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海外赴任の本住居を決める前の仮宿泊 [雑感]

ドイツの朝ごはんの日記を書いたら、急に思い出した海外赴任時での生活。それもまず渡欧して、自分の住居を決めないといけない。

そのときに物件を探したりして、気に入った物件が見つかるまで時間がかかるので、それまでの間に仮宿泊が必要なのだ。

自分はベルギーのブリュッセルと、イギリスのロンドン近郊のベージングストークという街に住んでいたのだが、各々でいろいろ国による事情が違っていた。

ブリュッセルのときは、4~6か月の長期滞在だったので、もう日本人赴任用のマンションというのが会社借り上げで決まっていて、必ずそこに宿泊することが決まっている。前任者との引き継ぎで1週間~2週間かかるので、その定宿に移るまでの仮宿が必要だ。

それはもうホテルを使う。ホテルで1週間過ごすのだ。朝食はヨーロピアン・コンチネンタル・スタイルのあの例のやつですね。(笑)

ブリュッセルは、もうすでにレールが敷かれているので、あまり問題なかった。

イギリスに赴任するときは、結構いろいろな想い出があった。

赴任になると、家は自分で探さないといけない。
不動産屋さんに直接行って、物件をいろいろ紹介してもらうのだ。

その物件が決まるまで、やっぱり仮宿が必要。

もう25年以上前のことなので、記憶が薄っすらなのだが、その仮宿って、イギリスのB&B(Bed&Breakfast)じゃなかったんじゃないかな?と思うのだ。

B&B、いわゆるベッド&ブレックファーストというのは家族経営による小規模な宿泊施設のこと。
通常の住宅・民家をリフォームしている宿が多い。とにかく安くていいですね。

期限は、自分の住まいが決まるまで、ということなので、特に制限はないのだけれど、やっぱり常識というものがあって、あまり長居はできないので、そこそこで決めないといけない。宿泊料はたぶん会社持ちでした。

とにかくふつうの一般の家と見掛け上変わらなくて、それを宿として改築している感じ。
自分の部屋は、まさにベッドが1つあって、そのベッドのスペースのみの部屋で、マンションの1Kよりも小さいし、ホテルという感じでもない。トイレやバスルームは共同。そして朝食のみの提供。
階段で2Fに上がっていった記憶があるんだよね。

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自分の場合、部屋はこんなに広くなかったです。
ベッドのスペースのみ、という感じでしたから。

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毎朝の朝食をとるダイニングはまさにこんな感じ!
この写真は、自分がまさにいたところじゃないの?と思うほどソックリ。
こういう木製のテーブルで何人も共同で食事するスタイル。
そして大きな窓があって、そこに陽の当たる素敵な芝生の庭が一面に広がっているのだ。
その庭の風景いまでも鮮明に覚えている。


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朝食は、こういう定番のイギリスのブレックファーストという感じでもなかったような気がするんだよね。もう少し温かみのある感じの食事だったような。でも目玉焼きとソーセージ、とかは定番だったかな?


オーナーのおばさんは、まさにイギリス婦人という感じの方で優しい方だった。

いま考えてみたら、この朝食を取るとき、一応時間が朝7時からとか決まっているのだが、不思議と自分が2Fから降りてきて朝ごはんするときは、自分1人だったな。

そしていまじゃよくやっていたなぁ、とか思うが、朝ごはんを食べながら、その婦人と世間話を数分するのが日常だった。(もちろん英語で!)

だって、ご飯食べたら、Thank Youでそのまま黙って自分の部屋に戻ったらあまりに失礼というか、ましてやこれからイギリスで生活して仕事していく訳だから、そんなことくらい普通にやれなきゃということもあったな。

結構ちゃんと会話として成り立っていて、自分の言葉も伝わっていて、ちょっと自信になりました。

とにかく、これから始まるんだな~というちょっとした緊張感が、この仮宿にいる1週間にはあって、このダイニングでの朝食時の環境と婦人との会話は鮮明に覚えています。

この仮宿に泊まっているときのちょっとしたハプニングもあって、お風呂はシャワーもあるのだけれど、ちゃんと湯舟につかれるバススタイルで、お湯を張っていた時に、自分が目を離した隙に、お湯があふれてしまい、外にそのお湯が流れ出ていて、周りがベチャベチャになったことがありました。

自分は、婦人に何度も謝り、「全然気にすることないわよ。」と言ってくれてホッとした想い出がある。


イギリスの住居のスタイルとして、

デタッチド・ハウス(1戸建て)
セミデタチッド・ハウス(つまり1棟に2住宅は入っている。)
パーパスビルト・フラット (マンションタイプ)

とかかなりの複数種類あって、(いわゆるみなさんがイギリスで見るあの独特の家です。)自分はASTRAアンテナ付き(笑)の1戸建てを借りました。なかなかいい家。(東京じゃこんな立派な家は間違っても住めないなぁ~と思い、この時だけの贅沢と当時は思ってましたよ。)

結構そういう戸建ての住宅街という感じで(でも密集していないのがいい)、よく近所でホームパーティーに誘われたりしてました。へ~、海外でのホームパーティってこんな感じなのか~とかいい経験。

もちろんファーストネームで呼ばれていました。(笑)

会社では、日系企業だから日本人赴任者は、-sanとして尊敬をもって接してきますので、ファーストネームで呼ばれるとなんとなく親近感が・・・(笑)

ときどき夜に街に出かけたりするため、家の前に停めている車で出発するんだが、お近所さんはよくそのことを知っていて、「お前は、日本人だから夜に会社に行って仕事しているだろ?夜は、ちゃんと家で家族とゆったり過ごさなきゃダメだ」とよく言われていました。(笑)

あと、「お前の英語は完璧なビジネス・イングリッシュ。もっと土地にあったこなれた英語を学んでいけ。」ってなことも言われましたね。(笑)


やっぱり観光旅行で海外でリフレッシュするのと、実際その国で暮らしていくということでは、大違い。海外で暮らしていると、日本で当たり前ですぐにパッとできたことが、海外では意思が通じず、いつまで経ってもなにも変わってない、あれ?伝わっていなかった?(笑)なんてことは日常茶飯事。

また自分は日系企業で自分の会社で、海外赴任するということだから、会社内では到底日本人は、高い位置で待遇されるが、実際、海外で生活した時に、そういうのではなく現地の会社に就職となれば、人種差別や労働条件はもっともっと厳しいはずです。

あと、自分はもういくつも持病を持っているので、海外で暮らすのは無理かな、と思いますが、海外で病気になった時ですね。ロンドンには日本人がやっている病院があって、そこは内科から精神科までオールラウンドプレーヤー。助かりました。病院は結構大事だと思いますよ。

床屋もロンドンの日本人がやっているところに行っていた。

毎日の食事は、当時は日本食は高級食で、ロンドンに行かないとダメで、毎日中華料理を食べていたような記憶があります。中華料理って、やはり優秀で、ヨーロッパのどこの国に行っても必ず中華料理って存在するんだよね。(笑)もちろんイギリス料理もよく食べていましたが。

これだけ言えることは、いま小さなお子さんがいらっしゃるご家庭なら、お子さんにどこかのタイミングでぜひ海外生活(ホームステイや留学など、将来的に仕事で勤務がいいですが。)を経験させるように勧めるのがベスト。

海外生活の経験は、その人の人生で将来必ずなにかしらのプラスになります。

それだけは自分が心底そう思うことです。

自分が悔しいのは、あの頃にクラシック音楽に傾倒していたなら、ヨーロッパのあらゆる国のコンサートホール、オペラハウスを体験できたのになぁ、ということ。

世の中、そんなに甘くないです。
そういうチャンスがあるときに、不思議とその価値観を理解していないことが多い。

それが人生というものです。(笑)






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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ドイツの朝ごはん [グルメ]

久しぶりにドイツという誰もが知っている有名な国の朝ごはん。ドイツはもうあまりに馴染み深い。ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、シュトッツガルト、フランクフルトなど想い出も多い。ヨーロッパの中で自分が一番好きな国だと思う。

クラシック音楽の芸術の都、中心的な存在だし、また技術という観点からも1番進んでいて、日本人と1番相性が合う国だと思う。仕事ではシュトッツガルトにR&Dの拠点があって、よく出張していた。

ドイツ人は、ある意味、日本人とよく似ているところがある。

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ドイツ連邦共和国

ヨーロッパ大陸のほぼ真ん中に位置し、9つの国に囲まれているドイツ。ドイツ料理は、隣国フランスをはじめ、ロシアやハンガリーなど多文化が溶け込んだ、いわば「ヨーロッパ料理」である。また16の州からなる連邦制のドイツは、地方によっても様々に異なる豊かな食文化が楽しめる。


環境に対する関心が高く、ゴミの分別やリサイクルが徹底している。
綺麗好きな人が多く、家の中を清潔に保ち窓辺に花を飾ったり、建物の色や看板も景観を意識した自然な色合いが好まれる。

これはまさにそう!ドイツの街の景観は、まさにシンプルで綺麗好き。ドイツ人の家の中もそうですね。自動販売機などというものは絶対存在しないのだ。ペットボトルや空き缶などのゴミの問題がありますからね。ドイツへ旅行に行くと、どうしても喉が渇く自分は、そういう場合は、もうカフェに入るしかない。

日本人とドイツ人はよく似ていると言われるが、家族といっしょに過ごす時間を大切にするので、働くときは集中して働き、残業はあまりしない。また夏やクリスマスシーズンに長期休暇をしっかりとる。自然が大好きなドイツの人たちは、大都市に住んでいても、郊外に小さな庭(クラインガルデン)を借りて、週末は野菜栽培を楽しんだりしているのだ。

マイスター(親方)制度

ドイツでは170ほどのマイスター資格があって、様々な分野で伝統や技術が守られている。
マイスターになるには、職業学校を卒業して見習いをしながら技術や知識を身につけ、試験に合格する必要がある。試験では知識や技術のほか、経営能力も試される。

これはもうドイツの制度としてとても有名ですね。自分に関係するところでも、録音エンジニアなどのトーンマイスター(音職人)とか、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などのマイスタージンガー(歌の職人)とか、とても馴染み深いです。


アドヴェント

クリスマスまでの4週間をドイツでは、アドヴェント(待降節)と呼ぶ。アドヴェント前に各家庭で必ず用意するのが、もみの木など常緑樹でつくったリースに4本のろうそくを立てたアドベンツクランツ。日曜日のたびに1本づつ火を灯し、4本全てに火が灯されると、クリスマス到来です!

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では、ドイツ料理として、どんなものが有名なのか。

ヴァイストヴルスト

100種類以上もあると言われるドイツのソーセージ。中でもミュンヘンが州都のバイエルン州の伝統的なソーセージのヴァイスヴルストは非常に傷みやすいので、朝早く作って朝ごはんで食べる習慣がある。薄い豚腸の皮を剥いて甘いマスタードをつけて食べる。

これはとても有名。自分も何回も食べたことがある。昔、この豚腸を剥いて食べるということを知らずにそのまま食べていました。(笑)あと、ゆで汁につけてサーブされることもあって、そのゆで汁を飲もうとしたこともあります。(笑)


ブレーツェル

腕組みをしたような独特の形のブレーツェルはドイツが発祥のパン。水酸化ナトリュームをくぐらせてから焼くことで、表面がパリっとした茶色になる。


ヴァイスビア

小麦の使用割合が多いドイツのヴァイスビア(白いビール)はフルーティーでポップな苦みの少ないのが特徴。これもよく飲みました。ドイツと言えばビールとソーセージという感じで、ビールでは、このヴァイスビアが代表的で、ベルリンなんか行ったときはよく飲んでいた。


クラインケベック&ブロート

小さい小麦のパンをクラインケベック、大きめのパンはブロートと呼ぶ。朝ごはんにはクラインケベックやミューズリーなどをよく食べる。また10時頃には休憩をとって軽食を食べる習慣があって、家から持ってきたパンや果物を食べます。

へー!面白い!


クワルク

生乳を乳酸菌発酵させて作るドイツのフレッシュチーズ。ドイツでは消費されるチーズの半分近くがクワルクなのだ。

カルトフェル

南米から伝わって17世紀末ごろから食べられるようになったジャガイモ。今ではたくさんのジャガイモ料理が考え出され、ドイツ料理には欠かせない食材である。


カルテスエッセン

ドイツの食事というのは、朝と夕を少なめにして、お昼をたくさん食べる。1日のメインは13時頃に食べる昼ごはんで、小学生は給食がなく、家に帰って食べる。一方、晩ごはんはカルテスエッセン(冷たい食事という意味)と言って、火を使わずブロートとハムやチーズ、ピクルスを食べる。


保存食

食料が乏しくなる冬に備えてソーセージなどの肉の加工品、ザワークラウトやピクルスなどの野菜の瓶詰といった保存食を作る習慣があった。そうした食品は冷蔵庫が普及した今でもドイツ料理を特徴付ける食品なのだ。


グリューワイン・キンダープッシュ

寒い時期はスパイス入りの温かいグリューワインがよく飲まれる。ワインの替わりにブドウジュースで作るキンダープッシュもある。


こんな感じです。いかにもドイツの食事という感じですねぇ~。
感覚的にわかります。

そのドイツの朝ごはんを食べに、今日も原宿にやってきました。



まさに東京の伝統的な木造建築の原宿駅。

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これは残しておいてほしいなぁ。近代的な新駅舎ではあまりに味っ気ありませんね。

こんな女子高生のような大行列が!聞いてみたら、ジャニーズショップのオープンを待っているのだとか?さすが原宿!(笑)

                                                      
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しかし店内は、女性率高し!男性はボク1人しかいません。(^^; みんな、女性です。自分の真向かいに、女性2人に座られました。あまりにあっけらかんで、こっちが勝手に照れています。(笑) もう向かいの女性たちから、自分は異性とは、思われてません。やりたい放題、好き放題に喋ってます。(笑)

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これがドイツの朝ごはん。

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今回のはミュンヘンが州都のドイツ南部・バイエルン州の伝統的な朝ごはんメニュー。

バイエルン州には、非常に傷みやすいため朝早く作って朝ごはんに食べる習慣がある白いソーセージ「ヴァイスヴルスト」がある。甘いマスタードをつけて、腕組みをしたような独特の形の「ブレーツェル(英語ではプレッツェル)」と一緒に食べるのが典型的な朝ごはんメニュー。

生乳を乳酸菌発酵させて作るドイツのフレッシュチーズ「クワルク」やレンズ豆のサラダとともにワンプレートにしてある。

もうかなり有名な品々なので、経験のあるものばかり。

ヴァイスブルスト、白ソーセージはふつうに美味しかったですよ。でも豚腸の皮は面倒なので、剥がさないでそのまま食べました。(笑)マスタードをつけながら。

腕組みした形のブレーツェルのパン。確かに表面はパリっとした感じになっていますが、でも普通のパンです。(笑)

ドイツの有名なチーズ「クワルク」もふつうに美味しいチーズ。
レンズ豆のサラダは、いままで食べたことがなくて、珍しかったですが、普通に美味しかったです。

ドイツの朝ごはん、正直物足りない。(笑)
なんかあっという間で、どれもよく知っているものばかりなので、感動はあまりなかったです。

あっけなかったです。




自分は結構ベルリンとかドイツに行ったとき、せっかく日本から来たんだから元をとらなければ、という貧乏発想で結構ドイツレストランで肉料理とか、ドイツ独特の有名な豪勢な料理を頼んだりするのですが、意外やドイツ人の普段の食事ってそのようなものは家庭では食べなくて、家庭ではもっと質素なものが多い、というお話、これからしてみます。


ベルリン在住のフリーランスライターで、ドイツのライフスタイル分野を中心に執筆している久保田由希さん。

日本での仕事に終止符を打って、2002年にベルリンに渡って、ご自分で、明日のことはわからない崖っぷちフリーランスライターと仰っていますが、大好きなドイツ、ベルリンの情報を発信していこうという人生の選択。

まっ華やかに見える一方で、その裏には大変な見えない苦労も多いと思いますが、記事をよく拝読しているので、うらましいなぁと思う限り。

去年の2017年の記事で、

「平日はシンプルな家事でいい。ストレスの少ない、ドイツの合理的な食生活」

は、なかなか感心することが多かったのでここでその一部を紹介。
ドイツで生活してみないとわからないというか、観光旅行ではぜったいわからないことですね。

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(c)Yuki Kubota


「やらなければならない」と信じていることが案外単なる思い込みで、やらなくても別に平気だったという場合がある。中でも家事、特に食事については日本にいた頃よりもずいぶんと気楽に考えるようになったそうである。


ドイツの食生活はシンプル。朝食メニューはパンにハム、チーズ、野菜などを挟んだものや、ミューズリ(オーツ麦などの穀物を加工したものにドライフルーツ、ナッツなどを加えたシリアルの一種)に牛乳やヨーグルトをかけたものが主流。

昼に温かいものを食べ、夜は再びパンにハム、チーズという「火を使わない食事」が伝統的である。夜に温かいものを調理する家庭も当然あるが、火を使わない夕食は現代でもごく普通の光景。

ドイツパンは、白くふわふわした日本の食パンとは異なる。ドイツパンの種類は豊富で地域によっても異なるが、一般的に北部に行くほど生地に使われるライ麦の割合が高くなる。


〇朝食は「作るものではなく、食卓に並べるもの」

ドイツの一般家庭にホームステイをしていたとき、パン、バター、ハム、チーズという内容の朝食を毎朝準備していて「ドイツの朝食とは作るものではなく、冷蔵庫から出して食卓に並べるものなのだな」と思ったそうだ。

もちろんこれは手抜きではなく、そうした食文化なのである。

ドイツでは夕食も朝食と同じ内容でいいのだと知ったとき、それを真似しようとは思わなかったが、少なくとも日本食のように「夕食にはご飯と味噌汁、メインのおかずに小鉢やサラダを付けなければ」という半ば強迫観念めいたものは消えていったそうだ。



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朝食によく作るフルーツサラダ。リンゴやバナナ、キウィなどを刻んで混ぜたもの。
これにオレンジジュースやコーヒーを添える。(c)Yuki Kubota



〇軽い夕食は、胃もたれせずによく寝られる

夕食によく作るのはサラダ。パンを添えるときもある。ときどきはシチューや、茹でたジャガイモにハーブソースをかけた料理も食卓に上る。

スーパーで売っている惣菜の品揃えは日本ほど充実していないが、夕食を作る気力がないときにはサンドイッチを買ったり、気軽なアジア料理レストランで料理をテイクアウトする人もいる。

考えてみれば、昼食は午後の活動に向けてエネルギーが必要なので、しっかりした食事を取るのは意味がある。夜は寝るだけなので昼間と同様に食べなくてもいいといえる。理にかなった食生活ではないだろうか。


現代の家庭料理で手の込んだものはなく、野菜もよく使う。ドイツ料理レストランで見かけるようなどっしりとした肉料理は、ベルリンの一般家庭では特別な行事を除いてあまり作らない。



〇平日はシンプルに、週末はみんなで食事を楽しむ


こうした食習慣は、日本の感覚ではなかなか受け容れられないかもしれない。日本人にとって食事は非常に重要で、食べることは大きな楽しみだろう。

私自身も夜には温かい料理を食べないと、どことなく寂しい気持ちはある。しかし以前のように品数に縛られることはなくなり、いまでは栄養バランスさえ気をつけていれば、ご飯に具だくさんのスープ程度で十分だと思っている。

ドイツでは平日の食事はごくシンプルに、週末は家族全員で生地からピザを作ったり、夏は庭や公園でバーベキューパーティーをする、という例もよく聞く。そうしたメリハリが、家事への重圧感を減らして日常を楽しむ秘訣かもしれない。




平日の食事はシンプルにして、休日に料理を楽しむスタンスもいいのではないか。冒頭のように「やらなければならない」ことが思い込みに過ぎないこともある。


記事全文はこちらです。                                            「平日はシンプルな家事でいい。ストレスの少ない、ドイツの合理的な食生活。」

https://www.huffingtonpost.jp/2017/07/28/housekeeing_n_17620118.html


たしかに、自分も食事は、1日の生活の中でもっとも楽しみのひとつ、いや食べること自体が人生の楽しみみたいなところがあるから、このドイツ人の平日の食生活がそのまま日本人の価値観とあうというか強制はできないと思うけど、確かにそういう生活スタイルもあるんだな~と思いましたね。

でも夜はやっぱり自分は温かい食事じゃないとダメだな。淋しすぎる(笑)

また「ドイツ人が教えてくれたストレスを溜めない生き方」の最近の著書も出たばかりで、自分が住んでいる日本人社会とは根本的に違う何かがありそうで、なかなか面白そうですので、これもお勧めしておきます。

https://www.shc.co.jp/book/9339








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なぜヨーロッパの放送事情は魅力的なのか。 [放送技術]

ヨーロッパに魅了される人たちは、美術や芸術、クラシック音楽、そしてグルメや歴史的な街景観など、に魅力を感じること間違いない。自分はちょっと入り口が違った。そういうものは後年、歳を取ってから魅力を感じるようになった。

大学を卒業するまで、さほど欧州指向があった訳でもない。

社会人としての最初の仕事が、放送業界の仕事で、そこで衛星放送の受信部を設計するようになって、送信側の放送の業界に深く関わるようになった。

最初は、日本のBS/CSの受信部。そこからヨーロッパの衛星放送へ。これが嵌ってしまった。あまりに複雑で、そうやってヨーロッパの放送事情を勉強していくと、なにかこう異国情緒の雰囲気が味わえ、自分がいかにもその国に行っている、生活しているような感覚に陥った。

猛烈にヨーロッパに憧れた。ヨーロッパに強い憧憬を感じるようになったのは、彼らの放送事情が大変興味深かったから。自分はヨーロッパの世界に”放送”というジャンルから入っていった。(笑)

芸術、音楽、グルメの世界はあとからついてきた。(笑)

放送の世界って、世界にいろんな規格が乱立していて、会社の中でもチューナ屋さんはその規格フォーマット集みたいなものを手帳のようなものにして常に身に忍ばせておくのが常識だった。

旅行好きの人が、電車の時刻表ならさっと調べられる、といったような感じで、チューナ屋さんなら、その規格集をパラパラとめくってすぐに理解できるのだ。


自分はアナログ放送からデジタル放送への切り替え時期に従事していて、その後はスピンアウトしたので、あれから30年以上経過したいまってどうなっているのかな?とふっと思った。

奴の日記を書いたことで、一気に当時に戻って、日本のことは書いたけれど、肝心のヨーロッパのことは書いていないなぁと思い、いつか狙っていたのだ。

ついに書こうと思い、いろいろ調べてみると、ぎょぎょ~そうなっていたか~という想いと、当時とあまり変わっとらんね、という想いとふたつある。

でもアナログからデジタルに変わるんだから、やっぱり基本的に違う。

思うことは、いまや放送業界に関しては、日本は断トツで世界のトップを走っていると言ってもいいことだ。

4K/8Kなんて世界はまだそんなところまでやっていないよ。(笑)デジタル完全移行時期やHDTV化にしろ、ヨーロッパはようやくそういう感じになってきた、という感じだからね。

今回の日記は、かつて自分が嵌りに嵌っていたヨーロッパの放送事情が、現在どうなっているのか?を中心に過去からの経緯も含めて書いてみる。

まさに猛烈に”いま”を知りたい自分のためにやる。(笑)
勝手に語らせておいてください。(笑)

ヨーロッパの放送事情を勉強していくにつれて、ヨーロッパの国の人たちの特徴、国民性というのが、よくわかってくるのだ。技術系のR&Dを置くなら、やっぱりドイツかイギリス。この2国がやっぱり技術水準レベルが高いし、勤勉な国民性。やっぱりドイツが日本人と一番相性がいいのではないかなぁと思ったりする。

自分はイギリスにいたけれど、ネイティヴ英語って結構大変なんだよね。(笑)
ネイティブな人たちにとって、ノンネイティブの心の痛みがわからないというか。。。
ドイツ人だとお互い分かり合おうという気持ちがあるからね。

フランスもとても技術力が高いけれど、彼らはやっぱり人と合せようという気持ちがない。
芸術肌な国民性で、フランスであることに誇りがあって、オリジナリティ、独創性を重んじる。

だからヨーロッパ統一規格を決めようとなると、彼らは率先するタイプじゃないのだ。
ヨーロッパの放送受信部を設計していると、いつもフランスだけ、他の国と違うのだ。
なんで、おまえら~ってな感じなのだ。(笑)フランスにはいつも痛い想いをしていた。

イタリアやスペイン、ポルトガルは、欧州文化としては、とても個性があって、魅力満載な国なのだが、国民性からしてあまり”技術”という点では向いていないかな?と感じた。(当時の感覚です。)お昼時でもワインふくめ、何時間も時間をかけ、とても人間らしい生活を重視する国ですからね。

でもいま調べてみるとイタリアは放送に関しては、結構アグレッシブな国でした。

下が、現在のデジタル放送(地上波)の世界のフォーマット分布図です。

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・ヨーロッパ方式(DVB-T):ヨーロッパ・アフリカ・中近東・東南アジア・オーストラリア
・アメリカ方式(ATSC):北米・韓国
・日本方式(ISDB-T):日本・南米
・中国方式(DMB-T/H):中国


放送には、衛星放送、ケーブルテレビ、地上波放送の3種類があり、最近はインターネットでテレビ動画配信ちゅうのもある。上はあくまで地上波の場合です。

日本のISDB-Tをベースにした方式は、日本だけじゃなくて、ペルー・アルゼンチン・チリなどの南米で採用されているのだ。日本のISDB-T方式は、他の方式に比べて電波障害や干渉に強く、車内や山間部においても良好に受信ができることなどが評価されている。加えて、ハイビジョン放送とワンセグ放送が1つの送信機で伝送でき、全体のコストが安い。

中国も独自(赤)なんだよね。(笑)

自分はヨーロッパ規格のDVB(青)をやっていた。

いきなりこんなデジタル放送になる訳でもなく、世界中もアナログの時代があった。
自分はこのアナログ時代のヨーロッパの衛星放送にとてつもなく嵌ってしまった。
複雑で男心をくすぐるのだ。(笑)

当時のヨーロッパの衛星放送は、草創期の時代で、各国が自前の衛星を打ち上げていて、自国だけをビーム照射する感じでサービスをやっていた。ASTRA,TV-SAT,TDF,EutelSATなどかなりたくさん。

でもその中で一番普及していた、事実上のde-factoスタンダードだったのは、ルクセンブルグがあげていたASTRAという衛星だった。BSではなくCSなのだが、商用に開放されていた。(BSというのは一般家庭向けの放送で、CSというのは、企業間通信でつかう衛星。でも後に一般家庭用に開放されてる。)

ルクセンブルグって、本当にヨーロッパに存在するすごく小さな国で、なんでこんな国がこんなに頭がいいのだろう?と幼心に舌を巻いた。ASTRAを上げている会社はSESで(いまはSES ASTRAという)、そのSESのオフィスを直接見たさに、イギリスに住んでいた時に、わざわざ車でドーバー海峡をフェリーで渡って、ルクセンブルグまで行って、SESのでっかいパラボラを探して車でルクセンブルグを彷徨ったこともあるのだ。(笑)

いま考えると若気の至りというかバカだよねぇ。(爆笑)


そこまでして嵌っていた。
とにかくその斬新な発想で、彼らはかなり格好良かった。

ASTRAは、そのビーム照射範囲がヨーロッパ全域をカバーするのだ。


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アナログ放送なので、信号は周波数多重で伝送する。
これはASTRAのベースバンド領域での周波数アロケーション。
(いまこのような資料がある訳でもなく、自分の記憶に基づいて書いている。)

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映像信号はPALのAM変調で、5MHzまで帯域がある。それも輝度信号と色信号(クロマ)が多重されていて、それをY/C分離する。

うわぁ~いまのデジタルな時代にY/C分離という言葉を知っている技術者はどこまでいるだろう?(笑)

彼らが画期的だったのは、音声キャリアの工夫。マルチリンガル対応なのだ。6.0MHzあたりからいろんな言語に対応して何本もキャリアを立てていく。変調はFM。

つまりコンテンツを試聴するときに、テレビに言語選択するメニューがあって、それをリモコンで言語を選んでやると、自分の好みの言語でそのコンテンツを試聴できるのだ。

ヨーロッパ全域にビーム照射してヨーロッパ全域でde-factoで受け入れられている要因はそこにあった。

”外国の番組が、自国語で視聴できる。”

これが結構非常にフレキシブルな考え方で、彼らが頭がいいというかスマートに感じたところだった。番組制作という観点からすると、著作権的なものもあって、外国で視聴できるようにするにはその対価徴収も結構仕組みとしてあるんだろうと思うけれど。でも頭いいな~と当時思っていた。

信号処理的にはいたって簡単。GHz帯の帯域を家庭用のパラボラのコンバーターで1stIFにダウンして、それをチューナでさらに2ndIFに落とす。そしてベースバンド帯域に復調したら、上のアロケーションが出てくるので、5.0MHz LPFで映像を抜き出す。

それでY/C分離。音声は、その数の分だけのBPFがあって、リモコンで選択されたら、そのキャリアを選択してFM復調するだけ。

いたって簡単!

ユーザ目線でいうと、自分の家庭で屋根にパラボラ・アンテナを立てて、単体チューナ(STB:セットトップボックスのタイプ)をTVにつなげれば、それでOK。

現に自分はロンドンに住んでいた時、このASTRAを受信して楽しんでいました。
ASTRAには昔から日本語番組として有名なJSTVという番組を配信していて、それを観ていた。
日本語に飢えていたその渇きを癒していました。(笑)
NHKとかで番組の種類は少ないし、しかもリアルタイムでなかったです。

イギリスは地上波が4局くらいしかなく、それもお国柄、政治、時事問題が多く、娯楽番組の大半はASTRAで観るのが一般国民の常識だった。イギリスのあの独特の家の形(4種類あったと思います。バンガローとかセミデタッチとか・・・)の屋根を観ると結構ASTRAのパラボラ立ってました。

当時はSKYと呼んでいたんだけれど、いまはBSBと合併してBskyBという名前の番組コンテンツ、ボクの頃の英雄ヒーローだったメディア王ルパード・マードックが創設した放送局。イギリスではASTRAの中でもっとも有名なコンテンツだった。

ASTRAも当然デジタル放送化したんだけれど、考え方はまったく変わらんと思うんだよね。要はベースバンド信号の処理や変調方式が、アナログからデジタルに変わるだけで、コンテンツの扱い方は考え方は全く同じ。変える必要もないと思う。肝心のマルチリンガル言語対応も絶対してるはずです。

だって、音声キャリアを何本も周波数多重するか、デジタルデータとして幾重にもファイル・パケット化するだけの違いですから。

SES ASTRAの現在の公式HPを覗いてみた。

https://www.ses.com/


まず一番驚いたことは、ASTRAというのはもうヨーロッパだけの衛星ではなかった。ちゅうかSES ASTRAが手掛ける衛星放送は、もうアメリカやアフリカ、ロシア含め全世界中に展開していた。もちろんヨーロッパを照射する衛星はASTRAという名前だけれど、アメリカやロシア、アフリカを照射する衛星は名前が違っている。つまり会社としての資本が同じで、それぞれのエリアごとに衛星を打ち上げて全世界展開していると自分は理解しました。


その世界中のマーケットで、いまや7700チャンネル以上、350億以上の家庭と契約して直接配信 (DTH:Direct To Home)しているらしい。 


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デジタル放送のあり方として、高画質化と多チャンネル化の2通りあるのですが、日本は完全に前者の高画質化。4K/8Kなんて騒いでいるのは日本だけです。ヨーロッパは多チャンネル化の方向なんだそうです。

でも多チャンネル化は日本の土壌に合いませんね。いまのBSを観てごらんなさい。テレビショッピングばかり。(笑)地上波が中心で、それを制作するだけで精いっぱいなんです。そんなたくさんコンテンツを制作するパワーもないし、予算もない。

当時なかったもので、いまあるサービスとしては、衛星インターネットというのがありますね。日本はGps光回線へまっしぐらですが、ヨーロッパではいまだに主流はADSLなんですよね。だからせいぜい20Mbps~30Mbps。うちのマンションと同じです。(笑)そういうナローバンド対策として、衛星のトランスポンダーを利用して衛星をインターネットの回線として使うとさくさくブローバンドですよ、という感じなのかもしれません。


自分がヨーロッパで従事していた時の草創期の業務は、DVB規格化の情報収集(WG)と、当時現地でやっていたのは、フランスのCanal+がASTRAを使って番組配信しているんだけど、そのCanal+がいち早くデジタル化をやった。デジタル衛星放送ですね。

いまは知らないが、当時のアナログのCanal+の番組は、エッチなエロい番組をやっていて、それにはスクランブルがかかっていて、それを観たさにデコーダが外付けするという・・・(笑)それもちょっと見えてそそるように、という感じです。(笑)

でもCanal+はいつも技術的に先をいくアグレッシブなテレビ局なんですよね。いつも時代の先取りをします。先日観たバルバラの映画でエンドロールで、Canal+の文字を見たとき、うわぁ懐かしい~と思いました。

一役かんでたんですね。

ドイツは、ケーブルテレビが主流な国なのですが、そこでケーブルで配信するデジタル放送を受信することと、当時ATMというプロトコルでVoDをやる、というそういうトライアルがありました。ドイツの通信会社 Alcatel社が企画してそのSTBをうちが受注する感じ。自分はこっちをやってました。コストが高く、あえなく企画中止になりましたが。(笑)


イギリスは、他の国と違って、地上波が主流な国。地上波のデジタル化をどこの国よりもいち早く進めたのがイギリス。それも大きなミッションだったね。

アナログ放送からいきなりデジタル放送に変わる訳ではなかった。
その間にインターミッションがあった。

それはヨーロッパでいえば、MAC方式という放送方式。信号を周波数多重ではなく、時間軸で多重しようという考え方。デジタルでないけど、いまのアナログよりもちょっといいな、という感じ。Y/C分離のような困難さがなくて性能がいい、という触れ込みだったけれど、PALが十分に綺麗だったので、あまりMACの有利というのがないと言われていた。

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ヨーロッパはふつうのSDTVでD2-MAC、HDTVでHD-MACというのを次世代テレビということで普及させたかった。この時間軸多重という考えは日本でもあって、NHKのMUSEがそうだった。

でも次世代はやっぱりデジタル放送が本筋ということで、MACもMUSEも短命に終わった。

自分は、このD2-MACに相当嵌ってしまいました。
PhilipsやITTがそのchipsetを開発していた。

ヨーロッパの放送デコードのICは、当たり前ですがヨーロッパのメーカーが作るものです。
日本じゃ作れません!

自分はビデオ事業部だったので、VHSやHi8のデッキの中に内蔵するASTRAの受信ボードと、D2-MACデコーダを内蔵させたかった。

D2-MACはあまり普及が進まなくて、熱心だったのは、フランスと北欧だった。
フランスはかなり熱心だった。Canal+はD2-MACで番組を流していたと記憶しています。
やっぱりフランスはちょっと他と違う道を歩みたがるという感じなんですよね。




その国の”放送”という文化を理解すれば、自然とその国の生活など、その国にいる感覚が味わえる。自分の実体験である。もちろんふだんテレビなんて見ないよ、という国の人も多いかもだけれど。

とにかく自分はこれでヨーロッパに嵌りました。
決して芸術や食事、建築じゃなかったです。ましてやクラシックでもなくコンサートホールでもない。(笑)


でもクラシックやコンサートホール通いをするようになって、とても豊かな人生を歩んでいるような気がしますね。いままでの自分の理系人生ではけっして得ることのできない豊かななにかがある。自分を高みに持って行っていただけるような・・・。

だから人生の後年にそういう趣味を持てるようになったのは幸いだったかも。もし逆だったら、違った人生だったかも。

理系的なことは若い時じゃないと厳しいから、自分の人生の順番でよかったと思います。






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カラヤン・ベルリンフィルの普門館ライブを聴く。 [ディスク・レビュー]

先日、12月に取り壊しということで、最後のお別れをしてきた普門館。そこでおこなわれた1977年の伝説のライブ、いわゆる「カラヤン&ベルリンフィルの普門館ライブ」を聴いてみた。

じつは4~5年前に友人から無料でいただいたサンプルCDが3枚あった。
(リンクにはSACDを貼っておきます。) 



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交響曲第1番、第3番『英雄』 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)

http://qq3q.biz/NO41 





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交響曲第2番、第8番 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)

http://qq3q.biz/NO47 




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交響曲第9番『合唱』 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)

http://qq3q.biz/NO4c




発売自体は、CDであれば2010年という事だから、時代から遅れること8年目にしてようやく聴いた。(笑)やっぱり自分の中には”普門館=巨大な空間で音響劣悪”、というイメージが蔓延っていたので、どうしても聴いてみようという気にならなかった。そのまま死蔵状態でラックの肥やしになっていた。

それが普門館にお別れできて、日記を書いたことで、これはぜひ聴いてみたいと思うようになっていたのだ。

TOKYO FMによる録音で、当時TOKYO FMの名プロデューサーだった東条碩夫氏(現・音楽評論家 &ジャーナリスト)があたり、さらにストコフスキーも絶賛した腕前の日本が誇る名エンジニア故若林駿介氏を動員、万全の体制で臨んだもの。

いまはDSD新リマスターもされていて、SACDにもなっている。


結論!

自分が想像していた以上に、かなりいい録音だった!

これは驚いた。

あれだけ空間が広いと音が散って、反射する壁も遠いから、響きがない直接音主体のサウンドだろうと思っていたが、予想以上によく鳴っていた。

あまりによく鳴るんで、あれ~?という感じで驚く。
広い空間というハンデキャップを感じさせないところがミソで、どちらかというとオンマイクっぽい録り方で、いまの録音のような空間はあまり感じない。

現代のオーケストラ録音のようなオーケストラの音場をすっぽり包み込んでさらに余裕がある器の大きさがある訳ではなく、オケ全体を録る最低限のキャパはあったという感じ。

それよりも驚くのは、SPからの出音の鳴りっぷり、そのゴージャスな音。
音のシャワーみたいな凄さ。これには驚いてしまう。

1977年の録音でこれだけの音が録れていればスゴイとしかいいようがない。

最初、もちろん録音スタッフの芸術作品の賜物、見事な優秀録音、と賛辞を述べたいと思ったが、もちろんそれもあるのだが、もっと大事なことを考えついた。

それはカラヤン&ベルリンフィルのサウンド自体がスゴイということだ。

まさに音の暴力(笑)。

そのゴージャスで戦車のように鳴らしまくる音って、まさにカラヤン時代のベルリンフィルってそうじゃなかったのかな?と思ったのだ。

自分もここ数年来カラヤンを聴いていない。
すっかり忘れていた。。。

異常なまでに分厚い弦、そして嫋やかな木管、そして金管の圧倒的大咆哮。まさに戦車なみなのだ。

とにかくよく鳴る。

いまのベルリンフィルをはじめ、現在のオーケストラでここまで有機的に鳴らすオケってまずないだろう。

ジジイじゃないけど、あの頃は凄かった・・・だ。

具体的にそのスゴサを表現するには、いつもと同じVOLで聴いているのに、今日はマンションの大家さんから、ついに苦情が入ってしまった。(笑)


当時普門館で実演を聴いた人たちは、何だか、遠くで勝手に演奏しているのを、こっちも勝手に聴いているような、そんな印象。つまり、音が自分のいるところまで飛んでこない。だから、いま思い返してみても、「とにかく広くて、カラヤンも遠くにいて、何だかよくわからなかった」・・・そんな感想を言っていた人は、この録音を聴いたらなんと思うだろう?(笑)

まったく別世界のサウンドが聴けてしまう。

それだけ、ステージ周りにがっちりマイクセッティングを施し、よくそのサウンドを余すことなく拾えた。つまり広い空間の影響を受けないように、ステージからの音をじかに拾っちゃおうという感じだったんだろう?

そしてミキシング、整音もよくできている。

でも拍手の音がマイクとの距離感からして不自然で大きすぎるのが、いかにも作ってる感がある。(笑)

まさに1977年当時の録音としては絶妙なクオリティの高さで、よくこんなマスターテープが残っていたものだ、と驚く。

1970年代のカラヤン時代最強のサウンドは、まさにすごいサウンドだった!
それがこの録音からよくわかるのだ。


ここまで凄ければ、どうしても聴いてみたいのが、第5番の「運命」。 




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交響曲第5番『運命』、第6番『田園』 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)


http://qq3q.biz/NO5J


東条碩夫氏が大絶賛した 「第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増して凄まじい力感に溢れているといえる。」。

このコメントにもうノックアウトだ。(笑)

この普門館ライブの中でも最高傑作が第5番「運命」だというのだから、これはぜひ聴いてみたい。

立て続くコンサートチケット購入で、緊縮財政を組んでいる昨今、この誘惑に勝てるだろうか・・・?(笑) 







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ヒラリー・ハーン [クラシック演奏家]

ヒラリー・ハーンは自分らの世代のスター。その成長を見届けて一緒に時代を過ごしてきた演奏家というイメージでふっと気がつけば自分のそばにいつも居る感じ。それが当たり前すぎて特別視するような感じではなかった。

そのことがこれだけのキャリアを積んできたにも関わらず、自分の日記で1回も彼女のことを語っていない、という事実となっているのだろう。

もちろん意図的でもない。デビューの頃から知っていて、いままでのディスコグラフィーはほとんど持っている。そしてコンサートも数えきれないくらい通った。

ハーンは、当たり前の存在だった。

でもこれではいけない、と思い、あらためていままでの経験を整理して、自分の想いをぶつけてみよう、と思った。 

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17歳でソニーからバッハの無伴奏でデビューしたときから、いままで聴いてきたハーンの印象を一言で言ってみると、演奏家固有のクセがなく、とてもスタンードな弾き方、フレーズの捉え方をする奏者で、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、チャイコフスキー、ブラームスなどヴァイオリン弾きにとって必須の曲はほとんど録音済みなのだが、ハーンのCDを買っておけば間違いはない、という感じだった。

よくこの作曲家を聴きたいと思ってある演奏家のCDを買うと、聴いていてその解釈が自分の先入観と合わず、がっかりすることが多いのだが、ハーンはそういうことがなかった。外れのない演奏家だった。

自分と相性がすごくよかった。

なによりも音程の安定感が素晴らしかった。そして音色が素晴らしく、音色に繊細な抑揚があって、フレーズの表現が表情豊か、官能的だとさえ思える。指の動きも見事。弓の使い方も。

技術的には申し分なかった。

でも自分にとってデビューのときから抱いていた彼女に一途に熱狂できないなにかがあって、それはいま思うと、デビューのときから若い時代にあったアルバムジャケットやイメージフォトの写真から想像する、どこかクールで温かみを感じないアンドロイドの人形みたいな印象がそうさせていたのではないか、と分析する。

当時はSNSとかない時代、普段のフォトもなく、そういう情報から判断してしまい、後は音で判断。演奏を聴くと凄いんだけれど、そういう自分のイメージの思い込みから来る誤解で随分損をしていたのでは、と思う。

だから演奏的に外れなのない、スタンダードな演奏なので間違いがないのだが、そこで長い間止まっていたアーティストだった。

そんなハーンのイメージをガラっと変えて、彼女のことを一目置くようになったきっかけが、2007年に出たハーンのポートレートの映像DVD、そしてシベリウスのコンチェルトのCDだった。

シベリウスのコンチェルトは衝撃だった。

当時シベリウスのコンチェルトに嵌っていた時期で、また薄っすらの記憶では、神尾真由子さんが、チャイコフスキーコンクールで優勝したときの本選のシベリウスが素晴らしかったので、このときこの曲がかなり自分のマイブームであった。そこにハーンの演奏がジャストフィットした。

いままで優等生的な演奏というイメージしかなかったのが、シベリウスではその陰影感などこの曲が持つ独特のキャラクターを見事に演じ分け、決して技術だけではないその表現力の深さに舌を巻いた。

ハーンを見直した1枚だった。

そして長い間誤解していたどこかクールで人形みたいな印象。
これはポートレートのDVDを見て、その誤解が解け一気に和解した。

ポートレートで彼女が直にインタビューに答えているのを見ていると、その素顔は、かなりの理論派で情熱的な饒舌屋さんで、おしゃべり好きだということだ。そして常に笑顔を絶やさずとてもチャーミングであること。

どこか人形みたいと思っていたイメージが一気に誤解だということがわかった。

理論派という点でも、決して難解な抽象的な表現を使うのではなく、きちんと自分の言葉で話していること。

これは中身が深く理解できているから、できることなのだ。自分の目標でもある。
当時20歳代だった彼女は、深い経験と言ってもアーティストとしてはまだ進化形のとき。それでもこれだけ理論的な裏付けで話すのを見て、当時はそれがその幼顔とすごいギャップがあって驚いたものだった。

ヒラリー・ハーンという演奏家を真に理解できて、彼女の真のファンになったのは、このポートレートを見てからだった。

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ヒラリー・ハーンはドイツ系のアメリカ人である。お父さんがドイツが祖国でアメリカに移住してきた。ポートレートを観たときにまず驚いたのが、流暢なネイティブ英語を話すことだった。(笑)
そのとき、あっハーンってアメリカ人だったんだ、と思ったのだ。

自分の勝手な思い込みなのだが、クラシックの演奏家はどちらかというとドイツ語を始めとするヨーロッパ語圏の人が多いという認識があったので、この英語はかなり意外感があった。英語は周りがパッと明るくなりますね。

じつに久しぶり、おそらく10年以上ぶりではないだろうか、この日記を書くために改めてこのポートレートを観てみた。

3歳のときにヴァイオリンを始める。日本が誇るスズキ・メソードも1年間経験している。
そして1990年の10歳のときに、フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学する。

ハーンの音楽家としての素養は、このカーティス音楽院の時代に形成され、必要単位取得後も勉強を続けるために在籍していたらしい。

結局1990~1999年在籍していたことになる。ハーンの第2の故郷と言える。

最初の7年間は、なんと!ウジェーヌ・イザイの最後の門下生であるヤッシャ・ブロツキーに師事していた。ここは思いっきり反応してしまいました。(笑)数年前から起こる自分の周りでかならずなにかしらの因果でつながるように思えてしまうこと。驚きました。

ポートレートでは、この母校のカーティス音楽院を訪れて母校を紹介している。

ホール。~学校のオケで演奏することもあった。一時期第2ヴァイオリンの後列で弾いていたこと
     もあった。

ホールで演奏する前に待機するための部屋。

談話室。~入試で実技試験を受けたときに最終選考の前に発表を待った場所。
     木彫りの装飾は初めて来たときのまま。あまりに魅力的だったから”この学校に通いたい
     わ”と思ったの。(笑)・・・自分が観ても確かにとても素敵な空間でした。

卓球を習った場所。~卓球にかけては中国人の学生には歯が立たないの。

学生ラウンジより、いろんな人が通るロビーが好きだった。

入試を受けた部屋。

卒業写真が壁に貼ってある廊下。~これが私。ブロツキー先生もここの卒業生よ。

毎年彫刻するためのハロウィーンのカボチャがある場所。~私はランタンを作るのが好きで、学
校に飾ってムードを盛り上げていたわ。でもいつもカボチャが腐らないか、心配だったわ。(笑)

手紙はここに。学生が自分宛ての手紙をここから探すの。想い出深い場所で、卒業した今でも
チェックしてしまう。もう届くことはないのにね。

学生ラウンジ~昔は汚かった。壁じゅうにスプレーで落書きがされていたし、自販機などもなかっ
       た。ソファは破かれて詰め物が出ていた。


ジンベリスト先生の部屋。~ブロツキー先生(イザイの最後の門下生)の師事した人なの。
             ここで7年間、ブロツキー先生に教えを受けたわ。今でも練習場所よ。
             ブロツキー先生はいつもタバコを吸っていた。1レッスンに3~4本。
             ブロツキー先生はレッスン中、タバコの火のことを忘れて、ハラハラ
             したわ。服や楽器に灰が落ちないかって・・・厳しいけど温かい先生
             だった。この部屋は本当にハーンにとって大切な部屋だったようです。


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舞台で臆病になっては納得できる演奏は無理だわ。
できても無難な演奏ね。
それでは観客を楽しませることはできない。
ステージで観客を演奏に引き込み、オケと張り合うだけでも十分とは言えない。
事前にしっかり練習しないとね。
準備に完璧ってあり得ないのよ。

ハーンは演奏後のファンサービスも忘れない。
特に日本の場合は、笑顔で、そして必ず両手で添えることが礼儀だと思って心掛けているそうだ。



ハーンは、純粋なクラシック分野だけではなく、映画のサントラにも参加してきた。
M.N.シャマラン監督の映画「ヴィレッジ」のサントラでハーンの音色が最高のムードを盛り上げた。

このポートレートでは、贅沢なことにベルリンフィルハーモニーでケント・ナガノ氏指揮のベルリン・ドイツ交響楽団とコルンゴルドのコンチェルトを演奏しているのを拝見できるのだ。全3楽章。ノーカットのフルバージョン。

ひさしぶりにこの曲聴いたけれど、なんとも言えない官能的な旋律で、じつに美しい!



コルンゴルドはヨーロッパ出身の音楽家だったの。
でも亡命し、アメリカを基盤に活動を続け、映画音楽を手掛けた。

映画音楽をさげすむ人もいるわ。

商業的な要素が強いし、純粋な芸術ではなく、エンターティンメントだという理由でね。
でも実際、映画音楽の作曲は難しいの。

だから一部の優れた作曲家にオファーが集中する。

短時間で作品をとらえ、曲をつけるのは簡単ではないのよ。


コルンゴルドの作風には、独特の旋律というか魅かれるものがあるのは、そういう背景があるか
らかもしれませんね。



ヴァイオリニストなら当然パガニーニの難解な曲を弾きこなすのは大きな目標だろう。


十分練習を積んだけれど、パガニーニの曲を十分に弾きこなすのは難しいわ。
だから練習しがいがある。

協奏曲を作曲したパガニーニは身体的な特徴があったと言われる。
手が大きく指や腕もとても長かったらしいの。

だから私もそれを想定して弾いているわ。
私の手は柔軟性があるけど、大きくないから、パガニーニと同じ弾き方では演奏できない。
でも指と指の間を広めに開けると弾きやすいの。

パガニーニの協奏曲のカデンツァは、特別な手の使い方で弾くの。
つまりカデンツァとそれ以外の部分では技巧的にまったく違うアプローチが必要なのよ。

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ハーンは、本番前によくバッハを弾く。

バッハの音楽は素晴らしいし、かけがえのない作曲家だと思う。
作曲様式の発展という視点で考えてもバッハの存在はとても重要ね。
でももっと前の時代の人がバッハに影響を与えたことも事実。

それは否定できないわ。

大音楽家のバッハだって突如誕生したはずないもの。
でもバッハはものすごく多くの人たちを触発してきたの。

その数は本当にはかり知れないわ。
誰もが認める事実よね。
バッハを否定する人なんている?
それとバッハの音楽にはユニークな特徴があるのよ。

どんな場所で演奏しても自然と溶け込むの。

バッハの音楽には、人間が求めるなにかがある。
宗教の違いを超えた精神的なものが。

人を瞑想や深い思想に導くのよ。
バッハの音楽にそんな力がある。

5~6歳の子供たちを1つの部屋に大勢集めて遅いテンポのバッハを聴かせると
静かになってしまうの。

すごいことでしょ?

子供はスローな曲など聴かないなんてウソだわ。

速いテンポの曲だとはしゃぎだすけど、ゆっくりなテンポの曲には、
全員が聴き入る。


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2004年ドレスデン。DG(ドイツグラモフォン)が開催するイエローラウンジ。

パーティ好きが集まるクラシック音楽の夕べ。
非常に厳しい条件のもとでバッハのパルティータ第2番(シャコンヌ)を演奏した。

観客は演奏中食事や小声で会話することが許されていた。
”禁煙”である以外に禁止事項はなにもなかった。

だが結局、会場内の会話は息を潜め、見事バッハとヒラリー・ハーンが静けさの中に
君臨した。

バッハの音楽には、そのようなその場への説得力がある。



最後に録音について。

ロンドンのアビーロード・スタジオでスタジオ録音。
コリン・ディビス&ロンドン交響楽団とで、エルガーのヴァイオリン協奏曲とヴォーン・ウィリアムスのあげひばり。

ハーンはジーンズ姿で録音をする。
ハーンはジーンズがとてもよく似合う。

自分はジーンズはまったくダメな人で(まず似合わない)、ジーンズが似合うカジュアルな人を
日頃からとても羨ましく思っている。

あげひばりはいい曲。本当にイギリスののどかな田園地帯で、本当に鳥のさえずりを聴いている
感覚になる。

スタジオ録音はいろいろなことに気を使うけれど、私は収録するならスタジオを選ぶ。
ライブなどではマイクなどを気にせずにいい音楽を客席に届けることに集中したいからよ。



以上一部を紹介したが、このヒラリー・ハーンのポートレート、ぜひ観ていただきたいと思う。 


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「ヒラリー・ハーン・ポートレート」

http://ur0.biz/ND0E


このDVDが発売されたときから、かなりの時間が経過して、いまやハーンもだいぶ進化したとはいえ、古い映像素材かもしれないが、でもヒラリー・ハーンの音楽人として形成された基礎の部分がここに表現されている。これを知らずしてハーンは理解できない。

自分も最初の頃はハーンに対して誤解のイメージを持っていたが、このDVDを観た瞬間、大ファンに豹変した。誤解が解けた。

ハーンってとても真面目なんだよね。
学生時代は、とても練習熱心で音楽以外の科目にも積極的だったそうだ。

研究熱心で理論派、それも深い体験に基づくわかりやすい理論、そういう姿が音楽人ヒラリー・ハーンだということが、このインタビューで熱く語っているのを観ると納得いくのだ。

でも普段はお茶目で明るい性格のところも、ふんだんに盛り込まれています。

最近のハーンのことでクラシック界で話題になったのは、彼女のインスタ(Instagram)が興味深いという話。(ID:violincase)

彼女のインスタではひたすら黙々とヴァイオリンの奏法をやっている姿が映っているのだ。
あるときは自分の部屋かもしれないし、ツアー先のホテルの部屋かもしれない。
アップされるのは、ひたすら黙々と瞑想してヴァイオリンを弾いている姿。

これを観て、普段インスタに食べ物の写真ばっかりアップしている人よ、音楽家なら少しはハーンを見習いなさい!(笑)というような話があって結構話題になっていました。

現在の彼女は、結婚もして子供もいる。信じられないよね。

若い時にアンドロイドのような人形みたいに見えていたのに、いまはすっかり垢抜けて信じられないくらいの美人になった。やっぱり女性アーティストは経年とともに見違えるように年相応の美しさが滲み出ますね。

最近は子供、赤ちゃんをお客さんにしたコンサートを開いて話題になっていました。(これ好きなんですね。(笑))

日本にも頻繁にツアーに来てくれる。なんか2,3年ごとに来てくれている感覚がする。招聘する側からすると確実に計算できるアーティストなんでしょうね。

そんな最近のヒラリー・ハーンに待望の新譜が登場した。 



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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番 
ヒラリー・ハーン


http://ur0.biz/ND1U


1997年にソニーからバッハの無伴奏のパルティータ2番、3番、そしてソナタ3番が出され、あれから20年後経過したいま、残りのパルティータ1番とソナタ1番、2番を出して、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パルティータ全曲完遂となった。デビュー当時、なんで全曲じゃないんだろうとずっと思っていたが、その想いを遂げてくれた。

じつに素晴らしい録音で、彼女のステレオ2ch録音では一番洗練されていると思いました。
最近の録音技術の本当に進歩はすごいです。

ハーンのディスコグラフィーは本当にメジャーと考えられる作品は全部網羅されている感じで、すごいゴージャスなライブラリーだが、その中に堂々と君臨する1枚になること間違いなし。


ハーンは、最初はソニーからデビューしたが、その後DGに移籍。
基本スタイルはモダン・ヴァイオリン一筋ですね。古楽器はやらないと思います。両刀使いではないです。

ディスコグラフィーはほとんど持っているが、その中でもこれは絶対持っておくべきという盤を挙げてみたいです。 



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バッハ ヴァイオリン協奏曲集 
ヒラリー・ハーン

http://ur0.biz/ND2Q


もうあまりに有名なヒラリー・ハーンの名盤中の名盤。このディスクを知らない人はいないだろう。オーディオマニアの世界でもあまりに有名な優秀録音だ。自分はいままでオーディオファイルの端くれとして、首都圏、四国、大阪、九州、広島とオーディオオフ会をやってきたが、お邪魔したお宅には必ずこの盤が存在した、というキラーコンテンツ。

残念なことに、いまはこの盤のSACDは存在しないんだね。
国内盤より輸入盤のほうが音がいいと思うので、SHM-CDよりもCD(輸入盤)のほうを推薦しておきます。(笑)

自分の時代はDG SACDが存在して、この盤を5.0サラウンドで聴けた。みなさんが持っていたのもDG SACDでした。いまと比べると、サラウンド草創期の垢抜けない(笑)録音にも思えるが、でもやっぱりDGらしい硬派なサウンドであることは間違いない。これを持たずしてヒラリー・ハーン ファンとは言えない。 



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ブラームス、ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 
ハーン、マリナー&アカデミー室内管弦楽団


http://ur0.biz/ND3p


ヴァイオリンのコンチェルトの中でも自分はブラームスが1番好きかもしれない。ブラームス・コンチェルトを聴くなら自分の愛聴盤ということで、この盤を頻繁に聴いていました。ハーンの解釈はとてもスタンダードでクセがなくて自分と相性が良かった。このブラームス録音は、2003年に米グラミー賞を受賞したハーンの名を世に知らしめた代表作となった。

レーベルはソニーだが、これも当時はSACDだったが、いまはもうSACDはないんだよね。自分が持っているのはSACDで5.0サラウンドで聴けてとても素晴らしい録音でした。

これもCDの輸入盤のほうを推薦しておきます。 



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シベリウス、シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 
ハーン、サロネン&スウェーデン放送響


http://ur0.biz/ND4i


ヴェーベルンに献呈された、高度な演奏技巧を要する色彩的なシェーンベルク。北欧的な情緒に溢れる、ヴァイオリンの性能を駆使した華やかな演奏効果を持つシベリウス。20世紀のヴァイオリン協奏曲の傑作2曲を収録したアルバム・・・だそうです。

そんな殺し文句を使うまでもなく、自分はこの盤にやられました。
ハーンのことを見直した1枚になりました。

あの頃は、シベリウスのコンチェルトに嵌っていたからなぁ。。。




バッハの無伴奏の新譜発売で、来る12月にツアーに来てくれる。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタ全曲演奏会を、2日にかけてやってくれるのだ。

盛り上がること間違いなし!

当初予定には入れていなかったが、やはりここはどうしても抑えないといけないところだろう。

ひさしぶりのヒラリー・ハーン、一段と美しくなっているに違いない。

楽しみたいものだ。








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バルバラという歌手 [シャンソン]

バルバラの伝記映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」を観てきた。去年の2017年、パリで放映されたものを日本語版としてリメイクしたものである。パリ版は、カンヌ国際音楽祭など、かなり多くの受賞をした話題作だった。

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いまだに謎めいた歌手というイメージが多いバルバラが、どのように演じられるのか、とても興味が湧いた。

正直に言うと、自分はバルバラについては、リアルタイム世代ではないし、よく知らないというのが本当のところ。でも去年の秋から、パリのフィルハーモニー・ド・パリのほうで、バルバラ展が開催され、とても盛況だったようで、特に若い人も多く来展していて、バルバラという歌手は、いまなお、パリでは生きる伝説なんだろうな、ということが感じ取れた。

そのときにバルバラのことを結構勉強し、そしてベストアルバムのCDを買った。
これが予想だにしないくらい、自分のツボに嵌って、iPodに入れて、今なお、毎日の通勤で、必ず聴いているといったぐらい気に入ってしまった。

ユダヤ系のバルバラの場合は ナチス占領下のパリを逃れ、ブリュッセルなどを転々とする。子供の頃、父親から性的虐待も受けた。その中で家族が崩壊してゆき、父親は出奔して行方がわからなくなる。 そうした少女時代のトラウマは、「私の幼いころ Mon Enfance」というバラードに歌われている。

そしてバルバラがメジャーにデビューする頃、突然行方不明だった父親から連絡がある。再会のためにナントに急行したバルバラを待っていたのは、息を引き取ったばかりの父親の亡骸だった。

そんな辛酸をバルバラは「ナントに雨が降る」という私小説的な歌として吐き出さずにはいられなかったのだろう。

そんなバルバラの歌には「生々しい痛み」がある。
血が噴き出している心の傷口を露悪的なまでに大衆にさらす・・・
それだからこそ得られるカリスマ的な共感を彼女は得ていた。

また凄惨な内容であっても、彼女が紡ぎ出す言葉には、単なる戯言・恨み節を超えた「詩情」というべき香りを感じさせた。

バルバラの歌は、それは衝撃的な体験で それまで聴いたことのない「歌」だった。

早口の語りが自然にメロディーとなり、自然と語り終わるようにメロディが終わる・・・そんな歌。

言いかえれば 思いっきり言葉に寄りかかった音楽なのだ。

それでいて音楽的なフレーズ感があり、時折ふっと飛翔するように登場する断片的なメロディがバルバラの声と相まってなんとも魅力的だ。

自分も含め、こんな壮絶な人生はとても経験できないし、また、とても無理、そうなりたいとも思わないのが当然だけれど、そんな人生を歩んできた彼女だからこそ、そこで語る歌には真実味、カリスマがあって、そこに自分たちは惹かれてしまうのだろう。

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独特のカリスマがあって、謎めいているということもあって、現役世代を知らない自分は、観る前からかなりドキドキした。

映画は、単に直接バルバラを演じるというのではなく、映画の中で、主役のブリジットがバルバラを演じて、バルバラの映画を撮るというシチュエーションが中に組み込まれている感じで、映画の中にさらに映画が入っているという凝った映画だった。

全体の醸し出すアンニュイで退廃的な雰囲気、これぞフランス映画のど真ん中という感じで、さらに時代考証などセットで組まれている道具、色調などかなり当時の時代を彷彿とさせるものであった。



映画のストーリーについては、やはりいま上映中ということもあり、ネタバレはよろしくないので控えることにする。

主役のブリジット(バルバラ)を演じたジャンヌ・バリバール。

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バルバラが持つカリスマを十二分に表現できていた。とても魅力的であった。見事。
自分がはじめてジャンヌの写真を見たとき、バルバラに似ている、あの雰囲気が出ている、よく探してきたなぁという印象だった。いままでにも舞台や映画でよくバルバラを演じてほしいという依頼はあったそうだ。

そしてバルバラに似ているともよく言われていたらしい。でも実際、容姿が似ていても何の意味もない。

バルバラとは似ていないどころか、共通点もないとのことだ。(笑:本人談)



でもジャンヌが映画で求められたのは、バルバラが持つ特異性だった。

バルバラは生涯、世界に向かって主張し続けた。「私は違っている。私にはその権利がある。あなたちもそう。」と。さすがに政治演説はしなかったけれど、刑務所で演奏し、自宅に専用電話回線を引いて、エイズ患者の声に応えた。そうすることで、すべての人が違っていていいのだと訴え続けた。バルバラの中では特異性は優越性ではなく平等と結びついている。最後には声が出なくなったけれど、問題ではなかった。パリ・シャトレ座での最後のコンサートでは、常に持ち続けた自由というメッセージが聴衆の心に響いた。マチュー(元夫で今回の監督)と私は、それを呼び戻したかったのだと思う。彼女のセンセーションをね。



その「センセーション」を呼び戻すためにバルバラが装ったさまざまな姿で演じていた。
付け鼻や黒い服装。そしてちょっとした仕草も。
これが現役時代を知らない自分にとって堪らなかった。



ピアノを弾く場面、ご自分で弾かれているものと思えた。
ピアノで和音を弾く練習をし、耳を鍛えた。これって、アーティストの人生のメタファー。

歌の部分は、本物のバルバラの歌を流している場面もあり、またブリジットが本当に歌っているかのように思えた部分もあり、正直わからなかった。まったく違和感がなかった。

映画に登場する主な楽曲は、「ナントに雨が降る」、「黒いワシ」、「我が麗しき恋物語」、「いつ帰ってくるの」、「小さなカンタータ」、「グッティンゲン」、「ピエール」、「愛しているとは言えない」、「不倫」、「脱帽」ほか、である。


監督、そして脚本は、ジャンヌ・バリバールの元夫であるマチュー・アマルリック。

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いや、だめだ。分からない。伝記映画なんて、しかもバルバラの映画なんて、無理だ!そして脅迫観念が襲ってきた。なぜ追い詰めるのか? なぜこの映画を作るのか?そんな葛藤があったようだが、数ある伝記映画を徹底的に鑑賞して、そして取り組んだようだった。

その結果が、ジャンヌ・バリバールはバルバラを演じるのではない。ジャンヌは、映画でバルバラを演じなければならない女優を演じるのだ、というところに行き着いたのであろう。


自分が観た印象では、結構、映画のストーリー構成自体、入り組んだ構造で、パッと見ただけでは、すぐに理解できないようなところもある。フランス人らしい芸術肌というか独特の世界観があって。でもそれはバルバラのカリスマの世界を十二分に表現できていたと思うし、素晴らしい映画であると感じた。まさにフランス人の創り出した世界だよな~という印象だった。


バルバラを演じたジャンヌ・バリバールさんのインタビュー。


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映画のプログラム(これは行かれたらぜひ買ってください!)、各シャンソン雑誌や朝日新聞にも掲載されています。ジャンヌという女優さん、とても自己主張がはっきりしていて、自分の世界観を持っていて、芯が強い方のように思いました。いかにもフランス人という感じです。

ちょっと、そのインタビューの一片を。


「話し合ったが最後、男は常に自分のほうが正しいと落着するから前に進まない。時間の無駄だわ。話すよりもアクションすることね。実行してしまったほうがいいのよ」。

天才肌の映画監督であり俳優と呼び声高いマチュー・アマルリックも、ジャンヌ・バリバールにとっては、才能のあるひとりの男にすぎないようだ。


―今回、劇中ではブリジットという女優の役を演じながら、ブリジットが演じるバルバラを表現する
 という難しい役どころだったと思います。女優としても、チャレンジだったことはありましたか?

「何も難しいことはなかったわね。だって、実際の人生のほうがよっぽど難題が多いのよ(笑)。それもあって、映画のなかでは難しさを感じることはなかったし、むしろ映画を作れることに幸せを感じていたわ。」


―偉大な歌手を演じることにプレッシャーはありませんでしたか?

「女優という仕事をするには、自分が演じる人物に圧倒されないこと。それが基本です。また、年齢や経験を重ねるごとにプレッシャーは感じなくなるものです。偉大な人物だと思うより、私の従姉妹なの、と思いながら演じます。それくらいの心持ちでないと、演技はできませんね」


―パリの歌の女王といわれた歌手バルバラを演じるに当たって、どのような役作りをしたのだろう
  か。今回の作品の監督で、私生活では彼女の元パートナーだったマチュー・アマルリックは、
  どんな助言をしたのだろう。

「マチューは、すでにシナリオを完成させていたけど、私には自由にさせてくれた。よくアドリブを入れたけど、バルバラは、きっとアドリブが好きな人だったのではないか、と私が思ったから」


そして今回このバルバラ映画が放映されるにあたって、FBのほうで、この映画の公式ページが設立されて、毎日のように称賛の心のこもったコメントが寄せられている。シャンソン界や映画評論家などさまざま。これをきちんとそのコメントが入った専用のフレームの写真を作って、アピールしているのは、すごい手が込んでいて感心してしまいました。

本当にお洒落です!

それもちょっとご紹介。
(FB 映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」ページより。)


ジャンヌ・バリバール演じるバルバラが歌うとき、私は演技とは何だろう?と考える。
うたが、こころが、ことばが、誰かの気持ちにつながる瞬間。
空気と相まって生まれてくるメロディは、重く美しい誰かの人生だった。

真舘晴子(ミュージシャン/The Wisely Brothers)

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「撮られたもの」と「いままさに撮られているように撮られたもの」。
両者が溶け合って、バルバラというひとつの像を結ぶ。
気づけば、作中の監督イヴ=本作の監督マチュー・アマルリックの視点と
自分の視点を重ねて『バルバラ』の中のバルバラを見つめていた。

青野賢一(ビームス創造研究所クリエイティブディレクター/文筆家)


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私はバルバラの「撃たないで」という曲を唄っていた時がある。
シャンソニエとしての攻撃性、クレアシオンとしての美意識が私に
唄う勇気をくれたのだ。この映画はいつか観た伝記映画ではなかった
一台の黒いピアノからまた、勇気をもらった

夏木マリ

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私も「黒い鷲」を歌っているので、ずっとバルバラの映画を待っていました。
本当に感激しました。情景が浮かぶような映像美、そして同じ歌手として
バルバラの孤独な人生に共感しました。
もう一度観たい、素晴らしい映画です。

美川憲一(歌手)

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リアルとドラマの見事なコラージュ。
どこからがバルバラ本人なのかわからなくなるほど
素晴らしいジャンヌ・バリバールの演技に圧倒されました。

前田美波里(女優)

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日本人はシャンソンに、易しく分かりやすい大衆性よりも奥深く気品のある文学性を求めた。
だが、その願望を高い水準で満たす歌手は、実際には多くなかった。長い空白の時を経て、
渇きを癒やしてくれたのがバルバラの歌だったのだ。

蒲田耕二(音楽評論家)

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私は「わが麗しき恋物語」を日本語詞で唄っている。創作ともいえる歌詞なのに、バルバラの
メロディと合体すると、そこに別の「極上」の物語が生まれる。バルバラは奇跡の作曲家だ。
それは、極上の底なし沼のように私たちを魅了し続ける。

クミコ(シャンソン歌手)

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シャンソンを逸脱する異形さ、そのエクセントリックを封じ込めた傑作。思いがけない手法で
描かれる彼女の脱日常と愛へのヒリヒリとするような希求ぶり。それはロックのマナーも超え、
そしてフランスそのものだ。

サエキけんぞう(作詞家・アーティスト)

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今回、自分は公開2日目の朝1番にかけつけたのだが、とてもラッキーなことがあった。
それはシャンソン歌手のクミコさんのミニライブが、上映後にあったのだ。2曲歌ってくれた。

バルバラが歌う曲に日本語歌詞をつけて。

とても明るい朗らかな方で、その2曲が入った新譜CDもその場で販売して、さらにサイン会までやってしまう、という・・・まさにひとさまのふんどしで相撲をとるとはこのこと(笑)とみなさんの笑いをとっていました。

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歌はめちゃめちゃうまかったです!久しぶりに心にじ~んと染みる歌というのを聴いた感じ。
シャンソン、いいな。 ちょっと開拓してみようかな?
PAサウンドもなかなか上出来でした。



自分が行った映画館は、渋谷のBunkamura ル・シネマ。なにか改装工事中で、今回のバルバラ映画がリニューアル・オープンだったとか。


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この映画館は、芸術の世界の映画は、必ずここで放映されますね。芸術専門の映画館みたい。
いままでもロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、アルゲリッチ、パリ・オペラ座などたくさんここで観てきました。これから上映予定として、マリア・カラスやボリジョイ・バレエもあるみたいですね。

ここの映画館の興行主が、とても芸術の世界に深い敬意を表していて、積極的にスポンサーしているんでしょうね。


バルバラ映画を行った場合はぜひプログラムを購入することをお勧めします。(1番左の赤いプログラム)こんなにもらってきました。

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普門館 [コンサートホール&オペラハウス]

普門館といえば、大きく2つの顔をもつコンサートホール(というより多目的ホール)といえる。

カラヤン&ベルリンフィルの来日公演、そして中学・高校生による吹奏楽の聖地、吹奏楽の甲子園という顔。自分は、普門館といえば圧倒的に前者。大変失礼な話なのだが、後者はその当日まで知らなかった。

2011年の東日本大震災以来、天井の強度がスペックを満たさないということで、取り壊しが決定した。来月の12月より取り壊しが始まる。

そこで、11月5日~11月11日まで一般公開ということで、ホール内をお別れができる、という粋な試みがあった。自分は最終日の11日の前日の深夜にそのことを知って、ぎりぎり最終日の11日に間に合った。

自分が、東京にやってきたのは、1987年。そのときはすでにサントリーホールがオープンしたばかり(1986年10月)、そしてそれ以前は、東京文化会館が東京のメッカということもあり、いままで、とりわけ普門館にいく機会がなかった。ある意味行く必要も感じなかった、というのが正直なところで、普門館の中に入ったことは1回もなかった。

あとで述べるが、普門館は大空間なので音響が悪い、という先入観があり、自らがどうしても行きたいという気持ちにならなかったのだ。

来月から取り壊しということで、いま一般公開もしている、ということで、これまで縁がなかったけれど最後のお別れで、ホール空間を見てこようかな~とも思い、最終日にかけつけた、という次第である。


普門館といえば、とにかくカラヤン&ベルリンフィルの来日公演である。

1977年、1979年、1981年の3回にわたって、この普門館を利用した。約5000人を収容できる大ホールで、なぜカラヤンがここを選んだのかはいまもって謎なのだが、大収容なので、1回の興行で、いっぺんに利益が稼げるという算段があったのだろうか?その横長の大空間のホールは、当然音響劣悪で、聴衆の失望を招き、1979年の再来日時にはカラヤンが反響板を新たに作るよう要求したという伝説もある。

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後にこの普門館のベルリンフィル演奏会がライブ録音CDということで世に出ることになるのだが、会場が大きすぎて音響上問題があるので、反響板のようなものを据えて演奏したそうで、その解説には「もし上野の東京文化会館だったら」と言い合ったという当時の感想も載っているそうである。

1977年に、その音響の劣悪さをある程度わかっていたカラヤンは、ドイツで専用の反響板をつくり、この日のためだけに搬入した、という話もあった。

1977年のベートーヴェン・ツィクルスを全曲録音していたTOKYO FMの当時のプロデューサーで、現在は音楽評論家の東条碩夫氏によれば~当時、主催者側は大がかりな残響調整装置を準備していた。そして本番前日、早稲田大学交響楽団に舞台上で演奏させ、カラヤンは客席内を移動しながら響きを確認した。その結果、このままで十分と判断、装置も使用しなかったというのである。だそうで、それだけ音響には問題のあるホールであった。

とにかくあまりに巨大すぎるのだ。



その当時のカラヤン公演を体験した人の話によると、普門館はとにかく広いので驚く。席は1階後方で、舞台上のカラヤンは遥か彼方に見えていた。音も、東京文化会館あたりで聴いていたのとはまったくちがい、何だか、遠くで勝手に演奏しているのを、こっちも勝手に聴いているような、そんな印象があった。つまり、音が自分のいるところまで飛んでこないのだ。だから、いま思い返してみても、「とにかく広くて、カラヤンも遠くにいて、何だかよくわからなかった」というのが正直な感想だったようだ。


そんなカラヤン&ベルリンフィルの伝説の普門館でのライブなのだが、これがCDとなって世に出て、カラヤンファンをはじめ、かなりセンセーショナルな話題になった。

1977年はベートーヴェンの交響曲全曲演奏会をやり、その全曲録音。そして1979年はベートーヴェンの交響曲第九。これがリリースされた。いわゆる「カラヤンの普門館ライブ」ということで、話題になった。

TOKYO FMが録音したカラヤンの1977年ベートーヴェン・ツィクルス。東京・普門館ライヴは最初はCDの単バラとして出されたが、その後、SACDになり、さらにはまとめてボックス化となった。ボックス化のときは初出時と同マスターではなく、最新リマスターをもとにさらなる微調整を加えブラッシュアップした、通常CDでは初のお披露目となる「最終決定稿」たる音質だった。 


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TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (SACD)
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」第6番「田園」
(他の曲ももちろん単バラで売っています。)

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TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (CD-BOX)
ベートーヴェン交響曲全曲演奏会BOX

http://urx.red/Ntmf


1977年東京公演におけるベートーヴェン連続演奏会は、カラヤン&ベルリン・フィルによる実演での最後のベートーヴェン・ツィクルスとなったもの。この連続演奏会は、「TDKオリジナルコンサート」という番組で収録され、TOKYO FMによって全曲がステレオで録音され、たいへん良好な状態でテープが保存されていた。

「TDKオリジナルコンサート」というのは、1971年、芝崎彪さんが提案したクラシック音楽番組。

国内外の名演奏家のコンサートを収録し、民放FM放送(FM東京等)で放送する、という内容の当時のラジオ番組である。

この「TDKオリジナルコンサート」、いろいろな演奏家のライブを収録してきたが、その目玉だったのが1977年、東京普門館(5000人収容)で開催されたカラヤン・ベルリンフィルハーモニーだった。このCDが2010年、FM東京創立40周年事業としてCD化されたのだ。

この歴史的な録音には、当時TOKYO FMの名プロデューサーだった東条碩夫氏(現・音楽評論家&ジャーナリスト)があたり、さらにストコフスキーも絶賛した腕前の日本が誇る名エンジニア故若林駿介氏を動員、万全の体制で臨んだ。

そのためすこぶる良好なステレオ録音が残されていた。

エキストラなしのベルリン・フィル正規メンバーのみで臨んだ「運命」「田園」は朝日放送がテレビでモノラル放送したためFMでは放送されず、またワイセンベルクとの協奏曲も未公開のまま眠っていた音源で、CD化でこれらの音源が陽の目を見た際には大変話題になった。

カラヤンが激賞した田中信昭氏率いる合唱団との第九で聴ける日本人離れしたとてつもないボルテージの合唱も必聴ものなのだ。


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普門館で行われたカラヤン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演(1977年)


この1977年、普門館で行われたFM東京「TDKオリジナルコンサート」カラヤン・ベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲全曲収録には数限りないエピソードがある。同全曲CDの解説書からそのいくつかを紹介する。

東条碩夫氏(音楽評論 元FM東京プロデューサー)

・第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増
 して凄まじい力感に溢れているといえる。
・録音エンジニアはエフエム東京の橋本正文が、他の7曲は若林駿介氏がつとめた。 
・「第9」の本番直前、それまで快調だった収録用のアンプがトラブル。心の中でアンプを呪った。

中山 実氏(大阪国際フェステバル協会元職員)

・1977年のベルリン・フィルの招聘は大阪フェステバル協会とNHKの競争となった。
・ベルリンフィルは正団員約110人に約40人のエキストラを加えた総勢150名を超えるメンバーが
 来日している。TV収録のある日は正団員が出なくてはならないという決まりがあった。「運命」
 「田園」はTV収録があったため正団員のみ出演している大変貴重な記録である。


カラヤンはセッション録音によるベートーヴェン交響曲全集を1950年代、1960年代、1970年代、1980年代の4回録音している。1950年代のモノラル録音のみ英EMIで、後の3回はいずれもドイツ・グラモフォン。

このTOKYO FMの録音が発見され、それがCD化されたことで、カラヤン&ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集は、全部で5回ということになった。

それを聴かれたファンの方々は、

計算し尽くされ、ミスは何回も録り直しが利くセッション録音と違い、一発勝負の聴衆を前にしたライブ演奏ではこれほど「燃える」ものだとは、と再認識した。

特に「運命」、ベルリン・フィルによる緻密なアンサンブルと贅肉を削ぎ落したかのようなカラヤンの解釈による演奏は生演奏らしい、曲の迫真に迫るような素晴らしい名演。特に終楽章は超名演と言っても良い。

既述の東条氏の第5「運命」のコメントと相通ずるところがあり、自分はかなりそそられた。

また東条氏が悔やんでいた第九のときのアンプのトラブルも、その後SACDとしてリマスターされたときに、この新DSDマスター制作を担当したのが、Altus斎藤啓介氏で、通常の5倍の時間をかけて制作。録音当時にトラブルがあったとされる第9終楽章後半なども前情報なく虚心に聴くと録音の不備が全くと言っていいほどわからない出来になっているのだそうだ。


じつは、自分はこの1977年のTOKYO FM録音によるベートーヴェン・チクルスのCDを3枚ほど所有しているのだ。4~5年前に友人から無料で譲り受けたものなのだが、普門館ということで、音響悪いというイメージが先行して、食わず嫌いでそのまま新品未開封でラックに死蔵になっている。

ぜひ聴いてみたい気になった。

カラヤン&ベルリンフィルは大きく時代別に大別すると、60年代、70年代、80年代の3つの時代に分けれると思っているのだが、その中でも70年代が一番脂に乗っていた最強の時代だと自分は確信している。

そういう意味で普門館ライブのときは、1977年、1979年、1981年。
まさにその全盛期の時代の彼らだといえるわけで、その熱い演奏を想像することはできる。


そして一方で、もうひとつの金字塔の録音である1979年の「カラヤン普門館ライブの第九」。 


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NHK FM録音による「カラヤン普門館ライブの第九」

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ベルリンフィルを率いて8度日本を訪れているカラヤンだが、1979年に東京、普門館でおこなわれた来日公演は、その豪華な参加メンバーとプログラムとで特筆されるべき壮挙であった。

4回のオーケストラ演奏会に加え、初めて帯同したウィーン楽友協会合唱団とともに合唱付きの大曲を5夜にわたって披露、贅沢なソリスト陣も手伝って、「ザルツブルク音楽祭の引越し公演」という評さえあった、まさに当時の熱狂ぶりは凄かったのだ。

10月21日の第九は、カラヤンとベルリンフィル2度目のベートーヴェン:交響曲全集と同一のトモワ=シントウ、シュライアー、ヴァン・ダムに、エキゾティックなカルメン役で欧米を沸かせたユーゴ出身のアルト、バルダーニを加えたソリスト陣に、「カラヤンのコーラス」楽友協会合唱団という完璧な布陣。

カラヤンと楽友協会合唱団は、1947年の初顔合わせ以来通算200回目の共演という記念の一夜でもあった。全公演中の白眉とされた当演奏はNHKがFM生中継し、全国の音楽ファンを魅了したと伝えられている。

このいわゆる「カラヤン普門館ライブの第九」のCDは、NHK技術研究所に残されていた当時のオリジナル・テープに基づく世界初の復刻。NHK初のデジタル録音とのことだが、24年の歳月を感じさせない鮮明な音質に仕上がっているそうだ。

テープの保存状態が非常に良好だったためか、放送音源のCD化につきまとう経年劣化の問題が皆無であることは何よりの朗報。マスタリングもハノーヴァーの最新技術によって念入りにおこなわれたとのことだそうだ。

この1979年の普門館公演でライブ収録された交響曲第9番は、カラヤン没後にCD化されたのだが、カラヤンのライブ録音で第九が稀少であることから「普門館の第九」として話題を呼んだことでも有名なのだ。



つまり、「カラヤン普門館ライブ」と呼ばれる復刻CDには、1977年のTOKYO FMによって録音されたものと、1979年のNHK FMによって録音されたものがある、ということなのだ。



今回の日記のために、情報を補記したところもあるが、自分にとって普門館といえば、もうまさにこのカラヤン&ベルリンフィルの来日公演というイメージだった。


だから、その普門館にお別れ、ということで、ざっとその広大なホール空間を眺めて終わりかなぁと思う程度だったのだ。


あらためて、普門館について簡単な説明を。

仏教の在家団体「立正佼成会」が所有するホールで、東京都杉並区にある。
この日、行ってみたが、お世辞にも交通の便がよいとはいえない。
地下鉄メトロを何回も乗り換える必要があって、かなり遠いところにある。駅からも結構離れていて歩く。

こけら落としは、美空ひばりという話もあるし、日本フィルの特別公演との話もある。

耐震強度不足により、2018年冬(12月)より解体されることになった。

11月5日~11月11日まで最後のお別れということで、一般公開となった。
その最終日に自分は伺った。


普門館

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最終のお別れということもあって、たぶん人も少なく閑散という感じなんだろうなぁと思っていた。
ところが行ってみたら、まさかの朝からの大行列!(^^;;

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まったく驚いた。こんなに根強い人気があったとは!
ちょっと異様だったのが、とにかく客層がみんな若い人ばかりなのだ。年齢の行っている人はほとんどいない。みんな若い!そして木管楽器を入れるような楽器ケースを背負っている人がじつに多かった。

一瞬、音楽家の若者なのかな、とも思ったが、これが普門館とどうしても結びつかなかった。

そしてこれ。
「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」

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この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけがある意味、その意味を暗示していたんだな。


警備員の方も、写真撮影のお手伝い大変。みんなこの掲示板ポスターの前で記念撮影するんだよね。それもみんな楽器ケースを背負った若者ばかり。

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とにかく大変な大行列なので、内部の観覧は30分間隔で区切ってこの大行列を順繰りにこなしていくということだった。


どきどき!ステージが見えてきた。
この入り口は、演奏家の方がステージに上がるための入り口なんだな。

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ここが普門館のホール空間。
1階席3150席、2階席1552席の4702席収容。まさに空前絶後の大空間である。

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これが反響板の一部なのだろうか?(側壁にあります。)
ステージ上空にはそのような仕掛けはあまり見当たらなかった。
これだけの大空間を覆うように音の流れを向けるのは確かに大変なことだ。

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舞台(反響板)の後ろはこんな感じになっている。

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でも自分が気になるのは、こちらだったりして・・・TASCAMとかソニーとか。(笑)

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ステージに上がることだけが許される。

ステージ後方に大きな反響板。そこに「普門館からありがとう」とある。

普門館、まさに本日にて48年の歴史に幕。

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とにかくみんな若者。そしてほとんど全員が木管、金管の管楽器を持っている。
全員バラバラだけど、それぞれ吹いている。

自分はこの風景が理解できず、思わず警備員の方に聞いて、そのすべての真実が理解できた。

勉強不足なのは、自分のほうだった。

ここ普門館は、いわゆる中学・高校生の”吹奏楽の聖地”、”吹奏楽の甲子園”とよばれるメッカのところで、ここで長年にわたり全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学・高校の部が開かれてきたのだ。

普門館が開館したのが、1970年。吹奏楽コンクールがこの普門館で開催されたのが、1972年から。途中他の開場でやったりしてブランクがあったが、1977年から2012年までの35年間、まさに毎年ここが吹奏楽の甲子園となった。

”目指せ!普門館”の合言葉を元に、みんな練習に励んだ憧れのホールだったのだ。

今回、普門館解体というニュースを受けて、みんな悲しみに暮れたが、普門館を所有する宗教法人「立正佼成会」が吹奏楽ファンへの感謝の思いを込めて、この一般公開を企画した。


「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」

この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけの意味が、ここでようやくはっきりと理解できた。
みんな若者ばかり、そしほとんどが管楽器を持っている。この現象の意味も理解できた。

この最終日の11日は朝から列ができ、午前10時に開場した。混雑を避けるため30分ごとの入れ替え制とし、約3800人が舞台に足を踏み入れたのだそうだ。

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まさにステージの上は、管楽器をもった若者で溢れかえった。そして思うままに吹いている。
最後のお別れを名残惜しんでいるのだ。

最初みんな、バラバラに吹いているのだけれど、最後になると偶然なのか、それともみんな、つい意識して合わせたのか、同じ曲をシンクロして全員揃って大吹奏!これはちょっとじ~んとくるものがあって大感動でしたよ。


ステージ後方の反響板や舞台裏にはもうびっしりと書き込み。
みんなこの普門館への思いを書き綴っていったんだな・・・

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テレビも入っていて、インタビューを受けている若者もいた。

この一般公開してからの1週間、かつてこの舞台をめざした人たちが続々と訪れた。

以下、最終日の当日、取材していた朝日新聞の記事から抜粋。

「中学1年の時に全日本(吹奏楽コンクール)に出場し、舞台に立った。普門館がなくなるのは寂しいけれど、心にずっと残り続けています」


「夢の舞台にあと一歩及ばなかった。楽器にこの舞台を見せてあげたくて。解体は何とも寂しいけれど、来られてよかった」 37年ぶりにケースから出したフルートを手に思いに浸った。

普門館への思いは、現役の中高生にも息づいている。
「普門館は憧れの舞台。合奏を通して、様々な人と音楽をつくる喜びを感じた」と話した。


フィナーレが近づく11日夕。千人以上が集まったステージに、東京佼成ウインドオーケストラのトランペット奏者、本間千也さんら5人がサプライズで登場。金管五重奏で奏でた「聖者の行進」や「ディスコ・キッド」に、来場者らは静かに聴き入った。

アンコールでは会場全員で「星条旗よ永遠なれ」を演奏。一体感が味わえる定番のマーチを響かせて、普門館最後の合奏を締めくくった。

そして午後6時半。名残惜しそうに過ごす人々が残る大ホールに、閉館を告げるアナウンスが響いた。



自分はまったく知らなかったとはいえ、偶然にもこの場に居合わせることのできた幸運に、音楽の神様にひたすら感謝するのみ。たった30分ではあったが、そんなみんなの想い出をおすそ分けいただいたような気分。

本当に素敵な場面を体験することができた。





今日は、久しぶりに奮発してディナーは創作フランス料理のフルコースをいただくことにしていた。
ちょっと時間待ちしているところで、近くの小学校でなんと生徒による吹奏楽のお披露目会があったのだ。父母参観のもとみんながんばっていた。

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もともとは交通推進パレードという意味合いだったようなので、このように近くの警察署による警察官による大人の吹奏楽もお披露目ありました。

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こうしてみると、つくづく今日は偶然とはいえ、吹奏楽に縁のある日でした。(笑)


住宅街の中にひっそりと佇む隠れ家的名レストラン。
店内はじつに素敵で最高の雰囲気でした。

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秋刀魚、松茸、フォアグラのビストロ茶漬け。驚愕の美味!(^^;;
よくこのようなお店、みんなよく知っているなぁ?(笑)

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カウンターでいただきましたが、シェフがすごく忙しそう。

でも自分が初めてのお客さんということもあってか、1品作るたびに、シェフみずから運んできてくれて一品の説明をしてくれるのだ。他のお客さんは馴染みのお客さんなのか、そんなことはしないのに。。。

とてもありがたいというか、恐縮しました。

女性スタッフの方が、これまたとても素敵な方だったのです!(^^)







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チケット券売力 [雑感]

沢田研二さんの開場間近の公演ドタキャン問題。当初はそのありえない非常識な行動に非難ごうごうの態様だったが、その後沢田研二擁護論のようなものも散見されるようになってきた。

この人の開場間近の公演中止発表理由は契約書に「客をいっぱい入れること」と書いてあったのにチケットが売れていないからとか。


なんか、擁護論では、

・ハコがでかすぎる、と事前に沢田側から興行主に指摘していた。
・契約書では9000人入れること、という条件を沢田側から申し出ていた。
・でも実際の入りは、7000人弱。
・公演当日まで、興行主はそのことを沢田側にダマテンしていた。
・当日その事実を知った沢田は、契約違反としてキャンセルに踏み切った。


ということらしい。

もちろん真偽のほどは、闇なので、それを考慮したうえでお話しする。

擁護論では、契約で具体的な人数、というかハコをいっぱいにするという約束をしているのに、それが実現できなかった。そのときに興行主から、お客さんも入っていることだし、どうかそこをお願いします、と頼まれる。

一度そういうことを許したら、これからもずっとそのたびにこのような言い訳のもとに公演をやらないといけなくなる。示しをつけるためにも、ここはやってはいけない。

そういう気持ちもわかるんだよなぁ、ということらしい。

音楽ファン、コンサート通いが好きな自分からすると、それ、もう論外である。
そういうことを絶対許してはいけない。

自分からするとあり得ないことだ。

自分なんかそうなんだが、この日のコンサートのために、高いチケット代を争奪戦のうえ、勝ち取り、数か月前から本当に楽しみにしていて、いろいろ予習もしていたりして心ときめいていたりする。

そうやって臨んだコンサートの当日、いきなり会場でそんな仕打ちにあったら、合点がいかないだろう。

さらに後日、その理由がそんなんだったら、もう憤りを感じること、間違いなしだ。

やっぱりアーティスト側、演奏家側は、どんな理由があっても、それだけの高いチケット対価を支払って、来てくれたお客さんに対して、ちゃんと誠意をみせるべきである。

期待を裏切るようなことは絶対してはいけない。

これはアーティスト側にどんな事情があろうとも、音楽ファンの自分からすると譲れない一線である。

今回のような理由は、この日のために集まった7000人のファンに対して、裏切り、失礼極まりない行為だと自分は思う。

このような仕打ちをうけると、ファンはそのアーティストに対して、今後不信感をいだくことも間違いない。


契約書に「客をいっぱい入れること」と書いてあったのにチケットが売れていないから・・・。

日本国内専門のタレントでそんな契約はあり得ないそうだ。
(ポール・マッカートニーなんかはそれが明記されているそうです)

これはある招聘元の方の投稿だが、結構生々しい実際リアルなビジネスの経験談で感心した。


公演1週間前に売れてないものは当日まで売れないことなんて関係者なら誰でも分かっていること。

クラシックも来日ポップスも、チケットは発売当日と1週間後で「イケるかコケるか」予想できる。駄目そうなら赤字覚悟で宣伝費を投入。公演1ヶ月前になっても駄目なら、関係者が出演者のプライドを守るために理由を作って延期でなく中止発表の検討に入る。

主催者は大損で、出演料は全額払うし、会場費、宣伝費、印刷費など使ったものは無駄になり、スタッフや移動滞在費のキャンセル料も請求される。そしてプレイガイドからは払い戻し手数料も。

全てはアーティストの「チケット券売力」を主催者が読み違いしたことが原因である。
しかし、アーティストは自分のギャラの高さが原因の高額チケット設定と自分の人気のなさを認めずに、しっかり契約金を受け取る。

この手のアーティストだけが儲かる企画は誰もやらなくなりますよね。

他国で人気があっても、知名度がない国ではチケット売れません。
興行主にとって実力でなく人気が命です。


・・・だそうです。

シビアだな。(笑)


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主催者、興行主、招聘元の仕事って本当に大変だ。

音楽ファンだったら、純粋に自分の応援している演奏家、歌手などのコンサートをホールで体験したい!

その想いだけで十分。

そしてコンサート終了後には、鑑賞日記やつぶやきをして、その感動をみんなとシェアする。
それだけで人生十分すぎる。

でもそれを実現するには、本当に招聘元さんのお仕事に感謝するしかない。
もう彼らは、黒字、赤字のリアルな結果として自分に帰ってくるから、つねに真剣勝負なのだ。

そんな彼らがいるからこそ、そんな楽しい趣味の世界も成り立つ。

でも芸術の世界に、そういうお金の話を前に持ってくるのはある意味タブーというか、それはみんな当然わかっていることだし、感謝はするものの、あまりそのことを強調されると、なんか自分が卑屈に感じたり暗くなっちゃう、というようなこともあるだろう。

ある意味、因果な商売なのかもしれない。


コンサート鑑賞人生を送っていると、自分がよく思うことに、自分が秘かに心を寄せているアーティストが来日してくれないかな~、どこか誰か呼んでくれないかな~とか思ったりすることがある。

自分が応援するアーティストって、ある意味商業路線まっしぐらというよりは、かなりマニアックな類の方が多いので、そういう思いをすることが多い。

でもそれイコール、集客できるかどうか、の判断をかならず仰ぐことになるんだよね。

招聘元は、集客できるかどうか、ペイできるかどうか、かならず計算する。
でもその計算の中には、そのアーティストの将来性や、日本のマーケットで育てていきたい、というような戦略もあるのかもしれない。

そんな事情もわかるから、最近はむやみやたらと呼んでほしい~などという妄想はせずに、実際実演に接したいなら、現地まで自分が足を運ぶ、という冷静な考えをするようになった。


女性ヴァイオリニストが独奏の場合は、なぜメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なのか?(笑)

ヴァイオリン協奏曲の場合、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェンと大体が相場が決まっている。

ヴァイオリン愛好家の自分なんかは、そのような曲は、もう食傷気味なので、もっとブリテンやヒンデミットとか滅多にやらない前衛的なものをやってほしい、とも思うんだが、やはり招聘元は集客できるかどうかを第一に考えて演目を決める。

前者にあげたものは、やはりお客さんが対価を払って、それで実際満足できるキラーコンテンツなんだろう。

でもそればかりだとニッチでコアなファン層の不満が溜まってくるから、その都度、ガス抜きをして、目新しさを演出、というようなことの繰り返しなのかもしれない。

いずれにせよ、主催者、興行主、招聘元というお仕事は、”いま”を読む独特のアンテナ感度が必要な職業で、それが直に自分の利益、損に帰ってくるから、本当に大変な仕事だとは思います。






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BISの新譜:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、原点回帰する。 [ディスク・レビュー]

アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの声には気品がある。歌い方も最高に格好いい。
自分が愛する最高のディーヴァである。

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それぞれの歌手の声質(声紋)というのは、指紋と同じで、その人固有に決まっている特質。
オッターの声は、その中でも数少ない「心をつかむ歌声にある1/fのゆらぎ特性」を持った声なのだ。

ヒトラーが、非人道的で残虐な言動を繰り返していたのにも拘らず、そのスピーチに大衆が酔ってしまう現象に、彼の声質に「1/fのゆらぎ」の特性が含まれているからだ、という。

同じくキング牧師などの「I have a dream......」に代表される名演説などもそうだ。

人の心を動かす、感動させるには、ひとつのリズムというか韻を踏むというか、人の心を高揚させる、決まった法則のリズム態があるのだ。

以前日記にもした自分の信条みたいなものなのだが、今回、オッターの新譜を聴いて、ますますその意を強くした。

この「1/fのゆらぎ」特性を持った声質の歌手というのが、日本歌手で言えば代表的なのが美空ひばりだという。他にもMISIA、宇多田ヒカル、松任谷由実、徳永英明、吉田美和などが挙げられている。

誰もが持てる才能でもなくて、持って生まれた声質、ある特定の歌手のみに見られるこの才能。


自分の大好きなオペラ歌手の世界にあてはめてみる。
1/fゆらぎは交感神経の興奮を抑え、心身共にリラックスした状態を作る、とあるから、感覚的に考えると、やはり低音部よりも高音部だろう。

女性なら、ソプラノ、そしてメゾ・ソプラノ。男性ならテノール。
女声は、アルトの下からソプラノの上までで、164.81Hzから1174.66Hz、男声ならバスの下からテノールの上までで65.4Hzから466.16Hzあたりなのだそうだ。

ソプラノで1KHz、テノールで500Hz・・・人間の声の高さって、周波数で表せばそんなものなのか? 自分は、ソプラノであれば、~10KHzはいくものだと思っていた。

男性歌手にしろ、女性歌手にしろ、80Hzから1280Hzの4オクターブあることは間違いないようだ。

ただ、音の高さ、低さだけの問題で、そのような人を恍惚とさせることはできないのだ。
もっと複雑な要素が入り混じる。

「1/fのゆらぎ」というのは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。(ただしfは0よりおおきい、有限な範囲。) ピンクノイズとも呼ばれ、具体例として人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音などが例として挙げられている。

もっと感覚的には、

「規則正しい音とランダムで規則性がない音との中間の音で、人に快適感やヒーリング効果を与える。」

「規則的なゆらぎに、不規則なゆらぎが少し加わったもの」

こんな感じだ。

まさに、人の心をつかむ歌声には、かならずこの「1/fゆらぎ」特性が存在する。

そのような天性の声質を持っている人は、自分ではまったく意識していないのだろうけれど、聴いている人に対してそのような心地よさを必然と与えるもので、そこを科学的に分析すると、そのような現象がみられるということなのだと思う。

自分にとって、オッターの声は、まさにその直球ど真ん中にあてはまる、と確信していて、史上最高のディーヴァなのだ。


オッターは、ご存知スウェーデンの歌姫で、ベテラン中のベテラン。オペラに限らず、宗教曲、歌曲リートを始め、そしてクラシックに限らずジャズ、シャンソンなど、いろいろなジャンルをこなすそのレパートリーの広さは他を卓越している。

本当に才能の豊かな歌手。

1983年デビューだからまさに自分らの世代の歌手。

自分的な想い出で、心に残っているのは、R.シュトラウスの「ばらの騎士」の名演、そして、ちょうどベルリンフィルではアバド時代にあたり、アバドから溺愛を受けて、よく招聘されていたのを覚えている。



この世代では最も優れた声楽家の一人として認められていて、世界の一流指揮者、オーケストラ、歌劇場から常に、求められ続けられている。

最近は、オペラは引退なのか?リサイタル系中心の活動のようにも思えるが、アルバムのほうもきちんと定期的にリリースしてくれるからファンとしても有難い。



オッターは、DG専属契約歌手なのだが、スウェーデン人として、たとえばスウェーデン歌曲集だとか自分の故郷に関連するテーマがあったりするときは、北欧の高音質レーベルBISからアルバムを出している。

BIS前作の「夏の日」。

まさにスウェーデン歌曲集を集めたもので、近来稀に見る優秀録音だと自分は思っていた。
BISらしいちょっとオフマイク気味のワンポイント録音が、マイクからの程よい距離感を感じさせ、絶妙な空間感がある。

これを超える優秀録音はでるのだろうか?

最近のDGのアルバムも素晴らしかったが、正直スタジオ録音のせいなのか、ややデッドに感じてしまい、歌っているところの空間や広がりをあまり感じないのが、自分には不満で、歌や曲は好きなのだけれど、録音が好きじゃないというパラドックスな状態だった。

この「夏の日」効果もあって、自分はオッターのBIS録音は絶対いい!という確信めいたものがあった。だから、今回オッターのBIS新譜がでる、と聞いた瞬間、もう胸ときめいたことは言うまでもない。 



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「シンプル・ソング」 
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、ベンクト・フォシュベリ(オルガン)、他

http://ur2.link/N8Ko


今回の新譜はオッターにとって、まさに原点回帰のアルバムとなった。
そういうコンセプトを企画としてぶちあげたのだろう。

なによりもジャケットがいい!いかにも音が良さそうだ。
ジャケットのセンスがいいアルバムは、絶対曲もいいし、音もいい。

スウェーデンの宮廷歌手アンネ・ゾフィー・フォン・オッターのキャリアは、彼女が生まれたストックホルムの聖ヤコブ教会から始まった。教会の青少年合唱団で歌い、教会で行われているバッハの「マタイ受難曲」コンサートのソロに起用され、1982年、最初のソロ・コンサートをこの教会で行なった。この時に共演したベンクト・フォシュベリとは、その後30年以上に渡る共演が続いている。

今回のオッターの新譜「シンプル・ソング」は、この聖ヤコブ教会でセッション録音されたアルバムなのだ。

まさに原点回帰。ここからオッターのキャリアは始まった。

聖ヤコブ教会という名の教会は、それこそヨーロッパの至る国にある教会で、今回話をしているのはストックホルムにある聖ヤコブ教会のこと。

ストックホルム 聖ヤコブ教会

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教会の内装空間の写真も探したが、どれもストックホルムではない聖ヤコブ教会のものばかり。

今回のアルバムは、まさにオッターが最も大切にしている珠玉の17曲を選んだもので、「宗教」と「心」でつながる17の曲。「典礼の手かせ足かせを逃れ、自然に湧き出る賛美の心を高らかに歌え」を基本のスタンスに歌っているのだそうだ。

アルバム全体を聴いて感じるのは、やはりパイプオルガンの音色がとても強烈で、アルバム全体のトーンを支配している感じがする。

でも実際は、ヴァイオリン、チェロ、フルート、ヴィオラ、ハープ、それにエレキギター!などかなり多彩な音色に囲まれているのだ。

とにかく聴いていて、とてもいい曲ばかり。
前作の「夏の日」とはまたちょっと趣が違う良さがある。
かなり毛色が違う。
気配としては、宗教曲の色が強い感じがするかな。


アルバムのタイトルになった「シンプル・ソング」は、バーンスタインのミサ曲。
どこかで聴いたことがあると思ったら、マーラーが交響曲第3番と第2番の楽章とした「子供の不思議な角笛」の詩による2曲も入っている。

そしてシュトラウス歌曲も2曲。「たそがれの夢」、「あした!」
リストのアヴェ・マリアもこれまた素晴らしくいい。アヴェ・マリアは本当にどの作曲家の曲でも究極に癒されるね。


自分が1番心ときめいたこのアルバムの中の最高の曲は、ラストに入っている曲。
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の「すべての山を登れ」。

なんて、カッコイイ曲なんだ!
オッターが最高に素敵に見えてしまう最高の曲だ。サウンド・オブ・ミュージックは当然よく知っているけれど、こんなドライブ感の効いた格好よさは、かなり興奮した。オッターの歌い方もかっこいいよね。この曲に完全にやられました。

パイプオルガンが最高に主張する曲。このアルバムの中で一番オルガンが目立っている曲。
もうトラポの1曲リピート機能を使って、ずっと1日中繰り返して聴いています。(笑)


でもこの日記を読んでくれている読者はそんなことを聞きたいのではないだろう?(笑)
わかってるって。(^^)

録音超絶素晴らしいです!


やっぱりオーディオファンにとって、このファクターは絶対譲れないところ。
この新譜を紹介するには、ここを一番言いたかった。


昨今の録音技術の進歩は凄い。最近リリースされる新譜は、みんな音が洗練されているよね。
いかにも新しい録音という感じです。

ダイナミックレンジ32bitで録ってるのかな?(笑)
それだけ縦軸の深さ(レベルの高低)が素晴らしい。

いや周波数レンジのほうも384KHzはいっているかな?それだけ高低音域の横軸の両側に、す~っと伸びていて解像感高いです。

1発目の出音で、その洗練された空気感がすごくて鳥肌が立つ。
いい録音かどうかは、最初の出音を聴いただけで、もうわかっちゃうんだよね。あとは、ずっと聴いていてもその印象が変わることはほとんどあまりない。

教会らしい大空間にいることがよくわかり、オッターの声がよく通るのだ。
部屋がその教会の大空間にワープしたかのような空間感だ。

情報量も多いし・・・でもこんなことはごちゃごちゃオーディオ術語を並べ立てて話すのはまさに野暮というもの。

黙って聴いてくれれば、それでいい。

このオルガンの低域のボリューム感を出すのがオーディオ・スキルかもですね。

クレジットを見ると、驚いたことにマスターフォーマットは、PCM 96/24だそうだ。(驚)

いまどき、こんな昔の諸元でこれだけの素晴らしい録音ができちゃうのは、やっぱり教会独特の空間、残響の長さなどの残響感の賜物なんだろうし、それに単にスペックが高ければいい録音ができるほど甘い世界じゃない、ということかね。

やっぱりエンジニアの編集、ポスプロの世界もかなり大きなウェートを占めるのだろう。
いかに奥行き感、立体感を出すか、など彼らのセンス、腕の見せ所だ。


その他の機器は、BISなので、RMEのヘビーユーザー。DAWはもう定番のPyramix。

今回の録音プロジェクトは、Take5 Music Productionがおこなっている。

いままでBISの録音制作を手掛けてきたトーンマイスター5人が独立して、「Take 5 Music  Production」という別会社を設立しているのだ。 主なミッションは、BISの録音制作を担う、ということで、フィリップス・クラシックスの録音チームが、ポリヒムニアになったことや、ドイツ・グラモフォンの録音チームが、エミール・ベルリナー・スタジオとなったことと同様のケースのように思えるのだが、ただ唯一違う点は、現在もBISには、社内トーンマイスターが在籍して、音に関わる分野の責任を持っていることだ。

Take5のメリットは、これまで通りBIS作品の制作を担いながら、同時に他のレーベルの制作も担当できる、さらには、ダウンロードのプラットフォームも構築していくという視野が持てるというところにある。

BISは基本は、マスターはPCM 96/24だね。彼らは昔からそう。

Take5は最近、パリで賞を受賞したみたいで乗っています。

今回の録音は、プロデューサー&サウンド・エンジニアは、Marion Schwebel氏。編集やミキシングもそうだ。

Nice Job!でした。

では、ちょっと、その聖ヤコブ教会でのセッション録音の様子を。


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聖ヤコブ教会のパイプオルガン。
1976年に設置されたマークセン・オルガンです。


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オルガンを弾いているのが、オッターの長年のずっとパートナーだったそのピアニストとして知られるベンクト・フォシュベリ。BIS前作の夏の日でもパートナーとして録音に参加していました。今回オルガンのレジストレーション(オルガンのストップを決めること)を担当したのも彼の息子のミケール・フォシュベリでした。


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オッター様、絶好調!
教会の大空間によく声が通ってます。
とにかく教会の大空間、そしてこのパイプオルガン、そしてオッターの声、堪らんサウンドです!



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アルバム・トップの「シンプル・ソング」では、なんとエレキ・ギターも入ります。(ボロンという感じ)弾いているのは、なんと!オッターの息子さんです!! 今回の録音は、家族全員参加してのアットホームな録音だったんですね。


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今回のマイクは、ノイマン、DPAそしてSchoepsのマイクを使ったようですが、オッターの声を録っているのはノイマンですかね。ステレオ配置セッティングです。


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みんなで検討中・・・。
現場でのセッション録音は、大体現場のミキシングでそのほとんどの完成度が決まってしまいます。あとでレーベル・スタジオでどうにかしようと思ってもそんなに大きくは変わらないもの。現場が勝負。事件は現場で起こっているんだ!(笑)



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この方が、Take5のMarion Schwebel氏なのかな?(笑)



オッターは、今年の3月に旦那さまが、#MeTooのセクハラ告発で、責められて、自殺してしまうという悲劇があったばかり。人生のパートナーを失って、どれほどの落胆、心中いかなるものか、察するに余りあるが、どうか前向きに頑張ってほしい。

自分も最近心が折れるとは、まさにこのことか!と思ったことがあったが、人生はプラス指向で生きることの大切さを学んだばかり。


オッター様、がんばれ!!!









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鎌倉紅谷 [雑感]

鎌倉紅谷の存在を知ったのは、数か月前だったか、アマゾンなどのネット販売で、彼らの代表的な商品である「クルミっ子」というお菓子が、とんでもない値段に高騰になっていて、いわゆる転売なのではないか?という疑いもあって一躍ニュースになったことだった。

なんでも、1000円くらいのお菓子「クルミっ子」が5000円とか、2500円くらいのお菓子「クルミっ子」が8000円とか、そんな値段でネット販売されていた。

これはおかしい!ということで話題になったのだ。(笑)

それまでまったく存在を知らなかったので、このことで、鎌倉紅谷の存在を知った。
鎌倉マイブームの自分としては、これはぜひこのクルミっ子を食べてみないといけないなぁと思い、値段が正常に下がるのを待って、ネットで買ってみた。

本当に小粒なお菓子で、そのときは正直こんなものかな?
食べてみても、なんかとりわけ日記にするほどのインパクトもなく、少々がっかりした、という感じだった。

あれから数か月経って、ふたたび鎌倉紅谷が自分の前に現れた。
彼らは、鶴岡八幡宮前の本店のほかに6店舗のお店をもつ大きな組織なのだが、その八幡宮前 本店が10月20日にリニューアルオープンになるというのだ。

SNSで偶然見たのだが、その新しいお店の店構えがすごく洗練されていて、とてもお洒落。建物の色使いとか、自分の感性にビビッと来る感じで、これはぜひ行ってみたいと思ったのだ。

さらに八幡宮前 本店の2Fには、おそらく鎌倉紅谷のお店としては、初と思われる、クルミっ子専用のカフェ「Salon de Kurumicco(サロン・デ・クルミッ子)」がオープンになった。

そのカフェの内装がとてもお洒落。そしてそのカフェのメニューがじつにカラフルで、芸術品ともいえる美しい品々。これは、すべてにおいて、自分の感性に合う感じで、これはぜひ取材に訪れて日記にしたいなぁと思ったのだった。

これが事の顛末。

ここで、鎌倉紅谷について、その歴史とこだわり、商品などふくめ、ちょっと紹介してみよう。

鎌倉紅谷 公式HPより

https://www.beniya-ajisai.co.jp/


鎌倉紅谷の歴史は、神楽坂から始まった。

戦前、東京・神楽坂に山手一といわれた和菓子舗紅谷があった。戦後、腕利きの職人たちは、その看板を背負って全国各地で新たな紅谷を開いたのだった。のちに有井弘臣と共に鎌倉紅谷を創業することになる有井鉄男も、その中の一人であった。

昭和二十九年十月、鎌倉市雪ノ下十二番四号の北条泰時小町邸跡地に二人は力を併せて菓子処紅屋を創業し、同三十一年一月には合資会社紅谷となり現在に至る。



ずばり鎌倉紅谷は、いわゆる和菓子屋さん。鎌倉土産として有名なクルミっ子をはじめ、たくさんの代表作品がある。

「いい国つくろう(1192年)鎌倉幕府」を文字って、「いい菓子つくろう鎌倉紅谷」をスローガンに、和の品格の中に洋の華やかさをもち、なにより古都鎌倉らしさを感じさせるそんな鎌倉を代表するお菓子を作っているお店なのだ。

すべて職人の手仕事による、まさに創作和菓子の世界。
そこが素晴らしいところかな。

その鎌倉紅谷を代表するお菓子を紹介。

クルミっ子 


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まさに鎌倉紅谷の顔ともいえる代表作品。鎌倉土産のお菓子としても有名だ。
キャラメル、クルミ、生地、職人の手仕事。
すべてが揃った普遍の定番中の定番。

自家製キャラメルにクルミをぎっしり詰め込んで、バターの生地で挟み込む。
三つの素材が組み合わさって、贅沢なおいしさに仕上がり。

鎌倉紅谷の定番にして超のつく人気商品、それが“クルミッ子”だ。

たしかな甘さを感じながら、くどくない仕立て。絶妙なキャラメルとクルミの配合に加え、しっかりとした生地が全体のバランスを整える。

はじめて食べたときは、あまりインパクトがないと思ったが、いま改めて食べてみると、キャラメルの味が強烈な甘みでコクがあって、これがこのお菓子のすべてを支配していますね。
それにクルミの味、バターの生地が相まって絶妙な食感。

香ばしいというか美味しいです。
結構濃くて旨みが凝縮された感じのお菓子です。

改めて食べてみたら、ようやくその素晴らしさ、美味しさが理解できた。
やっぱりものごとというのは愛情をもって接しないとその真理は見えてこないね。 

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このクルミっ子には、ロゴマークがあるのだ。
レトロなリスの絵。この絵が好き!可愛い!という方も、けっこういらっしゃるそう。
なぜリスかと言えば、鎌倉にはリスが多いこと、クルミはリスの好物であること、などが由来だそうだ。

このリスのマークは、このあとで紹介する八幡宮前 本店の店内で驚きのしかけがあるのだ。(笑)

そのほか、あじさい、鎌倉だより、鎌倉の鐘、はちまんじゅう、アップルフィーユなど、まさに鎌倉紅谷の職人たちによる創作お菓子の世界がたくさん待ち構えている。


さて、さっそくお目当てのリニューアルオープンした八幡宮前 本店に行ってみる。
鶴岡八幡宮の正門のすぐ前にあるのだ。

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黒、ベージュ、そして赤というまさにお洒落カラーの王道の組み合わせですね。
鎌倉紅谷に興味を持ったのは、まずこのお店の雰囲気がとても素敵だということ。
自分の目に間違いはなかった。

お店は、おおきく2つにわかれる。

1Fがいわゆる鎌倉紅谷がお届けする自慢の創作和菓子の物品販売コーナー。
そして2Fが、鎌倉紅谷のお店としては初のカフェ「Salon de Kurumicco(サロン・デ・クルミッ子)」だ。このカフェで提供されるスィーツ、お菓子の品々は、いわゆる彼らの定番メニューのお菓子とは、また別のまったく新規のメニューなのだ。だから1Fで定番の和菓子を買って、このカフェでまた別のスィーツ、お菓子を頼むなど2重の楽しみ方ができる。

まず1階の物品販売コーナーから。

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すでに箱詰めされた和菓子セット。
中をよく見てみると、鎌倉紅谷の看板メニューであるクルミッ子とあじさい、そして鎌倉だよりのお菓子の3点セットの詰め合わせのような感じ。



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そしてこちらが看板メニューのクルミッ子。
5個入り、8個入り、16個入りの3タイプがある。
自分は、16個入りと8個入りを買いました。


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”秋のぬくもり”と題した特別の創作和菓子も展示されていました。
美しすぎる!



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店内には、秋の紅葉を感じさせる置物もあり、素敵でした。


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店員さんの背後にある紅色の紅谷のロゴが強烈です。



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このなんでもなさそうな煉瓦作りの壁。
じつは、これには彼ら独特の遊び心というか拘りがあるのです。

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この1個1個のブロックが、じつはクルミッ子のサイズとまったく同じにできているのです。
そしてクルミっ子のロゴマークであるリスのマークがこっそりと忍ばされているのを発見しましたか?(笑)


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このようにどこかのブロックに、リスのロゴマークが印字されている。遊び心満載。



さて、もうひとつのお目当てである2Fのカフェを訪問。
なかなか雰囲気がある店内で素敵です。
ここでパソコンを持ち込んで作業したり、文筆の作業をすることは禁止です。(笑)


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とにかく、定番の和菓子メニューとはまったく別のこのカフェ独自の新規メニューを楽しめる。
まさにここでしか味わえない新しいクルミッ子をコンセプトとしたデザートやドリンクなど。
正直どれもすごく魅力的で悩む。でもどれにするかは訪問する前から決めていた。

その中で、自分が選んだのは、そのメニューの中で最高傑作作品。

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そのお店の名前をそのままあしらった「Salon de Kurumicco(サロン ド クルミッ子)」。
まさにスペシャリテな豪華なプレート。¥2500

これまでの歴史を重んじるとともに、これからの鎌倉紅谷の可能性をこのひと皿に表現したのだとか。

スィーツ大好き、甘党男子!の面目躍如である。(笑)

これを頼むには、事前に予約が必要です。

それぞれの1品について、各々どのようなものなのかはじつはインターネットのHPにも掲載されていなく、その情報がほしいといったら、女性店員さん、わざわざ写真掲載されている紙に直筆で全部の品の解説を書いてくれた!

優しい~(感激)。
達筆でした。(^^;;
                                                      
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プレートの左下から、ピスタチオとストロベリーのムース。その横が冬和(ふわ)かさね(りんごとキャラメルのケーキ)、その横がデセールクルミッ子(キャラメル、ミルクチョコのムースをサブレでサンド)、そして自家製プリンです。

美しすぎる!!!

なんか食べてしまうのがもったいないような芸術品ですね。
この芸術品を拝見するだけでもこのカフェに来る価値ありと思います。

この世とは思えない口の中でとろけるような食感でした。
最高に美味しい。



このカフェを経験するなら、ぜったいこのスペシャリテのワンプレートだと思うのだが、じつは他のメニューも本当に美しくて、全部注文したい衝動にかられた。(笑)

いくら取材のためとはいえ、男1人で、つぎからつぎへとこういったメニューを頼んでいたら、やっぱり変わってる(笑)と思われるので、やめときました。(^^)


でもあまりに美しく紹介したいので、HPの写真を借りて試みます。

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Fromage UKISHIMA (フロマージュ 浮島)¥850

日本の伝統菓子「浮島」の作り方を用いた、しっとり食感のチーズケーキ。
クリームチーズとヨーグルトのさっぱりした味わいの中に白餡が優しさと奥深さを生み出している。上にふりかかっているあらく刻んだであるのが、まさにクルミっ子。



ここで、日本の和菓子「浮島」という専門用語が出てきました。
思わず勉強のために、調べてみました。




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浮島

浮島は、お茶会などでも出される棹菓子で、蒸し菓子の一つ。
和菓子屋さんであまり見かけません。

浮島は別名「蒸しカステラ」とも呼ばれている。
浮島はあんをベースとした和菓子でもある。
しかも材料のほぼ大半があん。だからあんこ好きにはおすすめしたい和菓子なのだそうです。

名前の由来は、その形から来ています。

蒸すと生地がぽっこりと浮き上がります。浮き上がった部分が「水面にぽっかり浮かび漂う浮島」に見えるところから、名付けられたそうです。

勉強になりましたね。(笑)
まさに和菓子の世界、勉強中です!



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Dessert Kurumicco (デセール クルミッ子)¥850

サブレ生地でサンドされているのは、クルミッ子のキャラメル、ミルクチョコレート、プラリネをベースとしたムース。シェフの遊び心から生まれた、見た目はクルミっ子でも全く違うスィーツになりました。



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Montblanc Unique (モンブラン ユニーク)¥870

フランス産マロンペーストとクルミっ子のキャラメルで作ったクリームを、パートフィローに入ったあらく刻んだクルミっ子とヨーグルトアイスクリームの上にたっぷりと。



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Kurumicco Parfait (クルミっ子 パフェ)¥1000

これはガマンできず、思わず頼んじゃおうかなーと思った1品。
コーヒージュレ、チョコレートムースの上にローストしたクルミとサブレのパウダーを散らし、塩キャラメルとミルクのアイスを沿えて、クルミっ子をパフェとして再構築。まさにこのカフェでしか味わえないとっておきのパフェ。


このように、もう彼らの定番メニューの和菓子とはまったく別物。このカフェオリジナルのスィーツなのだ。このカフェも7店舗あるうちのこの本店にしか存在しない。

鳴り物入りで宣伝しているのもよくわかるような気がしました。

家に帰って、さっそく買ってきたクルミっ子を開封。

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キャラメルの味が濃厚で、濃い凝縮されたお菓子ですね。


今回、ひさしぶりに鎌倉にやってきた理由は、もちろん、この鎌倉紅谷表敬訪問なのだが、もうひとつミッションがあって、それは江ノ電の鎌倉駅にある「無事カエルくん」の写真を撮影すること。

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江ノ電鎌倉駅の線路のエンドにいるカエル。イベント時期には仮装していることもあるとか(笑)。
なんでカエルなのか? 

江ノ電利用客が無事「カエル」ことを祈って職員が設置したのがきっかけだそう。
現在では鎌倉駅美化プロジェクトに組み入れられ、年6回ほど模様替えを行っているのだそうだ。

鎌倉、江ノ電ファンにとって、この線路のエンドにいる無事カエルくんを後方から見据えて、この構図のショットを撮るのが慣わしなのだ。


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無事カエル。(笑)

このショットの江ノ電はぜひ旧型車両355型で撮りたかったんだが、いつまで待っても来ない。
駅員さんに聞くと、今日は355は端につながることはないという。

江ノ電車両もどんどん新型車両に切り替わっていって、355型がどんどん減っていくのはさびしい限り。やっぱり江ノ電といえば355型車両なんだよね。


鎌倉駅構内はすっかり秋模様。

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この江ノ電ショットを撮りたかったのと、駅構内をぶらぶら、鎌倉コロッケを食べたり、鎌倉ハムを食べたり。ひさしぶりの鎌倉なので、例の”かかんの麻婆豆腐”を食べたくて(それも今回の大事なミッションでした)、夜の開店が17時半からなので、ここからまたどこか出掛けるのも億劫なので、7時間もずっと駅構内で過ごして(ベンチに座りながら来る江ノ電と喧騒の人々を眺める。)、駅員の人に大層驚かれました。(笑)











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グルベローヴァさま、さようなら。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

エディタ・グルベーロヴァは、2012年のウィーン国立歌劇場来日公演での「アンナ・ボレーナ」を最後に、日本での公演の引退を表明したとき、オペラの世界に参入するのが遅かった自分は、クラシック鑑賞人生の中でなんともやり残した感のある悔しさを味わった。

「コロラトゥーラの女王」「ベルカントの女王」の異名をとり、その圧倒的な歌唱力は、まさに世界最高のソプラノ。まさに40年以上もオペラ界のスーパースターとして頂点に立ち続けた。

そんな彼女の生の声を聴いたことがないというのは、オペラファンとして一生の傷が残ると考えた。

でも2年前に、奇跡ともいえるカムバックで日本にやってきてくれた。
その2年前のときにオペラ、オペラ・アリア、そしてリートというオペラ歌手で考えられるすべての公演を堪能できた。

神様からの贈り物だと感謝した。

じつに素晴らしかった。

そしていつかはこの日が来るとは思っていたが、今回の来日公演が正真正銘の日本最後のリサイタル。 

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日本最後とか言われてるけど、じつはオペラ界からも引退という話もある。

正真正銘の歌手人生からの引退。

でも最後、最後と言いながら、来年また最後の~という可能性も過去の事例からある。(笑)

これは自分の勘なのだけれど、今回のミューザ川崎、そしてサントリーホールでの公演で、グルベローヴァさまが公演が終わり、観客に最後の挨拶をしているとき、その手の振り方、そして表情ふくめ、これでもう本当にさようなら、という名残惜しさ、いわゆる哀愁が漂っていて、自分は、あぁ、やっぱり終わりなんだな、と直感で感じたことも確か。

奇跡のカンバックをしてくれて、3年連続で日本にやってきてくれた。

確かに潮時的なものも感じる。


ウィーン国立歌劇場、グランドボーン音楽祭、ザルツブルク音楽祭、ミラノ・スカラ座、コヴェント・ガーデン、メトロポリタン、ミュンヘン、ハンブルク、ジュネーブ、チューリッヒ、フィレンツェ、パリ、そしてベルリン。

まさに世界中の歌劇場で活躍してきた。

彼女の代表的な「魔笛」の夜の女王。「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ、「リゴレット」のジルダ、「椿姫」のヴィオレッタ、そして「ランメルモールのルチア」のルチア、まさに彼女の代名詞「コロラトゥーラ」で世界中の大絶賛を浴びてきた。

そしてつぎに挑んだのが、ベルカント・オペラの世界。「清教徒」、「シャモニーのリンダ」、「夢遊病の女」、「連帯の娘」、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」など当時としては珍しい演目を披露。

またドニゼッティの女王三部作はグルベローヴァが取り上げてから有名になった作品。

まさに、歌手人生の前半は「コロラトゥーラの女王」として、後半は「ベルカントの女王」としてオペラ界の頂点に立った。

ベルカント・オペラの中でも彼女が最も力を入れたのがベッリーニのオペラ。
彼女をずっと支えてきたナイチンゲール・クラシックス・レーベルに、このベッリーニの「夢遊病の女」、「ノルマ」、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」、「清教徒」の4つの全曲録音を残している。

その全曲録音の中から名場面と狂乱の場を抜き出して、さらに2曲を追加したいわゆるベッリーニ・ベストというディスクがあって、グルベローヴァのオペラ・アリア集のライブ録音の中では、このディスクが1番素晴らしいと思っている。 


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ベッリーニの肖像~オペラ・アリア集 
グルベローヴァ

http://qq4q.biz/N6Rl


グルベローヴァと言えば、コロラトゥーラ技法やベルカント唱法ばかり取り沙汰されるけれど、じつはリート歌曲の世界もとても魅力的なのだ。彼女をずっと支えてきたナイチンゲール・クラシックス。そこから出されたシューベルト歌曲集はじつに素晴らしい作品、そして素晴らしい録音であった。2012年に出されたもっとも新しい作品で、歌曲王シューベルトの美しい歌曲を歌うことで、グルベローヴァの新しい魅力を引き出していた。自分の愛聴盤であった。 


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シューベルト歌曲集
グルベローヴァ、シュマルツ

http://qq4q.biz/N6QQ



そしてグルベローヴァの歌曲を語る上で絶対避けて通れないのがR.シュトラウスの歌曲。
1990年のベルリンでのセッション録音。レーベルはTELDECクラシックスで出している。

グルベローヴァは歌曲リートの分野では若いころからR.シュトラウスの作品に力を注いできていて、このCDも示すように彼女は有名でない曲も採り上げており、シュトラウスの多彩な歌曲の世界を世に知らしめた功績は、まさに彼女ならではなのだ。

グルベローヴァにとって、このシュトラウスの歌曲は、最も得意としている分野で、日本でもよく歌曲リサイタルをやっていた。

シュトラウス歌曲については、自分にとって大変な愛聴盤であった。 


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献呈~R.シュトラウス:歌曲集 赤いバラ/献身/なにも/他
グルベローヴァ


http://qq4q.biz/N6R8


このシューベルトとR.シュトラウスの歌曲集の2枚は素晴らしいセッション録音で彼女の違ったもう一面の魅力が満載なので歌曲大好きな自分にとってグルベローヴァのこの2枚のアルバムは聴き込んでいた。


今回の日本最後のリサイタル、まずミューザ川崎でのリート・リサイタル。

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グルベローヴァさまは、正直スロースターター。エンジンがかかるまでとても時間がかかる。
でも普通の歌手のコンサートも90%以上の確率で、大体スロースターターだ。やっぱり歌ものというのは、喉が暖まるまでどうしても最初はダメで、エンジンかかるまで時間がかかって、最後になって大いに盛り上がる。

最初は高音を出すのが苦しそうで、まったくといっていいほど、声が出ていなかった。

シュトラウス歌曲を5曲もやってくれた。
この頃から、徐々にエンジンがかかってきて、ようやくグルベローヴァさまらしくなってきた。

このミューザのリートを聴いた全般的な印象は、2年前に聴いたときに比べて、さらに衰えを隠せず、聴いていてツライと思うことも正直あった。

自分は、グルベローヴァのCDは、ほとんど全部持っている。1度、それを全部聴き込み、ディスコグラフィーの日記を書いたこともあった。いまはその音源を全部PCオーディオのNASにぶち込み、彼女の全アルバムをPCオーディオで、”ながら聴き”というスタイルでの楽しみ方をしている。

だから、自分は常にグルベローヴァの全盛期の極限に素晴らしい声を聴いて毎日を過ごしている。

そこに生演奏での実際の年齢に応じた声を聴いてしまうために、そこにギャップができて、衰えた、ちょっと残念、というようなファンとしてツライ感じになってしまうのかもしれない。



もともとスロースターターで安定するまで時間がかかる。
そしてなによりも彼女の声質はとても線が細くて、音程が安定するのにとても難しいハンデがある。

なによりもどのソプラノ歌手よりもキー(音高)が高い声質なので、余計に安定感を出すのが大変な印象を受けた。とても歌い方が難しい歌手なのだ。

全盛期、まさにオペラ界で独り勝ちしていた時代は、それこそ、そんな歌う上での技術的な難しさ、ハンデな条件をもろともせず、すべて跳ね飛ばすかのような持って生まれた資質で圧倒的なパフォーマンスを魅せ続けてきた。

歌手にとって一番大切なのは、自分の歌声がしっかりとホールの空間に定位すること。

御年72歳。やっぱり衰えは仕方がないにしろ、それでもこれだけのパフォーマンスを見せているのだから、脅威としか言えないだろう。

コンサート後半になっていくにつれて、観客をどんどん引き込んでいくさまはさすがだった。

彼女がエンディングに向けて、力を入れて歌い切った時、思わず観客は大歓声のブラボー。
もう無意識に発作的にそう反応してしまうのだ。
つまり、観客の気をずっと溜めて、そして一気に湧かせるツボを心得ている。
千両役者だと思った。

これこそ、40年間のキャリアの賜物。その経験があるからこそ、終演に向けて気持ちのボルテージの持って行き方、客の湧かせ方、盛り上げ方をよくわかっているというか、つまり我々は、グルさまに思う存分にコントロールされていたのかもしれない。

特に圧倒的に感じたのは、あの気の発し方、歌いながらのまさに役になりきった演技、表情の豊かさ、ステージの立ち居振る舞いのオーラなど、 あれは日本人ではまず出せんだろう。

絶対いまの歌手じゃ無理だと感じた。

長年に渡るキャリアの積み重ね、深さが自然とそういった立ち振る舞いにでるというか、なにかこう古き良き時代のオペラを観ているような感覚になる。

品格の良さがある。

力は衰えても、そういうすべてのパフォーマンスにおいて、グルベローヴァ健在!というのを見せつけられたような気がした。



そして最終日のサントリーホール。
この日は東京フィルをバックに、オペラ・アリア集。

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とっておきの最後の公演は、皇族VIP席。
2階RB 2列9番。
初体験であった。いつもここに陛下や皇太子さまが座ってるんだね。

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グルベローヴァさまは、歌うときのクセなのか、さかんにこちらの方向を見つめる傾向がある。
けっして右上ではなく、左上なのだ。

自分の意識過剰なのかもしれないが、ステージに登場した時の挨拶や、コンサートで歌っている最中、大半をずっと自分のことをじっと見つめているみたいで、思わず耐え切れずこちらが目を逸らしてしまうほどで、かなりドギマギしました。(笑)


ミューザでのリートリサイタルに比べると、この日のオペラアリアのほうが断然素晴らしかった。
やっぱりオペラアリアは盛り上がる。オケの大音量とともにそれに負けじと張り上げての大熱唱。だから絶対盛り上がるに決まっているのだ。

スロースターターなのは仕方がない。最初は例によってまったく声が出ていないのだが、徐々に喉が暖まってきてヒートアップしていく。

大体な印象は、さきほどミューザのところで書いたことと同じだが、もうひとつ言いたいのは、いまのグルベローヴァさまは、弱音表現での歌いまわしが苦手のような気がする。どうしても息絶え絶え感があって、苦しそうだ。

逆に、そこから強唱で声を張り上げるところ(特に曲の最終章)でのまさにツボに入った時の素晴らしさは圧倒的だ。グルさまの一番いいところが出る感じがする。

ピアノでもそうなのだが、強打腱で連打のトリルとかは派手だが意外とピアニストにとってやりやすく、逆にピアニッシモ(pp)のところ、弱くそれを長く弾き続けることは逆に違った意味で力が必要で大変難しいような気がする。

歌もじつはそれと同じなのではないか?声を張り上げるところは、まさに歌手の一番の見せ場でやりやすいのだが、弱声でずっと長いこと歌い続けることは、逆に肺活量が必要で、大変な見えない力が必要な気がする。

加齢とともに、そういう歌い方をするところは難しいような気がするのだ。

オペラアリアはとにかく絶対盛り上がる。

グルベローヴァさまの曲の終盤にかけての盛り上げ方はじつに千両役者で、1曲終わるたびにもうブラボーの大歓声だ。自分もずいぶん身震いして感動した。

アンコールでは、最後のこうもりのアデーレ役は、夜の女王と並んで、まさにグルベローヴァさまの有名な当たり役。じつに演技豊かな立ち振る舞いで、お客さんは大いに盛り上がった。

最高の公演だった。

いつまでも鳴りやまないカーテンコール。
そして花束のプレゼント。

最後の最後だからお客さんもエスカレート気味だ。
上階席のお客さんも、みんな1階席に降りてきて、ステージにかけよって握手攻め。
そして写真撮り放題。(笑)

係員の方も最初は注意していたが、もう大勢で撮り始め収拾がつかなくなった。
ホールの至る所で、カメラのフラッシュが炊かれた。(笑)

自分も久しぶりのカーテンコール撮影。ブランク空いていたのでやはり失敗。(笑)

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日本最後のリサイタルにふさわしい素晴らしい公演でした。

最後に楽屋口出待ちの写真を紹介してお終いにしよう。
事の全容は、前回の日記の通り。

まずミューザ川崎。
握手してもらいました。
ステージ上で見る分には大スターのオーラで大きく見えるのに、実際はとても小柄な方でした。

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そしてサントリー。
もう大パニック。

まさに「狂乱の場」(笑)

大変でした!

でも最後のお別れとして相応しい素晴らしいものでした。

もう二度とグルベローヴァさまの生声が聴けない、という絶望の淵から、奇跡の復活で、結局最晩年ではあるが、通算5回のコンサートを聴くことができた。招聘に参与していただいた方々含め、ここに感謝の意を評したい。

もうこれ以上思い残すことはないです。

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奇跡のソプラノ エディタ・グルベローヴァ 日本最後のリサイタル
2018/10/24(水)19:00~ ミューザ川崎

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ
ピアノ:ペーター・ヴァレンドヴィチ


第1部

ヘンデル:歌劇<<ジューリオ・チェーザレ>>より
     クレオパトラのアリア「この胸に息のある限り」

R.シュトラウス:8つの歌より第1曲「森の喜び」Op.49-1
        「最後の花びら」より8つの歌 第8曲「万霊節」Op.10-8
        6つの歌より第2曲「セレナード」Op.17-2
        8つの歌より第2曲 「黄金色に」Op.49-2
        「最後の花びら」より8つの歌 第1曲 「献呈」Op.10-1

ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」Op.410


第2部

ロッシーニ:歌劇<<セヴィリアの理髪師>>より
      ロジーナのアリア「今の歌声は・・・」

ベッリーニ:歌劇<<異国の女>>より
      フィナーレ「彼は祭壇にいます・・・慈悲深い天よ」

ピアノソロ:ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をテーマとした即興演奏

トマ:歌劇<<ハムレット>>より「オフィーリアの狂乱の場」

アンコール

プッチーニ:「蝶々夫人」より登場シーン

レオ・ドリーブ:カディスの娘たち

J.シュトラウス2世:「こうもり」より「田舎娘を演じるときは」




奇跡のソプラノ エディタ・グルベローヴァ 日本最後のリサイタル
2018/10/28(日)14:00~ サントリーホール

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ
指揮:ペーター・ヴァレンドヴィチ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

第1部

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇<<こうもり>>序曲

ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」Op.410

ロッシーニ:歌劇<<ウィリアム・テル>> 序曲

ロッシーニ:歌劇<<セヴィリアの理髪師>>より
      ロジーナのアリア「今の歌声は・・・」

ヴェルディ:歌劇<<運命の力>>序曲

ヴェルディ:歌劇<<椿姫>>よりヴィオレッタのアリア「不思議だわ…花から花へ」

第2部

サン=サーンス:付随音楽「パリュサティス」より「ナイチンゲールと薔薇」

オッフェンバック:喜歌劇<<天国と地獄>>序曲

ベッリーニ:歌劇<<テンダのベアトリーチェ>>より
      「もし私に墓を建てることが許されても・・・」

サン=サーンス:歌劇<<サムソンとデリラ>>より「バッカナール」

トマ:歌劇<<ハムレット>>より「オファーリアの狂乱の場」


アンコール

プッチーニ:歌劇<<蝶々夫人>>より登場のシーン

レオ・ドリーブ:カディスの娘たち

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇<<こうもり>>より「伯爵様、あなたのような方は」




 




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人生初めての楽屋口出待ち [雑感]

クラシック鑑賞人生において、いやその前のロック人生においても、楽屋口で出待ちするという行為は、プライドが許さないというか、抵抗感があるというか、自分で進んでやることは、まずなかった。

今回のグルベローヴァさまのリサイタルも当初は、そんなことはまったく頭になかった。
でも今回は日本最後のリサイタル、永遠のお別れだ。

当然日記を書くことは必須。

そうなるとやっぱり自分の日記で、写真がないのはあまりに寂しい。
かといって掲示板やホール空間ではあまりに味気ない。

やっぱりグルベローヴァさまが映っている写真がほしい。

でもいまや国内でカーテンコール撮影をするほどの勇気や精神力もなし。(笑)
残されたチャンスは、サイン会だ。最後のお別れだから、きっとやるに違いない。

そんな淡い期待を抱いて、リート・リサイタルを聴きにミューザ川崎へ出向いた。

さっそくレセプショニストの女性に聞いてみた。

そうするとサイン会は残念ながら、やりませんが、楽屋口で出待ちすると会えると思います、という回答だった。

楽屋口出待ち!!!

まったく想像だにしていなかったアイデア。
そうか!楽屋口で待っていれば、私服のグルベローヴァさまに会えるし、そういう貴重な写真が撮れるに違いない。

自分にとって初めての経験。
あれほどミーハーな感覚が嫌だったのに、まったく素直に受け入れた。(笑)
逆を言えば、私服姿のグルベローヴァさまを拝見できるので、かえってナイス・アイデアだ。

しかも確実に写真が撮れること間違いなしだ。
カーテンコールのように失敗する確率が多いリスクはない。

ミューザ川崎の楽屋口ってどこにあるの?
これは意表を突く迷路だった。

チケットセンターの右横の交流室の中に入っていって、トイレのある方向にまっすぐ突き抜ける。
かなり歩く。遠いところにある。


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こんなところに楽屋出口があるって、どれくらいの人が知っているのだろう?
一緒に行列に並んでいた人も口々にみんな同じことを言っていた。
知る人ぞ知る、という感じで、案の定、並んでいた行列は極めて少人数だった。

ここを通って、そしてエレベーターで地下に行って、そこの駐車場の車で帰路につく。
その駐車場前でも囲まれるらしい。

実際行ってみると、写真のようにサイン会をするようなテーブルがあった。
並んでいた行列の人々も、手にCDやサイン色紙など、もうサインしてもらうことやる気満々だ。

自分はまったく用意していなかったので、仕方ないので今日のパンフレットにサインしてもらおうと考えた。

着替えをして帰路の準備などで、かなり時間がかかるので、その間、行列で並んでいる人たちの世間話が否が応でも聞こえてしまう。

先だっての大阪なのか、数年前のサントリーのことなのかわからないけれど、サインの行列で並んでいるところに、グルさま自らプロマイド配ったりするもんだから(笑)、大パニックになって大変だったらしい。

グルさまらしいです。


そうすると係員の女性の方が、今日は疲れているのでサイン会はゴメンナサイ、ということで、急遽ここを通ったときにみんなに挨拶だけ、ということになった。

でもそのほうが写真が撮りやすいので助かった。(笑) サイン会だと顔を上げる瞬間を狙わないといけなく難しい。

ピアニスト(指揮者でもある)のペーター・ヴァレントヴィッチ、そして数人のガードマンに囲まれて、グルさまやってきた。

少人数にも関わらず、かなり半狂乱状態になった。

グルさまは、最終日のサントリーでもそうだったが、私服は原色系のVividなカラーを好む。

かなりお洒落です。

歓声で半狂乱の渦の中で、必死にシャッターを押す。

グルさまは予想だにしないくらい小柄な人だった。

ステージであれだけ大スターのオーラー放ちまくりですごく大きく見えるのだが、実際は、すごい小さい。みんなと握手。自分も握手してもらったが、手も小さかった。

一生の想い出だ。

あっという間に通り過ぎた。

隣に居た外国人の女性に、「いい写真撮れた?」と聞かれたので、実際のデジカメの連続写真を見せたら、親指立てて、「OH~Good!」(笑)

嵐が過ぎ去って、そこに、なにか訳ありげな初老の女性の方が、本当の最終でのサントリーでは、きちんとプロマイドを配りますから、というようなことを言う。

この人誰なんだろう?
いかにもグルさまの予定を詳しく知っているようで、なんか訳ありげだ。

サントリーの最終日のときに、閃いたのだが、じつはグルベローヴァさまのオフィシャルブログというものはないのだが、非公式のグルベローヴァ日程表というのがあって、非公式なんだけれど、かなり精度がよくて、グルさまファンの中では常識になっている。

自分の予想だけれどこの初老の女性や数人の取り巻きの方たちは、グルベローヴァ後援会の日本支部の方たちなんだろう、と思う。

あるいは、ここ3年間のグルさま来日公演の招聘元となったコンサートドアーズのスタッフとか?招聘元がそんなことしないか?(笑)

サントリーでの最終日のお見送りについても、このスタッフによる劇的な用意がなされていた。


サントリーホールの楽屋出口は、もう誰もが知っているのだろう。多くの友人が出待ちしている投稿写真を何回も見たことがあるので、みんなが知っている世間の常識なんだろう。自分は知らないが。(笑)

ダメ元でレセプショニストの女性に聞いたら、最終日でもサイン会の予定はない、という。

今日も楽屋口出待ちでのショットを期待するしかない。
でも世間の常識だし、今日は本当の意味で最後のお別れだから、たくさんのファンがかけつけること間違いなしだ。

サントリーの楽屋出口は、エントランスの左側に地下に降りていく階段があるのだ。
ちょうどポスター掲示板のすぐ後ろ側に位置する。


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そこからは、あとは迷うことなく、楽屋口という行先掲示板もあり、そのまま行く通り。

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そうすると目の前に駐車場が広がる。

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その駐車場の行く着く先にあるのだ。サントリーの楽屋口。
こんなところにあったのかぁぁあああ!(笑)

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その出口のすぐそばにワゴン車が止まっている。
グルさまはこの車で帰路につく。
出口とワゴン車の間は、わずかな短距離。
このわずかな距離ですべての決着をつけないといけない。

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ふっと自分の後ろを見てみると、ぎょぎょ!予想通り大行列ができている。
これは大変なパニックになることは予想できた。

逆に言えば、グルさまは、このわずかな距離を移動するだけなのに、後ろに並んでいるこれだけの行列の人はどうするのかな?とも思った。


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あのスタッフたちは、このサントリーにも現れた。
まずはグルさま特製うちわをみんなに配っていた。
後ろには、Danke Edita!(ありがとう、エディタ!)とプリントされている。

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これは、グルさまが出口に現れたら、みんなでこのうちわを振ってさようならをしようということらしい。これは写真を撮影するうえで、すごく邪魔だった。(笑)

そして星印の形をした紙吹雪も用意された。
これも一斉に降らせようというのだろう。

みんな口々に言っていた。
これ、降らせたあとに、後片付けどうするんだよ?(笑)みんなで掃除?

予想通り、グルさまが現れた瞬間、大パニックとなった。
こんな短い通路にこれだけの大勢が一気にかけ寄った。
うちわと紙吹雪がいっせいに空を舞い、金切り声の大歓声。

写真撮影、不可能。(笑)
報道カメラマンみたいに、カメラを空に上げて覗き込むように映す感じ。

グルさまは、すぐにワゴン車には乗らずに、みんなにお礼を言ったり、サインをしたりで十分にファンを喜ばせた。

いったんワゴン車に乗った後に、また降りて、入り口に戻ったりで何回も往復していた。
もうもみくちゃです。

ちょっと異様な雰囲気だったな。

自分も結局この日だけで95枚の写真を撮った勘定だが、97%以上がブレたり、表情が強張っていて使えなかったりで、結局いいショットは撮れなかった。

何分くらいのショーだったろうか・・・。
グルさまの車がその場を離れて、嵐は過ぎ去った。

その後、はい、並んでください~。プロマイドを配ります~、というスタッフの声。
枚数に限度があるが、自分はありつけた。


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約束通りのプロマイド、ゲット!
このプロマイドの下の方に、グルさまの直筆のサインが書かれているのだ。

本物だ。

Edita Grubelova 2018

とYear付の証明入りだ。

要は、サイン会をやらない代わりに、このプロマイドに事前にサインをして、それを配る、ということなのだろう。

そのほうが、グルさまの体力的にもいいかもね。

グルさまの常套手段なのかもしれない。

こうやって、グルベローヴァさまへの最後のお見送りが感動のうちに終わった。

楽屋口出待ちという行為に、ちょっと軽蔑的な考えも持っていた自分だが、グルベローヴァさまの日本最後にかこつけて、やってみたら結構楽しかった。(笑)

これから頻繁にやるかも?(^^;;






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生誕160周年記念 イザイ音楽祭ジャパン2018 東京公演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

2018年はベルギーのヴァイオリン奏者で作曲家、またヴァイオリン奏法におけるベルギー楽派の第1人者として名高いウジェーヌ・イザイ(1858-1931)の生誕160年にあたる。

その生誕160周年を記念し、日本イザイ協会は、共催の在日ベルギー大使館とともに、「イザイ音楽祭ジャパン2018」を福岡と東京で開催した。 

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これはかなり画期的なことで、もともとのきっかけは、去年の2017年にベルギーで行われた「クノック・イザイ国際音楽祭」との綿密な連携と協力によって準備されたものなのだ。

去年の2017年の9月に4日間に渡って、イザイを特集した国際音楽祭がベルギーのクノッケ・ヘイストで開催され、いわゆるイザイ国際音楽祭(Ysaye's Knokke)という形で、イザイに纏わる音楽祭としては初めての試みでもあった。

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(c) 日本イザイ協会FB

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(c) 日本イザイ協会FB


そのクノック・イザイ国際音楽祭の芸術監督であるイザイの孫弟子にあたるフィリップ・グラファン氏との連携、交渉に成功して、そのイザイ音楽祭の日本版をやろうという試み、奇しくも生誕160周年ということで機運は高まった。

正直なところ、イザイの日本での知名度は高いとは言い難い。
福岡に拠点のある主催の日本イザイ協会もつい最近、ピアニストの永田郁代さんによって設立されたばかり。

イザイといえば、ベルギーを代表するヴァイオリニストであり、作曲家である。

没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、これが現在のエリザベート王妃国際音楽コンクールの前身となった。


演奏家としてはその高い技術と説得力ある表現(多彩なヴィブラートの用法と巧みなテンポ・ルバートが特色)で多くの聴衆を惹き付け、ヴァイオリン音楽に大きな影響を与えた、と言われている。

作曲家としては、主にヴァイオリンを中心とした作品を遺していて、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを強く意識した「無伴奏ヴァイオリンソナタ」がよく演奏され、エリザベート国際王妃音楽コンクールの課題曲の常連である。

イザイについて、日本で知られていることって、せいぜいこのレベルではなかろうか?

自分もご多分に漏れず、その程度で、エリザベート国際王妃音楽コンクールのことと、無伴奏ソナタなら聴いたことがある、という程度だった。

そしてイザイと言ったら、超絶技巧、譜面も音符の数も多く、うわ、めんどうくさい、とつい思ってしまう(笑)くらい高度な演奏テクニックを要する曲が多く、無伴奏ソナタなどの一部の作品を除くと、未だに演奏機会は少なく、作品の演奏がおしなべて困難であることもあって作曲活動の全貌は明らかになっていないのが実情なのだ。

日本イザイ協会の設立によって、現地のベルギーに飛んで、直接イザイの足跡を探り、自筆譜などの複写や情報収集などで、そのいまだに詳らかにされていないイザイの活動を日本に啓蒙しようという動きが具現化されてきた。

日本イザイ協会のHPを拝見すると、やはりとても真面目というか、イザイが好きで、イザイのことを啓蒙したい、本当に音楽家のための純粋な内容という装い。とても硬派で真面目という印象が強く、いまどきのコマーシャルな色付けをほとんど感じない。

でも、日本のクラシック界のコンサートは、やはり集客が命。招聘元ふくめ、ある意味とても商業的だ。硬派な装いは、そのまま集客に結びついてくれれば最高に格好いいのだけれど、イザイの日本での知名度も含め、当初、地元福岡公演は完売とのことだったが、東京公演のほうが苦戦という話を聞いていて、そっかーまぁ仕方ないよね。始めたばかりだし、時代が経っていけば、そのうち努力も報われ、認知度も高くなってきますよ。。。という感じで心構えしていた。

そんな中、ひさしぶりの東京文化会館。

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小ホールでの公演なのだが、なんと!そんな心配もよそに、大行列ではないか!
およおよ?下馬評とは違う予想外のできごとにひたすら嬉しいの一言。
急にドキドキしてきた。

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インターミッション

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いろいろ観客層を眺めていると、主催者様のただならぬ苦労が見えてきて、なるほどと思った。

今回のこのイザイ音楽祭ジャパン2018は、じつは日本イザイ協会の主催の外に、共催にベルギー王国大使館、そして後援に在日フランス大使館/アンスティチュフランセ、外務省、日本・ベルギー協会 福岡県など、かなり組織的に日本とベルギーの国家間のイベントという位置づけで公的バックアップしているところが特徴だった。

(ベルギーからのスポンサーとしてGODIVAのチョコレートにも参画いただいております。(笑))

この日は、駐日ベルギー大使御夫妻も来福され、コンサートを楽しまれた。

ホールに入った途端、その招待席の多さに驚いてしまった。このような光景はいままで見たことがなかった。

そして、客層の若いこと!クラシック・コンサートの客層なんて、大概が高齢層で占められるのが、毎回通って分かりきっている自明の事実なのだ。

あまりに若すぎる!いつもと違う違和感さえ感じた。そしてヴァイオリンの楽器ケースを背中に抱えた若者がじつに多かった。自分の予想にしかすぎないけれど、音大生、演奏家の卵たちじゃないかな?と思った。

初の試みである日本でのイザイ音楽祭なのだから、そこは必死で埋めたという主催者様の努力・苦労がよく見えてきて、涙しました。(笑)

コンサートもじつに素晴らしく感動ものだったが、最後のカーテンコールでは主催者、永田さんもステージに上がり、思わずそっちにブラボーしました。(笑)

沢田研二にも見習わせたい。(笑)

イザイ音楽祭ジャパン2018は、ベルギーでのクノック・イザイ国際音楽祭の芸術監督であるイザイの孫弟子にあたるフィリップ・グラファン氏、彼がこの日本版も芸術監督を務め、そして、加藤知子、小林美恵、今井信子、岡本郁也、水本桂の幅広い世代の名手たちが、ヴァイオリンの詩人イザイとその深く関わる名匠たちの世界を再現した。



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なんと、日本初演の曲が5曲も!

ほとんど初演の曲ということは、CD音源もない訳で、聴いたことのない曲なんだから、それが、素晴らしい演奏なのか、わからん訳です。(笑)

今春、ブリュッセルで発見されたイザイの新しい無伴奏ソナタ。メディアでも一躍話題になったが、ヴァイオリン界に大きな影響を与えるこの話題の曲も演奏された。

この曲は、もちろんフィリップ・グラファン氏の独奏で演奏されたのだが、演奏前に、フィリップ氏からその説明があった。音楽誌ストラドのインタビューも交えて。

イザイのスケッチブックの中に残されているのを発見した。イザイが残した6曲の無伴奏ソナタの後に書かれたもので、いわゆる遺作である。そのイザイのスケッチブックのマニュスクリプトには6番のソナタと題されていたが、スケッチではなく、とてもしっかりした1楽章、歌曲のような2楽章、そして3楽章は2/3までで作曲されていたが未完成だった。

フィリップ・グラファン氏は実存する六つのソナタの構造基本を分析し、3楽章を完成させた。
「このソナタは98パーセントはイザイの作品です。素晴らしい、新しいバイオリンのレパートリーです。」

とても弾くのが難しい!と仰っていました。

こんないま話題の曲を聴けるなんて!

実際聴いたが、これは美しいというより、いかにもイザイ的な調性の曲で超難しい。2楽章は歌わせ的な要素もあって美しいと思ったが、全般的には結構前衛的。聴いた瞬間、いかにもイザイの曲らしいな、と感じた。

演奏するのも大変という感じがして、とくに弓のように唸るボウイングの連続技には圧倒された。
いかにも技術的に難しそうです。

22日の桐朋学園大学仙川キャンパスでおこなわれるイザイのレクチャー&パネルディスカッションの中でも、フィリップ音楽監督によってこの新発見ソナタのお話や演奏があるそうです。




今回の演奏曲の中で、自分的に注目していたのが、ショーソン詩曲、メディテーション、無伴奏ソナタ第5番(編曲)。

その中で無伴奏ソナタ第5番は、イザイの代表曲だが、じつは今回演奏されるのは、この原曲を編曲したヴァージョンなのだ。

ベルギー在住の作曲家エリカ・ベガさん(メキシコ生まれ)が、このコンサートの為に編曲。 

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(c) 日本イザイ協会FB


3ヴァイオリン+ヴィオラ+チェロ(フィリップ・グラフィン+加藤知子+小林美恵+今井信子+岡本侑也)で演奏された。イザイ音楽祭ジャパンの開幕記念に世界初演される素敵なプログラム。

エリカ・ベガさんは、ヴァイオリニストとして演奏活動を行いながら作曲を学び、メキシコ政府奨学生としてブリュッセル王立音楽院作曲科を卒業。数々のコンクールで入賞している。現在はゲント王立音楽院のICTUSアンサンブルによるマスタープログラムにて研究生として研鑽を積んでいるのだそうだ。

チェロを除いて立奏でおこなわれた。
聴いた感じが、現代音楽的な様相で、コンサートの冒頭の曲だったので、これはイザイの世界満載といきなり感じてしまった。

エリカ・ベガさんの編曲は、オリジナリティがあるけど、けっしてイザイの世界を変えてはいなかった。

この曲は、この後の桐朋学園大学仙川キャンパスのマスタークラスの生徒たちとグラファン先生と演奏する課題曲にもなっているようです。

今回のコンサートでは、さきほどの新発見のソナタ6番と、この無伴奏ソナタ5番の編曲版の2曲が大きな柱だったのかもしれませんね。




ここで、今回のコンサートの奏者たちについて一言。 




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フィリップ・グラフィン(ヴァイオリン、音楽監督)

イザイ・プロジェクトにおけるすべてのキーパーソン。
イザイの弟子、ヨーゼフ・ギンゴルド氏、フィリップ・ヒルショーン氏に師事。
イザイの孫弟子にあたる。現在、パリ国立高等音楽院、ブリュッセル王立音楽院教授。
1964年の54歳。私と同じ歳なんですね。

イザイが過ごしたベルギーの避暑地クノッケにて、「Ysaye's Knokke」国際音楽祭を創立、芸術監督を務めている。今回のイザイ音楽祭ジャパン設立も彼の力なくしてあり得なかった。

今回、はじめて彼の実演に接したが、足をガシっと曲げて、しっかり地を踏んで弾く独特のスタイルで、彼独自の世界があることを感じました。

素晴らしいヴァイオリニストであるとともに、現地におけるイザイの情報源、ソース源として今後ももっとも重要なキーパーソンで、よろしくお願いします。 




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今井信子(ヴィオラ)

ご存知、日本におけるヴィオラ奏者の草分け的存在。伝説的な日本を代表するヴィオラ奏者。
その華麗なる経歴はとても書き尽くせないけれど、敢えて、自分が挙げるとしたら、1995年から96年にかけて東京、ロンドン、ニューヨークの3都市にわたって開催された「インターナショナル・ヒンデミット・ヴィオラ・フェスティバル」では音楽監督をつとめ世界の注目を集めたこと。そして、2009年よりスタートした日本初のヴィオラ単独の国際コンクール、東京国際ヴィオラコンクールでアドヴァイザーおよび審査委員長を努めるなど、常にヴィオラ界をリードする存在として、めざましい活躍を続けていること。

この2つはどうしても自分の日記で書いておきたかったです。

フィリップ・グラフィン氏とも数十年に渡る間柄で、今回の音楽祭で共演する(ドビュッシーの弦楽四重奏)ことは大きな夢だったようだ。

じつは大変お恥ずかしいことに、自分は今井さんの実演に接したことがなかったと思う。
(自分の記憶にない。)だから、今回、今井さんの実演に接することが1番の楽しみで自分の貴重な財産になると思っていた。

日本初演の曲を2曲(イザイ序奏、ヴュータン奇想曲)、今井さんの独奏で堪能できた。
もちろん無伴奏第5番やドビュッシーの弦楽四重奏では、今井さんばかりを見ていたような気がする。(笑) 




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加藤知子(ヴァイオリン)


4歳よりヴァイオリンをはじめ、三瓶詠子、故久保田良作、江藤俊哉の各氏に師事。
第47回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門第1位、レウカディア賞受賞。翌年の海外派遣コンクールで特別賞受賞。1980年桐朋学園大学卒業。1982年第7回チャイコフスキー国際コンクール第2位受賞。またしてもその華麗な経歴は書き尽くせません。現在、桐朋学園大学主任教授。

自分は、加藤さんは今回初めて実演に接しました。
イザイの冬の歌をピアニストの水本桂さんのピアノとともに聴きました。
加藤さんのヴァイオリンは、とてもよく鳴っていて、この冬の歌はある意味イザイらしくない(?)というか、のびのびした朗々と鳴っているような気持ちよさがあって印象的でした。 




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小林美恵(ヴァイオリン)


実演に何回も接したことのある自分にとってはとても馴染みの深い演奏家でいらっしゃいます。
東京藝術大学首席卒業、1990年のロン=ティボー優勝、その後国内外で大活躍されてきたのはもうご存知の通り。その華麗な経歴は書き尽くせません。でも自分にとっては、やっぱり小林さんと言えば、どうしても夏に軽井沢大賀ホールで開催される軽井沢国際音楽祭の主役という印象なんですよね。自分が行ったのが7年前の2011年。それ以来毎年出演されている。
久しぶりに拝見いたしましたが、なんか、全然変わってませんよね。(笑)美貌、スタイルもずっとそのまま維持され、全然変わってない。7年も経っているのに凄いことです。久しぶりに実演に接してすごい懐かし感がありました。 




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岡本 侑也(チェロ)

岡本くんも今回自分がどうしても実演に接しておきたいと思って楽しみにしていた奏者。
じつは今年の東京・春・音楽祭で川本嘉子さんのブラームス室内楽で、実演に接したことがあった。今回が2回目。岡本くんは、すごい時の人なのだ。

もう知っての通り、去年の2017年のエリザベート王妃国際コンクールのチェロ部門第2位およびイザイ賞を受賞。そして第16回(2017年)齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞、ベルギー政府賞も受賞しました!出光音楽賞も・・・受賞ラッシュ(笑)。。。と今回の音楽祭には絶対出ないといけない人だった。(笑)

ドイツ・ミュンヘン音楽大学を首席で卒業し、現在はミュンヘン音楽大学大学院でユリアン・シュテッケル氏に師事。

まさに、「大器を予感させる才能」ですね。

岡本くんは、水本桂さんのピアノとともに、これまた日本初演のイザイの「メディテーション(瞑想曲)」を披露した。これがじつに素晴らしかった。とてもいい曲。チェロの音色、音域というのは人を恍惚とさせる(ある意味眠くなる。(笑))独特の秘密があって、じつに朗々と鳴っていて、気持ちのいい曲だった。

まさに「瞑想」とはその言葉通り!

岡本くんはすでにイザイのメディテ―ションを暗譜していたそうです。 




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水本桂(ピアノ)

札幌市生まれ。宮澤功行氏、中川和子氏に師事。
数々の国際ピアノコンクール受賞の後、ヨーロッパ、日本を中心に演奏活動を続けている。

北大卒業なんですね!(^^)
ドイツの国立フランクフルト芸術大学留学、ヘルベルト・ザイデル、ライナー・ホフマン氏に師事。

ベルリンコンツェルトハウス、ブリュッセルパレデボザール、パリのフォーレホールなどで演奏、室内楽演奏家としても活躍。その華麗な経歴はとても書き尽くせません。


現在、ドイツ国立フランクフルト芸術大学非常勤講師を経て、ブリュッセル在住。
ブリュッセル王立音楽院、エリザベート王妃チャペル音楽学校の弦楽器科ピアニスト。

水本さんのピアノはとても粒立ちがよく、ピンと張り詰めた硬質でクリスタルな響きをしていました。かなり自分的には来るものがありました。

石造りで天井の高い東京文化会館の小ホールは、特に音響の素晴らしい室内楽ホールとして有名で、ポリーニがサントリーホールが出来ても、自分は東京文化会館小ホールの響きがピアノには絶対的な信頼を持っている、と言って、なかなかサントリーホールでリサイタルをやらなかった、という伝説があるくらいで、特にピアノの音色には格別な定評がある。

もう数えきれないくらいこのホールでピアノを聴いてきたけれど、その確信をこの日改めて確かなものにした感じ。

弦楽器を立てるというか、いや対等の立場で、じつに主張していて素晴らしかったと思います。



今回コンサート全般を通して感じたこと。

イザイの曲の独特の旋律や調性というか、やっぱりコマーシャルではないよね。
かなり神秘的で独創的なイザイ独特の世界があって、ふつうのクラシックコンサートとは、やっぱり基本的な立ち位置が違う感じがします。

だって、最後のドビュッシーだって、かなり色彩感ある独特な曲なのに、すごくまともに聴こえてしまうくらいですから。(笑)

骨格感のある硬派なコンサートだったと思います。

まだ終わってません。

明日から、講演・パネルディスカッション、そしてマスタークラスがあります。

10月22日18時~桐朋学園大学仙川キャンパス333号室

「ウジェーヌ・イザイのレガシーと価値」

・パネル・ディスカッション/Michel Stockhem,Philippe Graffin,Shizuko Ishii,Kenji Sakai
・講演/石井志都子 Shizuko Ishii 「イザイの弟子から受け継いだこと」
    ミッシェル・ストッケム Michel Stockhem 「イザイが作曲家達に与えたインスピレーショ               
    ン、大な演奏家達とのつながり」
・演奏/フィリップ・グラファン Philippe Graffin 「新発見の無伴奏ソナタ遺作」
    マスタークラス生との共演 「無伴奏ソナタ第5番(編曲版)」

「マスタークラス」

10月23日17時30分~東京藝術大学第1ホール 指導/Philippe Graffan

受講曲

北田千尋  イザイ:無伴奏ソナタ第3番
山内眞紀  サン サーンス:ハバネラ
小西真央  イザイ:無伴奏ソナタ第6番
清水百合子 ドビュッシー:ソナタ
及川悠介 ラヴェル:ソナタ遺作


インターミッションで、ベルギービールでした。(笑)

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生誕160周年記念 イザイ音楽祭ジャパン2018 東京公演
2018/10/20(土)19:15~ 東京文化会館小ホール

1.イザイ<無伴奏ソナタ5番mov.1 op27-5> (編曲版)日本初演
フィリップ・グラファン、加藤知子、小林美恵、今井信子、岡本侑也

2.イザイ <冬の歌 Chantd'hiver,op.15>
加藤知子、水本桂

3.イザイ <瞑想曲 Meditation:poeme No.5,op.16> 日本初演
岡本侑也、水本桂

4.ショーソン <詩曲 poeme op.25>
フィリップ・グラファン、小林美恵、加藤知子、今井信子、岡本侑也、水本桂

休憩(インターミッション)

5.イザイ <序奏 Solo viola Introduction> 日本初演
今井信子

6.ヴュータン <奇想曲 Solo viola Cappricio> 日本初演
今井信子
                                                                                                                                                         
7.無伴奏ソナタ遺作(新発見)日本初演
フィリップ・グラファン

8.ドビュッシー <弦楽四重奏曲 op.15>
フィリップ・グラファン、小林美恵、今井信子、岡本侑也





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再び、伝説となる! [雑感]

すみれが、ラー博にもたらした効果は絶大だ。そして、すみれを一気に全国区に押し上げたのもラー博のおかげだ。

お互い持ちつ持たれつなのだ。新横浜ラーメン博物館は、1994年に、日本初のフードテーマパークとしてオープン。その昭和ノスタルジーなレトロな館内の空間は、当時センセーショナルだった。

自分は、ラー博には1995年から通い始めたが、すみれとは、その当時からのお付き合いで、その激動の歴史は先だっての日記に書いた通り。(笑)

道産子にとって、札幌味噌ラーメンはやはり故郷の味。
やっぱりずっと拘ってきたんだな。

まさに今日読んだ記事によると、「日本のラーメン店においては、オープンして1年以内に50%以上のお店が閉店しているという現状がある。さらに10年続くお店は20%、20年続くお店は3%と言われている。その中で長く続き今もなお繁盛しているお店には、トレンドに左右されない魅力がある。」なのだそうだ。

いわゆる全国ラーメン人気でつい商売に手を出したものの、そんなに世の中甘くないということなのだろう。本当の真の実力を兼ね備えた者のみが、長年に渡って生き残っていける。

自分はラーメンは大好きだけれど、いわゆる麺通と呼ばれるファン層の方から比べると、毎日新しいお店のラーメンを開拓したい、という気持ちが極めて少ない。「生涯何千食、食した」とは縁のない世界。

たぶん自分が大金持ちだったら、毎日いろんなラーメンを開拓したい、という気持ちも湧くだろうけれど、限られた予算の中で生活している身分になると、やっぱりせっかく身銭を切るなら、自分がよく知っている大好きなラーメンを食べたいと思う派なのである。

だから、いわゆる中毒性があって、あぁ~また食べに行きたい~と思うような、お気に入りのラーメンを飽きもせず、毎日食べる、という、そんなラーメン・ファンなのだ。

自分がそのように思うラーメンは、ほとんど99%以上の確率で、いわゆる「トレンドに左右されない魅力を持っていて、何十年も長続きしている・・・」そんなラーメン屋さんばかり。

一過性の人気で評判になったお店で食べても、自分に対して来るものがないことがほとんどだ。

すみれは、まさに23年間に渡って、愛し続けた故郷愛のラーメンだった。

相当熱狂した。

でも知っての通り、ここ数年、ラー博のすみれは、自分が熱狂していた頃の面影はなく、寂れていくばかりの感じで、だんだん足が遠のいていった。食べるたびに後悔するのだ。これはダメだ。もう来るのはよそう。

札幌で真実を追求しよう。

そう思って4~5年。

そんな、すみれがラー博を卒業する。
12/2に卒業。あと45日。

閉店間際になると激混みが予想されるので、早めに詣でしたいと思っていた。

館内に入った途端、こんなものを目にする。


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「再び、伝説となる。」「札幌以外で、すみれが食べられるのは、ラー博だけ。」
たくさんの花束贈呈で、みんな別れを悲しんでいる。

思わず、グッとくるものがある。開館当初から、一緒に汗を流してきた同士を、華やかに送ってあげたいというその気持ち。SNSでも毎回、「すみれ」の連載特集を組んで、お別れムードいっぱいだ。もうなんか、金輪際、ラー博には入店しない永遠のお別れみたい。(笑)

この卒業にちなんで、最近連載されている「すみれ」の歴史特集で、この自分が知らないこともあった。

当初、村中明子さんが創業した「純連」。純連と書いて、すみれと呼ばせていた。
でも看板の、そのフリガナのひらがなが風雨で剥がれてしまって、漢字の純連だけになってしまった。その看板を見ていた通行人は、いつしか、そのままの音読みで、「じゅんれん」と呼ぶようになって、そのままその特徴ある味噌味とともに「じゅんれん」という名で巷には定着してしまったのだそうだ。

お母さんの純連は、病気で、いったん閉店するが、数年後に再開。

そのときは、巷にすっかり馴染んだ「純連(じゅんれん)」という名で再スタートした、という経緯なのだそうだ。あとは、ご存知、「純連(じゅんれん)」は、長男の村中教愛氏が店を継いだ。

その後、三男の村中伸宜氏が、純連と書いて「すみれ」と呼ぶお店を開店。その後、ひらがなのみの「すみれ」で定着する。

そして家族、親戚一同の大反対を押し切って、ラー博に出店。そして、「すみれ」を全国区のスターダムに押し上げて、純連は押しも押されぬ札幌味噌ラーメンの王道を走ることになった。

ある意味、村中伸宜氏の大英断がなければ、今日の純連、すみれの立ち位置はなかった。
いまや、濃厚な札幌味噌ラーメンのことを、「純すみ系ラーメン」とか、「村中系ラーメン」と呼ぶのだそうだ。

そしてたくさんのラーメン職人の若手たちが、純連やすみれで修行をして、おそらく店主の許可を得て、自分のお店を出す。

それも純すみ系のスープの味で。。。

その中には、10年続くお店は20%、20年続くお店は3%、トレンドに左右されないで生き残っているお店はどれだけあるだろうか?

自分の経験からすると、二番煎じは、絶対初代を超えることはできない。

たとえ、よくできている、親方と似ているスープだと思っても、毎回また通いたいと思わせるようなお店はないだろう。



激混みを避けて、卒業45日前に来てみたが、年々劣化していくそのスープの味に、だんだん客足が遠のいていく感じで、来るたびに閑散としていて、往年のファンにとって淋しいよな~と思っていたんだが、今日来てみたら、行列ができていた。(笑)

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でも、全盛期のすみれの大行列を知っている身からすると、やっぱり寂しい。
酷いときなんか、このお店から、ラー博館内の半周するくらいの距離まで大行列ができていて、いったいいつになったら食べられるんだろう?と気が遠くなるんだが、それでも食べたいから並ぶのだ。

すみれの場合は、それが常であった。

食べ物を食べるのに並ぶことを嫌う人は多い。
でも自分はさほど苦はならない。大行列をみた瞬間、さすがにめげるが、でもそこまでしても食べたいという気持ちが大きい。

自分がこの10年で、行くたびに毎回行列して食べていたのが、このすみれと新宿にある「麺屋武蔵」だった。麺屋武蔵も当初は相当嵌った。やっぱりこれは本物だと直感がわいた。毎回行列しても食べたいと思わせるお店だった。

ところがこの麺屋武蔵も、ご多分にもれず、スープの味が劣化していった。最近数回行ったが、印象は変わらず、もうガッカリ。

ラーメン屋さんにとって、スープの味を何年も続けて同じに保つことが如何に大変なことなのか!

麺屋武蔵も14年前のあの頃は、毎回大行列だったのに、いまは全然空いていて楽勝だ。(笑)
すみれといい、名店の行く末というか、難しいものがあるとしか思えない。


ラー博のすみれと最後のお別れ。
味噌ラーメンと鬼めしをいただく。

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おっ!いつものガッカリするスープの見た目からすると、今回はちょっとマシに見える。
やっぱり最後だと贔屓目もあるかな?有終の美にしたい、ちゅう。

鬼めし、というのは、すみれ独自の看板メニュー。炒飯もいいが、自分は、すみれに来たら、この鬼めしを一緒に食べることをおススメします。卵焼きの千切りをご飯の上にかけて、とても辛い豆板醤(?)みたいなものをかけて食べます。

これがすみれの濃厚味噌とよく合う!

最後のすみれの味噌ラーメン。




あかん!(笑)やっぱりあかん!

自分が知っている全盛期のすみれはこんなんじゃない。
ちょっと面影がある程度にしか思えない。

でもここ数年、マズすぎる!と徹底的にこき下ろしてきたレベルに比べると、今日はちょっと濃厚さがやや感じられて、幾分マシのように思えた。見た目の改善は味にちゃんと現れていた。

最後のお別れというセンチメンタルな気分が、自分をそう思わせているのだろうか?

味噌があのころのような濃厚~って感じじゃなくて、どうしても薄く感じるんだよね。
物足りんのだよ。

そして表面を覆っているラードも全盛期に比べると薄いし、これじゃダメだ。

ひょっとすると、札幌本店もふくめ、多少のイメチェンはあるのだろうか・・・。

自分が全盛期と思えるすみれの写真は、これが一番近い感じ。


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色的にもいかにも濃厚~ってな感じで、これこそ純すみ系の味だ。
ラードも厚い。

いまのは、全般的に薄いんですよね。


これがラー博だけの現象なのか、札幌本店もそうなのか、今年の年末帰省して自分のこの目、この舌で直接確かめます。

もし万が一、不幸な事態に陥ったら、自分は、お店の人に直接なぜこんなに味が変わったんですか?と直接聞いてみようと思っている。

もちろんクレーマーと思われて、本家のお店出入り禁止になったらこちらも困るので、ソフトな語り口で対応することはもちろんのことだ。自分が1995年からの熱烈なファンで、横浜のお店でここ最近味が変わったように感じるのですが、ここ札幌本店でも同じように感じるということは、スープの味のイメチェンでもされたんですか?

こんなソフトなイメージで。

たぶんお店の女性の方は、自分じゃ対応できないと思い、もしその日に厨房に居たら、三男の村中伸宜氏に直接談判できるかもしれない。(笑)

失礼のないよう、クレーマーに思われないよう十分な配慮が必要だ。

自分が全盛期だと思ったすみれはこんな感じでした・・・というような展開を予想して、上の写真を自分のスマホに入れておいた。(笑)

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どんな展開が待っているのか、もういまからワクワクである。

トレンドに左右されない本物のラーメンというのは、絶対また食べたい~というような中毒性を持っている。

自分がここ数年、これも毎回行き倒しているのは、日本橋にある京都銀閣寺ますたにラーメン。
あの三層になっている豚骨醤油背油ラーメンがたまらない。週末の休日になるとついつい行きたくなる。

1998年頃から通い続けて、もう20年目。

この日本橋のラーメン屋さんに行く楽しみは、じつはその途中に乗っていく銀座線でレトロ仕様の銀座線に遭遇できるのでは?というところにも楽しみがあるのだ。(笑)

もう2回も遭遇した。

念願かなって、京都の本家の北白川の「中華そば ますたに」も経験できた。

これからも、数多くのお店を体験するのではなく、こうやって自分が入れ込んだ本物のお店に何回も行き倒すというラーメン人生が続くんだろうな。

今年の年末にすべての真実が明らかになるが、自分は信じたい。

あの全盛期のすみれの味が、またラー博に戻ってくる!ということを。








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神楽坂 [雑感]

クラシックファンであれば、神楽坂といえば、音楽之友社。いつもお世話になっています。(笑)

1941年創刊のまさに日本のクラシック音楽誌の草分け的存在。「音楽の友」「レコード芸術」とかあまりに有名。「音楽の友」はいつも定期購読したいな~とは思うんだけれど、貧乏人なので、興味のある記事があるときは必ず買ってます。

自分もクラシックファンの末席にいる者として、聖地巡礼というか表敬訪問として、いつか神楽坂を訪れたいと思っていたのでした。


音楽之友社

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奥が音楽之友社、手前が音楽友之社の別館だそうです。

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こうやって、音楽の友とかレコード芸術とか、いま手掛けている雑誌が展示されています。

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中にスルスルと入ってしまおうかな~とも思いましたが(笑)、部外者立ち入り禁止の看板がありましたので、やめときました。

音楽の友のいまのひとつ先代のポチ編集長は、いつも夜中の0時過ぎにSNSに投稿して、「また今宵もこんな時間になってしまいました。はぁ~。でも今月号は楽しみにしてください。ではおさしみ~。」なんて感じの投稿をほぼ毎日やっていて(笑)、その真夜中の時間帯の道路の写真を投稿していたんだが、たぶんここのことなのかな~?(笑)

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ちょっと蛇行しているのが特徴と記憶しているんですが。。。音楽之友社の目の前から、東西線神楽坂駅に向かう方面を撮影したものです。



でもこれで神楽坂に来たミッションがコンプリートしました。
まさかこれで終わる訳にはいかないので、ちょっと神楽坂を散策してみようと思ったのです。

音楽之友社のすぐそばにこんなに素敵なカフェがありました。
店の内装がとてもお洒落でうわぁ、これは素敵だな~と思い、思わず入っちゃおうかな~とも思いました。ランチタイムには軽食もあります。

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そして赤城神社。ここは700年にわたり牛込総鎮守として鎮座してきた神楽坂では由緒ある神社ですね。

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神楽坂というのは、厳密な定義で言うと、東京都新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂のこと。

いわゆる傾斜のある坂になっていて、坂の上が、「神楽坂上」、そしてずっと降りて行って、一番下の坂の下が「神楽坂下」。

その傾斜のある坂の両側には、いろいろお店や飲食店が並んでいて、ここを特に「神楽坂商店街通り」と言っているようです。

最寄りの駅でいえば、神楽坂上のほうにあるのが、東京メトロの東西線の神楽坂駅、神楽坂下にあるのが、JRの飯田橋駅。

自分は神楽坂駅を使ったので、音楽之友社から下っていく感じ。
でも結局、この坂を昇ったり降りたりを何回も繰り返していました。(笑)


昔は、夏目漱石の通った田原屋などの老舗があったりなど風情があったらしいが、いまは、結構チェーン店やコンビニエンスストアの進出が目立ち、確かに歩いていると、チェーン店などで、どこかで見たことのあるお店が多いな~とは感じた。

でもそれを差し引ても、やっぱり神楽坂独特の風情のある雰囲気がその場にあってとても素敵なところだと思いました。

音楽之友社から降りていく。

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神楽坂野菜計画


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ここは、なんかふっと吸い込まれそうになる気になるスポットで、ぜひここでお昼ご飯を食べたいな~と思いましたが、値段が高いのでやめときました。(笑)

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以下神楽坂商店街通りの様子です。

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ここが一番下ったところの神楽坂下の交差点。

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ざっとこんな感じです。
それでは各々気になるスポットを紹介していきます。

コボちゃんの銅像。

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読売新聞に4コマ漫画として掲載されている植田まさしさんの漫画のキャラ。
この神楽坂商店街通りに、漫画コボちゃんの田畑小穂(コボちゃん)の銅像が建設され、その除幕式が2015年8月16日、作者の植田まさしさん臨席のもとで行われた。神楽坂は植田さんが長年住んでいる街なのだそうだ。それがここに設置された理由なんでしょうね。

でも正直、銅像の実物はあまり小さすぎて、まったく気が付かないです。坂を何回も昇ったり下ったりしましたが、全然気が付かなく、やっと見つけました。郵便ポストの隣にありました。(笑)



ほうじ茶を煎じています。

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このカレーショップ「ボナ」は相当ソソられました。
カレー大好きなんで。ピザのようなものから、いろんなものをカレーに絡めて、美味しそう。

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「不二家 飯田橋神楽坂店」。ここには数ある不二家の中でも、この神楽坂店でしか購入出来ないという「ペコちゃん焼」がある。日本で唯一なんでここは絶対に行くべき!

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チョコやカスタードをはじめ、いろんな種類のペコちゃん焼きがある。
じつは、店内にアンケートの紙が貼っていて、そこに自分が買った種類を、小さなシールを貼っていくようなシステムがあるのだが、その中では断トツにチョコが多かったので、自分はチョコにしました。

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さっそくいただく。お味は?まっこんなもんだろ?(笑)

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神楽坂に来たら絶対寄らないといけない必須の老舗甘味処「紀の善」。神楽坂の甘味処としては、あまりに有名なところなのだそうだ。ペコちゃん焼きの隣にある。

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店内もなかなか素敵でした。

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ここに来たら絶対注文しないといけない「抹茶ババロア」。
「抹茶ババロア」を目的に神楽坂に来る人も多いとか、神楽坂散歩のマストグルメなのだそうだ。
最近では、TBSテレビの日曜劇場 ”ラブストーリー”で、トヨエツの大好物として登場し、益々、人気を博しているとのこと。

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静岡産の抹茶を使ったもったりとしたババロアが素晴らしい。
甘過ぎないところがいい。たっぷりと餡・生クリームが添えられているのがまた嬉しい。
なんかお洒落な甘味ものですね。



昭和32年創業の15種類の大きな肉まんと小さなミニまん5種類が食べられる「五十番 本店」。
ここも「神楽坂散歩」では外せないお店だそうです。

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たくさんの種類の肉まんを売っている。

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肉まんをひとつ買って食べてみることに。お店の前にベンチがあって、そこで座って食べられるようになっている。さっそく中の餡を見せる写真を撮ろうとしたら、中の肉汁がぶちゅう~って感じですごい量飛び散った。(笑)Yシャツやカバンにベッタリ。すごいね。なんか小籠包食べるときみたいな感じですね。中の肉汁がたっぷりで、これは本当に美味しい肉まんでした。こんな美味しいものは、久しく食べていない。

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神楽坂のシンボル的存在の「毘沙門天 善國寺」。神楽坂商店街通りに即したところにある。
創建して400年余、インドで信仰されてきた財宝の神「毘沙門天像」が祀られている。
善國寺は開運厄除けの福運を授けてくださる「毘沙門天」を祀っているお寺なのだそうです。

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お昼ご飯をどうしようかな、と思いました。たったひとつの肉まんでも結構腹持ちがいいのだけれど、やっぱりご飯はご飯。

これは事前にネットで神楽坂のグルメを探していたんですよね。神楽坂は確かにグルメの宝庫。とてもお洒落で、雰囲気のあるお店が多いのだけれど、どこも正直高杉なんですよね。創作フレンチとかイタリアン。

自分に合うお店を探すのに苦労しました。行き着いたところは、音楽之友社に比較的に近く、東西線の神楽坂駅の1番出口をすぐ出たところにある「清久仁」。

なぜここにしたか、というとお魚専門の和食やさんで、値段が千円くらいで食べられる。
日本食大好きで庶民派の自分に合いそう。

「清久仁」
なんか結構古い昔から存在している和食やさんで、隠れ家的な感じがします。

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中に入ってみると、高級でもなく、ふつうっぽくていい!
なんか家族で経営しているほのぼの町の定食屋さんな雰囲気があります。

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サバの煮つけ定食をいただきました。
最高に美味しかったです。

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これを食べているときに、何気にルイージ&アラベラさんの公演がすでに先行で始まっていることをmixiのマイミクさんの投稿で知ることに!かなりはげしく動揺。(笑)家に帰ってからじゃいい席もう売り切れで無理。仕方なくスマホで購入を試みて、見事に成功。最近はスマホでなんでもできちゃうね。

このチケット獲り、来週土曜の最大イベントと心構えしていたので、それが今日チケット獲れてしまったことに、この瞬間、相当興奮してしまいました。(笑)

ドキドキ冷めやらず。。。


神楽坂に来たら、どうしても寄りたいお店がありました。
それはとても雰囲気があって、その雰囲気にやられてしまったからです。
正直お腹もかなりパンパンなのですが、喰いもん道楽はこれが最後と行ってみる。



神楽坂茶寮 本店

町屋風の和のスイーツや食材を扱っています。
テラスもある。木造造りでとても雰囲気があって、自分はこの雰囲気にやられて、ぜひ行ってみたいと思いました。メディアにも何回かレポートされていて、神楽坂では有名なところみたいです。


スミマセン、逆光で太陽の陽が入り込むので露光が・・・白っちゃけてしまいました。

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自分はテラスより店内を希望。
店内は照明を薄暗くして、それが木造とうまくマッチして、かなりお洒落でいいです。
でもなんでこんなに柱が多いんでしょう?(笑)
店内の面積が広いし、木造だから、強度的に支柱の支えが必要なんでしょうかね?

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あんみつをオーダー。右にあるシロップをかけるのをまた忘れてしまい、そのまま食べてしまいました。(笑)でも美味しかった。

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今回の散策でとても新鮮だな~と感じたのは、神楽坂って”横丁”文化である、ということ。

表通りから脇へ入った道のことを「横丁(よこちょう)」と言う。神楽坂には、大通りを歩くだけでは気づかないような横丁がたくさんあるのだ。

人一人が通るだけで精一杯の道を進んでいくと、石畳の道に、趣のある料亭、一般の民家がひしめく通りが現れる。それが妙に趣きがあって素晴らしい。

この横丁は、まさに絶好写真撮影スポット。
夜の撮影は、もっと最高に素晴らしい。

この横丁文化は、神楽坂独特で、ひとつの観光スポットになっていて、カメラを持ったたくさんの観光客が、そんな狭い路地裏に集まっている・・・そんな光景が自分にとっては、とても興味深いというか、人生初の体験で新鮮味があって感動しました。

表通りから一歩入る静かな路地裏、いわゆる横丁の住宅街のなかにレストランや料亭などが結構あるのだ。そういう奥まったところにひっそり存在するのが、どこか隠れ家的で、かなり和の雰囲気があって素晴らしくいい。

ここには、かつては江戸時代に蜀山人、明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住んでいたそうだ。

神楽坂の横丁は、かなりたくさんあって、地図を見ても、メイン通りの神楽坂通りの枝道に入ったところからまさに迷路のようにたくさんの横丁が混み入っている。

それぞれの横丁に名前がつけられていて、観光地化している。

なにせ路地裏の迷路だから、行きたい横丁スポットにたどり着くのがかなり苦労する。(笑)


芸者小道。
ここに行きたかったんだが、結局辿り着けず。ネットからの拝借で失礼します。
雰囲気あります。

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たくさんある横丁のうち、自分が選んだのは「兵庫横丁」と「かくれんぼ横丁」。


兵庫横丁は、戦国時代に武器商人が住み、「兵庫」(武器を入れておく倉庫)があったことから「兵庫横丁」の名がついたそうだ。

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横丁には、こうやってひっそりとレストランがあったり、小さなショップがあったりで隠れ家的で賑わっている。

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あれ~ニャンコが!(=^^=)

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かくれんぼ横丁にも。たくさんの観光客。やっぱり横丁の中でも超有名な人気スポットなんだね。

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そんな路地裏に料亭がひっそりと。
まさしく、これぞ神楽坂横丁文化!

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そしてラストスパート。

じつはここからは行きたいとは思っていけれど、場所を特定するのが大変だったので、この日はあきらめていたのだが、帰りの東西線の神楽坂駅の入り口を見つけることができなく、迷いに迷って行き着いたところが、この諦めていた観光スポットだった。(笑)神様が、神楽坂に来たら、ちゃんとここも見て行けよ!ということで誘ってくれたんだろう。(笑)


la kagu(ラカグ)

2014年に新潮社の倉庫を改装しオープンしたキュレーションストア。 各分野のキュレーターが、本当に良いものだけをセレクトして集めた、おしゃれなショップ。

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中に入ってみると、洋服やカフェなどが入ってました。

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「かもめブックス」という、カフェが併設されている、神楽坂の有名本屋。

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本だけでなく変わった文房具や雑貨もあり、 さらにはアートギャラリーも奥にあり、かなりお洒落な雰囲気です。

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本を読みながら、カフェでくつろぐこともできるのです。

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神楽坂といえば、軒並み出版社がたくさん存在する街としても有名。
迷いに迷って辿り着いたら、この新潮社本館にたどり着きました。

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書籍管理課。。。自分の人生では、たぶん縁がない世界だったかもしれないな~。

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そして旺文社もありました。

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クラシックファンの聖地として巡礼の意味を兼ねて、訪問した神楽坂ではありましたが、いやはやなんとも風情があってとても素敵な街というかスポット。独特の雰囲気があって、いままで自分が生きてきた世界とは別世界のような感じがしました。

また訪問して、つぎなる横丁を開拓しないといけない。 (笑)








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大谷康子さん [クラシック演奏家]

大谷康子さんといえば、自分にとっては、やはり東京交響楽団のコンサートマスターという印象が大きい。

それは当然だろう。1995年に東響のコンサートマスターに就任して、2015年までの20年間の間、勤め上げて2016年には、東京交響楽団名誉コンサートマスターの称号を授かる。

当時としては女性のコンサートマスター(コンサートミストレス)は珍しい存在だったと思う。
人知れずの苦労もあったのかもしれない。 

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人柄が素晴らしく、マルチなタレントもあるので、ソロ含めて幅広い活動をされているが、やはり大谷さんといえば東響。

自分は、2015~2017年間の3年間、東響の名曲全集の定期会員になり、ミューザ川崎に通い詰めた。大谷さんは、2015年に東響を卒業され、その後を若き俊英の水谷晃くんが引き継ぐ感じで、その端境期を体験できた。ミューザ川崎の名曲全集は、実際のところ、2013年から、会員ではなかったけれど単券で結構通っていたので、実質、東響のコンサートマスター時代の大谷康子さんを、足掛け4年くらい、ずっと観てきたことになる。

ミューザ川崎の2CAや2CBの座席から、つねにコンサートマスターの席を見ると、大谷さんの横からの姿を眺めていた。そこにいるのが至極当たり前のように思えるほど存在感があった。

2015年5月10日に、その名曲全集の一環として、「大谷康子デビュー40周年コンサート」と題して、なんと1日に4大協奏曲を弾く!というとてつもないチャレンジをしたこともあった。

もちろん自分はその場に居合わせた。

いまでも鮮明に覚えている。

ヴィヴァルディ、メンデルスゾーン、プロコフィエフ、ブルッフ。

コンチェルトだから1曲につき、3楽章あるわけだ。
それを4曲もやるなんて!

いつもは、しっかりとオーケストラを支えていく役割から、この日だけは自分が前へでるスター。
素晴らしく感動した記憶がある。

まさにこの日の公演は、華のあるステージで、大谷さんのヴァイオリンが「歌うヴァイオリン」と評されるのがよくわかるような気がした。


この日は自分はたしかスマホで実況中継していた記憶があります。(笑)

なんかその日の楽しい想い出としてしっかり頭に刻み込まれているのは、アンコールのときだったのかな?ステージでヴァイオリンを弾いていた大谷さんが、そのままステージから降りてきて(もちろんヴァイオリンを弾きながら、です。)、ミューザの1Fの客席、そしてさらには、2階席と上ってきて、ヴァイオリンを弾きながら客席の通路を歩いて回ったのだ。楽しそうにお客さんに挨拶して回る姿が忘れられない。

場内湧きに湧いて爆笑。(笑)

なんと!楽しい人なんだろう!(笑)

とそのとき思った。見た目の通りの感じの方でした。

自分のすぐ目の前を弾きながらの大谷さんが通過したのを覚えている。

なんか、つい最近のことのようだ。


そして2FのホワイエのCD売り場で、この大谷さんのCDを買ったのだ。 


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Violin Sonata: 大谷康子(Vn)Golan(P)+beethoven: Violin Sonata, 5

http://urx.red/MtGz

まさにデビュー40周年を記念する録音で、ベルリン・イエス・キリスト教での録音なのだ。
つい嬉しくなって、すぐに購入を決断。

いまこうやって当時を振り返りながら聴いている。

やっぱり素晴らしく録音がいい。ふつうの教会のような響き過ぎの感が少なく、とても適度な残響感。ヴァイオリンの艶というか鮮度感が抜群で、空間感も程よくある。録音技師いい仕事をしている。

R.シュトラウスのフランク・ソナタとベートーヴェンのスプリング・ソナタ。

まさに名曲中の名曲を取り上げた大谷さんを代表する素晴らしい作品だと思う。
大谷さんの演奏解釈は、クセがなく、とてもスタンダードな装いで自分の中にすんなりと入ってくる。違和感、抵抗感まったくないです。




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自分の番組で、ソプラノ幸田浩子さんと。



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番組のメインパーソナリティとして。N響首席オーボエ 茂木大輔さんと。




仙台市生まれで、名古屋育ち。
3歳でスズキメソードで学び、東京藝術大学で音楽家への道を確かなものとする。
ソロ活動を在学中よりはじめる。ウィーン、ローマ、ケルン、ベルリンなどでのリサイタルを行う。

2013年のザルツブルグ市ミラベル宮殿マーブルホールでリサイタルとか、2014年秋のシュトゥットガルト室内管弦楽団との日本ツアーなどの海外との関係も深いが、とりわけやっぱり最近の注目は、キエフ国立フィルとの共演。

彼らが来日した時の日本ツアーのソリストを務めたり、逆にキエフ国立コンサートホール 創立155周年に招かれ演奏したりその友好関係の絆は強く、最近の大谷さんの海外での活躍は、このキエフ国立フィルとのコラボがとても印象に残ります。

そのツアーにひっかけてという感じで、しっかりヨーロッパの他の国も観光がてらにヴァカンスを楽しまれていて、なんかSNSの投稿、とても楽しそうです。(笑)うらやましい~(^^)

そして、2016年から、まさに10年プロジェクト「大谷康子のヴァイオリン賛歌」の公演をスタートさせた。

東響を卒業してもソロ活動とても順調そう。

愛器はピエトロ・グァルネリ(1708年製)。

大谷さんは、やはりその笑顔をみればわかるように、本当に天性の素晴らしい人柄が滲み出ているのがよくわかる。

いい人の典型的な感じの全体のシルエットしてる。(笑)

本当に素晴らしい人なんだろうな~。

テレビ・ラジオなどの活躍も多い。

テレビ番組「題名のない音楽会」に340回以上出演で最多出演記録なのだそうだ。
BSジャパンの「おんがく交差点」で春風亭小朝師匠と司会をつとめ、演奏も披露しています。

また病院の慰問や学校での演奏教室などのアウトリーチ活動にも余念がない。

最近の海外での楽しそうな投稿が印象的だったのと、ひさしぶりにデビュー40周年CDを聴いて、やっぱり素晴らしい録音!と感動して久しぶりに大谷さんのことを日記にしたかった気分でした。

今後ますますのご活躍お祈りしています。

最後に宣伝。

本出ます。

長くヴァイオリニストとして第一線で活躍する大谷康子が語る、音楽を通して出会った名演奏家、名指揮者、名オーケストラとの秘話や、指導者としての心がけ。そして、東日本大震災で救助に来てくれた約30カ国の代表を招いたチャリティコンサートや、病院の慰問や学校での演奏教室など、「音楽を届けることで世界をひとつにしたい」という夢をずっと追いかけている生き方。

あきらめずに、「そのときしていることを楽しむ」ことから生きる喜びは生まれるという、人間&音楽賛歌。。。だそうです。

いわば大谷康子さんの音楽家人生として得てきた糧のすべてをこの1冊にまとめ上げたものなのだと思います。

私もぜひ買って読んでみたいです! 


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ヴァイオリニスト、今日も走る!
大谷康子










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アルゲリッチのショパンコンクール1965 [ディスク・レビュー]

自分のクラシック・ピアノへの開眼、その基本は、ポリーニ、アルゲリッチだった。

いままでどれだけの彼らのアルバムを聴いて来たことだろう。両人ともショパンコンクールで世に出たある意味ショパン系ピアニストなのだが、その後の活躍はショパンに限らず、いろいろな作曲家の作品を世にリリースして幅広い芸術の域を我々に示してきてくれた。

その中でも、やっぱり自分の中でアルゲリッチに対する想いは、絶大なものがある。

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やっぱり彼女はとても激情家で、恋多き女性、そしてあの剃刀のように切れのいい強打鍵のパワフルな演奏スタイル、すべてにおいて、生きる伝説カリスマなのだ。

彼女の最大の魅力は、やはりとても人間っぽいというところだと思う。
とても恋多き女性、ショパンコンクールの審査結果に納得がいかずボイコット事件、つい最近では、元夫のデュトワの#MeTooによるセクハラ告発問題で、デュトワが干されたときも、まっさきにその発信国になったアメリカの公演を全キャンセル、そして自分がピアノのソリストとしての公演の指揮者にデュトワを指名とか・・・その気性の激しさ、そしてすぐさま行動に移すその積極性、あきらかにアルゲリッチだ。

彼女には、強い心、自分の芯というものがあって、それがぶれない。
彼女の実演に接したときでも、ピアノに座るなり、演奏の前の心の準備のような間を置くことなどなく、座るなり、さっさと弾き始めてしまうのだ。(笑)

そういうあっけらかんとした器の大きさというか、からっとした性格がいかにもアルゲリッチらしくとてもいい。

けっしてエリート然とした近寄りがたい演奏家というよりは、もっと愛情の深さ、激情家、失敗も多々あるといったその波瀾万丈な人生にとても人間っぽい俗っぽさ、誰からも愛される秘密がそこにあるのではないのではないか、と思ってしまう。

アルゲリッチのドキュメンタリー映画も結構観ている。

「いろんな作曲家を弾いてきたけれど、やっぱり自分はシューマンがとても好きなんだと思う。
シューマンの曲を弾いていると、とても幸せな気持ちになり、自分に合っていると思う。」

そんなことを発言していて、とても興味深かった。

ふだんの生活もたくさんの若い演奏家、いわゆる取り巻きとも言える仲間たちといっしょに暮らしていて、慕われている。そこには、若者たちに自分のいままでの演奏家としての糧を伝えていっていることは間違いないことだ。

日本ともとても所縁が深く、別府アリゲリッチ音楽祭をやってくれて毎年必ず日本の地を踏んでくれている。本当にありがたいことです。

衝撃の1965年のショパンコンクール優勝を経て、まさに若い頃から第1線で活躍しつつ、現在ではもうレジェンド、カリスマ的な神々ささえ感じる。

コンクールというのは、ある意味、演奏家が世に出るためにひとつのきっかけなのかもしれないが、大事なのはコンクール優勝ではなく、そのコンクールの後。

コンクールで優勝して名を馳せても、その後さっぱりで消えていった演奏家のいかに多いことか!

コンクールの後に、つねに第1線で居続けることの難しさ、たとえ浮き沈みが多少あっても、それが晩年に至るまで持続できるというのは、本当に運や巡りあわせもあるかもしれないが、大変なことなのだ。


ショパンコンクールではいろいろな課題曲が演奏されるが、その中でもオオトリのメインは、ショパンピアノ協奏曲第1番。

この曲はもちろん大好きで大好きで堪らない。

この曲の録音で名盤と言われるものは、過去にいろいろある。
じっくり創り込まれた感のある人工的なセッション録音。そしてまさに臨場感を味わえるようなライブ録音。セッション録音やライブ録音でも、このショパンピアノ協奏曲は、本当にいい名盤がたくさんある。

その中で、自分がどうしても忘れられない、この曲だったら、この1枚というのがあるのだ。

それがアルゲリッチが優勝した時の1965年のショパンコンクールでのショパンピアノ協奏曲第1番。 

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もうすでに廃盤になっていて、中古市場にしか出回らないディスクになってしまったが、自分はこの曲だったら、この演奏がどうしても忘れられない。ある意味、この曲の自分のバイブル的な存在にもなっている。

この曲は、最初にオケの前奏がかなり長い時間あるのだが、このときのコンクールでは、そういうのをかなり端折って略して演奏している。

そしてもうバリバリの当時のライブ録音。観客席の咳き込みなど、リアルにそのままダイレクト録音だ。いまのように編集の時に咳き込みをカットなどという小賢しいことはやらない。

このコンクール盤は、当時雨天の雷だったようで、外で雷が鳴っているのが、何回も演奏中に音として録音されているのだ。(笑)

そういう当時のコンクール・ヴァージョン的に編集されたショパンピアノ協奏曲第1番で、現代の完成度の高い作品と比べると聴き劣りするかもしれないが、自分の中では、この曲で、この盤を超えるものはないと思っている。


とにかくいま聴いても、身震いがするほど、新鮮で衝撃的だ。若い頃に、この録音を聴いて、当時のショパンコンクールでアルゲリッチが優勝した時ってどんな感じだったんだろうな~ということを夢想していたことを思い出す。

その映像がもし残っているならぜひ観てみたいと恋焦がれていた。
だって、1965年の大会に優勝ってことは、もうほとんど自分が産まれた年に優勝してこの世界にデビューしている、ということ。

大変な尊敬の念を抱いていた。

当時、クラシックのジャンルで、ピアノといえば、アルゲリッチから入っていった人だったので、当時猛烈に彼女の録音を買いまくっていくうちに、彼女の原点はこの1965コンクールの演奏にある、ということに行き着いたのだった。

1965年の優勝のときの映像、もちろんこのショパンピアノ協奏曲第1番を弾いている演奏姿を観てみたい、とずっと恋焦がれていた。

そういう過去の偉業、自分がそのときにリアルタイムに接することができなかった事象に、クラシックファンって妙に魅力を感じるそういう人種なのではないか?と自分は常々思っている。

過去の大指揮者、演奏家などの名盤蒐集というジャンルが、クラシック界で根強い人気なのは、なんか自分がリアルタイムに接することのできなかったことに対してなんとも言えないミステリアスな魅力を感じて、そういう探求心魂に火をつける、というか。。。そういう感じってあるのではないだろうか。

1965年のアルゲリッチ優勝大会には、自分はまさにそのような感覚を抱いて相当憧れた。

数年後に、その夢は成就した。

1965年大会アルゲリッチ優勝のときの映像が残っていたのだ!
もちろんメイン課題曲のピアノ協奏曲第1番の演奏。

いまやこれも廃盤になって手に入らないのだが、

ショパン国際ピアノ・コンクールの記録「ワルシャワの覇者」DVD 32枚セット

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こういうショパンコンクールの歴史的に残されている貴重な過去の映像を集めた夢のようなパッケージ商品が発売されたのだ。結構高かった。その中に、アルゲリッチ優勝の第7回大会もあるし、なんとポリーニ優勝の第6回大会もあるのだ。

当時ヤフオクで10万くらいの大枚はたいて買ったと思うが、嬉しかった思い出だ。


もちろん白黒画像だが、よく残っていた。あの伝説の水玉模様のドレスを着て、コンクール会場に入場してきて、自分が何回も聴き込んだあのコンクールライブをいま目の前で演奏している。

なんともいえない感動だった。

アルゲリッチらしいピンポンが跳ねるように、鍵盤を軽やかにタッチする場面、後で述べるが、この箇所がこの曲で自分が一番拘るところ。そこを見事に映像として観ることができた。

生きててよかった!と当時真剣に思った。


このDVDセットは、じつは演奏の模様収録だけでなく、インタビューやショパンコンクールの歴史について解説するなど、大半は演奏よりもそういうところに割かれていて、自分は少々退屈に思ってしまった。

愚かなことに、結局アルゲリッチのその場面を見たら、あとはほとんど死蔵という感じだったので、結局売却してしまった。今思えば、ずいぶん勿体ないことをしたと思う。



なぜ、アルゲリッチのショパンコンクール1965の演奏なのか?

アルゲリッチは、その後、後年にこのショパンのピアノ協奏曲第1番を何回も再録している。
でもそこには、自分がコンクールライブ盤で感じたような緊張感、鋭さというのを感じなかった。
どこか、創り込まれている安心な世界での表現で、ビビッとくるほど緊張や感動をしなかった。

追い込まれた極度の緊張感の中でしか起こり得なかった奇跡、そんなミステリーがこのライブ録音にはある。

コンクール独特の緊張感、まさに伝説の名演奏。
この曲のこれに勝る名演奏はない。

アルゲリッチ本人も、このショパンコンクール録音が気に入っていたという話もある。


1965年第7回国際ショパン・コンクールにおいてアルゲリッチが優勝した時のライヴアルバム。
正規盤とこんなジャケット違いのものも当時収集していた。(中身は同じ。)

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「ピアノ協奏曲第1番」「スケルツォ第3番」「3つのマズルカ 作品59」で演奏はワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団。24歳という若きアルゲリッチの自由奔放で情熱的な演奏が素晴らしい。

ちなみに、コンクールでの彼女の使用ピアノはスタインウェイでもベーゼンドルファーでもなく、ベヒシュタインだったというのが驚きである。

ポーランドの人々が「ともかくマズルカだけはポーランドを知らなくては弾けない」と言い切りがちなこの曲を、ショパンコンクールの準備をするまでマズルカが何かも知らなかったというこのアルゼンチン出身のピアニストが、そんなうんちくを蹴散らすかのような見事な演奏を披露しているのだ。


なぜ、数多あるショパンピアノ協奏曲第1番の録音の中で、この1965のショパンコンクール盤がいいのか?

いま改めて聴いてみると、アルゲリッチらしい強打腱のオンパレードで緩急はまるでなし、ある意味一本調子で現代の流麗な語り口のピアニストたちの演奏と比較すると、いくぶん乱暴で粗野な印象を受けることは確か。

通常、20分かかる第1楽章を16分で弾いている。
それくらい高速で強打腱、そして一本調子というのが贔屓目なしの率直な感想だろう。

まさに若いよな~という感じの演奏だ。

でも、若かりし頃の自分はこの演奏に惚れ込んだ。

特にこだわったのは第3楽章の冒頭でピアノが最初に入るところ。

ここはアルゲリッチのこのコンクール盤では、まるで鍵盤の上でピンポンが跳ねるように、じつにリズミカルに跳ね上げるように弾く。これが自分には堪らなかった。

それ以来、この曲を聴くときは、この部分はどうなのか?を聴いて、この盤はよい、よくないなどの判断をするようになってしまった。(笑)

ある意味変わってる奴。(笑)

それくらい自分にとって大事な箇所だった。

他のアーティストのこの曲の録音のこの部分は、大抵なめるように、軽やかなにさらっと弾き流すのだ。これが自分には物足りなかった。もっと強く鍵盤を弾くかのようにピンポン的に弾いてくれるのが好きだった。

いままで聴いてきたこの曲の録音では、この部分は大半がさらっと流す弾き方が大勢を占める。

そんな聴き方をするようになったのも、この1965コンクール盤による影響が大きい。

自分にとって、特にピアノは、そのピアニストの解釈によって、そして嵌るきっかけとなった最初の曲に支配されることが多く、その影響のために、いつまで経っても新しく出てくる新譜に対して寛容になれない、という保守的な自分がいる。

ピアノ協奏曲では、自分にとって命のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番についてもまったく同じだ。あの曲もアルゲリッチの演奏がリファレンスになってしまっている。

いつまで経っても新しい新譜を受け入れられる寛容さが持てない。

じゃあポリーニの1960年のショパンコンクール優勝のときのこの曲の第3楽章の冒頭のピアノが入るところはどうだったのだろうか?

これもずいぶん悩んだというか、聴きたくて恋焦がれた。(笑)

ポリーニのコンクール時の演奏は、なかなか音源として出なかったので、時間がかかったが、ようやくDGがポリーニ全集ということでBOXスタイルの全集を出してくれた。

その中に、この1960年大会のポリーニによるこの曲の演奏が収録されているのだ。

やった~!とう感じで、もちろん購入した。

聴いた感想は、まぁ~さらっという感じでもないし、ピンポンのように弾く感じでもなく、中庸でした。自分的には、あまり印象に残らなかったような・・・(笑)

後年、この曲に関しては、いろいろな名盤が出たが、自分的に納得いく素晴らしい演奏、録音と思ったのは、クリスティアン・ツィンマーマンの弾き振りによるピアノ協奏曲第1番&第2番。

これは世間の評判通り、自分も素晴らしい演奏だと感じた。

いわゆる創り込まれた芸術の域というか、そういう完成度があった。

あと、ライブ、つまり生演奏ではどうだったか?

記憶がなかなか思い起こせないのだけれど、ウィーンフィルが定期的に毎年サントリーホールで公演する来日公演で、ランランがこの曲を演奏して、そのときは鳥肌が立つくらい興奮した素晴らしい演奏だった記憶がある。

いずれにせよ、時代を超えたピアノ協奏曲の名曲中の名曲ということで、ふっと思い立ち日記にしてみた。ピアノ協奏曲を語る上では忘れられない、そして絶対避けては通れない1曲だ。

そういえば、来年?ショパンコンクールがまたやってくるのではないだろうか?

あの場で、また新しい時代のスターが生まれるのだろう、きっと。






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世界の朝食を食べさせてくれるお店 モロッコの朝ごはん [グルメ]

このシリーズをやり始めてから、世界の国の地理に詳しくなったような気がする。

いままでその国の名前はよく聞いたことあるけれど、それが世界のどこに位置するのか?というのは、いまいちピンとこなかった。

朝ごはんを通して旅に出よう!

伝統的な朝ごはんは世界的に消えつつあるが、そこには歴史や、文化、栄養、生きることを楽しくしてくれるヒントがいっぱいつまっている。

そんなスローガンでやってきた。


やっぱり原宿2号店は最高だ。
こんな広いゆったりしたスペース。
大体、休日の土曜の午前中に来るのだが、なんかこのスペースを見るとホッとする。
休日だから、なにも予定などなくて、頭の中まっさらにして、ここで世界の朝ごはんを堪能する。

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2か月に1回更新される世界の朝ごはん。
今回は、モロッコの朝ごはん。

モロッコの世界地図な位置は、ここ。

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モロッコ王国。

首都:ラバト
最大の都市:カサブランカ
人口:約3,300万人
民族:アラブ人やベルベル人
宗教:イスラム教やスンニ派が多数
言語:アラビア語、ベルベル語、フランス語など。
政体:立憲君主制




アフリカ大陸の北西に位置するモロッコ王国。南部にはサハラ砂漠が広がるが、大西洋と地中海に面する北部は一年を通して穏やかな気候でカサブランカなどの都市が集中する。先住民族のベルベル人とアラブ人などが住んでいて、アフリカとアラブの文化に、フランスやポルトガルなどヨーロッパの文化が入り交じり、現代のモロッコは、多様性のある文化のクロスポイントになっている。

食生活にもそれが反映されている。


国花はバラ。花が咲く5月には香り豊かなダマスクローズの収穫が一斉に行われ、ローズオイルやローズウォーター、ジャムなどに加工される。


イスラム教のモロッコでは、イスラム法で定められた食のルールがある。
食べてもよいものが「ハラル」で、食べてはいけないものが「ハラム」として禁じられている。

豚肉やアルコールはハラムとして禁じられている。
ただ観光客であれば、都市部ではお酒を購入することが出来る。

7世紀にアラブ人がやってくる前から住んでいた先住民族のベルベル民族。
タジンやクスクスといったモロッコを代表する料理は、もともとベルベル民族の料理なのであった。

日本でもポピュラーになってきたアルガンオイル。
アルガンの実の種からとれる貴重なオイルは古くからベルベル人に重用されてきたが、近年美容効果などで海外からも注目されて貴重な輸出品となっている。

モロッコってこんな国です。


これがモロッコの朝ごはん。

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小さな穴がたくさん空いたパンケーキの「バグリール」と、四角いパイのようなクレープの「ムサンメン」がモロッコの人気の朝ごはん。どちらもセモリナ粉で作りたっぷりのバターとハチミツをかけて食べる。

トマトや玉ねぎと卵をタジンで煮込んで作ることが多い「ベルベルオムレツ」。たっぷりのイタリアンパセリとコリアンダーが入ったモロカンサラダと一緒にワンプレートスタイルにした朝ごはん。


写真のお皿の左下にある円形のパンケーキが「バグリール」。
モロッコのパンケーキ。小さい穴がたくさん空いているのが特徴。
朝ごはんに限らず、露天でも何十枚ものパグリールを重ねて売っていて気軽に食べることが出来るのだ。

その右にある四角いパイのようなクレームが「ムサンメン」。
ホブスというパンがモロッコではよく食べられているのだが、ムサンメンという四角いクレープと、「バグリール」というパンケーキが朝ごはんにはよく食べられている。

どちらもパスタと同じセモリナ粉が原料。ムサンメンは、いろいろなものをのせてくるくると巻いて棒状にして食べる。バターとハチミツが人気。


食べたんだが、この日記を書いているときに大失敗したことに気づいた。
バターとハチミツをかけて食べるもんなんだね。気づかないで、そのまま食べていました。(笑)

どうりで無味無臭というか、これ美味しいかな~?と思いながら食べていました。(笑)
食感がモチモチしているので、確かにバターとハチミツをかけて食べたら、最高に食べ応えがあって美味しいかもですね。我々日本人で言えば、白いご飯になにかを乗せて食べるみたいな、そんないわゆる主食的な存在なんでしょうね。

バグリールもムサンメンも、どちらも同じ味がするというか、あまり変わらないと思いました。

どちらもセモリナ粉で作られているので、同じなんだね。


その上に映っている真ん中に玉子が乗っているもの。
これはベルベルオムレツといって、トマトと玉ねぎを煮込んだソースに玉子を後から落とすモロッコスタイルのオムレツ。タジン(北アフリカ地域で使われる土鍋のことで、いまはそれを使って作る鍋料理のことを全般にそう言っていたりする)を使って作ることが多い料理。

これは美味しいと思いましたね。
まずトマトの風味が強烈なので、すぐにわかったが、単にトマトだけとは思えない絶妙な味の複雑さというか、ちょっとしたクセのあるアクセントがあって、これってなんだろう?とずっと思って食べていたのだが、いま日記書いていて、それが玉ねぎによるものだということがわかった。

さっきのパンケーキもそうだけれど、この企画、いつも予習しないで、いきなり本番で体験して、その後にゆっくり日記を書くときに、ようやく朝ごはんの中身、構成を知るという後付けなので、どうしてもこんな失敗とか、後になってわかる、という感じなんだよね。


さらにその横にあるさっぱりサラダ風。
たっぷりのイタリアンパセリとコリアンダーが入ったモロカンサラダ。
これはホント見た目通りのさっぱり風味のサラダでした。


今回のワンプレートの朝ごはんにはなかったが、モロッコ料理と言えばやっぱり「クスクス」。
セモリナ粉を小さな粒にまとめた世界最小のパスタ。モロッコでは野菜や肉と一緒にタジンで煮込んで食べるのが一般的。モスクに行って礼拝する安息日である金曜日に食べることが多く、モスクでクスクスがふるまわれたりするそうだ。

クスクスと言えば、なんかゴローさんが三軒茶屋に美味しいお店がある、とみんなに宣伝していたことを思い出しました。(笑)


モロッコの国の人の食事の仕方なのだが、絨毯を敷いた床に座って、取り皿なしで大皿から直接食べるのが一般的な食べ方だそうだ。イスラム教では右優先の思想があるあるため、右手を使って食べる。イスラム暦の第9月はラムダン月とよばれ、約1か月間太陽が昇ってからは沈むまで何も口にしないのだ。

バグリールは、ラムダンの時期に特によく食べられている。また断食明けには体に優しいトマトスープのハリラが好んで食べられるそうだ。

自分はイスラム圏に生まれなくてよかったと思うのは、やっぱりこの断食があるのは耐えられないからかな?(笑)


今回の朝ごはんと、その他、モロッコに関する諸々の情報は、駐日モロッコ王国大使館による協力によるもの。

今回お店のスタッフは、モロッコ大使館にお伺いして、参事官の方々にモロッコの朝ごはんを試食してもらったそうです。(笑)

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(c)WORLD BREAKFAST ALLDAY FB Page


この日の原宿。この日もこれ以外に特に予定を入れていなく、なんかのんびりした1日を。。。こういう休日の過ごし方はいい!

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東京昔ラーメン 福寿 [雑感]

奴は渋谷 笹塚に住んでいた。(笑)当時よく笹塚に遊びに行っていたのだが、どうしても忘れられないラーメン屋さんがあった。奴に教えてもらい、よく一緒に食べに行っていたし、自分一人でもよく食べに行っていた。

じつにひさしぶりに奴のことを思い出したとき、この笹塚のラーメン屋さんのことを思い出し、無性に食べたくなった。奴と疎遠になってから、笹塚という街自体にもまったく行かなくなった。

よし!行ってみよう!

本当に久しぶりの笹塚。
駅前は工事中ではあったけれど、そんなに面影は変わっていなかった。

ここの十号通り商店街にある。


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懐かしすぎる!(笑)まったく変わっていなかった。

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この商店街の一角に、焼き鳥を売っているお店があって、そこで焼き鳥を何本か買って、その場で、奴と立ち食いしたことがよくあったのだが、まだやっていた!

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目指すラーメン屋さんは、この十号通り商店街をずっ~と下ったところにある。

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福寿。

創業67年にもなる老舗中の老舗。まさに日本でも相当古くからやっている東京昔ラーメン屋さん。じつに30年ぶりに暖簾をくぐります。

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まったく変わってない!
あの当時のまま。

まさに昭和のノスタルジックな雰囲気がそのまま残っているお店なのだ。

あれから30年は経っているのにオヤジが結構ピンピン若いんだよね。
店主交代しているかな?いやそんなことはないだろう。

あまりに高齢なんでいつ閉店になっても不思議ではないので、やはり今のうちに食べに来たのは正解だった。

結構お客さんもかなり入っていて、繁盛していた。昔より入りがよいぐらい。
ごく最近、フジテレビで特集されたらしく、その効果もあるかも?とか。

テーブルなんて、このレトロ。

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値段設定もとても良心的。

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飲み水のサーバーは、あまりに古すぎて衛生的によくなさそうに感じてしまう。(笑)

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自分はチャーシューメンの大盛を頼んだ。

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大盛はやっぱりちょっと図的に汚いかな?
しかもチャーシューがとても貧祖。

でも懐かしすぎる。まさにあの当時にそのまま。

昔、じぶんはここの東京昔ラーメンの味が大好きで、必ず大盛を2杯平らげていた記憶がある。

さっそく食べてみたが、まったく変わっていなかったね。

本当に美味しい。

麺がすこし固めのが特徴。そして相変わらず美味しい飾りっ気なしのスタンダードな醤油味。

まさに東京昔ラーメン。

昭和の懐かしの東京ラーメン。


イケメンより男前が好き
クリエーターよりも職人が好き
最近のラーメン屋はとかく意識が高い

ダシから徹底的に凝りに凝った芸術品ともいえるいまのラーメン

ここのラーメンは、そういうものとは全く無縁のふるき良き時代の味がする。
昭和のノスタルジックな雰囲気いっぱいで、飾り気ナシの大勝負。

自分がガキの頃、北海道で生まれ育ったときに、オヤジやオフクロに連れて行ってもらったラーメン屋、また当時は出前でラーメンをとる、というのが結構あたりまえで、そんなガキの頃に家でウマいウマいと言って食べていたラーメンが、まさにこんな感じのラーメンだった。



そんな奴はいまはどうしているのか?

奴の名前でネットでググると、なんと折り紙の世界がいっぱい出てくるのだ。(笑)

折り紙の世界は、自分もよく知らないが、でも日本折紙学会という組織がきちんとあって、専用のサイトもたくさんある。やっぱり折り紙の大好きな人が集まって、自分の折った作品を自分のツィッターに上げたりして、楽しまれている、そういうほのぼのした世界みたいだ。

折り紙の世界って、こんな世界。。。

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まさに和の美しさというか、日本的でいいな~と思う。
どちらかというと女性にファンが多いのかな?とも思ったり。

じつは奴の名前でググると、折り紙の世界では奴はどうもスーパースターみたいなのだ。(笑)

これが奴の出世作品。

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「ツル星人」

伝承の折り鶴に,長い手足を折り出して,人型にアレンジされた、どちらかというと面白的な作品。

奴はこれで、一気にスターダムに乗り上げて、折り紙界のスーパースターみたいなのだ。
奴のこの作品に、みんな憧れて、マネをして折ろうとするが、折り方がわからないので、そういう講習会があったりすると、奴は講師として招かれているみたいだ。

じつはその講習会の模様の写真を見つけることができた。
奴は講師として映っていた。

2012年「折紙探偵団」という折り紙の東京コンベンションのこと。

ひさしぶりに奴の近影を見た。

やっぱり奴だった。変わってなかったな。ちょっと太ってひと回りガタイが大きくなっていた気もする。もともと体格がデカいやつで、自分も大きいが、奴のほうが大きかった。

当時は髪型は相当長髪だったが、いまは綺麗さっぱり短くしていた。


このツル星人、何年も連続して講習されている作品で,折り紙教室でも大人気なのだそうだ。

講習生のみなさんも奴の講師ぶりを、こんな風に書いている。

とても大柄な方でキャラがまず最高、朗らか。
とっても明るい雰囲気の折り紙教室


ある個所の沈め折りの説明で「ここをバコーン!と内側にしまって!」
他の個所の沈め折りの説明で「ここを,さっきのバコーンみたいにシャキーン!と内側に」
「そうすると,ここがシャキーンでここがバコーンになるんだけど」
読むと意味不明かもしれませんが,実は結構分かりやすいんですよ,これが。


なんか長嶋茂雄さんみたいですね。(笑)

でも奴のことをよく知っているだけに、このコメントはよくわかるし、その通りと思う。
そういうやつでした。

ツル星人をはじめて開発して折ったスターで、その後それに憧れる折り紙ファンが全国に居て、折り方の本も出しているみたいだ。そしてこうやって毎年、折り紙講習会に講師として招かれている。

奴の他の作品を披露してみよう。

「イスに座って本を読む、ツル星人」

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「 怪獣ツルラ 」

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「 大怪獣 ギャオス 」

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奴の作品は、一番前の青いやつで、「ふんころがし」(笑)

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折り紙の世界って、ある意味、日本的で可愛らしいというイメージがあるけれど、奴の作品は、どれも怪獣もの(笑)。はじめ奴の名前でググったときに、この折り紙の作品が出てきて、てっきり同姓同名の別人かな?とも思ったのだが、この一連のゲテモノというか怪獣ものを見て、あ~やっぱり奴に間違いない、と確信したのだ。

奴らしいというか、奴の匂いがする。。。という感じで。

奴は、当時から、いや大学の頃からちょっと変わったやつで、とても個性的だった。

大学の時、スケバン刑事という番組が流行っていて、初代:斉藤由貴、二代:南野陽子、三代:浅香唯ってな感じで大流行していた。(自分は原作の漫画でもスケバン刑事読んでました。)

奴はナンノこと南野陽子の熱烈な大ファンで、それはそれは、よくいろいろ聞かされました。(笑)いろいろなナンノのコレクターしてました。社会人で再会しても変わってませんでした。ナンノ・ブーム健在という感じで。


ネットでさらにググると、なんとTV出演もしていた!

2015年にフジテレビで、KinKi Kidsのブンブブーンという番組に出演していた。

「近藤真彦と東京タワーを丸ごと知り尽くそう」という内容だった。(笑)

まだ東京タワーやってるんですか!(笑)

自分の予想だけれど、出演者のKinKi Kidsの堂本兄弟と、近藤真彦といっしょに東京タワーってこんなところ、という感じで、東京タワーのいろいろなところを現地ロケで紹介、説明するテレビマンとして出演したのではないか?と思うのだ。

東京タワーのことは知り尽くしているからね。(笑)


でも、まさか折り紙界のスーパースターになっているとは知らなかった。

自分は、オーディオや海外旅行、そしてクラシックコンサート通いとどれも莫大な投資資金が必要な趣味ばかり。生活のリズムを壊してまで、やってるという感じなのだが、そんなところに、奴の折り紙の世界で活躍をしているのを見て、なんとお金のかからない健全な生活をしているんだろう!と思った訳だ。(笑)

お金をかけないで、人生を謳歌する方法はいくらでもあるんだな、ということを強烈に感じました。

2012年の近影の写真でも、当時の面影はそのまま、ひさしぶりに30年ぶりに再会してみたいな~?

積もる話もあるかろう・・・。







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クラシック・コンサートのカーテンコールは、なぜ何回も繰り返すのか? [クラシック雑感]

クラシック・コンサートに行き始めた人は、あの終演のときのカーテンコール、つまり指揮者やソリストが何度も舞台袖に下がっては、また登場して、を繰り返して拍手喝采を浴びるのか?といういわゆる儀式を不思議に思うかもしれない。

自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。

せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。

ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)

その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。

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もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。

当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)

クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。

コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。

このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。

この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。

誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。




そういうことでしたか!

昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。

そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。


でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。

それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。



カーテンコールとは?

音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。

「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。


自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?

2~3回やって、その後アンコールに入って、そしてまたカーテンコール。

オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。

幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。


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ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。

自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)




なぜ何回も繰り返すのか?


ずばりノンノン流に解析を施してみると、

クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?

その余韻を味わうために、何回も繰り返す。

休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。

やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。

カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。

本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。

まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。

例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。

それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。







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カーテンコール [クラシック雑感]

クラシックのコンサートのカーテンコールは、その光景に、その公演のすべてが含有されているとても華やかな瞬間だ。

やっぱりこれは自分の想いなのだけれど、コンサートの鑑賞日記の巻末に、このカーテンコールの写真があると、それまでの文章がぐっと映えてくるというか、読み手側にものすごい感動、そしてその公演の場がいかに素晴らしかったか、という臨場感を与える効果があるのではないか、と思うのだ。

やっぱり写真の視的効果はすごく大きい。

カーテンコールを撮影することは、国内のコンサートホールでは、ほとんど禁止行為で、撮影していると係員が飛んでくる感じで、とても厳しい。レセプショニストがしっかり目を見張らしている、という感じだ。

いつかレセプショニストの日記を書いたことがあったが、自分にとって、レセプショニストの存在は、どちらかというと撮影していると、注意される、いわゆる怖い存在といった経験のほうが多い。(笑)

演奏中を撮影することは、これはもっての外だと思うが、終演後のカーテンコールぐらいは撮影したいなぁという気持ちは正直ある。

ここら辺は、結構ホールによって、その厳しさや緩さがまちまちで、カーテンコールの撮りやすいホール、撮るのが極めて困難なホールというのがあって経験上自分の中ではよくわかっている。(笑)

自分の経験では、やはりサントリーホールが1番厳しいと感じる。

それと比較して、海外音楽鑑賞旅行で、海外のホールに行くと、もう日本とは天と地の差で、カーテンコールはほぼ撮影可能だ。

クラシックに限って言えば、外国人の聴衆のマナーは、日本と比較すると、かなりレベルが低いように思われる。自分の経験からすると、静謐さ、楽章間の拍手禁止、フライングブラボーをやらない、終演直後の沈黙の時間をきちんと守るなど日本の聴衆は、クラシックに関して造詣が深くとてもハイレベル。

日本人聴衆は概して大人しい。それに対して、外国人聴衆は、もっと動的だ。
オペラで演出に不満があれば、もう平気でブーの嵐だし、床をどんどん踏み鳴らす。意思表示がはっきりして、個性的なのだ。

もちろん日本でもそうじゃない場合もあり、よくマナーが悪い観客に遭遇することはよくある。

でも自分の経験からすると、やっぱり日本の聴衆のほうが、海外の聴衆よりずっと大人しくて紳士淑女のように思えるし、クラシック・コンサートの聴き方の基本的マナーをわきまえているように思える。

カーテンコールを撮影するなら、海外のホールだけにしたほうがいい。

自分もその昔は、よく国内のホールでもカーテンコールの撮影にチャレンジしていた。
自分ながらよく果敢に挑戦したよな、と思う。

カーテンコールの撮影は、ひとつのスキルが必要なのだ。ただ、撮ればいいってもんじゃない。
たとえばソリストが一番いい表情をしているような、輝いているような、その瞬間を撮らないといけない。

終演後、ソリストの挨拶、指揮者の挨拶など、ほんのわずかで、あっという間に終わってしまう。

そのわずかの間にベストショットを撮る必要があるのだ。

もちろん一発で撮れるわけがなく、連写してたくさん撮る。1回のカーテンコールで、50枚から100枚ぐらい撮っているかもしれない。その中の90%は、ほとんど失敗作なのだ。ピンボケしていたり、ソリストの表情がいまいちだったり・・・。

撮影中にいま撮ったショットがうまく行ったか、逐次猛スピードでビューモードで確認する。

これで、いいショットが撮れていた場合は、もうそこで撮影は終了。

いいショットが撮れるまで、ずっと繰り返すのだ。

日本のホールはとても厳しいので、必ず係員が飛んで注意される。それもわかっているので、要は終演直後から、係員に注意されるまでの間に成功作品を撮影する、そういうタイムリミットがあるのだ。



ソリストの表情など、どの写真を選ぶかは、やはりその人のセンスが滲み出る。

いわゆるカメラマンとしてのセンスというのかな。

風景画を撮るより、人物画を撮る方がずっと難しいのだ。

ソリストの一番いい表情をいかに撮るか、そのソリストの一番いい所をいかに引き出すか、これがカメラマンの腕の見せ所なのだと確信している。

自分のカメラの美学として、ピンボケの写真は、絶対日記には載せたくないというのがある。
それだけで、日記が汚れてしまう感じがするし、ピンボケの写真しかなく、そんなことするくらいなら最初から写真は掲載しないほうがいい。

あと、カーテンコールの撮影にはカメラマンの腕というかデジカメの機能もかなり大事なファクターでもある。

カーテンコール撮影に必須な技術は、ずばりズーム。終演後に一気にズームして、フレームの構図内で、出演者の大きさのバランスを取ること。つまり遠近感の調整。

これは終演後にまずやらないといけないこと。

ズーム機能の倍率の弱いデジカメはNGです。コンサートホールはとても広いので、遠くの観客席からステージでの出演者の被写体に適した大きさにする、つまり適した遠近感にはズームが絶対必須の技術なのだ。ソリストの表情がわかるくらいがいい。

素人の写真では、ステージ上の出演者たちを撮るのはいいけど、なんか座席が遠いので、豆粒みたいにしか映っていないのもよく見かけるが、これじゃダメです。

最近スマホは画質が綺麗に撮れるけれど、自分的にはズームが弱いと思っているので、カーテンコール撮影には使えない。

一眼レフの本格的なものは、そのガタイがでかいので、カバンから取り出すときにかさばるし、それを使って撮影している時点で、もう係員に見つかりやすいので、これもNG。

やはりコンデジが1番いいです。自分はソニーのサイバーショットを使っているのだが、じつは最新になるほど画質や撮像素子のレンズの高性能になっていくんだが、ところがなぜかズームの倍率が弱いのだ。

新しいほどいいと思って最新のサイバーショットを買って、カーテンコール撮影に臨んだところ、ズームが弱くて、被写体が小さく過ぎて、ちゃんとしたカーテンコールが撮れないのだ。

もうがっくり。金返せ!

そして再度もう一ランク下げてズームの倍率の桁表示データに気をつけて買って、カーテンコール撮影にチャレンジ。これもダメだった。

結局、同じサーバーショットでもちょっと古いモデルが、自分的には、もっともズームが強くカーテンコール撮影に向いていて、いまこれをカーテンコール撮影専用デジカメとして愛用している。

(結局サイバーショットだけで、3台も持ってしまうはめに・・・)

やっぱりコンサートホールはとても広いのでそういうところがキーになる。

あと、細かいことを言うなら、ホールの暗がりで撮るので、どうしてもピントがぼけるというか、90%の失敗作は、大半がこのピンボケだ。これも不思議なことに、ホールによって綺麗に撮れるホールと、どうやってもピンボケになってしまうホールと存在するのだ。ホールの照明の種類によるものなのかな?

ザルツブルク音楽祭の祝祭大劇場は超難しかったです。何回撮影しても、どうしてもピンボケしました。

シャッタースピードを調整するという技もあるが、あの瞬時の間にいろいろやるのは厳しい。


だから自分にとって、終演からのこのわずか短時間の間が、勝負の時だった。
ある限られた一瞬の間に、たった1枚でいいから、その人のもっともいい表情を引き出しているその瞬間が撮れればそれでいいのだ。何十枚の連写の無駄使いも気にならないのだ。

そして、このエンディングのこの儀式があるために、そしてこの勝負の時がエンディングで待ち構えているから、コンサートの公演の最初からどうも落ち着かないというか、コンサートに集中できないということもある。

うまいショットが撮れるかどうか、もうコンサート公演中のときから心配なのだ。(笑)

その瞬間にステージの演奏家の方々が最高!と思えるような所作をしてくれるかどうか、そんな不安をずっと抱きながらコンサートを聴いているのだ。

これは精神衛生上あまりよろしくない。

係員の方に注意されると、やはり精神的に気持ちのいいものではない。
そして、このカーテンコール撮影のために、心配し過ぎて、コンサート自体に身が入らないのでは、なんのためにここに来ているか本末転倒というのもあり、最近自分は、国内のコンサートホールではカーテンコールを撮影しないことに決めた。

そうすると、コンサートの最初からの不安やドキドキがなくなり、公演にしっかり集中できるようになり、精神衛生上とてもよくなった。

でも職業病といおうか、終演後の演奏家の挨拶を観ていると、うわぁこれはベストショットだな~、撮りたい~ってな気持ちになるのだ。

それを我慢してただ拍手しているのが、これまた精神衛生上よろしくない。(笑)


ただし海外に行ったときは、カーテンコールはやっぱり撮影しようとは思っている。
だって、自分だけがそのホールで体験しているからね。


そんな自分が盛んにカーテンコールを撮影していた頃の写真をオンパレードで披露してみたい。
いままでの過去の日記で披露してきた写真だが、ここでもう一度その感動を!


2013年9月13日 読響のコンサートで、清水直子さん。大ファンです!

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2013年6月30日 東京芸術劇場で、都響のドビュッシーづくしのコンサート。
吉野直子さん、カッ,カッコイイ・・・(^^;;

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2013年8月、ルツェルン音楽祭のKKLにて。結局この公演がアバドとの最後の対面だった。
最前列なので、 アバドと藤村実穂子さんの姿が全く見えない、なんじゃそれ?だった。(笑)
このカーテンコールの写真にアバドと藤村さんが隠れて映っていないのが最大の悔しい~ってな感じ。

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2013年8月、ザルツブルク音楽祭でのドン・カルロ。まさにヨナス・カウフマン一色だった。カウフマンの公演のチケットは、いつも瞬殺ソールドアウトで無理。このチケットもこの年のザルツブルク音楽祭の最大の魅せ場で、いつみてもソールドアウトで、1番チケットが取れなかった公演だった。大変なプレミア価格で売買されていた。渡欧直前に奇跡的に取れました。忘れられないです。

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2013年8月 ザルツブルク音楽祭 祝祭大劇場にて。ムーティ&ウィーンフィルのヴェルディ「レクイエム」。 独唱ソリストにはガランチャもいた!ザルツブルク音楽祭は、やっぱりウィーンフィルのお祭りだよね~。

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サイトウキネンで小澤さんを観る!という念願がかなったとき。2013年8月31日、まつもと芸術館にて。ラヴェルの 子供の魔法。後にこの公演をCD化して、それが米国のグラミー賞を受賞しました。

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水戸室にて小澤さんを観る!これもひとつのミッションだった。2014年1月19日、水戸芸術館にて。小澤さんだけでなく、 映ってる団員さんたち、みんな若いよ。

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2014年4月26日 銀座王子ホールにて。タベア・ツインマーマンのヴィオラリサイタル。
この方はとても個性と才能が あって、まさに玄人受けするアーティストだと思います。

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2014年12月27日 年納めコンサート。神尾真由子さん。ミューザ川崎で東響で聴きました。指揮は秋山和慶さん。 神尾さんは、もう何回聴いたかわからないね。パワフルな奏法ですね。

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2015年2月3日 N響とアラベラさん。アラベラさんは、2004年にデビューだけど、自分が入れ込んで聴き始めたのは、 この年。ファンとしては遅い参入です。YouTubeで見ると、アラベラさんも昔は垢抜けてなかったな。(笑) 女性演奏家にありがちな経年とともに抜群に綺麗になるパターンです。アラベラさんのカーテンコールの中でもこのショットは、自分的にはかなり気に入っていて最高の部類に入ります。

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2013年の新国のワーグナー楽劇「タンホイザー」。主役のタンホイザーが主役としては、いまいちオーラがなく不満でしたが、でもいい演出でした。いいカーテンコールのショットだと思います。新国もカーテンコール撮影厳しいです。

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カーテンコールではありませんが・・・(笑)

いまや恒例となってくれたポール・マッカートニーの東京ドームでの来日コンサート。余裕持って、1時間以上も 前に行っているのに、このザマですか?(笑)まっ超盛り上がりというところですね。ポールは、公演中は水を1滴も 飲みません!

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2015年6月6日、愛知芸術劇場にて、ヘンゲルブロック&NDRとアラベラさん。まさにこの年、自分のアラベラさんフィーバーは頂点に達した。東京、大阪、名古屋、縦断ツアーを追っかけました。サントリーの公演はNHKで放映されました。 宝物。アラベラさんのメンコンは5回も聴きました。もういいです。(笑)

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2015年9月27日 ミューザ川崎にて、東響の名曲全集で、アリーナ・イブラギモヴァさんを堪能。いまとても注目の若手 ということで、燃えた年だった。イブラギモヴァさんは、このコンチェルトと、銀座王子ホールでシリーズ化しているモーツァルトのソナタを鑑賞。

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国内ではカーテンコールを撮影しない代わりと言ってはなんだが、最近嵌っているのは、サイン会の撮影を撮ること。

カーテンコールと違って、短時間での異常な緊張感は必要ない。その分すごく楽だ。(笑)
こちらのほうが健康にいい。

でもじつはこれも結構難しいのだ。何枚も連写しては失敗作が大半。サイン会だと、どうしてもサインをもらうお客さんがジャマになる。そしてソリストもサインを書くので下を向いているから、シャッターチャンスはずばり、サインを書き終わって、顔を上げてお客さんに笑顔で挨拶するとき。


今年の3月の読響とのコンチェルトでのアラベラさん。またしてもメンコンでしたが、これまた素晴らしかった。そしてこのサイン会でのショットは、アラベラさんコレクションの中でも断トツのトップに入ります。

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2015年の王子ホールでのモーツァルト・ソナタのリサイタルの後のサイン会でのイブラギモヴァさん。うっ、なんと魅力的なんだ!ちょっとセクシーです。(^^;;

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切手コレクション [雑感]

このペーパーレスなネット&電子化時代、いまの若いもんは、切手収集なんて根暗な奴のすることだ、なんて偏見もあるんだろうなぁ。(笑)

自分は、いまはやっていないが、子供の頃は切手を集めることが大変な趣味だった。結構みんなガキどもは全員やっていた。今のハイテクの時代、切手収集という趣味は、存在しているのだろうか?

自分もすっかり忘れていたんだが、さっきSNSの投稿で、切手コレクションのお話をしているのを偶然見て、おっ、そういえば自分もやっていたなー。確か今も持っているはずだ、と探したらあった。(笑)

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自分の切手収集の過去は、大きく2期に分かれる。

小学生のとき、向いに住んでいたお兄ちゃんに結構影響を受けていて、なんでも真似をしていたことがあって、切手収集の趣味をされていたのを見て、自分も憧れて、やり始めた。

そしてオヤジが、当時郵便局で、必ず定期的に切手を販売していて、それを買ってきてくれていた。これが子供の頃、大変な楽しみだった。

それを切手帳に入れて、それを眺めているだけで、子供心に幸せ、というか、その所有感が堪らなかったな。

でも子供の頃はお小遣いなんか、たかが知れているので、どうしても買えない憧れの切手があった。向かいのお兄ちゃんは、父親は同じ職業なのに、なぜか、うちよりもお小遣いが多いらしく、そういう自分の憧れていた切手を何枚も持っていた。

子供心にすっごい羨ましかった。(笑)

切手コレクションは、中学に入ったらピタッとやらなくなり、そこからは洋楽ロックと渓流ルアー釣りを趣味とする少年と変わった。親戚のおじさんに、「君の年代で男の子だったら、ステレオとかそういうのに興味を持つと思っていたが、釣りか~(笑)渋いな。」とか言われた。

これも向かいのお兄ちゃんがルアー釣りをやっていたので、その影響を受けた。
エサ釣りじゃダメなのだ。ルアーを集めるのが男心をくすぐるというか、やっぱり子供って特に男の子はそういう収集癖があるんだな。当時、釣りキチ三平が大流行していて、漫画もがっちり集めて、嵌った。

そして渓流なので、北海道のそんなところに行くと当然、熊の出没の危険がある訳で、そんなところに恐れも知らず、どんどん入っていった。イワナとかアメマスが主だったが、当時から幻の魚イトウは憧れた。


オヤジも大の釣り好きなので(死ぬまで趣味でした。)、その危険行為が発覚するたびに、偉い怒られた。

ステレオ?

ええ、いまやってます。(笑)


すまん、脱線した。

中学に入ってから、切手のことはすっかり忘れていて、そして社会人になって、2004年頃まで、ずっと存在そのものも忘れていた。

ところが、なんかネットで見たのかな?

子供の頃に買えなかった切手を偶然見たことに始まり、いまなら買える!(笑)

何十年ぶりかに、切手のことを思い出し、猛烈に買い始めた。
子供の頃の欲求不満を一気に晴らすかのように・・・。

猛烈に出費しました。

そして、子供の頃に欲しくて、欲しくて、堪らなかった高価な切手を片っ端から買いあさって、欲求不満を一気に晴らす。切手収集の第2期は、わずか数か月の短期間ですべて終了しました。(笑)

あれから何十年もの間に出た新しい切手は、全く興味がなく、あくまで子供の頃の憧れだった切手のみ集める、そんな感じです。


小学校の頃に集めていた切手帳は、おそらく失くしてしまったはず。
だから第2期はゼロからのスタートだった。

全部ヤフオクで買い漁ったのではないだろうか。
憧れていた切手だけでなく、子供の頃に持っていた切手も探した。
不思議とちゃんとくっきりと頭の中に覚えているもんなんだよな。

上の小さなサイズの切手帳2冊が子供の頃に使っていたやつと同じもの。
童心に戻りたかったので、ヤフオクで同じやつを探したらあった。

ずばり子供の頃に憧れていた切手というのは、「月の雁」と「見返り美人」。そして国際文通週間の「蒲原」。


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月の雁

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見返り美人

                                               

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蒲原


当時の値段で、月の雁は1万6千円、見返り美人は8千円、そして蒲原は3千円だった。

子供にはぜったい無理!当時のお小遣いって、500円や千円くらいじゃなかっただろうか?

月の雁や見返り美人は、いまでも切手収集の王者的存在ではないだろうか?

上の値段は、1枚に付きである。

第2期でシートになっているのを買ってしまった。
いまネットで見たら、月の雁のシートは、58000円、見返り美人は、40000円だ。(驚)


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子供の頃、流行っていたというか一世を風靡したのは、国際文通週間の切手だった。

浮世絵・東海道五十三次や葛飾北斎・冨嶽三十六景の切手で、子供の頃は、そんなに集めれなかったけれど、第2期で全部集めました。(右側)(左には、月の雁と見返り美人が。(笑))

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そして当然、単枚ではなく、シートでも全部揃える。
やっぱり子供の頃に憧れていた「蒲原」のシートを買えたのは、長年の夢成就で泣きました。


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左側が蒲原のシート。
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子供の頃に一気にワープする。

浮世絵関係も。

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子供の頃は、まさに大阪万博、札幌オリンピックの時期。その記念切手も当時持っていたので、必死にヤフオクで探して買いました。

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当時の切手に欠かせなかったのは、国立記念公園と国定記念公園のシリーズ。

国立記念公園シリーズ

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国定記念公園シリーズ

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全部集めました。なんせ子供の時に集めた切手帳全部失くしたので、第2期のゼロからのスタートでした。


一気に溜飲を下げました。
相当出費しました。そしてわずか数か月でコンプリート。

2004年の頃だから、自分が病気から復職したときだったな。なにを血迷ったのか。(笑)一瞬の迷いで一気に行ってしまいました。

そして今日思い出すまで、14年間、またしてもその存在を忘れていた訳です。(笑)


今日見た投稿では、大変な切手コレクション・マニアの方で、まさしく段ボールに何箱もあって、それが押し入れにぎっちり詰まっている。

そろそろ自分の終活で、どうにか処分しないといけないが、子供に譲ってあげようと思ったら、今の世代の子供なんて、切手なんてまったく興味なし。まさに大きな粗大ごみとなってしまう、ってな感じの投稿でした。(笑)

そうだよな~。いまの子供に切手なんて、全く価値わからんだろうな。
なにせペーパーレス、電子化の時代ですから。

切手って、郵便切手じゃなくて、こういう趣味用の切手っていまでも郵便局で販売されているのだろうか?

切手収集という世界って、まだ存在するのだろうか?

ちなみに、向かいのお兄ちゃん、自分とそんなに年齢違わないのに、もう亡くなられていたのを知ってショックでした。(数年前に親から聞いた。)











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ハンブルクトリオ [国内クラシックコンサート・レビュー]

結成は2013年。まさに名前の通り、ハンブルクを拠点とするピアノ三重奏団である。

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毎年作曲家ごとのピアノ三重奏曲全曲を録音し、世界各地でコンサートを行うことをコンセプトに活動している。(2015年ブラームス、2016-17年シューマン、2018年メンデルスゾーン)

当時、ハンブルク州立歌劇場管弦楽団の奏者として活躍していた塩貝みつるさんと、北ドイツ放送響(現在のNDRエルプルフィルハーモニー)のメンバーであったヴィタウタス・ゾンデキス、そして塩貝さんのもともとの知り合いだったエバーハルト・ハーゼンフラッツともに、インターネットで配信するライブ録音で、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番を演奏したのがきっかけだった。

すごくぴったり合って、自分たちでその録音を聴いて、これは続けよう!ということになったとか。

いまやハンブルクを拠点にベルリン、カッセル、マインツなどドイツ各地で活動。新聞などで高い評価を受け、ZDF(ドイツ国営第二放送)、NDR(北ドイツ放送)に出演し知名度をあげた。

今年の2018年1月にはベルリンとハンブルクでベートーヴェンのトリプルコンチェルトを演奏し話題となった。その他、サンクトペテルブルクのフィルハーモニアホール、リュブリャナ音楽祭、ウーゼドム音楽祭に招待されている。


結成間もないフレッシュなユニットだが、今回の来日を含め、過去3回も来日している!

そうだったのか!

申し訳ございません。自分はまったく気づいてなかったです。(^^;;

このトリオの存在を認識したのは、今年に入ってから。

ヴァイオリン奏者の塩貝みつるさんとSNSで縁があるので、ぜひ実演に接してみたいとずっと思っていたところ、このハンブルクトリオの来日コンサートの報があって、これはぜひ行かねば!と思っていたのだ。

初来日が、2015年のブラームス三重奏曲で、それから2017年にシューマン三重奏曲と、本当に勿体ないことをした。かなり悔しいです。自分の過去のSNSを覗いてみると、去年の2017年のコンサートに至っては招待されていた。。。なんとアホなんだろう。(><)

このハンブルクトリオの日記を書くために、いろいろ調べていたら、なんか、かなり中身の濃いことをずっと自分はスルーしていたんだな(笑)と思いました。

まさに三度目の正直で、かなり気合を入れて今回に臨んだのだった。

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塩貝みつる(ヴァイオリン)

桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ修了。原田幸一郎、篠崎史紀、堀正文の各氏に師事。2004年よりハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団、並びにハンブルク国立歌劇場の第1ヴァイオリン首席アソシエイト・コンサートミストレス。NDRエルプフィル、シュトゥッツガルト放送響、バイエルン歌劇場などで客演する。ソリストとしてもウィーン交響楽団、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団などと協演している。

ドイツ・ハンブルク在住で活動していたが、現在は国内に拠点を移し、ゲストコンサートミストレスやソリスト、室内楽奏者として日本と欧州で活躍している。




ヴィタウタス・ゾンデキス(チェロ)

リトアニア出身。1997年より、ハンブルク北ドイツ放送エルプフィルハーモニー交響楽団ソロチェリスト。サンクトペテルブルク音楽院で、故アナトリー・ニキーチン教授のもとで研鑽を積み、その後リューベック音楽院にて、デイビット・ゲリンガス氏に師事。97年ニュージーランドでの国際チェロコンクールで優勝。ソロ、室内楽奏者として世界の主要なホールで客演。




エバーハルト・ハーゼンフラッツ(ピアノ)

ドイツ生まれ。国内外の数々のコンクールに入賞。アルフォンス・コンタルスキー、セルジュ・コロ、マーティン・ロヴェット、ヘンリー・マイヤー (ラサール四重奏団)、ノーマン・シェトラーの各氏による数々の国際マスターコースで助手を務める。現在はベルリン芸術大学にて教鞭を執りながら室内楽奏者としても活躍している。





チェロのゾンデキスさんはなんと急病で突然来日できなくなった。まさに直前のできごと。急遽のピンチヒッターとしてフランクフルト放送響の団員で、個人でもピアノトリオを組んで活躍中のベテランであるウルリッヒ・ホルンさん(ホルンだけどチェリスト)が見事に勤め上げた。

なんでも本当の直前での合流で、前日にリハーサルで、ちょっと合わせた程度。さらにウルリッヒさんにとって初見の曲だったとか。

演奏家として真の力が試されるのは、こういうピンチヒッターのとき。

この日の公演で、特にウルリッヒさんに注目して見ていたが、まったく違和感なし。見事なまでにユニットに同化されていて、その役割を全うされていた。あっぱれだと思いました。

ちなみにウルリッヒさんは、2013年からバイロイト祝祭管弦楽団のメンバーでもあり、バイロイト音楽祭であのピットに入って(笑)、演奏されているのだそうだ。


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久し振りの東京オペラシティ・リサイタルホール。

今日のコンサートは、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲全曲を聴く!というコンセプト。

コンサートは、音楽評論家の奥田佳道さんの解説プレトークが開演前とインターミッションにおこなわれる、というスタイルでおこなわれた。

奥田さんは、自分とほぼ同世代で、ヴァイオリンを学び、ドイツ文学、西洋音楽史を専攻され、1990年前半からテレビ、ラジオ、雑誌などのメディアで音楽評論活動をされている。自分にとって、奥田さんといえば、やっぱり毎年正月のウィーンフィルのニューイヤーコンサートなんですよね。解説、そして通訳として、堪能なドイツ語を駆使して、ずっと幕間のインタビューをやっている姿を、なんかず~っと昔から見ているような気がする。(笑)

柔らかい物腰で、豊かな知性に基づく解説は大変わかりやすく、この日は、メンデルスゾーンの三重奏曲については、まったく予習なしで行ったのだが、この日のコンサートのコンセプトをわかりやすく解説していただき、その場でいっぺんに背景が理解できたのはありがたかった。

硬派なクラシックファン層の方には、こういうプレトークを嫌う人もいるが、自分はまったく構わない。返って、これから聴く曲の背景がわかり、すんなり本番にのめり込める素地ができていいのではないか、と思うほどだ。

今日のコンサートのポイントは、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲といえば、1番が圧倒的に演奏される機会が多く、およそピアノ三重奏曲というジャンルの中でも最高傑作といわれるほどの秀逸作品であること。

でもじつは2番も負けず劣らず素晴らしいんです!

2番はほとんど演奏される機会がないけれど、これを聴けるということがとても貴重なことなんですよ。

そして、この日のもっと貴重な体験は、メンデルスゾーンの姉のファニー・メンデルスゾーンの曲を聴けること。幼少の頃から弟と同じ音楽教育を受け、傑出したピアニストでもあったファニー。実は才能に恵まれた作曲家であった。

でもファニーの時代は、女性の作曲家はほとんど認められず、作曲のセンスや能力があったとしても家庭や親しい人が集うサロンでの「音楽的ふるまい」のみが許されたのだった。

そんな中、後年になって夫の後押しもあって、自作品を公表するようになる。

才能がありながら、なかなかその作品に日の目が当たることがなかったファニーの作品を聴けるということは、ある意味、今日のコンサートの1番の山場だったのかもしれない。


塩貝さんは、「音楽の友」2018/9号のインタビューで今回のメンデルスゾーン姉弟のピアノ三重奏曲を演奏することに際し、こんなことを言っている。(このインタビューを読むために、ひさびさに買ったのだ。)

「メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲」は、「第1番」が有名ですが、第2番は聴いたこともありませんでした。今は、第2番のほうが好きです。弟のフェリックスは、構成力など、すべてがうまくいっている本当の天才。頭脳が明晰で、感情豊かなところもあり、バランスが取れています。姉のファニーは、才能があり、面白い感性もあるのですが、ちょっと足りない部分があります。それは演奏で補わなければいけません。ファニーの、全体の構成力よりも感情を重んじるところが女性的だと思います。」

深いなー。果たして自分が実演を聴いたとき、そこまでのニュアンスを感じ取れるかどうか、このインタビューを読んで不安になったことも事実。(笑)



前半に2番とファニーの作品、そして後半に1番という演目であった。

まず、とても聴くのが珍しい2番。

2番は、おそらく自分も初めて聴くが、正直とても不思議な感覚で、なにか言葉に表現するのが難しい曲だと感じた。この曲の感想をどのように日記で表現するべきなのか、聴きながらそんなことばかり頭の中をグルグル回っていた。とても技巧的な曲であることは確か。

ハ短調という調性からくる一種の独特の雰囲気はある(けっして明るくはない。)けれど、簡単な構成の曲ではない。そんなイージーに、感動しました!、いい曲でした!とはあっさりとは言えない複雑で高度な構造を持った曲のように感じた。

あくまで自分が感じたままなのだが、1番のような大衆性という点では敵わないけれど、でも作品としての構成力は決して負けず劣らずで、隠れた名曲とはこのことなのだろうと思った。


プレトークにあった、ここの第4楽章にメンデルスゾーンはバッハの旋律を引用していたのではないか、そしてそれをブラームスも、若き日のピアノソナタ第3番スケルツォにも使っていた、という箇所、とても興味深く拝聴していました。



そしてこれまた初お目見えである姉のファニーのピアノ三重奏曲。

これもいい曲だったが、なかなかどう表現したらいいのか、難しい曲であった。

率直に言うと、聴いていて冗長的に聴こえるというか、音楽的なフレーズ感がなかなか難しいと感じる曲だった。

フレーズ感やフレージングというのは室内楽では、1番大事な肝になるところで、楽譜で、ずらっと並んでいる音符のつながりを、どのように段落的にまとめるのか、解釈するかというのは結構、奏者の解釈に任されるところが多くて、それって大編成よりも室内楽のほうがより鮮明に出やすいポイント。

このフレーズ感のセンスがないと、聴いている側は、聴いていて気持ちいい音楽、音楽的に乗っていけない、楽しめない、など結構大事なキモなところなのだ。

よくオペラ歌手で、とっても素晴らしい声質、声量もあるいい才能を持っているのに、なんか歌を聴いてみると、上手くないというか、聴いていて感動しないのは、このフレーズのまとめ方が下手というか経験がないところから来ていると思うのだ。

音楽的なフレーズ感がない、とはそんなことだ。

ファニーの曲は、部分部分の旋律的にはとても感傷的でいいのだけれど、このフレーズのまとめ方が難しい曲なので、冗長的に聴こえるというか、音楽的に乗っていくのが難しかったのはそんなところにあるのでは?と後で、素人の自分なりだけれど考察してみた。

塩貝さんがインタビューで、ファニーの作品は感情的だけれど構成力で劣る、と言っていたのはそんなところにあてはまるのかもしれない。

そして、休憩を挟んで、最後の1番。

ピアノ三重奏曲というジャンルの中では、最高傑作と呼び声の高いメンデルスゾーンの1番。

やはり演奏機会の多い曲には、それなりの理由がきちんとあるものだということを再認識した。

流麗な旋律と、きちんとした曲としての構成力、聴いている側の感動を呼び起こす仕掛けなど、名曲は名曲たる所以がわかるような気がした。



ハンブルクトリオの演奏は、各メンバーがしっかりとした技術に裏付けされていて、見事なアンサンブルだと思いました。

なによりもエキサイティング!

全般的な印象からして、やっぱり塩貝さんのヴァイオリンの旋律が全体を引っ張っていっているという印象がサウンド的にも強かったです。

ちょっと残念だったのは、ここのホールの音響。やや響きがデッドなんですよね。やや不満でした。でも最初の曲からすると、段々音がホールに馴染んでくるというか、中盤から後半はだいぶ聴きやすい音になってきました。


しかし、こんなユニークなコンセプトのトリオが存在していたとは!



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ちょっとクラシックジャンルから離れて恐縮なんだが、3人編成、トリオというのは本当にカッコイイのだ。

自分が学生時代にブリティッシュ・ロックにのめり込んでいたとき、この”3人編成”のロックバンドというのがとても格好良くて、バンドは、やっぱりスリーピースが一番イケている、という信仰みたいなものがあった。

あの格好よさは、いくらルックスがよくても、いくら演奏技術がうまくても、4人編成や5人編成じゃ絶対出せない独特の雰囲気なのだ。

とくに演奏家のイメージフォトなんかは、この3人編成、スリーピース・ショットは最高に格好いいと思ってしまうのは、自分の嗜好からだろうか・・・。


3人というのは、フォト的にビシッと決まる独特のセンスがある。


それはクラシックのジャンルでも、もちろんあてはまる。

今回このハンブルクトリオにビビッとアンテナが反応してしまったのは、そんな自分の3人編成信仰から来るものだったのも、ひとつの理由かもしれない。


ハンブルクトリオの今後の活動として、

「メンデルスゾーンの次に取り組むのは、シューベルトでしょうか? ショスターコヴィチにするかもしれません。ベートーヴェン・イヤーの2020年には、ベートーヴェンのトリオ全曲を演奏しようと思っています。」

だそうです。

CDも出しています。

つい最近リリースしたばかり。

シューマン全曲のマニアックな「シューマニア」とメンデルスゾーン全曲の「ライブ イン サンクトペテルブルク」。

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シューマンは限定300枚。

メンデルスゾーンは、先日のサンクトペテルブルクのフィルハーモニーでのコンサートライブ録音で、フォンテックから10月発売予定。

メンデルスゾーンのほうのリンクを貼っておきます。


Piano Trio, 1, 2(メンデルスゾーン)
Hamburg Trio (St Petersburg 2018)

https://goo.gl/n1oG3V


ますます、このハンブルクトリオから目を離せない。




東京オペラシティのリサイタルホールは、じつに久しぶりで7年振りであった。7年前、ここでゴローさん、みつばちさんのシューマンのピアノ五重奏曲を聴いた。

このとき、ピアノはみつばちさん、2nd Vnはゴローさん、1st Vnが島田真千子さんだった。

NHKで、ゴローさんのADだったみつばちさんは、いまは、故郷岡山に帰って、結婚して子供もいる!学校の音楽教師をやりながら、ピアニストとしての演奏家活動もやっている。ときどきコンサートで東京に来ることもある。

島田さんは、水戸室のメンバーでありながら、セントラル愛知交響楽団のソロ・コンサートマスターにも抜擢され、まさに大活躍をしている。

やはり、7年という月日は重い。

あれからみんなそれぞれの道を歩んでいる。

自分もそりゃ年取るわけだ。
不条理と思うことも多々あるが、それでも自分の軸はぶれないで来ることができた、と思う。

7年!自分を取り巻く環境、人々もまさに一変した。

それは自分にとってつねに大きな負担で、逃げ出したいと思うこともある。
でもそれはまた逆に毎日の生活の大きな励みにもなっていた。

だからそういう意味でも、それは、いまの自分にとって幸せなことなんだろう・・・



ハンブルクトリオ メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲全曲演奏会

2018.9.20(木)19:00~ 東京オペラシティ・リサイタルホール

お話

フェリックス・メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 作品66

お話

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル ピアノ三重奏曲 ニ短調 作品11

休憩

フェリックス・メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第1番 ハ短調 作品66


アンコール

ブラームス ピアノ三重奏曲 第1番 第三楽章







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流鏑馬 [雑感]

流鏑馬(やぶさめ)は、もっとも鎌倉らしいというか、男らしい格好よさがあって、子供心に憧れた。NHK大河ドラマ「草燃える」でもドラマの冒頭は、この流鏑馬から始まる。

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出典 Wikipedia


流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を放ち、的を射る日本の伝統的な騎射の技術・稽 古・儀式。896年宇多天皇が源能有に命じ、馬上における実践的弓術のひとつとして作らせたのが始まり。

平安時代から存在したのだ。

その武芸文化を東の鎌倉に復活させたのが、源頼朝。

「吾妻鏡」には源頼朝が西に流鏑馬の教えを受け復活させたと記されている。


ちなみに「吾妻鏡」というのは、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。まさに鎌倉時代のことが書かれた唯一のバイブル書的存在。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、成立時期は鎌倉時代末期。

編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。全52巻。

子供の頃、鎌倉時代に憧れたとき、この吾妻鏡の現代語訳を読破したい、とかなり真剣に憧れた。それほど鎌倉ファンにとって、憧れの的だった歴史的資料なのだ。

鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬は、1187年に源頼朝が放生会の後に奉納されたのがはじまりで、後に神事として行われるようになっている。

幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演されたようで、北条時宗の執権時代までに、鶴岡八幡宮では47回の流鏑馬が納められたとされる。

いまは、この流鏑馬の儀式のことを、「流鏑馬神事」(やぶさめしんじ)というのが、通常の言い方である。

頼朝公が始めて以来、ずっと800年余、この鶴岡八幡宮で、この伝統ある「流鏑馬神事」の祭祀が行われてきたのである。

途中、海外遠征でこの流鏑馬神事を披露したこともあったそうだ。ロンドンとフィンランドで開かれた、と言っていた。


流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流がある。

以下、わつなぎさんのページを引用。

https://watsunagi.jp/budo/206/2/


武田流


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鎌倉・室町時代にかけて、武田家に伝授されていたが、武田家滅亡により、姻戚の細川藤孝に伝授され、以後、竹原家が継承し現在に至っている。

春の鎌倉まつりでの鶴岡八幡宮の流鏑馬神事は武田流である。


騎射(きしゃ):「式の的」と「板小的」を騎射し、成績の良かった者が選ばれ、土器で出来た「土器三寸の的」を騎射する。

笠(かさ):ヒノキで編んだ綾檜笠(あやひがさ)

射籠手(いごて):家紋の入った黒射籠手



小笠原流

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流派の始まりは、小笠原家の初代小笠原長清、7代小笠原貞宗、遠祖の貞純親王とするものがあり、代々伝わり小笠原流の基礎が出来たとされている。江戸時代に第8代将軍・徳川吉宗の命を受け小笠原貞政が流鏑馬を制定し現在に至っている。鶴岡八幡宮の例大祭や下鴨神社の葵祭での流鏑馬神事は小笠原流である。



騎射(きしゃ):あげ装束という鎌倉時代の武士の狩装束を着た3騎と江戸時代の武士の平服にちかい装束を着た10騎ほどが行う。

笠(かさ):イグサで出来た綾藺笠(あやいがさ)

射籠手(いごて):金蘭



これを読んでざっくばらんに自分が理解した範囲で書くと、武田流と小笠原流の違いは、まず服装などのいでたちが違う。そして騎射のスタイルが違う。

武田流が、成績を競う儀式なのに対し、小笠原流は騎手は3騎~10騎と決まっている、より儀式に近いというところであろうか?

その違いは、武田流の的が、いかに中心を射るかの競技用の的になっているのに対し(残った者は土器の的を射る)、小笠原流は、ただの木の的だということなのだろうか・・・。


まさに鎌倉といえば、この流鏑馬。
ぜひ実際生で観てみたいと思っていた。

秋の鶴岡八幡宮の例大祭で、その流鏑馬神事が行われるのを知って、行ってきた。
例大祭というのは、1年に1回または2回、その神社で定められた日に行われる最も重要な祭祀の事である。

神社ごとにあるお祭りなのだ。おらが街の神社でも今のシーズン、例大祭やっている。


鶴岡八幡宮のどこで、流鏑馬をやるのか?

その流鏑馬馬場は、境内中央付近にある東の鳥居から西の鳥居かけて走る参詣道が流鏑馬馬場になるのだ。

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鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の長さは254m54cm。

進行方向左手に間をおいて3つの的を立てる。
「一の的」「二の的」「三の的」

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つまり騎手は、上の図で、右から左に向かって、馬に乗って走り抜け、腰には矢が3本備え付けてあり、一の的を射ったら、すぐその後に、腰の矢を取り出して、二の的を射る。そしてそれが終わったら、さらに腰の矢を取り出して、三の的を射る、という連続技の感じなのだ。


流鏑馬では、騎射が的を射抜く手前でそれぞれ違う掛け声をかける。一の的手前で「インヨーイ」と短く太く掛け、二の的手前で「インヨーイインヨーイ」と甲声でやや長く掛け、三の的手前では「インヨーイインヨーイインヨーーイ」と甲を破って高く長く掛ける。

なにせ、254m54cmもある長さなので、実際では、拡声器を使って、「いま走り始めました」「一の的的中」「二の的的中」「三の的的中」という感じで実況中継付きなので、自分の場所に近づいてきた、というのがわかる仕組みになっているのだ。


自分は、騎手が矢を射るその瞬間を自分のカメラで収めたかったので、上の図の三の的をちょっと過ぎたあたりのオレンジ丸の部分に陣取った。実際現場に行ってみてわかったことは、絶好のシャッターチャンスと思えるところは、大抵、報道陣席か招待席なのだ。(笑)

つまり、的のある向かい側は、全部報道陣席か招待席。我々一般席は、的のある側なのだ。

流鏑馬神事は、13:00~スタートなのだが、場所取りで、遅くとも11:00には行かないとというネット情報があったので、自分はしっかりと9:30には現場に着くようにした。これは正解だった。11:00じゃ全然遅い感じで、超満員だった。

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じつにひさしぶりの鶴岡八幡宮。さすが例大祭。朝9:30でもかなりの人混みでした。

流鏑馬馬場を眺めてみる。
馬の出発点の方向を眺める。

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出発地点。

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ゴール地点。

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こちらが一の的

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二の的

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三の的

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自分は三の的の横のほうに陣取った。

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場を盛り土して、的をセットします。

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巫女さんたちが招待席に名前の札を張り付けている。招待席はこんな椅子のサービスがあるのだ。我々一般席はなにもない。なにか小さな椅子か、敷物を用意したほうがいい。でも地面は結構蟻地獄だったので、座る気はなくなったが。(笑)


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招待席。みんな望遠付の素晴らしいカメラを持ってらっしゃいました。

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こちらが、今日の例大祭の小笠原流の家元の招待席です。

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続々と集まってきます。しかし、外国人の方、とても多いです。日本の伝統の神事を見たい、というのがあるのでしょうね。

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いよいよ始まります。超満員です。

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流鏑馬馬場の両端には、このような幕がかけられます。この写真は、自分に近いところですから、三の的の後の方のゴールの方です。

この方は?(笑)

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13:00になったらすぐに始まるのか、と思ったらそうでもなし。まず鶴岡八幡宮の歴史、流鏑馬の歴史など、拡声器を使って延々説明が始まる。この部分だけで、50分はかかった。その後の本番の流鏑馬はほんの20分位で終わったので、いかにこの前振りが長いか、ということだ。正直、立ったままこれをただ聴いているのは苦痛だった。それでも朝から立ちっぱなしなのに・・・。

そして主役たちの登場。
3騎手たちの前に、2名が先導をきる。
なんか、一気に800年前の鎌倉時代に戻ったような、なんか煤けた気配。(笑)
要は、まず始める前に、一周して、みんなにそのお姿をお披露目する感じである。

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そして、ついに3名の騎手たち登場。今回の流鏑馬神事に登場する3騎手は、山川芳重さん(源雅之)、廬泰和さん(源承徳)、猪谷亦三郎さん(源崇明)の3名だ。括弧内の源氏の名前は何を意味するのか、わからない。源氏の末裔としての名前なのか、はたまた。。。

この騎手たちは、毎年違うメンバーでやるのだそうだ。

まずは山川芳重さん(源雅之)

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そして廬泰和さん(源承徳)

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そして猪谷亦三郎さん(源崇明)。

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ゴール地点で、みんな勢ぞろいの図。

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そして本道を戻りながら、出発地点に向かう3騎手。


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さぁ!いよいよここからが本番!まさにこの瞬間を捉えるために、いままで準備してきた。

出発点とゴールの両端で、赤と白の扇子を持った武士が、儀式の合図をして始まる。

事前に注意があった。それはカメラのフラッシュを炊かないこと。以前、そのフラッシュに馬が驚くというアクシデントがあったそうだ。


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まっこんなもんだ。(笑)SNSサイトでは、もっと間近で、迫力ある写真を投稿されている方も多かったので、自分の不甲斐なさも感じるが、やっぱり席の良し悪しがすべてを決めると思う。


来年の鎌倉春のまつりの武田流ではもっといい席を陣取ろう。(招待されたい!(笑))


実際、生で見た流鏑馬は、かなりすごい迫力があった!タッタカタッタカ、と馬が疾走してくる迫力が凄くて、なによりも的に的中して割れたときに、バリンというすごい音が鳴ること。

そして一斉に観衆から「おぉぉぉ~!」というどよめき、大歓声と大拍手。


疾走した後、馬がかなり興奮しているのか、ゴール地点でヒヒ~ん、と大声でなく。馬の声ってすごく大きくて、びっくりする。


とにかくすごい大迫力。

流鏑馬カッコイイ!



最初の解説は長かったけれど、いざ始まってみれば、あっという間だった。
帰りの鶴岡八幡宮は、まさに年に1回の最大のお祭りの例大祭。
すごい賑わいだった。

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カッコいい!そして、すごい迫力!で驚き、感動した流鏑馬。ちょっと鎌倉ビールで、休憩。
久しぶりに鎌倉来たから、江ノ電乗っていこうかな?(笑)

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PENTATONEの新譜:アラベラさんのR.シュトラウスへのトリビュート [ディスク・レビュー]

2004年にデビュー。以来14年間のキャリアの中で17枚のアルバムをリリース。もうしっかりとした中堅どころで、レパートリーもかなり豊富。新譜を出すとしたら、あと何があるんだろう?と思っていたが、リヒャルト.シュトラウスとは! 


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ヴァイオリン協奏曲、小品集(リヒャルト・シュトラウス) 

アラベラ・美歩・シュタインバッハー
ローレンス・フォスター&ケルンWDR交響楽団

https://goo.gl/MZ7C6c


これもおそらく、企画段階から本人といろいろ話し込んだ上で決めたと思われ、心の奥深くにある想いへのトリビュート・アルバムとなった。


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アラベラさんは、音楽一家の家庭で育った。

お父さんは、バイエルン国立歌劇場のソロ・コレペティートル。(歌劇場などでオペラ歌手やバレエダンサーにピアノを弾きながら音楽稽古をつけるコーチのこと。)

そしてお母さんは歌手。

お父さんは、有名な歌手を家に招き、頻繁にR.シュトラウスの作品を歌ってもらっていたんだそうだ。シュタインバッハー家ではシュトラウスの音楽に満ち溢れており、R.シュトラウスは、アラベラさんにとって最も近い存在の作曲家となった。

お父さんもお母さんも、シュトラウスの大ファン。

なにを隠そう、アラベラさんの名前は、R.シュトラウスの歌劇「アラベラ」からその名をもらったのだ。

自分が小さい子供の頃、お父さんが歌手に稽古をつけているとき、いつも自分はグランドピアノの下に座っていて、さしずめ音楽で満ち溢れた洞窟みたいな感覚だった。

歌劇「アラベラ」からの有名な二重唱は、両親によって家の手すりに刻みこまれていて、自分が記憶にあるときから、ずっとそれは存在していた。

この二重唱への想いは、ついにR.シュトラウスの作品だけで占められたアルバムを録音しよう!という推進力となった。もちろん歌詞はないけれど、その代わり、思い切ってその部分を私のヴァイオリンで奏でようと思った。

歌手たちは許してくれると思うけど。。。


そんな想いのたけをライナー・ノーツに綴っている。

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まさか、アラベラさんにとって、R.シュトラウスが、そんなに強烈な運命の作曲家だったとは!
正直いまになって驚かされた。

もちろん、R.シュトラウスは、自分も大好きで、英雄の生涯、ドン・ファン、ばらの騎士、サロメ、そしてなによりシュトラウスで好きなのは、彼の歌曲。もうここにはあげられないくらいたくさんの曲を愛聴してきたので、いまになってそんな告白があると、正直驚かざるを得なかった。

R.シュトラウスは、ドイツの後期ロマン派の作曲家ですね。

彼の書く作品、旋律は、やっぱり感傷的で、とても叙情的。そしてドラマティックな要素もある。

西洋音楽史は、バロック時代~古典派~ロマン派(~そして現代音楽)と大きく3つに大別できると思うが、どの時代も大変魅力的だけれど、自分は、やっぱりロマン派の音楽が好きなんだなぁと思います。ラフマニノフとか。。。

古典派のかっちり型に嵌ったスタイルもいいけれど、やっぱりどこかメランコリックでロマンティックな泣かせるメロディのほうがウルっと来てしまい、感動してしまう。


今回のアルバムは、R.シュトラウスのヴァイオリン協奏曲、そしてアラベラさんが言っていた通り、たくさんのシュトラウス歌曲の数々を歌詞をつけずに、ヴァイオリンで奏でる、いわゆる編曲版、そして運命の歌劇「アラベラ」からの二重唱である「私にふさわしい人が…」で構成されている。



まさに、


アラベラ・美歩・シュタインバッハーのトリビュート・アルバム


なのだ。


本人の想いが深いアルバムは、やはり聴き手側にも心の構えが必要。
しっかり心して聴きました。(笑)

パートナーのオーケストラは、ケルンWDR交響楽団。指揮はPENTATONEでもうずっとパートナーでやってきたローレン・フォスター。

シュトラウスのヴァイオリン協奏曲は、ひょっとしたら昔聴いたことがあるかもしれないけれど、おそらく初めてだと思う。星の数ほどあるシュトラウスの有名な曲で、ヴァイオリン協奏曲って正直意外というか、ダークホースというか普段あまり聴かれないレアな曲だと思う。

シュトラウスの唯一のヴァイオリン協奏曲で、初期の作品。古典派風の協奏曲の伝統に従ったかっちり型の曲で、ある意味、シュトラウスの曲らしくない感じなのだが(初期の作品だからね。)なかなか素晴らしい。

オケの重厚な音はさすがだが、どちらかというとヴァイオリンがメロディで走ってどんどんオケを引っ張っていく感じの曲。整然とした形式への志向がある初期の時代に書かれたので、いわゆる古典派の音楽みたいなのだが、その要所要所で、シュトラウスらしい感傷的なロマン的な旋律も垣間見える感じで、不思議な魅力がある。

ヴァイオリン独奏の部分は、結構、技巧的に難しいテクニックを感じるところもあり、激しい部分、朗々と歌っている部分、しっとり聴かせる部分などの緩急のつけかた、ドラマティック。

特に第3楽章がいい!

リズミカルでアップテンポで軽快に走って、重音奏法ありなど、アラベラさんのヴァイオリンが冴えわたって疾走感ある。

レアな曲だが、とてもいい曲だと思いました。


そして、いよいよお楽しみのシュトラウス歌曲。

ここは私はうるさいですぞ。(笑)

自分は歌の世界も好きで、特にオペラ歌手のオペラアリア集みたいなものも好きだが、歌曲、いわゆるリートの世界もとても好き。

歌曲の世界は、ある意味その歌詞の部分に、その曲の価値がある場合が多く、オペラよりその比重は大きいと思う。

その歌詞の部分を削除して、ヴァイオリン1本で、その歌曲の世界を表現しようというのだから、そこに今回のアラベラさんの勝負処がある。

シュトラウス歌曲は、それこそ、エディット・マティス、エディタ・グルベローヴァ、ディアナ・ダムラウの3人が自分の定番というか愛聴盤。ほかの歌手も結構聴いているが、やはりこの3人が多いかな。

5曲の歌曲のヴァイオリン編曲。

いやぁ、どれも聴いたことあるけれど、普段馴染んで聴いている曲で、歌詞がないのはどうも最初やっぱり違和感。(笑)

あれ?って感じ。

でも何回も聴き込んでいると、ヴァイオリンでの表現もなかなか秀逸。あっという間に引き込まれました。

特に自分は、「献呈」と「ツェツィーリエ」が大好き。特に「ツェツィーリエ」はなぜか思いっきり反応してしまう。この曲は、歌で表現した曲で聴くと、その投げセリフ的な歌い方というか、メロディの良さも含め、ものすごく格好良く感じる曲で、シュトラウス歌曲の中でも大好きな曲。

そのヴァイオリン表現も素晴らしかった。

子供の頃に自分の家で歌手たちが、たくさんのシュトラウス歌曲を歌っているのを聴いて育ってきた、その歌曲をシュトラウスへのトリビュートという意味を込めて、歌詞なしでヴァイオリンで表現する!そこに彼女の想いが込められているのだ。

そして最後に運命の、歌劇「アラベラ」からの二重唱である「私にふさわしい人が…」。

自分の名前はこのオペラから付けられた。

そして自宅の手すりには、この有名な二重唱の歌詞が両親によって刻み込まれている。


じつに大河のごとく美しい曲。まさにゆったりと流れる、そこに身を任せていることがいかに心地よいか。

この曲に対する歌詞のありなしには、さほど拘らないので、ヴァイオリンの表現だけで、自分はとても幸せな気持ちになった。あらためて、オペラ「アラベラ」を見直して、この部分のアリアの二重唱を確認してみたいと思う。

アラベラさんの深い想いがつまったアルバム。

とても素晴らしかった。

しっかり受け止めました。



今回の録音は、ケルンWDR交響楽団の本拠地であるケルン・フィルハーモニーで行われたとクレジットがある。

そこに自分の謎があった。(笑)


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SNSで公開された、「いま新譜の録音中で~す。」の写真はどう見ても、ケルンフィルハーモニーではないのだ。(笑)

どこかの会館を使っているように思えてしまう。

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この写真を観たとき、ポリヒムニアによる録音、またジャン・マリー・ヘーセン氏とエルド・グロード氏による黄金タッグということで、自分は今回も安泰ということで、ホッと安堵した。

でも送られてきた新譜のクレジットを見ると、ちょっと謎だった。
まずプロデューサーが違う。いつものジョブ・マルセ氏ではない。

今回はWDRとPENTATONEの共同プロジェクトのようなのだ。
しかもいつものバランス・エンジニア&編集というクレジットではなく、レコーディング・プロデューサー&編集に、レコーディング・エンジニアにレコーディング・テクニシャンってなんだそれ?(笑)

名前のクレジットも聴いたことのない名前ばかり。

写真ではしっかりジャン・マリー・ヘーセン&エルド・グロード、映っているのに、彼らの名前は見当たらない。

この肩書って、ドイツの放送局のトーンマイスター制度にあるような名前だから、ひょっとしたら今回のポスプロの仕上げは、WDR側でやったのかもしれない。あるいはポリヒムニアいるかもだけど、若手への世代交代で育成かな?

だから、という訳ではないが。。。

最初聴いたときは、いまいちではあった。サラウンドで聴いているのだが、部屋中にふわ~と広がる音場感や縦軸の深さなど、なんかいつもより物足りない感じで、クレジットを見てみたら、やっぱりそうか!という感じだった。


でも何回も聴き込んで、そして休日の本日、大音量で聴いたら、うにゃ、いい録音じゃないか!と納得。最近の新譜はみんなこのパターン。初めのとき聴いてがっかりで、落ち込むんだが、数日後に大音量で聴くと解決するという。。。

自分のシステムのエンジンがかかるのが遅いせいかもだが、ある日、突然急激に良く鳴るようになるのだ。

鳴らし込み必要ですね。

アラベラさんの17枚のディスコグラフィーの中で、過去最高に素晴らしいと思った作品は、ひとつ前の作品のブリテン&ヒンデミットのコンチェルト。その前衛的な音楽スタイル、そしてみごとなまでのダイナミックレンジの広さなど超優秀録音だった。

彼女の最高傑作だと思った。

今回の作品は、最初聴いたときは、そこまでのインパクトはなかったが、徐々にそれに迫りつつある。ずっと聴き込んでいけば、絶対並ぶはず。

なによりもアルバムのコンセプトがとても素晴らしいので、録音も過去最高でないといけない。

ディスコグラフィーは、やはり新しい録音になっていくほど、ユーザへの説得力が増す。


今回のアラベラさんのR.シュトラウスへのトリビュート・アルバムには、絶対に2004年デビュー当初の頃では捉えることができなかった新しい「音のさま」がある。

この「新しい録音を聴こうよ!」のフレーズは、もうすっかり自分のお気に入りで定番。(笑)

来年3月には、また来日してくれるので、自分は毎年お楽しみのアラベラ・フィーバーになりそうだ。









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今年のクリスマスは仙台にて迎えます。 [国内音楽鑑賞旅行]

日記にするなら出発1週間前にリリースするのが普通だろう。でもこの心の奥底から湧き上がる喜びを、あと4か月も我慢して抑えることができない。それはあきらかに健康に悪い。嬉しいならいますぐ発散しないと。

仙台フィルを地元仙台で聴こう!

というのは、去年からずっと心に過っていた想いで、あとはいつ実行するか、だけの問題であった。

そして今年秋の10月の定期公演のチケットを購入したものの、他の公演とスケジュールがダブっていて、誠に残念ながら諦めた。

東北の冬は厳しいので、やはり行くなら夏の新緑の季節が1番いいだろうな~と漠然と思い、そうなると来年に繰り越しということに。誠に申し訳ない、という気持ちでいっぱいだった。

なぜ仙台フィルなのか?

これは心の奥深くある想いで、事情が複雑すぎて、正直あまりはっきり言いたくない。

でも、仙台フィルの公演を生で体験することは、どうしても自分が抑えておかないといけない運命のような気がしていた。数多あるクラシックの公演の中で、ここはどうしても抑えないといけない、という運命の公演って必ずありますよね。

自分にとって、初めて体験するオーケストラは、相手のフランチャイズで聴くのが礼儀。

そういう信念のもと、ずっと機会をうかがっていたわけだ。



仙台フィルの公演も、定期公演をはじめ、いろいろ企画されている。

どの公演に行くべきか?

やっぱり指揮者やソリストで選ぶのは仕方がないだろう。
そしてもちろん演目。


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仙台フィルは、1973年に市民オーケストラ「宮城フィルハーモニー管弦楽団」として誕生。
1983年4月から89年1月に芥川也寸志が音楽総監督として現在の礎を築き、1989年度から2005年度に外山雄三が音楽監督、2006年度から2017年度にパスカル・ヴェロが常任指揮者としてアンサンブルに磨きをかけてきた。

そして今年2018年から飯守泰次郎さんが常任指揮者に就任した。 

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飯守さんといえば、輝かしい経歴の中でも、自分はやっぱりワーグナーを始めとするドイツ音楽のレパートリーが得意、というイメージ。

やっぱり飯守さんはワーグナーだよね。

長年、バイロイト音楽祭の音楽助手を務めていて、日本に戻ってきても、その志を貫いている。
2014年から新国立劇場の芸術監督に就任。そしてつい最近、あのカタリーナー・ワーグナーの強烈な演出のベートーヴェン「フィデリオ」で新国の監督の有終の美を飾った。まさに衝撃そのものだった。(笑)

新国の芸術監督離任に際してのインタビューで、自分がすごく印象的だったのは、

「芸術監督の仕事の大変さは、やはりお金のやりくり。オペラはお金がかかるし、どれくらいのレベルの歌手を呼んでくるかに応じて、その費用、そして何年も前からそのスケジュールを抑えないといけない。そのオペラ演目をやるのに、ある限られた予算の中で、すべてを、その中でやりくりするのは、じつに大変なこと。芸術は、そういう下世話なことは気にしたくないものだが、芸術監督の立場になると、そこが大変だった。次期監督の大野和士君も、必ずそこに苦労するだろう。」

この部分だった。

痛いほどわかるこの事情。

芸術でこういうことを表に出すのは、気分が冷めちゃうというか、ある意味タブーなのかもしれないが、現実問題、現場を回していくには、そういうリアルな面も直視しないとだよね。こういう事情、痛いほどよくわかる。

自分が最近、飯守さんの指揮を直接体験したのは、ミューザ川崎での東京交響楽団の名曲全集。

客演していた。
もちろんワーグナーづくし。

特に涙が出るほど感動したのは、やはりリングの「神々の黄昏」。

ジークフリートの葬送行進曲!

一旦聴いたら、ずっと頭の中をループし続ける、あまりに強烈な旋律。
あまりに有名なライトモティーフですね。

このときの飯守&東響の格好よさは、相当シビレました。
いまでも鮮明に蘇ります。


仙台フィルを聴くなら、常任指揮者に就任したばかりの飯守泰次郎さんで聴きたい、という想いがまずあった。

そこからは消去法。

気持ちは来年の初夏と思っていたのだが、そこにハプニングが起こった。

SNSで仙台フィルの公演の告知を偶然観たのだが、今年の年末の第九で、仙台フィルが仙台で公演をやる。

その独唱ソリストの1人に東京二期会の金子美香さんが出演する、という。 

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金子美香さんといえば、つい先だってまでおこなれていたバイロイト音楽祭で、「ワルキューレ」でグリムゲルデ役として、「日本人歌手がバイロイト音楽祭デビュー!」ということで、一躍時の人だった。

クラシック音楽界、大変な盛り上がりで、二期会のブログや、金子さん本人、SNSで公式ページを開設、その生々しい現場実況中継。やはり嬉しいんだろうな~という感じで、自分はとても微笑ましく見ていた。

「バイロイト音楽祭に出演した日本人歌手」

これからの歌手人生を歩んでいく上で、これは大きな自分の看板になる。
人生ってなにかのきっかけでコロッといい方向に変わることがあるが、この経験は、絶対金子さんの歌手人生の大きな転機になるに違いない。

まさに時の人、旬な人だったわけだが、この仙台フィルの地元仙台での年末の第九で、これまた飯守さん指揮で、独唱ソリストとして出演する、という。

ワーグナーつながり。

なんか、自分を強烈に呼んでいるように思えた。(笑)

時来るってな感じで、いま抑えないと、このチャンスを逃したら、絶対後悔する。

神様が与えてくれたチャンスだと思い、年末のクリスマスに仙台に行くことを急遽決意した。

クリスマスに、年末最後の締めの第九を、仙台フィルで聴く。
これを今シーズンの聴き納めとする。

なんか絶好のシチュエーションのように思えた。

東北の冬は厳しいと思ったが、自分は北海道の豪雪地帯の育ち。全然大したことないだろう。
逆にクリスマスのロマンティックな雰囲気のほうがずっと勝るに違いない。

クリスマスのシーズンになると、クリスマスイルミネーションなど街全体が綺麗に飾られる。
ネットの写真を観てみると、このクリスマスの季節に、道路のアスファルトは露出した感じで、あまり雪が積もっている、という感じでもなさそう。

そして本日チケット発売日、無事チケットを確保した。

やっほぃ~!


そこで、ふたたび原点に戻ってみる。

なぜ、仙台フィルなのか?

それはずばり首席オーボエ奏者 西沢 澄博さんの勇姿を観に行くことが本当の真の目的なのだ。 

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飯守さんも金子さんも公演を選ぶ要因にしか過ぎない。
自分にとって仙台フィルを聴く目的は、西沢さんの勇姿を拝見することにあった。

なぜ?というのを説明するのは、この5~6年でいろいろ自分がお世話になって、心の支えになってきてくれた方々など、その事情が複雑すぎて、説明するのが面倒、また正直あまりはっきり言いたくもない。

西沢さんは、青森県弘前市出身。大学は上京して、東京音楽大学で学んだ。あの宮本文昭さんに師事したそうだ。とてもハンサムで若々しくて未来を託されている、まさに仙台フィルのリードオフマンなのだ。

オーボエ奏者にとって、リード作りは、自分の音色を決める、とても大切な作業。演奏現場の湿度にも影響を受け、とてもディリケートで神経質な作業だ。ご自身のSNSなどで、盛んにリード作りの投稿をしているので(笑)、”西沢さん=リード作り”のイメージがとても強い。(笑)

すべてにおいてつながっている!

どうしても彼の勇姿を観ないといけない、そういう運命なのだ。

せっかく仙台まで観に行くのだから、この公演、降り番でした、というオチはないようにお願いします。(笑)


そんな、こんな感じで、仙台に仙台フィルを聴きに行きます。

仙台は、やはり東日本大震災で被災地として大きな被害を受けた街。その復興を目指して、クラシック音楽業界も仙台フィルを応援していこうという大きなムーヴメントがあることも実際、肌で感じるところ。

仙台フィルは、SNS公式ページを拝見していても、とても若々しくて、明るいイメージですね。
とても明るい、とにかくすごくいい雰囲気。


また、仙台に音楽専用ホールを、という大きな動きもある。

現在の仙台フィルのフランチャイズは、日立システムズホール仙台・コンサートホール。
でも今回の第九の演奏会場は、ここではなく、仙台銀行ホール イズミティ21 大ホールなのだ。

とても楽しみしている。


1泊2日の強行軍なので、冬という季節柄、どこまで仙台観光できるかは、わからんが、適度に楽しんできます。

なによりもクリスマスなのが、絶対いい。

仙台に行ったら、やっぱり牛タン。
なぜ、牛タンといったら、仙台なのか、それまで、よ~く勉強しておきます。(笑)


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PENTATONEの新譜:ジョナサン・ノット&スイス・ロマンド [ディスク・レビュー]

どういうわけなのか電撃録音スケジュールで、6月に録音して、8月にはリリースするという(正式発売は9月20日です)、こういうのはいままで経験がない。

録音セッションの様子のレポートもなく、いきなりリリースの知らせだったので、なんか唐突な印象を受けた。

おしりは決まっているので、忙しいノットのスケジュールが抑えられなかったのか、はたまたもっと意味深の理由があるのか?

でもその割には、手抜きということもなく、しっかりとした優秀録音でさすがでした。

ジョナサン・ノットは、もう日本のクラシック音楽ファンにはお馴染みすぎで、あまりにも有名な指揮者。2014年1月から東京交響楽団(東響)の音楽監督、首席指揮者を務めて、なんと2026年までの長期政権。

自分も2015年~2017年の3年間、東響の名曲全集の定期会員になり、ミューザ川崎に通った。

月1回の年12回、3年間で36回体験した訳だ。

なぜ定期会員になろうとしたか、というと家に近いミューザ川崎の音響をぜひ自分のモノに習得したい(2CA,2CBの座席ブロックだった)、そして必ず月1回は、クラシックの音楽演奏会に通いたい、という理由だった。

もちろん毎回ノットが指揮をする訳ではないが、でもノット&東響の演奏会は、もう数えきれないくらい体験したと言っていい。



ジョナサン・ノットの指揮者としての技量はどうなのか? 

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とても知性溢れる指揮者で、毎回その曲をどのように解釈して我々に提示してくれるのか、を深く考え抜いてくれる指揮者だと思った。1回1回の演奏会がとても深く考えられていた。とてもアイデアマン的なところもあって、いろいろな試みもやってくれた。何の曲だったか、いまは思い出せないけれど、たくさんのメトロノームをステージに載せて、などという実験的な試みも体験したことがある。

自分が思う範囲であるが、毎回自分の考えた解釈で我々に提示してくれたけれど、奇をてらったような感じの演奏解釈はなく、比較的王道スタイルな堂々とした解釈で、工夫を加えたとしても前向きと思えるような膨らまし方をする演奏だと思った。

外れは少なかったように思う。


ノットは、よく現代音楽に代表されるような20世紀の音楽が得意と言われているけれど、この3年間では確かにそういう選曲も多くて、さすがノットのカラー満載と思ったこともあったけれど、古典派やロマン派の音楽もたくさん演奏してくれました。

そんなに偏っていなくて、バランスよい音楽センスだと思います。

この3年間、聴いてきて、東響メンバーからの信頼関係も築き上げてきていると思えた。

なによりもまだまだ若いよね?どんどんこれからも伸びしろのある期待できる指揮者だと思います。


そんな日本では超有名なジョナサン・ノットなのだが、2017年1月からは、なんとスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督・首席指揮者にも就任している。

自分としては、3年間通い、知り尽くした馴染みのある、そして日本でも知名度のある指揮者が、就任してくれてとてもうれしかった。

ノット&東響の録音SACDは、オクタビア・レコード EXTONからよく出ているのだが、ノットがスイス・ロマンドを率いてPENTATONEレーベルに初登場というのはとても興味深い。PENTATONEはスイス・ロマンドの録音をもうかなり長い間担当してきているので、そんなに従来の録音テイストと急激に変わるという事はないと思うし、もう十分その音響を知り尽くしているスイス・ジュネーブのヴィクトリアホールでの録音。

彼らの手中の範囲での作品になるだろうと思っていた。


とにかくノットがスイス・ロマンドの音楽監督になっての第1弾の記念的なSACDリリースである。 


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R.シュトラウス:泡立ちクリーム、ドビュッシー:遊戯、リゲティ:メロディーエン 
ジョナサン・ノット&スイス・ロマンド管弦楽団

https://goo.gl/U9Kjb2


自分の結論から言うと、まったく予想通り!いままでのスイス・ロマンド&PENTATONEのタッグによる録音とまったく変わらない期待を裏切らない、ある意味スイス・ロマンドのファンからすると安心できるような作品に仕上がっていた。

ここ数年のスイス・ロマンドの録音作品は、自分は山田和樹氏による指揮の作品をたくさん聴いてきた。

山田氏のときは、プロデューサーの意向があるのか、山田氏の本人の意向なのか、わからないが、どちらかというと、ひとつの大きな大曲を選ぶというより、もっと耳障りのいいメロディがポップな小作品を詰め込んだ企画パッケージ作品という感じが多かった。

聴いていて、とても気持ちが良くて、なによりも難しくなく楽しい曲が多かったので、そこが十分に楽しめた。

今回のノットの作品を聴くと、やっぱり選曲が違うのか、録音のテイストは変わらないけれど、アルバムを聴いての雰囲気はずいぶん違うように思えた。

R.シュトラウスの泡立ちクリーム。これは何回聴いても本当に楽しくていい曲。メロディが美して楽しい。自分はお気に入りの大好きな曲。ある意味、この曲って、山田氏時代の踏襲という感じで、スイス・ロマンドというのは、こういう曲を演奏するほうが、生き生きしていて、とてもうまいというか似合っているような気がする。

ヤノフスキ時代のブルックナーとかの大曲よりも、ずっとこういう作品のほうが彼らに似合っているし、実際演奏もうまい。スイス・ロマンドというオーケストラは、それこそ第1線級のビッグネームなオーケストラでもないし、どことなく田舎のコンパクトなオーケストラ的なイメージが魅力だったりするので、自分はそういう小規模作品が似合っているように思えたり、実際うまいのは納得いく感じなのだ。

もちろんアンセルメ黄金時代の膨大なDECCA録音による、その引き出し、レパートリーの広さは潜在能力として尊敬はするが、ロシア、フランス、ヨーロッパの作曲家の大曲群よりも、あの名盤スペインのファリャの三角帽子のような演奏(あの鮮烈なDECCA録音は凄かった!)のほうがスイス・ロマンドっぽいなぁ~と思うのは、まだ彼らに対する理解の深みが足りないだろうか?(笑)


ドビュッシーの遊戯やリゲティのメロディーエンは、これがいかにもノットらしい選曲。このアルバムにノット色が濃厚に感じるのは、この2曲があるためだろう。とくにリゲティ。ノットのもっとも得意とする作曲家ですね。

東響の名曲全集でも何回か聴きました。

リゲティのメロディーエンは、じつに魅力的な現代音楽で、とくに録音の良さが滲み出る感じ。
現代音楽は、やはりその空間の出方、空間の広さをいかに感じるかが勝負。すき間のある感じ、音数の少ないその音が、広大な空間にいかに広がっていくかを表現するかが、キーポイントですね。見事でした。


バランスエンジニア&編集はエルド・グロード氏。いつもの安定した録音でしたね。

つい最近まで、Channel Classicsの録音をたくさん聴いてきたので、やっぱり全然テイスト違いますね。録音のテイストは、やはり現場収録や、その後のエンジニアの作り出す音でずいぶんイメージが違うものです。

この新譜、日本では、9月20日から発売開始です。ぜひおススメです!



このジョナサン・ノットとスイス・ロマンドのタッグ、来年の春、日本に初来日する!

これは楽しみ。もちろんぜひ馳せ参じたいと思う。

このタッグが目的なのはもちろんだが、もうひとつ楽しみなのがソリストとして登場する辻 彩奈さん。

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躍進著しい若手で、最近の若手ホープの中でも、ものすごく個性的で気になっている存在なのだ。

2016年モントリオール国際音楽コンクール第1位、併せて5つの特別賞(バッハ賞、パガニーニ賞、カナダ人作品賞、ソナタ賞、セミファイナルベストリサイタル賞)を受賞。3歳よりスズキメソードにてヴァイオリンを始め、10歳時にスズキテンチルドレンに選ばれ、東京、名古屋、松本にて独奏を実施。

2009年には全日本学生音楽コンクール小学校の部にて全国第1位、東儀賞、兎束賞を受賞。その他国内外のコンクールで優勝や入賞の実績を持つ。国内外のオーケストラとの共演数多し。。。

など若いのにびっくりするようなスゴイ経歴なのだ。(笑)

でもそのようなエリートな女性ヴァイオリニストにありがちな繊細で華麗な感じというよりは、もっとパワフルで、土の臭いがしそうな強烈な個性を自分は感じてしまう。

最近の岐阜のサマランカホールでのリサイタルで、その存在を知った。最近の東京での公演行きそびれてしまった。実際直接自分の目で観てみたい。 今回のスイス・ロマンドとのソリストとしての共演で、また華々しい世界戦の経験を積みことになるのだろう。

辻 彩奈さんのコンサートは、それまでの間、東京でリサイタルやコンチェルトなどあるかもしれないが、自分は敢えて行くつもりはない。(笑)

来年のスイス・ロマンドのときまでとっておく。そこで初めて体験させていただくことにした。


まだ、若干20歳なんだよね。すでに50歳をとうに過ぎた初老のオヤジが、このような若い女性ソリストに熱をあげるのは、なんか犯罪のような感じで、正直気が引けるというか、ちょっと恥ずかしいことも事実。(笑)


岐阜県出身。まさに、「全部、青い!」のだ。 






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30歳を過ぎると、新しい音楽を聴かなくなる。 [オーディオ]

村上春樹さんが初のラジオDJに挑戦した「村上RADIO」。興味深く拝聴した。どのように文章を書いているのか、その部分は自分もふだん日記を書いていることもあって、とても参考になった。

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もともと小説家になろうと思っていたわけでなく、誰かの小説技法を学んだという訳でなかった。
ずっと音楽関係の仕事をしていたから、その音楽から文章を書く書法だった。もともと音楽の人だということが、滲み出ているようで、文章にリズム感がある秘訣はそこにあるのだと納得した感じ。


村上さんの話で、ちょっと自分にも心当たりがあったのは、ヨーロッパなどの旅行先で小説書くときは、iPodのような携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きながら生活したり、原稿を書いていたりするのだけれど(たしか、ノルウエーの森だったかな?)、それを何年も経った後に、その音楽をたまたま聴き返すと、そのときのその場、その風景が走馬燈に蘇ってくるという話。


これは自分にもドンピシャ。まさにその経験の嵐のようなところがあった。


昔、ベルギーで暮らしていた時、車のCDプレーヤーでホイットニー・ヒューストンの曲をもうエンドレスで聴いていて、24年以上も経過したいま彼女の曲を聴くと、本当に車の中から眺めていたあのときのブリュッセルの街並みが輪郭ハッキリ思い出すのだ。

それもかなり刻銘に。


つい最近では、夏、秋、春と3回に及んだ京都ツアーで京都市交響楽団の演奏を聴きに行ったとき、このときはiPodでサリナ・ジョーンズの曲をこれまたエンドレスでずっと聴いていた。そうするといまでも通勤時間に彼女の曲をよく聴くのだが、まさに信じられないくらい鮮明に、京都の街並みを歩いて寺院巡りや紅葉時期の混雑など、あの頃のあの様子が蘇ってきて、正直切なくなってきて、また無性に旅に出かけたくなったりするのだ。


いま聴いている音楽と視覚から入ってくる映像というのは、脳のどこかで、リンクして紐づいているんだろう。

逆に自分は、海外で旅行するときは、そういうiPodなんかで、音楽を聴いたりすることはしないようにしている。せっかくの海外の街並みは、通り過ぎていく市民の会話から街の喧騒の音まで、街並みの景観とリンクさせて体験しておきたいから。


あと、耳を音楽で塞いでいると、注意力が散漫になって、海外の場合、スリとかふくめ危険ですね。


ここでもうお分かりになったと思うが、自分が普段iPodで聴く音楽は、ポップスやロックやジャズなどの曲ばかり。クラシックも結構何曲か入れているが、ほとんど聴かない。というか聴いたためしがない。

やっぱりiPodで音楽を聴くのは、通勤時間と国内の旅先が圧倒的なので、そこでクラシックを聴くという選択肢はほとんどない。

だって長いんだもん。(笑)退屈してしまう。


こういうときは、3分位で終わるポップスが絶対いい。

逆に家でどっしり落ち着いてオーディオ・システムで音楽を聴くときは、ほとんどクラシック。
そしてコンサートに行くのもいまやクラシック専門。

なんかそんな使い分けをしている。もちろん意識している訳でなく、自然とそんな風。
そういうところで人間的なバランスを取っているような感じがする。

携帯音楽プレーヤーで聴くのは、やっぱりポップスが一番合ってると思う。
クラシックはそういうのに合わないと思う。(あくまで私の個人の意見です。)


自分はクラシック専門と思われている方も多いと思われるが、自分にとって、やっぱりポップスやロック、ジャズを聴く時間も必要。やっぱり幼少時代や若い時は、そういう音楽が専門で好きだったからね。

通勤時間なんて、なんというか、感情が抑揚するような、自分の精神がぐっと興奮してくるような、そんなポップスを聴くのが唯一の楽しみ。

これでアドレナリンが湧いてきて、仮想興奮状態に陥って、文章を書くときの気持ちの持っていき方とか、エネルギー源になっていたりする。


村上春樹さんが音楽から文章を書くトリガーを得ている、という発言を聞いて、まさにそこに我が意を得たり、という感じでうれしくなったりしたのだ。


一番最初の頃は、ソニーのウォークマンだったけれど、iPodに切り替えてからは、ずっとそちら専門。長いことiPodやっていると、ずっとCDリッピング&ダウンロードしてきた財産があるので、簡単に他のシステムに移れないのだ。それらの財産がパーになって、いちからリッピング&ダウンロードしなおさないといけないから。

ソニーの30万するウォークマン聴いてみたい気もするけどね。(笑)

いま使っているのはもう旧型のiPod。ハイレゾなんか全然無関係。mp3などの圧縮音源ですね。
でも音楽聴いている分ではぜんぜん気になりません。これで十分です。

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どんな曲が入っているか、というと恥ずかしいので、ちょいとだけ・・・bird,akiko,ホイットニー・ヒューストン,Keiko Lee,Mondo Grosso,Lisa,Sting,POLICE,スティービー・ワンダー,ビートルズ,カーペンターズ,宇多田ヒカル,平井堅,山下達郎などなど。圧倒的ボーカルものが多い。

通勤時間聴くのはやっぱりボーカルが一番いい。

ここで、今回の日記の核心をつくテーマなんだが、ふだん通勤時間に自分が聴いている音楽って、自分が若い時に聴いていた古い曲で、しかも連日同じ曲を何回も繰り返して聴いているような気がするのだ。

そこには、自分がいま流行っている新しい曲を開拓して聴いていたりするとか、今日はちょっと変わったこの曲などという選択肢は、ほとんどなくて、毎日同じこの快感、興奮を得たいから、毎度おなじみのこの曲を今日も再生。。。てなことを無意識に毎日やっているような気がする。


最近では日本でも音楽ストリーミングサービスがすっかり浸透し、スマートフォン一つあれば好きな曲をいつでもすぐに聴くことができるようになった。最新のヒットチャートから懐かしの定番曲まで、数千万曲もの音楽を低コストで手軽に楽しむことができるようになったのだが、その結果、かねてより言われていたことがデータとしてはっきり数値に表れるようになった。

それは「30を過ぎた頃から新しい曲を聴かなくなる」こと、さらには「同じ曲を繰り返し楽しむだけ」になりがちだということ。(笑)

ストリーミングだとそういう数値データがしっかり把握されてしまうんだな。ある意味プライバシーの侵害のような気もするが。

でも自分はストリーミングはやらないけれど、この数値解析はまさにふだん自分がiPodで経験している、まさにそのままで、まったくその通り、ドンピシャだと思った。

ある音楽配信会社の調査では60%のユーザーが同じ曲を繰り返し聴いているだけで、25%は好みのジャンル以外で新しい曲を探すことはないと答えているという。


音楽ストリーミングサービスのデータは、33歳になると人は新譜を聴かなくなるという客観的な事実も示しているという。

海外のデータではあるが、10代は人気の音楽ばかりを聴いているが、20代では年を取るにつれてトレンドを追いかける人は着実に減るそうだ。

そして33歳にもなると新譜を明らかに聴かなくなるという。


新譜を探すのを止め、同じ曲ばかりを聴くようなる。


なぜ年を取ると昔なじみの音楽ばかり聴いてしまうのか? 理由の一つは音楽が過去の記憶や感情を強く呼び起こす作用をもっているからかもしれない、のだそうだ。古い研究であるが、高齢者に青春時代の曲を聴かせると当時の思い出が強く蘇ることを実証している。


どうやら人は十代前半、特に13~14歳の頃に良く聴いていた曲を、その後もずっと聴き続けるらしい。

なぜそんなことが起きるのか? 一つは10代前半という成長過程にあり感受性の高い時期に強い感情と結びついた音楽からは、その後何年経っても同じような感情を味わえるからかもしれない、と考えられているからなのだそうだ。


音楽というのは我々が漠然と考えている以上に、人々の心に強い影響を残すものらしい。

なんか、この記事を読むと、自分がいままで無意識でやっていたことが、それは特に通勤時間帯に音楽を聴く、という過程においてだけれど、全部この最近の解析結果に当てはまるので、正直ドッキリと言うか、冷や汗たらりである。



そういうもんなんだね。

確かにいまの自分のiPodに入っている曲は、本当にお恥ずかしい限りだが、古いというか若い時代に聴いていた曲ばかりだ。


でもそう悲観ばかりもしていられない。


家でがっちりオーディオ・システムでクラシック音楽を聴くとき。

これは自分は、必ずレーベルが出す新譜を必ずチェックするようにしている。
新しい録音技術の成果を聴いてみたい、確認してみたい、という技術的な見地もある。
もちろんお気に入りのアーティストとか、自分のアンテナにビビッと引っ掛かったものになるけれど、そういう意味では、常に進歩もしている。

またクラシックのコンサートに行くときも、確かにアーティストありきのところはあるけれど、そのときにやる演目については、観客である以上は選り好み出来ないので、そういう意味でつねに新しいチャレンジはしているとは思う。

そうすると、自分の場合、クラシック、それにオーディオが絡んでくる分野では、つねに新しいものにチャレンジしているけれど、通勤時間のiPodで聴いている分野では、まさに解析結果どおり、若い時代に聴いた曲を毎日繰り返して聴いているだけで、新譜を聴こうとしない、という現象は確かに当て嵌まっていると言えると思う。



でも、だからといって、通勤時間まで、新譜を聴いて新しい分野を開拓するのって、ちょっと疲れないですか?(笑)

そういうのって家でじっくりやっている訳だから、通勤時間くらい息抜きというか、自分のマイポジションでいるのが、心地よいと思うんですよね。


ロックのライブなんて、いくら新作CD発売記念のワールドツアーと言っても、新曲ばかりのオンパレードじゃ盛り上がらなくて、やっぱりエンディングやアンコール、そして要所要所で、そのアーティストの18番のオハコの曲やってくれるから、それがファンにとって最高に盛り上がったりするわけで。。。

そんなセットリストは作成側は当然考えてるに決まってる。(近年で、ポール・マッカートニーやスティングのライブでの経験を言っています。(笑))

そういう自分が1番旬で多感な青春時代に聴いた、そのアーティストの18番の曲は永遠なのです。

気持ちいいと思うポジションは常にキープというか、そういう大事なところは常にどこかで確保しておかないと健康に悪いだけだと思います。


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画像は「Thinkstock」より引用







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ギリシャの朝ごはん [グルメ]

原宿2号店もオープンしてから、だいぶ雑誌でも取り上げられたり、口コミで広がってきたせいなのか、だいぶ混んできた。でもやっぱり店自体のスペースが、もともとすごいゆとりがある。

もう精神的な健康という点で全然違う。もう断然、原宿店のほうがいい。


混んでいてもこれくらい。

客層で外苑前1号店と違うと思うのは、外国人がいないと思うこと。まだ在住外国人の方には、この新店オープンの情報が伝わっていないんですね。それがあまり混んでいないひとつの理由かもしれません。



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台所キッチンなんて、こんなに広いゆとりのあるスペース。

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今回はギリシャの朝ごはん。

ギリシャは、行ったことがある。赴任していた時に、アテネにある販社に行った記憶がある。
そのときは、仕事で、ホテルからタクシーでそのまま販社に直行ってな感じで、街の中をゆっくり散策して楽しむなんてゆとりなんかなかった。でもタクシーの中から街の景観を眺めたときに、うわぁ、これはいかにも古代文明、ギリシャ、ドンピシャというようなイメージだなぁと思ったことを覚えている。

ぜひじっくりプライベートで、楽しみたい国だ。
ぜひ海辺にいって、エメラルドブルーの海を眺めながら・・・てな感じで妄想膨らみますよね。

ギリシャは、ヨーロッパの最南端にある地中海に囲まれた「青い空と青い海」の国。
このイメージって誰もがふつうに抱くはず。あまりにメジャーな代表的なイメージ。



ヨーロッパの中での地理的位置はここ!

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日本と同じように四季があり、日本よりも気温は比較的高いのだが、夏は乾燥していて爽やか。

ギリシャを語るには、やはり古代ギリシャ文明のことを触れないわけにはいかない。今から5000年前に花開いた古代ギリシャ文明は、ヨーロッパ最古の文明で、哲学、数学、音楽、医学、美術など様々なジャンルで、今日につながる文化の基礎を築いた。

いまの文化のすべてのルーツは、このギリシャ古代文明にあった。

地中海ダイエット抗酸化作用が高いオリーブオイルをたっぷり使ったギリシャのヘルシーな食事は、「地中海ダイエット」と呼ばれ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

夕方に昼寝をする習慣があるらしく(笑)、夜ごはんは家かタベルナというレストランで夜遅く食べるのが、彼らの食習慣なのだ。そのため、朝ごはんは比較的軽め。


これがギリシャの朝ごはん。

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ギリシャを代表するチーズのフェタチーズとフィロで作るパイ「ティロピタ」、グリークサラダ、ギリシャ産の蜂蜜をかけたギリシャヨーグルト、フルーツののったギリシャの朝ごはんプレート。


ギリシャの朝ごはんは軽めというが、その主食はパイ。写真の手前にある。

これが最高にウマい!

申し訳ないのだが、ヨーロッパ系の朝ごはんって、日本人の味覚感覚からすると、いつも微妙なテイストなんだが(笑)、このパイはメチャメチャうまい!

ギリシャの食文化で欠かせないのが、このパイ(ピタという)なのだそうだ。フィロという何層にもなっている薄い生地で作られている。

じつに上手にカラッと焼き上がっていて食感はすごく美味しい。
でも何層にもなっているので、正直思いっきり食べづらい。(笑)
食べているとボロボロとこぼれていって、周りが汚くなるのだ。(笑)

このパイに挟まっているのが、フェタというギリシャを代表するチーズ。
羊または山羊の乳を塩水と一緒に樽か缶に入れて熟成させた、強い塩味が特徴のチーズ。

これは強烈です!かなりチーズらしい強烈な香ばしさで、確かに塩味がする。
そしてなによりもネットリ状の感じで、これははっきり美味しいです。

なによりも、この「ティロピタ」が美味しいのは、このフェタチーズを中に挟んで、上と下に何層にもなっているピタ(パイ生地のこと)があって、これがカリっと焼き上がっていて、この両方をいっぺんに口の中で味わうとじつに最高なんです。

これは本当に美味しい。


そしてサイドとして、グリークサラダ。写真のちょっと左上。
オリーブオイルやオレガノをかけるギリシャらしい、サッパリした味のサラダです。

そして、これまた美味しいと思ったのは、はちみつとシナモンをかけた濃厚なギリシャヨーグルト。

これまた美味しいの一言です。ヨーグルトは、やっぱりヨーグルト。そこに甘いはちみつとシナモンだから日本人の味覚にとっては、絶対外れることがない最高の一品なのです。



今回は絶対当たりだと思うな。最高でした。

このギリシャの朝ごはん、9月30日までやっています。


今日も朝ごはん食べたら、特にそのあと用事もなく、快晴の若者の街、原宿をただひたすらぶらつく。(笑)

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安土城 [雑感]

城マニアであるほど全然詳しい訳ではないが、日本のお城は大好きなのだ。日本史大好き人間だからね。カミングアウトしてしまいましたが。

じつは1年前からどうしても自分の日記で熱く語ってみたいお城があった。ずっと狙っていた。
ただ基本、自分の日記はクラシック、オーディオで来たからね。結構勇気が必要だった。(笑)

それが鎌倉愛について熱く語れたことでふんぎりがついた。

大阪城、松本城、名古屋城、姫路城、熊本城・・・全国各地にはいわゆる名将たちによって造られた名城が多い。わが日本の伝統と誇りが形となった姿ですね。

サイトウキネンで松本に行ったときの松本城は、それはそれは美しい天守閣を持った名城だと思った。間近で観れたときは本当に感動だった。

自分にとって悔しいのは、大阪城に行ったことがないこと。
いや、曖昧な記憶では確かに1回行った記憶があるんだが、はっきりと覚えていないのだ。
どうしてももう1回行って確かなものにして自分のモノにしたい。

大阪に行くには、もうひとつ目標があって、それは、クラシック音楽専用ホールのいずみホールを体験したいこと。シンフォニーホールは、結構行っているんだが、いずみホールは、縁がないのだ。シンフォニーホールに行くとき、必ずペアでいずみホールに行こうとトライするんだが、どうしてもいいコンテンツがなくて、日程が合わない。

いずみホールは、岐阜のサマランカホールとも姉妹ホールの関係にあって、客席の椅子なんかまったく同じに見えてしまう。ホールの空間の雰囲気もとても似ている。

慎ましやかな容積で、シューボックスで音響がじつに素晴らしいのだそうだ。
写真を観た感じですぐにわかる。ここで小規模な室内楽を聴いてみたい。

関西のコンサートホールは、シンフォニーホールといずみホールを抑えれれば、自分はもう満足というか悔いはない。

今度、大阪に行くときは、ぜひ大阪城といずみホールをセットで体験しないといけない。





自分が熱く語ってみたいのは、安土城。

そう、あの織田信長が天下布武のために琵琶湖のほとりに建立した幻の名城だ。

完成からわずか3年しか存在出来ず、あまりにあっけなく迎えた終焉は、まさに信長そのもの。

安土城との出会いは、やはり子供時代に観たNHK大河ドラマで観た映像。もちろんお城として現在復元されていないので、いまは存在しないお城なので、CGなどで造られた画像なのだが、それを観たときのインパクトは、子供心にすごいショックだった。

自分は、もうその子供のころから日本史が好きで、お城にも心惹かれていたのだが、さきほど挙げてきたいわゆる日本の名城と言われるお城の外観と比較して、安土城は、あまりに個性的で、非常に奇異な印象を受けたのを覚えている。おそらく多くの人がそう思っていると想像するが、その奇異に思ってしまうところ・・・いや、これはあとのお楽しみに取っておこう。(笑)

その前に織田信長について語らないといけない。

もういまさら説明の必要はないだろう。

歴史上人物の中での自分のヒーローは、源頼朝と、この織田信長なのだ。
やっぱり自分は男らしい人が好きなんだな。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる戦国時代ものは、NHK大河ドラマでは定番中の定番。絶対視聴率がとれる。自分も大河ドラマで知って勉強してきた。子供の頃にはじめて体験したのが、「国盗り物語」。織田信長は高橋英樹さんだった。(豊臣秀吉は火野正平さん)憧れた。


それからは、つぎつぎと体験する太閤記もので、この織田信長を誰が演じるのかが、結構スター的な要素があって注目されるところだった。「徳川家康」での役所広司さんもよかった。

ウチのオヤジ、オフクロに言わせると、やっぱり太閤記と言えば、豊臣秀吉に緒形拳さん、織田信長に高橋幸治さんが最高だったとのこと。その最初の太閤記は、1964年に放映された。自分が産まれた年だ。(笑)スゴイ人気だったらしい。特に信長役の高橋幸治さんの人気がすごくて、本能寺の変の近くなると、殺さないでくれ!歎願が凄かったとか。

このコンビは、その後、「黄金の日々」で復活登場する。このときは自分もしっかり拝見しました。
リアルタイム世代でないのが悔しいので、この1964年の太閤記の市販ビデオ(総集編です)を購入して、しっかりチェックしました。

織田信長は、やはりあまりに劇的で戦国時代そのものの人生だった。
気性が激しく、発想が従来の考え方に捉われない斬新さで、戦国時代の革命児、そして最後の終焉もあまりにあっけない悲劇だった。



本能寺の変で信長の最期は、本当はどうだったのか?

これにかなり興奮したというか、相当興味をそそられた。(笑)
歴史の最大の謎、ミステリーと言われている。

いろいろな書籍やドキュメンタリー、映画を観まくってきた。かなり詳しいです。(笑)

遺体や遺骨すら見つからず、炎の中に消えていった。ある意味、悲劇の中でも美学で終わってよかったと思う。もし、ここで、相手に御首をあげられたりしていたら、まさに戦国武将として最大の汚点になってしまう。

戦国武将にとって、自分がたくさんの武将たちを戦で殺してきた、特に信長は残虐な殺傷を多くやってきた武将、そういう人たちは、こういうことをやっていて、いつかは自分が殺られるときがくるかもしれない。そういう戦国武将としての死生観みたいなものは、つねに持っていたに違いない。

光秀の謀反だと知らされたとき、思わずつぶやいた有名なセリフ。

「是非に及ばず。」

現代語で翻訳すると、「しゃあない。」ということらしい。

そこに常にいつかは自分が・・・という気持ちの想いを持つのが宿命だった、そういう時代に生きた男たちなんだな。

しかし、本能寺の変は、何回観てもすごい興奮する。

数年前に、いままで自分が知らなかった織田信長の肖像画を偶然ネットで発見した。
それはいわゆる歴史の教科書に出ている有名なあの肖像画ではないのだ。 


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上半身まで映ったものがこちら。 

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これは信長ファンの自分にとっては、かなり衝撃だった。(笑)
いままで自分が知ってきた信長の行為をやっていたのが、この男だったのか!

歴史の教科書の肖像画と違って、こちらの絵は、より人間らしい、リアル感満載の信長だ。

イエズス会士の画家ジョバンニ・ニコラオが描いた絵だそうだ。
この絵は「織田信長」で間違いないらしい。

歴史の教科書と違って、頭のてっぺんに髪の毛がある。
教科書と全然似てねぇじゃないか!(笑)


信長のことはあまりに有名すぎるので、これぐらいにして、その信長が建てた安土城について熱く語ろう。

これは今回の日記のテーマで、自分が1年前からずっと狙ってきた熱いテーマなのだ(笑)。
ずっとネットで勉強してきて、それを自分なりにまとめた形で、いつか日記にしたいと思っていた。

安土城は、築城して3年経ってすぐに消えた幻の名城だ。
本能寺の変の後に、謎の火事で焼失してしまった。

この火事の原因はいろいろな説があり、どれとは断定できないが、光秀が討たれた山崎の戦後の混乱の中で略奪に入った野盗の類が放火した、とみるのが自然、という説が有力でここではそういうことにしておこう。

それ以来、この世には存在しないお城なのだ。

名城はいわゆる復元作業というのをおこなって、現在でも存在するようにしているのだが、この安土城だけは、今なお、復元されていなく、その城跡しか残っていないというのが、現状なのだ。

なぜ安土城が復元されないのか?

自分は、そこにずっと疑問を持っていた。安土城を熱く語りたいと思っていたのは、ここを疑問に思っていたからだ。安土城をいまの時代に見たいと思っている人は、日本に自分を含めたくさんいることは間違いない。

なぜ、それが実現できないのか?


なにせ安土桃山時代に、築城してわずか3年で姿を消して以来、ずっと存在しないお城。
復元するには、その当時の姿に基づく設計図なり、歴史的資料が必要だ。

当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることはできる。

信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、あるイエスズ会員の司祭に贈られ、彼が日本を離れるときに同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られてローマ教皇庁に保管されているという記録がある。

それが安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていないのだ。

当時のその真の姿はいまや誰も知らない。

それをいろいろな歴史的資料に基づいて復元しようという動きは、当然昔からあった。

1885年から2005年に至る120年間の間、7人の学者によって、その復元案というのが示された。

天主(ふつうのお城は天守と書くが、信長の安土城だけ天主と書く)の復元案として、1994年、内藤昌による復元案が有名だろう。

NHK大河ドラマで採用されたのも、この内藤昌案だ。

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この城の外観を大河ドラマではじめて観たときは、子供心にショックだった。
その外観のあまりに奇異というか、異様なデザイン。

ふだん自分が知っている数多の名城の外観とはあまりにかけ離れているというか、違い過ぎた。
それまでの城にはない独創的な意匠デザインで絢爛豪華な城であった。

この独創的な意匠デザインに、自分は一発でやられた。

なんか日本のお城っぽくない。南蛮の国や唐の国の風情がある。
それが和様と混ざったようなまさに独創的。
やっぱり信長らしいお城だと思ってしまう。

さらにいまは存在しない、復元されていないお城というのが、いわゆる幻の名城的な妄想を煽り、自分はこの姿を見ると、無性に興奮した。(笑)

いまは存在しないから、実物を観れないか、というとそうでもないのだ。


安土城があった滋賀県安土駅下車で、この信長の安土城について、いろいろ体験できる施設があるのだ。

滋賀県立安土城考古博物館
安土城天主 信長の館
安土城郭資料館

こういう施設に、その復元案に基づいて、デザインされた安土城のミニチュアがあるのだ。


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安土城天主復元模型1/20スケール(内藤昌監修/安土城郭資料館)



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内藤昌監修でのNHK大河ドラマで採用されたCG図。



地下1階地上6階建てで、天主の高さが約46メートルの世界で初めての木造高層建築。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。その壮大で絢爛豪華な様はキリスト教宣教師が絶賛したと言われている。


まさに奇想天外なお城で、その断面図は、このように地上から上の方に向かって吹き抜け構造になっている。(驚)

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信長はこの天主で生活していたと推測されており、そのための構造と思われる。こういった高層建築物を住居とした日本人は、信長が初とも言われているのだそうだ。



さらには”伊勢安土桃山文化村”というテーマパークがあって、時代考証に基づいて原寸大の安土城や洛中洛外、楽市楽座など戦国時代の町並みを再現した空間が存在するのだ。

まさに今年の2018年に開業25周年を迎えるにあたり、総額100億円をかけた大規模リニューアルを行なうそうだ。

ここに”原寸大”の安土城の天主が存在するのだから、堪ったもんじゃない。

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まさにこの原寸大の安土城を1泊約500万円で宿泊できる施設に改装するちゅうんだから、笑ってしまう。(笑)


○○城と言えば、その本丸にそびえる天守閣がよく知られているし、観光地化しているものが多いが、日本で最初に作られた天守閣は安土城なんだそうだ。

しかし実際には、城主が天守閣に住んだのは、この安土城とか秀吉の大阪城ぐらいで、江戸時代になると別の館で住みつつ政治をしたため、天守閣は応接室程度にしか使われていなかった。このためほとんど無用の長物と化し、物置のようなものになっていたらしい。(笑)

城のシンボルとなる建物を”天主”と呼んだのは信長だけである。
信長以降、城を造った大名達は”天守”と呼んだ。彼等は宗教上のある種のおそれから、天主と呼ぶのをためらったのかもしれない。




安土城が、日本の他の名城の外観と比較して、あまりにその外観が奇異と感じるのは、ずばり5階の朱色(赤)の八角形の円堂の外観のところなのだと確信する!

城全体の外観のバランスを観たとき、この赤い八角円堂の部分が、思いっきりインパクトが強くて、我々への印象度を強くしているのだ。

自分が子供心に、思いっきり衝撃を受けたのも、この5階の赤い八角円堂の部分だった。

いままでの城にはなかった。まさに南蛮、唐の風情である。

さらに最上階の6階の金色の天主も最高だ。


安土城天主 信長の館という施設では、この安土城の天主の5,6階の部分を実寸大ということで、復元して展示しているのだ。1992年に開催されたスペイン・セビリア万博で日本館のメイン展示として出展されたもので、豪華絢爛な安土城、信長の世界観が見事に再現されていて、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など圧巻。

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6階の天主。天主の内部には、当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」も再現されている。

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5階の八角円堂。まさにこの部分が安土城を思いっきり、ユニークなデザインにしている要因だ。中はこんな風になっていた。

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安土城を単に天主だけで語ってはいけない。城全体、いまでいうところの城下町的なところも含めてチャレンジしてみたい。

これが安土城の構成図。

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一番下の右側に大手道への入り口があり、そこから入る。
石道の階段がひたすら続くという感じだ。ここを大手道という。

その両サイドに、伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸があるのだ。なぜ、名前の前に”伝”と付けるのかわからないが。(笑)羽柴秀吉と前田利家がペアで贔屓にされていたんだな。大河ドラマの「利家とまつ」で、秀吉と利家がつねにドラマの主役で連動していたのは、単にドラマ進行の脚本と思っていたが、そうではなくて、きちんと、このように2人とも信長の信を受けていた、という事実をしっかり突き付けられた感じだ。

今度は反対に一番下の左側の入り口(百々橋口)に、お寺、つまり寺院がある。
持仏堂や戦死者を弔う小堂などを持った城は各地に見られるが、堂塔伽藍を備えた寺院が建てられているのは、後にも先にも安土城だけなのだ。

この大手道から天主のほうを臨んだイラストCGがあった。こんな感じ。(笑)

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この大手道の実際の写真。(現在の安土城跡)

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城内の道というものは敵の侵入を阻むためになるべく細く曲がりくねって作られるが、この構成図を見てもわかるように、安土城は大手門からの道の幅が広く、ひたすら直線が続く。籠城用の井戸や武者走り・石落としといった設備も著しく少ない。

こうした事から、安土城は軍事拠点としての機能より、政治的な機能を優先させて作られたものと思われている。




そして登り詰めていくと、いよいよ天主。天主と本丸、二の丸、三の丸という構成になっている。



安土城の本丸御殿は、天皇を迎えるための施設だったという可能性が指摘されている。

その根拠は、その本丸の造りが、清涼殿に酷使しているから。

清涼殿というのは、耳慣れない言葉だが、いわゆる天皇の住居。京都で言えば、京都御所である。(自分も京都旅行に行ったとき、しっかり京都御所を観てきました。)

安土城跡の本丸の部分を厳密に復元図を作成したところ、建物は3つ存在したことが明らかになって、その配置は「コ」の字型という特殊なもので、清涼殿と共通する。(確かに京都御所もコの字型であった!)

江戸幕府が建てた清涼殿の図面を、東西逆にすると、この安土城の復元図とほぼ重なるのだ。

規模や部屋割りもほぼ一緒であるのだそうだ。

豊臣秀吉が建てた清涼殿も、この江戸・徳川幕府の清涼殿と同じ。

豊臣・徳川の清涼殿は、一部に武家住宅の様式を取り入れているという点で、中世の伝統的な清涼殿から違うらしいが、安土・信長の清涼殿は、豊臣・清涼殿より前で、後の時代の模範になったんだな。

歴史的書物にも、天皇が安土へ行く予定だとか、その安土の屋敷の中に、「皇居の間」を拝見したと書かれている。

つまり、信長、秀吉、家康も天下のお城を建てた訳だが、そこには必ず天皇を迎えるための施設(清涼殿)を造っていて、信長はその先駆けだったということだと言える。

これが安土城の全容。ミッション・コンプリート!


織田信長が、安土城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があって、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。

でも、従来の”戦う城”というイメージよりは、どちらかというと”魅せる城”的な意味合いが強く、信長の威厳・世界観を世に示すためのプロパガンダという感じだったのかもしれない。



さて、自分がずっと疑問に思っていた”なぜ安土城は復元されないのか?”

ここを解明するために熱く語りたかった訳だ。

自分が直感的に素人的な考えで思いついたのは、豊臣秀吉は大阪城、そして徳川家康は江戸城、2人とも天下のお城を建てている。2人に共通していることは、2人とも成功した武将という点だ。江戸城は現在の天皇の住居になっているし、大阪城は、百姓から天下人になった太閤秀吉のシンボルとして、それだけの巨大投資をしてまで大阪城を復元した。

でも織田信長は、劇的な人生だったけれど、いわば挫折人。(笑)
挫折人のために、そんな大規模な投資はできない、という理由じゃないのかな~とか思ったけれど、そんなアホな理由じゃなかった。(笑)


現在、安土城があった場所には、石垣や天主台(天主が建てられた場所)が残っているだけ。安土城跡は国指定特別史跡に指定されているため、復元には条件が必要。その条件を満たさない限りは天主を復元することはできないのだ。

「だったら条件を満たして大坂城のように復元すればいいのでは?」と思う人もいるだろう。復元であっても、当時の様子を見てみたいと考える方もいる。しかし、安土城跡は国指定の特別史跡に指定されているため、復元には大きなハードルがあるのだ。


現在、国指定の特別史跡に復元をするには、”当時の工法”で”確実な史料”に基づいていなければならない。「当時の工法」とは、いわゆる木造建築の事。

現在の建築基準法では、木造の高層建築物は建てられないことになっている。

安土城と同様、国指定の特別史跡に指定されている大坂城跡には、コンクリート造りの天守閣が建っているが、1931年の築造で文化財保護法ができる前の建築物。コンクリート造りの天守閣も、国の登録有形文化財なのだ。

さらに、先ほども説明したように安土城には確実な設計図などがない。


こうした事情から、安土城跡に天主を復元するのは難しい・・・なのだそうだ。(笑)

どうもこれが真実らしい。。。そうだったのか・・・

これを知って、ふっと思いついたのだが、いまの名古屋城を木造にしようという動き。(あの方が推進しています。(笑))そのときは、建築強度的になんと愚かな!と思ったが、あながち無茶というより、どうしても歴史的に意味があることなんだな、と思いました。


以上、自分的には燃焼できた。

完全燃焼。

自分がずっと謎に思ってきたこと、ずっと憧れてきた城のことを完璧に知ることができた。

本来であれば、この滋賀県安土の現場まで、自分でじかに行って、実際の安土城跡、そしてこれらの資料館などを訪問して、自分のカメラで写真を収めたい、そういう気持ちは当然あった。2,3年前までは予算と体力があったので、思いついたら即実行だったが、でもいまは人生最大の大スランプ。(笑)

ちょっとここは我慢してネットの記事で自分が行った気になろうと思った訳である。



今年の春、岐阜のサマランカホールを訪れたとき、ほんの一瞬だったけれど、岐阜駅前を散策した。

そうしたら、織田信長バス。(笑)

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弓を射る信長、ワインを飲む信長・・・いろんな信長バージョンをプリントされているバスが、駅前をたむろしているのだ。

さすが、岐阜は信長の街。


いま話題のNHKの朝の連続ドラマ小説「半分、青い。」も岐阜所縁のドラマ。

いま岐阜が熱いのか・・・?







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