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ラトル&ベルリンフィル [クラシック指揮者]

16年間ベルリンフィルの音楽監督を務めあげてきたサー・サイモン ラトル。
16年間ご苦労様としかいいようがない。 

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この16年を短いと見るか、長いと見るかは、人ぞれぞれだろうけれど、自分は潮時というか、とても適切なジャッジをしたのではないか、と思う。

それも数年前から宣言をして、計画的に終焉を終える。他人に迷惑をかけず、とても紳士的な振る舞いだと思う。

ラトルのベルリンフィルにおける功績はそれこそ、いろいろなメディアで記事として特集されてきたので、そのようなことは、ここで触れるつもりは毛頭ない。

自分のラトル&ベルリンフィルへの想いを書きたいだけである。


自分にとって、ベルリンフィルのシェフといえば、カラヤンでも、アバドでも、ましてやフルトヴェングラーでもなく、このラトルであった。

ベルリンフィルへの入門として、それこそ、自分はカラヤンのことを膨大に勉強してきた。あの膨大な音源、映像素材を片っ端から収集してきて、徹底的に研究してきた。そしてカラヤンに纏わる本も、相当買い込み、カラヤンの生い立ち、そしてゴシップなどのゴタゴタまで隅々読み漁ってきた。

アンチも多かったカラヤンだったが、自分のクラシックの原点は、カラヤン&ベルリンフィルだった。誘ってくれた友人にも感謝しないといけない。


なにせ、カラヤンの現役時代は、自分は北海道にいた。(笑)
就職で上京して、2年後にカラヤンはご逝去された。

アバドの時代は正直自分には印象が薄かった。

いわば、カラヤンやアバド、そしてフルトヴェングラーの時代というのは、自分にとっては、レコード再生、CD再生など音源を通して、頭の中で想像する類の指揮者であった。


自分が、本当にベルリンフィルとリアルと向かい合って、肌で体験していると感じたのは、このラトル時代からと言ってもいい。

ラトルがベルリンフィルに就任したのは、2002年。

このとき、自分は会社を3年間休職して、北海道の親元で療養していた真っ最中だった。(笑)

2004年に復職してから、ラトル&ベルリンフィルを聴き始めた。

今振り返ってみると、自分のラトルへの評価は、彼の方針に対して、いつも疑問や反発からスタートして、そのうち納得させられる、ということの繰り返しだった。

そこには、カラヤンをベースにしてきた超保守的な自分にとって、ラトルのやることは、なにもかも常に新しかった、ということがあった。

そこに超コンサバな自分が反発する、そんな図式だった。

いつも最初は反発していた。

その初めだったのは、ベルリンフィルが所属するレーベル。
ベルリンフィルといえば、自分にとっては絶対ドイツ・グラモフォン(DG)だった。

ラトルが、イギリス人ということもあったのか、EMIというのは、とても許せなかった。
オーディオマニアにとって、このレーベルって、とても大切。

レコード会社(レーベル)というのは、それこそプロデュース、販売などいろんな役割があるが、自分に関係してくるのはサウンド。

正直自分は、EMIの造るサウンドがあまり好きではなかった。
天下のベルリンフィルは、絶対DGであるべき。

天下のベルリンフィルがEMIというのが、自分には許せなかった。



そのベルリンフィルのEMI盤の中で、「くるみ割り人形」のCDが発売されたとき、輸入盤・国内盤の問題がmixiのオーディオ仲間内で発覚した。

そのときから自分は、やはり音質的には、絶対輸入盤がいい、という確信を抱いた。(それ以前のずっと古い時代から、やはり音質的には、絶対輸入盤がいい、という定説はありました。)

この事件がトラウマになって、それ以来、自分はCDを買うときは、絶対輸入盤になってしまった。ライナーノーツやとても貴重な解説ノートがつくときは、輸入盤とは別途に国内盤を重複して買うことにしている。それだけ、この事件で自分は国内盤に対する信用を失った。

これもある意味、音造りにあまり執着しないEMIだから起きた事故だと自分は思っていた。



そしてラトル時代の大きな産物して、インターネットでベルリンフィルハーモニーでの公演を配信するDCH(Digital Concert Hall)がスタートした。これは自分にとって唯一acceptableな要素だった。画期的だと思った。

でも反面、NHKで年に2回やってくれる現地での定期公演の収録がなくなると思った。

DCHのカメラワークはつまらなかった。カメラが固定だからだ。ベルリンフィル側からすると、カメラが演奏している団員の前を常に動いたりすると演奏に集中できないとの理由から固定カメラにしているらしいが、家庭でその映像を観るユーザの立場からすると、なんて、ワンパターンでつまらない映像なんだ!と思ってしまった。

DCHはそれこそ、スタートした2008年は、DCHが動くパフォーマンス(CPU/メモリー)のPCを買い替えてまでして、最初夢中になって観ていたが、2~3年したら飽きて観なくなった。DCHは、たぶん2011年以降は、1回も観ていないと思う。

やはりパッケージソフトしてのBlu-rayのほうが、カメラーワーク含め、映像パッケージ作品としては数段レヴェルが上のように自分には思えてならなかった。


そして、ついに自主制作レーベル設立。
これも胸ときめいた。最初のシューマンの交響曲全集。

買って、その凡録音に唖然とした。いや、もとい、少なくとも自分のオーディオでは全く鳴らなかった。ある意味、EMIより遥かに悪かった、というか問題外であった。オマケに付属しているBlu-rayが、画質がDVDなみで、その怒りは頂点に達した。

DGやEMIといったらレコード会社だから、内部にしろ、外部委託にしろ、きちんとした録音エンジニアがいる。自主制作レーベルというのがそこら辺の素性が全く分からず、自分はますます不信感をいだいた。プロの仕事とは思えなかった。

ちゃんとした録音エンジニアがやっているのか?

レーベルから離れて、自主制作。素性がわからないことで、ますますその腕前に不信感を抱いたのだ。

あのときの自分の怒り・憤慨をぶつけた怒りの日記を書いた。
あれだけ激しい怒りの日記を書いたのは、最初で最後かもしれない。

その怒りの背景には、自分の天下のベルリンフィルが、こんなんでいいのか!という愛のムチと言ってもよかった。

自分のベルリンフィルへの録音作品への熱は、この自主制作レーベルで一気に冷めてしまったといってもよかった。正直、この事件以来、このベルリンフィルの自主制作レーベルのCDに、無意識に、苦手意識が生まれてしまった。

また自主制作レーベルのCDは、普通のCDより高いので、ますます買わなくなった。

カラヤン時代から集めてきたCDだったが、これで途絶えると思って悲しい想いをしたのがつい昨日のことのようだ。

縁あって、最近ベートーヴェンの交響曲全集を購入したのだが、これがじつに素晴らしい録音だった。大編成のオーケストラの録音としては、近来稀にみる見事な録音と言ってもよかった。

うちの2ch再生システムでもこれだけ鳴るんだから、絶対優秀録音だ。

ラトルとの出会いは、いつもこうなのだ。最初、最悪の出会いで、その後、見事に持ち直す、という・・・(笑)



これは自分が当時抱いていた想いなんだが、ベルリンフィルのシェフとしてのラトルは、あまり録音という作業に熱心ではない指揮者のように感じていた。

そのことをゴローさんにも吐露したことがある。

確かにカラヤンの録音好き、あの信じられないような膨大な録音を遺してきた、その後任の指揮者は、苦労するのは当たり前だ。

1番可哀想だったのはアバドだった。

どうしてもカラヤンと比較される。あれだけの作品を実演として上演して、録音も残してきたカラヤンと同じことはやれない。

自分の独自のカラーを出さないといけない。そういうことに常に悩まされていて、常に亡霊のようにつきまとわされてきたアバドは、自分から見ると、ベルリンフィル時代はそんなに、彼にとって輝いていたようには見えなかった。

アバドが、本来の彼らしい生き生きとした姿が観れるようになったのは、ベルリンフィル退任後の時代になってからで、ルツェルン祝祭管弦楽団とかやっているときだと思っている。

同じような想いがラトルにもあったことは、絶対間違いない。

ラトルは、アバドと同じように、カラヤンがやらなかった不得意でもあったマーラー&ショスターコヴィチや現代音楽の分野を積極的に取り上げた。

同じ曲を数年サイクルで何回も繰り返して録音するカラヤン。(そこには、自分の勝負曲を、その年代の最新の録音技術で残しておきたいという気持ちがあったとされている。)そしてすぐに全集モノを出すカラヤン。

そういうのと比較すると、アバドやラトルはつねにそんなに録音に熱心ではないと自分には映ってしまうのかもしれない。


自分が確信しているラトルの素晴らしいところは、マーラー&現代音楽含め新しい時代の作品に精通していて、積極的な人であると同時に、ベルリンフィルの最も得意とする18番でもあるロマン派の音楽もとても詳しく得手だという側面をちゃんと持ち合わせているというところだ。

いくら新しいことができたとしても、ベルリンフィルのお家芸であるロマン派の音楽がダメなら、団員たちは自分のシェフに絶対選ばない。

団員たちは音楽監督を決める選挙のときに、ちゃんとそこのところを観ているのだ。

団員たちが、ラトルを選んだのも、自分たちの伝統のロマン派の音楽に精通していると同時に、新しいことにも積極的に取り組んでくれそうな指揮者だったからだ。

ベルリンフィルの伝統お家芸のロマン派の音楽。
これがちゃんとできるかどうかは、団員たちは自分のシェフを選ぶときは、絶対シビアに観ている。

ベートーヴェンとブラームス。

この2人の作曲家は、ベルリンフィルにとって、もう絶対避けては通れない作曲家なのだ。
ベルリンフィルのシェフになったら、この2人の全集は、必ず造らないといけない。

もうこれは音楽監督の契約書の項目にあるのだと自分は確信している。(笑)

特にベートーヴェン。

結局、アバドもラトルも離任シーズン近くになったときの”ベルリンフィルのシェフとしての大まとめ”的な位置づけで作成した。

ベルリンフィルにとって、ベートーヴェンは1番特別な作曲家であることは誰もが知っている常識だ。


自分がゴローさんにも吐露したときも、ゴローさんの答えは、

「指揮者というのは、誰もがやるような定番の曲ってあまり魅力がない生き物なんだよ。これは自分しかやっていないようなそんな作曲家に魅力を感じるものなんだよ。」

これはある意味正解だと思う。


小澤征爾さんのサイトウキネンフェスティバル松本(現:セイジ・オザワ松本フェスティバル)のオペラ公演がそうだった。

この音楽祭でやるオペラは、小澤さんのポリシーがあって、ふつうのオペラハウスの興行でやるようなオペラはやらない。

ちょっとめずらしい、この松本でないと観れない、そんなオペラをやりたい、という意思で演目が選ばれていた。

だから当時、毎年松本の音楽祭に通っていた頃は、このオペラの予習するときが、すごく困ったものだった。巷には、予習素材がないものばかりだから。(笑)



ラトルがシェフになったことで、自分にとっては、ベルリンフィルが、より現実的で身近になったことは確かだった。

それはベルリンフィルの実演に接するようになったこと。

確かにこの影響は相当大きいだろう。

やっぱりオーディオ再生より、実演に接したほうが、自分への距離感はぐんと近くなる。

2009年にmixiをやりはじめて、自分のSNS生活をスタートさせた。

そのときに、ただオーディオのことを言及するだけではなく、クラシックのコンサートのことを言及したい、それが自分に似合っているというか自分のカラーになるように思えた。

コンサートも国内だけなく、海外まで行っちゃえ!

そんな中で、現地のベルリンフィルハーモニーでベルリンフィルを聴く、ということを実現できた。このときはマラ6を聴いた。もう何回も言及してきたことなので、今更言わないが、この本拠地でベルリンフィルを聴けた、というこの事実が、自分とベルリンフィルとの距離感を一気に近い存在にした。

自分にとって、ベルリンフィルのシェフと言ったら、圧倒的にラトルなのは、それが1番大きい理由だろう。やっぱりオーディオ再生よりも実演に接するほうがメモリアルだ。

ラトル&ベルリンフィルが日本に来日したときもかけつけた。

最初は、ブラームス交響曲全集を出したころで、それに乗って日本にやってきた。
サントリーホールで、ブラ1とブラ2を体験した。

このときは、コンマスとして安永徹さんがまだ在籍していた。

安永さんの勇姿を観れて、最高に幸せ者だと思った。

2回目は、これもサントリーホールでマーラー9番を聴いた。
これは安永さんの後任として樫本大進氏が正式に第1コンサートマスターとして就任したばかりで、まさに樫本氏の凱旋コンサート的に位置づけでもあった。

このときのマラ9は恐ろしく大感動したのを覚えている。
あの最後の音が消えつつも静寂をずっと保ち続ける、まさ聴衆にあれだけに緊張を強いる瞬間はないだろう。

いい想い出だ。


そして幻の3回目。

これはまさにベルリンフィルのシェフとしては一番大きな仕事であるベートーヴェン交響曲全集を完成した、その乗りでの世界ツアー。

日本でもサントリーホールでベートーヴェン・ツィクルス。(全曲演奏会)

ラトルは、ミューザ川崎の音響を大変気に入っていて、ミューザでの演奏も必ず実現させていた。
でもベートーヴェン・ツィクルスは、やはりベルリンフィルにとって特別。

ここはどうしてもサントリーホールでやる必要がある。

自分は、ベルリンフィルの来日コンサートを聴くときは、必ずサントリーホールで聴くようにしている。その理由は、もう今更であろう。(笑)

ところが、この3回目の来日コンサート。自分はベト4&7を聴く予定であった。

夜の公演だと思って、夜にサントリーホールに行ったら、なんと!マチネの公演でもう終わっていた。(号泣)

ベルリンフィルの来日公演のチケットと言えば、5万はする。
それだけの大枚をはたいて、しかもラトルの最後の大仕事。

このときの自分の落胆は、お察しする通りです。(笑)

この事件以来、自分とベルリンフィルの関係は、どうもギクシャクするような関係になってしまった。(意味不明。。。笑笑)


とにかくこれだけのリアルな想い出が詰まっている。

やはりそのショック度というか、心深く植え付けられる印象度合いが全然違うのだ。リアル体験というのは大きい。

過去に既に発売された音源や映像素材を鑑賞しているだけでは、このリアルさは絶対超えられない。

そういう意味で、自分にとって、ベルリンフィルのシェフと言えば、やはりサー・サイモン ラトルなのだ。

今晩(2018/7/15)のNHK BSプレミアムシアターで、ラトル&ベルリンフィル特集(ドキュメンタリー、マラ6最終定期、ヴァルトビューネ)を鑑賞する。

これで、本当にラトル&ベルリンフィルとお別れしよう。

尚、ラトルもアバドと同じように、これからも定期的にベルリンフィルに客演していくことになるそうです。


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Bells up for Sir Simon !

サイモンの最後(マラ6)のために、ホルンセクションのみんな、ホルンのベルを上げて感謝の意を・・・泣かせるなぁ (^^)






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