いまだに”Wanted、募集してます!”をやっている話(18話分)もあるらしい。

2004年頃に、自分も総集編DVDを購入しました。

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久し振りに観たら、すぐに子供時代にワープして、まったく古めかしさなし、違和感なくのめり込みました。(笑)


語らせてくれてありがとう!

すっきりした!

自分の鎌倉愛のルーツは、すべてここにあった。


これを詳らかにしたことで、これからみなに遠慮なく、残された鎌倉ミッションを成し遂げたいと思います。







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Channel Classicsの新譜:レイチェル・ポッジャーのヴィヴァルディ四季 [ディスク・レビュー]

レイチェル・ポッジャーは今年で満50歳だそうだ。その生誕50周年記念盤らしい。先日のディスコグラフィーの日記では不良品を掴まされ、間に合わなかった。まさにほっかほっかの最新録音。

彼女の作品の中では、バッハと並んで大切な作曲家のヴィヴァルディ。まさにここ最近はヴィヴァルディ・プロジェクトと言っていいほど、充実した作品をリリースしている。

「ラ・ストラヴァガンツァ」、「ラ・チェトラ」、「調和の霊感」とヴァイオリン協奏曲集の名盤を連ねてきたディスコグラフィーに今回加わるのは、「四季」。

ヴィヴァルディの四季といったら、もうクラシックファンでなくとも誰もが知っている名曲中の名曲。

イ・ムジチによる演奏があまりにスタンダード。


なぜ、こんなスタンダードな曲を選んだのだろう、と思うが、まだ学生だった頃のポッジャーが、ナイジェル・ケネディの名録音を聴いて以来、演奏と録音を夢見てきたという想い入れがあるのだそうだ。

自身のアンサンブルのブレコン・バロックを伴って、2017年についに録音が実現、2017年の10月28日には、ブレコン・バロック・フェスティヴァル2017でもこの曲を演奏している。

自分は、このナイジェル・ケネディの名前に思いっきり反応してしまった。(笑)
まさかポッジャーのディスコグラフィーを聴いていて、彼の名前を聞くなんて夢にも思わなかった。


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いまからおよそ20年くらい前の2000年はじめの頃に、友人が、ぜひナイジェル・ケネディを聴いてごらんということで彼のディスクを紹介してくれた。ベルリンフィルとの共演のディスクだった。


自分がすごくショックだったのは、ナイジェル・ケネディのヘアスタイルからファッションに至るルックスだった。


まるでパンクそのものだった!

頭の両側を刈り上げ、てっぺんの毛を立たせ、服装もまさにボロボロ。(笑)

品行方正なクラシック界とは、まるで水と油のような印象。
思想的にも過激そうで、なんでこんな感じのアーティストが、しかもベルリンフィルと共演できるのだろう?と不思議で仕方がなかった。

ナイジェル・ケネディはイギリス人。当時ベルリンフィルの芸術監督に就任したばかりの同じイギリス人のラトルが、従来の殻を破る新しい風を・・・という意図があったかどうかは知らないが、結構仲が良かった。

ナイジェル・ケネディは結構、ベルリンフィルと共演した録音をかなりの枚数おこなっているのだ。

自分にはこれがどうも違和感というか信じられなかった。


ある日の公演当日の朝、燕尾服をニューヨークに忘れて来た事に気付き、古着姿で演奏したのがきっかけ。この出来事をきっかけとして、1980年代頃から燕尾服を着なくなり、パンク・ファッションや平服をステージ衣装として用い続けてきた。


これが彼のスタイルなのだ。


生まれは音楽一家に生まれ、高等な音楽教育も受けてきたが、後に自伝の中でこの種のアカデミックな教育と肌が合わなかった事を告白している。

音楽家としての演奏活動は、クラシックに拘らず、ポップ・ミュージシャン(ポール・マッカートニーやケイト・ブッシュなど)との共演、ジャズやジミ・ヘンドリックス作品をフィーチャーしたアルバムの発売、自分のコンサートを「ギグ」と称するなど、音楽ジャンル間のクロスオーバー的な立ち位置で、「音楽思想家」的な色彩を濃厚に帯びた感じのアーティストだった。

もともとEMIに所属していて、一時引退するが、また復活してつい最近ソニー・クラシカルに移籍した。合計30数枚にも及ぶアルバムを出していて、演奏家としても積極的な活動である。


自分は当時、ベルリンフィルとの共演のアルバムを3枚くらい買った。

いまラックからは探し出せないけれど、もう20年前なので、記憶もあいまいだけれど、聴いた感じは、極端に過激で暴力的な演奏とは思えないが、フレージングやアーティキュレーションなど、結構個性ある解釈でふつうっぽくないな~という感じだったと記憶している。

とにかく超個性的な人で、奇才という表現がぴったりで、世界への発信力、影響力も半端なかった。そんなクロスオーバー的な立ち位置の功労を評価され、2000年から2005年にかけて、ドイツのECOクラシック賞など多数の輝かしい受賞歴がある。

友人が自分に彼を紹介してくれたのは、この頃だったので、たぶんその頃、彼が旬だったからなんだろう。


そんな想い出のあるナイジェル・ケネディと、レイチェル・ポッジャーとは自分の中でまったく結びつきようがなく、自分はなんか運命を感じた。

ポッジャーが学生時代に聴いた、そしてそれがきっかけで演奏と録音を夢見てきた「ナイジェル・ケネディのヴィヴァルディの四季」。

これは自分は知らなかった。

今回初めて知って、いろいろ調べたら、とても興味深く、まさにこのヴィヴァルディ四季こそが、ナイジェル・ケネディという演奏家の勝負曲である、ということがわかった。


1989年に発売されたナイジェル・ケネディのヴィヴァルディの「四季」のCDは、クラシックのヒット・チャートでは1位、ポップスまで含めたヒット・チャートで6位となり、クラシック楽壇以外の場でもその名が広く知られる事に。

この「四季」で、クラシック作品として史上最高の売上(200万枚以上)を達成したとギネスブックに認定された。

ナイジェル・ケネディにとって、まさにこの曲こそが自分を世に知らしめるキッカケになった曲だったのだ。

まさに彼の勝負曲だった。

現在に至るまで、時代を変えて、この曲を3回も録音を重ねて来ている。 


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https://goo.gl/fKhsVL

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」 Limited Edition
ナイジェル・ケネディ イギリス室内管弦楽団

まさにギネス認定された未贈与の大ヒットとなったのが、このCD。
イギリス室内管弦楽とやっていた。若い!このときはちゃんとしていた服装していた。(笑)

ポッジャーが学生だった頃というのは、たぶんこの1989年の頃だったと思うので、この大ヒットCDのことを指しているに違いない。記録的な世界的大ヒットになって、当時多感だった学生のポッジャーは、このCDを聴いて胸ときめいていたに違いない。

これはちょっと聴いてみたい気がする。

でも上のCDは再発の限定盤なのだ。1989年当時に発売された当時のCDはもう廃盤になっていて入手できない。その頃のジャケットは、いまとちょっと違って、こんな感じ。 


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そして2回目の録音は、それから14年経った2003年の録音。 

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ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」(CCCD)
ナイジェル・ケネディ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

https://goo.gl/EGQfWW


この頃、就任したばかりのラトルに見いだされ、よくベルリンフィルと共演したり、録音をしてCDを出していたりした。そのベルリンフィルとの共演で、この2回目の四季を録音した。 




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「四季~ニュー・フォー・シーズンズ」 
ナイジェル・ケネディ、オーケストラ・オブ・ライフ


https://goo.gl/cmg73Z


まさに最初の録音から数えて25年目の3回目の録音。最新録音である。ジャケットを見るとますます尖っていそうだ。(笑)

このバックを務めているアンサンブルは、主にポーランドと英国の若手ミュージシャンで構成されていて、作曲家としてケネディが望んだ通りの、ジャズ、ロック、クラシックのレパートリーと即興を行うことが可能なマルチジャンルのアンサンブルだった。まさに彼のスタイルを貫くには最高のパートナー。


この四季について、彼はこのようにインタビューに答えている。

「はじめてヴィヴァルディの四季を聴いたとき、なんて退屈な曲かと思った。誰もがあくびが出るようなやり方で弾いてたからね。スペインのコンサートでこの曲を弾いていた時、突然、ここに流れる途方もないエネルギー、美しいメロディ、そして激しいコントラストがあることに気付いたんだ。この曲にはミュージシャンとしての僕自身を刻印するに足るあらゆるものがあるってことにね。

25年前に僕が出したCDで、みんなもそのことに気づいてくれたと思う。それから25年経った。25年前と同じように弾くなんてもちろん考えられない。今回のアルバムは、以前の自分とはまったく異なる演奏をしたいと思って手掛けたものだ。

僕にとってヴィヴァルディとは、真にグレイトなメロディ、グレイトなオーケストレーション、途方もないエネルギーのぶつかり合いなんだ。ヴィヴァルディはこの作品の中に、何度も聴きたくなるような、そして何度も演奏したくなるような、恐ろしいほどの生命力を吹き込んでる。今回の僕の四季は、『リライト(書き換え)』とでもいうべきもので、ヴィヴァルディの音楽のエッセンスを発展させたものだ。」



自分が友人の紹介でナイジェル・ケネディの存在を知ったのが2000年の頃。だから彼のこと、このような彼の演奏家としての音楽的背景、バックグランドをよく理解できていなかった。


ナイジェル・ケネディのヴィヴァルディの四季を語るのに、ここまで紙面を割いてしまった。(笑)

ポッジャーが今回、この曲をどうしても録音したかった背景がここにあった。

ポッジャーが、満を持して、この曲を録音するパートナーは、もちろん手兵のブレコン・バロック。

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先日の一連のポッジャー日記で詳しく説明したので割愛するが、彼女が音楽面で最も信頼するメンバーだ。

ヨハネス・プラムゾーラー(ヴァイオリン)
ザビーネ・ストッファー(ヴァイオリン)
ジェーン・ロジャーズ(ヴィオラ)
アリソン・マギリヴリー(チェロ)
ヤン・スペンサー(ヴィオローネ)
ダニエレ・カミニティ(テオルボ)
マルツィン・シヴィオントキエヴィチ(チェンバロ、チェンバー・オルガン)


ポッジャーの永年の夢がついに叶ったヴィヴァルディ「四季」の録音。
もちろんChannel Classicsのジャレット・サックスによる録音。

今年、2018年古楽シーン最大級のリリースとなることは間違いない。 




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「四季」「恋人」「安らぎ」「ムガール大帝」 
レイチェル・ポッジャー、ブレコン・バロック


https://goo.gl/FwEZd9


自分は、四季という、あまりにスタンダードで無数に録音が存在するこの曲は、あまり枚数を聴いていないので、他と比べて、という比較はできない。

自分が感じたままに従うと、一言でいえば、ポッジャーの四季は、とても激しくて途方もないエネルギーを感じざるを得なく、なんか衝撃的な演奏のように感じた。ある意味インテンポな演奏なのかもしれないが、じつに切迫感があって、剃刀でスパッと切れるような鋭い切れ味があるので、予想以上に速いテンポで軽快に感じる。

これもあくまで自分の予想なのだけれど、ポッジャーの頭の中にあるこの曲のイメージというのは、学生の時に聴いたナイジェル・ケネディの演奏がそのままあるのではないか、と思うのだ。

だから自分はナイジェル・ケネディの四季は聴いたことがないけれど、きっと同じように情熱的で軽快な演奏だったに違いないと予想する。

ポッジャーは、それを自分の演奏で、一寸たりとも違わないように再現したのではないか・・・?。
あるいは、そこを敢えてポッジャーなりの解釈を施したのか・・・?

このディスクはふつうに聴いてはいけない。
かなり録音レヴェルが小さい。

普段の自分が聴く適切音量(大音量です)で聴くには、普段より6目盛りも上げないといけなかった。この再生音量ヴォリュームの調整を間違えると、なんて迫力のない優しい四季なんだろう?と思ってしまうに違いない。

思い切ってグイっとVOLを上げると、ダイナミックレンジがとても深くて、じつに解像度が高くて、その迫力あるサウンドに驚く。

この手の録音手法って最近の流行なのかな?

こういうアプローチって、最近の新譜でじつに多く体験する。

特に、夏と冬のポッジャーとブレコン・バロックとの弦合奏の部分は、聴いている自分にグイグイ迫ってくる恐怖感を感じるくらいで、この掛け合いの部分は、じつにオーディオオフ会向きのエンタメ性のあるサウンドだなぁ、と感じた。


録音がじつに素晴らしい。

いわゆるChannel Classicsのお家芸のやりすぎ感はいっさいなく、とても基本に忠実な音がした。

ポッジャーのディスコグラフィーでは、大体今風なモダンな処理が施されていて、オーディオ的な快楽のような気持ちよさがある。

実音にほんのり響き、エコー感を上乗せする加工をして、それがもとに芋ずる式に全体的なスケール感の大きいサウンドになるという・・・

でもそれってある意味、あまりに安易だよなぁ、と思うこともある。
オーディオマニアであれば、それで大満足かもしれないが、実演など生音に接する機会の多い音楽ファンが聴くと、そこになんらかの違和感を感じるはず。

生音は生音、オーディオ快楽はそれはそれと、ふんぎりのつく人であればいいが。

この今回のポッジャーの四季は、そのような小賢しい施しを感じないのだ。
サウンド的に人工的な仕掛けをあまり感じず、生音の実演に迫るような迫真さがある。

今回の録音は、自分にはとても好意的に思えた。
とても自然なテイストの音がする。

まさに古楽器の響きがする。

ふだん感じる”安易”なサウンドがしないのだ。
本物の音がする。

演奏、そして録音ふくめ、自分が聴いてきた(数少ないが。)ヴィヴァルディ四季の録音では、最高傑作だといっていいと思う。

まさに今年、2018年古楽シーン最大級のリリースと言って過言ではない確かなクオリティだと感じた。







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ジャレット・サックスの強烈なインタビュー 技術編 [オーディオ]

Channel ClassicsのSACDやDSDファイルについているジャケットを見てもらえばわかると思うが、本当にこのレーベル独特のセンスのあるカラフルさで、自分はこのレーベルは、本当にジャケットにセンスがあると思っている。サウンドと同様にとても個性ある。

これも全部サックスがカメラマンなのだ。

しかもアーティストをどう構図の中にポーズをとらせて、収めるか、周りの装飾、デザイン含め、すごいセンスある。

ちなみにブックレットの中に挿入されている録音セッションのときの写真とかも、全部サックス。
クレジットにphoto by Jared Sacksと書いてある。

彼は、カメラのほうもかなり好きみたいだ。

そしてやはり1番驚くのは、Channel Classicsのアルバムの楽曲の良さ、音楽性の多様さ。所属しているアーティストも本当に魅力的だけれど、自分のレーベルに契約をしてもらうスカウト行為、そして、そのアーティスト達とどのような曲をテーマにして、レコーディングをやっていくか、を決めていく作業。

これ全部サックスが1人でやっているんだと思うんだよね。

とにかくディレクター兼プロデューサーなのだ。

全部自分が決めている。そして自分が動いている。

録音だけじゃないのだ。

こうしてみると、朝令暮改みたいだけど、やっぱりChannel Classicsは、ジャレット・サックスによるワンマンな会社と言っていいのではないか?

それは別に他人に任せられない、とかいう悪意的な意味ではなくて、本当に作品をプロデュースして作っていくこと自体が大好きで大好きで堪らないだけで、全部自分がやりたい、そういう純粋な気持ちからなんだと思う。

そしてスタジオも自宅。

HMVでもAmazonでもタワレコでのオンラインショップでもどれでもいい。Channel Classicsのラインナップを見てほしい。あれだけ、いろんなジャンルで、たくさんのクオリティの高いアルバムの数々・・・それが全部サックス中心に少数精鋭メンバーで作られたもの、という事実に驚愕するしかないだろう。

Channel Classicsというレーベルは、その華々しい作品群からは予想すらできない、じつはその実態はとても手作り感満載のレーベルだった、と言えるのかもしれない。




いよいよインタビューの後編、ぐっと技術的に掘り下げた内容になります。


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記者:

あなたは、Andress Koch氏のDSD over PCMでの再生の技術は成功すると思いますか?


サックス氏:

彼は、かなりテクニカル・サイドのほうに行ってるよね。私にとっては、DSDの優位性というのは、感情の起伏、深さ、そしていかにSPから音離れさせられるか?というところにあると思っています。それはもはやブロック形状の感覚ではないんですよね。

あなたが、PCMの音を聴くとき、SPからは文字通り、ブロック形状の音が聴こえるような感覚を持つと思います。そういう感覚は、DSDでは絶対起こらないのです。

DSDの音は空気のような存在のサウンド。その空気のような存在の音について語り合いましょう。


私にとって、もし、あなたがワイン・テイスティングをやるならわかってもらえるでしょうけど、録音はワイン・テイスティングのようなものでないといけないと思っているのです。なぜなら、他の人があなたが言っているところの意味を理解できないといけないからです。

あなたがサウンドを造る、そしてミュージシャンがやってきて、それを聴く。そして彼らが、それをどのように聴こえたのかを説明できないといけない。

私達はお互いを理解しないといけないですし、形容詞を使って、そのサウンドを表現しないといけない。なぜなら、彼らがヴァイオリンのEの弦をどのように聴こえたのかを彼らが説明していることを、理解するために、いちいち本を広げてられないからです。

私はすぐにその箇所に戻って、物理的に彼らが感じたレベルの正しさになるように、いろいろ調整しないといけないのです。そこには本類はいっさい必要ない。経験上からくるカット&トライの世界なのです。

特に我々のオーディオの世界では、他人が理解できるように、SPやAMPから放たれるサウンドが、どのように表現できるか、というその表現の言葉を探し出すことが大切な仕事なのです。

PCMとDSDのサウンドの違いを表現することは、さほど難しいことではありません。




記者:


あなたが、DSDは感情の起伏を運んでくる、そういうところに優位性があると語るとき、それは人々がDSDの音を聴くとき、それはより音楽を聴いているような感覚に近くなる、ということを意味している、と理解していいですか?



サックス:


まさにその通り!もちろん、人はそれぞれどのように聴こえるかは違って当然。コンサートで、まずあなたは、オーケストラの概観をヴィジュアルで感じることになるでしょう。

でも、もし実際そのサウンドを聴く段階になると、ここのコンサートホールの音響はいいかどうか、まず確認するはずです。

なぜ、あなたはそのとき鳥肌が立つくらい感動するのか?それはホールの直接音だけでなく、側方や後方からの反射音を聴いているからなのです。そして、我々は、それらの直接音、反射音の関係を、マルチチャンネルのフォーマットで、そのままキャプチャーしようとするわけです。

しかし、2chステレオのリスナーとして聴く場合、もう少し工夫してやる必要があるのです。
DSDは、とくにそのダイナミックレンジという観点から、それが可能になるのです。

高域では、音は空気のような感じの繊細さになると言うことができます。音楽は、まさにこの空気のような感覚が必要なのです。DSDを使うと、特に録音機材がどこにあるかという意識を分散させてくれるメリットがあると思うのです。DSDは優れています。

もし、私が録音したブタペスト祝祭管のマーラー1番「巨人」を聴くとき、そのサウンドの明瞭さ、そしてその深さの表現において、特に成功した録音だな、と感じます。

これが、まさに音を表現するための形容詞なのです。

しかし、結局のところ、やはり感情の起伏の表現、そこに行き着いちゃうのです。私にとって、そういう表現を実現してくれるフォーマットは、DSD以外にありません。



記者:

native DSDで録音しているのは、実際どのようなところがやってますか?



サックス:

スターターとして最初に取り組んでいるのは、PENTATONE、ハルモニア・ムンディ、BSO、そしてAlia Voxかな?

BISやLINNはやっていない。コンセルトヘボウでさえやっていない。なぜなら彼らは、いまのラジオ放送局の設備を使わないといけないから。

Challenge Classics(彼らは、私がずっと昔に教えていた生徒です。)の数枚のディスクは、native  DSDだね。おそらくドイツの中の15の小さなレーベルがnative DSDを採用している。日本のExton(Octaviaレコード)もそうです。

録音機材のフロント部分はいくつかの新しい機材となる。マイクプリアンプやA/D-D/Aコンバーター(Horusと呼ばれているMerging Technologiesのもの)は、扱いやすくなったね。すべてが1Box-typeに収納できるようになっているので。

まぁ、値段が高価ではあるけれど、昔に比べたら、それでもずいぶん安くなったもんです。そこが大きな違いかな?

私はサンプリング周波数 64Fs(2.82MHz)で録音している。特に最近は、さらに128Fs(5.6MHz)や256Fs(11.2MHz)でも録音できるようになった。オーディオファイル(オーディオマニア)は、サンプリング周波数が2倍になれば、それだけよくなると感じるかもしれない。

たとえば64Fsで録音することを考えましょう。そこから128Fsになると、周波数スペクトラム的にもノイズレベルがオクターブが急になって、さらに高域に追いやられて(ノイズシェーピング)扱いやすくなる。

でもそんな技術的なことは自分にとっては、あまり重要ではない。まずリスニング試聴テストをやらないといけない。


我々のビジネスでは、ポストプロダクションをやらないといけません。

しかし常時やるわけではありません。私はいつもステレオ2chにミックスダウンしないといけない。サラウンド音声のチャンネルは、ダイレクトにA/Dコンバーターを通るが、そのままミキサーを通過するわけではない。

その部分のデータを取り出して、ポストプロダクションを通さないマスターを造ることにしている。(言い換えれば、シグマデルタ変調のコンバーターを通す前)

ミキサーを通す前に、いくつかのEQをかけて、ある程度の音に装飾をつけないといけない。もちろんハイレベルのDSDになってくると、DXDのフォーマットにして、ポストプロダクションをやる、という方法もある。

現在、これが真のやり方というのが統一されている訳ではない。それは将来的に解決されるでしょう。

でもこれだけは確実なことは、この処理をするために、他の外部録音製作会社に委託するというソリューションはない、ということです。(笑)

もし、あなたがいわゆるRAWデータを聴いたとき、それをポストプロダクションした音と比較したとき、機材の周りの空気感や深さの表現に違いを感じることでしょう。それはグラデーションする前のプロセスのサウンドで、軽い程度だけど確かにその違いは存在します。残念ながら、それについて対応する策はありません。


192PCMとDSDの音の違いを、あなたは尋ねたいかもしれない。

その違いを聴こえるようになるには、まずあなたは、本当によいオーディオ機器を持っていないといけない。もちろん曲のレパートリーに依存することもある。私は特にダイナミックレンジという観点から、その比較をする。

もし192PCMのダウンサンプリングするなら、絶対に、その音はPCMの音として聴こえます。

私のGrimmのコンバーターは、とてもよい。私の特別の自家製のミキシング・ボードでつなげるんですが。そして私が最近の2年間で使っているバッテリー駆動のマイクのプリアンプ、そしてvan  del Hul T-3 cable、これらを使うとサウンドは信じられないくらい素晴らしいよ。

私のマーラー1番の録音をしっかりと聴いてみてほしい。サウンドはとてもオープン、大音量の音の部分でさえもその空気感が抜群です。感情の起伏、そして深さの表現は、あなたを包んで堪らない気持ちになるでしょう。

私は、ライブイヴェントにはなるべく接するようにしたほうがいいと思っている。そして録音のレビューもきちんと気にしたほうがいい。

私は、このライブと録音のレビューの2つのコンビネーションを参考にしながら、録音をやり続けています。



記者:


DSDの欠点は、編集できないこと。そこで、DSDの次なる改良プロセスとしては、DXDで編集できるようになることでしょうか?


サックス:

その通り。私がマーラー1番のRAWデータを君に送ることができたとしたら、その違いがわからなくなるでしょう。人々は私にオリジナル・マスターを要求してくることになる。

2012年でエキサイティングだったこと。私がネットコンテンツのDSDファイルを提供し始めたとき、DSD DACを提供できたメーカーは2社しかなかった。それがいまや60社を超える勢いなのです。

いま私はマルチチャンネルのDACを提供できるように働きかけている。Mytek, Oppo, and  ExaSoundなんかがリーディング・カンパニー。我々の方向性は、マルチチャンネルの方向に向いていることは間違いないことです。

将来、私は、普通のCDを造ることに戻りたいと思っている。

私が、いま直面している問題点は、ハイブリッドのSACDを造るとき、それをノーマルのCDの値段で売ろうとしたときに、そのマージン利益が限りなく小さいものとなってしまうことなのです。それに比べて、ダウンロードコンテンツでは、2chステレオとマルチチャンネルのファイルをまったくその同じ値段で造れてしまいます。

アメリカの問題は、実際のところ、ディーラーであるところのレーベル。ここ数年、彼らはSACDを扱いたいと思っていないし、またそのための普及の教育をしたいと思っていないところに問題があると思っています。これはこれからもずっと抱える問題でしょう。

だから、私はリスナーを教育するための雑誌とWEBサイトを必要としています。



記者:


あなたの録音の中で、ポストプロダクションを通さないRAWデータが含まれることはありますか?


サックス:

あります。かなりの部分ある。最初の頃の録音、Ragazze String Quartet (Haydn, Schubert,Widmann)新しい録音では、レイチェル・ポッジャーの守護天使。とか。。。


記者:


聴くときの再生システムは、どのようなものをお使いですか?


サックス:


15年前、私はとてもアベレージだけど、とてもリニア特性に優れたオランダのオーディオメーカーの2Way SPを録音のために購入した。

私はスタッフを持たないといけなかったし、いつもリスニングルームでは、教会のような信じられないような響きをもったアコースティックな音響のサウンドを聴かないといけないので、とてもベーシックなモニターに適したシステムのほうがいいと思うようになりました。

私は、10台のSPを購入。うち5台はうちのスタジオに、そして残り5台を出張先のロケーション用とした。

私の他のスタジオでは、マルチチャンネル用のB&W 803Dを5本にクラッセの5つのアンプが内蔵されたパワーアンプ、そしてカスタムメイドのプリアンプ、そして van den Hul のケーブルを使っている。

大体、出張先のロケーションのところで、ほとんどすべての編集は終わってしまいます。
ステレオで編集するとき。そしてマスターを造る瞬間のマルチチャンネルで聴くときのみ。

大体、普通の一般ユーザーは、95%の人がステレオ2chで聴いていると思うので、自分にはそれがベスト。加えて、マルチチャンネルのプロセスはとてもシンプルだからね。

ときどき、ステレオ2chのために、私はサラウンド音声のアンビエンスをちょっとだけ加えることがある。そのようにしないと、2chではコンサートホールの空間が表現できないから。

ミックスダウンを終わった後、私は台所や私のオフィスや息子のラジカセのところに持っていきます。

特にボーカルの部分、Barbara Hannigan が歌うBritten's Les Illuminations。

私は、いわゆるハイフェッツ・エフェクトのようなヴァイオリンの響き効果、また別の場所でのピアノやオーケストラの響きの部分を造って足しこむようなことをする人間ではありません。

というのは、声というのは楽器の一部。特にディクション(発音)は明快に理解できるように聴き取れないといけない。だから、ここに特別の注意を払う。だから違う部屋に行って、その声を邪魔しないように、十分周りが低いレベルかどうか聴いてみるです。


私は、2chステレオミックスは、出張先ロケーションでも十分納得できるまで造りこむ。
しかし、もし必要ならばソロトラックや他のトラックをあとで追加することもある。
だから私のステレオミックスでは、私は常に加えている作業のみ。取り除くことは絶対しない。

でもときどき、出張先で、話し声さえ聴こえずらい悪いロケーションに遭遇するときもある。
そのようなときは、ソロトラックは別のトラックに格納して、後で処理する。

しかし、native DSDマスターのときは、編集できないので、DXDにて、ポストプロダクションによって処理する場合もある。



記者:

一般大衆が、DSD DACを購入して、あなたの192PCMファイルを持っていたとしたら、DSDファイルとは違う対価になるべきだと考えますか?


サックス:

はい。異なった解像度には、異なった対価を払うべきです。

120年の長いオーディオの歴史の中で、最初の時代、シンプルなダウンロードでどれも全く同じ解像度クオリティのファイルしか存在しない、という信じられない時代がありました。オランダの問題は、21%のtax。我々はダウンロードのために25ユーロ払わないといけない。我々は、クーポン・コードシステムを作って、購入ごとにポイントが溜まり、その25%のtaxを減算していくような工夫をしています。


我々は、音楽配信サービスのNative DSD Music.comをスタートさせました。
DSDでの音源の2chとマルチチャンネルのファイルを供給する音楽配信サイトです。

すべてのレーベルが、そのサイトには、自分のページ領域が割り当てられていて、録音をプロモートできます。

ファイル形式は、DSFファイル。メタデータは、JRiverとコンパティブルなソフトウエア上では、ファイルにタグづけされます。

我々は、64Fs DSDだけでなく、さらに128Fs DSD、256Fs DSDも対応させていくつもりです。
DXDファイル形式も、録音時にいっしょに付加されます。

1ヶ月単位でたくさんのレーベルの録音がどんどん追加されますので、ぜひご期待ください!






DSDは空気のような存在で、音楽の再生はまさにそうあるべきだ、というのがサックスの主張。

世間一般的には、PCMはロックやポップスのようなメリハリの効いたアタック感のある曲に向いていて、DSDは、繊細で柔らかい質感で空間を感じやすいような特徴があって、クラシックに向いている、というような通説がある。

サックスはその繊細な信号レベルを表現できるところが気に入っているようだ。

あと、最近、アーティストの新譜をSACDでは造らなくなって、物理メディアはCDで出して、あとはネットコンテンツ(DSDファイル)でavailableというビジネスのやり方も、結局コストの問題だったんですね。

サックス自身がノーマルなCDの原点に帰還したい、という考えを持っていたのは驚きました。
すべて伏線があったということです。

このインタビューで、Channel Classicsのすべてが理解できたと思う。
公式HPなんかより、その核心をついた内容だと思う。

これで、最後の砦であった、このレーベルの日記をかけてホッと安堵です。

もう思い残すことない。(あれ?CHANDOSは・・・?(笑))







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ジャレット・サックスの強烈なインタビュー レーベル創立編 [オーディオ]

Channel Classicsに関する情報は、公式HPに通り一辺倒のことは書いてあるのだが、正直表面的で、自分にはイマイチ欲求不満であった。

スタジオの写真もネットで探してみたが、そのような類のものは一切見つからず、またディスクの中のクレジットも、録音スタッフは、JARED SACKSとあるだけで、創始者によるワンマンな会社で、結構クローズドで秘密主義のレーベルなんだな?とか思っていた。(笑)

これだけ魅力的なコンテンツを回転率よく新譜を回して、大変魅力的なレーベルで自分は大好きだったのであるが、どうもその素性がようわからん、という感じでミステリアスな感じだった。

その欲求不満を、このインタビューがすべて解決してくれた。
いままで謎に思っていたことをすべてジャレッド・サックス自身が、自分の口から喋ってくれた。


2014年にステレオファイルという雑誌媒体でインタビューを受けている。

https://www.stereophile.com/content/jared-sacks-dsd-present-and-future

ここにすべてが書かれていると思う。

この2014年というのは、いわゆるハイレゾが話題に成り始めた頃で、”ハイレゾ=DSD信仰”みたいな乗りが業界全体にあって、SACDはフォーマット普及としてはイマイチだったけれど、DSDはネット配信で開眼する、みたいな勢いがあった。(いまはハイレゾ疲れというか、マーケット的に売れてなくて、すっかり披露困憊らしいですが・・・(笑))

その広告スターとしてジャレッド・サックスがノミネートされ、「DSDの現在と将来」というテーマでインタビューを受けた、という感じだ。

2014年当時も読んで、そのときもずいぶんと衝撃を受けたが、4年後に、まさか自分が、このレーベルのことで日記を書くとは露にも思っておらず(笑)、再度読み返してみたら、本当にショックというか、生々しい、というか、自分にはかなり衝撃だった。


いまのオーディオ事情からすると、インタビューの中身自体は、2014年当時の古さは感じるけど、貴重な証言だと思う。

サックスの喋っている理論を、本当に自分が理解して和訳している訳ではないので、訳の文に自然さがないところも多く、字ヅラだけ追っている感じのところもあるが、容赦ください。

力作です!


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私はアメリカ人で、37年間オランダに住んできた。レーベル創立以来、妻と、2人半のスタッフだけで運営してきた少数精鋭の会社だった。

常に小さい規模をキープしてきた。すべてのことは私がやっている。妻はブックレットの作業を分担している。

録音が本当に好きで、他のレーベルのように録音はエンジニアに任せて、自分は録音に関わらない、という立ち位置も可能だったが、それは自分には合わないと思った。いまのレーベルはコピーされたものを受け取り、それを売るだけという会社が多い。

でも自分にはそれは耐えられなかった。自分は素晴らしいアーティスト達とレコーディングをすることがなによりも楽しかった。そのコピーを受け取り、単に売ることは、そのアーティスト達への罪だと考えた。

最初、私はホルン奏者だった。オブリン大学の2年生の夏のとき、スイスでオーケストラで演奏してくれないか、と頼まれた。

彼らからずっとこのオケに居続けてほしいと頼まれたとき、私はそうしたが、それが自分の人生の究極のゴールではないような気がした。

オブリンではラジオ局でディレクターをやっていた。そして同時にボストンのWCRVでインターンシップとして働いていた。自分もそのスタッフが好きだった。

スイスでコンセルトヘボウの第1ホルン奏者とギグをやったときに、アムスに一緒に勉強しに来ないかと誘われた。これはいいアイデアだと思った。スーツケースやホルンをそのまま残し、オランダ・アムスに行った。

彼のおかげで、自分の音楽大学での勉強は強制終了となった。私はいわゆるフリーランスの奏者となって、オーケストラでのホルン奏者となった。

私はKanaal Straatに家を買った。その家こそが、いまのChannel Classicsのオフィスになっている。1階は、アーティストの演奏するスタジオになっている。1900年初頭のRijks Museum のような塗装がされている。北側から陽が差し、ちょっとした高級な航海セーリングをしているような雰囲気だ。

私は室内楽が大好きだ。私のアンサンブルはすべてここでやっていた。

1982年か1983年ころ、月末の日曜日にコンサートを企画するようになった。
マイクロフォンを入手し、アナログで録音した。

コンセルトヘボウ設備会社は、古い椅子を売ってくれた。私はそれを50個くらい購入した。
私はバルコニーを造って、そこに人を招待することになった。

その当時は、私はまだ演奏していた。でもこれらの録音機材を所有していた。その頃になって、私は自分で演奏するより、こうやってプロデュースをやってコンサートをレコーディングすることのほうがずっと好きだと思うようになった。

1987年までに、私にデモテープを造ってくれ、という仕事の依頼が多く舞い込むようになった。特に歌手。

私の子供の頃、母親が毎週の土曜の朝にMilton CrossとMETでライブをやるので、子供のころからソプラノを聴き過ぎるくらいの経験があるので、今回も少々歌手に対して辟易な気分を抱くこともあった。




・・・ここから雑誌記者とのインタビュー形式。


記者:

ではSACDやDSDの話に行きましょう。あなたは、いわゆるSony/Philips系とは違う系列で、SACDレコーディングを始めた方の1人ですか?


サックス:

そうです。彼ら(Sony/Philips)は、設備投資に際し、ベータテストやプロモーションなど手助けが必要か聞いてきました。彼らは、私がソフトウエアの編集をやる隣の部屋にいたのです。

私はそこから40分離れたところに住んでいて、そこが同時に、唯一独立したSACDで録音するレーベルとなりました。

PENTATONEは、その後から参入してきました。ポリヒムニアのメンバーは、同様にそこによく手助けに来てくれました。でも唯一独立したレーベルだったのです。

私は、2001年に最初のハイブリッドのSACDを発売しました。Peter WispelweyによるRococo  Variations。(イアン・フィッシャーの)ブタペスト祝祭管弦楽団とも何度かレコーディングのトライアルをしました。BOXのものでは、彼らが最初の商品でした。

商業的な意味で、公式のSACDとしては、Channel Classicsのものが最初なのです。ドイツでレコーディング・セッションをやっているとき、Philipsのスタッフは、ある一つの部屋で作業をやって、私は隣の部屋で作業をやるなどのパラレル録音もありました。

その頃は、まだすべてがソフトウエアの処理ではなかった。そしてまだオープンなPCボードでの処理でした。当時はコンピュータ処理するのに、4か月かかったりして、数分間間隔でクラッシュしていたりしていました。(笑)

いまはソフトウエアで処理することが当たり前で、すべてシンプルにできてしまいます。私はMerging Technologiesのソフトウエア、そしてDSDの処理はPhilipsのソフトウエアで作業をやっています。

15編集単位で、コンパイルするようになっていて、私は200編集ぐらいの規模が必要でした。
コンピュータでの処理はまだ完全にハンドルできる領域ではありませんでした。

彼ら(Philips)は、SACDフォーマットをプロモートするために、いろいろ送ってくれて、私の録音もそれに沿って行われたのです。



記者:

あなたはかつて、南米に行かれたこともありましたよね?私が正しければ・・・


サックス:

私はボリビアに行ってました。Bolivian Baroque のレコーディングとして。ボリビアの至る所に行って、SACDのプロモーションをやってきました。SACDはどういうところにメリットがあるのか?マルチチャンネルがあればベストだけど、そうじゃなくて2chステレオでもメリットあるんだよ、みたいな・・・。



記者:

いまはまさにアナログとダウンロード型のハイレゾ(特にDSDフォーマット)の時代が来ますかね?私にはわかりませんけど・・・


サックス:

イエス! レコーディング機材の観点から、本当に信じられない時代です。悪い機材や悪い録音をすること自体が難しいことになるくらい進化している。

でも私の問題は、常にミュージシャン・ファーストだということです。
良質の録音、再生を楽しむという観点で、それらを利用してエンジョイしているだけです。

しかも私はオーディオファイル(オーディオマニア)ではありません。

私にとって、オーディオファイル用のレコーディングというのは、ピアノ録音のときにも、音をキャプチャーできるように、マイクをピアノのハンマーの上方や横のほうに設置するようなことのことをやるレーベルのことを言います。

私はそのようなことにあまり興味がありません。ユーザの方には、倍音が聴こえて、それがどのようにミックスされたのかが聴こえないといけなく、そして聴取距離が必要。もちろんそこが”(ワインの)テイスティング”とみたいなもんなんですが。。。

私は、Channel Classicsがオーディオファイル御用達のレーベルだ、なんていうつもりはサラサラありません。私はただ、DSDテクノロジーを使えることがハッピーなだけ。なぜならそれらは、もはや音楽を聴く方法でしかないからです。

それを使うことで感情(情緒)の起伏を表現できて、それを聴くことが可能になります。



記者:

あなたがDSDに行った理由は、感情の起伏のため?


サックス:

そう!絶対に。


記者:

あなたは以前はPCMで録音していましたよね?


サックス:

そうですね。最初の時代、1990年から2001年あたりかな。でもDSDはスーパー。
いまはハイブリッドのSACDであり、そしてダウンロード経由でも。
DSDは以前聴いたことのある音よりも、ずっと大きな改善がある。

私はいまでも改良を重ねてきた。2010年に、オランダの会社、Grimm(Philips系です。)の新しいコンバーターを入手した。ファンタスティックだった。

私が以前使っていたdCSやMeitnerのものよりずっとステップアップしている、と思う。ユーザはなにが起きたんだ?と思っていると思うよ。



インタビューは長いので、2部に分けます。






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Channel Classics レコード [オーディオ]

ポリヒムニア/PENTATONEや、Channel ClassicsのようにオランダにSACDを採用するレーベルが多いのは、Philipsの本社HQがオランダにあるからだ。Philipsの本社HQや研究所は、オランダのEindhovenにある。同じオランダ内のNijmegenにもブランチがある。自分がいたとき、Philipsでお付き合い含め、はっきりその存在の意識があったのは、他に、イギリスのSouthampton、そしてドイツのHamburg。遠い大昔の記憶では、Hamburgのオフィスは訪問した記憶がうっすらある。

当時、欧州最大の電機メーカーであったPhilipsは、それこそヨーロッパのどこにでもブランチはあったに違いない。

進化衰退激しい電機業界、自分の知っている当時のPhilipsは、どこまでその規模が現在まで維持されているのか、興味があるところではある。(笑)


そんなオランダのChannel Classicsを創始者ジャレット・サックスがどのように立ち上げてきて、現在に至るかを日記にしてみたいと思った。これでPENTATONE,BIS,myrios classicsと来て、最後の砦であるChannel Classicsを制覇できれば言うことない。あとは、CHANDOSくらいかなぁ。心残りなのは・・・。


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Channel Classicsは、ディレクターで、プロデューサー、そして録音エンジニアでもあるジャレット・サックスによって創立された。

まさに彼のワンマンの会社といってもよい。

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ジャレット・サックス氏はアメリカ人。ボストン・マサチューセッツで育った。アメリカ合衆国のリベラル・アーツ・カレッジ大学であるオーバリン音楽大学で学び、さらに渡欧してアムステルダムの音楽大学で15年間フレンチ・ホルンの奏者として学んだ。

ジャレットは、1987年に録音を自分の趣味にしようと決意した。

そして、ついにレーベルを創立。名前を当時、自分が住んでいたアムステルダムの街の通り名(Kanaalstraat)から由来して、Channel Classicsとした。


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ジャレットはオランダ人と結婚し、その妻、Lydi Groenewegen と、その他2人のスタッフ、そして所属するアーティストのCD/SACDとダウンロードファイルを世界にプロモートする30か国のdistributorとでレーベルを運営している。



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オランダとアメリカに二重市民権を得ているジャレットだが、2015年に、そのChannel Classicsの世界中への功績を讃えて、オランダの国王、Willem-Alexander王と、Maxima 王妃から、”Dutch-king”の称号を授与された。その背景には、英グラモフォンのレーベル・オブ・ザ・イヤーの受賞があることはもちろんである。


Channel Classicsの録音の歴史は、YouTubeとしてフィルムを作成している。

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ジャレット・サックスは、2014年にステレオファイルという雑誌媒体でインタビューを受けている。自分が昔読んだインタビューはこれだったかもしれない。

Channel Classicsの創立時代の想い出から、SACDビジネスの立ち上げの時期、そして彼の絶対的なDSD信仰、かなり読み応えある。

2014年ころだから、いまのオーディオ事情からすると、ちょっと昔感あって古い感じもするが、貴重なインタビューであることに違いはない。これはみんなにジャレット・サックスという人をわかってもらいたいためにも、和訳しないといけない。

これがかなりの長文インタビューで和訳大変。(笑)

ちょっと別途日記にする予定。いましばらく時間をください。



そのインタビューで詳らかにしているのだが、このChannel Classicsについて、自分には長い間、大きなナゾがあった。

それはスタジオの写真がないこと。

一生懸命、ネット、SNS含めて探してみるのだが、まったく見当たらない。
これはやっぱりスタジオの写真は公開しない、という彼の大きなポリシーがあるのではないか、と考えていた。

そうしたら、そのインタビューを読んだら、そのナゾが一気に解けた。

Channel Classicsのオフィスというのは、ずばりオランダのKanaal Straatにあるジャレット・サックスの自宅のことだったのだ。(笑)

それは公開できんわな。(笑)

ジャレット・サックスはもともとはアメリカ人だが、オランダに移住した時に家を購入して、そこをレーベルのスタジオ兼にした、ということらしい。

モニターSPは、B&W 803D×5本で、パワーアンプは、CLASSE 5200で、これが5つのアンプを1筐体に内蔵しているタイプのもの、やはり5つのパワーをバラバラで使うより、ずっと性能面でいいんだね。そしてプリアンプが自家製のカスタムメイド。プリを自作する人、多いですね。

現場での録音機材としては、マイクプリアンプやA/D-D/AはMerging Technologiesを使っている。もちろん教会やコンサートホールに出張録音するのが基本であるから、それらをハンドルしやすいように1Boxタイプのまとめてあるようだ。(パッと見たところマイクの情報はなし。後でよく確認しておきます。)

サックスは、じつは大の室内楽好き。ちょっとしたアンサンブルが演奏できるようなスペースも自宅にはあるようだ。



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サックスのことを、自分はワンマンと一言で片づけてしまったが、そのインタビューを読む限り、ちゃんとしたポリシーがあるようだ。

アメリカ人で、37年間オランダに住んできて(その間結婚もした)、レーベル創立以来、妻と、2人半のスタッフだけで運営してきた少数精鋭の会社だったようだ。

常に小さい規模をキープすることをキモとし、すべてのことはサックスがやっている。妻はブックレットの作業を分担しているそうだ。

録音が本当に好きで、他のレーベルのように録音はエンジニアに任せて、自分は録音に関わらない、という立ち位置も可能だったが、それは自分には合わないと思ったらしい。いまのレーベルはコピーされたものを受け取り、それを売るだけという会社が多い。

でもサックスにはそれは耐えられなかった。自分は素晴らしいアーティスト達とレコーディングをすることがなによりも楽しかった。

そのコピーを受け取り、単に売ることは、そのアーティスト達への罪だと考えた。

そこに彼の原点がある。

だからワンマンというよりは、本当に彼がやっている、というのが正しい。


このインタビューを読んで、もっと驚いたことに、SACDのフォーマットが世に出て、世界で最初のハイブリッドのSACDを出したオリジネーターは、Channel Classicsなのだそうだ。フィリップスのPENTATONEは、その後に参入というタイミングらしい。

サックスはアメリカ人で単身オランダに移住してきた、いわゆるコネクションなし。いわゆる非Sony/Philips系の人で、そこからSACDビジネスを立ち上げるのは、いろいろ苦労したようだ。当然、その録音機材含めて、設備導入にあたって、Philipsとかなり綿密にコンタクトしていたことが、そのインタビューで告白されている。

いまのポリヒムニアのメンバーも、自宅に手伝いに来ているとか、やっぱり同じオランダ、狭い世界なんだね。(笑)

みんな繋がっているんだよ。(笑)

サックスのDSD信仰はすざましいものがある。これはインタビューを読んでみると、刻刻と感じるのだが、そこまで好きじゃないとやってられないよね、という気はする。

とにかくそのインタビュー記事の和訳を楽しみにしてほしい。


ちょっとHPや公式FBのほうから写真を拝借してみます。

まず録音セッション。

ブタペスト祝祭管弦楽団との録音。イアン・フィッシャーと関係者でディスカッション。

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ベルリン・イエス・キリスト教会にも現れます。(笑)

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レイチェル・ポッジャーの録音セッション。

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その他にも・・・

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Channel Classicsのサウンドを聴くと、楽器の音がすごい前へ前へ出てくるような感じで、エネルギー感や鮮度感が抜群なので、かなり楽器の前にビタッとスポットマイクが乱立していてオンマイクで録っていて、それをいじっているのかな、と思ったのだが、これらの写真を見ると、そんなに極端でもないようだ。

インタビューでも言っていたのだが、ジャレット・サックスは、自分はオーディオファイル(オーディオマニア)ではない、だからマイキングなどレーベル常識にこだわらない、というようなことも言っている。

常にミュージシャン・ファーストの立場だと言っていた。

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ジャレット・サックスのプレゼンテーション。

SPにGrimmオーディオのを使っている。GrimmはオランダのPhilips系のオーディオメーカーで、アムステルダム・コンセルトヘボウの屋根裏部屋のポリヒムニアの編集室のSPも、以前はB&W N805を使っていたが、いまはこのGrimmオーディオのSPを使っている。

オランダにPhilips強し!ですね。


たくさんの魅力的なアーティストを抱えるChannel Classicsであるが、自分が注目している女性ヴァイオリニストがいる。


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ロザンヌ・フィリッペンスというオランダ人の新鋭ヴァイオリニストで、ご覧のように、ふくよかな感じのいかにも女性らしい美人である。


オランダのハーグ王立音楽院、ドイツのハンス・アイスラー音楽大学でヴァイオリンを学び、2009年のオランダ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位、また2014年のフライブルク国際ヴァイオリン・コンクールでも見事第1位に輝いた、というオランダの華麗なる才女だそうである。

こういう地元の優秀なオランダ人アーティストを、しっかりキープするのは、オランダのレーベルとしては、至極当然のことなのだろう。

自分が思うには、Channel Classicsの次世代を背負うホープで、レイチェル・ポッジャーの後任は彼女しかいない、と思っている。新作が出るたびに聴いているが、実力も確かだ。

あとは、ポッジャーの古楽&バロック・ヴァイオリンのように、自分の音楽の方向性をどのように持っていくか、が大きな課題だろう。


ロザンヌ・フィリッペンスの最新作はこちらになります。 


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ヴァイオリン協奏曲第2番、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、他(プロコフィエフ)
ロザンヌ・フィリッペンス、タウスク&ザンクト・ガレン交響楽団、他

https://goo.gl/soFdMm

残念ながら、Channel Classicsは、このサックスの判断なのか、ネットビジネスに移行しつつあって、SACDはレイチェル・ポッジャーやイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管のような看板スターしか出せないようになってきた。

このロザンヌ・フィリッペンスも最初の頃は、SACDを出してくれていたのだけれど、最近は物理メディアはCDのみ販売で、あとはダウンロード型のファイル(DSDファイル)のみavailableというビジネスのやり方だ。

このChannel Classicsが立ち上げたダウンロード型音楽配信サイトが、Native DSD Musicというサイト。


Native DSD Music

https://www.nativedsd.com/


まさにDSDファイルに拘った音楽配信で、PENTATONE,Channel Classics,LSO LiveなどいわゆるDSD音源を持っているレーベルだけを寄せ集めた特殊なサイトで、いま覗いてみると、なんと、61レーベルの参加、1410のアルバムを格納しているようだ。

そんなにDSDレーベルってあったっけかな?(笑)と思ったが、マスターがPCMでもDSDのファイルに変換してるんだろう。

DSD256(11.2MHz)まで対応している。

強烈なDSD信仰のあるジャレット・サックスらしいビジネス。

2015年ころにちらっと覗いて、実際ダウンロード購入したことも数回あるが、自分の家はマンションのナローバンドなので、ダウンロードは時間喰ってちょっとキツイ。

懲りて、以来縁遠かった。

最近はダウンロードよりもストリーミングのほうに世の中流れているので、日本のPrimeSeatと協力して、DSDストリーミングの実験をやっているような告知も観た。

PriemSeatはライブ演奏をストリーミングする”ライブストリーミング”が、ふつうでは得られないコンテンツということで売りなのだが、この実験で普通のDSD音源もストリーミングするつもりなのでしょうか?(笑)


ネットに移行するのは仕方がないにしても(クオリティはまだ不満です)、ネットサービスは2chが基本。サラウンド・コンテンツのファイルも用意されていることはいるが、それに対応するUSB-DACなりのサラウンド用DACというのが、あまりお目にかからない。

I/Fとかどうやるのかな、とも思うが。

サウンド・クオリティ含め、SACDのメリットは、やはりサラウンド再生。
これが実現しないと、自分はやはりまだネットコンテンツにはあまり興味が湧かない。


Channel Classicsがやっている、このNative DSD Musicも推奨サラウンドDACというのを掲載しているが、自分にはイマイチ。(笑)まだ次世代ステップなのだろう。



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彼らが推奨している内のひとつのマルチチャンネルDAC。
New “Mark II” edition of exaSound’s popular e28 Multichannel DAC

実際日本で使用されているユーザの感想も読んだことがある。

まぁ、まだ自分には先のことで眼中にありません。
オーディオに散財するのは、虚しくなるだけなので、もうやめようと思っているので・・・(笑)


強烈な印象だったジャレット・サックスのインタビュー記事。当時2014年だから4年も経過している訳で、移り変わりが激しいオーディオ業界、いまのサックスの考え方はどのように変わっているのか?

Channel Classicsは今後どのように変わっていくのか?

おおいに興味がわくところではある。









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オレがこの25年間で録ったベスト25テイク [オーディオ]

Channel Classicsを、単なるオーディオマニア御用達の高音質指向型のマイナーレーベルだと侮ってはいけない。

彼らは、あのクラシック界で権威高いイギリスのグラモフォン誌で、2015年に”レーベル・オブ・ザ・イヤー”を見事受賞しているのだ。

Label of the Year 2015 "Channel Classics" GRAMOPHONE

https://www.gramophone.co.uk/awards/2015/label-of-the-year

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受賞する創始者ジャレット・サックス


この年は、ちょうどレーベル創立25周年にあたる祝年でもあった。
この受賞はインディーズ、いわゆるマイナーレーベルとしては、画期的な事件だった。

英グラモフォンといえば、選考員および一般大衆による投票によって決められる賞で、アーティスト、曲、アルバム、レーベルなどカテゴリーごとにその年の最も印象的だったものを選ぶもの。

ここに選ばれることは、とても名誉なことだ。

メジャーとインディーズの垣根の定義は正直難しい。アーティスト、そしてレパートリーなどのマーケットが大きいメジャー、そしてそれらがニッチ市場であるインディーズ。

今回、そのまさにインディーズの代表でもあるChannel Classicsに受賞という大きな名誉が与えられたのは、メジャーでは至極当たり前に行われている、アーティストがレパートリーを増やしていく過程に伴うリスクを許し、さらに彼らを積極的にサポートしていくその姿勢が、評価されたというのが理由であった。

まさにインディーズでこれがやれている、というところを評価された訳で、まさにインディーズ代表としての受賞と言ってもよかった。

Channel Classicsを支えている大黒柱は、英国人のレイチェル・ポッジャーとハンガリー人のイアン・フィッシャー(ブタペスト祝祭管弦楽団)。

彼らが、この25年間にこのレーベルでリリースしてきた膨大なレパートリーは、まさにこのような大きなサポートがなければ実現しなかった。

この2人の他にもたくさんのとても華やかなアーティスト達が在籍している。

同時に、このレーベルのサウンド・クオリティーも大きな評価の対象であった。
創始者、ジャレット・サックス氏による新しいレコーディング・フォーマットに挑戦し続けるあくなき探求心にも称賛の対象であった。

”アーティストと録音技術”。

レーベルにとって、最も大切なこの2要素が、素晴らしい、メジャーなみと評価され、まさにインディーズ代表としての受賞と相成ったわけだ。


そんなその年のグラモフォン受賞の記念、そして創立25周年を祝してリリースされたのが、この記念盤。SACDではなくCDである。 

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「オレがこの25年間で録ったベスト25テイク」というのは、自分が勝手につけた邦題である。(笑)正式名称は、「JARED SACKS 25 Takes From 25 Years of Recordings」。

自分は、これをどのように入手したのか覚えていないのだけれど、Channel Classicsのアルバムをまとめて何枚か注文したら特別にもらった記念盤だったような覚えがある。

先日のレイチェル・ポッジャーの日記を書くときに、彼女のディスクをまとめてラックから探しているときに、偶然に見つけた。

普通の販路では売っていないディスクであるが、Channel ClassicsのHPでネット経由で購入できるようだ。

https://www.channelclassics.com/catalogue/SEL6615-25-Takes-from-25-Years-of-Recording/


物理メディアのCDだけでなく、デジタル・ファイルも存在する。こちらはDSDファイルだ。
DSD64(2.8MHz)で、2chとMultiChannelが存在する。

自分は、CDで持っていて、先日発見するまで新品未開封だったのだが(笑)、今回聴いてみた。
レイチェル・ポッジャーからスタートして、本当にじつにバラエティに富んだアーティスト、そして選曲。

中心レパートリーである古楽を中心に、大編成のオーケストラ、ピアノ、アカペラ、合唱に至るまで、ひとつのレーベルでよくこれだけ、いろいろなジャンルに溢れているのが信じられない。

このレーベルは、普段はSACDサラウンドで聴いていて、そのサウンドの印象はポッジャー日記で書いた通りだが、CDで聴いても全然いい。その録音のよさがわかるし、やはり独特のサウンドだ。

やっぱりサウンドって、マスターからユーザー宅に届けるまでのフォーマットがどうこう、というより、やっぱり収録現場での収録、そしてその編集の部分で、優秀録音になるかどうか決まってしまう、パーセンテージが大きいと思う。(まさに収録するときの諸元の高さは最重要。伝送フォーマットのレベルアップは、その助けにはもちろんなるとは思いますが。)

昨今のハイレゾブームに応じて、CDを馬鹿にする風潮にある中、あえて、そのブームにチクりと嫌味を。(笑)

いい録音というのは、CDで聴いても、じつに素晴らしい音なのだ。
CDをちゃんと再生できない人が、ハイレゾに先走ってもその効果はたかが知れている。(笑)

この記念盤、本当に素晴らしい!

Channel Classicsの25年間がすべて詰まってると言っていい。

ぜひ聴いてみてほしい。






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レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー [ディスク・レビュー]

バッハとヴィヴァルディ。レイチェル・ポッジャーの録音は、やはりこの2人の作曲家の作品がいい。バッハは、ポッジャーをいまの名声の立場にまで引き上げてくれた人で彼女のルーツはここにある。ヴィヴァルディは、最新録音技術を駆使して、いままさに取り組んでいるプロジェクト。

もちろん他の作曲家の作品も魅力的だが、自分の11枚を聴き込んでのとりあえず出した結論。

でもバロック音楽も久しぶりに聴くとなんと心地よい音楽なんだろう。
あの明るい軽やかな旋律は、確かにクラシックの音楽の原点だね。
とても癒される。 


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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲(バッハ) 
ポッジャー

http://bit.ly/2Nv2kMy


1999年に発表した「バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」は、「古楽器による無伴奏」史上最大のベストセラーを記録した。

この1998年から99年にかけて録音された「無伴奏」の成功で、ポッジャーは一躍世界にその名を轟かせることとなった。

まさに彼女の原点はここにあった。彼女はここからスタートした。
まさにポッジャーを語る上では、絶対外せない名盤なのだ。



古楽器によるバッハ無伴奏。

自分は最初よくわかっていなくて、これはSACDではなくCDなので、スルーしていた。
しかもバッハの無伴奏は、後で紹介する「守護天使」のSACDを持っていたので、尚更スルーだった。ところがポッジャーのことを調べてわかってくると、このCDが彼女のすべての原点でありスタートであることがわかり、急いで今回注文した。

バッハ無伴奏にありがちなロマン派志向の演奏に聴かれるような重苦しさとは全くその対極にある演奏。かなり印象的な速いテンポで進められる。なんか疾走感があって、なにかに掻き立てられるような演奏。かなり情熱的なバッハだと思う。熱いパッションがどんどんこちらに伝わってくる。

かなり訴求力ある。強烈にアピールしてくるバッハ無伴奏だと思う。

録音的には、2chステレオ再生とは思えない空間感で、しかもヴァイオリンの音の芯が太くて、かなり肉厚なサウンド。広い空間を朗々と鳴るその鳴りっぷりに圧倒される。定位感もある。

これは自分のオーディオ・システムに起因するところなのかもしれないが、2chステレオのほうが、かなり厚いサウンドで、これがSACDサラウンドになると、確かに情報量やステージ感は圧倒的に有利になるのだが、音の芯というか、どこか薄いというか線の細いサウンドに感じてしまうのだ。


2ch再生のほうが肉厚。

あとで、紹介する「守護天使」は、同じバッハ無伴奏でSACDサラウンドなのだが、なにかどこか音が薄いというか、ワンポイント的に聴こえてあっさり感を感じてしまうのだ。

とにかくこのCDは、ポッジャーを語る上で避けて通れないディスクなのだ。 



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ヴァイオリン協奏曲集(バッハ) 
ポッジャー&ブレコン・バロック

http://bit.ly/2NwdK2K

1999年の「バッハ無伴奏」で一躍スターダムにのし上がったポジャーであるが、その後、ピノック率いる古楽器オーケストラ「イングリッシュ・コンサート」や、マクリーシュ率いる「ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ」のリーダーとして活躍。

その後は「エイジ・オブ・エンラントゥンメント管弦楽団」や「アルテ・デイ・スオナトーリ」など複数の古楽器オケに関わり、さらにギルドホール音楽演劇学校と王立ウェールズ音楽大学、デンマーク王立アカデミー、ブレーメン音楽大学でバロック・ヴァイオリンの教授を歴任。

2006年には南ウェールズの田園地帯でモーツァルト音楽財団を設立して若い音楽家を援助し、同地で開催されるブレコン・バロック音楽フェスティヴァルの中心人物として活躍。2008年からはロンドン王立音楽アカデミーでバロック・ヴァイオリンを教えていたりしていた。

まさに、ポッジャーが日本ではあまりその活躍、知名度の高さが知られていないのが不思議なくらいの古楽界ではスターであった。

その名声を徹底的にしたのが、このバッハのコンチェルト。

自分のユニット、ブレコン・バロックを結成したのは、2007年だが、録音したデビューCDは2010年、まさにこのバッハのコンチェルトなのであった。このバッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。

このSACDは、結構自分のオーディオ仲間内でもオーディオオフ会などに使われていた定番のソフトだったのだが、これだけの名声のある録音にしては、自分のオーディオと相性は、じつはあまり良くないのだ。

サラウンドで聴いているのだが、普段のChannel Classicsサウンドよりも、若干控えめで、ふわっと部屋中に広がる音場感が物足りない。ちょっとこじんまりしていて、音量もそんなに大きくない。
あのいつもの前へ前へ出ていくような感じがなく控えめなのだ。

じつはあまり自分は胸ときめかないディスクなのだ。(^^;;

バッハのコンチェルトなら、これもオーディオオフ会で定番ソフトであったDGのヒラリーハーン盤のほうが、ずっと自分のオーディオとは相性が良かった。

でももっと逆の見方をしたら、エンジニアのいじりがない、最も古楽らしい自然な響きがするアルバムだということもいえるのかもしれない。 


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モーツァルト:協奏交響曲、ハイドン:ヴァイオリン協奏曲集 
ポッジャー、P.ベズノシウク、エイジ・オブ・インライトゥメント管


http://bit.ly/2O8u6iX


ポッジャーのヴァイオリンと鬼才ベズノシウクのヴィオラ。2人の名手と2台のストラディヴァリウスの対話が創り出す、「協奏交響曲」。モーツァルトとハイドン。

聴いていて、明るいとても楽しい曲。特にモーツァルトが良い。
弦合奏、ヴァイオリンとヴィオラの掛け合いが素晴らしく、特に解像感がいい。
弦が擦れるような感覚が伝わってくるような緊迫感のあるサウンドなのだ。優秀録音。
チェンバロが重なってくると、いわゆるあの古楽独特の雰囲気のあるサウンドで心地よい。
それに増して、驚くのは、演奏している人たちのアンサンブルの精緻さ、正確さ。
かなりう~んと唸るくらい素晴らしい。

ポッジャーはバッハとヴィヴァルディと断言しちゃったけれど、このモーツァルト&ハイドンもじつに素晴らしいです。 


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モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲集、
M.ハイドン:二重奏曲集 
ポッジャー、J.ロジャース

http://bit.ly/2NyktZR


ブレコン・バロックのメンバーであり英国最高峰のヴィオラ奏者、ジェーン・ロジャースとのデュオによる「モーツァルト&ミヒャエル・ハイドン」。ポッジャーはモーツァルトとハイドンの組み合わせがとても好きだ。


これも先に紹介したアルバムとテイストは似ている。モーツァルトとハイドンはとても明るくて楽しい曲なのがいい。モーツァルトらしいあの軽妙で親しみやすい旋律。それをヴァイオリンとヴィオラの2本で奏でていく掛け合いがシンプルでじつに美しい。先のアルバムは、古楽室内オケとの協奏曲だったが、こちらはヴァイオリンとヴィオラの2本で奏でる。

録音のテイストは、やはりジャレット・サックス。ぶれないというか、変わらない。弦楽器サウンドに必須の解像感がバッチリだ。弦が擦れる音が聴こえてきそうだ。 


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守護天使~無伴奏ヴァイオリン作品集~バッハ、ビーバー、タルティーニ、ピゼンデル、他
ポッジャー


http://bit.ly/2J2E7uz


ガーディアン・エンジェル、守護天使と題されたこのアルバムは、レイチェル・ポッジャーのお気に入り作品を集めたもの。ポッジャー自身の編曲によるバッハの無伴奏フルートのためのパルティータのヴァイオリン・ヴァージョンに始まり、アルバム・タイトル由来の名曲であるビーバーのパッサカリアで締めくくられる。

先の調布国際音楽祭2018でもこのアルバムから選曲された。

いままでの自分のこのアルバムの位置づけは、ポッジャーの無伴奏を聴くなら、この守護天使、というくらい圧倒的な信頼を持っていた。それは、やはりSACDの5.0サラウンドで収録されているということに他ならない。

でもポッジャーの伝説のデビューCDの無伴奏を聴いてから、少し考え方が変わってきた。

聴き込んでみると確かに最新録音としての完成度は高いのだけれど、一度デビューCDを聴いてしまうと、その音の薄さがどうしても気になってしまう。空間バランス(背景の空間に対して、楽器の響きの広がり)が、どこかワンポイントっぽく聴こえ、オフマイク録音のように感じる。

確かに美音系なので、いい録音だと思うのだが、オーディオマニアというのは、修羅場をくぐってくると、ヒネクレてくるというか、単なる美音では感動しない、というか、サウンドのどこかにエンタメ性を求めたりする生き物。

いまの自分はデビューCDのほうがクル。

でも最新録音としての完成度は高いアルバムだということは間違いありません。 


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二重&三重協奏曲集(バッハ) 
ポッジャー&ブレコン・バロック


http://bit.ly/2NuUoLp

これが、まさに自分の中でのポッジャーの最高傑作。ポッジャーの録音といえば、自分にはこのディスクのことを指す。いままで数多のオーディオオフ会での拙宅、または持ち込ソフトなど、自分のオフ会用のキラーコンテンツだった。

もちろん優秀録音なのだが、なによりもその楽曲の良さが自分には堪らなかった。

クラシックのアルバムというよりは、まるでポップスのアルバムを聴いているような収録曲の1曲1曲すべてにおいて、いわゆるポップスでいうところのフックの効いた(人の心を一瞬にして惹きつけるような旋律のサビの部分)曲ばかりなのだ。

トランスポートのリピート機能をONにして、ずっとエンドレスで聴いていても、1日中かけっぱなしにしても全く飽きがこないくらい自分は相当大好きだった。

このアルバムに収められているのはバッハの4つの多重協奏曲レパートリー。

録音面では、このディスクは2ch再生だとなかなか再生困難で難しい箇所も多い。弦楽器の多重なので、ある意味団子状態で混濁してしまうのだ。サラウンドで聴くと、これが結構各パートの弦楽器が分離して聴こえてスッキリ聴こえてくるのだが、2ch再生だとなかなかハードルが高いディスクだと思う。

システムの解像度分離の良さをテストするディスクとして機能していたところも多かった。

録音がいい!という点では、最近出てきた新しい録音のほうが、さすがに洗練されているとは思うが、このディスクでも十分すぎるくらいお釣りが出るほど素晴らしいサウンドのアルバムだと思う。

ポッジャーの1枚と言ったら、このディスクしかない! 


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「ラ・チェトラ」全曲(ヴィヴァルディ) 
ポッジャー、オランダ・バロック協会(2SACD)

http://bit.ly/2NzIxMa


ポッジャーの録音の中で、最も録音が素晴らしいと思う最新録音。いきなりの冒頭の通奏低音の分厚さにたまげる。いままでのChannel Classicsの録音ポリシーに沿っているのはもちろんのことだが、それ以上に音が分厚くて、ちょっと全体的にやりすぎ感が漂う感じもなくはない。(笑)


生音はあきらかに古楽器の響きなのに、録音の味付け(やりすぎ感?。。。笑笑)で、とてもモダンっぽく聴こえる。

まさにChannel Classicsの真骨頂といってもいい。音が分厚いのと情報量多いよね。原音に響きがほんのり乗っている豊かさで、それが音の厚みにつながっていて、そこからさらには全体のスケール感の大きさにつながっている感じ。

芋ずる式です。(笑)

確かにエンジニアの操作感を感じてしまうけれど、いわゆるオーディオ快楽というオーディオマニアが好きそうなサウンドだ。

このアルバムは、ポッジャーの最新のヴィヴァルディ・プロジェクトの1枚である。
ヴィヴァルディは円熟期の大作「ラ・チェトラ」。なんて素晴らしい曲なんだろう!

ヴィヴァルディって本当にバロックらしい、とてもシンプルで明るい調性の曲で素晴らしい。
まさに自分のお気に入りのディスクなのだ。 



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「調和の霊感」全曲 (ヴィヴァルディ)
ポッジャー&ブレコン・バロック(2SACD)

http://bit.ly/2Nwa8O8


この1枚も最新のヴィヴァルディ・プロジェクトの中の1枚。
調和の霊感~ピエタ音楽院の教職に就いて8年目、ヴァイオリンと合奏と作曲を教えていたヴィヴァルディが、33歳にして初めて出版した協奏曲集である。

これもブレコン・バロックとタッグを組んでいる。
これはちょっといままでの録音のテイストとちょっと違った趣。原音に響きの潤いが乗っていない。
弦の擦れる音が聴こえてきそうな解像感は高いと思うが、全体的にソリッドな感じ。いままで録音の妙で、古楽の響きもモダン風に化粧をしていたのが、そういうのをいっさいやめて原点に戻った感じ。まさに”古楽の響き”。

でももちろんテイストは違っていても優秀録音であることは間違いありません。

同じヴィヴァルディでもこんなに違うんだね。バロックの明るい解放的な雰囲気というより、もっと求道的で突っ走る感じで疾走感がとてもカッコイイ魅力になっていますね。 



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「ロザリオのソナタ」(ビーバー)
ポッジャー、シヴィオントキエヴィチ、他(2SACD)

http://bit.ly/2NygPiB


ポッジャーのディスクの中でも3本の指に入る大好きな録音。もちろん録音の優秀さ、そして楽曲の良さという両方において。

ポッジャーがついにビーバーのロザリオ・ソナタを録音した。

スコルダトゥーラ(変則調弦)などの特殊技法も要求され、通奏低音との絡みも重要なビーバーの人気作「ロザリオ・ソナタ」。ビーバーは、オーストリア・バロックの作曲家。その当時のヴァイオリン演奏技法を集大成したと言われる「ロザリオ・ソナタ」が、そんなビーバーの代表作なのだ。

自分は、大昔にちょっと嵌って聴き込んだことがあるが、ずいぶんご無沙汰していた。
そう!ハマるくらいかなり個性的な曲なのだ。ちょっと陰影っぽくて哀愁漂う感じでカッコイイ。
そんなロザリオ・ソナタをポッジャーが録音していたなんて!

これも、かなり録音が素晴らしい!
いわゆる”やりすぎ感”(笑)。

実音にほんのりと響きがのっていて(というか乗せている)、音に厚みがあって、そこから芋ずる式に全体のスケール感が増すという方程式ですね。生音では絶対こうは聴こえないよな、という自信はあります。(笑)

大好きな1枚です。 



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「四季」「恋人」「安らぎ」「ムガール大帝」 
レイチェル・ポッジャー、ブレコン・バロック


http://bit.ly/2NvcpJo

これもヴィヴァルディ・プロジェクトの1環。ポッジャーのまさに最も新しい最近リリースされたホヤホヤの最新録音。

もちろん慌てて買ったのだが、残念ながら届いたディスクは、不良ディスクで、SACD層を読み取らず、CD再生しかできなかった。もちろん返品交換してもらうが、ここでは録音評は差し控える。
間に合わなくて誠に残念!

学生だった頃のポッジャーが、ナイジェル・ケネディの名録音を聞いて以来、演奏と録音を夢見てきたというヴィヴァルディの傑作。

四季なんて、まさに誰もが知っている名曲。なぜこのような名曲を、というのもあるが、そういう理由があったんですね。もちろん今進行しているヴィヴァルディ・プロジェクトと相重なる幸運もあったのでしょう。

新品が届いたら、じっくり聴き込みたいね。 


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「フーガの技法」 
レイチェル・ポッジャー、ブレコン・バロック

http://bit.ly/2OatqtI


2015年に英国王立音楽院(RAM)のバッハ賞を受賞(歴代10番目、女性としては初受賞)したポッジャー。無伴奏、ソナタ、協奏曲と築いてきたバッハ伝説の最新章は、J.S.バッハの対位法の粋を集めた傑作「フーガの技法」に到達。

パートナーは、もちろんブレコン・バロック。

妙なエコー感、やりすぎ感がなく、とても自然なテイストの録音。ある意味、Channel Classicsっぽくない。(笑)

暗めで地味な旋律で、音量、音色などの強弱の振幅変化が乏しく、それが永遠に続くような不思議な感覚の曲である。バッハの対位法は、いろいろ勉強させられることが多く、今尚勉強中のテーマでもある。


以上、ミッションコンプリート!

ご苦労さんでした。

ずばりまとめると、レイチェル・ポッジャーのマイ・フェバリット ベスト3と言えば、

・二重&三重協奏曲集(バッハ)
・「ラ・チェトラ」全曲(ヴィヴァルディ)
・「ロザリオのソナタ」(ビーバー)

ということになります。
ぜひポッジャーを聴いてみたいなら、この3枚をお勧めします。


あっ、もちろんこの3枚の他にデビューCDのバッハ無伴奏も、絶対買ってください。

これも外せません!


日本に来日するなんて幻の幻。

オーディオ再生のみの自分の世界の中で生きてきたレイチェル・ポッジャー。

それが実演に接することができて、さらにこうやっていままで買いためてきて、きちんと整理することのなかったディスコグラフィーも自分の頭の中で踏ん切りがついた。

これも予想だにしなかった突然の来日がもたらしたうれしい誤算だろう。

ポッジャーは、現在、自分とまったく同世代の50歳。

実演、間近で観た彼女は全く商業っぽくなく、等身大の自分のスターとして、これからもファンでいて追いかけていくことは間違いないことだと思います。







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レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー 序章 [ディスク・レビュー]

自分が所有しているレイチェル・ポッジャーのディスク11枚を完遂した。自分はよくやるのだが、こうやって1人のアーティストのいままでの録音を全部確認することで、そのアーティストが目指しているところの音楽の方向性がわかるのだ。

だから自分にとって、はじめて接するアーティストを聴く場合、すぐにそのアーティストのディスコグラフィーを調べてみる。するとどういう音楽を目指してきているのか、まず理解できる。

まずは、そこを知ることが重要だし、ある意味そのアーティストへの礼儀というものではないか、と思う。

自分がいままで、こういうディスコグラフィーを聴き倒したのは、エディタ・グルベローヴァ、エレーヌ・グリモー、アリーナ・イブラギモヴァそしてこのレイチェル・ポッジャーの4人である。

結構、骨の要る作業なのだ。(笑)
簡単なことじゃない。

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レイチェル・ポッジャーは、それこそ自分が所有している11枚以外にももっと出しているが、彼女を知るには、この11枚を持っていれば、彼女の音楽の方向性、そして録音を楽しむには十分ではないか、と思う。

2枚を新規に買い足したとはいえ、結構ポッジャー・フリークだったんだな、自分。(笑)

ポッジャーの11枚を一通り制覇して、まず思ったことは、Channel Classicsは、本当に録音がいいレーベルだな、と思ったこと。

そして本当に独特なサウンド。ちょっと他の高音質指向型レーベルでは例をみないというか、あまり体験できないサウンド。

「エネルギー感や鮮度感が抜群で、前へ前へ出てくるサウンド、そして空間もしっかり録れていて両立性があること。」

Channel Classicsの録音ポリシーって、こんな風にまとめれるんではないかなぁ、と感じてしまう。

結構各楽器にスポットマイクを多用してオンマイクでがっちり録って、メインで録ったものとうまくミキシングしているような感じがする。そのバランスが見事というか絶妙です。

ポッジャーの11枚を聴くと、新しい録音になっていくにつれて、どんどん録音がよくなっていくのがわかる。新しい録音は、正直、やりすぎ感というか、それはいじり過ぎだろう?(笑)という感もして、生演奏の音からはあまりに乖離している、でも「オーディオ快楽」といおうか、いかにもオーディオマニアが喜びそうな音に出来上がっている印象を抱いた。

一番違和感を感じるのは、あの楽器の音のエネルギー感や鮮度感。ある意味ここが、このレーベルのサウンドの1番の持ち味なのだが、生演奏では、あんなに派手に聴こえません。そこはオーディオライクにデフォルメして調理していることは間違いなし。

でもオーディオってそれでいいのかもしれない。



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Channel Classicsは、ジャレッド・サックス氏が創立した会社で、彼のワンマン会社。(笑)
上の写真のように、Channel Classics創立25周年を記念して、「オレがこの25年間で録ったベスト25テイク」というCDを出している。(笑)

Channel Classicsの録音のクレジットを見てもサックス以外のメンバーはいっさい出てこない。

Recording enginner,editing
C.Jared Sacks

とあるだけ。


ライナーノーツに挿入されているレコーディング風景の写真を見てみると、ポッジャーを取り囲んで、エンジニアが数人と議論している写真をよく見るし、ひょっとしたら本当にサックス1人でやっているのかもしれないけれど、実際は、複数タッグでやっているはず。他のエンジニアも可哀想だから、ちゃんとクレジットしてやれよ~と思うのだが、このレーベルでは、こと録音という神聖エリアではこのレーベルでは、サックスは圧倒的な絶対専制君主なのだろう。

ここが、PENTATONEやBIS内での録音エンジニアの立ち位置関係の明らかな違い、と感じるところだ。

大昔に、サックスのインタビューで、彼の録音ポリシーと録音技術についてのインタビューの記事を読んだことがあったのだが、内容は忘れてしまったが、かなり骨のあるしっかりした考えを持っている人なんだな、と思ったことがある。


Channel Classicsのマスタリングルームは、B&W 803D×5本(Nautilusの後に出たやつで、Diamondの前にでたSPです。)、そしてCLASSE 5200のアンプを使っている。




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レイチェル・ポッジャーの録音、彼女の音楽の方向性は、やはりバロック時代の音楽。ことバッハが彼女の音楽の根底にあるのが、はっきりわかる。やはりこの世界にデビューしたのはバッハだし、いまのバロック古楽の世界で名声を得たのもバッハ作品がきっかけだった。

彼女にとって、バッハは特別な存在。

そして最近の最新アルバムでは、ヴィヴァルディを自分のテーマにあげていて、4枚のヴィヴァルディ・アルバムをリリースしている。

彼女のヴィヴァルディへの傾倒ぶりが分かる。

11枚の録音を作曲家別に分けてみると、バッハ(×4枚)。ヴィヴァルディ(×4枚)、モーツァルト、ハイドン、ビーバーとなる。

演奏スタイルの変遷としては、ポッジャー自身がバロック・ヴァイオリンを売りにしている奏者、その部分は不動として、無伴奏で演奏しているアルバム、そして彼女の最も大切なパートナーである古楽演奏の室内楽ユニット、ブレコン・バロック。そしてオランダ古楽界の若き精鋭集団オランダ・バロック協会や、ポーランドの古楽グループ「アルテ・デイ・スオナトーリ」など自分のグループ以外との共演にもとても積極的だ。

特に最近の彼女のライフワークであるヴィヴァルディ・プロジェクト。

ポーランドの古楽グループ「アルテ・デイ・スオナトーリ」と共演した「ラ・ストラヴァガンツァ」、
オランダのグループ「オランダ・バロック協会」と共演した「ラ・チェトラ」、
そして自ら結成した古楽グループ「ブレコン・バロック」と共演した「調和の霊感」

この3枚のヴィヴァルディ・アルバムは絶対買いの素晴らしいアルバム、録音だった。

ヴィヴァルディのバロック時代に「協奏曲」というジャンルは確立されていなかったと理解しているが、まさに古楽時代のヴァイオリン協奏曲と言ってもいい名高い名曲を収めた3枚となった。

特にポーランドの古楽グループ「アルテ・デイ・スオナトーリ」と共演した「ラ・ストラヴァガンツァ」の録音は、2002年にリリースされたアルバムだが、これがChannel Classicsとしては初の協奏曲録音となったそうで、ポッジャーのこのレーベルへの貢献ぶりがわかる。



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彼女の室内楽ユニット、ブレコン・バロック。


2007年にブレコン・バロック・インストゥルメンタル・アンサンブルを設立し、2010年に録音したデビューCD、バッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。

ブレコン・バロックはチェンバロを含めて6名、各パート1人で編成し、バッハ時代のカフェ・ツィンマーマン・アンサンブルを模し、自由で新しいスタイルの演奏を目指している。


このブレコン バロックが主役として活躍するブレコン・バロック音楽フェスティバルも定期的に開催されていて、ポッジャーはその芸術監督に2006年に就任している。

まさにポッジャーの手兵といっていい存在で、今回の11枚の中でも5枚が、このブレコン・バロックとの競演なのだ。彼女にとって、なくてはならない存在だ。

もうひとつ今回気づいたことは、11枚のうち録音ロケーションの大半がイギリス、ロンドンで行われていることだ。何枚かは、お膝元のオランダでおこなわれている。

こうしてみると、ポッジャーって英国の父とドイツ人の母の間に生まれたイギリス国籍。
今住んでいるところ、活動の本拠地も、イギリス、ロンドンなのかなー?と思ってしまう。

これから本章のディスク紹介に入っていきたい。本当にとてもウィットに富んだ魅力的な11枚のアルバムだった。自分がこれだけバロック音楽の世界を集中的に聴くことも普段はあまりなく、ある意味貴重な体験だった。

長くなりそうなので、いったん日記を2部に分けようと思います。






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ラトル&ベルリンフィル [クラシック指揮者]

16年間ベルリンフィルの音楽監督を務めあげてきたサー・サイモン ラトル。
16年間ご苦労様としかいいようがない。 

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この16年を短いと見るか、長いと見るかは、人ぞれぞれだろうけれど、自分は潮時というか、とても適切なジャッジをしたのではないか、と思う。

それも数年前から宣言をして、計画的に終焉を終える。他人に迷惑をかけず、とても紳士的な振る舞いだと思う。

ラトルのベルリンフィルにおける功績はそれこそ、いろいろなメディアで記事として特集されてきたので、そのようなことは、ここで触れるつもりは毛頭ない。

自分のラトル&ベルリンフィルへの想いを書きたいだけである。


自分にとって、ベルリンフィルのシェフといえば、カラヤンでも、アバドでも、ましてやフルトヴェングラーでもなく、このラトルであった。

ベルリンフィルへの入門として、それこそ、自分はカラヤンのことを膨大に勉強してきた。あの膨大な音源、映像素材を片っ端から収集してきて、徹底的に研究してきた。そしてカラヤンに纏わる本も、相当買い込み、カラヤンの生い立ち、そしてゴシップなどのゴタゴタまで隅々読み漁ってきた。

アンチも多かったカラヤンだったが、自分のクラシックの原点は、カラヤン&ベルリンフィルだった。誘ってくれた友人にも感謝しないといけない。


なにせ、カラヤンの現役時代は、自分は北海道にいた。(笑)
就職で上京して、2年後にカラヤンはご逝去された。

アバドの時代は正直自分には印象が薄かった。

いわば、カラヤンやアバド、そしてフルトヴェングラーの時代というのは、自分にとっては、レコード再生、CD再生など音源を通して、頭の中で想像する類の指揮者であった。


自分が、本当にベルリンフィルとリアルと向かい合って、肌で体験していると感じたのは、このラトル時代からと言ってもいい。

ラトルがベルリンフィルに就任したのは、2002年。

このとき、自分は会社を3年間休職して、北海道の親元で療養していた真っ最中だった。(笑)

2004年に復職してから、ラトル&ベルリンフィルを聴き始めた。

今振り返ってみると、自分のラトルへの評価は、彼の方針に対して、いつも疑問や反発からスタートして、そのうち納得させられる、ということの繰り返しだった。

そこには、カラヤンをベースにしてきた超保守的な自分にとって、ラトルのやることは、なにもかも常に新しかった、ということがあった。

そこに超コンサバな自分が反発する、そんな図式だった。

いつも最初は反発していた。

その初めだったのは、ベルリンフィルが所属するレーベル。
ベルリンフィルといえば、自分にとっては絶対ドイツ・グラモフォン(DG)だった。

ラトルが、イギリス人ということもあったのか、EMIというのは、とても許せなかった。
オーディオマニアにとって、このレーベルって、とても大切。

レコード会社(レーベル)というのは、それこそプロデュース、販売などいろんな役割があるが、自分に関係してくるのはサウンド。

正直自分は、EMIの造るサウンドがあまり好きではなかった。
天下のベルリンフィルは、絶対DGであるべき。

天下のベルリンフィルがEMIというのが、自分には許せなかった。



そのベルリンフィルのEMI盤の中で、「くるみ割り人形」のCDが発売されたとき、輸入盤・国内盤の問題がmixiのオーディオ仲間内で発覚した。

そのときから自分は、やはり音質的には、絶対輸入盤がいい、という確信を抱いた。(それ以前のずっと古い時代から、やはり音質的には、絶対輸入盤がいい、という定説はありました。)

この事件がトラウマになって、それ以来、自分はCDを買うときは、絶対輸入盤になってしまった。ライナーノーツやとても貴重な解説ノートがつくときは、輸入盤とは別途に国内盤を重複して買うことにしている。それだけ、この事件で自分は国内盤に対する信用を失った。

これもある意味、音造りにあまり執着しないEMIだから起きた事故だと自分は思っていた。



そしてラトル時代の大きな産物して、インターネットでベルリンフィルハーモニーでの公演を配信するDCH(Digital Concert Hall)がスタートした。これは自分にとって唯一acceptableな要素だった。画期的だと思った。

でも反面、NHKで年に2回やってくれる現地での定期公演の収録がなくなると思った。

DCHのカメラワークはつまらなかった。カメラが固定だからだ。ベルリンフィル側からすると、カメラが演奏している団員の前を常に動いたりすると演奏に集中できないとの理由から固定カメラにしているらしいが、家庭でその映像を観るユーザの立場からすると、なんて、ワンパターンでつまらない映像なんだ!と思ってしまった。

DCHはそれこそ、スタートした2008年は、DCHが動くパフォーマンス(CPU/メモリー)のPCを買い替えてまでして、最初夢中になって観ていたが、2~3年したら飽きて観なくなった。DCHは、たぶん2011年以降は、1回も観ていないと思う。

やはりパッケージソフトしてのBlu-rayのほうが、カメラーワーク含め、映像パッケージ作品としては数段レヴェルが上のように自分には思えてならなかった。


そして、ついに自主制作レーベル設立。
これも胸ときめいた。最初のシューマンの交響曲全集。

買って、その凡録音に唖然とした。いや、もとい、少なくとも自分のオーディオでは全く鳴らなかった。ある意味、EMIより遥かに悪かった、というか問題外であった。オマケに付属しているBlu-rayが、画質がDVDなみで、その怒りは頂点に達した。

DGやEMIといったらレコード会社だから、内部にしろ、外部委託にしろ、きちんとした録音エンジニアがいる。自主制作レーベルというのがそこら辺の素性が全く分からず、自分はますます不信感をいだいた。プロの仕事とは思えなかった。

ちゃんとした録音エンジニアがやっているのか?

レーベルから離れて、自主制作。素性がわからないことで、ますますその腕前に不信感を抱いたのだ。

あのときの自分の怒り・憤慨をぶつけた怒りの日記を書いた。
あれだけ激しい怒りの日記を書いたのは、最初で最後かもしれない。

その怒りの背景には、自分の天下のベルリンフィルが、こんなんでいいのか!という愛のムチと言ってもよかった。

自分のベルリンフィルへの録音作品への熱は、この自主制作レーベルで一気に冷めてしまったといってもよかった。正直、この事件以来、このベルリンフィルの自主制作レーベルのCDに、無意識に、苦手意識が生まれてしまった。

また自主制作レーベルのCDは、普通のCDより高いので、ますます買わなくなった。

カラヤン時代から集めてきたCDだったが、これで途絶えると思って悲しい想いをしたのがつい昨日のことのようだ。

縁あって、最近ベートーヴェンの交響曲全集を購入したのだが、これがじつに素晴らしい録音だった。大編成のオーケストラの録音としては、近来稀にみる見事な録音と言ってもよかった。

うちの2ch再生システムでもこれだけ鳴るんだから、絶対優秀録音だ。

ラトルとの出会いは、いつもこうなのだ。最初、最悪の出会いで、その後、見事に持ち直す、という・・・(笑)



これは自分が当時抱いていた想いなんだが、ベルリンフィルのシェフとしてのラトルは、あまり録音という作業に熱心ではない指揮者のように感じていた。

そのことをゴローさんにも吐露したことがある。

確かにカラヤンの録音好き、あの信じられないような膨大な録音を遺してきた、その後任の指揮者は、苦労するのは当たり前だ。

1番可哀想だったのはアバドだった。

どうしてもカラヤンと比較される。あれだけの作品を実演として上演して、録音も残してきたカラヤンと同じことはやれない。

自分の独自のカラーを出さないといけない。そういうことに常に悩まされていて、常に亡霊のようにつきまとわされてきたアバドは、自分から見ると、ベルリンフィル時代はそんなに、彼にとって輝いていたようには見えなかった。

アバドが、本来の彼らしい生き生きとした姿が観れるようになったのは、ベルリンフィル退任後の時代になってからで、ルツェルン祝祭管弦楽団とかやっているときだと思っている。

同じような想いがラトルにもあったことは、絶対間違いない。

ラトルは、アバドと同じように、カラヤンがやらなかった不得意でもあったマーラー&ショスターコヴィチや現代音楽の分野を積極的に取り上げた。

同じ曲を数年サイクルで何回も繰り返して録音するカラヤン。(そこには、自分の勝負曲を、その年代の最新の録音技術で残しておきたいという気持ちがあったとされている。)そしてすぐに全集モノを出すカラヤン。

そういうのと比較すると、アバドやラトルはつねにそんなに録音に熱心ではないと自分には映ってしまうのかもしれない。


自分が確信しているラトルの素晴らしいところは、マーラー&現代音楽含め新しい時代の作品に精通していて、積極的な人であると同時に、ベルリンフィルの最も得意とする18番でもあるロマン派の音楽もとても詳しく得手だという側面をちゃんと持ち合わせているというところだ。

いくら新しいことができたとしても、ベルリンフィルのお家芸であるロマン派の音楽がダメなら、団員たちは自分のシェフに絶対選ばない。

団員たちは音楽監督を決める選挙のときに、ちゃんとそこのところを観ているのだ。

団員たちが、ラトルを選んだのも、自分たちの伝統のロマン派の音楽に精通していると同時に、新しいことにも積極的に取り組んでくれそうな指揮者だったからだ。

ベルリンフィルの伝統お家芸のロマン派の音楽。
これがちゃんとできるかどうかは、団員たちは自分のシェフを選ぶときは、絶対シビアに観ている。

ベートーヴェンとブラームス。

この2人の作曲家は、ベルリンフィルにとって、もう絶対避けては通れない作曲家なのだ。
ベルリンフィルのシェフになったら、この2人の全集は、必ず造らないといけない。

もうこれは音楽監督の契約書の項目にあるのだと自分は確信している。(笑)

特にベートーヴェン。

結局、アバドもラトルも離任シーズン近くになったときの”ベルリンフィルのシェフとしての大まとめ”的な位置づけで作成した。

ベルリンフィルにとって、ベートーヴェンは1番特別な作曲家であることは誰もが知っている常識だ。


自分がゴローさんにも吐露したときも、ゴローさんの答えは、

「指揮者というのは、誰もがやるような定番の曲ってあまり魅力がない生き物なんだよ。これは自分しかやっていないようなそんな作曲家に魅力を感じるものなんだよ。」

これはある意味正解だと思う。


小澤征爾さんのサイトウキネンフェスティバル松本(現:セイジ・オザワ松本フェスティバル)のオペラ公演がそうだった。

この音楽祭でやるオペラは、小澤さんのポリシーがあって、ふつうのオペラハウスの興行でやるようなオペラはやらない。

ちょっとめずらしい、この松本でないと観れない、そんなオペラをやりたい、という意思で演目が選ばれていた。

だから当時、毎年松本の音楽祭に通っていた頃は、このオペラの予習するときが、すごく困ったものだった。巷には、予習素材がないものばかりだから。(笑)



ラトルがシェフになったことで、自分にとっては、ベルリンフィルが、より現実的で身近になったことは確かだった。

それはベルリンフィルの実演に接するようになったこと。

確かにこの影響は相当大きいだろう。

やっぱりオーディオ再生より、実演に接したほうが、自分への距離感はぐんと近くなる。

2009年にmixiをやりはじめて、自分のSNS生活をスタートさせた。

そのときに、ただオーディオのことを言及するだけではなく、クラシックのコンサートのことを言及したい、それが自分に似合っているというか自分のカラーになるように思えた。

コンサートも国内だけなく、海外まで行っちゃえ!

そんな中で、現地のベルリンフィルハーモニーでベルリンフィルを聴く、ということを実現できた。このときはマラ6を聴いた。もう何回も言及してきたことなので、今更言わないが、この本拠地でベルリンフィルを聴けた、というこの事実が、自分とベルリンフィルとの距離感を一気に近い存在にした。

自分にとって、ベルリンフィルのシェフと言ったら、圧倒的にラトルなのは、それが1番大きい理由だろう。やっぱりオーディオ再生よりも実演に接するほうがメモリアルだ。

ラトル&ベルリンフィルが日本に来日したときもかけつけた。

最初は、ブラームス交響曲全集を出したころで、それに乗って日本にやってきた。
サントリーホールで、ブラ1とブラ2を体験した。

このときは、コンマスとして安永徹さんがまだ在籍していた。

安永さんの勇姿を観れて、最高に幸せ者だと思った。

2回目は、これもサントリーホールでマーラー9番を聴いた。
これは安永さんの後任として樫本大進氏が正式に第1コンサートマスターとして就任したばかりで、まさに樫本氏の凱旋コンサート的に位置づけでもあった。

このときのマラ9は恐ろしく大感動したのを覚えている。
あの最後の音が消えつつも静寂をずっと保ち続ける、まさ聴衆にあれだけに緊張を強いる瞬間はないだろう。

いい想い出だ。


そして幻の3回目。

これはまさにベルリンフィルのシェフとしては一番大きな仕事であるベートーヴェン交響曲全集を完成した、その乗りでの世界ツアー。

日本でもサントリーホールでベートーヴェン・ツィクルス。(全曲演奏会)

ラトルは、ミューザ川崎の音響を大変気に入っていて、ミューザでの演奏も必ず実現させていた。
でもベートーヴェン・ツィクルスは、やはりベルリンフィルにとって特別。

ここはどうしてもサントリーホールでやる必要がある。

自分は、ベルリンフィルの来日コンサートを聴くときは、必ずサントリーホールで聴くようにしている。その理由は、もう今更であろう。(笑)

ところが、この3回目の来日コンサート。自分はベト4&7を聴く予定であった。

夜の公演だと思って、夜にサントリーホールに行ったら、なんと!マチネの公演でもう終わっていた。(号泣)

ベルリンフィルの来日公演のチケットと言えば、5万はする。
それだけの大枚をはたいて、しかもラトルの最後の大仕事。

このときの自分の落胆は、お察しする通りです。(笑)

この事件以来、自分とベルリンフィルの関係は、どうもギクシャクするような関係になってしまった。(意味不明。。。笑笑)


とにかくこれだけのリアルな想い出が詰まっている。

やはりそのショック度というか、心深く植え付けられる印象度合いが全然違うのだ。リアル体験というのは大きい。

過去に既に発売された音源や映像素材を鑑賞しているだけでは、このリアルさは絶対超えられない。

そういう意味で、自分にとって、ベルリンフィルのシェフと言えば、やはりサー・サイモン ラトルなのだ。

今晩(2018/7/15)のNHK BSプレミアムシアターで、ラトル&ベルリンフィル特集(ドキュメンタリー、マラ6最終定期、ヴァルトビューネ)を鑑賞する。

これで、本当にラトル&ベルリンフィルとお別れしよう。

尚、ラトルもアバドと同じように、これからも定期的にベルリンフィルに客演していくことになるそうです。


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Bells up for Sir Simon !

サイモンの最後(マラ6)のために、ホルンセクションのみんな、ホルンのベルを上げて感謝の意を・・・泣かせるなぁ (^^)






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レイチェル・ポッジャー ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

「レイチェル・ポッジャーは日本ではあまり人気が出ない。」

「日本ではレイチェル・ポッジャーの評価が低すぎる。」

レイチェル・ポッジャーは、現代最高のバロック・ヴァイオリニストの呼び声高く、バロック・ヴァイオリンの旗手として世界各地で活躍。バッハの無伴奏のソナタ、協奏曲、モーツァルトのソナタと、次から次へと出すアルバムは、すべて名盤という評価を受けている。

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そんな古楽の世界では非常に高い評価を受けている奏者なのだけれど、不思議と日本ではあまり話題にならないというか、どうも日本のメディアとの目線というか価値観と合わないようで、それがとても残念に思ってしまう。


自分はてっきり今回の来日が初来日だと思っていたのだが、じつは6年前の2012年にすみだトリフォニーホールで、「トリフォニーホール・バッハ・ フェスティバル2012」の開催のために来日している。


うわぁ、これはまったく知らなかった。知っていれば、絶対行っていた。当時は、SNSをやり始めた頃だったから、こういう来日情報は、今みたいに、簡単に入手できなくスルーしていたに違いない。


今回来日が実現したのは、調布国際音楽祭2018の1公演として。

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調布国際音楽祭は、公益財団法人 調布市文化・コミュニティ振興財団が主催する毎年初夏に開催されているクラシック音楽のお祭り。

「 調布から音楽を発信する」音楽祭として2013年にスタートした。

毎年、鈴木雅明氏&バッハ・ コレギウム・ジャパン(BCJ)が看板アーティストとなって引っ張っていっている音楽祭で、今年は、長男の鈴木優人氏をエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、音楽祭も一気に若返った。


調布市グリーンホール、調布市文化会館たづくり くすのきホール、そして深大寺などで開かれる。自分は、今回が初参加だったのだが、かねてより、深大寺の本堂の中で開かれるコンサートは、とても興味深く拝見していて、ぜひ参加してみたいと思っていた。

昔、調布散策した時に、もちろん深大寺まで行って、深大寺名物の深大寺蕎麦もいただきました。(笑)

深大寺コンサートは近いうちぜひ!


なぜ、レイチェル・ポッジャーの招聘ということになったか?は秘密裡だけれど、ポッジャーは昔、鈴木雅明氏と共演したことがあって、そこからの縁なのだと思う。また優人氏が担当しているNHK-FMの「古楽の楽しみ」でも彼女の録音をよくかけているのだそうで、そういうところから招聘のトリガーがあったのだろう。


BCJのメンバーはオランダで学んだ人が多いそうだ。


そうなのだ!オランダは古楽の国なのだ。

昔、欧州ベルギーに滞在していた時に、友人がアムステルダムに住んでいて、よく週末にアムスに遊びに行って、遊び尽くした街でもあった。いまでもその友人と話すときに、話題に出てくるのは、オランダ、アムスはまさに古楽の国、トン・コープマンとかブリュッヘン&18世紀オーケストラなど、もっともっと古楽をそのとき勉強しておくべきだった。オランダにはそういう古楽に所縁のある教会や名所がいっぱいある宝庫なのだ。その所縁の地にもっともっと足を運ぶべきだった。


やっぱり人間そううまくいかないもんなんだよね。そういうチャンスを神様から与えられているときに、その大切な価値観を知らなかったりして、後で思いっきり後悔する。世の中、得てしてそういうもんなんだよ。(笑)


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レイチェル・ポッジャーといえば、自分にとってはオーディオ再生。

日本に来日してくれて、その実演に接することは、ほとんど幻と思っていて、自分から直接現地ヨーロッパに会いに行かないと縁がないアーティストだと思っていた。

ある意味オーディオ再生を通じて、自分の頭の中で演奏姿を想像する類のアーティストだった。

オランダのレーベル Channel Classicsを長年に渡って支えてきた看板アーティストでもある。
Channel Classicsを支えているのは、このレイチェル・ポッジャーとイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団。

Channel Classicsは、当時、PENTATONEやBISと並んでSACDを採用してくれていた高音質指向型のマイナーレーベルだった。

ジャレット・サックスのワンマン会社。(笑)

これがじつに優秀録音で、その録音の素晴らしさ、テイストは、PENTATONEやBISとは、これまたちょっと違っていて、独特のサウンドだった。エネルギー感や鮮度感があって、前へ前へ出てくる独特のサウンドで、ちゃんと空間もしっかり録れている、という両立性が成り立っているバランスのいい録音で、自分は随分入れ込んで愛聴していた。

彼らの新譜は不思議と外れが少なかった。

やっぱり5.0サラウンドで聴くのが最高だった。2ch再生だと団子気味に聴こえる箇所もサラウンドで再生すると、分離されて見通しよくステージ感が広がってすっきり聴こえたりする。特にポッジャーの録音はその傾向にあって再生難なのだ。

Channel Classicsは、その抱えている契約アーティストは、やはりオランダ系の古楽のアーティストが大半を占める。

やはり古楽のレーベルなのだ。

彼らのビジネスで感心したのは、新譜の回転率がとても早いこと。新譜リリースがものすごい短いスパンでどんどんおこなわれる。ビジネスがうまく行っているんだろうとその当時は思っていた。

古楽といっても古楽器然とした響きを予想するかもしれないが、Channel Classicsのサウンド造り、エンジニアの音のいじり方は、その真逆を行っている感じで、”最先端の現代風アレンジで聴く古楽”という様相だった。

残念ながら、すっかりネットビジネスに移行してしまって、SACDはレイチェル・ポッジャーやイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団などの看板アーティストぐらいがリリースするくらいで、それ以外のアーティストはネットコンテンツのみavailableというやり方。

もうChannel Classicsの録音を、5.0サラウンドで聴けないと思うと残念の一言だ。


自分は、いままでレイチェル・ポッジャーのSACDをどれくらい買ってきているのだろう?と思い、ラックから探してきてみた。

そうしたら9枚もあった!

”ポッジャー=オーディオ再生”というイメージが自分の中で、確立されているのも、やはりうなづける感じ。納得した。ポッジャーのSACDは、それこそオーディオオフ会で、拙宅で再生するときや、持ち込みソフトとして利用する場合も多く、まさにオフ会のキラーコンテンツで、オーディオ・カラー満載のアーティストだった。(笑)

古い録音で自分が持っていなかったものをさらに2枚買い足して、合計11枚揃えた。
これをふたたび聴き込んで、「レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー」という日記を別に立てて、特集したいと思う。1枚1枚の聴きどころ、ポッジャーにとってのスタンス、自分のそのディスクへの想い入れ、サウンド感想など書いてみたいと思う。


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レイチェル・ポッジャーの経歴のことなど、もう少し書いてみよう。


英国の父とドイツ人の母の間に生まれたイギリス国籍。

ドイツのルドルフ・シュタイナー・スクールで教育を受け、帰国後バロック・ヴァイオリンをミカエラ・コンベルティに学び、1997年、トレヴァー・ピノックに招かれてイングリッシュ・コンサートのコンサートミストレス兼協奏曲ソリストに就任した。

2007年にはブレコン・バロック・インストゥルメンタル・アンサンブルを設立し、2010年に録音したデビューCD、バッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。ブレコン・バロックはチェンバロを含めて6名、各パート1人で編成し、バッハ時代のカフェ・ツィンマーマン・アンサンブルを模し、自由で新しいスタイルの演奏を目指している。


このブレコン・バロックというのが彼女専用の室内楽ユニットで、彼女の一連の録音で、その合奏を披露しているのもこのユニットなのだ。

彼女のライフワークのユニット。

彼女の録音で、自分がお気に入りのディスクも、このブレコン・バロックとの作品が結構多いので、印象に残っていた。

今回の来日公演は、無伴奏という、舞台上で、ヴァイオリン1本で聴衆を説得させる素晴らしいものだったが、じつはポッジャーの魅力のもうひとつの側面として、このブレコン・バロックとの合奏をぜひ生演奏で観てみたい気がする。合奏のほうのいわゆる丁々発止の掛け合いをやっている彼女の演奏もとても魅力的。

現在は、彼女はこのブレコン・バロック・フェスティヴァル芸術監督に就任している。

演奏活動の傍ら、英国王立音楽アカデミー (RAM) やジュリアード音楽院などで教鞭もとっている。2015年に、英国王立音楽アカデミーのバッハ賞を受賞した。




ポッジャーの代名詞が、”バロック・ヴァイオリン”

彼女のプロフィールを説明するときには、必ず登場する言葉だ。

それってなに?(笑)

彼女がChannel Classicsに残してきた膨大な録音には、バッハをはじめ、モーツァルト、ハイドン、ヴィヴァルディなどまさに多岐の作品に渡るが、やはり彼女の本質はバッハなのだと思う。(自分の見解です。)

そんなバロック時代に使用していた古楽器のヴァイオリンで、当時の状態で演奏する。


レイチェル・ポッジャーの使用しているバロック・ヴァイオリンという楽器はどういう構造なのかを、きちんと説明するのはなかなか難しい。

本来のバロック時代以前のヴァイオリンは構造自体が、現代のものと違っていて、高張力の現代の弦を張るためには改造が必要のはず。

そこまでバロックヴァイオリンで再現しているのかどうかも分からない。



ヴァイオリンの張る弦には、スチール弦が使用される。しかし、スチール弦が使用されるようになったのは20世紀も半ば近くになってからで、それまでは、羊の腸の筋をよって作ったガット弦が広く用いられていた。

1920年代前後には、演奏家の間でスチール弦か、ガット弦かという優劣論争が繰り広げられた。ガット弦特有の柔らかい響きを重視する演奏家がいる一方で、より力強い音が可能でしかも耐久性の面で特性を発揮するスチール弦の優位を主張して止まない演奏家もいた。でも、音量と耐久性の面で特性を発揮するスチール弦に軍配が挙がったのはその後の歴史に見る通り。

でも、作品の作られたものと同様な楽器で演奏する、いわゆるオリジナル楽器の演奏家が増えてきた、いわゆる”古楽”普及の現在では、ガット弦の復権にも目覚ましいものがあるそうだ。(ネットからの豆知識より。)


バロック・ヴァイオリンという楽器はガット弦でも、生ガット弦を使用している、というネット情報もあった。


一般にいうガット弦(古楽器)は、表面に金属モールを巻きつけたりして補強していたりすることもあるらしい。演奏する上で特にスチール弦(モダン楽器)との大きな差はないが、どんな弦でも種類によって鳴らし方の違いはある。

生ガット弦は、なんか普通に弾くとボソボソして上手く鳴らないらしい。(笑)。

バロック・ヴァイオリンというのは、バロック時代の古楽器ヴァイオリンのことで、その弦も特殊で、普通のヴァイオリン奏者がそのまま弾こうとしても簡単にはうまく鳴らない、やっぱり修行、鍛錬が必要な特殊楽器なのだと思う。

ポッジャーは、そのバロック・ヴァイオリンを弾くことが出来る世界でも数少ない奏者で、現代最高という冠もあるのだ。

彼女のいままでの膨大な録音もそのバロック・ヴァイオリンで演奏されてきた。

じゃあ、その特殊な弦と構造で、普通に弾くことが大層難しいバロック・ヴァイオリンって、どんな音色なの?ということになるのだが、それを邪魔するのがChannel Classicsのハイテクニックな録音技術。(笑)

彼女の録音作品を聴くと、たとえば無伴奏なんかでも、エコーがガッツリかかっていて、空間もしっかり録れていて、ハイテクな録音に仕上がっているので、なんか古楽器というよりは、モダン楽器を聴いているみたいで、自分にはようわからん、というのが実情。


彼女の作品を買いあさっていたときは、そんなことを意識せず聴いていたので、いい録音だな~ぐらいにしか感じなかったのだけれど、こうやって、日記で彼女のことをきちんと書こうと思って、バロック・ヴァイオリンのことを言及していくと、そういう矛盾に行きつくのだ。


じゃあ、エンジニアが加工する録音ではなく、生演奏でのバロック・ヴァイオリンの音を今回聴けるのだから、その感想を後で、じっくり書くことにしてみる・・・

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今回の実演は、調布市文化会館たづくり くすのきホールであった。

ポッジャーの演奏は、無伴奏。舞台上で、ヴァイオリン1本で聴衆を感動させる。
今回の演奏曲は、このアルバムから選曲された。 



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『守護天使~無伴奏ヴァイオリン作品集~バッハ、ビーバー、タルティーニ、ピゼンデル、他』 ポッジャー

http://bit.ly/2J2E7uz




このガーディアン・エンジェル、守護天使と題されたこのアルバムは、レイチェル・ポッジャーのお気に入り作品を集めたもの。

ポッジャー自身の編曲によるバッハの無伴奏フルートのためのパルティータのヴァイオリン・ヴァージョンに始まり、アルバム・タイトル由来の名曲であるビーバーのパッサカリアで締めくくられる。


このアルバム、侮るなかれ、ポッジャーの無伴奏ヴァイオリン作品といえば、デビューのときにベストセラーを記録したバッハの無伴奏があまりに有名だが、このアルバムは、それと連なるすごい濃い中身をもつ。なによりもデビュー作品は、CDだったが、こちらはSACDでサラウンド。


なので、彼女の無伴奏作品では、このディスクが自分は1番お気に入り。

なにがスゴイかというと、そこに使われているテクニック。
ここに収められている作品に必要なテクとして、スコルダトゥーラ(特殊調弦)や、対位法的な要素、ダブル、トリプル、クォドルプル・ストップなどの重音奏法に、多彩なボーイング。

なんか聴いているだけでもゾクゾクだが、実際聴いてみるとそんなにスゴイと思わせないところが、ポッジャーの才能なのかもしれない。


これらの作品を、生演奏で聴けて、そのテクも実際に観れるんだから、この公演は絶対行きだった。




ステージに現れたポッジャーは、自分の長い間恋焦がれた彼女に会う期待感とは裏腹に、かなり地味というか(笑)、素朴そのものの人だった。

いわゆる商業スターが醸し出すようなオーラが全くなく、素朴そのものという感じで、自分はそのほうが返って微笑ましくてホッとした。


すべてにおいて商業っぽくなかった。


演奏スタイルも弓の返しなどのパフォーマンスの類みたいなものも一切なしの正統派そのもの。

美しい、そしてクセのない正しい演奏スタイルだった。


やはり一番自分的にキタのは、最後のバッハのシャコンヌ。無伴奏の名曲中の名曲だが、これはさすがに逝ってしまいした。(笑)

肝心のバロック・ヴァイオリンの生音なのだが、自分にはChannel Classicsの録音のようなエネルギー感のある派手な音に聴こえてしまいました。(笑)

古楽器のような独特の響きではなく、なんか、ふつうに普段彼女の録音作品を聴いている感じだよなぁ、とずっと思って聴いておりました。


専門の人が聴けば、発音の最初がモダンに比べて微妙に小さいというか、遅いというかそういうのはあるのかもしれないが、私にはわかりませんでした。


とにかくあっという間に終演。

夢は一瞬にして終わってしまった。



長年に渡って、いい録音作品をずっと残しつつ実績を重ね、もちろん意識的ではないと思うが、商業路線とは距離を置いてきているように見えてしまう、そういう本物の良さが自分には最高だった。




ご本人は、お茶目な性格で、周りがぱっと明るくなるお方でした。

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終演後、鈴木雅明&優人親子とツーショット。(笑)

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(c)調布国際音楽祭 Twitter






レイチェル・ポッジャー ヴァイオリン・リサイタル「守護天使」
2018.7.1 調布市文化会館たづくり くすのきホール

J.S.バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調
(ポッジャー編、ト短調版)


タルティーニ:ソナタ 第13番ロ短調


マッテイス:ヴァイオリンのためのエアー集より壊れたパッサジョ、匿名の楽章、
ファンタジア、コッレンテ


(休憩)

パッサカリア ト短調「守護天使」

J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調

~アンコール~

J.S.バッハ:ソナタ第3番第3楽章

モンタナーリ:ジーダ

J.S.バッハ:ソナタ第1番第1楽章アダージョ







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 リトアニアの朝ごはん [グルメ]

「朝ごはんを通して世界を知る」

世界の朝食を食べさせてくれるお店 WORLD BREAKFAST ALLDAYも、ビジネスが軌道に乗っているのか、ついに原宿に2号店オープン。

いままで外苑前の1号店は、正直とても狭く、いくら取材のためとはいえ、周りにたくさんの若い女性や、外国人に囲まれて、オジサンが食事をするには、かなり勇気がいる、というか苦痛そのものでもあった。(笑)

原宿の2号店は、そんなストレスから一気に解放される天国のようなところだった!

原宿に来るなんて、何年振りだろう。
若者の街ですね。

原宿駅。

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都内の木造駅舎としては最古。日本の遺産とも言えるのに、東京オリンピックに向けて、2020年に建て替えなんてニュースもあり、なんて勿体ない。(やめたほうがいい。)


原宿2号店は、かなり迷うというか、まさに街中の細道をグネグネしたところの秘境のようなところにある。


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とにかく店の中に入ってびっくり。すごいユッタリとして広いスペース。
こりゃあいい!

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オープンしたばかりで、まだ知れ渡っていないのか、朝早いせいかわからないが、もうガラガラに空いている。1号店のギュウギュウな想いを知っているだけに、天国のようなところに思えた。

座席もたくさんあるので、1号店みたいにいつも行列で並ぶ必要もなし。

もうこれで決まり!これからはずっとこっちの原宿2号店に通うことにした。
もう外苑前1号店に行くことはないでしょう。

しかもこちらの朝ごはんのメニューが豊富。
ここのお店はレギュラーで食べられる朝ごはんと、2か月に1回サーブされる朝ごはんと2種類あるのだが、レギュラーの朝ごはんのほうは、1号店より遥かに品ぞろえ豊富。

そしてなによりも、1号店で辟易としたことが、朝ごはんを注文すると、必ずワンドリンクオーダーが必要で、これが結構500円くらいするので、トータル結構いい値段になってしまう。

でもここ2号店では、そのワンドリンクの縛りがないのだ。朝ごはんだけでOK。

いいな、いいな。(^^)

すべてにおいて、原宿2号店のほうが居心地よさそうだ。(笑)

もちろんレギュラーの朝ごはんはもうすでに制覇しているので、2か月に1回更新される朝ごはんをいただきにきた。

今回はリトアニアの朝ごはん。

リトアニア???(笑)

地理的にピンとこない。

ここだ!

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ポーランドの上に位置する感じで、ノルウェー、スウェーデンなどの北欧とロシアにちょうど挟まれている感じの国。

この北欧と大陸の間にある海がバルト海。「バルト海沿岸の国」とはよく耳にしたことがあるが、このバルト三国の中では最も大きい北東ヨーロッパの小さな国がこのリトアニアなのだ。

北欧諸国やドイツ、ポーランドと歴史的に深く、旧ソ連に編入された時期を得て、1991年に独立した。いまはEUに加盟している。

普段はリトアニア語を話す。若い人は英語を話すそうだ。

夏は23時頃まで明るく、仕事が終わってから外に遊びに行く人もたくさんいる。冬の日照時間が少ない分、夏は日光浴を積極的にする。カフェも日当たりの良い席が人気。雨が多く虹がよく出るそうだ。

リトアニアには山がないが、身近には森と湖がたくさんある。
リトアニアの人は、とにかく自然の中で過ごすのが大好きで、森に行って元気をもらってくるのだ。

寒さが結構厳しく農作物が育たない分、夏の間は、キノコやベリーといった自然の恵みを森へ採りに行く。リトアニアでは、自分の土地ではなくても森の恵みを採ってもよいことになっているそうだ。(笑)

首都のヴィリニュスは、古い街並みがヨーロッパ一残っているといわれ、旧市街地全体が世界遺産に登録されているのだ。

そんなリトアニアの朝ごはん。

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ジャガイモをよく食べるリトアニアでは人気のジャガイモのパンケーキが主食。
ヨーロッパの朝ごはんってこのパンケーキってすごい多いですよね。
日本人からするとオヤツにしか思えないのだけれど、こちらではもう立派な主食なのだ。

いつものことで、美味しいかと言われると、微妙な価値観というか(笑)、舌の感覚のセンスの違いといったほうがいいのか、日本人としては難しいところだ。

アンズ茸などのキノコとベーコンのソテーソース、白いチーズのようなカードのヴォルシケ、ラディッシュとスプリングオニオンのサラダ。

これがリトアニアの朝ごはん。

やっぱりリトアニアって、キノコとベリーの国なんだね。自然の恵みを食べ物としている。
寒くて農作物が育たないんですよ。

朝ごはんはわかったとして、たくさんのカロリーを取る夕ご飯はどうなんだろう?と思ってしまう。
こんな草食系な食生活では、自分のような大きい生き物はカロリーを摂取できなく、生きていけないのでは?と心配してしまう感じだ。(笑)


この日は、なにも予定を立てていなく、この朝ごはんを食べるだけに原宿に来て、用が済んだら、また若者の街の景観の原宿をぶらぶらする。この日は快晴で、こんなになにも考えない日もこりゃまたいいもんだ!(笑)


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すっかり別モノとして変わり果てていた”すみれ” (笑) [グルメ]

それは昨日突然感じたわけではない。数年前からどうもずっと違和感があって、自分が知っている”すみれ”の味ではないということを薄々感じていて憤りを感じていた。そのことは俄かには信じたくなかったので、ずっと自分の中でしまいこんでいた。

ところが昨日、その3流以下の街中の味噌ラーメンに成り下がっていたその味に思わず爆発してしまったわけだ。

いったいラー博(新横浜のラーメン博物館)のすみれになにが起こっているのだろう?

道産子にとって、札幌の味噌ラーメンといえば、まさに純連、すみれは一大ブランド。我々の至宝でもある。

自分は、1995年からずっと通い続けてきた生粋のファン。

はじめて体験したのは、1995年のラー博での純連(すみれ)。純連は、それこそ北海道では知る人ぞ知るというマニアックなお店であったのだが、1994年についに、純連(すみれ)としてラー博に出店して全国デビュー。


瞬く間に大人気となってセンセーショナルを巻き起こした。

自分は、ヨーロッパから帰国して、いまの街に住み始めて、新横浜は近いので、何気なく通ったところ、純連(すみれ)を体験したのだ。


それはまさに衝撃であった!


いままでに食べたことのない味。こんなコクのある美味しい味噌ラーメンは、いままで食べたことがなかった。瞬く間に虜になった。


自分のラーメン人生の中で、達観したこととして、ウマいラーメンは、最初に体験したそのインパクトで、ほとんどもう全てが決まってしまう。もう最初でわかってしまう。そして大事なのは、病みつきになること、しばらく食べていないと、あ~久しぶりに食べたいぃ~という感じで、何度も繰り返し通ってしまうこと。リピーターになることが、ウマいラーメンの必須条件。店主の思うつぼはそこにある。

そのキーポイントはスープにある。
ラーメンはスープが命!

純連(すみれ)のスープは、まさに独特だった。ラードで表面が覆われていて、暖かさが逃げないでアツアツ。そしてなんともいえない、いままで経験したことのなかったような、一度経験したら二度と忘れられないその濃厚な味噌の味。地元の森住製麺を利用した、そのちじれ麺が、そのラードでちょっとテカテカして光る脂っぽさ、その濃厚な味噌味と絡んで、これがじつに香ばしい味噌ラーメンであった。

ちょっとしょうが風味が隠し味にあって、味噌としょうが、というのがこれまたよく合った。

とにかく、これは革命的!とじぶんは直感した。

瞬く間に、札幌の味噌ラーメンに純連(すみれ)あり!で全国に一大ブームを巻き起こした。

そこに前職時代の友人が、北海道に遊びに行ったときに、地元の人が大推薦するラーメン屋として、純連(じゅんれん)があって、そこに行って、すごい美味しい味噌ラーメンだった!という報告を受けた。

じゅんれん???

あ~、それはねぇ、純連と書いて、すみれ、と呼ぶんだよ。と教えてあげた。

そしたら、友人は、いや絶対じゅれんだ。地元の人は、みんなじゅんれん、じゅんれんと言っていた。

自分は、友人を誘って、ラー博の純連(すみれ)をご馳走した。
ほら?これのことだろう?

そうしたら、友人は、う~ん、確かに似ているけど、もうちょっと黄色いんだよな?ちょっと違うよ。

ここから、自分にはナゾが出来てしまった。

同じ純連と書いて、札幌には、じゅんれんというお店が、そしてラー博には、すみれ、というお店が存在する。どちらも似たような味、でもちょっと微妙に違う・・・

なんだろう~このナゾ。

いまでは、もう常識になっているが、この当時1995年ころというのは、このことは、まだおおぴらに知られてはいない事実だったのだ。

自分は北海道に帰省したときに、このじゅれんを探してみた。そしてお店に電話して聴いてみた。

そうしたら純連(じゅんれん)と純連(すみれ)は、純連(じゅんれん)は兄が、純連(すみれ)は弟がやっているお店なんです。両方存在するんです。

一気にナゾが解けた。別物だったんだな。

ここで正式に純連の味噌ラーメンの歴史について、簡単に説明しておこう。

一番最初は、村中明子さんが昭和39年に創業した。当時は、純連と書いて、すみれ、と呼ばせていた。

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当時はあっさり風味のさっぱりラーメンが主流の中で、その濃厚な味噌味のラーメンは異彩を放っていた。

突然腰の不調により、昭和57年に閉店してしまうが、その翌年に再開。純連もみんなから読みやすい”じゅんれん”という呼び方に改名して再開した。

そして、そのときに、創業者、村中明子さんは、長男の村中教愛氏に店を譲ることを決意。母からその味の伝授をみっちりと仕込まれた。以降、純連(じゅんれん)は、長男の村中教愛氏によって運営されるお店になったのだ。



名前も”さっぽろ純連”。

一方同じ純連(じゅんれん)で修行していた同じ村中家の三男の村中伸宜氏が平成元年に純連(じゅんれん)とは別に創業したのが、”すみれ”なのだ。名前も、ひらがな表記で、”すみれ”。

ラーメン博物館に出店したのは、この三男の村中伸宜氏のほうの”すみれ”というわけだったのだ。

当時ラー博に出店することで、純連を全国デビューさせることは、創業者のお母さんの明子さんは大賛成だったけれど、それ以外は全員大反対だったそうだ。

そこを三男、伸宜氏によって強行された。

はっきりいうと、純連の味噌ラーメンを全国区にのし上げたのは、三男の伸宜氏のおかげ、英断と言ってもいいかもしれない。

つまりいまや札幌の味噌ラーメンの王道、全国区の大人気となった純連は、村中一家による経営のラーメン店だったのだ。

創業からの代々のお店、純連(じゅんれん)を引き継いでいるのが、長男の村中教愛氏。そしてちょっとビジネス的に冒険してその王道から外れてビジネス的に大成功しているのが、三男の村中伸宜氏による”すみれ”という訳なのだ。

1994年にラー博で全国区デビューした、すみれの味噌ラーメンを大ブレークをきっけかけに、じつは長男の純連(じゅんれん)の存在もつまびらかになり、さっぽろ純連、そしてすみれ、と大ブレーク。いまや札幌味噌ラーメンの一大ブランドにまで成長した。

久し振りに、さっぽろ純連、すみれのHPをネットで拝見してみると、自分が知っていた頃の1995年から2000年代と比較して、そのビジネス規模は、とてつもなく拡大されていた。本店以外にも、支店もいっぱい。

相当儲かっている感じ。こんなにデカくなっているとは想像もつかなかった。

特に、村中教愛さんは伝統を守る長男的役割なのだが、三男の村中伸宜さんは、相当ビジネスのやり手というか、ビジネス上手。

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三男の村中伸宜さん

単に店舗を増やすだけでなく、すみれプロデュースのお店をどんどんプロデュースしたり、かなりのビジネスマン。

純連、すみれブランドで、相当一儲けしたと見えて、もう北海道本店含め、みんな新しい建て替えで、モダンな建物に建て替えてしまっていて、自分が知っていた1995~2000年代の面影はもうそこにはなかった。


創業者の村中明子さん、そして手前が三男の村中伸宜氏、そしてその間にいるのが長男の村中教愛氏。

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自分が通っていた頃の地元札幌の澄川にある、さっぽろ純連は、まさにこのお店だった。

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でも、いまや、さっぽろ純連は、こんなモダンなお店に衣替え。

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そして札幌の中の島にある、すみれの本店も、自分が知っていたのは、この頃の建物。

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でもいまや、こんなモダンな建物に変わってしまっている。隔世の感。

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こちらが、さっぽろ純連の味噌ラーメン。ちょっと黄色っぽいの色が、すみれと違って特徴的だ。

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こちらが、すみれの味噌ラーメン。まさにこのスープだ。

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味は、どちらもそんなに変わんない。

自分のさっぽろ純連、すみれ食遍歴は相当のモノだった。

地元のラー博にすみれが入っているので、すぐにすみれは食べられる。

問題は、さっぽろ純連をどうやって食べるか?だった。北海道に帰省したぐらいしか食べれない。

2000~2003年の3年間、自分の人生にとって最大の暗黒期だった期間。大変な大病を患ってしまい、3年間会社を休職した。東京の家はそのまま留守にしておいて、体一つで、北海道の実家の両親の元で、3年間療養した。

外出もままならない超退屈な毎日。テレビを見ることしか、やることない。

そんな中で、自分の最高の楽しみは、月1回の札幌の北大病院への診察だった。
その診察の帰りに、札幌のさっぽろ純連の味噌ラーメンを食べようと思ったのだ。

そうすることで、普段東京では食べられない地元のさっぽろ純連を食べ尽くせる!と考えた。

1か月に1回。かならずさっぽろ純連の味噌ラーメンを食べる。それを3年間続けた。

さっぽろ純連の味噌ラーメンを自分のモノにできた気がした。


復職した頃、なんと、さっぽろ純連が、東京の高田馬場に支店を出すニュースが舞い込んだ。
心ときめいた。

もう高田馬場に通い詰めたのは言うまでもない。長男の村中教愛さんが高田馬場の厨房に立っていたのを何回も見かけた。応援に来ていたんだな。

ちょうど同じ時期に、いままでラー博の稼ぎ頭であった、すみれが閉店するということになった。
ラー博のすみれが果たしてきた功績はじつに大きかった。一世代が終わった。一抹の寂しさがあった。

つまり今度は、東京では、さっぽろ純連は食べれるけれど、すみれが食べれないという状況に陥ってしまったのだ。(笑)

この頃になって、前職を早期退職することが決まり、前職の人事と毎日面談するためだけに、会社に通うというじつに苦痛の日々を過ごしていた。つぎへの転職までのブランク期間ですな。

そのときに飛び込んできたニュース。期間限定ではあるけれど、池袋のデパートの食品街レストラン街ですみれが出店するという情報をキャッチした。

毎日人事との面談が終わったら、その帰路に池袋のすみれを食べに行くという毎日を過ごしていた。

そうそう、すみれはこんな味!うまいなぁ~(^^)

こうしてみると、さっぽろ純連もすみれも、自分の社会的ポジションが超不安定のときに、集中して食べられるという、なんとも皮肉な取り合わせ。(笑)


そうしたら、今度は、高田馬場のさっぽろ純連が閉店するという。

この頃から、自分はちょっとこの高田馬場の純連の味に違和感を感じ始めていた。
あの最高に美味しい~と思っていたあの味がしないのだ。あの胸ときめくような美味しさが感じない。

そうスープに劣化を感じてしまう。あきらかに別モノのように感じてしまった。

自分の不信感はこのあたりから始まったかもしれない。

結局、そのまますぐに閉店してしまったので、真相は究明できなかった。

これで、ついに純連もすみれも東京では食べれなくなってしまった、という状況に陥った。

そうすると、そこにまた救世主が現れた。

ラー博に、兄のさっぽろ純連、そして弟のすみれ、の元祖となった、創業者の村中明子さんによる、「らーめんの駅」がオープンする!というのだ。まさに純連、すみれの元祖となった母の味。

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自分は何回も通ったが、まさに最高の味。あの濃厚な味噌の味がした。

自分の日記を紐解くと、2011年に、北海道の友人を東京でおもてなし、する上で、このラー博の「らーめんの駅」を訪れている。

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のれんには大きく「駅」とあり、その左右には、兄の純連、弟のすみれ、とある。この味噌ラーメンを育んできた親子の絆というもいうべき。

自分が写真を撮ると、美味しそうに見えないのだけれど(味は最高に美味しかった)、使っている丼にも、「駅、純連、すみれ」の印字がされている親子三代の絆どんぶりだ。

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この頃が2011年の頃。このときまで、ラー博の駅の味噌ラーメンは、まさのあの濃厚なアツアツな味で、ここまでは大丈夫だったのだ。

母の「らーめんの駅」は期間限定なので、当然期間が来たら閉店する。

その後に、同じ場所で、なんと、「すみれが8年振りにラー博に帰ってくる」というのだ!
自分は小躍りした。

神様は、つねに東京で、村中親子による味噌ラーメンを途切れることなく食べさせてくれるチャンスをくれることに感謝した。

ところが自分の悲劇はここから始まった・・・(笑)

このラー博のすみれの味がどうもおかしいのだ。

2013年あたりからかな?スープがあきらかに違う!

食べるたびに、ものすごく違和感があって、これはすみれの味じゃない、という確信が年々増していった。

なにせ、1995年から、じつに数えきれないくらい純連、すみれの味噌ラーメンを食べ尽くしてきた男。その記憶力、あの病みつきの味は一度食べたら絶対忘れられないことに自信がある。体が覚えている。

自分はラーメンの写真、とりわけ、スープの写真を見ただけで、あっこれは本物。絶対あの味がする!これは邪道!こんなの純連、すみれの味じゃないと即断できる。絶対的自信がある。

美味しくない、あの頃の味じゃないので、だんだん、ラー博のすみれに通うことが少なくなってきた。

気のせいかもしれないが、昔は平日でも長蛇の列ができていたけれど、いま行っても閑古鳥ではないけど、あまりそんな混んでもいない。

やっぱりお客って正直なんだろうな・・・必然と足が遠のくというか・・・

昨日食べて激怒した、ラー博のすみれの味噌ラーメンも写真を恐る恐るアップしよう。(笑)
お母さんの駅のときのどんぶりをそのまま使っているし・・・(^^;;

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一見無難に見えるけど、このスープの色、濃厚さからして全くの別モノ。運ばれてきた瞬間に、嫌な予感。

まず昔みたいにラードで覆われていない。あれが名物なのに、あのアツアツが全然ない。
ラードで脂っけがあるから、ちじれ麺もコテコテに脂っぽくて光って、それが濃厚味噌と相まって、じつに香ばしいのが特徴なのに、その真逆をいく、じつにサッパリラーメン(笑)。自分は味覚を疑った。

これはひどいな!あまりにマズすぎる。あの栄光の味噌味スープがここまで落ちぶれて、味が変わってしまうとは、あまりに衝撃的すぎる!

そしてそれに拍車をかけたのが、使っているチャーシューなどのじつにクオリティの低さ、もうラーメンの格として、そんじょそこらの3流ラーメンに成り下がっていた。

哀しさのどん底に陥ってしまった。

いままでの自分の栄光の歴史はなんだったんだろう?
いままでのこの味噌ラーメンにのめり込んできたのはなんだったんだろう?


これは、ここラー博では、村中さんの指導が行き届いていないのでは?と思った。

今日ネットで新横浜ラーメン博物館のHPですみれのページを確認すると、なんと三男の村中伸宜さんが自ら写真付きで、8年振りにすみれがラー博に帰ってきます、ぜひご期待を!とメッセージを寄せている。

なんら変わっていないのだ。ビジネス順調そのもの。

ますます自分は混迷を極めた。


2013年あたりからラー博のすみれに抱いてきたスープのまずさ。

これはどう説明つけばいいのだろう?

ひょっとすると、村中伸宜さんが現在進めているすみれの味噌スープの味ってみんなこんな感じに変わってしまっているのか?

HPでは、従来の味を伝承しつつ、新しい味にもチャレンジしていきます、などのコメントもある。(笑)

もしそうだとすると、あの味が、今後のすみれの味噌味となると、オレの札幌味噌ラーメン人生は、終わったも等しい。

ちなみに、さっぽろ純連のHPでも確認したところ、平成24年、長男の村中教愛さんから、三代目の山岸敬典さんがお店を受け継いだようだ。

山岸さんも、同じようにさっぽろ純連で、村中教愛さんからみっちり10年間味の伝承を引き継いできて、三代目を託されたそうだ。(いまは道内は山岸さんが面倒見ていて、教愛さんは道外を見ているらしい。)

自分は、味が変わったのは、これだ!と一瞬思ってしまった。

でも、これはさっぽろ純連のほうの話だ。

自分が直面しているのは、すみれのほう。



ここで自分に残された解決法は、北海道に帰省した時に、さっぽろ純連と、すみれの本店で味を確認するしかないと思っているのだ。

この本場での味が自分の記憶にあるあの味と、あまりに変わっていたら、ジ・エンドだ。(笑)






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サントリーパブリシティサービス [クラシック雑感]

これまでクラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めた呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎる。そのもぎり方も結構素っ気ない(笑)というか、そして制服というよりうわっぱりのようなものを着ていた感じだった。

1986年にサントリーホールが開館して、その様子は一変した。

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サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。この会社は1983年に誕生している。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となった。
そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。

何気になくこの会社の求人サイトを見て、驚いてしまったというか、いろいろ新しく知ることが多かった。


サントリーパブリシティサービス株式会社。


もともとはサントリーのビール工場のご案内から始まった「おもてなし精神」の接客サービスを育成・派遣する会社なのであるが、いまやコンサートホールはもちろんのこと、美術館などの文化施設や商業施設、企業受付などに広がって、全国約80か所を任されるまでの大きな企業体なのだ。

自分は、てっきりサントリーホールのレセプショニストは、このサントリーパブリシティサービスから派遣されていて、他のホールでは、各々自前のサービス企業体を抱えているものだと思っていた。

でもサントリーパブリシティサービスの求人を見てみると、現在は、新国立劇場、東京オペラシティ、今年新しくオープンする札幌のオペラハウスである札幌文化芸術劇場hitaruなんかの求人をやっている。 NHKホールもそうだと思う。(以前求人していた。)

当然いま満員で求人していないホールも、じつはこのサントリーパブリシティサービスからの派遣なのかもしれない。

まさにコンサートホールのレセプショニストというお仕事の元祖であるこの会社が、いろいろなホールを請け負っていたという事実は納得のいくところだ。

コンサートホールを運営するようになったら、ここに頼めばいいのだな。(笑)

自分の長い経験からすると、レセプショニストって、やはり接客の徹底した訓練を受けるのだろうけど、特に日本人女性の場合、話し方が、腹式呼吸とでもいうのか、音圧引いた感じで奥ゆかしくて、とても優しい丁寧な印象を受ける。みんなそう。

あれは接客の話し方の鍛錬なんだろうなー。

外国のホールの係員の方々は、みんな音圧バシバシ出しまくりのはっきり喋ります。(笑)


ちなみに、チケットのもぎりも、ここサントリーパブリシティサービスでは、チケットテイクと言います。(笑)


サントリーパブリシティサービスの受け持っている施設・お仕事として、

・コンサートホール
・商業施設
・文化施設
・サントリーの工場
・コールセンター
・企業PR施設
・会議室・ワークスペース
・企業受付
・美術館
・本社

にも至る。

本社は豊洲にある。人事・経理などのスタッフ部門、各事業の本部部門を設置し、そのお仕事。

商業施設のお仕事は、おもに、インフォメーションサービス。

文化施設でのお仕事は、施設にご来館されたお客様へ、施設のご案内や利用方法などを説明する業務。

コールセンターは、「サントリーお客様センター」など、サントリーグループのコールセンターにおけるオペレーターですね。コールセンターは、毎度自分が思うにストレスのかかる仕事です。ご苦労様です。

企業PR施設は、クライアント企業のPR施設で魅力を伝えるお手伝いをする。

                                                                                                                                                  


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会議室・ワークスペースは、クライアント企業になりかわり、「サンシャインシティ」「グランフロント ナレッジキャピタル」などの施設で、会議室やワークスペースの予約受付など、コーディネートを行うのが主なお仕事。


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企業受付のお仕事は、施設に来訪されたお客様の対応。訪問部署へのお取次ぎ、応接室へのご案内などが主な業務となる。

企業受付は企業様のイメージを決める「顔」。そのためクライアント企業様のブランドや風土を理解することを大切にしています。


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サントリーの工場でのお仕事は、「<天然水のビール工場>東京・武蔵野ブルワリー」「山崎蒸溜所」などの工場に来館されるお客様に、「つくり手の思い、開発にこめた情熱、製品の美味しさ」をお伝えする仕事。工場見学ツアーの予約受付からご案内、そしてファクトリーショップでの接客など、サントリーの各工場で日々お客様をお迎えする。


コンサートホールのレセプショニストだけと思ったら、大間違い。凄いんだな。驚きました。


コンサートホール レセプショニスト Kさん(20代)アルバイト 入社3年目のご感想です。(記事元:下記SPS URL) 

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レセプショニストの仕事は、ご来場いただいたお客様への座席案内や施設紹介、公演中の注意事項等の説明です。仕事の際は、“お客様の目線に立つ”ということを大切にしています。

お客様は、音楽を聴いてリラックスするために会場へ足を運ばれる方が多いと感じます。そのため、私たちはその空気感を壊さないような接客を常に心掛けています。お客様の要望を汲み取って対応するのは簡単ではありませんが、社内研修や仕事の現場で学んだ立ち居振る舞いや言葉遣い等を活かし、会場で過ごす時間が特別なひと時になるよう、日々取り組んでいます。

仕事をはじめた当時は音大の大学院生で、接客経験もなかったため、お客様へのご案内がうまくできませんでした……特に、人気のコンサートの時は、一度に大勢のお客様が来場します。大勢のお客様から次々に質問されると焦ってしまって、お客様が理解しやすいように丁寧に説明ができていなかったと思います。ですが、コンサートの前に当日自分が担当するポジションを頭の中で事前にシミュレーションしたり、先輩からのアドバイスを意識して実行するうちに、仕事も落ち着いてできるようになりました。

それからは、フロアメンバーの動きも少しずつ見れるようになり、広い視野で仕事をすることができるようになったんです。

レセプショニストという仕事は、全体を見渡して、自分が今何をするべきなのか考えて行動しなければいけないので、だからこそ、先輩やフロアメンバーとのコミュニケーションを取る事がとても大切になってくるのです。それを意識して行動してきた結果、お客様から『ありがとう』といって頂ける機会も増えました。

在学中に仕事を進める上で大切な、「コミュニケーションを取る事」や「全体を見渡して自分が何をすべきか考えて行動する事」を学べた事は、私の財産です。他の場面でも十分活かされるので、就活を控えている学生さんには、お勧めのアルバイトですよ!



サントリーパブリシティサービス (SPS)

https://sps-recruit.jp/jobfind-pc/




ちなみに、海外のホールで、このようなレセプショニストはどうなのだろうか?

ちょっとすぐには記憶がクリアではないけれど、確か男性はネクタイ、女性も制服だったような気がする。

下の写真は、2016年にBBC Promsを鑑賞にいったときに、ロイヤル・アルバート・ホールで撮影したレセプショニストの女性の方々。

白いジャケットの女性がやたらと格好良かった!
華麗なるクィーンズ・イングリッシュを話し、ルックスともに最高であった。

さすがブリティッシュ!

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鎌倉のアジサイ [雑感]

鎌倉に紫陽花(アジサイ)という文化があることを知らなかった。まさにアジサイの名所「鎌倉」。

毎年6月の梅雨時期になると、鎌倉は、このアジサイで満開になり、1年でみどころ満載、もっとも華やかな季節となる。

この鎌倉のアジサイを見ようと、たくさんの観光客が訪れ、たださえ人気の鎌倉が1番混雑する季節なのかもしれない。

なにせ上京して30年、首都圏に居て、すぐ目と鼻の先にあって日帰りできるところにあるのに、鎌倉を1回も訪れたことがなかった。それが去年ふっとしたことがきっかけで、鎌倉を訪れてからは、すっかり鎌倉の魅力に執りつかれ、いまは鎌倉マイブーム。

日本の初の武家政治がひらかれた街で、ずっと古来伝統のある歴史の街。そして「鎌倉文士」と呼ばれた多くの文化人が活躍した街でもある。東京とは時間の流れ方が違う独特の雰囲気を持ったところだ。

自分の鎌倉への想い出は、以前日記にも書いたように、1979年の中3のときに放映されたNHK大河ドラマ「草燃える」。

いままで鎌倉時代の題材と言えば、平家や源義経を題材にする番組が圧倒的で、その中で、この「草燃える」だけは、源頼朝などの東国武士団の旗揚げにスポットをあてたもので、頼朝&北条側から見た鎌倉時代の描写は子供心にとても新鮮に映った。

長い大河ドラマの歴史の中でも、こちら側からスポットをあてた作品は、この「草燃える」しか存在しない。

子供だった自分は、このとき石坂浩二さん演じる源頼朝の大ファンになってしまい、源頼朝は、自分の歴史上の人物の中で大ヒーローになった。相当入れ込んだ。

去年、その源頼朝の墓参りができたときは感無量だった。

そんな熱い想い入れが鎌倉にあったのに、上京以来30年も鎌倉を訪れなかったのは不思議だ。

だから鎌倉にアジサイというカルチャーがあることをまったく知らなかったのだ。

去年ようやく鎌倉を訪れたとき、鎌倉が地元のsuzuさんに、アジサイの存在を教えてもらい、そうだったのかー!(笑)。

そしてリベンジするべく1年待った。

今年は、この鎌倉のアジサイを鑑賞するためだけに、ワークライフバランス休暇をそのタイミングで、6月中旬に設定した。ところが、例年よりもアジサイの開花が1週間ほど早まりそうな気配で、5月下旬~6月上旬になりそうだ、ということだった。

慌てて、休暇の日程を予定変更。(笑)

結局5月下旬の最終週に、計5回鎌倉を訪れた。

やっぱりちょっとアジサイの開花状況は早かったかなー?という感じ。
花の青々した感じが、もうちょっと足りなかったかなと感じた。

アジサイの開花状況は、6月上旬の”いま”まさに満開宣言で青々した最高の時期。
でもアジサイの名所と言われるところは、もう大変な混雑ぶりのようだ。

そういうことから考えると、自分が行ったときは、ちょっと早かったけれど、その反面混雑がまだあまりなかったので逆によかったかもしれない。

鎌倉の3大アジサイ寺といえば、明月院・長谷寺・成就院。
とくに明月院が、自分的には、まさにアジサイ寺という感じで、その花模様に圧倒された。
アジサイで彩られたその風景は、まさに”明月院ブルー”と呼ばれていて、最高だと思う。

まず最初に、この北鎌倉にある本命の明月院を訪れた。

門をくぐるともうこんな世界。

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やっぱりちょっと早くて、青々した感じが足りないかなー。


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明月院で、そのもっとも有名な場所が、この正門にあがるところの石段のところ。
まさに圧巻!
                                                   

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アジサイには、いろいろな花の種類がある。
こちらもとても魅力的だ。

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こんなんもあります。(笑)

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つぎに成就院に向かう。

昔は、成就院の「あじさい参道」はたくさんのアジサイがあって華やかなところで、まさに観光名所だったのだが、いまの成就院のアジサイは30株しかない。

昨年よりアジサイに代わり、萩を少しずつ植えている。

成就院のあじさい参道は、平成27年から29年まで改修工事が行われ、その際、多くのアジサイが、東日本大震災被害に遭った宮城県南三陸町に寄贈、移植されたのだ。

だから成就院のアジサイは、いまは申し訳なさ程度なのだ。

成就院のアジサイ。

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そして最後の砦の長谷寺で行く前に、同じ長谷にある高徳院の鎌倉大仏さんを見学。

ひさしぶりの鎌倉大仏さん。こっちから・・・(^^;; ちょっと猫背・・・。(笑)

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そして長谷寺のアジサイ。
長谷寺もアジサイ寺として有名なところだ。

長谷寺のアジサイは、入り口のすぐそばにある鉢に植えたものと、そしてあじさい道である眺望散策路にある。

まず鉢に植えたもの。これだけでも十分に美しい。

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そして眺望散策路。

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なんか山道を歩いていく感じで、その両側にアジサイが咲いている感じなのだ。
十分に青々しかった。

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散策路はこんな感じ。まだ早い時期だったせいか、あまり混雑していませんでしたよ。(笑)
たぶんいまは凄い混雑だと思います。

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長谷寺を訪れたのは、去年の紅葉のとき。夜景でライトアップされた紅葉を観るために訪れた。
でもそのときは夜だったので、長谷寺の庭園内をよく見れていなかった。

昼間じっくりみると、じつはとても名所や素敵な庭園がいっぱいあるのだ。


有名な良縁地蔵。

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これはなんだろう?とても面白い。

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素敵な庭園。

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そして長谷駅の前にある食堂で、かねてよりずっと食べてみたかった鎌倉野菜をつかった天丼をいただく。いやぁ、なかなか結構なお味でございました。

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じつは「鎌倉とアジサイ」を語る上で、じつはこのアジサイ寺の他に、もうひとつ抑えておかないといけないことがあった。

それは、

「江ノ電とアジサイ」

のツーショットを撮ること。

このツーショットを撮ることは、もう鉄マニアの方々の世界では、ずいぶん昔から定番としてある趣味の世界のようなのだ。

いまはネットがすごい普及しているので、SNSの鎌倉ファンサイトなどで、今の季節柄、このツーショットが盛んに投稿されている。

なんか、その写真を観ていると、ホントにユルイな~(笑)という感じで、微笑ましいのだ。
自分のカメラマン魂を刺激するというか、ぜひ自分のカメラでそのシーンを収めたいという衝動にかられた。

江ノ電とアジサイのツーショットが撮影できるスポットってどこなのだろう?

と思うのだが、ネットが発達している今の時代、ちょちょっとググれば、もういっぱい出ている。

まず1番有名な定番スポットとして、御霊神社。

もうすでにたくさんのカメラマンたちがいた。

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そのカメラマンさんたちと世間話をした。
いろいろ面白い話を聞いた。

江ノ電とアジサイのツーショットの世界には、いろいろこだわりみたいなものがあって、びっくりというか感心してしまった。

とにかくこういうスポットには、この季節柄、たくさんの愛好家カメラマンがいて、みんな撮影している。

中には、そのカメラ熱で、電車止めちゃう人もいるそうだ。(笑)

無茶はやめましょう!

なんでも、線路の敷地内に入り込んで、その線路の横のところに、小さくしゃがんで待ち構えているとか・・・(アホ。。。笑笑) 思わず電車が止まってしまったとか。

もうそんな武勇伝はたくさんあるのだ。

撮影ポイントは大体踏切のところが多いのだが、江ノ電が通るとき、その踏切から思わず身を乗り出して、警笛を鳴らされることなんか日常茶飯事。現に自分も何回も聞いた。

また、あるとき、そのツーショットが撮れる有名スポットで、あまりにその愛好家カメラマンが熱中するあまり危険な行為に及ぶことが多いので、そこの地主さんが怒って、ついにそこのアジサイを全部刈り取っちゃったとか。(笑)

そんなイザコザも多いそうだ。

みんないいショットを撮影したい、というその一心なんだろうね。

鎌倉ファンサイトに投稿される写真は、みんなとても上手。
その撮影ポイントにはいろいろマニアの中では、こだわりも多いようだ。

自分が世間話で聴いた話では、江ノ電にはいろいろなタイプの車両があるのだが、やっぱりアジサイとのツーショットを撮るなら、江ノ電カラーのグリーン色の車両、さらには1番いいのは、355型と呼ばれる旧車両が1番ベストなんだそうだ。

江ノ電は、1本の線路を、時間調整して、上りと下りで共有する。

そんな中で、旧車両の355型をみんな待っているのだ。そしてカメラマンの方々は、みんな時刻ダイアグラムをちゃんと知っているんだな。(笑)

1本の線路を共有するので、旧車両355型が来るのは、つぎのつぎとか。

正しい撮影の仕方は、自分が撮影している方向に対して、江ノ電がやってくる方向を撮影するのが正しい。

でも自分が思うには、自分の背後からやってくる反対側から来る江ノ電を撮影しても、撮れた写真を観てもわからんのじゃないか?と思うのだが、どうもこれは違うらしい。

それは車掌の向きで分かる。

自分に向かってやってくる車両を撮影する場合は、車掌がちゃんと自分方向を向いて座っている写真が撮れるのだ。

でも自分の背後からやってくる写真では、最後尾の車両だから車掌は後ろ向きなんだな。これでわかっちゃう。

1本の線路を上りと下りで共有するので、時間がかかって結構大変なのだ。

笑っちゃったのは、自分の隣にいたカメラマンが長い間待ってようやく、旧車両355型で自分に向かってくる写真を撮れたと思ったら、

「けっ!失敗したよ。」
「えっどうしてですか?」
「車掌がマスクしていた。(笑)」

車掌がマスクしていた時点で、もう写真としての価値はダメなのだ。(笑)


御霊神社で自分の撮影。

これが旧車両 355型。
見事撮れた。ちゃんと自分に向かってやってくるときの撮影。

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反対側のこちらも。

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そして、こちらは長谷駅からちょっと歩いたところの有名な田中理髪店のあるところの踏切のスポット。

田中理髪店

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自分の感覚では、ここでのアジサイとのツーショットが1番うまく撮れる絶好スポットだと思う。

まずこちら。
旧車両355型。でも残念でした。自分の背後からやってきた最後尾の車両を映したものでした。
車掌が後ろ向きです。(笑)

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いちいち旧車両355型を待っている時間が自分には耐えられなかったので、もう1枚。
今度は自分に向かってやってくる新型車両。

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いっしょにいたカメラマンのアドバイスで、理髪店の干しているふとんと、手前にアジサイが一緒に映る江ノ電のショットもいいよ、ということでチャレンジ。

みんなプロだなぁ。細かい。(笑)

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つぎに源義経所縁のお寺で有名な満福寺を訪れた。

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ここは、源義経と武蔵坊弁慶の腰越状で有名なお寺なのだ。

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平家打倒を果たした源義経は、後白河法皇の信任を得て、兄頼朝の許可なく官位を受けてしまう。これに激怒した頼朝は、その後、義経と不仲になっていく。そして腰越で、鎌倉入りを拒否された義経は、頼朝のブレーン大江広元にとりなしを依頼する手紙、いわゆる腰越状をここで書くのだ。上の写真は、義経が弁慶に腰越状を書かせているところ。

「草燃える」では、大江広元は、故・岸田森さんが演じていた。岸田さんは、まさに渋い名脇役の俳優さんで、自分は大ファンだった。大江広元は、まさに頼朝が最も信頼していたブレーンで、石坂さんの頼朝と岸田さんの大江広元は最高に絵になったコンビだった。子供心にカッコイイと憧れていた。

そんな鎌倉時代が大好きな自分にとって、最高のお寺だ。

ここでも江ノ電とアジサイとツーショットが撮れるのだ。

本来であれば、こういう写真を撮りたかった。

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ところが実際はこんなんだった。(笑)

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ネットの写真は古い時代のものだったんだな。もうそこにはアジサイどころか、そんな花のようなものはなかった。でも源義経所縁の満福寺を経験できただけでもよし、としよう。


つぎに極楽寺。

停車している江ノ電とアジサイのツーショット。(笑)

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極楽寺のアジサイも見事なものでした。

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そして「湘南海岸公園駅前」の「善乃園」沿いに咲く紫陽花と江ノ電のコラボレーション。

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「善乃園」は知る人ぞ知る和カフェだが、アジサイ撮影スポットとしてはかなりの穴場ポイント。

そういうネットの情報であったが、実際はご覧のようにアジサイはほとんど申し訳なさ程度。
ネットの写真は古かったのだろう。残念。



以上が、私が撮影した「江ノ電とアジサイ」のツーショットの写真です。
なんせ鎌倉に計5回通って撮影した成果。SNSにみんなが投稿しているように上手には撮れないけど、まっ自分のカメラマン魂を十分溜飲を下げれたと思います。


江ノ電は、やっぱりこの住宅街の中を通っていくスレスレ感が堪りませんね。(笑)


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北鎌倉 幻董庵 [グルメ]

北鎌倉は、円覚寺やアジサイ寺で知られる明月院など、鎌倉を代表する著名な寺院が目白押しで、鎌倉を代表する観光地なのだろう。街並みの景観も古民家が集まっている感じで、古都らしい長閑で雰囲気がある。

その土地で、食事を3時間かけていただく・・・という普段の自分の喧騒な世界とは程遠い、そんな世界を堪能してきた。

なにせ、普段の食事なんて、ものの10分くらいで食べてしまう早食いの主。糖の吸収的にもよろしくない。そんな自分にとって別世界の体験であった。

事の発端は、SNSの投稿写真でこのお店の料理の一品を偶然見たことに始まった。
自分の美的感覚に思いっきり反応してしまった。(笑)

「これは美しい!!!」

まさに芸術品のようだった。

しかも鎌倉のレストラン。

これはぜひ取材した~い!自分の日記やブログで取り上げた~い!

かねてより、自分の鎌倉マイブームの最後の盛り上がりとして、鎌倉が1年のうちにもっとも輝く季節である”紫陽花(アジサイ)”の季節にもう1回鎌倉を訪れたいという希望があった。

だから、このレストランも紫陽花の季節にぜひ訪れたいと思っていて、ずっと心の中で温めてきたのだ。



昭和の名女優 田中絹代さんの別邸であり、そこを改装して創作日本懐石料理のレストランとしてして開店した。

田中絹代さんの本宅は、鎌倉山にあったそうだが、こちらの別邸は、近くの大船に松竹の撮影所があった頃に、そこに通う際に使っていたそうだ。スタッフや俳優さんの宿としても機能していたそうで、往年の名女優たちも集ったそう。

古民家の中に埋もれて建っている佇まいで、本当に隠れ家の中の隠れ家的レストラン。

あの映画監督 小津安二郎さんの世界に出てきそうな世界だ。(笑)

北鎌倉の駅から、徒歩10分くらい。調べないで行ったら、絶対たどり着けない。
裏の小路を歩いていく感じで、これは、本当に隠れ家だよなぁと思った。

でも確かに裏の小路だが、サイトの地図どおり行けば、意外にわかりやすく、迷うことはないと思う。


緑に囲まれた感じで、美しい門構え。

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ここが、その隠れ家レストラン「幻董庵」

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お店の中を入ると、まず圧倒されるのが、多数のカップ&ソーサーなどの骨董品、工芸品の数々のコレクションの展示。

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お店の方に聞くと、ここの女将さんが大の骨董品好きで、このコレクションも女将さんのものなのだそうだ。お店の名前も「幻董庵」としているのも、この骨「董」品から取っているのだそうだ。

お店の内装は、もちろん木造空間でとても素敵だ。
これは雰囲気あるなぁーと感心してしまった。


完全予約制。
夜の部は、個室のみで、2人の予約しかとらないそうだから(お店に確認してください。)、勝負はランチタイムだろう。

1階と2階がある。

自分は、2階に通された。

2階は、いわゆる大所帯用の感じで、20名くらい。

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その和室の空間が、とても素敵だ。

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ランチのメニューは、3800円と5000円、そして8000円コースがある。
ネットのレビューなんかを見ると、普段のランチは、3800円と5000円のみだそうで、8000円のコースは稀にしかないそうだ。自分のときは幸運にも、8000円コースがあったので、迷うことなく、それを予約時に頼んだ。

なるべく写真映えするような品々を期待していたからだ。

幻董庵さんのメニューは、いわゆるお品書きは存在しない。つまり固定のメニューというものがない。その季節柄に応じた創作料理をそのときに楽しむ、というコンセプト。

だから投稿写真を見て、うわあ、これが食べたい!と思っても同じメニューを体験できることは難しいのだ。


さて、いよいよここから本番。
自分が経験した8000円コースのランチである。


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食前酒の梅酒。

甘くてとても美味しい。
料理フルコースを味わったときに思ったことだが、やはり器がとても美しくて高級な趣がある。
やはり女将さんの拘りなのであろうと感じた。

右上にあるのは、ふつうの烏龍茶を頼んだのだが、この器でやってきたときは、これは雰囲気あるなぁと感じました。


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先付け

南瓜、鰻のハモ、ウド、ヤングコーン、角海老、龍眼

さっそくすでに見た目にも写真映えする1品で満足。楽しいフルコースがやってくる予感。
とても不思議な味で、いままで体験したことのないような味覚だった。
とても美味しい。あまりに美しすぎて食べるのが、勿体ない感じがした。


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お造り

マグロ、イサキ、カンパチ、水タコ、メジナの小造り

鮮度がよく、素晴らしく美味しかった。ふつうのお刺身なので、特に奇をてらった感じではなく、馴染みやすく満足できた。


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お椀

頭鯛しんじょう。里芋やとうがんが入っている。

とても深い味のお出汁。いろいろなもので、何重にも下ごしらえされて味をとって造られた御汁のような感じであった。単一の材料ではないですね。

中の鯛の身がすごく美味しかった。


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焼き物

穴子の煮凝り、茄子と牛タンの和汁、味噌田楽、かますのゆうあん焼き

今回のコースの中では、自分的には1番最高だと思った1品。
ある意味、これがクライマックスだった。

茄子と牛タンの一品のじつに美味しいこと。牛タンはとてもお肉とは思えない柔らかさだった。
こんな美味しいものはない感じだった。

一番右上にある穴子の煮凝りは、珍品でちょっといままで体験したことのないような味、食感でした。言葉で表現するのが難しい。


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煮物

甘鯛と湯治蒸し

とろみのついた餡がとても和っぽい感じで、しかもダシが効いていて美味しい。甘鯛の身がこれまた美味しい。上品な1品ですね。


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揚げ物

オマール海老と干しエビのから揚げ

これも美味しかったですね。海老のあの独特の濃厚な味がしっかりしていて、本当に美味しいと思った1品。自分は人生でどうしても伊勢海老が食べたいと思っていて(まだ食べたことがない。)、そんな海老愛を満足させられた1品だった。


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ごはん

焼ウニと豆ごはん。
赤出汁のお味噌汁とお漬物。

焼ウニが美味しい!やはり日本人にはごはんとお味噌汁が食事には不可欠。このコースの最後のほうに出される配慮が心憎い。(笑)お味噌汁は自分は生まれ育った環境は白だしだが、赤だしは、かなり自分の好み。美味しかった!


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デザート。

抹茶と懐石デザートの工夫された品々。

美しすぎる!
まさにラストを飾るに相応しい最高の1品となった。
この美しい盛り付けが、ここのお店の訪れたいと思ったその”美”のセンスをすべて兼ねそなえていると言っていい出来栄え。


いやぁ、全9品、見事なお手前でございました。

フルコースで、2時間半でした。

期待を裏切らない、素晴らしく”美しい”創作料理、そしてなによりも本当に美味でございました。


料理を運んできてくれるお店の方も、とても物腰が柔らかく、丁寧な言葉使いで、1品1品解説してくれて感動しました。

まさに北鎌倉の古民家の中に潜む知る人ぞ知る隠れ家レストランという感じで、木造の美しい内装空間、芸術品のような美しい創作料理の数々。

ぜひ自分の日記で取材したいと思ったその勘は間違いではなかったようです。

鎌倉のアジサイの季節にとったひと足早い休暇で、濃密な時間を過ごしました。




幻董庵

https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140401/14010528/






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ああチケットよ! [雑感]

mixiに入会して、初めての海外音楽鑑賞旅行と称してベルリンフィルハーモニーにて、ラトル&ベルリンフィルを聴く!という大目標を立てた。自分の「ホールツアー」というライフワークの幕開けだった。

なんせ、旅行準備日記として1年も前から連載して盛り上げた。

ところが、ご存知のように、チケット発売本番日にあえなく討ち死に。(笑)
まったくもっての瞬殺ソールドアウトだった。

ラトルのマーラーチクルス、恐るべし!

まさにプラチナ!

マラ6だからな。

1年も準備してきて盛り上げてきたのに、もう怒りの鉄拳を振り落とす場所もなし。
みなさんから、たくさんの慰めのお言葉の数々。

それ以来、海外ツアーは、チケットが取れてから発表することにしました。(笑)

そんな失意のどん底にいるとき、

「はっきり行ってヨーロッパの場合、必要なのは、お金でなく根性だ。」

と言って激励の日記を書いてくれたのが、ゴローさんだった。

いまふたたび、ゴローさんのその日記を振り返ってみたい。

ゴローさんという人が、いかに無茶ちゅうか、猪突猛進というか、まぁ、とにかく行ってみるべえ精神の人だったか、ということがわかる。

SOLD OUTのチケットだから取り甲斐がある!行く価値がある!

いまの旅人には、まずマネできんだろうな。

当時の自分が、この日記にどれだけ勇気づけられたか!
なんとかなるんではないか?という気持ちになった。


とにかく読んでみてくれ。 

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マイミクのノンノンさんが、ベルリン・フィルの定期演奏会のチケットが取れなくて苦しんでいるらしい。まあ定期演奏会となると、やはり定期会員というものがいるわけだから、なかなか思うようにとれない時もある。

しかし、わざわざ日本から聴きに行くとなると自分などは、完売SOLD OUTが当たり前で、それこそ、わざわざ行く価値があるのだと思うぐらい自分は、そういう公演を狙って行ってきた。


はっきり言ってヨーロッパの場合は、必要なのは、お金でなく根性だ。


10数年前は、毎年紅白歌合戦を終えて、3賀日を家で過ごした後、ニューヨークに勉強もかねてミュージカルを観に行っていた。

自分が観たいものは、その年にオープンになったばかりの新しい演目で、しかも話題になっているものばかりを、1週間かけて10演目ぐらい立て続けに観て帰るという旅なので、その半数以上がSOLD OUTなのだ。

そこで当日のキャンセル待ちに、なんと朝の4時30分から並ぶ。
ニューヨークの真冬1月である。とんでもなく寒い!

しかし朝8時過ぎまでは、劇場の玄関が開かないので、毛布を持って路上に並ぶわけ。

これは、痺れるよぉ・・・。4時30分だと、さすがに前から5人目ぐらいになるわけで、8時過ぎると一応ガードマンが正面のシャッターを開けてBOX OFFICEの前に並べるようになる。

暖房はまだ無いが、一応建物の中で小1時間立ってさらに待つ。
だいたい2人か3人で行っていたのだが、必ず自分の順番を待って一人ずつ買う・・・これがコツだった。一番先の人が、他人の分まで買おうとして3席とか言うと、ボックス・オフィスの人は並びや近くの席を取ってくれようとするので、かえって席が悪くなってしまう。

キャンセル席なので、良い席は1席ずつポツポツと出ることが多いのだ。
そうやってチケットをゲットして、ホテルに戻って暖かい朝食を取って、昼まで寝る・・・そんなニューヨーク・ツアーだった。

まあニューヨークやロサンゼルスといったアメリカの場合は、チケットロンのような合法ダフ屋があって、お金にさえ糸目をつけなければ、おおよそのチケットは手に入る。

入らないのは、例えば過日ブルーレイで出たバーバラ・ストライザンドのヴィレッジ・ヴァンガードLIVEみたいなもの。ONE NIGHT ONLYで、座席が200席も無いというような条件では、仮に100万まで出すよ!といってもチケットが取れないだろう。

自分も今となっては内容は忘れたが、カーネギー・ホールでオールスターのGALAコンサートがあって、20万円出しても良い・・・と粘ったが結局チケットを入手できなかった経験がある。

ヨーロッパの場合は、チケットロンのような合法公式なダフ屋がないので、本当に根性と気合しかないような気がする。

最初にそれで、苦しんだのが、バスチーユのオペラ座のこけら落とし公演 新演出の「魔笛」。もちろん初日ではないが、全然チケットの入手方法がわからず、ええいとりあえず行ってみるべえ・・と日本を出発。バスチーユに行って当日券のすでに長い列に絶望的な思いで並んでいると、暗くなる頃に、次々と一般ピープルがチケットを売りに来る。

なんのことはない、市民が個人のダフ屋なのであった。

1998年にやはりバスチーユで、ホセ・クーラが初役でドン・ホセを歌い、ベアトリス・ユリア・モンゾンがカルメンを歌ったときは当日売りに朝8時から並んで、開演5分前に、7列目のど真ん中をゲットした。

そのときは1人だったので、トイレに行くタイミングとか辛かった記憶がある。

しかし昼過ぎくらいになると、前後に並んでいる人たちと親しみが生まれてくるし、順番をきっちり見ている守衛さんがいることがわかったりして、ちょっと気分がリラックスしてくる。しかし、立ちっぱなしでパンや飲み物を持って、飢えや渇きを凌ぐわけで結構大変だ。

ヨーロッパで、どうしても入れなかったのは、一昨年3月にウィーンのコンツェルトハウスの小さいほうのホール、モーツァルトザールであった内田光子さんとハーゲンSQのコンサート。

これは現地に行ってから気がついたので、早くから手をまわせばとれたと思うが、当日いくら粘ってもホールのキャパが小さいのでキャンセルが出なかった。


そこにいくとベルリンは、駄目だったという記憶がない。

コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団が フィルハーモニーに来演し、ソロがアンネ・ゾフィー・ムターで カラヤンとの共演以来久しぶりにベルリンでベートーベンのバイオリン協奏曲を弾くということで話題になったコンサートがあったが、その時も全くソールド・アウトだったが、夕方から当日売りに並んで周りの気配に気を配っていたら、ドアの外に 余りチケットを売りにきたらしき人を発見、ちょっと席の位置のわりには 高い気もしたがあんまり贅沢を言っても 入れない感じだったので 現金で購入しコンサートを聴いた。


休憩時間になると隣の席の60代半ばの紳士が

「失礼ですが あなたはいくらで そのチケットを買いましたか?」と

英語で尋ねてきた。

私が正直に買値を言うと そうか結構高い値段を付けたんですね・・・とちょっぴり残念そうで複雑な表情をした。

理由を聞くと 彼の妻が風邪を引いて来れなくなったので入り口付近で 若いドイツ人に そのチケットを良心的な値段で譲ったらしい。

その男は おそらく別の人からさらに良い席のチケットを入手したので最初に買ったチケットを私に売ったのではないか・・・という話だった。

コンサートの後半が終わり、会釈して帰ろうとするとその紳士は、

「高いチケット代を払わせてすみません。 食事をご馳走させてくれませんか?」と言うのだった。
「妻は寝込んでいるので 帰っても自分で夕食を作らねばならずどこかで 食事をして帰ろうと思っていました。  一人で夕食というのは寂しいものです。どうかご一緒してください」

そんなわけで 夕食をご馳走になってしまい 結局高いチケット代の元がとれてしまうといった微笑ましいコンサートもあった。

まあ 根性と気合でチケットを入手できても長時間並んだ疲れや 席に着けた安心感で 猛烈な睡魔に襲われることもあり、なかなか大変である。   


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結局この年は、日本に居ながらして、キャンセル待ちに成功し、ラトル&ベルリンフィルのマラ6のチケットは、2日とも無事に入手することができた。

そのときゴローさんからのコメントは、やっぱり定期会員の中でも「6番が嫌いな人がいるんだよね。」というものだった。(笑)

確かにベルリンフィルハーモニーの前には、この個人の合法ダフ屋がいるのだ。(チケットの値段は高くなく普通なので、合法と書いた。)自分が、このホールに行ったときは、必ずといっていいほど遭遇した。

これだったら、ベルリンフィルハーモニーでの公演は、まったく丸腰で行っても絶対入れるな!と確信したぐらいなのだ。

現に、自分はヤノフスキ&ベルリン放送響の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」演奏会形式のときは、この個人ダフ屋にお世話になった。なんせ、このワーグナーチクルス、大変話題でビッグなイヴェントだったので、チケットの値段が恐ろしく高かった。当時のベルリンフィルの定期公演のチケットの2倍から3倍の凄いプラチナチケットだったのだ!

なので、座席は悪いが、それなりの値段のチケットを買っていた。

ところが、この個人ダフ屋のチケットは座席がステージ近くで、しかも値段がかなり原価に近い。
思わず、チケット持っているにも関わらず買い直したのだ。


来る6/20、ついにラトルのベルリンフィル離任コンサートの最終の定期公演。

運命のマラ6!

もちろんチケットは完売!SOLD OUT!

当初の予定では、家で真夜中に、IIJ PrimeSeatのDSD11.2MHzライブストリーミングの生中継を聴いて、ラトルに最後のお別れするつもりだが、ひょっとしたら丸腰でベルリンに行っちゃうかもよ。

ぜったい奴らはいる!と思うんだよね。(笑)



注釈:チケットはやはりきちんとしたルートで買いましょう!この事実は、あくまで当時の現実を描いたまでで、非公式での購入を促進しているものではありません。ブログに載せる上で、ちょっと後ろめたい気持ちにはなりました。(笑)





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樫本大進 [クラシック演奏家]

いまやベルリンフィルの大黒柱として大活躍の樫本大進氏であるが、自分の自慢のひとつに樫本氏を1999年のデビュー当時から知っていて、その頃からずっと想いを寄せていて、近く大成してスターになってほしい、と思っていたことで、現在まさにその通りの道を歩んでいる、ということであろうか。 

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でも、まさかベルリンフィルの安永徹さんの後任ということで、第1コンサートマスターに就任するとはまったくの想定外で、この話をニュースで聴いたときは、もう信じられない、自分が応援していたヴァイオリニストが、まさか安永さんの後任になろうとは!という感じで、驚愕の一言だった。

安永さんの引退宣言は、とても残念だった。
定年までベルリンフィルに居たら、忙しくて、あまりに時間が取れなくて、自分のやりたいこと(室内楽)を十分やれないまま歳を取ってしまう。という理由からだった。

「ベルリンフィルのコンサートマスターに日本人」ということがどれだけすごいことなのか!

それを身をもって実証してくれて、カラヤン~アバド~ラトルの3代の長期に渡って、我々日本人の心の支えでいてくれた安永さんの功績はじつに大きい。

その安永さんの退団とともに、すぐに樫本大進氏が入団したのは、なんか救世主とでもいおうか、あきらかに新しい時代の幕開けを感じざるを得なかった。

安永さんは、どちらかというと、髪型や風貌そのものが、昔の典型的な日本人男性というのに対して、樫本氏はイメージ的に、いかにも今風らしくて、あ~これは時代にマッチしていて新しい時代の日本人コンサートマスターのイメージにぴったりという感じだった。

真相は、当時のコンマスであったガイ・ブラインシュタイン氏に、安永さんが退団するので、その後釜としてどうだ?と誘われたということだったらしい。

試用期間が自分にとって、いかに長く感じたことか!
早く合格してほしい!と吉報を待っていたあの頃が懐かしい。

ベルリンフィルに入団するまで、樫本氏はオーケストラでの演奏の経験がなかった。
このことを心配する声もあったことも事実。

彼の当時の発言で、「確かにオーケストラでの経験はないけれど、オケは室内楽の延長線上にあるもの、と思っているから大丈夫。」。

この発言に、当時の自分は正直カチンときたことも確か。大オーケストラでしかもコンマス。そんな簡単なことじゃない、と思った。

でも最近、小澤さんがカラヤンから学んだことに、「オーケストラというのは、弦楽四重奏が基本。そこから膨らませていく。」ということを教わった、という発言を聞いて、なまじ間違いではなかったんだな、と思い直した。

自分が最初に樫本氏を見初めたのは1999年。彼のデビューアルバムである「Diashin Debut」であった。 



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樫本大進 Prokofiev: Violin Sonata, 2,
Beethoven: Sonata, 5, 武満徹: 悲歌

http://bit.ly/2rBtpFA


まさにこのデビューアルバムを聴いて、「樫本大進、ここにあり!」という感じでこの新鋭を知った。このソニーからのデビューアルバムはまさに衝撃だった。

現在は、CDフォーマットしかないようだが、当時は、SACDフォーマットが発表になったばかりで、出た当時のソニーのシングルレイヤーSACDで、背表紙が黒で厚めの高級ジャケットだった。

東京オペラシティでのライブ録音なのだが、空間、響きの豊かな適度なライブ感を含んだ優秀録音であった。

特にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、通称スプリングソナタ。
これは長い間、そしていまでも、この曲の自分のリファレンスというか、基準の演奏であった。

スプリングソナタはあまりに有名な曲で、数多のヴァイオリニストが録音を残しているのだが、この曲、じつはかなりその「演奏の解釈のクセ」がはっきりと出やすい曲で、聴くアーティストのアルバムに応じて、じつにいろんな解釈をきけてしまう、鑑賞側の立場からするとじつに難しい選曲なのだ。

超有名なヴァイオリニストのこの曲を聴いたりするんだけれど、その解釈の仕方にかなりクセのある演奏だったりして、自分の好みじゃないな、ということで、バッサリ切ってきたことが、いままで何回あったことか!

フレーズのまとめ方などの「フレージング」や、一音一音の表情である「アーティキュレーション」など、この曲ってじつに多彩な解釈が存在する。

樫本氏の解釈は、じつにスタンダードで変なアクセント、クセなどいっさいない、とてもスムーズな演奏解釈で、彼の曲を聴いた後は、しばらくは他のアーティストのスプリングソナタはクセがありすぎて聴けなかったぐらいだった。

デビュー当時の樫本大進といえば、自分にとっては、このスプリングソナタだった。

もちろんこのスプリングソナタの実演も聴いた。
横浜みなとみらいで、当時の相棒のイタマール・ゴランとリサイタルをやったのを聴きに行った。

アンコールで、7~8曲くらいやってくれた(笑)のを覚えている。

樫本氏の実演は、その後、山田和樹氏&スイス・ロマンドでサントリーホールで、チャイコフスキーのコンチェルトを聴いた。

このときの樫本氏は凄かった!

山田氏の指揮、スイス・ロマンドとのかけあいも秀逸であったが、自分には、まさに彼の独壇場にも思えたほど素晴しかった。弦の音色自体の安定感とビブラート感、そして強力な音量、そして目にも止まらぬほどの超高速パッセージの連続。終盤に向かってどんどん信じられないくらいのテンポの速さでクレッシェンドしていき、盛り上がっていく。そのエンディングに向けての疾走感は、自分にとって、まさに”超シビレル”という感じであった。

こんな感動したチャイコも近年になかった。

樫本氏のスゴサを感じた近年で1番の演奏でしたね。

あとは、ラトル&ベルリンフィルのサントリーホールでの来日公演を聴いた。マーラーの最高傑作の第9番でした。

このときのコンマスは、樫本大進。

まさにベルリンフィルのコンサートマスターに就任して、最初の日本への凱旋コンサートともいうべき記念すべき公演だった。

じつに涙が止まらない大変に感動した公演でした。
最後の一般参賀のときのラトルとの掛け合いは微笑ましかった。


樫本氏がまだベルリンフィルに入団する前のソロだった頃、ゴローさんの連載のステレオサウンドの「音のたまもの」に登場したこともあった。何号だったか覚えていなくて、本棚から探すのが大変なので、あきらめたが、ゴローさんとのやりとりで、覚えているのは、「なんでソロアルバムのリリース間隔がこんなに空くの?」という質問に、それは「レコード会社(ソニー)に聞いてください。(笑)」というやりとりだったろうか?(笑)

その後、ちょうどベルリンフィルの試用期間中だったころ、ゴローさんと「樫本大進の素晴らしさ」で熱論を交わしたことを覚えている。(電車の中でですが。。。)そのとき、自分はデビュー当時から注目していて、こういうところがすごいなんて口から唾飛ばして熱論していたなぁ。

ゴローさんは、その後もちょくちょく樫本氏が音楽監督の赤穂姫路の音楽祭に足を延ばしていましたよ。

最近NHKの特集番組のドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀:バイオリン 樫本大進」をじつに興味深く拝見した。まさに彼の生い立ちから、ベルリンフィルでの立ち回りなど、”いま”の彼の活躍が拝見できて、貴重なドキュメンタリーだったと思いました。

番外ですが、奥さんがじつに美人でびっくりしました。(笑)
美男、美女の最高のカップルですね。


自分にとって、樫本氏への想いは、このソロで活躍していた頃から、まさかのベルリンフィルへ入団するまでのところがピーク。

その後は、すっかり安心しきってしまって、自分の子供が大学を卒業して社会へ出たのと同じで、がんばってやっているだろうという安堵な気持ちでいっぱいで、その後は正直フォローしているとはいえなかったかもしれない。

ひさしぶりにネットのCDショップを覗いてみたら、あれから結構CDもリリースしているんですね。
(自分がしっかりフォローしていたのは、デビューから3作目くらいまで。)

でも彼なら、そんないちいち細かいフォローしなくても、安心していられる卓越した技術と、そしてベルリンフィルの第1コンサートマスターという重責ながらも安定したポジションもある。

ますますの今後のご活躍をお祈りしたいです。








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サントリーホールの音響設計 [音響設計]

ようやく最終章。この黒本、想像以上に中身の濃い、充実した本であった。かなり読み応えがある。ホール設立の経緯、音響設計、そして関与するアーティストたちのインタビューなど、このホールのすべてがわかるようになっている。記念すべきバイブルですね。最後は音響設計について、永田穂先生の寄稿です。

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世界最高の響きを求めて~サントリーホールの音響設計 永田穂建築音響設計事務所社長 永田穂

サントリーホールは首都圏で初めての大型コンサートホールです。基本計画の段階から新しい時代のコンサートホールを目指して、その形状、大きさから内装の詳細にいたるまで、音響条件の面から検討を行ってきました。

設計の段階では、1/50モデル、施工段階では1/10モデルを製作し、よりよい音響条件の追求と設計の確認をおこなってきました。


音響設計の考え方

音響設計を実施するにあたって、私どもは次のような姿勢を基本といたしました。

1.現在活躍している内外のコンサートホールの現状とその評価をベースに、新しい時代のコン
 サートホールにふさわしい響きをもとめる。

2.コンサートホールの音響に関する最新の研究成果を設計に導入する。

3.ホールの楽器としての側面を十分認識し、響きに対しての感性をもとにバランスのとれた設計
 をおこなう。

4.演奏者・ホール関係者の意見を尊重し、ステージ音響条件を考慮する。

5.音響性能と建築意匠との調和を図り、コンサートホールとしてふさわしい室内環境の実現に努
  める。

6.完工時には物理測定のほかにテスト演奏を行い、最終的な響きの調整と仕上げを行う。


①ワインヤードからの出発

サントリーホールは新しい時代のコンサートホールとして、また指揮者カラヤン氏のサゼッションもあって、その基本形状としてベルリンのワインヤードをベースとすることに決定しました。

ワインヤード型のホールでは、反射面の形・位置・傾きなどが音響効果の鍵をにぎる決め手となります。その設計には図面上の検討とともに、建築設計の進行状況に呼応して縮尺模型を製作し、光学実験・音響実験を繰り返しながら望ましい音場条件を追及してきました。


②目標とする響き


私たちが大ホールに求めたのは、大編成オーケストラの演奏に最もふさわしい響きをもったホールとすることでした。その響きの中身をもう少し突っ込んで説明しますと、まず、オーケストラおよびオルガンの演奏に対しては、低音に支えられた豊かな響きが基本になくてはなりません。また、ウィーン楽友協会大ホールで感じる管楽器や弦楽器のあの輝きのある生き生きとした響き、しかも、音の海に浸っているような効果も必要です。

さらに、各楽器の演奏音がクリヤーに、しかも繊細に響いてくることが望ましいことはいうまでもありません。このような響きをもった音場は、残響時間が適切であるばかりではなく、壁や天井から到来する反射音のレベル、遅れ時間、到来方向、さらにその混ざり合い方などがある条件にならなければならないことを最近の室内音響研究は明らかにしています。

そのためには、ホールの形・大きさから、壁や天井の構造、椅子の構造にいたるまで、音響面から検討が必要になります。

私たちは、次のようにして響きの量と質の設計をおこなっていました。

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③響きの量と質の設計

まず、豊かな響きを実現するための基本条件として、1席当たり約10.5m3という室容積を基本計画の段階において確保しました。また、響きの質を決めるのは、反射音の構造です。ワインヤード型のホールでは、壁や天井の形のほかに、客席ブロックの形や位置を工夫することによって、反射音の状態を細かく調整することができます。

この反射面の設計を、初期の段階では、縮尺1/50のモデルによる光学実験を中心に、設計が進んだ段階では1/10の模型を製作し、光学実験のほかに音響信号を使って反射音の状態を確認しながら反射面の調整をおこなってきました。

響きの量については、残響時間という尺度が用いられております。
サントリーホールでは大型のオーケストラ用ホールとして、中音域で、2.0~2.3秒の残響時間を目標としました。

一方、響きの質については、音に包まれた感じを表す尺度としてR.R.(room response)と、明瞭さの尺度としてC(clearness)といわれる2つの物理量を手掛かりとして反射面の検討を行いました。

上図は、壁・天井の反射面の形状の一部です。図にしますように、できるだけ多方向からの初期反射音が客席に到達するように考えてあります。また1/10模型では、周波数を10倍にした音楽を再生し、場所による響きの質の相違の確認とともに、ロングパスエコーの聴こえ方などの障害条件の検討もおこないました。


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上の写真は、縮尺1/10のモデルの実験で、最終的な音響条件では、モデル内に窒素ガスを充填し、空気中の音の伝搬特性までをシュミレートさせて、音響特性の検討をおこないました。

一方内装に対しては、壁・天井の構造やボードに対して特に気を使いました。

重低音をしっかり受け止めるだけのがっちりした構造とするため、ボードの2重張り、3重張り、下地軽鉄の補強、軽量下地の間柱に対してのモルタル注入など、一般建築の常識を超えた構造と施工法を工夫してあります。



④静けさの設計


コンサートホールでは”静けさ”が基本的な音響条件となります。ホールに侵入する騒音としては、外部からの交通騒音、隣室からの音楽や話声、それに空調騒音の3つがあります。サントリーホールは、その大部分が地下に埋まっているために、外部騒音に対しては恵まれた条件にあります。外部で問題となったのは、屋上庭園の歩行音と前面広場の騒音です。

前者は騒音というよりは固定伝播音で、対策としては、屋上スラブを2重として、緩衝材で浮かしてあります。

建物内の騒音としては地下駐車場の自動車騒音です。対策としては、駐車場天井に遮音構造を追加しました。

室~室間の遮音として大きな問題は、大小ホール間の遮音です。大小ホールはホワイエを共用しているため、それぞれの演奏音はもちろんどちらかのホールが終了したときのホワイエでの客のざわめきや話声が、もうひとつのホールで障害になることが考えられます。

この問題に対しては、大小ホールとも、入口扉を2重の防音扉とするほかに、ホワイエ天井を吸音処理することで対処しました。

空調騒音はホールに侵入する大きな騒音です。その低減につきましては、低風速のダクトシステムを採用するとともに、基本計画の段階から十分な個数の吸音ダクトを設置してあります。



以上が、永田穂先生寄稿によるサントリーホールの音響設計の文献。

前に書いたけれど、ホール音響の設計で、結構キーになるのが、「1席当たり〇〇m3」というスペックの規定の仕方。

これはいままで自分が知らなかったことなので、とても新鮮に感じた。

あと、現実的に絶対必要なのは、遮音、静けさの設計ですね。
これも普段の興味本位で覗ているだけのボクらにはあまり関係なさそうなところなんだけれど、現実問題ではとても大事なファクター。

オーディオルームでも遮音・防音は重要ではありますが・・・

ヨーロッパの歴史のある古いホールを体験していると、日本の近代設計の最新ホールと比較して、1番違うと感じるところが、この”静けさ”遮音性能なのだ。古いホールは、外の外気のざわざわ感がそのままホール内に入ってきているような感じがする。

日本に帰って、日本のホールに入ると、その静けさに驚き、さすがは近代の最新ホールだけある!と驚くのだ。アメリカのカーネギーホールなんか、近くにNYの地下鉄が走っていて、電車が通るたびに、そこのゴォォーという音が演奏中に聴こえるらしい。(笑)

遮音対策は、不可避の大切なホール設計のひとつですね。


今回、黒本を入手することができて、理解して、改めて考えたこと。。。


サントリーホール以前には、音響面であまり優れているとは言えない多目的ホールがほとんど圧倒的だった日本のコンサートホール史の中で、クラシック専用音楽ホールを設計する、ということ自体が、すごいチャレンジングなことだったのかもしれない。当然音響設計的なノウハウもなかった訳で、そういう意味でサントリーホールの登場は実験的で画期的だった。

その後、30年以上も経過して、音響設計的なノウハウもたくさん蓄積されて、その後のワインヤード形式ホールでは、いわゆる”進化型”のホールが登場した。

ミューザ川崎、札幌コンサートホール Kitara、愛知県芸術劇場が代表的。
(今後の主流はワインヤードだと思うけど、実際日本に存在するホールは、大方がシューボックスか扇型多目的だと思うんですよね。)

この3つの進化型ワインヤードホールはもちろん全部体験したが(札幌だけ大編成を聴いていない。)、やっぱり1番違うな、と思うのは、ホールの容積。

容積が広いと何が違うかと言うと、ステージからの直接音に対して、反射音の到来時間が絶妙な感じの遅れ具合で分離しているような感じに聴こえ、聴いていてなんとも言えない”立体感”を感じたり、すごい広い空間で聴いているなーという”空間感”が優れている感覚になるのだ。

これイコール、わぁあ~いい音響!という感覚になる。

みなさんが一番使っている簡単な表現で言えば、「響きがいい!」という感じだろうか。

容積が広いと、反射音の伝搬距離が長くなるということを意味しているので、直接音に対して、遅れて響き(反射音)が到達して聴こえる、ということでもある。

もちろん容積広すぎると、あまりに遅れすぎて、ロングパスエコーになってしまうが、もちろん設計段階からそんな設計をする訳もなし。(笑)

その遅れ時間が先の日記で述べたような永田先生の文献にあるようなタイミングになるように、何回もシュミレーションして容積やプロポーションを決めるのだろう。

今回新たに知った室容積の定義「1席当たり〇〇m3」というスペックも、十分な質の高い反射音の行き来をするためには客席の上部に十分な空間が必要。つまり天井が高い、ということですね。


これも進化型のホールの方は、サントリーホールに比べて上回っている。

サントリーホールが登場した時、最初、演奏家の方々が戸惑ったのは、その天井の高さだという。いままでの多目的ホールでそんなに天井の高いホールは経験したことがなかったから。

なんか演奏していて、いつもと違うなんとも言えない違和感があったとか。

瀬川先生のリスニングルーム理論にも天井は高くすべしという記述がある。でも天井が高いことに対して、リスポジにいる人は、その人の感覚によってだけれど、天井が高いことによる恐怖感を感じることがある、という記述もあった。

でも音響的には、絶対天井は高いほうがいいですね。


あと、進化型ホールとサントリーホールとの違いで自分が感じるのは、天井の造りと側壁などでの反射音の拡散の仕掛けかな?

進化型のホールは、天井がかなりがっちり音響の仕掛けがされているように思う。ミューザ川崎やパリのフィルハーモニーなんかはど真ん中にどでかい反射板ががっちりあって、その周辺を同心円状にさらに反射板が取り巻いているんですよね。ミューザのなんかは、さらにその周辺の反射板の角度が可変できるようにもなっているように見えてしまう。

これだけ天井ががっちりしているとホール全体に音が回るよなーと感じるのだ。

サントリーホールの天井は、基本はベルリンフィルハーモニーのデザインをそのまま持ってきたと思うのだが、そういう音響の仕掛けを自分のような素人にはあまり感じない。ステージ上に浮雲があるくらい。

側壁での反射音の拡散の仕掛けは、最新のホールは結構派手な凹凸やスリットを付けたりしているが、サントリーホールの方は、側壁やステージ後方の角錐上の形状デザインがそれに相当するのだと思う。

これは自分に好みがあって、こういう拡散の仕掛けのデザインは、得もすれば内装空間の美しさを損なうものだという考えがあって結構微妙なラインなのだ。(笑)

サントリーホールぐらいのデザインのほうが内装空間の美しさを損なっていなくて、うまくお洒落にその空間に溶け合っているように思える。

いずれにせよ、30年という月日は、ホールの音響設計に莫大な進化をもたらして、それが現実のモノとなって登場した。

でも、多目的ホールしかなかった日本のコンサートホール史で、”音響命”のクラシック専用音楽ホールとして登場したサントリーホールの意義は、その後の莫大な革命をもたらしたことは間違いない。

音響面だけでなく、先述したホール案内の「レセプショニスト」の登場、ワインやシャンパンなどのお酒などの提供など、その慣習も革命的だった。

そういう意味で、

「すべてはサントリーホールから始まった」

というのは自分もよく理解できたし、その後のすべてのホールがサントリーホールの影響を受けていることも理解できた。


黒本を手に入れて、この事実を再認識できて、そして連載日記を書けて、本当によかったと思う。

そして最後にもうひとつ印象的だったのは、この音響の世界、

「感性のレベルと物理的に説明できるレベルとの間には、まだまだ大きなギャップがある。」

これって重い発言だなーと思いますね。

実際自分の耳で体験したことを、こうやって理論づけで説明できるようになるには、どうしても理論は後付けの世界だったんですね。

感性のレベルがまず第1に尊重されるべし。

そして、そのメカニズムを解明していき、今後の建築のために、それを体系化していく。

自分もこうやってホールでの実体験を、自分の言葉として書けるようになったのは、たくさんの体験を得て、ようやく最近のこと、だと実感するばかりです。







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"響き”に関する若干の前置き [音響設計]

日本国内のみならず世界中のコンサートホールの音響設計を手掛ける永田音響設計。
その創立者は日本の建築音響学のパイオニアの永田穂先生。永田先生の建築音響学の本は、たくさん持っている。建築音響の世界って数式の嵐でさっぱりわからん。(笑)

最近、IECのリスニングルーム理論に基づいたオーディオ評論家の瀬川冬樹先生のリスニングルーム理論を自分の将来のオーディオルームのために、ということで勉強しているのだが、瀬川先生は、永田先生とも交友があって、いろいろアドバイスをしてもらっていたようだ。

瀬川先生のリスニングルーム理論に基づいて設計された部屋は、残響時間、実測1.5秒!(永田先生が直々に測定しています。)

容積が全然違うコンサートホールの残響時間でさえ、2.0秒の世界なのに、わずか20数畳のオーディオルームで、1.5秒ってすごくね?(笑)

「部屋はライブにつくる!」

を第1に目標とやっていくことをますます確信した。

永田先生は、ホール音響をそのままオーディオルームの室内音響に当てはめることはできない、などの投稿もされていて自分は興味深く拝読している。


残念ながら永田先生は、もう故人だが、その意志を引き継ぐ弟子たちが永田音響設計をいまも引っ張っていっている。

いまや世界の寵児として大活躍している豊田泰久さん、小野朗さんとか。。。

サントリーホールの音響設計は、まさに東京初のクラシック専用音楽ホール、日本としても大阪シンフォニーホールに次いで2番目、ということで、”音響命”のクラシック専用のコンサートホールの音響設計というとても緊張を強いられるタスクを引き受け、まさに社運をかけたプロジェクトだったに違いない。

永田穂先生をリーダーとして、豊田泰久さん、小野朗さん、など尖鋭たちの集まったメンバーで取り組んだ。

この黒本には、永田先生が代表として寄稿されていて、序章の「”響き”に関する若干の前置き」と、そして本編の「世界最高の響きを求めて~サントリーホールの音響設計」について、抜粋だが、言及してみたい。

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●”響き”に関する若干の前置き  永田穂建築音響設計事務所社長 永田穂

複雑なホールの音場に対して科学のメスが加えられたのは、約100年前のことです。(この本の時代のことだから、いまでは130年前。)さらに近代の科学はコンサートホールの音場が醸し出す様々な音響効果の仕組み、良い響きの謎を次々と明らかにしてきました。

そして望ましい音場条件を実際の建築で実現する音響設計の手法も逐次体系されてきました。
ホールの音響効果の設計は、いまや80%が科学、20%が芸術とまで言われています。

①室内の響きとは

最初に室内で拍手した時のことを考えてみましょう。拍手の音は、天井、壁と次々と反射を繰り返しながらやがては消えていきます。

いま室内の1点でこの音の到来状況を観測しますと一番時間的に早く到達する直接音に引き続いて天井や壁からの反射音が次々と到達することがわかります。実は直接音の後に残る多くの反射音群によって、われわれは室内の響きを感じることができるのです。

今度は広い草原で拍手したときのことを考えています。野外では直接到達する音だけで、反射音はありません。つまり野外では響きはありません。

われわれが一口に室内の響きとか音響効果とか言っている現象、それはこの直接音に引き続いて到来する反射音群によって醸し出されるのです。

言い換えますと反射音群は直接音に対して調味料的な役割を果たしているということができます。各反射音の大きさ、時間遅れ、またその到来方向などによって、様々な味の響きが生み出されるのです。豊かな響きも物足りない響きも、すべてこの反射音群の大小、構造によって説明できるのです。

近代の室内音響研究は、この反射音群の構造と音響効果との関係をつぎつぎと明らかにしております。また建築音響技術はこれをどのようにして実際の建築に実現できるかを工夫してきました。


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②残響と残響時間

みなさんが広い講堂や体育館で声を出したとき、発声を止めた後でも音を残っているのを聴くことが出来ます。

これを残響といいます。

残響という現象とその効果については、昔の人たちも気づいており、それをコントロールするいろいろな手法の記録も残っています。しかしこの残響という現象を科学的に証明できるようになったのは比較的最近のことなのです。

残響時間とは室内の音のエネルギーが100万分の1になる、デシベルで言いますと60dB減衰するまでの時間を言います。残響理論によれば、ホールの残響時間は室容積に比例し、室の全吸音力に反比例します。

すなわちホールの容積、内装材料とその使用面積さえ与えられれば、残響時間は簡単に算出できるのです。つまり建築の設計段階で、すでに残響時間の予測が可能なのです。

しかし、これだけでは良い音響効果のホールは設計できません。

残響時間の設計が現在でも室内音響設計の中で重要な役割を果たしているのは、室の使用目的、大きさによって最適と言われる残響時間が数多くの調査から明らかにされている点です。

たとえばコンサートホールとして望ましい残響時間は約1.6秒~2.2秒であることがわかります。

したがって、望ましい残響時間の設計は、建築の図面の段階で実施できるのです。



コンサートホールにとって、その残響時間は重要な意味を持っています。
しかし、普通、残響時間と言えば、習慣上、500Hzの値を言い、その周波数特性についてはあまり話題になっていません。

しかし低音・中音・高音の残響時間のバランスの違いは響きの相違に微妙に影響します。

面白いことに、ヨーロッパではフラットな残響特性が、アメリカでは低音域が持ち上がった特性が、好まれるようです。

サントリーホールの残響特性は基本的にヨーロッパのコンサートホールのフラットな特性ですが、オルガンを考慮して低音域の特性をやや持ち上げています。

残響時間の周波数特性は、残響時間の長短とは別に、響きの質の特色を表しているのです。

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③障害となるエコー~ロングパスエコーとフラッタエコー

ハープや弦のピチカート、ピアノやティンパニー等の打楽器弾いたとき、あるいはトランペットの鋭い立ち上がりに対して、客席の後方から反射音が独立して聴こえる場合があります。これをロングパスエコーといいます。日本流でいうと「やまびこ」です。

また、ホールの客席、両側の反射壁が平行している所で拍手するとプルンといった特殊な音色の響きが聴こえることがあります。

これをフラッタエコーといいます。日光東照宮の鳴竜は天井と床との間で生じるフラッタエコーなのです。

ロングパスエコーもフラッタエコーも、音響効果としては障害になります。音響設計では、良い響きを作り出す工夫をすると同時に、ロングパスエコー、フラッタエコーなど障害となるエコーを発生しないような対策をしないといけません。


④音響効果の仕組み


残響時間がホールの響きの量を表す基本的な尺度であることはお分かりいただけたと思います。

しかし、同じ残響時間のホールでも、残響感も響きの質も全く違うホールがあることは昔から問題になってきました。

また残響時間は、その定義からあきらかなように、室全体としての音のエネルギーの減衰状態を表す尺度であり、室内の場所による響きの相違については何も語っていません。

いま都内でクラシックのコンサートに使用されているホールを数えますと、大小合わせて10以上になりますでしょうか?皆さんよくいらっしゃるホールについては響きの特色、席による響きの相違などなんとなく掴まれているのではないでしょうか?

また欧米の著名なホールの響きを体験された方もいらっしゃると思います。

みなさんが実際の演奏を通して感じる音響効果、つまり気になる音響効果、すばらしいと感じる音響効果の着目点、あるいはその内容はどうなっているのでしょうか?

私なりに整理してみました。

1.プログラムに応じた適切な音量感
2.適切な残響感
3.各楽器の量感のバランス、特に低音楽器の安定した響き、弦楽器と管楽器のバランス
4.残響音の音色とバランス
5.聴感的な距離感、音源を近くに感じるか、遠く感じるかどうか?
6.各楽器の音が時間的にも空間的にもクリヤーであるかどうか?
7.弦楽器、管楽器の響きの質。
8.空間で響きが混ざり合っている感じ。音に包まれている感じの程度。
9.自然な方向感、耳触りのエコーがないこと。

などです。いかがでしょう?

一体このような音響効果は何によって創り出されるのでしょうか?
戦後の室内音響の研究は専らこのコンサートホールの望ましい音響効果の追及にあったと言っても過言ではありません。

でも感性のレベルと物理的に説明できるレベルとの間には、まだまだ大きなギャップがあるのです。

しかし残響特性でしか説明できなかった時代と比べると大きな進歩がありました。
一口で言いますと、反射音の到来状況と音響効果の関係があきらかになったのです。


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上図は、サントリーホールで観測した反射音の状況です。
これを「エコーダイアグラム」、あるいは「エコータイムパターン」といいます。
エコータイムパターンを詳細に観察しますと、直接音に引き続いて到来する初期の反射音群、各反射音が重なり合って1つ1つがもはや区別できなくなった残響音、の3グループに区別できます。

研究の成果を要約いたしますと、

1.30ミリ秒までに到来する初期の反射音は、直接音の音量を増加させる効果がある。

2.約80ミリ秒までの初期反射音群のエネルギーとそれ以降の残響音のエネルギーの比が、「明
 瞭度」に関係する。その割合は曲目にもよるが、ほぼ1:1が望ましい。

3.横方向からの初期反射音が空間的な印象 ”Spaciousness”を創り出す。

の3項に集約できます。

初期の側方反射音の強さが音響効果の決め手になることが明らかになりました。

これまで奇跡と言われてきたウィーン楽友協会大ホールの響きの謎もこれによって説明できるようになったのです。


⑤ホールの室容積

コンサートホールの音響効果はその容積と形状で決まると言っても差し支えありません。
室容積の基本的な条件として、「1席当たり10m3」という言葉をすでにご存じの方もいらっしゃると思います。

確かに世界的に活躍しているコンサートホールのデータを見ますと、8~12m3くらいになります。
わが国の多目的ホールの平均は約6~7m3です。

その理由は簡単です。コンサートホールでは質の高い反射音を得るためには、どうしても客席上部に大きな空間が必要なのです。

サントリーホールでは、1席当たり10.5m3という空間を確保してあります。

一般のホールでは1席当たりの平均床面積は0.7m2程度ですから、10m3という空間を確保するためには、平均して約14mの室高が必要となります。わが国の建築にとって室高を確保するということは、大きなコスト高を招くことを覚悟しなければいけません。

わが国でコンサートホールが生まれなかったのも、ひとつにはこの室容積の確保が難しかったからではないでしょうか?



⑥ホールの内装について~木の壁、石の壁

ヨーロッパでは昔からホールの内装に厚い木の板が用いられてきました。木の板は音響的に優れた性質を持っています。つまりその吸音、反射特性に特色があるのです。

木の板は低音域の音に対しては、その板振動によって吸音効果があり、中・高音域の音に対しては反射面として作用します。しかし反射面といっても大理石やタイルのようなシャープな反射面ではないという点です。

このように木は建築的にも音響的にもすぐれた性質を持っているのですが、ただひとつの性質~可燃性であるという点からホールに使用することは消防法で禁止されています。仕方なく、わが国ではセメントボードの上に薄くそいだ木の箔を貼って使用しています。

コンサートホールの内装として気をつかわなければいけないのは、ボード類を使用したときの板振動による低音域の吸収と、石やタイルを使用したときの高音域の反射です。

サントリーホールでの天井でのボード面では、2重、3重にボードを重ね、しかも下地のピッチを細かく、斜めに入れるまでにして板振動を極力抑える工夫をしています。



⑦客席

客席椅子に適度の吸音性をもたせることによって空席時と満席時の響きの状態の違いを少なくすることができます。ホールの椅子がすべて布張りなのは、この効果を狙っているからです。その結果、客席面はホールの中で最も大きな吸音面になります。

したがって、椅子の構造、仕上げのわずかな相違が残響時間に大きく影響してきます。またさらに面倒なことは、吸音面である椅子が床一面に拡がっているために、残響理論をベースとした吸音特性の資料がそのまま使用できないという問題があります。

厳密に言いますと、同じ椅子でも1階席とバルコニー席とでは吸音特性が異なるのです。

また最近のコンサートホールの椅子では、背の周辺部を反射性にしている例が見受けられます。
サントリーホールの椅子もこのタイプですが、わずかとはいえ椅子の面から反射を期待しているのです。

このように音響設計では客席椅子の構造ひとつにしても音響面から検討し、最善の効果を狙っています。


⑧ステージ周りの音響

これまでお話しした音響効果はすべて、客席面における聴衆を対象としています。
最近、演奏家を対象としたステージ空間の音響条件にも関心が寄せられています。

その結果、演奏しやすさからの反射音の条件の検討、あるいはオーケストラメンバーを対象とした舞台条件に関してのアンケート調査が行われるようになりました。

一方ステージ床の構造やオーケストラ雛壇のあり方などについても、いろいろな意見、主張があります。しかし、楽器の指向性、オーケストラの配置ひとつとっても複雑ですし、また音響レベルで取り上げるまでには至っていません。

ステージ周りの音響は将来のひとつの大きな課題と考えています。



⑨スケールモデル実験とコンピューターシュミレーション

昔からホールの縮尺模型を作り、この模型の音場を利用して音響特性の検討をおこなう手法がおこなわれています。これをスケールモデル実験、略してモデル実験といいます。

モデル実験は、もともと縮尺比に相当した倍率の周波数の信号音をモデル内で再生し、これを収録し、周波数を変換してホールの響きを聴くことを目指して開始されました。しかし、超音波域での音響機器の性能に限界があり、この壁は現在でも解決されていません。(これは30年前の文献なので、いまは解決されているかも?)

したがってモデル実験の目的は、室内音響特性に関するいくつかの音場パラメータの計測が中心となっています。また音響信号だけでなく、レーザー光線による反射面の検討もおこなれています。

このモデル実験は、音響設計の有力な手法なのですが、基本的な室の形状の検討などは、建築設計のスケジュールのなかにモデル実験が組み込まれてないかぎり、その成果を利用することはできません。

サントリーホールの場合には、設計の初期の段階で、1/50のスケールモデルを、内装設計段階で1/10のスケールモデルを製作し、室の基本形状の検討から側壁、天井の形状、エコー防止の吸音面の検討など、音響特性とともに意匠上の検討にもモデルを利用しました。

スケールモデル実験とは別に最近ではコンピュータによる音場のシュミレーションがおこなわれ、形や反射面の検討などに利用されています。

いまのところ、設計の初期の段階における形状の検討には、コンピューターシュミレーションが、内装の詳細、波動性までを考慮したパラメータによる音場の検討にはスケールモデルが有効のように考えています。



あーちかれた!(笑)

でもさすがは永田先生の文章、30年前の記載とはいえ、専門家の見地からの的確な内容で、使っているtechnical termも的を得て適切。

感動しました。

でも、自分が独学で書いた日記とそんなに違っているところがなく、案外合っていたというか、的を得ていてホッとしました。

ちょっと自慢していいですか?(笑)よくやった自分!(笑)

ただ、今回新しく得た知識は、室容積の基本的な条件としての「1席当たり〇〇m3」というスペックの規定方法ですかね?

大変勉強になりました。

これはあくまでホール音響の基本になる考え方。

これに基づいて、次回の最終章にサントリーホールの音響設計についてチャレンジします。







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サントリーホールの設計思想 [コンサートホール&オペラハウス]

黒本には、設計思想と音響設計が書かれている。設計事務所は、安井建築設計事務所。そして音響設計は、永田音響設計。

自分には、こちらがとても興味深い。ホール設立までのドラマは、よくわかっていたつもりだが、実際の施工主・音響設計家の書いた文章には重みがある。

特に、永田穂先生の書かれた音響設計の序章の部分に相当する「”響き”に関する若干の前置き」は、ホール音響の基本の考え方が書かれている。

素人の自分が、自らの経験と数学の世界の専門書を読みこなして、作成した日記より、よっぽど要領よく書かれていて(笑)、さすが専門家のよくわかっている観点から書かれたものは説得力があると思った。

あるものごとを書こうとした場合、100%のことを書くなら、頭の理解は150%~200%くらいわかっていないといけない。

上から俯瞰したものの見方って大切。

悲しいかな、自分はリアルタイムに理解処理しながら書いているから、文章に説得力も出ないのだ。

本日記は、実際のホールの音響設計よりも、こちらの序章のほうが今後のためにも重要と思い重点を置く。

もちろん一部抜粋のみ掲載で、日記を3部に分け、設計思想と音響設計で分ける。

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●設計思想

安井建築設計事務所の社長 佐野正一さんが記載。

①リーガー・オルガン

当初パイプオルガンを設置する予定はなかったという。でもカラヤンから、「オルガンのないホールは、家具のない家のようなものだ。」というアドバイスで考えを改めさせられた。

さらにベルリンフィルハーモニーではパイプオルガンの配置に失敗して、後付けで配置したので、ステージの真後ろではなく、ちょっと横のほうに設置されているのだ。

その教訓から、ステージの真後ろに堂々と配置する。

選んだのは、リーガー社のパイプオルガン。
リーガー社は、1845年創業の輝かしい経歴を持つ名門で、欧州を中心に秀でた実績がある。
オーストリアからスイス、南ドイツを横断し、ストラスブールに地域に多いジルバーマン・オルガンの流れを継承して、柔らかく重厚な音色のオルガンを作る。

このリーガーオルガンをサントリーホール向けに選んだのは、ウィーン在住のオルガンの専門家として名高いオットー・ビーバ博士と、ボストンの大学で長くパイプオルガンの研究と演奏を続けている林佑子教授のアドバイスによるところが大きい。

74ストップ、4段鍵盤、パイプの数は5898にのぼる。

大型のパイプオルガンの中でもずぬけた巨大さ。

バロックオルガンの輝かしい響きからカヴァィエ・コル流のロマンティックな響きまで幅広い音色の演奏が可能だ。

リーガー社の工場で仮組み立てをして、その壮大で精緻な美しい音色を確認し、そこから日本に輸送。

輸送、ホール現場での据え付け、そして整音という複雑な仕事が続き、こけら落としの1か月前にすべてが完璧に終わらないといけない。

これは結構大きな山場だったらしく、所定通り達成できたときは、どんなに嬉しかったことか、と述べられている。

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②サントリーの構想~クラシック専用ホール


サントリーホールのパイプオルガンをどう計画するか。それは赤坂・六本木地区再開発事業に文化施設を担当する目的でサントリーとテレビ朝日の両者が参加を決め、昭和57年、テレビ朝日はTVスタジオを、サントリーはクラシック音楽専用コンサートホールを建設することを決めたときからの課題だった。

サントリーのコンサートホールをどう計画するべきか。

赤坂・六本木再開発事業の計画は、長い経過があり、今日アークヒルズと呼ばれる大規模でかつ複合機能をもつユニークな新都心が生まれるにいたるまでには計画上基本的な変転が幾度があった。

サントリーのコンサートホールは、アークヒルズの文化施設という欠くべからざる機能を担うことになった。

ホールの運営と規模についてさまざまな検討がおこなわれた。ホールの対象はオペラ、クラシック、ポピュラーいずれか、専用ホールか多目的ホールか、大型ホールか、複数の小ホール併用か、など各種の問題が具体的に検討された。

昭和57年夏、佐治社長は検討のすえ、サントリーの基本構想をつぎのように打ち出した。

1.座席数2000のクラシック音楽専用。

世界的水準の響きの良いホールをメインとし、これに座席400程度の大きさの固定席のないフラット床の小ホールを組み合わせ、独立または大ホールに関連使用する計画とする。

2.飲食サービスはさらに検討のうえ決める。

3.ホール建設と運営はサントリーが直接当たる。

これは重要な決断だったと思う。わが国には公共用のホールは多数あるが、そのほとんどは、演劇にも集会にも使える多目的ホールで、音の響きを大切にする音楽演奏には不満が多いものだった。

クラシック音楽専用ホールの建設が何故すすまなかったのか、その理由は響きの良いホールをつくることの技術的困難さとホール運営の困難さにあり、大型ホールとなればその困難さは一層大きくなる。

世界有数の音楽市場といわれる東京にクラシック音楽専用ホールが皆無だという意外な事実の理由はそこにある。

それを敢えて実行しようという決断の背景には、ポピュラー音楽にともすれば押され気味のわが国のクラシック音楽を支え、またこのホールを拠り所として優れた日本の作曲家や演奏家が育つことを期待する佐治氏の深い想い入れを感じさせる。


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③サントリーホールの基本計画

敷地は溜池から六本木に向かう幹線道路に沿って位置する。

これは私観だけど、サントリーホールの最寄り駅って銀座線の溜池山王か、南北線の六本木一丁目。自分の家だと行きは銀座線なのだ。溜池山王からホールって結構歩く。心臓破りの坂をずっと登っていき、いつもホールに着く頃ははぁはぁぜいぜい(笑)。終演後の帰りの六本木一丁目は案外すぐで楽なのに。。。

ホールが出来たときは、まだこのような最寄り駅がなかったらしく交通の便としては、かなり悪かったらしい。

ロンドンのコヴェントガーデンがイギリス音楽の中心地であるように、少し状況は違うが、都市的な環境のなかで音楽の世界に没入できる場所が、赤坂・六本木という都心に出現した意味は大きい。

(株)入江三宅設計事務所の三宅晋氏、(株)永田穂建築音響設計事務所の永田穂氏の協力を願い、建築設計と音響設計をしていただいた。

結論!

大ホールは、座席数2006、音響効果をよくするために1座席当たりの室容積は約10.5m2。残響時間は中音域で2.1秒、座席形式はわが国初のワインヤード形式。

音響設計のために1/10の精密な模型を作って、レーザー光線による反射測定と音質シュミレーション調査を繰り返し、測定結果に従って、壁の配置や角度を修正した。

「世界一響きの美しいホール」を目指した。

建築作業が終わった後も実際のオーケストラを使って音を測定し、良い音を生むための調整を実行した。

工事施工を担当した鹿島建設(株)の周到な施工技術、関連した諸工事の統括には深く敬意を表したい。


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④なぜワインヤードを選んだのか?

サントリーホールは当初はシューボックスの予定だったらしい。

でもカラヤンが、「ワインヤードがいい。」「音楽は演奏者と聴衆が一体になってつくるものだ。ステージを中心に聴衆がこれを囲むこの形式がその目的を満足させる。シャルーンは私のこの考えを完全に理解してこの設計をつくったのだ。」

「サントリーホールからきっと良いぶどうができるよ。」

これで佐治社長が「ほなそうしましょ。」で決まったとか。。。

昭和58年の1月に、この記事を書いている安井建設の佐野社長が、当時の西ベルリンにカラヤンを訪問してその真意を確かめに訪問したそうだ。そして上のことを確認したうえで、数日後東京で、サントリーホールの座席形式はワインヤード形式を選ぶことに決定した。

このときのカラヤンとの会談で、大型パイプオルガンを設置することも決定的になった。

大ホールについて。ホール容積を確保するために天井は高くなり、高さの制限からホール全体としてエントランスレベルから低い位置に設定された。

うわぁ、まさにオーディオルームと同じですね。(笑)

まさにこうやってサントリーホールは誕生したのだ。

以前サントリーホールのバックステージツアーに参加したことがあって、そのことを日記にしたと思うが、普段聴衆として見える部分と楽屋などのバックステージ部分など、あういう感じになっている。

指揮者の控室やソリストの控室がステージのすぐ近くに配置されているのもカラヤンのアドバイスとか。

指揮者ちゅうもんは、控室でよっしゃ!と気合を入れて、そこからステージに出るまで、長く歩かされたら、緊張の糸が切れるだろう?(笑)・・・ということで、すぐ近くに配置されているらしい。

このサントリーホールのステージ裏のバックステージは恐ろしくデッドな空間でした。
入った瞬間すぐに感知するというか、まったく響きがない空間でした。(^^;;

これにて設計思想完了。

いよいよこれから2部に分けて、本命の音響設計のほうを特集します。





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サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラム 通称”黒本” [クラシック雑感]

マニアの中では、貴重な存在である通称”黒本”と呼ばれるサントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラム。1986年10月開幕なので、翌年の1987年3月までのプログラム、約半年分であるが網羅されている。

それだけではなくて、小澤さんやアバドなどたくさんのアーティスト・インタビューが掲載されていて、また「建てものと、その周辺」と題して、サントリーホールの音響設計について、永田音響設計の永田穂先生による投稿がある。

かなり読みごたえがあった。

黒本

600ページもおよぶ黒色でなんともいえない高級感が漂う。

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この部分は金色に塗装されている。

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ブログのほうにコメントをいただき、確かに言い忘れたので、ちょっと補筆しておく。

サントリーホール開館の前の、ちょうど4年前に大阪の方にシンフォニーホールが開館した。
このシンフォニーホールこそが、日本ではじめてのクラシック専用音楽ホールという位置づけだった。

サントリーホールは、東京初のクラシック専用音楽ホールで日本としては2番目。

サントリーホールは、サントリーホールディングスが、そしてシンフォニーホールは、朝日放送がオーナーで、当時のサントリーには佐治敬三さん、朝日放送には原清さんと、いずれも文化事業に熱心な経営者がいたからこそ、ホールの実現に寄与したとも言える。

サントリーも朝日放送もどちらも関西が地元の企業なんですね。

シンフォニーホールのほうも、サントリーホールと同じで、なにかといろいろ言われることも多いが、ホール設計は時代とともに、格段に進化していくもの。近代の最新のホールと比較して、どうだこうだ、ということ自体が、人間としての器が小さいと感じるし、この両ホールが、いわゆる日本のコンサートホール史の中で、クラシック専用音楽ホールとしての礎を築いてきたその功績はなににも替え難いしじつに大きい。

特にサントリーホールでの、ホールでのチケットをもぎって座席を案内する優しい「レセプショニスト」の存在。

ご案内の仕方を一流ホテルと同じくらいのレベルに高めよう。

いままではコンサートのチケットもぎり方なども、本当に味気なくて、働く人たちは「制服」というよりは、「うわっぱり」みたいなものを着ていた。

サントリーではもともと工場案内のサービスをするスタッフの所属・育成する部署があって、そこでクラシックのホール案内として質の高いサービスができる人も育てようということになったそうだ。

この流れが今や、全国のホールへと広がった。

休憩中にワインやシャンパンなどのお酒類を楽しめるのも、それまでは当たり前じゃなかった。

いまでは、日本のホールでは当たり前であるこういう光景も、ここに礎があった。

サントリーホール完成までのドラマは、結構本になっているものがあって、自分はじつに遠い昔に、2冊くらい読んだことがあって、佐治敬三さん、カラヤン、眞鍋圭子んとかの経緯のドラマはよく知っていた。

その遠い昔の記憶に基づいていままで書いていたのだが、この黒本には、作曲家や指揮者、演奏家などのインタビューが豊富に掲載されていて、自分がいままで知らなかったことがいっぱいで目から鱗であった。

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サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?とは、自分は直感で感じたのだが、その当時の指揮者であるサヴァリッシュ氏はこの黒本のインタビューで、この第九を選んだことをこう答えている。

これは私の強い主張によるものではありません。サントリーの佐治社長が何が何でも「第九」でやりたいということでした。彼自身コーラスの中で歌ったことがあるそうですね。またホール側も「第九」ということでした。この曲は極めて荘厳で力強く、シラーの詩も含めて、民衆に大きくアピールするので、これほどにオープニングのお祝いに相応しい曲はないでしょう。


・・・う~む。当時の佐治社長やホール側からの推薦曲。やはり自分の直感に間違いないようだ。

アーティストのインタビューについては、どれも大変興味深いのだが、やはり小澤さんのインタビューが、自分には面白かった。

世界のオーケストラを指揮しているからこそわかる達観した真実といおうか・・・その一部を抜粋して紹介してみよう。

●世界各地のオーケストラを指揮していて、オーケストラの風土性というのを感じますか?

これは本当にありますね。オーケストラの機能、つまりオケの持っている読譜力とかアンサンブルの実力ですが、この点から言えば、日本のはアメリカやイギリスのオケに近くて速いですね。

ベルリンフィルは現代のものはまったく不得意だと僕はかねがね思っていたのですが、このベルリンフィルは、メシアンといえども、自分たちの言葉にしてしまうんですね。つまり音符を読んで音を出すだけでは、彼らは精神的に満足しない。ただし、彼らはいろいろなおかしな音がするので本当に苦労していましたが、結果はとても面白いものになりました。

ロンドンのBBCは、一番早く音符を読んだですね。やはりそういうことに慣れていますから。だけどその音楽は、ベルリンフィルほど深いものではなかったと思います。

それからボストンも譜読みには慣れていますね。ボストンにしてみれば、メシアンといっても特別な現代曲ではなく、もう日常なものといった感じです。

日本のは技術的に完璧で、しかも素直に音楽に入っていました。ベルリンフィルのように自分たちのものにして出そうという深刻な面はありませんが、曲にのめり込んでいるのです。

たとえて言うと、ベルリンフィルは苦しんだあげくに自分の言葉にしているが、ロンドンは器用で頭の回転が速い。ボストンは機能性はすごく高いが本当の深みには欠ける。コーラスも同じことで、日本とボストンは大変に努力してあの難しい曲を暗譜していましたね。



メシアンに関して長々としゃべっちゃったけれど、3週間くらい前にスカラ座で指揮をしてね。彼らの気質や考え方がまるで違うのには驚きました。まず第1にイタリアの音楽に対する絶大な自信といったものがある。極端に言えばイタリア以外の音楽はそれほど大事じゃないかもしれない(笑)。

第2に彼らのつくる音楽は横の線、つまりリズムの線やハーモニーの線が大事だと習ってきたんですが、彼らは横が大事なところになってくると生き生きして、縦が肝要なところでは苦しみながらやっている。縦に弱いんですね。

5年ほど前にパリで「フィデリオ」をやったときも、フランスのオケは横の線指向でした。

そこへゆくと、アメリカやイギリスのオケは縦と横のバランスがとれてますよ。

ドイツはやっぱり縦を大事にしますね。しかしウィーンとかベルリンとかミュンヘンのいいオケは、縦の線を大切にしながら、横のほうも納得のゆくまでやるという良さがありますね。


●海外で指揮をしているとき、日本的だな、と自分自身思ったり思われたりすることありますか?


あるようですよ。たとえばR.シュトラウスの曲で「英雄の生涯」。

僕なんかがやると、それぞれの声部がはっきり聴こえるようにやっちゃうわけですよ。1本の太い線の音楽、いわゆる太書きしたようなものはいやなのね。ところがシュトラウスの場合は、いろいろな声部がうんと重なっているので、ある程度のところまでいくと、声部をはっきりさせるというのは不可能になってしまう。そういうところで苦しみながらやっているわけ。

あるドイツの指揮者なんか、初めから太書きするつもりでいますから、苦しみがないんですよ。
シュトラウスもあれだけ書くには苦しんだと思うんです。それを指揮するほうも、やっぱり苦しんでやって、それでどこかの声部が聴こえなかったら仕方がないという方式でやりたいと思うんですね。そうすると日本人だからきめ細かくやったと言われるんです。

ベルリンでマーラの第1番を初めてやったときは、細かく合図を出し過ぎて、何もあんなに指示を出さなくてもいいのじゃないかと言われたこともあります。それだけに、指揮者というものは太書きの音楽を作ったほうがいいという批判は受けますね。

そして僕も細書きから次第に太書きに変わってきたと思いますね。



あくまで抜粋ですが、さすが深いなーと思いましたね。

後半は、「建ものと、その周辺」ということで、ホール建設のことと、永田先生による”響き”に関する若干の前置きについて、そしてサントリーホールの音響設計について書いてみます。

日記としては別途分けます。

ここは、まさに自分の興味の多い”本命”の所ですので、大変興奮しました。





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小澤さんの勇姿を顧みる 後編 [クラシック指揮者]

小澤さんの勇姿を観たい。急にふっと思いついたこと。それもまさに全盛のときで、自分にとって思い入れのある公演。

つぎにどうしても観たかったのが、

1999年 ザルツブルク音楽祭・カラヤン没後10年記念コンサート。

ホールはザルツブルク祝祭大劇場。

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この名誉ある公演をカラヤンの愛弟子だった小澤征爾さんが大役を引き受けてウィーン・フィルを相手に振る。 バッハのG線上のアリア、ワーグナーのトリスタンとイゾルテ、ブルックナーの交響曲第9番。

この大舞台で日本人の小澤さんが、まさにカラヤン追悼コンサートを振るというステータスに同じ日本人として、とても誇りを持ったし、なにか熱いものを感じた。

この公演は衛星生中継をNHKが録画して時差再生してTV放映した記念番組。

途中に小澤さんのカラヤンに対する思い出などのインタビューが挿入されている。
これが、またものすごく貴重。小澤さんとカラヤンの師弟関係の想い出がぎっしり詰まっている。
このインタビューが聴きたくて、この公演の録画を重宝しているくらいなのだ。

まず最初はバッハのG線上のアリア。この曲は、もう小澤さんにとっては鎮魂歌。亡くなられた方を偲んで、冒頭に必ずこの曲を演奏する。

松本のサイトウキネンでも東日本大震災を追悼、水戸室の潮田益子さんが亡くなられたときも水戸芸術館で聴いた。

もう自分は何回実演で聴いたかわかんない。


G線上のアリアが終わったら、思わず拍手してしまった観客を、ここで拍手しちゃいかん!と小澤さんジェスチャー。

すぐに楽団員、観客全員起立してカラヤン追悼で黙祷。
この間TV画面ではカラヤンの写真がいろいろ映し出されていた。

つぎにソプラノのジェシー・ノーマンを迎えてのワーグナーのトリスタンとイゾルテから前奏曲とイゾルテの愛の死「優しくかすかな彼のほほえみ」。

ジェシー・ノーマンもカラヤンとは非常に関係の深かったソプラノ歌手。

しかしトリスタン和音の効果というか、この曲本当になんともいえない官能美で切ない美しい旋律なんだろう。人の心をグッとえぐっていくような、うねりみたいなものを感じる。ワーグナー音楽の美しさの極致ですね。

ノーマンも声量豊かで、素晴らしい艶のある歌声で堪能した。

ブルックナー9番。悪くはないが、ウィーンフィルの音色だと思った。艶感はあるが、重厚感という点で、やや腰高サウンド。ブル9には、自分的にはやや物足りないかな?まっこれがウィーンフィルのサウンドと言ってしまえばそれまで。



次に小澤さんのインタビュー(カラヤンについての思い出)。
カラヤンの頭像のある祝祭大劇場内のロビーで。

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(2013年に自分が行ったときに撮影した写真です。写真の中央奥のほうに頭像があります。その手前に小澤さん立ってインタビューを受けていたのかな?) 

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小澤さんが初めてカラヤンを観たのは、確かN響を振っているときで、ドボルザークの「新世界」。
当時川崎に住んでいて、自宅にテレビがなかったので、近所のお蕎麦屋さんで、事前に相談して、そのお店のテレビ放映に合せて来店して、そこで、そのテレビを見て初めてカラヤン先生の姿を観た。

(自分の予想では、N響を振っているときではなく、クルーゾー監督によるスタジオでベルリンフィルを相手に新世界を振っているプロモビデオがあるのだが~白黒でカラヤン&ベルリンフィルの初の映像作品です~それではないか?と思っている。)

カラヤンが自分の弟子の指揮者を決めるコンクールで小澤さんが優勝して、カラヤンの弟子になることができた。

カラヤン先生はとにかく最初のイメージは怖くて怖くてとっつきにくい人だという印象があった。
10年くらいそんなイメージを持ち続けた。

あるときポッと怖くないと思い始めた時期が訪れた。それまでマエストロ・フォン・カラヤンと呼んでいたんだが、ヘルベルトと呼べ、と言われた。こればかりは言ってみたが恥ずかしくてしっくりこなくて、どうも調子が悪かった。

齋藤秀雄先生のことを、秀雄、秀雄と呼んでいるようなもので。(笑)

カラヤン先生は自分のことを死ぬまで自分の愛弟子だと思ってくれた。これは一生の宝。

カラヤン先生から指揮のことを学ぶのだが、カラヤン先生の指揮は普通の指揮とは違うので、すごい心配だったが、じつは基本に忠実だった。オーケストラにとって何が悪かったのか?何が必要なのか?そういった基本的で、しかも実践的なことを、実際のオケを使いながら教えてくれた。


それまで齋藤秀雄先生に基本的なことを学んでいたので、カラヤン先生から学んだのは、長いラインをどう掴むか、ということだった。シベリウスの3番やマーラーの大地の歌を使って、何フレーズも先の、いかに長いラインを先に掴みながら指揮をするか、ということを実践的に教えてくれた。

小澤さんは齋藤秀雄先生の弟子だから、シンフォニーだけで、オペラは教わらなかった。ところがカラヤン先生から、それでは駄目だ。シンフォニーとオペラは音楽家(指揮者)にとって両輪なんだ。

シンフォニーだけでオペラをやらなかったら、お前はモーツァルトの半分も知らない、ワーグナー、プッチーニ―、ヴェルディを分からないで死ぬんだぞ。それでいいのか?

それでカラヤン先生に言われて生まれてはじめてのオペラの指揮は祝祭大劇場でウィーン・フィルで、モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテを振った。

これが小澤さんのオペラの初指揮だった。


カラヤン先生は、自己規律がしっかりした人だった。普通の人はお腹がすいたらたくさん食べたりとかするが、カラヤン先生は毎日決められた量だけを食べる人だった。指揮の勉強も、自分だったら公演間近になったら詰め込みで猛勉強するが、 カラヤン先生は毎日決まった時間を毎日続ける。そして公演当日は睡眠を十分に取る、という人だった。

カラヤン先生は、なんかとっつきにくい人、怖い人、傲慢な人とかかなり誤解されていると思う。
本当はものすごいシャイな人だった。

公演終了後、観客にカーテンコールをしないで、燕尾服着替えないで、そのまま奥さんと車に乗って家に帰ってしまう、というような人だった。カラヤン先生と話をしたいときは、その車の中にいっしょに乗って話すしかなかった。

でもその日の自分の公演の話は絶対にしたがらなかった。それはある意味知られざるタブーなことでもあった。公演以外のこれから何を食べるとか、そういう差しさわりのない話が良かった。

自分が指揮した公演をカラヤン先生が観に来てくれたことが何回もあるが、そのときに後日、征爾、あのときのこの場面はお前の指揮が悪かった、この場面はオケが悪かった、ここはこうするべきとか、本当にもの凄い細かなところまで覚えていて、凄い 記憶力だと思った。そのときの実際指揮している自分が驚くぐらいだから。

カラヤン先生はそのときはすでに高齢だったはずで、それなのにあの記憶力は本当に驚いた。



この1999年のカラヤン没後10周年記念コンサートとしては、そのときの音楽監督であったクラウディオ・アバドもベルリンフィルを振って、カラヤンの追悼ミサがおこなわれたザルツブルク大聖堂でコンサートをやっているのだ。

その映像素材ももちろんある。モーツァルトのレクイエムなどが演奏された。あのスウェーデン放送合唱団も参加という贅沢な布陣。


つぎに観た記念すべき公演は、

・1986年ベルリン・フィル サントリーホール柿落とし公演(小澤征爾指揮)

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東京初のクラシック音楽専用ホールとして1986年にオープン。これまた初の試みであった民間企業(サントリー)によるホール造りは当時大きな話題になった。

ベルリンフィルフィルハーモニーを参考にして作られ、その設計の際はカラヤンのアドバイスがかなりあったと言われている。(ワインヤード方式を採用したのもそのひとつ。)


サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?

サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラムは、通称”黒本”と呼ばれ、マニアの中では貴重な存在。

先日中古市場で見事ゲットした。

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これについては、また別途日記にします。

そして、カラヤン&ベルリンフィルによる最初のこのホールでの来日公演。

当然話題になるのは当たり前。ホール建設のアドバイザーでもあったカラヤンを招聘するのはひとつの目標、けじめでもあった。

しかし来日直前にカラヤンは急な風邪でキャンセル。自ら小澤さんを指名。

急遽、愛弟子の小澤さんが振ることになった。

そのときの公演の模様である。

小澤さんはコンサート後の「ベルリンフィルお別れパーティ」で、演奏会の途中(英雄の生涯)で第1ハープの弦が切れたことを聞かされビックリした様子だったが、ハープは即座に弦を張り替えて無事ソロ演奏を終えていたので「よかった」と相好を崩したそうです。

このベルリンフィルによる柿落とし公演の演目は、シューベルトの未完成と、R.シュトラウスの英雄の生涯。

開演前に、いまの皇太子さま(若い!)が来場。天覧コンサートとなったようだ。

TV画面に映っている聴衆は、ほとんどが正装のように感じた。

幕間に、眞鍋圭子さんによる団員やステージマネージャーへのインタビューがあった。眞鍋さんについては今更説明の必要はないだろう。サントリーホール設立に至るまでじつに大きな役割を果たし、カラヤンの日本とのパイプ役・マネージャー的存在でもあり、その後長年ホールのエクゼクティブ・プロデューサーとして活躍していらっしゃった。

さすが!ドイツ語じつに堪能でいらっしゃいました!

もうひとつNHKのアナウンサーは清水圭子さん(記憶にある。いまはどうなされているのかな?)だったのだが、日本人として初のコンサートマスターになった安永徹さんにインタビュー。ベルリンフィルのコンマスの重責と、後半の英雄の生涯のヴァイオリン・ソロ(当然安永さんが弾く)はじつは女性の役割ということを説明していた。(シュトラウスは多くのヴァイオリン・ソロを書いているが、大半は女性だとか。)

公演は素晴らしかった。特に英雄の生涯は、自分のマイカテゴリーといえるほどの大好きな曲で、この雄大でスケール感の大きい大曲を久しぶりに聴いて感動した。

小澤さんも汗びっしょり。やはりこれだけの大曲を指揮すると、終演直後では興奮が冷めやらず、笑顔になるまでかなりの時間があった。

いままで観てきた小澤さんは、いずれも汗びっしょりかく。やはり健康体の時代だったんだな。

大病を患って、体が思うように動かない現在では、なかなか汗をかくまでの熱血指揮ふりは見れないような気がする。

汗びっしょりの小澤さんを観て、なんとも言えない久し振り感があった。

以上が小澤さんの若き頃の勇姿を楽しんだ映像素材。思いっきり溜飲を下げた。



他にとてもよかったのが、1996/10/17のアバド&ベルリンフィルのサントリーホール来日公演。

マーラー交響曲第2番「復活」

まさにキラーコンテンツ!
この曲は、いままでもう数えきれないくらい聴いてきているが、その中でもこの公演は3本の指に入る名演だと思う。

いま観ても感動する。

特に合唱の世界では世界最高の合唱団との呼び声高いスウェーデン放送合唱団が帯同し、話題になり、この公演で日本での知名度を一気に上げた。

この日の公演では、他にエリック・エリクソン室内合唱団との合同スタイルであった。

アバドは、自分の在任期間中、このスウェーデン放送合唱団を厚迎していた。



友人のお薦めは、

ジルベスター:1995,1996,1997(この年は最高らしい),1998
ヴァルトビューネ:1996(アバドのイタリア・オペラ)
ベルリンフィル定期公演:1996(マーラー2番)、1996(レバイン)

今度またの機会にゆっくり観ましょう。


またドキュメンタリー関連、お宝映像などが面白い。


・佐渡さんとベルリン・フィルとの「情熱のタクト」
・アバドのハーモニーを求めて
・安永徹と中村梅雀対談
・ソニー大賀典雄「ドイツ音楽の夢」
・黒田恭一「20世紀の名演奏」
・カラヤンの音楽三都物語~ザルツブルグ・ウィーン・ベルリン

個人的には、大賀さんのドキュメンタリーが一番感慨深かったと同時に凄いスーパーマンだな、と改めて驚嘆してしまった。

あと佐渡さんとベルリン・フィルとのファースト・コンタクトの場面。指揮者があるオーケストラに客演するとき、上手くいくかどうかは初対面の日の最初の30分で決まる!まさにこのファースト・コンタクトで決まってしまうのだ。

ベルリンフィルのメンバーから、樫本大進を通じて、どういう音が欲しいのか明確に示唆してほしい。我々はその望み通りの音を届ける、とダメだしされてしまう。改めてベルリンフィルの怖さを感じてしまった。(笑)

なんか観ているほうで緊張してしまって、昔自分が塾の講師のアルバイトをしていた頃を思い出してしまった。

黒田恭一さんの番組はさすがにあの明朗でわかりやすい解説がとても懐かしかった。日本いや世界中でアンチカラヤンブームが巻き起こったときにも中立の立場でカラヤンを評価してくれていた唯一の評論家であった。

大賀さんのドキュメンタリーと、カラヤンの生涯ドキュメンタリーでは、モーツァルテウム音楽院大ホールの魅力に執りつかれてしまった。ぜひ行ってみたいホールだと確信した。 その内装空間の美しさもさることながら、観客がまったくいない状態での音響ではあるのだが、あまりにも素晴らしいピアノの音に、アナログの古いメディアの音で、昔の番組という次元を通り越して、その素晴らしさを感じ取れた。

これを観たことがきっかけで、2013年のザルツブルク音楽祭に行くことを決めた。
そして、このモーツァルテウムを体験できた。

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そんなからくりがあった。



まだまだ観ていない素材は、たくさんある。
これだけのライブラリー、全部制覇するのは大変、いったいいつになることやら・・・

大変長文の日記で、とりとめもなく書いてきたが、改めてこのライブラリーを作った友人に感謝しつつ、筆を置くことにしよう。







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小澤さんの勇姿を顧みる 前編 [クラシック指揮者]

いま病気療養中で長期お休みをいただている小澤さん。もちろん予定されていた公演もすべて降板キャンセル。残念なことだが、早く良くなってまた復帰してほしいもの。そんなことがふっと頭をよぎり、小澤さんの若かりし頃の勇姿を映像で観てみたい、と急に思いついた。

これは例によって、急に思い立つことなので、いつもの通り、自分でも予想できません。(^^;;


2,3日前から無性に小澤さんの若き頃の勇姿を観たい衝動に駆られ、ガムシャラに観まくって日記も書いた。(とくにカラヤン先生とのこと)

そういった自分の突然の思いつき、胸騒ぎがハッピーなことでよかった!
25日、各新聞発表の記事。 

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「小澤征爾さんは3月2日に大動脈弁狭窄症と診断されて入院。4月上旬に手術を受け、10日に退院。現在は自宅療養中で、夏の8月、9月長野松本市での音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で活動を再開する予定ですすめている!」

よかった!自分が心配していたのは、大動脈弁狭窄症という心臓の病気。ちょっと素人では事のシリアスさを十分把握できないため、余計に不安を募らせた原因だった。


とにかく自分の考えたこと、ふっと突然思いついたこと、行動などが、なぜか周りの事象とシンクロしちゃうんだよねー。(^^;;

2年前あたりから意識するようになったんだが、こればかりは、自分で意図できることではないし、どうしようもできないことなのだ。

だから、今回も不安に思った。なぜ?急に小澤さんのことを考えたんだろう・・・?と。
もしや?なんて心配したわけだ。

自分は、やっぱりハッピーなことを予知する専門でいきたいです。(笑)


小澤さんの若い頃の勇姿を顧みる。

それも最近のサイトウキネンのコンサートとかではなく、ちょっと自分特有の変わったコレクションにて実行してみたいと考えた。

前職時代の友人が、1984年~2006年に渡るNHKのクラシック番組を、家庭用記録メディアにコレクションしていたものを、永久保存版としてそれらの映像素材をデジタイズしてBD-Rに一斉にダビングして整理しようという「VHSダビングプロジェクト」をやってくれたのだ。

いまから7年前の2011年のこと。

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ご存知のように家庭用記録メディアはアナログテープからディスクへと記録フォーマットがどんどん変遷していくので、その時代に応じた記録フォーマットで録画して保管してあった訳だ。

友人のご好意により、そのライブラリー全てをダビングして譲ってくれるというのだ。

大変貴重なライブラリー。

市販ソフトでは手に入らない貴重な素材ばかり。

簡単にダビングというけど、今でこそHDDなどから32倍速、64倍速などの高速ダビングで短時間でダビングすることが当たり前になっているこの時代に、アナログテープからダビングするということは、120分の番組を録画するのに、そのまま120分かかるということなのだ!!!

アナログテープのライブラリーは、ED-β,Hi8,VHSとあって、合計80本くらいあった。その他にもLD,VHDなどの市販ソフトからのダビングもあった。

いまでこそ、DVDなどのアナログ出力はマクロビジョンがついていて著作権対策でダビングできないようになっているのだが、当時のLD,VHDにそのような発想はなく、アナログ出力からダビングし放題な訳だ。いまはもう映像機器としてアナログ出力は出していないんじゃないかな?

写真のように全部で24枚のBD-R (記憶容量25GB)。1枚のBDに4番組くらいは入っているから、96番組のライブラリーになる。



しかも1枚1枚に、このようにカラープリンターでラベリングされている。
これもディスクの中身をいちいち再生して確認してはラベリングという凄い重労働だと思う。見てください!この細かい詳細なラベリング。

恐れ入りました。

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友人にはひたすら感謝するしかない。


この録画ライブラリーも大半はベルリンフィル、ウィーンフィルの番組。ベルリンフィルの3大コンサートであるヨーロッパ/ヴァルトビューネ/ジルベスターのコンサートも毎年すべて録画されている。あと90年代のベルリンフィルの定期公演やウィーンフィルのニューイヤーコンサートも網羅。ザルツブルグ、ルツェルンの音楽祭関連やドキュメンタリーももちろん。

こういったコンサートで実際の市販ソフトになっているのは数が限られていて、しかも廃盤になっていたりするから、この毎年のライブラリーは本当に貴重な財産だと言える。

もっと貴重だと思ったのは、ドキュメンタリー関係が充実していること。
ふつうのNHKの番組でドキュメンタリーとして造られた特別番組だったりするから、よっぽどのことがない限り、絶対市販ソフトにはならない。

たとえば1989/7/16 カラヤンが死去したときのNHKニュースセンター9時(キャスターは木村太郎さん)の生映像をはじめ、テレビ朝日のニュースステーション(キャスター久米宏さん、若い!)とか、カラヤン死去ニュースを片っ端からはしごで録画。(笑)

若かりし頃の小澤征爾さん、安永徹さんのコメントも映っている超お宝映像だ。
これを持っているのは自分しかいないと自負していました。(笑)

やはり巨星カラヤンが死去したときのクラシック音楽界への衝撃は大きく、NHKが盛んにカラヤン特集を急遽制作したのだ。



1989/7 栄光の指揮者カラヤン&カラヤン懐かしの日本公演。
1989/7 帝王カラヤン氏逝く。

1989年7月16日に自宅で急性心不全で亡くなったカラヤンは(ソニー大賀さんとの商談中に起こった)、翌17日午後9時半には、11人の手によって、アニフの教会に埋葬された。

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ザルツブルク郊外にあるアニフの教会、自分も2013年にザルツブルク音楽祭に行ったとき、アニフに寄ってカラヤンのお墓詣りをしてきた。

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本人の希望により、これだけの偉人にしては、じつに質素なお墓であった。
もう一度行ってみたいな。


カラヤンの訃報に対して、やはり日本人指揮者として、代表でインタビューを受けるのは、当然小澤さん。

その若かりし頃の小澤さん(当時はボストン響の音楽監督)のインタビューをずっと観ていた。

カラヤン先生は、とにかく音楽家、指揮者として本当に素晴らしい人だったんだけれど、晩年は帝王とか、楽団員とのイザコザとか、本来の先生の素晴らしいところとは別のところで話題に上がっていたのは、なんとも残念だった。

とにかく最初はとてもとても怖い人だと思って、全く近づけなかったのだけれど、一度中に入ってしまうとメチャメチャ暖かい人だった。

カラヤン先生から学んだことは、オーケストラの基本は弦楽四重奏。そこから弦メンバーの数増やして、木管、金管などの管楽器、そして打楽器など、どんどん増えていってイメージを膨らませることが指揮者にとって重要、それが指揮をするためのひとつの手法なんだ。

これは後の小澤さんが始める小澤奥志賀国際アカデミーへとつながるんですね。

カラヤン先生はよく日本人の指揮者で自分がいいと気になる人がいたら、かならず僕(小澤さん)のところに連絡をよこすんだよね。

「征爾、〇〇知っているか?」当時の高関健さん、小泉和裕さん、山下一史さんとか。当然知っているんだけど、先生は、誰それは、こういうところがいい、とか事細かく小澤さんに話してきたのだそうだ。


カラヤン先生は、いわゆる独特の指揮法で、みんなすぐに真似をしたがるんだけれど、それは全くダメ。指揮はやはり自分のスタイルを確立すること。僕はカラヤン先生、斎藤秀雄先生の両方から指揮を学べたので、本当にラッキーだったとしかいいようがない。

こんなことを小澤さん、インタビューで話していました。


上の急遽制作されたドキュメンタリーでは、カラヤンの訃報がちょうどザルツブルク音楽祭の開幕直前だったこと、そしてこの音楽祭はまさしくカラヤンとともに、育ってきた音楽祭と言ってもよかったので、そのザルツブルクで急遽取材。音楽祭がまさに開かれているその最中で、正装した紳士淑女たちに、インタビューしていた。



ひとつの大きな時代が終わった。
すぐには彼に相当する後任は出てこないんじゃないか?

晩年は、人間性を疑われるような傲慢な面も報道されていたので、特別な感慨はない。

彼がいなくなって、音楽祭の品位の高さが失われるんではないか?

後任は誰だと思う?

オザワと答えたのが、日本人を含め、2人いた。(^^)
あとはアバド、ムーティ。

クライバーもいいけど、彼は気まぐれだからダメね。

マゼールが適任だと思います。

音楽祭の観客は、意外にも冷静に受け止めているような感じがした。


自分が小澤さんの勇姿を観たいと漠然と思ったのは、

1989年ベルリン・フィル ジルヴェスターコンサート(小澤征爾指揮)。

あの小澤さんのオルフの「カルミナ・ブラーナ」。このジルヴェスターの公演も最高なのだが、前年の1988年、小澤さんが日本から晋友会という、まあいってみればアマチュアの混声の合同合唱団を率きつれてベルリン・フィルハーモニーホールへ乗り込み、ベルリン・フィルの定期演奏会でカルミナ・ブラーナを披露しちゃったという逸話付きの演奏会なのだ。


合唱のような大所帯を海外遠征に引き連れていくというのは、その経費含め、じつに大変なこと。

この晋友会というのが半端な合唱団ではなく、もう、ベルリナーを唖然とさせるくらいのすばらしい合唱団だったのだ。 わざわざ小澤さんが晋友会全員を連れていったというのが頷けるという。。。

合唱を現地メンバーで賄えば、それで済む問題だったのかもしれないが、そこを敢えて日本人合唱団で押したことに、現地ベルリンでの晴れ舞台での、日本人としての心意気を観た感じがした。

これぞ日本のレヴェルを世界にアピールした晴れ舞台という感じで誇らしかった。

このときのソプラノが、エディタ・グルベローヴァだというから、尚更自分にとって感慨深い。

この1988年の定期公演のCD、当時収録されていて、いまも発売されています。 



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カルミナ・ブラーナ 小澤征爾&ベルリン・フィル、
晋友会合唱団、グルベローヴァ、他

http://urx2.nu/JG1S

もちろん翌年の1989年のジルヴェスターでもこの晋友会を引き連れて乗り込んでいて、このオルフのカルミナ・ブラーナを披露している。このときは、ソプラノはキャサリーン・バトルが務めている。

今回観るのは、このジルヴェスターの映像素材。


この公演以来、小澤さんはベルリンフィルのジルヴェスターとは遠ざかっていて、2010年にチャンスが1度あったのだが、ご存知食道がんでキャンセル。

いやぁ、このカルミナ・ブラーナ。まさに合唱のための曲ですね。
最初から最後まで合唱ずっと大活躍!

1番最初の「全世界の支配者なる運命の女神」は、誰もが知っているあまりに有名なフレーズ。
ゾクゾクっとする。

この当時、つまり1980年代後半って、まさに自分の青春時代。日本が絶好調のバブリーな時代だった頃。晋友会の合唱団は、ずっとカメラアップされて映るんだが、女性陣はみんな当時の聖子ちゃんカット(笑)、男性陣も当時の髪型ファッション、明らかに今とは違う違和感、あの当時の世相を表していたよ。

懐かしく見てました。

21番目のフレーズの「天秤棒に心をかけて」のソプラノ・ソロ。

これもあまりに有名な美しいソロ。キャサリーン・バトルの美声に酔いました。
彼女は決して声帯が広くて声量豊かとは言えない歌手かもですが、やはりディーヴァとしてのオーラが際立っていた。

やっぱり華形スターだ。

最後のカーテンコールでも晋友会への拍手はひと際大きかったです。

まさに小澤さん全盛のときの指揮振りですね。
このときはタクト棒を持つスタイルでした。

この公演を観ることで、今回の自分の本懐を遂げられたと言ってもいい。

でもまだまだこれからなんですよ。



つづく


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札幌のクラシック音楽と舞台芸術に関する専門誌を創刊したい! [クラシック雑感]

幼少時代から大学時代まで過ごした北海道。いまも夏休みと年末年始は北海道に帰省する・・・ 自分にとって、いわゆる実家のある土地。その北海道・札幌で、

「札幌のクラシック音楽と舞台芸術に関する専門誌を創刊したい!」

というムーヴメントが立ち上がった。

FBで、その投稿を知ったときは、なんともいえない衝撃と感動を受けてしまった。
自分のアンテナにビビッとくるあの感覚。

ある意味盲点でもあった。
いいところに目をつけたなーというのが自分の素直な印象。
本当に素晴らしい!としか言えない。

もちろん応援していきたい!

わが故郷で、クラシックを啓蒙するためのメディアが立ち上がるなんて、なんか夢がありすぎる。
そこには、自分の故郷という点、そして自分の人生の生きがいの支えでもあるクラシック音楽が融合した、そんな自分の心の琴線を、思いっ切り刺激するようなそんな響きがあった。

興奮で、乱文となりそうになる前に(笑)まず大事な要点をピックアップしてみる。

●プロジェクトを立ち上げたのは、2018年が札幌の文化芸術にとってメモリアルイヤーになること。

今年は、札幌で毎年開催されている、世界の若手音楽家を育てる国際教育音楽祭・PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の創設者であるレナード・バーンスタインの生誕100周年にあたること。


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PMF

さらに、10月には北海道初のオペラ専門劇場である札幌文化芸術劇場hitaru(札幌市民交流プラザ内)のオープンも重なる。


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完成イメージ図

この大きなビッグイヴェントが2つ重なることで、ぜひ地元札幌を盛り上げていきたい!

これが第1の目標。

●札幌にはこの地域のクラシック音楽を紹介する専門誌が存在していない。
 こうした既存コンテンツの魅力をわかりやすく発信していく。

札幌といえば、自分がすぐ思いつくのは、札幌コンサートホールKitara。ここではまさに地元札響(札幌交響楽団)のフランチャイズはもちろんのこと、首都圏レヴェルの招聘によるコンサートもかなりの数に及ぶ。

もちろんKitaraだけではなく、札幌には素晴らしいホールや劇場、また地元企業の文化事業が多数存在しているにも関わらず、十分に認知されているとは言えない状況なのだ。

たしかに実家に帰ってテレビを眺めていたりすると、さかんにTV CMでKitaraの公演の宣伝をやっているのを目にする。北海道民にとって、TV CMの効果って大きい、これでどういう演奏家が来てどういう演目をやるのかがわかる。

でもそれってKitaraだけの話なのだ。それ以外のホールはお目にかからない。
それも単に公演の告知、宣伝だけだ。それに対して、コンサート、奏者に関する深い見識なんかが網羅されれば全然存在感が違ってくる。

さらに今度新たにオペラハウスhitaruがスタートすれば、相乗効果も大きい。

そんな活動、もちろん宣伝含め、あらゆる方面と連携して、こうした既存コンテンツの魅力をわかりやすく発信していく。。。これが第二の目標。


ずばり、

「さっぽろ劇場ジャーナル」




すでに準備号を創刊中で、6月発売を目標に進めている。内容は札幌で開催されるコンサートやオペラの見どころ聴きどころの紹介、そして上半期に終了した主要イヴェントの批評を掲載していく。

製作したジャーナルは、コンサート会場での配布ほか、ホール、楽器店、音楽教室などの配置を含め、計画中。

もちろん印刷媒体だけではない。Webサイトの開設も視野にあって、独自のサイトを持てば、紙面での限界を心配することなく、より深く詳細な記事を楽しめるような仕組みも作れるわけだ。

そしていずれは、地元札幌だけではなく、全国に発信できるジャーナルとなることを目標としている。

うれしい、というか、なんかワクワク、ドキドキしてきた。(笑)

今回のこのプロジェクトを立ち上げたのは、

藤女子大(北大の近くにあります)およびミュージック・ペンクラブ・ジャパンに所属している多田圭介さんと、札幌大谷大学学長の高橋肇さん。


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左:多田圭介さん、右:高橋肇さん



多田さんの投稿と紹介で、このプロジェクトの存在を知った。

多田さんとは、5年前からFBのほうでクラシック音楽仲間として友人でつながっている。
いまは藤女子大だが、つい最近まで北大のほうで勤務されていて、自分の後輩にあたる。

大学での研究、教鞭は、哲学・論理学の研究。もう一方で、音楽評論家、音楽ライターとしても活躍していて二束のわらじでの大活躍なのだ。

まさに修士・博士課程に至るまで、いろいろな大学で勉強されている。その中でも音楽大学にも在籍、勉強され、音楽学をはじめ、クラシック音楽の研究をしていた。


多田さんがスゴイと自分は思ってしまうのは、北海道・札幌に住んでおられながら、首都圏のこれは逃せない!というキーになるコンサートは、必ず上京して、東京のコンサートホールをハシゴして聴かれていることなのだ。


それも頻繁に!

札幌⇔東京の航空券代を知っている自分としては、これってじつに凄いことなんですよ。
多田さんが来京する回数、度合いからすると、ひたすらすごい熱意としか思えない。(笑)

もちろん音楽ライターとしてのご職業でもあるので、交通費としての社費なのかもしれないが、そんなことを詮索する必要もなく(笑)、とにかくいつもすごいなーと思っていた。

もちろん交通費だけではない。ホテル宿泊代とか雑費含めるとかなりの額になる。
自分も似たような境遇なので、そこら辺の事情がよ~くわかるのだ。

もちろんコンサート評は、専門誌のミュージック・ペンクラブ・ジャパンに寄稿されるのだが、FBの友人に対しても、そのコンサート評を投稿してくれる。


ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
クラシックコンサートレビュー 2018年4月号

http://www.musicpenclub.com/review-c-201804.html



さすが音楽大学で専門に音楽学を学ばれているだけあって、スコアリーディングに基づいた、かなり専門的な解析手法で、ちょっと一般素人評とは一線を画す格調の高さと専門性を感じる。


多田さんに関しては、その専門性の高い論評と、交通費(笑)で、とにかくクラシックが本当に大好きで真の熱意を感じる好青年という印象なのだ。

そんな多田さんが、今回のプロジェクトの発起人で、「さっぽろ劇場ジャーナル」を立ち上げるという相談をいただいたときは、北海道というシンパシーと、5年をかけて蓄積された信頼で、もちろん応援していくことが必然の道筋というもんだ。

またこれだけ首都圏のコンサートもしっかり自分の眼、耳で確認しているわけだから、その記事を取り上げる”時”や”タイミング”への嗅覚や、そのコンサートそのものに対する価値観、見識の深さも適格者だろう。

もちろん首都圏のクラシック業界・メディアとのパイプも豊富で、今回の責任者としては、もっとも最適任者だと自分は確信しています。


自分にとって、札幌のクラシックコンサートといえば、やはり札幌コンサートホールKitara。

ここはとても素敵なコンサートホール。大ホールではオルガンコンサート、小ホールではピアノリサイタルを経験したことがある。

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大ホール

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小ホール

大ホールの中に入ると、その内装空間は、なんかどことなく東京赤坂のサントリーホールに似ているのだ。

Kitaraのほうが、曲線美というか丸みのあるデザインなのだが、でも全体に視覚に入ってくる配色カラーリングのセンスとか、全体から受ける印象が、すごくサントリーホールに似ている。

北海道の木材がふんだんに使われているそうで、木のホール独特のやわらかい響きがする。
ここのホールの音響の良さは折り紙つきで、絶賛するクラシックファンの方はかなり多い。

ある意味、サントリー時代から、その設計手法も進化した証拠なのだろう。


音響設計は、永田音響設計のご存知、豊田泰久さん。

どうりでサントリーに似ていると思った。(笑)

Kitaraの方が天井が10m高く1席当たりの空間が1.5倍デカいそうだ。前から後ろまでクリアな音。
実測周波数特性は他のホールと違って、「ど・フラット」な驚異的な音響特性だそうです。(笑)

自分は、残念ながらKitaraで大編成のオケを聴いたことがない。
このホールで札響を聴くことが、自分の究極の夢。

いつも夏休み、年末年始に北海道に帰省するのだが、なぜかこの期間は札響、お休みなんですよね。いや札響が休みというより、Kitaraが休館お休みで公演入れてないみたいな。いつもKitaraの公演カレンダーを見て判断しているので・・・。

この夢が成就するのは、いつのことになるだろうか?



さて、ここでこの記事を読んでいただいているみなさんに、ちょっとしたお願いがあります。
いつも拙稿を読んでいただいて、本当にいつも感謝しているのですが、その皆様方に今回のこのプロジェクトを支援していただけるとこれ以上にない幸せを感じます。



今回のこの「さっぽろ劇場ジャーナル」創刊に向けて、ファウンド(資金)を集めている最中です。
もちろん各方面からのスポンサー探しも必須でやっていますが、一般市民、ファンの方々からも有志の心ある方に期待しています。

今風のファンウドの仕方で、クラウド・ファンディングという手法になります。


目標額は第一目標60万で、現在は見事その額をクリアできたようですが、もちろん資金は多いに越したことはありません。

そこで、さらに第二の目標を80万に設定して邁進中です。(笑)

皆様の都合に合わせて、その心遣いだけでも十分。5000円コース/10000円コースなど。0円からの支援というのもあります。もちろん支援していただいた方には、できあがったジャーナルの配布などキックバックもあります。


詳しくは、こちらからになります。

https://readyfor.jp/projects/Sap-theater-J



岐阜県のオルガン建造家 辻宏さんが、スペインのサマランカ大聖堂のパイプオルガン「天使の歌声」を修復する費用3000万円を都合するために、ファンディングしたのを思い出しました。このわくわく感。(笑)

やっぱり夢の実現には、先立つものが必要ですね。
現実の世界に引き戻される瞬間です。(笑)

でもその目指しているところが実に理にかなっていること、そして多田さんへの個人的な信頼も含めて、応援していきたいと思った次第です。


私からも、どうかよろしくお願い申し上げます。






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マリア・ジョアン・ピリスに”さようなら” [クラシック演奏家]

現役で最も高く評価されているピアニストの1人のマリア・ジョアン・ピリスが引退する。日本のファンの方々へのお別れコンサートとして2018年4月に日本を訪れてくれているのだ。

ピリスは、自分にとって縁があるピアニストだと思う。ここ5年の間にサントリーホールと横浜みなとみらいで、ラストの今日を入れて3回もリサイタルの実演に接することができた。 

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ピリスの魅力って、スター演奏家とは思えない、飾らないとても素朴な人柄。彼女のステージ衣装なんてそれを最も端的に表していると思う。

ある意味とても地味。ドレスのような原色キラキラ系とは程遠いモノトーンなダーク系のシンプルな衣装。彼女自身が紡ぎ出すイメージは、とてもシンプルで、ある意味俗世からかけ離れたような素朴なもの。

でもその全体のシルエットは、やはりピリスだけが醸し出すオーラで誰も真似できない彼女独特の強烈な個性を表しいると思う。

音楽への考え方、ピアノへの取り組みの姿勢はある種、求道的とさえ思えるところがある。
それは彼女の残してきた数多の作品において、色濃く投影されている。

自分は彼女の作品の中では、モーツァルトとシューベルトのソナタをとても愛聴していた。
彼女の作品の中でもベストだと思っているし、そんな彼女のイメージがそのまま感じ取れるような気がするからである。

だから、お別れコンサートのときは、そのモーツァルトとシューベルトの演奏の日を選んだ。

ピリスは、DECCA,Eratoなどいろいろ渡り歩いたが、1989年にDGに移籍し、専属アーティストとして契約してからは、膨大な録音をDGに残してきた。自分的にはDGのアーティストというイメージが圧倒的に大きい。そのDG時代のコンチェルト、そしてソナタなど作品は、BOXセットになっている。

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今回のお別れコンサートは、4/8の岐阜でのサマランカホールを皮切りにスタートしたのであるが、その数日前に、そのサマランカホールでとても興味深いイヴェントが開催された。

マリア・ジョアン・ピリスと日本の若きピアニスト6人による4日間にわたる滞在型ワークショップ「パルティトゥーラ in 岐阜」。

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(C)Toshihiko Urahisa


単なるピアノ・レッスンではなく、ピアノを弾くとはどういうことか?心と身体をどう音にするか?からはじまり、音楽とは何か?ピアニストとして生きるとは?を、世界を代表するピアニストとともに暮らし、食べ、話しながら考え、学ぶというプロジェクト。

まさにピリスと寝食を共にし、これらのテーマをピリスからダイレクトに学び取っていくというプロジェクト。

サマランカホール音楽監督の浦久俊彦さんが、就任1年目にしてどうしても実現させたかったプロジェクトでもある。

今回の日本ツアーを最後に引退を表明したピリスのライフワークであるこのプロジェクトを日本ではじめて実現するために、岐阜県では一年間にわたる準備を重ねてきたのだそうだ。

そこにピリスの引退の理由があるように思えた。
こういう活動を、彼女はその後の人生でやっていきたいのだ。それをライフワークにしていきたい。


教育家としての彼女は、いままでも世界各地でマスタークラスを主宰していて、フランス語と英語によって指導を行ってきた。

ポルトガルの地方における芸術センターの振興についても取り組んでいる。

そして大の親日家でもある。

だから、演奏家としての活動は引退するけれど、教育活動は今まで通り今後も継続というスタンス。



去年の秋頃に、突然流れてきたピリスの引退の噂。
まだ70歳代なのに早すぎる。どうして?なぜに?という気持ちは当然あった。

真偽のほどはどうなのかな?と思うところもあるのだが、こんな噂もあった。

もともと田舎で隠遁者のような生活をしていて、ビジネスに飽き飽きした、というようなことがあるらしい。ビジネスの世界との相性については、よろしくないとか。

加えて彼女は大勢の取り巻きに囲まれて暮らしていて、海外にもいっぱい人が付いてくる、とか、子どもたちを連れて集団で移動する、とか、若手ピアニストと一緒の舞台で演奏したりとかもしている。

それはもうビジネスする側とすればとても大変なこと。若手にとってはいいチャンス、かもしれないが、多くの聴衆はピリスを聴きたいのであって、ビジネスとして成立しづらい。

ピリスが若手と出てきても、現実問題、チケットは売れない。多分、誰が手がけても売れない。それもまたピリスがビジネス界とそりが合わなくなった一つの要因なのかもしれない。

アルゲリッチも取り巻きに囲まれて暮らしているので、その点似ているのだが、アルゲリッチの場合はそもそもパリとかブリュッセルとか、こちらから会いに行きやすい大都会に拠点を構えているし、取り巻きや子供たちを「引き連れて」あちこちに行くことはない。


そこが大きく違う。


眉唾物か本当かは、断定できないが、ピリスの中に”真”としてあるのは、”若手を育てたい”、”残りの人生で若手に自分の持っているものを伝えていきたい”というところにあるのだと思えて仕方がない。

また、ピリスは、”音楽はコンサートホールですべてを表現できるものではない”という晩年のグレン・グールドのような(笑)ことも言っている。

こういう重ね重ねの背景を紐づけていくと、自ずと自分だけを売っていくビジネスとそりが合わなくなって、自分の将来の進む道は”若手への教育”というところに落ち着く、という落し処なのかな、と思ったりするのだ。


サマランカホールでのようなワークショップは、それこそ彼女にとって、ひとつの理想形なのかもしれない。


これは噂に基づいての推測でしかないし、引退の真の理由は、今後も彼女の口から正直に語られることはないかもしれない。


でもそんなことどうでもいいじゃないか!

現に自分は、いままでたくさんのピリスのアルバムを聴いて感化されてきたことは確かだし、実演もラストの今日も入れて3回も経験出来て、自分に縁のあるピアニストとして堂々と自分の中のメモリアルに刻み込まれている。

そんな偉大なピアニストだ。

その最後のお別れに、ここサントリーホールにやってきた。

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久し振りのサントリーホール。話は飛んでしまうが、このホールについて書いておきたいことがあった。2年前の2016年の開館30周年記念事業のときに改めて、そのクラシック音楽界への貢献としてクラシックファンに認識されたこと。

サントリホールのなにが革新的だったのか?

日本のコンサートホールの歴史は、サントリーホール誕生以前と以後で大きく分かれると言っていい。

「すべてはサントリーホールから始まった。」

まさに後に続くホールは、そのほとんどがサントリーホールの影響を受けたと言っても過言ではない。

その当時、サントリーホールの何が新しかったのか?


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まずは「レセプショニスト」と呼ばれる接客係の存在。

これまでのホールでは、クラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めて呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎるだけだった。

ところが、サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。

柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となったことが思い出される。そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。


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さらには、コンサートの前や休憩時間にお酒を楽しむ習慣も、サントリーホール以前にはなかったことだ。これによってホールは単にコンサートを楽しむためだけの場所ではなく、社交の場所にもなった。必然的におしゃれをして来場する人が増えたことも、これまでにない新鮮な出来事だった。


いまでは日本のどこのコンサートホールでもごく当たり前のこの光景も、そういう経緯があっての歴史なのだ。

「ホールが人を呼ぶ」という事実こそがまったく新しい時代の到来を感じさせた。

サントリーホールが高級感含め一種独特の雰囲気があるのは、そういったサントリー企業のブランドイメージ戦略の賜物と、そういう歴史の重みがあるからなのだと思うな。

そんなホールで、ピリスのお別れコンサートを観れるのは極上の喜びと言える。



この日も満員御礼。

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東京公演としては、先に4/12に、オール・ヴェートーヴェン・プログラムがあって、それも悩んだのだが、結局自分としては、ピリスといえば、やはりモーツァルトという先入観があって、今日のモーツァルト・シューベルトのプログラムを選んだ。

結果は大正解だった。

過去に経験した2回の公演と比較しても、感動の度合いが大きく、とても素晴らしい公演となった。

最初の2曲は、モーツァルト・ソナタ12番、13番であったが、モーツァルトらしい長調の明るい旋律に沿うような、弾むようなタッチで明快そのもの、見事に弾きあげた。

やはりモーツァルトの調性のせいか、”さようなら、ピリス”的な感傷モードに浸る暇はまったくなく、目の前で繰り広げられるパフォーマンスにただ唖然とさせられた。これは涙とは無関係な、さようならコンサートになりそう、と思った。

そのときはそのように感動したのだが、後半のシューベルト 4つの即興曲は、さらにその上を行った。特に後半の第3曲、第4曲の流れるような旋律の描き方、そして感情の起伏を豊かに表現する、そのじつに柔らかな指捌き。なんと表情豊かな弾き方、表現なんだろう!

まさに巨匠故なる熟練のわざで、我々観衆を一気に高みに連れて行ってくれた。

最後のアンコールのシューベルト 3つのピアノ曲 第2曲では、その美しさに、ついに涙がふっとこぼれそうになった。

前半の感傷モード無縁の世界から、後半に一気にそのモードに突入。

これは、ある意味、ピリスの選曲時のひとつの戦略なのかもしれない。

前半あれだけ感動したのに、後半を聴くとその前半が平坦だったかのように思えるほど、後半にはドラマが待っていた。

ピリスのリサイタルを3回経験できて、もちろん最高に感動できた。まさに有終の美。

カーテンコールで何回もステージに戻されるピリス。
丁寧に後方P席にもお辞儀を忘れず、手を前に組んで感謝の意を表す。

観客は徐々に立ち始め、ついに最後には、ホール全体の観客がスタンディングオーベーション、そして大歓声のブラヴォー。

思わず、自分は胸がグッと熱くなる瞬間であった。

最後のピリスを観れて、本当に記念に残る素晴らしい公演となった。

彼女には、これから第2のキャリアが待っている。
でも、いままで経験し蓄積してきた財産を若者に思う存分分け与えていくこと。

けっして難しいことではあるまい。

がんばれ!ピリス!




マリア・ジョアン・ピリス リサイタル ”お別れ”コンサート
2018/4/17(火)19:00~ サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番ヘ長調 K.322
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番変ロ長調 K.333

(休憩)

シューベルト:4つの即興曲 Op.142.D935

(アンコール)
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第2曲変ホ長調







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 マレーシアの朝ごはん [グルメ]

マレー半島とボルネオ島の一部から成る熱帯の国マレーシア。典型的な多民族国家で、マレー系、中華系、インド系、および先住民族が一緒に生活している。超高層のペトロナスツインタワーが建つクアラルンプールの街では、イスラム教のモスク以外に、仏教やヒンドゥー教の寺院、キリスト教の教会も見かける。

首都は、クアラルンプール、人口 3,163万人、言語:マレーシア語、国花:ハイビスカス。

マレーシアとかインドネシアに代表される東南アジアの国々は、自分の場合は、やはり自分の会社の工場がある土地というイメージがある。

国内に工場を持つことイコール、人件費の高さもあって、いまは研究&開発は日本国内でやって、生産の工場は、みんな安い人件費で賄える海外進出というのが通例パターン。弊社もご多分に漏れず。

一時期は日系企業は、中国進出に熱心だったが、ご存知のようにチャイナリスクの問題もあって、中国は避けて東南アジアという展開が多い、という理解もしている。

弊社もマレーシアやインドネシアに弊社の工場がある。

だから仕事の出張で行く以外、縁がない国だとも言える。
自分の趣味で行くことってあるかなぁ。



イスラム系の人の食事は、基本的に右手を使って食べる。カトラリーを使うときは、右手にスプーン、左手にフォークを持って食べる。

食事の決まりとして、ムスリムの人は豚肉を食べてはいけないという決まりがある。

豚肉以外でもハラルの肉を使ったマレー料理しか食べない。ハラルとは、イスラム法で食べることが許されている食べ物のことで、認証された食品にはハラルマークが付与されている。

またインド系の人と中国の系の人の一部は、牛を食べてはいけないとされている。

同じのマレーシアの人同士でも宗教の決まりで同じものを食べられないなんてこともあるのだ。


そんなマレーシアの朝ごはん。

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多民族国家で、同じ国民でも宗教の決まりがあって同じものを食べるのが難しいマレーシアだが、朝ごはんにはバナナの葉にのった「ナシレマ」が定番。ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りの良いごはんの周りに、スパイスと一緒に鶏肉をやわらかく煮込んだ「レンダン」、唐辛子と玉ねぎをベースにした辛味のある「サンバル」、小さなイワシを揚げた「イカンビリス」に茹で卵とピーナツ、それにスライスしたきゅうりがのった定番のマレー系の料理。

レストランから屋台まで街の様々な場所で売られていて、テイクアウト用にバナナの葉で三角に包んだ「ナシレマ」も売られている。

「ナシレマ」のナシ(Nasi)はごはん、レマ(Lemak)は脂肪という意味である。

写真の緑の葉っぱがバナナの葉。

さすがに右手で食べることはできないが(笑)、ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りの良いごはんは、とても香ばしい味がする。ちょっと日本では味わえない独特のごはん。

そのごはんの右下にあるスパイスと一緒に鶏肉をやわらかく煮込んだ「レンダン」は、風味はカレー味で味付けされていた。ごはんと食べるおかずでは一番食べ応えのある一品だった。鶏肉は世界共通でやはり美味しい。

その左にある唐辛子と玉ねぎをベースにした「サンバル」。これはとても辛い!一番味覚にアクセントがある一品でもある。

これに、小さなイワシを揚げた「イカンビリス」に茹で卵とピーナツ、それにスライスしたきゅうりという日本でもお馴染みの食材が並んでいる。

サイドメニューとして、プレートの上に映っている2品。
右が、カリーパフというスパイシーなジャガイモ入りのサクサクした揚げ餃子のような料理。
食感の豊富なジャガイモベースの具が入っていて、カレーの味でかなり濃厚に味付けされている揚げ餃子いう感じだろうか。

その左が、アチャールというマレーシアの漬物。
これはかなり辛い!なんかちょっと韓国系の食べ物を連想させるような、そんなお漬物である。
日本風で言えば、白いご飯がお供に食べたくなる・・・感じ。


マレーシアの朝ごはんは、なんかいかにも熱帯地域の独特のあのイメージが湧いてくるようなスパイスの効いた湿り気のある食べ物のような感想を抱いた。決して日本人の味覚のストライクゾーンから外れる訳ではなく、理解可能な範疇に入ると思う。

まさにアジアの朝を感じるねぇ。(^^)

そんなマレーシアの朝ごはん。4~5月までやっています。




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